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バックナンバー

○7月4日(木) 歯医者さん15時30分〜
○7月13日(土) 山原のムラ・シマ講座
○7月13日(土)、14日(日) 糸満ふるさと祭り・エイサーinいとまん
○7月14日(日) 県立図書館本の返却期限
○7月14日(日) ピンクドット沖縄
○7月14日(日) 2000円札応援祭り/パレットくもじ前広場
○7月15日(月) 平敷屋ハーリー大会
○7月15日(月) 鳩間島豊年祭
○7月20日(土) 山原のムラ・シマ講座
○7月20日(土)〜21日(日) 鳩間島豊年祭 ぱいぬ島ストーリー
○7月20日(土)〜21日(日) 浦添てだこまつり
○7月25日(木)〜26日(金) 竹富島豊年祭
○7月26日(金)〜27日(土) 西表島(干立・祖納)豊年祭
○7月28日(日) 黒島豊年祭
○7月28日(日) 豊見城ハーリー大会 
○7月20日(土)〜9月1日(日) 南部の海へ1日5往復無料バス 
○7月31日(水)〜8月2日(金) 粟国村・ヤガン折目(うゆみ)
○8月1日(木) 県立図書館本の返却期限
○8月3日(土)、4日(日) 与那原大綱曳
○8月4日(日) 一万人のエイサー踊り隊/那覇国際通り
○8月4日(日) 名護市長杯争奪全島職域ハーリー大会
○8月11日(日) 夏の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○8月13日(火) 安田のシヌグ
○8月19日〜21日(水) 石垣島アンガマ
○8月20日(火) 波照間島のムシャーマ/波照間島公民館前
○8月21日(水)〜8月22日(木) 小浜島の旧盆(ソーラ)
○8月23日(金) 与論島/シニグ(旧7月17日)
○8月25日(日) 塩屋湾のウンガミ(海神祭)
○8月26日(月) 塩屋区豊年踊り
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月11日(水)〜15日(日) 名護市屋部の八月踊り
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引
○9月19日(木) 世名城のウスデーク
○9月19日(木) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事)
○9月20日(金) 座間味島 海御願(うみうがん)
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月21日(土) 山原のムラ・シマ講座
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○9月30日(月)〜10月2日(水) 西表島 祖納・干立 節祭
○9月30日(月)〜10月2日(水) 小浜島 結願祭
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 山原のムラ・シマ講座
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土) 山原のムラ・シマ講座
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○11月20日(水)〜21(木) 竹富島 種子取祭タナドゥイ
○12月1日(日) NAHAマラソン
○12月21日(土) 山原のムラ・シマ講座

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2旧暦の8〜9月の3日間
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
宮古島・宮古協栄バス
宮古島・八千代バス
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
安栄観光フェリー
八重山観光フェリー
石垣島ドリーム観光
スカイマーク
ピーチ

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

7月31日(水)

 今日で7月も終わり。午後から不動産屋に行き、来月の家賃の支払い。県立図書館に行き、借りている本を延長してもらい、市立の牧志駅前ほしぞら図書館で新たに一冊借りて来た。借りて来たのは「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)で、奄美大島に住んでいた時にも一度読んでいる。
 家に戻り、2月に粟国島で撮影した旧正月行事の時の写真を、プレゼント用に何枚かプリントする。
*本の返却期限は8月14日。

7月30日(火)

 明日7月31日から8月2日まで、粟国島ではヤガン折目(うゆみ)が開催される。午前中に粟国島の民宿に電話をして、8月1日、2日の部屋を予約。午後から新都心のスーパーで買い物。夜は久しぶりの自炊。

7月29日(月)

 7月19日から29日まで、八重山諸島の豊年祭を観に行っていました。20日が鳩間島のオンプール、21がムラプール。22日は黒島と竹富島の下見。23日は図書館で過ごし、24日は石垣市白保のムラプール。25日は竹富島のオンプイ、26日は竹富島のトゥヌイプイと石垣市宮良のムラプール。27日は石垣市四ヵ字のムラプール、28日は黒島のムラプール。連日、豊年祭を観て満喫してきました。
 豊年祭の様子は、おいおい更新して行きます。とりいそぎご報告まで。

7月29日(月)

 朝7時頃に起きて、那覇へ帰る準備。スカイマークのホームページをチェックすると、石垣から那覇への飛行機は4便全て20席以上の空きがある。
 那覇から石垣に着いた時に15時20分発の便を予約しておいたが、一つ早い11時35分の便で帰る事にする。さすがに連日歩きっ放し、立ちっ放しで脚も足の裏も痛くて悲鳴を上げている。
 実は今日も石垣市大浜で豊年祭があり、一つ遅らせて18時10分の飛行機に変更して観に行こうかとも数日前までは考えていたが、とてもそんな元気は残っていない。
バスターミナルと石垣空港
↑左はバスターミナル、右は新しい石垣空港。
 9時前に宿を出てバスターミナルへ。9時15分の空港行きに乗車。市内のホテルを経由する路線だったので少し時間は掛かったが、10時過ぎには石垣空港に到着。まっすぐスカイマークのカウンターへ行き、11時35分の便に変更してもらい、そのまま搭乗手続きをする。
 出発ロビーで、昨日スーパーで買ったバナナを食べながら搭乗を待った。早めに搭乗手続きをしたからか、帰りも窓側の席が取れた。
宮古島

 離陸してしばらくするとウトウトとしてしまったが、目が覚めると下に割りと大きな島が見えた。宮古島だろうか?
 那覇空港に着いて、モノレールで美栄橋駅へ。一度家に帰ってから昼ご飯を食べに行こうと思っていたが、部屋に入ったら出る気がなくなりそうなので、帰る途中にあるハイウエイ食堂で食べて行く事にした。

 カキフライ定食ポーク玉子、刺身付き670円。カキフライは5個で中々お得な定食でした。
  部屋に帰り、洗濯をし、撮影データを2つの外付けハードディスクにバックアップ。バックアップ作業は夜まで掛かってしまった。

*本日の出費。バスターミナルー石垣空港520円、那覇空港ー美栄橋290円、カキフライ定食670円。

7月28日(日)

 携帯のアラームを朝7時にセットしておいたが、アラームが鳴る前に起きたので、顔を洗い荷物を整理して黒島行きの準備。
 宿を出てコンビニに寄り、おにぎりとサンドイッチを購入。離島ターミナルに行き、石垣ー黒島の往復チケットを買い、大きなバッグを一つ預かってもらう。往復チケットは、黒島豊年祭の特別割引で少し安くなっている。
 8時に石垣を出る船で、黒島へ。豊年祭用の衣装や道具を持った郷友会と思われる人も多く、満席だった。
 30分ほどで黒島に。待合所の横には、豊年祭会場まで無料で送迎してくれる車が待機していた。会場に着いて、始まる前のスナップを撮影。プログラムには10時開会と書いてあったが、実際に始まったのは10時半頃だろうか。
乗船
無料送迎
会場入口
↑豊年祭用の荷物を持って乗船する人達。 ↑港の横には即席の停留所が設けられ、無料送迎が行われた。 ↑豊年祭の会場入口。
奉られたミルク様
旗頭
←↑4つの村の旗頭が並び、ミルクのお面も奉られて、豊年祭の準備が整った。黒島ではミルクをミーラクと呼ぶようだ。
黒島豊年祭 平成25年度 プログラムから
1、開会のことば/黒島公民館副館長 2、乗出/果報人 3、朝漕い/宮里村、仲本村 寿、主催者あいさつ/公民館長 5、祝辞/竹富町長 祝辞/八重山農林水産振興センター所長 6、乾杯の音頭/石垣在黒島郷友会会長 7、パーレー競争 村対抗/宮里村、仲本村 杯取らし/宮良哲行 8、祝辞/JAおきなわ八重山地区本部長、沖縄県農業共済組合八重山支所支所長、環境省九州環境事務局那覇自然環境事務所長 松、奉納舞踊 ミーラク/宮里村 ガッキブドゥン/仲本村 ハサブドゥン・ガッキブドゥン/東筋村 ハディクマイ/公民館(婦人会) ハサブドゥン・コームッサ/黒島校 棒/公民館(青年会・郷友会) 10、祝辞/黒島小中学校校長、沖縄在黒島郷友会副会長 11、パーレー競争 村対抗/東筋村、保里村 杯取らし/舟道賢範 12、ナガレ漕い/東筋村、保里村 13、ユー揚げ/全員 14、万歳三唱/黒島青年会長
↓沖で爬龍船(パーレー)のカイを立てる、朝漕い(アサクイ)。
朝漕い
↓午前中のパーレー競漕は、宮里村VS仲本村。ウーニー(船頭)が長老から杯と塩をいただいた後、走って船に乗り込み、沖に浮かぶウキを取って早く長老の元に戻った方が勝ちとなる。
パーレー競漕
氷ぜんざい01
氷ぜんざい02

←↑お昼頃、氷ぜんざいの振る舞いがあった。冷たくて甘くて美味しい。

↓海と空をバックに、浜を歩くミーラク(ミルク)行列。

ミルク行列
奉納舞踊
↓奉納舞踊の後は、午後のパーレー競漕。東筋村VS保里村が行われた。
午後のパーレー競漕
ユー揚げ
万歳三唱

↑村の男達が爬龍船を海から担ぎ揚げる、ユー揚げ。
←黒島青年会長の万歳三唱で、豊年祭の幕は閉じた。

 14時過ぎに豊年祭は終了し、無料の送迎車で港へ。港には石垣行きの臨時便が待機していて、程なくして出航した。15時過ぎに石垣に着いたが、動く気力がなくてターミナルの待合室の椅子に座り込む。

