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○3月6日(日) 「ハアサキ成人講座」七宝焼を楽しもう奄美少年自然の家 9:30〜12:00 申し込みは2月24日まで
○3月13日(日) 生涯学習講座「島唄に魅せられて〜ウヤフジとシマユムタ〜/前山 真吾(唄者)」/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○3月13日(日) 「九州新幹線全線開通イベント」/奄美パーク・イベント広場 お中元(中 孝介・元 ちとせ)の鹿児島からのネット生中継・おたのしみ抽選会等 午後2時〜
○3月15日(火) クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」寄港/名瀬観光バース 入港午前10時、出航午後9時(*中止)
○3月20日(日) 奄美市合併5周年記念式典/奄美振興会館 10:30〜
○3月20日(日) フリーマーケット/1万人広場 9:00〜15:00
○3月20日(日) 奄美野鳥の会 オオトラツグミさえずり調査/午前4時〜午前9時
[説明会11日(金)12日(土)午後7時半〜9時、13日(日)午後5時〜6時半 奄美博物館]
○3月23日(水) ASIVIにて平成22年度奄美・沖縄経済交流フォーラム「奄美と沖縄どこまで似ている?奄美の独自性をみんなで考えてみよう」があります。開場17:30、開演18:00 入場無料。

奄美少年自然の家 天体ドーム解放
2月11日(金)、19日(土)、25日(金)、3月4日(金)、11日(金)、18日(金)。25日(金)
時間:18:00 ~ 21:00(第1部18:00~、第2部19:30~、ただし3月は第2部のみの開催)
内容:2.11/冬のダイヤモンド、7つの一等星を観察しよう 2.19/アウトドア&スターウォッチング(冬)【別途,案内をいたします。】 2.25/冬の夜空を彩るたくさんの星団・星雲を観察しよう 3.4/りゅうこつ座のα星『カノープス』を見よう 3.11/プレアデス星団と月(月齢6.6)を観察しよう 3.18/月のクレーターを観察しよう(月齢13.6) 3.25/リングのある星『土星』を観察しよう。

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦2月3日(木)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(日)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(金)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月18日(金)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦4月5日(火)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月6日(月)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月6日(土)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月12日(金)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦8月14日(日)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月5日(月)
○アラセツ(※2):旧暦8月11日→新暦9月8日(木)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月12日(月)
○シバサシ:旧暦8月17日→新暦9月14日(水)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月5日(水)

※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定) 等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。旧暦8月最初の丙の日が旧暦8月1日になった場合,前日のツカリの日は旧暦7月になってしまい、一連の行事が月をまたがってしまうことになる。このような場合には次の丙の日がアラセツ行事を行う日となるようです。(平成16年にも同じことがありました。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

3月31日(木)
 早朝に目覚めると外が騒がしい。窓を開けると、フェリー乗り場でお見送り。移動の季節なので、このところ毎晩歓声を聞いているが、朝は初めてだ。暫く部屋から見ていると、フェリーが離れた岸壁から次々に海に飛び込んで行く。南の島・奄美もちょっと季節が戻って肌寒い日が続いている。まして日が昇ったばかりの早朝の海。いくらなんでも寒いだろ〜(;´Д`)/。
名瀬港、早朝のお見送り

 10時1分に道の島本社を出るバスで、古仁屋へ。11時40分発のフェリーかけろまで生間港に渡り、生間からバスで徳浜へ。本生間、渡連、安脚場、諸鈍を通って12時37分に徳浜集落に着いた。
 バスを降りる時に、15時発の生間に戻るバスに乗りますか?と運転手さんに聞かれる。「はい」と答えて、なんでそんな事を確認するのだろうと思っていたが、徳浜はオンデマンド式の運行になり予約がないとバスが通らないようになったと後で知った。
 この徳浜で、加計呂麻島に30ある集落のうちバスが通っていない知之浦を除く29の集落を散策したことになる。
 浜辺を暫く散歩して、集落の奥にあるさんご塩工房で見学させてもらい、200g入りのさんご塩を購入。集落入口近くにある鶴亀 畑cafeで、カフェ・オレを一杯。
 徳浜を15時発のバスで生間へ、フェリーで古仁屋へ。いつもより少し早めのバスで名瀬に戻る。今日も古仁屋から名瀬市街までは、貸切りだ。

 フェリーかけろま古仁屋〜生間260円x2、生間〜徳浜560円x2。
*平成20年4月の世帯数と人口(KAKEROMA.COM.より) 徳浜集落/6世帯、11人

徳浜のスナップ
 Photo Albumは、こちら。*4月8日に更新。
3月30日(水)

