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○6月3日(月) 県立図書館本の返却期限
○6月 渡名喜島 シマノーシ/旧4月25日〜5月1日 旅神の祭祀(論文) 記事
○6月12日(水) 糸満ハーレー行事、伊江島海神祭、奥武島海神祭、粟国海神祭、港川ハーレー
○6月15日(土) 山原のムラ・シマ講座
○6月16日(日) 県立図書館本の返却期限
○6月16日(日) 平安座、嘉手納、当添、喜屋武ハーリー。問い合わせ先リスト
○6月19日(水) 国立劇場おきなわ 「イザイホウ」無料上映会予定 午後2時〜
○6月21日(金) エレベーター 部品交換
○6月21日(金) 中村梧郎 講演会「放射能そしてダイオキシン」/パレット市民劇場 18時30分開場、19時開演 入場料999円
○6月23日(日) 祈りの摩文仁 平和の灯火と平和の光の柱 沖縄全戦没者追悼式
○6月23日(日) 北谷ニライハーリー大会
○6月29日(土) 栄町市場屋台祭り 午後5時
○6月30日(日) 県立図書館本の返却期限
○7月13日(土) 山原のムラ・シマ講座
○7月13日(土)、14日(日) 糸満ふるさと祭り・エイサーinいとまん
○7月14日(日) 県立図書館本の返却期限
○7月14日(日) ピンクドット沖縄
○7月14日(日) 2000円札応援祭り/パレットくもじ前広場
○7月15日(日) 平敷屋ハーリー大会
○7月20日(土)〜21日(日) 浦添てだこまつり
○7月28日(日) 豊見城ハーリー大会 
○7月20日(土)〜9月1日(日) 南部の海へ1日5往復無料バス 
○7月31日(水)〜8月2日(金) 粟国村・ヤガン折目(うゆみ)
○8月3日(土)、4日(日) 与那原大綱曳
○8月4日(日) 一万人のエイサー踊り隊/那覇国際通り
○8月4日(日) 名護市長杯争奪全島職域ハーリー大会
○8月11日(日) 夏の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○8月13日(火) 安田のシヌグ
○8月19日〜21日(水) 石垣島アンガマ
○8月20日(火) 波照間島のムシャーマ/波照間島公民館前
○8月23日(金) 与論島/シニグ(旧7月17日)
○8月25日(日) 塩屋湾のウンガミ(海神祭)
○8月26日(月) 塩屋区豊年踊り
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月11日(水)〜15日(日) 名護市屋部の八月踊り
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引
○9月19日(木) 世名城のウスデーク
○9月19日(木) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事)
○9月20日(金) 座間味島 海御願(うみうがん)
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月21日(土) 山原のムラ・シマ講座
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 山原のムラ・シマ講座
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土) 山原のムラ・シマ講座
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○12月1日(日) NAHAマラソン
○12月21日(土) 山原のムラ・シマ講座

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島祖納・干立豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島の豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2旧暦の8〜9月の3日間
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

6月30日(日)

 このところ那覇は、真夏日と熱帯夜が続いている。エアコンはあるが、節電・節約のため扇風機を回して何とか凌いでいる。
 今日は、県立図書館で借りていた本の返却日。3冊借りた内、2冊は読み終えたが1冊は読み切れていない。日曜日は夕方5時までなので昼ご飯を食べてから図書館へ行き、クーラーの効いた中で読み切れなかった本を広げる。涼しい。楽園だ。
 日曜日と言う事もあって、読書スペースはほぼ満席。本を机の前に置いてうつぶせで寝ている人もちらほら。冷房の効いた快適空間で活字を追っていると、確かにウツラウツラとしてくる。
 結局本は読み切れなかった。2冊を返却し、1冊は延長、そして新たに5冊を借りて来た。
今日借りて来た本
那覇の夕暮れ

↑今日借りて来た本。左は「ARCHIPELAGO/NAOKI ISHIKAWA」(集英社)、「VERNACULAR/NAOKI ISHIKAWA」(赤々舎)。右は「時の島々/東松照明+今福龍太」(岩波書店)、「朱もどろの華 沖縄日記/東松照明」(三省堂)、「南からの風 1/橋口譲二」(扶桑社)。
*返却日は7月14日。

←今日の那覇の夕暮れ。

 6月11日、奥武島の海神祭前日に行われた拝所廻りの様子をPhoto Albumにしました。こちら

↓龍宮神の近くからニライカナイへ御願する神人、公民館の館長さん、明日のハーリーで競うイリとアガリの代表。

奥武島 海神祭の前日

6月29日(土)

 午前中は、渡名喜島のシマノーシの写真と一緒に送る簡単なお礼状書きと、追加のプリント。結局プリントはA4用紙で26枚になった。
 土曜の午後でも窓口が開いている近くの郵便局をネットで調べると新都心にあったので、新都心の郵便局からレターパックで写真を送る。ついでにコンビニで電気料金の支払い、スーパーで食料品の買い出し。一旦部屋に戻ってから不動産屋さんで来月分の家賃の支払いをして、栄町市場へ。栄町市場では毎年6月〜10月の最終土曜日に屋台祭りが開催される。今日は今年最初のお祭りだ。昨年は台風が重なって何回か中止になった。
 午後5時 ごろからスタートとあったので、5時少し前に市場に行くとパイプ椅子が並べられてリハーサルの最中だった。しばらく市場を歩き、150円の缶ビール、2個100円のジューシーおにぎり、2個100円のアオサ入り天ぷらを購入。食べながら、飲みながら始まりを待った。
栄町市場屋台祭り
 午後5時半頃から始まり、プログラムと少し順番が異なり1.栄町市場婦人部女子会の踊り「かぎやで風」 2.新城カメーと童ばぁたー 3.三線弾き語り・伊禮俊一 4.栄町市場シンガーズ 5.キーボード演奏 仲田さん 6.梅田 潤・ホールズ 7.島唄 永楽 8.おばぁラッパーズ 9.マルチーズロック 10.カチャーシー
 お祭りは30分ほど押して、9時半に終了した。
マルチーズロックwithおばあラッパーズ

↑マルチーズロックwithおばぁラッパーズ。マルチーズロックの「ダウンタンパレード」(You Tubeから)、良いですね。行進したくなる。
 
 家に帰り、撮影した写真データを外付けハードディスクにバックアップ。早速少し現像していたらお腹が空いたので、夜中の12時を過ぎていたが夜食に金ちゃんヌードル。

*栄町市場屋台祭りの写真をPhoto Albumにしました。女子部の「かぎやで風」から島唄 永楽まではこちら。おばぁラッパーズからカチャーシーまではこちら。(7月15日に更新)。

6月27日(木)

 昨日、原発を持たない沖縄電力を除く電力9社の株主総会が行われたが、その内8社に出された「脱原発」の株主提案は全て否決された。
 ところで東京電力と株と言えば、福島第一の事故直後に大きな波紋を呼んだ、NHKが徴収した受信料で電力会社の社債を購入していた件は、その後どうなったんだろうか。
 受信料で運営する事によりスポンサー(民間企業)や政府から独立して、公共性の高い放送をするのが公共放送であるNHKの役割だったはずで、それが受信料で電力会社の社債を買っていて公正な原発報道が出来るのだろうか。
 こちらの記事に「視聴者の皆さまからご負担いただいている受信料を、少しでも有効に活用するため資金の運用を行っています」とあるが、民間企業でもないNHKが資産の運用をする意味がわからない。また受信料を有効に活用するため運用していた、というならその実績を具体的にわかり易く視聴者に提示するべきだろう。

 先日、「原発事故で死者なし」と言う発言で批判が噴出した高市早苗政調会長だが、この発言の前に「原発は廃炉まで考えると莫大なお金がかかるが、稼働中のコストは比較的安い」と述べている。「原発事故で死者なし」は問題外だが、「廃炉は莫大なお金がかかるから、最大限の安全を確保しながら(原発)を活用するしかないのが現状だ」と言うのも問題の先送りではないのか。原発がいつまでも稼働できるわけでもなく、必ず廃炉にしなくてはならない。またコストがかかるのは廃炉だけではなく、使用済み核燃料の最終処分の費用もある。そもそも最終処分の方法や場所するはっきり決まっていない。問題を先送りすれば、後で支払うツケは大きくなるような気がするのだけれど。
 最大限の安全を確保しながらと言うが、未だに高い放射線量にある福島第一原発の中心部は立ち入りが困難で、津波より先に地震で相当のダメージを受けたのか、その事故原因すら確定できていないのではなかったか。
 以前にも書いたが、 安倍政権は原発ゼロを見直して安全が確認できたものから再稼働して行くと言う。 しかし第一次安倍内閣の時に共産党の吉井英勝議員が質問主意書で巨大地震に伴う安全機能の喪失を指摘した際、安倍首相は安全の確保に万全を期しているという答弁書を出している。そしてその後、他に類を見ない原発事故が起こった。
 ところで1990年、まだバブル華やかな頃に彼女にインタヴューした事がある。当時は、亜細亜大学・日本経済短期大学専任教員をしながら『アズ・ア・タックスペイヤー』(祥伝社)など政治についての本を執筆されていた。
 以下に少し記事を抜き出してみる。