 1時間ほど休んで、今日泊まるゲストハウスに向かう。地図を見ながら歩くと、しばらくして住宅街の中にある一軒家に着いた。中庭に最初に泊まったゲストハウスに長期滞在していた人達が、テーブルを囲んでゆんたくしていた。
 チェックインしたら直ぐにご飯を食べに行くつもりだったが、少し離れた空に雨雲があったので、先に撮影データのバックアップ。何回か空の様子を見ると雨雲が薄くなっているので、自転車を借りて出かける事にする。以前食べに行った事のある、のりば食堂にしようと思ったが、ホームページを見ると日曜日は15時までだった。
 気まぐれで開いてないかとお店の前まで行ったが閉まっていたので、結局スーパーでお惣菜とおにぎり他、色々買って帰って来た。
 シャワーを浴び、買って来た総菜の煮物とおにぎりを食べ、日記のメモを書く。泡盛をちびちび呑んで就寝。

*本日の出費。ジューシーおにぎり116円、サンドイッチ250円、石垣ー黒島往復1900円、手荷物預かり300円、煮付けセット398円、おにぎり99円、カップうどん98円、バナナ158円、カフェオレ紙パック98円。

*黒島の豊年祭(ムラプール)の写真をPhoto Albumにしました。午前のパーレー競争、ミーラク(ミルク)行列までは、こちら。ガッキブドゥン、午後のパーレー競争、ユー揚げまでは、こちら。(9月13日に更新)。

7月27日(土)

 2段ベッドが3つ設置されたドミトリーなので、色んな音で夜中から朝方にかけて何回か起きたが、7時少し前にベッドを出て屋上で洗濯。リビングで一昨日買ったカップ焼きそばで朝食。チェックアウトは11時までだが、それ以降もリビングは使えるそうなので9時頃にはベッドまわりを片付けて荷物をリビングに移動。机にパソコンを広げて日記のメモを作成。
 8時頃に干した洗濯物は、強い日差しで直ぐに乾き昼頃には取り込んだ。
 13時頃に宿を出て、今晩泊まる宿に移動。今日は半個室タイプで1泊1000円。荷物を置いて直ぐに外へ出て、離島ターミナルへ。明日豊年祭が行われる黒島行きの臨時便について聞いてみると、朝は9時に臨時便が出る。また豊年祭用の割引往復チケットもあった。
 お腹は空いているが食欲はあまりない状態で、コンビニで野菜のサンドイッチとアップルティーを購入。サンドイッチを食べながら四カ字のムラプールが行われる新川の真乙姥御嶽へ。15時半から開始とあったが、14時過ぎに着いて一休み。14時半頃から各字や団体の旗頭が、鉦や太鼓を叩きながら御嶽の前に集結した。
↓→御嶽の前に集結した、各字や団体の旗頭。
旗頭02
旗頭01
豊年祭祝典並びに旗頭、巻踊り奉納次第から
1、祝典
開式のことば/新川字会副会長 式辞/新川字会長 祝辞/石垣市長 祝辞/大川字会長 乾杯/沖縄八重山農林水産振興センター所長 
2、旗頭、巻踊り奉納
1新川字会 2双葉自治公民館 3大川字会 4石垣字会 5登野城字会 6JAおきなわ八重山地区本部 7石垣島製糖株式会社 8石垣市役所 9八重山農林高等学校 10石垣中学校 
3、五穀の種子授けの儀
4、アヒャー綱
閉式のことば/新川字会副会長
ーツナヌミン・大綱曳きー
*新川の巻踊り・奉納順
記旗(シルシバタ)→五穀(グク)→水主(ミズヌス)→世持(ユムツ)→長老(ウヤジュウ)→麾(ザイ)→鼓(ツヅン)→稲摺(イニスリ)→篭(ユラス)→杵(アズン)→鎌払(ガギバライ)→田打(タウツ)→太鼓(タイク)・鉦鼓(ションク)・銅鑼(ドラ)   集団の中を桝立(マスタティ)・俵持(ターラグ) 
新川の巻踊り
↑新川の巻踊り奉納。↓他の字、団体の巻踊り奉納。
巻踊り奉納
神司

←↓→各字、団体の巻踊り奉納が終った後、五穀の種子授けの儀が行われた。
 イリ(西)から神司、アガリ(東)から五穀の種子を持った神が台に乗せられて中央へ。
 中央で五穀の種子が神司に手渡され、来年の豊作が約束される。

五穀の種子を持った神
五穀の種子授けの儀
↓→女性が雄綱、雌綱にカヌチ棒を入れる、アヒャー綱。
アヒャー綱01
アヒャー綱02
大綱曳き01
大綱曳き02

 大綱曳きが終わったのは20時頃だった。途中のコンビニで2ℓ98円のミネラルウオーターを買い、宿の近くのラーメン屋さんでラーメンと餃子のセットを食べる。宿に帰り、カメラのバッテリーの充電、撮影データのバックアップ。シャワーを浴びて、泡盛をちびちび。今日の宿は消灯時間があり、23時に部屋の照明が消えた。合宿所のようなドミトリーは多いが、今日の宿は寮のようかな。

*本日の出費。洗濯機使用料100円、宿泊代1000円、アップルティーの紙パック98円、サンドイッチ294円、かき氷100円、水のペットボトル110円、ミネラルウオーター2ℓ98円、ラーメンと餃子とライスのセット800円。

*石垣市・四ヵ字の豊年祭(ムラプール)の写真をPhoto Albumにしました。こちら。(9月12日に更新)。

7月26日(金)

 今日は豊年祭2日目、トゥヌイプイ。朝6時少し前に携帯のアラームで起きる。歯を磨き、顔を洗い、準備をして6時20分頃に宿を出る。集落の外れで牛を連れている人がいたので、牛の散歩ですかと聞いてみたら、雑草を食べさせているそうだ。
早朝の集落と牛の散歩
ニーラン神石

↑早朝の集落と、牛の散歩?
←ニーラン神石。

 昨日下見をしたはずなのに道を一本間違えて遠回りをしたが、なんとかコンドイ浜に到着。浜を歩いて神事の行われるニーラン神石の前に行くと、観光客の女性が一人。しばらくしてゴザや神事に使う道具を乗せた車が到着して、準備が始まった。7時10分頃、5人の神司と公民館の執行部の方々がいらして、御願が始まった。

ニーラン神石での御願
 神事は30分ほどで終わり、この後は仲筋集落のちろりん村の前でガーリーが行われる。神司の方々は車で行かれるので間に合わないかと思っていたが、仲筋集落に着いた時に丁度ガーリーが始まった。
仲筋集落でのガーリー
 チロリン村の前でのガーリーの後、一行は幸本御嶽へ入られた。ガーリーはこの後、ナージカー(仲筋井戸)の前で行われると聞いていたので歩いて行くと、女性の方が神道の掃除をされていた。ナージカーでのガーリーは9時半頃だというので、一旦宿に戻り少し休憩。9時頃にナージカーに着くように宿を出て、ガーリーの始まりを待つ。
ナージカーでのガーリー
 ナージカーの隣りは竹富小中学校。夏休みだという事もあって、生徒達も神司を出迎える。ナージカーでのガーリーの後、少し休憩して公民館の前にある西塘御嶽へ。ここでもガーリーが行われ、その後公民館の中に入って冷たいサンピン茶をご馳走になった。
沿道で出迎える人
神司の一行
↑ナージカーから神道を通り、西塘御嶽へ向かう一行。
←沿道で出迎える人。
↓西塘御嶽でのガーリー。
西塘御嶽でのガーリー

 10時頃に宿に戻り、荷物を持って港へ歩いて行く。冷房の効いた待合室は居心地がよく、しばらく椅子に座って休んでいた。
 11時15分発の船で、石垣島へ。お腹が空いたので、先日も食べに行ったお店でランチ。もろみ豚のベーコンハンバーグ、ドリンク付きで690円。
 食べ終わり、図書館へ行こうと歩いていたら、鳩間島の豊年祭でお会いした方とばったり。話していると今日は図書館がお休みだと判明。しょうがないので離島ターミナルでしばらく休憩してから、今日泊まるゲストハウスに電話。チェックインを15時にしていたが14時にしてもらう。
 宿に着き、チェクインの手続き。1泊1600円のドミトリーだが、じゃらんのポイントが300円あるので1300円に。荷物をベッドの上に置き、リビングでパソコンを広げて日記のメモを書く。
 今日は石垣市の四カ字のオンプールだが、明日のムラプールを見る事にして、今日は宮良の豊年祭に行く。この集落の豊年祭は秘祭として知られており、アカマタ、クロマタという2体の神様が登場する。観光客も見る事はできるが撮影、録音はもちろん、携帯やスマートフォンの主電源は切っておかないと行けないと聞いたので、財布だけを持って宿を出る。
 バスターミナルを18時に出る4番の空港線で、宮良西のバス停へ。集落の中へ入り突き当たりにある小学校の前の道を右に曲がってしばらく行くと、豊年祭の会場となる広場に着いた。
 19時頃から始まると聞いて18時半過ぎに来てみたが、広場に用意された招待席に人影はまばらだった。19時頃から人が集まり、広場の3方を囲むように人垣ができた。日が落ちて薄暗くなり始めた頃、豊年祭開始の挨拶が始まり、それと同時に広場の後の道を赤と白の鉢巻きをした人達が歩いて来る。やがて太鼓が打ち鳴らされ、赤と黒のシンプルな旗頭を先頭にアカマタ、クロマタ2体の神様が来訪した。19時40分くらいに登場し、20時頃に豊年祭は終了となった。
 太鼓と人の声だけのプリミティブな音楽に合わせて、旗頭と2体の神様が踊る。その音と風景は大きな高揚感をもたらした。
 広場での行事で一応豊年祭は終了となるらしいが、この後、集落の各家を朝までかかってアカマタ、クロマタの集団がまわるそうだ。
 広場を出てしばらく歩くと太鼓の音が聞こえて来たので近寄ってみると、アカマタとクロマタが目の前を通って家に入って行った。
 この後バス通りに面した御嶽でも2体の神様の来訪を見た。その時は警察が出て、交通規制がかけられ車はもちろん路線バスも止められた。
 アカマタ、クロマタを追いかけて夜遅くまでいれば、もっとゆっくり祭祀の音楽や踊りを堪能出来るかもしれないが、連日の豊年祭巡りで少々疲れが出ているので宿に帰る事にする。携帯電話を置いてきたので時間がわからず、交通規制をしていたおまわりさんに時間を尋ねると20時30分。少し先のバス停にバスが待っていたので急いで乗り込む。10番のターミナル行きのバスはリゾートホテルを経由するのでちょっと遠回りだが、21時過ぎには着いた。
 ターミナルから宿に帰る途中、コンビニに寄って398円の幕の内弁当を購入。宿の正面玄関は閉まっていたので、裏の階段から直接3階の部屋へ。お弁当を食べ、シャワーを浴び、写真データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電。一段落したところで泡盛をちびちび呑んで就寝。

