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○8月1日(木) 県立図書館本の返却期限
○8月3日(土)、4日(日) 与那原大綱曳
○8月4日(日) 一万人のエイサー踊り隊/那覇国際通り
○8月4日(日) 名護市長杯争奪全島職域ハーリー大会
○8月11日(日) 夏の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○8月13日(火) 安田のシヌグ
○8月14日(水) 県立図書館、ほしぞら図書館本の返却期限
○8月15日(木) 歯医者 11時30分〜
○8月19日〜21日(水) 石垣島アンガマ
○8月20日(火) 波照間島のムシャーマ/波照間島公民館前
○8月21日(水)〜8月22日(木) 小浜島の旧盆(ソーラ)
○8月23日(金) 与論島/シニグ(旧7月17日)
○8月25日(日) 塩屋湾のウンガミ(海神祭)
○8月26日(月) 塩屋区豊年踊り
○8月28日(水) 県立図書館、ほしぞら図書館本の返却期限
○8月31日(土) 栄町市場屋台祭り 午後5時すぎスタート
○9月3日(火) 歯医者 11時〜
○9月11日(水) 若狭図書館本の返却期限
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月11日(水)〜15日(日) 名護市屋部の八月踊り
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引
○9月19日(木) 世名城のウスデーク
○9月19日(木) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事)
○9月20日(金) 座間味島 海御願(うみうがん)
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月21日(土) 山原のムラ・シマ講座
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○9月30日(月)〜10月2日(水) 西表島 祖納・干立 節祭 記事
○9月30日(月)〜10月2日(水) 小浜島 結願祭
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 山原のムラ・シマ講座
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土) 山原のムラ・シマ講座
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○11月20日(水)〜21(木) 竹富島 種子取祭タナドゥイ
○12月1日(日) NAHAマラソン
○12月21日(土) 山原のムラ・シマ講座

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
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平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2旧暦の8〜9月の3日間
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
宮古島・宮古協栄バス
宮古島・八千代バス
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
安栄観光フェリー
八重山観光フェリー
石垣島ドリーム観光
スカイマーク
ピーチ
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

8月31日(土)

 今日で8月も終わり。心配していた台風15号は、思っていたより沖縄の北を進んだため、那覇ではそれほど天気が崩れる事は無かった。
 石垣島へ旧盆の行事を観に行っていた時の写真と日記作成のメドがついたので、2カ月ぶりに栄町市場屋台祭りを見に行く。  
 市場のホームページには夕方5時すぎスタートと書いてあったので、5分ほど過ぎた頃に行ってみると、ステージはまだ準備中だった。 散歩を兼ねて市場の中を歩いていると、どこからかベン・ワットの曲が流れて来た。
  ベン・ワットやトレーシー・ソーン、マリーン・ガールズが所属していたチェリーレッド・レコード(イギリスのインディーズ・レーベル)のアルバムは、日本ではTORIOレコードが発売していた。当時「ギター・ライフ」という雑誌でレコード紹介を書いていて、アルバムを聴いて一発で好きになり発売して間もなかった彼らのアルバムのちょとした特集記事を書いた。ぼんやりとした記憶で、このネオ・アコと呼ばれた音楽を鈴木慶一さんが当時いちはやく注目していたように思う。この頃、鈴木慶一さんは徳間ジャパンで水族館レーベルをやっていた。渋谷系なんて言葉もない、30年ほど前のお話し。 
  You Tubeから「Ben Watt/North Marine Drive」「Tracey Thorn / Femme Fatale」。今でも色褪せない曲だと思う。
 市場を散歩して200円のオリオンの缶ビールと、50円のおにぎり、150円のおつまみセットを購入。ステージ前のパイプ椅子に座り、ビールを飲みながら始まりを待つ。
童ばぁたー

 客席横に貼ってあった進行表から。5:30〜松城太鼓、新城カメーと童ばぁたー 6:20〜栄町市場シンガーズ、前田達也 7:10〜やんばるヒートオーケストラ、永楽 8:20〜おばぁラッパーズ、マルチーズロック、カチャーシー 9:00終了。
←童謡「赤田首里殿内」を歌う、童ばぁたー。ところで「赤田首里殿内」と「ミルク節」のメロディーは同じだが、同一曲だろうか?

市場屋台祭りのステージ
カチャーシーで盛り上がる客席
永楽&マルチーズロック

 市場屋台祭りのトリは、島唄の永楽さんとマルチーズロックのジョイントによる、カチャーシー。
 客席前方のパイプ椅子は端に寄せられて、踊りのスペースが作られた。
 進行表には9時終了となっていたが、30分ほど過ぎて終わった。パイプ椅子の片付けを少しお手伝いして、帰宅した。

↓屋台に出品していた無添加の梅干し。1パック250円と安かったので購入。

市場にいた子猫
←市場を散策中に見つけた子猫。まだ手のひらに乗るほどの大きさ。親猫も兄弟も近くにいなかったが、元気に走っていた。市場だから、食うに困らない気がする。
梅干し
*屋台祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちら。(12月17日に更新)。

8月28日(水)

 昨日パソコンで作ったお礼の手紙や、プレゼント用写真のキャプションを午前中にプリント。午後から泊の郵便局へ行き、ポストカードを3枚と、写真を入れたレターパックを2つ送る。なかなか送れなかったので、ようやく肩の荷が降りてホッとした。
 郵便局から市立若狭図書館へ行き、ほしぞら図書館で借りた本1冊を返却し、新たに5冊借りて来た。市立図書館の利用カードは1年毎に住所確認をするそうで、前回ほしぞら図書館で借りた時に現住所の分る証明書を持って来て欲しいと言われていた。住民票は沖縄に移していなくて利用カードを作った時も公共料金の請求書を提示したと思うので、国民健康保険証と携帯電話の請求書を提出して若狭図書館でカードの更新をしてもらった。
 若狭図書館から、今度は県立図書館へ行き、こちらでも借りていた本1冊を返却。県立図書館から不動産屋へ行き、来月分の家賃を支払う。 
 台風15号の影響で、明日から天気が崩れるというのでスーパーに寄って食材を購入。用事は全て済ませたので、これでしばらく外出しなくても大丈夫。
今日借りて来た本
↑今日若狭図書館で借りて来た本。比嘉康雄さんの、神々の古層シリーズから5冊。左の3冊、「来訪するマユの神 マユンガナシー(石垣島)」「巡行する神司たち マチリ(与那国島)」「世を漕ぎ寄せる シチ(西表島)」は一度借りている。右の2冊、「女が男を守るクニ 久高島の年中行事1」「女が男を守るクニ 久高島の年中行事2」は初めて借りた。
キャベツと塩昆布の漬物
 晩ご飯のメインは、スーパーのお惣菜コーナーで5枚200円と安かったサンマの蒲焼き。それに大根と油揚げ、豆腐のみそ汁。キムチと沢庵、キャベツと塩昆布の漬物。キャベツと塩昆布の漬物は初めて作った。
  適当な大きさに千切ったキャベツと塩昆布、ほぐしたカニカマ、七味唐辛子をビニール袋に入れて、軽く揉んでから冷蔵庫に寝かせる。1時間ほどで美味しい漬物になった。

8月26日(月)

 先日行った石垣島の旧盆の写真も現像しなくてはいけないが、お礼やプレゼント用にプリントしなくてはいけない写真もあって、午前中から久しぶりにプリント作業。A4のプリントを3枚作ったところでインクが擦れている事に気づく。ノズルのチェックをしようと思うとインクが2色残量不足の表示で取り替え。インクを交換しノズルをチェックし、午前中の作業は終了。正午から予約してあった歯医者に行く。
 6月の中頃に下の前歯の先端が欠けたのと歯石を取りたくて歯医者に行ったら、親知らずに虫歯が見つかり、結局残っていた親知らずを2本抜歯。それから削れて細くなっている歯が何本もあるので、プラスチックで補強することになり、今月の15日に上の歯を2本治療、そして今日は下の歯を6本プラスチックで補強した。これでようやく治療は終わったが、後1回、歯のブラッシングの講習を受けに行く事になった。
 歯医者の帰りに泊漁港で買い物。3パック1000円のイカゲソと塩鮭の切り身、刺身盛り合わせを購入。マンボウの切り身が1パック100円だったので、これも買って帰る。
 家に帰り、ひたすらプリント。A4サイズを5枚、ポストカードを3枚、KGサイズを50枚プリントする。

