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○3月9日(金) 本の返却期限 *道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら。 |
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市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2012年(平成24年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。 ※1‥以前は旧暦の1月2に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu ○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima |
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進学や就職、転勤で島を離れる人達のお見送りがピークのようで、連日、夜になると大歓声が聞こえる。29日が一番お見送りが多かったようですが、今日も港は人で一杯でした。 通常、鹿児島に上るフェリーは夜の9時20分に名瀬港を出るのですが、このところ大幅に時間がズレています。今日は入港が10時頃で、出港は11時頃でした。沖縄、与論島、沖永良部島、徳之島と名瀬に着く前にこれらの港でも盛大な見送りがあり、少しずつ遅れて行くのだと思われます。 |
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←↑こちらは、今日の名瀬港の様子。 ↓の2枚は、昨日の名瀬港の様子です。 |
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↓フェリーが岸壁を離れたあと、海に飛び込む高校生。亜熱帯の島と言えど、寒いです。 | ||
↑紙テープを、自分の身体にグルグルに巻き付けて遊ぶ子供たち。 昔、カメラバックに紙テープをいくつか忍ばせていたことがある。ポートレートのアイディアにつまるとグルグル巻きにして撮影させていただいた(笑)。 |
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さわらの西京漬を焼いて、梅干しと一緒に白米に混ぜ込んでおにぎりを作る。味付け海苔をまいて完成。 大きいのが1つ、中くらいのが2つできた。中くらいのを1つ食べ、残り2つと茹で卵をラップに包んでリュックに入れる。 正午に家を出発して、龍郷湾を目指す。本茶トンネルを過ぎたところにある緋寒桜の並木を見ると、小さなサクランボが付いていた。 中勝集落を過ぎて島で一番大きなホームセンター、ビックIIへ。ベンチに座っておにぎり1つと茹で卵で、少し遅めのお昼ご飯。これで力が湧いた。 奄美の豊年祭では、力めしが振る舞われる。力めしは、白米の丸いおにぎりで、橙色の花が美しいサンタンカが飾られていることもある。 お米は神からの授かり物で、厄よけの力があるとされているそうだ。 |
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大勝集落を過ぎて龍郷湾にぶつかる。右折して、鶏飯で有名な「ひさ倉」の裏から龍郷湾の右側をず〜っと走る。龍郷湾の左側は、瀬留から西郷松の少し先まで行ったことがありますが、右側は初めて。すごく平坦な道でサイクリングにいいですね。 さとの家植物園のところで小さな山を一つ越え、また湾沿いの平坦な道を進むとばるばる村に。そこでオオトラツグミの調査や、観察会でご一緒したことのある城(きずき)さんと、バッタリ。ここが職場だそうです。城さんは、彼女のお父さんです。You Tubeから一曲「童神」。 |
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←龍郷湾越しに見る西郷松(左の家の前)。すっかり枝が切り落とされ、電柱のよう。枝があった頃の写真。 |
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ばるばる村を少し行ったところに西原(にしばる)集落があり、その行き止まりにガジュマルの巨木があると教えてもらう。 行ってみると、なるほど大きなガジュマルが何本か並んで立っている。どれも湾に向かって斜めに伸びているのが、ちょっと不思議。 龍郷湾のかなり先っぽの方まで来たので、今日はここから引き返す。 |
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↓龍郷湾でアオサ採り。近くの集落の人かと思ったら、名瀬から採りにいらしてた。→久しぶりに朝仁海岸の夕焼け。 | ||