 一昨日と同じ時間のバスとフェリーで加計呂麻島の瀬相港。瀬相から生間行きのバスで、勝能(かちゆき)へ。瀬相を10時45分に出て、途中の押角(おしかく)で19分の時間調整の後、勝能に11時27分着。
 瀬戸内町のホームページ、勝能集落の紹介ページに「集落は対岸に古仁屋を望む。湾に沿って東側からムジギリ、タジリ、カチョホ(勝能)、ワッカマ(脇浜)、コンマ、イシャネク(伊佐根久)、クダムトゥの各小字からなり、昔から「七色の心を持つシマ」と呼ばれた。集落人口は「なのはな園」の分を加えると100人を超える」とある。
 大島海峡沿いに脇浜、伊佐根久と歩き、生間まで行って折り返して来たバスに拾ってもらい押角集落へ。
 押角集落をぶらぶら歩いてから、海沿いの旧道を通り呑之浦にある島尾敏雄記念碑公園と、震洋隊基地跡へ。予定では、この後呑之浦集落を散策して13時56分のバスで瀬相に戻るつもりでしたが間に合いそうもない。次のバスは約3時間半後(汗)、開き直って震洋隊基地跡の先端にあった大きな岩にゴロンと横になって軽くお昼寝。寄せる波の音、遠くで響く船のエンジン音、そして鳥のさえずり。加計呂麻島で一番響くのが鳥の声ではないかと思う。島の主役はこの鳥たちかも。
 のんびり休んでからトボトボと海沿いに歩いて、わずか4世帯ほどの呑之浦集落へ。1時間半ほど居ただろうか。やって来た瀬相港行きのバスに乗ってフェリー乗り場へ。

30日のスナップ
瀬相港フェリーかけろまから

 フェリーかけろま古仁屋〜瀬相350円、瀬相〜勝能510円、勝能〜押角250円、呑之浦〜瀬相240円、フェリーかけろま瀬相〜古仁屋350円。

*平成20年4月の世帯数と人口(KAKEROMA.COM.より)
勝能集落/79世帯、113人 押角集落/35世帯、63人 呑之浦集落/4世帯、7人

←瀬相港にて、フェリーかけろまから。学校の先生の転勤のお見送りだろうか。

 島は連日お見送り。名瀬のフェリー乗り場からも、毎日歓声が聞こえる。今夜はブラスバンドに合唱付き、にぎやかです。

 Photo Albumは、こちら。*4月8日に更新。

3月29日(火)

 昨日までの天気予報では曇りだったと思うが、朝から晴れ。
 午前中に家賃と水道代を不動産屋さんへ持って行くと、係の女性が「背は伸びないのに、髪の毛伸びましたね〜」と挨拶代わりに笑って言う。突然の事に、えっ(;´Д`)/。何かの罰ゲームだろうか・・・orz。髪の毛伸びたのはその通りだし、50歳過ぎて背は伸びないだろう〜(笑)。

借りて来た本

 図書館で5冊借りているうちの3冊を返却して、2冊を期限延長してもらい、新たに3冊借りて来た。

←新たに借りて来た本。「出発は遂に訪れず/島尾敏雄」(新潮社)、「ヤポネシア考/島尾敏雄対談集」(葦書房有限会社)、「菅 洋志・・・奄美 シマに生きて」(新潮社)。

 先日久しぶりに食べた、とり釜の素を使った炊き込みご飯がおいしかったので、今日はタケノコの炊き込みご飯(*´д`*)。

 寝る前に、タンカンを3個絞り、黒糖焼酎を加え、氷を入れてステア。フレッシュジュースを使った奄美ならではの贅沢なカクテル。
3月28日(月)
 1週間バス乗り放題のチケットを購入して、8時31分に道の島本社前を出発するバスで古仁屋へ。古仁屋からフェリーかけろまで、瀬相へ。瀬相からバスで阿多地集落へ。一ヶ月ぶりの加計呂麻島散策。
 阿多地集落では、たいていどの集落でも道に立てかけてあるハブ棒を見なかった。ハブが出ないのか、ハブ棒を作る青年団がいないのか?携帯の電波は届かず。
 阿多地13時35分発のバスで、俵集落へ。途中の須子茂集落、嘉入集落は先月の3日に散策しているので、今日はパス。
 俵集落をぐるぐると回って写真を撮ったあと、歩いて瀬相集落まで。フェリーの乗り降りで瀬相港は来ているが、集落の中は初めて。
阿多地集落
阿多地のアシャゲ
公道神社
↑阿多地集落。 ↑阿多地集落のデイゴとアシャゲ。 ↑阿多地集落の公道神社。
俵集落のアシャゲ
俵集落もう一つのアシャゲ
グジさんのお墓
↑俵集落のアシャゲ。 ↑俵集落のもう一つのアシャゲ。 ↑俵集落のグジさんのお墓。
瀬相集落
瀬相のアシャゲ
オボツイシ
↑瀬相集落。 ↑アシャゲ。右端はトネヤ。 ↑瀬相集落のオボツイシ。
フェリーかけろまからの夕焼け

 瀬相港18時5分発のフェリーかけろまで、古仁屋へ。古仁屋から名瀬行き最終バスで帰宅。
 フェリーかけろま古仁屋〜瀬相往復670円、瀬相〜阿多地520円、阿多地〜俵430円。

