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○3月1日(金) 辻のジュリ馬祭り 旧暦1月20日(二十日正月)
○3月8日(金) バンバンバザール ミニライヴ/ひやみかちマチグワァー館 15時〜15時40分
○3月9日(土) NPO法人「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」無料上映会/牧志駅前ほしぞら公民館 12時〜4時
○3月11日(月) ジョニー宜野湾 ミニライヴ/ひやみかちマチグワァー館 15時〜15時45分
○3月14日(木) 県立図書館本の返却期限
○3月16日(土) ガス設備の保安調査(沖縄ガス)
○3月18日(月) 講演会「オスプレイ配備を問う-米国・沖縄からの報告-」/タイムスホール 18時30分〜21時(開場18時)
○3月19日(火) 元ちゃん民謡ショー(前川守賢)/ひやみかちマチグワァー館 15時〜15時45分
○3月28日(木) 県立図書館本の返却期限
○3月28日(木) 渡嘉敷島 渡嘉敷村慰霊祭 13時30分〜14時20分 白玉之塔
○4月3日(水) 公事清明祭(伊是名玉御殿の清明祭)/10時〜 *仲宗根〜運天港の地図
○4月5日(金) 伊是名島 各家庭の清明(先祖供養)
○4月8日(月) 県立図書館本の返却期限
○4月12日(金)〜14日(日) 平安座島 三月節句(サングワチャー)
○4月12日(金) 座間味島 旧三月三日 浜下り、清明祭、流り船
○4月12日(金) 久高島 久高漁港 サングヮチティナ(三月綱)
○4月13日(土) 三月あしび 那覇市鏡水地区/鏡水ふれあい会館
○4月20日(土)〜5月6日(月) 伊江島ゆり祭り(リリーフィールド公演)
○4月24日(水) 与論十五夜踊り(旧暦3月15日) 地主神社
○4月30日(火)〜5月5日(日) 戸澤裕司写真展「カジマヤー(風車祝い)〜島人をめぐる断章〜」/那覇市民ギャラリー第一展示室(パレットくもじ6F)
○5月3日(金)〜5日(日) 那覇ハーリー/那覇新港埠頭
○5月12日(日) 春の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○5月27日(月) 多良間島 スツウプナカ
○6月 渡名喜島 シマノーシ/旧4月25日〜5月1日
○6月12日(水) 糸満ハーレー行事、伊江島海神祭、奥武島海神祭、粟国海神祭
○7月13(土)、14日(日) 糸満ふるさと祭り・エイサーinいとまん
○7月14日(日) 2000円札応援祭り/パレットくもじ前広場
○7月20日(土)〜21日(日) 浦添てだこまつり  
○7月31日(水)〜8月2日(金) 粟国村・ヤガン折目(うゆみ)
○8月3日(土)、4日(日) 与那原大綱曳
○8月4日(日) 一万人のエイサー踊り隊/那覇国際通り
○8月11日(日) 夏の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○8月13日(火) 安田のシヌグ
○8月19日〜21日(水) 石垣島アンガマ
○8月20日(火) 波照間島のムシャーマ/波照間島公民館前
○8月25日(日) 塩屋湾のウンガミ(海神祭)
○8月26日(月) 塩屋区豊年踊り
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月11日(水)〜15日(日) 名護市屋部の八月踊り
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引
○9月19日(木) 世名城のウスデーク
○9月19日(木) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事)
○9月20日(金) 座間味島 海御願(うみうがん)
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○12月1日(日) NAHAマラソン

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島祖納・干立豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島の豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2旧暦の8〜9月の3日間
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 空港線・川平リゾート線5日間フリーパス1000円、みちくさフリーパス(全ての路線バスが、5日間乗り放題)2000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

3月29日(金)

 雨から曇り。気温は上がらず、半袖半ズボンでは肌寒い。
さくらの香りの緑茶

 一日部屋に居て、パソコンの前に齧りついて作業。
  いつもは朝にコーヒーを2杯飲んで、その後はさんぴん茶ですが、今日は先日贈っていただいた「さくらの香りの緑茶」。ほんのりとさくらの香りと言うか、桜餅の香りがします。原材料に緑茶、桜葉、塩。ほんのり塩気があるのも桜餅っぽい。
 昼ご飯はジャンボオムライス、晩ご飯は大盛りの小松菜とシーチキンのパスタ。

 明日は少し、天気が良くなるようだ。

3月28日(木)

 朝早く起きておにぎり3個と卵焼きを作り、ゆっくり歩いても10分程のとまりんへ。渡嘉敷島の往復チケットを購入して、フェリーとかしきに乗船。船の屋上のデッキに座り、10時の出航を待つ。春休みだからか、子供達の団体が多い。
  慶良間諸島の中でも有人島としては一番那覇に近い渡嘉敷島は、普通のフェリーで70分、高速船を使えば35分で着く。乗船中に船内放送で、右前方にクジラがいますと流れたのでカメラの望遠レンズで覗いてみるが発見できず。
 ホエールウオッチングやマリンレジャーの島々として知られる慶良間諸島だが、先の沖縄戦では多くの命が失われている。今日3月28日は、その沖縄戦において渡嘉敷村で集団自決が行われた日。午後から白玉之塔で慰霊祭が開催される。尚、渡嘉敷村の集団自決についてはこちらに詳しく書かれている。
阿波連ビーチ

 慰霊祭が行われるのは13時30分から。2時間以上空きがあるので、11時30分に渡嘉敷港を出発するとかしき観光バスが運行している路線バスで阿波連ビーチへ。
 阿波連集落の入口にある新垣商店の前から、13時に白玉之塔行きの無料バスが出るので、それまでビーチの周辺を散歩する。