龍郷湾の奥になる浦、そこから大勝を通りビックIIへ。来た時と同じベンチに座り、残っていたおにぎりを食べてエネルギーの補給。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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午前中は、パソコンさばくり。ちょっと進んだ。 今日は天気が良いので、久しぶりに大熊展望台からの夕日を見ようと家を出る。日が沈むまでたっぷり時間があるので、浦上、有屋、仲勝集落をサイクリング。 大熊漁港をプラプラしてから、奄美大島で一番の急勾配かも?と言われる展望台までの道を自転車を押して上がって行く。展望台に着いて、一休み。しばらく汗が止まらない。 ガジュマルの木を利用した展望台ですが、上り口に縄が張られて入れない。階段や台の板が老朽化して抜けてるのかな? 少し坂を漁港の方に戻ったところに駐車場があり、そこで浦上のパン屋さんで買ったレモン食パンを齧りつつ、家から持って来た「奄美・小宿集落誌」を読みつつ落陽を待つ。 |
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↑浦上にあるパン屋さんで買った、レモン食パン。1斤350円。レモンバターを生地に練り込んであり、さわやか風味。 ←大熊展望台からの帰り、佐大熊辺りからの三日月と星。 |
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少しですが、本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
島はお別れの季節。連日、内地へ向かうフェリーが出港する夜の時間になると、歓声や歌が港から聞こえてくる。学校を卒業して島を離れる子供達や、勤務地が変わった先生のお見送り。 それぞれが紙テープを握り、空いた手を大きく振り上げる。島のお別れは、ドラマチックだ。 ↓写真は、部屋のベランダから。 |
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本日の一曲、「Mary Black /No Frontiers」。 クラナド、ディ・ダナン、カパーケリーと他にもアイルランドのバンドやシンガーを撮影したけれど、一番聴いたのはメアリー・ブラック。 |
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↓→メアリー・ブラックのライヴとポートレート。ライヴは1990年12月1日に撮影。ポートレートはその前だったか後だったか?別の日です。 | ||
柏崎刈羽6号機は、25日午後2時から出力を下げ始め、26日夕方には原子炉が完全に止まった。これで東電の所有する17基全てが停止し、国内の商業用原子炉54基のうち稼働している原発は、北海道電力の泊原発3号機のみとなった。 | ||
今日は旧暦の3月3日、サンガツサンチ(サンガツ節句)です。昔は一年の無病息災を願い、一重一瓶を持って浜に行き、貝採りをしたり唄を歌ったりして過ごしたそうです。 サンガツサンチに海に入らないとカラスになるという言い伝えがあるので、朝仁海岸へ。海は大荒れで浜には誰もおらず。打ち上げられた海藻の横に、今まで見たこともない数のカラス。まさか昨年のサンガツサンチに海に入らず、カラスになってしまった人達か? 昨日は最高気温が27℃もある夏日でしたが、今日はグッと下がって風も冷たい。波も荒いのでさくっと足を浸けて帰って来た。 |
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↑頂き物の、カラフルな和菓子。 | ↑大荒れの朝仁海岸で、波に足を浸けて来た。 | ↑打ち上げられた海藻の横に、たくさんのカラス。 |
朝仁海岸から観光バースに寄ると、ちょうど「ぱしふぃっく びいなす」が名瀬港を出て行くところだった。 夜、屋仁川の「煮込み料理 ゆらい処」へ。 |
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朝は晴れ、昼頃から曇ってきて、午後も遅くに雨が降りだして来た。 わりとヒンヤリとした日が続いていましたが、今日の最高気温は27℃もあるらしい。そろそろ扇風機の出番かも。 19日の夜にアマゾンでポチッとした外付けハードディスクとUSBメモりは、やはり昨日鹿児島からフェリーに乗っていたようで、今日の昼頃に届いた。 |
