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○1月1日(火)〜3日(木) 首里城「新春の宴」
○1月17日(木) 元ちゃん民謡ショー(前川守賢)/ひやみかちまちぐわー館 
           14:00〜14:30、17:00〜17:30
○1月19日(土) ムーチー(鬼餅)旧12月8日
○1月19日(土)〜2月3日(日) 第6回 今帰仁グスク桜まつり
○1月20日(日) 市立図書館本の返却期限
○1月22日(火) オスプレイ配備反対那覇市民大会/那覇市民会館 午後6時〜
○1月25(金)〜27日(日) いめんしょり 伊江島んかい 芸能&物産フェア/沖縄タイムス本社ビル
○1月27日(日) 海の道が結ぶ自然遺産~屋久島・奄美大島奇跡の島々へ~ KKB開局30周年記念番組/14時〜15時25分
○2月1日(金) 市立図書館本の返却期限
○2月4日(月) 野原のサティパロウ
○2月9日(土)、10日(日) 粟国村マースヤー
○2月13日(水)〜17日(日) なはさくらまつり/与儀公園
○2月14日(木) 市立図書館本の返却期限
○3月1日(金) 辻のジュリ馬祭り 旧暦1月20日(二十日正月)
○4月 公事清明祭(伊是名玉御殿の清明祭)
    清明(先祖供養)
○4月20日(土)〜5月6日(月) 伊江島ゆり祭り(リリーフィールド公演)
○4月24日(水) 与論十五夜踊り(旧暦3月15日) 地主神社
○5月3日(金)〜5日(日) 那覇ハーリー/那覇新港埠頭
○5月12日(日) 春の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○5月27日(月) 多良間島 スツウプナカ
○6月 渡名喜島 シマノーシ/旧4月25日〜5月1日
○6月12日(水) 糸満ハーレー行事、伊江島海神祭、奥武島海神祭、粟国海神祭
○7月13(土)、14日(日) 糸満ふるさと祭り・エイサーinいとまん
○7月14日(日) 2000円札応援祭り/パレットくもじ前広場
○7月20日(土)〜21日(日) 浦添てだこまつり  
○7月31日(水)〜8月2日(金) 粟国村・ヤガン折目(うゆみ)
○8月3日(土)、4日(日) 与那原大綱曳
○8月4日(日) 一万人のエイサー踊り隊/那覇国際通り
○8月11日(日) 夏の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○8月13日(火) 安田のシヌグ
○8月19日〜21日(水) 石垣島アンガマ
○8月20日(火) 波照間島のムシャーマ/波照間島公民館前
○8月25日(日) 塩屋湾のウンガミ(海神祭)
○8月26日(月) 塩屋区豊年踊り
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引
○9月19日(木) 世名城のウスデーク
○9月19日(木) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事)
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○12月1日(日) NAHAマラソン

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
沖縄 旧暦行事カレンダー
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島祖納・干立豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島の豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2旧暦の8〜9月の3日間
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 空港線・川平リゾート線5日間フリーパス1000円、みちくさフリーパス(全ての路線バスが、5日間乗り放題)2000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

1月31日(木)

 曇り時々晴れ。風は強いが、南東からで暖かい。最低気温19℃、最高気温22℃。

 午前中に、部屋の掃除と洗濯。
 昼ご飯は、冷凍しておいたイカ墨じゅーしぃ と味噌汁、冷凍うどんを茹でて大根おろしとスリゴマを乗せて濃いめのツユをかけた、ぶっかけうどん。
 午後から不動産屋へ行き、来月の家賃を支払う。 近くの平日700円の床屋でカット。牧志公設市場の商店街でタンカン、玉ねぎ、人参を購入。100円ショップで日用品他を買って帰る。
  一旦部屋に荷物を置いてから、郵便受けに入っていた隣りのマンションの同じ部屋番号宛てのクロネコメール便を、隣りのマンションの管理人の方にお渡しする。そのまま自転車で若狭市立図書館へ行き、3冊借りている内の1冊を返却し2冊を延長、新たに3冊借りて来た。図書館からの帰り、離島行きのフェリーについて調べたい事があったので離島ターミナルとまりんへ。とまりんからコンビニへ行って、電気代の支払い。
 また一旦部屋に戻り、借りて来た本を置いて、今度はおもろまちのスーパーで買い物。
 買い物から帰り、晩ご飯用にカレー作り。食後、100円ショップで買って来たノートに確定申告用に領収書を貼る作業。
  今日、奄美・琉球が世界自然遺産登録への暫定リストに追加された。

 1月最後の日は、こんな感じで過ぎて行った。 You Tubeから「A Day In The Life/Wes Montgomery」。

借りて来た本

 「沖縄 御万人の心/小橋川共男写真集」(那覇出版社)、「沖縄 南島街道/藤原新也」(スイッチ書籍出版部)、「豊年を招き寄せる ヒラセマンカイ(奄美大島)/比嘉康雄」(二ライ社)。「豊年を招き寄せる ヒラセマンカイ」は、一昨年の7月に奄美図書館で一度借りているが、沖縄でいくつか祭祀を見た後で再読すれば、新しい発見があるだろうと思い借りて来た。*返却期限は、2月14日。

1月29日(火)

 沖縄に、天ぷらやは何軒くらいあるんだろうか。何百、何千・・・何万?総菜屋、弁当屋、魚屋で天ぷらも売っている店まで入れると星の数程ありそうだ。
 今日は、先日家の近所を自転車でぶらぶらしていて見つけた天ぷらやに行ってみた。住宅街のど真ん中で、家の庭に2畳あるかないかのスペースで営業している。
 閉店時間の5時まで後30分程の時間、残っていた中から野菜、もずく、魚肉、竹輪のチーズ入りを一つずつ購入。どれも50円。

天ぷら
↑買ったのは4つなのに、家に帰って中を見ると5つ入っている。小さなサーターアンダギーをオマケで入れてくれたみたい。
イカ墨じゅーしぃ

 晩ご飯の前に魚肉と竹輪、サーターアンダギーをおやつに食べた。

 晩ご飯は、先日買ったイカ墨じゅーしぃと、野菜てんぷらを乗せた天ぷらうどん。
  じゅーしぃは、沖縄風炊き込みご飯。レシピ通り3合のお米で炊いて、仕上げにサラダ油を加え青ネギを乗せた。普通に美味しい。

 沖縄の天ぷらは、衣がぼってりしている。そして衣に既に味が付いているので、ソースなしでも食べられる。
 一つが50円前後と安いので、ついついアレコレ買うと家に帰って何が何やら分からなくなるものもある。今日も魚肉と竹輪の判別が少し難しかった。一番難しいのは魚とイカだろう。こんな記事もあるほどだ。どちらも人気で、どこの天ぷらやにも置いてある。
  おやつ代わりに天ぷら。揚げ物や肉料理も多いし、ボリュームもある。「県民、肥満解消せず 全年代全国平均上回る」、「男性 肥満度全国ワースト」。以前、食堂でうな丼を頼んだら、うなぎの下に天ぷらが一つ隠れていて驚いた。そりゃ、こうなるだろう。

