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○1月1日(火)〜3日(木) 首里城「新春の宴」 おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期、下半期 |
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○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら) ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円 那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円 那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円 琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円 読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円 石垣島・東運輸 空港線・川平リゾート線5日間フリーパス1000円、みちくさフリーパス(全ての路線バスが、5日間乗り放題)2000円 西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円 与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく ○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu ○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ |
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曇り時々晴れ。風は強いが、南東からで暖かい。最低気温19℃、最高気温22℃。 午前中に、部屋の掃除と洗濯。 |
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「沖縄 御万人の心/小橋川共男写真集」(那覇出版社)、「沖縄 南島街道/藤原新也」(スイッチ書籍出版部)、「豊年を招き寄せる ヒラセマンカイ(奄美大島)/比嘉康雄」(二ライ社)。「豊年を招き寄せる ヒラセマンカイ」は、一昨年の7月に奄美図書館で一度借りているが、沖縄でいくつか祭祀を見た後で再読すれば、新しい発見があるだろうと思い借りて来た。*返却期限は、2月14日。 |
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沖縄に、天ぷらやは何軒くらいあるんだろうか。何百、何千・・・何万?総菜屋、弁当屋、魚屋で天ぷらも売っている店まで入れると星の数程ありそうだ。 |
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↑買ったのは4つなのに、家に帰って中を見ると5つ入っている。小さなサーターアンダギーをオマケで入れてくれたみたい。 | ||
晩ご飯の前に魚肉と竹輪、サーターアンダギーをおやつに食べた。 晩ご飯は、先日買ったイカ墨じゅーしぃと、野菜てんぷらを乗せた天ぷらうどん。 |
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沖縄の天ぷらは、衣がぼってりしている。そして衣に既に味が付いているので、ソースなしでも食べられる。 昨日、確定申告の用紙が届いた。源泉徴収書も一通届いている。もう、そんな時期ですね。 |
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ふいに目が覚めると身体が揺れている感じ。地震?とも思ったが寝ぼけているのかと思い、そのままもう一度寝てしまった。起きてから、やはり5時57分頃に沖縄本島近海で地震があったのを知る。那覇は震度1。 午後から自転車で普天間へ。大山ゲートを過ぎて、伊佐の交差点を右折。坂道の途中を右折して基地のフェンスに隣接した住宅街に入る。喜友名から新城へ。自転車をフェンスの近くにとめて、フェンス沿いに普天間へ歩いて行くと叫び声が聞こえる。声のする方に向かうと野嵩ゲートだった。月曜から金曜まで、ゲートの前でオスプレイ配備の反対を訴える人達の抗議の叫びだった。 |
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↑普天間基地周辺のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 ←普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会の抗議行動。毎週月曜の18時〜19時まで、野嵩ゲート前で行なわれている。 ゴスペルを聴いた後、ガードレールに括り付けた横断幕を撤収するのを手伝ってから自転車で帰宅。家に着いたのは夜の8時半だった。 |
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You Tubeから「沖縄県東村高江の唄/七尾旅人」「沖縄県東村高江の唄/青葉市子」。どちらのバージョンも良いですね。 その町には 武器など似合わない その町には シュロの木が揺れてた |
