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○2月4日(土)〜2月12日(日) 2012AMAMI市美展/奄美文化センター 一般200円(高校生以下無料)
○2月4日(土)〜2月26日(日) あまみシマ博覧会
○2月5日(日) 古田町マリア教会 バザー
○2月12日(日) 幸せの経済学 in 奄美/名瀬公民館ホール 昼の部13:30〜、夜の部19:00〜
○2月15日(水) 本の返却期限
○2月19日(日) 群島鳥類研究会水鳥調査 大瀬海岸/11時〜(9時45分に1階)
○2月26日(日) 龍郷町の円古道を今歩こう/8時20分、長浜緑地公園集合 会員2000円、一般2500円
○3月9日(金) 本の返却期限

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2012年(平成24年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦1月23日(月)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(月)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(土)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月7日(火)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦3月24日(土)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月24日(日)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月24日(金)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月30日(木)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦9月1日(土)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月23日(日)
○アラセツ(※2):旧暦8月7日→新暦9月22日(土)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月30日(日)
○シバサシ:旧暦8月13日→新暦9月28日(金)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月23日(火)

※1‥以前は旧暦の1月2に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[
ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定)、佐仁の八月踊り:笠利町佐仁  等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。(地域・集落によって多少日程が異なる場合もあります。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○Shinya Fujiwara official site Talk&Diary http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima
2月29日(水)
 閏年の朝、東京は積雪があったようですね。奄美は昨夜の大雨が上がり、暖かな朝。大和村の方では、大雨の影響で一カ所土砂崩れがあったようだ。
 魚コロッケが食べたくなって、午前中から名瀬港をくるっと回って大熊漁港へ。直売所で揚げてあるコロッケを購入。帰り道、ダイエーに寄ってバンズ、キャベツ、タマネギ他を買い、魚コロッケバーガーを作る。
魚コロッケ
←コロッケというよりは、食感がメンチカツ風です。

→バンズにキャベツ、魚コロッケ、スライスオニオンを挟んでバーガーの出来上がり。
魚コロッケバーガー
 天気が悪かったのもあって昨日、一昨日と部屋に引きこもっていたので、午後から赤崎山へ散歩に。途中の三叉路まで上ったら、朝仁海岸の方へ降りて帰って来ようと思いながら歩いていたら、ぷぷ〜とクラクション。振り返ると名瀬ゴルフクラブの松元さん。
 雨の降った次の日は、イノシシにグリーンが荒らされるので点検に行くとのこと。せっかくなので見せてもらいに行く。
 ゴルフ場はイノシシの被害で、昨年暮れから休業中です。
ゴルフ場01
ゴルフ場

↑ゴルフ場の奥、ヒカゲヘゴが何本も植わっていて、ちょっとジャングルの趣。
←茶色くなっているところが、イノシシに掘り返されたところ。奄美でゴルフ場を経営するのは、イノシシとの戦いだな〜。

 思っていたほどの被害ではなかったようで、三叉路まで車で送ってもらう。車に乗せてもらったので、運動量を増やすため朝仁方面へ下りる前に赤崎公園まで上ることにする。
 急勾配の道を歩き、公園の奥にある展望台へ。

 一昨年、この展望台にペルー人の男性が住んでいた。
 名瀬に来てしばらくした7月半ば、この展望台に夕焼けを撮影しに来た。日が暮れて撮影を始めるまでの時間、少し彼と話をした。
 ペルーから働きに来て、日本の地方都市を何カ所かまわって、少し前に奄美大島にやって来た。もう日本に来て年月がたつのか日本語はとても流暢だった。最初は龍郷の自然観察の森で暮らしていたらしいが、その後ここにやって来たという。
 彼は展望台の机の上にノートを広げて何か勉強している風だった。何の勉強?と尋ねると純正律だという。見せてもらったノートには計算式と音符が書かれていた。話し方が流暢なだけでなく、書かれた日本語の字もきれいだった。
 展望台は屋根こそあるが壁はないので、暴風雨の時は寝ている間にびっしょりになったという。イノシシにもハブにも遭遇したらしい。
 右手から朝日が昇り、左手に夕日が沈んでいく様を眺め、昼間はテーブルにノートを広げて純正律の勉強をしながら展望台で暮らしていた。

 次に彼と会ったのは8月の末だった。観察会帰りに長浜公園を歩いていたら、ベンチにポツンと座っている。赤崎公園を利用している人から管理事務所に、展望台に住んでいる人がいると通報があり、出なくてはいけなくなったそうだ。それで山から下りて来て、港近くの公園に寝場所を探したようだ。
 彼は、奄美で農業をやって生活したいと話していた。畑さえあれば野菜を作って暮らしていける。
 名瀬で部屋を借りて住んでいるけれど、自分自身がまだ島に着いたばかりの旅人で、力になってあげられることが見つからなかった。
 買物で山から下りた時に、市街地にあるアイアイ広場で時々無料で使えるパソコンを借りていると聞いたので、瀬戸内町のホームページに5000円で借りられる家が載っていたことを伝えて別れた。

 次に会ったのは、10月になってからだろうか。久しぶりに赤崎公園の展望台へ夕焼けの写真を撮りに行ったら、山を下りたはずの彼が、また壁のない小屋のような展望台でノートを広げていた。
 やっぱりここがいいと、直ぐに戻って来ていたようだ。バックの中に、買ったはいいけれど好きな味ではなかった飴が一袋入っていたので、食べてもらう。すると公園によく来る人がお弁当を2つ持って来てくれたようで、一つ食べないかとすすめられた。世界一心苦しくなるような、そんなお弁当は食べられない。
 家に帰ればご飯があるから、と気持だけいただいて丁寧にお断りして帰って来た。

 それからしばらくして奄美大島の豪雨災害があり、バタバタしているうちに赤崎公園へはご無沙汰になった。ずいぶん経って久しぶりに展望台に行ったが、彼の姿はなかった。その後も何回か撮影に行っているが、もう見かけることはない。
 
