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○4月30日(火)〜5月5日(日) 戸澤裕司写真展「カジマヤー(風車祝い)〜島人をめぐる断章〜」/那覇市民ギャラリー第一展示室(パレットくもじ6F)
○5月3日(金)〜5日(日) 那覇ハーリー プログラム/那覇新港埠頭
○5月3日(金)〜5日(日) 奥ヤンバル鯉のぼり祭り/奥ヤンバルの里河川公園
○5月8日(水) 県立図書館本の返却期限
○5月12日(日) 春の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○5月16日(木) 5.15平和行進 全国結団式 15時〜16時30分/那覇市民会館大ホール 
○5月16日(木) シンポジウム「基地で働く 軍作業員の戦後」 18時半〜/タイムスホール
○5月17日(金)〜19日(日) 5.15平和行進
○5月19日(日) 5.15平和とくらしを守る県民大会 14時〜15時30分/宜野湾市海浜公園野外劇場
○5月18日(土) 山原のムラ・シマ講座 9時30分〜13時/今帰仁村歴史文化センター
○5月22日(水) 県立図書館本の返却期限
○5月27日(月) 泊外人墓地 メモリアルデー
○5月27日(月) 水道配管による断水 午前9時〜午後6時
○5月27日(月) 多良間島 スツウプナカ
○6月3日(月) 県立図書館本の返却期限
○6月 渡名喜島 シマノーシ/旧4月25日〜5月1日 記事
○6月12日(水) 糸満ハーレー行事、伊江島海神祭、奥武島海神祭、粟国海神祭、港川ハーレー
○6月15日(土) 山原のムラ・シマ講座
○6月16日(日) 平安座、嘉手納、当添、喜屋武ハーリー。問い合わせ先リスト
○6月19日(水) 国立劇場おきなわ 「イザイホウ」無料上映会予定 午後2時〜
○6月22日(土) 祈りの摩文仁 平和の灯火と平和の光の柱
○6月23日(日) 北谷ニライハーリー大会
○7月13日(土) 山原のムラ・シマ講座
○7月13(土)、14日(日) 糸満ふるさと祭り・エイサーinいとまん
○7月14日(日) 2000円札応援祭り/パレットくもじ前広場
○7月15日(日) 平敷屋ハーリー大会
○7月20日(土)〜21日(日) 浦添てだこまつり
○7月28日(日) 豊見城ハーリー大会 
○7月20日(土)〜9月1日(日) 南部の海へ1日5往復無料バス 
○7月31日(水)〜8月2日(金) 粟国村・ヤガン折目(うゆみ)
○8月3日(土)、4日(日) 与那原大綱曳
○8月4日(日) 一万人のエイサー踊り隊/那覇国際通り
○8月4日(日) 名護市長杯争奪全島職域ハーリー大会
○8月11日(日) 夏の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○8月13日(火) 安田のシヌグ
○8月19日〜21日(水) 石垣島アンガマ
○8月20日(火) 波照間島のムシャーマ/波照間島公民館前
○8月23日(金) 与論島/シニグ(旧7月17日)
○8月25日(日) 塩屋湾のウンガミ(海神祭)
○8月26日(月) 塩屋区豊年踊り
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月11日(水)〜15日(日) 名護市屋部の八月踊り
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引
○9月19日(木) 世名城のウスデーク
○9月19日(木) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事)
○9月20日(金) 座間味島 海御願(うみうがん)
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月21日(土) 山原のムラ・シマ講座
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 山原のムラ・シマ講座
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土) 山原のムラ・シマ講座
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○12月1日(日) NAHAマラソン
○12月21日(土) 山原のムラ・シマ講座

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島祖納・干立豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島の豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2旧暦の8〜9月の3日間
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

5月30日(木)

 このところ、那覇は真夏日と熱帯夜が続いている。昨日、関東甲信地方が梅雨入りしたそうだが、沖縄の梅雨はどこに行ったんだろう??という感じだ。 
 お米が無くなったのでスーパーへ買いに行き、不動産屋へ来月の家賃を払いに行く。もう明日で5月も終わりだ。不動産屋のある安里から自転車で国際通り、そして若狭へ。若狭海浜公園は海水浴客でにぎわっていた。
 若狭から泊へ走り、先日メモリアルデーのセレモニーが行われた外人墓地へ足を運ぶ。星条旗は片付けられ、一本一本手向けられた菊は、その白い花びらを枯らしていた。 
 メモリアルデーから3日経った泊外人墓地のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
泊外人墓地

 オスプレイの飛行について、県と市町村が独自で調査し運用ルール違反として調査を求めていた318件について、防衛省は明確な違反はなかったと判断した
  日米合同委員会で合意した運用ルールでは、1.できる限り学校や病院を含む人口密集地域上空を避け、移動時は可能な限り水上を飛行する。2.午後10時から午前6時までは運用上必要と考えられる活動に制限する。3.ヘリモードは米軍基地内に限定、となっている。
 家のベランダからよく目撃する、人口密集地であり学校・病院もある新都心の上空を飛んでいるオスプレイは幻なのだろうか?オスプレイの飛行以上に、明らかな違反がありながらそれを認めない防衛省の方針が空恐ろしい。
 今朝も沖縄タイムスに、オスプレイが昨日の午後10時30分ごろ金武町のブルービーチ周辺で低空飛行する姿が確認されたという記事が掲載されている。 

 東京・小平市で26日に都道計画の見直しをめぐる住民投票が行われたが、投票率が50%を下回ったため、開票されないこととなった。開票を行わない事に対して小林正則市長は、「50%の成立要件に達しておらず、市民を代表した意見とはなっていないと認識している」と述べたそうだが、小林氏が市長に選出された市長選の投票率も37.28%と過半数を切っている。笑えない笑い話だろうか。
 昨年の衆院選における一票の格差問題で、全国14高裁・支部に起こされた訴訟16件中14件で違憲とする判決が出ている。そんな憲法違反な選挙で選ばれた政党が、憲法改正を訴えるバカバカしさ。これもまた、笑えない笑い話ではないだろうか。

5月27日(月)