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伊江島の芸能&物産フェアでもらった島らっきょうを調理した。葉の部分はごま油で炒めて、味噌と味醂と砂糖で味付け。根?の部分は塩で一晩漬けて、鰹節をふりかけた。 | ||
昨年の12月に完成した沖縄タイムスの本社ビルで、昨日から伊江島の芸能&物産フェア「いめんしょり 伊江島んかい」が開催されている。今日は本社ビルの中にあるタイムスホールで「伊江島の村踊」があるので、観に行って来た。 昼の部は14時〜15時30分、夜の部は18時〜19時30分。13時頃に着いて、3階のホールに行くとチケットは既に完売。それでも若干当日券を販売するようなので、整理券を貰って列に並ぶ。開演の10分前、無事席に着けた。 |
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↓雨降花染。 →昨年12月に完成した沖縄タイムスビル。 |
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プログラムから。 |
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↑左側上から、汀間節、扇様は、宮古節。右側上から、シティナ節、あかきな節、フィナーレは出演者全員でましゅんく節。 | ||
↓公演のチケットは1500円ですが、500円のクーポン券が付いている。1階の物産フロアでイカ墨じゅーしぃの素300円と、パイン味のモズクゼリー350円を購入。2つで550円にして下さったので、差額の50円を支払う。 | ↓公演の後、出口で島らっきょうが配られた。ちょっと嬉しい。塩漬けを作ってみようかな。 | |
この国指定重要無形文化財に指定されている伊江島の村踊を見れるのは、11月に開催される村産業まつりの際に行なわれる村民俗芸能発表会の時だそうです。面白いのは、伊江島にある8つの字が毎年輪番で発表すること。なので全ての字の踊りを見るには8年かかることになる。少しずつでも一度に8字の踊りが見れた今回の公演は、貴重かもしれない。 それにしても各演目は短いですね。1時間半の公演で、村踊として17の演目が披露された。司会の女性が、伊江島の踊りは世界一早いと言ってましたが、なるほど頷けるかも。長い踊りは4分程あるかもしれないが、大方が1分前後の踊りです。 You Tubeから「ヨイヨイ節、雨降花染」「あかきな節」。あかきな節は奄美大島から伝わったそうなので、あかきなは、嘗て大島代官所のあった笠利の赤木名集落の事だろうか。春の訪れの喜びを歌った踊りだそうです。 |
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風は少し冷たいが、晴れ。サイクリング日和。 つい最近オスプレイの重低音ではなく、空を切り裂くような爆音が聞こえた。窓を開け、ベランダから空を仰ぐと上空に小さな飛行物体。今月14日から嘉手納基地に暫定配備されたF22ステルス戦闘機かな? せっかくのサイクリング日和なので、おにぎりとサンピン茶を持って嘉手納まで走ってきました。 |
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↑嘉手納基地を離発着する軍用機。ノートリミング。↓北谷のアメリカンビレッジ上空を旋回し、嘉手納に戻る(たぶん) |
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午後1時過ぎに家を出て嘉手納基地まで。2時間程で着いた。途中北谷のアメリカンビレッジの上空を旋回している 家に戻りテレビを付けると、今日の沖縄は煙霧が発生していたとニュースが報じた。確かに、少し視界が悪かった。 |
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サイクリングに出かける直前に、アマゾンでポチッとした品物が届いた。←400倍速8GBのCFカードを2個。↓インク4本、プリント用紙、ポータブルな外付けHDD。 | ||
本日のスナップ(普天間、北谷、嘉手納)をPhoto Albumにしました。こちら。 You Tubeから「あしたてんきになあれ/はっぴいえんど」「空飛ぶくじら/大滝詠一」。 |
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昨日と打って変わって、雲の多い空。昼過ぎに一時本格的な雨になったが、その後は霧雨。 | ||
布団の上でゴロンとなって、「来訪するマユの神 マユンガナシー(石垣島)」(ニライ社)を読む。 ←いかにも水分をたっぷり含んだような雲。この後、堪えきれなくなったように一時激しい雨が降った。 |
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↓→初めに主催者である那覇市長・翁長雄志氏のあいさつ。 |
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「オスプレイの配備撤回を求める那覇市民大会」次第から。 2.決意表明 |
