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○2月1日(金) 市立図書館本の返却期限
○2月4日(月) 野原のサティパロウ
○2月9日(土)、10日(日) 粟国村マースヤー
○2月13日(水)〜17日(日) なはさくらまつり/与儀公園
○2月14日(木) 市立図書館本の返却期限
○2月20日(水) 「今語る!『県外移設』の真実」鳩山由紀夫元首相講演会/午後6時半〜宜野湾市民会館大ホール 入場料千円
○2月22日(金) 市立図書館本の返却期限(1冊)
○2月23日(土) 第5回マチグワー楽会 古本市&座談会&なつかしの写真展 12時〜21時/平和通り又吉ビル1階特設会場(ドラッグセガミ向かい)
○2月23日(土)、24日(日) 桜坂 ASYLUM(アサイラム)
○2月28日(木) 市立、県立図書館本の返却期限
○3月1日(金) 辻のジュリ馬祭り 旧暦1月20日(二十日正月)
○4月 公事清明祭(伊是名玉御殿の清明祭)
    清明(先祖供養)
○4月20日(土)〜5月6日(月) 伊江島ゆり祭り(リリーフィールド公演)
○4月24日(水) 与論十五夜踊り(旧暦3月15日) 地主神社
○4月30日(火)〜5月5日(日) 戸澤裕司写真展「カジマヤー(風車祝い)〜島人をめぐる断章〜」/那覇市民ギャラリー第一展示室(パレットくもじ6F)
○5月3日(金)〜5日(日) 那覇ハーリー/那覇新港埠頭
○5月12日(日) 春の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○5月27日(月) 多良間島 スツウプナカ
○6月 渡名喜島 シマノーシ/旧4月25日〜5月1日
○6月12日(水) 糸満ハーレー行事、伊江島海神祭、奥武島海神祭、粟国海神祭
○7月13(土)、14日(日) 糸満ふるさと祭り・エイサーinいとまん
○7月14日(日) 2000円札応援祭り/パレットくもじ前広場
○7月20日(土)〜21日(日) 浦添てだこまつり  
○7月31日(水)〜8月2日(金) 粟国村・ヤガン折目(うゆみ)
○8月3日(土)、4日(日) 与那原大綱曳
○8月4日(日) 一万人のエイサー踊り隊/那覇国際通り
○8月11日(日) 夏の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○8月13日(火) 安田のシヌグ
○8月19日〜21日(水) 石垣島アンガマ
○8月20日(火) 波照間島のムシャーマ/波照間島公民館前
○8月25日(日) 塩屋湾のウンガミ(海神祭)
○8月26日(月) 塩屋区豊年踊り
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引
○9月19日(木) 世名城のウスデーク
○9月19日(木) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事)
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○12月1日(日) NAHAマラソン

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
沖縄 旧暦行事カレンダー
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島祖納・干立豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島の豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2旧暦の8〜9月の3日間
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 空港線・川平リゾート線5日間フリーパス1000円、みちくさフリーパス(全ての路線バスが、5日間乗り放題)2000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

2月28日(木)

 若狭図書館と県立図書館に本の返却。図書館から図書館への移動の途中、不動産屋で来月の家賃の支払い。
今日借りて来た本

 県立図書館で借りていた1冊を返し、新たに2冊借りて来た。
 「折口信夫と古代を旅ゆく/芳賀日出男 写真・文」(慶應義塾大学出版会)、「川の音/浜田ツマ写真集」(プレイガイドジャーナル)。

 ちょっと自炊に飽きて外食したい誘惑にかられるが、パンやシーチキン、キュウリ、トマトを買ってウインナーとツナのホットドックを作る。

 2月10日、旧暦の元旦の粟国島の様子をPhoto Albumにしました。こちら
旧暦の元旦、粟国島の風景

2月26日(火)

 お昼ご飯に肉野菜炒めを卵焼きで包んだような巨大オムレツを食べてから、郵便局で用事を済ませ、腹ごなしに嘉数高台公園までサイクリング。 
 政府要人が普天間基地を視察するといった場合に、よくニュースで登場する展望台がある。どこにある展望台だろうと思っていたが、今月初めに安倍総理が来沖した際のニュースでこの嘉数高台公園の展望台だと知り、一度見てみたいと思っていた。
 那覇方向から国道58号を宜野湾方面に進み、大謝名で右折。しばらく大きな道を走っていたが、路地を走りたくて住宅地の中に入っていった。途中で道がわからなくなり地元のおばさんに尋ねると、真っ直ぐ行くと潰れた社交街があるから、中を突っ切って大きな通りに出たら右折と教えてもらう。
 言われた通りに走ると、以前撮影に来た事のある真栄原社交街が現われた。この数年の警察による摘発でほぼ壊滅状態の街は、相変わらず静かでガランとしていた。
 大きな通りに出てからは公園への案内板が出ていたので、迷う事無く到着。家からゆっくり走って1時間半ほどだったろうか。

オスプレイ隊長機
↑公園に着いて直ぐに、タイミングよくオスプレイが相次いで基地に戻って来た。20分程の間に、4機(3機は撮影、1機は音だけ確認)。上のオスプレイは、尾翼が赤く塗られているので隊長機。写真はノートリミング。
↓→普天間基地から遠く読谷村の方まで見渡せる、嘉数高台公園の展望台。
嘉数高台公園の展望台02
嘉数高台公園の展望台01
普天間基地とその周辺

↑↓住宅密集地にあるため、世界一危険な基地とも言われている普天間の飛行場。最初に基地があり、その後に住宅が建ったのであり、世界一危険にしたのは住民だと言う人もいる。しかし住宅の密集した市街地の風景は、米軍キャンプのだだっ広い芝生と対照的に存在しているのだ。
 以前にも引用したが、戦後行われた米軍の拳銃とブルドーザーによる土地強奪は、「沖縄 道ジュネー/浅見裕子」に詳しい。
 沖縄戦後、沖縄住民が収容されているあいだに米軍は広大な軍用地を囲い込んでいた。「何らの補償もなく私有地を没収した米軍の行為は明らかに『ヘーグ陸戦法規四六条』(私有財産は、これを没収することを得ず)」違反であった。更に、日本の敗戦が決定した八月十五日以降の土地接収は何ら国際法的根拠を持たなかった」(高等学校 琉球・沖縄史)。一九五二年の講和条約締結以降、米国は三・三㎡あたりタバコ一個分の安い賃貸契約を、しかも二十年という長期間、結ぼうとしたが契約を結ぶ地主は誰もいなかった。そこで、契約が成立しなくても土地収用が可能であるように『土地収用令』を公布したのであった。
 復帰した後も、契約を拒否する地主の土地を強制使用する法をつくり、米軍基地の強制収用は現在も続いている。
(占領下の伊江島 米軍土地を強奪)

住宅密集地
普天間飛行場と住宅
→右下の方に、平屋の建物が並ぶ真栄原社交街の一角が見える。

 2時間ほど、嘉数公園で写真を撮った。来た道を戻り国道58号で家へ帰ろうかと思ったが、公園を出てから歩いている人に道を尋ねると、近くを国道330号が通っていて新都心に行けるというので挑戦してみた。全体的にゆるい下り坂で、思いのほか家まで早く着いた。行きの半分、45分ほどだったと思う。

