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○4月5日(木)*旧暦3月15日 与論十五夜踊り/地主神社
○4月8日(日) 金作原 朝9時に長浜公園
○4月12日(木) 本の返却期限
○4月12日(木) 名瀬 島唄 飲み会
○4月13日(金) 大型客船・ザーンダム号が名瀬に寄港。午前10時入港 午後7時出港
          ザーンダム号来航記念 奄美だよ!全員集合!!12:00〜17:00
○4月14日(土) 大瀬海岸調査15時 群島鳥類研究会
○4月15日(日)〜16日(月) 沖永良部島調査 群島鳥類研究会
○4月18日(水) 歯の治療 14時10〜
○4月21日(土)〜22日(日) アースデイ奄美2012 長浜みなと公園
○4月22日(日) 奄美の自然を考える会 観察会 西古見方面/8時20分、長浜緑地公園集合 会員2000円、一般2500円
○4月29日(日) 与路地区の舟漕ぎ大会(それに伴うせとなみの運航時間変更
○5月2日(水) 燃えないゴミの日
○5月3日(木) 本の返却期限
○5月6日(日) 加計呂麻島・芝漁港 第4回脇田丸かつお祭り「浜オレ」※ 当日古仁屋港より「海上タクシーみなみ丸」が12時30分~13時30分の間お一人様 500円 にて出航します。
○5月12日(土) ビン類・ペットボトル
○5月13日(日) 東京・新大久保「R'sアートコート奄美島唄ライブ vol.15」築地俊造 with RIKKI
○5月16日(水) 燃えないゴミの日
○5月30日(水) 燃えないゴミの日
○6月6日(水) 燃えないゴミの日
○6月9日(土) ビン類・ペットボトル
○6月15日(金) 部屋の契約期限
○8月上旬 第42回ヨロンサンゴ祭/コースタルリゾート
○9月22日(土) ショチョガマ、平瀬マンカイ/秋名
○9月30日(日)*旧暦8月15日 与論十五夜踊り/地主神社吸収
                  油井の豊年踊り/瀬戸内町
○10月23日(火) 諸鈍シバヤ(加計呂麻島・諸鈍)
○11月28日(水)*旧暦10月15日 与論十五夜踊り/地主神社

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2012年(平成24年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦1月23日(月)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(月)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(土)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月7日(火)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦3月24日(土)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月24日(日)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月24日(金)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月30日(木)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦9月1日(土)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月23日(日)
○アラセツ(※2):旧暦8月7日→新暦9月22日(土)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月30日(日)
○シバサシ:旧暦8月13日→新暦9月28日(金)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月23日(火)

※1‥以前は旧暦の1月2に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[
ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定)、佐仁の八月踊り:笠利町佐仁  等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。(地域・集落によって多少日程が異なる場合もあります。)
※4と油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima
4月29日(日)
 何日か前に、与路地区の舟漕ぎ大会があると知った。昨年の10月に行った時に撮影させてもらったオバアさんに、その時の写真を渡したいとも思っていたので与路島行きを決行。
 この舟漕ぎ大会にあわせて古仁屋から与路島への町営船の運航時刻が変更になっており、行きは古仁屋港を10時に出て、与路島に11時40分に到着。帰りは与路を16時に出て、古仁屋に17時40分に着く。
 かなり早めに起きて昼ご飯用のおにぎりを3個作る。昨晩のうちに作っておいた茹で卵とジャスミン茶を水筒に入れて、道の島バスの本社へ。
 名瀬〜古仁屋間は往復すると3000円以上かかるので、2000円の一日乗車券を購入。本社前を7時51分発のバスで古仁屋に向かう。
 終点の海の駅で降りて、さて、町営船せとなみの切符を買おうかと窓口へ行って驚いた。定員に達したため、本日の乗船券は終了しました。ガーーーン!!せっかく早起きしたのに、せっかく古仁屋まで来たのに・・・orz。
 途方に暮れていると、他にもせとなみに乗船できなかった人がいて、観光案内のスタッフの方が人数が揃えば海上タクシーが出るから乗り場で待ってみて下さいという。
 ヒヤヒヤしながら暫く待っていると、さばくりができたようで、出発。運賃もわからないまま、みなみ丸に乗船すると、加計呂麻島の瀬相港に到着。乗船した家族数で料金を割って、一家族500円。瀬相から車で山を越えて島の裏側にある伊子茂集落の港へ。ここで加計呂麻島からの人と合流して、芳丸で与路島へと向かった。
 考えてみればこの方法は、与路島までの最短ルートだろう。車で加計呂麻島を横断するので、せとなみのように大きく島を回り込まなくてもいい。請島にも寄らないので、せとなみより後に古仁屋を出たのに随分先に着いた。気になっていた料金は、距離があるにもかかわらず人数が増えたので一人500円。
 せとなみの乗船料が古仁屋〜与路で1000円なので、ぴったり同じになった。さばくり上手だ(笑)。
 もうヒヤヒヤしたくないので、さっそく乗船場で帰りのせとなみの切符を購入。
海上タクシーみなみ丸
海上タクシー芳丸
町営船せとなみ到着
↑みなみ丸で、古仁屋から加計呂麻島の瀬相港へ。 ↑瀬相から車で伊子茂へ移動し、芳丸で与路島へ渡る。 ↑請島に寄って来た、町営船せとなみが到着。
 舟漕ぎ大会が始まる12時まで、集落を散歩。あいにくの曇り空ですが、珊瑚の石垣が続く風景は美しく、歩いていて心が落ち着く。目的の一つだった写真は、オバアさんの家の前に行くと丁度ご本人が横から出て来られたので、ファイルに入れたA4サイズの写真2枚をお渡しした。
舟漕ぎの様子