 昨日、確定申告の用紙が届いた。源泉徴収書も一通届いている。もう、そんな時期ですね。

1月28日(月)

 ふいに目が覚めると身体が揺れている感じ。地震?とも思ったが寝ぼけているのかと思い、そのままもう一度寝てしまった。起きてから、やはり5時57分頃に沖縄本島近海で地震があったのを知る。那覇は震度1。

 午後から自転車で普天間へ。大山ゲートを過ぎて、伊佐の交差点を右折。坂道の途中を右折して基地のフェンスに隣接した住宅街に入る。喜友名から新城へ。自転車をフェンスの近くにとめて、フェンス沿いに普天間へ歩いて行くと叫び声が聞こえる。声のする方に向かうと野嵩ゲートだった。月曜から金曜まで、ゲートの前でオスプレイ配備の反対を訴える人達の抗議の叫びだった。
 ゲートの前で写真を撮っているとオスプレイが2機飛び立ち、戦闘ヘリのコブラが上空を旋回して行った。
 暫くして年配の女性が、赤い地に黄色でNO!!BASESと書いた紙を繋げた横断幕を車で運んで来た。高江の方で活動されているようで、今日の夕方6時から行なわれるゴスペル集会に合わせて持って来たとの事。紙の一枚一枚に、高江は遠くて足が運べない人達からのメッセージが書いてある。これをガードレールに取り付けるというので、お手伝いをさせてもらった。

普天間01
普天間02
普天間ゴスペル

↑普天間基地周辺のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

←普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会の抗議行動。毎週月曜の18時〜19時まで、野嵩ゲート前で行なわれている。

 ゴスペルを聴いた後、ガードレールに括り付けた横断幕を撤収するのを手伝ってから自転車で帰宅。家に着いたのは夜の8時半だった。

 You Tubeから「沖縄県東村高江の唄/七尾旅人」「沖縄県東村高江の唄/青葉市子」。どちらのバージョンも良いですね。

 その町には 武器など似合わない その町には シュロの木が揺れてた

島らっきょう01
 伊江島の芸能&物産フェアでもらった島らっきょうを調理した。葉の部分はごま油で炒めて、味噌と味醂と砂糖で味付け。根?の部分は塩で一晩漬けて、鰹節をふりかけた。
島らっきょう02

1月26日(土)

 昨年の12月に完成した沖縄タイムスの本社ビルで、昨日から伊江島の芸能&物産フェア「いめんしょり 伊江島んかい」が開催されている。今日は本社ビルの中にあるタイムスホールで「伊江島の村踊」があるので、観に行って来た。
 昼の部は14時〜15時30分、夜の部は18時〜19時30分。13時頃に着いて、3階のホールに行くとチケットは既に完売。それでも若干当日券を販売するようなので、整理券を貰って列に並ぶ。開演の10分前、無事席に着けた。
↓雨降花染。 →昨年12月に完成した沖縄タイムスビル。
沖縄タイムスビル
伊江島の村踊01

プログラムから。
[第一部]1.主催者挨拶 大城勝正村長 2.創作舞踊 砂持節・ましゅんく節(伊江村郷友会女性部) 3.村踊 今日の誇らしゃ(西崎)、城の前(東江上)、じゆうに(西江上)、按司添前(阿良)、殿の御門(西江前)、次郎が(川平)、雨降花染(西江上)、汀間節(東江前)
[第二部]1.創作舞踊 伊江島郷友音頭(伊江村郷友会女性部) 2.村踊 門口池小堀(東江上)、扇様は(阿良)、笠吉田(西江上)、作たる米(東江前)、宮古節(川平)、見れば(西崎)、ヨイヨイ節(真謝)、シティナ節(東江上)、あかきな節(西江前) 3.フィナーレ 出演者全員で、ましゅんく節  *()内は字名。

伊江島の村踊02
↑左側上から、汀間節、扇様は、宮古節。右側上から、シティナ節、あかきな節、フィナーレは出演者全員でましゅんく節。
↓公演のチケットは1500円ですが、500円のクーポン券が付いている。1階の物産フロアでイカ墨じゅーしぃの素300円と、パイン味のモズクゼリー350円を購入。2つで550円にして下さったので、差額の50円を支払う。 ↓公演の後、出口で島らっきょうが配られた。ちょっと嬉しい。塩漬けを作ってみようかな。
イカ墨じゅーしぃの素
モズクゼリー
島らっきょう
 この国指定重要無形文化財に指定されている伊江島の村踊を見れるのは、11月に開催される村産業まつりの際に行なわれる村民俗芸能発表会の時だそうです。面白いのは、伊江島にある8つの字が毎年輪番で発表すること。なので全ての字の踊りを見るには8年かかることになる。少しずつでも一度に8字の踊りが見れた今回の公演は、貴重かもしれない。
 それにしても各演目は短いですね。1時間半の公演で、村踊として17の演目が披露された。司会の女性が、伊江島の踊りは世界一早いと言ってましたが、なるほど頷けるかも。長い踊りは4分程あるかもしれないが、大方が1分前後の踊りです。 
 You Tubeから「ヨイヨイ節、雨降花染」「あかきな節」。あかきな節は奄美大島から伝わったそうなので、あかきなは、嘗て大島代官所のあった笠利の赤木名集落の事だろうか。春の訪れの喜びを歌った踊りだそうです。

1月24日(木)

 風は少し冷たいが、晴れ。サイクリング日和。
 つい最近オスプレイの重低音ではなく、空を切り裂くような爆音が聞こえた。窓を開け、ベランダから空を仰ぐと上空に小さな飛行物体。今月14日から嘉手納基地に暫定配備されたF22ステルス戦闘機かな?
 せっかくのサイクリング日和なので、おにぎりとサンピン茶を持って嘉手納まで走ってきました。
嘉手納軍用機
↑嘉手納基地を離発着する軍用機。ノートリミング。↓北谷のアメリカンビレッジ上空を旋回し、嘉手納に戻る(たぶん)F22、F15?。こちらはトリミングしています。
スティルス戦闘機
 午後1時過ぎに家を出て嘉手納基地まで。2時間程で着いた。途中北谷のアメリカンビレッジの上空を旋回しているF22、F15?と思われる戦闘機に遭遇。嘉手納でしばらく基地を離発着する軍用機を見て帰って来た。
 家に戻りテレビを付けると、今日の沖縄は煙霧が発生していたとニュースが報じた。確かに、少し視界が悪かった。
煙霧
アマゾンから01
 サイクリングに出かける直前に、アマゾンでポチッとした品物が届いた。←400倍速8GBのCFカードを2個。↓インク4本、プリント用紙、ポータブルな外付けHDD。
アマゾンから02
 本日のスナップ(普天間、北谷、嘉手納)をPhoto Albumにしました。こちら
 You Tubeから「あしたてんきになあれ/はっぴいえんど」「空飛ぶくじら/大滝詠一」。