 朝起きてコーヒーを2杯淹れて飲む。それから薬缶でさんぴん茶を沸かす。窓外に朝の日差し。ベランダに出て那覇の市街を眺めると、どことなく変。うん?空の境が何だかおかしいと思ったら、市街に朝靄が立ちこめていた。
 今日は9時から夕方6時まで水道の配管工事で断水になるというので、 使ってない鍋に水を張っておく。バスタブにも昨日の夜のうちに水を張っておいた。
朝靄
木漏れ日の当たる十字架
↑朝靄が立ちこめる那覇市街。→木漏れ日に光る十字架。
 慰霊のセレモニーが朝の8時から行われると聞いていたので、自転車で泊外人墓地へ。昨日雨で濡れていた星条旗は、朝の陽を浴びて輝いている。ポツリポツリと参拝をする方を見るが、セレモニーが始まる様子はない。ボランティアだろうか、墓地の周りを清掃されている方にセレモニーの開始時間を確かめてみると、10時ですよと言われる。あら、2時間ほど早いようだ。一度家に戻ろうかとも思ったが、どんな瞬間があるかもわからないので墓地の中や外をスナップ写真を撮りながら待つ。
 墓地の角の方にある十字架が木漏れ日にあたって、白く輝いている。その光に引き寄せられ、近寄って墓碑を見る。1970年5月9日に生まれ、翌日の10日に亡くなった赤ちゃんのお墓だ。墓碑を見て歩くと、中には生まれた日と亡くなった日が同じものもある。
 10時に15分ほど前、セレモニーの関係者と思われる方々がいらしたので写真を撮影しても構わないかと尋ねると、「ありがとう」の言葉とともに了解の返事をいただいた。
 掲揚台の近くのお墓に小さなスピーカーが置かれ、音楽が流される。退役軍人の方だろうか、ポールに星条旗と日の丸の旗をセットし、参拝者が見守る中、ゆっくりと揚げられて行く。
 代表の方がメッセージを読み上げ、掲揚台の下に花束が捧げられる。そして順番に胸に手を当て、二つの国旗の下で祈りが捧げられた。
 一時間ほどでセレモニーは終了し、2つの旗はゆっくり降ろされ綺麗に畳まれ片付けられた。今日のメモリアルデーを教えて下さった新垣辰雄さんと少しお話をさせていただいて、お昼前に墓地を後にした。
セレモニーのスナップ
 新垣さんの写真展「泊外人墓地」の案内チラシには”ここに琉球 沖縄の歴史が眠る。”と言う一文がある。なるほど、この外人墓地に並ぶ墓碑に記された年代や名前を見て行くと沖縄の世替わりが見えて来る。
 琉球王国、廃藩置県から琉球処分による大和世、そして太平洋戦争で激しい地上戦が繰り広げられた戦世、日本の敗戦によりアメリカ軍政下に置かれたアメリカ世、そして1972年の日本復帰。この繰り替えされる世替わりは沖縄に様々な矛盾を生んだはずで、そんな事を想像させ思いを馳せさせる写真展だった。写真も素晴らしかったが、案内のチラシに書かれた文章や会場で配られた4ページの資料も、この外人墓地の歴史を丁寧に紹介する貴重なものだった。この写真展が一回ではなく、巡回展となれば良いと思うのだけれど。
十字架と花と星条旗

 部屋に戻り、バスタブに張ってあった水で手を洗う。ウインナーと鮭を焼いて、昨晩の残りの味噌汁でご飯を食べる。朝早く起きたので布団にゴロンと横になる。水道の配管工事で使っているドリルだろうか、屋上でガガガガガと何かを削るような大きな音。窓と玄関を開け、扇風機を回し、工事の騒音を聞きながら昼寝をする。
  梅雨の中休み。那覇は一日快晴だったが、今日九州・四国・中国が梅雨入りした。 

 メモリアルデーのスナップをPhoto Albumにしました。こちら

5月26日(日)

 夕方、パソコンに向かって作業をしていると、突然の激しい雨。明日撮影すればいいやと思っていたけれど、カメラを1台持って泊外人墓地へ。お墓の横には小さな星条旗が飾られている。昼間に通った時は既に飾られていたので、午前中に作業が行われたのだろう。
 星条旗や芝生が雨に濡れている。墓石に当たった雨が、白い水しぶきを上げている。こんな雨の中、遺族の方が2組ほどお花を供えにいらしていた。明日のメモリアルデーだけ撮影すればいいと思っていたけれど、雨に濡れた外人墓地の様子が撮りたくて歩いて来た。やはり来て良かったと思う。
 
 昨日、新垣辰雄さんの写真展「泊外人墓地」を見に行った際、27日がメモリアルデーだと教えていただいた。
 沖縄に引っ越してきて一番最初に撮影に訪れたのが、この泊外人墓地だった。普段の外人墓地は、ほとんど訪れる人を見ない。妙に鮮やかな色合いの造花が、いくつかお墓にポツンと供えられているだけだ。美しいけれど寂しい光景。それがメモリアルデーの前後には星条旗が飾られ、遺族の方がお参りに訪れるということを教えていただいた。
 嘗ては空砲が鳴らされ、音楽隊の演奏もあったそうだが、2008年から正式なセレモニーはキャンプで開催されるようになったようだ。それでも退役軍人の方達や遺族の方が集まり、慎ましやかに慰霊の式典が行われているという。
 式典の開始時間は、明日の朝一番に那覇市に電話して聞こうと思っていたが、お花を供えにいらしていた遺族の方に尋ねると、朝の8時ではないかと答えて下さった。お礼を言い、もう少し写真を撮って家に帰った。
雨の泊外人墓地
 雨に濡れる泊外人墓地。メモリアルデー前日の様子をPhoto Albumにしました。こちら

5月25日(土)

 冷蔵庫の中が寂しくなったので、午後から買い出し。スーパーでソーセージや豆腐、油揚げ、漬け物などを買い、近所の八百屋でジャガイモ、キャベツ、人参、大根。それから泊の市場で3パック1000円の刺身3種盛り、鮭の切り身、イカゲソを購入。小さな冷蔵庫は空になるのも早いが、満杯にするのも簡単だ。八百屋で買った大根、キャベツ、ジャガイモは入り切らなかった。
新垣辰雄写真展 泊外人墓地
 