*平成20年4月の世帯数と人口(KAKEROMA.COM.より)
阿多地集落/8世帯、11人 俵集落/45世帯、74人 瀬相集落/34世帯、65人

←朝から曇りでしたが、午後から少し晴れ間が見えてキレイな夕焼け。フェリーかけろまから。

 Photo Albumは、こちら。*4月8日に更新。
 3月27日(日)

 季節が二ヶ月ほど戻った感じで、南の島・奄美もこのところ、ちょっと肌寒い。テレビでニュースを見、図書館で借りて来た本を読み、ネットをぐるぐると回る。

 昨日は大熊漁港へ行ってみた。カツオのぼりは上がっていたが、シビ(キハダマグロの幼魚)は売り切れ。ちょっとがっかりしながら市街に戻り、新川沿いに安勝町、小俣町の辺りを撮影しながら自転車でぷらぷら。
 夕飯は、スーパーで買ったとり釜の素で炊き込みご飯。久しぶりに食べると美味しい(*´д`*)。

奄美大島紬共同組合撚糸工場跡
 昨日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。↑の写真は、安勝町にある奄美大島紬協同組合撚糸工場跡。
3月23日(水)
 夕方からASIVIで開催される、平成22年度奄美・沖縄経済交流フォーラム「奄美と沖縄どこまで似ている?奄美の独自性をみんなで考えてみよう」を聞きにいく。
 最初に照屋林賢さんの話しがあり、その後司会者も入れて9人のパネリストのディスカッションという事だったが、各自が順番に意見を話しているうちに予定の2時間を30分ほどオーバーしてフォーラムを終了。
 ディスカッションをするには用意された時間が短すぎるし、パネリストの人数が多いように思う。
 入口に設置されていた東北関東大震災の募金箱に募金をして帰宅。
→基調講演を行う照屋林賢さん。
↓司会者も入れて、パネリストは9人。
照屋林賢さん
パネルディスカッション

 開場で配られたアンケート用紙に「奄美らしさ」はなんですか?という質問があった。「集落」と書いておいた。もちろん日本全国に集落はあるけれど、隣りの集落へ行くにも山を越えなくてはいけない地形から育まれた各集落の独自性・個性というものは、奄美ならではないかと思う。

「奄美民謡島唄集/片倉輝男」(南方新社)より

 現在唄われている島唄は、先にも述べたように60〜70曲以上あると言われているようだが、そのほとんどは、1871年の廃藩置県までに誕生した唄、つまり明治時代以前の唄であるようだ。その曲に、数千首もあるという歌詞を臨機応変に、時として即興も交えて、メロディーに乗せて唄うのである。

 奄美民謡島唄を理解する為には、予め島口の特殊性を知っておく必要がある。島口は、音韻転訛が甚だしい為に、初めて聞く人には、まるで外国語のように響くようである。しかし、よく吟味してみると、日本の古語系統に属する語であることがわかる。だから”転訛の方式”さえ知っておれば、たやすく理解できる。

五十音表中エ段の音は上昇してイ段の音に転ずるのが通則である。
イ段 い き し ち に ひ み い り い
↑ 
エ段 え け せ て ね へ め え れ え
例えば、ウエ(上)→ウイ センセイ(先生)→シンシェイ シャミセン(三味線)→シャミシン イネ(稲)→イニとなる。

また、五十音表中オ段の音は上昇してウ段の音に転ずるのが通則である。
ウ段 う く す つ ぬ ふ む ゆ る う
↑ 
オ段 お こ そ と の ほ も よ ろ を
例えば、オオシマ(大島)→ウウシマ ソデ(袖)→スディ スソ(裾)→スス モモ(腿)→ムム シロ(白)→シル フロ(風呂)→フル という具合である。

(第6章 島唄の歌詞と言葉)

3月22日(火)

ある日、街に工場ができた。
街の人々は、煙突から上がる黒い煙りを見ながら
どんな素晴らしいものを作っているんだろうと
噂をしていた。
工場は煙突を増やして、ますます黒い煙りを上げていく。
それでも街の人達は、工場で何が作られているのか
わからない。

ある日、街の人の中に目が痛いと言う人が現れ、
やがてそれは街全体に広がった。
そんな折、工場長が街の人に向かって
「みなさん喜んで下さい。
私たちは貴方たちの目の痛みを治す薬を
ようやく完成させました」
街の人達は、なんて素晴らしいものを作ってくれたんだと
大喜びした。

ところで、こんな素晴らしいものを作るには
やはり煙突が何本も必要なんですね?と
街の人が工場長に尋ねた。
「いえ、煙突は黒い煙りを出しているだけです」

 本が手元に無いのでディテールは間違っているかも知れないが、別役 実の短編童話集『淋しいおさかな』の中の一編「工場のある街」は、こんな風なストーリーだったと思う。
 原子力発電所を考える時、このシュールな童話を思い出す。