 日本を評して”経済一流、国民生活二流、政治は三流”という言葉がある。これはその政治意識の国民ということに繋がる。
「一つには政治に期待しないのよね、私達。どうせ日本は政治三流だから、あのオヤジ達に勝手にやらせときゃイイヤって。
 でも、私達、あのオヤジ達にムチャクチャ税金を払ってて、それを無駄に使われてるわけじゃない。
 アメリカは経済がいい状態の時に社会資本を整備したから道路は広いし、家も広いし、高速道路はタダ。福祉施設や育児施設もいっぱいある。そういうところに日本も今からお金を使ってくれないと、年をとったら安楽に暮らせないじゃない。
 日本の経済力なんて、ある程度土地の値段でしょ。アメリカの研究所が今、日本の繁栄はあと何年続くかレポートを出して来てる。一番早いのは1991年。それは極端にしても2010年というレポートがいくつも出てる。そんなのあと20年じゃない。その間に日本の社会資本が整備されるかっていうと・・・・・・まアできないわよね。今のお金の使い方じゃ。だから、その辺のことを私達がそろそろ考えていかないと」
 しかし、29歳・・・あるいは20代、30代の人間が政治意識を変えたからといって、簡単に政治が変わるとは思えないのだが?
「変わると思う。だって私達の世代で政治家を創って出して行けば、確実に20年後にはその人達が力を持っているんだから」
 気負いもなく、おだやかな京都訛りで鋭い政治改革を口にする。表情豊かに嘆いたり、笑ったりしながら話す彼女に”政治を語るウサンクササ”は無く、身近ささえ感じさせる。

アレック

→撮影は、永田町のキャピトル東急。来日ミュージシャンの撮影でも、このホテルはよくお世話になった。

←↓掲載誌は、文系ビジネスマンが楽しむハイテク生活の本「アレック」だった。

高市早苗政調会長
アレック記事
 このインタヴューから23年が経っている。その間に彼女は政治を評論する立場から、政治家になり国を動かす立場になった。一人の納税者(タックスペイヤー)から、税金を活用する立場になった。さて、政治はどれだけ変わっただろうか。
 今日、使用済み核燃料を再処理して作られたMOX燃料が、フランスから福井の高浜原発に到着した。
プレゼント用プリントのデータ

 昨日、今日と部屋に籠って撮影データの作成。ようやく渡名喜島の祭祀・シマノーシの写真が出来た。
 撮影させていただいたお礼に、ガンジュナ(神女)の方にプリントをお送りしようと、今朝からA4用紙25枚のプリントを作成した。

 シマノーシの最終日、ノーイガミ(神送り)の日の様子をPhoto Albumにしました。神送りの儀式はこちら。渡名喜島から泊港の様子はこちら

神送りの日。里殿での御願
↑神送りの日の早朝。里殿の祠で御願をするガンジュナ。↓渡名喜島からの帰り、フェリー・ニューくめしまから本島を撮影。爆発したような雲。
渡名喜島からの帰り。フェリーから本島を撮影

6月25日(火)

 今日、東村・高江のヘリパッド建設に関して、国が住民を被告に通行妨害禁止を求めていた訴訟で、福岡高等裁判所那覇支部は住民1名の控訴を棄却して住民敗訴の判決を言い渡した。
 詳しくはやんばる東村 高江の現状で。この件に対する沖縄タイムスの記事と、琉球新報の記事
 琉球朝日放送が昨年12月1日に、東村・高江の住民を追ったドキュメンタリー番組「標的の村~国に訴えられた東村高江の住民たち~」を放送したが、91分に拡大した映画版が、8月10日から東京都中野区の映画館「ポレポレ東中野」で上映される。大阪、京都、兵庫、沖縄などの各府県でも順次公開予定となっている。詳細はこちら

 昨日歯医者に行き、上の歯の歯石を取ってもらい、欠けた前歯の先っちょにプラスチックを着けてもらった。これで当初の目的は完了したが、歯石を取ってもらっている間に小さな虫歯が見つかった。また歯の下の部分が細くなっているようでプラスチックで補強するらしい。そんなわけで、もう少し通わなくてはならない。
 昔は歯医者さんとは殆ど無縁だったが、40歳を過ぎて歯の治療に行く事も増えた。銀歯を入れた事もあるので、自分の歯は何本あるんだろう。せっかくなので先生に聞いてみたら、1本抜けているが銀歯を入れているところも土台はご自分の歯ですと言われる。8020は大丈夫なようだ。

 渡名喜島の祭祀・シマノーシのウェーグゥニ殿の日の様子をPhoto Albumにしました。ヌルヤーでのウシャギムンの拝、ウェーグゥニ殿での神事はこちら。メーンジャクでの儀式、ヘーバラガニクでのユレーヌバル、島の風景はこちら

ヌルヤーの神ブン
↑午前中にヌルヤーで行われたウシャギムンの拝。写真はウシャギムン(献上品)の果物を供えられた神ブン。↓ヘーバラガニクでのユレーヌバルが終わり、ヌルヤーに戻るガンジュナ。
ヘーバラガニクからヌルヤーに戻るガンジュナ

6月23日(日)

 今日、沖縄は慰霊の日
 1945年6月23日に第32軍司令官・牛島満大将はじめ司令部が自決を行い、これにより沖縄戦においての組織的戦闘が終結したとされ、この日を沖縄では慰霊の日と定めている。
  各地で慰霊式や追悼式があるようだが、オーソドックスに糸満の摩文仁にある平和祈念公園で開催される沖縄全戦没者追悼式に出席する事にした。式典への参加者のために、県庁から会場までシャトルバスを運行してくれるのがありがたい。
 式典自体は午前11時50分からだが、慰霊の日の様々な表情をスナップしようと思い、家を8時頃に出て、8時30分過ぎに県庁を出発するバスに乗り込んだ。バスは国道7号を走り、国道331号とぶつかったところで左折して40分ほどで会場に着いた。このルートは昨年、沖縄に引っ越して間もない7月11日に自転車で2時かけて走ったコースだった。
 とりあえず公園のベンチに座って、朝早くに起きて作ったおにぎり、ウインナー、卵焼きの弁当を少し食べる。お腹が落ち着いたところで戦没者の名前が刻まれた平和の礎(いしじ)を見てから、今日は無料で開放されている平和祈念資料館へ。常設展の中を見て歩いたが、戦争で亡くなった方の遺体が散乱した写真やパネルが多数展示されている。死体・遺体の写真を極力見せない社会のこの国で、それでも展示しなくてはならないほど沖縄戦が壮絶なものだったという事だと思う。
 常設展はいくつかのブースに区切られているが、戦後の沖縄の暮らしを再現したコーナーがあり、そこにワタブーショウのポスターが張ってあった。張ってあった場所は、アーニー・パイル国際劇場。このポスターが当時の物なのか、復刻した物かはわからないが、僕が思っている以上に照屋林助さんのワタブーショウは人気だったのかもしれない。少し離れた場所に、カンカラ三線も展示してあった。 
平和祈念資料館ワタブーショー
平和祈念資料館アーニーパイル国際劇場
↑戦後の沖縄を再現したブースのアーニーパイル国際劇場。出し物は”照屋林助ワタブーの実演、ワタブーショウ”とある。短いですがYou Tubeから「なるびち節」。
 ちなみにアーニー・パイルは、沖縄の地上戦でなくなったアメリカの従軍記者。現在のてんぷす那覇の付近にアーニーパイル国際劇場という映画館があったらしい。当時は何もなかったこの通りに劇場が出来た事で、現在の国際通りという名前が付いたようだ。
  資料館を出て、また平和の礎に行き写真を撮っていると、近くで小さな人混みが出来ていた。ジョン・ルース米駐日大使と随行した関係者だった。
ルース駐日大使