1月22日(火)

 昨日と打って変わって、雲の多い空。昼過ぎに一時本格的な雨になったが、その後は霧雨。
ベランダからの曇り空

 布団の上でゴロンとなって、「来訪するマユの神 マユンガナシー(石垣島)」(ニライ社)を読む。
 読み終えてから、与儀公園の隣りにある那覇市民会館で行なわれる 「オスプレイ配備反対那覇市民大会」に出かける。

←いかにも水分をたっぷり含んだような雲。この後、堪えきれなくなったように一時激しい雨が降った。

↓→初めに主催者である那覇市長・翁長雄志氏のあいさつ。
翁長市長のあいさつ02
翁長市長のあいさつ01
ガンバロー三唱01

「オスプレイの配備撤回を求める那覇市民大会」次第から。

1.主催者あいさつ 那覇市長(共同代表) 翁長雄志

2.決意表明 
○那覇市議会議長(共同代表) 永山盛廣
○那覇市協働によるまちづくり推進協議会会長 銘苅春雄
○那覇市新成人代表 名護翔哉

3.大会決議・発表 那覇市自治会長会連合会会長(共同会長) 福治貞子

4.ガンバロー三唱 那覇市国際交流市民の会会長(共同代表) 伊藝美智子

 大会は18時5分に始まり、18時50分頃に閉会した。少しですが大会の様子をPhoto Albumにしました。こちら
 1月23日付けの沖縄タイムスの記事、琉球新報の記事

ガンバロー三唱02
 那覇市民大会に続き、東京でも今月の27日、28日に抗議が行なわれます。27日は午後3時から日比谷野外音楽堂で集会の後、銀座パレード。また、この東京での抗議活動に合わせて沖縄タイムス社は25日〜27日まで有楽町朝日ギャラリーで、戦後の沖縄で起きた事件・事故の写真や資料を集めた「刺さった記憶」展を開催する。入場は無料。

1月21日(月)

 昨日は大寒。東京では、明日の朝方にまた雪が降るかもしれないとか。那覇の今日は、午前中こそ雲が多かったものの、昼からは晴れ間が広がり絵に描いたような青空だった。天気予報では最低気温18℃、最高気温24℃となっているが、体感温度はもう少し高かったように思う。ちょっと強めの南風が気持ちよかった。
 昨日年賀状の当選番号が決まり、確認したらお年玉切手が2枚当たっていたので郵便局で早速交換。ついでにレターパックを2つ出して来た。
 郵便局から旅行会社に行き、来月宮古島に行く飛行機のチケットを手配。一度部屋に戻りスーパーで食材を買って来てから、今度は宿の手配。1泊1000円のゲストハウスがとれた。
 スーパーからの帰り、エレベーターの中でお隣のおじさんと一緒になり、少し世間話。引っ越して来てから何度か玄関先で会釈する事はあったが、会話らしいものは初めて。しばらくするとチャイムが鳴って、先ほどのお隣さんが頂物だと言う久米仙と黄桃の缶詰を持って来て下さった。ありがとうございます。
ベランダからの青空
お年玉切手
↑ベランダから。絵に描いたような青空。
←お年玉切手。
↓お隣さんからの貰い物。
お隣さんからの貰い物

 新石垣空港が3月7日に開港する。今日、格安航空会社のピーチ・アビエーション6月14日から関西ー新石垣線、9月13日から那覇ー新石垣線を就航する計画だと発表した。那覇ー新石垣線の運賃は3,290円〜となっている。またスカイマークも就航を予定している。
  現在、那覇ー宮古島はスカイマークが3,800円から運行しているが、那覇ー石垣島は格安チケットでも9,000円前後なので、那覇ー新石垣が手軽な値段で運行されれば嬉しい。

 夜、アマゾンで久しぶりにポチッ。インク、プリント用紙の他に撮影旅行に供えてポータブルな外付けハードディスク、カメラ用のメモリーカードを購入。

1月19日(土)

 旧暦12月8日の今日は、ムーチー(餅)。この鬼餅の日には健康、長寿を祈願してお餅を食べるそうです。牧志公設市場の周りでは、ムーチーを台に並べたお店がアチコチに並んでいました。
 昔は各家庭で作り、子供のいる家は子供の歳の数だけ吊るしたそうです。 ムーチーを買う時に今もそんな光景は見れますか?と尋ねると、私は見た事がないので那覇では50年くらい前の話しじゃないかと言う。まあ、どこかの家庭では手作りのムーチーを今も吊るしていると思うけれど、一般的ではなくなったのかもしれない。
ムーチー01
ムーチー02
←↑こちらのお店で、白と黒のムーチーを1つずつ購入。違うお店で紅芋のムーチーを1つ買った。白のプレーンが100円、黒と紅芋は120円。
黒糖のムーチー

 沖縄でなぜムーチーを食べるようになったかは、こちらの民話を。童話や民話の多くにはエロスとタナトスが秘められていますが、このお話もそうなっています。 
 民話に出て来る鬼になった兄を妹が突き落とした崖が、金城町の内金城御嶽にある。昨年夏に首里城へ来た時にそんな由来も知らずに一度撮影しているが、ムーチーの日なのでもう一度尋ねてみた。

→鬼になった兄を妹が突き落とした崖。

金城町の御嶽
↑買って直ぐ、アチコーコーなうちに黒糖入りのムーチーを食べた。ムーチーは餅粉を練って、月桃の葉(沖縄ではサンニン、奄美はサネン)で包み、蒸して作ります。葉の香りがムーチーに移り、なんだか身体に良さそう。

 牧志から安里に出て、坂を上り首里城へ。自転車をとめて、石畳の道で有名な金城町へ。石畳から少し外れたところに内金城御嶽がある。この御嶽には樹齢200年とも300年とも言われるアカギの大木がある。このアカギや御嶽をしばらく撮影していると、子供達を連れた先生や、観光客を案内しているガイドさんがやって来てムーチーの民話を紹介していた。
 石畳の道に戻ってNHKの連ドラ「ちゅらさん」に登場したと言う家の前を通ったり、金城町を色々とスナップして歩く。せっかくなら首里城で夕焼けを撮影して帰ろうと思っていたが、首里城に戻る途中で小さな森のような場所を見つけて、歩いて行くと崎山公園と書かれていた。上って行くと那覇の街並が見渡せ、遠く慶良間諸島の島影がきれいに見える。首里城行きはやめて、紅芋のムーチーと家から持って来たタンカンを食べながら崎山公園で日が沈むのを待った。