*本日の出費。ランチ690円、宿泊費1300円、バスターミナルー宮良360円X2、弁当398円。

*竹富島の豊年祭(トゥヌイプイ)の写真をPhoto Albumにしました。こちら。(9月11日に更新)。

7月25日(木)

  宿泊しているゲストハウスがクローズする日。新しいゲストハウスへそのまま移動する人、旅を終えて帰る人。それぞれが荷物をまとめて準備をしている。10時半頃に宿を出て、離島ターミナルに向かう。途中の酒屋で八重泉のパックを一つ購入。ターミナルで竹富島の往復チケットを買い、売店でカツ丼といなりとのり巻きのセットを買う。
 11時発のフェリーに乗り、15分程で竹富島に着いた。港の待合室で買ったばかりのカツ丼を食べてから、今日泊まるゲストハウスへ歩いて行く。チェックインを済ませて、すぐに玻座間御嶽へ。

→竹富島には、まだ木の電柱が残っている。

↓離島ターミナルで買って来た、カツ丼。卵は少なめだけど、なかなか美味しい。

木の電柱のある風景
カツ丼
料理の準備

 豊年祭初日の今日は、6つの御嶽に氏子が集い島の神々に感謝をするオンプイだそうです。また公民館の執行部や有志の方々が6つの御嶽をまわられるそうで、その最初の参詣が13時頃に玻座間御嶽で始まると聞いて訪ねてみた。少し早めに着くと、準備の真っ最中。お膳のセッティングを手伝わせてもらいながら、撮影の許可をお願いする。

←トラックの荷台でお膳の準備。

 13時を過ぎた頃に、隣りの世持御嶽の方から道歌を唄いながら参詣の一行がいらした。氏子の方々は門の前でお出迎え。そして中で神事が行われる。参詣は45分程だったろうか。
参詣02
参詣01

←↑参詣にいらした一行を、玻座間御嶽の氏子の方が出迎える。

↓御嶽の中での様子。

参詣03
 その後、御嶽の奥にあるウブに神司と女性の氏子の方々が入り、その間男の氏子の方々は唄の練習をされていた。ウブから神司と女性達が戻られてからお酒と料理が振る舞われた。私や他の観光客の方も招いていただき、ゴザに座って料理とお酒、清めの塩と生のニンニク一粒、もち米に粟や小豆などを炊いて練ったムチャネ(ムチャニ)をご馳走になった。
道歌の歌詞
歌を練習する男性陣

↑女性陣がウブに籠っている間、歌の練習をする男性陣。
←豊年祭の道歌の歌詞。もう一枚、うふみしょう(豊年祭)というのもいただいた。

→ウブから戻られた、玻座間御嶽の神司。
ウブから戻られた神司
神司と共に
清めの塩

←お清めの塩。

→もち米に粟や小豆などを炊いて練ったムチャネ(ムチャニ)。

ムチャネ
神司の一行を待つ

 玻座間御嶽での行事は続いていたが、6つの御嶽をまわった後、16時頃に高那旅館の前でガーリーが行われると聞いていたので席を外させていただく。高那旅館の前にいらした方に聞いてみると、参詣の一行はまだ5番目の花城御嶽だそうで到着は17時頃だろうと言う。それならばと玻座間御嶽に戻ると、後片付けも済んで皆さんが帰られるところだった。

←神司の一行を待つ人達。

 17時を10分ほど過ぎた頃、三人の神司を先頭に執行部の方々が道歌を唄いながら歩いていらした。それを鐘と太鼓を打ち鳴らして迎え、ガーリーが始まった。最後は喜びを表現するように、神司も氏子も両手両足を上げて踊る。
 ガーリーはこの後、高那旅館の先と公民館の前にある西塘御嶽で行われた。
ガーリーの様子
 17時半頃に宿に戻り、しばらく身体を休めてから、明日の下見がてら西桟橋からコンドイ浜、その間にあるニーラン神石を見て来る。豊年祭二日目のトゥヌイプイは、朝の7時頃にニーラン神石を御願することから始まる。
 ちょうどコンドイ浜に行くという同宿のスイス人と日本人のカップルがいたので、一緒に話しながら歩く。西桟橋に着いたのが19時少し前。まだ日は随分と上の方にある。しばらく写真を撮ってからコンドイ浜へ。その間に日はだいぶ落ちて、空の色が青からオレンジに変わっている。コンドイ浜を歩いてニーラン神石まで行き、少し写真を撮ってコンドイ浜に戻る。太陽が対岸の西表島の端っこに沈んでいった。
西桟橋
↑西桟橋から。対岸は、西表島。
↓コンドイ浜から西表島を見る。→ニーラン神石。
ニーラン神石
コンドイ浜から西表島を見る
コンドイ浜にて

 太陽が沈んでからも空の色の変化を楽しんで、20時近くに浜を後にする。浜から集落へ入るまでは街灯がない。薄暗い道を、来た時と同じくスイス人と日本人のカップルと一緒に話しながら帰る。集落に入って少し道に迷ったが、なんとか宿にたどり着いた。
 シャワーを浴び、写真データをバックアップし、昼に買ったいなり弁当と御嶽でいただいたムチャネで晩ご飯。それから23時頃まで一緒に浜に行ったカップルとゆんたく。

*本日の出費。八重泉900ml650円、いなり弁当170円、カツ丼弁当390円、石垣ー竹富島往復1020円(割引券使用)、宿泊費2000円、ミルクコーヒー150円。

*竹富島の豊年祭(オンプイ)の写真をPhoto Albumにしました。こちら。(9月10日に更新)。

7月24日(水)

 快晴。今日は午後から白保地区の豊年祭に行くが、バス代が往復で800円。なら1000円で一日フリーパスを買って、白保に行く前に川平湾を見に行こうと思って用意するが、もたもたしているうちに午前中の川平行きには間に合わなくなってしまった。それでも一旦宿を出てターミナルの方向へ。途中以前泊まった事のあるゲストハウスに寄って26日、27日に空きがないか聞いてみるが満室だと言われる。
 今宿泊しているゲストハウスは今日でクローズしてしまう。違う場所で、名前も変えてオーナーの知人が同じスタイルを引きついて明日から新しいゲストハウスをオープンするというので、28日はそこに宿泊が決まった。明日の晩は竹富島で泊まるので、問題は26日と27日だ。もう一軒違う宿に足を運ぶと27日は1泊1000円のドミトリーが空いていたので予約。残り26日の宿を探すため、一旦宿に戻りパソコンで検索。結局じゃらんで1泊1600円のゲストハウスを見つけた。
 宿の自転車で大型のスーパーに行き、お弁当やパン、総菜、飲み物を買って来る。さっそく宿で299円の海老天重とコロッケを食べる。外に出て汗びっしょりなのでシャワーを浴びて、しばらく休んでから白保へ行くためにバスターミナルへ。
豊年祭の看板

 15時発の空港行きに乗り、白保小学校で下車。乗車時間は30分程だ。集落の中に入って行くと三線の音が聞こえ、飾りを付けたトラックが何台も路地に止まっている。
 豊年祭は飾場御嶽の前で行われる。17時からだそうだが、御嶽で神事が行われないかと思って早めに着いて待っていた。