←阿波連のビーチ。

 12時45分頃に新垣商店の前に行くと、黒い服を身に着けたお年寄りの方々が少しずつ集まって来られた。村役場のマイクロバスが到着。昨日役場に電話して、島外の者も乗車できるか問い合わせて、大丈夫との返事を貰っていたので乗車。村役場の前でも何人か乗車して、白玉之塔へ向かった。
 渡嘉敷港と阿波連の間はいくつもの山が連なっている。急なヘアピンカーブを走った先に海岸が広がる光景は、加計呂麻島を思い出させた。
慰霊祭01
↑生徒代表による、平和の詩の朗読。↓焼香。私もして来ました。
慰霊祭03
慰霊祭02

式次第から 

司会 民生課長 島村 清
一.開会の辞 渡嘉敷村総務課長 宮平 昌治
二.式辞 渡嘉敷村長 座間味 昌茂
三.黙祷 司会
四.追悼の言葉 渡嘉敷村遺族代表 新崎 直恒様
五.平和の詩 (児童・生徒代表)
六.歌 「命どぅ宝」 宮城 千恵 第五代渡嘉敷村長 真喜屋 実意(お孫さん)
七.来賓挨拶 渡嘉敷村議会議長 小嶺 源市様
八.献花・焼香 村長・遺族代表・村議会議長
九.一般焼香
十.閉会の辞 司会
(*3月29日の沖縄タイムスのweb記事、3月30日の琉球新報のweb記事

 慰霊祭が終わり、白玉之塔に植えられているケラマツツジを撮影していたら、役場の人だろうか?港へ下りて行く坂の途中にケラマツツジの原種が2本咲いていると教えて下さった。

ケラマツツジの原種01
←↓ケラマツツジの原種。今まで見ていたケラマツツジよりも赤が濃い。花が重なるように咲いていて、豪華さがある。
ケラマツツジの原種02
 帰りの船は16時に出航。1時間以上あるので港のある渡嘉敷集落を散歩しながら、スナップ撮影。
島のお別れ01
島のお別れ02
←↑幼稚園の先生が島を離れるんだろうか。小さな子供達がお見送りに来ていた。離島の春は、お別れの季節です。奄美大島の名瀬港は今週末がピークだろうか?

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。泊港〜渡嘉敷港、阿波連ビーチ、慰霊祭の写真はこちら。ケラマツツジ、渡嘉敷集落、渡嘉敷港〜泊港の写真はこちら。 

沖縄戦場より、当時の阿波連渡嘉志久海岸渡嘉敷港

 今日の出費。泊港〜渡嘉敷港フェリー往復3080円、渡嘉敷村環境協力税100円、さんぴん茶98円、渡嘉敷港〜阿波連ビーチ路線バス400円。

3月26日(火)

 明日から暫く曇りと雨のマークが並んでいるので、昼ご飯を食べた後にサイクリング。久しぶりに糸満へ。
 まずは、海神が祀られており糸満ハーリーの時には祭祀が行われる御願所・白銀堂に行ってみる。境内の奥には巨岩がそびえ、小さな拝所がいくつも置かれている。ちょうど御願をされているオバーさんがいらしたが「とーとぅがなし」という単語しかわからなかった。白銀堂の由来は、こちら
 白銀堂から糸満漁港へ。自転車を置いて、人気の少ない公設市場を歩いてみる。食堂からお酒の入った感じのカラオケを歌う声が流れて来る。漁師町らしい風情。
 漁港から糸満ロータリー、そして沖縄で一番大きいと言われる幸地腹・赤比儀腹両門中墓へ。門中については、こちらが詳しい。
スナップ
幸地腹・赤比儀腹両門中墓
↑門中墓としては県内最大級と言われる、幸地腹・赤比儀腹両門中墓。
 夕方5時を過ぎて、来た道を辿りながら那覇へと向かう。途中にあるJAおきなわの直売所・菜々色畑でお買い物。行きにも寄って新タマネギ1袋6個入り150円を買ったが、帰りはトマト1パック5個入り150円、小松菜1袋70円、アップルパイのホールが100円引きで550円だったので購入。
 寄り道しなければ糸満漁港から家まで、ゆっくり自転車で走って1時間半ほどだろうか。
アップルパイ

 運動したのでお腹ぺこぺこ。晩ご飯はカレーの残りで作ったドライカレーと、スパゲティ・ナポリタン、デザートにアップルパイと先日買ったタンカンを搾ったフレッシュジュース。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

3月25日(月)

 天気予報によれば、今日と明日は晴れなので午前中に洗濯。
 大根おろしと青ネギ、濃縮うどんつゆをかけた冷やしうどんで昼食を済ませ、お米が残り僅かになったので、午後から新都心のスーパーで買い物。
今日借りて来た本

 昨日「折口信夫と古代を旅ゆく/芳賀日出男 写真・文」と「沖縄オバー食堂/撮影・円山正史 編著・平岩モトイ」を読み終えたので、県立図書館へ返却に行く。「てぃーあんだ/山本彩香の琉球料理」は延長してもらい、新たに2冊借りて来た。
←「多良間島の八月踊り/撮影・小橋川共男」(多良間村役場発行)、「神々の島/比嘉康雄・谷川健一」(平凡社)

