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バックナンバー

○4月2日(水) 旧暦3月3日浜下り
○4月3日(木) 平安座島 サングヮチャー・トゥダヌイューとナンザ拝み/13時〜 アクセス
○4月5日(土)〜19日(土) 清明(シーミー)
○4月5日(土) 大石公園(識名1丁目)ゆり祭り
○4月6日(日) 波の上ビーチ 海開き
○4月8日(火) 若狭図書館 本の返却日
○4月11日(金) 那覇市桜坂 barドラミンゴめおと楽団ジギジギ 20時開場 20時半開演 1000円(1ドリンク別)
○4月12日(土) 学芸員と歩く史跡・旧跡ツアー 首里地区10:00〜12:00
○4月13日(日) 第6回 コザ・てるりん祭 午後2時〜/沖縄市中央パークアベニュー
○4月13日(日) 栄町市場 ボトルネック/めおと楽団ジギジギ
○4月14日(月) 旧暦3月15日 三月ウマチー 麦の収穫祭
○4月14日(月) 久茂地あっぱりしゃんめおと楽団ジギジギ
○4月19日(土) 学芸員と歩く史跡・旧跡ツアー 真和志地区10:00〜12:00
○4月19日(土) 10:00〜11:00 4・19ボーリング調査阻止10周年集会 於:辺野古浜/平和市民連絡会が大型バスを那覇から出す予定。詳細未定。
○4月20日(日) 糸満
○4月21日(月) ゴールデンウイーク・フリー乗車券発売 前期券・後期券各1000円
○4月22日(火) 若狭図書館 本の返却日
○4月26日(土) 「新たな戦死者を出さないために お話:平良亀之助さん(小禄九条の会代表)/那覇市ぶんかでんぶす館3F NPOセンター集会室 午後2時〜4時 参加費:無料
○4月26日(土) 第4回もとぶ観光文化フェスタ ピージャーオーラサイ&ウシオーラセー
○4月27日(日) 平和通り・島すたいる/やむちんニューアルバム「青春のおとしまえ」発売記念ライブ 17時30分〜おひねり制
○4月29日(火) 旧暦4月1日 南城市大里 ミーミンメー/13時〜古堅公民館 17時〜道ジュネー 記事
○4月29日(火)〜5月4日(日) 牧志 治写真展「とわの海へ」〜沖縄、辺野古・大浦湾〜/那覇市民ギャラリー
○5月3日、4日 ゴールデンウイーク・フリー乗車券 前期
○5月5日、6日 ゴールデンウイーク・フリー乗車券 後期
○5月3日(土)〜5月5日(月) 那覇ハーリー
○5月3日(土) 第11回平和と憲法を語る集い 海兵隊沖縄駐留と集団的自衛権行使〜視野狭窄の安全保障神話〜講師:屋良朝博(入場無元沖縄タイムス論説委員)/南風原町立中央公民館 黄金ホール 午後6時〜入場無料
○5月3日(土)〜5日(月) 奥やんばる鯉のぼり祭り
○5月4日(日) 瀬底ピージャーオーラサイ/11時〜 本部多目的広場
○5月7日(火) 若狭図書館 本の返却日
○5月11日(日) 久米崇聖会 創立100周年記念式典
○5月18日(日) 学芸員と歩く史跡・旧跡ツアー 那覇地区10:00〜12:00
○5月22日(木)〜23日(金) 多良間村スツウプナカ (旧暦4月24日 みずのと み)*記事 多良間島のスツウプナカ
○5月25日(日) 学芸員と歩く史跡・旧跡ツアー 小禄地区10:00〜12:00
○6月1日(日) 旧暦5月4日 ユッカヌヒー 大嶺の地バーリー 記事*要確認
○6月12日(木) 旧暦5月15日 五月ウマチー
○7月11日(金) 旧暦6月15日 六月ウマチー
○7月21日(月) 六月カシチー

おきなわ物語 イベントスケジュール2014上半期下半期
沖縄イベント情報
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
宮古島・宮古協栄バス
宮古島・八千代バス
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
安栄観光フェリー
八重山観光フェリー
石垣島ドリーム観光
スカイマーク
ピーチ
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

4月29日(火)

 昭和の日。旧暦4月1日にあたる今日は、南城市の古堅(ふるげん)地区の豊年祭が行われる。この豊年祭はミーミンメーという名称で親しまれており、ミルク神と子供たちの道ジュネー、アシビナー(昔の遊ぶ庭=ひろば)やアシビモー(野原)での奉納芸が行われる。
 事前に区長さんに電話で祭祀の開始時間を問い合わせたところ、道ジュネーは17時からで、御願の方は13時に始まると教えていただいた。
 会場となる公民館へは、沖縄バスの36番・糸満〜新里線で古堅入口のバス停が近いらしいが、 時刻表を調べたら一日4本しかバスが走っていなかった・・・orz。地図を見ると、やはり沖縄バスの40番・大里線の仲程と言うバス停からも歩けそうなので、沖縄バスの事務所に電話で問い合わせる。1キロほど離れているそうだが、散歩だと思えば楽勝だ。

 朝起きておにぎりを作り、魚肉ソーセージやサンピン茶と一緒にバックに入れて、自転車で那覇バスターミナルに向かう。
 11時25分発の大里線に乗車し、45分ほどで仲程バス停に着いた。バスを降りる時に、運転手さんに古堅の方向を尋ねると、少し先の交差点を左折して真っ直ぐ歩けばいいと言う。教えられた通りに15分ほど歩くと古堅入口のバス停があった。途中の山中の道路沿いに、金魚屋があって意表をつかれる。
 古堅入口のバス停の横にガソリンスタンドがあったので、公民館の場所を尋ねるが、従業員の男性は地元ではないのでわからないと言う。困っていたら、中学生の男の子が2人通りがかった。家に帰る途中にあるので、公民館まで案内してくれると言う。
  バスの走る大きな道から集落の中の細い道に入り、5分ほどで公民館に到着。正確には古堅区農村集落総合管理施設という名称のようだ。

旗頭の組み立て

 施設の庭では、旗頭の組み立てが行われていた。 暫くして区長さんがいらしたので、先日電話で連絡した者ですとご挨拶し、御願が始まるまで「古堅地区集落地域整備事業 記念誌」を見せていただいた。
 記念誌に書かれているミーミンメーの記述。

 古堅のスディチラーアラシー(豊年祭)
(1)由来
 この行事は元来スディチラーアラシーといわれるが、現在では豊年祭と称される様になっている。
 昔は旧4月1日はクルンゲー(衣替え)の日で、人々はこの日から冬服を夏服のスディチラーに着替えていた 。スディチラーとは芭蕉布であるが、芭蕉の糸を粗く紡いで織ったいわゆる普段着である。人々は新しく織って作ったスディチラーをその日初めて着、他の人と織り方や染め方、柄などをアラシー(争い)した。それでその日をスディチラーアラシーと称する様になった。
 スディチラーアラシーの為に人々は一カ所に集まる様になり、その日1日を話したり、歌い踊ったりして楽しんだ。それが現在の形になったはっきりとした理由はないが、村人が他村の催し物を見物するにおよんで、我が村にも村に見合った芸能をと念じて、首里の赤田のミルクを村に広めるようになったとのことである。しかし、それに関する文献、資料等は無く、あくまで伝承の域にすぎない。首里の赤田から伝わったという理由には、そこで歌われるミーミンメーの曲が赤田首里殿内の曲と同じもので、以前は歌詞も『赤田首里殿内黄金ドゥサガティー』と同様に歌われていた。また当地は首里の御殿、殿内への奉公人が多かったとのことである。しかし、もう一つのハイファーボーに関する由来は全く知られていない。
 スディチラーアラシーが豊年祭といわれるようになったんは、ここに登場するミルクが豊年の神といういことからである。
(2)構成
 この行事は三つの部分に別れる。第一はミルクが登場し、子供等による踊り。第二は青年による棒術いわゆるハイファーボー。第三が青年等による踊りである。

 別の頁には
4月1日:ミーミンメー
 行事として誕生したのは割合新しいといわれ、一種の豊作祈願として行われている。また、この行事に入る2、3日前に、戦前まではスディチラーアラシーというのがあった。スディチラーアラシーとは筒袖着物のことで、主婦たちが芭蕉布で家族の夏用の着物を作って競ったそうである。ミーミンメーの日から衣替えをし、バサージン(芭蕉衣)に着替えた。その日は公民館の仏壇に区長(戦前はカシラグヮー)がウブクを準備して供えた。村の祭りで門中とは直接関係はないがティーラ門中は集落の草わけということで余興なども披露する。
 ミーミンメーの行列は昼から行われ、出発時の先頭はナジナタ、帰りはチョウバンがなる。

 また、記念誌に収載されている地図によれば公民館は嘗てのニードンチ(根殿内?)と記されている。公民館の隣りにある照屋家がティーラ(照屋)門中の元家であり、村のニーヤ(根家)だそうだ。ニーヤとニードンチの関係が今一つわからないが、公民館の中には仏壇があり、7つの香炉が納められているので拝みの場所であったのだろう。
 現在使われているミルクの面は、戦後になって2代目。戦前のミルク面は消失してしまっている。ミーミンメーの祭祀自体は、既に200年続いているという。
殿内
*上の文中に出てくる首里赤田のミルクをお迎えするお祭り、みるくウンケーは2012年8月19日に撮影している。