 挨拶や開会宣言が行なわれた後、舟漕ぎのスタート。会場をウロウロしていると、お弁当とビールが集落の方から手渡される。いや、あの関係者じゃないんですが・・・と言うと、「いいんですよ。刺身も持って来ますから」。ありがたいな〜と思っていると、古仁屋から撮影に来ていたnaoさんが、手招きしてくれたのでテーブルの横に座らせてもらってお弁当をいただく。

 舟漕ぎ競争の方は、最初こそなんとか降らずに保ったが、ポツリポツリと来てやがて本降り。風も強くなって食べかけのお弁当やら、発砲スチロールに入ったお刺身が飛んで行く始末。それでも最後まで競技は続けられ、土砂降りの中、テントに入って表彰式や万歳三唱も行なわれた。
 すばやくテントを片付けて、集落の中央にある集会場で反省会。町営船の出港時間までだいぶあったので、参加させていただいた。ここでもビールや黒糖焼酎をいただき、またお弁当をもらってしまった。
 区長さんや議員さんから与路島をよろしくお願いしますと、お酒をついでいただいた。通りすがりのような私には、こうして自分のホームページに写真を載せることくらいしかできないんだけど。

 古仁屋に戻るせとなみの時間が近づいてきたので港へ。チヂンを持った女性達が叩きながら踊りながら、手を振って見送ってくれる。「来年も、また来てね〜」と陽気に大きな声で見送ってくれる。
 KAKEROMA.COMによれば、平成20年4月末で与路島は75世帯120人。今はもう少し減っているかも知れない。そこへ今日は隣りの請島や加計呂麻島、古仁屋から人が集まって来て、普段は静かな集落が賑わった。
 明日になれば、また島は静かな日常に戻るのだろう。祭りの後のさみしさを伴って。それをわかっているから、ことさら陽気に過剰なほどの明るさで見送ってくれているような気さえする。

スナップ

 奄美の島唄の代表的な曲とも言える「朝花節」。神様のお引き合わせによって、こうしてまたお会いできたのですね。久しぶりにあなた方にお会いできて嬉しいです、と言った歌詞で始まる。
 奄美大島は離島だけれど、名瀬に住んでいる分には交通の便も移動も楽になり、朝花節で唄われるような人との出会いの感謝というものがピンと来ない。でも離島のさらに離島といった趣きの与路島では、そんな島唄の心情を勝手に想像してみる事ができた。

 朝花節の歌詞を訳したものを、奄美シマ唄歌詞集から。
石原を踏み越え、こうしてわざわざ御足をお運び下されたあなたの真実に触れ
私は嬉しさでいっぱいです。
今日こうして未知のあなたにお逢いして、よく知ることができました。
これも命ながらしていただいたからこそで、本当に命あってこそ未知の人にも逢えるというものです。
たまたま皆様方にこうしてお逢いできましたが、さて今度は、
いつまた、お逢いすることができましょうか。
唄いましょうよ やりましょうよ
唄は、やってこそ、上達しますよ
唄いましょうよ やりましょうよ
音楽ファイルで「安田宝英/朝花節」。

 海の駅を18時35分に出る、名瀬方面への最終バスで戻る。外は本格的な雨。
 昨日沖縄が梅雨入りしたが、奄美群島も今日梅雨入りしたとネットのニュースで知る。平年より12日、昨年より1日早い梅雨入りだそうです。
 道の島バス本社の前に停めておいた自転車を拾い、久しぶりにずぶ濡れになって帰った。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

4月28日(土)
 パソコンで色々と写真さばくりをした後、奄美の自然を考える会の会報誌「きょらじま」に載せる原稿を書いてみる。
 つい先日、事務局長から会長に就任したさばくりにんさんから、観察会に参加した感想を書いてみませんかとお誘いがあった。奄美滞在記念に書いてみようと思ったが、なかなか上手くまとまらない。ちょっと日にちがかかりそうだな(汗)。
 
↓買物に行く途中に寄った、朝仁海岸にて。
朝仁海岸にて
4月27日(金)

 明日からゴールデンウイーク。午前中に部屋の家賃、電気代の支払いを済ませる。
 快晴で風もなく、気温もそれほど高くない。ひょっとすると、今日日本で一番過ごしやすいのは奄美じゃないか?と思えるようなお天気なので、久しぶりに小湊までサイクリングに出かける。
 小湊までの途中、伊津部勝、西仲勝集落に寄り道。せっかくなので、小湊集落の少し手前にある栄さんのビニールハウスにもお邪魔する。

糸満カマボコ

←家賃を払いに行って、沖縄のカマボコをいただいた。さっそくお昼に赤い方を切って少し食べた。

→栄さんのビニールハウス。しばらく来ないうちに一棟増えていた。

ビニールハウス
 ビニールハウスの中は、パッションフルーツがたくさん実っている。久しぶりに受粉作業を手伝ってみる。
 めしべの裏に付いている花粉を筆でパタパタと叩き、手前のおしべに付ける。今日花が咲いたパッションの受粉作業を終えたが、明日になればまた新しく花が咲き、受粉作業をしなくてはいけないそうだ。
 昨年ゴーヤを作っていたハウスで今年はキュウリを育てていて、2本いただいて帰る。
↓パッションフルーツは時計草とも言います。時計のようなパッションの花。→熟す前の青々としたパッションの実。
たくさん実ったパッションフルーツ
パッションフルーツの花
 ビニールハウスから小湊へ。海岸や集落の中を自転車で走り、今度は名瀬勝経由で帰る。
 来る時も感じたけれど、いつもは排気ガス臭い朝戸トンネルが、今日はあまり匂わない。トンネルの煤払いでもしたのだろうか?
小湊集落の猫
小湊の海岸
↑今年の1月にも同じ場所で会っている猫の親子(?)。子供の方は毛が抜け替わったかな。→刷毛で描いたような雲@小湊の海岸。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

 今日、家賃を払いに行った時に、借りている部屋の契約期限を6月15日までにしてもらった。名瀬港に初めて着いたのが一昨年の6月16日の早朝。丸々2年で区切りが良いかな、と思う。
 さて、次の旅の準備をしなくては。

