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○1月23日(木)〜3月23日(日) 森山大道 終わらない旅 北/南 沖縄県立博物館・美術館 おきなわ物語 イベントスケジュール2014上半期、下半期 |
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○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら) ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円 那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円 那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円 やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ 琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円 読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円 石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円 西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円 宮古島・宮古協栄バス 宮古島・八千代バス 与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円 安栄観光フェリー 八重山観光フェリー 石垣島ドリーム観光 スカイマーク ピーチ |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく ○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu ○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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那覇の中心部にあり、県庁からもほど近い久茂地小学校。少子化に加え、商業地・繁華街にあるためドーナツ化現象による人口減少で近隣の前島小学校と統合することになり閉校となった。今月20日に行われた最後の卒業式は、地元の新聞やテレビでも取り上げられていた。 *関連する琉球新報の記事を2つ。「背景に少子化、ドーナツ化現象・・・小規模小中校統合問題 那覇市」「久茂地小を統廃合 12年度末、適正規模困難に」。 |
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プログラムから、ごぜん11時 会場OPEN ごご1時 公舎開放! 2時半 ステージイベント開始! 3時 記念撮影開始! 4時半 全員で校歌斉唱! 4時45分 全員で記念撮影! 5時〜学生さん子ども達は体育館にて懇親会 |
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長崎県の離島へ廃校になる高校の最後の卒業式を取材に行った事がある。ポップティーンという10代の女の子向けの雑誌の仕事で、写真と文章を一人で担当した。 ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから リンダリンダ リンダリンダリンダ 久茂地小学校のイベントを見終えて家に帰る途中、前島にあるスーパーで買い物。お米がそろそろ無くなりそうなので、福井産コシヒカリ5キロ入りを一袋購入。 *久茂地小のイベントの様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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今日は、昨年の3月19日に亡くなられたセイグヮー(誠小)こと、登川誠仁さんの一年忌追悼公演が、うるま市芸術劇場で開催される。コンサートは夕方からだが昨日購入しておいた路線バスの土日祝1日限定フリー乗車券があるので、お昼少し前に部屋を出て最寄りのバス停へ。せっかくなのでコンサートの前に寄り道をする。 うるま芸術劇場は110番・長田具志川線のバスが劇場の前に停車するようだが、この路線は終電の時間が早くコンサートの帰りは運行していない。ネットで調べると23番・具志川線の喜仲入り口から徒歩10分ほどのようなので、こちらを利用する。うるま市へ行く前に途中の普天間に寄ろうと23番のバスを待っていると、27番・屋慶名線がやって来た。23番は大山ゲートを越して伊佐を右折して普天間へ、27番は大山の交差点を右折し真栄原を通って普天間に行く。途中に通る道は違うが普天間に行くので、早くバス停に来た27番に乗車した。 |
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↑真栄原の辺りに立っている標語看板をバスの中から撮影。以前、Dee okinawaに真栄原おもしろ看板コレクションとして紹介されていた。写真左は「空き巣に注意・・・あ!キスにもチューイ」、右は「子供には正直で 主婦は掃除機で」。 普天間市場入り口でバスを降りて、住宅地をブラブラと歩いていると戦闘機が一機上空を飛んで行った。先日も撮影した、来年返還される西普天間住宅を撮影しながら普天満宮へ。 |
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↓左は、米軍が投棄したドラム缶が見つかり土壌調査をしているキャンプ端慶覧の敷地。右は、キャンプ端慶覧と普天満宮に挟まれた緑の濃い場所。 |
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普天満宮の後ろにある駐車場から、米軍が投棄したドラム缶12本が地中から見つかり、土壌調査をしているキャンプ端慶覧の現場を撮影。 →石平から具志川BTに向かう車窓から撮影したショーウインドー。 |