 シンコーミュージックの洋楽系音楽雑誌、クロスビートが来月発売の号で休刊となる。少し前にも邦楽の音楽雑誌の休刊のニュースを目にした。
 それ程多くはないが、クロスビートでも何組かのアーティストを撮影させてもらった。一番最初はジ・オトゥールズで1995年。自分で作った撮影リストには日にちが載っていないが、この撮影の後に北京へヘイバオ(黒豹楽隊)の撮影で行っているので95年の1月だと思う。ジ・オトゥールズの写真はクロスビートと、同じくシンコーの音楽雑誌ミュージックライフで掲載された。

ジ・オトゥールズ
↑ジ・オトゥールズ。↓左から、同じくクロスビートで撮影したデヴィッド・バーン(1997年4月24日)、スクエアプッシャー (1997年)、マーク・スチュワート(1995年?)。
デヴッド・バーン他
 民俗学者の谷川健一さんが24日に亡くなられた。今日、台風15号が発生した。
 昨日からマジックマウスの接続がブチブチと切れまくって困る。一昨日、群島鳥類研究会から2012年度 南西諸島鳥類調査記録誌「赤髭(あかひげ)」が届いていた。

 8月23日(金)

 台風一過の石垣島から、帰って来ました。18日に発生した台風12号の影響で、波照間島のムシャーマと小浜島のソーラは観ることが出来ませんでしたが、その分旧盆の3日間でいしゃなぎら(石垣)、大川、登野城、新川といった四ヵ字の青年会によるアンガマをたっぷりと観て来ました。ウークイの次の日にあたる昨日は、登野城のイタシキバラとアンガマトゥズミも観てまわりました。  
 先週、安田のシヌグを観に行った時の日記も更新出来ていませんが、ゆっくりとUPしていきます。とりいそぎご報告まで。

8月23日(金)

 朝起きると、台風一過の青空。那覇に帰る日になって、ようやく晴れた。
ゲストハウスの中庭

 昨日撮影した写真データを外付けのハードディスクにバックアップし、日記用のメモを書く。スカイマークのホームページを見ると、那覇行きの便は通常通りの運行のようだ。
 チェックアウトの11時までに荷物をまとめ、ベッド周りを少し片付ける。まとめた荷物をリビングに運んで、テレビを観ながらまったりと過ごす。

←今回宿泊していた、一泊1000円のゲストハウスの中庭。

 13時過ぎ、宿のオーナーや同宿のゲストに「いってらっしゃ~い」と見送られて、バスターミナルに向かう。途中、宿にダイソーで買った100円の麦わら帽子を忘れた事に気づく。空港までのチケットを買い、空港行きに乗車。バスは離島ターミナルに寄っただけで、あとは空港までまっしぐら。
石垣空港

 スカイマークのカウンターで15時20分の那覇行きSKY564便の搭乗手続きをし、ロビーで出発を待つ。早く空港に来て手続きをしたので窓側の席を取れたが、満席のようだ。
 なんだかんだと出発が遅れて、那覇に着いたのは16時45分で、予定時刻を30分ほど過ぎていた。預けたバックと傘を受け取り、モノレールで美栄橋駅へ。

←石垣空港にて、那覇行きの便。

 家に帰る途中にある食堂で、カキフライ定食ポーク玉子・刺身付きを注文。前回食べた時はタルタルソースが付いていたが、今日は無い。
 部屋に帰り、荷物をほどき、撮影して来た写真データを2つの外付けハードディスクにバックアップ。夜のテレビニュースを観ていたら、いつの間にかウトウトと寝てしまった。
カキフライ定食

*本日の出費。バスターミナルから石垣空港520円、那覇空港から美栄橋290円、カキフライ定食670円。

8月22日(木)

 午前中は雨だったが、昼頃から少し回復。藤圭子さんの訃報に驚く。
 今日は登野城でイタシキバラがあるが、場所と時間がわからないので散歩がてら偵察に。ついでにお腹も空いたので、宿の近くにある安くて量があるので有名なあさひ食堂に行くが、お休みの張り紙。
 公民館の近くで演じると聞いていたので、当りをつけて歩いていると三線の音が聴こえて来た。音のする方へ歩いて行くと、広い更地にテントが張られて何やら準備中だった。作業をしている人に聞くと、ここがイタシキバラの会場で、始まりは16時過ぎとのこと。
 場所と時間がわかったのでお昼ご飯を食べに行く。歩きながら見つけた候補はレストランのチキン&タイカレー、ドリンク付き700円、中華料理店の麻婆豆腐定食600円、喫茶店のカツ丼600円。しばらく悩んで、喫茶店のカツ丼にした。沖縄でカツ丼を食べると、野菜炒めが乗っていたりと驚く事も多いが、老夫婦がやっているこの喫茶店のカツ丼は正統派。ご主人が作っていたが、盛りつけも美しい。
 すっかりお腹がいっぱいになったので、一旦宿に戻ってお昼寝。起きると16時過ぎだったので、急いでイタシキバラの会場に向かう。
神司のニガイ
 イタシキバラはウークイの次の日に行われるもので、獅子の霊力で邪気を祓い、地域を清め、住民の健康を祈願する。会場に着くと、テントの中に祭壇が設けられて2体の獅子頭とミルクが奉られていた。
 17時過ぎに祭壇の前に神司が座り、ニガイが行われた。この後、テントの中で地謡の演奏で唄が歌われ、酒宴が始まった。私も、かまぼこ(ちぎり揚げ)と冷たいお茶をいただいた。ご馳走さまです。
獅子頭を拝む神司
銅鑼を鳴らして歩く人
 19時少し前に会場の周りで始まりを告げるものだろうか、銅鑼を鳴らして男達が歩く。そしてテントの中の祭壇で再び神司のニガイが行われた後、獅子頭が運び出された。
塩を撒いて会場を清める
 神司から受けとった清めの塩が会場に撒かれ、獅子舞が始まった。時間にして20分程の舞でしたが、想像以上に激しい動きで迫力のある獅子舞だった。
獅子の口に頭を突っ込まれる子供
獅子舞
 このイタシキバラが行われる場所は新城家(アラスクヤー)の土地で、家主不在だったが、昨年の旧盆以降に家屋も撤去されたそうだ。更地になったアラスクヤーでの獅子舞は、今年が初めてとなる。字会の会長さんが最後に挨拶をされたが、今日の開催まで大変だったようだ。
 20時過ぎにイタシキバラが終わり、直ぐ近くにある登野城公民館へ移動。アンガマの総集編というのだろうか、アンガマトゥズミが19時半から行われている。
 八重山幼稚園の3階にある公民館に入ると、ステージの上にはクバ笠と顔に巻いていた手ぬぐいやサングラスを外した素顔の花子達が座っている。
登野城のアンガマトゥズミ
 民家や施設をまわる時は一カ所につき1時間弱だが、このアンガマの締め括りとなるトゥズミでは全ての踊りが披露されるようだ。2時間ほどと聞いていたが、終わったのは22時過ぎ。一番最後は六調が踊られ、この後アンガマ一行は列を作ってステージを下りる。列の最後はお面を外したウシュマイとンミーだった。
最後にお面を外してステージを去るウシュマイとンミー

 公民館を出て宿に帰る途中、コンビニで水とおにぎりを購入。シャワーを浴び、買って来たおにぎりとイタシキバラで貰ったかまぼこ(ちぎり揚げ)、一昨日買っておいたカップ焼きそばで晩ご飯。

*本日の出費。カツ丼600円、天然水2ℓ98円、鮭のおにぎり137円。

*八重山毎日の記事

*この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(12月14日に更新)。

8月21日(水)

