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○5月2日(水) 燃えないゴミの日
○5月3日(木) 本の返却期限
○5月6日(日) 加計呂麻島・芝漁港 第4回脇田丸かつお祭り「浜オレ」※ 当日古仁屋港より「海上タクシーみなみ丸」が12時30分~13時30分の間お一人様 500円 にて出航します。
○5月12日(土) ビン類・ペットボトル
○5月13日(日) 東京・新大久保「R'sアートコート奄美島唄ライブ vol.15」築地俊造 with RIKKI
○5月16日(水) 燃えないゴミの日
○5月27日(日) 奄美大島→東京
○5月30日(水) 燃えないゴミの日
○5月31日(木) 東京→奄美大島
○6月3日(日) 奄美の自然を考える会 屋仁海岸「海の生物」観察会/8時20分 長浜緑地公園集合/会員2000円、一般2500円
○6月6日(水) 燃えないゴミの日
○6月9日(土) ビン類・ペットボトル
○6月15日(金) 部屋の契約期限
○6月16日(土) 本の返却期限
○8月上旬 第42回ヨロンサンゴ祭/コースタルリゾート
○9月22日(土) ショチョガマ、平瀬マンカイ/秋名
○9月30日(日)*旧暦8月15日 与論十五夜踊り/地主神社吸収
                  油井の豊年踊り/瀬戸内町
○10月23日(火) 諸鈍シバヤ(加計呂麻島・諸鈍)
○11月28日(水)*旧暦10月15日 与論十五夜踊り/地主神社
○12月9日(日) Mac Bookの5年保証終了日

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2012年(平成24年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦1月23日(月)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(月)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(土)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月7日(火)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦3月24日(土)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月24日(日)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月24日(金)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月30日(木)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦9月1日(土)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月23日(日)
○アラセツ(※2):旧暦8月7日→新暦9月22日(土)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月30日(日)
○シバサシ:旧暦8月13日→新暦9月28日(金)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月23日(火)

※1‥以前は旧暦の1月2に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[
ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定)、佐仁の八月踊り:笠利町佐仁  等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。(地域・集落によって多少日程が異なる場合もあります。)
※4と油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima
5月31日(木)
 朝8時半頃にホテルをチェックアウトして、都営浅草駅へ。9時9分の京浜急行直通で、9時54分に羽田に到着。
 出発まで一時間半ほどあるが、早めに搭乗手続きを済ませてロビーで出発を待つ。
 出発前のアナウンスでは、奄美空港の上空に雷雲があるため、場合によっては羽田に引き返すか鹿児島空港に下りる場合があると告げられる。
 11時30分に搭乗ロビーからバスでJAL1955便へ。
 奄美大島に近づくにつれて飛行機の揺れは大きくなったが、無事に空港に到着。
雨の名瀬港

 梅雨らしいザーザー降りの雨の中、空港からバスで市内へ。
 終点のウエストコートで降りて矢之脇町の食堂に行くが、2軒ともお休み。しょうがないので市庁通りまで歩いて、サンドイッチカフェで遅い昼ご飯。
 隣りのパン屋でパンを2つ買って、バスで家に帰る。
 部屋の中は、引っ越し用に荷物を詰めた段ボールが転がっている。ちょっと落ち着かない。
5月30日(水)
 夕方、湯島にあるへぎそばのお店で飲み会。昨年の8月末に東京へ撮影で来たとき以来なので、9ヶ月ぶり?
 アレコレと近況を話し、今年撮影する書籍の事などを少し打ち合わせ。
 へぎそばのお店で生ビール1杯、トリスハイボール2杯。この後、上野のバーでジントニックを2杯。ほろ酔いで上野広小路から田原町まで地下鉄で行き、ホテルに帰った。
記念写真

↑色々と食べて飲んだ後、〆にへぎそばを3人前。
←左から広告部の伊東さん、書籍編集部の北條さん、一條さん。ご馳走さまでした。

5月29日(火)

 午前中に、昨日見積もりを出してもらったパソコンショップへ。昨日のスタッフの方は休みで、違うスタッフが対応してくれる。
 聞けば、OS10.7にするとドリームウイーバーCS3も動作が不安定な様子。こちらもフォトショップ同様に、年内購入ならCS6へのアプグレードができる。買わなくてはいけない物がまた増えた。
 結局今回はMac Proは諦めて、iMacで組む事に。
 今使っているナナオのモニター、CE-240Wを繋いでデュアルディスプレイにすることを前提に、21インチのiMacを選択してプロセッサを速いものに変更。キーボードはワイヤレスではなく、テンキー付きにした。
 iMacの他、フォトショップCS6、ドリームウイーバーCS6のアップグレード版、3年間延長保証のアップルケア、モニターケーブル、内蔵HDDをUSBで接続するケース、ハブなどを購入。上手くポイントを使えるよう、3回に分けて会計してもらったが、やっぱりそれなりの額になりました(汗)。奄美で節約生活すれば2ヶ月過ごせる?
 購入したパソコンは、すぐに発送してもらえるのかと思っていましたが、プロセッサを変更したので納期が未定。来月の半ばに沖縄に引っ越すので、沖縄に送ってもらう事になるかもしれない。
 高い買い物をして、すっかりエネルギーを消費したので新宿から御徒町に出て、以前時々食べに行っていた上野の焼肉屋さんでカルビとタン塩のWランチ、1150円。
 食後の散歩を兼ねて、台東、東上野、元浅草、寿、西浅草と歩いてホテルに帰る。

 部屋でしばらく休んでから、ホテルの最上階で開催されるパーティーの撮影準備。
 6時過ぎに会場に入り下見をして、受付の始まる6時半頃から撮影を始める。
 パーティーは7時頃に始まり、10時過ぎまで撮影。一旦部屋に戻り、撮影データをパソコンと外付けのHDDにバックアップしてから、2次会?3次会?の行われている地下のバーへ。シャンパンで乾杯した後、何も食べていなかったのでアレコレつまんで、生ビールとジントニックを1杯ずつ。
 深酒をしないように、一人早めに切り上げて部屋に戻った。