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さて、今回買ったハードディスクの名前を何にしよう?少し悩んで好きな女性シンガーの名前にしてみました。Ani(アニー・ディフランコ)とMinnie(ミニー・リパートン)です。 AniはJackの引き継ぎ、MinnieはNaradaの引き継ぎ用です。空き容量が無くなって今年撮影分を保管できなかったJack分を、さっそくAniへコピー。Naradaはもう少し空き容量があるので、Minnieはしばらく待機です。 |
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↑アマゾンから送られて来た段ボール。 | ↑右側2つが今回買った外付けHD。上に乗っている白いスティックは、USBメモリ。 |
↑さっそく初期化して、名前を付けました。AniとMinnieです。 |
本日の一曲、「Gong/You can't kill me」。元祖ヒッピー、デイヴィッド・アレンのサウンド。サイケでロック、少しジャズ。 | ||
↓1996年6月8日に行なわれたゴングのライヴ。一番右がデイヴィッド・アレン。中央がジリ・スマイス。→デイヴィッド・アレンのポートレートは宿泊先だった六本木のホテルで撮影。1996年6月10日。 | ||
借りていた「奄美の100年」(郷土出版社)を、図書館に返却。巻末の参考文献に「奄美大島集落写真集」と言うタイトルが載っていたので、どんな本か見せていただいたら、県立図書館が昭和50〜55年に撮影したスナップをスクラップブックに貼ったものだった。 図書館の帰り、名瀬港をぐるっとまわって大熊漁港へ。残念ながらカツオのぼりは上がっておらず。木曜モッくんなのを思い出し、ダイエーで買物をして帰宅。 |
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←今日借りて来た本。「奄美・小宿集落誌/大津幸夫」(社会福祉法人 大津福祉会)、「大奄美史/昇 曙夢」(原書房)。 ↓朝の名瀬港@部屋の窓から。 |
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「奄美の100年」で一番驚いた写真が↓かも。今は地元の人が朝夕に犬の散歩で歩いている浜を、昔は新婚さんが大勢押し寄せていたという写真。何人かに聞いたら、その頃は貸しボート屋もあったそうだ。まだ朝仁トンネルができる前で、名瀬からタクシーやトラックに乗って赤崎山を越えていたという。 | ||
左 新婚さんでにぎわう朝仁海岸(名瀬市・昭和40年代後半) 日本が戦後の復興期から高度経済成長の時代に入り、そのピークを迎える昭和40年代になると、離島ブームが押し寄せた。温暖な気候と美しい海に囲まれた奄美群島は、本土からの新婚旅行のカップルで大にぎわいだった。(提供:名瀬市) 右 現在の朝仁海岸。今月の4日に撮影。 |
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左 朝仁トンネル開通(名瀬市・昭和49年7月) 昭和48年2月に長浜町公有水面埋め立てが完了し、市街地の居住環境が整備される契機となった。翌年7月、それまで山越えを余儀なくされていた朝仁・小宿への道程が朝仁トンネル開通によって平坦化され、密集市街地から朝仁方面への住宅地開発が一段と進むことになった。「朝仁隧道」は、当時の名瀬市長大津鐵治の揮亳。(提供:名瀬市) 右 現在の朝仁トンネル。2010年6月17日に撮影。長浜と朝仁を結ぶトンネル。写真は朝仁側から。 |
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左 自転車が行き交う古見本通り(名瀬市・昭和43年頃) 昭和40年代の名瀬市内の街並み。自動車は普及してはいたが、庶民のおもな交通手段は自転車やスクーターであった。家並みは木造トタン葺きが多く、現在のような高層住宅はみられない。のどかな雰囲気が感じられる。(提供:名瀬市) 右 現在の古見本通り。今月の4日に、県立図書館前の歩道橋から撮影。古見本通りは名瀬から小湊方面をつなぐ通り。なんだか昔の写真の方が活気があるように見えますね。 |
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19日の夜にアマゾンでポチッとした外付けハードディスクとUSBメモりは今頃どこ?と思って配送状況を調べてみる。鹿児島港から名瀬港に向かって、フェリーの中にいそうだ。 | ||
気温はそれほど上がらなかったが、快晴。 朝仁から小宿を通り、里を抜けて知名瀬トンネル。トンネルの先、道路に突き当たって右に曲がれば集落と海岸に出る。いつものサイクリングコース。今日は突き当たりを左に曲がり、金作原原生林の方角へひた走る。 |
