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○4月3日(水) 公事清明祭(伊是名玉御殿の清明祭)/10時〜 *仲宗根〜運天港の地図
○4月5日(金) 伊是名島 各家庭の清明(先祖供養)
○4月8日(月) 県立図書館本の返却期限
○4月12日(金)〜14日(日) 平安座島 三月節句(サングワチャー)
○4月12日(金) 座間味島 旧三月三日 浜下り、清明祭、流り船
○4月12日(金) 久高島 久高漁港 サングヮチティナ(三月綱)
○4月13日(土) 三月あしび 那覇市鏡水地区/鏡水ふれあい会館
○4月14日(日) 第5回コザ・てるりん祭/沖縄市中央パークアベニュー 午後1時〜入場無料、雨天決行
○4月19日(金) ゴールデンウイークフリー乗車券発売 前期券(5月3日・4日有効)、後期券(5月5日・6日有効)の2種類 各1000円。
○4月20日(土)〜5月6日(月) 伊江島ゆり祭り(リリーフィールド公演)
○4月21日(日) 県立図書館本の返却期限
○4月24日(水) 与論十五夜踊り(旧暦3月15日) 地主神社
○4月28日(日) 4.28「主権回復式典」に抗議する沖縄大会/宜野湾市野外劇場 午前11時〜
○4月30日(火)〜5月5日(日) 戸澤裕司写真展「カジマヤー(風車祝い)〜島人をめぐる断章〜」/那覇市民ギャラリー第一展示室(パレットくもじ6F)
○5月3日(金)〜5日(日) 那覇ハーリー プログラム/那覇新港埠頭
○5月3日(金)〜5日(日) 奥ヤンバル鯉のぼり祭り/奥ヤンバルの里河川公園
○5月8日(水) 県立図書館本の返却期限
○5月12日(日) 春の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○5月27日(月) 多良間島 スツウプナカ
○6月 渡名喜島 シマノーシ/旧4月25日〜5月1日
○6月12日(水) 糸満ハーレー行事、伊江島海神祭、奥武島海神祭、粟国海神祭
○7月13(土)、14日(日) 糸満ふるさと祭り・エイサーinいとまん
○7月14日(日) 2000円札応援祭り/パレットくもじ前広場
○7月20日(土)〜21日(日) 浦添てだこまつり  
○7月31日(水)〜8月2日(金) 粟国村・ヤガン折目(うゆみ)
○8月3日(土)、4日(日) 与那原大綱曳
○8月4日(日) 一万人のエイサー踊り隊/那覇国際通り
○8月11日(日) 夏の全島闘牛大会/石川多目的ドーム
○8月13日(火) 安田のシヌグ
○8月19日〜21日(水) 石垣島アンガマ
○8月20日(火) 波照間島のムシャーマ/波照間島公民館前
○8月23日(金) 与論島/シニグ(旧7月17日)
○8月25日(日) 塩屋湾のウンガミ(海神祭)
○8月26日(月) 塩屋区豊年踊り
○9月12日(木)、13日(金)、14日(土) 多良間島八月踊り
○9月11日(水)〜15日(日) 名護市屋部の八月踊り
○9月19日(木) 与論十五夜踊り(旧暦8月15日) 地主神社
○9月19日(木) 糸満大綱引
○9月19日(木) 世名城のウスデーク
○9月19日(木) 八重瀬町 唐人行列・大和人行列(十五夜行事)
○9月20日(金) 座間味島 海御願(うみうがん)
○9月20日(金) 真栄里大綱引き
○9月22日(日)、23(月) 大東宮祭/北大東島 南大東村豊年祭/南大東島
○9月25日(水)〜28日(土) さらはまミャークヅツ/ブーンミャ(佐良浜出張所前・伊良部島・宮古市)
○10月12日(土)〜14日(月) 那覇大綱挽まつり
○10月13日(日) 多良間島ビンダアース大会
○10月19日(土) 普天間宮例大祭
○10月19日(土)、20日(日) 読谷やむちんと工芸市
○10月25日(金)〜11月3日(日) 首里城祭
○11月 伊江島 村産業まつり・生涯学習まつり・村民俗芸能発表会
○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○12月1日(日) NAHAマラソン

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島祖納・干立豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島の豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2旧暦の8〜9月の3日間
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

4月29日(月)

 午後から食料の買い出し。公設市場の端にある天ぷら屋でイカや野菜、モズクなど1個40円の天ぷらを6個、1個50円の魚天ぷらを1つ。続いて泊の魚市場で、1パック380円のマグロの刺身を購入。一旦部屋に戻り、今度は新都心のスーパーを2つまわって、選り取り5個500円のパン、野菜色々を買って帰る。
 冷凍庫には豚肉が2枚とカレーの残りが保存されている。キッチンの下には一昨日買ったばかりのお米が5キロ、冷蔵庫の横には口を開けていない泡盛の一升瓶もある。
 食べる物がたくさん有るので、布団の上にゴロンとなって心豊かに読書。「平井順光写真集/生まれ島 西表」を見終えた。
神里原社交街01
神里原社交街02
←↑天ぷらを買いに行った途中、神里原社交街を定点観測。1ヶ月半ぶりだが、空き地に資材が置かれている以外は、あまり変化はないかな。

 遅い朝ご飯はカレーうどん。おやつに天ぷら2つと、菓子パンを2つ。晩ご飯はマグロの刺身に、天ぷら1個半、イカの塩辛、キャベツの千切りとトマト、キャベツと油揚げと豆腐と青ネギの味噌汁、大盛りご飯。ガチクーでしょうか。

 牧 伸二さんが亡くなった。今日は昭和の日だそうだが、また一人昭和を代表する芸人さんが居なくなった。You Tubeから「やんなっちゃった節/牧 伸二」。

4月28日(日)

 9時10分。朝作ったおにぎり、ウインナー、卵焼きをバックに入れて部屋を出る。国道58号を自転車で走り、およそ1時間程で「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」の会場である、宜野湾市野外劇場に着いた。
 野外劇場近くのトロピカルビーチ横の駐輪場に自転車をとめて、会場に入る。11時の開場まで時間があるが、ステージではミニコンサートが行われていた。
トロピカルビーチ
 上はトロピカルビーチ、下は宜野湾市野外劇場。200メートル位しか離れていないが、別世界の様子だ。
『屈辱の日』沖縄大会・宜野湾野外劇場