ニードンチ

←公民館(正確には古堅区農村集落総合管理施設)。嘗てのニードンチ。

↓公民館の隣りにあるニーヤ(根家)、照屋家。

ニーヤー
 13時になって御願が始まった。区長さんと、もう一人の男性がビンシー(携帯式御願道具)を持ってまわる。
 順序は、最初にニードンチだった公民館の厨房にあるヒヌカン(火の神)、ミルクの面が飾られた仏壇。ニーヤである照屋家に移動して、家の裏にあるカー(井戸)の跡、台所のヒヌカン、仏壇、庭にある小屋の中の香炉。公民館の横を上がったお宮(集落に散らばっていた香炉を一つに纏めた祠)、山裾のビジュルの(霊石)を巡った。
御願
イビヌ御嶽

 ↑上左はニードンチ(公民館)の厨房にあるヒヌカン。上右はニードンチの仏壇。中左はニーヤ(照屋家)の後ろのカー(井戸)の跡。中右はニーヤの仏壇。下左は集落の何カ所かに点在していた香炉を一つに纏めたお宮の祠。下右は山裾にあるビジュル(霊石)。

←拝みの後、区長さんにイビヌ御嶽を案内していただいた。先ほど拝んだお宮の祠の斜め下の方にある。

 お宮と呼ばれている場所全体が、元々杜(御嶽)で、イビヌ御嶽は、その最も聖なる場所であるイビだったのかもしれないと、想像してみる。
 
 40分ほどで御願が終わって、次に道ジュネーが始まるまで時間がある。お腹が空いたので、持って来たおにぎりと魚肉ソーセージで昼ご飯。集落の中には食堂もそば屋もないので、おにぎりを持って来て正解だった。
 食べた後に村の中を少し散歩すると、小さなカトリック教会があった。奄美大島の集落でよく見かけた手作り感たっぷりの教会だった。
 散歩から帰り、公民館で記念誌を読んでいると子供たちが少しずつ集まって来た。公民館の一室で踊り用衣裳の準備をしている。公民館の仏壇に置かれていたミルクのお面はニーヤに運ばれ、こちらではミルク神、お爺、お婆の着替えが行われていた。

衣裳の支度
 17時になり、まずは長刀を上に飾った旗頭がニーヤの庭へ。続いて子供たちが入ってミーミンメーが始まった。
 記念誌からミーミンメーの芸の記述を引用する。
 芸を演じる場合は、集落の草分けの照屋家の庭、お宮の庭、公民館の庭、アシビナー(集落内の南西部にある小広場)、アシビモー(集落北側にある広場)の五カ所である。演じる場合には二本の旗頭が立てられる。一本は長さ約二間半の竹の上方に長刀を象ったものを付け、金聲玉振と書いた幟を付けてある。この旗頭はナジナタ(長刀)と呼ばれている。他の一本は長さは同じで、上方に枡と鎌一丁を象り豊年と書いた幟を付けてある。これはチョーバン(枡)と呼ばれている。この二本の旗頭は演ずる場所が移る度に移動する。その際は必ずナジナタが先になり、次が参加者でチョウバンは最後になる。その理由はナジナタで厄を払い、チョウバンに五穀を入れ豊年にするということである。
ミーミンメー

 ミーミンメーでは、子供たちが耳を両手でつまんでミーミンメー シーヤープとお囃子を歌う。

1.古堅の村は 黄金灯籠がさがって それが輝くと 弥勒世果報
(ミーミンメー シーヤープは囃子)
2.東の空が明るくなると 学問を習いに行く 髪を結って下さい 私の父母よ
3.たいそう豊かな 古堅の島は 揃う若者の ならんだ美しさよ
4.今年の四月に 遊びはじめて 来年の四月には さらに遊ぼう

このミーミンメーと「赤田首里殿内/ネーネーズ」、「ミルク節/字兼久)」はほぼ同じメロディーですね。そして「年中行事口説/照屋林助」も。

アシビモーでの区長さんの挨拶
旗頭のガーエー

←←アシビモーで、昼の部閉会の挨拶をする区長さん。

←アシビモーから公民館へ帰る途中でガーエーをする旗頭。

↓公民館の庭で旗頭の片付け。

旗頭の片付け

 18時半頃にアシビモーでの踊りが終了し、区長さんの挨拶があった。昼の部はここまでで、次は20時から公民会で夜の部が行われる。参加者はゆっくり公民館へと歩いて戻る。旗頭は集落の四辻でガーエーを行っていた。

 できる事なら夜の部の歌や踊りも見たかったが、帰りのバスの時間もある。最終バスは仲程を21時8分なので、少しなら見れない事もないが乗り遅れると大変な事になる。終電の一つ前は仲程を20時38分なので、夜の部が始まると同時に出なくてはならない。結局始まる少し前にご挨拶をし、公民館を出て夜の暗い道を1キロほど離れた仲程のバス停まで歩いた。
 バス停で少し待って、やって来た40番の大里線で那覇バスターミナルへ。お腹が空いたのでちょっと遠回りだが、久しぶりに高良食堂へ。営業時間は21時までだったようで、片付けの最中だった。気を取り直して国道58号線沿いのハイウエイ食堂へ。いつの間にか食券の自動販売機が導入されていた。色々と悩んでナス味噌煮を選んだ。

ミルク神

←道ジュネーから戻り、公民館の仏壇に祀られたミルク様。

↓ナス味噌煮だが、豆腐やピーマン、タマネギ、人参、ポークと色々入っている。

ナス味噌

 残念ながら観ることはできなかったが、夜の部のプログラムです。
1.かぎやで風 2.開幕のあいさつ 3.上い口説 4.南城市音頭しんか揃りとて 5.繁盛節 6.花笠節・鳩間節 7.国道508号 8.前の浜 9.早口説 10.二才ゼイ 11.六忠臣 12.わした踊い広場 久部良大漁音頭 13.下い口説 14.三線独り語り 15.稲しり節 16.久高〜 17.カチャーシー 18.御礼挨拶

*昨年行われたミーミンメーの映像がYou Tubeにありました。こちら
*本日の出費。那覇バスターミナル〜仲程 450円x2、ナス味噌煮530円。

4月28日(月)

 昨日投開票が行われた沖縄市長選は、自民・公明推薦、そうぞう・維新・民主が支持する前県議の桑江朝千夫氏が初当選した。徳洲会グループの選挙違反事件を受け徳田毅前衆院議員が辞職した事による鹿児島2区の補欠選挙は、自民党新人で公明党推薦の元県議会議長、金子万寿夫氏が当選した。

 那覇は朝から夕方過ぎまで雨。パッとしない気分で、一日中机に向かってパソコン作業。明日は天気が回復するようなので、撮影日和かな?

沖縄手帳

←今年のスケジュール帳として使っている沖縄手帳2014の4月28日のメモに、屈辱の日(4.28沖縄デー)/サンフランシスコ平和条約(米軍の沖縄支配合法化)発効(1952年)と記されている。

↓は昨年の4月28日に、宜野湾市野外劇場で開催された「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」の様子。

昨年の「屈辱の日」沖縄大会

 先日オバマ大統領が来日し、日米首脳会談において尖閣諸島を日米安全保障条約の適用範囲と明記した事が大きく取り上げられている。これを会談の大きな成果としているようだが、尖閣諸島には黄尾嶼射爆撃場と赤尾嶼射爆撃場と言う米軍の射爆場がある。現在は使われていないようだが、1946年にアメリカ軍の軍政下に置かれ、1956年から78年頃まで演習地として使われていた。そもそも日米安全保障条約の適用範囲と言う認識がなければ、米軍も尖閣諸島に射爆場は作れないのではないか。尖閣の問題を考える時、いつもこの事が素朴な疑問として浮かんでくる。参考になる記事として、「尖閣諸島購入」問題の陥穽:孫崎 享氏。

4月27日(日)

 久しぶりに新都心のスーパーへ、特売の餃子を買いに行く。大粒の餃子が18個入って税抜き190円。最近、この餃子が一押しなのかテレビのCMで盛んに宣伝している。
 先月買った泡盛・ユニオンですから25℃がそろそろ無くなりそうなので、新しい泡盛を購入。今回は一升瓶ではなく、種類のたくさんある720ml瓶の中から石川酒造場の島風をチョイス。
 これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海→ゆいまーる→松藤→八重泉→残波の白→請福(フダチミのラベル)→海人→今帰仁の新酒→ユニオンですから→島風。
↓冷凍して、食べたい時に鍋に入れて水餃子に。→島風30℃。
島風
特売の餃子
 昨年の12月21日に行われた山原のムラ・シマ講座@謝花の様子と、その後に行った備瀬集落の写真をPhoto Albumにしました。こちら
謝花の神アサギからウタキに通じる神道
↑謝花の神アサギからウタキへ通じる神道。↓備瀬の聖地、ワリーバンタ。
備瀬の聖地、ワリーバンタ

4月26日(土)

 昨日、一昨日は雨模様だったが、今日は朝から晴れ。午後から自転車に乗って、日を浴びに行く。
 波の上ビーチに寄ってから、沖縄ガス通りを那覇港の方へ。明治橋からゆいレールの下、329号を走って漫湖公園に到着。いつもは公園の中にあるちょうちょガーデンでオオゴマダラを見て行くが、今日は漫湖沿いのジョギングコースの横を自転車で走り公園を一周した。かなり広い公園です。漫湖の岸には、マングローブが繁っている。
 来た道を戻り、若狭から久米へ。ぜんざいで有名な千日に入る。このお店には、2年前に名瀬から那覇へアパートを探しに来た時に一度入っている。朝からぶどうパンしか食べておらずお腹ペコペコで自転車に乗っていて、お食事と喫茶と書かれた千日の看板を発見。中に入って定食でも・・・と思ったら、食事のメニューは沖縄そばだけだった。どうしようかと少し思案していたら、少し先に2軒ほど食堂があると店主に教えられた。その時の接客がとても好印象だった。結局、 教えられた先にあった高良食堂で那覇で最初の外食をした。なので千日に入るのは2回目だが、店内で何かを食べるのは今日が初めてだった。千日がぜんざいで有名なお店だとは、2年前は全然知らなかった。
↓アイスぜんざい300円。→千日。
千日
アイスぜんざい
 注文した名物のアイスぜんざいは、大きな器にサラサラの氷が山のように盛られている。優しい冷たさで、食べても頭がキーンとなる事がなかった。 
 ぜんざいを食べ終わり、前島のスーパーで今日が特売のクリーム系のコロッケ1個56円を3種類買って帰る。