「奄美民謡島唄集/片倉輝男」(南方新社)から気になった箇所を抜粋。

 奄美民謡島唄も、最初は神に仕える神女のユタやノロが唱える、「祈願」・「呪術」に起源があるのではないだろうか。
 そう考えれば、女性の高い声に合わせるために、男性が裏声を多用するのもうなずける。また、島唄の歌詞に男女が詠われる時も、決まって女性が先に詠われる。レディー・ファーストのいわゆる奄美の「女性崇拝」の形も、ここに起源があるのではないかと思える。

(第2章 島唄の起源)

 平家が来島していた約60年間に、言葉は勿論のこと、奄美民謡島唄に大きな影響を及ぼした。「京言葉」の美しいことばが方言として残され、優雅な島唄の歌詞が出来上がったことは言うまでもない。
 何よりも強調したいの「島唄は方言(島口・しまゆみた)で唄われるから島唄」というのが大原則なのだが、その方言に平家の影響を受けたと思われる言葉がたくさん使われており、今もそのままの形で島唄の歌詞の中に残っている。たとえば、
「ミショウチタボリウ」は「召し候らへ給うれ」
「アスビンショロウヤ」は「遊び候ろうや」
「イモユル」は「行参る」、「リ」は「御参れ」という意味になろう。
島唄の歌詞の中では、次のような形で出て来る。たとえば、
「何時む今日ぬ如にあらちたぼれ」→イツムキュウヌグトウ二アラチタボリ
「今宵今夜や遊びん候うや」→ユサリユヤアスビンショロウヤ
「何処ちがいもゆる色白女童」→ダカチガイモユルイルジルメラビ
という具合である。
 平家のおかげで、島唄の歌詞は大変気品高く優雅になり、歌詞の「詩型」はしっかり整えられてきたのではないかと思われる。

(第3章 「平家ぬ世」の島唄)

3月20日(日)
 早朝4時に名瀬運動公園に集合して、オオトラツグミさえずり一斉調査に参加。私の受け持ちは金作原林道の10キロ地点から12キロまでの往復4キロ。5時30分にスタートして一時間ほどで4キロを歩き、その間にオオトラツグミのさえずりが聞こえたら地図に方向と時間を記入するというもの。
 一つの区間を二人で担当。13日の説明会でコンパスの使い方や地図への記載のしかたは習いましたが、私は城さんというベテランの方とご一緒したのでお任せしました。それでも4キロを一時間というのは速いペースなので、小雨の降る林道ではついて行くのが精一杯(汗)。夜が開ける6時前後が、一番さえずりが大きかった。たぶん4羽くらいのさえずりを聞いたと思う。
 調査の後は、林道に1キロごとに設置したポールなどを車に撤収しながら帰る。名瀬運動公園に戻り、朝ご飯のおにぎりと熱いお茶をいただき、調査結果を報告して終了。
 オオトラツグミのさえずりをYou Tubeから。こちら
月
←早朝4時頃、名瀬運動公園からの月。19日夜の月は、スーパームーンと呼ばれるらしい。20日早朝の月は??
↓調査員証。
調査員証

○3月23日(水) ASIVIにて平成22年度奄美・沖縄経済交流フォーラム「奄美と沖縄どこまで似ている?奄美の独自性をみんなで考えてみよう」があります。開場17:30、開演18:00 入場無料。
パネリストは
◆りんけんバンドの照屋林賢さん
◆奄美の歴史に詳しい奄美んちゅうこと、中山清美 奄美市立博物館館長
◆行政に詳しい奄美んちゅうこと、花井恒三さん
◆地域が誇るコミュニティFM代表の島んちゅうこと、 麓憲吾さん
◆名瀬在住のウチナー1世こと、町ゆかりさん
◆東京生まれ東京育ちの奄美2世の 山元勝己 奄美テレビ放送専務
◆奄美と沖縄の交流に奔走する沖縄んちゅうこと、前仲清浩 NIAC主任研究員
◆東京からの移住者で移住支援サイトねりやかなやを運営している山腰眞澄 
コーディネータは
沖縄から駆け付ける沖縄んちゅうこと、島田勝也 沖縄大学地域研究所特別研究員

3月18日(金)

 家には昨日届けた缶詰以外に保存のきく食料はないと思っていたが、見ると食べたくなるので台所の下に隠しておいた日清やきそば5袋入りがあったのを思い出した。自分の作戦にまんまと引っかかってしまった(笑)。賢いのか?馬鹿なのか?自分・・・orz。
 エコロジーセンターに日清やきそばを持って行き、そのまま龍郷方面へサイクリング。中勝、大勝を通って役場のある浦へ。浦から龍郷湾に沿って西郷隆盛の居住跡まで行こうと思っていたけれど、時々雲行きが怪しくなるので龍郷湾に少しずつ繁殖しているマングローブを撮影して引き返す。
 真っすぐ名瀬に帰るのもなんなので、ビックツーの横を曲がって戸口集落へ。戸口も昨年の豪雨災害でかなりのダメージを受けましたが、剥がれたアスファルトも舗装され、通りすがりの目には大分落ち着いてきたように見える。川の堤防には一部土嚢が積んでありますが。
 集落の奥にある行盛神社でお賽銭を入れ、境内を撮影。平 資盛を祀った加計呂麻島・諸鈍の大屯神社、浦上の有盛神社、そしてこの行盛神社で3人の神社の写真が揃った。
 下戸口集落の中を少し自転車でぶらぶらしてから名瀬へと帰る。佐大熊団地でお腹が赤で他が青の鳥を発見。逃げそうで逃げないので撮影。部屋に帰って調べてみましたが、イソヒヨドリのオスかな。

