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○10月1日(火)〜14日(月) フォトネシア沖縄「アジアの写真は、今ー東松照明追悼ー」/県民ギャラリー(沖縄県立博物館・美術館) 入場無料 ○2月8日(土)〜2月9日(日) 伊江島 村産業まつり 与那国島の奇祭マチリ・カンブナガ おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期、下半期 |
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○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら) ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円 那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円 那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円 やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ 琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円 読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円 石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円 西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円 宮古島・宮古協栄バス 宮古島・八千代バス 与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円 安栄観光フェリー 八重山観光フェリー 石垣島ドリーム観光 スカイマーク ピーチ |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく ○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu ○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ |
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秋晴れ。朝晩はすっかり涼しくなった。午前中に洗濯と部屋の掃除。午後から色々と用事を済ませる。 泊の郵便局から、写真とお礼状を入れたレターパックを発送。不動産管理会社へ行き、来月分の家賃の支払い。市立中央図書館へ行き、借りている2冊の本を延長してもらう。 図書館から新都心へ行き、大型店舗の靴屋さんでスニーカーを一足購入、ドラッグストアーで湿布を購入、スーパーでお米ほか色々と購入。 |
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↑今履いているのが少しの雨でも中に染み込むので、久しぶりにスニーカーを買った。シンプルなデザイン、1990円也。 | ↑二の腕、膝頭、肩、首、腰。あちこと痛いので湿布を買った。少量ながらインドメタシンが配合されていて30枚入り880円。 | ↑富山県産のこしひかりが5Kg1980円と安かったので購入。もう新米の季節だから、昨年度のお米を安売りしているのだろうか? |
9月17日に撮影した久高島の風景写真をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑島の東側、舗装されていない道を自転車で走る。シマーシ浜とウパーマ浜の間にあった、大きなガジュマルの樹。↓久高島の海。徳仁港を出て、本島側の安座真港に向かうフェリーから撮影。 | ||
明日で10月も終わり。色々とあったような、あっという間に過ぎたような。そして明日はハロウィーンですね。 |
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また暫く部屋に籠っていた。おかげで漸く先月撮影した久高島の祭祀・八月マティのプリントが出来た。写真と一緒に送るお礼状も書いた。後は明日レターパックで出せばいい。これで少し肩の荷が下りる。 | ||
9月に行われた八月マティでは区長さんに色々とお世話になったので、祭祀の様子がわかるように写真を並べてアルバムを作って送ろうと思っていた。早く作りたかったが、宮古島や八重山に撮影に行ったりしていてなかなか作業ができなかった。 アルバムはA4サイズで34枚になった。扉の写真は、昨年撮影した斎場御嶽と、御嶽から見える久高島の写真にした。 |
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↑ハンチャアタイでテーラーガーミのティルルを歌う、ウプシュと外間根人(ニーチェ)。↓ユーウラヌ浜で、ンナグゥナーから神酒と刺身の接待を受ける。 | ||
9月16日に撮影した八月マティ、テーラーガーミの日の様子をPhoto Albumにしました。漁港での刺身の準備から、ハンチャアタイとユーウラヌ浜での儀式はこちら。御殿庭での儀式からユーウラヌ浜での奉納相撲まではこちら。 | ||
さて寝ようと思いながら、ふとテレビのチャンネルをつけたら「朝まで生テレビ」が始まって、テーマが汚染水問題だったのでウトウトと半分眠りながらも朝まで観た。 眠いな〜と思いながら割りと早くに起きて、夕方までパソコンに向かって写真の作成。 |
