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バックナンバー

○9月3日(火) 歯医者 11時〜
○9月11日(水) 若狭図書館本の返却期限
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月11日(水)〜15日(日) 名護市屋部の八月踊り
○9月14日(土) 久高島 八月マティ
○9月15日(日) 久高島 ヨーカビー
○9月16日(月) 久高島 テーラーガーミ
○9月15日・16日 バスの日フリー乗車券前期券
○9月19日、20、22日 糸満市内の旧暦八月伝統行事
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引 大綱作りは午前8時30分〜午後1時 道ズネーは午後2時〜4時30分 大綱引きは午後5時〜6時。
○9月19日(木) 米須 <ウシデーク・獅子舞>16時~(拝所~コミニュティーセンターへ17時半ごろ到着)/終了後青年会OB主催の角力大会/コミュニティーセンター(☎997-4566) 米須農協前で下車し、獅子屋。
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月21日(土) 山原のムラ・シマ講座
○9月21日(土) 喜屋武の組踊 午後3時〜 入場無料
○9月21日(土) 屋我地島 豊年祭 19時〜
○9月21日(土) 戦後のLOVE&HATE・「外人住宅 岡本尚文の写真」関連トークイベント/19:45~21:00(開場19:15) D&DEPARTMENT OKINAWA by OKINAWA STANDARD
○9月21日(土)、22日(日) 中秋の宴首里城公園 18時30分〜21時
*8月29日(木)〜9月24日(火) 外人住宅 岡本尚文の写真 11:30 - 19:30 ※水曜日定休
○9月22日(日) 世名城のウスデーク
○9月22日(日) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事) 昼の部午後3時〜 夜の部7時〜第2富盛下車。富盛公民館
○9月22日・23日 バスの日フリー乗車券後期券
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
9月25日(水) 若狭図書館本の返却期限
○9月25日(水)〜27日(金) 池間島・西原ミャークヅツ
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○9月30日(月)〜10月2日(水) 西表島 祖納・干立 節祭 記事
○9月30日(月)〜10月2日(水) 小浜島 結願祭
○10月6日(日) 県立図書館本の返却期限
○10月11日(金) カジマヤー 旧暦9月7日
○10月11日(金) 座間味島 海御願(うみうがん)
○10月12日(土) 若狭図書館本の返却期限
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 山原のムラ・シマ講座
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土) 山原のムラ・シマ講座
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○11月20日(水)〜21(木) 竹富島 種子取祭タナドゥイ
○12月1日(日) NAHAマラソン
○12月21日(土) 山原のムラ・シマ講座

与那国島の奇祭マチリ・カンブナガ
○12月20日(金) クラブマチリ
○12月21日(土) ウラマチリ
○12月24日(火) ンディマチリ
○1月11日(土) ンマナガマチリ
○1月12日(日) ンダンマチリ
○1月13日(月) アンタドゥミ

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
宮古島・宮古協栄バス
宮古島・八千代バス
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
安栄観光フェリー
八重山観光フェリー
石垣島ドリーム観光
スカイマーク
ピーチ
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

9月30日(月)

 一昨日宮古島から帰って来たばかりですが、今日から西表島・租納と干立の節祭(シチ)を観に行く。
那覇空港
 7時半過ぎに部屋を出て、モノレールの美栄橋へ。いつもは昼ご飯用のおにぎりを作って持って行くが、お米が無くなったので今日はなし。早めに搭乗手続きを済ませて、いつものようにロビーで出発を待つ。席にゆとりがあるようで、窓側の席が簡単にとれた。
 10時丁度のスカイマークSKY561便で、石垣空港へ。ほぼ定刻に着いて、路線バスでバスターミナルへ。ターミナル近くの酒屋とコンビニで、泡盛とカップ麺やパンを買って行く。
 離島ターミナルに行き、13時30分発の西表島・上原港行きの切符を購入。出発までの間に売店で、お弁当を一つ購入。
 上原行きの船はちょっと小さめで、波が高かったこともあって揺れに揺れた。窓がないので、両端の席は波しぶきを被って大変な事になっていた。乗船時間は40分ほどだけれど、ちょっとぐったり。
上原港行きのフェリーから
↑西表島の上原港行きのフェリーから。手前の平らな島は竹富島。その奥に西表島が見える。
 上原港についてフェリー会社の無料送迎バスで、租納集落へ。バス停の先に今日から3泊する宿があった。部屋を案内してもらい、3泊分の宿代6000円を支払う。宿の直ぐ裏にある公民館に行き、今日のウブシクミ、リハーサルの時間を尋ねると20時からだそうだ。一旦宿へ帰り買って来たお弁当を半分食べて、宿の自転車を借りて租納の節祭が行われる前泊浜へ。
うさい作り01
うさい作り02
 浜へ下りる手前で、人だかりが見えたので寄ってみると明日行われるユークイのお供えや来賓の方のためのうさい(料理)作りだった。
浜のスナップほか
 海岸へ下りると舟漕ぎ用の舟が2隻、浜に並べられていた。舟の後部にはお米と塩、ウコーが供えられている。しばらく祖納の集落を自転車で走り、それから隣りの干立へ移動。集落の間は、自転車でゆっくり走って5分ほどか。
 干立ての公民館へ行くと、子供達が旗頭の練習をしている。公民館の隣りが祭りの主祭場となる干立ウガンで、その前が舟漕ぎが行われる前泊海岸。海岸では女性達が、珊瑚の欠片を拾っていた。この珊瑚を夜、家の周りに撒いて屋敷を祓い清めるそうだ。
干立の公民館にて
珊瑚の欠片を拾う女性たち
↑左は干立の公民館にて。オホホとミリクのお面が置いてある。右は旗頭演舞の練習をする子供たち。←↓屋敷を祓い清めるために撒く、珊瑚の欠片を拾う女性たち。
珊瑚の欠片
干立集落の龕屋

←干立集落の外れに龕屋(ガンヤー)があった。龕は、遺体を納める棺(かん)や輿(こし)。後日集落の方に聞いたところ、隣りの集落(祖納?)に簡易な火葬場があり、そこを使う際には龕で運ぶそうだ。

 18時半頃に宿へ戻り、シャワーを浴びてから、食堂で宿のご主人とゆんたくして休憩。今年の6月から宿を引き継いだそうで、まだお若い。

 公民館でのウブシクミは20時からと聞いていたが、30分ほど前に行って様子を伺う。ウブは大きい、シクミは仕込みで総合リハーサルのようなものだろう。衣装は着けないが、明日のユークイで奉納される演目を順番通りに行う。
ウブシクミ

 ウブシクミが終了したのは22時少し前で、その後は公民館の中で館長さんや祭りの責任者の方が挨拶、そして明日のスケジュールの確認が行われた。
 公民館から歩いて2分もかからない宿に戻り、お弁当の残りを食べながら、撮影データのバックアップ。カメラのバッテリーを充電しながら日記用のメモを途中まで書いて就寝。

*本日の出費。美栄橋→那覇空港290円、那覇→石垣5000円(事前に購入済み)、石垣空港→バスターミナル520円、八重泉900ml650円、お弁当(?)、カップ麺258円、カップうどん195円、焼きそばドッグ99円、カレーコロッケドッグ105円、チーズパン247円、ミネラルウオーター98円、3泊分の宿代6000円。

*この日の写真をPhoto Albumにしました。こちら。05〜17、29〜44は祖納集落、18〜28は干立集落の様子です。(2014年3月9日に更新)。

9月28日(土)

 25日から今日まで、池間島最大の行事と言われるミャークヅツを観て来ました。池間島、そこから分村して移り住んだ伊良部島の佐良浜地区と宮古島西原地区。この3カ所で行われた、池間民族のミャークヅツとミルク酒をたっぷりと堪能してきました。

 最終回でしたね。テレビの置いてない宿だったのですが、今日は時間があったので昼ご飯を食べた後、平良港の待合所まで行ってテレビを見ました。

天野春子と梅頭
↑天野春子(1989年3月に撮影。隣りは近田春夫さん)。梅頭(1991年11月17日に撮影)。

9月28日(土)

 今日の午後の便で那覇へ帰る。9時頃に起きて、ドミトリーのベッドを片付け。これでチェックアウトの用意はできた。
 リビングのテーブルにパソコンを広げて、昨日の日記メモを書く。昨日の事を思い出しながら、写真を見ながら書くので時間がかかる。書き終わったのは10時半過ぎだったろうか。
 チェックアウトは11時なので鍵を返し、荷物を預かってもらい、11時少し前に宿を出る。散歩がてら空港行きのバスが出る、西里通り入口まで写真を撮りながら歩く。バス停の場所と出発時刻の確認をして、公設市場へ。公設市場の2階にあるお店で、お昼ご飯。宮古島に来てからお弁当やパン、カップ麺と寂しい食事が続いたので、奮発して1200円の刺身定食を注文。
お散歩スナップ
お昼ご飯
↑お散歩スナップ。
←奮発した刺身定食。
↓フェリーの待合所でじぇじぇじぇ〜の最終回を観る。
フェリーの待合所
 食べ終わり市場の横の道を港の方に下りて行き、フェリー待合所で連続テレビ小説の最終回を見る。待合所で暫くぼんやりと休憩してから、まだ営業していない閑散とした飲屋街を行ったり来たりと散策。
お散歩スナップ
 散策に疲れたので市立平良図書館に寄り、1時間ほど椅子に座って写真集を2冊眺める。
 15時半過ぎに宿へ荷物を取りに行き、西里通り入口のバス停へ。バスを待つ時間は、いつもドキドキ。少しでも遅れると、何かの手違いでもうバスは行ってしまったんじゃないだろうかと不安になる。16時14分発のバスはほぼ定刻に到着して、空港に向かった。
宮古空港

 搭乗手続きを済ませて、ロビーで出発を待つ。30日から西表島の節祭を観に行くので、宮古島から石垣島に直接行こうかとも思っていたが、一旦那覇へ帰る事にして正解だった。明日一日部屋でゆっくりすれば、少しは疲れがとれるだろう。
 那覇行きの飛行機は満席で、出発時間はちょっと遅れた。那覇に近づくに連れて雲が多くなり、機体が少し揺れた。預けた荷物を受け取り、モノレールで美栄橋駅へ。駅を出ると道が濡れている。少し前まで雨が降っていたようだ。
 部屋に着いたのは20時頃。とりあえず撮影データを外付けのハードディスク2台にバックアップして就寝。

*宮古新報の記事 

*本日の出費。宮古→那覇5000円(事前に購入済み)、刺身定食1200円、西里通り入口→空港ターミナル210円、那覇空港→美栄橋290円。

*この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(2014年3月5日に更新)。

9月27日(金)