18日のスナップ
 夜、部屋でパソコンに向かって作業をしていると窓の外から歓声が上がる。移動の季節。卒業して進学や就職で島を離れる人達の見送りだろうか。昨日も「頑張れよ〜」の大きな声が聞こえていた。
 部屋の中からしばらく様子を見ていたけれど、フェリーの下まで行ってみた。
 紙テープと声援、島の見送りはドラマチックだ。応援団の型は驚いた、爆竹は気をつけて。でも海に飛び込むのはやめてくれ(o ̄∇ ̄)/。
フェリーの見送り
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。牛も猫も犬も山羊もイソヒヨドリもいます(*´д`*)。
3月17日(木)

 昼ご飯を食べてから、カメラをぶら下げて散歩。いつも付けているズームレンズじゃなくて、標準の50mm。ボディがAPS-Cサイズなので、ちょっと望遠になるけれど。
 名瀬市街にあるエコロジーセンターで、被災地に送る保存がきく食品を集めているというのでバックに缶詰を3個入れて行く。センターでは女性スタッフが、被災地へ送る物資の仕分け作業をしている。缶詰を渡して、話しを聞くとトラックで現地まで向かうそうだ。
 国は今、各県単位で物資をまとめて送ってくれと要請している。道路の混雑状況や輸送燃料のことを考えるとボランティア団体が独自で動くよりは、その方が良いように思える。仕分け作業をしていた女性は、それでは必要としている被災地に届かないと話す。どちらが正しいのか、どちらも正しいのか。どちらにしても明日の夜にはトラックが名瀬を出発する。ならば少しでも物資が多い方が良いだろう。
 缶詰3個で申し訳ない。その分、募金します。
 脇道を探しながら平田町のニシムタまで歩く。欲しい物はないけれど店内を見て、やはり何も買わずに外へ出る。名瀬は物、足りています。
 帰りは古見本通りを挟んで反対側をぶらぶら歩く。新川に沿って港に出て、港沿いに歩いて帰る。4時間ほどの散歩。
 散歩の途中で火事を知らせる防災無線がなり、古田町を歩いていると、ちょうど消防車が出発するところだった。
 火事はどこだったんだろうと思っていたが、夜のTVニュースで小浜町の山の上の方にある、今は廃業しているホテルだと知った。名瀬港を挟んで対岸。部屋からよく見える。外観に大きな変化がないようなので、早い段階で鎮火したのかな?

遊ぶ子供たち
 本日のスナップはこちら。猫、ちょっと多め(*´д`*)。名瀬の野良猫、お腹が膨らんできたような。大丈夫か?こんなに増えてって(汗)。これも小さな心配事。

「トン普通語処方箋/倉井則雄」から
 子供たちは、「歯がヤモヤモしている」といった具合に、動詞を二つ重ねる方法をよく使います。「ナコナコ」「ワラヲワラヲ」などがそうです。
 意味がわからない、理解できないという意味で、「意味がウツラン」と言います。そして、理解できないでいる様子を、「ウチラウチラして」と言い、これと同じ状態の、呆然としているのを、「ボットして」と言います。これをまた二つ重ねて、「ボットボットして、早くせんか!」と怒鳴ります。

 トン普通語、なんだか可愛い(*´д`*)。

「めじろがヒンギィツて」(逃げて)、「犬と猫がトラッて」(けんかして)、「ズボンをハジレ」(ぬげ)、「道をクサイで」(ふさいで)、「糸をクビル」(くくる・結ぶ)、「テレビをアツカフな」(にさわるな)、「お菓子がヒナッてる」(へっている)、「電灯がハガッテいる」(ついている)、「手をムジキラれた」(つねられた)、「ホガサれている」(穴をあけられている、やぶられている)、「バクラした」(しくじった)、「キバレよ」(キバってこいよ)、「あんたもハマラないといけない」(キバル・ハマルも頑張るの意)。

「テーゲテーゲ」(いい加減に)、「ヨリヨリ行きなさい」(ゆっくり)、「ジンジン成績がよくなりました」(次第に)、「ヨカシカ頑張らんとだめだね」(よっぽど・・・)、「マージン行きなさい」(マージンは一緒にという意味で使われますが、本来は名詞です)。