式次第から。
司会 実行委員会常任幹事 玉城 満
★オープニング 登壇者の入場と紹介 ★テーマ曲斉唱 沖縄に返せ(演奏 よなは徹、島袋辰也) 1.開会宣言/司会 2.経過報告とカンパのお願い/実行委員会事務局長 仲村 未央 3.共同代表あいさつ/沖縄県議会議長 喜納 昌春 4.共同代表あいさつ/沖縄の平和創造と人間の尊厳回復をめざす100人委員会世話人 高良 鉄美 5.共同代表あいさつ/沖縄県女性団体連絡協議会長 伊志嶺 雅子 6.青年団あいさつ/中部地区青年団協議会 7.連帯のあいさつ/名護市長 稲嶺 進 8.連帯のあいさつ/座間味村議会議長 中村 秀克 9.沖縄戦体験者あいさつ/青春を語る会代表 中山 きく 10.連帯メッセージ紹介/実行委員会常任幹事 比嘉 京子 11.大会決議及びスローガンの提案・採択 共同代表 東條 渥子 沖縄県生活協同組合連合会長 12.カンパ及び参加者数の報告/司会 13.がってぃんならん五唱 共同代表 崎山 嗣幸・沖縄平和運動センター議長 中村 信正・連合沖縄会長 新垣 繁信・沖縄県統一連代表幹事 中村 司・沖縄県労連議長 新川 秀清・第三次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団長 14.閉会挨拶/実行委員会常任幹事/渡久地 修

(沖縄に返せ)
固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ 沖縄に返せ

沖縄大会スナップ

 一時間強で大会は終了した。トロピカルビーチのベンチで作ってきたお弁当を食べ、自転車で家へと帰る。

*「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」の様子をPhoto Albumにしました。こちら。(5月12日に更新) 

 国会議員168人が靖国参拝 87年以降で最多。日本NPTの核不使用声明に署名せず。安倍晋三首相の指示を反映し、参院選で改憲を公約の柱に。そして今日、政府は沖縄、奄美から抗議が寄せられる中「主権回復の日」の式典を開催した。いつの時代に戻ろうとしているのだろうか。
 サンフランシスコ講和条約が発効した1952年の4月28日は、沖縄や奄美、小笠原がアメリカ政権下に組み入れられ、日本から切り捨てられた『屈辱の日』であると政府の歴史認識を疑う声もアチコチから聞こえてくる。
 式典で安倍首相は、沖縄について
  「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」。佐藤栄作首相の言葉です。沖縄の本土復帰は昭和47年5月15日です。日本全体の戦後が初めて本当に終わるまで、主権回復からなお20年という長い月日を要したのでありました。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います。
 
 通り一遍の言葉は意味をなしません、と言いながら、まさに通り一遍の言葉しか発していない。 若い世代に沖縄が経てきた辛苦に深い思いを寄せる努力をなすべきだと訴えようと思うなら、先ず自分自身が深く思いを寄せてみたらどうか。沖縄の本土復帰は主権回復からなお20年を要したと言うが、そもそも在日米軍が日本で犯罪を起こしても日本の警察が調査、逮捕が出来ない日米地位協定が続いていて主権が回復していると言えるのか。歴史認識、現状認識の欠如としか思えない。
 閣僚の靖国参拝を批判された事に対し安倍首相は「(中国、韓国から)靖国の英霊に冥福を祈ることを批判されても痛痒を感じず“おかしい”と思わないのはおかしい」と述べたそうだが、A級戦犯の合祀問題はどうなったのだろうか。何年も前から取り上げられていながら、議論が進んでいないように思う。
 高市早苗・自民党政調会長は、真に独立した主権国家たる私たちのプライド、未来への責任を大切に共有しながら新しい日本国憲法を私たちの手で、日本人の心によって書き上げていくと述べたそうだが、 真に独立した主権国家というなら、先ずは憲法改正の前に日米地位協定の見直しをするべきだろう。

 沖縄タイムスのweb記事、琉球新報のweb記事、朝日新聞のweb記事、沖縄タイムスが『屈辱の日』沖縄大会が開催されるまでの経緯をまとめている。また、奄美大島でも主権回復式典に抗議する集会が開かれた。青木理が語る『主権回復の日と憲法改正。安倍政権の矛盾。』

4月25日(木)

 二度寝をしてしまい、起きたら8時半。8時に朝食をお願いしていたので、食堂へ行くと料理が並んでいた。
 ネットで予約したのは4畳半素泊まり2500円だったが、宿に着くと貸し切り状態で、素泊まり一人のために港と宿の送り迎えをしてもらうのも何だか申し訳なくて、急遽昨日の夕方に朝食を頼んだ。
 おかずは冷めてしまったが、おひつに入った温かいご飯と味噌汁を出してもらって、普段より時間をかけて食べる。食後にインスタントのコーヒーを貰い、部屋で少し休んでから荷物を片付けて下に降りて行く。チェックアウトはいつでもいいですよと言われたが11時には部屋を空け、大きい荷物を食堂の隅に置かせてもらって散歩に出た。
 宿の横の道を赤崎海岸に向かって歩く。途中、昨年の15号、16号、17号という3つの台風に直撃されてほぼ全壊した建物をいくつか見た。
 与論民俗村の横を通り、赤崎海岸に到着。海岸で5分程休んでから、来た道を戻って宿へと向かう。宿の少し手前、右に曲がる道がふと気になって歩いてみたら、下の方に潮が引いた時に現われる百合ヶ浜が見えた。
 食堂のテレビで朝の連続テレビ小説の再放送を見てから、港へ送ってもらう。来る時は十五夜踊りの会場がある城を通って来たが、今日は前浜を通り海沿いの道を走って港まで。往復のチケットを買ってあるが、待合所で乗船名簿用に名前を記入してから港まで送ってもらう。
与論島のスナップ
 帰りの船はマルエーフェリーのフェリー波之上。13時半過ぎに入港し、コンテナを積み込んで予定の14時を少し過ぎて出航。
 昨日スーパーで買った、イケダパンの100%レーズンを食べる。与論は琉球文化だけれどイケダパンがスーパーに並んでいるのを見ると、やっぱり奄美群島だと思う。名瀬に2年居る間に、この100%レーズンを何十個食べただろう。
名瀬港

14時30分に本部港、そして19時那覇港に到着。昨年の5月に名瀬から那覇へ部屋を探しにフェリーで来た時は全然わからなかったが、今日は残波岬や牧港、泊港が船から確認できた。
 港の駐輪場にとめておいた自転車に乗り、家へと急ぐ。

←雨雲に覆われた名瀬港。港から家に帰る途中、ポツポツと降って来た。

田端義夫さん

 帰りの船の中で、田端義夫さんの訃報を知る。You Tubeから「島育ち/田端義夫」。
♪加那も年頃 大島育ち♪名瀬港に大型のクルーズ船が入って来ると、お見送りにこの歌がよく流れていた。
←「戦後日本のポピュラー音楽」の取材で、1998年に撮影。

 本日の出費。宿泊費4000円(素泊まり2500円、朝食1500円)。

*与論島、与論から那覇港のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(5月10日に更新)

4月24日(水)