 どうしているだろうか、と時々思い出す。うまく畑と家を借りられたならいいけれど。
 それにしても、公園とは言え山の上で街灯もほとんどなく、夜になれば鳥と虫の声しか聞こえず、イノシシが走り回る。異国のそんな場所で、よく寝泊まりしていたなと思う。たくましいな〜と思う。
 いろんな人がいて、いろんな生活が日々行なわれている。
 大変なことは山のようにあるけれど、世界は広くて、だから面白い。

ハングライダー01
←↓赤崎公園の展望台から。パラグライダーが二機、優雅に海の上を旋回している。
 赤崎山から飛んで、朝仁海岸に着地するんだろうか?
ハングライダー02

 公園から三叉路に戻り、朝仁方面へ。朝仁海岸を歩いて、スーパーで買物をして帰宅。2時頃にスタートした散歩、帰ったら6時ちょっと前だった。山を一つ越えると、時間かかりますね。

 散歩に出る前、家賃を払いに行ったついでに向かいの部屋のリフォームについて聞いてみた。もう一週間が過ぎたが、大々的に改装するらしく、あと10日間ほどかかるらしい。おまけに向かいの部屋だけではなく、隣の部屋が空いたらしく一緒にリフォームを始めたようで、二重奏だ。どうりで五月蝿いわけだ・・・orz。

2月28日(火)
 雨だけなら傘をさして、風だけなら一枚服を多く羽織ればなんとか凌げるが、ダブルで来られると手も足も出ない・・・orz。
 少々の雨なら散歩に行こうと思っていたけれど、大雨雷強風波浪洪水注意報が発令。降参です。

→土砂降りの名瀬港。

 ホームページを開設して、来月の3日で丸9年になります。
 雨で外に出られないので部屋でパソコンさばくり。長年親しんで来たトップ画面を少しリニューアルしてみました。
 こんな感じです

土砂降りの名瀬港
今までのホームページのトップ画面

 
←これまでのトップ画面。シンプルで、今でも気に入っています。

↓今日作った新しいトップ画面。真ん中のカラー写真を、気が向いた時に入れ替えていこうかと思っています。

今日作ったトップ画面
 今日の一曲、「Allen Toussaint/Southern Nights」。美しい。
↓→アラン・トゥーサンの来日コンサート。1988年7月20日に撮影。
アラン・トゥーサンのライヴ02
アラン・トゥーサンのライヴ01
2月26日(日)

 今日は、奄美の自然を考える会の観察会。
 朝5時に起きて卵焼きを作り、オニギリを3つ握る。1つは朝飯がわりに食べ、一昨日大熊漁港で買った魚の天ぷらと、昨日届いた漬け物を卵焼きと一緒にプラ容器に詰める。これで今日の観察会用のお弁当が完成。

 8時20分に長浜緑地公園に集合。今回は長雲峠から円集落まで続く旧道を歩きながらの観察がメイン。道路整備のために、今後この古道が舗装されてしまうということで、その前に歩いてみようという企画です。
 長雲峠の前に、昨年も観察した大勝集落の絶滅危惧種のオキチモズクを見に行く。昨年の2月に見た時はけっこう大きかったのに、今年はまだ小さいですね。
 途中、本龍郷でトイレ休憩をして長雲峠に着いたのは10時。ここでバスを降りて円集落まで草花を観察しながら歩きます。
 この古道で観察できるもののリストをいただいたので抜粋すると、
<哺乳類>オリイコキガシラコウモリ、ケナガネズミ、アマミノクロウサギ、リュウキュウイノシシ。
<両生類>リュウキュウアカガエル、アマミイシカワガエル、オットンガエル。
<爬虫類>オキナワキノボリトカゲ、バーバートカゲ。
<植物>カンアオイ属、アマミザンショウ、ハシカンボク、リュウキュウハナイカダ、シマギンレイカ、リュウキュウスズカケ、オキナワテイショウソウ、ツルラン、カゴメラン、フウラン、ナゴラン。
<他>オキナワウラジロガシ、ヤエヤマネコノチチ、オオシマウツギ、オオシマコバンノキ、シマオオタニワタリ、タンゲブ。
 今回は、アカガエルのオタマジャクシを水たまりで、アマミノクロウサギの糞を林の中で見つけました。
 
 1時間ほどの予定でしたが、寄り道が多かったからか円集落まで2時間半かかりました(笑)。進行表では円古道から嘉渡海岸に行ってからお昼ご飯でしたが、時間がなくなって円の海岸沿いにバスを停めて車内で食事。
 食べ終わってから奄美大島の田袋、秋名集落の田んぼで鳥の観察をして名瀬に戻って来ました。
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

オキナワウラジロガシ
円集落の古道

↑オオタニワタリやシダが着生してジャングルの様になっている、オキナワウラジロガシの巨木。下の方に立派な板根が見える。

←時折小雨が降る中、円集落に続く古道を観察しながら歩く。
 奄美大島も加計呂麻島も山が多いのでアップダウンが激しく、右に左に大きく道は曲がっている。それでも舗装率は高く、実は砂利道が凄く少なくなってしまっている。
 せっかく残っている未舗装の道を整備してしまうのは、もったいない。

 今日の一曲は、新世代ファドの女王ドゥルス・ポンテス。「Canção do Mar」。力強い歌声に圧倒されます。
ドゥルス・ポンテス
ライヴ01

↑ドゥルス・ポンテス。ポートレートは、2000年5月18日に撮影。

←↓ライヴは、2000年5月20日に撮影。
 
ライヴ02
 少しですが、ここにファドを生んだポルトガルの写真があります。
2月25日(土)
 いつもよりちょっと早く起きたので、窓を開けて外を眺めると丁度フェリーが入港するところだった。
 お昼前に、ゆうパックで漬け物が届く。ひょっとしたら、今朝見たフェリーに乗って来たのかな?
フェリーの入港
←↓早朝に入港してきたフェリー。鹿児島からのフェリーだと思う。今日届いた漬け物は、この船で来たのかもしれないな。
フェリーの荷物