5月28日(月)
 浅草から銀座線で、上野広小路へ。上野広小路から歩いて秋葉原に近い、ソニーのサービスステーションへ行き、α700を1台センサークリーニングに出す。
 秋葉原から総武線、中央線と乗り継いで新宿へ。パソコンショップで、新しいMac Proを買った場合の見積もりを出してもらう。フォトショップCS6は、年内購入ならCS3からもアップグレードできるが、来年からはCS5からしかできないそうだ。
 新宿から秋葉原に戻り、センサーをクリーニングしてもらったカメラを受け取り、上野広小路から銀座線で田原町へ。
雲に覆われた浅草の空

↑地下鉄の田原町から地上に出ると、ぽつりぽつりと雨。その後、急激に黒い雨雲に空は覆われて、激しい雷雨となった。

←田原町方向から見る、スカイツリー。上空に雨雲が広がった。

→バックに入れてあったヤッケを着て、折りたたみ傘をさしてホテルに戻る。途中にあったスーパーで買ってきたアイスコーヒーを飲んでゆっくりしていると、空は徐々に明るくなり、やがて雨も止んだ。写真は部屋の窓から撮影した西浅草辺り。

西浅草辺り
 夜、打ち合わせを兼ねてホテルの近くで中華。夜中、地震で目が覚める。さすがに、23階は揺れる。
5月27日(日)

 29日に行われるパーティーの撮影をするために、東京へ。
 ウエストコート奄美を12時40分発のバスで、奄美空港へ。早めに搭乗手続きを済ませて、搭乗口のロビーで朝作ってきたおにぎりを食べて、出発を待つ。
 今回は奄美大島14時50分発で、羽田に16時45分着のJAL1956便。あいにくの空で、離陸してしばらくすると窓の外は雲ばかり。
 羽田空港で機内に預けていた荷物を受け取り、京急で浅草へ。雷門から仲見世を通り、宿泊先の浅草ビューホテルに着いたのが18時半過ぎ。
 19時にフロントの前で、めぐりんさんと待ち合わせてホテルの日本料理屋さんへ。途中からご主人も合流して、ご飯を食べながら打ち合わせ。話しが落ち着いたところで、ホテルの地下のバーへ。
 日本料理屋さんでビールからワイン、バーでジントニック。途中からウトウトと寝てしまった。

 夜中に喉が渇いて起きた。ホテルを出て夜の浅草へ。コンビニでポカリスエット、缶コーヒー、ビールを買って帰る。

↓離陸と着陸の時以外は、雲の上が多かった。→今回宿泊している浅草ビューホテルの部屋から。
ホテルからの眺め
飛行機からの風景
5月26日(土)
 朝は小雨が降っていたが、お昼頃には止んで晴れ間も出てきた。
 午後から、那覇行きや引っ越しさばくりでバタバタしていて、すっかりご無沙汰していた県立図書館へ。
借りて来た本


 2階の郷土コーナーに行くと、本の棚の位置が少々変わっている。模様替え?借りようと思っていた本が見つからない。

←今日、借りて来た本。「奄美 光と水の物語/浜田 太」(小学館)、「奄美 太古のささやき/濱田 康作」(毎日新聞社)、「写真報告 オキナワ 1961〜1970/栗原 達男」(朝日新聞社)、「写心あまみ 奄美群島写真連盟作品集1992VOL.1」「写心あまみ 奄美群島写真連盟作品集1993VOL.2」。返却期限は、6月16日。

5月24日(木)
 さばくりにんさんに誘ってもらって、午後から久しぶりに島内探検。今日は名瀬からもそう遠くない、太平洋側の崎原(さきばる)へ。
 道の島バスが通っている崎原小中学校の辺りは以前来た事があるが、そこから下りていった海岸は初めて。天気が良い事もあって、遠くに喜界島が見える。海岸の珊瑚に目をやれば、熱帯魚が泳いでいる。
 崎原から途中未舗装の林道を通って戸口の先まで行き、また崎原へ。今度は海岸の方ではなく、山の方に入った賀屋集落、田平集落を尋ねてみた。
崎原の海
←戸口と小湊の間に位置する、崎原の海。薄らと喜界島の島影が見える。
↓崎原の港の防波堤から。
崎原の港の堤防から
田平の滝

↑崎原・田平集落の滝。舗装された林道を下りて、沢を歩いたところにあった。周辺には大きなシマオオタニワタリが木の枝に着生し、空中楼閣を築いている。
→崎原探検の後、久しぶりに奄美の森の夜間観察。その前に、スタミナ補給。うな重の特上。時価でした(汗)。さばくりにんさん、ご馳走さまでした!

うな重特上
 うな重を食べて元気が出たところで、久しぶりに夜の森探検。デジカメのメモリーが足りなくなったので、一旦コンパクトディスクを取りに家へ寄ってから、東シナ海沿いに大和村へ。
 大和村の西端、今里集落から林道に入り宇検村へ。湯湾岳の入口まで行って、今度は住用村の林道へ向かう。
アマミノクロウサギ

←可愛らしい、アマミノクロウサギの幼獣。この後、ぴょこんぴょこんと走って逃げていきました。

↓上の列左から、アマミヤマシギ、マッタブ(アカマタ)、ヒメハブ。下の列左から、キビタキ、オットンガエル、路上に出てきたアマミノクロウサギ。

 アマミノクロウサギは、12羽と遭遇。大和村の林道では、たくさんのアマミヤマシギを見ました。

夜の森の生き物たち
 午後1時から6時頃まで崎原をウロウロし、ご飯を食べてから夜中の1時過ぎまで夜の森探検。走行距離は、なんと200Km。お疲れさまでした!
 Photo Albumは、こちら。*7月13日に更新
5月22日(火)
 昨日見積もりをお願いした海運会社の担当者が、引っ越し荷物の確認がてら見積書を持って尋ねて来られた。
 色々と配慮していただいて、名瀬から那覇までの運送費はかなり安くなっている。ありがとうございます。後は、この部屋から名瀬港までの荷物の運搬をどうするか?ゆっくり歩いても5分かからない距離。大きな物以外は自分でコツコツ運ぶという手もある。
 予定としては、6月12日までに荷物を名瀬港のコンテナに運ぶ。13日に部屋の明け渡し。14日のフェリーで名瀬から那覇へ。15日に那覇の部屋の鍵を受け取り、夕方に荷物を配達してもらう。こんな感じだろうか。