 ミャークヅツ3日目は、アトヌヒ。今日は池間島から分村して伊良部島の佐良浜地区に移住した人達のミャークヅツを観に行く。
 朝8時少し前に目を覚まし、30分ほどベットでウダウダした後、リビングのテーブルでパソコンを広げて昨日の日記メモの続きを書く。昨日は池間島から西原と移動したので書く事も沢山あり、時間がかかった。
 11時半頃に宿を出て散歩しながら、人頭税石を見に行く。案内板には、「宮古を訪れた民俗学者・柳田國男が『海南小記』の中で、この石柱をぶばかり石(賦測石)と称し、この石で背丈を測って石の高さに達すると賦課されたとの伝承を紹介している」と書かれているが、なぜこの石柱を賦測石と思ったのかは記されていない。
 人頭税石を見ようと思ったのは、多良間島の豊年祭もミャークヅツも人頭税に関係があるからだ。どちらの祭祀も人頭税を払い終わった喜びの祭りだと聞く。そして人頭税石は人頭税が年齢制で徴収される以前、この石の高さになると男は穀物、女は織物を納めさせるのに使われた。
お散歩スナップ
↑お散歩スナップ。↓→人頭税石。
人頭税石02
人頭税石01
 人頭税石のある場所から散歩しながら伊良部島行きのフェリーが出る平良港へ。途中にあったお店で天ぷらを購入する。5個で150円だが、オマケしてくれて野菜2個とさかな5個が入っていた。
 佐良浜港までの往復チケットを購入し、12時30分発のスーパーライナーはやてに乗船。波は高めで結構船は揺れた。
 20分程で港に着いた。佐良浜の集落は斜面にへばりつくように密集している。なんとなく、クイチャーが踊られるジャーは斜面の上の方にある気がして狭い路地を上へ上へと歩く。坂の途中でおじいさんが家から出て来たので、クイチャーの踊られる場所を尋ねると、海岸近く、下の方を指さして教えてくれた。
 教えられた方向に歩いて行くと狭い路地を挟んで仲村のジャーと、本村のジャーがあった。ジャーの横の路地を下りて行くと本村のムトゥが3つ並んでいた。一番手前にある真謝ムトゥに集まっていた男性や、ムトゥでの御願を担う元司の方に色々とお話しを聞く事ができた。
真謝ムトゥ
マイヌヤームトゥ
アギマスムトゥ
↑真謝ムトゥ。
↑マイヌヤームトゥ。
↑アギマスムトゥ。
元司はムトゥでの御願をするが神職ではなく長老から指名された男性が担う。佐良浜を前里添、池間添という2つに分けて書かれることがあるが正しくは仲村と本村だそうだ。そして仲村には前里ムトゥ、本村には真謝ムトゥ、マイヌヤームトゥ、アギマスムトゥがある。そして今年は神司が不在で、男が中心の祭祀であるミャークヅツは開催できるが、他の神事は難儀な様子だった。神司の任期は3年で仲村に3人、本村に3人。3人のうち一人でも欠けると、その年は神司が不在となる。聞き書きと島口での会話なので、間違いがあるかもしれません。 
 また、伊良部島の祭祀体系については「神々の古層 海の神への願い 竜宮ニガイ(宮古島)/比嘉康雄」(ニライ社)に詳しく書かれている。
2.祭祀体系の概略(前里添、池間添)
  前述したとおり前里添、池間添は池間島から分村してできた集落で、もう一つの池間島からの分村集落、西原(宮古本島在)と共に祭祀体系が親島である池間島とほぼ同じであるのは、分村時に祭祀体系も移したからである。
 両字の守護神を祭ってあるウタキが前里添にある。ウタキはナナムイ、ウハルズ、大主神社などと称されている。親島である池間島のウハルズウタキの分社的拝所と考えられる。このウタキを中心にして祭祀がおこなわれている。島で生まれ育った女性が四十七歳になると、ユークイという神女就任の祭祀を経てユークインマという祭祀成員になることが慣例である。
 ユークインマ(前里添五十~五十七歳、池間添四十七~五十七歳になる者)が氏名(夫の氏名)を書いたものを盆にのせてゆり落とし、落ちたものを再び盆に戻すことを数回くりかえして、多く落ちた者上位三名を司祭者として選定する。この選定方法をンマユイと称している。選定される三名はウフンマ、カカランマ、ナカンマである。ウフンマはウフヅカサともいい、一番の責任者(司祭者)である。カカランマはニガインマともいい、神がかりをして神詞を唱えるのが主である。ナカンマは供え物を整えたり、準備をしたりする役を担っている。任期は三年である。任期中は島を出ることを許されず、常に神職者の自覚を持って過ごさなければならない。もちろんこの三名の司(ンマ)は前里添、池間添にそれぞれいる。年中行事は前記ウハルズウタキを中心に両字合同の形でおこなわれる。なお「ンマ」は母親の意である。
↓→本村(池間添)の盆。この盆が、司祭者の選定の際に使われるそうだ。
本村の盆02
本村の盆01
真謝ムトゥでのニガイ01
真謝ムトゥでのニガイ02
↓ジャーへ。↑→真謝ムトゥでのニガイ。
ジャーへ
 14時40分に元司が、家の神棚に置いてあった盆を持って外に出て奥にある祠に御願をする。元司の後には、今年初親となる男性が並んでいる。一通り杯がまわされ神事が終わった後、元司を先頭に細い路地を通りジャーに入って行った。ジャーの中央に日の丸の旗とお神酒の入った瓶が置かれ、男性達は拝所の中に入り、ここでも御願が始まった。
 路地を挟んだ仲本のジャーにも旗とお神酒が置かれ、拝所の中では神司(任期の終わった女性が代理で行っている?)が御願を行っている。こちらでも男性が一人一緒に御願をされており、元司だろうか。
 30分ほど拝所の中で御願を行っていた本村も広場に出て、神司(任期を終えた前任の神司が代理?)と一緒に御願が始まった。
仲村ジャーでのニガイ
↑仲村(前里添)ジャーでのニガイ。↓本村ジャーでのニガイ。
本村ジャーのニガイ
 そうこうしているうちに、16時になって仲村ジャーでクイチャーが始まった。最初の曲はテンポの遅い、ゆったりとした歌と踊りで初親の男性と女性達が広場をまわる。その後はヒヤサッサの掛け声のにぎやかな歌となった。三線も太鼓も入らず声だけで踊れる、島の音楽の豊かさに感心する。
 仲村ジャーのクイチャーから10分、本村ジャーでもクイチャーが始まった。こちらも最初の曲は、ゆったりと優雅に広場をまわる。その後は仲村ジャー、本村ジャーとも殆ど休憩なしでクイチャーが踊られる。
仲村ジャーのクイチャー
↑仲本ジャーのクイチャー。↓本村ジャーのクイチャー。
本村ジャーのクイチャー
広場の屋台
 本村ジャーの下の方に屋台が並んだ広場があった。朝から天ぷらしか食べていないので、300円のカレーを注文。
カレー
伊良部島の夕焼け

 食べ終わりジャーに戻って18時過ぎまでクイチャーを眺めてから、フェリー乗り場に。ムトゥで聞いた話しでは19時頃までジャーで踊った後、拝所の中に移動。テンポは早くなり、激しい踊りになるようだ。
 19時に佐良浜港を出るフェリーで、平良港へ。待合所の売店でおにぎりとオカズのセット、油味噌の入ったおにぎりを買って帰る。

←伊良部島の夕暮れ。

 宿のリビングでパソコンを広げ、撮影データのバックアップをしてからシャワーを浴び、日記用のメモを作成。今日も途中で眠くなって、泡盛を呑んで寝てしまった。

*本日の出費。天ぷら150円、平良港→佐良浜港のフェリー往復700円、カレー300円、おにぎりとオカズのセット100円、油味噌のおにぎり50円。

*ミャークヅツ3日目、アトヌヒの写真をPhoto Albumにしました。宮古島・平良のスナップと伊良部島佐良浜の仲村・本村のジャーでのニガイまではこちら、ジャーでのクイチャーはこちら。(2014年3月3日)。

9月26日(木)

 ミャークヅツ2日目は、ンナカヌヒ。朝5時半に携帯のアラームで起床。歯を磨き、顔を洗い、那覇で買って来た菓子パンとカメラを持って宿から歩いて2分ほどの八千代バスへ。外は小雨が降っていた。
 池間島漁港前行きの始発バスは6時30分かと思っていたら、6時50分だった。自販機で缶コーヒーを買って、待合所で出発を待つ。35分過ぎに自家用車で運転手さんが到着。出発まで時間はあるが、バスの中で待たせてもらう。
池間島に向かうバスの窓から
 定刻にバスは平良を出発。乗客はただ一人。結局終点の池間に着くまで貸し切り状態だった。バスを降り、丘のような山を越えて集落に入り、水浜広場を通ってウハルズ御嶽へ。鳥居の前でスニーカーと靴下を脱ぎ、裸足で参道を歩いて奥に行くと小さな拝殿がある。その横には砂が盛られた土俵のような場所があり、瓶のようなものが沢山埋められている。その手前に2人の神司の方が座ってニガイを行っていた。ニガイの合間に司の方に尋ねると、瓶だと思っていたのは香炉だそうだ。香炉の埋められた砂の上を大きな丘ヤドカリが1匹歩いていた。
ウハルズ御嶽の鳥居
ウハルズ御嶽の拝所

↑参道の奥にある拝所。
←ウハルズ御嶽の鳥居。ここで靴を脱ぐ。
↓ウハルズ御嶽の前の道は、朝から人通りが多い。

ウハルズ御嶽の前の道
 ウハルズ御嶽を出て、4つのムトゥをまわったり、遠見台に上ったりして過ごす。それにしてもミャークヅツの期間しか入れないウハルズ御嶽は、朝からひっきりなしに人が訪れており御嶽前の細い道は行き交う人でいっぱいだ。
 集落を少し散歩してから漁港前のバス停へ。11時5分発の平良行きに乗り、西原集落のある西辺で下車。11時半過ぎにナカマ御嶽に行ってみると既に酒宴が終わったところで、御嶽前の道に敷かれたゴザの上には空き瓶やペットボトルが散乱していた。これで一旦休憩となり、次は14時頃に御嶽に集合してパレードが始まるという。せっかくなのでゴミの後片付けを少しお手伝いしてから、集落を散策。
西原集落にて、酒宴の後
ナカマ御嶽

←↑西原集落のナカマ御嶽に着いたら、酒宴の後片付け中だった。

↓泡盛の空き瓶が積んである。全て一升瓶。凄い。

泡盛の空き瓶
↓西原のウハルズ御嶽。→ミルク酒作り。豪快。
ミルク酒作り
西原のウハルズ御嶽
 13時半頃から徐々に人が集まり始め、御嶽の殿に立て掛けられていた旗が手前の広場の中央に出されて、クイチャーが始まった。14時から40分程クイチャーが踊られ、いよいよパレードが出発。ナカマ御嶽の前からパトカーに先導されて集落の中を進む。一番先頭にはお酒を持つ男性、お米や塩を乗せた盆を持つ男性。次に幟旗を持った男達。そして三線や太鼓を乗せたトラックの後に、白シャツにネクタイを締めた男性達の行列が続く。沿道では、扇を持った女性達が出迎えて祝福している。
パレード01
 パレードは時計回りに進み、所々で立ち止まりクイチャーが踊られた。公民館の前の広い道から、行事の行われるジャーに入る路地の辺りに神司を中心に女性が扇を手に持ち道を塞ぐように並んでいる。パレードが近づくと、パレードをジャーに導くように女性達は後ろ向きに路地を歩き、その後を男達が着いて行く。そうして15時半ごろにパレードはジャーに到着し、土俵のまわりを大きな円を描くようにクイチャーが行われた。ジャーは本土で言うミャーと思われ、いわゆるアシビナー(遊び庭)だろう。クイチャーが終わるとジャーの奥にゴザが敷かれ、神司が座る。
パレードをジャーに導く神司
接待を受ける神司
 パレードの先頭でお酒と供え物の盆を持った男性2人が、神司の前に座りお酒を注いで接待。その後、2人の神司がお酒と塩、米を乗せた盆を持ち、土俵の横に立てられた幟旗の下を清めてまわった。
ニガイをする神司
初親の自己紹介
 神事が済んだ後、今年からミャークヅツに参加出来る年齢になった男性、初親(ハツウヤ)の自己紹介があった。初親になる年齢は少々違いがあり、池間島は数え年で55歳、西原は50歳、伊良部島/佐良浜の本村が47歳、仲村が50歳となっている。
 自己紹介の後、2日目の行事としては最後になる角力が16時20分頃から行われた。5人ずつに分かれての取り組みだが、勝負の展開が早く20分ほどで終わった。
角力
 角力の後にもう一度全員で大きな輪を作り、クイチャーを踊った後に万歳三唱をして終了した。
クイチャー
 行事の終わった後、神司の方にお話しを少し伺おうと思ったら、これから踊りが始まるという。男性陣の何人かがナカマ御嶽の方に向かっているので着いて行くが、後片付けの最中だった。
後片付け