 「奄美の100年」を見ていると、奉安殿の写真や文章が載っている。奉安殿とは天皇・皇后の写真と、教育勅語を納めていた建物。実はつい最近まで言葉自体も知らなかったのですが、先月の紅葉観察で大和村へ行った時に、今里小中学校の裏手に奉安殿があり、どういうものかを教えてもらった。

今里の奉安殿
奉安殿の案内板

←↑今里小中学校の奉安殿。

 奄美市指定文化財(旧名瀬市分)のリストを見ると、瀬戸内町の方に多く登録有形文化財として奉安殿が残されているようです。

 「奄美100年」から、奉安殿に触れた文章を抜粋させていただくと、
「一、昭和初期のふるさと点描 人びとの暮らしと伝統的な祭り」から
〜略〜
 昭和二年(一九二九)、のどかな奄美の島々を揺るがす大きな出来事があった。それは昭和天皇の奄美行幸である。当時は「現人神」(あらひとがみ)と呼ばれた天皇の行幸とあって、人びとは感激した。そしてその後、各学校には奉安殿が造られて天皇の写真と教育勅語が納められ、忠君愛国の思想が学校教育の場で称揚されるようになった。また、「昭和一新会」という精神振興組織が生まれ、「奄美大島振興の歌」が歌われ、島々には天皇中心の社会風潮がみなぎるようになった。
 やがて昭和一二年には日中戦争が勃発、当地域もしだいに戦時体制の中へ組み込まれていった。<松山光秀>

「三、戦前・戦中の学校教育 戦時体制一色の生活」から
〜略〜
 突然空襲警報が鳴り、奉安殿の御真影と教育勅語を防空壕に安置することもあった。戦局は悪化するばかりで、太平洋の島々は次々と玉砕していった。奄美大島では公務員に「戦時手当」が支給されたが買おうにも物品がなく、これを職員たちは「玉砕手当」と呼んでいた。筆者の家では妹と母が鹿児島に疎開していたが、半年も通信・交通が途絶え、学費も送金できないありさまであった。学童の各避難小屋での生活が続くなか、昭和二〇年四月には米軍が沖縄へ上陸、たび重なる空襲で生活は貧苦をきわめた。学業はまったくできず、食糧増産と壕掘りに明け暮れる毎日であった。同年の卒業生は卒業写真もなく、卒業式さえ行なえなかった。<日高キミ>

亀津小学校の奉安殿
名瀬の奉安殿

戦前の小学校の卒業式(徳之島町・昭和初期) 昭和初期の亀津小学校の卒業式のようす。北側の台地の上から写したもの。児童の多くは着物姿で、男の先生は背広、女の先生は紋付袴を着けている。奉安殿の前で校長先生が威儀を正して教育勅語を読んでいる。当時の小学校には奉安殿があり、中には天皇・皇后の写真と教育勅語が納められていた。(提供:藤田写真館)

右の写真は、左の写真の奉安殿の部分を大きくしてみました。

奉安殿のある名瀬尋常高等小学校(名瀬市・昭和16年) 現在の名瀬小学校は、明治5年、奄美ではもっとも早く名瀬郷校として設立された。その後、幾度かの校名変更後、昭和6年に名瀬尋常高等小学校となったが、同20年に一部を残して空襲によって焼失した。後方左の堅固な建物は奉安殿。当時の校長は園茂助であった。(提供:三昌亭)

 本に掲載されている他の写真を見ても、学校での記念写真を奉安殿の前で撮ることが多かったようだ。「奉安殿は、当時の日本人の心の支えであった」というキャプションもみられる。

2月24日(金)
 奄美の緋寒桜はほとんどが葉桜になってしまったけれど、スーパーに行ったら、さくら餅がおいてあった。あんこはあまり好きじゃないんだけれど、塩漬けにした葉っぱの香りに釣られて買ってしまった。
さくら餅
シビとアボガド
↑久しぶりに晩ご飯はシビ(キハダマグロの幼魚)の刺身。身はあっさりしているので、アボガドと一緒の方が美味しいように思う。
 ところでキミは、どこを回遊しているんだろうか?と刺身に確かめてみたい今日この頃。
 今日の一曲、「The Dramatics /In The Rain」。40年以上も前の曲?今聴いても、全然古くない。アレンジもカッコいい。
 名瀬も夜になって小雨が降って来た。明日は、曇り時々雨の予報。
→ザ・ドラマティックス。1987年12月18日に撮影。↓1994年12月22日に撮影。
ドラマティックスのポートレート
ドラマティックスのライヴ
2月22日(水)
 今日も朝から”ガガガガガ”と、向かいの部屋の改装工事・・・orz。
 騒音にめげず、部屋でパソコンさばくり。午後も少し遅くなって一段落ついたので、自転車で名瀬港のまわりをブラブラ。文化センターの先、名瀬港入口の小さな浜に行くと、ちょうど立神灯台に陽が当たっていた。
名瀬の立神灯台

 図書館で借りて来た「奄美の100年」に名瀬にあった闘牛場の写真が掲載されていた。
 かつて名瀬でも闘牛が行なわれていたのは文献で知っていたけれど、こうして写真で見るのは初めて。
 他にも、大正から昭和にかけての奄美群島の様子がわかる写真が多数載せられている。
 これらは町の写真館の方、市井の方々が撮影されたのだと思われるが、今となっては貴重なものばかり。パラパラと眺めながら、写真の持つ記録性の素晴らしさをあらためて認識する。

↓左 御殿浜の闘牛場(名瀬市・大正時代) 闘牛は徳之島が本場であるが、昭和20年代まで名瀬市でも年に数回開かれていた。円形の闘牛場いっぱいに観衆が詰めかけている。後方は当時の名瀬市街地。(『県立大島高等学校創立百周年記念誌』より)
 右 小浜町のダイエー屋上から。写真中央の広場は、御殿浜公園。2012年2月21日撮影。
名瀬の闘牛場
↓左 御殿浜(うどん浜)(名瀬市・大正末期) 現在の小浜町。今は埋め立てられて商業地帯となっているが、戦後までは浜下りの行事や闘牛、運動会などがここで行なわれていた。写真中央に3本伸びているのはリュウゼツラン。(提供:指宿良彦氏)
 右 名瀬港が埋め立てられ、小浜町、佐大熊の団地が作られたのがわかる。手前の道路は海中道路(名瀬大橋)。2012年2月21日撮影。
御殿浜