4月24日(火)
 昨日今日とお天気はそこそこ良いはずなのに、黄砂の影響か、遠くの風景が白く霞んで見える。
 最近オープンしたAiAiひろばを見学してから、久しぶりに小湊までサイクリングに出掛けようかと思って平田町まで来てスーパーに立ち寄ったら、天気も今一つなので冷蔵庫の中身を補填する日に変更した。
新しいAiAiひろば
以前のAiAiひろば
崖崩れの補修

↑街中の無料休憩所と島内観光案内所を併設したAiAiひろば。今月13日だったか、会議室やイヴェント広場も供えて新しくオープンした。真ん中の写真は、道の島交通が奄美市役所からの委託を受けて運営していた、これまでのAiAiひろば。

→久里町の辺りを自転車で走っていたらガラガラと音がするので見上げると、土砂崩れのあった場所の補修作業。ネットが張ってあるとは言え、下の家の方は恐いだろうな〜。

 スーパーで買った野菜などを一旦部屋に置きに行って、今度はぐるっと名瀬港をまわって大熊漁港へ。港に着くと、宝勢丸がカツオを水揚げしていた。かなり大漁に見えました。
 販売所に行くとシビのお刺身は無く、カツオだけ。カツオのたたきが美味しそうだったので購入。パックに山盛りで500円。
 大熊漁港からの帰り、ダイエーに寄って明日のご飯用にケララカレーを購入。

↓左は大熊漁港にて、カツオの水揚げ風景。大漁の様子でした。右上は、鯉のぼりとカツオのぼりが一緒に泳いでいる宝勢丸の販売所。右下は、販売所で買ったカツオのたたき。

大熊漁港
鯉のぼりとカツオのぼり
カツオのたたき

 新タマネギのスライスと青ネギを乗っけたカツオのたたきで晩ご飯を食べた後、奄美文化センターの敷地に移築されている奄美の古民家へ行く。
 昨日のお昼にカツ丼を食べに入った食堂で地元の新聞を読んでいたら、今日の夜7時からこの古民家で佐仁の島唄と八月踊りの練習があり、見学も歓迎と書いてあったので訪ねてみた。
 縁側の戸が開いていて、中を覗くと「どうぞどうぞ」と声をかけられる。畳の部屋に上がるとコーヒーとお茶菓子に、お刺身まで出していただいた(笑)。
 練習の見学と撮影をお願いしたところ、快くいいですよの返事。しばらく練習を聴いた後、撮影させてもらう。
 奄美文化センターや、名瀬公民館、奄美パークなどで年に何回か島唄のコンサートや発表会、コンテストが行なわれており、そのうちのいくつかは聴きに行ったりもしているが、生活の中の島唄のありようがよくわからない。
 展示物ではあるが、奄美の古民家を使って行なわれる唄あしび(練習ではあるが)を見ながら、かつて唄とともにあった暮らしの風景を想像してみる。
 島唄の練習の後、八月踊りの練習が続き、最後は六調を踊ってお開きとなった。
 参加されている方々は名瀬在住の佐仁集落出身の方、それから佐仁からわざわざいらした方達で、月に2回こうして練習しているそうだ。
 帰りがけ、お茶菓子をお土産にいただいた。市販のお菓子に混じって、たぶん佐仁独特のお餅を油で揚げたお菓子が入っていた。

佐仁八月踊りの練習
 古民家での島唄、八月踊りの練習、六調の様子をPhoto Albumにしました。こちら
 You Tubeから、一昨年の9月に行なわれた「佐仁の八月踊り」。それにしても、太鼓(チヂン)と声だけで素晴らしい高揚感を生む八月踊りとは、凄いな〜と思う。
4月22日(日)
 朝8時20分に長浜緑地公園に集合して、奄美の自然を考える会の観察会に参加。今回は、奄美大島の最西端・西古見方面。陸の孤島のような集落の一つで、個人ではなかなか行くのが大変な場所とあって、バスが満席になるほどの大盛況でした。
 西古見に行く途中、まずは住用の西仲間にあるイルカンダを観察。満開の花が雨に濡れて奇麗。ここからマングロープパークでトイレ休憩をして、途中、川沿いの林道を通りながら宇検方面へ。
 今月の8日に、常田さん達とも行った宇検の展望台で湯湾岳を眺める。今日は新緑の森のアチコチから蒸気が上がっている。森の呼吸。
 展望台から湯湾集落へ行き、最近できたらしい、うけん市場で買物。一応昼ご飯用にオニギリを2つ作って来たけれど、美味しそうなお弁当が売っていたので購入。後で聞いたところによると、人気のお弁当で直ぐ売り切れるとか。私が買ったのは、最後の一つだった。
 名瀬市以外は極端に飲食店が少ない島なので、お弁当は身近な存在。ボリュームがあったり、おかずの種類が多かったりと、お値打ち感のあるお弁当も多い。
イルカンダの花
←住用・西仲間にあるイルカンダの花は満開。
↓うけん市場で購入したお弁当。海老フライ、唐揚げ、サバ、かき揚げ、卵焼き、ウインナー、厚揚げと野菜の煮物、マカロニサラダが入って500円。
お弁当
  湯湾から焼内湾沿いに名柄集落へ行き、そこから瀬戸内町の久慈に出る山道に入る。途中にカンツメさんの碑があり、バスを降りて見学。
  久慈からは大島海峡沿いにひたすら西へ走る。予定していた12時頃に西古見集落に到着。集落の公民館で昼ご飯を食べて、1時まで自由行動。集落の中を一人で写真を撮って歩く。珊瑚石の塀が長く続く、海岸沿いの風景が美しい。
西古見集落の三連立神と墓地
←海に向かって立つお墓と、沖に並ぶ西古見集落の三連立神。
↓旧日本陸軍により昭和15年に建設されたという観測所の中からの眺め。奄美大島の南部、加計呂麻島を含む瀬戸内町には戦跡がたくさんある。
観測所跡から見た三連立神
 自由時間の後、集落を抜けて先にある曽津高崎灯台(西古見灯台)方面へ。大型バスで灯台までは難しいので、灯台が見える展望所まで。そこから戻って観測所跡、もっと集落よりの砲台や弾薬庫が残っている戦跡を訪ねる。
 加計呂麻島・安脚場集落にある旧陸軍の要塞、呑之浦にある特攻艇「震洋」の格納庫など、奄美大島の南部、瀬戸内町にはこのような戦跡が多く残っている。
 帰りは大島海峡沿いに篠川まで出て、名瀬へと戻った。
スナップ
 観察会の様子をPhoto Albumにしました。こちら
4月20日(金)