*2月28日の沖縄タイムスweb版に、この日のオスプレイの飛行について「上大謝名で騒音102デシベル」という見出しで書かれている。4機のオスプレイはタイで行われていた多国間軍事演習からの帰りだったようだ。

*嘉数高台公園展望台からの普天間基地と周辺、オスプレイの飛行をPhoto Albumにしました。こちら。(3月9日に更新)

2月25日(月)

 北日本に最強寒波が押し寄せ、青森の酸ヶ湯で5.5メートルの積雪を記録した。
 今日の那覇は最高気温21℃、明日は23℃の予想となっている。奄美大島で2回の冬、沖縄で1回の冬を過ごし、雪を見ない冬も3年となった。
  部屋の掃除をしたついでに、石油ファンヒーターを押し入れに仕舞う。この冬の暖房費は灯油24ℓ(8ℓを3回買いに行った)、3000円くらいかな。

 隣りの部屋の方からいただいた紙パックの久米仙が残り僅かになったので、新しい泡盛を買って来た。久米仙の響天。
 これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天。
 今日は旧暦の1月16日で十六日祭(ジュールクニチー)、グソー(あの世)の正月だそうです。スーパーの総菜コーナーには、お供え用の料理の盛り合わせがたくさん並んでいました。

 2月9日〜10日、旧暦の大晦日から元旦の未明にかけて行われた粟国島の正月行事、マースヤーの写真をPhoto Albumにしました。那覇・泊港〜粟国港、浜集落のマースヤーの様子はこちら。東と西集落のマースヤーの様子はこちら

泡盛・響天
マースヤー めー組の塩売り
↑宿泊していた民宿にやって来た、めー組の塩売り(マースヤー)。
↓小さい子供たちも、夜遅くまで集落の家々で踊りを披露。写真は、伊久保原。
伊久保原のマースヤー

2月23日(土)

 風は強いが、晴れ。午前中に洗濯を済ませ、昼ご飯に大盛りの中華丼を作って食べる。
 このところ部屋にこもって写真データの作成をしていたので、日に当たりに外に出る。美栄橋駅前から国際通りに続く歩道で、フリーマーケットのような古本市が開催されていたが素通り。桜坂劇場の前に自転車をとめ、街フェス・ASYLUM(アサイラム)が行われている希望ヶ丘公園に行ってみる。こちらもクルッと出店を眺めて、今度は歩いて牧志公設市場の方へ。
 ひやみかちマチグヮー館で2月16日〜3月10日まで開催されている「あんやたん懐かしのマチグヮー写真展」を見に行く。沖縄戦後から本土復帰までの写真を中心に80点程が展示されていた。なぜか同じ写真が2枚展示されている。間違い探しだろうかと思ったが、近くにいたスタッフに尋ねると同じ写真だという。えっと・・・なんで?
 写真展を見終えて商店街のアーケードを歩いていると古本屋があり、ワゴンコーナーに料理の全集があった。荒田西洋料理1〜8と題した箱入りの本だが、出版社の名前が書いてない。なんとなく柴田書店ぽいな〜と思い、箱から出して奥付を見るとやはり柴田書店と書いてあった。これに「西洋料理の演出」「西洋料理 基礎と応用1」「西洋料理 基礎と応用2」の3冊がついて3500円となっていた。どう考えても自分に必要ない本だけれど、11冊で3500円はそそられますね。
希望ヶ丘公園
↓古本屋の店先のワゴンにあった、柴田書店の西洋料理全集。11冊で3500円。必要ないけど、値段にそそられ一瞬買おうか迷いました。
古本

↑希望ヶ丘公園の隅の方で、バイオリンとアコースティックギターのデュオが練習していた。イギリスのトラディショナルな音楽のような感じで、その編成からMartin Carthy and Dave Swarbrick(You Tubeより)を思い出した。

 自転車を取りに戻って国際通りに行くと、てんぷす那覇の広場で、今日と3月2日に開催されるバルウォーク那覇の幕開けイベントが行われていた。15時40分頃から始まり40分間ほどで沖縄民謡、四つ竹、鳩間節、じゅり馬の4つの演目が披露された。 

↓→じゅり馬。踊りの動きが忙しな気で、妙にかわいい。
ジュリ馬02
ジュリ馬01

 てんぷす那覇から国際通りを蔡温橋の方へ進み、さいおんスクエアに行くと、こちらでは台湾ランタン祭りが行われていた。観光都市、那覇。土日はあちこちでイベントがありますね。
 スクエア前の広場で対戦ヒーローものの芝居を少し見てから、天ぷらを買いに牧志市場の方へ戻る。途中、壺屋の神里原社交街の横を通ると、大きな通りに面した一角が取り壊されていた。
 那覇は、どんどん古い建物が取り壊されている。沖縄らしい漆喰で固めた瓦屋根の平屋の一軒家も、最近2軒ほど壊されているのを見た。マンションやビルに変わるのだろうか。
 ごぼう、春菊、いもを各1つ。イカを2つ。1つ40円の天ぷらを5個買って家に帰る。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

神里原社交街
↑取り壊されている神里原社交街の一角。
伊良部島・佐良浜
 2月6日に撮影した、宮古島・洲鎌〜平良港、池間島・佐良浜のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
↑の写真は佐良浜にて。

2月21日(木)

 昼ご飯は、冷凍うどんを茹でて納豆と卵の黄身、濃縮うどんつゆをぶっかけて食べる。
 一昨日作成した確定申告の用紙を封筒に入れて、郵便局から税務署に送る。郵便局から若狭図書館へ行き、読み終えた2冊を返却。松山のスーパーで野菜を買ってから、久しぶりに泊漁港へ行ってマグロの刺身を購入。一旦部屋へ戻ってから、新都心のスーパーでお米や肉などを買って帰る。
 晩ご飯は、マグロの刺身、コロッケ、キムチ、大根と油揚、豆腐の味噌汁。このところ炒め物やカレーが続いていて、刺身を食べるのはなんだか久しぶりだ。

 2月5日に撮影した宮古島・前浜と、来間島のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。↓は、来間大橋から見た、来間島。
来間大橋から見た来間島
 トップ画面を、種子取祭から緋寒桜の写真に衣替えしました。
新しいトップ画面
←緋寒桜は、花びらを下に向けて咲かせます。開いた状態を撮ろうと思うと、下から覗き込む形になり、光線は逆光です。太陽の光に透かされた花びらも、またキレイです。
↓今までのトップ画面。
前のトップ画面

2月18日(月)

 今日もテレビは、15日にロシアのチェラビンスクに落下した隕石の話題でいっぱいだ。
 そう言えば、奄美大島の赤尾木湾は隕石の落下によって出来た湾だという説がある。近くには星窪という地名もある。ネットを検索すると調査論文があった。ハヤカワ文庫の「レフト・アローン/藤崎慎吾」には、隕石を題材にした「星窪」という短編が収録されているらしい。名瀬に住んでいる時、県立奄美図書館に購入のリクエストを出したが、文庫本は難しいかもしれませんと言われ未だに読んでいない。