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←↑プログラムから松城太鼓 リエ 永坂寿 栄町市場シンガーズ Cherry belly moon テリーズバンド ゴトウゆうぞう 大ちゃんバンド 永楽&八重山芸能クラブOB カチャーシー | ||
4日ほど部屋に籠っている間に、郵便受けにせんべいを入れた封筒が届いていた。東京の友人に送った残暑お見舞いのお礼らしく、実家の高知の味だと言う土佐のかわえびせんべいに短い手紙が添えられていた。 *栄町市場屋台祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年3月28日に更新)。 |
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台風27号は沖縄から離れて行ったけれど、吹き返しなのか、今日も一日中風が吹いていた。 9月15日に撮影した八月マティ、ヨーカビーの写真をPhoto Albumにしました。タキマーイから戻る神人を集落の男性がボンウキャーで迎える様子と、外間殿での神事はこちら。集落の各戸をまわって子供達がお神酒を集める様子と、御殿庭での夕ガミの様子はこちら。 |
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↑フボーウタキから戻る神人を、集落の外れにあるボンウキャーで迎える。ムカデ旗を持ち先頭に立っているのが、区長さん。↓集落を一軒一軒まわりお神酒を集める子供たち。 | ||
朝起きて、ネットの中を散歩していたら、9月から10月にかけて来日していたというニューオリンズのミュージシャン、ドクター・ジョンのインタヴューと出会った。その中に、彼がヴードゥーの呪術師という肩書きも持つと紹介されていて驚いた。これまでに2回、ライヴとポートレートの撮影をしているが、呪術師と言うのは知らなかった。 ところでライヴ(下の写真左)を撮影したのが1987年で、場所はインクスティック芝浦。ネビルブラザースと一緒だった。ポートレート(下の写真右)は1992年4月で、当時のスケジュール帳が手元に無いので不確かだが京王プラザホテルだったと思う。今年72歳のドクター、ライヴを撮影した時は46歳、ポートレートを撮影した時は51歳だったことになる。いつの間にか下の写真のドクター・ジョンの年齢を自分が越してしまったことにも驚く。 |
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↓→ドクター・ジョン。You Tubeから「IKO IKO/Dr.John」。 |
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左のマルディグラ(ニューオリンズのカーニバル)の衣装を着ているのは、ボ・ガンボスのどんと。ドクター・ジョンの写真を載せたら、一緒に並べたくなった。写真はウォーマッドに出演した時のもので、1992年に撮影。この3年後、1995年に沖縄に移住し、2000年に旅行先のハワイで亡くなった。 You Tubeから「夢の中/ボ・ガンボス」。 |
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久高島の祭祀の写真があり、ドクター・ジョンとどんとの写真。バラバラだけれど、少しずつ繋がっている。 | ||
ゆっくりした速度の台風27号の影響で、一昨日からずっと那覇では強い風が吹いている。那覇と離島を結ぶ船は、今日も全便が欠航したようだが、路線バスとモノレールは運行している。那覇に限って言えば、ずっと風は吹いているし時折激しい雨も降るが台風が来ている感じはしない。天気の悪い日が2〜3日続いているといった様子だ。 |
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↑外間殿から久高御殿庭に向かう神人。↓御殿庭でのグゥルイ。 |
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朝は肉まん、昼はクリームシチューとマカロニ、夜はお好み焼き。今日は小麦粉ばかり。 | ||
先日撮影したポートレートの印刷用データを焼いたDVD-Rと印刷見本のプリントを同封したレターパックを、泊の郵便局から発送した。その帰りに泊港で買い物。市場の中を一回りして、鮪の団子と刺身の盛り合わせを購入。 | ||
←鮪の団子。甘辛味ではなく、ソース味。八角かな?強い香りがする。380円だったかな。 →刺身の盛り合わせ500円。 |
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漁港で買って来た団子と刺身を冷蔵庫に仕舞い、次に栄町市場で長ネギとキャベツ、ミカンを買う。栄町市場から新都心のスーパーへ自転車を走らせ、さらに食材を色々と購入。 |
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郵便受けに分厚い封筒が入っていた。中を開けると、今年の3月に辻の二十日正月でお会いした春駒じゅり馬民俗芸能研究会の代表・浅香れいさんから「じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 第一集」と、最新の研究報告レポート「論文 徐葆光が愛でた琉球の女性」が送られて来ていた。 お礼のメールを書き、先日の祖納集落の節祭で撮影した写真を添付して送った。 |