二語重ねて副詞の働きをしている擬態語・擬声語。
「クワチクワチ打たなければ言うこときかないね」「クワンクワン聞こえてくる」「手がムチャムチャして字が書けない」「ボットボットするな」「ウチラウチラして立っていた」「そこでマヤマヤするな」。

 マヤマヤ(笑)。

3月15日(火)

 けして目を逸らしはしないけれど、身体と精神の健康を保つために、しばしテレビを消して部屋の掃除します♪(o ̄∇ ̄)/

 中国電力、上関原発の工事を一時中断
 ってか、福島原発事故の後も今日まで工事していた思考回路と神経がわからんw( ̄△ ̄;)w

 首都圏の電車運行 Twitterがありました。JRの他、私鉄もあります。こちら
*リアルタイムの情報が得られる功、初めは正しかった情報が時間を経て誤った情報に変化したにもかかわらずRTされて流れ続ける罪(昨年の奄美豪雨災害の時に実感)。功罪ありますが、むちゃくちゃな運行スケジュールになっている今、役に立つことがあるかもしれないのでリンクしておきました。

3.14の朝仁海岸
↑昨日の朝仁海岸。昨日の朝焼け、小宿などこちらに少し。

「トン普通語処方箋/倉井則雄」から、個人的に面白いと思ったものをいくつかピックアップ。

「ワンヌ帽子」「イャンヌ道具」「島唄ヌレコード」
これは、共通語の助詞「の」の代わりに、「ヌ」を使った例です。
「ねずみをば追いまわして」「学校をば歩いて」
「を」というところを、「ば」までつけて、「をば」と言った例です。また、「を」と言うべきところを、「ば」で言うことがあります。
「お茶ば飲みなさい」「風呂ばはいってから飲もう」

方言を示す助詞「へ」のかわりに、「チ」が使われます。
「佐大熊チ、行こ」
また、「・・・って」「・・・と」の代わりにも、この「チ」が使われています。
「先生が、来いっチ」「ワンが盗ったチ言ってるが・・・」
さらに、この「チ」は、「という」などの意味にも用いられています。
「医者チ仕事ヤたいへんね」

次に述べる「ヤ」も、子供たちがよく使う言葉です。
「イャンヌ、ヤー(家)チャ、行ったチョ。そしたらヤー・・・」
言葉の調子を整えるのに、この「ヤ」が大いに役立っています。共通語では「ね」と言うところです。
感嘆をあらわす時にも、「ヤ」を使っています。
「イギ、トランジスターヤー」
誘いの言葉としても使われます。
「早く行こヤ」「中へはいろヤ」
などです。

「カイ」は、「何で」とも結合して「何でカイ」となり、これは広く子供たちの間で使われています。
「何デカイ、こんなにダルイのは。ムールダルイガ」
この「カイ」は、大阪弁の「行くかいな」の「かい」を移入したものと考えます。「何デ」も、大阪弁の「何でや」の「や」を切り捨てて取り入れたものでしょう。

 今日の奄美普通語のお勉強は、ここまで(*´д`*)。

3月13日(日)

 奄美は避難勧告も津波注意報も解除された。
 午後2時から、県立奄美図書館で開催される生涯学習講座「島唄に魅せられて〜ウヤフジとシマユムタ〜/前山 真吾(唄者)」を聴講。
 講師の前山 真吾さんは1983年生まれの若き唄者。案内には記載されていなかったが、隣りにはベテランの唄者・西 和美さんもいらっしゃる。
 配られた講義レジュメを引用すると、○自己紹介 ○シマ唄との出会い・きっかけ ○シマ唄実演 ○三線について・沖縄の物と奄美の物の違い・バチ ○シマ唄の表現の多様性、可能性・外国(ウズベキスタン)での経験を基に ○シマ唄の紹介(実演も数曲予定)・伝説・恋唄、仕事唄など ○シマ唄に対する思い、抱負など
 シマ唄の実演は、西 和美さんが囃子を務め「朝花節」「俊良主節」「くるだんど節」「よいすら節」「野茶坊節」「塩道長浜節」「朝別れ節」「側屋戸節」「渡者節」「一切朝花節」。最後は聴講者のリクエストで「六調」。

 You Tubeから「一切朝花/前山真吾」「前山真吾 in 島唄と島料理・かずみ

借りて来た本
 図書館から借りていた5冊のうち3冊を返して、2冊を期間延長してもらい、新たに3冊を借りた。
 新たに借りたのは「奄美民謡島唄集/片倉輝男」(南方新社)、「うたばうたゆん 奄美 島唄への旅/朝崎郁恵・唄」(毎日新聞社)、「奄美復帰50年企画 島唄の風景」(南日本新聞社)。
 図書館から一旦部屋へ戻り、少しの間テレビ・ニュースをチェック。自転車で奄美博物館に行き、5時から開かれるオオトラツグミ一斉調査説明会に参加。
↓津波注意報が解除された名瀬港。→オオトラツグミ調査の資料と、オオトラツグミのさえずりを収録したCD。
オオトラツグミ調査資料
今日の名瀬港
3月12日(土)