 コンビニで水道代、ガス代、電気代の支払いを済ませ、スーパーで買い物。後は部屋で写真の作成。
 2月4日、宮古島・野原で行われたサティパロウの写真をPhoto Albumにしました。 那覇〜宮古島・野原、準備の様子はこちら。サティパロウ(里祓い)の様子はこちら

野原のサティパロウ01
↑ニーマガーと呼ばれる古い井戸の前で草の装束を身に着け、準備をする女性たち。↓両手に持ったヤブニッケイの小枝を振り、ホーイホーイと声を上げて集落を歩く。
野原のサティパロウ02

公民館にあったサティパロウの説明板より

国指定文化財(重要無形民俗文化財)
平成5年12月13日指定
保持団体 野原部落会

 平良市島尻に伝わる島尻のパーントゥとともに国の重要無形民俗文化財に指定されている。野原のパーントゥは、上野村野原部落で旧暦12月最後の丑の日に行なわれるサトゥパライ(里祓い)という行事で出現する。パーントゥは仮面(鬼面)であり、お化け、鬼神を意味した言葉であるという。野原部落ではいつ頃から伝わったかについては不明であるが、部落の共有物としてパーントゥの仮面がある。
 サトゥパライの行事は、婦人と中学生までの男子で構成して行われ、婦人たちは頭と腰にクロツグとセンニングサを巻き両手にヤブニッケイの小枝を持つ。男子1人はパーントゥの仮面をつけ、他の男子は小太鼓とホラ貝で囃す。夕刻、大嶽に向かって長老が「すべての悪を祓い、良い事ばかり招来できる良い年を迎えさせて下さい。」と願いごとを述べ出発する。行程は部落中央の通りを通るが、新築の家などから申し出があれば多少道順をかえ新築の家などを祓う。行程では婦人たちが小枝を振り「ホーイホーイ」と声を出すとホラ貝が「ブーブー」と吹かれる。四辻にさしかかると2列隊形から円陣にかえ3回回って円陣中央に向かい屈んで輪を小さくしながら小枝を激しく振り「ウルウルウル・・・」と叫ぶ。行程の終点は部落の南西の端、ムスルンミで身に付けていた草や小枝を取りはずして置き、巻き踊りをして行事を終了し各各帰路につく。

比嘉康雄「来訪する鬼 パーントゥ」(ニライ社)より

 宮古島で一番高い野原岳(108メートル)の南麓に上野村の野原集落がある。現在、野原岳は自衛隊の基地になっている。野原集落は十八世紀の初めに久貝・荷川取から移住して出来たものである。この野原でサティ(里)パロー(祓い)というパーントゥの行事がおこなわれている。
 ムラの古老の話によれば、パーントゥの仮面は百三十年ほど前に製作されたものであるという。したがって、この行事もそのころはじめられたと考えられる。パーントゥという仮面を用いる行事の由来などについては不詳である。
 行事は、旧暦十二月の最後の牛の日におこなわれている。牛の日が選ばれたのは、牛の力を里祓にとりこむためという。里祓いは、ムラの悪霊を祓って新年をむかえるという主旨でおこなうと言われている。
 野原でもパーントゥは怖いもの、醜いもの、鬼というほどの意である。パーントゥの仮面は、トゥム(パーントゥの伴の意と思われる)というフズ(クジ)で選ばれた者(主婦)が保管する。任期は一年である。

2月14日(木)

 朝7時、カーテンを開けると空が焼けていた。旅行が続いて、すっかり溜まった洗濯物をする。
朝焼け

 冷蔵庫の中に食材がほとんどないので、午後から新都心のスーパーで買い物。
 今日が返却日の本があるので、若狭図書館へ。2冊を返し、3冊を延長してもらった。図書館の帰り、松山のスーパーで安かった野菜を色々と購入。

←ベランダからの、今日の朝焼け。左の方にある塔は、NHKのもの。

 買い物も済ませ、せっかく天気もいいのでサイクリングがてら与儀公園まで。13日から17日までさくらまつりが開催されているというので会場に足を運んでみた。苗木やお茶を売るブースが並んでいたが、平日の昼なので人影はまばらでした。
なはさくらまつり
緋寒桜01
←↓さくらまつり開催中の与儀公園の緋寒桜。一本だけ満開に近い木がありましたが、他はこれからといった感じ。デイサービスのお年寄り達が花見を楽しんでいた。
緋寒桜02
与儀公園とマックスバリュ牧志店の近く

↑左は与儀公園にて。右はマックスバリュ牧志店の近くでのスナップ。与儀公園は、あいかわらずアチラコチラで碁を打つおじさんでいっぱいだ。

 せっかく与儀公園まで来たので、久しぶりに県立図書館に寄る。先日粟国島でお世話になった安里盛昭さんの写真集を探して、借りて来た。

→「粟国島ーシマンチュとシチビ 神の里/安里盛昭」(琉写フォート)。登場する被写体の名前と年齢が克明に記されているのに驚く。今では見られない正月豚の風景なども写されている。これからじっくり見るのが楽しみな写真集だ。

安里盛昭さんの写真集

2月12日(火)

 深夜零時に太鼓を打ち鳴らすハチウクシの行事が観音堂の斜め前にあるニジリチェで行なわれるので、少し前に着くように歩いて行くと安里さんがニジリチェ横のセンターの前で待っていて下さった。センターの中に入ると関係者の方々が揃っていた。
 時計を見ながら零時ぴったりにニジリチェで大きな太鼓を打ち鳴らす。その後はトラックの荷台に乗り、集落の四つ辻で太鼓を鳴らして一周して来た。センターに一度戻り、今度はウーグの浜へトラックで行きビニール袋に砂を詰める。浜からの帰り、朝の行事で使うキャベツと大根を真っ暗な畑から穫って来た。
  センターで少し泡盛を呑んで、朝7時頃から再び始まるハチウクシ行事を見るため宿に戻って仮眠を取る。