←白保小学校でバスを降りると、豊年祭の大きな看板。

豊年祭のトラック
 しばらくすると風呂敷に包んだお盆を持った年配の女性がいらしたので話しを伺うと、16時過ぎに神司が集まり神事が行われるという。神司のお一人に撮影のお願いをすると、これから御嶽の前にある真謝井戸で御願をするというので同行して撮影させていただいた。
真謝井戸で御願の準備
御願をする神司
真謝井戸
御嶽での御願
 真謝井戸の後、御嶽の中の拝所を順にまわって神司の御願あり、神事が済んで豊年祭が幕開け。まずは旗頭奉納が行われた。
↓→旗頭の奉納。
旗頭奉納02
旗頭奉納01
旗頭奉納03
↓太鼓の奉納。→待機中のミルク様。
待機中のミルク様
太鼓の奉納
↓ミルク行列と、御嶽の前で行列を迎える神司。
ミルク行列と出迎える神司
ミルク様
白保村豊年祭プログラムから
奉納の議
旗頭奉納 太鼓奉納/白保中学校男子
豊年の祭儀
1、開会のことば/白保公民館産業部長 2、公民館長挨拶/白保公民館館長 3、来賓祝辞/石垣市長 4、来賓祝辞/八重山農林水産振興センター所長 5、乾杯の音頭/JAおきなわ八重山地区本部本部長 6、祝電披露/白保公民館教養部長
奉納行列
1、ミルク加那志来訪/多宇清家 唄・三味線 横目博二他 2、白保節、真謝井戸/白保老人会、白保婦人会 3、白保幼稚園園歌/白保幼稚園園児 4、白保小学校鼓笛隊/白保小学校児童 5、稲の一生 ○第1実行組合/アブシバライ、田打ち、種まき、稲植え ○第2実行組合 田草取り、パピル節、稲刈、脱穀、籾俵運搬 ○第3実行組合/稲シィリ・稲シィサギ・ウタマムレ ○第4実行組合 新安里ユンタ・ヨイシン(米俵奉納) ○第5実行組合/うるずんの唄・ヘリによる害虫駆除 6、白保中学校校歌ダンス/白保中学校生徒 7、白保青年会歌ダンス/白保青年会 8、五穀の種子授けの儀/ビギリ神・ブナリ神 9、大綱引きシィナノミン
万歳三唱/石垣島製糖株式会社 代表取締役社長
閉会のことば/白保公民館副館長
奉納行列
五穀の種子授けの儀
大綱引き
 大綱引きの終わったのが、20時半過ぎだった。万歳三唱、閉会のことばを聞いてからバス停に向かう。白保バス停の時刻表を見ると次のバスまで時間がある。とりあえず待っているとターミナル行きのバスが来た。どうやら臨時便が走っていたようだ。
 ターミナルから宿へ。撮影した写真データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電。昼にスーパーで買って来たパンとコロッケで晩ご飯。宿のオーナーと少しゆんたくして就寝。

*本日の出費 アイスティー紙パック105円、海老天重299円、コロッケ2個98円、メロンパン99円、カップ焼きそば88円、アクエリアス2ℓ145円、バスターミナルー白保往復800円。

*白保の豊年祭の写真をPhoto Albumにしました。 神司による御願からミルク加那志来訪までは、こちら。白保婦人会の踊りから大綱引きまでは、こちら。(9月9日に更新)。

7月23日(火)

 朝、テレビをつけるとキャサリン妃が男の子を出産のニュース。
 石垣に来てから出かけてばっかりだったので、午前中は洗濯をしたり、テレビを見てのんびり過ごす。
 午後1時過ぎに宿を出て、郵便局へ。先日ホームページのレンタルサーバー会社から更新案内のメールが来ていたので、次の一年の利用料を振り込む。
ハンバーグランチ
 午後は石垣市立図書館で本を見て過ごそうと決めていたが、まずは途中にあったお店でランチ。美崎牛のハンバーグ、スープ、ライス、ドリンクで690円。
 食べ終わり、石垣島に着いた日にも一度来ている石垣市観光協会へ寄り白保、大浜などの豊年祭について教えてもらう。観光協会を出て隣りの図書館に入ったのは14時半過ぎで、それから18時半過ぎまで郷土史コーナーで写真集や郷土資料を見て過ごす。

 図書館を出ると、向かいの公園で旗頭の練習をしている人達がいる。竿の先には飾りの代わりにタイヤがついている。今度の豊年祭のための練習だろうと思い聞いてみると、四カ字のムラプールの時に旗頭行列に参加する石垣市役所の職員の方達だった。

↓竿にタイヤをつけて旗頭の練習。→石垣市立図書館。

石垣市立図書館
旗頭の練習

 昨日も寄った地元のスーパーで、白いご飯とカップ麺を買って宿に戻る。冷蔵庫に入れておいたオクラのごま和えの残り、わさび醤油に漬けておいたマグロの刺身で晩ご飯。

*本日の出費。洗濯機使用料100円、ランチ690円、ご飯100円、カップ麺99円。

7月22日(月)

 朝、テレビのニュースはどこも昨日の参議院選の結果について伝えている。自民大勝、民主惨敗。沖縄選挙区は社大党委員長の糸数慶子氏が、自民公認の安里政晃氏を破って再選を果たした。
 今日は豊年祭はないが、3日間周遊券の最終日なので28日に行われる黒島の豊年祭の下見に行く。石垣島を9時30分に出る船で、黒島へ。25分ほどで到着。まずは待合室で離島ターミナルで買って来た、かまぼこおにぎりを食べる。
かまぼこおにぎり01
←→うこん入りのドライカレーを、イカスミを練り込んだかまぼこで包んだおにぎり。想像していた通りの味で美味しいけれど、もう少し安いと良いな~。
かまぼこおにぎり02
 待合室を出たところのパーラー兼レンタサイクル店で自転車を借りる。1日1000円、1時間200円。とりあえず2時間400円を前払いしてサイクリングに出発。が、100メートル程走ったところで前輪のタイヤにほとんど空気がない事に気付いてお店に戻る。タイヤのムシゴムを見てもらい、空気を入れてもらってしばらく様子見。その間にパーラーのアイスコーヒーをご馳走になる。
 パンクはしてなさそうなのでサイクリングを続行。自転車と一緒に渡された黒島の地図を見ながら自転車を走らす。まずはビジターセンターへ。このセンターの後の浜でハーリーや奉納芸能が行われるようだ。長い砂浜を想像していたが、浜は思っていたよりこじんまりとしていた。浜の隣りには火番盛(物見台)があった。
火番盛
豊年祭が行われる浜
仲本海岸
↑火番盛(物見台)。
↑豊年祭が行われる浜。
↑仲本海岸。
牛の放牧
牛
←↑島の人口は2010年で226人だが、牛は10倍以上の2987頭。

 ビジターセンターから仲本海岸、黒島灯台を見て、伊古桟橋へ。その途中途中で放牧された牛を撮影。伊古桟橋から港に戻る途中にあった仲盛御嶽の鳥居が折れていて驚いた。後でレンタサイクル店で聞いたら、先日の台風7号で折れたそうだ。サイクリングが2時間の予定が3時間になったので1時間追加で200円を支払う。
伊古桟橋
←2005年に、国の登録有形文化財に指定された伊古桟橋。

→先日の台風7号で倒壊した、仲盛御嶽の鳥居。
台風で倒壊した鳥居
 13時40分の船で黒島から石垣島へ戻り、今度は14時30分の船で竹富島へ。竹富島に着いて、まずは竹富島ゆがふ館へ。こちらで25日、26日の豊年祭について色々と教えてもらう。竹富島の豊年祭は祈願が中心で、芸能的な要素はないこと。25日がオンプイ、26日がトゥヌイプイ。ゆがふ館のブログに豊年祭の様子が載っています。
 ゆがふ館から昨年の種子取祭の時に3泊したゲストハウスへ行き、直接25日の宿泊を予約。昨年泊まった時のスタッフがいて、名前も覚えていてくれて驚いた。竹富島での用事はこれで済んだが、せっかくなので集落の写真を撮りながら散策。17時15分の船で、石垣島に戻る。
なごみの塔から見る竹富島
ヒンプン01
↑なごみの塔から見る、竹富島の集落。
←→魔除けであり、目隠しでもあるヒンプンのある風景。
ヒンプン02
玻座間御嶽
世持御嶽

昨年の種子取祭の時に、奉納芸を観に通った世持御嶽。

←世持御嶽の隣りにある、玻座間御嶽。

3日間周遊券

←使い終わったフェリーの3日間周遊券。かなりお得なチケットだった。

↓地元のスーパーで買った刺身と総菜で晩ご飯。

 離島ターミナルから宿に戻る途中にある地元のスーパーで、ご飯、マグロの刺身、オクラのごま和えを買って帰る。

*本日の出費。かまぼこおにぎり210円、レンタサイクル3時間600円、竹富町地図200円、ご飯100円、キハダマグロの刺身300円、オクラのごま和え300円、宿泊費延長1日分1000円。
*黒島と竹富島のスナップを、Photo Albumにしました。こちら。(9月6日に更新)
地元のスーパーで買った晩ご飯

7月21日(日)

 今日も鳩間島の豊年祭。今日のメインは綱引きだが、昼過ぎから始まるという事なので、離島ターミナルを11時に出る船でも充分間に合う。
船から鳩間島を見る

 朝起きて宿でゆっくりしてからターミナルへ向かう。途中のコンビニでアップルティーの紙パックを購入し、ターミナルでおにぎりとオカズのセット250円を買った。
 鳩間島行きの船は定時に出航。豊年祭2日目の今日は、船内も混んでいない。船から見る空は青く、昨日以上に快晴だ。

←高速船から、鳩間島を見る。

↓→公民館では、旗頭の組み立て中だった。
旗頭の組み立て02
旗頭の組み立て01
 港から綱引きが行われるサンシキ広場へ。テントの下ではすでにお酒が酌み交わされていた。直ぐ近くの公民館へ行くと、旗頭が組み立てられている最中だった。
公民館の庭にて

 しばらくすると公民館長さんが公民館の前へ。その後を村の長老の方々が神歌を唄いながら歩いて来る。館長さんが出迎えて、その後公民館の庭にゴザを敷いて歌が始まった。
  40分ほど唄って呑んだ後に、館長さん以外の一行が公民館を出て道歌を唄いながらぐるっと集落をまわりサンシキ広場へ。ここでも館長さんが出迎える。