←追悼式の前に、平和の礎を訪れたルース米駐日大使。後ろの大きな建物が平和祈念資料館。

↓平和の広場と、広場中央にある「平和の火」。沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島の火、広島の「平和の灯」、長崎の「誓いの火」が合火されている。
  戦時下、広場から見下ろす海は遺体で埋め尽くされたと聞いた。

平和の広場
2013年追加刻銘

←新しく設置された2013年追加刻銘(右)。62人が追加された

○平成25年沖縄全戦没者追悼式次第から。
1.開会の辞 沖縄県副知事 2.式辞 沖縄県議会議長 3.黙とう 4.追悼の言葉 5.献花 6.平和宣言 沖縄県知事 7.「平和の詩」朗読 8.来賓あいさつ 内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長 9.閉会の辞 沖縄県副知事

追悼式の様子
 式典は式次第の通りに進んだ。最後に一般の焼香があり、しばらく焼香の様子を撮影した後に、自分も列に並んで焼香をした。式場の外では沖縄タイムス琉球新報がそれぞれ号外を配っていた。 
 公園の坂を上った丘のような場所に霊域というゾーンがあり、国立沖縄戦没者墓苑や各都道府県の慰霊塔が建っている。しばらく歩いていると富山県の立山の塔があった。塔の前に男性が一人座っている。お話しを聞くと富山の遺族会の方だそうで、わざわざ追悼式に出席するためにいらしたそうだ。この立山の塔には沖縄戦戦没者876柱、南方諸地域戦没者13,996柱が合祀されている。
国立沖縄戦没者墓苑にて。→平和祈念公園の霊域ゾーンにある立山の塔
立山の塔
国立沖縄戦没者墓苑にて

 平和祈念公園の後に、ひめゆりの塔にも行ってみようかと思っていたけれど、歩きっ放し立ちっ放しで少し疲れたので14時半過ぎのシャトルバスで県庁へ戻る。
 県庁から、自転車を停めて置いたモノレールの県庁前駅へ。歩行者天国になっている国際通りを自転車で走る。梅雨明けの日曜日なので、観光客でごった返しているかと思ったが、そうでもなかった。
 かつてアーニーパイル国際劇場が建っていた場所に近いてんぷす那覇の前で、琉球QT-BLUEというダンスユニットがパフォーマンスをしていた。しばらく彼女達のライヴを見てから、家に帰った。

琉球QT-BLUE
 ネットを見ているとスーパームーンが騒がれていたので、22時過ぎにベランダから撮ってみた。一昨年の3月にもスーパームーンが騒がれたが、この時は金作原原生林へオオトラツグミのさえずり調査に行く早朝に見たんだった。
スーパームーン

 夜、テレビで都議選の選挙速報を見る。自民、公明は全員当選。民主は共産にも抜かれ第1党から第4党に転落した。選挙結果もさることながら、投票率が前回の都議選から10.99ポイント下がる43.50%と言う数字が気になる。

*慰霊の日の様子をPhoto Albumにしました。平和の礎、平和祈念資料館、追悼式の写真はこちら。一般の焼香、国立沖縄戦没者墓苑、国際通りのパフォーマンス、スーパームーンはこちら。(7月9日に更新)。

6 月20日(木)

 日中、沖縄本島の横を台風4号が通過して行ったはずだが、那覇の街は「台風、どこ?」と言う感じ。空、海の便に一部欠航が出たり、石垣島では豪雨による被害も出たようだが、那覇は夕方に一時雨が降ったが、割りと穏やかで過ごし易い天気だった。
診察券
 先週の月曜日だったか、キャンディーの小袋を歯で齧って開けようとしたところ、下の前歯の先っちょが少し欠けた。奥武島の海神祭やムラ・シマ講座もあり、痛くないので放っておいたが、歯石を除去したいのもあって歯医者に行って来た。
 一昨日ネットの口コミ情報で探し、今日の午後3時半からの予約。1時間ほどかけて下の歯の歯石を取ってもらう。
 渡名喜島の祭祀・シマノーシのニシバラ殿の日(6月7日)の様子を、Photo Albumにしました。泊港〜渡名喜島、ニシバラ殿、メーンジャクでの神事はこちら。東海岸の風景、ヘーバラガニクでのユレーヌバル、ハーリーの練習、西海岸の風景はこちら
ニシバラ殿での神事
↑シマノーシのニシバラ殿での神事。↓渡名喜島の東海岸の風景。
渡名喜島の風景

6月19日(水)

 昨日、台風4号が発生した。梅雨が明けて、沖縄は台風の季節。昨年はやけに多かったが、今年はお手柔らかにお願いします。
国立劇場おきなわ

 午後から国立劇場おきなわの小劇場で、ドキュメンタリー映画「イザイホウ」の無料上映会。
 13時半に開場、14時に開演なので12時半過ぎに家を出て、最寄りのバス停から勢理客(じっちゃく)まで。勢理客から10分ほど歩いて13時少し前に劇場に着いた。

←国立劇場おきなわ。何度も来ているが、中に入ったのは今日が初めて。

 今日の催し物の正式なタイトルは、第32回公演記録鑑賞会で、映画「イザイホウ」上映の前に第7回民俗芸能公演南城市の民俗芸能」(2007年)」)を鑑賞する。こちらは、先日海神祭を見に行ったばかりの奥武島の「ウスデーク」に始まり、津波古の狂言「天人」、稲嶺の「獅子舞」、古堅の「ミーミンメー」という4つの演目が上映された。
 古堅のミーミンメーは、首里赤田のみるくウンケーを真似たものが伝承されているそうだが、旧暦の4月1日に行われる道ズネーを見てみたいな〜と思う。ミルクはお面ではなく、首里赤田と同じくすっぽりと被るタイプです。
 南城市の民俗芸能の後、10分休憩時間があり、楽しみにしていた映画「イザイホウ」の上映。1966年に行われた祭祀を撮影したドキュメンタリーだが、僅か49分の中に祭祀だけではなく久高島の暮らしや風景も挟み込まれ、上手く纏められていた。イザイホウは12年毎の丑年に行われるが、1978年を最後に行われていない。
 尚、この映画「イザイホウ」のDVDが、制作した海燕社から発売されています。
 また、今年3月に国立劇場おきなわで坂東玉三郎さん主演で行われた新作組踊「聞得大君誕生」が、6月21日(金)の12時〜にっぽんの芸能「坂東玉三郎・琉球舞踊に挑む」と題してNHKで放送されます。
ベランダからの虹
 劇場を出ると曇り空で、ポツポツと小さな雨が降ったり止んだり。勢理客のバス停に行くと、直ぐに那覇行きのバスが来た。
 家に帰りパソコンに向かって作業。ふと外を見ると虹がかかっていた。何枚か写真を撮ると、虹はゆっくりと消えて行き、消えた直後に激しい雨が降って来た。台風4号の影響か、その後も日差しが出たり土砂降りになったりと忙しない空模様。
 夜中になって、木々を揺らし空気を震わす強風が吹き始めた。

6月17日(月)

 今日は写真を撮るつもりはなかったんだけれど、外を見ながら夕ご飯を食べていると、いかした雲が浮かんでいた。
 You Tubeから「雲のゆくえに/吉田美奈子」。
いかした雲

6月16日(日)