「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)から、この日の行事を引用すると、
 三日の午前零時、区長とコウサクと呼ばれる男二人が、ユークイムイという場所へ行く。コウサクは別名ヤトゥイとも称され、かつては、家普請の時の茅の提供など相互扶助を行う単位であった三つのハルゴウから、二人ずつ選出される主として農事の管理に従事する役目の人たちであった。現在では、行事に際して臨時に雇われている。
 さて、ユークムイでは、区長が東方に向かって太鼓を打ち口上を述べる。その内容は、一年間のムラの無病息災・豊作・豊漁を神に感謝し、同時に新年の祈願も申し述べるというものである。ユークイムイでの儀礼の後、区長一行はムラを巡り、辻々にて太鼓を打つ。これらはユーウクシの儀礼であるといい、その後、部落背後の小高い場所にあるチカノーと呼ばれる拝所へ行く。
 区長一行は、焚き火で暖をとりながら夜明けを待つ。夜明けとともに、芋と大根と酒を供物にして区長がチカノーに祈願する。芋と大根は、前日ムラ人の畑からよく実ったものを選んで勝手に掘り起こしてきたものである。
  区長の祈願が終わるころには、正装した男たちがチカノーに集まり、チカノーの前で各組の子供たち(男)が御前風を舞う。その後に、区長とハチマキを被った男(三世代夫婦がそろった家から出る子孫繁栄の象徴)を先頭に部落へ降りてくる。部落では、サカンケーと称して、女性たちが招き手で迎え、男たちに酒を供する。当日チカノーに登るのは男子だけで、女性の入域はタブーになっている。
〜略〜
 さて、この三日の行事には、ユークイムイ(世を乞う丘)という言葉にも象徴されるように、ユー(豊穣・生命力)を乞いそれを迎えるという観念が色濃く表現されている。チカノーから降りてくる時に、コウサクが芋蔓を頭にまとい芋と大根の入ったもっこを担いでいるのは、ユーを象徴しているのであろう。サカンケーのサカは、酒であると同時にサカイ(境)のサカでもあり、ユーが他界からもたらされるものであることを示唆している。 チカノーでの儀礼はかつてユノーサー(世直し)のウグァングァーと呼ばれる拝所で行っていたという伝承も、この脈絡で注目に価する。
*2013年8月12日に追加。

↓午前零時。ニジリチェにて東の方角に向かって太鼓を捧げ持ち、それから打ち鳴らされた。 ↓トラックの荷台に乗り、辻で太鼓を打ちながら集落をまわって来た。 ↓ウーグの浜にて、砂を採る。他の集落の方も砂を採りに来ていた。
午前零時、ニジリチェで太鼓を打つ
車の荷台に乗り、太鼓を打ち鳴らして集落をまわる
ウーグの浜で砂を採る
畑でキャベツを穫る
畑で大根を穫る
荷台に乗せられた、キャベツと大根
↑畑でキャベツを穫る。 ↑畑で大根を穫る。 ↑荷台に乗せられた、キャベツと大根。
 6時過ぎに目が覚める。今日のフェリーで那覇に戻るので、荷物をまとめておく。7時にセンターへ行くが、夜中に穫って来たキャベツや大根がないので、奉納芸が行なわれる場所に行ってみる。
  浜集落の、ちょっと外れにあるチカノー。その少し集落寄りの場所にキャベツ、大根、それを入れるもっこが置いてある。お神酒も供えてあり、ここも拝所なのかもしれない。
芸の奉納
野菜をもっこで担いで集落に下りて行く男性
↑チカノーで各組の男たちが御前風を奉納する。
←キャベツと大根をもっこで担いで集落へ下りて行く男性。
↓集落の入口で踊りながら迎え入れる女性達。
集落の入口で踊りながら迎え入れる女性達
 くし組、いり組、めー組の踊り手、三線が集まり8時少し前から舞踊がスタートした。順番に芸を奉納した後、もっこにキャベツと大根を乗せて担いだ男性を先頭に、集落へ下りて行く。それを女性達が迎え入れて、交互に踊りを披露する。何カ所かの辻で踊り、やがて観音堂に到着し奉納芸が行なわれた。見に来た方も参加してカチャーシーが踊られ、ミキ(ミチ)が振る舞われた。
↓→辻で踊りながら、観音堂に向かう。
観音堂に向かう
辻での踊り
↓観音堂での様子。
観音堂での様子
 ここまでは浜集落の3つの組が一緒にまわり芸を奉納して来たが、観音堂でいり組、めー組、くし組に分かれて家々をまわる。マースヤーの時と違うのは、それぞれの組が他の組の家もまわる事だ。マースヤーでは、いり組ならいり組に属する家だけをまわれば良かったが、ハチウクシーではどの組も浜集落全体の家をまわる。
  一旦宿に戻り3日分の宿泊費を清算してから、散歩がてら、いり組やめー組の踊りを見て歩く。今日は塩売りの口上はなく、踊りだけだ。
ヌルの初御願
←踊りを見ながら集落をまわり、また観音堂に来ると、ヌルの初御願が行なわれていた。
↓お昼ご飯はポーク玉子とゆし豆腐だった。
昼ご飯のポーク玉子
  だんだん雲がとれて、粟国島に来て初めての青空を見た。が、村内放送で天候の急変が予想されフェリーあぐにの出航を繰り上げて運行すると告げられた。通常の14時10分出航から13時出航に変更となった。まだ青空が見えているのに。
  宿の食堂に戻ってお昼ご飯の出来るのを待っていると、安里さんからフェリーあぐにの操舵室と車を乗せる貨物室で行なわれる神女による祈願、サカンケーを観に行こうと誘っていただいた。
 直ぐに行きたいところだが、後ろの厨房でおばさんが一生懸命ご飯を作ってくれているので、急いで食べて追いかけますと伝える。
貨物室でのサカンケー
↑貨物室で執り行われた、サカンケー。
 ポーク玉子の昼ご飯を食べて、フェリー乗り場へ。往復で買ったので切符はあるが、乗船カードを記入しなくてはいけない。船に乗り、デッキに荷物を置いて上にある操舵室を覗くと、ちょうどヌルの御願が終わったところだった。それでも一緒について行くと、下の貨物室での御願を観る事ができた。
 通常より1時間以上早い13時に、船は粟国を出航した。午前中の青空はすっかり消えて、灰色の空になっている。民宿のおばさんがフェリーの出る時間になったら、民宿の前から手を振るからと言っていたのでカメラの望遠レンズで覗いてみると、白い布を持ったおばさんがフェリーに向かって手を振っている。見えるかわからないが、こちらも手を振り返す。
船を見送ってくれる、宿のおばさん01
←↓民宿の前の家から、フェリーの見送りをしてくれている、宿のおばさん。ありがとう。
船の見送りをしてくれる、宿のおばさん02

 天候の急変で出航時間が早まったのだから、海は大荒れで揺れるかと覚悟していたが、船は穏やかに進んで行った。
 小雨の降る中、那覇の泊港に近づいた。泊漁港に並んでいる漁船にも日の丸や万国旗が取り付けられていた。
 15時過ぎ、とまりんの前に到着。歩いて5分程の家に帰り、荷物を整理し、撮影した写真データをバックアップする。冷蔵庫にはめぼしい食材がない。買い置きのカップ焼きそばを晩ご飯にする。
 テレビのニュースは、北朝鮮が行なった核実験の模様を繰り返し伝えている。

 本日の出費。民宿の宿泊費3日分、15000円。

*ハチウクシ行事の写真をPhoto Albumにしました。カット数が多いので前編後編に分けました。(3月6日に更新)

2月11日(月)

 旧正月2日目は、フナウクシ。舟起こしといった意味だろうか?漁船だけでなく、町営船のフェリーあぐにでも安全を願って行事が行なわれる。 
 朝の7時頃にフェリー乗り場のある港に行ってみるが変化がないので、観音堂前の船溜まりへ。こちらも普段と変わらない様子だけれど男性が一人立っていたので話しかけると、ここで7時から船の祈願が行なわれるので待っているとのこと。一緒に待たせてもらう。
 7時30分頃に大信丸の船長さんがいらして、安全祈願の行事が始まった。船に松飾り、日の丸、万国旗が取り付けられる。その後、近くにある竜宮の神を祀った場所でお神酒やお米、お刺身を供えての祈願。お供えしたものを包んで船に戻り、塩を撒き、包みをほどいてお神酒、お米、刺身を供える。
 祈願の後、お神酒と刺身をご馳走になった。時間にして30分程だったろうか。