崎山公園から慶良間諸島を見る
雲に隠れた太陽

↑首里城近くの崎山公園にて。中央の小さなシルエットは、那覇空港を飛び立ったばかりの飛行機。島影は、慶良間諸島。

←崎山公園からの夕景。水平線に太陽が沈むのを期待していましたが、雲の中に消えて行きました。

↓本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。首里でも緋寒桜が咲き始めましたね。

スナップ
 ムーチーの行なわれる頃が一番寒い時期になることから、その寒さをムーチービーサーと言うそうです。昨日、一昨日は本当に寒かったですが、今日は日差しがあったので日中はポカポカでした。それでも日が傾き始めると、とたんに寒くなりました。ムーチービーサー。

1月18日(金)

 午後に暫く小雨が降ったが、概ね晴れ。それでも昨日に続いて寒い一日で、最低気温が11℃、最高気温が15℃。
今日借りてきた本

 先月借りた本7冊を読み終えたので若狭図書館に返却に行き、新たに3冊借りてきた。

←今日借りてきた3冊。比嘉康雄さんの神々の古層シリーズから「遊行する祖霊神 ウヤガン(宮古島)」「来訪する鬼 パーントゥ(宮古島)」「来訪するマユの神 マユンガナシー(石垣島)」(ニライ社)。
*返却期限は、2月1日。

 今日返却してきた中の一冊「海の神への願い 竜宮ニガイ(宮古島)」から、気になった箇所を抜粋。

池間島のヒダガンニガイ

1.池間島の概況

~略~
 漁業は沖合沿岸漁業を主としている。現在四艘のカツオ船を有し、漁港近くにはカツオ節製造工場がある。一九〇六年ごろ、カツオ節加工技術を導入し、県下でも代表的な漁村として発達している。また、昭和初期には初の北ボルネオ移住があり、現在の南方漁業の先駆となった。
 首里王府時代には、伊良部島に三回にわたって移住させられ、明治七年には宮古本島に分村させられ西原村ができた。一九九二年二月、狩俣との架橋が完成している(『平良市史』参照)

佐良浜のヒダガンニガイ

1.伊良部島の概況

~略~
 集落は島の南部に五字、宮古本島平良港と対面する北側佐良浜に二字がある。本稿のヒダガンニガイの取材地は佐良浜集落の前里添と池間添の二字である。
 この二字は、十八世紀初めごろ池間島から分村してできた集落で、集落名も親島である池間島の集落名にならったものである。
~略~
 また、南方カツオ漁業(一九七〇年より開始、パプアニューギニア、ソロモン諸島、パラオなどが基地)の従事者も、この二字の人々がほとんどを占め、最盛期には六〇〇人が出漁していたが、最近は不漁のため減少傾向にある。
 伊良部島の漁業は、カツオ漁とサバニを使った近海漁である。前里添、池間添の二字は、分村当初から漁業が盛んであったといわれ、現在も男は漁業、女は農業(現在は砂糖キビ作)という伝統が続けられている。したがって祭祀も盛んにおこなわれていて、特に漁撈に関する祭祀は大漁願い、航海安全願いと、生活に直接結びついた切実なものである。

2.祭祀体系の概略(前里添、池間添)

 前述したとおり前里添、池間添は池間島から分村してできた集落で、もう一つの池間島からの分村集落、西原(宮古本島在)と共に祭祀体系が親島である池間島とほぼ同じであるのは、分村時に祭祀体系も移したからである。
 両字の守護神を祭ってあるウタキが前里添にある。ウタキはナナムイ、ウハルズ、大主神社などと称されている。親島である池間島のウハルズウタキの分社的拝所と考えられる。このウタキを中心にして祭祀がおこなわれている。島で生まれ育った女性が四十七歳になると、ユークイという神女就任の祭祀を経てユークインマという祭祀成員になることが慣例である。
 ユークインマ(前里添五十~五十七歳、池間添四十七~五十七歳になる者)が氏名(夫の氏名)を書いたものを盆にのせてゆり落とし、落ちたものを再び盆に戻すことを数回くりかえして、多く落ちた者上位三名を司祭者として選定する。この選定方法をンマユイと称している。選定される三名はウフンマ、カカランマ、ナカンマである。ウフンマはウフヅカサともいい、一番の責任者(司祭者)である。カカランマはニガインマともいい、神がかりをして神詞を唱えるのが主である。ナカンマは供え物を整えたり、準備をしたりする役を担っている。任期は三年である。任期中は島を出ることを許されず、常に神職者の自覚を持って過ごさなければならない。もちろんこの三名の司(ンマ)は前里添、池間添にそれぞれいる。年中行事は前記ウハルズウタキを中心に両字合同の形でおこなわれる。なお「ンマ」は母親の意である。

 映画「スケッチ・オブ・ミャーク」で取り上げられたミャークヅツが行なわれるのが、池間島、伊良部島の佐良浜、宮古島の西原地区。池間島を祖とする、池間民族とも言われる人達の生活の場だ
 宮古島から発信するWEBマガジンあんちーかんちーから、池間島のミャークヅツ佐良浜のミャークヅツ西原のミャークヅツ

1月17日(木)

 午後から牧志のひやみかちまちぐわー館へ、前川守賢さんの民謡ショーを見に行く。一回目のショーは14時から30分間。10分程前に会場に着くと粗方席が埋まっていて、始まる頃には立ち見になっていた。
 守賢さんの父親が、照屋林助さんと漫談グループ・ワタブーショーを結成した守康さんというのは知っていたが、守賢さんについての知識はほとんど無い。それでもショーが始まれば「かなさんどー」「遊び庭(あしびなー)」も沖縄に来て半年で既に耳に馴染んだ曲になっている。テレビからよく流れている泡盛殘波のCMソングも、守賢さんの曲と唄だった。
 You Tubeから「遊び庭〜かなさんどー〜世果報でーびる」「沖縄そばの歌」「泡盛残波」。
前川守賢さん民謡ライヴ

 民謡も楽しかったが、標準語とうちなーぐちを交えての話しが面白い。リズミカルなうちなーぐちは、意味は解らなくてもだんだん楽しくなってくる。その最たるのが2005年に亡くなった林助さんのワタブーショーで、林助さんの唄を上手いな〜と思ったことはないが、陽気な呪文のように聞こえるうちなーぐちの話術にやられてしまう。心がドキドキすることを「チムドンドン」と表すうちなーぐちの、なんて素敵なことか。
 ショーの最後は、カチャーシー。曲が流れたとたん、客席からおばぁが何人か飛び出してステージで踊り始めた。奄美大島では六調が始まると踊りだし、沖縄はカチャーシーで踊りだす。島のDNAですね。
 せっかく牧志に出てきたので、商店街で小粒なタンカン15個200円と、1つ40円の野菜天ぷら2個、イカ天ぷら1個を購入。ついでに泊漁港に立ち寄って、380円のマグロの切り落としを買って帰った。