 かなり接近するかと思われていた台風12号は進路がそれて、石垣島は暴風域に入らず午前10時半に暴風警報は解除された。それでも石垣空港を離発着する飛行機に影響は出て、離島ターミナルからの船は全便が欠航した。
 予定では最終の船で小浜島に渡り、夜通し行われるという旧盆行事ソーラを観に行く予定だったが、船が出ないのではしょうがない。残念。
 とりあえず昨日買っておいたパンを食べながら、ベッドにパソコンと周辺機器を広げて日記用のメモを書く。書き終わり、少し昼寝をしてから一昨日も行ったゆんたく家へ。今日は18時から昨日保育所で観た大川青年会のアンガマがある。
駐車場から出てくるアンガマ一行
 少し早めに着いて、ゆんたく家のあるアーケードの端に行くとアンガマ一行が少し離れた駐車場にバスで到着。ウシュマイ、ンミーを先頭にゆんたく家へ向かう行列を撮影しながら着いて行く。
アーケードを歩くアンガマ一行
 激しい雨が降っていた一昨日よりも見物人の数は多くなっている。50分ほど花子達の踊り、ウシュマイ、ンミーと見物人との珍問答が行われ、来た道を通って帰って行った。
ゆんたく家での大川青年会のアンガマ
 帰り際、ウシュマイやンミーと一緒に記念写真を撮りたいという観光客が沢山いて大人気だった。日程表を見ると、大川青年会のアンガマはこれが最後。大川の一般家庭でのアンガマは観れなかった。
新川青年会のアンガマ
 ゆんたく家を出て、今度は新川へ向かう。四カ字のうち、石垣(いしゃなぎら)、大川、登野城青年会のアンガマは観たので、残りは新川青年会だけだ。日程表には、この日の夜、新川のアンガマは19時から3軒の家で行われると記載されているが、最初の家は名前だけで住所が書いてない。グーグルで検索した2軒目の家を目指して歩いていると、途中で太鼓と三線の音が!聞こえる方の路地に歩いて行くと人だかりがあり、新川青年会のアンガマだった。
 1軒目の途中から見学して、次の2軒目に着いて行く。雨が降っていないので、アンガマ一行は行列を組んで歩いて移動。三線、太鼓の地謡をバックに道唄を歌いながら歩く。歌詞は昨日の登野城のものとは違う気がする。また、ホーイホーイというかけ声も入らない。ゆんたく家で観た大川のアンガマは地謡の演奏だけで、唄はなかった。一昨日のいしゃなぎらのアンガマは雨が降っていてバスでの移動が多かったのだが、歩いて移動する時も地謡の演奏だけだったように思う。また、登野城と新川の花子達はクバ笠を被り、顔を手ぬぐいで隠しサングラスをかけているが、いしゃなぎらと大川はクバ笠と手ぬぐいだけだ。
アンガマの行列
 2軒目の家から3軒目は小雨がパラついたのと、少々距離があるからかアンガマ一行は車で移動。スタッフの方に場所を聞いて歩いて先回りする。大通りで車を降りた一行は、また列を作り道行きの唄を歌いながら歩いてくる。吹き返しの風が強く、時おり小雨がパラつくが旧盆最後の日とあってどの家にも見物客がいっぱいだった。
 3軒目の家が終わったのは、22時20分頃だった。アンガマ一行は、また唄を歌いながら歩いて5分ほどの公民館へ入って行った。
一般の家をまわる新川青年会のアンガマ
まんまるなお月様

 空を見上げれば、凄い早さで流れる雲の間からまん丸い月が顔を出している。宿へ向かって歩いていると、家の前の道でお供え物を並べてご先祖さまを送り出している家族を見かけた。薄暗い中、目を凝らして歩いているとお供え物が道路にそっと置かれている。

↓家の前に置かれた送りの日のお供え物。サトウキビはグソーからこの世に帰って来る時は杖として、グソーに戻る時はお供え物の担ぎ棒となるらしい。

ウークイのお供え物

 アンガマは座敷での唄や踊りも良いけれど、行列を作って歩いて行くところが風情があって好きだ。日が落ちて暗い路地を、異形の精霊達が歌いながら演奏しながら列をなして歩いて行く。それは非日常な風景で、それゆえ強く惹かれてしまう。
 宿に帰る途中お腹が空いたので、先月来た時に食べたラーメン屋さんに寄るが閉まっていた。しょうがないのでコンビニでサンドイッチを一つ買って帰る。
 サンドイッチを食べ、シャワーを浴びて、泡盛を呑んで就寝。

*本日の出費。サンドイッチ284円。

*この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(12月11日に更新)。

8月20日(火)

 昨日は激しく雨が降ったので、今朝は起きたら台風の影響で大荒れの天気かなーと思っていたら、晴れていた。台風が去ったのかと思うような空だが、天気図ではこれからやって来る。
 本当は今日は波照間島のムシャーマを観るつもりだったが、臨時の船は昨日運行中止が決まった。それでもフェリー会社のホームページを覗いてみると定期船の始発は運行、後の船は未定となっていた。
 とりあえず昨日撮影した写真データを外付けのハードディスクにバックアップし、カメラの電池を充電。そして日記用のメモを書く。
 アンガマ日程表には、午後13時から新栄町保育所に大川青年会のアンガマが登場することになっている。保育所でのアンガマとはどんなものか興味があるので、出かけて行く。
 アンガマを観る前にお昼ご飯を食べようと、石垣島に来ると食べに来ている食事処でチキンピカタのデミソース、ドリンク付き690円。食べ終わり地図を見ながら保育所へ。保育所の先生にアンガマを観たくて訪問した事を伝えると、どうぞどうぞと園児の集まっている広い部屋に通して下さった。
バスを降りて保育所に向かうアンガマ

 予定では13時からとなっていたが、アンガマ一行が到着したのは13時20分頃だったか。旧盆の時期はアンガマ一行は忙しいのか、沖縄時間なのか。行事の流れは同じだが、途中で園児が踊りを披露したり、仏壇が保育所の先生の手作りだったりするのが面白い。

←バスを降りて保育所に向かう、大川青年会のアンガマ一行。
↓保育所の先生が手作りした仏壇。

保育所の仏壇にウートートー
保育所の先生手作りの仏壇
↑先ずは仏壇にウートートーする、ウシュマイとンミー。
↓踊りを披露する園児。→ウシュマイとンミーに質問する子供。
ウシュマイとンミーに質問する子供
園児の踊り
保育所を去るアンガマの一行
 14時10分頃に保育所でのアンガマは終了。バスに乗って帰るアンガマ一行を見送った後、保育園の先生にお礼を言い、近くの図書館へ。1時間ほど郷土コーナーに置いてある写真集を眺めて過ごす。
 図書館からの帰り、離島ターミナルにより船の運航状況を聞く。結局波照間島への定期便は、行きも帰りも運行したようだ。なんだ〜行けば良かったと思うが、帰りの船が運航するかどうかは行く時には未定なのだから決断は難しい。
 宿に帰り、日記のメモの続きを書く。激しい雨が降ったり止んだりするが、昨晩のように雷が鳴る事もなく台風接近中の感じはしない。
 日程表を見ながら、今晩はどの青年会のアンガマを観に行くか検討。いしゃなぎら青年会は昨日追っかけたし、大川青年会はさっき保育所で観たので、登野城青年会のアンガマにする。
幼稚園で待機しているアンガマ

 日程表に記載されている訪問する家の住所をグーグルマップに打ち込んで検索。だいたいの場所を覚えて、宿を出る。最初の家に訪問するのが19時となっていたので、18時半頃に宿を出て探していると八重山幼稚園が。たしか最初の家は幼稚園の近くだと思って、敷地を覗くと庇の下にアンガマの一行が待機していた。
←八重山幼稚園。3階には公民館がある。

↓道唄を歌いながら移動するアンガマの一行。You Tubeから、道唄を歌いながら移動する登野城のアンガマ
道唄を歌いながら移動するアンガマ一行
 雨が降らないうちにと、少し早いが18時45分頃に幼稚園を出発したアンガマ一行は、太鼓と三線の地謡をバックに唄を歌い、ホーイホーイと声を上げて移動する。最初の家に少し早く着いたのでしばらく待機したのち、座敷のある2階にゾロゾロと上がって行く。後を着いて行くと、家の人がどうぞどうぞと見物客も家の中に入れて下さった。お言葉に甘えて中から少し撮影。昨日程の激しい雨も降らず風もあって涼しいので、見物客がたくさん訪れて直ぐに家の中は満員になった。
 アンガマの内容は昨日のいしゃなぎら青年会と大きく違うことはなく、ウシュマイとンミーが仏壇にお香をあげて拝礼し、念仏踊りを踊る。その後花子達が唄と踊りを披露。その合間にウシュマイ、ンミーと見物客との珍問答が行われる。
 一軒目の家に一時間近く滞在した後、次の家へ。雨が降って来たので途中からアンガマ一行は車で移動。登野城青年会のアンガマはこの夜5軒の家をまわるようだが、3軒目の途中まで観て宿に戻った。
一般の家をまわる登野城のアンガマ

 ところで、登野城のアンガマで六調が踊られた。奄美は最後に六調を踊るが、沖縄で六調は不思議だなーと思っていたら、沖縄本島にはないが八重山諸島にはあるという記事を見つけた。
 明日が一番台風が接近する予想となっている。暴風雨で外に出られなくてもいいように、途中のコンビニで買い物。パン3個、カップ焼きそば、ポーク玉子弁当、1ℓ紙パックのミルクコーヒー、ポテトチップスで1214円。
 宿に戻りポーク玉子弁当で遅い晩ご飯。シャワーを浴びて、ポテトチップスをつまみに泡盛を呑んで就寝。