 天気の悪かった昨日、一昨日は部屋にこもってプリントを作っていた。この何年か御中元と御歳暮に缶ビールを贈って下さる方がいて、お返しに撮影した写真の中から50枚ほどを選んでポストカードサイズにプリントして送っている。
 昨年暮れにも御歳暮をいただいて、早くお返しをと思っていたが、なかなか時間がなくて今になってしまった。今回は55枚の写真を選んでプリントした。ポストカードだけだと何の写真かわからないので、写真の説明を書いたプリントを付けなくてはならない。完成して送れるのは、もう少し先かな?
プリントしたポストカード

4月23日(水)

 半月ほど前に買った新ジャガが2つ、冷蔵庫の中に眠っていたのでトルティージャ(スペイン風オムレツ)を作ってみた。ジャガイモとタマネギを切ってフライパンで炒める。火が通ったら取り出して卵と混ぜ合わせ、フライパンに流し込んで焼き上げる。
 本来はホールケーキのように丸く焼き上げてから1ピースずつカットするが、小さなフライパンが無くてぼってりとした薄焼き玉子のようになってしまった。パタータ(ジャガイモ)のトルティージャがポピュラーだが、スペインのデパートチェーン、エル・コルテ・ イングレスの食料品売り場に行った時、ケーキ屋さんのショーケースのように様々なトルティージャが並んでいて感動した覚えがある。
トルティージャ
 スペインを旅していた時に、トルティージャをよく食べた。たいていの場合は、ボカディージョ(スパイン風サンドイッチ)の具として挟んでもらって食べた。ボカディージョの具としては他に、イカのリング揚げ、生ハムが自分の中で定番だった。
 ボカディージョはバル(BAR)でカフェでキオスクで、どこでも買えて手軽に食べられる。日本なら、おにぎりのような存在だろうか。

 新潟県の三条市が、米飯に合わないという理由で給食の牛乳を中止したそうだ。ところでスペインには、お米と牛乳を使ったデザートがある。アロス・コン・レチェで、お米を牛乳で煮て砂糖とシナモンを加えて作る。スペインの食堂でメニュー・デル・ディア(本日の定食)を注文して、デザートとして付いて来たのを何回か食べた事がある。
 彼らには、お米も数ある野菜の一種類。野菜を使ったデザートの一品だ。スペインのクエンカという街の中華料理店で、チャーハンをおかずにパンを食べているのを見てビックリした事があるが、さしずめチャーハンは温野菜のサラダといった感覚なのかもしれない。

 昨年の11月30日に開催された栄町市場感謝祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら

栄町市場感謝祭01
↑栄町ダンサーズ with おばぁラッパーズ。↓ゲストの前川守賢さん with カメーおばぁ。
栄町市場感謝祭02
新しいトップ画面
←年が明けてからアレヤコレヤとバタバタしている間に、うりずんの頃も終わりかけている。昨年末から放置していたトップ画面を衣替えしました。
 奄美大島に、うりずんと言う言葉はありませんが、金作原原生林の写真です。
↓これまでのトップ画面。
これまでのトップ画面

4月21日(月)

 コンビニで電気料金の支払いをした後、泉崎にある那覇バスターミナルへ。5月3日、4日の前期、5日と6日の後期に分けて使えるゴールデンウイーク特別企画フリー乗車券が今日から発売になる。前期、後期ともに各1000円でリムジンと高速バスを除く路線バスが乗り放題という、夢のようなチケットだ。よくお世話になる土日祝一日乗車券では乗れない沖縄バスの路線にも使えるので、本島東海岸を旅行するのにも大助かりだ。
 せっかく泉崎まで来たので、少し離れているがりうぼうの中に入っているジミー泉崎店へ。期間限定商品のキャラメルバターケーキが気になるが、バターケーキのホールを一人で食べ切るのは少々辛いので、カットされているキャラメルバターショートケーキに。それから先月食べたジャーマンケーキの生地にチョコレートを練り込んだジャーマンBOXを購入。
 急いで家に帰り、さっそくショートケーキと一切れカットしたジャーマンBOXを堪能した。尚、店頭ではキャラメルバターケーキは通年で買えるようだ。
キャラメルバターショート
ゴールデンウイークのフリー乗車券
↑発売初日に買った、ゴールデンウイーク特別フリー乗車券。前期と後期4日間、路線バスが2000円で乗り放題だ。
←キャラメルバターショート270円。
ジャーマンBOX01
ジャーマンBOX

←↑生地にチョコレートを練り込んだジャーマンBOX、1080円。先月食べた普通のジャーマンケーキよりも、チョコレートが練り込んである分シットリとして、味も重い。寒い冬場に食べると、より美味しいだろうな。
 それにしてもジャーマンBOXと言うネーミング、ドイツのロックバンドのアルバムを集めたボックスセットみたいだ(笑)。

 16日に行われた辺野古新基地埋め立て承認取り消し訴訟第1回口頭弁論における、県側の答弁書の内容がこちらに掲載されている。
 財務省は、日本の貿易赤字が過去最大の13.7兆円に上ると発表した。これにより、さらに円安が進んだと言う。アベノミクスはデフレからの脱却を目指し、お金を大量に刷って円安に誘導し輸出額の増加を目指したのではなかったか?今起こっているのは、日本の国力の低下にしか見えない。
 連日報道されている韓国の旅客船「セウォル号」の沈没事故のニュースを見ながら、この船と日本を置き換えている。舵取りは間違っていないだろうか。沈み行く船のようになってはいないだろうか。
 大分県の市民団体が公開した空襲映像に、焼失前の首里城の姿。

4月20日(日)

 今月6日の日曜日、沖縄で最大の門中墓と言われる幸地腹・赤比儀腹両門中の清明祭はどのように行われるのか気になって見に行った。すると、この日は神清明(カミシーミー)で役員の方が集まっておられた。その中のお一人に、20日に一般の清明祭が開催されるとお聞きした。門中以外の者が見学する事は可能か尋ねたところ、大丈夫ですよとの返事だった。賑やかに行われるという一般の清明を見学に、自転車で糸満まで走って来た。
 12時半頃に家を出て、国道58号から山下大通り、モノレールの下の道を通り小禄バイパスに。瀬長島の交差点から豊見城道路へ入る。
 瀬長島を過ぎて直ぐの所に、ビックアイスのパラソルが。いつも通り過ぎるので、今日は一つ買ってみた。1つ200円。味はバニラとシークヮーサーの2種類あるので、バニラを。ところでビックアイスに纏わる噂にシングルもダブルも値段が一緒と言うのがある。まさかと思いながら、高校生と思しき女の子に聞いてみると同じだそうです。じゃあ、ダブルでお願いします。
 もう一つ気になっている噂で「食べた後にコーンを持って別の売り場に行くと、おかわりができる」と言うのがあるが、これは聞いてみる勇気すらなかった。
↓道ばたのアイスクリーム、ビックアイス。→バニラのダブル。
ビックアイス02
ビックアイス01
 14時過ぎに幸地腹・赤比儀腹両門中のお墓の前に到着。入り口の前に男性が立ち、車でいらした方達に駐車場の案内をされている。6日の神清明の時に役員の方から、今日が一般の清明祭だと教えていただき見学に来た事を告げる。敷地に入り撮影しても良いか尋ねると、笑顔で許可が出た。
 敷地の中央、奥にあるのが当世墓(トーシーハカ)で、ここの前に訪れた門中の方々が次々と並び、ビンシー(携帯式御願道具)を出して御願をし、ヒラウコー(平御香)を焚いている。1時間ほど居たが、御願をする人が途切れることはなかった。
 糸満市のHPなどには祀られている先祖の数が約5500人となっているが、今日聞いた男性のお話しでは何万という数字だとのこと。門中は沖縄だけではなく、南米やハワイにも広がっている。そう言えば今年の1月に与那国島で知り合った男性も、ここの門中だった。
 当世墓の前に4つ並んだ大きなお墓はシルヒラシ墓で、ここで安置し洗骨した後に当世墓に納められる。幸地腹・赤比儀腹両門中のお墓については、こちらが詳しい。
 糸満のお墓について詳しく書かれたこちらに、山巓毛(サンティンモー)にある下茂腹・茂太腹両門中墓について、
下茂腹・茂太腹両門中墓の内部は、中央に写真に見るような「納骨池」を中心に、火葬骨を入れた骨壺を洗骨されるまでの間置いておく棚が23か所設けられている。旧暦10月20日にはジョーアキ(門開け)といって、先祖の骨と合祀するために墓を開けて、1年以上経過した遺骨を洗骨し、納骨池に骨だけを入れる。これをウィーアギ(上に上げ)するという」と書かれた記述がある。
  幸地腹・赤比儀腹の場合も、昔はシルヒラシ墓の中に遺体を納めた自然葬だったのかもしれないが、現在は火葬骨をシルヒラシ墓に入れ、その後に洗骨し当世墓に納めるのではないだろうか。
*奄美・沖縄のお墓については、以前こちらにメモしている。
幸地腹・赤比儀両門中の墓
清明祭の様子