←公民館の庭で唄が始まった。

道歌を唄う一行と、迎える館長さんたち
↓→綱引きの始まる前、昨日の草冠を広場近くの御嶽にそっと置いて来た。
御嶽
草の冠
 女性達の踊りがあって、その後綱引きの練習が2回行われた。鳩間島でも綱引の前にアガリとイリのガーエーがある。 女性達が長刀をふるい、また自分の側には灯台がある、自分の側には学校があると大きな声で自慢合戦を繰り広げた。
女性達のガーエー01
女性達のガーエー02

←↑女性達のガーエー。
 そして、台に乗って勇壮な衣装を身につけた支度の男性2人が綱の中央へ。お互いの供え物を交換し、もう一度見栄を切って戻っていった。

勇壮な衣装を着けた支度の男性
 ガーエーの後、いよいよ綱引きの本番。雄綱と雌綱がカヌチ棒で繋がれて、大きな声援の中で綱が引かれた。綱引きの後、広場の前でアガリとイリ、そして鳩間小中学校の旗頭の競演をして豊年祭行事は終了した。
綱引き
綱にミキをかける

↑カヌチ棒を入れられた綱に、ミキが振り掛けられた。
←綱引き本番。
↓綱引きの後、旗頭の演舞が奉納された。

旗頭の演舞の奉納
 豊年祭行事が終わったのが13時半頃。近くの公民館前の広場でもう一度旗頭を空に突き立てて競演した後、お祭りの片付けが始まった。少し後片付けのお手伝いをして、公民館の庭で長老のお一人に呼ばれたので泡盛をご馳走になる。
 今日は臨時便はなく、鳩間島から石垣行きの最終は16時10分。1時間以上も前だが、15時過ぎにぞろぞろと皆で港へ。港の待合室の前ではすでに三線やキーボード、笛で島唄、民謡、歌謡曲が演奏され、島を離れる人達を見送っている。
歌と踊りでお見送り

 船は少し混雑していた。ご馳走になった泡盛がやんわりと効いて、船の中でウトウトする。
 離島ターミナルから宿へまっすぐ帰り、外付けのハードディスクに撮影データをバックアップ。福島の鈴木さんが具沢山の冷やし汁ソーメンを作ってくれる。フランス人の兄弟のバックパッカーが持って帰ってきたパイナップルとマンゴーのお裾分けをいただく。
*メモ。御嶽はお宮とも言う。鳩間島の親戚筋 門中は5つで、各御嶽があり、その氏子となっている。話す方も聞く方も酔っていたので正確ではないかもしれません。

*本日の出費。アップルティー105円、おにぎりセット250円、冷やし汁そーめん材料代250円、カールチーズ味124円、ミネラルウオーター2ℓ98円。

*鳩間島の豊年祭(ムラプール)の写真をPhoto Albumにしました。こちら。(9月5日に更新)

7月20日(土)

 朝6時30分にセットしたアラームで起床。ゲストハウスのリビングでしばらくまったりしてから、離島ターミナルに歩いて向かう。
 今日から鳩間島の豊年祭で、石垣から鳩間島への船が9時30分に出る。混雑が予想されるので1時間ほど前にターミナルに着いて、まずは3日間の周遊券4500円を購入。石垣島と鳩間島の一往復だけで4000円ほどするのでお得なチケットだと思う。
 鳩間島行きの船は案の定混んでいて、臨時便が出た。早くから並んでいたので最初の船に乗れたが、列の途中で満席になった。多分臨時便がもう一隻出て対応したと思われる。定期便の9時30分出発の船は西表島経由だったと思うが、少し早めに出航した臨時便は鳩間島に直行し、10時過ぎには着いてしまった。
棒術の練習

 港から奉納芸能が行われるサンシキ広場に行くと、まだ準備中だったがプログラムがあったので1枚いただく。広場の近くにある公民館では棒術の練習が行われていた。
 豊年祭が始まるまでまだ時間があるので、集落のちょっと外れにある灯台へ。灯台の横には石を積んだ物見台があった。 

←公民館の前庭で棒術の練習が行われていた。

↓物見台。→灯台
灯台
物見台
 またサンシキ広場に戻り、直ぐ横の浜に行くとハーリー競漕に使われる舟が2隻並んでいた。近くにいらした方に豊年祭の事をうかがっていると、今日も御嶽で御願があり、その後御嶽から下りて来て集落を通り、サンシキ広場に来て祭りが始まるとの事。 
 鳩間島の中心となる友利御嶽で御願が行われるそうだが、御嶽の入口には無断立ち入り禁止の看板が立っているので誰か人が下りて来るのを待っていると、集落の方から神歌を唄いながら歩いて来る一行があったので撮影の許可をお願いする。唄いながら御嶽の下に到着すると、道の反対側からも歩いて御嶽の入口へ来る人が。一緒に鳥居をくぐり参道を上がり、御嶽へ。上がったところに神司の代役のご老人が立っていて、迎え入れて下さった。鳩間島は現在、神司が不在だそうです。御嶽で写真を撮っている間に神酒の泡盛とミキをご馳走になる。12時半近く、いよいよ集落に下りて行く段になって、草を渡された。頭に巻く草の冠用で、御嶽に来た者は皆巻くそうだ。葉はクロツグだろうか。巻き方がわからなかったが、かた結びで草を繋いで頭に巻いた。 
友利御嶽の入口
友利御嶽の神事の様子
↑友利御嶽での神事の様子。
↓神歌を唄いながらサンシキ広場へ。→出迎える公民館長。
出迎える公民館長
神歌を唄いながらサンシキ広場へ
 神歌を唄いながら参道を下り、集落を通りサンシキ広場に歩いて行く。広場中央で迎え入れる公民館長さんの前で神歌を唄い、続いてイリとアガリの旗頭が入場。そしてミルク行列が会場に入り、13時少し前に奉納芸能が始まった。
平成25年度 豊年祭 プログラムから
1、彌勒入場(ミルクヌファー 鳩間・石垣・沖縄在郷友会婦人部) 2、カムラーマ(小浜虎三)沖縄在郷友会 3、挨拶 鳩間公民館長 通事健次 4、感謝状贈呈 寄合英名、通事則夫、座安房江 5、東村の奉納棒術 6、マミドーマ(石垣在郷友会婦人部) 7、イニシリ節(石垣・沖縄在郷友会婦人部) 8、カンパイの音頭(上原郷友会代表 富里保雄) 9、鳩間早節(沖縄在郷友会 婦人部) 10、竹富町挨拶 川満栄長町長 11、安里屋節(石垣在郷友会婦人部) 12、谷茶前節(鳩間小中学校児童生徒) 13、石垣在鳩間郷友会長あいさつ(大城正明) 14、鳩間島 ・鳩間の豊年祭(石垣在郷友会 婦人部) 15、西村奉納棒術 16、イダ舟(石垣在郷友会) 17、沖縄在鳩間郷友会代表あいさつ(富里勝幸) 18、加奈ヨー(沖縄在郷友会) 19、鳩間小中学校長あいさつ 石垣幸子校長 20、久高節(石垣在郷友会) 21、郷友会音頭(沖縄在郷友会) 22、豊年音頭・鳩間の港(石垣・沖縄在郷友会 婦人部)
奉納芸能
 奉納芸の演目が総て終わったのは15時半近くだろうか。その後、サンシキ広場の裏手の浜でハーリーが行われた。
 2隻並んだ舟の横に旗頭が立てられる。神歌が唄われ、舟は海に出る。スタートラインの位置調整だろうか、浜を見下ろす道路側から公民館長が指示を出し、しばらくしてハーリー競漕がスタートした。
ハーリー競漕
 沖にある旗を回って折り返し、浜に着いたら岸壁に立て掛けられた梯子を上る。そこまでが競漕のようだ。今年はアガリが勝ち、公民館長からお神酒をいただいた。
ハーリー競漕02
ハーリー競漕03
 競漕の後、漕ぎ手達はそれぞれの舟の周りに並び神歌にあわせてグルグルと歩く。やがて歌が終わり、旗頭はサンシキ広場に戻って行った。
  鳩間島の豊年祭は行事の色んな場面で神歌が唄われる。節回しが似ているので同じ曲かと思ってしまうが、「豊年祭トーピンの歌」という歌集を見せていただいたら、それぞれの場面で唄う歌が違うようだ。

 港に行くと16時15分の定期便が到着していてすでに満席だったが、2隻に増便してあったので直ぐに全員が乗れた。また今日は18時台にも臨時の船を出すという案内があった。
 帰りの船は西表島の上原港を経由して、1時間ほどで石垣港に着いた。
 離島ターミナルから宿に戻る途中のコンビニで、アイステーの紙パック105円を買って帰る。パソコンに外付けのハードディスクを繋いで今日撮影した写真データをバックアップ。
 バックアップ作業をしながら、福島県から石垣島へ長期滞在で旅行に来ている鈴木さんが作ってくれた、そうめんをご馳走になる。
 今日は足が痛かった。立ち上がろうとすると膝が痛い。運動不足?歩き過ぎ?それとも歳なのか。

*本日の出費。かりゆし周遊券三日間4500円、自販機の水のペットボトル130円、コンビニのアイスティー105円、鈴木さんのそうめん材料代250円。

*鳩間島の豊年祭(オンプール)の様子をPhoto Albumにしました。友利御嶽での神事からミルクの入場までは、こちら。カムラーマからハーリー競漕までは、こちら。(9月4日に更新)。

7月19日(金)