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↑具志川BT周辺を歩いてスナップ。 |
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1時間ほど散歩してバスターミナルに戻り、23番のバスで上平川まで。バス停を降りて描いてもらった地図を見ながら芸術劇場へ。10分ほどで到着。18時開場、18時30分開演だが、17時20分頃に着いたら列ができていた。 司会 前川守賢 |
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↑上左、舞踊 爽秋の宴。上右、対談<登川 誠仁を語る>、中左、フォーシスターズ。中右、関東・関西・九州支部合同斉唱「島の花・油断しるな」。下左、舞踊 月の浜辺。下右、伊江島エイサー。 ↓中幕 登川流会員一同「寄師事る宝・新デンサー節」 |
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芸術劇場を出ると雨が降っていた。バックから折り畳み傘を出し、急いでバス停に向かう。 23番・具志川線の上り方面那覇行きの最終が、上平川で22時9分。21時50分頃にバス停に着いたので余裕ができた。 バス停の看板の時刻表をもう一度確認すると、27番の屋慶名線上りが22時3分にあった。ラッキー。少し遅れて27番が到着したので自宅近くのバス停に止まるか確認して乗車。 |
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外は雨が降ったり止んだり。風も強い。窓ガラスに付いた雨粒で町のネオンが綺麗に滲んでいる。夜の上り線は日中に比べ道路が空いているからか、バスはスムーズに走っていた。 You Tubeから「ヒヤミカチ節/登川誠仁」「豊節/登川誠仁」「めでたい節/フォーシスターズ」「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー/でいご娘」「No woman no cry/ネーネーズ」。 *登川誠仁さんの一年忌追悼公演の様子をPhoto Albumにしました。追悼公演の前、散歩に寄った普天間周辺や具志川のスナップはこちら。追悼公演の様子はこちら。(2014年8月21日に更新)。 |
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午前中に洗濯と部屋の掃除。
お昼はバナナ3本とクラッカーと牛乳。作るのが面倒臭かっただけだが、なんだかお洒落なダイエットメニューのようだ。 見に行きたいイベントや行事の詳細を電話で確認してから、昨日お礼状を書いたカジマヤーの写真をレターパックに入れて郵便局に出しに行く。現在500円のレターパックプラスは、4月1日から10円上がって510円になるそうだ。 郵便局から管理会社へ自転車で走り、来月分の家賃を納める。管理会社から栄町の方にある平日大人カット700円の床屋へ。3mmのバリカンを入れてソフトモヒカンにしてもらう。4月1日から平日700円は無くなり、通常料金も大人カットのみ900円から1000+消費税に値上がりするそうだ。やれやれ。 床屋から国際通りにある高良レコード店に行き、明日開催される登川誠仁 一年忌追悼公演の前売りチケットを購入。高良レコード店から那覇バスターミナルに向かい、明日使えるフリー乗車券を買う。この土日祝一日限定フリー乗車券は4月1日以降も2000円のままだそうだ。良かった。 辻、久米を通り、前島のスーパーでタンカンを一袋買って帰る。 |
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↑カジマヤーの写真を入れたレターパックを公民館宛で送る。 | ↑明日の登川誠仁さん追悼公演のチケットとバスのフリー乗車券。 | ↑晩ご飯はポークステーキとシーチキンマヨ、納豆、キムチ他。 |
↑Cherry belly moonのベリーダンス。↓市場の路地でもパフォーマンス。 |
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今日の那覇の最低気温は20℃、最高気温26℃。夜になって押し入れから扇風機を出した。 昨年10月19日に行われた山原のムラ・シマ講座@我部祖河集落の様子と、コザのスナップをPhoto Albumにしました。こちら。02〜15は我部祖河集落。16、17は名護行きのバスの車中から。18〜30は照屋の銀天街、胡屋、中の町辺り。 |
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↑我部祖河集落の御嶽(杜)。↓照屋銀天街から胡屋方面へ歩く。 |
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朝、アマゾンからの配達で起こされる。18日にポチッとした商品で、22日に一度配達に来てくれたのだがアマゾンからのメールに配達予定日は25日と書かれていたのでお金を下ろしてなくて、今日再配達してもらう事にしていた。中身はプリント用紙とインク、それに充電式の単三電池。 単三電池は 何年前に買ったかも定かでないエネループを使っているのだが、だんだん充電しても保たなくなってきたので購入した。使うのはマジックマウス用なので手軽な値段のエネループライトという商品にしてみた。エネループに比べて容量は少ないようだが、充電回数は約5000回となっている。 |
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↑アマゾンから届いた100枚入り写真用紙、インク4本、エネループライト。 ←初めて使うエネループライト。とりあえず試してみます。 |
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プリント用紙が届いたので、中断していたプリントを再開。 久志集落と瀬嵩集落のカジマヤー、そして途中に寄った辺野古のアップルタウンの様子をPhoto Albumにしました。久志集落の様子はこちら。辺野古アップルタウンと瀬嵩のカジマヤーの様子はこちら。 |
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↑久志集落のカジマヤー。↓辺野古のアップルタウン。 |