 朝5時半頃に部屋を出る。途中、コンビニでカップ麺を一つ買って那覇港へ。港の駐輪場に自転車を置き、6時に窓口の開くのを待合所で待つ。
 今日は与論島の十五夜踊りを観に行く。那覇と鹿児島を結ぶ航路は、マルエーフェリーマリックスラインが交互に運行しているが、今日はマルエーフェリーのフェリーあけぼのが那覇から出航する。
フェリーあけぼの
←フェリーあけぼの。久しぶりの鹿児島航路。しばらく乗っていなかったら、随分船が大きく見えた。
↓朝焼けの残る那覇港を、7時に出航。
那覇港
 6時少し前にチケットの窓口が開いた。前の人が往復切符を買ったので、いくら安くなるのか係の人に尋ねたところ帰りの運賃が1割引で、発売から2週間有効だというので往復を購入。
 6時半から乗船が始まり、7時に那覇港を出港。曇り空なのと少し眠いので甲板に出る事もなく船内のロビーで横になって過ごし、コンビニで買って来たカップ麺と船内の売店で買った100円のワカメおにぎりで朝ご飯にする。
  那覇から与論島まで4時間50分。ほぼ定刻に入港したフェリーを降りると、今晩宿泊する宿のご主人が宿の名前を書いた大きなカードを持って待っていて下さった。
 さっそく乗車して宿へ向かうが、気を利かせて十五夜踊りが行われる地主神社(とこぬしじんじゃ)を通って下さった。

 宿の食堂でお茶とお菓子をいただき、部屋で少し休んでから地主神社へ歩いて行く。途中、初代与論主「花城真三郎」・二代「殿内与論主」・七代「田畠首里主」の三柱が葬られている琉球式の磯振墓(イシュブリ墓)にも寄ったが、30分ほどで会場に着いた。

→部屋に置かれていた、手書きのウエルカム・カード。

ウエルカムカード
 十五夜踊りは神事が15時から始まり、その後に踊りが奉納される。14時半に会場に居れば良いかと思ったが、何かあるかもしれないと14時頃に到着したら、やはりあった。会場となる地主神社・琴平神社の下にある広場近くに建つ与論十五夜踊保存館の二番組の館で、二番組の神事が行われていた。暫く見学してからタイミングをみて撮影してもいいですかと尋ねてみたら、許可が出た。
 神事の後、保存館の庭に立てられていた嶋中安穏と書かれた大旗を外し、二番組の踊り手達が担いで参道を通り、鳥居をくぐって会場入りとなった。一番組は既に会場入りして、二番組の登場を待っていた。
 大旗が二番組の支度場所(サークラ)の横に立てられ、地主神社で神官による神事が行われた。
↓保存館での二番組の神事。→会場入りする二番組。
会場入りする二番組
二番組の神事
↓→会場に嶋中安穏の大旗を立てる二番組。
大旗を立てる二番組02
大旗を立てる二番組01
地主神社での神事
←15時頃より行われた、地主神社の神官による神事。
↓列席者には神事の後、お餅が配られた。私も3つ頂きました。
配られたお餅
 「与論島の芸能 与論十五夜踊り」と題された資料を役場の方からいただいたので、そのまま引用。
 奄美諸島の最南端、沖縄本島のすぐ北に位置する与論島。この小さな島に脈々と伝えられた「与論十五夜踊り」は、「嶋中安穏・五穀豊穣」を祈る祭事として、旧暦三月・八月・十月の十五夜に神前に奉納される芸能です。
 伝説によると踊りの起源は永禄四(一五六一)年、当時の与論領主が三人の息子を島内・琉球・大和に遣わして各地の芸能を学ばせ、一つの芸能にまとめあげたものといわれています。 この言い伝えを裏付けるように、十五夜踊りには各地の芸能の特色が混じりあって残っており、文化交流の歴史を偲ばせる非常に珍しい芸能です。国の重要無形民俗文化財に指定されています。
 踊り手は「一番組」と「二番組」に分かれ、双方が交互に踊りを奉納していきます。「一番組」は寸劇仕立ての踊りを見せます。ただしせりふはすべて与論の古い方言で、竹と紙で作った大きな仮面を用いるのが特徴です。特に英雄役がかぶる巨大な面は衝撃的な造形です。一方の「二番組」は集団で手踊り・扇踊りを見せます。恋や自然を謳いあげた唄は優雅で美しく、こちらは「シュパ」という頭巾をかぶって踊ります。一番組・二番組とも踊り手は男性のみの世襲でうけつがれています。
 明治時代に数年間踊りを中断したところ、疫病・天災が続いたので復活。その後は現在まで途切れることなく続いており、十五夜踊りはまさに神への祈りとして生き続けているのです。

 地主神社の神事の後、神社から配られたお餅をいただく。関係者の挨拶があり、16時を過ぎて演目が始まった。以下、演目の名前と組。*各演目の詳細はこちらが詳しい。
○雨賜り(あみたぼうり・扇踊り) 二番組・一番組合同
○一度いふて(いちどいうて・扇踊り) 二番組
○三者囃子(さんばすう) 一番組
○この庭(このにわ・扇踊り) 二番組
○頼朝公(よりともこう) 一番組
○今日のふくらしゃ(きゆぬふくらしゃ・手踊り) 二番組
○大熊川(おおくまがわ) 一番組
○君様(きみさま・扇踊り) 二番組
○長刀(なぎなた) 一番組
○六十節(ろくじゅうぶし) 一番組

 他にも「二十四孝」「町奉行」「獅子舞」「沖泊り」と言う演目もあるようだ。また、今日は演目の順番が変更になった。
 いただいた資料に[禁忌と斎戒]という項目がある。
1.風雨にかかわらず、少なくとも「雨たぼり」の踊りだけは行う。
2.大旗と太鼓は、城字内と朝戸字の上部落以外に移してはいけない。
3.大旗が折れたり倒れたりした場合は、倒れた方向の地域に災害が起こる。
4.座元の家に出産があったり、死者が出た時は不浄なため、一時他の踊り子の家に大旗と太鼓を移して泰安せねばならない。
5.踊り子のうちで、踊りの前15日以内に死亡や出産があった者は出演できない。
6.この踊りに関係する人は、15日前から斎戒をし、出産・死亡・火災等の所に出ること、夫婦関係を持つことは禁じられている。
7. 踊りの3日前からは牛馬の綱を握ったり、肥料を扱ったりしてはいけない。踊りに出る途中牛馬や山羊のつなぎ縄をまたぐことも禁じられている。

 これらの事に関係あるのかもしれない。

十五夜踊りのスナップ
 雨乞いの踊りの後、しばらくして急に風が強くなり激しい雨が降って驚いた。雨対策に合羽と傘も用意していたが、やがて雨は止んで無事に予定の演目が奉納された。
 最後の演目である六十節から、二番組・一番組の踊り手に一般の参加者 も加わってカチャーシーが踊られて締めくくられる。奄美の締めは6調が踊られるのが普通なので、奄美群島とは言え与論は琉球文化の色濃い島だと思わされる。
 全員で万歳三唱が行われ、二番組が嶋中安穏の大旗をおろして鳥居をくぐり保存館に戻って行った。続いて一番組が拍手で見送られながら鳥居をくぐる。19時近く、すっかり空も暗くなってきた。
↓→会場を去る二番組(右)と一番組(下)の方々。
会場を去る二番組
会場を去る一番組