 「高浜3号定検で停止 全国残り2基」。定期検査のため20日から出力を下げていた高浜原発3号機は、昨日の未明に原子炉を停止。これで関西電力の保有する11基の原発は、全て停止したことになる。
 関西電力は、半分近くを原子力発電で賄っていたと言うが、その原発が全停止になっても目立ったトラブルは起きていない。脱原発を唱えるなら原発に変わる代替エネルギー案を示せと言うが、今の関電の状況は脱原発と同じ状態。となれば、代替案もなにも原発がなくても電力はなんとか足りている。
 これで、国内で稼働しているのは北海道電力の泊原発3号機と東京電力の柏崎刈羽原発6号機の2基だけとなった。この2基も定期点検のため4月下旬には停止する。そうなれば国内で稼働している原発はゼロになる。この際せっかく原発が稼働していない状態を体験できるのだから、今後のエネルギー政策や原発の在り方を国全体で考える良い機会にすればと思うのだが、どうも政府はそうしたくないようだ。
 「大飯ストレステスト妥当に、専門委員が抗議」「班目発言 火消しに躍起」。政府は、なんとしても稼働している原発がゼロの状況にはしたくないらしい。再稼働に向けてなり振り構わずだろうか。

 アメリカの原子力規制委員会は、福島第一の事故発生後から10日間にわたるやり取りを記録した3000ページの議事録を公表。それによると5日後に「炉心溶融も NRC、最悪事態を想定」。
 一方当事者の日本では「メルトダウン隠されていた 馬淵澄夫元首相補佐官が発言」。おまけに議事録も作っていなかった。そもそもこんな電力会社と国に原子力を扱う資格はあるんだろうか?
 ところで東電は、未だに福島の事故は津波によるもので地震の影響はないと言っているが、これに対しての馬淵氏の意見を聞いてみたい。

 今日の一曲、「Nirvana/All Apologies」。
↓→1992年2月19日@中野サンプラザで撮影。最初で最後の来日公演。このライヴから、20年が経った。
ニルヴァーナ02
ニルヴァーナ01
2月21日(火)
 何日か前から無性にホットドックが食べたくて、昨日材料を買って来た。さっそく今日のお昼に作り、3つ食べる。
 今日は部屋でパソコンさばくりをしようと思っていたら、向かいの空き部屋のリフォームが始まったようで、朝から”ガガガガガ”とうるさい。
 居たたまれなくなって、午後から天気も良いことだしサイクリングに出掛ける。
青空
ホットドック

↑炒めたキャベツとソーセージ、トマト、ゆで卵を挟みケチャップをかけてトースト。仕上がりにスライスオニオンをトッピング。
←海中道路から。空が青いと南島らしくなりますね(*´д`*)。

 名瀬港をくるっとまわって、山羊島から鳩浜、浦上へ。カトリック浦上教会の建物を撮っていたら、通りがかった教会の方が中へ入ってもかまいませんよと声を掛けて下さる。お言葉に甘えて、誰もいない聖堂を少し撮影させてもらう。
↓→カトリック浦上教会(ルルドの聖マリア)。1984年に建てられた現在の聖堂は、3代目となるようだ。
カトリック浦上教会入口の像
カトリック浦上教会の聖堂
 浦上教会から有盛神社、少し戻って大熊漁港から大熊教会へ行き、名瀬に戻る。
クバの葉
新川の鯉

↑有盛神社の参道にて、クバ(ビロウ)の葉。
←新川にいる錦鯉。けっこう河口の方で泳いでいるので、塩っぱくないんだろうかと心配になる。

 新川沿いを少し上って安勝をブラブラした後、また名瀬港をぐるっとまわって長浜から朝仁へ。朝仁のスーパーで今年最初のアイスクリームを購入して、食べながら家へ帰る。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

 今日の一曲、「Ben E. King /Stand By Me」。→BenE.King。↓大木トオル with BenE.King。ともに1987年9月に撮影。
Ben・E・King
大木トオル with Ben・E・King
2月19日(日)

 群島鳥類研究会の水鳥調査に初参加。朝10時頃に家の前で拾ってもらって、笠利町にある大瀬海岸へ。ここは野鳥の観察スポットとして知られているところ。
 会員の方々が望遠鏡で鳥の数を数えている間、私は海岸をウロウロしながら撮影。レンズは18〜250mm。APS-Cで望遠側が250mmなら35mm換算で300mmを越えるのですが、野鳥を撮るには足りないですね。たぶん400mmや600mmにテレコンを付けないと野鳥のアップは難しいのか?
 1時間ほど観察した後、近くのレストランでランチ。連れて来てもらったのに、キビナゴのフライ定食までご馳走になる。ありがとうございます(*´д`*)。

大瀬海岸
カルガモ
↑バードウオッチングのスポットとして知られる、大瀬海岸。たまにはモノクロにしてみました。

←飛んでいるのはカルガモです。

↓大瀬海岸と土盛海岸の間にあるレストランでお昼ご飯。キビナゴのフライ定食。ご馳走さまでした。
キビナゴのフライ定食

 帰りは須野ダムで野鳥の観察をして、節田の奄美姑神社、ばしゃ山村の与湾大親の墓碑を見て名瀬へと戻る。同行した3才の女のコがトトロの歌、ポニョの歌と一緒に仕事唄「イト」を車内で披露してくれた。さすが奄美大島(*´д`*)。
 奄美姑神社は島建てにまつわる神社。与湾大親の墓碑は、確か湯湾岳山頂の神社にも祀られていたと思うが、その辺りの事を昇 曙夢の「大奄美史」で調べてみようかな。
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