 デスクトップのPCが壊れたので、ノートPCからプリントしようと思ってプリンタドライバーをインストゥールしたが、ディスクを読み取らない。色んなDVD-RやCD−Rを挿入口から入れてみるが、読み取らずに途中で吐き出してしまう。ノートPCまで壊れたか・・・orz。このMac Bookは5年保証に入っていて、今年の12月9日までは保証の対象。どこかのタイミングで修理に出せればいいけれど。
 デスクトップのMac Proは5年保証から半年以上過ぎてしまっている。しかし、考えてみれば5年以上も働いてくれたんだ。その間にOSも進化しているし、処理スピードもアップしている。そして相対的に値段は下がっている。壊れなくても、買い替えの時期なのかもしれない。でも、いざ買い替えるとなると・・・悩ましい。
奄美文化センターの裏
文化センター横の住宅

↑奄美文化センターの裏。今日も青空と雨雲が同居している。
←文化センター横の集合住宅。
↓朝仁海岸の沖を進むフェリー。波はちょっと高めだ。

朝仁海岸の沖
 那覇から帰って来てカメラやパソコンのトラブル、引っ越しさばくりで、少し疲れた。気分転換に自転車で市街地を走り、それから文化センターの裏をまわって、買い物がてら朝仁海岸へ。海岸の道路でやどかりの豊田さんとばったり。ベンチで1時間ほど世間話。
5月21日(月)
 世紀の天体ショーと、数日前から大騒ぎの金環日食。少し早めに起きてテレビをつけると、アチコチから中継を流している。
 奄美大島は金環日食は観れず、部分日食だそう。
 日食を観るメガネも用意していなかったし、天気予報は曇りだったのでテレビで観ればいいかと思っていたが、その時間になるとやっぱりカメラを空に向けたくなる。
 直接見ないようにと言われているので、太陽も隅に入るくらいの広角の風景を撮影。かなりアンダーに撮影して拡大してみると、小さく欠けた太陽が写っていました。
部分日食
 来週東京で撮影があるので、新宿の中古カメラ屋さんの通販サイトでポチッとしたα700が、午前中に届いた。これでα700が3台になった。
 スナップを撮る時はズームレンズを付けたカメラ1 台で済ます事が多いけれど、仕事で撮影する時は同じカメラを2台用意する。ところが那覇で物件探しをしている時に、カメラが故障。故障したα700は、修理するならセンサーをユニットごと取り替える事になるだろうと思う。部品代はそれほどでもないと思うが、基本の工賃が高い。それなら修理はせずに、価格が下がってきた中古を買うのも選択肢の一つかと。
 修理に出して、撮影日までに直らなかったらどうしようとドキドキするのも嫌なものだし。
名瀬の空
今日届いたα700
↑新宿の中古カメラ屋さんから、今日届いたα700。自分用に色々と設定し直す。
←点検がてら、さっそく撮影。青空と雨雲のコントラスト。奄美らしい空。
 午後、荷物の大きさをメモしたリストを持って港運会社2社と、クロネコヤマトに行って引っ越しの見積もりを出してもらう。
 奄美へは、クロネコの単身パック1つに入るよう事前に用意しておき、名瀬に着いて住む場所が決まってからクロネコに電話して実家の富山から運んでもらった。奄美大島でも名瀬市は離島扱いではないので、案外安く済んだ。
 今回は名瀬から那覇。富山から名瀬より全然距離は短いが、島から島の離島扱いなのでずいぶん高くなる。また名瀬に来てから買った冷蔵庫、洗濯機、ガステーブル、レンジが増えているので単身パックなら2つ分。単身パック1つに、残りを上手く段ボールにまとめて宅配便で送ればいくらか安くなるかもしれない。
 不思議なのは、クロネコの場合、名瀬から那覇に送る場合一旦荷物が鹿児島に上ってから那覇へと送られる。なんでだろう??事務の女性に理由を聞くが、私も意味がわからんと笑っていた。
←昼ご飯は、一昨日買ったシビの刺身を九州の甘い醤油に漬けておいた、シビの漬け丼。シビは脂が少ないのでアボガドと一緒に食べた方が美味しいように思う。
→晩ご飯は、親子丼。
 昨日は浅草・三社祭の最終日、今日は金環日食、明日はスカイツリーのオープン。お祭り騒ぎが続きます。
5月20日(日)
 朝から降っていた雨は、お昼頃に止んだが、窓の外からビュービューと音が鳴るくらいの強い風。
 今日も引っ越しの準備。沖縄に持っていく荷物の大きさを、巻き尺で一つ一つ測ってリストを作成。
パソコン画面

←18日に壊れたデスクトップのパソコン。自分で直すのは無理みたいですね。
↓昨日、大熊漁港でシビの刺身と魚の天ぷらをゲットン。刺身は500円の小パックだが、3食分はある。

シビの刺身と魚の天ぷら
 デスクトップのパソコンは直りそうもない。4台ある外付けのHDDにそれぞれ何のデータが入っているかリストを作成し、それを元に新たなデータのバックアップ作業。
 もはやパソコンのある便利な生活からは離れられないが、一度トラブルになると、その対処が本当に大変だ。

 今日は東京・浅草の三社祭最終日。本社神輿の宮出しですね。
 昨年は震災の影響で中止になったので、2年ぶりの開催。
 ←は2006年の三社祭。宮入りする一之宮です。何年か前に神輿に乗る事は禁止されたので、こんな風景はもう見られません。
 こちらに、2005年〜2009年の三社祭の写真があります。

 夜になって、また雨。明日は金環日食。さて、名瀬は見られるのだろうか??
 

5月18日(金)

 う〜ん、アレコレ壊れていく。
 コーヒーメーカーのスイッチが接触不良になって、だましだまし使っていたが、先日とうとう電源が入らなくなった。沖縄での物件探しの途中、カメラが故障。ファインダーで見る画像と実際写っている画像がズレるという、困った事になっている。そして今朝、メインで使っているデスクトップのパソコンが、壊れてしまった。
 外付けのHDDにデータをコピーしながらネットを見ていたら、突然ディスプレイにサーっと黒っぽいスクリーンが降りてきて再起動してくださいのメッセージ。以前にも一度出てきて、その時は指示通りに再起動したら普通に使えたので、今回も強制終了の後再起動。が、今回は起動の途中で止まってしまう。色々と試しているが、起動してくれない。そう言う訳で、ノートパソコンで更新しています。

 今月末に東京へ行く事になったので、昼ご飯を食べた後、飛行機のチケットを手配。郵便局へ行き、秋頃に発売予定のMOOK用のデータをレターパックで出版社に送る。
 家に帰ってきて、引っ越しのための荷物の整理。