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添付して送ったのは↓で、先日、西表島の祖納集落で行われた節祭の写真。左はユークイの前の晩に行われた総合リハーサル、右は本番でのものだが、船子が馬の絵を描いた櫂を足に挟んでいる。この姿がなんだか辻のじゅり馬や、竹富島の種子取祭で踊られる馬乗り者(んーまぬーしゃ)に似ている気がする。ただ、じゅり馬・馬乗り者は踊りだが、こちらは狂言だった。 | ||
↓左から辻のじゅり馬、竹富島の種子取祭で踊られる馬乗り者(んーまぬーしゃ)、春駒。じゅり馬と馬乗り者も、エイサーを広めたとして知られる京の芸能集団・チョンダラー(京太郎)によって伝えられたようだ。 | ||
台風27号も接近中で既に那覇は風も強くなっているが、冷蔵庫に入り切らないほどの食料があるので、暫くは外に出なくても大丈夫。溜まりに溜まっている未現像の撮影データを処理したいので、部屋に籠ります。 | ||
昨日の昼前、食器を洗っていると、後ろのバスルームからゴボゴボと音がする??変だな〜と思いながら食器を洗っていると、またゴボゴボ。ん???食器を洗う度に、便器から水が逆流しているのだ。ナンテコッタイ!ちょうど一週間前に配水管が詰まって直してもらったばかりなのに。急いで管理会社に電話。担当者に来てもらう。先日修理した業者も暫くして到着。今度は隣りの住人の部屋から機械を入れて、再度配管の掃除をすることになった。前回よりも時間をかけて掃除をしているようだった。 今日は今帰仁村歴史文化センターで、9時から山原のムラ・シマ講座。 |
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↑ウタキのイベの祠。 |
↑祠の横の木には左縄が張られて、結界が作られている。 | ↑嘗てウタキ内にあった神アサギの礎石。 |
↑火の神を合祀したお宮。 |
↑合祀された火の神と香炉。 |
↑上部の格子に獅子が奉られている。 |
↑印部石(ハル石)。 |
↑正面の森が、ウタキ。 |
↑仲門(ナカジョー)家の高倉。 |
↑サニサギドゥクルの祠。 |
↑ナハヌヤー(上間家)。 |
↑我部祖河のウェーキ(富豪)宮城家。 |
12時過ぎに集落の観察は終了。近くに河知農協前というバス停があったので、マイクロバスには乗らずに路線バスで名護に戻ることにする。待っている間に、雨がザーザー降り出した。バス停の小さな庇の下で、家から持って来たミカンを食べながら、バスを待つ。 | ||
↓河知農協前から名護バスターミナルへ行く、本部半島線のバスの車窓から。 |
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名護バスターミナルから名護西線に乗り換えて、嘉手納まで戻る。雨はやんで、青空が見えて来た。嘉手納で62番の中部線に乗り換えて、コザへ。 朝が早かったので眠いのだけれど、せっかく1日乗り放題のチケットを買ったので遠征。名護BTから辺土名へ行き、波止場食堂のカツ丼を食べようかとも思ったが、あのカツ丼と向き合うには覚悟がいるので、今日はパス。でも無性に食べたくなる。 コザは今月の初め、八重山から戻って那覇空港からそのままポートレートを撮りに行き、嘗ての白人街だった美里と、黒人街だった照屋で撮影をした。 沖縄に来てから1年以上経ったが、この辺りはコザ十字路を挟んだ美里と照屋しか歩いていないので、今日は照屋の銀天街から胡屋、中の町を散策。 |
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1時間半ほどスナップを撮りながら散策して、中の町のバス停から那覇行きと書いてあったバスに乗車。乗ったバスの系統番号は忘れたが、普天間、野嵩、おもろまちを経由して自宅の最寄りのバス停に着いた。初めて乗るバスは車窓から眺める風景が新鮮で、疲れていても楽しい。 *山原のムラ・シマ講座@我部祖河集落の様子と、コザのスナップをPhoto Albumにしました。こちら。02〜15は我部祖河集落。16、17は名護行きのバスの車中から。18〜30は照屋の銀天街、胡屋、中の町辺り。(2014年3月26日に更新)。 |
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朝起きて洗濯。珈琲を淹れて写真の作成と、お礼状書き。昼ご飯を食べてから、写真を入れたファイルとお礼状を同封したレターパックを近所の郵便局に出しに行く。 郵便局からパレットくもじ6階にある那覇市民ギャラリーへ行き、沖縄県写真協会が主催する写真展「第24回 全琉秀作写真選抜展」を観る。市民ギャラリーの全フロアーを借り切っての写真展で、パンフレットの案内文には「当秀作展は、過去一年間の活動の証しとして、写真愛好家が県内外諸写真コンテストで入選・入賞、或いは所属するサークル&団体の推薦を受け、一堂に展示開催される一大イベント」とある。出品写真サークル34団体、出品数225点と大掛かりな写真展だった。 ギャラリーの受け付けに安田のシヌグでお会いした方がいらして、お茶とお菓子をご馳走になり、少しお話しをして帰る。 市民ギャラリーから那覇バスターミナルへ行き、今度の土曜日に使う土日祝1日限定フリー乗車券を購入。バスターミナルから家に戻る途中、スーパーで買い物、コンビニで電気・水道・ガス料金の支払い。家に帰って、また写真の作成作業。 |
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←レターパック。A4サイズ以下の大きさの物を送るなら、一番安いかも。 →キャベツが高くてキュウリが安かったので、キュウリと塩昆布で即席の漬け物。 |