 今日の一曲、「10 CC /I'm Not In Love」。

須野ダムで記念写真
奄美姑神社
与湾大親の墓碑
↑須野ダムでも鳥の観察を行ない、記念写真。 ↑奄美姑(あまみこ)神社。阿摩弥姑神社とも書いてある。 ↑ばしゃ山村にある、与湾大親(ゆわんうふや)の墓碑。
2月17日(金)
 また強烈な寒波が日本列島を襲っているようですね。名瀬も、今日はちょっと寒い。
 昨日作成した確定申告の書類をもって郵便局に行き、朱肉を借りて印鑑を押し、封をして郵送。郵便局から図書館へ行き、今日は3冊借りて来た。
借りて来た本

←「◎写真が語る激動のふるさと一世紀 目で見る奄美の100年 名瀬市・大島郡」(郷土出版社)、「復帰20周年記念出版 こだわりの眼 写真で考える沖縄戦後史」(沖縄タイムス社)、「奄美 神々とともに暮らす島/濱田 康作」(毎日新聞社)。

 ブタバラのブロックを買ってきたので、明日はこれを使ってポークカレーを作ろう。

 今日の一曲、「Ani DiFranco /Subdivision」。

 夜、テレビで映画「アバター」を観る。
 ケナガネズミやイボイモリといった小動物の目線から奄美の森を見ると、アバターの舞台である神秘の星・パンドラの世界が広がっているのかも知れないと思う。モダマの太い蔓は森を渡る大きな橋、気根を縦横無尽に伸ばした巨大なガジュマルはホームツリーの貫禄がある。枝に着生したオオタニワタリは空中に浮かぶ岩山の趣だ。
手久津久集落のガジュマル
↑ホームツリーの貫禄がある喜界島・手久津久集落のガジュマル。↓モダマの巨大な蔓。→枝に着生したオオタニワタリは空中楼閣のようだ。
着生したオオタニワタリ
モダマの蔓
2月16日(木)
 昨日からお天気は崩れて、また曇りと雨が続いている。
確定申告用紙

 今日は一日部屋に居て、確定申告の書類を作成。
 領収書の整理はしてあったのと、源泉徴収書も少ないので、書き終えた。後は印鑑を押して税務署に送るだけ。
 朱肉がないので、郵送する時に郵便局で貸してもらおう。
 天気予報では、今日の最高気温は17℃。日中は一枚服を多く羽織って、夜は暖房のスイッチを押した。
 明日はグッと下がって、最高気温が14℃。ちょっと寒そうだな。

 今日の一曲、「Ani DiFranco/ Imagine that」。暖まります。

2月14日(火)

 昨日、懸案だったタンカンさばくりを片付けて、ようやくホッとしました(*´д`*)。
 昨年5月の台風と秋の豪雨で、今年はタンカンの収穫量が少ないらしい。2月の初めにタンカンのハサミ入れ式が行なわれて、その後各お店の店頭に一斉に積み上げられるのだが、今年はちょっと寂しいですね。先月の極端な日照不足も影響しているのかもしれない。
 数が少ない分一つ一つに栄養が行き渡って美味しいタンカンになったという話も聞くし、すでに美味しいタンカンはカラスとイノシシに食べられたという噂もある ・・・orz。
 まあ、つまみ食いした感じでは、昨年と同様美味しいタンカンになっていると思います(*´д`*)。

 今日は、朝から快晴。お昼ご飯を食べてから、軽くサイクリングに。そろそろスモモの花が咲く時期なので、里集落のスモモ畑を見に行き、それから定番コースの知名瀬、根瀬部海岸を走る。

スモモ畑
←白い花が咲き始めた、里集落のスモモ畑。

↓クレソンの下でひっくり返って、橙色の腹を見せているアマミシリケンイモリ。
アマミシリケンイモリ
根瀬部〜知名瀬の海

↑海底が透けて見えるキレイな水に、日が当たってキラキラしている@知名瀬の海。

 一旦部屋に戻って、明日返却期限の本をバックに詰める。途中、ガス料金を払ってから県立図書館へ。結局「大奄美史」は、ほとんど読めなかった。しばらく間を置いてから、もう一度借りようかな?
 平田町のスーパーで食材を少し買ってから名瀬港をぐるっとまわって鳩浜、大熊漁港へ。キレイな夕焼けを期待しましたが、生焼けぐらいで終わりました。帰りにダイエーでも、ちょっとお買い物。

カラス01
カラス02
カラス03
名瀬港のブタ

↑今日はカラスをよく見ました。左から知名瀬の海岸、真ん中は鳩浜、右は大熊漁港。

 帰りにフェリー乗り場の中を通ったら「ブヒッ」と大きな音。??辺りを探してみると、大きなカゴに入れられたブタがゆっくり動いている。ゴロンと横になって、寝ているブタも。
 牛は何回も見たし、同じフェリーに乗り込んだ事もあるが、ブタを見たのは初めてだ。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

2月12日(日)

 昨日は鼻と喉に少し異変を感じ、風邪の3歩くらい手前だろうかと思い、荒治療で昼に熱い風呂に入って後はお酒を飲んでひたすら寝た。おかげで今日はなんともない。
 昼ご飯を食べてから、名瀬公民館ホールへ幸せの経済学 in 奄美の上映会を観に行く。予定の1時30分きっかりにスタート。映画自体は1時間ほどだったろうか。
 映画の率直な感想は、次々に流れて行く字幕と映像を追って行くのが精一杯。公式ホームページに3分ほどの予告ムービーがあるが、この感じが1時間続く。字幕と映像という情報の洪水に溺れて、情報を頭の中で整理して思考する隙がない。他の人は、一回観ただけで理解できたんだろうか?
 上映会の後、客席から映画の感想を一人一人発表し、ミニ・コンサート。聴き終わって外に出ると、5時だった。見上げると青空が広がっていた。久しぶりな青。
 黒糖焼酎があと一口になったので、ニシムタへ買いに行く。外で飲んだ事はあるけど、まだ買っていなかった西平酒造の加那30度。
 これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻→高倉→朝日→あまんゆ→八千代30度→里の曙BIG FISHINGラベル→弥生30度→太古の黒うさぎ→三年寝太蔵→加那30度。