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↓瀬嵩集落から生まれシマの天仁屋までパレードし、そこでお祝いを受ける。 |
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カジマヤーは、旧暦の9月7日に数え年で97歳の長寿を祝う行事。この年齢になると、もう一度子供に帰ると言われ、玩具である風車(カジマヤー)を車に飾り付けてパレードをしたり祝賀会を開いたりと集落をあげて盛大に祝う。 しかし沖縄大百科のカジマヤーの項目によれば、明治のころまでのカジマヤーは模擬葬式の儀式で、死に装束を着せ、集落の七つのカジマヤー(四辻)を回ったという。カジマヤーの名称も「風車」ではなく「四辻」からつけられたものという説もある。 光龍ぬうちなーありくり随筆というサイトのコラムにも、九十七の歳を迎えた方には模擬葬式の儀式を行ったという話しが紹介されている。引用させてもらうと あの世のことを、うちなーぐちでは「後生(ぐそー)」と言いますが、ぐそーの十字路で迷わずに渡る練習をしましょうと言うことで、その七つの十字路を儀式として渡らせ、そこから「かじまやー」を渡らせる九十七歳の儀式と言うことで、誰彼ともわず「かじまやー」と呼ぶようになった、とも言われています。もうひとつ、この七つの橋を渡らせる儀式ですが面白いエピソードがあります。この七つの橋を渡らせて行き着く先は、九十七歳の方が将来入るであろうお墓なのですが、そのお墓までの行き戻りの行列に出会うと、とても縁起が悪いということで、昔の人は皆、忌み嫌ったと言うことです。 七つの橋を渡るという儀式で思い出されるのが、イザイホーの七つ橋だ。 イザイホーの本祭場は先に図示したとおりである。クバの葉でおおわれたハンアシャギの赤瓦の建物であり、その前面の出入り口には地面に埋めこまれた丸太製の七段の梯子、いわゆる七ツ橋がかけられている。この七ツ橋が現世と他界を結ぶかけ橋である。(「神々の古層 主婦が神になる刻 イザイホー」より) また、こちらには橋は異界への通路として語られている。 梅原によると、久高島の女たちが神女になるための通過儀礼、イザイホーで行われる「七つ橋」を渡る儀式を、女が鳥になって異界を訪れる儀式である。鳥になるために女たちは髪を乱して「七つ橋」を渡る。命を懸けて渡る。そして「エーファイ、エーファイ」とまるで鶴の鳴き声のごとき悲鳴を上げるのである。そのとき、女たちは既に鳥になっている。七つ橋とはこの世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた橋であり、この橋を渡ることで、神女となる。 七つ橋。今日、以前から気になっていた”琉球怪談 闇と癒しの百物語”と副題がついた「七つ橋を渡って/ 小原猛」(ボーダーインク)を若狭図書館で借りて来た 。 本の前口上から。 〜略〜 「神の島」と呼ばれる久高島の秘祭「イザイホー」では、かつて<七つ橋>を渡るという儀式が存在しておりました。<七つ橋>は、祭礼の場に撒かれた白砂に埋め込まれた仮の橋です。神女となる運命の島の女たちは、エーファイ、エーファイの掛け声を唱えながら、七回その橋を渡ります。そして渡る者に、もし隠している罪や不貞などがある場合は、気絶したり、卒倒したり、あるいは血を吐いて即死すると言われてきました。 |
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それは神女になるための一種の通過儀礼であり、<七つ橋>とは、あの世とこの世を結ぶ架け橋、つまり死者と生者の間を繋ぐシンボルといえます。 同じことは、九十七歳になると行われる長寿の祝い「カジマヤー」にも当てはまります。この年齢になると、人は無垢な子供に還るといわれ、祝われる老人は、手にカジマヤー(風車)を持ち、集落の中を道じゅねー(パレード)し、人々は長寿にあやかります。しかし、その昔行われていたカジマヤーは、死を前にしての模擬葬式の意味合いが強く、赤い衣服は死装束であり、集落の中のアジマー(四辻)、もしくは橋の上を7回、死装束のまま渡ったといわれています。七つの橋を渡ることによって、老人たちは、あちら側へ行くための準備をしていたのです。 〜略〜 本の方は一つ目の橋から、七つ目の橋の中に百の物語が収められている。 |
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プリントを終えたが、ファイルに入れたままだった与那国島と久高島の写真。昨日ようやくお礼状を書いたので、レターパックに同封して泊の郵便局から出した。 郵便局の帰り、コンビニに寄って電気料金とガス代の支払い。水道代は納付期限が過ぎていたので、近々持って行くことにする。 |
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一度部屋に戻りカメラをバックに入れて、パレットくもじに向かう。 3月20日から沖縄国際映画祭が開催されているが、パレットくもじからメイン会場となる宜野湾にあるコンベンションセンターへの無料シャトルバスが出ている。 時刻表を見ると次のバスは15時20分。一時間ほどあるのでパレットくもじの外階段を上って向かいにある那覇市役所を撮影。撮り終わってビルの中に入ると那覇市歴史博物館があった。 |
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300円の入場料を払って企画展「那覇の史跡・旧跡〜みんなで歩こうNaha City〜」を見る。辻の海側にあった辻原墓地(サンモウジ)や昔の外人墓地の写真があった。辻原墓地は今の自動車教習所のある辺りだろうか?もう少し内側だろうか?大きな亀甲墓や破風墓が並んだ墓地の風景は、1月に与那国島で見た浦野墓地を思い出させる。 那覇市歴史博物館を出て国際映画祭の会場へ行くシャトルバスのバス乗り場に行くと、長い行列。15時20分のバスには満席で乗れなかったが、10分ほど待って臨時バスが出たので乗車。国際通り、おもろまちを経由してコンベンションセンターに到着。 |