 八重山諸島の豊年祭巡りをするために、石垣島へ出発。
 朝6時に起きて、荷物の最終チェックをしながら、お米を1合炊いておにぎりを作る。
 部屋を10時少し前に出て、モノレールの美栄橋駅へ。直ぐに10時23分のモノレールが来たので、那覇空港へ。1階のスカイマークのカウンターで、那覇12時40分発のSKY563便のチケットを購入。搭乗手続きを済ませて、ロビーで今朝作ってきたおにぎりと魚肉ソーセージで早いお昼ご飯を食べながら出発を待つ。 
那覇空港
↑軍民共用の那覇空港ならではの光景。
 座席に余裕があったので、当日ながら窓側の席が取れた。搭乗を待つ間、滑走路を眺めていると自衛隊の戦闘機が何機か着陸。
 石垣島行きの飛行機は滑走路が混んでいるようで、しばらく離陸待ちで遅れて出発。それでも石垣空港にはほぼ定刻に到着したようだ。
石垣空港

 石垣空港に着いてスカイマークのカウンターへ。変更の場合は石垣空港所予約係に電話すればいいだけなので、帰りのチケットを購入。空港を出たところでバスターミナル行きのバスが待っていたので乗車。新しくなった空港からだと市内まで少し時間がかかるようになった。

←新しい石垣空港に到着。それにしてもスカイマークの那覇〜石垣、普通運賃5000円は驚きだ。

 バスターミナルから歩いて竹富町役場へ。豊年祭や来月後半にある旧盆行事のスケジュールを教えてもらう。竹富町役場を出て、今度は近くの石垣市観光協会へ行き、川平のマユンガナシーについての情報を聞いてみる。その後、離島ターミナルに行き鳩間島、黒島のフェリーの出航時間やチケットの事を尋ねて来た。
 離島ターミナルから地図を見ながら、今日から泊まるゲストハウスへ。ベッドや施設を案内してもらい、居心地がよさそうなので3泊の予定だったが5泊にしてもらった。
 宿の無料の自転車を借りて、泡盛と晩ご飯用の食料を買って帰る。

*本日の出費。那覇ー石垣島スカイマーク5000円、石垣空港ーバスターミナル520円、宿泊費5日分5000円、泡盛八重泉900ml650円、ジューシーおにぎり120円、レーズンパン210円、カップ麺138円。

7月18日(木)

 明日から八重山諸島の豊年祭を見に行くための準備と手配。午前中に、明日から3日間泊まろうと思っている1泊1000円のゲストハウスに電話予約。
 飛行機は、スカイマークが片道普通料金5000円で那覇ー石垣島を1日4便運行しており、ホームページを見るとどの便も20席以上の空きがある。一応旅行代理店に行って帰りの便も一緒に予約しようと思ったが、帰りの便を変更した場合は手続きが必要になるとの事。明日の石垣行きは直接スカイマークのカウンターに行ってチケットを買って搭乗出来るだろうということなので、今回は予約なしで行ってみる。
 先日県立図書館で延長してもらった本は、3冊の内1冊は読み終えたが、残りの2冊は手つかず。それでも八重山諸島に行っている間に返却期限が来るので3冊とも一旦返却。代わりに比嘉康雄さんの神々の古層シリーズから「異界の神ヤガンの来訪 ヤガンウユミ[粟国島]」(ニライ社)を借りて来た。 
 新都心のコンビニで電気料金を支払い、100円ショップやスーパーで買い物をして家に帰る。
 冷蔵庫の中を片付けるため、晩ご飯は卵を2つ入れたオジヤと餃子とキャベツ。さて、使い切れなかった人参1本は帰って来るまで保つといいな。
 やらなくてはいけない作業はいっぱいあるけれど、明日から旅行だと思うと落ち着かず手に付かない。今日借りて来た本を読みながら、早めに寝てしまおうか。

7月16日(火)

 髪の毛が伸びて来たので、午後から床屋へ。栄町市場の近くにある床屋さんで、平日はカット700円。2カ月ぶりの散髪ですっきりした。
 床屋さんから国際通りに出て、那覇市役所へ。先日、高岡の選挙管理委員会から送られて来た不在者投票用紙を持って、参議院選の投票に行く。今年出来たばかりの、この市役所の中に入るのは初めてだ。
 1階で期日前投票を受け付けていたので歩いて行くと、不在者投票は12階だと教えられる。エレベーターで最上階の12階へ上がり、投票受付へ。不在者投票は昨年12月の衆議院選挙で一度経験しているが、担当者から説明を聞きながら投票し無事に済ませた。ちなみに、投票はこちらを参考にしました。
 家に帰りパソコン作業をしていると、宅急便が。12日にアマゾンでポチッとした商品が届く。アマゾンで購入した外付けのハードディスクは九州の販売会社から発送されて、昨日一度宅急便が届けに来たのだけれど、到着予定日が未だ先だったのでお金を下ろしてなくて今日にしてもらったら、アマゾンからの発送分と一緒になってちょうど良かった。
アマゾンから届いた商品
不在者投票用紙
↑高岡の選挙管理委員会から送られて来た不在者投票用紙。これをもって那覇市役所で投票をして来ました。
←アマゾンから届いた品。インク、プリント用紙、DVDケース、コンパクトフラッシュ他。
コンパクトフラッシュとインク
↑1127円と格安だったトランセンドの133倍速8GBのCFカードを3枚購入。今メインで使っているのが500倍速だが、連射撮影はしないので133倍速でも充分かな。昔買った120倍速も、まだ使っている位だし。インクは7色11本を購入。
↓→3つ並んだ外付けHDD。左が今回購入した2TBのハードディスク。名前はCAROLEにしました。キャロル・キングから。
デスクトップ画面
外付けハードディスク
 外付けのハードディスクを買ったら、名前を付けることにしている。以前は好きなドラマーの名前だったが、最近は好きな女性シンガーの名前にしている。↑の3つは右からMinnie(ミニー・リパートン)、Ani(アニーディフランコ)、そしてCarol(キャロル・キング)。
  せっかくなのでYou Tubeから「Loving You/Minnie Riperton」「Your Next Bold Move /Ani DiFranco」「You've Got A Friend/Carole King」。

7月15日(月)

 先月の初め、渡名喜島へ持って行こうとノートパソコンの動作確認をしていたら、トラックパッドとキーボードが動かない。とりあえず昨年壊れて使っていないMac Proのマウスがあるので、USBポートに差し込むと使えた。同じくMac ProのキーボードをUSBポートに差し込むと、こちらも使える。使えるけれどMac Proのキーボードはテンキーまで付いて大きいので、これを持ち歩くのは・・・。
 ネットで検索するとPRAMのクリアーで直ったと書いている人がいたので試みるがダメだった。緊急にノートパソコンが必要無かったのと忙しかったので放っておいたが、いつまでも放ったらかしにしておくわけにもいかず、今日、新都心の大手家電量販店に行ってマックで使える小さめのキーボードを買って来た。ネット回線を新規に申し込むとパソコン5万円引き、3万円引きといったセールもあって買い替えも考えたが、昨年デスクトップのパソコンを買ったばかりなので断念した。購入したキーボードは、マイクロソフトアークキーボードと言う商品で、4000円ほどだった。
新しく買ったキーボード

←WinとMac両方に対応しており、付属のUSB端子を差し込めばワイヤレスで使える。いくら小さいとは言え持って歩くには嵩張るが、まあ、これで行くしかない。

  先月29日に開催された栄町市場屋台祭りの写真をPhoto Albumにしました。女子部の「かぎやで風」から島唄 永楽まではこちら。おばぁラッパーズからカチャーシーまではこちら

栄町市場
↑夜ともなれば、路地のアチコチに小さな飲み屋ができていた。↓おばぁラッパーズ登場。やっぱり盛り上がる。
おばあラッパーズ

7月14日(日)

 本の返却期限日なので、午後から県立図書館へ。読み終えた3冊を返して、読み切れなかった3冊を延長してもらう。手続きを済ませた後、せっかくなので冷房の効いた読書コーナーで1時間半ほど本を読みながら休ませてもらう。
ピンクドット沖縄
 図書館を出て、国際通りにあるてんぷす那覇へ。今日てんぷす前の広場で、13時〜17時までピンクドット沖縄というイベントが開催されている。同性愛者やバイセクシュアルと言った性的マイノリティが生きやすい社会を願うイベントだそうだ。
 個人的にはゲストで登場する、比屋定 篤子さんの歌が聞きたくて会場へ。 15時過ぎに着くと、唄三線とピアノで沖縄民謡を演奏するラコルドが出演中だった。
ラコルド
比屋定篤子
↑ラコルド。→比屋定 篤子さん。
那覇の空
2000円札応援祭り

 ラコルドの演奏の後、しばらく休憩があって比屋定さんのライブ。3曲とちょっと短いステージでしたが、良いですね。初めて聴きましたが、どの曲もスーッと耳に馴染みます。
  てんぷす那覇から国際通りを自転車で走ってパレットくもじ前広場へ。こちらでは「2000円札応援祭り」が行われているが、正直、2000円札をどう応援していいのかわからない。高校生?のダンスパフォーマンスをしばらく見て、家に帰った。

 You Tubeから「まわれ まわれ/比屋定 篤子+笹子 重治」「メビウス/流線形と比屋定 篤子」「ナチュラル・ウーマン/比屋定 篤子with TROPICALISM」。

7月13日(土)