ず〜っとテレビに釘付け。
非常事態としか言えない状況だ。
関東近辺の知人の安否や様子が気にならないわけではないが、
携帯メールや電話はせず、ブログやmixiをやっている方の情報はそこで
得るようにしている。
通信の仕組みはよくわからないが、
すこしでも大切な回線がスムーズに繋がるようにと願って。

東京電力が節電を呼びかけている。
奄美で節電して効果があるのかわからないが、
必要のない明かりを消す。

どこで何が起るかわからない。
必要のない外出はしないで、今日は家でじっとしている。
少しでも多くの救助隊員が被災地に向かえる事を願って。

3月11日(金)

 先日のアオサ採りに味をしめて、大きなザルを持って再び朝仁海岸へ。採っている最中に防災無線のお知らせ。でも声がワンワン回っていて何を言っているかわからない。とりあえずアオサ採りを続行していたら、携帯に市役所からのエリアメールで津波注意報。到達予定時間まで随分と時間があるが、引き揚げる。
 海岸のベンチに座って仲良く話していたおばさん二人に、採って来たアオサを見せてと言われて披露すると「きれいに採れて、男の人なのに感心じゃがね〜」と褒められる(*´д`*)。
朝仁海岸のアオサ
←朝仁海岸でアオサを採っている最中に防災無線。何を言っているか聞き取れなかったが、携帯に市役所からのエリアメールで津波情報を知る。↓収穫。
アオサ
 エリアメールで津波情報が出ているのはわかったが、震源地や地震の規模がわからない。でも、大した事はないだろうと高をくくって部屋に帰り、テレビを付けて飛び出て来た映像と文字に驚いた。しばらく釘付けになって流れる映像と、アナウンサーの話しを聞く。
 とりあえず食材とお酒を買いに行き、ついでにガス料金を払って来る。図書館の近くのたこ焼きやさんで買って来た、15個250円のたこ焼きを食べながら、またテレビの画面に釘付け。悪い夢としか思えない・・・
 買ってきた黒糖焼酎をロックで呑んで無理矢理寝るが、何回か起きてしまった。その度にテレビのスイッチを入れる。長野・新潟でも地震が発生。
↓地震の後、テレビは災害情報を流し続けている。→黒糖焼酎あじゃ。ロックグラス付き。
黒糖焼酎あじゃ
テレビ画面
 これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度。
夜の名瀬港
奄美市のホームページより

○15:30 災害対策本部設置
○16:15 海岸線沿岸部に避難勧告を出しました。
 (12,317世帯/24,747人)
○17:03 避難勧告を追加しました。
 奄美市合計 14,185世帯/28,201人
 (名瀬地区 10,383世帯/20,400人)
 (住用地区 804世帯/1,561人)
 (笠利地区 2,998世帯/6,240人)
 ※追加は名瀬地区の1,868世帯/3,454人

【奄美市避難勧告地域】
(名瀬地区)
長浜 塩浜 矢之脇 入舟 金久 幸 末広 港町 伊津部 小浜 佐大熊 鳩浜 浜里 平松 芦花部 有良 大熊 根瀬部 知名瀬 小宿 朝仁 朝仁新町 小湊
(住用地区)全14地区
市 戸玉 山間 上役勝 中役勝 下役勝 石原 西仲間 東仲間 川内 見里 摺勝 城 和瀬
(笠利地区)
赤木名里 中金久 外金久 屋仁 佐仁1区 佐仁2区 用 笠利1区 笠利2区 笠利3区 辺留 須野 須野崎原 土盛 宇宿 城間 万屋 和野 節田 土浜 用安 喜瀬1区 喜瀬2区 喜瀬3区 打田原 前肥田 手花部
○17:41小湊1.1m /17:44名瀬0.4mの潮位が観測されました。(名瀬測候所)
○18:00 現時点で奄美市内の被害の情報はありません。
○19:50 避難者数 合計39人(名瀬22人、住用15人、笠利2人)
○21:00 避難者数 0人
3月10日(木)

 午前中、先日採って来たアオサで佃煮を作る。ネットで佃煮のレシピを検索して、たぶん濃縮のうどんつゆで作れると思い作業開始。うどんつゆに醤油と砂糖を足し、スライスしたシイタケとアオサをフライパンに投入してコトコトと汁気が無くなるまで煮た。
 晩ご飯に、炊きたてのご飯に乗せて食べるのが楽しみ だ(*´д`*)。

 午後から、今日こそはと大熊漁港へ自転車を走らせるもカツオのぼりは上がっておらず(;´Д`)。名瀬港をぐるりと引き返し、そのまま朝仁、小宿、里、知名瀬、根瀬部とサイクリング。
 緋寒桜の花が落ち、すももの花も落ちて、すっかり新緑の季節。