 今日はドナ・サマー、昨日はチャック・ブラウンの訃報が入ってきた。
 ゴッドファーザー・オブ・ゴーゴー、チャック・ブラウンの初来日は1987年12月で、この時、ミュージック・マガジンの「~空前のにぎわいを見せた ト-キョ-・ブラック・シ-ン~」という特集で撮影にいっている。この特集では他に、ザ・ドラマティックス 、レイクサイドを撮った。80年代の後半から90年代頭、日本経済はバブルと呼ばれていたが、その時期は黒人アーティストの来日ラッシュでもあり、おかげでたくさんのミュージシャンを撮影させてもらった。
 チャック・ブラウンの初来日から、もう25年が経つ。享年75歳、初来日の時の彼の年を自分が超えている事に、少し驚いている。

チャック・ブラウンのライヴ

←チャック・ブラウンのライヴ@インクスティック芝浦1987.12.2。→ポートレートは12.3@南青山の公園にて。↓『GREATEST HITS』。自分の撮影した写真が、いつの間にかジャケットに使われていた(*´д`*)。

チャック・ブラウンのポートレート
 昨日は自分の持っている『Chuck Brown And The Soul Searchers/GO-GO LIVE』『CHUCK BROWN AND EVA CASSIDY/THE OTHER SIDE』『Chuck Brown/We're About the Business』を部屋で聴いた。
 You Tubeから「Chuck Brown & The Soul Searchers/We Need Some Money」。
5月15日(火)

 那覇へ行くのに冷蔵庫の中身を少なくしておいたので、さっそく補填するため買物に出る。
 大熊漁港の魚の天ぷらが食べたくて買いに行くが、カツオのぼりが上がっていないどころか、販売所の戸が閉まっているようだ。
 魚の天ぷらを諦めてダイエーへ。久しぶりにケララカレーを作ろうと思ってカレーコーナーに行くが、ケララカレーが無い。??側を通った従業員の女性に調べてもらったら、この商品は今後入荷する予定はないと言われた・・・orz。人気がないのだろうか。美味しいのに。
 ケララカレーを諦めて、ゴールデンカレーを購入。その他、色々食材を買って外へでるとザーザー降りの雨。天気予報では、雨が降るのは午後からとなっていたのに。
 奄美は4月29日に梅雨入りしたが、その後もわりと天気の良い日が続いていた。ホントに梅雨入りしたんだろうか?と思うほど。今日の雨でようやく実感した。
 バックには折りたたみの傘と、ヤッケが入れっ放しになっている。とりあえずヤッケを着て、自転車で家を目指す。あっという間にズボンの表はびしょびしょだ。梅雨の洗礼ですね。

 今日で沖縄が日本に復帰して40年。テレビはニュースで、特番でその映像を伝えている。

↓東京・浅草での照屋林助さんのワタブーショー。1994年1月30日。→インタヴュー撮影は1月29日、浅草今半にて。
照屋林助さん02
照屋林助さん01

 You Tubeから「ワタブーショー in ウンタマギルー01」。日本復帰はドルドルドン。

5月8日(火)〜5月14日(月)

5月8日(火)

 夜中の2時半に起きて、おにぎりを6個握る。
 沖縄行きの最終準備をして部屋を5時頃に出る。自転車で1分もかからないフェリー乗り場に着いて、自転車を折り畳んで手荷物にするため布団袋に仕舞う。
 2階の乗り場で名瀬から那覇までのチケットを購入。今日はマリックスラインの、コーラルプラス。
 あいにくの曇り空だが、船はほぼ定刻の6時頃に名瀬を出航。
 名瀬、徳之島の亀徳港、沖永良部島の和泊港、与論島の与論港、沖縄の本部港に寄って那覇港には予定より30分ほど遅い20時15分くらいに到着。
 フェリーの中で予約した民宿の場所を地図で確認すると、ホントに那覇港の直ぐ近く。自転車を組み立てて、民宿へ向かうと1分もかからないで着いた。
 家から名瀬のフェリー乗り場まで1分、那覇港から民宿まで1分、名瀬から那覇までフェリーで13時間。名瀬と那覇は近いのか遠いのか、楽なのか大変なのか???
 チェックインしてから、自転車で少し走り、コンビニで飲み物などを買って帰ってきた。
 さすがに、ちょっと疲れた。家から持ってきた黒糖焼酎をベットの上でチビチビ飲んで、就寝。

水納島
↑名瀬から那覇に向かうフェリーから。沖縄・本部半島の沖に浮かぶ、水納島だと思う。
5月9日(水)

 朝から雨。
 1泊だけ予約しておいたが、荷物がけっこうあるので延泊にしてもらった。
 午前中に、インターネットの不動産情報で調べておいた那覇市内の不動産屋さんに物件の問い合わせをする。
 午後3時に直接会社に伺って何部屋か見せてもらう手はずになった。
 お昼頃になって雨も止んできたので、土地勘を掴もうと地図を片手に那覇市内を自転車で走ってみる。
 宿のある那覇埠頭から辻、若狭、前島を通り泊港へ。国道58号から29号に入りまっすぐ首里城へ。
 守礼門の下まで来たところで、午前中に対応してもらった不動産屋さんの担当者から電話。先客の案内が早く終わったので、こちらの都合が良ければ直ぐに案内できるという事なので急いで向かう。
 会社の前に自転車を預けて、車で物件を案内してもらう。
 2DKで28000円(共益費1500円)、1LDKで32000円(共益費1000円)、洋10畳の1ルームで31000~32000円(共益費5000円)、洋12畳の1ルームで34000円(共益費1000円)の物件を見せてもらう。一つだけ敷金1ヶ月の物件があるけれど、あとは敷金、礼金のない物件。それでも沖縄では保証会社と契約するシステムがあり、仲介料、清掃代、保険料などもまとまると結構な額になる。
 間取りや詳細を書いた資料をいただき、また自転車で市内を走ってみる。朝から名瀬のスーパーで買ってきたぶどうパンしか食べていなかったので、若狭にあった高良食堂へ。
 注文したAランチはご飯の上にスペアリブ、隣りにトンカツと天ぷらと目玉焼き。小皿に刺身が入って、沖縄そばがフルサイズで付いてきた。これで700円。とりあえずソバは全部食べて、後は大半を容器に詰めてお持ち帰りにしてもらった(汗)。
 シャワーを浴びて、持ち帰ったご飯を食べながら焼酎をチビチビ。
守礼門

←29号を走って守礼門まで。ちょっと坂道がキツいですね(汗)。

↓高良食堂のAランチ。ご飯の上にスペアリブ、横にトンカツと天ぷら・・・恐るべし!