 当世墓、シルヒラシ墓の前だけではなく、敷地の色々な場所にヒラウコーを置き御願をされている。どこに向かっての遥拝なのか尋ねたところ、お参りできなかった他の門中墓の方向だそうだ
 15時半過ぎに見学を終えて、敷地を出る。駐車場の案内係りの男性にお礼を言うと、長く居ましたね〜と関心される。こちらの門中でも一年に一度当世墓を開けるジョーアキ(門開け)が行われるそうで、見学に来てもいいですよとお誘いを受ける。

 せっかく糸満に来たのでロータリー近く、山巓毛(サンティンモー)の中腹にある南山最後の王・他魯毎(たるまい)の墓へ。こちらにも参拝に訪れる人が、今日は沢山いらっしゃるようだ。

南山王の墓
↑他魯毎の墓。
下茂腹・茂太腹両門中墓
↑下茂腹・茂太腹両門中墓。最近亡くなった方がいらっしゃるのだろう、位牌と草履が置かれていた。
根人腹門中墓
↑根人腹門中の墓。根人腹については、こちらこちらに少し書かれている。
 お墓を訪ね歩いているうちに、16時になった。お腹も空いたので那覇へと帰る。途中、先日も寄った道の駅「豊崎」の、おきなわ食菜館 菜々色畑で野菜を購入。17時過ぎにビックアイスの横を通ったが、もう既にパラソルは撤収していた。
 前島のスーパーでコロッケ、食パン他を買って帰る。
道の駅「豊崎」で買った野菜

 家に帰りシャワーを浴びて、食パンにコロッケやガーリックチキン、野菜を挟んでサンドイッチを作り、晩ご飯にした。

←道の駅「豊崎」で買った野菜。島ねぎ108円、小松菜90円、キュウリ120円、タマネギ118円、ちゅらトマト198円、トマト(フルティカ)120円、ニンニク150円、しょうが158円、切干大根105円、合計1167円。

*幸地腹・赤比儀両門中の清明祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら

4月19日(土)

 辺野古への基地建設に向けた海上のボーリング調査を阻止しようと始まった座り込みが、この4月で10年となった。今日、辺野古の海岸で10周年記念の海上パレードと集会が行われるので行って来た。
 那覇から辺野古まで平和市民連絡会の方が手配したバスが出るので、事前に申し込んで乗車させていただいた。バス代が一人1000円、お昼のお弁当500円も一緒に手配をお願いした。
 9時40分に県庁前を出発したバスは、那覇インターの手前で何人かピックアップ。その後、高速の停留所でも参加者を拾いながら辺野古に向かう。バスは、ほぼ満席だ。
県庁前広場に集合
←県庁広場前から9時40分に、平和市民連絡会のチャーターしたバスで出発。
→会場入り口で、公約違反の仲井眞知事と5人の自民党議員の辞職を求める署名活動。
議員辞職を求める署名
  海上パレードと集会は10時から開始とあったが、会場に到着したのが10時20分頃だった。会場の中央で、嘉陽のオジーこと嘉陽宗義さんのスピーチが行われていた。
  会場の周辺には参加者の車や市民団体の手配した大型バス、テレビ局の中継車も並んでいた。テント村の入り口には座り込み3653日の数字が見える。
↓座り込み3653日。→嘉陽オジーこと嘉陽宗義さん。
嘉陽オジー
座り込み3653日
 集会が本格的に始まったのは10時半頃で、 カヌー隊が辺野古の海に出てデモンストレーションを行った。
 浜の方では、歌やフラダンス、そして各団体からのスピーチがあった。
辺野古の海
集会の様子
 集会は12時を少しまわった頃に終了した。平和市民連絡会のバスに戻り、人数確認をしてお昼の弁当を注文してあるわんさか大浦パークへ。
わんさか大浦パーク
←↓わんさか大浦パークにて、昼食。時間があれば大浦湾を見渡せる場所で食べる予定だったが、予定時間をオーバーしたので、バスの中で那覇市議の方の話しを聞きながらお弁当を食べた。
お弁当

 昼食が終わり、一路那覇へ。高速のバス停、那覇インター、那覇市民会館前で少しずつ参加者を降ろし、終点の県民広場に着いたのは14時45分頃だった。
 県民広場から若狭へ。 若狭から泊へ自転車を走らせ、魚市場で300円のマグロ切り落としと、250円のアカニシ貝の照り焼きを買って帰る。
  沖縄では辺野古の他、高江、普天間の大山ゲート・野嵩ゲートでも座り込み抗議行動が行われている。 

*10周年記念の海上パレードと集会の様子をPhoto Albumにしました。こちら

*沖縄タイムスの記事1記事2、琉球新報の記事、時事通信の記事、朝日新聞の記事

4月16日(水)

 昨年の暮れ辺りは、全国放送のニュースや情報番組でも大きく取り上げられた辺野古の基地建設問題。最近はすっかりSTAP細胞の話題に隠れて、他の重要な問題ともども報道される機会が少なくなっている。
 仲井眞沖縄県知事が沖縄防衛局に対し、昨年の12月27日付けで出した公有水面埋立承認処分を取り消すよう求める裁判が始まった。
 今日は、那覇地裁で13時30分から第1回口頭弁論が行われる。それに先立ち12時から事前集会が開催されるのを辺野古浜通信で知り参加して来た。  

事前集会
弁護団による状況説明

↑事前集会は、那覇地裁の向かいにある公園で行われた。12時頃から参加者が集まり、12時半から開始して30分ほど行われた。
←傍聴できなかった参加者に、弁護団が訴訟の内容と状況を説明。
↓第1回の口頭弁論を終えて、その報告と弁護団の紹介が行われた。写真右は、マスコミ各社からの取材を受ける原告のお二人。
*沖縄タイムスの記事1記事2。琉球新報の記事

報告会

 家に帰り夕方のニュース番組をチェックするが、韓国の旅客船が沈没するという大きな事故があったためか、ローカル局でしか放送されなかったようだ。

 昨年の11月、県外移設を公約にして当選した自民党の5人の議員が党本部で石破茂幹事長と会談し、辺野古移設を容認した。その時の会見で、5人の議員が叱られた子供のようにうなだれて椅子に座らされている姿が眼に焼き付いている。これら一連の動きを廃藩置県によって琉球国が滅ぼされた琉球処分になぞらえて、21世紀の琉球処分、或いは2度目の琉球処分と呼ぶ声もある。

 日本政府は1879(明治12)年3月、武力を背景として琉球国の併合に乗り出した。首里城は3月27日から、日本軍によって占拠されたため、国王尚泰は29日、首里城を立ち退いて中城御殿へ移転した、そして、琉球国は事実上崩壊した。
 首里城は国王の居所や政務空間というだけではなく、王権の正当性を担保した各種の儀礼を行う空間でもあった。首里城正殿の「センミコチャ」では、サンノ阿武志良礼によって毎朝焼香がなされ、城内の10か所の御嶽などでは節目に上級女神官らによる祭祀がなされていた。首里城明け渡しは、国王が退いただけではなく、祭祀空間を失うことであり、全国の祭祀を集約してきたものの喪失でもあった。
 琉球国の国権を接収した日本は中央機構を解体したが、政権交代による社会混乱を抑えるため、地方組織などを温存した。これは祭祀組織でも同様で、中央の上級女神官は廃止されたが、地方の女神官は温存され続けその報酬は昭和期まで支払われていた。
 地方の女神官組織は温存されたものの、祭祀にとっては琉球国併合以前と以後とでは、その根本的な意味が変化している。祭祀の目的だった琉球国は滅亡し、国王は不在となっていた。そして、祭祀世界を集約する首里城も日本軍に占拠されることになった。国家祭祀はその目的を奪われ、中核部分の祭祀空間や担い手を喪失してしまったのである。琉球国滅亡は、琉球の祭祀空間を支えてきた社会環境を根本から変えることになった。
~略~
 日本は沖縄統治政策の一環で、教育による「日本化」を積極的に押し進めるのと同時に、琉球の祭祀の再編を画策し続ける。1882(明治15)年に沖縄に派遣された参事院議官補の尾崎三良は、聞得大君の祭祀空間でもある聞得大君御殿を官弊社に列し天皇の体系に組み入れようと考え、外にも琉球の祭祀にとって重要な「火の神」を天照大神と関連づけようとする提案などもあった。琉球の祭祀の対象を日本の神々と結びつけて行く仕掛けだ。また、昭和初期に琉球の祭祀を研究し、沖縄県にも勤めた鳥越憲三郎は、祭祀空間の一つ御嶽を神社に作り変えようと主導したりした。
 八重山では昭和期に女神官らが戦勝祈願に駆り出され、御嶽が戦勝祈願の場として使われたりした。このような祭祀の再編、天皇の体系との結合の試みは沖縄戦まで続く。日本は琉球国のために存在していた琉球の祭祀空間、祭祀対象、司祭者などを、改変して日本の祭祀と関連づけ、日本(天皇)のための祭祀へと転換させようとしたのである。
*『母たちの神/比嘉康雄展』の図録に収載されている、後田多 敦 海邦市民センター代表理事による「古層のバトンを受け取った比嘉康雄」の中から引用。 