船の飾り付け
↑船の飾り付けを行なう、大信丸の船長さん。松、日の丸、大漁旗、万国旗が飾られた。
竜宮の神への祈願
船上での祈願
←竜宮の神への祈願をし、船に戻って塩を撒き、船上で再び祈願が行なわれた。
うさぎむん(お供え物)。祈願の後、私もお神酒を一口、お刺身を一切れご馳走になりました。
お供え物
 一旦宿に帰り、朝食。フェリーのフナウクシ行事が午後からあるので、それまで2度寝する。
朝ご飯
昼ご飯
 朝ご飯を食べて寝て起きて、あまりお腹は空いていないが12時過ぎに食堂で昼食。13時頃に、那覇から到着したフェリーあぐにが停泊している港へ。
 通常は14時10分に那覇に向かって出航するが、今日は行事のために1時間遅い15時10分となる。車を運ぶ大きな貨物室にシートが敷かれ準備の真っ最中。少しずつ関係者が集まり、やがて演奏と踊りが始まった。町長さん、船長さんの挨拶などがあり、再び琉球舞踊が披露された。
フェリーあぐにのフナウクシ
 フェリーあぐにでのフナウクシが14時過ぎまで行なわれ、その後、写真家の安里さんに民宿の車で島の外れにある沖縄海塩研究所を案内していただいた。
↓→沖縄海塩研究所にて、海水を細竹で濃縮中。
沖縄海塩研究所にて02
沖縄海塩研究所にて01
村民牧場で、牛の背中に鳥

←沖縄海塩研究所から民宿に戻る途中、村民牧場にて。

 粟国の塩を2つ購入し、民宿に戻ってから、今度は朝に航海の安全祈願を行なった大信丸の船長さんの家へ案内していただいた。 安里さんに連れられて家に伺った時は宴もたけなわで、三線に合わせてカチャーシーが踊られていた。船長さんから日本酒、ビールをご馳走になり、沖縄に来て初めての中身汁をご馳走になった。

船長さんの家での祝宴

←大信丸の船長さんの家で行なわれた、フナウクシの祝宴。

↓初めて食べた、中身汁。

中身汁

 一時間半程お邪魔して、19時頃に宿に帰る。今晩零時からハチウクシ(初ウクシ・村の起こし?)があるので、それに供えて仮眠を取る。

  本日の出費。粟国の塩2つ、900円。

*フナウクシ行事の様子と沖縄海塩研究所の写真をPhoto Albumにしました。こちら。(3月3日に更新)

2月10日(日)

 朝8時30分に1階の食堂で朝食。食べ終わり、部屋に戻って昨日のマースヤーの写真を見ながら忘れないように出来事をメモ。
元旦の粟国島

 午後1時に熱いシャワーを浴びてから、今度は昼食。昨日一緒の船でいらした5人のうち、写真家の安里盛昭さん以外の4人の先生方は午後のフェリーで那覇に戻られる。

←元旦の粟国島。写真の道は、浜・東・西の3つの集落を通るメイン道路。手前が浜、奥が東、そして西に繋がっている。

 相変わらず曇り空で、雨が降り出しそうな天気。それでも昨日程は寒くない。傘を持って散歩に出る。比嘉康夫さんの本を見ながら,地図に載っている御嶽を探して歩くが見つけられない御嶽もあった。
御嶽と港の空
↑左は中御嶽にて。右は粟国港の空。
朝ご飯
昼ご飯
晩ご飯
↑朝ご飯は目玉焼き、昼ご飯は煮魚、晩ご飯はすき焼き。昼ご飯のお盆の右上にある食べ物は、カタハランブーと言うお祝いのお菓子だそうです。元旦なので、わざわざ作ってくれたのでしょうか。サーターアンダギーが砂糖天ぷらなら、こちらは塩天ぷらといった感じです。
記念写真
 2時間半程歩いて港で一休みしてから、宿に戻る。昨日の出来事を思い出しながらメモをし、少しウトウトしてから19時半頃に食堂へ降りて行く。安里さん、昨日から宿泊している女性達2人と一緒のテーブルで食事をし、その後近くにある宿の息子さんの家にみんなで行ってお酒を飲みながらゆんたく。
 夜の12時を過ぎてお開き。記念写真を撮って、歩いて30秒ほどの宿に帰って来た。
*旧暦の元旦の粟国島の様子をPhoto Albumにしました。こちら。(2月28日に更新)

2月9日(土)

 朝8時半頃に、部屋から歩いて5分ほどの泊ふ頭旅客ターミナルビルとまりんへ。粟国島へのフェリーの乗船切符を購入。帰る日をまだ決めていないが、2週間有効だというので割引のある往復にした。
 今日は旧暦の大晦日で、明日が元旦。粟国島では旧の大晦日の夕方から元旦の未明にかけて、家々を唄い踊りながらまわるマースヤーという行事がある。それが見たくて前々から粟国行きを決めていた。