↓なんだか久しぶりに見た青空。→加那30度。さっそく今晩から。
加那
青空

 昨日で震災から11ヶ月を迎えた。野田首相は昨年末「冷温停止状態」にあると宣言したが、今月に入って福島第一2号機の原子炉圧力容器の温度が上昇。注水量を増やし、一時は下がったものの、昨日から再び上昇。温度上昇後に冷却水の注水量を1トン増やし、毎時14.6トンにしたが昨日の午後11時で74.9℃を示した。
 これが今朝の時点での情報だったが、夜になって「2号機 温度計の1つ80度超示す」というニュースが流れて来た。
 あいかわらず原因は不明なままだが、他の2つの温度計の値が35℃程度まで下がっていることから、冷温停止状態は撤回せずに、上昇傾向を示している温度計が故障している可能性があるという見方を示したという。本当に壊れているのは高温を示している温度計なのだろうか?35℃を示している温度計が壊れている可能性はないのだろうか?
 いずれにしても事故の収束なんてほど遠い状況には違いない。

 ところで野田首相は、11ヶ月を迎える前日の10日に復興庁を発足したが、その際「安全ながれきを全国で分かち合って処理する広域処理が不可欠だ」と述べた。しかし、安全ながれきを誰が選別するのだろうか。そもそもそんな事ができるのだろうか?
 福島県知事が安全宣言を発表した直後、福島の米から次々と基準値を超えたセシウムが検出されたのも記憶に新しい。そして事故から時間が経つにつれて汚染の広がり方は複雑になっているようにも思う。
 先日沖縄そば店の麺からセシウムが検出されたが、その経緯は複雑で、福島県産のまきを沖縄県内の飲食店が窯焼きピザ用に購入。その使用済みの灰を沖縄そば店が麺の製造に使用した事が原因だと言う。こんな広がり方を誰が予測できるだろう。

 放射能の汚染を考える時、いつもサブプライムローン問題が頭の片隅に引っ掛かる。
 70年台半ばにウォール街に彗星のごとく登場したマイケル・ミルケンという一人の天才がジャンク債を大量に集めてパッケージ商品を企画します。「クズ」を意味するジャンク債は文字通り、倒産して紙切れになるかもしれない借金(社債)で、1年で100%の利回りがつくと言われても当時は誰も見向きもしませんでした。しかし、単独のジャンク債であればいくら高利回りでも怖くて誰も買う人はいないけれども、たくさん集めてリスクを分散すれば利回りの魅力が勝ることを彼は発見したのです。これは生命保険の論理と同じです。つまり、全体の死亡統計が分かって計算した商品である限り、トータルで生命保険会社は損をしないということです。サブプライムローン問題とは?)から。
 結局サブプライムローンの問題は、表面に出て来る度に大量のお金を投下して封じ込めているが、また違う場所から噴出してきて根本的な解決ができないまま世界経済を未だに揺るがしている気がする。今や不良債権がどこにどういう形で存在しているか、正確に把握する事はできないのかもしれない。経済に明るくないけれど、アレは不良債権地雷をばらまいた金融自爆テロみたいなものだろうかと思っている。
 野田首相の「安全ながれきを全国で分かち合って処理する広域処理が不可欠だ」や、細野原発担当大臣の「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮だ」という発言も、聞こえはいいが、間違えれば同じ問題を抱えるだろうと思えてしょうがない。

 人間だけが持つ英知の所産である原子力の活用を一度の事故で否定するのは、一見理念的なことに見えるが実はひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為と、石原都知事が発言している。たった一度というのは、どういう計算だろうか。
 1957年イギリス・ウィンズケール火災事故、1979年スリーマイル島原子力発電所事故、1986年チェルノブイリ原子力発電所事故。大きなものだけでもいくつかあるし、国内に限ってもまだ記憶に新しい1999年の東海村JCO核燃料加工施設臨界事故の他、1995年高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故もある。一つ一つ書ききれないほどあるので、こちらを参照して下さい。この他に公表されていない事故がある可能性すらある。
 そう言えば今度一緒に新党を結成するのか協力するのか知らないが、平沼赳夫氏が会長を務め、亀井静香氏も所属する地下式原子力発電所政策推進議員連盟は、今どんな活動をしているのだろうか。
 福島第一原発の事故後発足したもので、簡単に原発を封じ込められるだろうという発想なのだろうが、地上にあるよりも事故処理は難しくなるだろうし、地下に埋めた原子炉をどうやって冷却するのだろうか。メルトスルーして地下水を汚染すれば対処のしようもないだろう。
 英知なんていうものは微塵も感じられず、これこそが粗雑で野蛮な行為ではないだろうか?

2月10日(金)
 ダイエーに買物に行ったら、お祭りやイヴェントの会場でよくお会いするカメラマンの方とバッタリ。今開催されているAMAMI市美展に作品を出されていると教えていただく。
 家に一旦購入した食材を持って帰って、さっそく市美展が開催されている文化センターへ。在りました、教えていただいたお名前の写真は奄美市長賞に入選でした。おめでとうございます(*´д`*)。
 何度も顔を合わせているのに、今日初めてお名前を伺った。あれ、そう言えば私は自分の名前を名乗っただろうか??一応、奄美に来てからも名刺は作ってあるのだけれど、いつも持って出るのを忘れる(汗)。
↓→市美展の会場となっている、奄美文化センターのロビー。明後日12日(日)まで開催しています。
AMAMI市美展の会場02
AMAMI市美展の会場01

 市美展は、美術部門、写真部門、書道部門の3つで構成。号数の大きい絵が並んでいるのもあって美術部門が一番ボリュームがある。次が書道で写真部門が一番作品の点数が少なかったかもしれない。
 それにしても発表の場が多い島だな〜と思う。美術だけではなく歌や踊りを発表する場所や機会も、市主催の大きなものから集落の余興まで、たくさんある。
 自分が今まで暮らした場所は、さてどうだったろうと考える。
 高校を卒業して間もなく、東京・神奈川で生活を始めた。その30年ほどは、地域との関わりを持つ事無く暮らしていた。ひょっとしたら東京都や川崎市でも、都民や市民が参加できる発表の場はいっぱいあったのだろうか。
 名瀬に来てから県立図書館を利用しているけれど、図書館で本を借りるのは小学校時代以来かもしれない。