 ここで、もう一度クイチャーがあるか聞くが、もう踊りは明日だと言われる。それではお疲れさまでした、ありがとうございましたとお礼を言ってバス停に向かって集落を歩いていると、味わい深い女性の唄声が聴こえて来た。聴こえて来る方に歩いて行くと、そこは先ほどのジャーで、一人のお年寄りが歌い、女性達がクイチャーを踊っていた。
←後片付けでジャーからナカマ御嶽に向かう男性達。

 このクイチャーは男性中心の行事であるミャークヅツとは別に、女性が中心となって楽しんでいるものと思われる。「光るナナムイの神々」にも、あら日の昨日午後4時からジャーでクイチャーを踊る女性達の写真が載っていたが、ナカマ御嶽にいた男性陣に聞くと踊りは明日という返事ばかりだった。どうもミャークヅツの行事の後に、女性達がジャーでクイチャーを踊っているのを知らない男性が多いのではないか。
↓→素晴らしい歌声を聴かせて下さった村山キヨさん。
村山キヨさん02
村山キヨさん01
 それにしても素晴らしい歌だった。西原に伝わる古い民謡、古謡だと思われるが、それを手拍子だけで歌う。歌っているお婆さんについて教えてもらったら、映画「スケッチ・オブ・ミャーク」にも登場されている村山キヨさん88歳だった。キヨさんは暦を読みながら神行事の日程を取り決めるヒューイトゥインマを務めており、このミャークヅツの日取りも彼女が決定する。
女性達中心のクイチャー
 ミャークヅツ2日目は、前回のミャークヅツの後に産まれた赤ちゃんを、それぞれのムトゥに報告するヤラビマスの儀式が各ムトゥで行われるが、早朝から行われる儀式なので見る事が出来なくて残念に思っていたが、思いがけずに生歌(マイクは通しているが)で歌われる古謡と踊りが堪能できて良かった。
 ジャーに着いてから4曲、その前にも歌っていらしたので8曲ほどを歌われたのだろうか。途中にお菓子や、天ぷらを食べて休憩しながらの楽しい遊びだった。
 夕焼け
 幸せな気分で、ジャーから西辺のバス停に歩く。平良行きのバスは18時31分。少し時間がある。歩道のブロックに腰を下ろして、沈む夕日を眺めてバスを待つ。
 バスは遅れる事なく定時に到着した。夫婦が一組乗っていた。終点の平良で下車して、宿へ帰る途中のスーパーで寿司セット、泡盛、お菓子を買って帰る。

 撮影データをバックアップしながら、買って来た寿司と那覇から持って来たカップ麺で晩ご飯。シャワーを浴び、日記用のメモを書くが、朝早かったので疲れて途中で諦めて寝てしまった。
*You Tubeから宮古島・西原の古謡。スケッチ・オブ・ミャーク予告編

*宮古毎日の記事

*本日の出費。缶コーヒー110円、平良→漁港前500円、ミネラルウオーター110円、漁港前→西辺420円、西辺→平良140円、いなりと太巻きの盛り合わせ268円、菊之露360ml367円、ポテトチップス120円。

*ミャークヅツ2日目、ンナカヌヒの写真をPhoto Albumにしました。枚数が多いのでに分けました。001〜017は池間島、018〜163は宮古島・西原の様子です。(2014年2月27日に更新)。

9月25日(水)

 今日からミャークヅツを観に宮古島へ。
 朝起きてお米一合を炊き、おにぎりを3個作る。7時半過ぎに部屋を出て、美栄橋からモノレールで那覇空港へ。1階のスカイマークのカウンターへ行くと3階に引っ越していて、慌ててエスカレーターで3階へ。手荷物を預け、搭乗手続きを済ませて搭乗ロビーでおにぎりを食べながら出発を待つ。9時55分発の541便はそれほど遅れることなく宮古に向けて出発した。
 宮古に着いて飛行機を降りようとしたら後方の座席に、渡名喜島・粟国島でお会いした沖縄大学のSさんが。やはりミャークヅツを観にいらしたようだ。空港でレンタカーを借りて池間島まで行くそうで、便乗させていただいた。
  空港から平良へ行き、3泊予約してある宿に寄ってもらいチェックインの手続きを済ます。昼ご飯を食べましょうとなって、Sさんおすすめのお店でゆし豆腐そばを注文。 
 食べ終わり、お店を出て、まずは池間島に行く途中にある西原集落へ向かう。西原は、伊良部島の佐良浜と同じく池間島から分村した池間の人達が住んでいる集落だ。池間民族の最大の行事と言われるミャークヅツは、西原、佐良浜、池間島の3カ所で行われる。
西原集落にて
ゆし豆腐そば

 13時頃に西原集落のナカマ御嶽に着くと、道の端に敷かれたゴザの上には多数の空き瓶が転がり、既にかなりお酒の入った男性の集団が帰る用意をしていた。

 今日はミャークヅツの初日、あら日で、早朝から祭りの開始を祝い酒が酌み交わされていたようだ。
 西原から島尻集落の購買店に寄って、今年のパーントゥの日程が決まったか尋ねたところ最近決定したようで教えていただいた。
 14時頃に池間島に着いて公民館の前にある水浜広場に行くと、広場の中央に棒が立てられてっぺんに、日の丸の旗が上がり提灯をぶら下げた紐が四方に伸びていた。近くから歌が聴こえて来たので歩いて行くと前里ムトゥで、しばらく外から覗いていたら、どうぞ中に入って下さいと声を掛けられたので座って観させていただいた。会計などの事務報告が行われている最中で、その後長老の前で一人一人踊る余興に入った。座っていると泡盛をコンデンスミルクで割ったミルク酒が出て来て、ご馳走になる。
前里ムトゥ
↑前里ムトゥにて。
 せっかくなので池間島にある4つのムトゥ(元家)を見ようと、真謝ムトゥ、アギマスムトゥ、マイヌヤームトゥを回ってみた。部屋の大きさは大小あるが、どのムトゥにも万国旗が飾られカラオケが歌われ、ミルク酒が飲まれていた。
真謝ムトゥ
アギマスムトゥ
マイヌヤームトぅ
↑上から順に、真謝ムトゥ、アギマスムトゥ、マイヌヤームトゥ。
ウハルズ御嶽

 マイヌヤームトゥから水浜広場に戻る途中ウハルズ御嶽の前を通ると、鳥居の前で靴を脱いで裸足で参道を御嶽の方に歩いて行く人が何人もいる。ウハルズ御嶽に入れるのはミャークヅツの2日目だけかと思ったが、今日から入れるようだ。せっかくなので裸足になり、御嶽の中に入ってみた。

←普段はこの鳥居より先は、神司の承諾がなければ集落の人も入れないウハルズ御嶽。

 御嶽を出て広場に。15時40分頃から広場のまわりに設営された各ムトゥのテントを二人の神司が順番に周り、御願が行われた。その後、神司をインギョー(退役)された女性も交えて12人ほどがウハルズ御嶽に向かって御願を行い、16時からクイチャーが開始された。
神司の御願とクイチャー
クイチャー
 最初は日の丸の描かれた扇子をもった女性達が円を作ってクイチャーを踊る、その後背広にブルーのハッピを着た男性達が合流して大きな2重の円を作って踊られた。
 1時間ほど池間島のクイチャーを観た後、Sさんの運転する車で西原に戻る。ナカマ御嶽の方へ行くと今年から親となる初親(池間島は数えで55歳、西原は50歳)の男性達が一列に並び、先輩からの杯をいただき明日の儀式の予行演習を行っていた。
 しばらく見せていただいた後、宮国の方でも神事・ニガイが行われているというのでSさんの車で寄って、平良に帰って来た。
西原にて

 撮影データをバックアップし、日記用のメモを書いて早めに就寝。

*本日の出費。美栄橋→那覇空港290円、那覇→宮古5000円(事前に購入済み)、宿泊代3泊分6000円、ゆし豆腐そば788円。

*ミャークヅツ(アラビ)の写真をPhoto Albumにしました。こちら。01〜03、57、58は宮古島・西原、04〜56は池間島の様子です。(2014年2月26日に更新)。

9月22日(日)

 今日は八重瀬町の唐人行列・大和人行列(十五夜行事)を観ようと思っていた。行列の行われる富盛までのバスを運行時刻表で調べると、家から少し離れた泊高橋のバス停から東風平おもろまち線で乗り換えなしで行ける事がわかった。行列の開始は15時からだが、バスは便数が少なくて泊高橋を13時2分に出て富盛に13時57分に着くのが一番近い。それでも1時間以上空くが、次は18時51分発・19時53分着なのでこれで行くしかない。
 カメラを入れたバックとアクエリアスを入れた水筒を持って、泊高橋のバス停へ。13時2分のバスを待つが、なかなか来ない。5分、10分は遅れる事もあるだろうが、さすがに20分以上過ぎたので運行している沖縄バスに問い合わせる。どうやら国道58号沿いのバス停ではなく、他に泊高橋というバス停があるらしい(後日探したら崇元寺通りにあった)。そんな事、バス停にも時刻表にも書いてない。どちらかのバス停を違う名前にする方が親切ではないか?那覇バスターミナルまで自転車で行って、34番の東風平線に乗れば富盛に15時22分着というバスがあるが、間に合わない。
 諦めて一旦家に帰り、今日は色々用事を済ませる事にする。若狭図書館へ行き3冊借りている内の2冊を返却、1冊を延長してもらう。若狭図書館から歩行者天国の国際通りを経由して県立図書館へ行き、新たに3冊借りて来た。