高良食堂のAランチ

5月10日(木)

 朝から自転車で那覇空港までサイクリング。ネットで調べた物件を、別の不動産屋さんに電話で問い合わせ。
 今日は宿を変更。昨日ネットで予約した2600円のビジネスホテル。チェックインは午後3時からだが、荷物だけ先に預ける事はできるか問い合わせたところ大丈夫とのことなので、11時頃にホテルへ。荷物を預けたら直ぐに市内をサイクリングしようと思っていたが、もうチェックインも可能ということなので、そのまま手続き。
 部屋はゆったりしたツインを一人で使って2600円。まあ、場所が辻のど真ん中でアチコチに呼び込みのお兄さんが立っていますが。
 しばらく部屋で休んでから市内をサイクリング。辻、若狭、前島、泊、上之屋。泊、前島の路地を通って国際通りに出て、牧市公設市場、農連市場を眺めて小さな食堂で300円のカレーライスで遅い昼食。壺屋通りに少し寄って、国際通りに戻って久茂地、松山、久米を走り、県庁から泉崎、壷川まで行き那覇湾沿いに辻のホテルに戻る。
 少し休んで、晩ご飯を食べに7時半頃にホテルを出る。行き先は昨日と同じ、高良食堂。うな丼とソバのセット650円。うな丼には、なぜかうなぎの下に天ぷら一つ、横には大量のガリと玉子焼き。沖縄式?
 食べ終わって、夜の街をサイクリング。若狭、松山、国道58号に出て上之屋まで行って戻って来る。帰る途中スーパーで泡盛・久米仙の360ml、コンビニで烏龍茶とアイスコーヒーを買って帰る。
 久しぶりにバスタブにお湯をはって、ゆっくりと浸かる。

辻のホテルの窓から

←辻のど真ん中にあるビジネスホテルの、部屋の窓から。どんよりとした空、でも梅雨にしては保っていてくれている。

↓高良食堂のうな丼、ソバ付き。うなぎの下に、何故か天ぷらが一つ隠れていた。

高良食堂のうな丼、ソバ付き

5月11日(金)

 朝9時過ぎに、一昨日物件を見せてもらった不動産屋さんの担当者に電話。10畳のワンルームで、同じマンション内の道路側の6階、住宅地側の8階の物件で迷っているのでもう一度見せてもらう事に。
 現地に10時半に待ち合わせ。2つ見て、1000円高いが8階住宅地側の32000円プラス管理費5000円の部屋に決めた。
 不動産屋さんに行き、保証会社の審査を受けるための書類を作成。
 自転車で泊港の辺りを走っていたら、審査会社の担当者から電話があり、いくつかの質問に答える。
 お腹が空いたので、自転車で走っていて目についた居酒屋さんのランチメニュー。エビと揚げた魚と野菜の甘酢炒め、小鉢にきんぴら、冬瓜と鶏肉の煮物、魚の南蛮、コーヒー、コーヒーゼリーが付いて680円。
 今日は久米の、洗濯機が部屋にあるコンドミニアム式のビジネスホテルに宿泊。荷物を先に預けられるか問い合わせたところ、もうチェックインもできるという事なので辻のホテルに荷物を取りに行き、移動。
 チェックインして、さっそくフロントで1個30円の洗剤を買って、部屋に備え付けの洗濯機で溜まった服を洗う。
 洗濯しながらベットで休んでいると、電話。今度は違う保証会社さんから電話で、またいくつか質問に答える。
 2つの保証会社から問い合わせがあるとは思わなかったので、審査が難しいのか?と思っていたら、15時頃に不動産屋さんの担当者から審査が通りましたとの電話。
 契約に必要な初期費用をATMでおろし、16時半に不動産屋さんで契約書の作成。
 また自転車で那覇の街を走って、お腹が空いたので国道58号沿いのみかど食堂で、ちゃんぽん550円。麺ではなくご飯の上に野菜とコンビーフ?を炒めて玉子でとじたものが乗っている。
 食べ終わり、少しぶらぶらと路地を走ってホテルに帰る。

久米のホテルからの街並
ホテルからの夕日
みかど食堂のちゃんぽん
↑左と右上は、久米のホテルからの夕景。右下は、みかど食堂のちゃんぽん。

5月12日(土)

 10時過ぎに、昨日から沖縄に来ているヘッケル田島さんから電話。ホテルをチェックアウトして、田島さんの泊まっているホテルに向かう。自転車で1分もかからない距離。
 1階のロビーで待っていると、田島さんと、マネージャーの水野さんが降りてきた。
 とりあえず田島さんの沖縄時代の友人がやっている喫茶店で、コーヒーとランチをご馳走になる。
 田島さんたちと別れて、ホテルに預けていたバックを取りに行き、今日泊まるホテルにチェックイン。今日は一昨日泊まった辻のど真ん中のホテル。一昨日は一人でツインに泊まったが、今日はベットが3つのトリプルだ(笑)。でも一泊2600円。
 しばらく部屋でネットでアレコレ調べながらウダウダ。とりあえず明日の朝7時のフェリーで、まだ奄美群島の中で下りていない沖永良部島に行こうと思い、和泊の宿を予約。
 昨日泊まったホテルでもらった無料のミネラルウオーターを詰めた水筒を持って、自転車で那覇の街を走る。
 県庁の前に行くと、ちょうどデモの最中でシュプレヒコールが上がっている。後でもらったチラシには、「フクシマと連帯して、基地も原発もなくそう!『復帰』40年 5.12沖縄集会」と書いてある。
 デモ隊は、県庁の前から国際通りを歩き、ひめゆり通りを行進して与儀公園へ。18時から公園横にある那覇市民会館中ホールで集会が行われるようだが、明日は朝が早いので集会は参加せずに宿へと向かう。
 途中、若狭の高良食堂で晩ご飯。今日は、牛ロース焼肉定食ソバ付き650円。お皿に乗った肉は焼肉というよりステーキですね。
 コンビニで明日の朝用のアイスコーヒーを買って帰る。
 辻は、昔遊郭のあったところで、今も那覇で一番大きな風俗街。泊まっているビジネスホテルはソープに囲まれている。5階の部屋の窓から、そんな道ばたの様子を眺めながら泡盛を飲んで、早めに就寝。