 先日、築地さんからお借りした「民俗学の愉楽/谷川健一」(現代書館)を、ほぼ読み終える。ほぼと言うのは、少し飛ばしたページがあるからで、明日でも読み返そうと思っている。
 本文の中の気になった箇所や参考にしたい部分はメモをしたが、あとがきの後に柳田國男「フォークロアの原点」を語る。という文章があり、これが中々興味深い。

〜略〜
 記録にも何にも表れない人の生活というものが日本には八〇パーセント以上あるんですよ。悪いこともいいことも両方ともしなけりゃ記録に残りゃしないですからね。そんな連中の間には一人ひとりの個性なんてものは少なくて、共通性が非常に多いんですから。地方でこそそれはあるから、東北の人と、やはり四国・九州の人を見ると違うしね。そうかと思うと、思いがけなく四国・九州の人と東北が一致していることがあるんですね。それなど無意識に一致しているんです。こんなこと誰も知りません。むこうも知らず、こちらも知らず、旅人はなおのこと知らない。
 そういったようなものが日本のような長い島においては、どうしたって見ずにはおられないんだから。知らずにはおられないんだから。誰かが気をつけなきゃいけないといったような、ぼんやりとそういう気持ちを持っておったんです。
 つまり、埋もれてしまって一生終わるであろう、訴える道がなくしてしまうであろう、犯罪もしなければいいこともしないでいるっていうような人がね、ただなんとなく生き過ぎていくようなことを惜しがって、それに関する知識を残そうとしたのがフォークロアって言葉なんですよ。

榮さんHPのトップ画面

 

 シマさばくり人こと、榮 和朗さんのホームページ「ど〜んと奄美大島」ができました。
 さばくりとは、島口で段取りや作業をすることを言います。奄美大島のあんな事、こんな事を相談してみて下さい。

 天気予報では午後から雨となっていましたが、少しポツッとなっただけで本降りにはならなかった。その代わりと言ってはなんですが、一日中強い風。
 港の近くの5階という事もあって、建て付けの悪いサッシがず〜っとガタガタと震えていた。

 明日は近くの公園でアースデイ奄美2012が開催される。
 ポニーの乗馬体験もあるようだが、さてさてお天気は?ちょっと気になります。

 

4月18日(水)
 午前中に写真の届け、ガス料金の支払い、読み終わった本一冊の返却を済ませる。
 昼ご飯を食べて、先日治療してもらった歯科医院で新しい銀歯の被せ。2時10分に診察を開始して、終わったのは3時近かったか。話し好きな先生で、診察時間の半分くらいは奄美群島の話しだったと思う(笑)。
 診察終了後、さばくりにんさんの車で青久へ出掛ける。
 名瀬から国道58号でマングローブ原生林へ。越次橋を左折して山間、戸玉を通り市集落。市集落から林道に入り、青久へ向かう。舗装されていない道の脇はアチコチで土砂崩れの跡があり、カックンカックンなカーブの連続。
 道路が整備され、トンネルもできて昔に比べたら移動が楽になっただろうと思われる奄美大島ですが、やはり陸の孤島のような集落はある。これまで行った集落では西古見、嘉徳がそうでしたが、この青久は一番かもしれない。
 林道をずいぶんと走ったところで、木の柵が開いていた。青久集落に一軒あるお家で飼っている牛が逃げ出さないように、林道に柵が設けられているとネットの情報で読んだ記憶がある。この柵から向うが青久集落だな。
青久集落
林道脇のガジュマルの巨木
↑今や一軒だけとなった青久集落。→市〜青久の林道脇で見つけたガジュマルの巨木。
 ガタガタ道の林道を下りて海岸へ出ると、青久の集落。と言っても民家は一軒だけになったようだ。防波堤の役目だろうか、石積みの長い長い塀が残っている。嘗てはこの塀の中に民家が並んでいたのだろうか?
 集落の離れたところに石碑があって、カメラの望遠レンズで覗くと「むちゃかな」の碑だった。
 青久を訪ねた後、嘉徳に寄ってから油井集落の近く、須佐礼の海岸にあるサキシマスオウの木を見に行く予定でしたが、出発時間が遅かったので嘉徳は断念。来た道を戻り、国道58号に出て篠川経由で須佐礼に行く。
サキスマスオウ
↑瀬戸内町・油井集落の隣り、須佐礼の海岸にあるサキシマスオウの巨大な板根。
篠川集落の無人販売

 サキシマスオウの板根を堪能した後、篠川で寄り道し、久しぶりに住用の林道でアマミノクロウサギを探して名瀬へと帰って来た。

←篠川集落の無人販売機。キュウリ5袋、トマト2袋の他、キティちゃんやキリンのぬいぐるみも並んでいる。もちろん売り物は野菜だけです(笑)。
 それにしても斬新なディスプレイ。どこか、クリスマスの頃に教会の前に飾られる馬小屋を思わせる。
 写真を撮らせてもらった後、コーヒーをご馳走になった。