→残波の白、通称ザンシロ。
残白
今日借りて来た本
↑今日借りて来た本。「島の時間/山下恒夫」(クレオ)、「光るナナムイの神々/比嘉豊光」(風土社)、「池間島のミャークヅツ/共著・上里武 本村満 吉浜朝栄」。真ん中にある「光るナナムイの神々」が裏表紙になっていました(汗)。表紙はこちらにあります。
寿司と3パック1000円
 県立図書館から泊港へ。最近肉ばかり食べているので、魚が食べたくなった。3パック1000円から、あおりいかのゲソと、塩鮭、刺身の切り落としをチョイス。他のお店も見て回って8カン380円のお寿司を購入。沖縄に来て寿司を買うのも食べるのも初めてかもしれない。
 部屋に戻り借りて来た本と、買って来た魚や寿司を冷蔵庫に仕舞い、今度は新都心のスーパーで買い物。三日麹・松藤25度が無くなったので、残波の白を購入。松藤を買ってから随分と日にちが経っていますが、この間に八重山に行ったりしていて八重泉の紙パックを買って呑んでいた。これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海→ゆいまーる→松藤→八重泉→残波の白。

9月21日(土)

 今日は今帰仁村歴史文化センターで、山原のムラ・シマ講座。先月は旧盆のため講座自体がお休み、先々月は八重山の豊年祭巡りと重なって出席できなかったので、3ヵ月ぶりとなる。
 早朝3時に起きて、一昨日の米須の日記を作成。お米を1合炊いて、おにぎりを作る。最寄りの駅を5時58分の名護西線のバスで、名護BTへ。起きた時からバスに乗車中も、ずっと強い雨が降っている。Tシャツ一枚では寒いかもしれないと思い長袖のシャツを一枚持って来たが、冷房の効いた車内はそれを着込んでも寒かった。寒さを堪えながらバスの中で寝ていた。
 名護BTで今帰仁廻りの本部半島線に乗り換えて、今帰仁城趾入口へ。1キロ程の坂道をとぼとぼ歩いて、歴史文化センターへ。教室に着いた時には、今日訪ねる本部町崎本部のレクチャーが終わりかけていた。
 館長さんのレクチャーが終了後、館長さんの運転するバスで崎本部へ。レクチャーはほとんど聞けなかったけれど、いただいた資料を見ながら集落のアサギやウタキを訪ねる。
マスタキ?
アサギンクヮー
神アサギと神家
↑小雨の中、集落を散策。真ん中がマスタキ(?) ↑アサギンクヮー(エーガーヤー:福地家) ↑庇の部分が神アサギ、奥の建物が神家
崎本部巡査駐在所
根神ヤー
ニシヌカー
↑崎本部巡査駐在所
↑手前が根神ヤー(根神宮)
↑ニシヌカー
キネンガー
首里之家
大山御嶽のイベ
↑キネンガー
↑首里之家(金城家)
↑大山御嶽のイベ
エージモーにて01
エージモーにて02
エージモーにて03
↑崎本部農村公園にあるエージモー(合図森)にて。左と中央は、集落の各門中の香炉。案内板には「旧暦五月十五日のウマチー(神御願)の日には、こぞってエージモーにのぼり、首里や今帰仁に向ってウトゥーシ(遥拝)の祈願をする」と書かれている。
 10時少し前に集落に着いて、1時間半ほど説明を聞きながら散策。その後、歴史文化センターに戻って解散。センターで7月25日〜12月25日まで開催している企画展「今帰仁村と戦争」を少し見てから、本部廻りの本部半島線で名護BTへ。名護BTを14時に出る名護西線で那覇へ。3連休初日の土曜日だからか、北谷辺りから渋滞に巻き込まれる。時刻表より2〜30分は遅れて最寄りのバス停に着いたと思う。
*この日の様子が、こちらに少し載っています。

 部屋について冷蔵庫に入っているカツレツを焼き、お湯を沸かしてカップ麺を作り、残っていたおにぎり1個で遅い昼ご飯のような、早い夕ご飯のようなものを食べる。
 食べ終わってのんびりする間もなく、今度は首里城下町線で首里城に向かう。今日と明日は首里城公園の御庭で、中秋の宴が開催される。18時頃に首里城に着き、18時15分から入場。18時30分から開始となっていたが、直前に小雨が降ったので少々遅れて19時少し前から演目が始まった。
琉球古典舞踊
↑琉球古典舞踊。左と中央は、かぎやで風から。
人間国宝の演奏と舞踊01
↑↓→人間国宝の演奏と舞踊から。
人間国宝の演奏と舞踊03
人間国宝の演奏と舞踊02
↓組踊「執心鐘入(しゅうしんかにいり)」
組踊
 少し遅れて始まったがプログラムの変更もあって、予定終了時間の21時より少し早く終わった。急いでバス停に行き、帰りのバス時間を確かめると21時17分で余裕があった。
 今日は今帰仁村まで行くのに2000円の那覇バスと琉球バスが乗れる一日フリー乗車券を買ってあったが、首里城下町線は沖縄バスが運行しておりフリー乗車券が使えず往復で440円かかってしまった。
 家に帰り、今日撮影した写真データをバックアップ。さすがに疲れた。

○琉球舞踊「古典」 かぎやで風(かじゃでぃふう) 四ツ竹(ゆちだき) 天川(あまかー) 醜童(しゅんどう)/出演団体:宮城能鳳琉舞研究所 地謡:野村流音楽協会
○人間国宝の演奏 第一部 城間徳太郎/独唱:赤田風節(あかたふうぶし)
○人間国宝の演奏と舞踊 第二部 西江喜春/独唱:二揚述懐節(にあぎすっけーぶし) 照喜名朝一/独唱:二揚仲風節(にあぎなかふうぶし) 宮城能鳳/琉球舞踊:瓦屋(からやー)
○組踊 執心鐘入(しゅうしんかにいり)/出演者:宮城能鳳琉舞研究所 地謡:野村流音楽協会

*「中秋の宴」の様子をPhoto Albumにしました。こちら。(12月24日に更新)。

 本日の一曲。You Tubeから「What's Going On/Marvin Gaye」。この曲はマーヴィン・ゲイよりも、金子マリさんのヴァージョンを先に聞いたかもしれない。いや、もしかするとソー・バット・レビューかな?「What's Going On/金子マリ」。

9月19日(木)

 今日は旧暦の8月15日、十五夜です。この日、沖縄では各地で行事が開催されている。昨年は糸満大綱引きを観に行ったので、今年は糸満市字米須のウシデークを見学に。先日コミュニティーセンターに問い合わせたところ、始まりは16時頃だそうで、それまでに用事を色々と片付ける。
 まず昼ご飯を食べた後、次の次の旅に泊まる宿の予約。ダメだろうと思いながら問い合わせると、1泊2000円の素泊まり宿が3泊とれて、ホッとした。
 バックにカメラを一台入れて、自転車でモノレールの旭橋駅へ。モノレールに乗車して、飛行機の予約をしに那覇空港へ。航空引換証と領収書を貰って、旭橋へ戻る。
 米須に行くには89番のバスで糸満バスターミナルに行って、循環バスに乗り換え。旭橋のバス停で待っていると雨が激しくなって来たので、米須のコミュニティーセンターに雨でも開催されるか問い合わせると米須の方は晴れているとのこと。
 14時20分くらいに来た89番のバスで、糸満バスターミナルへ。ターミナルで米須農協前に一番早く行けるバスを尋ねると、15時20分に出る108番の南部循環バスだと言う。少し時間があるので、21日に今帰仁村歴史文化センターで開催される山原のムラ・シマ講座へ行くための1日限定フリー乗車券を購入。
 米須農協前に着いたのは15時45分くらいで、途中の糸満十字路では綱引きの道ズネーが行われていた。バスを降りると、頭に紫のサージを巻いた女性達が歩いて行ったので追いかける。女性達は立ち止まって太鼓を打っている。聞けば、ここはイリのアシビナーだそうで、アガリにもやはりアシビナーがありそれぞれが太鼓を打って集合を呼びかけているそうだ。ウシデークの前に行われる獅子舞の場所を尋ねると直ぐ近くのよう。教えられた通りに行くと、獅子舞が行われる直前だった。
アシビナーで太鼓を叩いて集合を呼びかけるイリの女性達
糸満十字路
↑糸満大綱引きの道ズネーが行われている、糸満十字路。
←アシビナーで太鼓を叩いて集合を呼びかけている、イリの女性達。
↓神家での獅子加那志。
神家での獅子加那志
 最初に獅子加那志(シーシガナシ)が保管されている祠のある神家の庭を、銅鑼を叩く男性に 先導されて3回まわる。暫くすると紫のサージに明るいブルーの上着、白のスカートに身を包んだ女性達が登場。
神家でのウシデーク
拝所に向かう獅子加那志

↑神家でウシデークを踊る女性達。途中、梅酢が配られた。私も一杯飲ませていただいた。

←神家から隣りの拝所に向かう獅子加那志。

↓拝所の前でウシデークを踊る女性達。この後、イリとアガリに別れて、それぞれの拝所をまわる。

拝所でのウシデーク
 20分程ウシデークが踊られた後、 獅子加那志は直ぐ隣りの拝所に移動。女性達も移動し、こちらでもウシデークが踊られた。この後、女性達はまたイリとアガリに別れてそれぞれの拝所をまわる。イリの女性達が獅子加那志と一緒に移動していたので付いて行くと、アシビナーで獅子舞が始まった。途中に集落のムトゥヤ(元家)があり、本来はそこでもウシデークが踊られるようだが、今年は忌中で素通りした。
イリのアシビナーにて
↑イリのアシビナーにて。
 イリのアシビナーから、最後の舞台となるコミュニティーセンターの広場へ。ここでアガリの女性達と合流してウシデークが踊られた。
 一通り踊りが済んだ後、区長さんや保存会の方の挨拶があり、 獅子加那志が会場を出て行った。集落の中の道を子供達が面白がって付いて行く。到着したのはヌル殿内で、やはり反時計回りに3回獅子がまわる。この後、皆さんお酒をいただき最後は神家に戻った。
コミュニティーセンターの広場にて
↑コミュニティーセンターの広場にて。↓左は広場を出て集落を歩く獅子加那志。右はヌル殿内にて。
ヌル殿内にて
神家にて
獅子加那志

↑仕舞われる獅子加那志。梯梧(でいご)を彫って作られている。
←神家にて。
↓神家で獅子加那志と一緒に記念写真。

記念写真

 神家では、この獅子加那志を代々管理している当主の方の挨拶があり、その後なぜか私も入って記念撮影。神家からコミュニティーセンターに戻ると、先ほどウシデークが踊られた広場の中央に砂が盛られて土俵が作られていた。
 奉納相撲も観たかったが、バスの時間が気になる。広場で話しをしていた方が、20時頃に糸満のバスターミナルまで送って下さった。糸満のバスターミナルから那覇バスターミナルへ。21時15分くらいに着いて、ターミナルの横にとめて置いた自転車で家へと帰る。すっかりお腹が空いたので、昨日作ったカレーをうどんにかけて、カレーうどん。撮影した写真データを外付けのハードディスクにバックアップ。

*本日の交通費。旭橋〜那覇空港往復260円x2、旭橋〜糸満バスターミナル560円。糸満BT〜米須農協前350円、糸満BT〜那覇BT560円。

*この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(12月19日に更新)。

9月18日(水)

 14日から昨日まで、久高島の祭祀・八月マティを観に行っていました。
 今日は午前中に溜まった洗濯物を片付け、午後からコンビニで電気料金の支払い、スーパーで買い物。家に帰り、お礼のメールや連絡メールを書く。晩ご飯はカレーです。