 買い物が済んだので、自転車でパレットくもじ6階にある市民ギャラリーへ。21日から始まり明日まで開催されている新垣辰雄さんの写真展「泊外人墓地」を拝見。
  泊外人墓地は家から歩いて5分ほど。今日も市場に行く時に前を通ったが、写真展の中の墓地には自分の知らない表情がたくさんあって驚いた。
 写真展についての、沖縄タイムスの記事
 

 市民ギャラリーを出て、近くのタイムスビルへ。昨日から沖縄タイムス創刊65周年と南ぬ島空港開港を記念して「お〜りと〜り石垣島」観光・物産と芸能フェアが開かれている。このイヴェントに合わせて2階のタイムスギャラリーで開催されている、大塚勝久さんの写真展「西表石垣国立公園の原風景」を見て来た。
 写真展を2つハシゴして家に帰る。充実した冷蔵庫の中から食材を取り出して、大根と油揚げ・豆腐の味噌汁、塩鯖にたっぷりの大根おろし、刺身、卵焼きで晩ご飯。
 今日から加計呂麻島でロケしたというドラマ「島の先生」が始まった。ロケ地はどの辺りだろう、薩川集落?

 5月18日の「山原のムラ・シマ講座」の様子と、今泊、嘉手納のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。漸く写真が追いついた。

汀間のシルヒラシ墓
↑汀間にて。手前がシルヒラシ墓(仮墓)。右奥が仲田門中の模合墓。シルヒラシは、共同で使用されていたとのこと。↓嘉手納にて。
嘉手納にて

5月24日(金)

 昨日は記録的な豪雨となり、沖縄本島の中南部では土砂崩れ、床上・床下浸水、道路の冠水などがあったようだ。今日は強い雨こそ降らなかったものの、窓外からゴーゴーと唸るような風の音が聞こえ、霧のような雨が時おり降っていた。 
 買い物にも行かず2日間部屋に閉じ籠もり、冷蔵庫にあるもので食事をし、撮影した写真データの作成。パソコンに向かう合間に「東松照明と沖縄 太陽へのラブレター」を読み終えた。
 「太陽へのラブレター」は、2011年9月23日〜11月20日まで沖縄県立博物館・美術館で開催された東松照明さんの個展の図録だが、見応え読み応えのある一冊だった。図録の発売元が水声社になっていて、聞き覚えのある出版社だと思ったら、「ニルヴァーナ、ネヴァー・フェイド・アウエイ/カート・コバーン・ストーリー」と言う本の表紙に使用する写真を提供したことのある出版社だった。

「東松照明と沖縄 太陽へのラブレター」から。
 人は、生れ落ちるとすぐ、特定の国の民として登録される。そして、たいていの人は、自分の意志で選んだのでもないのに、その国籍を運命的に受け入れて一生を過ごす。沖縄にいると、国家に囲い込まれた個人の不自由さについて考えさせられる。人は誰しも幸せに生きたいと思い、生き方を模索する。その過程で、国家という分厚い壁にぶちあたるのだ。もし現在、己と見合った国を自由に選べるとしたら、沖縄人は、復帰して一年余り過ぎたいまでも、やはり日本を選ぶだろうか、といった考えが浮かんでは消える。そのとき、ア・ン・ナ・ンという言葉が、にわかにリアリティーを帯びてぼくの中で蘇るのだ。ぼくは、アンナンへの旅を思いたった。沖縄にいるあいだに、沖縄を起点として旅立とう。(『太陽の鉛筆』1975より)

 沖縄は、南洋諸島や中国大陸から北上した文化と、日本から南下した文化との接点、とよくいわれる。その沖縄へ日本から行くと、日本とは異質な文化に目が止まり、日本と同質の文化を見落としがちになる。その傾向は、琉球列島のなかでも南方寄りの宮古、八重山諸島ではいっそう強まる。しかし、文化の同質性、異質性といっても、はっきりと線引きできるほどの明瞭さはない。文化の形質は、グローバルにみて、ゆるやかなグラデーションをえがく、というのが私の実感である。いまの私は、このグラデーションに、南洋でも中国でも日本でもない文化の質に、あえて名づけるなら沖縄で成熟した独自の混成文化に、関心をもつ。(『光る風ー沖縄』1979より)

ベランダから撮影した、今日の那覇市街
↑ベランダから。今日の那覇の空。
 5月6日に撮影した辺土名、辺戸岬のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
辺土名にて
↑辺土名集落の民家。↓辺戸岬にて。
辺戸岬にて
 沖縄タイムスのweb版に、久高島のイザイホーを記録した白黒映画「イザイホウ」のフィルムを映画監督の野村岳也さんが、浦添市の国立劇場おきなわに寄贈されたという記事が載っていた。6月19日午後2時から、国立劇場おきなわで映画など無料鑑賞会を予定しているそうだ。

5月21日(火)

 激しく雨が降っていたかと思えば、雲の間から陽が射し、また雲に隠れる。コロコロと忙しい空模様の一日。部屋から出る事なく、パソコンに向かって撮影した写真データの作成。
 5月5日、那覇ハーリー最終日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
御願バーリー
↑御願バーリー。↓那覇ハーリー会館に仕舞われる爬龍船。
ハーリー会館に仕舞われる爬龍船
昨日借りてきた本

 昨日は煙霧が発生したのか、ずいぶんと視界が悪かった。今朝知ったが、PM2.5も基準値を超える量が検出されたようだ。それでも雨が降らなかったので、日用品や食材を買いにスーパーへ行き、県立図書館へ行った。読み終えた1冊を返却し、読み切れなかった1冊を延長してもらい、新たに2冊借りて来た。

 明日は曇り時々雨の予報。本を読んで過ごそうか。

↑昨日新たに借りた2冊。「東松照明と沖縄 太陽へのラブレター」(沖縄県立博物館・美術館)、「波照間島 祭祀の空間/コルネリウス・アウエハント、静子・アウエハント」(榕樹書林)。

5月18日(土)