*本日の出費。ランチ690円、コンビニ1214円。

*沖縄タイムスの記事。登野城のアンガマの面について、こちらに解説がある。アンガマについては、こちらも参考に。

*この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(12月9日に更新)。

8月19日(月)

 今日は旧暦の7月13日。沖縄は今日から3日間、旧盆の行事が行われる。初日の今日は先祖の霊をお迎えするウンケー、明日はナカヌヒーで本来はこの日にお中元を持って行くそうです。そして、明後日は先祖の霊をお送りするウークイとなっている。
 沖縄でも八重山諸島が特に旧盆行事が盛んなようなので、今日から石垣島に旧盆の行事を観に行く。
 スカイマークのホームページで石垣島行きの便をチェック。4便ともに空きがある。お米一合を炊いて、お昼用のおにぎりを握る。荷物の最終確認をした後、部屋を10時過ぎに出て、モノレールの美栄橋駅へ歩く。10時33分のモノレールで那覇空港へ。
 スカイマークのカウンターで那覇12時40分発のSKY563便の席を取り、23日の石垣から那覇への帰りの便を予約していたら携帯電話が鳴った。先日、波照間島の旧盆行事・ムシャ−マを観るための往復の臨時便と送迎のセットになったチケットを電話予約した石垣島ドリーム観光からで、台風の影響で明日の臨時便の出航が中止になったという電話だった。残念。
 さっさと搭乗手続きを済ませて、ロビーで朝作ってきたおにぎりで早めの昼ご飯。那覇空港は相変わらず滑走路が混んでいるようで、石垣行きの便は20分以上離陸を待たされた。
那覇空港
飛行機の窓から見た雲

↑那覇空港。
←↓ 石垣島に近づくにつれて雲が多くなり、機体も揺れた。離陸を待たされた分、石垣空港への到着も20分ほど遅くなった。

石垣空港
 今日の夜は四カ字のアンガマを観る予定だが、各青年会がどこをまわるかの情報が欲しくて空港の案内所で聞いてみる。地元の新聞に日程表が載るらしい事を伝えると、わざわざ八重山日報に電話して下さった。日程は昨日の新聞に掲載されたとのこと。今日の新聞ならコンビニで買えるかと思ったが。
 アンガマはグソー(あの世)からやって来た精霊の一行が家々をまわり、三線と太鼓の地揺をバックに唄と踊りを披露して供養する。中心となるのはウシュマイ(おじいさん)とンミー(おばあさん)で、ファーマー(子孫)の花子達をたくさん引き連れている。
 空港を出てバス乗り場へ。外は土砂降りの雨。この雨の中、今日のアンガマは行われるか少し心配になる。しばらく待って、バスターミナル行きに乗車。バスターミナルから直ぐ近くにある竹富町役場へ行き、観光課を訪ねる。接近中の台風の影響をお聞きし、昨日の八重山日報の「ソーロン(旧盆)アンガマ・エイサー日程」をコピーしていただく。
 竹富町役場から宿へ向かう途中、酒屋で八重泉900ml650円を購入。宿にチェックインして4泊分の宿泊費4000円を支払い、荷物をベッドに置く。
 竹富町役場でいただいた日程表を見ながら、どこのアンガマを観に行くか考える。アンガマは登野城青年会、大川青年会、いしゃなぎら(石垣)青年会、新川青年会、平得青年会、真栄里青年会、大浜青年会の日程が掲載されており、各青年会の始まりの時間とまわる家の名前・住所が記載されている。個人の家と住所なのでさっぱり場所がわからない。その中で公設市場もある市街地のアーケード街ユーグレナモールの中にあるゆんたく家で、いしゃなぎら青年会が18時からアンガマをすると書いてある。まずはゆんたく家で観て、その後を追っかけて他の民家で行われるアンガマを観る事にする。
 18時まで2時間ほどあるので、宿を出て石垣市役所へ。観光課と教育委員会で旧盆の後に行われるアンガマトゥズミや、少し先だが川平のマユンガナシーについての情報を聞いてみたが、あまり収穫は得られなかった。
 17時半頃にゆんたく家に行くと、前の道路に観客用のパイプ椅子が並べられていた。家の座敷横の通路にも椅子が並んでいるので座っていたら、そこはウシュマイとンミーの子孫である花子達の席だった。
 アンガマ一行の到着を待っていたら、やがて太鼓の音が鳴った。聞こえる方に歩いて行くと、公設市場をウシュマイ、ンミーを先頭にアンガマ一行が歩いて来る。
アーケードを歩くアンガマの一行
仏壇を拝むウシュマイとンミー
→ゆんたく家に設けられた仏壇を拝む、ウシュマイとンミー。
 ゆんたく家でのアンガマ行事は、踊りながら仏壇のある座敷に入って来た後、花子達は壁際に並んで座る。ウシュマイとンミーが念仏踊りを披露した後に仏壇を拝み、その後、花子達が二人や三人、四人一組で踊りを披露する。踊りの合間にウシュマイ、ンミーが観客からの質問にトンチを利かせた答えを返す問答が行われる。その際、ウシュマイもンミーも質問する方も裏声で話さなくてはならないようだ。そしてゾロゾロと並んで家を後にする。ウシュマイとンミーは一番最後に、もう一度仏壇に拝礼して座敷を出て行く。
ゆんたく家でのアンガマ
宮鳥御嶽

 ゆんたく家でのアンガマは50分ほどで終了。日程表には、この後4軒の民家をまわるとなっているので、このまま着いて行けばいいかスタッフの方に聞くと次は20時からなので宮鳥御嶽の横にある石垣公民館に来てもらえれば、そこから一緒に回れるという。宮鳥御嶽の場所を聞いて、土砂降りの雨の中を15分ほど歩く。

←宮鳥御嶽。ちなみに沖縄本島は御嶽はウタキと読むが、八重山はオンと読む。

 御嶽の横の公民館の入口でしばらく待っていると、やがて時間になりアンガマの開始となった。晴れていれば太鼓に三線を鳴らしながら行列を作って家を訪問するのだが、もの凄い雨でアンガマ一行は大型バスと車での移動となった。スタッフの方の何人かは歩いて向かうので、着いて行った。
公民館を出てバスに乗り込むアンガマの一行
↑公民館を出て、バスに乗り込むアンガマの一行。
 最初の家に着いたのが20時頃で、内容自体はゆんたく家の時と同じく、ウシュマイ、ンミーの踊りと仏壇での御願、花子達の踊り、そして珍問答。時間も50分ほど。この最初の家への訪問時が一番雨風が強く、普通は近所の方も沢山見物に訪れるようだが、一般の観客は自分一人だったかもしれない。
 2軒目からは少し小雨になったので、近所の方や観光客の方も見物していた。結局、4軒回り終えると24時近かった。アンガマの一行はバスで公民館へ戻って行った。
訪問した家の仏壇を拝むウシュマイとンミー
一般の家をまわる、いしゃなぎら青年会のアンガマ

 那覇空港でおにぎりを食べただけなので、すっかりお腹が空いた。宿に戻る途中、コンビニで2ℓの水とサンドイッチを購入。リビングはそろそろ消灯時間だそうだが、急いでサンドイッチを食べてからベットに行き、八重泉をちびちび呑んで就寝。
 
*本日の出費。那覇ー石垣島往復航空券10000円、宿泊代4泊分4000円、天然水2ℓ98円、ハム野菜サンド294円。

*八重山毎日の記事

*この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(12月6日に更新)。

8月18日(日)

 明日から旧盆の行事を観に八重山諸島へ行くので、荷物の準備や資料のコピー。明日の19日は四ヵ字のアンガマ、20日は波照間島のムシャーマ、21日は小浜島のソーラを予定しているが、今日発生した台風12号チャーミーの影響が気になる。
 宿は先月豊年祭で石垣島に行った時に、既に1泊1000円のドミトリーを4泊予約しておいたが、夜に確認の電話を入れた。20日のムシャーマは石垣島ドリーム観光が往復の乗船券と送迎バスをセットにしたお得なチケットを発売しており、一昨日予約しておいた。  
 溜まっている写真データの現像をしなくてはいけないが、明日から旅行だと思うとなかなか手につかない。珍しく、テレビで日本映画を観て過ごす。

8月15日(木)