 借りていた本の返却日なので、午後から県立図書館へ。読み終えた2冊を返却し、読み切れなかった1冊を延長してもらい、新たに2冊借りて来た。そのうちの1冊は橋口譲二さんの「南からの風」で、昔自分で買って実家の本棚にあるが久しぶりに見たくて借りて来た。考えてみれば、この写真集が一番最初に見た沖縄の写真集かもしれない。本来は2冊1組の写真集だが、1冊だけ図書館の棚に並んでいた。 
 図書館からパレットくもじの6階にある市民ギャラリーへ行く途中、神里原社交街の横を通った。道路側に中途半端に残っていた2階建ての店舗が跡形もなく解体されて、資材や重機が置かれていた。
 市民ギャラリーで、第49回ニッコールクラブ沖縄支部の写真展と、中村梧郎さんの米軍と枯れ葉剤をテーマにした写真展を見る。6月21日(金)には、パレット市民劇場で「放射能そしてダイオキシン」と題した中村梧郎さんの講演会が行われるそうだ。開場18時30分、開演19時。入場料999円。
 市民ギャラリーを出て、昨日今日と2日間父の日お魚フェアなるイヴェントをやっている泊漁港のいゆまちへ。イヴェントを見る元気はなかったので、1枚100円のマグロステーキを2枚、1つ50円のマグロ入りかき揚げを2つ、1つ60円のイカ天ぷらを買って帰る。
神里原社交街
今日借りて来た本
←「真南風 マフェー/太田ちづる」(クレオ)、「南からの風/橋口譲二」(扶桑社)。↓1枚100円のマグロステーキ他。
マグロステーキ他
 那覇の部屋に引っ越して来て一年が過ぎた。昨年の6月15日、名瀬港からクイーンコーラル8に乗船して那覇港に着いた。名瀬を出て約13時間後に那覇に着いて、その日はカプセルホテルに泊まった。そして翌16日に不動産屋さんから鍵をもらい、同じフェリーで名瀬から那覇に来た荷物を部屋に運んでセッティング。夜になっても国道58号を走る車の騒音と、エレベーターの音(当時は近くで工事をしている音だと思っていた)で寝付けなかった。

6月15日(土)

 今日は今帰仁村歴史文化センターで、「山原のムラ・シマ講座」の2回目が行われる。
 名護西線の始発で名護バスターミナルへ。8時前にターミナルに着いたが、次の今帰仁行きのバスは8時20分。今帰仁城跡入口に着いたのが、時刻表より少し遅れて9時5分くらい。歴史文化センターまで1キロほどの上り坂を、汗をかきながら歩く。
 9時20分頃に着いて講堂に行くと、館長さんが今日観察する国頭村宜野座村の宜野座と漢那について説明されている最中だった。
 歴史文化センターを出て館長さんが自ら運転するバスで、宜野座に向かう。宜野座は金武町の少し北に位置する。沖縄の東海岸にあり、辺野古と金武の間だ。
 1時間ほどで宜野座に到着し、最初にノロドゥンチを見学。ノロドゥンチの後ろにトートーメー(位牌)が奉られた祠があり、ここが元々ノロドゥンチのあった場所だそうだ。トートーメーの横には獅子とミルクの面も奉られていた。すいぶんと整った顔立ちのミルク様だった。
 バスで移動して漢那へ。ここには「ヨリアゲ森」という名の御嶽が2つあるそうで、一つは現在の公民館の横にあるお宮。もう一つは集落の後方にあるダキヤマ(嶽山)と呼ばれる御嶽で、ここも「ヨリアゲ森」。また、ダキヤマはウェーヌアタイ(上方の中心?)とも呼ばれ、漢那の集落が現在の低地に移動する前に使われていた土地のようです。
宜野座のノロドゥンチ
ご神体
庭に奉られているイベ
↑宜野座のノロドゥンチ
↑ノロドゥンチに奉られたイベ
↑庭に奉られているイベ
トートーメー
獅子とミルク
宜野座の神アサギ
↑ノロドゥンチの後ろにトートーメー。嘗てはこの場所にノロドゥンチがあった。
↑トートーメーの横に、獅子とミルクが奉られている。
↑正面が宜野座の神アサギ。
漢那のお宮(ウタキ)
イビ神
ダキヤマ(嶽山)での説明
↑漢那のお宮(ウタキ)。
↑お宮の裏にあるイビ神(イベ)。
↑ダキヤマ(嶽山)にて。
漢那の神アサギ
ノロドゥンチ
ヌルガー
↑漢那の神アサギ。
↑漢那のノロドゥンチ。
↑ヌルガー
タマチブ(玉壺)
ウェーヌアタイ
風葬墓
↑タマチブ(玉壺)。ヌルガーの側にあり、ノロが髪を洗うための泥をこねた石。
↑ウェーヌアタイ(上方の中心?)。
↑ダキヤマにある風葬墓。
 御嶽(ウタキ)とイビについて、山原のムラ・シマ講座の過去の記事に分かり易く書かれた文章がある。要約すると、
 血族単位で集落が出来ると居住地の近くの高い所に御嶽を作る。御嶽は聖地である山全体をさす。イビ(イベ)はその中にある最も聖なる場所。
 また、 イビとは女性の陰部から来ている語との考えがあるそうだ。かつて(今でも場所によっては)御嶽は男子禁制の場所だったというのは、そうした事からだろうか。また、亀甲墓が女性の子宮を型どり、死んだら再び生まれたところへ帰って行くという感覚と同じ、とも記されている。これらは奄美、沖縄に伝えられるおなり神信仰との関係もあるのだろうか。
*おなり神については、こちらこちらが詳しい。奄美の島唄を代表する一曲「よいすら節」はおなり(うなり)神信仰に基づくもので歌詞は、船ぬ高艫に 居ちゅる 白鳥(しるどぅり)ぐゎ 白鳥やあらぬ 姉妹神(うなりがみ) 加那志(がなし)<標準語:船の高い舳先に 白い鳥が居る 白い鳥ではない 姉妹神様だ>。
 You Tubeから「よいすら節/朝崎 郁恵」。
波止場食堂
 漢那集落の観察が終わり、バスで歴史文化センターへ戻る途中、名護バスターミナルの横を通るので降ろしてもらう。一日乗り放題のチケットを買ったので、少しターミナルで待って辺土名行きの路線バスに乗車。
 辺土名に着いて、港近くの波止場食堂へ。600円のカツ丼を注文。しばらく待っておばさんが持って来たカツ丼を見て、やはり吹き出しそうになる。
カツ丼

 大きい丼の中に、ご飯がぎっしり詰め込まれ、その上にトンカツ2枚半と野菜を甘辛く炒めて卵でとじた具が乗っている。力仕事の漁師達にたくさん食べてもらうためにこうなったとネットの記事で読んだが、それにしても・・・。
 とりあえず持ち帰り用のプラ容器にトンカツの上の部分を避難。そうしないとご飯が出て来ない。今日は2/3位は食べようと思っていたが、結局半分以上をプラ容器に詰めた。
 このカツ丼の凄いのは、量もさることながら妙に美味しいこと。慣れ親しんだカツ丼の味ではないが、これはこれでありだと思う。トンカツが作り置きでなく揚げたてだからだろうか。
 クーラーはなくドアと窓を全開にした店内で、なかなか減らないカツ丼と格闘。食べ終わり(詰め終わり?)、空いた食器を厨房へ持って行く。暑い日にトンカツを揚げるのは大変でしょう、と声をかけると笑っていた。それにしてもおばさんは、一日何枚のトンカツを揚げるのだろうか。
 南の島の北の果ての小さな食堂で、毎日もくもくとこんな凄いカツ丼を作っているおばさんがいる。思い出す度に勇気がでそうだ。
 16時30分辺土名BTを出る辺土名線で名護BTへ。乗り継ぎが上手く行き、名護BTを17時30に出る名護西線に乗れた。それでも嘉手納、北谷辺りの58号線は少し渋滞もしていて時刻表よりも遅れて到着。今日一日で10時間近くバスに揺られていたかもしれない。
 今日の講座の様子が、こちらに少し載っています。

*「山原のムラ・シマ講座」で訪れた宜野座と漢那、その後に一人でカツ丼を食べに行った辺土名の写真をPhoto Albumにしました。こちら。(7月4日に更新)。

6月14日(金)

 糸満では「ハーレーの鉦が鳴ると梅雨が明ける」と言われているそうですが、沖縄気象台が今日の午前、沖縄地方が梅雨明したとみられると発表。
 今年の梅雨は雨の日が少なかったように思うけれど、一度降ると激しかったからか、那覇の降水量は平年の約1.8倍だそうです。

↓は、今日の朝焼け。溜まりに溜まった撮影データを処理しようと早く起きてパソコンに向かっていたら、なにやらベランダの方が輝きだした。奄美に住んでいた時はよく朝焼けを見たが、沖縄に来てからは久しぶりだ。

那覇の朝焼け

6月12日(水)

 今日はユッカヌヒー(旧暦の5月4日)、海神祭の日です。昨日と同じく、那覇バスターミナルを6時42分に出る51番の百名線の始発に乗って奥武入口へ。奥武入口から長い下り坂を歩いて奥武島へ。
祠の前での神事01
祠の前での神事02
↑→祠の前に漕ぎ手が集まり、神事が行われた。
船を海へ運ぶ