 二番組の館で町の関係者が揃って神事が行われているのを暫く眺めてから、宿へと帰る。
 シャワーを浴びてから、宿のゆんたく処でご主人と与論の黒糖焼酎・有泉を呑みながらゆんたく。名瀬に居た時に有泉を探したがなかったとご主人に言ったら、与論で消費されてほとんど島外には出回らないらしい。
  シーズンオフの今は観光客が少ないようで、今日は貸し切りだ。23時頃まで呑んでいただろうか。一応、最後に与論献奉(よろんけんぽう)の真似事で杯に入れて呑んでみた。

 本日の出費。カップ麺168円、おにぎり100円。那覇ー与論島フェリー往復8250円(往路4340円、復路3910円)。与論のスーパーで有泉420円、イケダパン100%レーズン210円、カップ焼きそば118円。与論のスーパーでレモンティーとポテトチップス168円(?)。

 与論島在住、さすらいの風来簿さんのブログに、この日の写真がUPされています。お神酒をいただいている私の写真もありました(汗)。

*与論十五夜踊りの写真をPhoto Albumにしました。那覇〜与論島、地主神社での神事はこちら。一番組・二番組による踊りの奉納はこちら。(5月2日に更新)

4月23日(火)

 午前中からパソコンに向かって写真データの作成。旅の準備を済ませてから、読書。早めに就寝。

 今日のご飯は、午前中に近所にあるキロ弁で500円のデミハンバーグ弁当を一つ買って済ませた。ご飯400g、おかず600g。メインのハンバーグは300gだろうか。持つと、重みがある。

キロ弁のハンバーグ

4月20日(土)

 午前中から、一週間前に撮影させていただいた鏡水地区の三月あしびの写真を、プレゼント用にプリント。仕上がったプリントを確認すると、青色の階調がキレイに繋がっていない。プリンタのドライバーでノズルのチェックをすると、やはり詰まっていた。しばらく使っていなかったのと、湿気が原因だろうか。クリーニングをすると、今度はインクが無くなったの表示・・・orz。新しいインクをセットして、再プリント。
 鏡水ふれあい会館に電話し、婦人会の会長さんにプリントを持参する事を伝えて、自転車で会館に向かう。
 プリントをお渡しして、少し鏡水地区の行事についてお話をうかがう。
今日借りて来た本

 ふれあい会館を出て、与儀公園の横にある県立図書館へ。借りていた2冊を返却して、新たに3冊借りて来た。

←「親泊康哲写真集/アシャゲの遊び」「続アシャゲの遊び」「平井順光写真集/生まれ島 西表」。

 県立図書館で本を借りた後、隣りの市立図書館で1時間程調べ物をして帰る。

 鏡水地区の三月あしびの写真をPhoto Albumにしました。シンムイ作りからミーヌシンでの御願までは、こちら。元家での御願からふれあい会館でのサングヮチーは、こちら
ミーヌシンにて
↑今は陸上自衛隊の基地の中にある鏡水地区の拝所・ミーヌシンにて、シンムイを頭に乗せて踊る婦人たち。↓元家(ムトゥ)での御願。
元家にて

 この一週間程、地球が揺れている。
  大きなものだけ列挙すると4月13日淡路島でM(マグニチュード)6.0、14日福島沖でM5.2、16日インド付近でM7.8、17日三宅島でM4クラスの地震が群発、17日与那国島近海、石垣島北西沖でもM4〜5クラスの地震が群発、19日千島列島でM7.0、そして今日は中国中部でM6.9の地震が起こった。日本列島は、北から南までが揺れている。
 
 福島第一原発で汚染水漏れが続いているが、東京電力は汚染水が地下水に混じり、800メートル程離れた海に流出するまで100年かかるという試算を発表した。ストロンチウム90の半減期が約29年、トリチウムの半減期が12年で海に流出するまでには放射能の濃度は数千分の1に薄まると説明。
 東電の、そんな都合のいい話を信じる人がいるんだろうか?
 関西電力は、現在国内で唯一稼働している大飯原発の2基について、7月から施行される新基準に適合しているとする報告書を、原子力規制委員会に提出した。それによれば、津波の想定はこれまでと同じ2メートル85センチ、事故対応の拠点となる緊急時対策所は原子炉建屋に近い38人が入れる会議室で代用できるとしている。
 規制委員会は、こんな報告書を通すだろうか。原子力規制委員会が試されるリトマス試験紙のような報告書でもある。  
 また、高浜原発3号機で使用するとして、関西電力はウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料の海上輸送を始めたと発表。フランスの港を出航した燃料は、6月後半に日本に到着する予定だと言う。
 日本列島のどこでいつ大きな地震が起こっても不思議ではない。また先週の淡路島の地震は、今まで知られていなかった活断層によって引き起こされたことがわかった。
 電力会社の対応を見ていると、福島の事故から何も学ばず、反省もしていないようだ。

4月19日(金)

 ゴールデンウイーク特別企画として、沖縄本島を走る路線バスが2日間乗り放題で1000円のチケットが今日から発売された。前期と後期の2種類あり、前期は5月3日・4日、後期は5月5日・6日となっている。
 直ぐに売り切れる事はないだろうと思いつつ、この夢のようなチケットを確実にゲットしたくて、さっそく那覇バスターミナルへ買いに行った。窓口の張り紙に、両方とも払い戻しは5月2日までと書いてあった。ここまで安い上に払い戻しまでできるなんて、どこまで親切なんだろうか。
 これでゴールデンウイークの4日間は、高速バス以外の琉球バス、那覇バス、沖縄バス、東陽バスが乗り放題だ。まあ、那覇ハーリーと日程が被るので4日間まるまるは使えそうにないが、それでも嬉しい。
ゴールデンウイーク・フリー乗車券
久高島年中行事
→「神々の島 沖縄・久高島のまつり」(平凡社)から、久高島年中行事。

久高島年中行事から、祭名と日にちをメモ。

○正月 1月1.2.3 ○ビーマッティ(お願立て)1月吉日 ○ソージマッティ 1月中旬ミンニー ○ヒータチ 1月か2月 ○ウプヌシガナシー(お願立て) 2月中旬 ○3月ジナ 3月3日 ○龍宮マッティ 3月3日 ○マッティ 3月中旬ミンニー ○ハマシーグ 3月29日 ○カンザァナシー 4月中旬ミンニー ○ソージマッティ 5月中旬ミンニー ○キシクマーイ 6月1日 ○マッティ 6月中旬ミンニー ○ミルクグワッティ 6月16日 ○ウプマーミキ 7月中旬ミンニー ○ヤーシーグ 7月29日 ○カシキー 8月9日 ○ハティグワティマッティ 8月10日 ○ヨーカビー 8月11日 ○テーラーガーミ 8月12日 ○十五夜 8月15日 ○カンザァナシー(アガイベー) 9月中旬ミンニー ○マーミキグワ 10月中旬ミンニー ○マミドゥシ 11月13日 ○フバワク 11月中旬ミンニー ○ビーマッティ(シデガフー) 12月吉日 ○ウプヌシガナシー(シデガフー) 12月ミンニー *日付は旧暦 1979年4月のもの