 昨日から今日にかけて宮古・石垣・与那国といった先島諸島を、大型の台風7号が襲った。午後には暴風域から抜けたようだが、最大で1万2000世帯が停電したようだ。那覇は台風の進路から少し離れていたので、強風や突風はあったものの雨もほとんど降らなかった。
 午後から、ベランダに折りたたみの椅子を出して読書。台風の名残か、時おり吹いてくる強い風が気持ちいい。ちょっと狭いが、特等席だな。
  昨日からの続きの『時の島々/東松照明+今福龍太』(岩波書店)を読み終わり、『VERNACULAR/NAOKI ISHIKAWA』(赤々舎)を読み始める。
↓『VERNACULAR』。→風が涼しい特等席での読書。椅子は、布を張り替えながら20年以上使っている。
ベランダ
VERNACULAR

 『時の島々』の東松照明後記に、「太陽の鉛筆」についての記述がある。
 東京都が発行するパスポートまがいの身分証明書なるものを持って、初めて沖縄に渡ったのは1969年初頭である。 北海道から九州まで、日本各地の米軍基地を撮り歩いた巡礼者に、残された聖地は沖縄であった。「沖縄に基地があるのではなく基地のなかに沖縄がある」といわれるくらい沖縄には基地が集中していた。しかし、当時の沖縄はアメリカの軍政下にあって簡単に入ることはできなかった。
 
私は、滞在が許された一カ月間、基地にぴったり張り付いて撮りつづけた。そして、さらに一カ月間の延長ビザを申請所得、今度は基地を離れてムラやシマを回った。そこで私は強烈なカルチュアショックに見舞われることになる。
 日本の戦後史を一口で特徴づけるならアメリカニゼーション、と言いつづけてきた私が、現地入りする前にイメージした沖縄像は、四半世紀も米軍政下にあるのだから日本以上にアメリカ化しているに違いない、というものであった。ところが、沖縄のムラやシマには、日本みたいにアメリカニゼーションが染み込んでいないのである。私は、沖縄の独自性と強度に驚嘆した。このカルチュアショックが引き金となって、私は毎年渡沖するようになる。そして1972年5月15日、沖縄の日本復帰後は、那覇と宮古島に腰を据えて、アメリカニゼーションを拒む沖縄にこだわり、撮りつづけることになる。
 ムラやシマにあって、私はしばしば懐かしさと優しさとが入り混じった名伏しがたい思いにとらわれ、足を止めシャッターを切った。それが何であったのか。意識にのぼらない民族の血の呼び声であったのか。それは日本が近代化を急ぐ過程で切り捨ててきた良質な文化のようであり、アメリカニゼーションになじまないため忘却の彼方に追いやられた大切のようでもあった。

 沖縄や奄美の言葉には、日本の古語が残っていると言われる(こちらこちらを参照)。頭結てぃ給り(かしらゆてぃたぼり)など、島唄の歌詞によく登場するたぼり(下さい)という言葉は、京都の古い言葉を想起させる。
 日本語のハ行子音は、古くはP音であったがF音からH音に変化してきたとされている。奈良時代以前はP音で、平安時代から室町時代まではF音。例えば鼻・花は、パナ〜ファナ〜ハナと変化した。沖縄本島北部や八重山諸島(与那国島除く)ではP音を残しているそうだが、奄美大島も北部の佐仁集落はP音を使う。パナウル王国(パナは花、ウルは珊瑚)をキャッチフレーズにする与論島も同じだろう。
 加計呂麻島の諸鈍集落に伝わる国指定重要無形民俗文化財・諸鈍シバヤは、源平の戦いに敗れた平家の落人・平 資盛が教えたものだと言われている。
 エイサーは、 京都からやって来た芸能集団チョンダラー(京太郎)が広めたものと言うのはよく知られている。辻のじゅり馬もまた、チョンダラーが伝えた芸だそうだ。
 そうした大和から伝わったものが、大和ではすでに消えてもなお、島という閉ざされた地理的要因で残ったのだろうと想像する。
 「沖縄に基地があるのではなく基地のなかに沖縄がある」は、今なお健在だ。そして沖縄を歩いて思うのは「集落の中に御嶽や拝所があるのではなく御嶽や拝所のなかに集落がある」。集落を沖縄に代えてもいいかもしれない。
 既に「御嶽って何?」というウチナーンチュも多いだろうが、集落を歩けば実感する。

7月11日(木)

 泊の魚市場に行く途中、コンビニで水道料金とガス代の支払いを済ませる。
  魚市場で3パック1000円のセール品だった、アオリイカのゲソとメバチマグロの刺身、甘塩鮭の切り身を購入。
 昨日、3年前に奄美大島の朝仁海岸で行われた納涼大会で知り合った方からメールがあり、3年ぶりに奄美・沖縄を旅していて今那覇に居るというので今日の昼ご飯を一緒に食べる事になった。
 12時半に平和通りで待ち合わせて、近くのカフェで500円ランチ。2時間ほど奄美大島、加計呂麻島の話しを聞かせてもらった。
↓泊いゆまちで買った3パック1000円の品々。→高岡市選挙管理委員会から送られて来た不在者投票用紙。
不在者投票用紙
3パック1000円
 今日は午後3時半から歯の治療。一旦部屋に戻ってから歯医者さんに行く予定が、時間の余裕が無くなったのでご飯を食べてそのまま直行。

 先週は左の上の親知らずを抜いたが、今日は虫歯になった左の下の親知らずを抜く。抜歯は麻酔が効いて痛くはなく、時間もかからなかった。抜いた後、ある程度止血するまで診察台に横になって過ごす。クーラーの風が、涼しくて快適。
→大きい方が今日抜いた左下の親知らず、小さい方が先週抜いた左上の親知らず。

抜いた親知らず

 歯医者さんの帰りに、八百屋でキャベツとキュウリを買って帰る。
 土曜日に高岡の選挙管理事務局へ宣誓書(兼請求書)を郵送したら、昨日レターパックで不在者投票用紙が届いた。素早い対応ですね。週明けにでも投票に行って来ようと思う。

 先月の2日に借りて、なかなか読み切れなくて延長に延長を重ねていた「光るナナムイの神々/比嘉豊光 1997−2001」(風土社)を読み終えた。
 宮古島・西原地区の祭祀を長い時間をかけ、丁寧に撮影した写真集。御嶽で行われるニガイの様子など、深く入り込んだ撮影に驚かされる。それらの写真が素晴らしいのはもちろんだが、個人的には後半に収載されている神女の一人赤嶺和子さんの「ナナムイ讃歌 ーナナムイヌンマ10年の記憶ー」と題した、1992年から2001年まで、その時々に綴られた神行事についての記録に強く魅かれた。
 その日記のように綴られた文章を少し引用させてもらおうと思うが、その文章を理解する手助けに本の冒頭にある西原地区と祭祀について書かれた文章を引用させてもらう。

沖縄県宮古島平良市字西原は市街地より北へ4kmのところにある。
平成12年(2000年)現在、世帯数405戸、人口1154人で、キビ作農家と沿岸漁業従事者が多いムラである。
西原ムラは明治7年(1874年)に池間島73戸、伊良部島・佐良浜から15戸が移住し、元からあった横竹2戸、合計90戸で創立された新しいムラである。
西原ムラの御嶽は守護神大主(ウハルズ)を祀るウハルズ御嶽(別名ウパルズ・ナナムイ)を中心にナカマ御嶽(別名ナイカニ)・ヤマト御嶽・サイヌハ御嶽・ウマヌハ御嶽・ユキダキ(横竹)御嶽・ウッズキ御嶽・アガイジャー御嶽・トゥクガーンミ御嶽・イーガマ御嶽等がある。
西原ムラの祭祀はほとんどが上記の御嶽で行われる。それらの祭祀を司る神女達はハナヌンマ(ハナヌパー)と称されるウフンマ(大司)・アーグスーンマ(神司)・ナカバイ(中司)・アーグスーンマヌトゥム(神司の供)・ウフンマヌトゥム(大司の供)の5名と、ムラの46〜55歳までの女性(ナナムイヌンマ)によって、年間40余りの祭祀行事が今なお行われている。

 昭和23年子年生の神女ハーニパーの赤嶺和子さんの「ナナムイ讃歌」から六月ニガイと、ミャークヅツについて綴られた文章を引用させていただく。

六月ニガイ(93年8月7日)
 朝からトユンナカマツで餅作りをした後にウハルズ御嶽、イーガマ御嶽へと行くが、すでにそこは字長以下班長達が掃除を終え、テントを張ってくれていた。今日もナナムイヌオジーも一緒だ。
 その昔、池間島から分村してきた時の西原上陸の地がここイーガマで、六月ニガイは豊漁と航海安全、そしてこの地への厄払いのニガイだそうだ。生贄に使う豚が準備されているが可哀想に鳴いている。ニガイ後に班長達によって豚が見事に解体されていった。大きな鍋で料理され、オニギリと一緒においしいスープもついてきた。今日のニガイではオジー達の中から”ビキムヌスー(男の物知り)”が選ばれ、ナナムイヌンマと一緒にニガイをする。
 後で知ったことだが、その日は報道陣が大勢入っていたようで、テレビ放映を見たという連絡が那覇の叔母から入った。「まだこんなことをやっているわけ?」と言う叔母の声に、何となく恥ずかしかった。ムラの伝統を受け継ぐということに時代との違和感を感じるのは避けられないことだし、100年以上も前から同じことをやっているのだから、仕方のないことかもしれない。
 翌日はブンミャーンツ(ムラの中央道路)で綱引きがあった。私達が小さい頃は綱ももっと太くて長く、大勢の人達が参加していたが、今では何と班長達とハナヌンマだけになってしまった。この綱引きだけは何らかの方法で復活させたほうが良いと思うが、何か名案はないものかと思う。
 1カ年の前半の数々のニガイが終了となると、ミージャウズが私達の労をねぎらい、カラオケに連れて行ってくれた。日頃の鬱憤を晴らすかのように思いっきりうたい、思いっきりしゃべりまくった。それがまた明日へのエネルギーとなり、先輩達への感謝の念が広がり、ナナムイの結束へとつながるのである。