↓国際通り近くにて、建物に直書き。なんだか豪快な字です(笑)。
張り紙
アパート
立て札
↑民謡ショーを見た帰り、国際通りからイオンの横に抜ける路地で見つけた張り紙。辰年の御願解きを行ないますと書いてある。沖縄では張り紙を使ったお知らせも、まだ多い。家の近所で、同窓会のお知らせを書いた大きな横断幕を見たこともある。

←同じ路地に、入居者募集の立て札。女性・ニューハーフ専用。

 阪神淡路大震災から、今日で18年。
  レコード会社の仕事で中国のロックバンド・黒豹を撮影しに北京、南京、北京3泊4日のロケから帰った翌日だった。その頃は家にテレビを置かない生活をしていて、夕方、乃木坂にあったデザイン事務所のテレビで震災を知った。テレビの無い生活は割りと長くて、オウム真理教の一連の事件もリアルタイムでは見ていない。その頃はインターネットも繋がっていなかったし新聞もとっていなかった。情報はどうしていたんだろうとも思うが、それで凄く不便を感じたわけでもない。
 TVニュースを見ながら阪神淡路から18年が経ったのかと思う一方で、東北の18年後はどうなているんだろう、とりわけ福島はと思いを馳せる。
 茂木経済産業大臣は福島第一の1〜4号機の廃炉について、現在30~40年間を見込んでいる廃炉作業期間の短縮を目指すとしている。そんな事ができるんだろうか。以前にも書いたが、これまで日本の原発で廃炉が決まったのは、日本初の商業用原子力発電所・東海発電所と、福井のふげんだけのようだ。そして、まだ完全に廃炉に出来るところまでは行っていない。
 東海発電所は、1998年3月31日に営業運転終了、2001年3月 燃料搬出完了、2006年8月熱交換器撤去工事開始まで進み、今後は2014年に 原子炉解体開始となっている。原子炉解体開始までに16年かかっている。
 ふげんは、2028年に整地まで持って行くと書いてあるが、一昨年の7月にチェックした時は運転を終了した2003年から35年かけて解体される予定と書かれていた。
 いずれにしてもシビアアクシデントを起こした訳ではないこれら2つの原発でさえ、廃炉には長い年月がかかる。まして、事故で高い放射線量が出ている福島第一の廃炉を考えると暗澹たる気持になる。短縮どころか40年でも終わらないかもしれない。そして、今も福島第一からは放射性物質が放出され続けている。

黒豹01
↑南京の大きな体育館で行なわれた、黒豹のコンサート。客席から使い捨てライターが飛んで来た。そして客席の下には公安部員が並んでいた。↓コンサートの後の打ち上げにて、黒豹のメンバー。
 You Tubeから「無地自容/黒豹」←いつのコンサートか分かりませんが、18年前に撮影した時と同じメンバーですね。2回ほど来日しているはず。
黒豹02

1月15日(火)

 昨日は爆弾低気圧の影響で関東地方に大雪が降り、残った雪で路面が凍って今朝も交通事故や怪我人が続出したとTVのニュースが伝えていた。那覇から羽田行きの飛行機も欠航したので、沖縄も東京の大雪とまったく無関係ではいられなかった。
 今日は小正月、昔は今日までが松の内。波上宮でも午前中に正月飾りを焼く、どんど焼き(左義長)が行なわれたそうだ。
 昨年、一昨年のお正月を過ごした名瀬では、この小正月の前日にナリムチを飾る。小正月の少し前からスーパーや八百屋、雑貨屋さんに4色のお餅のパックと、ぶぶの木(リュウキュウエノキ)が並ぶ。ぶぶの木の枝に、小さく切った色とりどりのお餅を飾るのがナリムチで、お墓や床の間、軒下に供える。
 一昨年はぶぶの木とお餅を買ってきて、自分でも作ってみた。部屋には床の間も神棚もなかったので、トイレの出窓に飾った。花瓶の代わりに使ったのは、田中一村の絵がラベルになった焼酎「奄美の杜」。壁も天井も配管も白く塗られたトイレで、今まで住んだ中で一番快適なトイレだった。白い空間にカラフルなナリムチが気に入って、しばらく飾っておいた。
一昨年のナリムチ
 フライパンの加工が剥げてきて、最近焼き物をしていると焦げ付き易くなってきた。昼ご飯に焼うどんを作ったが、うどんがフライパンから離れない。食材を買いに出たついでに、新しいフライパンを購入。
晩ご飯の煮物
←晩ご飯は大根、厚揚げ、さつま揚げ、鶏肉を甘辛く炊いた。大根おろしを乗せてみぞれ風に。
→フライパン、598円也。
フライパン

1月12日(土)

 巷ではボタン一つで部屋の中を自動でキレイにしてくれるルンバというロボット掃除機が人気だそうですが、家は奄美大島に引っ越した時に100円ショップで購入した箒と塵取りを愛用しています。2つで200円。名瀬の部屋も那覇の部屋も全てフローリングだったので、床にコーヒーを淹れた後の粉を撒いてホコリを吸着させながら掃いています。
 スーパーで買った熊本産のコシヒカリが残り1合と少ししかなかったので、先日いただいたコシヒカリの詰め合わせを出した。岩舟産、魚沼産、佐渡産のコシヒカリが2袋ずつ入っている。熊本産のコシヒカリに、岩舟産のコシヒカリを足して2合にして炊いた。次は岩舟産を単体で。しかし私の頼りない舌で、それぞれの味の違いはわかるだろうか。
 このコシヒカリは結婚祝いに夫婦茶碗を贈ったら、そのお返しにいただいた。なんだか入れ物を贈ったら中身が返って来た感じで、今度は財布でも・・・と思ったりもする。
箒と塵取り

←愛用の箒と塵取り。コーヒーの粉にホコリを吸着させながら掃いています。
↓コシヒカリの詰め合わせ。ご馳走さま。

コシヒカリの詰め合わせ

 泡盛が一番コストパフォーマンス良く酔えるので、家で呑むのはもっぱら泡盛。手軽な値段のオリオン・ビールでさえ中々手が出ないが、お歳暮にエビスビールをいただいた。御礼に沖縄で撮影した写真の中からピックアップして、プリントをした。L版より少し大きいKGサイズ。インクを乾かすため、掃き掃除をした床に並べて行く。

プリント
 プリントをし、どこで撮った何の写真なのか一枚一枚説明文を書いていたら、一日が過ぎて行った。

1月11日(金)