4月16日(火)

 ボストンマラソンのゴール付近で爆発、韓国の南北国境線付近で米軍ヘリが墜落、最高裁が熊本の女性を水俣病と認定、大阪地裁が大飯原発運転差し止めを却下、愛知県では刃物を持った男が知人の女性を連れてアパートの屋根に逃走、パキスタンとの国境に近いイラン南東部でマグニチュード7.8の地震
 那覇は午後から雨。一日パソコンに向かって作業するが、色んなニュースが飛び込んで来る。
ベランダからの風景01
ベランダからの風景02
↑16時頃の那覇市街。
←17時20分頃の那覇市街。共にベランダから撮影。
 4月4日に撮影した伊是名島〜運天〜国道58号のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。↓写真は、伊是名村の保育所で飼われているヤギ。
伊是名村保育所のヤギ

 昨日1袋200円のタンカンを買った。小さいのが15個ほど入っていただろうか。晩ご飯の後に、5個手で搾って100%ジュースにして飲んだ。 
 スペインを旅行した時にナランハ(オレンジ)の搾りたて100%ジュースをたまに飲んだ。あの時も貧乏旅行だったけど、ハモンセラーノ(生ハム)とオリーヴとナランハは飽きる程食べた。

 そう言えば、今日で4年が過ぎた。久しぶりにYou Tubeから「You've Got A Friend/ Carol King & James Taylor」。

4月13日(土)

 昨日は旧暦の3月3日で、各地で浜下りの行事が行われたが、旧の3月4日は那覇の鏡水地区で三月あしびの催しがある。
  早めに起きて、撮影の準備をしていると淡路を震源とする地震のニュース。被災地の状況が気になるが、6時半過ぎに部屋を出て、三月あしびが行われる鏡水ふれあい会館に自転車で向かう。

 鏡水地区は旧日本海軍により接収されて小禄飛行場(現那覇空港)となったため、現在民間住宅はない。それでも様々な地区に分かれて暮らしている嘗ての鏡水地区の人達が集まり、この伝統行事のサングヮチー(三月あしび)を守っている。 家事や農作業に追われる女性達が、この日だけは仕事から解放されて歌や踊りを楽しむ。 
  歌と踊りは午後3時からふれあい会館で行われるが、その前に鏡水地区の拝所をまわる御願があり、その御願の際に供えられるシンムイ作りが朝7時頃から始まるというので、その製作過程も見せていただく。
 7時過ぎに会館に着くと、すでに調理室で作業が始まっていた。
 シンムイは、北谷の旧桑江の伝統行事ニングヮチャーで作られているのをテレビのローカルニュースや新聞のweb記事で見て撮影したいと思っていた。お盆に豚肉やカマボコ、豆腐、天ぷらなどを積み重ねていくもので、鏡水地区のシンムイも嘗てはそのようだったが、今はお菓子やゆで卵が美しく盛られている。

シンムイの製作過程
↑黒木の枝をキレイに削りカットした大根にさす。お盆の中央に大根を置き、周りをお菓子で埋める。カステラ、和菓子、食紅で色を着け花形にカットしたゆで卵を積み重ね、崩れないように竹串で留めていく。積み終わったら全体にラップを巻いて固定する。赤い糸で吊るした花形の人参を黒木に飾る。
↓シンムイと記念撮影。→完成したシンムイを、早速頭に乗せてみる。
完成したシンムイを頭に乗せてみる
シンムイと記念写真
 シンムイが完成した後、ふれあい会館の入口横にある拝所で御願をし、その後近くの井戸まで歩き御願。会館に戻って昼食を食べてから、大型バスに乗って陸上自衛隊基地の中にある鏡水地区の拝所・ミーヌシンへ。
 自衛隊の広報の方が見守る中、拝所にてシンムイやお線香などを供えて御願をし、その後順番に2つあるシンムイを頭に乗せてカチャーシーが踊られた。
↓→自衛隊の基地内にあるミーヌシンにてシンムイを頭に乗せて踊りを奉納。
ミーヌシン
ミーヌシンで踊りを奉納
元家?
 ミーヌシンの後は、鏡水地区の祖先神が奉られた元家(日程表には大平良とある)で御願。次に歩いて御嶽公園(日程表には鏡水ウタキ)で御願と踊りを奉納して、ふれあい会館へ戻った。
拝所公園

 シンムイ作りから拝所での御願が済んで、いよいよサングヮチーの始まり。最初に来場者にシンムイの披露が行われ、挨拶の後に各班や会による演目が行われた。
 プログラムから。
1.かぎやで風/役員 2.あしびかりゆし/しみず会 3.エイサー/鏡鼓会 4.初春の踊り/3・4班 5.秋の踊り/華昌代の会 6.安里屋ユンタ・安波節/鏡原1・2班 7.みやらび貫花/3・4班 8.会いたかった/5・6班 9.うたやびら(カラオケ)/会場全員 10.マイム マイム/1・2・7班 11.ヒップ ホップ/児童 12.海のチンボーラー/琉舞サークル 13.カチャーシー/会場全員

奉納舞踊
シンムイの取り分け
←お披露目の後、シンムイのお菓子やゆで卵は、小分けにして会場にいらした方々に配られた。
↓私もお饅頭2つと、ゆで卵をいただきました。
お裾分け
若狭の時空

 午後3時を少しまわって始まったサングヮチーは、5時半近くに終了。(*沖縄タイムスのweb記事

 先月、桑名晴子さんと来沖したヘッケル&越中のお二人が昨日から那覇に来ているので、宿泊先のホテルへ。中華料理店で晩ご飯を食べて、若狭のライヴハウスでヘッケルさんの友人がやっているGS、昭和歌謡のバンドを観て帰る。

*三月あしびの写真をPhoto Albumにしました。シンムイ作りからミーヌシンでの御願までは、こちら。元家での御願からふれあい会館でのサングヮチーは、こちら。(4月20日に更新)

4月12日(金)

 北朝鮮情勢も那覇の空も、不安定ですっきりしない日が続いている。
 防衛省は、地対空誘導弾PAC3を、沖縄の那覇基地と知念分屯基地に常時配備する方針を固めた。

 4月3日に行われた公事清明祭と集落のスナップをPhoto Albumにしました。公事清明祭と奉納芸・直会の様子はこちら。伊是名島の集落のスナップはこちら。↓上は、玉御殿で行われた公事清明祭。下は、伊是名集落でのスナップ。

公事清明祭
伊是名集落のスナップ

 ゴールデンウイークフリー乗車券の発売が、4月19日に決まった。前期券(5月3日・4日有効)、後期券(5月5日・6日有効)の2種類で各1000円。1000円で2日間、高速バスを除く沖縄本島の路線バスが乗り放題。夢のようなチケットです。

4月10日(水)