泊港
←泊港を出航。部屋から港まで、歩いて5分程です。
↓旧正月を島で迎えるために帰省する人でいっぱいの船内。
フェリーあぐにの船内
 粟国行きのフェリーは9時55分発。同じフロアにあるコンビニでポテトチップスとさんぴん茶を買って早めに乗船したが、船室はほぼ満席でデッキに並べられたベンチに座る。その後も、旧正月を実家で過ごす島の人達が次々に乗船。船内の通路にまでゴザが敷かれ、皆さん思い思いに座り込んだり寝転んだりしている。
 出航時間を少し過ぎて泊港を出る。外海に出ると途端に船は大きく上下に揺れだした。今日は風が強く波も高い。昨日は時化で、このフェリーあぐには出航しなかった。
 乗船時間は2時間ほどだが、アチコチに船酔いした風な人を見かける。自分自身も、椅子に座らず冷たい風に当たり、何とか気持悪くなるのを耐えた。ここまで揺れる船に乗ったのは久しぶりだ。昔、料理専門雑誌の取材で大分の関サバ、関アジの一本釣り漁の撮影で漁船に乗って以来かも。
 12時10分過ぎに、粟国港に到着。乗船所の2階に小さな観光案内所があり、島の地図、パンフレットを貰い予約を入れている民宿に向かう。想像していたより港に近く2〜3分の距離だった。
粟国島に到着
←大揺れのフェリーで2時間強。ようやく粟国港に着いた。
↓宿に着いて早々、昼ご飯になった。ラフティ、大根、昆布の煮物。
民宿の昼ご飯
 民宿に入ると先客が。同じフェリーに乗船していたらしい5人の団体さんで、宿のおばさんが港に行っているようなので待ちましょうとのこと。食堂の椅子に腰掛けてしばし待つ。
 やがて宿のおばさんが帰って来て、5人の団体さんが部屋に案内される。5人の方達が、お腹が空いたという事でおばさんに昼食を頼むと、どう言う訳か私の分まで出て来た。
「いや・・・私、一緒ではないんです(汗)」
「まあ、いいから食べなさい」とおばさんに言われて一緒に昼ご飯を食べる。
  後で5人の方々は写真家の安里盛昭さん他、大学の名誉教授や博物館名誉館長、舞踊家の方々だと知る。  
 食事の後、ようやく2階の部屋に案内される。コイン式のエアコン、テレビ、折りたたみの机。6畳だが物がないからか、畳が大きいのか随分と広く感じる。
 マースヤーが始まるのは夕方から。まだ時間があるので、部屋に荷物を置き、少し休憩してから14時半頃に散歩に出る。今にも雨が降りそうな寒い天気で、傘を持って出る。案の定、散歩の途中から小雨が降ったり止んだり。
 粟国島の集落は浜、東、西の3つに分かれている。この3つの集落を一直線に走るメイン通りを中心に歩く。
 メイン通りから少し入ったところに粟国観光協会があったので、立ち寄って粟国島の旧正月の行事について少し教えていただいた。今日のマースヤーの始まりは、浜集落が早いとの事。
 ちなみに粟国村のホームページにはマースヤーについて、(旧大晦日〜旧元旦)11ある原や組ごとに地域内の各家々を練り歩いて歌や踊りで無病息災と豊穣を祈る行事と紹介されている。
 1時間ほど散歩しただろうか、だんだん雨が強くなりスニーカーの中の靴下まで雨がしみて来たので、民宿へと引き返す。
 雨に濡れて余計に寒くなったので、民宿のおばさんに布団を出してもらい一休み。
 そろそろマースヤーが始まっていると思い、18時30分頃に宿を出る。宿は浜集落にある。音のする方を探して歩くと浜のいり組のマースヤーが行われていた。
 塩売りが家に入り玄関や縁側で口上を述べ、用意された盆に塩を並べ終わると唄と踊りが始まる。男性の扇子を使った踊りに続き、女性の四つ竹を使った踊り。一軒はおよそ10分ほどだろうか。それを繰り返して家をまわって行く。
 島口なので、どのような口上が述べられているのか解らなかったが、こちらのページに
マースヤーの口上『ここの家の方が入っておいでとおっしゃたので入ってまいりました』
マースヤーの口上『これは火の神の塩、これは子や孫の塩、これはおじいさん・おばあさんの塩です』

と、あった。
→いり組の塩売り(マースヤー)。↓民宿には、めー組の塩売りが訪れた。
いり組の塩売り
めー組の塩売り
 20時頃に一旦宿に戻りパパッと晩ご飯を済ますと、民宿のある浜のめー(前)組みのマースヤーを見学。しばらくすると民宿に塩売りが入って来た。その後は浜のくし(後)組のマースヤーを見学してから東や西集落のいろんな原(小字)のマースヤーを見て歩いた。
 塩売りが登場するのは浜集落の3つの組(小字)と、東集落の首里福原だった。浜の3つの組は初めに塩売りが家に入り口上を述べ塩を置くが、首里福原の場合は初めにミルク(彌勒)が登場し次に唄と踊り、最後にミルクの面を外した男性が塩を乗せたもっこを担いで玄関先に来て、用意されたお盆に塩を盛る。
 今回観れた小字(原・組)は、○浜集落 いり(西)組、めー(前)組、くし(後)組。○東集落 伊久保原、泊原、首里福原。○西集落 草戸原、巣飼下原。
晩ご飯
くし組の塩売り
顔にへびを描いてもらっている女の子
↑宿の晩ご飯は、お刺身と貝の味噌汁。
→くし組の塩売り。
→→顔にへびを描いてもらっている、伊久保原の女の子。
マースヤーの様子
↓→首里福原は、ミルクがお面を外して塩売りに変身する。
首里福原のミルク
首里福原の塩売り
 マースヤーを見学していると、観光客にも家からお酒や料理が振る舞われる事がある。夕方からマースヤーについて回り、見終えたのが夜中の2時半頃。宿に着いたのは3時だった。あまりの寒さに酔う事はなかったが、泡盛をかなりご馳走になり、いなり寿司や沖縄そばまでいただいた。リュックの中には貰った缶ビールが3本、ポケットにはサーターアンダギーが2個、お菓子がいくつか入っていた。ご馳走さまでした。
沖縄そばを食べる子供達
沖縄そば
←↑夜中の2時。最後の家をまわった伊久保原の子供達に、年越しの沖縄そばが振る舞われた。私も一杯いただきました。

 マースヤーを一緒に歩いてみて、元々のエイサーとはこんな感じではなかったかと、ふと思った。
 塩売りが口上を述べ芸を披露して家々をまわるマースヤーは、まさに門付け芸だ。現在は旧盆とは関係なく踊られ全国的な大会が開催されるまでになったエイサーだが、元々はニンブチャーの念仏踊だったと言われている。

 エイサーを琉球の村々に広めたのは、芸能集団として京都からやってきた太郎こと、京太郎(チョンダラー)たちだったといわれています。彼らは正月には門付けの祝言をとなえ、葬式では鉦(かね)を鳴らして念仏をとなえながら、念仏踊りをした念仏者(ニンブチャー)でした。現在の那覇市首里にあったという行脚村(アンニャムラ)に集団で暮らしながら、村々を北部まで渡り歩いて念仏踊りを広めたようです。おきなわ物語より。

 本日の出費。泊港〜粟国港のフェリー往復6310円。ポテトチップス105円、さんぴん茶98円。

*マースヤーの写真をPhoto Albumにしました。那覇・泊港〜粟国港、浜集落のマースヤーの様子はこちら。東と西集落のマースヤーの様子はこちら。(2月25日に更新)

2月6日(水)

 宿をチェックアウトし、最寄りのバス停・洲鎌へ。
 11時33分の平良方面のバスに乗車。平良から八千代バスに乗り換えて狩俣へ行ってみようかとも考えたが、バス乗り場が離れているのと便数が少ないので、平良港から船で伊良部島に行く事にする。

平良行きの路線バス
洲鎌バス停
↑宿泊したゲストハウスの最寄りのバス停、洲鎌。
←平良行きの路線バス。今日はボクが初めての乗客だと言う。嘗てはバス会社がいくつも有ったそうだ。

 運転手さんに平良港に近いバス停で降ろしてくれるように頼むと、西里バス停の少し手前で停めてくれた。今日の乗客はボクが初めてだと言う。途中からおばさんが一人乗って来て、運転手さんと3人で少し世間話。先日の宮古島で捕まった逃亡犯の話しをしてみたが、「宮古の人は口は悪いが、あんな事をする人はいないサー、びっくりした」とおばさん。あの事件は、かなり島の人達を震撼させたようだ。
 バスを降り、港へと歩く。平良港を12時30分に出航するスーパーライナーはやてに乗船。15分程で佐良浜港に着いた。

↓左はスーパーライナーはやて。右は現在建設中の、宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部島大橋。全長は3,450メートルになる。