 68回目の終戦記念日。朝のうちに洗濯をする。
  八重山諸島や粟国島への旅行で間が空いたが、午前11時半に予約してあった歯医者へ。下の前歯の先端が欠けたのと歯石の掃除をしたくて治療を始めたが、治療の際に親知らずの虫歯が見つかり、結局まだ残っていた親知らずを2本とも抜いてしまった。
  今日は、下の方が細くなっている歯をプラスティックで補強する治療。固い歯ブラシで強く磨いていたのも原因のようだ。とりあえず上の歯2本を治療した。残りは下の歯が6本だそうだ。
 家に帰り昼ご飯を食べ、食材を買いにスーパーへ。買い物から帰り、溜まっている撮影データの現像作業。
 今日は窓を開けると涼しい風が抜けていき、久しぶりに過ごしやすかった。

8月13日(火)~14日(水)

 自宅近くのバス停を朝6時28分に発車する名護西線で、世富慶へ。
 今日は国頭村安田(あだ)で行われる祭祀で、国の重要無形民俗文化財であるシヌグを観に行く。安田のシヌグは毎年行われるが、ウフシヌグ(大シヌグ)とシヌグンクワー(小シヌグ)が交互に行われ、今年はヤマヌブイ(山登り)もあるウフシヌグの年に当たる。
 昨年の竹富島の種子取祭の時に知り合った町作りコーディネーターのkatzuさんと一緒にシヌグを観に行く事になり、世富慶のバス停で待ち合わせた。8時半頃にバス停から電話する事になっていたが、8時頃に着いたので、しばらく海岸近くの公園で時間をつぶしてから電話。
 バス停横のコンビニに迎えに来てもらい、katzuさんの運転する車で安田に向かう。
世富慶から見た名護の海
↑世富慶バス停の近くから見た名護の海。右側、虹の架かっている所は本部半島。
 名護から国道58号を北上。途中にあったお弁当屋さんでお昼用に300円の茄子味噌弁当を購入。辺土名の先、与那で右折して県道2号に入り山道をひたすら走ると安田に着いた。
 事前に公民館に問い合わせたところ、午前10時頃から御願があるとのことだった。10時少し過ぎにアサギのある広場に着くとアサギでの御願は終了しており、その隣りの祠とヌルヤーでの御願を見せていただいた。
↓安田のアサギ。→ヌルヤーで御願をする神人。
ヌルヤーで御願をする神人
アサギ
 公民館の入口には藁が置いてあり、この藁をよって縄を作り祭祀に使う冠を作る。シヌグでは、男性が冠を被り山に登って神迎えをし一日だけの神となる。神になるのは集落の男性だけではなく、観に来た男性も参加できる。写真を撮りに来たが、せっかくなので藁縄の冠を被り神になってみた。
藁縄の冠作り01
藁縄の冠作り02
←↑藁で縄を編むのは、2010年の暮れに名瀬でしめ縄作りに参加した時に体験したが、その体験は生かされる事なく集落のおばさんが作ってくれた縄を貰い、それに少し藁を足して冠にした。

 ヤマヌブイについて「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)から引用すると、
 さて、まつりの日、村の男たちは決められた三つの山、ササ・メーバ・ヤマナスに分かれて登る。そこで体に木の葉をまとい、頭にミーハンチャー(ゴンズイ)の赤い花の冠を被る。このまつりの主役は、男子集団であり、扮装して異形の神をかたどっているのである。
 まつりの経過をのべると、男たちは扮装してまず山に向かって座り、太鼓に合わせて山を拝み、さらに方向をかえて海に向かって拝む。その後、円を描いて回りながら、手に持った聖なる木の枝で地面をたたく。そのとき「スクナレー」「スクナレー」という。これには祓いの意味があるという。
「エーヘーホー」と掛け声をかける男子集団は、村人をお祓いしてのち村の中央の道を真っ直ぐ海へ出る。浜辺で再び山へ向かって拝み、さらに海へ向かって拝み、身にまとった木の枝を海に流す。(現在では海を汚すので、浜に積み上げる)。男子集団は、村の西を流れる川で海水を流し、昼の部は終わる。

 ササは集落の北、メーバは集落の西、ヤマナスは集落の南にある。厳密な決まりがあるわけではないが、門中ごとに登る山が集中する傾向にあるそうだ。ヤマナスは途中で川に入らなくてはいけないので、メーバに登る集団に同行した。村内放送では、女性は山に登らないようにという注意が何度か繰り返し流された。
 12時少し前、メーバに登る4人の集団に着いて行く。山に直接集合するようで、途中からも人が増えて行く。歩きながら冠や腰、足首に飾る草を見つけては身に着けて行く。

メーバに向かう一行
メーバに登る階段の下で草を装着
メーバから見た安田の集落
↑メーバに向かう一行。
↑山頂に登る階段の下で草を装着。
↑メーバから安田の集落を眺める。
 メーバの山頂に着いたのは12時15分くらいだろうか。道路から長い階段を上る山頂からは、安田の集落とその先に広がる海が見える。ここで皆さん草による装飾の仕上げをしながら、他の参加者の到着を待つ。
草の装飾をまとう男達
↑草やミーハンチャー(ゴンズイ)の赤い花を身に着け、神になった男達。
山への御願
海への御願
 そして13時、赤い胴の大きな太鼓を持った男性を中心として、山の方向、海の方向への御願が行われ、儀式が始まった。それぞれ木の枝を持ち、ぐるぐると円を描いて回り「スクナレー」をする。
スクナレー
メーバ近くの空き地でスクナーレを行う
アギ橋でサカンケーを受ける

↑メーバから下りて近くの空き地で「スクナレー」を行う集団。
←アギ橋でメーバとヤマナスの集団が合流。

 儀式自体は5分程だったろうか。それから階段を下りて近くの空き地でもぐるぐると回り「スクナレー」をして、来た時の舗装された道とは違う山道を通り安田川に出てアギ橋に到着。ここでヤマナスの集団と合流して、橋で待機していた家族や女性達からサカンケーを受ける。

トンチバルに移動
 アギ橋からトンチバル(殿内原?)に移動すると、ここでササの集団も合流し、家族や観光客をぐるりと囲む大きな円を作り、ぐるぐると回りながら「スクナレー」を行った。
トンチバルでのスクナレー
 トンチバルからアサギの前、御嶽のある公園(ヨリアゲ森?)で同様のお祓いをし、海岸に抜ける。そこで横列に並んで山に向かって御願、海に向かって御願をし、身に着けていた草の装束を取り払って浜に積み重ねて行く。そして海に入って身を清める。
  濡れた体のまま集落に戻り、アサギの横を通り、近くの川(ウイヌカー)でもう一度身を清めた。
 三線と太鼓、旗竿を持った男性たちを先頭にアサギに戻って、14時過ぎに昼の行事は終了した。
海岸での御願
海と川でのお清め
 女性が中心となる夕方からの儀式は、スタートが18時頃。4時間程空くので、katzuさんと一緒に東村の高江に行ってみる。高江は米軍がヘリパッドを建設中の場所で、住民がテントを張って連日抗議を行っている。
住民のテントとゲート
↑住民のテントと、ゲート。
 高江の抗議行動については、やんばる東村 高江の現状で。
 また琉球朝日放送が制作したドキュメンタリー「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民達~」が、編集し直し、収録時間を長くして劇場映画化された。上映劇場などの詳細は映画の公式サイトで。
 テントの中で冷たいお茶をご馳走になり、話しを少し伺い、ノートに署名して来た。高江の周辺を少しドライヴして、安田へ帰る。帰る途中にヤンバルクイナが現われないかと見ていましたが、出て来ませんでした。
 夕方の儀式は18時半に村長(区長?)さんの挨拶があり、まずは豊年への予祝としてタンクサトエー(田の草取り)、続いてヤーハリコーが行われた。途中、アサギの中に置かれていたミキが持ち出されて振る舞われた。
タンクサトエー
↑タンクサトエー(田の草取り)。↓ヤーハリコー。
ヤーハリコー
↓振る舞われたミキ。味も舌触りもサラッと飲み易いミキでした。
ミキ
 ヤーハリコーの後、広場の中心に枝(竹?)を束ねた2本の松明が持ち込まれ、火がつけられた。だいぶ日が落ちて暗くなり始めた19時過ぎ、松明を囲むように女性達が輪を作り、ウシンデーク(シヌグ舞)が始まった。ここでも太鼓と声だけのシンプルな音楽は、なんと力強いのかと思わせる。
 ウシンデークは4、50分ほど踊られただろうか。この後カチャーシーに移って儀式は終了した。
ウシンデーク01
ウシンデーク02