 名護西線の始発のバスに乗り、終点の名護バスターミナルへ。名護BTで本部半島線の今帰仁廻りに乗り換えて、今帰仁城跡入口で下車。時刻表より少し遅れて、バス停に着いたのは9時3分くらいだったろうか。
 今日から今帰仁村歴史文化センターで第21期の「山原のムラ・シマ講座」が始まる。1回目の今日は、センターに9時に集合。今帰仁城跡入口から今帰仁城跡の隣りにある歴史文化センターまでは、緩やかな坂道を1キロほど歩かなくては行けない。とりあえず電話でバス停からセンターに向かっている事を伝え、汗をかきながら緩い坂を上る。
 講座は9時集合の回と、9時30分集合の回がある。那覇からバスで今帰仁に来る場合、始発の名護西線に乗れば名護BTには7時44分に着く。けれど今帰仁城跡に行く本部半島線の乗り継ぎが悪く、8時20分までバスが無い。8時20分のバスに乗って、今帰仁城跡入口が9時1分。そこから坂を歩いて行くと10分以上はかかる。
 講座の受講申し込み時にバスの事情を話し、9時からの場合多少集合時間に遅れるだろうことを伝えたが「大丈夫ですよ」と言う優しい返事と共に受講を受け付けてもらった。ありがたい。
 この「山原のムラ・シマ講座」は奄美大島の名瀬に住んでいた時から知っていた。加計呂麻島の集落に残っているアシャゲやトネヤを撮影してまわっていた時に、今帰仁歴史文化センターのホームページにある奄美加計呂麻島(東方)奄美加計呂麻島(西方)という調査報告を見つけ、撮影の参考にさせてもらっていた。そしてムラ・シマ講座の存在も知り、沖縄に引っ越したら受講してみたいと思っていた。
山原のムラ・シマ講座
 遅れてセンター2階の会場に入ると、今日これから行く名護市の東海岸にある汀間集落の説明を館長さんがされている最中だった。入口で貰った資料を見ながら説明を聞き、その後バスで移動。館長さんが自らバスの運転をされたので、驚いた。
 羽地ダムの横を通り、東海岸に抜けて汀間に着いたのは10時半頃だった。
 この日の様子は、調査記録に載っています。
*スクミチ=シュクミチ=宿道。 *シルヒラシ墓=仮墓。本墓(ト-シー)と仮墓(シルヒラシ)があるのは、死去するとまず仮墓に葬られ、その後に洗骨をして本墓内に安置するから。 *アジ墓=アジシーのこと。各門中の当世墓に対するもので、遠い先祖を祀った墓とされる。また、アジ(按司)を葬った墓ともされる。横穴式で正面を石垣積みにした古墓が多い。
 その他、南島のお墓については以前こちらにメモをした。
サンカジョウの祠
祠の内部
神アサギ
↑サンカジョウの祠
↑祠の内部
↑神アサギ
汀間当の碑
丸目カナの位牌01
丸目カナの位牌02
汀間当の碑
丸目カナの位牌が置かれた小屋
↑丸目カナの位牌
アジ墓
仲田門中の模合墓
シルヒラシ墓
↑アジ墓
↑仲田門中の模合墓
↑シルヒラシ墓
今泊にて。月桃
カメラを向けられて固まる猫
民家
↑今泊にて、月桃の花。
↑カメラを向けられて固まる猫
↑今泊の民家。
とうふチャンプルー
 館長さんや集落出身の方の説明を聞きながら2時間ほど見て廻り、今日の講座は修了。バスで歴史文化センターに戻り、解散となった。
 坂を降りて、30分ほど今泊集落を散歩してから、バスで名護BTへ。
  数日前に琉球・那覇バスで使える土日祝1日限定フリー乗車券を購入しておいたので、遠回りになるが来た時と同じ14時16分の今帰仁廻りのバスに乗車。これで本部半島を一周できた。

 せっかく1日フリー乗車券があるので、名護BTから名護東線に乗り換えて辺野古か金武かコザで降りて散歩しようと思っていたら、名護東線は沖縄バスが運行していてフリー乗車券が使えない事が判明。お腹も空いたのでバスターミナルの食堂でとうふチャンプルー500円を食べながら、時刻表を見てアレコレ考える。
  フリー乗車券で名護からコザに行くには名護西線で嘉手納に行き、62番の中部線に乗り換えとなる。別にコザに特別な用事があるわけでもないので、名護西線に乗り嘉手納で降りて町歩きをする事にした。
 名護BTを16時30分に出る名護西線に乗車。1時間15分ほどで嘉手納に到着。自転車で国道58号沿いの嘉手納基地まで来た事は2度あるが、嘉手納ロータリー周辺の町中を歩くのは初めてだ。
 1時間ほど嘉手納の町を散策し、バス停に戻って那覇行きのバスを待つ。名護西線ではなく、読谷BTと那覇BTを結ぶ読谷線が先に来たので乗車。20時少し前に、最寄りのバス停に着いた。

嘉手納にて
↑嘉手納にて。↓帰りのバス。
帰りのバスにて
*「山原のムラ・シマ講座」の様子と、今泊、嘉手納のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(5月25日に更新)。

5月17日(金)

 梅雨らしく、朝から雨。それにしても、よく降るな〜。早朝からパソコンに向かい、撮影した写真データの作成。
 明日の準備と予習を少しして、早めに就寝。
奥武島の風景
↑↓5月4日に撮影した奥武島のスナップと、那覇ハーリー会場メインステージの様子をPhoto Albumにしました。こちら
ディアマンテス

5月15日(水)

 沖縄が昨日、そして奄美地方が今日、梅雨入りした。
 梅雨入りした昨日はほとんど雨は降らなかったが、今日の那覇は梅雨らしいお天気。午後になって雨脚が激しくなり、夕方からは大きな雷が遠くに近くに落ちた。テレビを観ていたら、竜巻注意報のテロップまで流れた。 
 5月15日は沖縄が日本に復帰した日。今年は復帰41年目となる。記念式典のようなものはなく、11日に県内のトップをきって宮古島で「5.15平和行進」が開催され、今日は石垣島、17日〜19日は沖縄本島で行進が行われる。
那覇ハーリー初日
↑↓5月3日、那覇ハーリー初日と、泡瀬干潟、ハーリー会場メインステージでのライヴの写真をPhoto Albumにしました。ハーリー競漕と会場の様子は、こちら。泡瀬干潟とメインステージでのライヴの様子は、こちら
メイン会場にて
 原子力規制委員会は、敦賀原発2号機の原子炉建屋の真下の断層は活断層だとする報告書をまとめた。これにより2号機は廃炉になる公算が大きくなった。この報告書に対し日本原子力発電は、「客観的な事実やデータによる裏付けを根本的に欠く」として規制委員会に「厳重抗議文」を提出した。抗議文など出さずに、自分達が活断層ではないと言う客観的な事実やデータに基づく報告書を提出すればいいのでは?
 また規制委員会は昨年11月に一万点の点検漏れがあり、その後の立入検査でも新たな点検漏れが見つかった日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉もんじゅの使用停止命令を決めた。
 一万点の点検漏れが、使用停止命令だけで済むというのがわからない。日本原子力研究開発機構や、もんじゅを所管する文部科学省の責任は問われないのだろうか。