アマミノクロウサギ
←国道58号を真っすぐ帰るのもつまらないので、林道へ。クロウサギ4羽、イノシシ1頭に遭遇。クロウサギを撮影した場所に、動物の頭蓋骨が落ちていた(汗)。ウサギ・・・草食だよね?
動物の頭蓋骨
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
4月17日(火)

ある日、街に工場ができた。
街の人々は、煙突から上がる黒い煙りを見ながら
どんな素晴らしいものを作っているんだろうと
噂をしていた。
工場は煙突を増やして、ますます黒い煙りを上げていく。
それでも街の人達は、工場で何が作られているのか
わからない。

ある日、街の人の中に目が痛いと言う人が現れ、
やがてそれは街全体に広がった。
そんな折、工場長が街の人に向かって
「みなさん喜んで下さい。
私たちは貴方たちの目の痛みを治す薬を
ようやく完成させました」
街の人達は、なんて素晴らしいものを作ってくれたんだと
大喜びした。

ところで、こんな素晴らしいものを作るには
やはり煙突が何本も必要なんですね?と
街の人が工場長に尋ねた。
「いえ、煙突は黒い煙りを出しているだけです」

 本が手元に無いのでディテールは間違っているかも知れないが、別役 実の短編童話集『淋しいおさかな』の中の一編「工場のある街」は、こんな風なストーリーだったと思う。

 昨年の3月22日の独り言にも引用した「工場のある街」。政府は原発稼働ゼロを何としても避けたいのか、大飯原発の再稼働に躍起だ。民主党・仙谷由人政調会長代行は「原発を一切動かさなければ、日本が集団自殺をするようなもの」と述べ、電力不足への不安を煽る。しかし、もはや政府の言葉をそのまま信用する人達がたくさんいるとは思えない。
 54基の原発のうち、今稼働しているのは1基のみである。

 3.11以降にわかったのは、原子力発電所というのが電力を作るにはあまりに危険でリスクが大きい装置だということ。そして、総括原価方式というからくりで吸い上げられた電気料金を、原子力村という既得権益集団に分配するための装置だったこと。
 電力を作る装置としては核のゴミをどう最終処分するかさえ決まっていない未完成なものだが、お金をバラまく装置としては見事なシステムだと感心させられる。

 「3県1市、22万トン受け入れ」。政府が進める広域瓦礫処理で山梨、富山、石川3県と北九州市が、今後1年半の間に合計約22万トン分を受け入れる方向で検討中。
 正直、富山もか・・・と、愕然とする。

 がれき広域処理の問題点をわかりやすくまとめた漫画が、こちら
 青山貞一氏による「がれき広域処理の背景と問題点」(You Tube)。
 青山貞一氏による「広域処理の背景と問題点〜がれき広域処理の「必要性」「妥当性」「正当性」からの批判〜」(pdf)。

 体重計で身長を測るようなもの。細野豪志・環境大臣の、街頭で震災がれきを測定するパフォーマンスを揶揄する言葉だが、上手いこと言うな〜と思う。
 がれきの汚染が空間線量計でわかるのだろうか?空間線量Svから、ベクレルBqのおおまかな予測はできるという見解もあるようだが、それにしても測っている表面だけのことで、がれきの中身まで正確に測定できるとは思えない。体重計で身長を測る、とまでは言えなくても相当に大雑把なやり方ではある。

 がれきの試験焼却を受け入れた島田市の事について、2つリンクを張っておきます。「島田市のガレキ試験受け入れとその背景」「セシウムが焼却炉の煙突から放出」。

4月15日(日)

 撮りっ放しだった写真を、ようやく整理しました。
○4月6日 有良・芦花部のPhoto Albumは、こちら
○4月7日 喜瀬のPhoto Albumは、こちら
○4月8日 金作原・マングローブ・宇検村のPhoto Albumは、こちら
○4月9日 赤木名のPhoto Albumは、こちら
○4月10日 阿室のPhoto Albumは、こちら
○4月13日 ザーンダム号ほかのPhoto Albumは、こちら
 ようやく追いついた(*´д`*)。

 本日の一曲、「Tom's Diner/Suzanne Vega」。

↓→スザンヌ・ベガ。1991年9月1日、ウオーマッド’91にて撮影。
スザンヌ・ベガ02
スザンヌ・ベガ01
4月13日(金)

 このところ大型客船の寄港が続いている名瀬ですが、今日はオランダ船籍のザーンダム号がやって来ました。
 朝の9時頃だったか、港の方から音がするので窓を開けるとザーンダム号がまさに入港するところ。乗客定員1432人、乗組員数615人、61396トンと巨大な船です。

 お昼ご飯を食べた後、先日、飴をなめていたら被せてあった銀歯がポロッと取れたので知人に紹介してもらった歯科医院を訪ねる。
 あいにくお昼休みの時間で先生は不在でしたが、4時半からの診察がキャンセルになったので、そこに入れてもらうことになりました。
 診察時間まで2時間半ほどあるので、一度家に戻る。戻る途中から雨が降りだし、部屋に着いたら土砂降りの雨に。雷まで鳴りだして・・・orz。
 歯科医院まで自転車で20分ほど、このまま土砂降りの雨が続いたらどうしよう(汗)と思いましたが、徐々に雨は小さくなって家を出る頃には何とか止んだ。
 取れた銀歯をそのまま被せればいいかな〜と思っていましたが、下の歯が割れて銀歯が外れたらしく新しく作り直すことに。残念。
 歯の治療が済んだ後、ザーンダム号が停泊している観光バースへ。船を見ながらウロウロしていると、アチコチで知り合いにあう。今日は朝からザーンダムを見ようと訪れた人で、市街の道路は渋滞になったらしい(笑)。
 また降りだしてきた雨の中、築地さんの島唄、六調の後、スピーカーから「奄美で待って/吉幾三」が流れて、船は岸壁から離れて行った。