 もう那覇まで帰るバスは終わったが、katzuさんの車で名護に戻りスーパーでお惣菜とビールを買って晩ご飯。その後、朝も休憩していた世富慶バス停近くの公園の東屋の椅子に座って一休み。始発のバスまで7時間ほどあるので深夜の名護を散歩しようとも思っていたが、疲れが溜まって動く気力がなく、結局東屋でウトウトしながら朝を迎えた。
 壁のない東屋は風が通り、涼しい。この夏一番快適な夜だったかもしれない。4時頃に少し激しい雨も降り、半袖のTシャツ一枚では肌寒いくらいだった。
 5時過ぎに国道を反対側に渡り、那覇行きのバス停へ。コンビニで菓子パンを2個買い、バスを待つ。最初にやんばる急行のバスが、その30分程後に5時46分の那覇行きが来て乗車。考えてみたら、やんばる急行でもよかったのか。
 2時間程で自宅近くのバス停に到着。しばらく横になった後、撮影した写真データをバックアップ。昼寝をし、今日が返却期限の県立図書館とほしぞら図書館に電話で貸し出し期限の延長をお願いし、日記用のメモを書く。

*本日の出費。世富慶まで往復のバス代1690円x2、弁当300円、さんぴん茶150円、ポカリスエット150円、ガソリン代2000円、お惣菜・ビール他991円。

安田のシヌグ-2007年の図録および東シナ海文化からの小考/野村伸一。
国頭村安田のシニグと祈り-2001年8月調査ノート
○琉球新報の記事

*安田(あだ)のシヌグの様子をPhoto Albumにしました。メーバでの御願とスクナレーはこちら。トンチバルでのスクナレー、海岸での御願はこちら。神アサギのある広場でのタンクサトエー、ヤーハリコー、ウシデークはこちら。(12月4日に更新)。

8月12日(月)

 高知県四万十市で気温が41℃に達し、国内の観測記録を更新。東京は10日から11日にかけて最低気温が30℃を下回らない、超熱帯夜だったようだ。
 今日の那覇は時おり雷が鳴る不安定な天気だったが、雷鳴の大きさ程には激しい雨ではなかった。7月は雨量が0ミリを記録した久米島では、昨日の11日、15年ぶりに町主催の雨乞い御願を行い、7ミリの雨が降ったそうだ。
 今月5日にキャンプハンセン内でヘリが墜落炎上したことにより延期になっていた、オスプレイの岩国基地から普天間基地への移動が再開された。午前中に8機、午後に1機が到着して岩国に残っているオスプレイは1機となった。
 明日は沖縄北部、安田集落でシヌグが行われる。朝早く起きなくてはならないので、シャワーを浴び、ビールを飲んで、早めに就寝。

8月9日(金)

 今日は秋田・岩手で猛烈な雨が降り、大きな災害をもたらした。先月末は山口、島根、そして小松でも豪雨があった。沖縄はと言えばここ暫くまとまった雨がなく、宮古島では雨乞いのクイチャーを踊ったそうだ。  

 原爆投下から68年目を迎えた長崎で、今日、平和祈念式典が開かれた。式典で長崎市長は「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します」と政府を批判した(全文はこちら)。 
 この3日前、広島の平和記念式典でも広島市長が平和宣言の中で「世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず人類の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか」と呼びかけ、核兵器は絶対悪と結んでいる(全文はこちら)。 
 どちらも至極真っ当な発言だが、この国のトップ の耳にはどう聞こえたのだろうか。正気を取り戻せ!←ホントにね。

 今週は部屋に籠って、八重山諸島で撮影して来た豊年祭の写真を現像し、日記を更新している。籠っていると言うのは文字通りで、もう4日ほど部屋から出ていないと思う。明日は買い物がてら、外に出ようと思う。

 2011年に再結成したストーン・ローゼズがサマーソニックに出演する。今日は東京のSONIC MANIA、8月11日は大阪のMOUNTAIN STAGEに登場する。
 このところ豊年祭の写真ばかりなので、 来日記念にストーン・ローゼズを。モノクロはレコード会社でのインタビュー写真。ちょっとお行儀の悪い感じが、らしくて好きな写真です。インタビューカット、ライヴ共に1989年撮影。もう24年が経つ。

ストーン・ローゼズ01
You Tubeから「The Stone Roses / I Wanna Be Adored」。
ストーン・ローゼズ03
ストーン・ローゼズ02
 国の借金が初の1000兆円超え、と今日発表があった。兆という単位になると、何が何個買えるのか想像もつかない。

8月5日(月)

 8月1日から3日まで、ヤガンウユミという祭祀を観に粟国島に行っていました。昨日は午後から、与那原の大綱曳き。出かけてばかりで更新が滞っていますが、おいおい様子をアップしていきます。

 一昨日、岩国基地に陸揚げされた追加配備分のオスプレイ12機のうち、2機が普天間飛行場に到着した。残る10機も今日には普天間に到着する予定だったが、整備の都合で延期になった。そんな中、今日の4時頃、嘉手納基地所属のヘリが、宜野座村のキャンプハンセン内で墜落炎上した。
 ところで、 個人的には追加配備以上に、オスプレイの運用ルールについて違反は確認できないとした防衛省の見解が気になる。
  部屋のベランダから、住宅密集地であり病院もある新都心の上空を、水平モードと垂直モードのオスプレイ2機が並んで飛行しているのを何回も見た。この国は、いつの時代に戻ろうとしているのか。

 いよいよ福島第一の汚染水処理が行き詰まっているようだ。海への流出を防ぐために遮水壁を作っているが、それにより行き場を失った汚染水が上昇。観測井戸の水位が1メートルほど上昇しており、このまま進めば3週間で地表に到達する可能性もあるそうだ。高濃度の汚染水が井戸から溢れれば、収束作業どころではないだろう。
 原発作業員のハッピーさんが、東電のこれまでの汚染水対策についてつぶやいている
 最近はトリチウムストロンチウムが検出されたと言うニュースを頻繁に目にするが、プルトニウムはこれまで僅かしか検出された報告がない。故意に測定していない、と思うのは考え過ぎだろうか。

夕焼け01
今日は、美しい夕焼けだった。↑は部屋のベランダから那覇市街を。↓はビルの階段から泊港を。
夕焼け02

8月4日(日)

 与那原の大綱曳きを観るために、部屋を14時頃に出る。自転車で那覇バスターミナルに行くと、39番の百名線が停まっており、与那原を通るか確認して乗車。40分程で、与那原に着いた。バスを降りる時に、運転手さんが大綱曵きの会場は少し先だと教えてくれたので真っ直ぐ歩く。
 しばらく行くと人垣が見えたので寄ってみると綱曳資料館があり、その一帯はイリの陣地のようになっていて、路上には旗頭と雌綱が置かれていた。
 広報の方がいらしたので、雄綱はどこにあるか尋ねたところ、同じ中央通りの少し先に待機していた。16時から始まる道ジュネーまで、イリとアガリの陣地を行ったり来たりしながらスナップを撮る。
アガリとイリのスナップ
 16時近くになって、イリとアガリの旗頭が中央通りからえびす通りに出て、国道331号に向かう。16時ちょうどに交通規制がかけられて道ジュネー、そしてガーエーが始まった。
道ジュネーとガーエー
 15分ほど旗頭が舞い、女性たちのメーモーイ(前舞)が繰り広げられた後、それぞれの陣地に帰る。そして大綱の上に勇壮な扮装をした支度を乗せて、今度は中央通りから国道329号、そして町立図書館横の会場まで大綱曳き行列が行われた。
アガリの雄綱
↑アガリの雄綱。↓→イリの雌綱。
イリの雌綱02
イリの雌綱01
 沖縄の綱曵きでは、綱を曳く前に支度を乗せてガーエーが行われる事が多いが、これ程長い距離を支度を乗せて行列するのは初めて見た。
 綱曳きの開始は17時となっていたが、少し前から雌綱・雄綱の頭の部分を六尺棒で持ち上げる。そして雌綱の中に雄綱の頭を入れ、カヌチ棒で固定して綱曳きが始まった。
 綱曳きは2回行われ、1回戦はイリ、2回戦はアガリの勝ちだった。
綱にカヌチ棒を入れる。
大綱曳き
綱曵きの後
 18時、大綱曳きの行事は終了した。プログラムによれば、19時から板良敷エイサー、20時45分から花火が行われるようだが、会場の周りを少し散歩してから那覇に帰る。
イリの打ち上げ