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↓今日の那覇の空。昨日、ミーニシが吹いた。それでもまだ扇風機は仕舞えない。 |
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一昨日から昨日にかけて日本列島を抜けていった台風26号は、各地に被害をもたらした。中でも伊豆大島は現時点で死者21人、行方不明者31人と被害が甚大で、言葉も出ない。 ところで台風26号が通過する最中、東京電力は福島第1原子力発電所の汚染水貯留タンクを囲む堰内に溜まった水を排出したと発表。原子力規制委員会で了承された排出基準値以下の汚染水だと言うが、その量は40トンに及ぶ。 昨日、台風27号が発生した。来週にも日本列島に近づく可能性があるという。それにしても今年は・・・台風が多いな。 |
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午後から、会期が明日までのフォトネシア沖縄「アジアの写真は、今ー東松照明追悼ー」を見に沖縄県立博物館・美術館へ。新都心にあり、しょっちゅう前を通るが中に入るのは今日が初めてだ。広々として採光も工夫されており、居心地の良い空間になっている。 | ||
写真展を見た後、急いで自転車で久茂地交差点に向かう。今日は那覇の大綱引きが国道58号線で行われる。16時過ぎに着いたら、既に綱引きは始まっていた。始まってはいるが、人が多すぎて肝心の綱がまるで見えない。 16時半頃に勝負がついて、今年は東の勝ち。縁起物だと言う事で、大綱の綱を切って持ち帰る人が大勢いる。 |
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綱引きを見に行ったが、大綱を見ることなく家に帰った。晩ご飯は冷蔵庫にあるもので。キムチの残り、冷凍してある豚肉、タマネギで豚キムチ炒飯を作って食べた。 | ||
沖縄では旧暦の9月7日に、数え年で97歳の長寿を祝う行事・カジマヤーが行われる。この年齢になると、もう一度子供に帰ると言われ、玩具である風車(カジマヤー)を車に飾り付けてパレードをしたり祝賀会を開いたりと集落をあげて盛大に祝う。 朝7時頃に最寄りのバス停を出る名護西線で、名護バスターミナルへ。バスターミナルの入口で、Tさんご夫婦と待ち合わせ。Tさん達とは7月の八重山の豊年祭会場で何回か顔を合わせており、その後も与那原の大綱引き、安田のシヌグ、そして先日の西表島・祖納の節祭では祭り会場だけでなく宿泊した民宿でも一緒になった。そんな縁で今回のカジマヤー見学をお誘いしたところ、ご一緒することになった。 |
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↑ノロ殿内 |
↑観音堂 |
↑観音堂のガジュマル |
10時半過ぎに公民館に戻ると、少しずつ集落の人が集まりだしていた。やがてカジマヤー迎えた宜野座よしえさんと、比嘉ウタさんを乗せた軽トラックが到着。トラックの荷台には屋根が付いており、風車や花などがデコレーションされている。 パレードの始まる11時直前に雨が降り出したが、まずは広場でお祝いの席で踊られる「かぎやで風」が披露され、続いてチョンダラーに仮装した人達によるカチャーシーが踊られた。 雨はだんだん激しくなって来たが、ゆがふ雨(恵みの雨)ということでパレードは出発。カジマヤーのお二人を乗せたトラックの後ろを、傘をさして仮装した人達が着いて行く。公民館前の広場を含めて3カ所で、かぎやで風とカチャーシーが踊られた。途中、沿道で出迎えて下さる人達に風車を渡しながら、12時20分頃に公民館に戻りパレードは終了した。 パレードの後、カジマヤーを迎えたお二人がそれぞれ親族と一緒に記念撮影。仮装でパレードを盛り上げた方々も記念撮影をして、祝賀会の行われる17時まで一旦解散となった。 ところでパレードの前、チョンダラーの仮装をした男性に道順を尋ねたところ「集落内の七つの橋を渡り」と話された。七つの橋と聞いて、直ぐにイザイホーの行事を思い浮かべた。 イザイホーの本祭場は先に図示したとおりである。クバの葉でおおわれたハンアシャギの赤瓦の建物であり、その前面の出入り口には地面に埋めこまれた丸太製の七段の梯子、いわゆる七ツ橋がかけられている。この七ツ橋が現世と他界を結ぶかけ橋である。(「神々の古層 主婦が神になる刻 イザイホー」より)。 また、こちらには異界への通路としての橋とし、 梅原によると、久高島の女たちが神女になるための通過儀礼、イザイホーで行われる「七つ橋」を渡る儀式を、女が鳥になって異界を訪れる儀式である。鳥になるために女たちは髪を乱して「七つ橋」を渡る。命を懸けて渡る。そして「エーファイ、エーファイ」とまるで鶴の鳴き声のごとき悲鳴を上げるのである。そのとき、女たちは既に鳥になっている。七つ橋とはこの世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた橋であり、この橋を渡ることで、神女となる。 現在のカジマヤーでは金赤の派手なちゃんちゃんこを身に着けているが、沖縄大百科のカジマヤーの項目によると、 明治のころまでのカジマヤーは模擬葬式の儀式で、死に装束を着せ、集落の七つのカジマヤー(四辻)を回ったという。カジマヤーの名称も「風車」ではなく「四辻」からつけられたものという説もある。 イザイホーの七ツ橋と絡めて考えるのも、強ち見当違いではないのかもしれない。 |