 市美展を一通り見て、さばくりにんさんの家へ行き、先日の大停電で途中になったパソコンの勉強会の続き。う〜ん、マックユーザーにはウインドウズのインターフェイスは難しい(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-。

 夜、ず〜っと放置していたリンクページを作り直した。

2月9日(木)

 ちょっと読んではウトウト、また読み始めてはウトウト。そんな繰り返しでなかなか進まなかった「沖縄の風土記」。ようやく昨日の晩に読み終わり、今度は「大奄美史」を読み始めた。
 約600頁に及ぶ、昇 曙夢の「大奄美史」。目次だけで15頁ある(汗)。
 第一篇奄美大島の先史時代 第二篇奄美時代(上古期) 第三篇酋(?)長割拠時代(中古期) 第四篇琉球服属時代 第五篇薩藩直轄時代 第六篇明治大正時代(近代期) 付録 奄美諸島年中行事。
 この大枠の中に、例えば第四篇の琉球服属時代の項なら1.序章 2.琉球への服属と当時の諸制度 3.女人政治と祭事 4.祭政一致時代の琉奄交通 5.琉球王の喜界島討伐 6.第一回大島討伐 7.第二回大島討伐 8.第三回大島討伐 9.琉球の文化と芸術 10.琉球治下における大島の文化 11.歌謡の発達と特質 12.儒教の影響と各種の民謡 13.八月踊りと八月歌 14.諸鈍芝居とその沿革 15.諸屯節と久二屋節 16.文化史上の琉球と大島 17.日常生活と衣・食・住 18.藤原惺窩の南島漂流説 19.島津氏の琉球征伐 20.大島各地の戦闘 といった項目がある。
 さらに、13.八月踊りと八月歌の中には、八月踊りの舞楽系統ー八月踊りの起原とその宗教的意義ー異色ある郷土芸能ー二つの系統ーアラシャゲ節とウボコリ節ー畦並べと節田マンカイという項目が続く。
 至れり尽くせりな一冊で、これを読めばさぞかしこの島のことを・・・と思うけれど、読み切る自信は全くない。とりあえず貸し出し期間中は、興味の赴くままにパラパラと捲ってみようと思う。

 沖縄の風土記
←ようやく読み終わった「沖縄の風土記」(新星図書」。
↓読み始めた「大奄美史/昇 曙夢」(原書房)。600頁近くある(汗)。
大奄美史

「沖縄の風土記」より 

 琉球の社会では、女性は極めて霊的な存在で、一家の姉妹は「オナリ」と呼ばれ、男兄弟である「エケリ」を守る神とされている。
 それらが拡大すると、一家が一門になり、根屋にーや(宗家)が定められ、姉妹おなりの代表者は「根神」にーがん、兄弟えけりの代表者は「根人」にーちゅとなる。
 この根神、根人の関係が更に発展したものが「祝女」のろと「按司」あじであり、王府においては「聞得大君」きこえおおきみと「国王」の関係になっている。
 1624年、薩摩は琉球における支配体制を強化するため、ノロの任命を禁止した。そのため、公的な地位を失ったノロの一部がユタ化し、ユタの勢力は向象賢の存在すら脅かしたといわれている。宮城栄昌著「沖縄女性史」には、下記のように書かれている。
「ノロは公的存在で、個人の招福壤災じょうさいを願うものではなかったが、これに対して、ユタは個人の、それも主として凶事に関して占い、または祈祷するものである」(ユタとノロ 与那城村から)

 沖縄の稲がどういう経路で入ってきたかは、日本への稲作の伝播と同様、学問上では明らかにされていない。一般に、稲の道としては、中国華北ー朝鮮ー日本、中国華南ー朝鮮ー日本、中国華南ー沖縄ー日本の3つの説が唱えられているが、第3の説は柳田国男の、「海上の道」によって代表されるものである。
 同氏の説によると、コメはクメ(久米)であり、久米舞は稲作民族の農耕行事であるという。また、馬渊東一の説によると、東南アジア諸国言語のホメまたはオメがコメ(米)であり、コメはクマに通ずるという。クマとは、九州、土佐、紀州に多い熊、肥、隈であり、「三国志・魏志倭人伝」の狗奴でもある。
 いずれにしても、コメ、クメ、クマは日本史における大きなミステリーである。南から日本沿岸に流れこむ黒潮にのって、台湾、沖縄を経て、島づたいに日本にはいりこんだという柳田国男説が最も有力であると思われるが、いかがなものであろうか。(五穀の伝来 玉城村)

 環境省は、奄美・琉球諸島の世界自然遺産への早期登録を目指し、本格的な調整に入ったと発表した。まずは、奄美群島の国立公園指定だろうか。
2月6日(月)
 たしか今日の天気は雨で、落雷にも注意という予報だったと思うが・・・。
 昼過ぎくらいまではビュービューと強い風が吹いていたが雨の気配はなく、午後も遅くなると風は弱くなり、ハエ(南風)が運んで来たのか日射しがなくても春のような暖かさ。
朝仁海岸の散歩01
朝仁海岸の散歩02
 今日の最低気温は19℃、最高気温が23℃。久しぶりに、焼酎じゃなくてビールが美味しい。夜になって雨。明日は雨時々曇りの予報。
 写真は朝仁海岸。犬のお散歩日和。
2月5日(日)

 風が強いけれど、ニシ(北)の風ではなくハエ(南)からの風なのか、なんだか生温くて気持良い。
 本当かどうかわからないが、「奄美の伝説・日本の伝説23/島尾 敏雄・島尾 ミホ・田畑 英勝」(角川書店)によれば、「奄美では北のことをニシという。これもキタというと平家の落人たちが源氏の追手が来たと間違えるので北をニシというのだという。」(戸口の平松)から。