 19時過ぎに那覇バスターミナルに着いて、自転車で家に向かう。途中、ハイウエイ食堂でイカ野菜炒めを食べて帰る。

「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)に、綱引きについての興味深い考察が載っていた。
 綱の型は、一般に本土は一本綱、沖縄はみーんな(雌綱)、うーんな(雄綱)の二本を結合させて引くとされているが、本土にも雌雄の綱で引く所はある。 また、ヨーロッパ辺りにも綱を引く習慣はあるが、せいぜい片方に十人内外で、朝鮮や日本のように大勢の人で引き合う方法はないといわれている。日本の民俗学では、従来、雌雄の綱を結合させることは生殖を意味し、それは稲の分けつを促す信仰であると説明してきたが、鹿児島県の民俗研究者・小野重朗氏の調査研究によって、雌綱、雄綱ともに龍を意味し、龍を躍らすことによって農作に最も必要な雨を呼ぶことが綱引きの目的であることが分った。つまり綱引きは雨乞いの行事である。
 私は昭和五十九年に奄美と韓国の綱引きを調査したが、沖縄の綱引きは少なくとも四、五百年前に朝鮮半島から伝わったものではないかと推論している。理由は朝鮮でも雌綱、雄綱があること、村の辻々を巡る道じゅねーがあること、宜野湾市大山や真志喜の綱引きと同じようにあぎえー(上げ合い)があることなどである。韓国の全羅道地域の村々では沖縄とそっくりの綱引きが旧暦正月二十日前後に行われている。

(文=宜保榮治郎・県教育庁文化課課長)

*本日の出費。那覇バスターミナルー与那原420円x2、イカ野菜炒め470円。

*与那原大綱曳きの写真をPhoto Albumにしました。道ジュネーはこちら、大綱曳きはこちら。(11月29日に更新)。

8月3日(土)

 先月の八重山諸島の豊年祭巡りから、ずっと旅が続いている感じで、疲れが溜まっている。部屋でゆっくりしてから、10時に遅い朝ご飯。食べ終わった後も食堂に居て、安里さんや食堂を訪れるおじさんとゆんたく。
 11時頃にシャワーを浴びて、部屋の荷物を片付けてチェックアウト。そのまま食堂でテレビを見ていると、12時半頃に昼ご飯のソバが出て来た。朝ご飯から余り時間が経っていないが、平らげる。食べ終わった頃にザーザーと雨が降り出した。外に出て見上げると、青空の中に黒い雲。久しぶりの恵みの雨。それでも直ぐに止んでしまった。
宿の朝ご飯と昼ご飯
 粟国島から那覇行きのフェリーは14時10分出航。安里さんに車で送っていただき、出航の一時間程前に乗船した。宿を出る時、おばさんが黒糖を2袋お土産に下さった。前回、粟国島の旧暦行事の撮影できた時に貰った黒糖がまだいっぱいあるのに。
 フェリーに乗船してボーッとしていると、今度は宿のおばさんの息子さんが、黒糖や塩、かりんとうのいっぱい入った袋を持って現われた。ありがとうございます。どうしよう、こんなに。
粟国港
↑粟国港。↓宿のおばさんに貰った黒糖と、おばさんの息子さんに貰った黒糖とかりんとうと粟国の塩。
お土産
 今回の粟国島の撮影では、本当に安里さんにお世話になってしまった。安里盛昭さんは、写真集「粟国島ーシマンチュとシチビ 神の里」(琉写フォート)を出されているが、現在、もう一冊粟国島の本を製作中です。
 フェリー粟国は定刻に出航。航路の途中に見える渡名喜島の上空には、大きな雨雲がかかっていた。
 14時10分、泊港に着いた。歩いて部屋に戻り、洗濯をしながら撮影データのバックアップ。さっそくいただいた「粟国の塩入り もちきびかりんとう」を食べながら、日記用のメモを書く。
 テレビのニュースは、岩国基地に陸揚げされた追加配備分のオスプレイ12機のうち、2機が普天間飛行場に到着した事を伝えている。
 夜も遅くに小腹が空いたのでカップ麺を食べて、酒も呑まずに就寝。

*本日の出費。宿泊費10000円(一泊三食付き5000x2泊)。

8月2日(金)

 朝6時頃から観音堂の前のセンターで、ミキ(ミチ)作りがあると聞いていたので6時半頃に行くが、誰もいない。宿から100メートほど先なので、一旦宿に戻って部屋の窓からチェック。7時になってセンターの前に人が集まっているのでカメラを持って再び見に行く。
 ミキ作りはセンターの厨房で行われた。炊いたご飯と米麹を一カ月程ポリバケツに入れて発酵させ、それをミキサーにかける。水を加えて粘度を調整する。作り立てのミキを試飲させていただいたが、発酵が進んでかなり酸味があった。奄美でもミキは、夏バテ対策の健康ドリンクとして飲まれていた。
ミキ作り02
ミキ作り03
ミキ作り01
ニーヤでの御願

 完成したミキを祭場であるエーウフナカ(イビガナシー)に運び込むのを見た後、ントゥグヮ大屋の裏にある根屋(ニーヤ)でスイミチ座の神女の方が御願するところを撮影させていただいた。
  9時頃、宿に戻って朝食を食べ、9時半頃に祭場にもどると上座の横で干魚が焼かれていた。

←ニーヤで御願をするスイミチ座の神女。

↓写真左は、祭場に運ばれたミキ。容器の上には魔除けのシバサシ(ススキ)が置かれている。左は、供え物のバーイ(干魚)を焼いているところ。
魔除けのシバサシと干し魚
 やがて太鼓と鉦を先頭に、スイミチ座の神女が祭場に入られた。
  祭場の中にある、スイミチ座、ヌル座、チーグ座の柱にヤトゥイの方々によってビニール袋に入れられた干魚が紐で括り付けられた。これは彷徨っている餓鬼に供えたものだという。
祭場に入るスイミチ座の神女

←太鼓と鉦に先導されて祭場に向かうスイミチ座の神女。

↓干魚を柱に括り付けるヤトゥイ。

干し魚を柱に括り付けるヤトゥイ
ヌル殿内を出るヌル座の神女

←ヌル殿内を出て祭場に向かう、ヌル座の神女。

 ヌル座の神女の方が現れないので、ヌル殿内へ。ちょうど祭場へ向かうところで、鉦と太鼓を先頭に歩くのをヌル殿内から祭場まで写真を撮りながらついて行く。
 ヤガンウユミの最終日である今日は、午前10時から朝フララ、午後1時からトゥン巡り、午後4時から夕フララとなっている。

 朝フララでは、ウンヌキグトゥの後にウネージャクが行われる。「神々の古層」から、ウンヌキグトゥについて。
 ヌル座の正面二カ所の軒下にヤトゥイ(祭祀の雑役係)二人が、準備の項で述べたようにバーイの高膳を持って直立、これは神女と村長らとの儀式中続けられる。奏上者が神女たちに一礼して持参の巻物をとり出しウンヌキグトゥが宣べられる。奏上者は合掌し、神女も村長他の男たちも合掌している。

 ウンヌキグトゥの大意は、
 神職者の皆様、首里王から祭祀開催の許可があり、村役人の指示のもとに、神酒(粟濁酒)、バーイ(干魚)の供え物を沢山用意致しましたので、どうか神様にシマ中の畑が豊作になり、王府への納税も果たせるように、また、漁業も豊漁であるように願って下さい。

 ウネージャクについては、
 神女側が卓上の神酒(ミチ)の膳をとり、それをささげ持ち左右にゆっくり動かし、ウネージャクを謡う。
 ウネージャクウムイの大意は、長寿できる尊い神酒をどうぞとある。 
 このウンヌキグトゥとウネージャクはヌル座の後、スイミチ座でも同じように行われた。奏上者は、ントゥグヮ大屋の当主が務められたようだ。