 米軍が整備した軍用道路1号(現在の国道58号)が通る西海岸。那覇軍港、普天間、嘉手納という米軍基地を繋ぐ大動脈だ。拳銃とブルドーザーによってこの道路が造られた時、御嶽や拝所といった祭祀空間も取り壊されたり、基地の中に囲い込まれたに違いない。那覇から名護へ至る西海岸で、嘗ての琉球の面影を探すのは難しいように思う。
  本島北部(やんばる)の東海岸にあり、今回辺野古の新基地建設のために埋め立てられようとしている大浦湾は、多様な生物が生息する豊かな海だ。そして、この大浦湾に面する集落は琉球の祭祀空間である神アサギやノロ殿内が今なお残されていたり、旧暦行事が大事に行われていたりする。昨年、カジマヤー祝いを見せていただいた久志や瀬嵩集落もここに位置する。
 自然だけではなく、今や琉球の面影が僅かに残る場所としても貴重な地域だと思う。海を埋め立てて作られる基地だが、そうした周辺集落の生活や地形にも影響を与えないとは言えないだろう。

*集会の様子をPhoto Albumにしました。こちら

4月15日(火)

 午前中に洗濯。お昼ご飯を食べて、部屋を掃き掃除してから、天気も良いので自転車でブラブラ走ろうと思いエレベーターで1階へ下りて行く。
 郵便受けを開けると、出版社から支払い通知書が一通。昔撮影した写真を1カット、雑誌で再使用したとして使用料が振り込まれていた。ラッキー。1回飲みに行けば消えてしまう金額だが、ありがたい。すっかり気が大きくなって、前から食べてみたいと思っていた謝花きっぱん店きっぱん冬瓜漬を買いに行く。
 国際通りから松尾消防署通りに入って直ぐのところに、お店はあった。白くて丸いきっぱん1個380円と、黄金色の冬瓜漬1個200円を購入。大きさの割りには、いいお値段なので、気が大きい時でないと買えないな。
那覇クルーズターミナルほか
 買い物を終えて若狭の方へ自転車で走ると、大型のクルーズ船が停泊していた。せっかくなので、最近完成した那覇クルーズターミナルの中に入ってみる。伝統工芸品の展示スペースなど、内部はもう少しかかるようだ。
 ターミナルを出て、波の上ビーチ、波の上うみそら公園を走り、帰りは波之上臨港道路を通って帰って来た。
きっぱんと冬瓜漬
満月

 家に帰って早速きっぱんと冬瓜漬を、少しずつ食べた。
 冬瓜漬が絶品で驚いた。砂糖をまぶした表面はサクッと、そして中はしっとり。サクッふわ〜で、口の中に甘い蜜が広がっていく。こんな食感は初めて。日持ちがするので、薄くスライスして味わって食べよう。200円でも充分幸せな気持ちになれるお菓子だ。
 ベランダに出ると、満月が出ていた。

二人は岸を離れ、世界を見るために漂う漂流者
見るべき世界はたくさんあるわ
二人は同じ虹の端っこを追いかけているの
それは、あのカーブを曲がったあたりで待っているかもしれないわ
幼馴染みの冒険仲間、ムーン・リバーと私

You Tubeから「Moon river/Aoi Teshima」。

4月13日(日)

 2005年3月に亡くなった照屋林助さんの功績を讃え、縁のあったアーティストが集う「コザ・てるりん祭」。今年で第6回となるイベントが、今日、沖縄市の中央パークアベニューで行われる。
 ジギジギのきん太さんも、夜は自分達のライブだが昼間は時間があると言うので一緒に見に行く事になった。
 11時頃に家の近くまできん太さんに車で迎えに来てもらい、出発。きん太さんと沖縄をドライヴするというのも、面白いな〜。昔話に花が咲く。
 12時前に会場に到着し、近くの駐車場に車を入れる。駐車場の横をふと見ると照屋林助三線店があった。しばらくお店を眺めていたら、息子さんで林賢さんの弟にあたる三線職人の照屋林次郎さんが出ていらしたのでお声をかけて写真をお渡しする。
 1994年1月30日に浅草の木馬亭で、林助さんがワタブーショーを行った。バックはギターの松田さん(松田弘一さんの弟さん?)、前座にはシーサーズ。このショーをミュージックマガジンの仕事で撮影した。前日には老舗のすき焼き料理店・今半で林助さんのインタビューがあり、その時にポートレートも撮らせていただいた。これらの写真を、いつかご家族に渡したいと思っていた。1991年と1994年にりんけんバンドのライヴも撮影しているので、この時の写真もプリントして一緒のファイルに入れてお渡しした。そして、てるりん祭の実行委員長である林次郎さんに今日のステージの撮影許可をお願いし、「いいですよ」と返事をいただいた。
 まだ開演まで時間があるので、きん太さんと近所を散策した後、てるりん祭と連動して照屋林助写真展が行われている大衆食堂ミッキーで、お昼ご飯。お祭りに出す屋台の準備が忙しく、今日はソバかタコライスしか作れないそうなのでタコライスを注文。沖縄に来て2回目のタコライス。美味しかった。
↓→大衆食堂ミッキーと、写真展の様子。
大衆食堂ミッキー02
大衆食堂ミッキー01
大衆食堂ミッキー03
 きん太さんとタコライスを食べながらゆんたくしていたら、開演時間を少し過ぎていた。会場の直ぐ近くなので始まれば音が聞こえるだろうと思っていたが、スピーカーの裏側に店があるので音が届かなかったようだ。幕開けの「かぎやで風」は見逃して、ティンクティンクの演奏の途中からになってしまった。
第6回コザ・てるりん祭出演者
*出演順の間違いや名前の抜けている方もあるかも知れませんが、参考までに。
幕開け(かぎやで風)/玉城満・立川志ぃさー・ヘンリー(司会)/ティンクティンク/HIKARI/山里ユキ・饒辺 勝子・金城恵子/島袋辰也/チアキ/西泊喜則/興那嶺商会/通り会会長あいさつ/松田一利/仲宗根創/知念こずえ・斉藤マーミー/とぅるるんてん/我如古より子・宮沢和史/仲本興次/知名定男・照屋林賢・名嘉睦稔/上原知子/実行委員長あいさつ/古賢宗揮/堀内加奈子/前川守賢・饒辺愛子/松田弘一/大工哲弘/よなは徹/新良幸人/園田青年会&カチャーシー
てるりん祭の様子

 夜に栄町の方でライヴがあるきん太さんは、15時過ぎまで楽しんでから帰って行った。
 雨が降る事が多いという、てるりん祭。数日前の天気予報も曇りのち雨だった。ところが今日は朝から快晴で、風もあって気持ちの良いお天気。夜遅くには雨が降るような予報もあったが、このまま降らずに行ける?と期待したが19時頃から激しい雨が降ったり止んだり。途中、お客さんはアーケードの下に避難したりもしながらライヴは進行していった。
 予定の21時をかなりオーバーするかと思ったが、雨が降り出した事もあってか21時少し前に終了した。
 路線バスの走る大通りまで歩き、胡屋のバス停へ。暫く待っていると、23番の那覇行きが来たので乗車。22時前には最寄りのバス停に到着。バス賃は750円だった。

*沖縄タイムスの記事。琉球新報の記事

林助さんのステージ
↑1994年1月30日、浅草・木馬亭での林助さんのワタブーショー。客席に入り切らなくなったお客さんを、ステージの左右に上げてのショーだった。 
 You Tubeから「年中行事口説/照屋林助」「ワタブーショーinウンタマギルー」「国頭サバクイ〜笑いと恐怖/平成ワタブーショー」。

4月12日(土)

 那覇市歴史博物館が、現在展示中(5月28日まで)の「那覇の史跡・旧跡~みんなで歩こうNaha city~」にリンクする企画として、実際に学芸員と歩く史跡・旧跡ツアーを開催。ツアーは4回予定されているが、今日は1回目のツアーで首里地区をまわる。
美栄橋ホームからの眺め

 送られて来た案内葉書には、モノレール首里駅改札口前に10時集合と書いてあった。
 9時過ぎに部屋を出て、自転車で美栄橋駅へ。駐輪場に自転車を止め、首里駅までの切符を購入。290円だった料金が、300円になっていた。

←美栄橋のホームから、国際通りの方向を眺める。手前に並ぶ平屋の景色が味わい深くて気になっている。

 参加者は24名ほどだったか。学芸員の方の挨拶があり、さっそく配られた資料に記された史跡、旧跡巡りが始まった。最初に史跡と旧跡の違いがわかりますか?と参加者に学芸員の方から問いかけられる。考えた事もなかったが、史跡は歴史に残る事件や施設のあった場所でモノとして残っているもの。旧跡は、それらのモノのあった跡のようだ。
 以下、配られた資料に書かれていた今回の行程。字の色が違う所は自分のメモ。

1.出発地(首里駅改札口前)/2.聞得大君御殿跡・・・琉球王国時代の最高女神官「聞得大君加那志」の神殿及び住居跡。/3.儀保殿内跡・・・「儀保大阿母志良礼」の神殿及び住居跡。/4.虎瀬山(虎頭山)・・・王国時代の景勝地。/佐藤惣之助詩歌碑・・・虎瀬公園内。/仏之坂(フトウキヌヒラー)・・・戦前からの石畳。/5.平良市跡・・・戦前にあった首里の市場の一つ。/6.大平橋・・・首里と浦添を結ぶ街道に架けられた橋。(パスした)/7.儀保くびり跡・・・首里と浦添を結ぶ街道の一部。/8.亀川盛武生家跡・・・琉球処分期の三司官「亀川盛武」の生家跡。/9.与那原良矩生家跡・・・琉球王国時代の三司官「与那原良矩」の生家跡。/10.安谷川・・・首里と浦添を結ぶ街道沿いの村ガー(共同井戸)。/11.羽地朝秀生家跡・・・琉球王国時代の三司官「羽地朝秀」の生家跡。/12.安谷川御嶽・・・当蔵村のウタキ。1814年に修理が加えられた。奥に鍾乳洞がある。/13.中城御殿跡・・・1873年に竣工した琉球国王世子の邸宅跡。耳チリ坊主。/14.松崎馬場跡・・・首里と浦添を結ぶ街道の一部及び広場の名称。/15.龍潭・・・・・・1427年に造られたとされる人口の池。/16.高所跡・貝摺奉行所跡・・・首里王府の役所跡。/17.首里支庁跡・・・旧首里市の行政を担った役所跡。/18.円覚寺跡・・・尚真王代の1492年創建といわれる第二尚氏の菩提寺。龍淵橋・・・1502年創建といわれるアーチ橋。芸術的な欄干の羽目石は、戦争前にすでに行方不明となった。1950年再建。天女橋・弁財天堂・・・1502年創建。1621年再建。弁財天を祀った。重修天女橋碑記・・・天女橋を架け直した際に建立した石碑。首里の孔子廟跡(石垣が残っている)。那覇には久米と首里に孔子廟があった。/19.健善寺跡・・・琉球王国時代の臨済宗の寺院跡。/20.リングムイ跡・・・約2,000坪あったとされる人口の池。現在の首里公民館も池だった?