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観たい映画があるわけでもないので、色んなお店のブースが並んだ展示場を横切ってビーチに。ビーチでは19時からフィナーレの催し物があるようだ。会場横のベンチにゴロンと転がって休憩。平日だけれど春休みの学生がいっぱい。ベンチでゴロンとしたり、テーブルに持ってきた本を広げて読んだりして一時間ほど過ごしてからシャトルバスの乗り場に戻る。18時10分のパレットくもじ行きに乗車。宜野湾、浦添、那覇は慢性的に道路が渋滞している。一時間弱掛かって到着。 |
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風は冷たいが、快晴。午後からカメラを持ってお出かけ。神里原社交街で自転車を止めて、まずは定点撮影。それから壺屋、寄宮、三原とブラブラ歩く。散歩をすると、那覇の街が丘陵地だというのがよく分かる。なだらかな丘に無秩序に家が建ち並んでいる面白さ。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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晩ご飯は、テレビ番組「秘密のケンミンショー」でも紹介されたからそばを作る。本来はそばが入っている袋に直接缶詰の中身を入れて混ぜるのですが、沖縄のそばは油っぽいので湯通ししてから混ぜた。缶詰はシーチキンにしたが、これだけだと飽きるのでタマネギ、青ネギ、中華イカを刻んで入れ、マヨネーズと醤油、食べるラー油で味付けした。それでも5分もかからない即席料理だ。 今帰仁の新酒44℃が残り僅かになったので、昨日新しい泡盛を買ってきた。スーパーのプライベートブランドだろうか、その名もユニオンですから25℃。テレビで毎日流れてくるユニオンですからだが、フルバージョンがあった。 これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海→ゆいまーる→松藤→八重泉→残波の白→請福(フダチミのラベル)→海人→今帰仁の新酒→ユニオンですから。 |
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↓からそば。→ユニオンですから25℃。 |
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昨年末に亡くなられた大瀧詠一さんを偲ぶ、お別れ会が昨日行われたそうだ。You Tubeから「12月の雨の日/はっぴえんど」「夢で逢えたら/吉田美奈子」。夢で逢えたらは、永遠のポップスだな。 | ||
少し早めに昼ご飯を済ませて、お昼から自転車でお出かけ。嘉手納方面に行こうか、久しぶりに糸満方面にしようかと迷いながらペダルを漕ぎ出すと、足は泊高橋の交差点を右折した。じゃあ、嘉手納方面だ。 泊市場、国立劇場おきなわの横を通り、キャンプキンザーの脇を抜け国道58号に出る。泊高橋と天久の間の坂が嫌で、いつも大回りをしている。 そう言えばキャンプ端慶覧(フォスター)の後方に広がる米軍住宅(西普天間住宅)が来年返還される。その前に撮っておこうと思い、嘉手納の手前にある普天間に向かう事にした。 |
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↑泊の市場に行く途中、那覇ハーリー会館の横を通ると骨組みが出来ていた。 | ↑国道58号より海側の宇治泊地区は、新しいマンションや住宅の建築が相次いでいるようだ。 | ↑沖縄の情報伝達手段の一つ、横断幕。地域の行事や個人的な報告も道路に張られた横断幕で行われる事が多い。 |
大山ゲートを過ぎて伊佐の交差点を右折し普天間方向にしばらく行くと、道路に隣接したキャンプ端慶覧と西普天間住宅地区が現われる。自転車を柵に止めて、写真を撮りながら一番端まで歩く。 もう誰も住んでいない住宅を見ながら、小学生の頃にテレビで観ていた「奥様は魔女」を思い出す。サマンサ(エリザベス・モンゴメリー)のような女性がドアを開けて出て来ないだろうか。このテレビ番組が自分にとっての最初のアメリカ体験だったかもしれない。 住宅地を過ぎて少し歩くと普天満宮に着いた。お賽銭を入れてウートートーした後、鍾乳洞の入口を探して普天満宮の裏の駐車場の方へ行くと、柵の向こうで地質調査のための土壌採取をしていた。キャンプ端慶覧では、米軍が投棄したドラム缶12本が地中から見つかっている。 西普天間住宅の方でも土壌工事をしていたが、あれも調査だろうか。嘉手納基地の返還地の沖縄市サッカー場でも47本のドラム缶が見つかっている。このうちの数本には、ベトナム戦争当時に枯れ葉剤を製造していた「ダウ・ケミカル」社の名が書かれている。 鍾乳洞の入り口がわからないので普天満宮の社務所に聞きに行くと、拝観を希望の方は住所と名前を記帳するように言われ、鍾乳洞のある神社の後ろに案内された。入場料は無く応対した巫女さんが入り口まで付き添ってくれる。入り口までの通路には普天間の獅子加那志や奉納された美術品等が飾られていた。 入り口で巫女さんと別れて一人で中へ。空気がひんやりとしている。沖縄戦の当時、この鍾乳洞に数百人の住民が避難していたそうだ(沖縄の戦跡と証言から)。 |
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普天満宮の境内を出て、普天間の町を撮影しながら散策。大きな亀を散歩させているおじさんに遭遇した。今の4倍位までは大きくなるそうだ。 自転車を止めた場所まで戻り、再びペダルを漕いで那覇へと戻る。キャンプキンザーの向かいにある、前から気になっていたホテルアメリカンを撮影。敷地には自由の女神が立っている。自由の女神は高い場所にあって見上げる方がいいですね。地面に置かれて目線の高さが同じだと、自由さが感じられない。 家に帰ってご飯を作るのが面倒になって、新都心のスーパーでどれでも1個98円セールのパンを5個買って帰る。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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天気予報は曇りのち晴れだったが、ずっと曇っていた気がする。買い物に行こうと思っていたが、結局部屋の中でパソコンに向かっていた。 昨年10月2日に撮影した西表島・祖納集落の節祭(ツヅミ)の写真をPhoto Albumにしました。ミリク役を勤めた男性宅へのお礼参りの様子と、ウヒラカー(大平井戸)での神事、芸の奉納はこちら。家々にカリー(嘉例)をつけて歩く旗頭の行列と、スリズ(公民館)でのツヅミの様子はこちら。 |