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↑サイクリング中に発見した立て札。左から「チェンソー借用した人 至急返却して下さい 徳田」「銃猟は矢先の安全確認第一だ! 名瀬警察署 名瀬銃砲保安協会」「金作原原生林まであと5km」。 |
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↑知名瀬の山の方の風景。手前は果樹園、奥の山々は若葉に変わり山肌が明るくなっている。 |
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金作原原生林の5キロ手前で引き返して来て、またいつものコースで知名瀬集落から海岸、海岸沿いを走って根瀬部に行く。 根瀬部の海岸でゴロンと横になって、右前方の大浜海岸を眺める。今日は晴天、夕焼け見れるかも? 根瀬部から知名瀬、小宿と戻り、大浜海岸に続く山道を自転車を押しながら上る。 |
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大浜海岸の駐車場に着いたら、近くで双眼鏡を覗いていた男女が同時に歓声。 ←大浜海岸の駐車場から。左に、大和村の入り組んだ岬が見える。入り江の奥には海岸に面した集落があり、三方を山に囲まれている。 |
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山の中腹にある駐車場から歩いて海岸まで下りる。時間が経つにつれ、水平線に雲が多くなって来た。完璧な落陽は見れなかったけれど、それでもギリギリまでまん丸な太陽が、ゆっくり沈んで行くのが楽しめた。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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一日中、薄曇りのお天気。気温はそこそこあるが風は冷たくて、半袖のTシャツではちょっと肌寒く、薄手のパーカーを羽織ると少し暑い。パーカーを着たり脱いだりと忙しい。 | ||
降水確率が0だったので、午後から自転車でぶらぶら。 →は、家の向かいの電柱に取り付けられた海抜2メートルの表示板。この辺りは、もともと埋め立て地です。 |
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奄美文化センターの裏、名瀬港の先っぽの小さな浜の堤防でゴロンとしてから、朝仁海岸、小宿漁港と自転車を走らせる。 | ||
↑イソヒヨドリのオス。名瀬、ビックマリンの横にて。 |
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小宿集落を過ぎると里集落と福里集落に分かれる三叉路があり、間に大きなリュウキュウマツが立っている小さな山がある。 先日、県立図書館で小宿誌のようなものをパラパラと眺めていたら、この山の辺りは尾崎と言うそうで、ここに山の神様を祀った祠があると書いてあったので探してみた。この祠の由来など、その本に詳しく書いてあったか・・・明日辺り図書館に行って借りて来ようか。 |
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→尾崎の三本松。↓松の少し奥にあった、山の神様を祀った祠。 | ||
祠をお参りした後、里集落から福里、小宿、朝仁と戻って、スーパーで買物をして帰宅。 ↓写真はアダンの茂み。田中一村も好んで描いたアダン。熟れたパイナップルのようなオレンジの実が成るこの木は、奄美を代表する植物だと思うけれど、いざ写真にしようと思うと難しい。どういう風に撮っても既視感が付いてまわる。 |
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前日の昼過ぎから夕方にかけて飲んだ黒糖焼酎・じょうごが残っていて、身体が重い。一日寝ていたいが、バス一週間乗り放題のチケット最終日、カメラをバックに入れてバス停に向かう。 今回は瀬戸内町ばかり3日も行ったので、今日は名瀬の崎原(さきばる)へ。太平洋側に面していて、小湊と戸口の間です。 |
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市街地からバスに乗りループ橋を上がり、山田団地を通り、後は山の中をひた走る。 ←市街で見かけることはないが、少し外れた海岸や山では、今でもテル(籠)を担いだ人に会う。 |