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↑今日の主役、元気にカジマヤーを迎えられた宜野座よしえさん(左)と、比嘉ウタさん。↓パレードの様子。 |
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久志のパレードが終わり、次の瀬嵩のカジマヤーまで時間があるので、Tさんと一緒に辺野古のアップルタウンに行ってみた。嘗ては米兵相手の社交街だった場所だが、昼間歩いてもほとんどのお店はシャッターを閉じていた。 |
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アップルタウンに寄って昼ご飯にソバを食べて、瀬嵩の公民館に着いたのは14時半近くだった。瀬嵩のパレードは16時からだが、公民館の玄関にはパレード用に飾り付けされたオープンカーが待機していた。 |
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↑瀬嵩集落から、出身地である天仁屋集落までオープンカーに乗ってパレード。↓カチャーシーを踊る比嘉オトキさん。 | ||
20分ほど故郷の天仁屋でお祝いをされて、来た道を戻って瀬嵩集落へ。この後、公民館で祝賀会が行われるようだ。オープンカーの飾り付けが外されたので、その中から風車を一ついただいて名護BT
へ向かう。 *本日の出費。土日祝1日限定フリー乗車券2000円、ガソリン代1000円、昼ご飯500円、缶コーヒー110円。 *久志集落と瀬嵩集落のカジマヤー、そして途中に寄った辺野古のアップルタウンの様子をPhoto Albumにしました。久志集落の様子はこちら。辺野古アップルタウンと瀬嵩のカジマヤーの様子はこちら。(2014年3月25日に更新) |
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今日は座間味島の海御願。日帰りだと全ての行事は観られないが、道ジュネーとハーリーの最初だけでもと思い、昨日の内に高速船の往復を予約しておいた。 お昼ご飯用のおにぎりを作り、新しいバックにカメラを入れて準備は万端。さて、トイレに行って・・・水を流すと横の浴槽の下にある排水溝から逆流してくる。キッチンの横の床からも水が滲み出している???ナンテコッタイ! マンションの管理会社が開く9時になるのを待って、担当者に電話。状況を説明して、修理業者と一緒に来てもらう。本管の詰まりは大家さんの負担、枝管での詰まりは借り主の負担だそうだが、修理業者は浴室に入って直ぐに本管の詰まりだと分析。便器を外し、機械を持ち込んで螺旋状のワイヤーを排水溝に差し込んでブルブルと振動させる。しばらく作業をしていると、浴槽の下に溢れていた汚水が引いて行った。 詰まりの原因は、水に含まれる石灰が長年のうちにパイプにこびり付いて、管を塞いだようだ。 そんなこんなで、座間味島には行けなくなった。昨年の海御願は、宮古島のパーントゥと重なって行けなかった。座間味に行けるのはいつだろうか。 |
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↓今日の朝焼け。→配水管の詰まりを、機械を使って修理。 |
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ぽっかりと時間が空いたので、午後から県立図書館と市立図書館へ借りた本を返却に行く。 | ||
市立の方は若狭図書館で借りたのだけれど休館なので、県立図書館の隣りにある市立中央図書館に返却。せっかくなので、新たに2冊借りて来た。 |
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図書館から帰り、珈琲豆が残り少ないので新都心のスーパーへ。砂糖やささがき牛蒡他も買って帰る。 10月もそろそろ中頃だが、沖縄はまだ暑い。海水パンツにTシャツを着て自転車に乗り、家から10分ほどの波の上ビーチへ。今年初どころか、沖縄に来て初めての海水浴だ。 さすがに水は少し冷たいが、日差しが強いので、もう暫くは海水浴ができそうだ。遠浅のビーチかと思っていたら、入って直ぐに深くなっていて驚いた。 1時間ほど海水浴をして家に帰る。朝作ったおにぎりと、素麺、イカゲソを焼いて晩ご飯。明日は名護の方に行くので、早めに就寝。 |
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台風24号は沖縄の北部を通過したので、那覇では風が強いな〜と感じるくらいだったが、島をすっぽりと通り抜けて行く形となった与論島では大きな被害が出た。与論島は昨年も15号、16号、17号という3つの台風に直撃されて、全壊や半壊した家屋がたくさん出ている。 午前中に洗濯、パソコン作業、観光協会への問い合わせ。午後から買い物。買い物の途中に雨が降ったが、通り雨だったようで、お店の中にいる間に通り過ぎて行った。ベランダに干した洗濯物が心配だったが、こちらもほとんど雨に濡れていなかった。 |
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↑ベランダから撮影した、17時頃の那覇市街の空。 ←先週の西表島旅行の最終日に、ファスナーが壊れてリュックが崩壊した(写真左)。今日、公設市場近くのお店で新しいリュックを購入。ちょっと大きめで、ファスナーが上部をぐるりと回るように付いている。1000円也。 |