5月13日(月)

夕映え
 午後、激しい雨。夕方、窓外から輝くような明るさ。夕日を受けて、ビルが橙色に照っている。沖縄の梅雨入りは明日だろうか、明後日だろうか。梅雨入り前の夕映え。

5月12日(日)

 「親泊康哲写真集/アシャゲの遊び」を見終えて、「続アシャゲの遊び」を見始める。
 「アシャゲの遊び」巻末の概説から、特に興味のある部分を引用。
久高島のイザイホー 当間一郎
〜略〜
 30才から70才までの女性が参加し、その役割は次の四つにわけられる。すなわち
1.ナンチュ(30才〜41才) 2.ヤジク(42才〜53才) 3.ウンサク(54才〜60才) 4.タムト(61才〜70才)
1.は、この祭りの主人公にあたる人たちで、神に仕える女性として、その資格があるか否かを認定される人たちである。2.は、前回にナンチュとして祭りに参加し、資格を得た女性で、今回は世話役や進行係をつとめる。3.は、接待の役であり、指導的立場にある。4.は長老格で、祭りの雑役を免除され、行事全体の相談役であり、顧問的存在である。

伊野波のシヌグ 上江洲 均
〜略〜
「シヌグ」の語源をめぐっては2、3の説がある。1.「凌ぐ」の意で、危害や災厄から免れるとする説(「国頭郡志」)。2.国語の「凌ぐ」にみるように、「争う」「はりあう」の用語例もあったかもしれないとする説(「沖縄文化史辞典」)。3.「シヌグ」という稲があって、その感謝祭であるとする説(「えとのす」1号)。いずれにせよその内容は、豊作の予祝であり、大漁の祈願、悪疫や病害虫を払う意味が含まれ、さらに健康祈願、子孫繁盛にも通じる。

田名のウンジャミ 上江洲 均
  伊平屋、伊是名では旧暦7月の盆行事が過ぎると「ウンジャミ」と「シヌグ」の行事がやって来る。今ではどの行事も簡素化されたが、時代をさかのぼっていくと、1年の行事を通じて最も重要な行事だったことがうかがえる。
「シヌグ」行事は、男子が主役となり、男の子たちが各戸を訪問したり、選ばれた一団が浜へ害虫流しに行く。そして木の小枝で道行く人を祓いの意味で叩いたりする。初シヌグを迎える子のいる家では赤飯を炊いて祝う。子宝祈願もなされ、子宝に恵まれない人を竹馬と称して竹竿をまたがせ、広場の中を引っぱりまわしたりする行事であった。
 これに対し、「ウンジャミ」は女子が主役を演じる。各戸をめぐって餅をもらい、模擬の舟こぎをする。田名の「ウンジャミ」もこれに大同小異で「シヌグ」行事の変貌にくらべまだよく残されているといえよう。田名屋とノロ殿内という部落の行事信仰の中心をなす家が部落後方にある。「ウンジャミ」はこの2軒のうち特に田名屋が中心となる。ここが「琉球国由来記」にいう「田名ノヲヒヤ火神」をまつる家である。ここでの行事を司る人が、田名ヒヤあるいは田名サーといわれる人である。
 田名の神人は20名。うち4名がこの日の行事の主人公である。4名は海の神だからである。それはウフシド神、ユムイ神、イシド神、ユートイ神である。この4神が田名屋の前庭で東向きに並び、他の神人からウンサク(神酒)を入れたユヌシ(黒の大椀)を受け、左右へ3回ゆすって神にささげ、ウムイ(神歌)をうたう。前方には布で舟の模型をつくっているので、4神はその中へ入って東の方角へ向けて舟こぎのかっこうをし、他の神人たちがそれを見送るのである。

*殿内については、こちらの説明が分かり易い。

「続アシャゲの遊び」には本島だけではなく、先島諸島も含む様々な祭祀の様子が納められている。「アシャゲの遊び」には、久高島のイザイホーや糸満のハーリーなども収載されているが、ウンジャミとシヌグが中心だ。
 ちなみに、奄美群島だが与論島でも2年に一度シヌグが行われており、今年がその年だ。また、かつてはウンジャミもあったようだ。
 「与論島 琉球の原風景が残る島/高橋誠一・竹 盛窪」(ナカニシヤ出版)の以下の説明が分かり易い。
ユンヌ 
与論はもともとユンヌと呼ばれていたが、いつの時代からか与論と書かれてヨロンと呼ばれるようになった。

シニグ(シヌグ)という祭祀
シヌグ・・・・・山・・・山の他界神・・・男性社会(年齢階梯組織)
ウンジャミ・・・海・・・ニレーの神・・・女性社会(女神役組織)

パラヂとサアクラ
パラヂという言葉は、血族または親戚のこと。
このパラヂには八世代まで、七世代まで、五世代までに子孫の氏族範囲を含めるサアクラが多い。シニグにおけるパラヂは血縁を同じくするものたちで構成され、シニグ祭を通じてパラヂ意識をより強くする。しかし、シニグ祭を行う集団は必ずしも血縁者ばかりで構成されているわけではなく、地縁的なつながりも加わっている。
パラヂの語源については、腹氏(パラウディ)に由来すると考えるのが一般的である。同じ腹から生まれた血縁系統の同胞を、古代の日本語では、パラカラもしくはパラガラと呼んでいた。パラ(腹・胎)とウディ(氏)が複合したパラウディからパラウヂへ変化し、ウ音が脱落してパラヂになったと考えられている。
これらパラヂが主体となって、シニグ祭がおこなわれるのだが、シニグ祭が行われる祭場(祭舎・斎場)のことをサアクラという。