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↑ミリク役の男性宅でお礼を述べる公民館長さん。↓玄関に旗頭の先を入れてカリーをつけながら集落をまわる。 |
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NPO法人 科学映像館が、祭りや神事の映像を無料配信しているのを最近見つけた。琉球弧の貴重な祭祀映像もある。以下リンクを貼っておきます。 「沖縄 久高島のイザイホー第1部」「久高島のイザイホー第2部」(1979年)、 「石垣島川平のマユンガナシ」、「与論島の十五夜祭」(1980年)、「まつりの島 太平山 沖縄県宮古島」(1975年)、「村踊 沖縄県伊江村伝統芸能」(1977年)。 「久高島のイザイホー」は第1部と第2部を合わせて102分に及ぶ貴重な記録だ。イザイホーは12年に一度午年に行われる、久高島に生まれた30歳以上の既婚女性が神女になる儀式。この記録映像が撮られた1978年以降は行われていない。この映像に写っているナンチュ(神女になる女性)の方も既に70歳を過ぎて神役を降りている。 今年は午年、イザイホーの年だ。今年イザイホーが行われなければ、4日間に渡る祭祀の様子を記憶している人も途絶えてしまうことになるのだろう。ナンチュが籠る七ツ屋で何が行われていたのか、それはナンチュの経験者しかわからない。映像記録にも残っていないのではないだろうか。 |
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午前中から昼過ぎまでパソコンに向かって写真の作成作業。今日も天気が良いので、15時頃に部屋を出てサイクリング。 先ずは波の上ビーチへ。泳いでいる人は見なかったが、砂浜には寝転がって肌を焼いている人がけっこういる。見なかっただけで、もう泳いでいる人はいるんだろうな。ビーチの横でたむろしている猫を撮影してから、辻を通って西町の方へ。 那覇港の横を通ると風景が何か変わっている。港の道を挟んだ向かいにあったてびちの有名な嶺吉食堂が取り壊されて、更地になっていた。閉店したという話しをネットで見た記憶はあるが、こんなに早く取り壊されるとは。一度も中に入って食べる事はなかったが、良い感じに古びた外観に魅かれていた。周辺も様変わりしそうな気配があるので、自転車を降りて暫く撮って歩く。 嶺吉食堂の跡地から東町、壺川を走り漫湖公園へ。公園の中にあるちょうちょガーデンで、久しぶりにオオゴマダラの金色の蛹を鑑賞。蝶の写真を撮っているのを見てか、管理人のオジさんが「もっと蝶を飛ばしましょうか」と声をかけてくれる。どこかにオオゴマダラを隠しているのだろうかと思ったら、枝に止まって寝ている蝶を起こしてくれるという。せっかく寝ているのに(笑)。大丈夫ですと、丁寧にお断りする。なんだかんだと、それほど広くないビニールハウスの中に50分ほど居て楽しんだ。いつでも金色の蛹が見れて入場無料は嬉しい。 漫湖公園から那覇バスターミナルに出て、帰りは国道58号を走って帰る。途中でスーパーに寄ったら18時頃になった。 晩ご飯は昨日と同じくフライパンで炙ったスーチカをご飯に乗せて、その上にスーパーで買ったばかりの食べるラー油をトッピング。他に今朝作ったレンコンと豚肉のきんぴら、サラダ菜、みそ汁。 |
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↑左は、波の上ビーチにて。右は那覇港の近く、西町の倉庫が並んでいる辺り。 |
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↑嶺吉食堂の跡地と、その周辺。 |
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1.交尾中のオオゴマダラ 2.枝についている小さく丸いのが卵 3.幼虫 4.蛹。金色の蛹が、羽化が近づくにつれて全体に黒くなる 5.羽化したオオゴマダラ。羽が乾くまでぶら下がって待っている 6.羽化が終わって抜け出した後の蛹 | ||
本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
日差しの割りには気温がそれほど上がらないが、ベランダにマットと布団を出し、床を掃き掃除。 11日にホールで買ったジミーのジャーマンケーキの最後の一切れを食べる。直径23センチは食べ応えがありました。これで1365円は安いと思う。 冷凍しておいたオリエンタルマースカレーの残りを解凍し、フライパンでご飯と一緒に炒めてドライカレーを作る。美味しい。 |
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このところ部屋に籠っていたので、気分転換に外に出る。自転車で桜坂劇場の前まで行き、自転車を置いて散歩。開南バス停、農連市場の周辺を2時間近く歩いた。 ↓本日のスナップをPhoto Albunにしました。こちら。 |
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↓スーチカ。アチコーコーのスーチカが100g99円。この量で209円だった。家に帰り、さっそく薄くスライスして一切れ食べてみた。これも美味しい。晩ご飯には半分ほどスライスしてフライパンで軽く焼いて醤油をたらし、ご飯の上に並べてスーチカ丼にした。 | ||
久しぶりに郵便受けを開けたら、北のエレキガール改めTOMOKOちゃんからファーストシングルCDとDVDの2枚組「FANTASTIC BLUE」が届いていた。 ジャケットのインナーの中には、西表島から帰った日に空港からそのまま彼女の運転する車で金武へ行って撮影したカットが載っている。 こちらにも少し掲載されています。美里や照屋でもたくさん撮影したので、そのうち更新されるかな? |