 県立図書館の帰り、「沖縄オバー食堂」に紹介されているゲンキ食堂に寄ってみるがドアが閉まっていた。
ゲンキ食堂
↑壺屋のスージグワーにあるゲンキ食堂。店先のショーケースにはサーターアンダギーが並んでいたが、入口のドアは閉まっていた。オバーさん1人で切り盛りしているそうなので、用事が出来てどこかへ出掛けたんだろうか。天ぷら1個30円だそうだ。また散歩がてら来てみようと思う。
サーターアンダギー
 スーパーへお米を買いに行ったついでに、豆腐ようも購入した。豆腐ようは、豆腐を麹、紅麹、泡盛に漬け込んで発酵させた食べ物。濃厚な味わいで、畑のチーズと例える人もいる。
 初めて食べたのは、琉球料理の撮影で山本彩香さんのお店に伺った時。今読んでいる「てぃーあんだ/山本彩香の琉球料理」には豆腐ようのレシピは載っていないが、豆腐ようを調味料として使った『イカとキュウリの豆腐ようあえ』が掲載されている。
 市販の豆腐ようは1粒100円ほどから400円くらいまで様々あるが、色々と食べ比べてみたい。1粒1.5〜2センチ角程だけれど、ちびりちびりと味わうもの。1粒で充分楽しめる。
豆腐よう01
豆腐よう02
←↑今日買って来た、アサヒの豆腐よう。4粒417円とリーズナブル。マイルドと蓋に書いてあるが、泡盛の匂いは強いですね。ちょこっと削って舐めるように食べて、泡盛を呑む。いいですね〜。
 今日返却した「折口信夫と古代を旅ゆく/芳賀日出男 写真・文」(慶應義塾大学出版会)から、興味深い箇所を抜粋。

○依代 よりしろ

「依代」とは祭りの時に神が降臨するための装置といえよう。柱を立て、その先端に祭りに縁のあるものを付けるのである。神はそれを目印にして祭場へ現れるとされている。依代は折口信夫によって作られた言葉で、和歌山県粉河の夏祭りの山車から得た発想である。祭りをする人の立場からいえば神を招くための仕掛けなので「招代・おぎしろ」という。折口は大正四(一九一五)年発表の論文「髯籠の話」の中で、「依代」「招代」のほか柱や樹を立てる場所の「標山・しめやま」という三つの新しい言葉を使った。それが今日の民俗学ではよく使われ、急速に広がり定着していった。

 依代には樹木、岩石、宝石、貝、野獣の牙などがあるが、樹木が圧倒的に多い。祭場に神の注目を得るために柱として立てるからである。それ以前のはるか古代では海辺では常世の神の漂泊地にたぶの木、山地では榊、椿の木が依代になっていた、と折口は推測している。いずれも、東アジア大陸につながる照葉樹であることに注目したい。「依代」は折口によって作られた新語であるが、現在では「広辞苑」にも掲載され、「神霊が招き寄せられて乗り移るもの。樹木・岩石・人形などの有機物で、これを神霊の代わりとして祭る」と記されてある。

 依代の例として、以下が挙げられている。
1.ひげこ 2.目籠 3.天道花 4.山笠に立てたバレン 5.諏訪大社の御柱祭の柱 6.向笠春の神事の御幣 7.ほいのぼり 8.木幡の幡祭り 9.端午の節句の鯉幟り 10.吹貫き、吹流し
 沖縄の旗頭や、奄美の立神も依代という事だろうか。

○沖縄の旅
 古代が迎えにくる

 折口信夫は大正十(一九二一)年七月から八月にかけて約四十日間沖縄本島を巡った。
~略~
 どこの村にも御嶽(うたき)、拝所(うがんじょ)といわれる聖地があり、祝女(のろ)とよばれる女性の祭司者が村人の暮らしを管理して信仰が活きている。琉球王朝時代には王の姉妹が最高の巫女「聞得大君・きこえおおきみ」という役につき、全島の祝女を統率していた。
 祝女たちは村ごとにある「神あしゃげ」とよばれる萱葺きの小屋の中で祭礼をおこなっていた。神あしゃげを見た折口は切妻屋根が地表までふきおろした建物の形から「天地根元宮造りの掘立て合掌式の、地上に屋根篷の垂れたのから一歩進めたもの」とのべ、古式の祭祀建物に関心を示した。
 折口はその後も二回の沖縄旅行をおこない、後日体験を次のように語っている。
「直ちに古代の知識が迎えに来てしまった、古代研究やら現代観察やら訣らなくなることが多かった」。また「琉球諸島ー現在の生活ー殊に内部ーには万葉人の生活を、その儘見る事も出来る」そして「古代生活の研究に、暗示と言ふより、其儘むき出しにしてくれる事すら度々あった」とものべている。万葉びとの境地を彷徨っている気分になったのであろう。 
 
 
歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが今月、東京と沖縄で新作組踊「聞得大君(ちふぃじん)誕生」で主演を務めた。
  Wikipediaによれば、聞得大君という役職は十八代まで続き、戦後廃職となったそうだ。

3月22日(金)

 東京で、桜の満開宣言
  昨日はお酒を抜いたが、一昨日、一昨々日のお酒がまだ少し残っているんだろうか。身体がちょっと重い。
 冷蔵庫の中が寂しくなって来たので新都心のスーパー、泊の魚市場、栄町市場をまわってお買い物。 魚市場では安いキハダマグロの赤身のブツを買う事が多いけれど、今日は奮発して本マグロの中トロのブツ1パック780円を購入。久しぶりに行った栄町市場では1つ50円の県産キャベツと1袋250円のタンカンを買った。タンカンのシーズンはもうそろそろ終わりだろうか?
 先日のライヴ写真を越中さんに送ろうと思って久しぶりに宅ふぁいる便を使ったら、操作画面が変更になっていて驚いた。なんとか送れたかな?
↓本マグロの中トロ。→瑞穂30度。
泡盛・瑞穂
本マグロの中トロ

 響天があと少しなので、スーパーで新しい泡盛を買って来た。首里の蔵元が作っている泡盛、瑞穂の30度。
 これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂。

 防衛省が、沖縄県に辺野古の埋め立て申請を提出した。

3月20日(水)