聞得大君御殿跡
虎頭山
佐藤惣之助詩歌碑
↑聞得大君御殿跡
↑虎瀬山(虎頭山)
↑佐藤惣之助詩歌碑
仏之坂
安谷川
羽地朝秀生家跡
↑仏之坂(フトウキヌヒラー)
↑安谷川
↑この一帯が羽地朝秀生家跡
玉那覇味噌醤油
安谷川御嶽
中城御殿跡
↑玉那覇味噌醤油
↑安谷川御嶽
↑中城御殿跡
弁財天堂と天女橋
首里の孔子廟跡
健善寺跡
↑弁財天堂と天女橋
↑首里の孔子廟跡(石垣)
↑健善寺跡

 ツアーは10時から12時までの2時間を予定していたが、コースの半分をまわった時点で12時になった。少し休憩してから、その後はペースを早め、全部まわり切ったのは13時頃だった。
 アップダウンの多い那覇の道を3時間歩くのは大変だが、観光案内にも載らないスポットを巡るのは面白い。参加費が保険料の100円だけと言うのも嬉しい。
 首里駅で解散となっていたが、モノレールで帰らない人もいるので国王頌徳碑の前で解散となった。

 このまま家に帰るのも勿体ないので、もう少し一人で散策する事にする。以前から気になっていた首里公園入り口近くの、たこやき安さんで10個200円のたこ焼きと、40円のイカの天ぷら、30円のイモの天ぷらを購入。ビニール袋に入れてもらって、公園のベンチに座って食べた。

たこ焼き安さん
守礼門

↑たこ焼き安さん。名瀬の奄美小学校近くにある15個250円のたこ焼き屋さんほどの衝撃はないが、充分に安いです。

←2000円札の絵柄で知られる守礼門。シロアリなどの被害で大掛かりな補修工事をしていたが、昨年3月末で工事が完成。
  工事完成後は観ていなかったので、新しくなった守礼門を青空をバックに撮影して来た。

 たこ焼きと天ぷらを食べ終わった頃に、公園内のスピーカーを通して下之御庭で14時から「舞への誘い」が始まるという案内が流された。せっかくなので、その30分ほどの琉球舞踊の催しを観に行った。演目は「若衆こてい節」「本貫花」「浜千鳥」「谷茶前」だった。
首里城公園の琉舞
 舞への誘いを観た後、公園のベンチで少し横になってから、また散歩の続き。首里大中町にある沖縄県最古の映画館、首里劇場を探してみる。
首里劇場01
←住宅街を歩いていると、不意に現われる首里劇場。かなり大きい。
↓上映されているのは、ピンク映画の豪華三本立てだった。
首里劇場02

 歩き始めて直ぐに首里劇場は見つかった。かなり大きい建物で、これを維持して行くのは大変だろうと思う。
  建物が古いからなのか音量が大きいからなのか、住宅地の中にも関わらず女優さんの「アンアンアン」と言うピンク映画ならではの声が盛大に漏れている。その声を犬の鳴き声だと思った女子中学生の二人連れが劇場の建物に近づき、自分たちの間違いに気づいて爆笑しながら歩き去って行った。それにしても沖縄は寛容だな〜と思う。
 さすがに歩き疲れたので首里駅に戻り、美栄橋へ。自転車で家に帰り撮影データをバックアップ。シャワーを浴びて、晩ご飯は今年初めての冷やしそうめんにする。

 今回歩いてみて御殿跡、生家跡というように歴史を残すモノが存在せずに、標示板が設置されているだけの旧跡が多い事に改めて気づいた。これは戦争によって破壊されたためか戦後の区画整理のせいか学芸員の方に尋ねたところ、区画整理によって失われた方が多いそうだ。

*本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。24.は円覚寺跡、27.は国王頌徳碑、28.は中城御殿の石垣の中。
*本日の出費。美栄橋ー首里モノレール往復600円、保険料100円、ミネラルウオーター110円、たこ焼き200円、イカの天ぷら40円、イモの天ぷら30円。

*琉球新報の記事

4月11日(金)

 めおと楽団ジギジギが初来沖。初日の今日は、桜坂のドラミンゴというバー。きん太(世田谷キヨシ)さんと連絡を取り合って、19時にお店で待ち合わせ。
 19時少し前にお店に行くが、まだジギジギの二人は到着してなかったので一旦店を出て電話。桜坂劇場の前まで来たが、ドラミンゴの場所がわからないと言うので迎えに行く。しばらく待っているとレンタカーに乗った二人が登場。車を近くの駐車場に入れて、楽器を持ってお店に入る。
 サウンドチェックの後、ジギジギのお二人と、お二人の知人で沖縄在住の芸人・メガネロック大屋クンと4人で牧志公設市場の近くのカフェへ。お店に来る前にカツ丼を作って食べて来たので、ミルクティーのホットを注文。
 開場は20時で開演が20時半。ライヴは3バンドが出演し、ジギジギは2番目。最初のバンドが始まる頃にお店に戻るが、ウチナー時間でお客さんが集まり始まったのは21時頃だった。
 ベリーダンスとディジュリドゥ、横笛、キーボードによる4人のセッションの後、ジギジギの登場。22時頃にスタートして45分ほどのステージだった。
 最後のバンドも見ていきたかったが、明日は午前中から学芸員と歩く首里のツアーがあるので引き上げた。
↓初来沖のジギジギ。→ピアニカのでこ弾き。
ジギジギ02
ジギジギ01
 You Tubeから「笑点/めおと楽団ジギジギ」「聖地巡礼/めおと楽団ジギジギ」。世田谷キヨシことキー坊きん太さんがギターを弾いていたダディ竹千代&東京おとぼけキャッツのライヴから「銀座カンカン娘」。

4月10日(木)

 今日は快晴。朝からPacoにデータをバックアップする作業。
 午後、スーパーに買い物に出るついでにサイクリングを兼ねて久米へ。久米は元々、中国から琉球に帰化した久米三十六姓と呼ばれる職能集団によって作られた村だそう。この久米に孔子を祀った廟、至聖廟があったが、1944年の10・10空襲で消失した。その後、波上宮の横、若狭にある天尊廟の敷地に再建されたが、昨年の6月に本来の場所である久米で新たに建立された
至聖廟
↑至聖廟。昨年の6月に訪れた中国式庭園、福州園の隣りにある。
 至聖廟を見学した後、自転車で5分ほどの天尊廟へ。敷地の中には程順則の提案によって作られた琉球最初の公立学校、明倫堂もある。
かつての至聖廟
天尊廟
天妃宮
↑かつての至聖廟。
天尊廟
天妃宮
程順則の碑

程順則頌徳碑
蔡温頌徳碑

↓2つの碑は、天尊廟の敷地の奥、小さな丘の上に並んで立っている。

蔡温の碑
2つの碑が並んだ小さな丘

 天尊廟からの帰り、波の上ビーチに寄り、前島のスーパーへ。小松菜が無くなったので、みそ汁に入れる葉ものを物色。大きなレタスが1玉99円だったので購入。沖縄の食堂でみそ汁を頼むとレタスが入っていたり、宮古島でソバを注文するとレタスが入っていたりする。早速、家に帰って今帰仁産のエノキ、油揚げ、ネギ、レタスのみそ汁を作る。普通に美味しい。

 ようやく「琉球の花街 辻と侏りの物語」(浅香怜子著)を読み終える。辻(チージ)には中国の冊封使たちも訪れたようだ。辻という地域性や、その役割、そこに生きた女性達や芸能と中国との関わりが面白い。
 郵便受けを開けたら、出版社からの支払い案内が一通届いていた。4年ほど前に撮影した単行本「ふくらはぎをもむと超健康になる」の中国語版が出版され、その写真使用料。決して大きな額ではないが、ありがたい。1泊2日で離島に行けるかな。
 奄美大島の加計呂麻島で、ハブにかまれ男性死亡、奄美で10年ぶり死者。 その加計呂麻島のある瀬戸内町の文化を伝えるウェブサイト「せとうちなんでも探検隊」が、今日オープンした。まだ全部は見ていませんが、面白そうです。

*至聖廟と天尊廟の写真をPhoto Albumにしました。こちら

4月9日(水)