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家に帰り、溜まりに溜まっている写真の作成作業。終わりが見えずに、気が遠くなりそうだ(笑)。とりあえず、先日撮影したポートレートが出来たので、宅ふぁいる便で送る。 | ||
台風23号は、明け方には沖縄本島を抜けたようだが、台風一過の青空とはならず、小雨が降ったり止んだりのお天気。今日は県立図書館で借りた本の返却日だが、ちゃんと読み切れなかったので電話で延長を申し込む。 インターネットの接続に使用しているL-05Aの接続端子が壊れてしまったので、一昨日近くのdocomoショップでケータイ補償お届けサービスを申し込んだ。今日の午前中にdocomoから電話があり、新しいL-05Aが届いたという知らせ。天気予報で雨雲の動きを調べて、雨雲の切れる14時頃にdocomoに出掛ける。 一昨日サービスを申し込んだ際、新しい製品が届くまでの代替機を出して貰ったので、その返却。そしてサービスセンターから送られて来た新品のL-05に、これまで使用していたSIMカードを差し込んだものを受け取る。 docomoを出て、壊れてしまったL-05Aを所定の封筒に入れて、近くのポストからサービスセンターに送った。 |
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←USBの接続端子がグラグラして、壊れてしまったL-05A。 ↓ケータイ補償お届けサービスで送られて来た、新品のL-05A。 |
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家に帰る途中、先日見つけたユニオンで買い物。こちらもなかなか安いですね。これから時々利用しそうだ。 部屋に帰り、今日もパソコンに向かって写真の作成作業。明日の午後、台風24号が沖縄に接近する。 |
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台風23号は進路が予想より西になったため本島上陸は免れたが、昨日から那覇は強い風が吹いている。 今日の沖縄は、空の便や離島を結ぶ船はもちろん、モノレールや路線バスも運休した。いつもは車でいっぱいの国道58号も、今日は空いている。 |
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昨日のうちに食料品は買っておいたので、今日は一日部屋に居てパソコン作業。 一昨日石垣島から那覇空港に戻って、そのままポートレートの撮影をした。セレクトと現像は昨夜に終えて、今日はレタッチ。これまでレタッチ作業にはワコムのペンタブレットを使っていたが、マジックマウスになってからは、これを使用。なかなか快適です。 |
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←一昨日撮影したポートレートを作成。肌のレタッチをしていると、レイヤーの数が凄い事になる。↓お土産に貰ったカリーあられを食べながら作業。 | ||
台風23号は明日には沖縄を抜けるだろうが、休む間もなく24号がやってくる・・・orz。 本日の一曲。You Tubeから、「雨音はショパンの調べ/小林麻美」。 |
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9月30日から今日まで、西表島の祖納集落・干立集落の節祭(シチ)を観て来ました。天気が良ければもう少し八重山諸島巡りをするつもりでしたが、台風23号が接近してきたので急いで那覇に帰って来ました。 | ||
朝5時に携帯のアラームで起床。歯を磨き、顔を洗い、荷物をまとめる。 | ||
上原港から石垣島への船は出ないだろうと思い、祖納を6時27分に出発する大原港行きの安栄観光の送迎バスに乗る。途中、上原港の受け付けで石垣港までの乗船券を購入。上原港から大原港まで、バスはノンストップで突っ走る。 大原港から7時50分のフェリーに乗船。40分ほどで石垣港に着いた。離島ターミナルからバスターミナルまで歩き、石垣空港行きに乗車。 ←夜明け前。3泊した祖納の宿。 |
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↑西表島の大原港にて。 ←石垣島行きの船の中から。 ↓離島ターミナルに到着。 |
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空港に着き、スカイマークのカウンターで11時35分発の那覇行きのチケットを購入。搭乗手続きを済ませて、ロビーで出発を待つ。 那覇空港に到着し、北のエレキガール・TOMOKOちゃんと合流。彼女の運転するレンタカーに旅の荷物を乗せて、撮影に出掛ける。当初は西表島か石垣島での撮影も考えていたが、台風23号が接近中なので急遽那覇に戻っての撮影となった。 |
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昨年は台風の合間に奇跡的に晴れた日の撮影だったが、今回は台風接近中の撮影。昨年は金武に行こうと思いながら時間がなくて普天間での撮影となったが、今回は那覇から高速に乗って金武町へ。キャンプハンセンの入口前に広がる社交街で撮り始める。 社交街と近くの海岸で撮影した後、コザ十字路へ。閑散とし時間の止まったような吉原社交街、嘗ての黒人街である照屋を車でまわりながら撮影。 ←最初のロケ場所、金武の社交街。 |