 最高気温19℃、最低気温15℃。一日中曇り空。昨日、今日と部屋に籠って伊是名島で撮影してきた写真データの作成。その合間に、本を読む。
 昨日、「多良間島の八月踊り/撮影・小橋川共男」(多良間村役場発行)を読み終えたが、この本に見慣れない単語が出て来た。ムやリ、イといった単語に半濁音の○が付いている。最初は印刷ミスかと思ったが、そうでもないようだ。写真に付けられたキャプションだけではなく、後半に収載されているコラムや資料にも、この単語が登場する。さて、どう発音するんだろうか。言葉の、単語のイメージが湧かずただ文字を見つめて頭をかかえるばかりだ。
 沖縄の言葉で不思議なのが他にもある。祝宴の座開きとして踊られる「かぎやで風」は「カジャディフウ」と読む。それなら「かじゃでぃ風」と書けば良いと思うんだが、見たことがない。
 ところで沖縄では、しりとりが終わらない。しりとりのルールは、終わりに「ん」のつく単語を言った者が負け。それはたぶん「ん」で始まる単語がないからだと思うが、沖縄のウチナー口には「ん」で始まる単語がいくつかある。多良間島のお隣り、宮古島には本島以上に「ん」で始まる言葉があるようで「ん」で始まる地名もあるそうだ。
半濁音の例01
半濁音の例02

↑イに半濁音の○。スースブーギイベー(誘手)のイに○がついている。←ジャーンケーヌムディリマイ(出番前)。ムとリに半濁音の○。

 「多良間島の八月踊り/撮影・小橋川共男」から、興味深い箇所を引用。

1、八月踊りのおこり

 多良間の八月踊りは、いつ頃から始められたものであるか史実は定かでないが、その本来の名称が「パチュガツウガン」(八月御願)と称されていることからすると、かなり古い時代から始められていたと思われる。
 首里王府は、一六〇九年薩摩の侵略を受けその支配下に服することになった。それにしても在地役人を介しての間接統治であったが一六二九年から常駐在番を派遣しての直接統治となり、首里王府に対する圧力がきびしくなった。首里王府は、その体制維持の一方策として一六三七年、宮古、八重山に対して人頭税を課すことになった。それ以来、農民は穀税のために酷使される状態にあった。十五歳以上五十歳までの納税義務者は一様に納めていたが、七年後の一六四四年から年齢によって差をつけ、十五年後の一六五九年からは、穀税の他に反布税が課されることになり、住民は一層過重負担の重税に苦しめられた。
 穀税や反布税を、その年の旧暦七月までに皆納し、翌八月には「パチュガツウガン」と称して各御嶽に祭事を行い、完納の報告とお礼を述べ、さらに次年の豊作を祈願することを年中行事としていた。その際、神前で「奉納踊り」をすることが慣例となっていた。
 古老の伝承によれば、古くは「皆納祝い」といわれ、字の帳簿にもそのように記されていたということである。ところで、記録によれば「皆納祝い」とは天保年間(一八三〇~一八三四)に始まったとされていることから、「皆納祝い」と称されるようになったのは、人頭税制が施行されてからおよそ二〇〇年ほど経てからのことだと思われる。
 前述のような営みが「皆納祝い」として、住民挙って大いに祝い、共に喜び楽しみ、納税の苦しみを自ら慰め合い、励まし合ったものと推察される。
 「八月踊り」は、当時、祝い酒に浮かされた踊りに始まり、それをもとに島で創作された「民俗踊り」のみが演じられていたが、明治の初期から中期になって「古典踊り」や「組踊り」が首里を中心に沖縄本島から伝播されたようである。

(多良間島の八月踊り 渡久山春好)

名護のスナップ写真
 4月2日に撮影した名護〜運天港〜伊是名島のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

4月7日(日)

 低気圧の影響で、昨日今日と全国的に大荒れの天気となっている。那覇は一昨日昨日が荒れ模様で、今日は風こそ強いが日差しも出た。それでも気温は上がらず最高気温が18℃で、東京の23℃を大きく下回る寒さだった。
デイゴの花
 返却期限が明日の本を持って、県立図書館へ。1冊を返却し、2冊を延長してもらった。
 図書館に隣接する与儀公園のデイゴの樹に、赤い花が咲き始めている。
 新都心のスーパーを2つ廻って買い物。テナントで入っているベーカリーが、選り取り5つ500円のセールをしていたので晩ご飯はパンにした。
 一昨日、地下貯水槽から放射能汚染水120トン(放射能約7100億ベクレル)が漏れ出ていた事がわかった福島第一原発で、今日になって新たに別の貯水槽からも水漏れしている恐れがある事がわかった。
 原発作業員ハッピーさんのツイッターによれば、そもそもこの貯水槽は高汚染水を貯める為に造られた物じゃなくて、アルプスの処理水を貯める為に造られた物だそうだ。
 先月中旬、使用済み燃料プールの冷却システムが停電により止まったトラブルは、仮設の配電盤にネズミが入り込んだ事が原因と断定された様だが、今月5日には3号機の冷却装置が3時間停止するトラブルが起こった。原因はネズミが入るのを防ぐ金網を設置していたところ、針金がケーブルの端子に触れて漏電したという。開いた口が塞がらない。
 原子力発電所の廃炉、それも過酷事故を起こした原発の廃炉作業は、もはや一企業の手に負える物ではないのではないだろうか。まして、こんなデタラメな会社には。
新しいトップ画面
トップ画面を模様替えしました。今回は奄美大島の宇検村にある展望台から撮影した新緑です。
 沖縄本島も北部のヤンバルに行けば、スダジイの新緑が見れるんだろうか。ひときわ明るい黄色のところは、スダジイの花。2012年4月8日に撮影。
前のトップ画面

4月4日(木)