 桑名正博メモリアルLIVE@沖縄と題した、桑名晴子withヘッケル&越中のコンサートが昨日と今日の2日間、那覇で行われた。桑名さんが好きだった沖縄で、彼を偲んでひと時を過ごす、そんなコンサートでした。
↓ヘッケル(写真左)&越中のデュオ。→桑名晴子さん。
桑名晴子さん
ヘッケル&越中
桑名晴子withヘッケル&越中
 昨日はOutput、今日はアパッチで。ヘッケル田島さんは昨年の5月に那覇で会っているが、越中さんは3年ぶりかな。せっかくなので、リハーサルから入って音楽を聴きながら写真を撮っていた。 
 両日ともアンコールは「Will you love me tomorrow?」。2011年5月19日に行われた東北支援HALKO誕生日LIVEでの桑名晴子withヘッケル&越中での「Will you love me tomorrow?」(You tubeから)。桑名正博さんのバージョンはこちら
カチャーシー
エイサー
←↑アパッチでのライヴの後、居酒屋さんを捜していて、クラブの周年祝いのエイサーと遭遇。最後のカチャーシーではお店の女性もドレスの裾を上げて踊っていました。
↓居酒屋にて。豆腐よう、ラフテー、ソーミンチャンプルー、島らっきょうの天ぷら、もずくの天ぷら、カキフライ。沖縄料理を食べながら、ヘッケル田島さんは誕生日を迎えた。happy birthday〜♪明日は原宿クロコダイルで「ヘッケル田島BIRTHDAY LIBE!〜Tribute to ジョニー吉長&桑名正博〜」がある。
居酒屋の料理

3月18日(月)

ベランダからの那覇市街

 日本列島を春の嵐が襲った。那覇も激しい雨が降ったり、強風が吹いたり。お昼頃には竜巻注意報が出された。
 石垣島は道路が冠水し、50代の男性が側溝に落ちて亡くなった。久米島では、駐車場に停めてあった車が2台飛ばされた。
 夕方から出かける予定だったが、面倒臭くなって布団にゴロンと転がって本を読んで過ごす。

 夜のニュース番組で、政府が算出した南海トラフ巨大地震が起こった場合の被害規模を発表していた。経済的損失は最大で220兆円に達すると言う。しかし、この中には地震による原発事故の被害は想定されていない。福島第一の事故から何も学ばない国なのだろうかと思っていたら、番組の途中でその福島第一が停電して1、3、4号機の使用済み燃料プールで核燃料を冷やすシステムが止まっていると言う。東京電力は原因を調査中。

3月16日(土)

 東京でソメイヨシノの開花宣言が出された。
 那覇は暑くもなく寒くもなく、散歩日和。昼ご飯に大盛りの中華丼を作って食べて、自転車で壺屋の方へ。途中、神里原社交街で定点観測。取り壊しは少しずつ進行中。それでも2階にある1軒のお店から音楽が流れていた。営業しているお店があるようだ。
 壺屋のどこかに自転車をとめて散歩しようと思っていたら、安里橋大通りに出た。住所は三原になる。かつて母子家庭という名前のスナックがあった場所は、看板が外されていた。移転したようだ。未亡人と言う名前は割りと多いが、母子家庭は珍しい。近くのスナック年金族は健在のようだ。 
 安里橋大通りを暫く走っていると、識名園の看板。2キロ程なので、天気も良いし行ってみる事にした。距離はそれほどでもないが、緩い坂がず〜っと続く。それでも30分程で着いた。
 400円の入園料を払い、園内に。池の畔に、アヤメや白いシャリンバイの花が咲いていた。 林の中のクワズイモも花を咲かせている。奄美大島では家の裏山にいくらでもクワズイモがあったのに、花が咲いているところは不思議と見なかった気がする。 
 2時間以上園内を散歩して、帰路についた。途中、識名宮というお宮があったので立ち寄る。現在建て替え中のようだが、お参りしていく近所の人が多かった。
神里原社交街01
神里原社交街02
↑定点観測中の神里原社交街。手前にある、2階建てだったお店の2階部分が完全に撤去された。
←仲良く並んだ椅子。
スナック年金族
←三原にある黄色い看板の、スナック年金族。
↓年金族の近くにスナック母子家庭があった(ピンクの庇のお店)が、移転したようだ。
スナック母子家庭跡
識名園
↑琉球王家最大の別邸で、世界遺産・国指定特別名勝に指定されている識名園。正面に御殿、右手に六角堂。

↓識名園にて。左からアヤメ、シャリンバイ、クワズイモの花。シャリンバイは、奄美では大島紬の染料に使われている。
クワズイモの花
アヤメ
シャリンバイ
識名園から見た風景

←識名園の眼下に広がる丘陵地。昔は田んぼや畑だったのだろうか。

→識名園近く、繁多川から見た首里城。

繁多川から見た首里城

 家に帰ると、郵便受けに国税還付金振込通知書が入っていた。大きな金額ではないけれど、離島巡りの費用に充てよう。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

3月14日(木)

 午後から与儀にある県立図書館へ。読み終えた1冊を返却し、読み切れなかった1冊を延長してもらい、新たに2冊借りて来た。あいにくの曇り空で風も強いが、運動がてら与儀から小禄までサイクリング。