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無事撮影が終わったので、那覇へ戻る。お腹が空いたので車をコインパーキングに入れて、ハイウエイ食堂へ。2人だがアレコレ食べたくて、ヘチマの味噌煮定食(刺身・ポーク玉子付き)、くーぶいりちー定食、ゴーヤチャンプル定食を注文。西表島では、お弁当とパンとカップ麺ばかりだったのでご馳走だ。 | ||
食べ終わり、家の前まで送ってもらう。とりあえず今撮影してきたポートレート、そして西表島の写真データをバックアップする。 疲れているので、細かい荷物の片付けは明日にする。久しぶりにお酒も呑まずに就寝。 *本日の出費。祖納→大原港→石垣港2300円、バスターミナル→石垣空港520円、石垣空港→那覇空港5000円、ミルクティー150円。 |
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節祭3日目は、ツヅミ。ツヅミとは、締めくくり、総まとめと言った意味のようだ。 祖納では、ムラグゥトゥ(共同作業)として祭場の掃除や、村内の井戸の掃除などが行われる。 朝10時頃に公民館へ行くと、広場の雑草を刈っていた。海岸近くの作業所では、女性達がツヅミ用のうさい作りの真っ最中。昨日の主祭場である前泊浜は見事に片付けられていた。 |
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↑左。昨日の舟漕ぎ競争で使われた舟が公民館の横に仕舞われていた。右。海岸近くの作業場での、うさい(料理)作り。 | ||
今日はミリク役を務めた人の家へ公民館長、役員、舟頭、年輩者が酒と料理を持ってお礼参りに行くので、同行させていただいた。11時に公民館に集合し、歩いて3分ほどのお家へ訪問。館長さんが仏壇に礼拝した後、ミリク役へのお礼をのべる。その後、お酒と料理をいただきながら1時間半近く歓談。 ←ミリク役の男性宅へ向かう、村の役員の方々。↓訪問の様子。 |
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お礼参りを済ませた後、一旦公民館に戻り、今度はウヒラカー(大平井戸)へ。ここに昨日の衣装で出演者が集まることになっており、13時頃に揃いだした。まず館長さんがカー(井戸)に祈願をし、その後、奉納芸が行われた(ミリクとフダチミは出ない)。祈願から、最後の演舞である獅子舞までおよそ1時間ほどだった。 | ||
↓公民館からウヒラカーへ。→井戸の横に旗頭が立つ。 |
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↑↓ウヒラカーでの祈願と芸の奉納。 |
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ウヒラカーでの儀式が終わると、旗頭を先頭に集落を練り歩き、主だった施設や家々をまわる。玄関から旗頭の先端を入れて家の祝福をし、そうして練り歩く事で集落を清めるという事のようだ。 2時間ほど集落を練り歩き、最後は公民館に到着。途中、西表中学校と保育所では、少し演舞も披露した。 |
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公民館に到着し、旗頭が公民館の中に仕舞われた後、休む間もなく広場で芸能のツヅミ行事が始まった。一番最初は舟頭と舟子によるヤフヌ手(ピヨーン)で、男性達の迫力ある歌声が素晴らしい。なんとなく宮良で観たアカマタクロマタが登場した時の興奮を思い出す。 | ||
←↑ヤフヌ手。 |
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ヤフヌ手の後、アンガー踊り、狂言、棒術、獅子舞と1時間半ほど演舞が続き、18時半頃に終了。この後、公民館の中で直会が行われるようなので、お礼を言って宿に戻る。 | ||
昼間、宿の近くにある民家の庭にサガリバナを見つけた。今晩蕾みが開きそうな気配があったので、22時過ぎに見に行くと、ピンクの花を咲かせていた。 ←ピンクのサガリバナ。 |
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*本日の出費。おにぎりセット300円、パン240円、カップ麺200円、魚肉ソーセージ4本280円 *祖納集落の節祭(ツヅミ)の写真をPhoto Albumにしました。ミリク役を勤めた男性宅へのお礼参りの様子と、ウヒラカー(大平井戸)での神事、芸の奉納はこちら。家々にカリー(嘉例)をつけて歩く旗頭の行列と、スリズ(公民館)でのツヅミの様子はこちら。(2014年3月18日に更新)。 |
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朝7時に携帯電話のアラームを設定していたが、4時に鳴らされた銅鑼の連打で目が覚める。布団にくるまってウトウトしていたら6時に2回目の銅鑼が鳴らされ、その後は10分、20分おきに銅鑼が鳴る。 | ||
7時少し前に着替えて公民館に行くと、広場に旗頭が3旗立っていた。主祭場である前泊浜に行くと、集落の男性達が舟漕ぎ用の舟を運んでいる。 | ||
集落の中を少し自転車で走ると、昨日の夜の内に撒かれたのであろう、玄関に珊瑚の欠片が散らばっている。 宿に戻り、カップうどんにお湯を注いで朝ご飯。スーパーの向かいにある食堂は、節祭の終わる2日までお休みのようだ。食事はパンとカップ麺が続きそうだ。 |
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今日はスリズ(公民館)でミリクおこしなどの儀式がある。10時頃に集合と聞いていたので、9時半頃に行って待っていた。10時少し前から人が集まりだし、まずは女性達が衣装の着付けをし、その後男性達が衣装に着替えた。 | ||