ミャークヅツ(93年11月9日)
 ミャークヅツ(宮古節)は旧暦8、9月の甲午の日に行われ、初日はアラビーと呼ばれ、午後4時頃ハナヌンマとガバオバー達がクイチャーをおどる。
 2日目は早朝からウフンマ家に手伝いに行く。その頃、ナカマ御嶽ではオジー達によって午後5時頃から新生児の報告といわれるマスムイが行われ、それが済んだ人達は、さらにウフンマ家へ報告に行く。ウフンマ家ではご馳走を準備してみんなからの報告を受ける。
 それから私達は一度家に戻り、着替えてから再びウフンマ家に行く。そこへマスムイオジーが、マスムイが無事に済んだことと新生児の数を報告しにウフンマ家にやってくる。ウフンマ家ではマスムイオジーと一緒に喜び、うたいおどった後に、オジー達のお供でナカマ御嶽へと向かう。道の両端や御嶽内に大勢のオジー達が居並ぶ中、最前列の特等席へと案内される。そして七ブン(7つの膳・盆)、七ウサイ(7種の肴)と呼ばれる魚料理を膳いっぱいにいただく。まったく恥ずかしい限りで目のやり場に困ったが、ガバオバー達は”この上ない幸せ、この上ない喜び、生まれた甲斐がある”等と喜んだそうだ。
 午後からは一番上等の着物に着替えクイチャーに参加し、ジャー(座・場所)に入ってくるパレードのオジー達をおどりながら招き入れる。円陣を2重、3重に組んでクイチャーをおどり、祭りは最高潮に達する。昔、人頭税があった頃、納税を無事に終えた男女が自然にムラの中央にあるジャーに集まり、うたいおどったという。
 クイチャーには声を合わせるという意味があり、今年の豊作への感謝と喜び、来年はさらに豊作でありますようにという祈りの歌とともに、男女の恋心をうたった歌も数多くある。娯楽が今のようにない時代の憩いの時でもあったのでしょうね。奉納相撲やカラオケ大会等もあり、祭りは4日間行われる。
 子ども達が小学校の頃はホットドックや串団子、ポーポー等を作ったが、売り上げは?? 今では出店も少なく、ちょっと寂しい感じがする。

 学者、研究者の方々が調査報告した文章はたくさんあるが、このように祭祀を執り行う神女自身が自分の言葉で綴った文章はあまりなく(個人的にはこの本しか知らない)、貴重でもあり興味深く読めた。琉球の祭祀が今置かれている状況もよくわかる。
 赤嶺さんの文章が98P〜117Pまで 、その後に西原地区で行われる祭祀の年表が3Pを使って記載されている。

 You Tubeから「宮古西原 古謡集」、西原と同じく池間民族である伊良部島・佐良浜の祭祀「ユークイ(世乞い)」、「池間島のミャークヅツ」。

7月9日(火)

 昨日、原発の新規制基準が施行され、北海道、関西、四国、九州の4電力会社が4原発10基の運転再開に向けた安全審査を申請した
  原子力規制委員会の田中俊一委員長は新規制基準について「世界一厳しい」としているが、穴だらけの新規制という意見もある。今度の新規制基準で個人的に最も不可解なのは、フィルター付きベントや中央制御室の代替施設である「緊急時制御室」など大規模な設備については、5年間の猶予を与えるとした事だ。5年間の猶予を与えると言う事は、新基準施行後5年間は、福島第一で起こったような過酷事故は起こらないと言う根拠のない安全神話が前提だろう。
 中央制御室の代替施設である「緊急時制御室」は、福島第一原発で言えば重要免震棟だと思うが、もし福島第一に重要免震棟がなければ事故対策にもあたれず災害の規模はもっと拡大していたのではないか。重要免震棟があったから、最悪のシナリオを回避できたのではないか。その施設の建設に5年間の猶予を与える新規制基準が、世界一厳しいなどと誰が思うだろうか。重要免震棟について同じように考えている人がいる。福島第1原発で重要免震棟があったという「奇跡」重要免震棟は半数以下しか設置されていなかった
 その福島の重要免震棟で事故直後に現場の指揮をとっていた、吉田昌郎元所長が今日の午前に亡くなられた。免震棟があった事と、この人が所長としてそこに居た事が福島第一における僅かな救いだったのかもしれない。
石垣島産ひとめぼれ

←熊本産のこしひかりが無くなったので、石垣島産のひとめぼれを食べ始めた。石垣島では二期作は普通に行われていて、これは7月3日に精米された新米です。

→ゆいまーるが無くなったので、昨日から三日麹・松藤25度を呑み始めた。これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海→ゆいまーる→松藤。

泡盛 松藤
昨日の雲

 昨日7月8日はナハ(78)の日だそうで、色々とイベントもあったようだ。←ベランダから撮影した、ナハの日の那覇の空。

 6月23日、沖縄の慰霊の日の様子をPhoto Albumにしました。平和の礎、平和祈念資料館、追悼式の写真はこちら。一般の焼香、国立沖縄戦没者墓苑、国際通りのパフォーマンス、スーパームーンはこちら

慰霊の日 平和の礎にて
↑平和祈念公園の、平和の礎にて。↓追悼式の後に行われた、一般の方々の焼香から。
一般の焼香から
 日本の南で発生した台風7号が、発達しながら西に進んでいる。

7月7日(日)

 昨日、関東地方が梅雨明け。今日は全国各地で真夏日となり、東京は今年最初の猛暑日を記録したようだ。そろそろ東京と沖縄の最高気温が逆転する。
 今日は珍しく那覇でも35℃を記録したようだが、海に囲まれているせいか奄美も沖縄も35℃を越える猛暑日になる事は滅多に無い。さすがに今日は扇風機を回しても生暖かい空気を撹拌するだけだったが、風の吹く日は窓を開けておけばなんとか凌げる。
今日の雲

7月4日(木)

 午後3時半。先週、歯石を取ってもらった時に発見された虫歯の治療で歯医者さんへ。治療用の椅子に横になると、先生から「虫歯は親知らずにあるので抜いてしまうという選択肢もあります」と提案される。
  右の親知らずは上下とも既に無く(以前に抜いた気がする)、左は2本とも残っている。虫歯になっているのは下の親知らずで、治療もできるが奥にあるので歯磨きも難しく、そのために他の歯も虫歯になり易いと言う。上の親知らずは虫歯ではないが退化して小さくなっているそうで、こちらもこの際一緒に抜いてはどうかと・・・。
 先々の事を考えると抜いた方がいいそうで、麻酔をするので抜くのは痛くないと言われて決心。とりあえず今日は抜き易い上の親知らずを抜く事に。
 注射を打たれ、麻酔が効くまで椅子に寝て待つ。しばらくして抜歯。痛くはないが、歯を器具で挟まれてグリグリされる感覚が伝わって来る。
 抜いた歯は、歯の形をした小さなケースに入れて渡してくれた。うがい薬、化膿止めの薬、鎮痛剤を貰って帰る。

 買い物をして家に帰り、パソコンに向かっていると雨の降る音。激しく降り出した雨は、風景を白く一変させる。白く煙った中に薄らと虹がかかっていた。雨が降っていたのは5分ほどだろうか。
 降り初めに感じる雨の匂いは、ほのかな土の匂い。今やコンクリートだらけの那覇でも土の匂いがする不思議。その匂いは、どこか郷愁があり好きな匂いだ。

突然の雨
親知らず
↑今日は虫歯になっていない左の上の親知らずを抜いた。抜いた歯を、歯の形をしたかわいらしいケースに入れて渡してもらった。
←突然の激しい雨で、遠くが白く霞む。

 6月15日に「山原のムラ・シマ講座」で訪れた宜野座と漢那、その後に一人でカツ丼を食べに行った辺土名の写真をPhoto Albumにしました。こちら

↓は、宜野座のノロドゥンチの裏手にある祠に奉られていたミルクのお面。端正なお顔立ちのミルク様です。

宜野座のミルクのお面
 今日、参議院選の公示がされた。不在者投票をするため、住民票のある高岡の選挙管理事務局のサイトから宣誓書(兼請求書)をプリントアウト。必要事項を記載して、明日にでも郵便で送る。

7月3日(水)

 今日は、九州から北陸にかけての西日本で激しい雨が降ったようだ。那覇は相変わらず晴天で、最高気温は32℃。個人的には最高気温よりも、最低気温28℃にビビっている。こんな日がもう少し続く予報だ。
新しいトップ画面
←ちょっと放置していたトップ画面ですが、今日模様替えをしました。今回は奄美大島の舟漕ぎです。
 島最大のお祭り、奄美まつりのハイライトが舟漕ぎ競漕。この時期、島のアチコチの海岸では熱心に練習している風景が見られます。
 写真は、夕暮れの朝仁海岸での舟漕ぎの練習。
前回のトップ画面
 6月12日に行われた奥武島の海神祭の様子をPhoto Albumにしました。観音堂での神事から、流れ船(三番バーリー)まではこちら。クンケーラーシー(転覆競漕)やアヒル獲り競漕はこちら
奥武島の海神祭01
↑奥武島のハーリーならではの、橋から漕ぎ手が川に飛び込む流れ船。↓イリ(西)とアガリ(東)に分かれて競う本バーリーでは、勝負ごとに勝った方が舟を担いで気勢を上げ、ガーエーを行う。
奥武島の海神祭02

6月へ