スーパーライナーはやてと、伊良部島大橋
  島の詳細な地図も持っていないので、当てずっぽうで家が建ち並ぶ方へ歩く。斜面に密集する民家の間の路地を上って行くと、どこかに似ているなと思う。しばらく考えて尾道が浮かんだ。  
 集落の中を散策して港に下りて来ると、漁の帰りらしい漁船が一隻。寄ってみるとカツオとシビ(マグロの子供)の水揚げが始まった。
  水揚げが終わるのを見てから乗船所へ。朝に昨日買ったピーナッツパンを食べただけなので、待合室の売店でお弁当を購入。14時30分のスーパーライナーはやてで、平良港へ戻る。
佐良浜・池間添のスナップ
おじいさんと猫

↑伊良部島の佐良浜・池間添のスナップ。台風に強いのか、四角いコンクリートの家が多い。

←おじいさんと猫。なんだか漁師町らしい風情だと思う。

→佐良浜漁港にて、カツオとシビ(マグロの子供)の水揚げ。大漁な気がします。

カツオとシビの水揚げ
 帰りの飛行機は宮古18時発のスカイマークSKY548便。16時に平良港から空港行きの無料バスが出るので、売店でミルクセーキを買って待つ。待っている間に、ノートパソコンで次の旅の手配。宿泊先を探す。最初に電話した民宿は満室。次に問い合わせた民宿は空いていたので2泊お願いする。3食付きで5000円。普通に考えれば安いんだろうが、1000円、2000円のドミトリーに泊まっているととんでもなく贅沢な場所のような気がする。
飛行機の窓から
 5分程前に待合所を出てバス乗り場に行くと、すでにバスが停まっていた。運転手さんは洲鎌から西里まで乗って来た路線バスの運転手さんだ。無料バスが出ているのも、この人が教えてくれた。
 空港に着き、カウンターで搭乗手続きをしていると、使用機の到着遅れで出発が15分程遅れると告げられる。結局、飛行機は18時20分頃に出発。那覇には19時過ぎに到着した。

 モノレールで最寄りの美栄橋駅へ。家に帰り、冷凍してあったイカ墨ジューシーと、冷凍うどんを茹でて晩ご飯。
  テレビはずっと、ソロモン諸島で発生したマグニチュード8.0の地震による津波情報を流している。  

 本日の出費。洲鎌→西里250円、平良港・佐良浜港の船往復700円、お弁当370円、ミルクセーキ150円、宮古→那覇3800円(1月21日に購入済み)、那覇空港→美栄橋290円。

*宮古島・洲鎌〜平良港、池間島・佐良浜のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(2月23日に更新)

2月5日(火)

 午前中はドミトリーのベッドでウダウダと過ごす。昨日の天気予報では曇りだったが、昼頃に部屋を出ると超快晴。家から持って来た菓子パンを食べてから、やはり家から持って来たタンカン3個を持って散歩に出る。
 まずはゲストハウスから2キロほどの前浜まで。サトウキビ畑の中、青空の下を歩く。吹いて来る風が気持ち良い。途中やぎ汁、沖縄そばと書いた看板の店があったが、シーズンオフは営業していないようだ。

↓→前浜にて。満潮時で波は少し高かったが、美しい宮古BLUE。

前浜02
前浜01
 前浜から海岸沿いの道を歩いて、来間大橋へ。来間大橋を渡り来間島に到着。ゲストハウスから、ここまでおよそ2時間。
 島に着いて直ぐの休憩所に地図があった。思っていたより集落はこじんまりとまとまっている。
 展望台に上り、集落の中を散策し、港に少し寄ってまた来間大橋へ戻って来た。
来間大橋から
来間島から来間大橋を見る。

↑来間大橋から。

←来間島から来間大橋を見る。橋の全長は1,690メートル。対岸は宮古島。

↓来間島の集落にて。角に立っているのは来間まもる君だろうか。ちょっと頼りなさそうな顔です。

来間島の集落にて
 来間大橋を渡って前浜に戻る。歩き疲れたのもあって、海岸に座って夕暮れをゆっくりと待つ。前浜からだと来間島の端に太陽が沈むようですね。
夕暮れの前浜ビーチと来間大橋
サトウキビ畑を通る夕暮れの道

↑夕暮れの前浜と、来間大橋。夕焼けを見ようと、ビーチに人が集まってくる。

←前浜からの帰り道。サトウキビ畑の中の道は人通りもなく、街灯も殆どない。キビ用の散水機がアスファルトを濡らしている。家から懐中電灯を持って来たけれど、こんなに遅くまで散歩するとは思っていなかったので宿に置いて来てしまった。

 すっかり暮れたので街灯のポツーーーーーーン、ポツーーーーーーンとしかないサトウキビ畑に挟まれた道を帰る。宿の直ぐ近くにあるAコープで晩ご飯用にお弁当を買おうと寄ってみるが、お弁当も総菜も売り切れ。しょうがないのでガイドブックの地図に乗っていたコンビニまで歩く。バス停にして2つ程先だった。
 お弁当や泡盛、パンなど買ってゲストハウスに戻る。外が暗いのもあってゲストハウスの入口を見過ごして往復で1キロほど余計に歩いたかもしれない。
 お弁当と家から持って来た沖縄そばのカップ麺で食事。シャワーを浴びて、泡盛をロックでちびちび呑んでから就寝。

 本日の出費。アクエリアス130円(来間島)、コンビニでスパイシーチキン串105円、復刻版ピーナッツパン120円、やんばる食堂のレモンティ105円、宮の華(泡盛)380円、アジフライ弁当398円。

*宮古島・前浜と、来間島のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(2月21日に更新)

2月4日(月)

 起きると、外は美しい朝焼け。おにぎり3個とウインナーを6本焼いてお弁当を作る。家から一番近い駅、美栄橋を10時3分に出るモノレールで那覇空港へ。搭乗手続きを済ませ、出発ロビーで作って来たおにぎり2つ、ウインナーを3本食べて早めの昼食。
 今日は、12時20分発のスカイマークSKY545便で宮古島へ。上昇してしばらくすると、飛行機は宮古空港に向けて下降。乗っている時間は45分ほどだったろうか。
 宮古空港を13時33分に出る路線バスで、野原公民館へ。今回は、野原地区で旧暦の12月最後の丑の日に開催されるサティパロウを見に来た。
 サティパロウは里祓い。来訪神であるパーントゥの仮面を少年が被り、草の装束を着けた女性と一緒に集落をまわって歩いて、厄を祓う祭祀だ。1993年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 夕方6時くらいだと聞いていたので、まだ4時間ほどある。
  比嘉康夫さんの本にサティパロウを行う集落の簡単な地図が載っており、そこには商店が2軒記載されているが今は廃業しているようだ。カメラやパソコンが入ったバックがあるのであんまり動き回れないが、公民館の周辺を散歩していたら、昨年の10月島尻地区でお会いしたパーントゥを研究しに来ているというアメリカ人の女性とばったり会った。彼女もサティパロウを見に来たそうだ。
 やがて公民館にサティパロウの取材のために彼女がコンタクトをしていた集落の女性が車で迎えに来て、彼女達は祭祀で使う草を山の方へ採りに行った。
  一つ残っていたおにぎりとウインナーを食べていると、近所の家で飼っていると思われる小型犬がなついて来た。歩くとついて来るので、しばらく一緒に集落を散歩。
 30分ほどで草を集めに行っていた女性たちが戻って来た。サティパロウがスタートする、ニーマガーと呼ばれる古い井戸の前で準備をするというのでついて行った。
  女性たちが、頭や腰に巻き付けたり手に持つ草の準備をしている。