↓→公民館で、それぞれが衣装を合わせて支度中。 |
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11時になって、公民館長、総責任者の挨拶があり、11時15分頃に銅鑼の合図とともに1番旗が浜へ出発。続いて舞台ではミリクのお面を被るミリクおこしが行われ、2番旗を先頭にミリク行列が浜に向かう。その後3番旗と一緒に、フダチミを先頭にしたアンガー行列が浜に向かった。 ←館長さんの挨拶。 |
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↓それぞれ旗に先導されて祭場である前泊浜に向かう、ミリク行列とアンガー行列。 |
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平成25年度 西表島・祖納の節祭 行事日程から 12:00 船元行事開会宣言/12:05 舟浮かべの儀式/12:10 一番旗を先頭にヤフヌティにて船頭・舟子入場/12:10 二番旗を先頭にミリク節にてミリク行列入場、舟元の御座に着座/12:35 三番旗を先頭にユナハ節にて、アンガー行列入場、舟元の御座に着座/12:50 開会行事1、国の重要無形文化財指定建立の碑参拝 2、公民館長挨拶 3。神司祭祀 4、感謝状贈呈 5、来賓祝辞 6、乾杯/13:30 ミリク神の座トゥリムチ(舟元の御座)/13:45 男子狂言・棒芸/14:35 婦人アンガー巻き踊り/15:00 奉納舞踊・祝電披露/15:20 フニクイヌ儀式(舟くい)開始 1、館長激励挨拶 2、舟子代表挨拶 3、舟の紅白抽選 15:50 男子アンガー撒き踊り 16:05 獅子舞(船元の御座清め)、万歳三唱 16:10 ミリク節にて立座ふ・一番旗を先頭にミリク節にて全員スリズへ戻り、スリズの座トゥズミ儀式 ・神司、チジビは船元の御座にて船元の御座トゥズミ儀式を丁寧に済ませスリズでの「世乞いトゥズミ」を全員で行う |
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前泊浜でのユークイ行事が終了した後、入場した順に船元を退場して、神道を通り公民館へと移動した。公民館の舞台ではミリク神が椅子に座っている。朝、ミリクの面を装着した男性が、今度は面を外して貰い大きな拍手が沸く。公民館長さんの挨拶があり、祖納のユークイは無事に終了した。 ←スリズ(公民館)へ戻る、ミリク一行。 |
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↓→ユークイ行事が終了し、公民館のステージでミリクのお面を外してもらう男性。神様から人に戻る瞬間。 ミリク神になるのは49歳の男性で、儀式が始まると飲み食いはもちろん、基本的にはトイレに行くこともできないそうだ。 |
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祖納の公民館から歩いて干立の主祭場である干立ウガンへ向かうが、17時過ぎに到着すると既に奉納芸能が終わり、旗頭を先頭に神司一行が元屋(トゥリムトゥ)へと移動するところだった。 | ||
海岸から集落の中に入り20分ほどでムトゥのフタベ家へ。神司が家に上がり礼拝をした後、庭で芸の奉納が行われた。 |
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ミリクとオホホは出ないが、それ以外は一通り演じられる。一番狂言、アンガマ踊り、ダードゥリッター、ハヤチカイ(早使い)、棒、獅子舞と続く。 18時過ぎにフタベ家での奉納芸が終わり、もう一つのムトゥであるカイレ家に移動。同じように神司による礼拝、芸の奉納が行われてムトゥまわりが終了した。 |
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↓公民館に向かう神司一行。→公民館の広場にて。 |
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この後一行は公民館に移動。19時頃に公民館の広場に到着し、旗頭のまわりを踊った後に一番狂言が始まった。ダードゥリッターという醜女踊りまで観て祖納の宿に帰った。帰り道、見上げると満天の星空だった。 | ||
↑醜女の踊りと言われるダードゥリッター。隣りの祖納集落の節祭にはない演目だ。 →家の柱や大切なものに魔除けとして巻くシチマキカズラを、子供たちは自分の自転車に付けていた。 |
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宿に帰り、カップ麺を食べて晩ご飯にする。撮影データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電。日記用のメモを書いていると遠くから銅鑼や掛け声が聞こえて来る。干立の芸能のツヅミ行事が、まだ続いているのだろうか。 *DEE okinawaの記事。 *祖納と干立集落の節祭(ユークイ)の後編をPhoto Albumにしました。祖納集落の獅子舞からスリズ(公民館)での「世乞いトゥズミ」はこちら。干立集落の元屋(トゥリムトゥ)での神事、芸の奉納とスリズ(公民館)でのツヅミはこちら。(2014年3月14日に更新)。 |
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