9月17日(火)

 8時頃に起きて、歯を磨き顔を洗い、日記用のメモを書く。区長さんがいらしたのでお礼を言い、久高島のことを色々と聞かせていただいた。
 大きな荷物や傘を講堂に置かせてもらい、カメラとリュックを持って直ぐ隣りにある待合所へ。待合所で自転車を借りて、祭祀の期間中は通れない集落の北側を自転車で走る。時計の反対まわりにピザ浜、タチ浜、イシキ浜、シマーシ、ウパーマと寄って島の先端にあるカベールへ。
 カベールから今度は島の西側の道を走りロマンスロード、そしてフボーウタキの入口まで行き、集落へ帰って来た。
未舗装の道と、大きなガジュマルの樹
↑集落から島の先端にあるカベールまで、自転車で走った。島の東側は、未舗装の道が続いていた。
↓久高島で最高の聖地といわれる、フボーウタキ。写真はウタキの入口で、現在は男女を問わずこの先は立ち入り禁止となっている。
フボーウタキの入口
 集落の中はこの3日間でかなり歩いたが、外間殿と御殿庭を結ぶ神道など祭祀中には通れなかった場所があるので、自転車で走ってみる。
 島の始祖家の一つで五穀の神様が祀られているという大里家(うぷらとぅ)に行くと、門中の女性が家の手入れをされていた。隣りの拝殿の方は新しく建て替えられているが、家屋の方は昔のままで手入れが大変なようだ。少しお話しを聞くと、ビンヌスーヌー(円舞)はもう何十年と踊られていないそうだ。
大里家
久高島の海
 12時30分頃に自転車を返しに行く。9時半に借りて1時間300円の料金を払っていたので、延長分の600円を追加。喉が渇いたので珍しく自販機でコーラを買う。
 13時に徳仁港を出るフェリーで安座真港へ。途中波が高くて、ブランコにでも乗っているように船が揺れた。30分程で安座真港について、バス停へ。13時33分の那覇行きは出たばかりで、次は14時49分までない。しょうがないのでバス停のベンチに座り、本を読んで過ごした。
フェリーから見る久高島

 14時49分のバスで終点の那覇バスターミナルへ。ターミナルの近くに停めておいた自転車で、家へと帰る。遅い昼ご飯は、久高島まで持って行きながら食べそびれた、カレー味のカップ麺。晩ご飯に、おにぎりを3個作る。具は梅干し、シーチキンとタマネギのマヨ醤油、ナメタケの3種類。
 久高島で撮影した写真データを2台の外付けハードディスクにバックアップすると、旅の疲れか、すっかり眠くなった。

*久高島の風景写真をPhoto Albumにしました。こちら。(10月30日に更新)。

*LINKメモ 女が男を守る島ーオナリ神信仰と久高島ー沖縄ドキュメンタリー映画祭

*本日の出費。貸し自転車3時間900円、コーラ150円、安座真サンサンビーチ~那覇バスターミナル760円。

9月16日(月)

 八月マティの最終日。今日はテーラーガーミが行われる。テーラーは太陽、ガーミは神で直訳すると太陽神となるが、太陽の霊威を受けた男達(50歳~70歳の大主ウプシュ)を指すという。神事の進行を「神々の古層」から引用すると、
 午後四時ごろ集落のほぼ中央にあるハンチャアタイ(神の畑)横にウプシュたちが黒っぽい着物姿に日の丸の扇を持って参集する。まず、次ページの図のとおり着座し、酒のふるまいがなされたあとハニマンガナシー、アカツミーのリードで扇を胸に当て、開く仕草をしながらテーラーガーミのティルルを歌う。本来は根人司祭である。ソールイガナシーも立会っている。
 ティルルは、テーラーガーミがそろって島を守るという内容である。終わると男神職者を先頭にユーウラヌ浜に行列、浜ではダルマミキと刺身のふるまいがンナグゥナーによっておこなわれる。終わるとユーウラヌ浜入口付近にある三角モーという広場に神職者を先頭に年齢順にウプシュたちが一列に並ぶ。列が整ったところで扇で祓う仕草をしながら、しかもテーラーガーミのティルルを歌いながら行進、ソールイガナシーは参列しない。公民館前を通り久高御殿庭へ着いたところで、ちょうどティルルが全部歌い終わる。
 久高御殿庭ではそのまま隊列で東方に向いて立ち、扇を両手で捧げ持ち、コイナンという終了の歌を歌い礼拝して終わる。同所には外間ヌルとウメーギ、ヤジクたちが来ていて、そのあとおこなわれるウプシュたちの巻き踊りを見守る。終わるとウプシュたちは一応解散し、平服でユーウラヌ浜に再集合する。浜では男神職者と正人たちがンナグゥナーの接待で神酒と刺身をいただく。角力大会もおこなわれ、夕日の浜は賑わう。

 このテーラーガーミにふるまわれる刺身に使う魚を捕るため、早朝からアンティキャー(網漁)という神事が行われるそうだが、台風18号の影響で波が高く追いこみ漁ができないのでイカとマグロは仕入れる事になった。
 漁港の小屋で11時頃から魚を捌くと聞いたので、10時40分位に行ってみると、既にイカが捌かれていた。小分けしてビニール袋に入れ、大きなクーラーボックスに仕舞われる。
 イカの処理が終わってから1時間ほど経って、本島からのフェリーでマグロが届いた。こちらも一人の男性が見事に解体し、冊になったマグロをみんなで刺身に捌いていった。これも小分けしてビニール袋に入れられる。こうして12時半ごろには、テーラーガーミ用の刺身が用意できた。

イカとマグロの刺身
ゴーヤチャンプルー定食
 神事が行われるハンチャアタイの場所の確認をしつつ集落を歩き、お腹が空いたので昨日ご飯を食べた食事処とくじんの向かいにある食事処けいで、ゴーヤチャンプルー定食を食べる。食べ終わり、13時半ごろにお店を出て、外間御殿に行ってみる。14時から神人の御願があるという情報があったが、人の気配も行われる気配もないので、そのまま集落を散策。
 ハンチャアタイの向かいの家に、昨日ボンウキャーの迎えで区長さんが持っていたムカデ旗が立てられていたので、調べてみたら久高ヌルの家だった。またムカデ旗の下に赤と白の旗が並んでいるが、これは太陽と月を表した旗だそうです。
ムカデ旗
 16時過ぎからウプシュ、神人が集まり始め、16時40分頃からテーラーガーミが始まった。「神々の古層」にはテーラーガーミ第一祭場図が掲載されていて、神人とウプシュはハンチャアタイの横の道に並ぶように書いてあるが、実際にはウプシュはハンチャアタイの中にゴザをひいて3人ずつ向かい合う形で座り、神人の女性3名は久高ヌル家の前の道を塞ぐ形で並んで座っていた。また、ウプシュの横に白い着物姿の男神職者と思われる男性がいらしたが、現在久高島にいらっしゃる男神職者は外間根人(ニーチェ)だけと聞いたので、この方なのだろうか。
 ティルルを歌い終わった後、ウプシュはユーウラヌ浜(漁港の外れで現在は砂浜ではなく舗装されている)へ一列に並んで歩く。海に向かって並んで座ったウプシュに、子供達がお酒と刺身を配って接待をする。この儀式は7分ほどで終わり、ウプシュはまた一列に並び集落の中を通り久高御殿庭に歩いて行く。御殿庭に入ると神人と男神職者に出迎えられる。神職者の男性と一緒に並んで立ち、扇を持って儀式を行った後、集落の女性も入って巻き踊りが行われて17時20分過ぎに御殿庭での神事は終了した。
テーラーガーミ
久高御殿庭にて
 「神々の古層」に記されている三角モーは、今はまわっていないそうだ。また公民館も通らなかった(公民館の場所が当時と今では変わっているのかもしれない)。
 久高御殿庭から先ほど神事が行われた漁港の端に行くと、小中学生の男の子たちが刺身やお酒の準備をしている。ここでの神事は女性禁止のようで神人も入れないようだった。
ユーウラヌ浜
 17時半ごろから島の男性が集まり、コの時を書くように座り子供達から接待を受ける。大きなトレーに盛られたイカとマグロの刺身を2人で持ち、ビニール袋で掴んで島の男性の持つビニール袋に入れてまわる。トレーの刺身が無くなるまで何回も分配してまわっていたようだ。
浜の夕暮れ

 18時、子供達の持てなしが終わり、直ぐ隣りの浜に移動して角力大会が始まった。小中学校の男子、女子から始まり大人の男性の相撲と続いた。角力大会が終わり、区長さんから八月マティが無事に終了したと挨拶があったのが19時頃だった。

←↓夕暮れの浜辺で行われた、奉納相撲。女の子も元気に相撲をとる。

奉納相撲
 2日間宿泊していた交流館に預かっていただいた荷物を取りに行き、徳仁港近くにある総合センター(公民館)へ。昨日の夕ガミの時に、宿がどこも満室で困っている事を区長さんに相談すると総合センターで宿泊できることになった。センターの宿泊室は映画の撮影チームが使うそうなので、講堂をお借りする。
 大きなソファーを2つくっ付けてベットを作り、毛布を一枚お借りした。お腹が空いたので19時半ごろにセンターの前にある食事処とくじんへ行き、野菜炒め定食。
歌の練習をする子供達02
歌の練習をする子供達01
 食べ終わって講堂に戻って来ると、小中学校の女の子達が歌を教わっていた。来月20日に南城市のシュガーホールで開催される「久高人芸能祭」の練習だそうだ。

 撮影データをバックアップし、シャワーを浴びたりしながら合間に練習風景を見ていた。
 21時過ぎに今日の練習は終わり、子供達も家路に着いた。冷蔵庫で冷やしておいたビールと泡盛を呑みながら日記用のメモを書いて就寝。
 台風18号が日本列島を通過し大きな被害をもたらしたようだが、宿泊した交流館にも総合センターにもテレビがないので状況がよくわからない。
  3号機が今月3日に運転停止し、国内で唯一稼働していた大飯の4号機も定期検査のために今日の未明に運転停止となった

○ニラーハラー/ニライカナイのこと。久高島の世界 ○ヌル/ノロのこと。神女の最高位 ○ウメーギ/ヌル、根神の補佐役 ○クニガミ/ヌル、根神、ウメーギ ○ヤジク/ヌル配下の神女。年代によってタムトゥ、ウンサクー、シュリユリタ、ソージヤクに分かれる。 ○ソージャク/まつりで雑役をする神女 ○ウンサクー/まつりで神酒捧げをする神女 ○ナンチュ/祭祀組織に加入したての神女 ○ミキハミヤー/神酒接待役。ナンチュから割りあてる ○タマガエー/神女の総称 ○アカハンザナシー/ニラーハラーの神々の総称 ○ティンユタ/家レベルの司祭者 ○根屋(ニーヤー)/古い草分家 ○根神(ニーガン)/草分家の女性当主的神職者 ○根人(ニーチェ)/草分家の男性当主的神職者 ○殿(トゥン)/集落レベル祭祀の祭場 ○フボーウタキ/ウタキレベルの祭場 ○イビ/ウタキの中にある拝所。石などが置かれている ○ウプティシジ/祖霊 ○ミウプグゥイミナンカ/外間ヌル家、久高ヌル家、外間殿にある大香炉 ○トゥパシリ/各家の主婦の香炉 ○ソールイガナシー/男性神職者 ○ジューサンナヤー/13歳の男子 ○ンナグゥナー 15歳の男子 ○ミキアタイ/神酒当番
*メモ(聞き書きなので間違いもあるかも知れません)。久高島では1978年を最後にイザイホーが行われていないため、最後にナンチュになられた方も70歳を超えて神女を降りられているので、ヤジクという神組織はなくなっている。現在祭祀を司っている神人は女性が外間ヌルのウメーギ、ムトゥ神のファーガナシー、ムトゥ神のアマミウヤヌル、アマミハンザナシー(ニライカナイの神)。アマミハンザナシーは、今回の八月マティには不在。男性の神職は外間根人(ニーチェ)のみで、ソールイガナシーも村頭も不在となっている。