 久しぶりに晴れ。2日以来だろうか。
 特大のオムライスを昼ご飯に作って食べてから、牧志公設市場近くの商店街、おもろまちのスーパー、近所の八百屋で買い物。その後、日光浴を兼ねて自転車でぶらぶら。
  泊港から浦添方面に走り、国立劇場おきなわまで。ここで3月15日〜17日まで新作組踊「聞得大君誕生(ちふぃじんたんじょう)」が行なわれ、坂東玉三郎さんが出演する。5,000円かあ・・・orz。 
 劇場の横、キャンプ・キンザーの手前を流れる小湾川を橋から眺めていたら、小さな小さなマングローブを発見。那覇空港の近くにある瀬長島に渡る海中道路のところにも、わりと大きなマングローブがあった。沖縄は探せばアチコチにありそうだ。
 国立劇場おきなわから、来た道とは違う路地を探しながら泊方面に帰る。こうして路地から路地へ自転車で走っていると市街地の住宅密集具合がよく分かる。それはだだっ広いキャンプの芝生と対照的に存在している。 
 

 泊を越えて、今度は若狭方面に自転車を走らせる。波之上ビーチにはポツポツと人がいた。しばらく腰掛けて休んでから、また泊方面へ。泊港で夕暮れの風景を少し眺めて帰って来た。

→小湾川の小さなマングローブ。
↓泊港にて。

マングローブ
泊港の夕景
 今日、名護でタンカンの初出荷式が行なわれたそうだ。暮れぐらいから八百屋にタンカンが並んでいたのですが、今日、公設市場近くの商店街に机を置いて野菜を売っているおばちゃんから一袋買った。小さめのが11個入って200円だった。皮が薄くて固くて少し剥き難いが、甘くて美味しかった。奄美のタンカンはもう少し後、2月頃かな。
 RYUKYU CLASSICを呑み終えたので、昨日から轟を呑み始めた。これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟。
↓タンカン。ふわっと広がる香りもいい。→轟の30度。
轟
タンカン

 今日は昼から自転車で出掛けていて分からないが、このところ家の上空をオスプレイや軍用機が頻繁に飛んで行く。↓の写真は、一昨日部屋のベランダから。
 米政府は、嘉手納基地にオスプレイを2014年から16年までの間に9機配備する計画だと言う。また防衛省もオスプレイの導入を検討しており、2013年度予算案に調査研究費を要求している。
 安倍首相が訪米の手土産に、普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立て申請を検討しているそうだ。それに対し、地元名護市では反発の声が上がっている
 基地問題と直接関係はないだろうが、仲井真知事が急性胆のう炎で昨日入院した。沖縄を取り囲む環境は、知事の身体を壊しそうな状況ではある。
 今月22日(火)の午後6時から、那覇市民会館でオスプレイ配備反対那覇市民大会があります。

一昨日の空

1月8日(火)

 昨日のニュースで写真家の東松 照明さんが、昨年12月14日に那覇の病院で亡くなられたのを知る。昨日は共同通信の記事を載せていた沖縄タイムスだが、今日は沖縄在住の写真家のコメントなどを入れた記事を掲載している。

 少し時間が経ちましたが、先月23日に行なわれた御万人大行進 愛と怒りのサウンドパレードの様子をPhoto Albumにしました。宜野湾海浜公園野外劇場での抗議集会はこちら、歓会門から大山ゲートまでのパレードはこちら

でいご娘
大山ゲート
↑上は野外劇場にて、抗議集会の前に行なわれたでいご娘のライヴ。下はサウンドパレードの終点、大山ゲートにて。

 You Tubeから「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー/でいご娘」。艦砲は、アメリカ軍の艦砲射撃。喰ぇーぬくさーは、食べ残し。艦砲ぬ喰ぇーぬくさーとは、悲惨な沖縄戦を生き残った人びとの事だそうです。歌詞がこちらに載っていました。
 QABが制作した高江のドキュメンタリ番組『標的の村』1時間バージョンに、英語字幕が付いたものがUPされています。こちら

1月6日(日)

 先月若狭図書館から借りて来た7冊の本のうち、神々の古層シリーズ「 巡行する神司たち マチリ(与那国島)」「異界の神ヤガンの来訪 ヤガンウユミ(粟国島)」「来訪するギレーの神 シマノーシ(渡名喜島)」の3冊と、「私の歩んだ写真の記録/金城 棟永」を読み終えた。
 「私の歩んだ写真の記録」は昭和28年〜44年頃の那覇の様子を記録した写真集だが、本島南部・中部・北部、そして座間味島と八重山も少しずつ掲載されている。撮影日と場所が丁寧に記されているのが素晴らしい。
 今や大型のクレーン車で吊り上げて運ばれる那覇大綱引きの綱だが、本に載っている昭和36年の綱は そこまで巨大化していない。また現在は国道58号を使用しているが、この頃は若狭大通りで綱引きが行なわれていたようだ。米軍1号線と呼ばれていた当時の国道58号や、国際通りの変化がよく分かる。
 本の表紙に掲載されている着物姿の男女が立っている写真は、昭和38年4月4日に撮影された開南バス停留所とキャプションに書いてあったので、午後から運動がてら散歩に行って来た。

 国際通りから壺屋やむちん通りの横を過ぎて農連市場の手前で自転車をとめ、歩いて開南バス停へ。てっきり開南という住所があるものだと思っていたら、周辺の地名は樋川だった。しばらくバス停の周りを歩き、農連市場から牧志公設市場に足を延ばす。2時間ほど散歩して自転車を取りに戻り、日曜日で歩行者天国になっている国際通りを県庁側にゆっくり走り、昨年末に完成した那覇市役所の新庁舎を見て帰って来た。
お散歩スナップ
開南バス停
↑左は「私の歩んだ写真の記録/金城 棟永」。右は今日撮影して来た、同じ場所と思われる開南バス停。
那覇市役所の新庁舎

 本日のお散歩スナップをPhoto Albumにしました。こちら

←昨年末に完成した那覇市役所の新庁舎。新年4日から業務を開始しているが、今日も引っ越し作業が行なわれていた。琉球新報の記事によれば、ベランダや屋上に草花が植えられており、将来的には建物の4割を緑が覆う構想だそう。

 再放送のようだが、昨日「魂のゆくえを見つめて〜柳田国夫 東北をゆく〜」を観た。
 東北地方の伝承を記録した「遠野物語」、日本文化が沖縄・奄美と南島づたいに伝播したとする「海上の道」。どちらも読みたいと思いつつ、まだ手が出ない。
 昨年、奄美の唄者・築地俊造さんから「民俗学の愉楽/谷川健一」(現代書館)と言う本を借りて読んだ。この本のあとがきの後に柳田國男「フォークロアの原点」を語る、という文章があり、これがとても興味深い。前にも一度引用したが、