  ハーリー競漕は8時30分からだが、その前に観音堂で行われる神事は7時30分から。奥武入口に着いた時点で7時30分は過ぎていて、奥武島集落の中にある観音堂に着いたのが7時45分頃。神事は始まっていた。
 観音堂隣りの祠での祈願が終わり、観音堂の前に並べられていた爬龍船が路地を通って海まで運ばれた。

←観音堂の前から路地を通り、海へと運ばれる船。

 ハーリー競漕の前に神人と区長さん、海頭を乗せたボートと、イリとアガリの漕ぎ手を乗せた爬龍船4隻が奥武島の対岸の岩の近くでお祈りをするミシラギ御願が行われ、引き続き御願バーリーが開始された。
 御願バーリーが終わり本バーリーの最中、神人による拝所での御願も行われていた。
ミシラギ御願
御願バーリー
↑ミシラギ御願。→御願バーリー。
↓→神人による拝所での御願。
神人による拝所での御願02
神人による拝所での御願01
 集落のイリ(西)とアガリ(東)が競う本バーリーは、この御願バーリーに始まり、二番バーリー、流れ船(三番バーリー)、四番バーリー、五番バーリー、クンケーラーシー(転覆競漕)、上がいバーリーの7番勝負。
  流れ船は、橋の上から漕ぎ手が海に飛び込み、近くで待っている船に乗ってスタートする。クンケーラーシーは、途中で一旦船を転覆させ、もう一度戻して競漕する。勝負の度に勝った方は船を持ち上げて相手の陣地に行き、気勢を上げてガーエーを行う。
流れ船01
流れ船02
↑流れ船(三番バーリー)。↓クンケーラーシ(転覆競漕)。
クンケーラーシー
↓勝った方はガーエーで気勢を上げる。
ガーエー
職域バーリーの様子

 御願バーリーが始まったのが8時半頃で、7番目の上がいバーリーが終わったのは10時半頃だった。ちなみに今年は4対3でイリの勝ち。
 プログラムによれば本バーリーの後は一般の職域ハーリー競漕で、最初に男子の予選が14レース行われ、次に男子の準決勝、女子の職域ハーリー、男子の決勝となっていた。

←職域バーリー予選の様子。

  男子の予選の後に、十何年ぶりかでアヒル獲り競漕があるというので撮影。海に飛び込んで泳いで逃げるアヒルを捕まえる競漕で、捕まえたアヒルは持って帰らないといけない。
アヒル獲り競漕
↓橋から見た奥武島(右手)。→漁港にて。
漁港にて
橋から見た奥武島

 アヒル獲り競漕を見終えて、歩いて奥武入口へ。50番のバスで那覇BTへ。琉球バスの営業所で、今週の土曜日に使う1日乗り放題チケット2000円を購入。
 時間が知りたくてポケットから携帯を取り出すと、画面が真っ黒。電池がなくなったのか?この一週間ほど携帯の電池が直ぐに消耗する。メールも通話もしていないのに電池の残量が減っている。
 家に帰る途中にあるドコモショップへ。症状を放すと修理対応は1時間待ち。とりあえず充電させてもらい、一旦部屋に戻って撮影データのバックアップと着替えをする。
  再びドコモショップへ行き、テクノマイスターという肩書きの男性に先ほどの受付担当の女性に話した症状を再び説明。そして画面にいくつか出ているアイコンが原因の可能性はないか聞いてみる。アイコンの中にはGPSのアイコンもあり、話しを聞くと位置情報を発信中のアイコンで、これは電池を使うかもしれないという説明。初期設定では表示されず自分でも覚えがないので、何かの拍子にオンになったのかもしれない。  
  GPSのアイコンを消し電池のチェックをしてもらい、携帯そのものの清掃もしてもらう。電池は3年以上使っているので能力は60%少し越える位に減っているとの事。GPSの発信をやめた事で電池の消耗が普通になるか様子を見る事に。
 ドコモを出ると雨。梅雨なのに久しぶりな雨。バックからヤッケを取り出して、自転車で新都心のスーパーへ。渡名喜島へ行く前に生鮮食品はほぼ使い切っていたので、アレコレとたくさん買って帰る。

*沖縄タイムスの記事、琉球新報の記事

*海神祭の様子をPhoto Albumにしました。観音堂での神事から、流れ船(三番バーリー)まではこちら。クンケーラーシー(転覆競漕)やアヒル獲り競漕はこちら。(7月3日に更新)。

6月11日(火)

 海神祭は明日だが、先日奥武島の公民館に電話したところ、神人による神事は前日である今日の朝から行われると聞いたのでカメラを持って那覇バスターミナルへ。神事は9時に観音堂から始まり、島の拝所をまわるという。
 バスの時刻表を調べると那覇バスターミナルから奥武島まで行ける53番の最初のバスは、那覇BTを9時58分に出て奥武島着が10時42分。これだと間に合わないので50番か51番のバスで奥武入口まで行き、島まで10分ほど歩く事にする。
 那覇BTの乗り場で待っていると6時42分発の51番の始発バスが来たので乗車。奥武入口には7時29分に着く。
もう一つ遅らせて那覇7時45分発、奥武入口8時35分でも間に合いそうだが朝の渋滞があって遅れるかもしれないので余裕をみて始発にした。
奥武島に渡る橋
那覇バスターミナル
 ほぼ時刻表通りに奥武入口に到着。入口と言いながら奥武島まで長い坂道を10分ほど歩く。奥武島に渡る橋の入口には万国旗が飾られ、欄干には海神祭の幟が並んでいる。
 まずは観音堂に行き、横の御嶽へ。ガジュマルの気根が岩に根を絡め、その下に石が並べられている。
観音堂横の御嶽

 朝の木漏れ日の中、やはり美しい御嶽だと思う。御嶽の中をオオゴマダラが一匹ヒラヒラと舞っている。飼育室や観察室以外でオオゴマダラを見たのは初めてだ。 観音堂を出て集落を散策。そしてもう一度観音堂に戻って神事の始まりを待っていたら、先月の泊外人墓地のメモリアルデーでお世話になった新垣さんがカメラを持って登場。自宅から車で10分ほどだそうだ。↓この写真のどこかにオオゴマダラ。

御嶽の中を舞うオオゴマダラ
 観音堂に神人の方が集まり、区長さん、それに明日のハーリーで競うアガリ(東)とイリ(西)の代表者も御堂の中に入り御願が始まった。観音堂から隣りにある祠へ、そして車で龍宮神のある海岸へ移動するという。歩いて龍宮神に行っても間に合わないだろうな~と困っていたら、神人の方が私と新垣さんを乗せて下さった。ありがとうございます。
観音堂と祠での御願
↑観音堂(左)と祠(右)での御願。↓龍宮神近くの海岸でニライカナイへ御願。
海岸でニライカナイへの御願
 海岸でニライカナイに向かって祈願をする。爬龍船競漕(ハーリー)は、航海安全や豊漁を祈願する御願を主旨とした海の神事だ。
 海岸から今度は漁港近くにあるハマヒチぬ主と書かれた拝所で合掌祈願。案内には、海からの恵みに感謝し豊漁航海安全を祈願する拝所であると書かれている。ここでは2カ所の方向に、沖縄独特のヒラウコーが手向けられた。一つは玉城の方向だそうです。この後、少し集落の中に入った拝所で合掌祈願が行われ、観音堂の前にある公民館で休憩。9時から始まった拝所巡りは1時間ほどで終わった。
↓→ハマヒチぬ主と書かれた拝所での御願。
ハマヒチぬ主の碑
ハマヒチぬ主の拝所での御願
ハマヒチぬ主から少し集落に入った拝所

↑ハマヒチぬ主の拝所から少し住宅地の中に入った拝所での御願。昔は、これら拝所を巡っての御願は海神祭の当日の朝に行われていたそうです。

 公民館でお供えに使ったお刺身、焼き魚が振る舞われ、天ぷらをお土産にいただいた。冷たいお茶をご馳走になり、明日のハーリーの事を教わったりした後、公民館を後にした。
 新垣さんの車で南城市の大里庁舎へ。南城市の教育委員会の方を紹介していただき文化財ガイドマップをもらった。 兼城十字路のバス停まで車で送ってもらい、那覇BT行きに乗る。