*テーラーガーミの日の様子をPhoto Albumにしました。漁港での刺身の準備から、ハンチャアタイとユーウラヌ浜での儀式はこちら。御殿庭での儀式からユーウラヌ浜での奉納相撲まではこちら。(10月29日に更新)。

*沖縄タイムス@10月25日に載っていた、久高人芸能祭の記事

*本日の出費 ゴーヤチャンプルー600円 野菜炒め定食700円 宿泊費1000円 

9月15日(日)

 八月マティの3日目。集落民の参加する行事としては2日目で、この日は「ヨーカビー」と言われ、八月の中でも特に悪い日と考えられているそうです。
 朝8時頃に起きて、那覇で買って来たパンで朝ご飯。しばらく部屋でボーッとしてから外間殿に向かう。10時頃に神人の他、集落の女性が外間殿に集合してから、フボーウタキに行き健康祈願をするタキマーイという神事が行われる。殿にいらした若い神人の方に、出発するところを見学させて欲しいとお願いしたところ、いいですよと言う返事がいただけた。
外間殿にて
 10時半過ぎに3人の神人、お供の女性2人、赤ちゃんと小学生から中学生の女の子5人ほどと赤ちゃんのお母さんが殿の横に停めてあった車でフボーウタキに出発された。
 しばらく外間殿の写真を撮っていると、10時50分頃にムカデ旗を持った区長さんを先頭に集落の男性が行列になって歩いていらした。そのまま殿の横の道を通りボンウキャーに向かうようなので写真を撮りながら着いて行く。ボンウキャーは地名で集落の北の外れにある。場所的には宿泊している交流館の横に位置する。このボンウキャーで、集落の男性がタキマーイから戻った神人と女性達を迎える。
↓ボンウキャーにて。→ムカデ旗を持つ区長さん。
ムカデ旗を持つ区長さん
ボンウキャーにて
 外間殿から歩いて5分ほどで、ボンウキャーに到着。ムカデ旗を持った区長さんが先頭に立ち、三線と太鼓が並び、しばし島唄の歌と演奏が始まった。
 11時15分頃に、タキマーイから戻った神人や女性たちがボンウキャーに現れ、近くの広場でカチャーシーを踊る。外間殿に歩いて戻り、神人は殿の中に入り、男性は外に並んで座り神酒をいただいた。
 若い神人が外に出て来て一人でカチャーシーを踊った後、座っていた男性や周りで見守っていた女性達が続いてカチャーシーを踊る。
ボンウキャーから外間殿
 この後、担ぎ棒に大きなガラスの容器を吊るして男の子が二人で担いで各家を回り、神酒を集めてまわった。「神々の古層」には、今日の行事としては記載されていないが、昨日と明日の行事に出て来る(ソールイガナシーの各戸まわり)に当たる。ソウルイガナシーは男性の神職者で、ンナグゥナー(15歳の男)を二人伴って各戸をまわる。ちなみに、現在久高島には2名いるはずのソウルイガナシーが不在となっている。
 家をまわり、大きなガラスの容器に神酒(泡盛)を入れてもらい、その度にカチャーシーを踊って次の家に向かう。20分ほど撮影しながら一緒にまわったが、お腹が空いたので一旦離れて港近くの食事処とくじんへ。中に入ると外間殿からボンウキャーまでビデオをまわしていた方がいて、混んでいるので同席させていただくことになった。宮古島からわざわざ観にいらしたそうで、宮古の祭祀についてお話ししていると野原のサティパロウの2代目のお面を作られた方だったので驚いた。
お酒を貰いに、ガラスの容器を担いで家々をまわる
←大きなガラスの容器を担いで家々をまわり、お神酒(泡盛)を集めてまわる。
↓食事処とくじんにて、昼ご飯。奮発して1000円の久高島御膳。
食事処とくじんでランチ
 昼の一番混んでいる時にお店に入ったようで、注文してから食べ終わるまで1時間ほどかかった。食べ終わりお店を出て歩いていると三線と太鼓の音がしたので探してみると、各戸まわりが続いていた。いつのまにか子供達が、ゾロゾロとついてまわっていた。
家まわり
 また何軒かの家をまわるのを着いて歩き、その途中で見つけた商店でサンピン茶のペットボトルを買って一旦宿に戻る。明日泊まれる民宿はないか、久高島のガイドマップに記載されている3軒に電話するが、満室だったり男一人は受け付けていなかったりと断わられる。八月マティの最終日である明日は、夕方16時からテーラガーミーという神事が行われる。本島に戻る最終フェリーは17時なので、神事の最後まではいられない。今泊まっている交流館も明日は満室だ。さて、どうするか。
 部屋で今日撮影した写真データを外付けハードディスクにバックアップした後、15時半頃に宿を出る。どうやら帽子をどこかに忘れたようなので、午前中に行ったボンウキャー、外間殿で探してみるが見つからない。諦めて、16時から昨日と同じ夕ガミが行われる久高御殿庭へ。夕ガミが始まったのは16時45分過ぎだろうか。神人の御願があり、その後グゥルイが踊られて昨日と同じ感じで進行して行った。少し違うのは小・中学生による踊りが昨日より多かったことだろうか。
久高御殿庭にて
神扇01
↑久高御殿庭にて。

←↓神人の方にお願いして、ンチャティオージ(神扇)を撮影させていただいた。鳳凰と太陽、花と月。
神扇02
 19時過ぎまでビールや泡盛を呑みながら観せていただいた後、お腹が空いたので昼も食べに行った食事処とくじんへ行き、沖縄ソバを注文。ついでにひょっとしてと思い、帽子の忘れ物がなかったか聞いたところ、ドンピシャリありました。
沖縄そば

 食べ終わり久高御殿庭に戻る途中、さっきサンピン茶を買ったお店とはまた違う商店があったので、晩酌のつまみようにポテトチップスを購入。御殿庭での神遊びを少し観てから宿へと帰った。
  シャワーを浴び、撮影データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電して、日記用のメモを書く。

*ヨーカビーの写真をPhoto Albumにしました。タキマーイから戻る神人を集落の男性がボンウキャーで迎える様子と、外間殿での神事はこちら。集落の各戸をまわって子供達がお神酒を集める様子と、御殿庭での夕ガミの様子はこちら。(10月25日に更新)。

*本日の出費。久高島御膳1000円、サンピン茶2ℓ330円、夕ガミへの参加寄付500円、沖縄そば600円、ポテトチップス150円。

9月14日(土)

 今日から、久高島で行われる祭祀・八月マティを観に行く。
 この祭祀について、比嘉康雄さんの「神々の古層 女が男を守るクニ 久高島の年中行事1」から引用すると
ハティグヮティ 旧八月は「ハティナリキ」といわれ、悪い月と考えられている。この月に子供が産まれるのは良くないといわれ、臨月の妊婦は安静にして産まれないようにするという。この月には家レベルでも屋敷のお祓いがあり、シマレベルでも健康祈願が盛大におこなわれる。まつりは旧八月九日、十日、十一日、十二日の四日間にわたっておこなわれる。
 
今日は旧暦の十日でまつりの二日目となるが、初日の昨日は神人がウタキに参拝して祀りが開始されることを報告する日のようで、観る事はできなさそうなので、今日からにした。
那覇バスターミナル

 朝7時頃に起きて、荷物の最終確認。お米を1合炊いて、おにぎりを3つ作る。部屋を11時45分頃に出て、自転車で那覇バスターミナルへ。10番乗り場で12時20分発の志喜屋行きに乗車。一時間弱で安座真サンサンビーチに到着。バス停から安座真港の方に歩いて行き、フェリー乗り場で久高島までの往復の乗船券を購入。

←雲行きの怪し気な那覇バスターミナル。

安座真港から
久高島行きのフェリー

↑安座真港から、久高島の徳仁港へ向かうフェリー。

←安座真港から撮影。那覇からバスに乗車している間、雨が降っていた。

 14時に出航したフェリーは30分ほどで、久高島の徳仁港に着いた。徳仁港から集落の中を歩き、今日から二日間宿泊する久高島宿泊交流館へ。チェックインの手続きをして、2日分の宿泊費7000円を支払う。10畳の部屋にエアコン付きと贅沢だが、部屋と通路は障子戸、左右の部屋とは木の引き戸で仕切られただけなので防音はないようなものと思われる。
 エアコンを入れた部屋で少し休んだ後、祭場である外間殿と久高御殿庭に行ってみる。交流館の受付で聞くと、神事の時には通れなくなる道(神道)があるようで、歩いても大丈夫な道を地図に書いてもらう。
スバサシ
↑早速集落の中を歩くと、家々には魔除けのスバ(ススキと桑の葉を束ねたもの)が飾られていた。
 外間殿の横を通ると神人のお手伝いをする女性がいらして、夕ガミの御願は16時半頃だと教えて下さった。御殿庭に行くとマイクやスピーカーなどの音響設備が用意されていた。神アサギの隣りにはエラブウナギを薫製にする小屋があり、小屋の後には生きたイラブー(エラブウナギ)が箱に入れられていた。
イラブーの薫製小屋
←御殿庭にあるイラブーの薫製小屋(写真手前)。隣りが神アサギ。
↓薫製小屋の後ろには、生きたイラブーが箱に入れられていた。
イラブー
外間殿から御殿庭に向かう神人の方々

 外間殿に戻り神人の方の御願を少し離れた場所から観させていただく。久高島の女性神職者は現在4人だそうだが、今日は3人での御願だった。御願は20分ほどで終わり、神道を通り御殿庭に向かわれたのを見送って、集落の中の道を歩いて御殿庭に行くと、ちょうど久高御殿庭に着かれたところだった。ここでも御願が行われた。