〜略〜
 記録にも何にも表れない人の生活というものが日本には八〇パーセント以上あるんですよ。悪いこともいいことも両方ともしなけりゃ記録に残りゃしないですからね。そんな連中の間には一人ひとりの個性なんてものは少なくて、共通性が非常に多いんですから。地方でこそそれはあるから、東北の人と、やはり四国・九州の人を見ると違うしね。そうかと思うと、思いがけなく四国・九州の人と東北が一致していることがあるんですね。それなど無意識に一致しているんです。こんなこと誰も知りません。むこうも知らず、こちらも知らず、旅人はなおのこと知らない。
 そういったようなものが日本のような長い島においては、どうしたって見ずにはおられないんだから。知らずにはおられないんだから。誰かが気をつけなきゃいけないといったような、ぼんやりとそういう気持ちを持っておったんです。
 つまり、埋もれてしまって一生終わるであろう、訴える道がなくしてしまうであろう、犯罪もしなければいいこともしないでいるっていうような人がね、ただなんとなく生き過ぎていくようなことを惜しがって、それに関する知識を残そうとしたのがフォークロアって言葉なんですよ。

1月4日(金)

 小雨が降り、風もあって肌寒い一日。 今日から仕事始めのところも多いようだが、米軍基地は昨日が仕事始めだったのか那覇の空は騒がしかった。今日も13時過ぎから家の上空をオスプレイが何機も普天間の方向へ飛んで行った。機体が近づくにつれ、空気がブルブルと震えるような重低音が響く。
 市街地上空での飛行、転換モードでの飛行は極力行なわないと日米合意がなされたというが、オスプレイ飛行モード、国は調査せずという記事が沖縄タイムスに掲載されていた。こうした沖縄防衛局、延いては防衛省や政府の不誠実な言動がオスプレイを含む基地問題をよけいに難しくさせているとしか思えない。
↓今日、家のベランダから。尾翼が赤いので、隊長機と思われる。→きょらじま第21号。
きょらじま
オスプレイ
 年末にさばくりにんさんから「きょらじま」の印刷ができたという電話をもらって本が送られて来るのを楽しみにしていたのだが、今日、宅急便で届いた。きょらじまは、奄美の自然を考える会の会報誌。年に一回の発行で、今号が21号です。ちなみに意味は美しい島。沖縄口の「ちゅらじま」とおなじです。沖縄口の「ちゅらさん」は、奄美だと「きょらむん」かな?
 会報誌なので自然や動植物の調査報告、調査結果、観察記録が主なのですが、今回、私の拙い奄美滞在感想文も掲載されました。以下、載せていただいた文章と写真です。 

『奄美の自然に触れて』

○会に参加するまで

 一昨年の6月16日早朝に、鹿児島からのフェリーで名瀬に着いた。
 この年の3月に50歳になったのを機会に、一年ほど人生の夏休みのつもりで奄美大島をのんびり散歩でもしながら過ごそうと思っていた。

 奄美との出会いは、瀬戸内町・古仁屋出身の歌手、RIKKIの『miss you amami』というCDのジャケット写真を撮影したことだが、考えると昔撮影のアシスタントに何回か来てくれた屋宮さんという女性が奄美出身だったり、10代後半にお世話になった東京・渋谷にあった「屋根裏」というライヴハウスの女性店長が西古見出身だったりと、なんとなく他にも縁はあったように思う。
 長浜に部屋を借り、さっそくニシムタで買った自転車と、道の島バスの一週間乗り放題チケットでアチコチ集落巡りを開始した。
 そんな折、今里までバスで行き、徒歩とバスで写真を撮りながら名瀬方向に移動していたら、大和村のバス停から孫を連れた事務局長の榮和朗さんが乗って来た。
 観光ですか?と声を掛けられ、しばらく話していたら今度観察会があるから参加するなら電話を下さいと携帯の番号を告げられた。奄美に来て2ヶ月ほど経った、8月11日のことだった。
 今なら自然を考える会の観察会がどんなものかわかるが、その時の榮さんの説明ではよくわからず、少し興味はあったが「ま、いいか」と放っておいた。
 すっかり観察会のことなど忘れていたある日、いつも自転車でブラブラしている朝仁海岸で、孫と一緒に砂浜の蟹穴に糸を垂らして蟹を捕まえている榮さんと再会した。そして8月29日に、自然を考える会の観察会があることをもう一度教えてもらい、これがきっかけとなって参加する事となった。

RIKKI01
RIKKI02

 ちなみに、まだ観察会に参加する前の7月18日、この朝仁海岸で宮久田地区の納涼大会があった。通りすがりに参加したその納涼大会の打ち上げで、田畑先生の隣りになったのもやはり何かの縁だろうか。

写真左は、RIKKIの『miss you amami 』オリジナル写真。写真中は、中野律紀。音楽雑誌ミュージックマガジンの仕事で、1994年9月にも一度撮影している。

○森の生命力

 当初は一年ほどの奄美滞在が、もう直ぐ2年になろうとしている。想像していた以上に奄美大島が大きい島だったこと、加計呂麻島・喜界島・徳之島ほか周辺の島々にも興味が出た事もあるが、もう一つ、雨の日が多くてなかなか外に出られず集落巡りが捗らなかった事もある。
 雨の日に窓を開けると、山からはモクモクと水蒸気が上がっている。雨が落ち、そして水蒸気が上がる。森が呼吸をしているようだ。そんな光景を眺めていると、もうマッチポンプ式に雨が止む事はないんじゃないかとさえ思える。
 そんな時は諦めて図書館の郷土史コーナーで借りて来た本を読んで過ごした。たぶん、こんなに本を読んだ時期はないんじゃないかと思うほど、奄美に関する資料や写真集、エッセイを借りて読んだ。 
 奄美については殆ど調べもしないで(戦後の一時期、アメリカの統治下にあったことはかろうじて直前に知ったが)ふらりと島に降りたので、今となっては本を読む時間を与えてくれた奄美の天気に感謝もしている。
 図書館で借りて来た中の一冊、奄美群島日本復帰40周年記念写真集『満天の星のごとく・・・』に昭和32年頃の金久中学校の円形校舎を撮影した写真が掲載されていた。その写真を見て驚いた。まだ塩浜も長浜も埋め立てられていない時代の写真だが、金久中学の背景にある赤崎山が段々畑になっている!!
 赤崎山は住んでいる部屋の直ぐ裏ということもあり、何回も赤崎公園まで上っている。赤崎山の斜面には蘇鉄やヘゴが生え、オオタニワタリが木に着生し、ヤマトンチュには、まるで太古からそこにある原生林のように見える。確かに、よく見ればかつて農作物を運んだのだろうか、急な斜面に伸びる鉄のレールが放置されていたり、今でも僅かだが段々畑が残り農作物が作られている。
 その後、奄美大島のほとんどの山に人が入り、手付かずの原生林は僅かしかないことを教えていただいた。