  旧暦の3月4日に、小禄・鏡水地区の「三月遊び」が行われるらしい。鏡水地区は旧日本海軍により接収され、小禄飛行場(現那覇空港)となったため民間住宅はない。それでも様々な地区に分かれて暮らしている嘗ての鏡水地区の人達が、この伝統行事を守っているらしい。ネットで検索すると鏡水ふれあい会館というのが見つかったので、ここに行けば情報が貰えるかと思い、自転車を走らせて会館を探す。 
 行き当たりばったりで走っていたが見つからないので、モノレールの小禄駅前にあった郵便局で聞いてみる。職員の女性2人、お客さんの女性1人で地図を見ながらアレコレ探して下さった。ありがとうございます。親切が身にしみました。
  会館の載った住宅地図のコピーをいただいて、教えられた道を自転車で走り鏡水ふれあい会館に辿り着くが、残念な事に閉まっていた。まあ、でも場所は確認できた。
 小禄から那覇港、辻、若狭、泊を通って家に帰る。晩ご飯は辻のスーパーで買った天ぷらと、卵、青ネギ、とろろ昆布をトッピングしたうどん、マグロのづけとイカの塩辛を乗せたお茶漬け。
那覇港にて
那覇港と泊港
↑上は那覇港にて。下は左が那覇港、右が泊港。
今日借りて来た本
←今日借りて来た「てぃーあんだー/山本彩香の琉球料理」(沖縄タイムス社)、「沖縄オバー食堂/撮影・円山正史 編著・平岩モトイ」(双葉社)。
晩ご飯の天玉うどん

 沖縄に初めて来たのは健康雑誌の取材撮影だった。NHK今日の料理の先生として知られる中村成子さんのコーディネートで本格琉球料理を提供する山本彩香さんのお店と、朝食に50品目約20皿の料理が並ぶ沖縄第一ホテルを撮影した。 
 今日借りて来た「てぃーあんだー/山本彩香の琉球料理」の発売が1998年11月になっているが、この本が発売された後だったか前だったかスケジュール帳がないのでわからない。
 山本彩香さんのお店は残念な事に、昨年の9月に惜しまれながら閉店となったらしい。もっともコース料理のみなので、営業していてもおいそれとは食べに行けないけれど。
 お店で一通り料理を撮影した後に、中村成子さん、ライターさん、編集者さんと一緒にコース料理を食べた。掲載誌が手元にないので撮影した料理はあやふやだが、どぅるわかしー、ミヌダル、豆腐ようを食べたのは覚えている。中でもどぅるわかしーが特に美味しかったと記憶している。この「てぃーあんだー」でも、思い出の料理として本の一番最初に登場する。山本さんのお店の代表的な料理だったのだろう。
 まだパラパラと捲っているだけだが、いわゆるレシピ本ではない。大まかな作り方は書いてあるが、細かな分量までは記載されていない。その代わり沖縄の食材、食文化が奥深く語られている。
 本のまえがきで、昭和61年にお店を出すまでは琉球舞踊をされていた事を知った。そして山本さんに料理を教えたのが育ての母である伯母さんで、伯母さんは花街・辻でじゅりをされていたという。花街のおもてなし料理が原点にあるということだろうか。

 今月の1日に行われた辻の旧二十日正月行事、ジュリ馬の様子をPhoto Albumにしました。枚数が多いので、前編後編に分けました。ようやく写真が追いついた(汗)。

辻の二十日正月
↑辻御嶽の辻開祖之墓で御願をする神人。↓辻御嶽の前で奉納された、ジュリ馬。
ジュリ馬
 昨日の夜、野村萬斎演じる陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)が主人公の「陰陽師II」をテレビで観た。その後、芳賀日出男さんの「折口信夫と古代を旅ゆく」を読む。
  説教節の章で「信太妻」(しのだづま)が出て来る。狐狩りに追われた牝狐を助けた男が、その帰りに人間に化けた牝狐と結婚する。そして男の子が生まれる。その子が7歳になった時、母親は狐の本性を子供に見られてしまい森の中へ消えて行った。
 父親と二人で母親を探しに森に行くと、牝狐が姿を現して子供に水晶の玉が入った黄金の小箱を与える。水晶を耳に当てると小鳥や獣の鳴き声が人間の言葉になって聞こえる。子供が10歳になった時、2羽の鳥が「京の都で帝が病気になられた。それは御殿の柱の下に蛇と蛙が生き埋めにされて戦っているからだ。その毒気が帝のご病気のもとだ」とさえずった。
 親子は京の都に上り、御所で帝の病気の原因を話し、柱の下を掘ると蛇と蛙が出て来た。帝の病気は治り、子供は5位の位をもらった。それから子供は京都で陰陽学を学び、名前を安倍童子から安倍晴明に変えた。
 ちなみに安倍晴明は、実在の人物だそうです。

3月12日(火)

 昨日、今日と那覇では煙霧が発生し、環境基準を上回るPM2.5(微小粒子状物質)が観測された。
 今日の昼過ぎに自衛隊の戦闘機F-15が那覇空港に着陸し、滑走路を走行中にパンク。滑走路が一時閉鎖され、民間機15便に最大3時間46分の遅れと4便の欠航が出た。 
 沖縄の空は黄砂にPM2.5、オスプレイやステルス戦闘機が飛んでいる。救いは、スギ花粉が飛んでいない事だろうか。
 2010年6月から2年間を過ごした奄美大島は杉がないので、目のかゆみや鼻水、くしゃみといったアレルギー症状に悩まされる事なく過ごせた。今年初めて過ごす沖縄も、どうやらスギ花粉の飛散はなさそうだ。
 奄美大島は、”スギ花粉のない島”としてもっともっとアピールすれば良いと思うんだけれど。
新しいトップ画面
トップ画面を模様替えしました。写真は黄砂の舞った日に撮影した、奄美大島の小宿漁港。なんだかフォトショップでいじったような写真ですが、コントラストの調整と周辺部を焼き込んだだけです。モノクロームに包まれた中、海中に伸びたエメラルドブルーの道は不思議に美しかった。↓これまでの画面。
前のトップページ
マグロのカツ
マグロのブツ
扇風機