入港したザーンダム号

←部屋のベランダから撮影した、ザーンダム号。巨大です(*´д`*)。

→紹介してもらった歯科医院の診察券。

診察券
お見送り。築地さんの島唄
お見送り。八月踊り
↑お見送りのセレモニー。あらしゃげ会の八月踊り。
←土砂降りの雨の中で、築地俊造さんの島唄。ヨイスラ節、いきゃんにゃ加那、イトゥ、ワイド節ほか。
ザーンダムの出港
弥生30℃
↑出港。悪天候なため、紙テープはなし。ちょっと寂しいですね。→今晩から、昨日買って来た弥生30度。

 これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻→高倉→朝日→あまんゆ→八千代30度→里の曙BIG FISHINGラベル→弥生30度→太古の黒うさぎ→三年寝太蔵→加那30度→珊瑚→弥生30度。
 あらっ!?上のリストを見て気付いた。弥生30度、昨年の11月に買ってるじゃん・・・orz。

Photo Albumは、こちら。*4月15日に更新。

4月12日(木)

 借りていた2冊の本の返却期限なので図書館に行き、2冊とも延長してもらう。
 先月買った黒糖焼酎・珊瑚が無くなりそうなので、図書館から平田町のニシムタに行き、まだ飲んだことのない黒糖焼酎を探して購入。
 一度家に帰り、先日締機(しめばた)と紬を織っているところを撮影させていただいたご夫婦に写真を届けるため、バスで有良集落へ。作業場に行くと、ご主人が締機を織っていた。
 海岸をブラブラした後、龍郷湾を眺めるために、名瀬へ戻るバスではなく来た時と同じビックII行きのバスに。ビックIIで、58号線を走って名瀬に戻るバスに乗り換える。

 夜、東京から来島した友人と、彼女のお友達の3人と一緒に唄者・西 和美さんのお店「かずみ」へ。お店の前は幾度となく通ってますが、中に入ったのは初めてです。

↓カウンターにて、常連のお客さんの三線とチヂンで唄う西 和美さん。→お店の前で一緒に記念写真。
記念写真
かずみにて、島唄
料理
4月10日(火)
 路線バスの旅ですが、龍郷、笠利と北部が続いたので、今日は宇検村へ。
 役場のある湯湾は、いつも屋鈍や宇検方面の乗り継ぎで下りるけれど、集落を歩いたことがないので湯湾散策を・・・と思いましたが、やっぱり焼内湾沿いをバスで走りたいので、屋鈍の一つ手前の阿室集落へ行くことに。
 道の島バス本社を10時51分発の古仁屋行きで、新村へ。新村から11時33分発の宇検行きに乗り換えて、湯湾へ。湯湾から12時6分発の屋鈍行きに乗って、12時46分に阿室に着いた。
 帰りは阿室を13時40分の湯湾行きに乗り、湯湾、新村で乗り換えながら戻る。
 片道2時間弱、滞在は1時間弱(笑)。
阿室集落のアシャゲ01
阿室集落のアシャゲ02
←↑阿室集落のアシャゲ。先日、県立図書館で見た手作りの「奄美大島集落写真集」には、宇検村・阿室集落は、昭和33年にアシャゲを建設と書いてあったが、これだろうか。
 加計呂麻島では、まだいくつかの集落に残っているが、奄美大島では珍しいアシャゲを見た後、集落を散策して帰りのバスに乗る。

 阿室から湯湾へ。湯湾で新村行きのバスに乗り換える。乗客は私と、おばさんが一人。おばさんと運転手さんの世間話を聞きながら山道を揺られていると、バスが止まった。
 道路脇の草むらを2頭のウリ坊(イノシシの子供)が歩いている。
 運転手さんが気を利かせてバスのドアを開けてくれましたが、残念、あまりいい写真は撮れませんでした。

 家に帰り、先日撮影した商品写真を納品。冷蔵庫の中が寂しいことになっているのでスーパーへ買い出しに行く。

うり坊
Photo Albumは、こちら。*4月15日に更新。
4月9日(月)

 一昨日の土曜日に奄美大島の北部、笠利町の喜瀬集落へ行って来ましたが、今日はもう少し先の赤木名まで。
 一昨日と同じ港町待合所を13時50分発のバスに乗り、喜瀬、手花部を通り赤木名に着いたのは14時50分頃か。
 集落を少し歩いてから海岸へ出ると、海のブルーと空のブルーが美しい。穏やかな凪の海は、刷り物のような色をしている。

赤木名の海岸
↑赤木名の海岸。多色刷りの版画のような風景。
スナップ

 海岸から集落に戻る。
 山ばかりで平地の少ない奄美大島にあって、北部の笠利町は平らな場所が多い。
 1613年(慶長18年)に薩摩支配がはじまってから明治維新により、1871年(明治4年)の廃藩置県で鹿児島県になるまで、実に259年間の内、笠利町に前後169年間も仮屋があり、奄美の政治の中心地であったことがわかります。「奄美・小宿集落誌」より。
 この169年の内、147年間は赤木名に仮屋(町村役場)があったそうだ。そう言うことが有ってか、道が広く、区画整理もされて、集落というより住宅街といった趣がある。
 16時15分発のバスで帰ろうと思っていたが、赤木名城跡を散策していたら時間が足りなくなり、17時25分のバスで名瀬へと帰る。