デモ行進01
デモ行進02
デモの横で

5月13日(日)

 フロントに頼んでおいたモーニングコールで、早朝3時半に目覚める。
 アイスコーヒーを飲みながら荷物を整理し、5時半くらいにチェックアウト。
 海岸沿いの道を自転車で走り、6時前に那覇のフェリー乗り場に着く。
 6時になって窓口が開いて、和泊港までのチケットを購入。6時半から乗船開始。
 7時に那覇を出航し、本部港、与論港に寄って、2時前に和泊港に着いた。今日は随分と船が揺れた気がした。
 港の待合所で島の地図が載ったパンフレットを貰い、昨日電話で予約したホテルへ。外観も室内も、ホテルと言うよりアパートですね。各部屋にエアコンとユニットバス付きで、一泊3500円。冷蔵庫は共同使用。
 荷物を置いたら、すぐに自転車で出かける。まずは国頭小学校の校庭にある、日本一のガジュマルに会いに行く。横に大きく伸ばした枝が美しい。
 ガジュマルを見た後、海岸に出てフーチャを見に行くとポツリポツリと雨。天気予報では晴れのち曇りとなっていたが、朝から曇りで小雨が降ってきた・・・orz。
 海岸沿いに走って国頭岬、沖永良部空港をまわって帰ってきた。途中、百合を栽培している畑がいくつかあった。ぱらぱらと白い花が咲き始めている。これが永良部ユリかな?
 朝食兼昼ご飯は、フェリーの売店で買って食べたカップスターとおにぎり1個とポテトチップスなので、ホテルに帰る前にスーパーに寄る。お弁当が半額になっていたので2つ、美味しい水のペットボトル、カフェオレ、チップスター、沖永良部の黒糖焼酎はなとりの360mlを買って帰る。
 昨日からカメラの調子がおかしい。おかしいというより、故障かな。センサーの位置がズレているのか、ファインダーで覗く画面と、実際に移っている絵が違っている。横位置で撮影した場合、上が切れてその分下が入る。
 αはセンサーのゴミ対策として、手ぶれ防止のぶるぶると震える機能を利用している。その機能が、壊れたのかもしれない。
 しょうがないので、若干あらかじめ上を広く入れて撮影して調整(汗)。

国頭小学校のガジュマル

5月14日(月)

 昨日半額で買ったお弁当を食べて、10時に宿をチェックアウト。フェリーは和泊港を14時10分入港、14時40分出港予定なのでお昼過ぎまで荷物を一つ預かってもらう。
 なんとか降らずに保っている曇り空の下、地図を片手に島の真ん中辺りに位置する世之主の墓へ向かう。坂もあって少し遠いですよ、と最初に道を尋ねた方から言われたけれど、奄美大島の坂で鍛えられているので、まあこの位なら(汗)。
 道路には観光ポイントの案内板が所々に立っているが、世之主の墓の案内板と越山公園の案内板を勘違いしてしばらく迷う。近くの家の方に聞いたところ、世之主神社と言うのがあり案内していただいた。そこから世之主の墓までの行き方も教えたもらった。
 神社とお墓を見てまわって和泊の町中へ戻る。来た道を引き返している途中に、Aコープと書かれた看板があった。確かAコープは和泊から知名町方向へ少し行った海岸沿いにあったと思い、看板に従って自転車を走らせる。
 緩やかな下り坂を気持ち良く進んでいるうちに、海岸線に着いた。
 町中に戻り、南洲神社や西郷南洲謫居の地などをまわってから、昨日のスーパーで船内で食べるお弁当とカップヌードルを買う。
 宿に預けておいた荷物を取りに行き、13時半頃にフェリー乗り場へ。窓口は開いておらず、天候の影響だろう「船は伊延港に2時に入港」と変更を知らせる張り紙が・・・orz。
 突然の事にどうして良いかわからず事務所に声を掛けると、伊延港まで自転車で行ってもまだ間に合いますよ〜と、のんびりした年配の女性の返事。そうか。
 場所を確認すると島を横断する感じだが、距離的にはそう遠くないようだ。とりあえず折り畳んだ自転車を組み立てて、必死に自転車を漕いだ。
 汗だくになりながらも、30分かからずに着いただろうか。大荒れの和泊港と違い、伊延港は波が落ち着いている。急いで名瀬までのチケットを購入。直ぐにフェリーが入って来たので、乗船。
 船内の閉店している喫茶店に入り、休憩。徳之島に入港した16時半頃にお弁当とカップヌードルで早めの晩ご飯。さすがにお弁当は、ちょっと飽きて来た。
 20時半頃に名瀬港に到着。また自転車を組み立てて、走って1分ほどの家に帰る。
 お湯を沸かし、久しぶりに温かい珈琲をいれる。

↓→世之主の墓。左は第一石門を入った庭。右は、奥にある珊瑚礁の岩を掘ったトゥール墓。
世之主の墓02
世之主の墓01

5月8日〜5月12日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
5月13日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
5月14日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

5月6日(日)

 加計呂麻島の芝集落で開催される、第4回脇田丸かつお祭りを見学に行く。
 通常、芝までは古仁屋からフェリーかけろまで瀬相に渡り、そこからバスに乗り換えなくてはならないが、今日はこのかつお祭りのため、特別に海上タクシーが出る。古仁屋から芝まで一人500円と、かなりお得だ。

 道の島バスの本社を10時51分に出るバスで古仁屋へ。古仁屋に着いて、Aコープで海苔巻きと稲荷のお弁当を買って、海上タクシー乗り場へ。しばらく待って第一便の海上タクシーで芝に向かう。
 乗った船は寅さんシリーズの映画に登場する「でいご丸」。先月末に与路島へ舟漕ぎを見に行った時にやはりご一緒になったご夫婦と、また同じ海上タクシーで再会。
 芝に到着して祭りが始まるまで集落を散歩。その間にも4隻ほどの海上タクシーが、次々に古仁屋から見物客を乗せてピストン輸送。

でいご丸01
←↓古仁屋と加計呂麻島の連絡船、海上タクシーの「でいご丸」。男はつらいよ第48作『寅次郎 紅の花』に登場しています。けっこう船体は、年期が入ってます。
でいご丸02