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3.大会決議・発表 那覇市自治会長会連合会会長(共同会長) 福治貞子 4.ガンバロー三唱 那覇市国際交流市民の会会長(共同代表) 伊藝美智子 大会は18時5分に始まり、18時50分頃に閉会した。少しですが大会の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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那覇市民大会に続き、東京でも今月の27日、28日に抗議が行なわれます。27日は午後3時から日比谷野外音楽堂で集会の後、銀座パレード。また、この東京での抗議活動に合わせて沖縄タイムス社は25日〜27日まで有楽町朝日ギャラリーで、戦後の沖縄で起きた事件・事故の写真や資料を集めた「刺さった記憶」展を開催する。入場は無料。 | ||
昨日は大寒。東京では、明日の朝方にまた雪が降るかもしれないとか。那覇の今日は、午前中こそ雲が多かったものの、昼からは晴れ間が広がり絵に描いたような青空だった。天気予報では最低気温18℃、最高気温24℃となっているが、体感温度はもう少し高かったように思う。ちょっと強めの南風が気持ちよかった。 昨日年賀状の当選番号が決まり、確認したらお年玉切手が2枚当たっていたので郵便局で早速交換。ついでにレターパックを2つ出して来た。 郵便局から旅行会社に行き、来月宮古島に行く飛行機のチケットを手配。一度部屋に戻りスーパーで食材を買って来てから、今度は宿の手配。1泊1000円のゲストハウスがとれた。 スーパーからの帰り、エレベーターの中でお隣のおじさんと一緒になり、少し世間話。引っ越して来てから何度か玄関先で会釈する事はあったが、会話らしいものは初めて。しばらくするとチャイムが鳴って、先ほどのお隣さんが頂物だと言う久米仙と黄桃の缶詰を持って来て下さった。ありがとうございます。 |
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↑ベランダから。絵に描いたような青空。 ←お年玉切手。 ↓お隣さんからの貰い物。 |
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新石垣空港が3月7日に開港する。今日、格安航空会社のピーチ・アビエーションが6月14日から関西ー新石垣線、9月13日から那覇ー新石垣線を就航する計画だと発表した。那覇ー新石垣線の運賃は3,290円〜となっている。またスカイマークも就航を予定している。 夜、アマゾンで久しぶりにポチッ。インク、プリント用紙の他に撮影旅行に供えてポータブルな外付けハードディスク、カメラ用のメモリーカードを購入。 |
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旧暦12月8日の今日は、ムーチー(餅)。この鬼餅の日には健康、長寿を祈願してお餅を食べるそうです。牧志公設市場の周りでは、ムーチーを台に並べたお店がアチコチに並んでいました。 昔は各家庭で作り、子供のいる家は子供の歳の数だけ吊るしたそうです。 ムーチーを買う時に今もそんな光景は見れますか?と尋ねると、私は見た事がないので那覇では50年くらい前の話しじゃないかと言う。まあ、どこかの家庭では手作りのムーチーを今も吊るしていると思うけれど、一般的ではなくなったのかもしれない。 |
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←↑こちらのお店で、白と黒のムーチーを1つずつ購入。違うお店で紅芋のムーチーを1つ買った。白のプレーンが100円、黒と紅芋は120円。 | ||
沖縄でなぜムーチーを食べるようになったかは、こちらの民話を。童話や民話の多くにはエロスとタナトスが秘められていますが、このお話もそうなっています。 →鬼になった兄を妹が突き落とした崖。 |
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↑買って直ぐ、アチコーコーなうちに黒糖入りのムーチーを食べた。ムーチーは餅粉を練って、月桃の葉(沖縄ではサンニン、奄美はサネン)で包み、蒸して作ります。葉の香りがムーチーに移り、なんだか身体に良さそう。 | ||
牧志から安里に出て、坂を上り首里城へ。自転車をとめて、石畳の道で有名な金城町へ。石畳から少し外れたところに内金城御嶽がある。この御嶽には樹齢200年とも300年とも言われるアカギの大木がある。このアカギや御嶽をしばらく撮影していると、子供達を連れた先生や、観光客を案内しているガイドさんがやって来てムーチーの民話を紹介していた。 |
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↑首里城近くの崎山公園にて。中央の小さなシルエットは、那覇空港を飛び立ったばかりの飛行機。島影は、慶良間諸島。 ←崎山公園からの夕景。水平線に太陽が沈むのを期待していましたが、雲の中に消えて行きました。 ↓本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。首里でも緋寒桜が咲き始めましたね。 |