←外間殿から御殿庭に向かう、3名の神人。

↓→久高御殿庭にて。ここはイザイホーの祭場でもある。
御殿庭にて01
御殿庭にて02
グゥルイ

↑神職を退任された方や、中学生の女の子などグゥルイを踊る島の女性たち。

→泡盛やビールと一緒に振る舞われたミキ。久高島のミキは、麦を発酵させて作られている。サラッと飲み易いミキだった。

ミキ
 御願の後、神人によるビンヌスーヌー(円舞)が行われ、それからタムトゥ以下の神女全員によるグゥルイ(本島で言うウスデーク)が踊られると「神々の古層」には記してあるが、ピンヌスーヌーが行われたかどうかがわからない。
 ビンヌスーヌーについては、「ヌル以下全員がンチャティオージ(神扇)をかざし持ち、ハリーという囃子の入る神謡を歌いながら舞う」とある。確かに一人の神人の方が歌われ、一人の方が神扇をかざされたが、ビンヌスーヌーではないようだ。
 また1978年以降、ナンチュ(神女)になる儀式であるイザイホーが行われておらず、最後にナンチュになられた方も70歳を超えて神女を降りられているのでヤジクという神組織はなくなり、神女によるグゥルイは出来なくなったので一般の女性によるグゥルイが踊られているそうだ。
御殿庭での奉納芸01
 30分ほどグゥルイが踊られた後、区長さんの挨拶があり、その後は島唄の歌と踊りが始まりカチャーシーを踊って19時頃に一部が終わった。すっかり暗くなり、子供達が帰った後に第2部が始まった。ゴザを寄せて輪を小さくして三線と太鼓をバックに島唄を歌う。少ない街灯と、月明かりに照らされた神様の庭での遊びだ。
御殿庭での奉納芸02

 お腹が空いたので、一時間ほど楽しませてもらって宿泊所に帰る。シャワーを浴び、一昨日買っておいたカップ焼きそばと魚肉ソーセージ、朝作ってきたおにぎりの残り1個で遅い晩ご飯。
 ノートパソコンを開き、外付けのハードディスクに撮影データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電。日記用のメモを書く。

*八月マティの様子をPhoto Albumにしました。こちら。(10月24日に更新)。

*今日の出費。那覇バスターミナル→安座真サンサンビーチ760円、安座真港~久高島・徳仁港往復乗船券1240円、久高御殿庭での参加寄付500円、宿泊費2日分7000円。

9月13日(金)

 明日から2泊3日で訪ねる久高島の情報整理と荷造り、旧暦8月15日の伝統行事の情報収集、そして久高島の次に行く旅先の宿の予約。
 昼から夕方にかけて茶蕎麦と、お米一合分のおにぎり、ホットドック用のパン2つ。今一つ食欲がない。

 7月28日に撮影した、黒島の豊年祭(ムラプール)の写真をPhoto Albumにしました。午前のパーレー競争、ミーラク(ミルク)行列までは、こちら。ガッキブドゥン、午後のパーレー競争、ユー揚げまでは、こちら

ミーラク
↑ミーラク(ミルク)行列。↓ユー揚げ。
ユー揚げ

9月12日(木)

 お腹は空くのに、あまり食欲がない。夏バテだろうか。そう言えば昨年の今頃もそうだった。8月の末に富山に帰省し、それから東京へ行って出版社のスタジオで撮影。沖縄に帰る前日、東京下町散歩をしていたが、なんだか食欲がなくて辛かった。秋の気配が少し感じられる今は、夏の疲れがじわじわと出てくる頃なのだろうか。
 昨日の晩ご飯はバナナ5本と、買って来たスイカを半分。今日は朝にスイカの残り、昼から夕方にかけて自作のホットドック3本、夜にもずく酢。
 とりあえず明日の昼は、茶蕎麦とおにぎりにしようか。 

 7月27日に撮影した石垣市・四ヵ字の豊年祭(ムラプール)の写真をPhoto Albumにしました。こちら

巻踊り奉納から
↑巻踊りの奉納。↓大綱曳き。
大綱曳き

9月11日(水)

 朝6時頃に雨の音で目覚める。悲しい気分で2度寝。起きたら晴れていた。天気予報は今日もところどころ雨の降る予想だったが、何となく大丈夫な気がして洗濯をした。
波の上ビーチ

 若狭図書館で借りた本の返却期限なので、バックに本とカメラを入れて自転車で向かう。5冊借りていたうちの2冊を返却し、3冊を延長してもらった。
 図書館から直ぐの那覇市内唯一の海水浴場、波の上ビーチへ。そう言えば沖縄に来て一度も海に浸かっていない。とりあえず足だけ海に浸けて来た。

←波の上ビーチ。10月頃まで泳げるだろうか。

 波の上ビーチから那覇埠頭、50号から国際通りを走り、栄町市場で買い物をして帰宅。
昭和な趣の鮮魚店
Tシャツ
↑波の上ビーチの近く。昭和な趣の鮮魚店。
←国際通りで買った、ワゴンセールのTシャツ500円。
→栄町市場でスイカ200円、バナナ5本150円。
スイカとバナナ
 7月26日に撮影した竹富島の豊年祭(トゥヌイプイ)の写真をPhoto Albumにしました。こちら
ニーラン神石へのニガイ
↑ニーラン神石に向かって御願をする神司と村の執行部の方々。
↓手を上げ足を上げて踊り、喜びを表現するガーリー。
ガーリー
 9.11のテロから12年、3.11の大震災から2年半が経った。どちらもテレビから流れる映像に、只々釘付けになったのを思い出す。あの時は、これが現実に起こっている事だと理解するのに時間がかかった。
 震災から2年半を経た現実は、21万人以上の人が仮設住宅や民間アパートなどで避難生活を送っており、災害公営住宅は予定の僅か1.6%である448戸しか完成していない。
 オリンピックの開催が東京に決まり、それに纏わる関連株が値上がりし、オリンピック景気に期待する声がアチコチから聞こえてくる。1964年の東京オリンピックで新幹線が開通し、道路が整備され、施設が建設されて街は大きく変貌を遂げた。雇用を生み、大きな経済効果もあったのかもしれないが、今の日本の借金1000兆円はオリンピックの翌年である1965年から始まっている
 今回招致合戦に敗れたスペインは1992年にバルセロナでオリンピック、セビリアで万国博覧会を開催したが景気は低迷し、失業率は高いままだ。ギリシャは2004年のオリンピックを開催した後、財政破綻している。手放しで喜んでばかりはいられない。
 日中はお天気が保ったけれど、夜になって雨が降り出した。洗濯物は乾いて部屋に取り込んだ後だったので、無事だった。

9月10日(火)

 今日で3日続けて午後から天気が崩れた。用があるわけではないけれど、外に出る気にならないのがちょっと困る。
今日の那覇市街
 昼ご飯は、昨日の刺身(ブリの幼魚)の残りと納豆、ナメタケおろし、キャベツと塩昆布の漬物、ソーセージ、油揚げと豆腐のみそ汁。晩ご飯は、冷やし(大根)おろしうどんと、お茶漬け。冷蔵庫にあるもので済ませて、今日もパソコンに向かって写真の作成。
 7月25日に撮影した、竹富島の豊年祭(オンプイ)の写真をPhoto Albumにしました。こちら
←雨が降り出した那覇市街。
玻座間御嶽に集まった氏子の方々
↑玻座間御嶽に集まった氏子の方々。↓コンドイ浜にて。
コンドイ浜にて
 キーボード奏者のジョージ・デュークが亡くなって、ひと月程が経った。You Tubeから「The Billy Cobham & George Duke Band (Live)/Do What Cha Wanna」」。1976年にリリースされたライヴ・アルバムの中の一曲。発売からしばらく経った、二十歳前後に聴いていたかな。美しい曲。

9月9日(月)

 昨日の早朝に、2020年のオリンピック開催地が東京に決まった。IOCへの最終プレゼンテーションで、この国の首相は福島第一原発事故について「状況はコントロールされている。東京にダメージを与えない」とし、その根拠を尋ねられると「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」と断言した。大丈夫か?正気を取り戻せ!
 未だ溶け落ちた核燃料がどこにあり、どういう状態かもわからないのに、どうしてコントロールができるのだろうか。また根拠とするのが「汚染水が完全にブロックされている」という発言も答えになっていないだろう。汚染水対策は、そもそも廃炉以前の作業で、それすら手を焼いていると言うのが現状だと思う。3基ものメルトダウンした原発の廃炉なんて人類が嘗て経験した事のない作業で、溶け落ちた核燃料を取り出す技術はこれから開発する。コントロールも何も、スタート地点に立ったばかりの手探り状態だ。
 今日のテレビ朝日のニュースステーションで安倍首相の「汚染水は港湾内で完全にブロックされている」という発言に対して漁師の男性が、「大丈夫というならここに来て魚を食べてみろ、水を舐めてみろ」と怒っていた。世界に向けて完全にブロックされていると発信するなら、国民の前で魚を食べて水を飲むパフォーマンスをしながら同じ発言をしてはいかがだろう。先月、地上タンクから300トンの汚染水が排水溝を通じて外洋に流出した可能性があると東電も認めている。
  今日の記者会見で東電は、港湾内と外海の海水は一日に50%ずつ入れ替わっていると説明。港湾内に漏れた汚染水だけが入れ替わらずに留まることなどあり得ないだろう。
 「状況はコントロールされている」、なんとも力強い言葉だ。しかしこの人は第一次安倍内閣の時に、消えた年金記録問題で「最後の1人にいたるまで、記録をチェックして、まじめにこつこつと保険料を払っていただいた皆さんの年金を正しくきっちりとお支払いしていく」と力強く話しておきながら、お腹が痛いといって政権を放棄したのだ。
 7年後の開催に向けて、東京はこれから急ピッチで施設を作り道路を整備することになる。資材不足と人材の不足で被災地の復興が遅れる事はないのだろうか。コントロールされているという福島第一の廃炉作業に影響はないのだろうか。

 空気が少し秋めいて来た。2日続けて那覇の空は、午後から不安定だった。昨日は雷雨、今日は降ったり止んだり。新都心のスーパーへ買い物に行ったくらいで、後は部屋で写真作成の作業。
 7月24日に撮影した白保の豊年祭の写真をPhoto Albumにしました。 神司による御願からミルク加那志来訪までは、こちら。白保婦人会の踊りから大綱引きまでは、こちら

ミルクの入場で、袖を持つ女の子
↑袖を持ってミルク加那志のお供をする女の子。↓大綱引き。
大綱曳き

9月6日(金)

 髪の毛が伸びて来たので、土・日・祝日カット900円、平日700円のお店へ。頭がスッキリしたところで、近くの栄町市場と家に帰る途中のスーパーで買い物。
スイカ
 栄町市場ではスイカを買った。沖縄でスイカを買ったのは初めてかな。ひょっとすると食べるのも初めて。
 中くらいのサイズの今帰仁スイカが1個650円、半分350円と書いてあったので半分に切って貰おうと思ったら、大きめのスイカを四分の一にカットした250円のがあって、それを購入。冷蔵庫で少し冷やしておいて夕方に食べたが、甘くて美味しかった。
←1/4カットの半分を食べた。残りは明日のお楽しみ。
 今日も部屋で写真作成。7月22日に、豊年祭の下見を兼ねて訪ねた黒島と竹富島のスナップを、Photo Albumにしました。こちら
黒島にて
↑黒島にて。↓竹富島にて。
竹富島にて
 髯を剃った。口髭も顎髭も、きれいさっぱり剃った。何年ぶりだろう。髪の毛をカットする時に、髭剃りも頼もうと思っていた。お店の幟にはカット900円、カットと髭剃り1100円と書いてあるので、平日カット700円ならカットと髭剃りで900円かと思っていたら1100円ですと言われて自分で剃る事にした。
 それほど印象は変わらないと思うが、なんかツルンとしてますね。見慣れるまで、少し時間がかかるかな。

9月5日(木)