 朝9時に民宿をチェックアウト。大きいバックを預かってもらい、自転車を借りてサイクリング。
 諸見集落の尚円王御庭公園、みほそ所を見た後、昨日直会が行われた産業支援センター傍にある伊是名村ふれあい民俗館に行ってみるが、残念な事に休館日だった。しょうがないので民俗館の前庭にある休憩所で、昨日買ったパンや昨日の直会でいただいたお菓子を食べて一休み。
 民俗館から伊是名集落へ。フクギとサンゴの石垣が美しい集落内を自転車で走り、銘苅家住宅、ノロ殿内、伊是名酒造所等を見て回る。
 伊是名集落から海岸沿いの道路を走り、昨日公事清明祭が行われた玉御殿へ。伊是名城跡を上がれる道を、少しだけ歩いてみる。
伊是名島のスナップ
 玉御殿から仲田港に寄り、12時少し前に宿へ戻る。自転車を返却し、預けていた大きなバックを背負ってフェリー乗り場へ。昨日今日と自転車に乗りっ放しでお尻が痛い。待合所のソファーに座り、乗船時間を待つ。
 出航の30分前、13時に乗船開始。いつもなら一番上のデッキで風に当たりながら風景を見ているのだが、なんだか疲れていて、ほとんどの時間を船内のソファーでウトウトして過ごした。
 運天港に着いて、名護までの移動に悩む。来る時はバスの運転手さんに薦められたワルミ入口から緩い下り坂を歩いて来たが、今度は上り坂になる。名護までタクシーだと2300円位だそうだが、一番近いバス停なら800円位。でも800円あれば食堂で豪華な定食が食べられる・・・。
運天港
バス停までの風景
山岳バス停
↑運天に入港。
↑バス停までのんびり歩く。
↑仲宗根を目指したが山岳に。
 運天港のチケット売り場で一番近いとされている仲宗根バス停について尋ねると、ワルミ入口のように1本道ではないが、仲宗根までは緩い下り坂だというので、やっぱり歩く事にした。
 事前にプリントしておいた仲宗根〜運天港の地図を見ながら歩いたが、なぜか着いたバス停は隣りの山岳バス停だった。時刻表を見ると15分程でバスが来る。
 到着したバスに乗車して、那覇に行くには名護十字路で乗り換えるのと、終点の名護BTで乗り換えるのとどちらが良いか聞いてみると、名護十字路で乗り換えた方が運賃は少し安くなるそうなので十字路で下車。那覇行きのバス停で時刻を確かめ、近くの市場で天ぷらを買って食べ、自販機でレモンティーを買って那覇行きのバスに乗る。
帰りのバスの車窓から
↑帰りのバスの車窓から。
 バスは58号を那覇に向かってひた走る。最寄りのバス停で降りて、部屋に着いたのは19時を少し過ぎた頃だった。疲れているけど、お腹が空いたのでツナとオニオンのパスタを作る。味付けは塩こしょう、マヨネーズと卵黄。トッピングに海苔を散らした。
 とりあえず伊是名島で撮影した写真を、パソコンにバックアップする。

 本日の出費。山岳から名護十字路530円。さかな天ぷら2つ80円、紅芋天ぷら50円、レモンティー150円。名護十字路から最寄りのバス停1730円。

*伊是名島〜運天〜国道58号のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(4月16日に更新)

4月3日(水)

 7時頃に宿の食堂に行き、朝ご飯。雨が降ったら公事清明祭を観た後に那覇へ帰ろうと思っていたが、晴れそうなので素泊まりで一泊延長してもらう。自転車も港のレンタカー屋で借りようと思っていたが、宿でも自転車の貸し出しをしているというのでお借りする。
 朝ご飯を食べ終わり、部屋で少し休んでから自転車を借りて公事清明祭が行われる伊是名玉御殿へ。清明祭は10時からと聞いていたが、準備の様子から見たいと思っていたので8時過ぎに会場に着くと、ちょうど役場の人が一人車でいらしたので撮影の許可を貰い、ついでにブルーシートとゴザを敷くのを手伝う。
お供え物の準備
宿の朝食
↑民宿の朝食。 
←8時40分頃に道具や供え物を乗せた車が到着し、職員の方が玉御殿に運び入れてセッティングが始まる。古文書に記された通りに再現しており、豚の頭やアヒルも並ぶ。

 準備が整ったということで、9時40分に清明祭が始まった。以下、公事清明祭の進行表から。

<公事清明祭> 午前10時〜10時20分
1. 銘苅親雲上が拝礼の座へ進み、そこで立拝をする。
2. 付き添い役である下知役・検者、銘苅家の一族の者が、御小飯の蓋を開き、盃包紙をとって茶湯を供える。
3. 付き添い役から銘苅親雲上はお香5本を受けとって供え、手を合わせる。
4. 付き添い役が御茶碗の蓋を開き、少し隙間を開け、御紙鉢を用意して、銘苅親雲上は初めの1回分(10枚)を受け取り燃やす。
5. 付き添い役は御玉貫のかんすをはずし、御酒をついで供える。
6. 付き添い役が御紙鉢を供台の下に片付けると、銘苅親雲上はその場で「四つ御拝」(立って手を合わせて座る動作を4回繰り返す)を行う。
7. 銘苅親雲上は自身用の拝みのため、短香5本を受け取り供え、手を合わせて「四つ御拝」を行う。
8. 続いて伊平屋の阿母加那志、南風の二かや田の阿母、北の二かや田の阿母がそれぞれ短香5本受け取り供え、手を合わせる。
9. その他の参加者が続いて焼香を行う。
10. 焼香終了後、銘苅親雲上が手を合わせて一礼し、供物が下げられる。
11. 一同が手を合わせて一礼し、玉御殿を出る。

お供え物
うちかびを燃やす

↑あの世のお金と言われる打ち紙(うちかび)を燃やす、銘苅家の親族の方。
←古文書に記された通りに再現された供え物。

公事清明祭の全景
 9時40分に始まった清明祭は10時5分に終わった。この後、奉納芸と直会が産業支援センターで行われるというので急いで自転車で向かう。
 どういうわけだか直会の席が正面に村長さん、横に議長さんという場所になってしまった。テーブルの上にはサンピン茶のペットボトル、清明祭で供えられた料理やお菓子を職員の女性達が紙皿に取り分けて配って下さる。ふるまいだ。
  残すと怒られますよと隣りの議長さんに言われて、昆布、厚揚げ、豚肉を食べて、お菓子とバナナは袋に入れて持ち帰った。
直会のいただきもの

<直会> 午前10時30分〜11時30分
1.開会のことば     教育長/仲田允碩
2.村長あいさつ     伊是名村長/前田政義
3.銘苅家旧蔵品修復・復元事業報告     琉球漆工藝舎
4.御座楽演奏      首里王府路次楽・御座楽保存会
5.奉納舞踊       野村流古典音楽協会伊是名支部
1).四つ竹 *生演奏
2).上い口説 *生演奏
3).谷茶前 *CD
*伊是名村観光大使あいさつ    伊是名村観光大使/西昇
4).日傘踊り *CD
5).加那よー天川 *生演奏

6.尚家・四殿内代表者謝辞 銘苅家親族/銘苅朝則
7.閉会のことば      教育委員会教育振興課長/高良修

(機械のトラブルにより、3の銘苅家旧蔵品修復・復元事業報告は奉納舞踊の後になった)

↓路次楽の演奏。→奉納舞踊から日傘踊り。
奉納芸・日傘踊り
路次楽の演奏
 10時50分くらいにスタートした直会は、12時30分くらいに終了した。
 撮影したかった行事を無事に撮り終えて、後は自転車で島内をのんびりサイクリング。まずはフクギと石垣と赤瓦の屋根の家が残る伊是名集落へ。国の重要文化財に指定されている銘苅家住宅に行くが、管理している人もいなく自由に見学出来る。昨日、諸見集落でも見た神アサギが伊是名集落にもあった。
 伊是名集落から島の海岸線近くを一周する道路を時計回りに走り、勢理客集落へ。家の瓦に漆喰を塗っている人達がいたので写真を撮らせてもらう。下塗りを入れると5回塗るそうで、大変だ。
 勢理客から内花集落へ。内花港の近くでお墓の周りを掃除しているオジさんがいたので話しかけてみると、お墓は昨年作ったばかりで、隣りにご先祖様が眠る立派な亀甲墓があった。まだ真っ白いお墓と一緒に写真を撮らせていただいた。
 内花から諸見を通り過ぎて、仲田港へ。朝からどんよりと曇っていた空が、だんだん晴れて来た。仲田港にはちょうどフェリー・ニューいぜなが入港して来た。
 フェリーをしばらく撮影してから、午前中に清明祭が行われた玉御殿へ。昨日の夕方も伊是名城跡と玉御殿を撮影したが、曇っていたので、晴れて来た今、もう一度撮影。
伊是名島のスナップ
シラサギ展望台からの夕景
   玉御殿からシラサギ展望台、ギタラ展望台、、アハラ御嶽に寄り、伊是名集落に到着して島を一周した。もう一度銘苅家に向かい、建物に日が当たる光景を撮りに行く。
  集落を自転車でぶらぶらしてから、来た道を戻りシラサギ展望台から夕景を撮影し、玉御殿を通り仲田集落の売店でパンとポテトチップス、カップ焼きそばを購入。焼きそばにお湯を入れて、お店の横で食べて19時頃に宿に戻った。