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ムーチーの行なわれる頃が一番寒い時期になることから、その寒さをムーチービーサーと言うそうです。昨日、一昨日は本当に寒かったですが、今日は日差しがあったので日中はポカポカでした。それでも日が傾き始めると、とたんに寒くなりました。ムーチービーサー。 | ||
1月18日(金) |
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午後に暫く小雨が降ったが、概ね晴れ。それでも昨日に続いて寒い一日で、最低気温が11℃、最高気温が15℃。 | ||
先月借りた本7冊を読み終えたので若狭図書館に返却に行き、新たに3冊借りてきた。 ←今日借りてきた3冊。比嘉康雄さんの神々の古層シリーズから「遊行する祖霊神 ウヤガン(宮古島)」「来訪する鬼 パーントゥ(宮古島)」「来訪するマユの神 マユンガナシー(石垣島)」(ニライ社)。 |
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今日返却してきた中の一冊「海の神への願い 竜宮ニガイ(宮古島)」から、気になった箇所を抜粋。 池間島のヒダガンニガイ 1.池間島の概況 ~略~ 佐良浜のヒダガンニガイ 1.伊良部島の概況 ~略~ 2.祭祀体系の概略(前里添、池間添) 前述したとおり前里添、池間添は池間島から分村してできた集落で、もう一つの池間島からの分村集落、西原(宮古本島在)と共に祭祀体系が親島である池間島とほぼ同じであるのは、分村時に祭祀体系も移したからである。 |
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映画「スケッチ・オブ・ミャーク」で取り上げられたミャークヅツが行なわれるのが、池間島、伊良部島の佐良浜、宮古島の西原地区。池間島を祖とする、池間民族とも言われる人達の生活の場だ 宮古島から発信するWEBマガジンあんちーかんちーから、池間島のミャークヅツ、佐良浜のミャークヅツ、西原のミャークヅツ。 |
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午後から牧志のひやみかちまちぐわー館へ、前川守賢さんの民謡ショーを見に行く。一回目のショーは14時から30分間。10分程前に会場に着くと粗方席が埋まっていて、始まる頃には立ち見になっていた。 守賢さんの父親が、照屋林助さんと漫談グループ・ワタブーショーを結成した守康さんというのは知っていたが、守賢さんについての知識はほとんど無い。それでもショーが始まれば「かなさんどー」「遊び庭(あしびなー)」も沖縄に来て半年で既に耳に馴染んだ曲になっている。テレビからよく流れている泡盛殘波のCMソングも、守賢さんの曲と唄だった。 You Tubeから「遊び庭〜かなさんどー〜世果報でーびる」「沖縄そばの歌」「泡盛残波」。 |
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民謡も楽しかったが、標準語とうちなーぐちを交えての話しが面白い。リズミカルなうちなーぐちは、意味は解らなくてもだんだん楽しくなってくる。その最たるのが2005年に亡くなった林助さんのワタブーショーで、林助さんの唄を上手いな〜と思ったことはないが、陽気な呪文のように聞こえるうちなーぐちの話術にやられてしまう。心がドキドキすることを「チムドンドン」と表すうちなーぐちの、なんて素敵なことか。 |
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↓国際通り近くにて、建物に直書き。なんだか豪快な字です(笑)。 | ||
↑民謡ショーを見た帰り、国際通りからイオンの横に抜ける路地で見つけた張り紙。辰年の御願解きを行ないますと書いてある。沖縄では張り紙を使ったお知らせも、まだ多い。家の近所で、同窓会のお知らせを書いた大きな横断幕を見たこともある。 ←同じ路地に、入居者募集の立て札。女性・ニューハーフ専用。 |
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阪神淡路大震災から、今日で18年。 |
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↑南京の大きな体育館で行なわれた、黒豹のコンサート。客席から使い捨てライターが飛んで来た。そして客席の下には公安部員が並んでいた。↓コンサートの後の打ち上げにて、黒豹のメンバー。 You Tubeから「無地自容/黒豹」←いつのコンサートか分かりませんが、18年前に撮影した時と同じメンバーですね。2回ほど来日しているはず。 |
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昨日は爆弾低気圧の影響で関東地方に大雪が降り、残った雪で路面が凍って今朝も交通事故や怪我人が続出したとTVのニュースが伝えていた。那覇から羽田行きの飛行機も欠航したので、沖縄も東京の大雪とまったく無関係ではいられなかった。 今日は小正月、昔は今日までが松の内。波上宮でも午前中に正月飾りを焼く、どんど焼き(左義長)が行なわれたそうだ。 昨年、一昨年のお正月を過ごした名瀬では、この小正月の前日にナリムチを飾る。小正月の少し前からスーパーや八百屋、雑貨屋さんに4色のお餅のパックと、ぶぶの木(リュウキュウエノキ)が並ぶ。ぶぶの木の枝に、小さく切った色とりどりのお餅を飾るのがナリムチで、お墓や床の間、軒下に供える。 一昨年はぶぶの木とお餅を買ってきて、自分でも作ってみた。部屋には床の間も神棚もなかったので、トイレの出窓に飾った。花瓶の代わりに使ったのは、田中一村の絵がラベルになった焼酎「奄美の杜」。壁も天井も配管も白く塗られたトイレで、今まで住んだ中で一番快適なトイレだった。白い空間にカラフルなナリムチが気に入って、しばらく飾っておいた。 |