*奥武島の海神祭前日に行われた拝所廻りの様子をPhoto Albumにしました。こちら。(6月30日に更新)。

みそ汁定食サンマ付き
 バスターミナルの2階にある食堂でみそ汁定食サンマ付550円を注文。普通のみそ汁定食が500円なのでサンマは50円だろうか?ちなみにサンマは副菜で、あくまでもみそ汁がメイン料理です。
  食べ終わり、自転車で家へ。撮影データをバックアップする。外付けの2つのハードディスクに保存しているが、一つは空き容量が1.23GBになってしまった。

6月9日(日)

 早朝4時半前にヌルヤーに行くがガンジュナの方はいらしていないので、家の近所を一周り。45分を過ぎて一人また一人とヌルヤーに到着。
フットライト通り
始まりの太鼓を打つ比嘉春子さん
↑夜明け前、メイン道路であるフットライト通りを歩いてヌルヤーに向かう。
 5時10分過ぎ、ギレーミチャンのお一人である比嘉春子さんがヌルヤー横の三叉路に立って太鼓を打ち、始まりを告げる。これはクビリ殿の殿ニンジュへの合図で、クビリ殿の人もガンジュナの後ろに着いて神送りの儀式に参加する。ちなみにギレーミチャンは今回3人いらしたが、これは神迎えの日にンチャブイ(草の冠)を装着し、遠来神のギレーミチャンが神職者であるガンジュナにより憑き顕現していることを表現しているそうだ。
神道を通り里へ向かうガンジュナ01
神道を通り里へ向かうガンジュナ02
↑→神道を通り、神送りのために里へ向かうガンジュナ。
  5時20分頃にヌルヤーを出発して、神送りの行われる里へ向かう。ガンジュナの後ろを太鼓の合図を聞いたクビリ殿の人が着いて行く。里の上がり口で殿ニンジュからガンジュナに酒杯がさし上げられる。この後ガンジュナはターチイシ(二つ重なった大きな石)まで上がり、クビリ殿の人は里を降りた。
ガンジュナの後に着いて里へ上がるクビリ殿の人達。
ガンジュナに酒杯をさし上げるクビリ殿の殿ニンジュ
→ガンジュナに酒杯をさし上げるクビリ殿の殿ニンジュ。
マーイイビで儀式を行う二名のガンジュナ
↑マーイイビの前で儀式を行う二名のガンジュナ。
↓→里殿の祠で、それぞれに御願をする二名のガンジュナ。
里殿の祠で御願するガンジュナ02
里殿の祠で御願するガンジュナ01
里を下りて行くガンジュナ
←マーイイビ、里殿での儀式を終えて六名揃って里を下りて行く。
↓ターチイシの下に、そっとンチャブイが置かれていた。
ターチイシ
↓→朝日を浴びながらウムイをうたい、手を振りながら何度も神送りする。
神送りの様子02
神送りの様子01
  ターチイシの前で二名が海に向かって立ち、二名がマーイイビ(石)を周り、二名が里殿に上りシマノーシ終了の礼拝をする。里殿の礼拝が済んだ2名のガンジュナがターチイシのところまで降りて来て6名のガンジュナがクバ扇や手ぬぐいを振り上げながら神送りのウムイをうたい、少しずつ里を降りて行く。儀式は厳かだけれども、ウムイをうたいながら手を振ってギレーミチャンを送るガンジュナの顔が晴れやかで和やかだったのが印象深い。
  里を降り集落の入口に来た時に、主婦の方がガンジュナ一人一人に「ご苦労様でした」と声をかけ頭を下げていらした。
ヌルヤーの庭にて
 神道を通りヌルヤーに戻ったのが6時半頃だった。庭で神装束を脱ぎ、平服で神ブンの前で合掌祈願が行われた。この後各自の家で終了祈願を行い、9時過ぎにヌルヤーに戻り最後の合掌祈願が行われるというので、一旦宿へ戻る。
  10時15分の泊港行きの船、ニューくめしまに乗船して那覇に帰るためチェックアウト。大きな荷物を宿の食堂に置かせてもらって、再びヌルヤーへ。
 9時半過ぎに神ブンの前に饅頭が供えられて合掌祈願が行われた。祈願の途中だったが船に乗り遅れるといけないので静かにヌルヤーを出て、ターミナルに向かう。ニューくめしまは10時に入港し、10時15分に渡名喜港を出た。
ヌルヤーでの締めくくりとなる御願
↑シマノーシとしては最後の儀式となるヌルブンヌ拝(フェ)。神ブンの前に紅いお饅頭が供えられる。
 事前の天気予報では渡名喜島に滞在する3日間は曇り時々雨の予報だったが、結局雨は降る事なく快晴だった。一度も使わなかった傘を持って家に帰る。
空と雲

ノーイガミ(神送り)のウムイ

イジュクムトゥワミヤ(イジュクムトゥである神は)
ミユニカミラチ(澪に整えさして)
クニガム(ド)ヌタル(雲が根に△乗った)
カジガニ(ド)ヌタル(風が根に△乗った)
ナハヘーカジニナタル(早や南風になったよ)
イトゥカジニナタル(糸風<おだやかな風>になったよ)
ヒンナトゥイニヌシティ(<ヒンナトゥイ>に乗せて)
ハンナトゥイニヌシティ(<ハンナトゥイ>に乗せて)
ナンジャジュク(シーグ)カキティ(銀の艪を掛けて)
クガニバヤタティティ(黄金柱<帆柱>を立てて)
アカラヤホアホラチ(真赤な弥帆をゆらめかせて)
ミズルヤホムタチ(聖なる弥帆を上げて)
ヒドムイニヌウェーチ(辺戸森に乗り合わせ)
アシムイニアシバチ(安須森に遊びなさって)
ミチュマワイニナリワ(三年廻り<島直し>になったら)
インチキニナリワ(同じ月になったら)
イヌウイニナリワ(同じ頃になったら)
ユシリトゥイアワチ(寄せ手を合わせ)
クンリトゥイアワサヤ(組み手を合わそう)

*「神々の古層 来訪するギレーの神 シマノーシ」から引用しましたが、元々の出典は「渡名喜村史」下巻のようです。
*シマノーシの最終日、ノーイガミ(神送り)の日の様子をPhoto Albumにしました。神送りの儀式はこちら。渡名喜島から泊港の様子はこちら。(6月27日に更新)。

*本日の出費 宿泊費8000円(素泊まり4000円2泊)、フェリーでレモンティーのペットボトル160円。

6月8日(土)

 今日はヌルヤーで朝の9時過ぎからウシャギムンの拝を見せていただく事になっているが、その前に今日の祭場であるウェーグゥニ殿へ行くとテントが張られ準備の真っ最中だった。殿の隣りの家が元家で、昨日作ったと言うミキを味見させてもらった。家の中には殿所属の各家から届けられた魚が置いてある。
ミキ
各家から届けられた魚
テントを設営中のウェーグゥニ殿
↑元家で作られたミキ。
↑各家から届けられた魚。
↑テントを設営中のウェーグゥニ殿。
  ウシャギムンとは献上品の事で、この日神事を行う殿所属の神女の親戚の人がウシャギムンを持参する。これを神ブンと一緒に供え、神女全員で合掌祈願が行われる。 
↓→神ブンの前に献上品をお供えし、ウシャギムンの拝が行われた。
神ブンの前に献上品が供えられる
ウシャギムンの拝
 9時半頃から1時間ほどヌルヤーに伺い、その間に少し合掌祈願を見学。本来ならこの後正午頃に吉元屋(この家に王府からグインバン=御印判をいただいたヌルが出たと言われているそう)を訪問しおたかべするが、今年は忌み中で中止となった。
  お腹が空いたのでフェリーターミナルの食堂へ行くが、メニューは沖縄そばだけだそうで、定食が食べたければ集落の中にあるふくぎ屋さんがいいと薦められる。ふくぎ屋さんで日替わり定食の、ヘチマの味噌炒め650円を注文。副菜にさかな天ぷら2個、ゴーヤの天ぷらが2個付いて来た。
→ンチャブイがヌルヤーの庭のふく木の枝に掛けられていた。
ふく木に掛けられたンチャブイ
ヘチマの味噌炒め定食
 一旦部屋に戻り少し休んでから、今日の祭場であるウェーグゥニ殿へ。この殿に所属する家、殿ニンジュの方々が徐々に集まってテントの下のシートに座っている。13時半少し前に殿頭の男性が、ヌルヤーの門の前で参拝。13時半過ぎにガンジュナがヌルヤーを出て神道を通り、ウェーグゥニ殿へ向かった。
ヌルヤーに行く殿頭と、殿に向かうガンジュナ
↑左は、準備が整いヌルヤーに神事のお願いに向かうウェーグゥニ殿の殿頭。右は、ヌルヤーを出て殿に向かうガンジュナ。
 殿での神事の開始時刻は潮の満ち潮で決まり、今日は昨日より30分ほど遅く始まった。神事そのものは昨日のニシバラ殿と同じ内容で、最後にアーラシートゥイを行い、近くのメーンジャクで接待を受けてヌルヤーに戻る。
  14時50分頃にヌルヤーの神ブンの前で昨日と同様に合掌祈願。その後しばらく休憩して16時15分過ぎにヌルヤーを出て神道を通り、昨日と同様にヘーバラガニクでユレーヌバルが行われた。
 17時頃にヌルヤーに戻り合掌祈願が行われ、この日の神事は終了した。
ウェーグゥニ殿での神事
↑ウェーグゥニ殿での神事の様子と、アーラシートゥイ(下左)、メーンジャクでの儀式(下右)。
↓→昨日と同様、神道を通りヘーバラガニクでユレーヌバルを行う。
ヘーバラガニクでのユレーヌバル
神道を通りヘーバラガニクへ
ヌルヤーでの合掌祈願