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崎原の海岸へ行きたかったが、バス停から下の海岸まで歩くと20分程かかり、最終バスで帰れなくなるので諦めて、何軒かある家の横を歩いてみる。 バス停の前は崎原小中学校で、ホームページによれば平成22年度の生徒在籍数は小学生6名、中学生4名となっている。校舎は随分と立派なので、嘗ては子供たちがいっぱいいたんだろうが、見渡す集落の景色にその面影はまるでない。 バスの発車時間になり、バス停の少し先の広場で時間調整していたバスがやって来た。来る時は途中の山の中からおばさんが一人乗って来たけれど、帰りは自分一人。 来た時の道を辿って市街に戻る。朝日通りでバスを降り、自転車を停めておいた道の島本社まで歩き、部屋へ戻る。 まだ焼酎が抜けない。風呂を沸かし、熱い湯に浸かって少しさっぱりとする。 |
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一昨年の暮れから昨年の春にかけて加計呂麻島の集落を巡り、バス路線のない知之浦集落以外は写真を撮って歩いた。 |
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↑三浦から知之浦にかけて、何カ所かで真珠の養殖が行なわれていた。 ←集落の中心にあるムリヤマから眺める、集落と入り江。 |
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平成20年4月末のデータでは、知之浦の世帯数8、人口16人となっているが、集落でお会いした女性と話していたら昨年、今年と亡くなられた方がいるようで、もう少し人口は少なくなっている。 |
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加那がなくなったので、日曜日に買っておいた珊瑚の封を開ける。 |
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道の島バス本社を12時21分出発のバスで、古仁屋に。古仁屋港14時発のフェリー加計呂麻で、瀬相港へ。 瀬相集落と瀬相権現神社を撮影してから、歩いて於斉集落へ向かう。 集落の外れで「旧鎮西村役場跡地」と彫られた、石碑を発見。石碑があるだけで、まわりは何もない原っぱですが(汗)。 海岸の方に歩いて行くと、ガジュマルの巨木。話には聞いていましたが、ガジュマルの近くにあったデイゴの木は伐採されていました。 |
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↑山の中や麓にある場合が多いのに、海岸と集落の間にある、於斉のガジュマル。気根の張り出し具合、絡まり具合が見事な巨木です。 ↓以前はガジュマルの手前左右にデイゴの木があったが、デイゴヒメコバチにやられ切り倒されてしまった。 |
→加計呂麻バスの運転手さんに教えていただいた、集落内を通っていた嘗てのカミミチ(神道)。今は普通の空き地になっていて、言われなければ気付かない。 ↓於斉集落の海岸の端っこに転がっている、戦時中の電話ボックス。 |
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集落の中を撮影しながら歩いていると、何回か顔をお見かけした加計呂麻バスの運転手さんとばったり。於斉にお住まいだとか。昔のカミミチや、戦時中の電話ボックの転がっている海岸を案内していただく。 最近、加計呂麻島を観光するツアーが多いようです。今日も加計呂麻バスを2台借り切って、於斉のガジュマルを見学しているツアーがありました。 |
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於斉から瀬相に戻り、瀬相港を18時5分のフェリーで古仁屋港へ。海の駅を18時35分発のバスで、名瀬へと帰る。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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午後1時45分から名瀬聖心教会で開催される、「さよなら原発!3.11奄美地区集会」に参加。 |
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↑一年前この海岸でアオサを摘んでいた時、津波注意報を知らせる市役所からのエリアメールが届いた。 |
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↑今日は、曇りで風の強い一日だった。ふと雲が切れて、まん丸な夕日が現われた。 | ||
←↑渋さ知らズ@寿町フリーコンサート。2002年8月12日に撮影。 失われた魂の鎮魂へ、大災害をもたらして尚、反省のない愚か者への怒りの発露として今日の一曲、「渋さ知らズ/本田工務店のテーマ Part1」「Part2」。 |