 本のタイトルについて、親泊康哲氏はあとがきで、こう述べている。
お祭りは神迎え、神遊び、神送りの三つの場面があるが、然し現実はこの順序で一様に行われていないで多くはアシャゲで行われる神遊びが中心で最も発達している。そこでタイトルも「アシャゲの遊び」とした。

「屈辱の日」沖縄大会01
↑↓先月開催された「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」の様子をPhoto Albumにしました。こちら
「屈辱の日」沖縄大会02

5月10日(金)

 朝早く目が覚めた。2度寝するのも何だか勿体なく、そのまま午前中はパソコンに向かって撮影データの作成。午後は本を読んで過ごす。
キーマカレー

 円安が進み、1ドル100円を越えた。スーパーでパインの缶詰を久しぶりに買ったら、100円から118円に値上がりしていた・・・orz。
 晩ご飯に、珍しくキーマカレーを作る。美味しいんだけど、このシリーズなら完成度の高さはケララカレーだと思う。

 4月25日に撮影した与論島、与論から那覇港のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

与論島・赤崎海岸にて
↑与論島・赤崎海岸にて。両手のビニール袋には、漁りの道具が入っているのだろうか。↓小雨降る那覇港。
那覇港
 ちょうど一年前、名瀬から那覇へ部屋を探しに来ていたのだった。

5月7日(火)

 ゴールデンウイーク中は外食が多かったので、久しぶりに自炊。まずは冷蔵庫の中を補充しに、新都心のスーパーと、泊の魚市場へ。
3パック1000円
お買物券
↑ポイントが溜まって、少し前にもらったお買物券を使用。
←魚市場では選り取り3パック1000円の中から鮭の切り身、イカゲソ、刺身3点盛りをチョイス。
肉じゃが
 お昼ご飯は、刺身、タコわさび、納豆、沢庵、豆腐と油揚げの味噌汁、ご飯。
  晩ご飯は肉じゃが、塩鮭、もずく酢、野沢菜、豆腐と油揚げの味噌汁、ご飯。肉豆腐はたまに作るが、肉じゃがは随分と久しぶり。
 肉豆腐は牛肉派ですが、肉じゃがは豚肉派です。
  珍しく白滝も入れてみた。

5月6日(月)

 5日、6日の2日間使える路線バス乗り放題チケット。昨日はバスに乗らなかったので、今日は思い切り遠出。沖縄本島最北端の辺戸岬行きを決行。

 7時28分に最寄りのバス停を出る名護西線は、2分程遅れてやってきた。終点の名護バスターミナルまで行くので乗り過ごしの心配はない、外を眺めながら時々ウトウト。

→国道58号を走って、バス停にやってくる名護西線。

名護西線
 名護BTで路線バスの北の終点、辺土名行きに乗り換える。次の辺土名行きは、10時に名護BTを出る。バスに遅れが出なければ、名護BTに9時50分に着く一つ遅い名護西線で来てもよかったが、こればかりは道路状況がわからないので難しい。
 30分程ターミナルで待って、辺土名線に乗車。やはり乗り放題チケットを持っている乗客が多い。
 海岸線の横を走って、およそ1時間弱で終点の辺土名バスターミナルに到着。以前はここから国道58号の始点でもある奥集落まで路線バスが走っていたそうだが、現在は辺土名から奥までは国頭村の村営バスが運行している。
辺土名バスターミナル

←路線バスの北の終点、辺土名バスターミナル。
↓村営バス乗り場。路線バス乗り放題チケットは使えないので、辺土名〜辺戸岬まで片道500円を払って乗車。

国頭村の村営バス
  辺土名BTから村営バスの発着場のある一つ名護寄りの辺土名バス停まで、写真を撮りながら散歩気分で戻る。
 奥行きの村営バスは11時30分に出た。終点の奥まで乗って、辺戸岬まで歩いて戻ろうかと思ったが、運転手さんに聞くと7キロの山道だと言われて諦めた。奥は、また別の機会にチャレンジだ。
→復興予算を使って行っているとして一時話題になった道路の工事現場。
工事現場
 40分程で辺戸岬に到着。乗って来たバスが13時44分に辺戸岬に戻って来るので、それまで岬を観光。天気予報は曇りだったが、徐々に天気は上向きになり青空も見えてきた。それでも海上は靄がかかって真っ白で、先にあるだろう与論島の島影がまるで見えない。
 先月、鹿児島県の最南端である与論島から沖縄の最北端を撮影したので、今日は反対に沖縄の最北端から鹿児島の最南端を撮影しようと思っていたのに、残念だ。
辺戸岬のスナップ
 時間通りに、終点の奥まで行って戻ってきたバスが辺戸岬に到着。乗客の顔ぶれは、行きのバスと同じだ。辺土名のバス停で降りて、歩いて3分程の波止場食堂へ。波止場食堂のカツ丼を食べるのも、今日の旅の目的の一つ。
 店内に入ると子供連れの3人家族、おじさんとおばさんの3人組がテーブルで食べている最中。みんなテーブルの上に、オカズやご飯を詰めた持ち帰り用のプラ容器を並べている。
 厨房にいるおばさんに声をかけてカツ丼を注文し、3つあるテーブルの空いている1つに座って出来上がりを待つ。ほんの少し先にお店に入って注文したご夫婦は、外の海に面したテラスに座っている。 料理を作っているのはおばさん一人のようなので、時間がかかるかな?と思ったが案外早くに出て来た。
波止場食堂のカツ丼01
波止場食堂のカツ丼02
←↑噂通りの大盛り。カツが丼の上にも横にもはみ出している。はみ出している事に気を取られて、最初は気づかなかったが、丼自体もそうとうにデカい。最初から三分の一位は持ち帰るつもりでいたが、結果、半分以上プラ容器に入れて持ち帰った。ちなみにプラ容器は、厨房のカウンター横に積んである。
 大盛りご飯の上に、甘辛く炒めた野菜とトンカツを卵でとじた具が乗っている。あじくーたーです。
波止場食堂の外観