円形校舎と赤崎山


 それにしても、この急な奄美の斜面を耕した昔の人達のエネルギーを思い、その後原生林かと見紛うばかりに成長した植物の生命力を思う。

←奄美群島日本復帰40周年記念写真集『満天の星のごとく・・・』から。金久中学校の後ろ、赤崎山が段々畑になっているのに驚いた。円形校舎も昨年の春に取り壊されて、今はない。

○夜の森探検

 さて、これまで参加させていただいた観察会を並べてみると、
○2010年8月29日 湯湾岳、フォレストポリス、マテリヤの滝、大和ダムをまわるコース。
○2011年2月27日 本茶峠、大勝集落のオキチモズク、林業試験場、赤尾木、須野ダム、あやまる岬のコース。
○2011年4月24日 住用~宇検~大和村をまわるコースで、わだつみ館、東仲間のモダマ、住用川のアユ、イルカンダ、シマオオタニワタリ他を観察。
○2011年8月6日 住用地区を中心にした夜間観察会で、サガリバナ、リュウキュウアカショウビン、リュウキュウコノハズク、アマミイシカワガエル、アマミヤマシギ他を観察。
○2011年12月19日 宇宿漁港周辺、あやまる岬、笠利崎灯台、須野ダム、喜瀬をまわるコース。
○2012年2月26日 円の古道を歩く。
○2012年4月22日 西仲間のイルカンダ、カンツメの碑、うけん市場、西古見の集落と戦跡を観察。
○2012年6月3日 屋仁集落で海の生物を観察、佐仁小学校でオオゴマダラの黄金の蛹、蒲生崎神社。

 2010年の10月は100年に一度と言われる豪雨災害(と言いながら昨年は2回も豪雨に襲われた)が起こり、半年ほど観察会が空きましたが、それでも色々と参加させてもらい、どれもが興味深い物でした。
 それでも特別に印象に残っているものを一つ挙げるなら、夜間観察会だろうか。
 昼間に見ても存在感のあるヒカゲヘゴやガジュマルの巨木は、暗闇の中、ライトに照らされることで神秘な魅力が加わる。ライトを消して闇の中にジッと耳をすませば、鳥たちのさえずりやカエルの鳴き声が聞こえてくる。

夜のガジュマル

←昨年8月の夜間観察会にて。ガジュマルの巨木と、大きなケンムン?

↓ 昨年11月2日、大和村の林道で出会ったアマミノクロウサギ。この日は4羽に遭遇したが、撮影できたのは、この1羽だけ。

 

 

↓昨年10月20日、大和村の林道で撮影。ダリの宝石をまとったような、アマミイシカワガエル。

アマミノクロウサギ
アマミイシカワが得る

 この夜間観察会以外にも、アマミノクロウサギの調査をしに榮さんと何回か大和村や住用の林道を車で走った。
 車のヘッドライトにクロウサギが浮かんだ瞬間は、思わず声をあげるほどの興奮。アマミノクロウサギの他にも、リュウキュウイノシシ、金ハブ、ヒメハブ、マッタブ、ヒャン、オットンビキヤ、イシカワガエル、ハナサキガエル等ともドキドキしながら林道でご対面した。
 夜の奄美の森は、人間以外の動物と植物が支配する世界。ちょっと恐くもあるけれど、ワクワクもするワンダーランドだ。

*原稿を書いたのは、昨年の5月。文中の昨年は、一昨年になります。

1月2日(水)

 確か昨日の天気予報では曇りのち雨だったが、晴天。溜まっている洗濯物をする。
 朝から昨日撮影した写真を現像していたら、一日が終わってしまった感じだ。

 元旦の昨日は朝6時頃に家を出て、自転車で首里城へ。6時30分頃に着いて、日の出が見れそうな場所を探して城壁の横を歩いて行くと、それらしい場所が。あいにく下の方には暑い雲がかかっているが、7時30分近くになって、雲から太陽が顔を出した。しばらく日の出を眺めてから、新春の宴が開催される御庭へ。
 8時30分の奉神門の開門時に門番が銅鑼を叩き「ウケージョー」と発する御開門の後、正月三が日は正殿で御座額の演奏が行なわれる。
  御座額の演奏から、メイン行事である朝拝御規式が始まるまで時間があるので、南殿・正殿・北殿の展示を観て歩く。
 10時から始まった朝拝御規式は、琉球王朝時代に前日から元旦にかけて執り行われた儀式だそうですが、多くの儀礼の中から「子之方御拝・にぬふぁぬうぬふぇ」、「朝之御拝・ちょうぬうぬふぇ」、「大通り・おおとーり」の3つが再現された。
 朝拝御規式を観た後、12時30分から下之御庭で行なわれる琉球芸能の宴「かぎやで風」「四つ竹」「黒島口説」の3つの演目を観て、13時から芝生公園で披露される旗頭の演舞を観た。
 旗頭の演舞の後、首里城公園と道を挟んで隣りにある玉陵(たまうどぅん)へ。 玉陵は、琉球王国の第二尚氏王統の歴代国王と家族が祀られた陵墓。チケット売り場の隣りにある展示室には玉陵の模型があり、遺骨を納めた厨子がどのように配置されているか分かるようになっている。
 14時過ぎに玉陵を出て、波上宮へ。途中、docomoショップがあったので画面が真っ暗になった携帯をみてもらう。多分、電池が切れたんだと思うが、最近電池の消耗が早い気がする。充電してもらったところ携帯は起動した。携帯を2年以上使っているので、電池を無料でプレゼントしてもらえるという事なので一つ送ってもらう事にした。
 15時頃に波上宮に着いて、参拝。ようやく初詣ができた。
 自転車で元旦の街を走ろうかと思っていましたが、朝6時から活動していて疲れているのとお腹が空いたので真っ直ぐ家に帰る。
 昨日買ったサーモンのアラと野菜で鍋を作り、お餅を入れてちょっと遅い元旦のお雑煮を食べた。

朝拝御規式
玉陵

 ↑上は、朝拝御規式の第一部「子之方御拝」(にぬふぁぬうぬふぇ)から。下は玉陵。

 昨日の写真をPhoto Albumにしました。首里城から見た日の出の様子、朝拝御規式はこちら。琉球舞踊、旗頭の演舞、玉陵、波上宮の初詣、58号線の夕暮れはこちら

1月1日(火)

明けましたね、2013。

首里城から見た日の出
朝拝御規式
かぎやで風
 おめでとうございます。
 一番上は首里城から眺めた初日の出。厚い雲から顔を出しました。
 真ん中は琉球王朝時代、首里城で前日から元旦にかけて執り行われた儀式、朝拝御規式から。
 左は琉球舞踊の演目、かぎやで風。祝賀の時の座開きとして踊られる祝いの舞だそうです。You Tubeから「かぎやで風」。
 本年もよろしくお願いいたします。

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