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昨年の暮れからパッとしない天気が続き、道の島バスの一週間乗り放題チケットを使う機会がなかったけれど、週間天気予報では来週は少し晴れ間もありそうなので久しぶりにチケットを購入。 初日の今日は、バス本社前を9時21分発の古仁屋行きに乗り、くろまぐろ祭りの開催される終点「海の駅」へ。 会場に行くと、すぐにクロマグロ解体ショーの実演が始まった。解体が終わったところで、中落ちが見物客に振る舞われた。一ついただきましたが、甘みがあって美味しかった。 |
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←古仁屋の海の駅で開催されたクロマグロ祭り。11時からの解体ショーは、始まる前から盛況で予定より少し早くスタート。 ↓古仁屋に寄港した「飛鳥II」。大きすぎて岸壁に着かず、沖で停留。 |
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海の駅の前では黒糖作りの実演が行なわれていて、これも完成品を一ついただきました。 今回のクロマグロ祭りは、日本一の客船「飛鳥II」の古仁屋港への寄港に合わせたものだと思うが、船が大きすぎて岸壁に着けられず沖に停留。乗客の方々は艀で港にピストン運送されていたようだ。 この後久しぶりに加計呂麻島に渡って、於斉のガジュマルを見に行くか、唯一行っていない集落・知ノ浦を歩いてみようかと思っていたけれど、フェリーの発車まで時間があるのと、小雨まじりで寒いので断念。 名瀬行きのバスに乗り、マングローブ原生林で下車し、しばらくマングローグの周りを探索してから西仲間まで歩く。西仲間集落を少し散歩してから、再び名瀬行きのバスに乗って帰宅。 |
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本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
昨晩から激しい雨。隣と向かい同時のダブル・リフォーム工事の騒音にめげそうになりながら、午前中からパソコンさばくり。 少しですが、本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑海が少し茶色くて、波も高い。垂れ込めた雲と相まって、なんだか日本海のようだ。朝仁海岸は東シナ海側なので、日本海と海続きだから当たり前なのかな。 | ||
今日の一曲、「Elvis Costello& Burt Bacharach/God Give Me Strength」。なんて贅沢な音楽だろうか。 ←エルヴィス・コステロ。1998年8月3日、レコード会社の応接室で撮影。 |
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今日の最低気温21℃、最高気温26℃。初夏のような陽気ですが、風はやや強し。 ベランダの窓を開けると、観光バースに客船が。先日は「ぱしふぃっく びーなす」でしたが、今日は「にっぽん丸」が寄港しているようです。 相変わらず隣の部屋から”ガガガガガ”とリフォーム工事の音。天気も良いのでパンと水筒、読みかけの本を持って名瀬港の先っぽの方にある海岸へ。堤防の上にゴロンと横になって本を読んでいたら、あまりに気持よくて暫くウトウトと寝てしまった。 |
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5時頃になって、港の方がなにやら騒がしい。にっぽん丸の出港のようだ。名瀬港の先っぽの方から、にっぽん丸が港を出て立神灯台をまわる様子を眺めて、見送った。 今日は良い感じに空が焼けそうな気がしたので、自転車で朝仁海岸へまわる。なかなか微妙な夕焼けでした。 |
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←名瀬の立神灯台と、にっぽん丸。 ↓バッタらしき昆虫をくわえている、イソヒヨドリのオス。 |
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今日の一曲、「朝崎郁恵/よいすら節」。好きなシマ唄の一つです。 | ||
船(ふねぃ)の高艫(たかどぅも)にヨイスラ 居(い)ちゅる白鳥(しりゅどぅり)ぐゎ スラヨイ スラヨイ 白鳥(しりゅどぅり)やあらぬ ヨイスラ うなり神(かみ)がなし スラヨイ スラヨイ 高い船尾に白い海鳥がとまっている。あの鳥はただの海鳥ではなく、白鳥に化身したウナリ神様だ。という意味だそうです。奄美には姉妹(ウナリ)が、兄弟(イヒリ)を守るウナリ神信仰がある。そしてウナリ神は、航海安全の守護神でもあるそうです。 |