 かつお祭りは太鼓演奏のオープニングで始まり、かつお漁船の海上パレード、フラダンスや島唄、加計呂麻島・薩川出身の演歌歌手みた かずよさんの歌謡ショー、マグロの解体ショーなどなど。
 16時半頃になって、古仁屋に戻る海上タクシーが動き出した。八月踊り、六調と続きそうだが名瀬まで帰らなくてはならないので、名残惜しいが船に乗った。
 海上タクシーが古仁屋に着いたのが17時ちょっと過ぎ。始発の海の駅は17時発だがしばらく街中を巡回するので、ひょっとしたら間に合うか?と先回りしたらバスがやって来た。
 18時35分の最終があるけれど、1時間半あるので乗れて良かった(*´д`*)。

 夜、部屋の窓を開けて港を見ると、ちょうどフェリーが入って来るところだった。対岸の小浜の上にはお月様。スーパームーンは昨日だったけれど、今日のもまん丸で大きなお月様だった。

海上パレード
モチ拾い
カツオも拾った
↑左は、カラフルな旗をたくさん掲げたカツオ漁船の海上パレード。右上、船から祝餅が投げられる。右下、餅に混じって時々カツオも投げられる(笑)。
スナップ
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
5月5日(土)
 ゴールデンウイーク中は、町営船せとなみの運航が請島や与路島に日帰りで行ける時間に変更されているので、朝早く起きて請島の池地集落行きを決行。請島のもう一つの集落、請阿室は昨年歩いているので、これで瀬戸内町の有人離島、請島・与路島・加計呂麻島の全集落を歩いた事になる。
 道の島バスの本社で今日と明日、二日間の乗り放題チケットを購入。7時51分発のバスで古仁屋へ。
 コンビニでおにぎり弁当を購入して、古仁屋港を10時出港のせとなみで池地に向かう。
 
海亀
←池地に向かう途中、請阿室港で近くにいた女の子達が”カメ、カメ”と叫ぶので見ると、船の直ぐ横で海亀が泳いでいた。
↓海亀を見つけた女の子達。
海亀を見つけた子供たち
 11時頃に池地に着いて、集落散歩。デイゴの花が咲き始めている。猫が日陰で休み、半分放し飼いの山羊が道を歩いて来る。
 村はずれの学校には、奉安殿が残っていた。商店は一軒もなく、自動販売機も見当たらない。
 帰りのせとなみは、池地に15時25分に着いて、15時35分出港となっていたが、少し早めに入港して他に乗船客がいないと思ったら25分頃には出港してしまった。余裕を見て、早めに港で待っていないと置いて行かれます(汗)。
 古仁屋から名瀬は18時35分の最終バスで帰る事が多いけれど、17時のバスで名瀬へと帰る。
デイゴの花
牛も乗船
豚も乗船
↑デイゴの紅い花が咲き始めた。 ↑帰りは、請阿室から牛も乗船。 ↑豚も乗船。昨年は山羊と一緒になった。
牛の下船
←古仁屋港にて、牛下船。この後、豚も下船。
→海の駅で、茹でたソデイカを購入。写真ではわかり辛いですが、かなりのボリューム。家に帰って、半分を野菜と一緒にカレー粉を加えて炒めて食べた。
ソデイカ
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
スナップ
5月4日(金)
 お昼ご飯は、刺身醤油に浸けておいたシビの残りとアボガド、キュウリをご飯に乗せて漬け丼。九州の醤油はかなり甘めでトロッとしているので、醤油というよりタレですね。
 3足あるスニーカーが、どれもクタクタになり穴も空いてきたので買いに行く。
 市街にある古書店・あまみ庵で、昇 曙夢の「大奄美史」を探してみた。中古で2万円くらい、南方新社から出た「復刻 大奄美史』が9660円。欲しいけど、ちょっと手が出ない。
 AiAiひろばで今日、明日とイヴェントを開催していると知って、寄ってみる。屋台や催し物は夕方からのようだ。
AiAiひろば
 今飲んでいる弥生30度が残り少なくなってきたので、ニシムタで新しい黒糖焼酎を購入。まんこいの30度にしました。
↓ダイエーのシューズコーナーで購入。商品は棚に並んでいるだけ。サイズとデザインと値段で、これをチョイス。→まんこい30度。
まんこい
スニーカー

 これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻→高倉→朝日→あまんゆ→八千代30度→里の曙BIG FISHINGラベル→弥生30度→太古の黒うさぎ→三年寝太蔵→加那30度→珊瑚→弥生30度→まんこい30度。

 明日、北海道電力の泊原発3号機が定期検査のため停止する。先日福島第一の4つの原子炉の廃炉が決まったので、日本の原発は現在50基となったが、これで42年ぶりに国内の稼働がゼロになる。

5月3日(木)

 今日から、ゴールデンウイーク後半がスタートした。
 梅雨入りしている奄美だけれど、今日は晴れ時々曇り。東海、関東、東北の方が大雨で、各地で被害が出ている模様。
 県立図書館へ昇曙夢の「大奄美史」を返却し、その帰りかんも〜れへ寄って築地さんにお借りしていた「民俗学の愉楽」をお返しする。
 名瀬港をぐるっとまわって大熊漁港へ。魚のかき揚げを買いに行ったが売り切れ。シビのお刺身があったので、久しぶりに購入。帰りに小浜のダイエーに寄ると、木曜モックンだったのでお惣菜を少し買って帰る。