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スペインのギタリスト、パコ・デ・ルシアが先月亡くなったのを今日になって知った。 You Tubeから「Spain/Al Di Meola、John McLaughlin、 Paco De Lucia」「Tico Tico/Paco de Lucia」「CONCIERTO DE ARANJUEZ/Paco de Lucia」。 Wikipediaによれば、生まれたのはスペインの南部カディス県のアルヘシラスだそうだ。このジブラルタルに面した港町には1986年のスペイン旅行で立ち寄っている。アルヘシラスから船に乗って海峡を渡り、モロッコにあるスペイン領のセウタという小さな町に着いた。セウタからバスでモロッコの国境の町テツアンに入り、それからタンジールに行ったのだった。この年、逢坂剛さんが「カディスの赤い星」を書いている。この長編サスペンス小説はスペイン旅行の後、何年も経ってから知ったのだが、この小説を読んで逢坂さんの作品に嵌ってしまった。 5月18日(日)、草月ホールで「第六回逢坂剛カディスの赤い星ギターコンサート」が開催されるようだ。 |
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朝になって、深夜2時頃に愛媛の伊予灘を震源とする大きな地震があったのを知る。マグニチュード6.1、最大震度5強という大きさもさることながら、九州から関西、北陸、東海と広い範囲で揺れたことに驚く。 今日もほぼ一日部屋で写真の作成作業をしていた。10月1日に撮影した西表島・祖納と干立集落の節祭(ユークイ)の後編をPhoto Albumにしました。祖納集落の獅子舞からスリズ(公民館)での「世乞いトゥズミ」はこちら。干立集落の元屋(トゥリムトゥ)での神事、芸の奉納とスリズ(公民館)でのツヅミはこちら。 |
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↑前泊浜での祖納の獅子舞(船元の御座清め)。↓干立集落の元屋(トゥリムトゥ)での芸の奉納。 |
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竹富町の教科書選定問題で、文科省が違法状態だとして町に是正要求を行った。違憲状態の選挙で出来上がった内閣が何を言ってんだろうかと思う。 もう一つ沖縄タイムスの記事から、名護のアグー像に女性市議「不快」。国道58号線沿いに設置されたアグー(豚)の像の睾丸が丸見えなのが不快だとして女性市議が市議会の一般質問でクレームを付けたそうだ。「女性の視点、感性は違う。雌と子どもでも良かったのに」とも述べたそうだが、雌なら問題ないのか・・・?記事には問題となったアグー像のバックショットが掲載されている。 |
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昨日、北陸地方で春一番が吹いたそうだが、那覇は昨晩から今日の早朝にかけて台風かと思うような暴風雨だった。 2日間ほど部屋から一歩も出ずに、写真の作成作業をしている。昨年の10月1日に撮影した西表島・祖納と干立集落の節祭(ユークイ)の写真をPhoto Albumにしました。枚数が多いので、今日は前編です。 スリズ(公民館)での支度からミリク行列、アンガー行列の入場まではこちら。公民館長挨拶からフニクイヌ儀式(舟くい)、男子アンガー撒き踊りまではこちら。 |
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↑フダチミを先頭に前泊浜を歩くアンガー行列。↓棒芸の出番を待つ子供。 |
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明日、明後日と那覇は少し寒いようですが、北陸で春一番が吹いた事だしYou Tubeから「ろっかばいまいべいびい/ 吉田美奈子」。 | ||
東日本大震災から3年が経った。朝からテレビは震災の特集を報じている。テレビの音声を聞きながら、パソコン画面に向かって溜まっている写真データの作成。 |
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晩ご飯は、昨日作ったオリエンタルマースカレー。このところゴールデンカレーの辛口が定番だったが、ちょっと変わったカレーを試してみたかったので。関東ではあまり見なかったカレーだ。箱の中には粉末タイプのカレー粉と、チューブに入ったチャツネが同封されていた。 | ||
↑色は黄色め。何だか甘酸っぱい味。箱に書いてある作り方には「適当に切った肉と野菜を良く炒め」とある。適当に(笑)・・・テーゲーな感じがいいですね。 | ||
オリエンタルカレーの昭和34、35年頃のCM、昭和29年にレコード化されたCMソング。 |
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また少し寒い日が続いている。昨日の午後は沖縄県立博物館・美術館の講座室で「沖縄の文化表象に見るジュリ(遊女)の諸相」と題したシンポジウムがあったので、参加してきた。天気予報では夕方から雨になっていたので、歩いて行った。14時から始まり、終了は18時半。シンポジウムが終わって外に出ると、土砂降りの雨で強い風も吹いていた。やはり歩いてきて正解だった。 以下、シンポジウムのプログラム。 14:00 開会あいさつ 14:05 趣旨説明 14:15 ウチナー芸能と絵画や写真の背景/新城 栄徳(解説・与那覇 晶子) 14:45 沖縄芸能に見る遊郭とジュリの表象―三線(蛇皮線)を持つ女性たちの魅力―/与那覇 晶子 15:15 「もの」としての「写真」へのアプローチ―戦前の琉球美人の写真を読み解くー/金子 隆一 15:50 「琉球美人」の表象 木村伊兵衛の撮影した辻の女性/ 仲嶺 絵里奈 16:25 近代沖縄の映像に見る辻遊郭と尾類(ジュリ)の表象/ 世良 利和 17:00 パネリストの発表終了 17:15 ディスカッション (質問用紙への回答含む) 18:25 閉会の挨拶 |
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昨日の午前中と今日の半日ほどをかけて、撮影でお世話になった方に送る写真アルバム3冊、A4用紙で68枚をプリント。交換したインクは3本。先月アマゾンでプリント用紙をポチッとしたばかりだが、またポチッかな? 昨年の9月30日に撮影した西表島・租納と干立の節祭(シチ)の写真をPhoto Albumにしました。こちら。この日はウブシクミ(総合リハーサル)が行われていました。 |