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午前中はそこそこお天気はよかったものの、午後からは霧雨が降ったり止んだり。 |
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→高千穂神社入口近くにある大木。下の方にうつほ(空洞)があり、その中に小さな祠が祀ってあった。境内を掃除している方がいらしたので、何が祀られているのかお聞きしたところ、意外な答えが(笑)。 ↓こんなところで寝なくても@伊根町のアパート。 |
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→緋寒桜の濃いピンクを見慣れた眼に、淡い花びらの桜は清々しい。同じ画面に海藻のようなオオタニワタリが存在しているのが、奄美ならでは(笑)。なんだか幻想的で美しい。高千穂神社にて。 ↓「奄美の100年」(郷土出版社)に、昔の高千穂神社の写真が掲載されていたので比較してみました。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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高千穂神社から入舟町のグリーンストアー、平田町のニシムタ、タイヨーで買物をして帰宅。 今日の一曲、「Dr.John/IKO IKO」。先日のアラン・トゥーサンに続いて、ニューオリンズもの。 |
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→ドクター・ジョン。1992年4月に撮影。↓ライヴは1987年7月に撮影。ギターを弾いているドクターwithネヴィル・ブラザーズ@インクスティク芝浦。 | ||
リフォーム工事が向かいの部屋から隣の部屋に移って来たようで、騒音がはんぱない;(´Д`)。居たたまれず、午後からサイクリングに出掛ける。 |
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↑観光バースに寄港している「ぱしふぃっく びいなす」。 | ↑明日、卒業式と閉校式を行う浦上にある大島工業高校。 | ↑一昨年の暴雨災害以来、復旧工事をしていた本茶トンネルと中勝集落の間の現場。 |
大勝に入ってサトウキビ畑の中の道を進むと川が見えた。近くには牛舎が建っている。昨年9月の奄美北部豪雨で、増水した川に流されて戸口の港から小湊港まで泳いだという牛を飼っている牛舎だろうか? この氾濫した大美川の上流へ自転車を走らせる。橋が流され、コンクリートの堤防が剥がされ、凄まじかった豪雨の爪痕がまだくっきりと残っている。 ずいぶん山の方に入って、河川工事で行き止まりになっている場所まで行って引き返して来た。 |
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↓道端に打ち捨てられたバスには、IWASAKI BUSのロゴ。奄美大島を走るバスはちょっと複雑だ。南部の瀬戸内町は瀬戸内バス、加計呂麻島は加計呂麻バスが運行しており、それ以外の区間は現在、道の島バスが走っている。しかし、以前は奄美交通も路線バスを運行していた。2004年頃から岩崎バス(現、道の島バス)と路線競合の問題が発生し、2008年に奄美交通が全事業権を道の島交通に譲渡することで解決した。ちなみに道の島バスは、1941年に岩崎自動車商会として創業し、1990年頃に社名を岩崎バスと改め、2004年12月に現在の道の島交通に変更している。一方奄美交通の方は、いわさきグループに所属しており1950年に奄美陸運として設立し、1954年に路線営業を開始し、1955年に奄美交通に商号変更。1992年には名瀬市内で競合していた林バス産業を吸収している。奄美交通はいわさきグループで、道の島バスの嘗ての名前は岩崎バス。なんだか頭の中がごちゃごちゃになります(笑)。 | ||
→道の島バスに変わっても、昔のままのバス停もよく見る。時刻表には平日朝7:50が一本だけ。 | ||
龍郷湾まで行く予定だったけれど、寄り道にすっかり時間が取られた。大勝集落の中をぶらぶらしてから、名瀬へと帰る。 山羊島に着いたのが夕方6時頃。ちょうど「ぱしふぃっく びいなす」が岸壁を離れるところだった。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑タグボートに誘導されるように、名瀬港を出て行く「ぱしふぃっく びいなす」。巨体な分、タグボートに比べて随分と大回りになるようだ。山羊島の方から、小さくなるまで見送った。良い旅を。 | ||
2月へ |