 本日の出費。パン、ポテトチップス、カップ焼きそば358円。民宿への支払い8700円(1泊2食4500円、素泊まり3000円、今日一日と明日午前中のレンタサイクル代1200円)。

*公事清明祭と集落のスナップをPhoto Albumにしました。公事清明祭と奉納芸・直会の様子はこちら。伊是名島の集落のスナップはこちら。*(4月12日に更新)

4月2日(火)

 明日行われる公事清明祭を観るために、伊是名島へ向かう。
 最寄りのバス停を9時18分に出る名護行きのバスに乗ろうと部屋を出るが、エレベーターに乗ってから傘を忘れたのに気づいて取りに行く。マンションを出た時点でバスの出発時間だったが、多少遅れてるかもしれないと思い歩いて5分ほどのバス停に向かうと、ちょうどバスがやって来た。
 2時間程で名護バスターミナルに到着。しばらく来ていなかった間にトイレが新しくなっていた。大きなリュックをコインロッカーに預けて、しばらく名護の町を散歩。写真を撮りながら、ヒンプンガジュマルまで行って戻って来た。
名護のスナップ
↑バスの乗り継ぎの間に、名護の町中を散歩。バスで通った事は何度もあるが、歩くのは初めてだ。
 名護BTを13時に出る今帰仁廻りの本部半島線に乗車。伊是名島には運天港からフェリーで渡るが、運天港までのバスが廃止になったので一番近いバス停で降りて歩いて行く事になる。ネットで調べると仲宗根バス停が近いが、運転手さんに聞くと手前のワルミ入口の方が近いというので、そこで降ろしてもらう。降りると運天港まで3キロの標識があった。ん?仲宗根からだと2.2キロじゃなかったか??とりあえず教えられた一本道をテクテク歩いて運天港を目指す。30分ほど歩いただろうか。14時頃に港に到着。切符売り場で伊是名島までの往復切符を購入。
 待合室でしばらく休んでから、フェリーに乗船。船は定刻の15時30分に出航した。しばらくして沖にMARIX LINEが見えた。鹿児島〜奄美大島〜徳之島〜沖永良部島〜与論島を経由して、沖縄本島の本部港に行くのだろう。
運天港

 フェリー・ニューいぜなは55分で伊是名島の仲田港に到着。

←運天港。→伊是名島の仲田港。どちらもフェリー・ニューいぜなから撮影。

仲田港
 フェリー乗り場の近くにあるレンタカー屋に寄って、レンタサイクルの値段を確認すると24時間で700円だった。ついでに今日泊まる民宿の場所を教えてもらう。教わった通りに歩いて民宿へ。とりあえず部屋に荷物を置き、短パンに着替えて島内を散歩。
 宿から近い尚円王御庭公園へ行き、諸見集落をぶらぶらし、海岸沿いに歩いて明日公自清明祭が行われる伊是名玉御殿へ行ってみた。
 しばらく玉御殿の写真を撮ってから、日が暮れて来たので民宿へ戻る。
伊是名島のスナップ
 ↑伊是名島に着いて、さっそく晩ご飯まで散歩に出かける。一番下の右は伊是名城跡。中腹に明日公事清明祭が行われる、玉御殿が見える。
ウエルカムボード
オキナワグラフ
晩ご飯
↑ウエルカムボード。
↑自分が写っていたオキナワグラフ。
↑晩ご飯。
 宿に着き、シャワーを浴びて晩ご飯。宿のご主人が伊是名島の本と、雑誌オキナワグラフを見せて下さる。最新号だというオキナワグラフのページを捲っていたら、先月行われた辻のジュリ馬行列を撮影している自分が写っていて驚いた。
 晩ご飯は、かき揚げ、茹でキャベツ、刺身、イカスミ汁、ご飯。
 この旅行の為に買って来た、残波の360ml瓶を呑みながら就寝。

 本日の出費。名護バスターミナルまでのバス代1770円、コインロッカー400円、名護BT〜ワルミ入口400円、運天港〜伊是名島往復フェリー3350円、環境協力税100円、レモンティー150円。

*名護〜運天港〜伊是名島のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(4月10日に更新)

4月1日(月)

 午前中に、旅の手配をいくつか済ませる。 
 先月、桜坂劇場から会員特典の誕生日プレゼントで送られて来た映画鑑賞券の有効期限が迫っているので、昼ご飯の後に映画を観に行く。劇場の前に自転車をとめ、映画を観る前に牧志市場の商店街へ傘を買いに行く。
 店頭に傘を並べたお店があったので値札を探すと、中からオバさんが出て来て1本240円だと言う。端の方にも黒の傘があったので見に行くと、「そっちは 高級さ〜、450円さ〜」。確かに少し値段は上がるが、丈夫なら高級な450円の傘にしようと思ったが、どちらも中国製。オバさんは240円の方がオススメなようなので、そちらを購入。雨合羽と傘の専門店らしく「私は毎日雨フレー、雨フレーお祈りしているさ〜」とオバさん。
 買った傘をぶら下げて劇場へ。 劇場の入口横の雑貨屋さんで本を立ち読みしてから、15時10分開演の「アルバート氏の人生」を観る。
 映画が終わって劇場を出ると、オバさんの祈りが通じたのか雨が降っていた。小雨なので傘はささず、途中コンビニに寄って自転車で帰宅。
牧志市場の雨合羽店
←粟国島に行った時に傘をなくしたので、牧志市場で新しい傘を購入。240円。
↓桜坂劇場の会員特典で送られて来た映画鑑賞券。
桜坂劇場の映画鑑賞券
名刺
 名刺が無くなりそうなので、一昨日新しい名刺用のデータを作り、昨日プリントしてみた。
  これまでは名刺で名シーンという専用ソフトで作っていたが、インストールしていたMac Proが壊れて使えないので今回はフォトショップで作成。モノクロとカラーの写真を入れた2種類を作ってみた。
 専用紙でないためハサミでカットしなくてはならないのが難点だが、いい感じの仕上がり。
 新年度が始まりましたね。今日から那覇市は中核市になるそうです。

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