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05〜17、29〜44は祖納集落、18〜28は干立集落の様子です。↓は衣裳を着けずにリハーサルを行っている、ミリクと袖持ち。 | ||
このところ辻村(チージ)の神人というのは、どんな人だったのかと考えている。 辻遊郭の成り立ちについてWikipediaにから引用すると、 元々は一面の荒野であったが、1672年、琉球王国の摂政、羽地朝秀により、琉球各地に多数居た遊女を集め、辻、仲島(ナカシマ、現在の那覇バスターミナル付近)、その後渡地(ワタンジ、那覇港南側の沖縄製粉近辺)に遊郭が置かれた。これは公娼地帯であり、薩摩、中華圏との貿易の欠かせなかった琉球にとって、冊封、薩摩の在番役人、商人などの慰安として、また、一般の婦女子を性犯罪から救うため、そして風紀の管理のために必要な措置であった。 チージは前村渠(メーンダカリ)、上村渠(ウィンダカリ)という二つの集落で構成されていた。「琉球の花街 辻と侏りの物語」(浅香怜子)によれば、 それぞれ元家(本家)とされる「根所」(ニードゥクル)があって、前村渠は「春風楼」(旧大名小)、上村渠は「第一太平楽」(旧・サンスギー)である。 チージは侏りたちの自治が行われていたが、その運営にたずさわっていたのが盛前(ムイメー)という役職であった。 盛前には大盛前( 集落の長で姉盛前・妹盛前がいる)、盛前小(長の補佐役)の二役があり、双方の集落に姉盛前と妹盛前各一名、盛前小が四名いた。その他にむかし盛前をつとめた実力者を中心とする元老たちがひかえて、里の伝統習慣を逸脱しないように眼をひからせながら、盛前を助けたという。 盛前は集落の長として、毎月の拝所での拝礼、日々の守護神(弥勒、獅子)への御願などチージの祭祀を取り仕切った。また、旦那衆や義理のあるジュク(俗・一般世間)との祝い事、冠婚葬祭などチージの代表者として活動するのも大切な役割とされていた。 任期は一年で、活動に要する費用はすべて自己負担であったから、縁ある侏りたちは大金を寄せ加勢することになっていた。 祭祀を取り仕切ったとあるので、盛前(ムイメー)が チージの神人と考えていいのだろうか。盛前という名称について「盛」は御嶽のある聖なる「杜」を示し、民俗信仰にたずさわる祝女を意味していると考えられるとも書かれている。 では、盛前はどこから選ばれるのだろうか。各地から遊女を集めてつくられた集落で、いわゆる門中の元家も根家もないだろうから、2つの集落にあったとされる「根所」(ニードゥクル)だろうか。 ネットで見つけた「沖縄における尾類馬行列の歴史社会学的考察-<都市祝祭とセクシュアリティ>研究に向けて-」(塩月 亮子)には、 沖縄各地から農漁村の貧しい娘が「美妓三千人」と謳われた「花ぬ島」(花の島の意で辻のこと)に売られてくると、その子どもと買い主(アンマー;お母さんの意)は擬制的親子関係を結び、買われた少女は性を売る尾類となってドゥシル(身代金)やその他の借金をアンマーに払っていくことになる。尾類が借金を返して自分も抱え子をおけるようになると、今度はアンマーとなって自立していく。これらアンマーのなかで財産もあり人柄など評判の高い50歳前後の者が盛前(ムイメー)としてその上の組織(パーパーとよばれる盛前を勤め終えた元老格の老妓たち)から任命される。盛前の役は年齢に従って姉盛前(シージャムイメー)、妹盛前(ウットゥムイメー)、盛前小(ムイメーグワー)の3階級があり、上村渠と前村渠両地区からそれぞれ3名ずつ、計6名出る。この盛前の最も重要な役割は辻に沢山あるウガン所(拝所)を祀ることと、辻の年中行事、なかでも旧の正月二十日に催される尾類馬行列を立派に行うことであった。 ところで辻の成り立ちには、辻開祖といわれる3人の王女(ウミナイビ)の話しもある。こちらを参照。 辻御嶽(花乃代)には王女3人「音樽之前」(ウトゥダルヌメー)、「思鶴之前」(ウミチルヌメー)、「真加登金之前」(マカトガニヌメー)の墓があり、拝所の一つとなっている鏡寺(正式名称は海蔵院)には王女と世話役の待女(ウサザカイヌアンマー)の名が一緒に記された位牌(トートーメー)が祀られている。 やはり辻の拝所の一つとなっている祝女(ノロ)の井戸は、辻御嶽(花乃代)にあった真茅御殿(マカヤウドゥン)で暮らしたという辻の開祖、3人の王女たちが生活用水として使ったといわれている。「じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 第一集」(浅香怜子)の28頁よれば、 〜略〜 現在「祝女(ノロ)の井戸」と呼んでいるこの井戸が、開祖の王女たちが使ったという伝承の井戸であることには違いないが、戦災によりかつての「祝女(ノロ)の井戸」の場所がわからなくなっているため、また、王女たちが『祝女(ノロ)」の役割もしていたと考えることもできることから、この井戸を「祝女(ノロ)の井戸」と呼んでいるとのことである。 王女たちが祝女の役割もしていたと考えることもできる、となれば王女が辻の最初の神人なのだろうか。 とりあえず、今日のチージの神人を巡るメモはここまで。 |
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午前中からパソコン作業。午後、気分転換に自転車で末吉町へ。 1日に古島団地に行ったが、ネットで調べていると「旧郵政団地(古島団地、末吉団地、松川団地)は、2005年郵住協(県民に返すことが出来なかった郵便貯金と、自治体が出資金を出して設立された組織)から」と言う記述があったので、末吉団地を探してみた。 モノレールの古島駅から国道330号を浦添方面に少し行った所に末吉団地前というバス停があるが、建物自体はタカダ末吉共同住宅になっていた。1974年に建てられたようだが、末吉団地から名前が変わったのだろうか。 古島団地が1972年だから2年しか違わないが、こちらの方はメインテナンスがされており居住者も多そうだ。 |