 昨年の夏、喜界島を旅行した時にお世話になったカトリック喜界島教会の助祭・四條さんから、古田町のマリア教会でバザーがあるというお知らせをいただいて見学に。
 衣類や雑貨、手作りの手芸品などが並べられ、カレーやうどん、焼きそば、ぜんざいと言った軽食のコーナーも用意されていて随分と賑わっていた。
 マリア教会は、昨年の12月31日が宣教120周年ということで、それを記念して制作された大島紬のタペストリーが聖堂の祭壇に飾られている 。

↓→古田町マリア教会の聖堂と、祭壇に飾られた大島紬のタペストリー。
祭壇に飾られた大島紬のタペストリー
古田町マリア教会に聖堂
紬のアップ

←タペストリーの柄がわかるようにアップ目のカット。

→教会のバザーならではですね、手作りの家庭用祭壇が販売されていました。

バザーに出ていた家庭用の祭壇

 1時間ほど物販コーナーを眺めたりしてバザーを楽しんでから、家へ帰る。カレーの残りでカレーうどんを作って、少し遅い昼ご飯。
 椅子に座って「沖縄の風土記」を読む。しばらく読んでいると、ウツラウツラと眠くなる。起きてページを眺めていると、また眠くなる・・・zzz。そんな繰り返しで、なかなか進まない。

フェリーの入港
猫屋敷?

↑マリア教会の帰り。写っているのは4匹ですが、もう少し居そう。

←夜、ザーザー降りの雨の音がして、窓を開けたらちょうどフェリーが入港するところだった。

2月4日(土)

 朝からカーテン越しに強い日射し。久しぶりに晴天。
 トーストにランチョンミート、目玉焼き、ケララカレーの簡単なお昼ご飯を食べた後、買物がてらサイクリング。朝仁海岸から小宿へ行って、朝仁に戻って買物。家に戻る途中、長浜の文化センターの裏から市の浄化センターの先にある海岸へ。
 近くに住んでいながら、この海岸に来るのは初めて。砂浜の先に少し崩れた岩場があって、その先にもキレイな白い砂浜があるそうなので、暖かくなったらまた来たい(*´д`*)。
 一度部屋に買った物を置いて、今度は平田町から市街に戻る順序で買物の続き。午後も遅くなるに従って雲が多くなって来た。色々食材を揃えたので晩ご飯も自分で作ろうと思っていたけれど、矢之脇町の食堂の前を通ったら日替わりメニューにチャンポン定食500円があって、誘惑に負けてしまった。
 出て来たチャンポンは、長崎のとはちょっと違いますね。野菜はそんなに多くなく、海鮮ではなく豚肉が入っていた。スープは醤油とんこつだろうか?

名瀬の海岸
朝仁海岸
↑定番のサイクリングコース、朝仁海岸。
←浄化センターの先にある海岸。右にある灯台が乗った岩は、名瀬の立神。
↓春らしい色を採取@小宿にて。
小宿にて。春色
 昨日、今日と何年ぶりかでピチカート・ファイヴを聴いた。iPodに入っているのは『女性上位時代』『BOSSA NOVA 2001』の2枚で、どちらも買った当時は随分と聴いたアルバムだ。でも、どちらに収録されている曲も、曲名が思い出せない・・・orz。
ピチカートファイヴ01
←↓ピチカートファイヴ@日本青年館だったと思う。1991年12月18日に撮影。
ピチカートファイヴ02
 You Tubeからピチカート・ファイヴ「きみになりたい  I Wanna Be Like You」「Sweet Soul Revue」。
2月2日(木)

 最強の寒波が日本列島を襲っているようです。といっても、名瀬では最低気温が10℃前後はあります。
 夕方、さばくりにんさんから「今日あたり、湯湾岳では雪が降るかもね〜」という電話をもらって、ノコノコと夜になって出掛けてみました。
 湯湾岳は標高694.4m、奄美大島の最高峰。昨年の冬も雪が降ったらしい。

夜桜と月
↑夜桜と月。桜前線は山から下りてくる。大和村の林道沿いの緋寒桜は満開、見頃のようです。
→大きな葉を繁らせているヒカゲヘゴ。白い点々は星と雨。↓湯湾岳入口の駐車場から。分厚い雲が覆っている。
大きな葉っぱのヒカゲヘゴ
湯湾岳入口からの風景

 湯湾岳までの道すがらアマミノクロウサギはいないかと、車の窓ガラス越しに探すが見つからない。クロウサギのダンスを見た、と言うさばくりにんさんの衝撃的な日記を見て以来、タラッタラッタラッタ♪と頭の中で音楽が流れている(笑)。
 秋頃はハブ捕りに来ている車とよくすれ違ったが、さすがにこんな寒い日には誰もいないかと思ったら、湯湾岳の手前で一台の車が停まっている。やはり雪が降らないかと思って来ていた地元の写真家の方でした。
 湯湾岳入口の階段横を素通りして、もう少し林道を走ってみるが雪の降る気配はなさそうなので折り返す。一番冷える明け方なら可能性はあるのかもしれないが、乗って来た車は今晩24時で車検切れになるそうでゆっくりもしていられない。
 アマミヤマシギ、リュウキュウコノハズク、もちろんアマミノクロウサギを探しながら林道を下りて名瀬へと帰る。
 なんとか24時ギリギリ手前でさばくりにんさんの駐車場に到着。律儀に別の車に乗り換えて(笑)、家まで送ってもらった。

 湯湾岳に行く前にパソコンの勉強会をしていたら、突然の停電。北部の一部を除く、かなりの範囲(約4万戸)で停電になったようだ。湯湾岳へ向かう時は街灯や信号も消えており、途中パンと飲み物を買いに寄った商店はロウソクをつけていた。
 ただ、元々主要道路である国道58号ですら街灯が少ないエコな島なので、個人的には停電になったからといって島の夜景はそれほど変わらない気もする(*´д`*)。

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