↓スイミチ座でのウンヌキグトゥ。→バーイの高膳を持って立つ二人のヤトゥイ。
バーイの高膳を持つヤトゥイ
ウンヌキグトゥ
 この後、ヌル座、スイミチ座でシマの人達の祈願が行われた。この時も神女の方々は神酒と干魚を乗せた膳をささげ持ち、左右にゆっくり動かしながらウムイを謡って相手に渡し、神酒と干魚をふるまっていた。
朝フララのウネージャク
 予定表にはトゥン巡り(殿マーイ)は午後1時からとなっていたが、朝フララが12時前に終了したので、12時15分頃にスタートした。
殿マーイ
 この殿内回りは、1.アストヌ殿 2.ガーチヌ殿 3.ババヌ殿 4.トゥマンナヌ殿 5.テーガー 6.アダンナヌ殿(浜の殿)の順に行われ、13時半頃には終わり、ヌル殿内で小休止した後に神女の方も自宅に戻られたようだ。
 安里さんと一緒に宿に戻り、14時半頃に少し遅い昼ご飯を食べ、しばらく休んでから夕フララの始まる16時に再び祭場へと向かう。
夕フララ
 夕フララも朝フララと同じように、ウンヌキグトゥ、ウネージャク、そしてシマの人達の祈願と続いたが、その後に立ちウムイが行われた。
立ちウムイ
チーグ座でのウンヌキグトゥ
 ヌル座の神女がスイミチ座の前まで来てウムイを謡う。それに誘い出されるようにスイミチ座の神女も前に進み出て、はないちもんめの様にお互いに向き合い、謡い踊りながらチーグ座に移動する。
 チーグ座でヌル座とスイミチ座の神女が一列に並んで座り、ウンヌキグトゥが行われた。このウンヌキグトゥはタキムドゥイヌウンヌキグトゥで、神々に対する感謝を奏ずるものだそうです。
 チーグ座での儀式の後、ヌル座の後方でヤガン御嶽に向かってウコウを立てて祈願し、次に今帰仁祠で祈願。神女の方々は今帰仁祠の前でカーブイ(草冠)を外し、祠の横にそっと置いて行く。18時。これで3日間に及ぶヤガンウユミの神事は終了した。
↓→スイミチ座、ヌル座の神女が並び、ヤガン御嶽に向かって御願をする。
ヤガン御嶽への御願01
ヤガン御嶽への御願02
今帰仁祠への御願
←↓順番に今帰仁祠に御願をし、頭に着けていたカーブイを外し、祠の横に置く神女。これで3日間の神事は無事に終了した。
カブイ
 祭祀の後は18時30分から奉納相撲、19時30分からとぅるるんてんのライブが行われる。
 会場は神迎えが行われたタレーラムイの横で、土俵とステージが作られ、出店もあった。かき氷を食べながら小学生、中学生の相撲を見て、大人の相撲の途中で宿に帰った。
奉納相撲の様子
 21時過ぎ、遅い晩ご飯を食べて、お酒も呑まずに就寝。
朝ご飯
昼ご飯
晩ご飯

↑左から、宿の朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯。晩ご飯のお膳にサトウのごはんがそのまんま乗っていたのは、新鮮な驚きだった(笑)。

*本日の出費。ガソリン代1000円、かき氷100円。

*ヤガンウユミ最終日の写真をPhoto Albumにしました。ミキ作りから朝フララ、トゥン巡りまではこちら。夕フララ、立ちウムイ、奉納相撲まではこちら。(11月27日に更新)。

8月1日(木)

 今日から粟国島の祭祀・ヤガンウユミを観に行く。祭祀は、昨日の夕方に神迎えが行われ、既に始まっている。「神々の古層 異界の神ヤガンの来訪 ヤガンウユミ/比嘉康雄」(ニライ社)から引用させてもらうと、
 ヤガンウユミは粟国島最大の祭祀で、『琉球國由来記』(一七一三年)にも記録されている伝統的な祭祀である。神職者の欠員などにより一時中断したこともあるが、戦後復活し現在に至っている。
 祭祀の内容は、島の北辺にあるヤガン御嶽から集落内に神を迎え崇め、シマ人の健康、豊作豊漁を願うというものである。
 旧暦の六月二十四日から二十六日までの三日間、エーウフナカという祭場を中心に神職者全員、シマ人全員が参加しておこなわれる。
船から粟国島を見る

 朝6時半頃に起きて、旅の最終準備。粟国島のホームページで今日のフェリーの運航状況を確認して、昼ご飯用のおにぎりを握る。
 9時少し前にとまりんに着いて、粟国島までの往復チケットを購入。船は定刻の9時55分に泊港を出港した。12時過ぎに粟国港に着くと写真家の安里盛昭さんがいらして、今日泊まる民宿まで車で乗せて下さった。

←船から粟国島を見る。

 宿の食堂で持って来たおにぎりと、出していただいた素麺のお汁と煮物で昼ご飯。その後、安里さんに案内していただいてヌル殿内と、ントゥグヮ大屋でのカーブイ(草冠)作りを撮影させてもらう。
↓左側がヌル殿内、右側がントゥグヮ大屋でのカーブイ(草冠)作り。今まで様々な祭祀で色んな草冠を見たが、こんなに丁寧に作られた草冠は初めてだ。午前中から初めて、完成まで4時間ほど要したそう。使われている葉っぱは、イタジイ。
カーブイ作り
 一旦宿に戻った後、安里さんが宿のおばさんの知り合いの方々を観光案内する事になり、ついでに私も同乗させてもらう。1時間ほどマハナ展望台やヤマトゥガーを見た後宿に戻り、しばらく休んだあとエーウフナカで行われる祭場開き(ナーウマチー)を見に行く。18時頃に着くと、やがて儀式が始まった。
観光
 ナーウマチーについて、「神々の古層」から引用。
 火神(ヒヌカン)ウマチーとも言われている。翌日から始まる本祭りのための祭場開き的主旨の祭祀と考えられる。ナーは庭つまり祭場のことである。午後6時ごろエーウフナカの祭場に神女たちが白衣にシルサージ(白ハチマキ)で参集し、ヤトゥイ(本祭祀のために雇われた雑役係)らが用意した供え物の干魚(バーイ)膳二つ、神酒(ミチ)膳二つ、ウコウなどで祈願がおこなわれる。
 以前はこのナーウマチーはニーブ屋(ヤー)が主催しておこなわれていたという。ナーウマチーの祈願は必ずニーブ(ミチ、バーイの管掌者)がクニ火神に礼拝することで開始され、ヌルらの祈願はその後におこなわれたという。今はニーブが不在のため代理(女性)がおこなっている。なお、昔ニーブがいた時は、この日は朝からシマ人は所有畑あてに割り当てられたミチ(粟濁酒)、バーイ(干魚)をイビガナシーの祭場に持参し、それをニーブが計って受け付け、その夜はカミバーンといってニーブはイビガナシーで徹夜したという。
 午後六時三十分ごろ祈願が開始された。1.クニ火神 2.スイミチ座 3.今帰仁祠 4.ナーの順におこなわれた。
 神女たちの一通りの祈願が終ると、村長以下区長らが4.のナーの祭場のウィ座側に神女たちと向かい合って座し、ヤトゥイらからミチの接待を神女らと共に受ける。これはおそらく祈願を無事すませた神女たちへの村(長)側からのねぎらいの儀式と思われる。午後七時過ぎには終った。          
クニ火神への御願
今帰仁祠での御願

↑クニ火神への御願。
←今帰仁祠への御願。
↓ナーへの御願。

 なお、今回はクニ火神、今帰仁祠、ナーの順に行われ、スイミチ座での祈願はなかった。
 儀式の後、昨日神迎えが行われたタレーラムイを見た。小丘と記述があるが、想像していたよりも遥かに小さな丘だった。

ナーへの御願
神女への接待
 ↓前日に神迎えが行われたタレーラムイ。「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)から、神迎えの様子を引用すると、
タレーラムイ

 初日は、日没直後に神迎えの御願が「タレーラ・ムイ」で行われる(原形は、祖霊神の鎮座するガダヌク御嶽とエーの御イベの崖下で拝み、タレーラ・ムイは直会の場所であったという)。白鉢巻きに白打掛の六人の神女が横一列に座し、ニーヌファ(子の方、北)のヤガン御嶽に向かい、ニライ・カナイからの来訪神であるヤガンの神をはじめ、島の九つの嶽々の神を祭りに招請する御願である。
 
 御願の始まる一時間ほど前から、タレーラ・ムイを中心に四方の道路は一切遮断される。宵やみのしじまの中に仄白く浮かぶ白衣の神女たちの様は、まさに神の世界の観がある。

 宿に帰り、シャワーを浴びて晩ご飯。その後、安里さんと一緒に宿のおばさんの息子さんの家でテレビのボクシングを見ながらビールと泡盛を呑み、宿に戻って来た。

*本日の出費。フェリー粟国往復6310円。

*ナーウマチー(祭場開き)の写真と粟国島の風景をPhoto Albumにしました。こちら。(11月22日に更新)。

沖縄県粟国島の祭祀儀礼に関する考察ーヤガン折目を中心にー/阪井 芳貴(2014.7.18に追加)

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