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末吉共同住宅の裏手をしばらく散歩してみる。山の斜面を切り開いた住宅街が続いているが、ひょっこり奥に入って行くと巨大な亀甲墓が現われる。住宅が途切れた辺り、山の斜面に階段があったので上って行くと、お墓が並んでいた。そこから那覇市街を眺めていると、お墓の手入れをしていたオジさんに声をかけられる。ここら辺の土地の所有者だと言うオジさんは、業者が土地を勝手に売って墓を建てて困っていると話す。そんな事があるんだろうか?ちなみに与那国島の墓地では、町民は勝手に好きな場所にお墓を立ててもいいようだった。 オスプレイのエンジンから白煙、F15戦闘機の防風ガラス脱落に続いて、今度は米軍ヘリが洋上で着艦に失敗。 |
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2日にオスプレイが嘉手納基地に緊急着陸後エンジンから白煙を上げたと思ったら、昨日はF15戦闘機が操縦席の防風ガラスを脱落させて嘉手納基地に緊急着陸した。 最近、辻が花街だった頃を偲ばせる料亭跡があるのをネットで知って、自転車でひとっ走り見に行ってきた。不動産会社の管理物件となっているようで、売りに出されているのだろうか。新しい買い手がつけば、建物が解体されるかもしれないので、外観だけでもと思い、撮影してきた。 |
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↓→辻の少し外れの方にある料亭 左馬。かなり広い敷地だ。 |
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↓入口の門には大きく左馬と書かれた看板が掛かっている。先月発売になった浅香怜子さんの著書「琉球の花街 辻と侏りの物語」の中に、昭和戦前期の辻村の略図が掲載されている。地図中に、左馬楼(第一左馬)と記されているのは料亭左馬の前身だろうか。 |
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左馬の帰り、前島のスーパーで買い物をし、最近見つけたあげパンの専門店で、紅イモのあんこと餅が入ったBパンを1個買って帰る。揚げたてで中のお餅も柔らかくで美味しいんだけど、1個170円。もう少し安いといいナー。 ミャークヅツを堪能し、那覇に帰る9月28日に宮古島平良を散歩した時のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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明け方、沖縄本島近海を震源とする地震で目が覚める。マグニチュード6.6、最大震度4。那覇は3だったが、8階の部屋はけっこう揺れて焦った。 お昼ご飯にスパゲティーを食べようと、冷凍しておいたミートソースを取り出して調理をしていると、また揺れた。地味にびびる。 特盛のスパゲティーを食べた後、腹ごなしに散歩。泊港の横に広がる、安宿と飲み屋が多い前島3丁目を 通り、若狭方面へ。一昨日開館一周年を迎えた不屈館まで来たので、せっかくなので中に入ると「高江の闘いと今後の展望」と題した沖縄平和委員会理事・与儀喜一郎氏のトークショーが行われていた。トークは14時からで、15時過ぎに館内に入ったので質疑応答の終わりの方だったが資料をいただき聞いていた。 |
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↓→怪し気な建物の多い前島でも、一際異彩を放つビル。 |
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↓若狭公園の向かいにある、瀬長亀次郎と民衆資料・不屈館。 |
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トークショーの後、館内の資料を色々と拝見してから散歩に戻る。若狭から国道58号を渡って前島にあるスーパーへ。同じ前島でも58号を境にこちらは住宅街で、海側のような猥雑な感じはない。 昨年の9月27日に撮影したミャークヅツ3日目、アトヌヒの写真をPhoto Albumにしました。宮古島・平良のスナップと伊良部島佐良浜の仲村・本村のジャーでのニガイまではこちら、ジャーでのクイチャーはこちら。 |
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↑本村(池間添)真謝ムトゥの神棚。↓本村のジャーにて。 |
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お刺身が食べたくなって、泊市場へ。お店を色々と物色して、マグロのタタキの盛り合わせ500円を購入。お昼ご飯を作るのが面倒臭くて、ちょっと贅沢だがマグロづくしのお寿司500円も購入。さっそく家に持ち帰ってさんぴん茶を淹れて、お寿司を食べる。さすがに那覇市がマグロを市の魚と謳うだけあって、値段以上に美味しかった。 | ||
今晩からお天気が崩れると言うので、お寿司を食べ終わってから自転車でお出かけ。今日は近場、古島へ。モノレールだと、おもろまち駅の次が古島駅だ。 |
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↑1号棟から見た団地。右手が2号棟、左手が3号棟。3号棟の先、正面にあるのが4号棟。↓フォトジェニックな消火栓たち。 | ||
↓2号棟の1階に入っていた保育園の跡。 |
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どの棟も廊下や壁のコンクリートが崩れ、鉄筋がむき出しになっている箇所がある。蓋が外されて中のホースが丸見えの消火栓は、妙にフォトジェニックだ。 ←新都心公園。 |
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晩ご飯のおかずは、昼間買ってきたマグロのタタキ。大根おろしにポン酢、そして酢味噌にワサビの2種類の味で食べた。刺身を酢味噌で食べる習慣は、奄美大島で知った。 天気予報の通り、夜になって土砂降りの雨。なんだか蒸し暑い。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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