↑煙霧が発生して少し視界が悪い中、コンビニで水道代とガス代の支払い。泊漁港へ行って、マグロのカツの甘酢あんかけ(250円)とマグロのブツ(380円)を買って来た

→今日の那覇の最高気温は25℃、明日は26℃の予報。暮れの12月30日に押し入れに仕舞ったばかりの扇風機を出して来た。

 訃報が続いている。先月20日、ゲームクリエーターの飯野賢治氏が42歳で亡くなった。歌手の須藤薫さんが今月の3日に亡くなり、今日、都内で送る会が行われたようだ。須藤さんも享年58歳という若さだった。
 飯野賢治氏は17年程前に何回か撮影している。「Dの食卓」を発表し脚光を浴びている頃だったと思う。手元に本がないので確かではないが、「飯野賢治の本」という本の撮影で鈴木慶一さんとの対談、桂三枝さんとの対談を撮影した。その直後に、まつもと泉がプロデュースしたCD-ROMで見せるコミック「COMIC ON」の飯野賢治特集で彼の会社ワープの内部を撮影し、まつもと泉との対談を撮影した。享年42歳という早すぎる死にも驚いたが、撮影した当時、彼はまだ20代の半ばだった事に更に驚いた。
 須藤薫さんのデビューアルバム「Chef's Special」はよく聴いたし、この頃一度彼女にインタヴューもしている。媒体はレコードマンスリーだったか、ギターライフだったか・・・。またその頃のバンド仲間が彼女のバックバンドに参加していた。セカンドアルバムの「Paradise Tour」のドラムは島さんが叩いているので、まだ島さんのボーヤ(バンドボーイ)をやっている頃だったらレコーディングも見ていると思うが、当時のスケジュール帳が手元にないのでわからない。たぶん、見てるかな?
 You Tubeから「FOOLISH 渚のポストマン」「あなただけI LOVE YOU」。「あなただけI LOVE YOU」は作詞作曲編曲が大瀧詠一さん。松田聖子の「風立ちぬ」と同じく、この後発表される大瀧さんの「A LONG VACATION」に繋がるサウンドだと思う。
 久しぶりにYou Tubeで聴いたら、1980年代の気分がよみがえって来た。とても懐かしい。

3月11日(月)

 震災から2年が経った
 2011年の3月11日は、朝仁海岸でアオサを採っていた。その時に奄美市から送られて来たエリアメールで、地震と津波を知った。家に帰りテレビを付けて、想像以上の事が起きているのを目にして愕然とした。
 昨年の3月11日は、名瀬聖心教会で「さよなら原発!3.11奄美地区集会」が開催されたので参加し、市街地を一緒にパレードした。
 今年は部屋に籠って先日撮影した辻のジュリ馬行列の写真データを作成しながら、テレビの震災特番を観て過ごした。

 阪神淡路の時と比べて、復興のスピードが遅いと言う。東北の場合は地震だけでなく直後に襲った津波、加えて福島第一原発の過酷事故がある。原発事故がなければ、復興のスピードは全然違ったものになっただろう。
 それにしても、あれだけの原発事故が起こったのに、原発を推進して来た政党が与党に返り咲くという不思議。民主党の体たらくは国民から非難されて当然だが、自民党が調子に乗って民主党を非難する姿は醜悪だ。そもそも今問題になっている事柄は、嘗ての長い与党時代に自民党が作り出して来た事なのだから。さんざん自分達が散らかしておいて、民主党に後片付けの仕方が悪いと怒っているようなものだ。
 与党に返り咲いた途端、安倍政権は原発ゼロを見直して安全が確認できたものから再稼働して行くと言う。 しかし第一次安倍内閣の時に共産党の吉井英勝議員が質問主意書で巨大地震に伴う安全機能の喪失を指摘した際、安倍首相は安全の確保に万全を期しているという答弁書を出している。そしてその後、他に類を見ない原発事故が起こった。
  未だに福島の事故は収束しておらず、それどころかメルトダウンした核燃料がどこにあるかもわからない。事故の原因もしっかりとわからない状態で、どうやって他の原発の安全性を確認できるのだろうか。これらの事は原発事故責任者の1人という自覚がない、と指摘されて当然だろう。
 石原環境相は就任早々「原発稼働ゼロは現実的ではない」と発言した。 しかし昨年5月に泊原発3号機が停止して大飯原発が再稼働するまでの2ヶ月ほどは原発稼働はゼロだった。そして今も大飯3、4号機しか動いていない。しかも電力が逼迫しているとして大飯を再稼働したはずなのに、関西電力はその後火力発電所を8基停止している。再稼働は電力供給の問題ではなく、電力会社の都合でしかなかった。
 ところで稼働していない原発が現在48基(福島第一を入れれば52基?)ある。この稼働していない原発を制御(冷温停止状態)するのに必要な電力量というのは、どれくらいなのかと時々考える。 ひょっとすると現在稼働している2基の原発が生み出す電力よりも多い・・・なんて事はないんだろうか。 
 原発稼働ゼロよりも、核廃棄物の最終処分の仕方や最終処分場すら決まっていない中で核廃棄物の出る原発を動かし続ける方が、よほど現実的ではないと思うのだけれど。

 今日、福島第一原発事故で被災した住民や避難者ら1650人が、国と東京電力を提訴した。

3月9日(土)