↓は、大熊・鳩浜辺り。
鳩浜・大熊辺り01
鳩浜・大熊辺り02

「民俗学の愉楽」「大奄美史」にノロの祭場であるアシャゲやミャーについて記した箇所があるので、抜き出してみた。

「民俗学の愉楽」から
森と聖地
 森はカミの住居であった。否、森自体がカミと思われていた。森といっても、必ずしも木がたくさんあるわけではない。カミが降りてくる際の依り代となる数本の木、あるいはカミの目印となる特定の木があればよかった。『万葉集』には、神社と書いてモリと訓ませる例がいくつかあるほか、杜と書いてヤシロと訓んでいる。そこには鳥居も拝殿も本殿もない。建造物は一切存在しなかった。
 沖縄でも木の繁った場所がウタキ、またはウガンジョ(拝所)と呼ばれた。この場合も、カミの依り代とみられるクバやアザカなどの樹木に囲まれた空き地に、聖域を示す小石が並べてあるだけで、ほかに何もない。『おもろさうし』には、首里森あるいは真玉森といった名が出てくる。この森も、ウタキと同様に、高い場所だけでなく平地にも数多くみられる。
〜略〜
 カミは祭りのときに出現するが、祭りが終了すると姿を消す。祭では、カミが降臨する場所として、常緑樹で囲うヒモロギをつくるが、祭りの終了後は直ちにヒモロギを壊して、跡を残さないのが決まりであった。時代が下がると、祭場に仮小屋を建てるようになり、これも取り壊していたものを、さらにのちにはそのまま残しておくことになった。これがヤシロの原形である。ヤシロは本来、仮小屋を建てるための土地を指す語で、建物を表していたのではないが、それがやがて神社(建物)を示すようになった。
 神社に対してミヤという詞(ことば)もある。『日本書紀』の敏達天皇の条には「王の庭」(きみのみや)という言葉が出てくる。庭をミヤと訓ませている。『古事記』の垂仁天皇の条では、ホムツワケが出雲の大神を参拝したことを記した中に、山と見えているのは、神を祀る神主の「大庭」ではないかと述べたと言う記述がある。これらの記述は、ミヤはもともとカミを祀る庭、あるいはカミが遊ぶ庭であったことを示している。これもまた建物ではなかった。
 沖縄では現在でも庭をミャーと読んでいる。久高島では、祭りの行なわれる広場をウドンミャー(御殿庭)という。久高島で十二年ごとに行なわれてきたイザイホーの祭りでは、前日に仮小屋をつくり、そこに神女たちが籠るが、祭りが終わると即刻、取り払ってしまう。
 神祭の行なわれる広場がミヤであり、そこにつくられた仮小屋がのちに宮と呼ばれることになったと考えられる。 

「大奄美史」から
アシャゲとトネヤ
 大島の各部落にはその中央部に必ずミャという広場があって、最初は宮の意味であったが、後には庭または広場の意味にも用いられるようになった。アシャゲはこのミャの傍に建てた方形の小屋で、多くは四方三本ずつ八本の低い柱の上に茅葺きの屋根を載せただけで、壁も床もない簡単な掘建小屋である。
〜略〜
 宮城真治氏の解釈によれば、アシャゲは特定の祭礼の日に神々が神職に憑いて光臨し、氏子より饗応を受けもしくは神遊びをする所である。神遊びというのは、神が神職に憑いて神歌を謡い神舞を踊ることで、神自身としての歓喜であり、それによって部落が祝福されたものである。後世神と神職とを区別して考えるようになって、神遊びは神職が神を歓待するための遊びであると解するようになった。が、古くは神自ら姿を表わして歌舞し給うものと信ぜられていた。
 そうして見ると、アシャゲは氏子がそこで氏神を祀る所であるから、大島にはノロが現われる前から村杜もしくは氏神社として存在したものと思われる。今でも時たまアシャゲの隣りにトネヤというのを見受けるが、このトネは里の刀禰のことで、里の長を意味し、トネヤは刀禰屋で里の長の住宅を意味するから、ノロが神職として任命されない以前は里の長老がアシャゲで氏神を祀ったことがわかる。従って里の長老は里の政事と祭事の大元締であったのだ。こう考えると琉球文化の波及以前大島の部落民達は自然発展的な祭政一致の共同社会を形成し、琉球王の祭政一致再組織化を受けるまでは、わが国原始社会の姿をそのまま保持し続けたものと思われる。
 古代においては部落は多く山頂や山腹にあったのが、産業上の利便から後世平地に移るようになったことは、里(山手)とか金久(海岸より)とかいう名称によって知られる。アシャゲも部落とともに最初は山手にあったのが、部落の膨張に伴い、後にはその中央部もしくは海岸寄りに移動した形跡のあるのは、部落の発展過程を示すものとして面白い事実である。
 各部落には必ず一つか二つかのアシャゲがあって、部落の祭事はたいていそこで行なうことになっているが、また広場で何かの催し物でもある時は、その桟敷にも使われる。平日はその中で稲をこいだり乾した藁を積んだりしている。祭礼の時にはアシャゲの周囲を例のサデ(手網)で張りまわしたこともある。

阿多地集落のデイゴとアシャゲ

←加計呂麻島・阿多地集落のデイゴの巨木とアシャゲ。2011年3月28日撮影。
↓切り干し大根が干してあった、加計呂麻島・三浦集落のアシャゲ。2011年2月22日撮影。

三浦集落のアシャゲ
5月2日(水)
 ホームページのトップ画面の写真を、桜からチューリップに入れ替えました。
新しいトップ画面
五月になった。
実家のある富山では、今がチューリップの見頃。
 砺波市ではチューリップの栽培が盛んで、色とりどりの
そして花びらの形もさまざまなチューリップが植えられている。
 球根に栄養がたくさん行くように
美しく咲いた花はもぎ取られる。
 花はやがて土に帰り、来年また奇麗な花を咲かせる養分となる。
 一昨年の五月、朽ちて行くチューリップを撮影していた。
こちらに、そんな写真が置いてあります。
前のトップ画面

 昨日の奄美は土砂降りで、雷もゴロゴロと鳴っていた。大島海峡沿いの管鈍、花天辺りの道路が、何カ所か崖崩れで通行止めになったらしい。今日はなんとか降らずに保っている。
 先月の末からポツリポツリと書いている、奄美の自然を考える会の会報誌「きょらじま」に載せる原稿が、なんとなく形になった。
 何回か読み直して文章を整理したら出来上がり。が、文字数はどうしよう??
 一応、何文字くらい書けばいいですか?と最初に尋ねたが、答えは2頁だった。
 たぶん文字が多ければ級数を下げる、少なければ字間を広くして文字の級数も大きくして対応してもらえるんだろう。
 さて、入稿の方法はどうしたもんだろうか。プリントして手渡しかな?

→前から気になっていた島とうふ屋さんのみきを、スーパーで購入。つぶつぶ感は残っているものの、他の市販のみきよりはサラッとしていて飲みやすい。少し日にちが経って発酵して酸味が出て来たら美味しそう。

島とうふ屋さんのミキ
 今日の一曲、「帰れない二人/井上陽水・忌野清志郎」。
↓→忌野清志郎withデ・ガ・ショー。1997年5月15日に撮影。このライヴからやがて15年が経つ。清志郎さんが亡くなって、今日で3年。
忌野清志郎02
忌野清志郎01
4月へ