 次の旅行の宿の手配や日程の下調べをしつつ、今日も部屋に籠って写真の作成。
 7月21日に撮影した鳩間島の豊年祭(ムラプール)の写真をPhoto Albumにしました。こちら
綱引き
↑いよいよ綱引きの開始。カヌチ棒で繋がれた雄綱と雌綱の頭に、ミキが振りかけられた。
↓オンプール、ムラプールと2日間に及んだ豊年祭も終わった。唄と踊りで島を離れる人達をお見送りする。
お見送り

 昨日、G20首脳会議とIOC総会出席のため羽田空港を出発した安倍首相が、海外からも懸念されている福島第一の汚染水問題について「政府が前面に出て完全に解決をしていく。7年後の20年には全く問題はない」と記者団に語った。7年後に汚染水の問題が解決できる根拠は、どこにあるのだろうか。
 一昨日政府は汚染水対策の基本方針を発表したが、具体的な数字を掲げて示したのは国費(と言う名の血税)を470億円投入するということだけで、あとは建屋周辺の土を凍らせる凍土遮水壁の設置と、高機能な汚染水の放射性物質除去装置の設置だ。
 凍土壁を作ると言うのは新しい提案でもなく、今年の5月末から出ている。1〜4号機を囲むように地盤を掘削し、一定間隔で管を打ち込み、管内にマイナス40℃の冷却剤を循環させて土を凍らせて壁をつくるそうだが、建設費もさることながら維持費が膨大にかかると思われる。凍土壁の設置に国費から320億円を投入すると発表しているが、設置後の年間維持費について具体的な数字は出していない。また、東電も遮水壁の設置を検討していたが、地下水の流入が減ると建屋内の汚染水が逆に土壌に漏れ、海洋に流出する懸念があり断念したという経緯もある。
 高機能な汚染水の放射性物質除去装置の設置と言うのは、アルプスよりも高機能な装置という事だと思うが、高機能ではないアルプスでさえトラブル続きで試験運転終了も延びている。より高機能な除去装置がすんなりと開発され、稼働するとは思えない。
 また、仮に汚染水の問題が解決したとしても7年後の2020年には全く問題はないとは言えないだろう。汚染水の問題は廃炉作業以前の問題であり、未だに溶け落ちた核燃料がどこにあるかすらわかっていない。廃炉作業で進んだと言えるのは比較的線量の少ない4号機の燃料取り出しが最終段階に入ったということぐらいではないだろうか?
 今日、タンクの汚染水が地下水に到達か、という記事が出た。溶け落ちた核燃料が、地下水脈に到達する可能性はないのだろうか。
 日本オリンピック委員会会長の竹田恒和理事長は、放射能漏れに対する質問に「福島は東京から250キロ離れており、皆さんが想像する危険性は東京にない」と答えたそうだが、250キロしか離れていないのだ。
 「福島の再生は国の責任で実現する」と安倍首相は語るが、資材不足と人材の不足で福島、岩手、宮城の被災3県の復興が遅れている。これでオリンピックが招致されれば、ますます資材と人材は足りなくなるだろう。 

 8月に推計300トンの汚染水漏れが発覚した後も、タンク配管の水滴から3億ベクレル検出、福島第一の地上タンク群で最大毎時2200ミリシーベルトと次々に高濃度の汚染水漏れが見つかっている。東電はようやく汚染水が排水溝を通じて外洋に流出した可能性があると認めたが、今年の4月は汚染水に含まれる放射性物質ストロンチウム90が地下水に混じり、約800メートル離れた海に流出するまで早くても百年かかるという試算を出していた。こんなデタラメな企業が、まだ柏崎刈羽原発を再稼働しようとしている。それはやはり異常なことだろう。

9月4日(水)

 お天気が良かったので、午前中に洗濯と部屋の掃除。このところ自炊が続いて、自分の作る料理に飽きて来た。かといって食べに行くのも勿体ないので、昨日安売りしていて買っておいたピザトーストを焼いて昼ご飯。 
 日記の方はようやく追いついたが、写真データの現像は相変わらず溜まったままで、今日もYou Tubeで音源をアレコレ探してBGMにしながら写真の作成。今日のBGMはサディスティック・ミカ・バンド。ミカさん、桐島かれん、木村カエラと言った歴代ボーカリストの「タイムマシンにおねがい」を聞きながら作業。 
 「タイムマシンにおねがい」が収録されている2ndアルバム『黒船』は大好きなアルバムだが、一番最初にサディスティック・ミカ・バンドを聴いたのは1973年8月に発売された『ラブ・ジェネレーション・ライヴ・コンサート』という日本武道館での2枚組のライヴアルバム。この中で彼らは「ピクニック・ブギ」と「銀河列車」の2曲を演奏している。You Tubeに、その音源があった。「加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド/ピクニック・ブギ」「加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド/銀河列車」。
トノバン
ドノバン01
ドノバン02

↑左の加藤和彦さんの写真は、ボーカルに桐島かれんを迎えてSadistic Mica Bandとして再結成した時のもの。1988(?)年。アルバム『天晴』のレコーディング中に撮影。
  真ん中と右は、加藤和彦さんが好きだったドノヴァン。1997年5月26日に撮影。モノクロ頁の撮影だったけれど、ギターが美しいのでカラーでも撮っておいた。トノヴァンとドノヴァンの両人を撮影したカメラマンは他にあまりいないだろうと思うので、これはプチ自慢。

 7月20日に行われた鳩間島の豊年祭(オンプール)の様子をPhoto Albumにしました。友利御嶽での神事からミルクの入場までは、こちら。カムラーマからハーリー競漕までは、こちら

ミルクの入場
↑ミルクの入場。↓ハーリー競漕の後、櫂を高々と持って爬龍船をまわる漕ぎ手達。
ハーリー競漕
 午前3時に鹿児島に上陸した台風17号は、午前9時頃に温帯低気圧へと変わったが、九州各地で被害をもたらした。また、東海地方は豪雨に見舞われ、26000人に避難勧告が出された。
 昨日は埼玉・千葉で竜巻被害が起こったが、今日は栃木で竜巻が発生した。気象庁は、明日も近畿から北海道の広い範囲で竜巻が発生する恐れがあるとしている。

9月3日(火)

 昨日の早朝3時頃、久米島近海で台風17号が発生した。先週は15号、先々週は12号と3週続けて台風が接近している。
 今日の朝は台風の影響か激しい雨が降っていたが、長く降り続くことはなかった。11時に歯医者の予約をしてあったので、自転車で向かう。
 歯の治療は前回で終わっていて、今日はブラッシングの指導を受ける。治療計画説明書というのが作られていて、自分の歯の状態が記されている。抜けている歯は1本、銀が被せてある歯が3本。ポケットの深さや、歯間の広さも書いてある。これを見ながら、歯に合わせたブラッシングの仕方を教わる。歯の磨き方を歯医者さんで教わるのは2回目で、前回神奈川の歯医者さんで習った時は歯に隙間が出来ないようにタテに磨いて下さいと言われたが、今回は歯茎が下がらないようにヨコに磨いて下さいと言われる。なんにせよ、固い歯ブラシと強く磨くのを注意された。
 普通の歯ブラシの他、歯間ブラシや糸楊枝の使い方も教わる。一通り教わって、治療計画説明書のコピーを貰って帰る。説明書には色ペンも使った手書きのワンポイントアドバイスもあり、「ブラッシングの圧が強いと根元がすりへりますので注意して下さいネ!磨き残しがないように!がんばって下さいネ by山川」と書いてあった。担当してくれた歯科助手の女性の名前が山川さんと、最後の日になって知った。がんばって下さいネと励まされたので、スーパーへ食材を買いに行ったついでに、やわらか歯ブラシと歯間ブラシ、糸付ようじを買って帰る。

歯の治療計画説明書

 昨日、ヤフーのニュースを見ていたら渋谷の老舗生地店「マルナン」が9月16日で閉店の記事があった。この渋谷のスクランブル交差点近くにあるマルナンで、ポートレート撮影用の背景に使う布を何回か買ったことがある。色や生地の種類が沢山あり、1メートルから買えて値段も安かった。ただ、生地にもよるが幅は広くても1.5とか2メートルくらいだったので2枚繋いだ事もある。
 スタジオでの撮影なら背景の心配はいらないが、音楽雑誌でミュージシャンを撮るとなるとレコード会社の会議室やホテルの室内が多かった。来日アーティストの場合は取材日が設けられて一日にいくつもの雑誌の取材があるので、一つの雑誌に割かれる時間は45分〜1時間ほど。その中でフォトセッションの時間はインタヴューの後の5分とか10分だ。アーティストを外に連れ出して撮るという、時間に余裕のある取材はあまりなかった。
 取材場所で、背景に使える雰囲気のある壁や場所が見つかるとは限らないのでカメラバックには背景用の布を1、2枚入れておいた。ポールを設置する時間もないので、背景の布は関係者に断って壁に直接ガムテープやピンで止めた。それが出来ない時は編集やライターの方に布の端を持ってもらった事もある。
 共同写真KPSの背景布(薄い紙でできた半透明の布のような生地)を買うまで、マルナンで買った生地を撮影に使う事が多かった。その後(今から10年ほど前)、沖縄の写真用品会社がモスリンのムラのある背景布をインターネットで販売した。3X6メートルの一枚もので値段は18000円ほどだった。柄は違うが、それまでプロショップで販売されていたものよりも一桁安い値段に驚いて3枚購入した。
 今は色んなショップが販売しているようで、値段も手頃になっている。
 下の写真は、マルナンで買った布を使って撮影したミュージシャンのポートレート。

シャンタール・クレヴィアジック
リセット・メレンデス
ザ・クエイクス

↑左からシャンタール・クレヴィアジック1997.4.18、赤坂プリンス新館(?)で撮影。真ん中は、リセット・メレンデス1994.10.24、NHKの控え室で撮影。リセット・メレンデスは、当時「Goody Goody」を大ヒットさせていたが、なぜか控え室は4畳半もないようなスペースで、とりあえず狭い控え室に黒の布を張り本人にはその前に立ってもらい、控え室のドアを開けて廊下から撮影した。天井ギリギリの場所にバンクをつけたサンパックの小型ストロボ、正面に小さな傘をつけたサンパックの小型ストロボの2灯。右はザ・クエイクス1993.3.25、レコード会社で撮影。

↓Run-DMC1993.11.13、レコード会社(だったかな?)で撮影。→スティーヴ・ウイリアムスン1992.12.13銀座で撮影。この撮影の後、夜の銀座の街並を眺めてバブルが終わったんだと、しみじみ感じたのを覚えている。
スティーヴ・ウイリアムスン
ランDMC

 台風が3週続けて近づいた沖縄だが、甚大な被害はないようだ。逆に17号は雨乞いをしていた久米島に、恵みの雨をもたらした。それにひきかえ本土、特に九州や山口、北陸などは大雨による被害が深刻なようだ。また、昨日は埼玉・千葉で竜巻が発生し67人が怪我、家屋547棟に被害が及んだ。  

 国内で唯一稼働中の大飯原発3、4号機のうち、3号機が定期検査のため今日の午前1時半頃に停止した。15日には4号機も定期検査のために停止し、再び国内の稼働原発はゼロになる。

8月へ