 1983年12月に結成されたNPO法人沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会が、今月の15日で解散するのを前に、牧志駅前公民館で最後の上映会を行うというので観に行って来た。 
 那覇に来るまでこのような会があるとは知らなかったが、同会のホームページによれば「ひとり1フィート(約100円分)のカンパで、アメリカの国立公文書館等に保存されている沖縄戦の記録フィルムをすべて買い取り、 戦争を知らない世代に、沖縄戦の実相を伝え沖縄を、そして日本を世界平和の原点とする運動です」とある。
 寄せられた募金で買い取った 約11万フィートの記録フィルムを元に「ドキュメント沖縄戦」「沖縄戦 未来への証言」「沖縄戦の証言」「軍隊がいた島〜慶良間島の証言〜」という4つのドキュメンタリー作品が、これまでに作られている。今回はこれらを無料で上映した。
1フィート運動の会、上映会
 上映会は12時から16時となっていたので、11時55分に会場へ行くと入場待ちの長い列。キャパシティーが150人程の会場に、400人程(主催者発表)が詰めかけたそうだ。ほとんどが高齢の方ばかり。椅子に座れなかった多くのお年寄りが立って観ていた。もう少し広い会場を用意できなかったのだろうか。
 また、伝えるべき若い世代の来場者の少なさも残念だ。

 この上映会の様子を、夜のNHKニュースが報じている。
 ところで、自身が1フィート運動を創ったと話す上原正稔氏が「1フィート運動騒動記」というのをブログで連載している。どちらの主張が正しいのか、どういう事情があったのか。少し気になるので、話しが完結するまで読んでみようと思う。

 先月撮影した嘉数高台公園展望台からの普天間基地と周辺、オスプレイの飛行をPhoto Albumにしました。こちら

嘉数高台公園の展望台
↑嘉数高台公園の展望台。↓展望台から見渡せる普天間飛行場と、その周辺。
展望台から見た普天間基地と周辺

3月8日(金)

 昨日、新石垣空港がオープンした南ぬ島 石垣空港では記念のイヴェントとして14日まで、「西表石垣国立指定40周年~西表国立公園の原風景」と題した大塚勝久さんの写真展を開催する。
 格安航空会社Peachの参入で那覇ー石垣島の航空運賃が下がるかと期待しているが、Peachの就航は9月に入ってからで、まだ先の事だった。そう言えば、スカイマークの新石垣空港への就航はどうなったんだっけ。ちなみにスカイマークの那覇ー宮古線は搭乗率の伸び悩みから4月1日(月)〜6月30日まで運休となっている・・・orz。
 また、新石垣空港の開港に伴い石垣島の路線バスを運行する東運輸は、空港線・川平リゾート線5日間フリーパス1000円、みちくさフリーパス(全ての路線バスが、5日間乗り放題)2000円を廃止し、全路線バス乗り放題の1日フリーパス1000円の販売に切り替える。今までが安すぎかもしれないが、これもちょっと辛い。

 牧志公設市場のひやみかちマチグワァー館で、バンバンバザールのミニライヴがあるので見に行く。ついでに野菜を中心に買い物。マックスバリューで県産の大根1本99円、人参2本99円、ピーマン3個99円。松山のスーパーでキャベツ1個50円、もやし30円。このところ県産のキャベツが安い。

神里原社交街01
神里原社交街02

←↑取り壊しと整地が進む、神里原社交街の一角。

ひやみかちマチグワァー館での、バンバンバザールのミニライヴ。

バンバンバザール
 バンバンバザールは名前だけは昔から知っていたが、音楽を聴くのは初めてだった。今日の那覇の天気のように、ポカポカ陽気の音だった。You Tubeから「恋はねずみ色/バンバンバザール」。

3月6日(水)

 撮りっぱなしの写真データが溜まっているので、3日間ほど部屋から出ずに現像作業をしていた。さすがに日差しと風を浴びたくなって、買い物のついでに暫く自転車で走って来た。
写真集「川の音」から

 先日県立図書館で借りて来た浜田ツマ写真集「川の音」を見終える。浜田ツマさんは大正7年生まれのアマチュア写真家で、「女たちの佐渡」「古里、想里よ」「川の音」という過去に3回開いた個展作品を、一冊の本にまとめたもののようだ。
 丁寧に押されたシャッター、丁寧に仕上げられたプリント。美しい写真集だな〜と思う。
←「川の音」(プレイガイドジャーナル社)より。

 2月12日、旧暦の1月3日に行われた粟国島のハチウクシ行事の写真をPhoto Albumにしました。カット数が多いので前編後編に分けました。
粟国島のハチウクシ01
↑午前零時。観音堂の斜め前にあるニジリチェにて、東の方角に太鼓を捧げ持ち、そして打ち鳴らされた。ハチウクシ(初起こし)の始まり。
↓日中はマースヤーのように集落の家をまわり、歌と踊りで門付けする。塩売りは登場しない。
粟国島のハチウクシ02

3月3日(日)

 一昨日の昼は日差しが強く初夏を思わせる陽気だったが、今日は雲が多く最高気温も18℃と半袖のTシャツでは少し肌寒い。それでも穏やかな空模様だ。
 北海道では、昨日の午後からの暴風雪で8人の死者が出ている。南西諸島を襲う夏の台風も脅威だが、北国の吹雪も凄まじい。

 今日でこのホームページを開設して10年が経った。ちまちまと更新しているうちに、10年が過ぎたと言う感じだろうか。作った時は10年目の更新を沖縄でするとは想像すらしていないわけで、面白いもんだな〜と思う。

 2月11日、旧暦の1月2日に行われた粟国島のフナウクシ行事の様子と沖縄海塩研究所の写真をPhoto Albumにしました。こちら

フェリーあぐにのフナウクシ行事
↑町営船・フェリーあぐにのフナウクシ行事。↓大信丸の船長さん宅での祝宴。
大信丸の船長さん宅での祝宴

3月1日(金)

 今日は、旧暦の1月20日。沖縄では二十日正月といい、正月の終わりで飾り物を取り払う日だそうです。
 この二十日正月に、那覇の辻ではじゅり馬行列という祭祀が行われる。
 昨日、若狭図書館に行ったついでに辻まで足を伸ばし、じゅり馬行列を執り行っている辻新思会を尋ねて行って開催時間と場所を確認して来た。午後2時に辻新思会からスタートと言われたが、何があるかわからないので1時過ぎに到着すると、既にカメラを持った方がたくさんいらしていた。