←辺土名の港の目の前にある波止場食堂。

↓食べきれない分は、大小2つのプラ容器に詰めてお持ち帰りにした。

お持ち帰り

 食べ終わった食器をトレーごと厨房に返しに行き、カツ丼の代金600円を支払い「カツ、2枚は乗っているでしょう〜」とおばさんに声をかけると、してやったりという感じでニコニコ笑いながら「二枚半」と答えてくれた。
 すっかりお腹もふくれたので、那覇へ帰る。まずは、辺土名バス停から名護BTへ。 辺土名バス停は始発となる辺土名BTの一つ名護よりのバス停。歩いて5分程の距離で、バス時刻では1分しか違わない。15時30分に辺土名BT、31分に辺土名だが、時間をだいぶ過ぎてもバスが来ない。心配になった頃、村営バスに続いてやって来た。村営バスが遅れて待ち合わせていたのだろうか。
 名護BTに着いた時には、16時30分の名護西線は出てしまっていた。 30分待って17時のバスで那覇に向かう。ゴールデンウイークの最終日で車が多い。読谷村の辺りでは、渋滞にも巻き込まれた。けっきょく最寄り駅に着いたのは時刻表より30分以上遅れた19時40分過ぎだった。
 撮影した写真データをバックアップし、さんぴん茶を沸かして、お持ち帰りにしたカツ丼を食べる。冷めたカツ丼は、ご飯に味がしみていて、これはこれで美味しい。少し時間をかけて格闘して、ようやくカツ丼を食べ終えた。

*辺土名、辺戸岬のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(5月24日に更新)

 5月5日(日)

 ちょっと疲れが溜まっているので、今日はゆっくり。選り取り5個500円のパンを買ってきて昼ご飯に3個食べる。
 14時半頃に家を出て、那覇ハーリー会場へ自転車で向かう。最終日の今日は御願バーリーと本バーリーがある。会場に着いた時は、一般のハーリー競争の後半。それが終わって、メインステージでは与論島出身のシンガー・川畑アキラさんのライヴ。
 30分のライヴの後、一般の部の決勝戦があり、16時30分からいよいよ御願バーリーが始まった。古式に則った衣装を身に着け、泊、那覇、久米のチームが順番に湾内に出て、ハーリー歌を唄いながら回遊する。その後、3隻による本バーリー。今年は7年ぶりに那覇が勝ったそうだ。 
↓ハーリー競漕、一般の部の決勝戦。→与論島出身のシンガー、川畑アキラさん。
川畑アキラ
ハーリー一般の部の決勝
御願バーリー
↑御願バーリー。
↓本バーリー。写真奥の那覇が優勝した。→スタートの旗をふる翁長市長。
スタートの旗をふる翁長市長
本バーリー
 イヴェントはまだまだ続くが、今日は早めに寝ようと帰宅。魚市場の前に出店している天ぷら屋で揚げたてのイカの天ぷらを2つ購入。
  帰りの途中にある那覇ハーリー会館に人が入って行くのが何だか気になってついて行くと、泊港に大型のクレーンが設置されて爬龍船の吊り上げ作業が行われていた。
イカの天ぷら
 近くの人に聞くと、今吊り上げているのは予備で用意していた1隻で、これから競争で使われた爬龍船が戻って来るというので見させてもらう。しばらく待つと鉦を鳴らしながら1隻ずつ船が戻ってきた。順番にクレーンで吊り上げられ、龍の尻尾が外されて大きな倉庫に入れられた。爬龍船を仕舞ってあるこのハーリー会館は建て替えられるそうで、写真に撮っておいた方がいいですよと薦められる。
那覇ハーリー会館のスナップ

 2時間ほど作業を見てから、自転車で5分程の家に帰る。撮影したデータをバックアップして、昼に買ったパンと、ウインナー、キャベツで晩ご飯。

*那覇ハーリー最終日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(5月21日に更新)。

5月4日(土)

 日清の焼きそばを食べてから、11時半頃に家を出て自転車で那覇バスターミナルへ。2日間路線バス乗り放題のチケットを使い、今日は南城市の奥武島(おうじま)へ。
那覇BT仲島の大石

 奥武島へは琉球バスが運行しているが、行きのバスは奥武島にある奥武というバス停に止まるが、帰りのバスはどれも奥武にはとまらない。琉球バスの事務所で尋ねたところ、行きは53番の志喜屋線に乗り、帰りは奥武島から橋を歩いて渡り奥武入口のバス停から50番の百名線で那覇に戻れると言う。
 志喜屋線、百名線の時刻表のコピーと、平成25年度のバス運行時刻表をいただいた。

↑那覇BTの構内にある仲島の大石。北斎の琉球八景にも描かれているそうです。

 11番乗り場から、12時13分発の志喜屋線で奥武島へ。途中、アチコチで空を泳ぐ大漁の鯉を見た。明日は子供の日か。1時間弱で島に到着。バス停を降りると、大勢の観光客で賑わっていた。

奥武島のスナップ
 本島南部にある奥武島は、海岸線が1.7キロ、人口が1000人程の小さな島。あいにくの曇り空でしたが風もあり、散歩するには気持ちのいい天気。島の中心をまわる大きな道を一周し、集落の中の路地を歩き、龍宮神や観音堂を見て来た。
  観音堂の後ろに広がる小さな杜は、御嶽だろうか。大きな岩に気根を絡ませた巨大なガジュマル。その根元には石が並べられ、拝所になっているようだ。その佇まいが美しい。
海の中でカップ麺

←海に浸かりながら食べるカップ麺は、きっと美味しいに違いない。

 奥武島の天ぷらは有名なようで、3軒あるお店はどこも大繁盛のようだ。
 3時間ほど島散歩を楽しんで、那覇へ帰るために奥武入口のバス停まで歩く。橋を渡り坂道を上りテクテクと歩き、大きな信号のある交差点を左に曲がる。入口と言いながら奥武島からは少し離れていますね。

魚フライ、ソバ付き
 16時4分の百名線に乗り、1時間強で那覇バスターミナルに着いた。お腹が空いたのでバスターミナル2階の食堂に行くが、お休みなのか休憩時間なのかドアが閉まっていたので、久しぶりに若狭の高良食堂へ。魚フライ、ソバ付き600円を注文。大きな魚フライに混じってサービスなのか、天ぷらがひとつお皿に乗っている。以前、うな丼を注文してうなぎの下に天ぷらが一つ隠れていたので、もう驚かない。
 高良食堂を出て、那覇ハーリーの会場へ。19時からmanamiさん、19時40分からのディアマンテスのライヴを観る。ライヴ終了後は、昨日続いて花火。3日連続で打ち上がるらしい。今日はゆっくり座って観てから、家へと帰った。
manami
ディアマンテス
花火