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フライパンの加工が剥げてきて、最近焼き物をしていると焦げ付き易くなってきた。昼ご飯に焼うどんを作ったが、うどんがフライパンから離れない。食材を買いに出たついでに、新しいフライパンを購入。 | ||
←晩ご飯は大根、厚揚げ、さつま揚げ、鶏肉を甘辛く炊いた。大根おろしを乗せてみぞれ風に。 →フライパン、598円也。 |
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巷ではボタン一つで部屋の中を自動でキレイにしてくれるルンバというロボット掃除機が人気だそうですが、家は奄美大島に引っ越した時に100円ショップで購入した箒と塵取りを愛用しています。2つで200円。名瀬の部屋も那覇の部屋も全てフローリングだったので、床にコーヒーを淹れた後の粉を撒いてホコリを吸着させながら掃いています。 スーパーで買った熊本産のコシヒカリが残り1合と少ししかなかったので、先日いただいたコシヒカリの詰め合わせを出した。岩舟産、魚沼産、佐渡産のコシヒカリが2袋ずつ入っている。熊本産のコシヒカリに、岩舟産のコシヒカリを足して2合にして炊いた。次は岩舟産を単体で。しかし私の頼りない舌で、それぞれの味の違いはわかるだろうか。 このコシヒカリは結婚祝いに夫婦茶碗を贈ったら、そのお返しにいただいた。なんだか入れ物を贈ったら中身が返って来た感じで、今度は財布でも・・・と思ったりもする。 |
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←愛用の箒と塵取り。コーヒーの粉にホコリを吸着させながら掃いています。 |
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泡盛が一番コストパフォーマンス良く酔えるので、家で呑むのはもっぱら泡盛。手軽な値段のオリオン・ビールでさえ中々手が出ないが、お歳暮にエビスビールをいただいた。御礼に沖縄で撮影した写真の中からピックアップして、プリントをした。L版より少し大きいKGサイズ。インクを乾かすため、掃き掃除をした床に並べて行く。 |
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プリントをし、どこで撮った何の写真なのか一枚一枚説明文を書いていたら、一日が過ぎて行った。 | ||
久しぶりに晴れ。2日以来だろうか。 特大のオムライスを昼ご飯に作って食べてから、牧志公設市場近くの商店街、おもろまちのスーパー、近所の八百屋で買い物。その後、日光浴を兼ねて自転車でぶらぶら。 泊港から浦添方面に走り、国立劇場おきなわまで。ここで3月15日〜17日まで新作組踊「聞得大君誕生(ちふぃじんたんじょう)」が行なわれ、坂東玉三郎さんが出演する。5,000円かあ・・・orz。 劇場の横、キャンプ・キンザーの手前を流れる小湾川を橋から眺めていたら、小さな小さなマングローブを発見。那覇空港の近くにある瀬長島に渡る海中道路のところにも、わりと大きなマングローブがあった。沖縄は探せばアチコチにありそうだ。 国立劇場おきなわから、来た道とは違う路地を探しながら泊方面に帰る。こうして路地から路地へ自転車で走っていると市街地の住宅密集具合がよく分かる。それはだだっ広いキャンプの芝生と対照的に存在している。 |
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泊を越えて、今度は若狭方面に自転車を走らせる。波之上ビーチにはポツポツと人がいた。しばらく腰掛けて休んでから、また泊方面へ。泊港で夕暮れの風景を少し眺めて帰って来た。 →小湾川の小さなマングローブ。 |
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今日、名護でタンカンの初出荷式が行なわれたそうだ。暮れぐらいから八百屋にタンカンが並んでいたのですが、今日、公設市場近くの商店街に机を置いて野菜を売っているおばちゃんから一袋買った。小さめのが11個入って200円だった。皮が薄くて固くて少し剥き難いが、甘くて美味しかった。奄美のタンカンはもう少し後、2月頃かな。 RYUKYU CLASSICを呑み終えたので、昨日から轟を呑み始めた。これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟。 |
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↓タンカン。ふわっと広がる香りもいい。→轟の30度。 |
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今日は昼から自転車で出掛けていて分からないが、このところ家の上空をオスプレイや軍用機が頻繁に飛んで行く。↓の写真は、一昨日部屋のベランダから。 |