←この日最後の、ヌルヤーでの合掌祈願。
↓神衣装は庭に掛けられ、普段着で行われる。

庭に掛けられた神衣装
 明日はいよいよこの神事のクライマックスである神送りが行われる。朝の5時にはヌルヤーを出発するので今日は早めに寝ないといけないが、日が落ちるまで昨日と同様に島の西海岸の端まで行って夕焼けを見ていた。
集落の風景

 水平線の近くに雲があり、太陽が海に沈むのを見ることは出来なかったが綺麗な夕焼けだった。
 宿に戻りシャワーを浴びて、昨日ニシバラ殿でいただいたビールと、今日ウェーグゥニ殿でいただい焼き魚それに、那覇から持って来た魚肉ソーセージとパンで夕食。

↓平べったい島影は、入砂島。無人島だが、米軍の射撃訓練場になっており立ち入り禁止だそうです。

夕暮れの風景

*ウェーグゥニ殿の日の様子をPhoto Albumにしました。ヌルヤーでのウシャギムンの拝、ウェーグゥニ殿での神事はこちら。メーンジャクでの儀式、ヘーバラガニクでのユレーヌバル、島の風景はこちら。(6月25日に更新)。

*本日の出費 日替わり定食650円。

6月7日(金)

 朝7時30分に家を出て、近所のキロ弁でトリ唐弁当を買って、とまりんへ。渡名喜島までの往復チケットを購入。8時30分出航のフェリー琉球で、渡名喜島に向かう。
フェリー琉球

←泊港にて、フェリー琉球。

 渡名喜島で2年に一度行われる祭祀・シマノーシ(島直し)が、始まっている。準備は旧暦の4月15日から行われていて、祭祀の中心となる神迎え、クビリ殿(ドゥン)の日が旧の4月27日、里殿(サトドゥン)の日が翌28日、ニシバラ殿(ドゥン)の日が29日、ウェーグゥニ殿(ドゥン)の日が30日、そして5月1日に神送りであるノーイガミを迎える。

 6月7日の今日は旧暦の4月29日でニシバラ殿で神事が行われる。本当は神迎えから見たかったが、スケジュールと予算の関係で2泊3日の日程を組んだ。

 シマノーシについて、「神々の古層 来訪するギレーの神 シマノーシ/比嘉康雄」(二ライ社)から引用。

 この祭祀は渡名喜島最大のもので、今日まで連綿と続けられてきたという。
 一七一三年に編集された『琉球国由来記』にその概要が記されていることを考えると、すくなくとも一七一三年以前からおこなわれていたことは確かであり、古い伝統を持つ祭祀と言える。この祭祀を祝詞などでミチュマールガナシー とも言うが、これはミチュマール、すなわち3年まわりという意味であると言われ、隔年ごとにおこなわれている。旧暦四月十四日から五月一日にわたっておこなわれる。
 現在の祭祀の内容はヌルら女性神職者が、ギレーミチャンという遠来の神々を迎え、シマの四つの草分け家をまわり、シマ人の健康、豊作、豊漁、海上安全などを願うものである。
 「ノーシ」とは直す、正常にするというほどの意と解せられる。この祭祀をシヌグとも言っている。

 〜略〜
  このシマノーシ祭は、渡名喜島の採取時代から農耕時代までの歴史が表現された、いわば創世神話的な祭祀である。海の彼方から渡名喜島の始原の神ギレーミチャンを、農耕時代の神々(ヌル、ウブチミチャン)が迎え、農耕時代の草分家をまわり、シマを祓い清め、シマに新しい力を充満させ、三年後の再訪を約し、ヌル、ウブチミチャンが再び海の彼方にギレーミチャンを送るという壮大な神々のドラマが展開される、すばらしい祭祀である。

 シマノーシについて更に詳しい論文「旅神の祭祀」がこちらにある。

 渡名喜島のフェリー乗り場から一本道を歩いて3分ほどの民宿へ。宿のご主人が観光パンフレットの地図で、今日の祭場ニシバラ殿や明日の祭場ウェーグゥニ殿、そしてヌルヤー(ノロの家)を教えて下さった。宿のご主人はニシバラ殿に所属するそうで、今日の神事に参加するという。
 1時間ほど部屋で休んでから、集落を散策。ふくぎの並木、砂を敷いた道、赤瓦の屋根。家は台風対策で道路より少し掘り下げて建てられている。

↓→赤瓦とふく木、砂を敷いた道が美しい渡名喜島。
赤瓦とふく木
渡名喜島の家並み
  神女(ガンジュナ)の方々がニシバラ殿にいらっしゃるのが午後1時頃、まだかなり時間があるので集落を外れ山を上ったところにある里殿に行ってみた。
↓里へ上がる坂の途中から見た集落。
 里殿は島随一の信仰地で、14〜15世紀のグスク時代の遺跡だそうです。長い坂道を上がった先にあり、高齢のガンジュナの方には大変だろうと思う。里殿にある祠の一つ、ジョウイカドゥムイ祠を覗くと、昨日の神行事の名残の、青々としたクバの葉が敷き詰められていた。クバの葉の間を何か動くものがあったので遠くから観察していると大きなオカヤドカリだった。
 里を降りてニシバラ殿に近いヌルヤーへ。ガンジュナの方々がヌルヤーを出て、神道を通りニシバラ殿へ向かう後を着いて行く。
里から見た集落
↓→ヌルヤーを出て、神道を通りニシバラ殿に向かうガンジュナ。
神道を歩くガンジュナ
ヌルヤーを出るガンジュナ
 13時頃に殿に到着し、殿の祠に供え物をし祝詞を唱える。殿頭からミキやお酒の接待を受け、その後殿に集まった殿ニンジュの方々と会食。この1時間ほどの神行事の後、アーラシートゥイ (神の舟でを意味したものといわれ、神扇で竹を叩きながらアーラシートゥイ、アーラシートゥイと連呼する)の儀式を行い、近くのメーンジャクで接待を受ける。5分ほどでこの神行事は終わり、また神道を通りヌルヤーへ。
ニシバラ殿での神事
↑ニシバラ殿での神事。↓左は、アーラシートゥイをしながら殿を出るガンジュナ。右は、メーンジャクで殿ニンジュから接待を受けている。
アーラシートゥイとメーンジャクでの接待
 ヌルヤーで休憩されているところへお邪魔して、今日から明後日の神送りまで撮影させていただく許可を貰う。
 今日はこの後16時20分にヌルヤーを出て、ヘーバラガニクと呼ばれる場所(観光パンフレットには、神様の休憩所と書かれている)で、ユレーヌバルという神事が行われる。 2時間ほど時間があるので、島の東側にある、あがり浜を散策。
 16時10分頃にヌルヤーを尋ねて行くと既に準備が出来ていて、太鼓を鳴らし神道を通りヘーバラガニクへ。
 ユレーヌユバルの儀式を 「神々の古層 来訪するギレーの神 シマノーシ」から引用する。