 You Tubeから「ファンファーレ/manami」「勝利のうた/ディアマンテス」。

*奥武島のスナップと、那覇ハーリー会場メインステージの様子をPhoto Albumにしました。こちら。(5月17日に更新)。

5月3日(金)

 今日から那覇ハーリー。朝9時半過ぎに部屋を出て、会場となる那覇新港に歩いて行くと、開会式の真っ最中。翁長那覇市長の挨拶の途中だった。来賓の挨拶が続いた後、テープカットが行われハーリー大会が始まった。まずは中学男子の部から。
開会式のテープカット
テープカット

↑写真中央が、翁長 雄志・那覇市長。←来賓の挨拶の後、テープカットが行われ、那覇ハーリーが始まった。
↓ハーリー競漕。左は中学男子、右は中学女子。

ハーリー競漕
南風原高校の郷土芸能
  しばらくハーリーを見てから、会場のメインステージで行われている創作エイサーや、南風原高校の郷土芸能、サブステージの相撲大会を見学。
相撲大会
 中学男子の部が終わり、中学女子のハーリーを2回戦ほど見てから一旦家へ帰る。少し部屋で休んで、最寄りのバス停から泡瀬西線に乗り、泡瀬干潟に向かう。コザを過ぎて運転手さんに泡瀬干潟に一番近いバス停を尋ねたところ、泡瀬三区入口だというので、そこで降ろしてもらう。
 バスを降り、運転手さんに聞いた道を歩き、途中地元の女の子に道を尋ねてようやく干潟に到着。干潟の先端で潮干狩りをしている家族が一組、海の中に入って釣りをしている人が一人。米軍施設を囲む散歩道を歩き、泡瀬の町中を少し散歩してバス停に戻る。
泡瀬干潟のスナップ
  16時54分の那覇行きのバスに乗り、家の最寄り駅で降りて再び那覇ハーリーの会場へ。19時からメインステージで行われる下地 勇さんのミニライヴを観に行く。30分程早く着いたら前から2列目の椅子が空いていた。近くの人から焼酎を貰い、ライヴの始まりを待つ。
 横に居た宮古出身という男性はだいたい解ると言うが、僕にはミャークフツ(宮古島の言葉)で歌われる歌詞の意味は、ほとんど理解できなかった。
パーシャクラブwithサンサナー。→下地 勇さん。
下地勇
パーシャクラブ
 下地 勇さんのライヴを観たら帰る予定だったが、次の新良幸人さん率いるパーシャクラブのライヴも堪能。20時半過ぎにライヴが終了し、会場を出たところで花火が上がった。
ステーキ丼
花火
 昼に自分で作ったおにぎりとウインナー、卵焼きを食べただけなので、すっかりお腹が空いた。近所にありながら入った事のない軽食の店ルビーへ。480円のステーキ丼を食べる。

 You Tubeから「希望を注げ/下地 勇」。オリオンビールのCMソングなので、ヤマトンチュにも分かり易い言葉で歌われています。

*那覇ハーリー初日と、泡瀬干潟、ハーリー会場メインステージでのライヴの写真をPhoto Albumにしました。ハーリー競漕と会場の様子は、こちら。泡瀬干潟とメインステージでのライヴの様子は、こちら。(5月15日に更新)。

5月2日(木)

 髪の毛がボサボサになってきたので、午後から久しぶりに安里にある床屋さんへ。GWの前半と後半に挟まれた平日だが、ドアを開けると順番待ちの人が椅子に座って並んでいる。これまで2回散髪してもらいに来たが、待ち時間はゼロだった。平日だけれどお休みの人が多いんだろうか。3時少し前にお店に入って、順番が来たのは3時半過ぎだった。3ミリのバリカンを入れてもらって、トップを少し立たせたソフトモヒカンにしてもらう。30分以上は待ったが、カットしてもらうのは10分もかかってないかもしれない。料金は平日で700円。
  頭がスッキリ軽くなったところで、国際通りを抜けて県庁の向かいにあるパレット久茂地へ。6階の市民ギャラリーで4月30日から開催している戸澤裕司さんの写真展「カジマヤー(風車祝い)〜島人をめぐる断章〜」を観る。
 戸澤裕司さんとお会いするのは初めてだが、ホームページのプロフィール等を見ると共通の友人、知人も多そうで写真を一通り観た後でそんなお話をさせていただく。
那覇新港01
←写真展の帰り、若狭から泊へと自転車で走り、明日から3日間行われる那覇ハーリーの会場である、那覇新港へ。ステージや出店の設営中だった。
↓爬龍船(はりゅうせん)
那覇新港02
那覇新港03
泡盛・夢航海
↑ハーリー競争が行われる那覇新港。→泡盛・夢航海。

 瑞穂がちょっぴりになった。今晩から忠孝酒造の泡盛・夢航海。これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海。

 先月24日に行われた与論十五夜踊りの写真をPhoto Albumにしました。那覇〜与論島、地主神社での神事はこちら。一番組・二番組による踊りの奉納はこちら

与論十五夜踊り01
↑祭場に入場し、嶋中安穏と書かれた大旗を立てる二番組。この旗が民俗学者・折口信夫氏が言う所の依代(よりしろ)だろうか。*「依代」とは祭りの時に神が降臨するための装置といえよう。柱を立て、その先端に祭りに縁のあるものを付けるのである。神はそれを目印にして祭場へ現れるとされている。
↓一番組の狂言「三者囃子」(さんばすう)」から。写真は大明(大名)。
与論十五夜踊り02
 今日は全国的に寒かったようで、北海道は明日も雪が降る見込みだそうだ。那覇は晴れて寒くもなく暑くもなく、過ごし易い一日だった。自分で見る事はできなかったが、那覇では太陽の周りに巨大な輪っかが現れる「日暈(ひがさ)」という現象が観測された。

4月へ