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昨日のニュースで写真家の東松 照明さんが、昨年12月14日に那覇の病院で亡くなられたのを知る。昨日は共同通信の記事を載せていた沖縄タイムスだが、今日は沖縄在住の写真家のコメントなどを入れた記事を掲載している。 少し時間が経ちましたが、先月23日に行なわれた御万人大行進 愛と怒りのサウンドパレードの様子をPhoto Albumにしました。宜野湾海浜公園野外劇場での抗議集会はこちら、歓会門から大山ゲートまでのパレードはこちら。 |
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↑上は野外劇場にて、抗議集会の前に行なわれたでいご娘のライヴ。下はサウンドパレードの終点、大山ゲートにて。 You Tubeから「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー/でいご娘」。艦砲は、アメリカ軍の艦砲射撃。喰ぇーぬくさーは、食べ残し。艦砲ぬ喰ぇーぬくさーとは、悲惨な沖縄戦を生き残った人びとの事だそうです。歌詞がこちらに載っていました。 QABが制作した高江のドキュメンタリ番組『標的の村』1時間バージョンに、英語字幕が付いたものがUPされています。こちら。 |
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1月6日(日) |
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先月若狭図書館から借りて来た7冊の本のうち、神々の古層シリーズ「 巡行する神司たち マチリ(与那国島)」「異界の神ヤガンの来訪 ヤガンウユミ(粟国島)」「来訪するギレーの神 シマノーシ(渡名喜島)」の3冊と、「私の歩んだ写真の記録/金城 棟永」を読み終えた。 「私の歩んだ写真の記録」は昭和28年〜44年頃の那覇の様子を記録した写真集だが、本島南部・中部・北部、そして座間味島と八重山も少しずつ掲載されている。撮影日と場所が丁寧に記されているのが素晴らしい。 今や大型のクレーン車で吊り上げて運ばれる那覇大綱引きの綱だが、本に載っている昭和36年の綱は そこまで巨大化していない。また現在は国道58号を使用しているが、この頃は若狭大通りで綱引きが行なわれていたようだ。米軍1号線と呼ばれていた当時の国道58号や、国際通りの変化がよく分かる。 本の表紙に掲載されている着物姿の男女が立っている写真は、昭和38年4月4日に撮影された開南バス停留所とキャプションに書いてあったので、午後から運動がてら散歩に行って来た。 国際通りから壺屋やむちん通りの横を過ぎて農連市場の手前で自転車をとめ、歩いて開南バス停へ。てっきり開南という住所があるものだと思っていたら、周辺の地名は樋川だった。しばらくバス停の周りを歩き、農連市場から牧志公設市場に足を延ばす。2時間ほど散歩して自転車を取りに戻り、日曜日で歩行者天国になっている国際通りを県庁側にゆっくり走り、昨年末に完成した那覇市役所の新庁舎を見て帰って来た。 |
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↑左は「私の歩んだ写真の記録/金城 棟永」。右は今日撮影して来た、同じ場所と思われる開南バス停。 |
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本日のお散歩スナップをPhoto Albumにしました。こちら。 ←昨年末に完成した那覇市役所の新庁舎。新年4日から業務を開始しているが、今日も引っ越し作業が行なわれていた。琉球新報の記事によれば、ベランダや屋上に草花が植えられており、将来的には建物の4割を緑が覆う構想だそう。 |
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再放送のようだが、昨日「魂のゆくえを見つめて〜柳田国夫 東北をゆく〜」を観た。 〜略〜 |
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小雨が降り、風もあって肌寒い一日。
今日から仕事始めのところも多いようだが、米軍基地は昨日が仕事始めだったのか那覇の空は騒がしかった。今日も13時過ぎから家の上空をオスプレイが何機も普天間の方向へ飛んで行った。機体が近づくにつれ、空気がブルブルと震えるような重低音が響く。 市街地上空での飛行、転換モードでの飛行は極力行なわないと日米合意がなされたというが、オスプレイ飛行モード、国は調査せずという記事が沖縄タイムスに掲載されていた。こうした沖縄防衛局、延いては防衛省や政府の不誠実な言動がオスプレイを含む基地問題をよけいに難しくさせているとしか思えない。 |
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↓今日、家のベランダから。尾翼が赤いので、隊長機と思われる。→きょらじま第21号。 | ||