 ギレーミチャンはンチャブイをはずしている。南北側にウコウがつけられ、全員座す。
 1.南面しておたかべ 2.北面しておたかべ 3.南面しておたかべ 4.立って南面して太鼓を打ち、扇で手を打ちながら調子をとり、ユレーヌユバルが歌われる。最後は右手で神衣の袖を握り、ハイハイと囃子を入れて、扇と袖をふりながら舞う。 5.座して南面しておたかべ 6.北面しておたかべ 7.立って南面し4と同じ要領でユレーヌユバルが行われる。終わると南面して座し、合掌礼拝して終わる。おたかべは全員で唱和しているが、ユレーヌユバルはニートゥ(先唱)のヌルが歌い、他の神女はハートゥイ(復唱)するという形式である。
*ユレーヌユバルの意味は不詳であるらしい。今回ギレーミチャンはンチャブイをしたままだった。
ヘーバラガニクでのユレーヌバル
神道を通りヌルヤーへ
↑→ヘーバラガニクでのユレーヌバル。そして神道を通りヌルヤーへ帰る。
 ユレーヌユバルが終わり、神道を通りヌルヤーへ。平服に着替えて神ブンの前に座り、今日の報告だろうか、祈願をしてこの日の神行事を終えた。
↓この日最後のヌルヤーでの御願。→神ブン。
神ブン
ヌルヤーでの御願
 明日の撮影のお願いをしてヌルヤーを出て宿へ帰る。荷物を置いて無料の自転車を借りて渡名喜港へ。もうすぐ行われるハーリー競漕の練習をしている、しばらく練習を眺めてから自転車で西側の海岸を行けるところまで走る。
ハーリーの練習風景
島の西側の海岸にて

↑海神祭に向けてハーリーの練習。

←島の西側の海岸にて。

↓厚い雲に隠れてしまった。

夕暮れ

 日も傾いた19時少し前、宿へと帰る。汗を流しにシャワーを浴びていたら、窓からオレンジに光り輝く夕日が見えた。早めにシャワーを済ませて急いでベランダに出たが、もう雲に隠れてしまった。
 朝キロ弁で買ったトリ唐弁当の残り、昨日スーパーで買っておいたパンで夕ご飯。家から持って来た泡盛を呑んで早めに布団に入る。

*ニシバラ殿の日(6月7日)の様子を、Photo Albumにしました。泊港〜渡名喜島、ニシバラ殿、メーンジャクでの神事はこちら。東海岸の風景、ヘーバラガニクでのユレーヌバル、ハーリーの練習、西海岸の風景はこちら。(6月20日に更新)。

*本日の出費 とり唐弁当500円、那覇ー渡名喜島の往復乗船券4970円。

6月5日(水)

 朝方激しく降っていた雨は徐々に止み、夕方には少し青空も顔を出した。
 午前中に旅の手配と、来週開催される海神祭について公民館に電話をして下調べ。集落行事については公民館が窓口になっている事が多い。沖縄に来るまで公民館に電話する事など先ずなかったので、不思議なものだな〜と思う。
 6月12日は旧暦の5月4日、ユッカヌヒーで沖縄各地で海神祭(ハーリー競漕)が行われる。
今日の那覇の空

 安倍首相は、過酷事故を経て「日本の原発は世界一安全」と海外へトップセールスをしているそうだ。彼の中では福島第一の事故は過去のものなのかもしれないが、実際には廃炉処理どころか汚染水処理すら八方塞がりの状況だ。
  今日、福島第一の地下貯水槽から汚染水を移していた地上の鋼製タンクで水漏れが見つかった。一昨日のニュースでは、東電が海洋放出したいと考えていた地下水から放射性セシウムが検出された。  
  鋼製タンクの方は汚染水を抜き、ひとまず漏れはを止まったようだが、これから先何十年も汚染水を貯め続ける事が可能なのだろうか。今回の漏れは継ぎ目部分からというが、鋼製タンクそのものの耐用年数もあるだろう。27年前に事故を起こしたチェルノブイリ原発は事故直後にコンクリートの巨大な石棺で覆ったが、老朽化で壁に亀裂が見つかり、新たなシェルター建設が始まったそうだ。

 成長戦略の第3弾が発表されたが、その中に「1人あたりの国民総所得(GNI)を10年後に150万円以上増やす」というのがある。これは成長の目標や目安、或は単なる願望であって、けっして戦略とは呼べないだろう。10年後、150万円という数字は何を根拠に、どこから出て来たんだろうか。

ジョニーさん

 昨日、俳優の長門 勇さんが亡くなられた。小さい頃(多分小学生)にテレビで観た「三匹の侍」の長門さんは好きだったな〜。昨日はジョニー吉長さんの一周忌でもありますね。

 夢航海が残り僅かになったので、昨日今帰仁酒造の泡盛・ゆいまーるを買って来た。これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海→ゆいまーる。

ゆいまーる
↑ジョニーさん。ヘッケル田島さんのマキシシングル「すこし眠ろう」のレコーディング時。2009年2月2日に撮影。

6月2日(日)

 梅雨どこ?那覇は今日も快晴の真夏日。まあ、天気予報に寄れば梅雨の中休みも今日までで、明日からは梅雨らしい天気に戻るそう。
借りて来た本

 県立図書館の本の返却期限は明日だけれど、雨の降る中を自転車で返しに行くのも嫌なので、晴れている今日の内に返して来た。 
 読み終えた2冊を返し、読み切れなかった1冊を延長してもらい、新たに2冊借りた。
←新たに借りた2冊。「沖縄・宮古島〜西原〜 光るナナムイの神々/比嘉豊光 1997−2001」、「神々の古層 来訪するギレーの神/比嘉康雄」。

 県立図書館から、歩行者天国になっている国際通り、県庁前を通り若狭方面へ。しょっちゅう前を通るが入った事のなかった福州園へ。福州園は那覇市と中国福州市の友好都市締結10周年と、那覇市制施行70周年の記念事業として1992年に造られた中国式の庭園だそうです。池があり築山があり起伏にとんだ庭園です。入場無料なので、涼みに寄ってもいいですね。   
 家に帰り、昼にスーパーで買った沖縄そばとコロッケで晩ご飯。夜になって、激しい雨が降り出した。久しぶりにビールの缶を開けた。
福州園にて

↑園内を散策していると池の側の東屋から手招きするおじさんがいる。呼ばれるまま東屋に入りおじさんの指差す天井を見ると、見事な装飾が施されていた。少しですが福州園のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

 昨日、6月1日は写真の日だったそうです。毎日のように写真を撮っているのに、昨日は部屋で本を読んでいて一枚も写真を撮らなかった。こんな事もある。

「東松照明と沖縄 太陽へのラブレター」から。
 写真は、選択の連鎖で成り立つメディアアートである。
 カメラとレンズを、感光材料を選ぶ。 
 被写体を選択する。広がる空間の部分を選んで切り取る。日時を定め、光や風を選ぶ。対象との距離を選び、アングルを選ぶ。そしてシャッターチャンスを選ぶ。
 コンタクトプリントから数点選んで引き伸ばし、更にその中から一点を選んで、展示作品ができあがる。
 写真家は、医師のように治療せず、学者のように分析もせず、神父のように支えない。落語家のように笑わせもせず、歌手のように酔わせない。ただひたすら見るだけ。見ることと選ぶことに終始するのが写真家である。(西日本新聞『時を削る』東松照明の60年 2010.7.5より)


「感性のバケモノになりたい/十文字美信」から。
 僕が写真を好きな理由は、一度シャッターを切ったら、二度と同じ写真は撮れないからだ。撮り直しは出来ないのだ。したがって、恥ずかしくても前を向いていくしかない。

「植草甚一主義」から。
 植草さんはコレクターである。何の?と聞かれると困るけれども。植草甚一の人生、人間がコレクションで構築されているのである。植草甚一の目に触れると、ただの石が宝石になってしまうのだ。写真家というものの資質のひとつがコレクターだと、ぼくは思っているのだが、その考えでいけば、植草さんは、もっとも写真家に向いているのではないだろうか。ただ、ありがたいことに、このライバルは、他に多くの楽しみを知っており、写真は軽くやっておられることが幸いであった。けれども、そうはいかなくなってしまったらしい。というのも、昨日、ロボットと称する最新カメラをたずさえてニューヨークへ出かけていったからだ。ああ。  ~「ライバルはニューヨークへ」浅井慎平~

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