 昨日と今日は、ほとんど部屋に居て作業。 
 群島鳥類研究会が、この秋から屋久島・奄美・沖縄・石垣で南西諸島の鳥の写真展を予定しており、その写真展に展示してもらう写真何点かを、昨晩宅ふぁいる便で送った。撮影データは別メールで送ったが、撮影の日にちと場所はわかるが、肝心の鳥の名前が・・・凹。/コテッ   
 今日は、昼前から夕方まで雨が降った。昨年末にアマゾンで購入して、封も開けていなかった外付けのハードディスクをパソコンに接続してバックアップ作業。3TBのハードディスクなのでアチコチに散らばっている奄美、沖縄の写真データを一つにまとめようと思う。これまでハードディスクのアイコンの名前を好きなドラマー、好きな女性シンガーでつけて来たが、今回はPacoにした。今年の2月に亡くなったスペインのギタリスト、Paco De Luciaから。

新しい外付けHD
外付けHDのアイコン
↑デスクトップに表示されたHDのアイコン。
←横置きになっているのが、3TBの新しいHD。昨年末に購入した時で13,880円だった。
 昨年11月16日に行われた山原のムラ・シマ講座@比地の様子と、その後一人で食べに行った辺土名の波止場食堂のカツ丼をPhoto Albumにしました。こちら
小玉杜の中に残る住居跡
↑比地集落の発生した場所だと思われる小玉杜(ウタキ)に残る、住居跡。
↓コンクリートの囲いは、集落が小玉杜の麓に移動してから作られたユーフルヤー(風呂屋)の跡。沖縄ではお風呂に入る習慣がなかったと思われているが、夏は川の水浴びで済ませても冬はお風呂に浸かったようだ。
ユーフルヤー(銭湯)の跡

4月7日(月)

 今日は一日中部屋に居て、パソコン作業。お昼に、昨日道の駅「豊崎」で買った新じゃがで煮っころがしを作った。
新じゃがの煮っころがし

←じゃがいもを洗って泥を落とす。鍋に水、醤油、味醂、泡盛、砂糖、唐辛子、新ジャガを入れ、アルミホイルで落とし蓋をしてコトコトと煮詰めた。
 ご飯のおかずと言うより、おやつに良いですね。これで原価は80円ほどか。

 昨年の11月9日に撮影した伊江島と村踊の写真をPhoto Albumにしました。伊江島までのフェリーと島の風景はこちら、村踊はこちら

↓本部港から伊江島までのフェリーの中にて。伊江島には米軍の補助飛行場がある。*琉球朝日放送「検証 動かぬ基地 vol.124オスプレイ配備4カ月・伊江島は今
伊江島へのフェリーにて
↓伊江村民俗芸能発表会。今年は川平地区が担当だった。*科学映像館のFilm Museumから「村踊 沖縄県伊江村伝統芸能」(1977年製作)。
村踊
 Vanilla Airが、今年の夏から奄美大島へ就航する事が決まった。運賃や発売時期は、4月23日に発表になるようだ。

4月6日(日)

 シーミーに入って最初の日曜日。糸満に、沖縄で最大の門中墓と言われる幸地腹・赤比儀腹両門中の墓がある。約5500人の先祖が祀られているそうだが、この門中のシーミーはどのように行われるのか気になって、午後から自転車で糸満に向かった。
 糸満へ行く前に今日が海開きの波の上ビーチに寄ると、たくさんの人で賑わっていた。波の上うみそら公園ではイベントが行われるとテレビのニュースで聞いたので行ってみるが、既に終わったのかまだ早かったのか人影は少なかった。
 うみそら公園から海沿いの道を走って沖縄セルラースタジアムの方へ。山下大通りからモノレールの下の道に出て、小禄バイパスに。瀬長島の交差点で豊見城道路に入って糸満を目指す。

↓(左)瀬長島を過ぎて直ぐにビックアイスを発見。(右)美らsunビーチを過ぎた辺り。
ビックアイスなど
 西崎で豊見城道路を下りて、白銀堂の方へ。白銀堂の前を通って糸満ロータリーに向かい、目的地の幸地腹・赤比儀腹両門中墓へ。広い敷地の中央、大きなお墓の前にテントが一つ張られている。しばらくして出ていらした男性に尋ねたところ、今日は神清明(カミシーミー)で門中の役員(代表者)が集まっており、後日、一般のシーミーが行われるそうだ。その時は、かなりの賑わいになるようだ。
幸地腹・赤比儀腹両門中墓
 糸満ロータリーに戻り、前から気になっていた交番の裏手にある大きなお墓に寄ってみる。そこには南山最後の王・他魯毎(たるまい)の墓や、根人腹門中の墓があった。根人(ニーチェ)は、ムラの草分の家・根家(ニーヤ)の当主。その門中のお墓だろうか。*参考記事。南山最後の王、他魯毎の石棺を公開糸満宗家と旧正月 根人腹(ニーチュバラ)門中とは海人の街・糸満の旧正月風景、その2「糸満ロータリー周辺」沖縄の戦後を歩く
南山王の墓とサンティンモー
↑(左)南山王のお墓や根人腹門中のお墓が並んでいる。(右)糸満ロータリーを挟んで撮影。この小さな山全体が山巓毛(サンティンモー)と呼ばれ、中腹に南山王のお墓などがある。
糸満の飲屋街

 ロータリーから糸満漁港に出て、中央市場へ。市場の横に自転車を止めて、周辺を散歩する。
 静かな日曜日の昼間。スナックの看板が並ぶ飲屋街を歩いていると、なんだか白昼夢を見ているようでもある。

 自転車を取りに戻って、西崎から豊見城道路へ。那覇までの途中にある道の駅「豊崎」の、おきなわ食菜館 菜々色畑で野菜を購入。

 ゆいレールの下の道と、山下町大通りの交差点に豚の丸焼き専門店がある。一頭3万2千円〜の丸焼きは買えないが、豚肉がたっぷり入っていると言う豚みそ(油みそ)を一つ購入。
豚の丸焼き専門店01
豚の丸焼き専門店02

↑目立つ看板の豚の丸焼き専門店。

←お店の中で焼いてるんですか?と聞くと、ご主人が作業場を見せてくれた。

 たくさんの野菜と豚みそで、豊かな気持ちになって帰宅。ご飯が炊けるのが待てなくて、食パンに肉みそを塗って食べた。美味しい。
買って来た野菜
肉みそ
↑豚みそ(豚肉入りの油みそ)。
←道の駅「豊崎」で買った野菜。小松菜、新じゃが、人参、新タマネギ、トマト、トマト(フルティカ)。全部で661円はお得。
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

4月5日(土)

 風は冷たいが日差しはあるので、午前中に洗濯。
 沖縄は今日から19日まで清明(シーミー)の期間に入る。昨年は2泊3日で尚円王の生まれ島である伊是名島に、公事清明祭を見に行った。今年は沖縄の普通の家庭のシーミーを見てみたいと思い、清明の初日である今日、識名霊園に行ってみた。
 安里、三原、繁多川と自転車で走り、識名霊園に到着したのが14時40分頃。土曜日なので霊園の中は賑わっているだろうと思っていたが、それ程でもなかった。一時間半ほど霊園の中を散歩していたが、お墓の前に親族が集まってシーミーをされているご家族は4組ほどしか見かける事ができなかった。霊園の敷地は広大なので見かける事はできなかったが、シーミーをされているご家族はもう少し多いだろう。それでも霊園の中は静かで、シーミーのためにお墓の掃除をしている方や、明日シーミーをするためにお墓の前にテントを張っている方も見かけた。
識名霊園

↑(左)、上の方から霊園の一角を撮影。部屋のベランダから那覇市街を見る風景と似て物凄い密集度だ。(右)、明日シーミーを行うそうで、大きなテントが張られていた。正面の大きなお墓には門中の元家となる一家がお入りになっているそうだ。両脇に門中の各家ごとの少し小さめのお墓が並んでいた。テントが風で飛ばされないようにおもりがブラ下がっているのかと思っていたら、明日敷くブルーシートが入っているそうだ。

シーミー
←横を通りかかったら子供が「こんにちは」と声をかけてくれた。それがキッカケで少しお話しをして、写真を撮らせてもらった。やはり日曜日の方が人は多いそうだ。お墓の前で三線を弾いて唄ったり踊ったりという光景は、那覇ではあまり見られないとのこと。ご馳走やお菓子の横に、ビンシー(携帯式御願道具)が並んでいる。お供えした料理は皆でいただく。それはご先祖様と一緒の墓場のピクニックのようだ。 
識名宮01

 識名霊園からの帰り、途中にある識名宮に寄って参拝。昨年の3月識名園に行った帰りに寄った時は拝殿を建て替え中だった。
←建て替えられ新しくなった拝殿。

識名宮02
サザエさんとトトロ

↑嘗てはサザエさんと言う名の喫茶店だったのだろうか。少し離れた場所には、レンタルショップトトロがあった。

 繁多川、三原と来た道を戻り、国際通りから美栄橋を通って前島のスーパーへ。増税前は内税表示だったのが、商品の値段と税込み価格の2重表示になっている。一つの商品に値段が2つあると何だか面倒臭い。
 晩ご飯は、残りご飯とカレーをフライパンで炒めてドライカレー。スーパーで買って来たクリームコロッケとキャベツの千切りを食パンに挟んでサンドイッチ。
*沖縄タイムスの記事

*本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

4月3日(木)

 今日は旧暦の3月4日。昨年は那覇の鏡水地区で行われる三月あしびを見に行ったが、今年は平安座島のサングヮチャーを見に行くことにした。平安座島の3月節句、サングヮチャーは旧暦の3月3日から5日まで3日間あり、中日となる今日はトゥダヌイューとナンザ拝みが行われる。
 事前に平安座自治会に問い合わせたところ、行事の開始時間は午後1時からだそうだが、初めて行く島なので早めに行く事にした。平安座島までは27番の屋慶名線の終点近く「農協前」で降りて、平安座総合開発が運営するバスに乗り換える。伊計島まで行くこのバスの本数は少なく、2時間に1本。始発となるJA与那城支所から平安座島までは10分ほどなので12時発のバスで十分間に合うが、島内を散策したいので一つ前の10時発に乗る事にする。