↓久しぶりに見た那覇の朝焼け。写真は新都心方向。 ↓ウインナーをあげると、散歩について来た。猫派ですが、ここまで懐くと犬も可愛い。 ↓野原集落の背後は自衛隊の基地。祭祀の準備中もヘリの離発着の音が大きく響いていた。
那覇の朝焼け
散歩についてくる犬
自衛隊のヘリ
装束に使う草の準備
草の装束を身に着ける
準備ができて、さあ出発
↑装束に使う草の準備をする女性達。比嘉康雄さんの「来訪する鬼 パーントゥ」によれば、使われる草はマーニ(クロツグ)、つる草(リュウキュウボタンヅル)、木の葉(ヤブニッケイ)となっている。 ↑お互いに手伝いながら草の装束を身に着ける女性達。クロツグにリュウキュウボタンヅルを絡めたものを腰と頭に着け、ヤブニッケイの束を両手に持つ。 ↑夕方5時40分過ぎ、準備が整いそろそろスタート。出発地はニーマガーと呼ばれる古い井戸の前。
パーントゥと太鼓、ホラ貝
古いパーントゥ
現在しようしているパーントゥ

↑アルミのケースにパーントゥの仮面、コーヒーメーカーの箱に太鼓とホラ貝が仕舞われていた。
→左が古いパーントゥ。右が現在使われているパーントゥ。プリミティブながら怖さがある。大人の顔の大きさの面を子供が被ることで、異形さが増すように思う。

 5時半頃には女性たちが装束を着け終わり、5時40分頃に祭祀は始まった。何ヶ所かの四つ辻で円陣を組んで廻ったり、公民館を一周したりしながら集落の入口にたどり着く。時間にして40分ほどだったろうか。終着点で女性たちは草の装束を脱ぎ拝みを行う。参加した子供たちにはお菓子を入れた袋が渡され、それぞれ帰路につく。
厄払いの練り歩き
←太鼓を鳴らし、ホラ貝を吹き、女性達がホーイ、ホーイと声を上げて集落を練り歩く。太鼓とホラ貝は子供達の担当だ。↓公民館を一周して厄払いをする。
公民館の厄払い
↓四つ辻で少年達を取り囲み、少しずつ円陣をすぼめてウルルルルと声を上げる。→普段着で威嚇する動作もないが、その様が却って異形を際立たせる。
来訪神パーントゥの仮面を被った少年
四つ辻での円陣
夕暮れの中、厄払いの練り歩き
厄払いが終わり、草の装束を外し、拝みをする女性達
↑手に持ったヤブニッケイの小枝を振り、ホーイホーイと声を上げて進む。
←集落の入口で練り歩きは終わり、草の装束を外し拝みをする女性達。
ご褒美のお菓子を貰う子供達

 このサティパロウに古謝美佐子さんとプロデューサーの佐原一哉さんが観にいらしていた。せっかくなので20年程前にミュージックマガジンでネーネーズの取材で撮影させていただいた事を話すと、その取材の事は覚えていらした。ライターは田中勝則さん、当時の編集長の脇谷さんも同行していたように思う。

 サティパロウの撮影が終わり公民館まで歩いて戻り、今日から2日間泊まるゲストハウスに電話。公民館まで車で迎えに来てもらう。
 夜は宿泊客でたこ焼きパーティーをするというのでご一緒させていただいた。

 本日の出費。美栄橋→那覇空港290円、那覇→宮古3800円(1月21日に購入済み)、宮古空港→野原公民館200円、野原公民館→宿500円、宿泊費1000X2日分2000円、たこ焼き500円。

*サティパロウの写真をPhoto Albumにしました。 那覇〜宮古島・野原、準備の様子はこちら。サティパロウ(里祓い)の様子はこちら。(2月18日に更新)

*2月5日の沖縄タイムスの記事、琉球新報の記事

2月3日(日)

 昨日、今日の二日間、おきなわ花と食のフェスティバルというイベントが、奥武山総合運動公園で開催されているので、昼ご飯を食べてから自転車で行ってみた。
 離島を含む沖縄各地の漁協や農協も出店、想像していたより賑わっていた。アレコレ試食しながら歩いた後、漬け物を一つ購入。会場を出て家に帰る途中パラパラと小雨が降って来たが、直ぐにやんだ。家の前を通り過ぎて、おもろまちのスーパーで買い物。コーヒーのペーパーフィルター、トイレットペーパー、晩ご飯のオカズに鯖の南蛮漬け等を購入。
おきなわ花と食のフェスティバル

←スタジアムを囲むように色んなお店が出店。
↓たくさん試食した中から、島大根の粕漬250円を購入。濃いめの味なので、おにぎりの具に好いんじゃないかと思う。

島大根の粕漬
 晩ご飯を食べた後、カメラのバッテリーの充電、資料のプリント等、明日からの準備。

2月1日(金)

 昨日に続いて、今日も暖かい。午後から散歩に出る。
 まずは自転車で古波蔵へ。古波蔵交差点に自転車をとめて、カメラとリュックを持って界隈を歩く。古波蔵通りから住宅地に入り2丁目の方を歩くが、こちらは斜面に昔ながらの一軒家とマンションがひしめく感じで建っている。家と家の間の路地が迷路のようでもある。しばらく2丁目を散策した後、古波蔵通りを挟んで3丁目へ。こちらは坂もなく、商店街があり、団地があり、漫湖沿いに大きな公園がある。
 歩き疲れたので、漫湖公園で家から持って来たタンカンを一つ食べる。
 公園の中に、ちょうちょガーデンと書かれたビニールハウスがあった。入場無料だったので入ってみると、たくさんのオオゴマダラが飼育されている。温室になっているのか、季節に関係なくオオゴマダラの黄金の蛹が見られるようだ。オオゴマダラは国内最大級の蝶で、喜界島で一度見ているが、このビニールハウスで見てあらためて大きな蝶だな〜と感心する。それが目の前で群舞している。顔の前を横切って行く。蝶が苦手な人なら、一瞬で気絶するかも。
古波蔵スナップ
↑本日のスナップをPhoto Albmにしました、こちら。↓国内最大級の蝶・オオゴマダラと、黄金の蛹。
オオゴマダラ

 夕方5時も過ぎて半袖のTシャツ一枚では肌寒くなって来た。薄いヨットパーカーを羽織り、漫湖公園から自転車の置いてある古波蔵の交差点へ。帰りは那覇バスターミナル、県庁前から国際通りを抜けて帰って来た。

 轟を呑み終えたので、昨日から先日お隣さんからもらった久米仙を呑み始めた。これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)。

1月へ