 辻は、かって遊郭のあった場所。じゅり(尾類)は、遊郭で働く女性達のこと。
 辻の成立とじゅりについて、辻新思会による趣意書から引用すると、
 辻むらが公設されたのは今からおよそ350年前の時代で、慶長の薩摩侵略後、海外貿易政策も中国のみにされたために、首里王府の財政が急迫し、また課税も重加されたので、百姓・町人がその負担に耐えられず朝に夕に苦しんでいるときであります。
 その様な時代背景のなかで中国冊封使一行や薩摩奉行役人、それに中国との貿易商人をどう接待し歓待すればいいか、首里王府にとっては国の命運を左右する重大な国事と目されていました。時の摂政・羽地朝秀(向象賢)はじめ三司官が評定の結果、辻むらの設立をこころみた、という説もあり、王命を受けた王女が自ら側女を引き連れて開祖になったとの由来もあります。
 首里王府の外交・内政政策の一端を背負っての発足でしたから、辻むらは発生当初から大盛前(うふむいめー=神職のひとつ)による祭政一致の行政が敷かれ、他所島(ゆすじま)の女たちの手によって”女だけによる自治社会の組織”を築き上げました。このことは世界に類がなく、驚き入ることであります。
 辻むらの”じゅり”は王女や王女の側女、三司官の娘から始まった、ともいわれていますが、貧しさのなかで親兄弟の犠牲になり、政治の犠牲となって、辻に身売りされる子女が増えていきました。彼女たちは、このような過酷な運命を受け入れながらも、歌舞音曲、料理、躾、言葉づかいなどの教養を身につけ、陰ながら王府の外交・内政政策の守り手として王府を守護し、王国の発展のために、その礎となって、高度な社交文化を築き挙げたのです。そして辻むらを発展に導いた美麗なる先駆者であります。

 辻の二十日正月は、彼女たちに感謝と謙虚な祈りを捧げる事からスタートし、商売繁盛と豊年を祈願するそうです。じゅりと彼女達の家族が、この年に一回の道スネー(練り歩き)でお互いの姿を確認し合ったと言われている。拝みの後に奉納されるじゅり馬は、チョンダラーが伝えた芸とされ、春を寿ぐ踊りだと言われている。You Tubeから一昨年のじゅり馬。少し気忙しい動き、ゆいゆいゆいのお囃子が可愛い。

辻新思会に奉られたミルクと獅子。拝所巡りに出発する神人
↑左は、辻新思会に奉られているミルクと獅子。右は、辻新思会を出て、海蔵院へ向かう神人。神人は1年ごとに交代し、行事の際に地域の拝所を御願するそうです。
海蔵院での御願
←王女と王女の娘二人の位牌が収められている海蔵院で、御願の準備をする神人。
↓振り向くと、撮影しているカメラマンの凄い列。
撮影するカメラマン
 御願の順序を、趣意書から。
1.辻新思会 出発 2.海蔵院(王女と王女の娘二人の位牌が収められています) 3.志良堂御嶽(辻むら全体のウタキ) 4.祝女井戸(ヌルガー) 王女の使用した井戸 5.石被(イシカブイ) インダカリの火神(匕ヌカン) 6.軸(ジク) 王女達が首里城に向かってお通し(御願)した場所 7.辻むら開祖之墓
ジュリ馬のスナップ
 拝所への御願巡りが済んだ後、奉納芸能が行われた。最初に、春駒じゅり馬民俗芸能研究会代表の浅香怜子さんによる挨拶があり、男春駒の演舞が披露された。Wikipediaによると、春駒とは張り子などで馬の頭の形をつくり竹を指し、下端に車をつけ子供が跨って遊ぶ玩具。また、予祝のための正月の門付け芸のことでこの春駒に跨り、唄い踊る。または胴に馬の頭や尾をつけて、三味線や太鼓で囃し祝い唄を唄い踊る、とある。
  春駒は、辻のじゅり馬と親戚関係にあると推測される伝統芸能だそうです。
↓男春駒の演舞。→春駒じゅり馬民俗芸能研究会代表の浅香怜子さん。
浅香怜子さん
男春駒の演舞
 開祖の墓の前の道を通行止めにしての、じゅり馬の奉納が終わったのが4時半頃。この後、何人かの女性達が近くのステーキハウスで、じゅり馬を披露するのを撮影させていただいた。
 辻新思会へ撮影させていただいた御礼に伺うと、ご飯を食べて行きなさいと声をかけて下さった。事務所の中は直会の最中だった。
ご馳走していただいた食事
お供え物の料理
お土産
↑左の写真は、直会でご馳走になった料理。下の「じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究」によると、ムニ(里芋)、スーチカ(豚の塩漬)、ナマシグァ(生酢)、ジューシー(炊込御飯)、アオサ(海苔のお吸物)。中央の写真は、拝所でお供えされた料理の振る舞いだと思われる。右の写真は、お土産にいただいた、お饅頭と巨大なサーターアンダギー。
浅香怜子さんの著書、レポート
←浅香さんからいただいた研究レポートと著書。A4サイズ248頁にも及ぶ著書「じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 第一集」は圧巻。こんな内容です。
 ところで竹富島の種子取祭で奉納される芸の一つに、馬乗り者(んーまぬーしゃ)がある。チョンダラーが広めたようだが、これも春駒、じゅり馬の親戚筋だろうか。また興味が広がった。宿題は溜まるばかり・・・orz。

 3月3日の琉球新報web版の記事と映像

*辻の旧二十日正月行事、ジュリ馬の様子をPhoto Albumにしました。枚数が多いので、前編後編に分けました。(3月14日に更新)

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