Photo Albumは、こちら。*4月15日に更新。

4月8日(日)
 朝9時に集合して、写真家・常田守さんの案内で金作原原生林へアマミエビネを撮影に行く。
 金作原にはこれまで2回来ているが、どちらも野鳥の調査で、夜明け前から日の出にかけて。ちゃんとした撮影ができるのは、今日が初めて。
↓金作原原生林のヒカゲヘゴ。→絶滅危惧種のアマミエビネ。
アマミエビネ
金作原のヒカゲヘゴ
 予定は金作原だけでしたが、ここ最近では一番の快晴になったので、もう少しアチコチ行ってみようと言うことになり、住用へ。 
 ちょうど昼時になったので、一昨年の豪雨災害の時に避難場所としてお店を提供して被災者を助けた定食屋さん、よってみ亭で昼ご飯。入るのは初めてです。600円のごまみそチキンカツ定食を注文。
 食べ終わってマングローブパークで地元新聞社の方と合流して、ミナミコメツキガニを撮影。ミナミコメツキガニは昨年の秋に、笠利の手花部の干潟で撮影しているが、マングローブにもウジャウジャいます。近づくと直ぐに砂に隠れてしまいますが(汗)。
マングローブのミナミコメツキガニ01
マングローブのミナミコメツキガニ02
ミナミコメツキガニ03
↑小さなコロコロが、ミナミコメツキガニ。近づくと砂に潜ります。 ↑潮の引いたマングローブで、カニを撮影中の地元の新聞社の方々。 ↑ミナミコメツキガニ。コバルトブルーの甲羅が、これから黒に変化する季節らしい。
 マングローブから宇検村へ。途中の展望所から新緑の山並みを眺め、河内川でアマミセイシカとケラマツツジを撮影して帰宅。
宇検村の展望台からの新緑の山並み
↑宇検村の展望所にて、新緑の山並み。抹茶をふりかけたような森が続く。まさにディープフォレスト!黄色く輝いているのは、オキナワジイの花だろうか?
アマミセイシカ

←幻の花と言われたアマミセイシカ。奄美の固有種で、絶滅危惧種。宇検村・河内川にて。

↓ケラマツツジ。こちらも河内川で。

ケラマツツジ
Photo Albumは、こちら。*4月15日に更新。
4月7日(土)
 今日は早めに家を出て、集落をいくつかまわろうと思っていたけれど、昨日の疲れがあってかモタモタとして出発が遅くなってしまった(汗)。
 港町待合所を13時50分発のバスで奄美大島の北部、笠利町の喜瀬集落へ。ここも通り過ぎたことは何度もあるが、下りるのは初めて。まずは海岸に出ると、広い干潟があり何人かがイショを楽しんでいた。
 イショとは磯で、転じて潮干狩りもイショというらしい。砂を掘っていたら、ザクザク採れたという貝を見せてもらった。
 
喜瀬の干潟で潮干狩り01
潮干狩り02
採れた貝

↑護岸のコンクリートブロックが出来る前は、もっと貝が採れたそうです。左手に持っている発泡スチロールは潮干狩り用の仕掛けかと思って尋ねたら、疲れた時の腰掛けだそうです(笑)。なるほど納得。

↓道路から玄関まで敷き詰められた砂、生垣。屋根こそ茅葺きではないけれど、昔の奄美の民家はこんな感じだったのだろうか?と思わせる。シンプルで美しい佇まい。

生垣と砂が美しい民家

 海岸から集落へ移動して、路地から路地へブラブラと歩く。昨日の有良、芦花部散歩の疲れが残っているので今日は早めに集落散歩を切り上げる。
 16時25分のバスで、名瀬に戻る。入舟町のスーパーで少し買物をし、家の近くの八百屋で250円のタンカン、5本80円のバナナ、1パック88円のアオサを購入。今年はタンカンの収穫量が少なく、値段が昨年の倍以上したため、自分が食べる用のタンカンは買えなかったが、みかん程の小さなタンカンですが10個で250円なので買ってみた。

 夜8時過ぎ、窓を開けたら対岸の山の少し上にまん丸で輝くようなお月様。今夜は満月?

タンカン
←小ぶりなタンカンが10個入って250円。わざわざ鹿児島産と書いてあったので、島のタンカンじゃないのかな?期待しないで食べたら、甘くて美味しかった。
→88円だったアオサ。素麺の味噌汁に入れてみた。
アオサ
Photo Albumは、こちら。*4月15日に更新。
4月6日(金)

 急に物撮りを頼まれて、モノブロックのストロボ3灯、スタンド、アンブレラ他を担いで自転車に乗り撮影に行く。撮影する商品を見せてもらい、近くの文房具屋さんで白と黒のケント紙を購入。
 ストロボ他をセッティングし、5種類の商品を撮影。全て同じライティングなので準備から撮影、後片付けで1時間程だっただろうか。
 一旦家へ帰り、昼ご飯を食べて撮影したデータをパソコンにバックアップ。

 せっかくお天気が良いので道の島バスの本社に行き、一週間乗り放題のチケットを購入。14時10分発の和光トンネル、大熊経由で有良(あった)集落へ。何度となく横を通り過ぎているが、ここでバスを降りるのは初めて。
 集落の奥に行くと防風林だと言うガジュマルの並木があり、その横で何やら男性が作業。
 ピンと張った絹糸に墨で印を入れている。直ぐ近くに作業場があり、締機(しめばた)をされていると聞いたので、集落を少し散歩した後に作業を見せてもらった。
 紬を織っているところを見たことがないと言うと、ご自宅に案内され、中に入ると奥さんが白い大島紬を織っていらした。
 観光施設ではないところで大島紬を織っているところを撮影したかったので、とてもありがたい出会いでした。せっかく撮らせていただいたので、後日プリントをお渡しすることを約束しておいとました。

大島紬01
←ガジュマルの防風林の横で、張った絹糸に墨で印を入れている。
↓作業場での締機(しめばた)。織っている音を聞くと、かなりの力仕事のような気がします。
大島紬02
↓→ご自宅では、奥さんが紬を織っていらした。部屋全体ではなく、手元だけの照明。
大島紬04
大島紬03
 大島紬の製造工程は、こちらこちらを参考に。
スナップ

 有良から隣りの芦花部(あしけぶ)集落まで歩き、カトリック芦花部教会、南洲神社、バア加那の碑、バアカナの屋敷ウントノチ跡などを見て歩きながら集落を散歩。
 17時56分発のバスで、来た道を辿りながら名瀬へと帰る。