年末にさばくりにんさんから「きょらじま」の印刷ができたという電話をもらって本が送られて来るのを楽しみにしていたのだが、今日、宅急便で届いた。きょらじまは、奄美の自然を考える会の会報誌。年に一回の発行で、今号が21号です。ちなみに意味は美しい島。沖縄口の「ちゅらじま」とおなじです。沖縄口の「ちゅらさん」は、奄美だと「きょらむん」かな? 会報誌なので自然や動植物の調査報告、調査結果、観察記録が主なのですが、今回、私の拙い奄美滞在感想文も掲載されました。以下、載せていただいた文章と写真です。 |
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『奄美の自然に触れて』○会に参加するまで 一昨年の6月16日早朝に、鹿児島からのフェリーで名瀬に着いた。 奄美との出会いは、瀬戸内町・古仁屋出身の歌手、RIKKIの『miss you amami』というCDのジャケット写真を撮影したことだが、考えると昔撮影のアシスタントに何回か来てくれた屋宮さんという女性が奄美出身だったり、10代後半にお世話になった東京・渋谷にあった「屋根裏」というライヴハウスの女性店長が西古見出身だったりと、なんとなく他にも縁はあったように思う。 |
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ちなみに、まだ観察会に参加する前の7月18日、この朝仁海岸で宮久田地区の納涼大会があった。通りすがりに参加したその納涼大会の打ち上げで、田畑先生の隣りになったのもやはり何かの縁だろうか。 写真左は、RIKKIの『miss you amami 』オリジナル写真。写真中は、中野律紀。音楽雑誌ミュージックマガジンの仕事で、1994年9月にも一度撮影している。 |
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○森の生命力
当初は一年ほどの奄美滞在が、もう直ぐ2年になろうとしている。想像していた以上に奄美大島が大きい島だったこと、加計呂麻島・喜界島・徳之島ほか周辺の島々にも興味が出た事もあるが、もう一つ、雨の日が多くてなかなか外に出られず集落巡りが捗らなかった事もある。 |
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←奄美群島日本復帰40周年記念写真集『満天の星のごとく・・・』から。金久中学校の後ろ、赤崎山が段々畑になっているのに驚いた。円形校舎も昨年の春に取り壊されて、今はない。 |
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○夜の森探検
さて、これまで参加させていただいた観察会を並べてみると、 2010年の10月は100年に一度と言われる豪雨災害(と言いながら昨年は2回も豪雨に襲われた)が起こり、半年ほど観察会が空きましたが、それでも色々と参加させてもらい、どれもが興味深い物でした。 |
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←昨年8月の夜間観察会にて。ガジュマルの巨木と、大きなケンムン? ↓ 昨年11月2日、大和村の林道で出会ったアマミノクロウサギ。この日は4羽に遭遇したが、撮影できたのは、この1羽だけ。 |
↓昨年10月20日、大和村の林道で撮影。ダリの宝石をまとったような、アマミイシカワガエル。 |
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この夜間観察会以外にも、アマミノクロウサギの調査をしに榮さんと何回か大和村や住用の林道を車で走った。 *原稿を書いたのは、昨年の5月。文中の昨年は、一昨年になります。 |
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確か昨日の天気予報では曇りのち雨だったが、晴天。溜まっている洗濯物をする。 元旦の昨日は朝6時頃に家を出て、自転車で首里城へ。6時30分頃に着いて、日の出が見れそうな場所を探して城壁の横を歩いて行くと、それらしい場所が。あいにく下の方には暑い雲がかかっているが、7時30分近くになって、雲から太陽が顔を出した。しばらく日の出を眺めてから、新春の宴が開催される御庭へ。 |
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↑上は、朝拝御規式の第一部「子之方御拝」(にぬふぁぬうぬふぇ)から。下は玉陵。 昨日の写真をPhoto Albumにしました。首里城から見た日の出の様子、朝拝御規式はこちら。琉球舞踊、旗頭の演舞、玉陵、波上宮の初詣、58号線の夕暮れはこちら。 |
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明けましたね、2013。 |
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おめでとうございます。 一番上は首里城から眺めた初日の出。厚い雲から顔を出しました。 真ん中は琉球王朝時代、首里城で前日から元旦にかけて執り行われた儀式、朝拝御規式から。 左は琉球舞踊の演目、かぎやで風。祝賀の時の座開きとして踊られる祝いの舞だそうです。You Tubeから「かぎやで風」。 |
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本年もよろしくお願いいたします。 | ||
2012年12月へ |