 朝5時頃に起きてテレビをつけると、昨日チリで起きた大地震による津波の情報が流れていた。おにぎりを作り、カメラや着替えをバックに詰めて準備。
 10時発のJA与那城支所から平安座島に行くバスに乗るために、最寄りのバス停を7時40分に出る27番の屋慶名線に乗車。2時間ほどで着いて、平安座島行きのバスに乗り換える。バスと言っても小さなマイクロバスで、先に乗車賃200円を支払った。今日はサングヮチャーがあるので、通常のバス停には止まらない事を説明される。
 海中道路を渡り平安座島に入り、自治会館の前で降ろしてもらった。自治会館の前には既に旗が立ち、テントが設営されていた。行事の事を尋ねると、12時半頃に仮装した参加者が会館に集合し、大きな魚を乗せた神輿を担いで会館の裏手にある神事を行う場所に移動するという。とりあえず神事の行われる場所を確認し、時間がたっぷりあるので集落の中を散歩する。
 写真を撮りながら歩いていると、大きな旗が立てられた家があった。 ご主人がいらしてお話しを聞くとイリ(西)の旗だそうで、明日はこの旗を持って東西から浜へ行くようだ。また、ご主人は男神として行事の際はノロの補佐をされるようだ。現在、平安座島のノロ神は高齢のため不在で代役の方が勤めている。

平安座島スナップ

↑上左は男神の男性とイリ(西)の旗。上右はカミヤー(神屋)。中左はアガリ(東)の旗。中右は自治会館の通路に置かれた大きな魚(タマン?)の神輿。下左は自治会館に飾られていた白寿でカジマヤー祝いをした方の写真。下左は自治会館の裏手で身体を黒く塗って土人に仮装中?の青年達。

 12時半を過ぎると仮装した人達が神事の行われる場所に集まって来た。13時になって、椅子に座ったノロの代役の方と男神に、島の代表達がお神酒を捧げて神事が始まった。この神事ではトゥダヌイューと言う、奉納された魚を銛で刺す儀式が行われる。 銛で刺した後、刺した魚を担ぎながらの踊りが披露され、カチャーシーに移った。そして神事の最後には「かぎやで風」が踊られた。

トゥダヌイュー

↑上左はビンシー(携帯式御願道具)の用意をする男神。上右はノロ(代役の女性)と男神を接待する村の代表。中左はお神酒(泡盛)をいただくノロ(代役の女性)。中右は奉納された魚を銛で突く女性。下左は銛に刺した魚を担いで踊る女性。下右は祝いの席で踊られる「かぎやで風」の披露。

↓トゥダヌイューの後はナンザ拝みに行くため、仮装した人達と大きな魚を乗せた神輿が浜へ移動する。

集落の中を通る大きな魚の神輿
 ナンザは島の東にある岩礁で、浜から700mほどの距離。干潮の時には歩いて渡れる。この岩礁の上からニライカナイに向かって豊漁を祈願するのがナンザ拝み。例年は子どもも女性も海を渡るが、今日は昨日のチリ地震の津波警報が沖縄にも出されており、まだ解除になっていない事から大人の男性のみということになった。
 地球の裏側で起こった地震が、沖縄の小さな島の祭祀にまで影響するとは。そう言えば昨年の旧暦3月4日(4月13日)の早朝には、淡路で大きな地震が起きた
海を渡ってナンザ岩へ
↑浜から沖にあるナンザに向かって歩く人達。当初はナンザまで行く予定だったが貴重品をビニール袋に入れたりサンダルに履き替えたりと準備に手間取り出遅れたのと、潮位が思っていたより高かったので途中で挫折した。潮位は低い年と高い年が交互に繰り返すらしく、今年は高い年のようだ。
ナンザ拝み
↑ナンザ拝みに参加している人達の幟が見える。ナンザには御嶽のようなモノは無いようなので、存在としては奄美大島の集落にある立ち神岩と近いかもしれない。ちなみに平安座島の御嶽は2つあるが、アガリの御嶽は現在石油会社の敷地の中にある。昨年見に行った鏡水地区の御嶽は自衛隊の基地の中だった。米軍の基地の中にある御嶽もある。沖縄の神事の継承の難しさは、こんな所にもあるように思う。
ナンザ拝みの帰りを待つ神輿と女性達
↑例年は海を渡る神輿も、津波警報の影響で担ぐ子供達が海に入れないので浜でお留守番。女性達は太鼓を叩いてナンザ拝みから戻る人達を迎える。
↓→ナンザからの帰り、強い雨と風が吹き始めた。
ナンザ拝みの帰り02
ナンザ拝みの帰り01
↓撮影に来ていたカメラマン達のリクエストに応えて、子供達が波打ち際で神輿を担いでくれた。
大きな魚の神輿
 激しい雨の中、仮装した人達と神輿の行列が自治会館へと歩いて行く。
 この後、自治会館の前に設営されたテントで仮装コンテストが行われる予定だったが、雨のために会館の2階に変更となった。
 最初に中学生の女の子達による三線の演奏、そして仮装コンテスト。
  コンテストの途中だったが、帰りのバスに乗るため外に出る。
仮装コンテスト他
 サングヮチャーのため、帰りのバスは通常のバス停ではなく自治会館前の通りで停車することになっている。バスの来る時間より少し早めに自治会館の前で待っていると、バスが浜比嘉島の橋を渡って来るのが見えた。橋を渡って左折すると自治会館だが、バスは右折した??サングヮチャーの行事が終了したので通常のバス停に変更したんだろうか。慌ててバス停までの近道を走るがバスは来ない。おかしいなと思い自治会館に戻ると、目の前をバスが走り去って行った。次のバスは2時間後だ・・・orz。
 しょうがないので屋慶名まで歩く事にした。海に並ぶ奇岩を撮影したりしながら海中道路を歩いて渡る。晴れた日の昼間なら気持ち良い散歩かもしれないが、曇り空の夕暮れ。幸いなのは雨が止んでいた事だ。
↓海に並んだ奇岩。→屋慶名と平安座島を結ぶ海中道路。
海中道路
奇岩

 4.7kmの海中道路を1時間10分ほどかかって歩いた。海中道路を渡ってしばらく歩くと那覇行きのバスが目の前を通った。急いで追いかけてバス停で止まっていたバスに乗車。始発の屋慶名バスターミナルを出たばかりのバスは、まだ他の乗客を乗せていなかった。
  乗って直ぐに運転手さんから、車の調子が悪いので回送にして具志川のバスターミナルに行くと告げられる。なんでもクラクションの接触が悪いらしく、クラクションが連続して鳴ってしまうようだ。回送バスに乗れるとは、なかなか無い経験のような気もする。
 具志川バスターミナルに到着して、違うバスに乗り換え。乗車券は具志川からで良いとの事で、少しだけ運賃が安くなった。19時30分発の23番那覇行きに乗車して、最寄りのバス停に着いたのは21時頃だった。
 おにぎり2つとミカン一つしか食べていないので、パスタを茹でて昨日作ったカレーをかけて食べる。それにしてもよく歩いた一日だった。
 平安座島から帰る途中、先日カジマヤーの写真をお送りした久志公民館の方と、瀬嵩集落の比嘉さんのご家族からお礼の電話をいただいた。
*本日の出費。最寄りのバス停〜屋慶名農協前1310円、JA与那城支所〜平安座自治会館200円、缶ジュース110円、具志川BT〜最寄りのバス停1030円。

*琉球新報の記事

*平安座島のサングヮチャーの様子をPhoto Albumにしました。集落内のスナップとトゥダヌイューはこちら。巨大な魚を象った神輿の行列とナンザ拝み、仮装コンテストはこちら。(2014年8月23日に更新)。

4月1日(火)

 波の上ビーチは今日から遊泳期間に入るはずだが、朝から那覇は土砂降りの雨だった。
 消費増税初日を迎えたが、結局何も買い溜しなかった。煽りに釣られて必要も無いものをアレコレ買うと、かえって無駄な出費になる。増税で家計が大変になるからと、デパートのセールでカニ缶を大量に買い物かごに入れているおばさんを何日か前のテレビで見て驚いた。
ネギぬた
 昨日公設市場の方の八百屋さんへ行ったらタイムセールに遭遇。たくさんのチンゲン菜が入った袋が100円だったので購入。今朝はチンゲン菜と油揚、エノキのみそ汁にした。夜はチンゲン菜と豚バラ、卵のカレー粉炒め。たくさんチンゲン菜を使ったが、まだ半分以上残っている。
 冷蔵庫に刺身のパックを買うと付いてくる辛子酢味噌の小袋があったので、昨日の残りの刺身と茹でたネギでネギぬたを作った。
 昨年の11月3日に撮影した泡瀬の大綱引きの写真をPhoto Albumにしました。こちら
泡瀬の大綱引き01
↑大通りで待機中の、イリ(西方)の雌綱。雌雄綱合計の全長が110m、最大径0.7m、重量約10t。
↓支度によるガーエーの後、10年ぶりとなる綱引きが始まった。今回はイリが勝った。
泡瀬の大綱引き02
 元オリジナルラブのドラマー・宮田繁男さんの訃報が今日、伝えられた。個人的には、ハシケンさんのフルバンドスタイルでのドラマーだった宮田さんの印象が強い。2000年代前半のハシケンさんのライブは、宮田さんのドラムと松 永さんのベースによるグルーブも魅力の一つだった。You Tubeから「SHAKE ME SHAKE YOU/ハシケン」。

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