 You Tubeから、芦花部で一番の美人だったバア加那さんを唄った「武下和平/芦花部一番節」。

Photo Albumは、こちら。*4月15日に更新。

4月5日(木)

 このところ気温が上がらず、肌寒い。奄美大島沖で一昨日から香港の貨物船が消息を絶っているというニュースが入って来た。奄美沖では、先月の23日にも漁船転覆事故が起こっている。
 夜になって、乗組員17人のうち、11人が救助されたと報じられた。

 今日は、午後から築地俊造さんの島唄ライブハウス「かんも〜れ」へ。1月に撮影した紬の日のイヴェントの写真や、かんも〜れでの写真をお渡しする。これまでなかなか築地さんとゆっくりお話しする時間もなかったので、奄美に来てから撮影した写真を見てもらいながら島の話、島唄の話を聞かせてもらう。
 島に来て一番いいなと思った島唄は「イトゥ」だけれど、ネットで調べても「イトゥ 仕事唄」としかわからなかったが、イトゥそのものの意味は、掛け声・お囃子ということらしい。
 帰り際に面白いからと、本を一冊貸していただいた。「民俗学の愉楽/谷川健一」(現代書館)。額に蟹を乗せられている子供の写真が掲載されたページが折られている。築地さんも子供の頃に同じようにされた記憶があるらしいが、この本を読んでその意味がわかったそうです。

循環する世界
〜略〜
 奄美大島では、誕生から一年たった子どもを「ユノリがあった」という。「ユノリ」とは世直りで、他界から現世に直ることを意味する。九州から南島にかけて、「直る」という言葉は、移ることを意味する。したがって、誕生から一年間を経るまでは、この世への再生が確認されていないと考えられていたことを示す。
 このような考えから、奄美では、小さなカニを赤ん坊の額にはわせる。カニは甲羅を脱いで再生することから、赤ん坊に再生をうながす行事なのである。また小さなカニを入れたスープを飲ませるといったこともする。

〜略〜「民俗学の愉楽」より                  

↓一昨日に続いて波が高かった、昨日の名瀬湾。
民俗学の愉楽
昨日の名瀬湾
 今日の一曲、「築地俊造、中村瑞希ほか/イトゥ」。
 5月13日(日)、東京・新大久保で「R'sアートコート奄美島唄ライブ vol.15」築地俊造 with RIKKIがあります。また、築地さんが率いる八月踊りを愛する集団「あらしゃげ会」が、4月13日、ザーンダム号来航記念 奄美だよ!全員集合!!に出演します。商店街にて、16時30分からだそうです。

↓→築地俊造さん。左からRIKKIの『miss you amami』レコーディングのリハーサル。湘南のスタジオにて。1998年の夏かな?真ん中は2010年7月29日、「シマあすびの夕べ」にて。右は今年の1月5日、「紬の日」のイヴェントで。
 

築地さん02
築地さん03
築地さん01
4月3日(火)
 爆弾低気圧の影響で、日本列島が暴風雨に襲われた。いったい今日一日で、何万本の傘がダメになったんだろう(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-

 名瀬は昨晩から今日の明け方にかけてが一番風が強かったようで、うつらうつらとしながら何度も風のビュービュー鳴る音を聞いた。
 天気予報では午後から晴れになっていましたが、雲も多く風の強い一日でした。

→は、ベランダから見た今日の名瀬港。海面を風が走っていました。手前の船は、巡視船「かいもん」。奥に見える島は、山羊島です。

強風の名瀬港
 一昨日の夜、大阪に住むマイミクさんが来島。昨日のお昼に地元の新聞社の方と3人で、奄美についての話をしながらランチ。
 ランチを食べ終わって、私が自転車で名瀬を案内することに。コースは、いつも走っている朝仁海岸〜小宿漁港〜里集落〜知名瀬〜根瀬部。根瀬部集落の奥、アマミシリケンイモリのいる川に行くと、ザルに入れたツワブキを地元の方が洗っている。聞けば、ひと晩川に浸けておいて灰汁を抜くんだそうだ。
 根瀬部から市街地に戻り、らんかん山の横、高千穂神社の横を通り、おがみ山へ。入口に自転車をとめて、展望広場へ上る。
 展望広場で名瀬市街を眺めてから、港をぐるっとまわって大熊漁港へ。残念ながら、今日はカツオのぼりは上がっていなかった。
 公園で一休みしてから、山羊島の横を通って市街へ。今日の観光案内は、これでおしまい。初日なのに、かなりの距離を自転車で走らせてしまいました(笑)。
↓→根瀬部にて、ひと晩川の水に浸けて灰汁抜きしているツワブキ。ツワブキは、豚軟骨と一緒に煮物にして食べます。
水に浸けて灰汁抜き中のツワブキ
ツワブキを洗うおばちゃん
 本日の一曲、「James Brown/Sex Machine」。ジェームス・ブラウンもボビー・バードも若い!!ゲロッパ!
ボビー・バードとヴィッキー・アンダーソン
ボビー・バードのライヴ
イヴェントの後の記念写真
↑写真左はジェームス・ブラウンの盟友、ボビー・バードと、JB'sのリード・ヴォーカリストで妻のヴィッキー・アンダーソン。1988年4月12日に撮影。たまたま公園で遊んでいた女のコと一緒に。右上はクラブのイヴェントでのボビー・バード。右下はイヴェントの後の記念写真。公園でのポートレートと同じ日に撮影だったか??
4月1日(日)
 今日から4月。衣替えに、トップ画面を新しくしてみました。
新しいトップ画面
 奄美の緋寒桜は散ってしまいましたが
昨日・3月31日に、東京で桜の開花宣言が出されたようです。

 水上バスから眺める東京の風景に魅せられて
2年位の期間、月に一度の頻度で撮影に出掛けたことがありました。
 この写真も、そんな一枚。
水上バスから撮影した隅田川の桜です。
これまでのトップ画面
 
3月へ