知名瀬の海岸

←知名瀬の海岸。↓根瀬部の海岸。空の色がだんだん濃くなって来た。日射しは初夏、風はまだ冬。そんな感じ。

根瀬部の海岸
 根瀬部からの帰り、朝仁のスーパーによるとトビンニャが売っていた。ネット検索したところによると、奄美大島では「とぶ=トビン」「貝=ニャ」と言い、「とぶ貝=トビンニャ」だそうです。まだ食べた事がなかったので、買ってみた。
 部屋に戻ってさっそく食べてみましたが、磯の香りがぷ〜んとして美味しい。ご飯も炊いて、午前中に作ったアオサの佃煮を乗せて一口。ふつうに美味い♪
トビンニャ
トビンニャの身
アオサの佃煮
↑砂抜きして塩ゆでした、トビンニャ。 ↑つまようじで身を取り出して食べます。 ↑自分で作ったアオサの佃煮。

 今回は生のシイタケを使いましたが、干しシイタケを水で戻して使い、その戻した水も加えて佃煮にすればもっと美味しかったのか?アオサとトビンニャをガーリックバターで炒めてパスタソースにすると、めちゃめちゃ美味いんじゃないか?妄想は膨らみます(笑)。
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

3月9日(水)

 奄美に来てから3回目の、今年になってから初めての小湊。名瀬から自転車で1時間ほどで、名瀬から一番近い太平洋に面した集落。
 島尾敏雄は「離島の幸福・離島の不幸 名瀬だより」で、小湊の事をこんな風に書いている。

 この本通りはいわば小湊の玄関口であり、外から一瞥した姿だ。ひと目でその起点と終点を見通すことができるけれども、柔軟な感じの南方的な大木に覆われたこの通りは、一方その内側の方に奥深い秘境を包みもっているような錯覚を与える。言ってみれば訪問者の気持は軽い酔いにおそわれるふうだ。中学校も小学校も米穀販売店も雑貨兼食料品店や菓子類販売店も、その通りに並んでいて、つまりこの部落の中枢がこのそんなに長くも広くもない一本の道路に露呈しているのだが、むしろそれらの代表的な外界接渉機関というものは、まやかしの無意味な存在でしかないのだと思わせる雰囲気をその本通りはもっている。たとえば、名瀬からの定期バスが、部落の入り口のところで警笛をならしながらこの通りに突入して行くと、何かしら部落全体のざわめきが起り、この本通りから部落の内部にはいって行くそれぞれの路地の入口のところに、子供や年寄りや女たちが穴わきのかにのように出ているのだ。彼らの多くははだしであり、そり身になった姿勢のよいすがたで、南海の風にふきさらされた彫の深い表情をバスの窓の方に向けてよこす。
九 周辺の村落より

 本の発行が昭和35年で、50年以上も前の集落の様子を描写したものだ。当時と建物はだいぶ変っただろうし、道路の道幅も変ったかも知れない。それでも自転車で通り過ぎると、そんな風だったのかもと思わせるような余韻、空気が感じられる。

↓小湊の本通り。→本通りの左右にはいくつも路地が伸びている。
小湊の路地
小湊の本通り

 集落の中を自転車で走った後、まだ行った事のなかった厳島神社へ。厳島神社の横を上って展望台、金子山頂上へ行き、小湊集落を俯瞰し、太平洋を眺める。

「奄美の伝説・日本の伝説23/島尾 敏雄・島尾 ミホ・田畑 英勝」(角川書店)から
 大川の川口近く、名瀬勝寄りの海岸に鯨松という枝振りのよい松の生えた岩がある。
 昔、名瀬勝の金比羅の神(男神)と小湊の厳島の神(女神)とが、沖の方から松の木の生えた岩を背負った鯨が小湊の海岸に向かって泳いでくるのを見た。二神はその岩を自分のところに招き寄せようとしきりに招きあった。すると鯨がだんだん厳島の方に寄っていった。金比羅の神が厳島の神に腰紐が解けていることを告げた。厳島の神が驚いて腰紐をなおしている間に金比羅の神が自分の方に招き寄せてしまい、現在のところにきて止まったのだという。
 鯨は男神の立っていた岩の下敷きとなって死んでしまった。それからは正月ごとに小鯨たちがたくさんやってきてこの岩の近くで泣いていたという。岩の上の松も昔ながらの松で、大きくもならず立ちつづけている。

(古見の七不思議)より

厳島神社
小湊の集落
小湊の港
↑集落から少し外れた場所にある、厳島神社。 ↑厳島神社から上にのぼって見た、小湊集落。

↑小湊の港。名瀬から一番近い太平洋だと思う。

 厳島神社から集落に戻り本通りを自転車でゆっくり走っていたら、学校帰りの3人ほどの小学生に呼び止められる。「火が出ています」。「??どこ」。案内されると、本通りに面した家の壁と塀の間の隙間に長い木片があり、それが焦げて煙りが出ている。放っておくと危ないので、通りかかった集落のおじさんに声を掛け、一緒に家の人を呼び急いでバケツで水をかける。誰かが火の付いた煙草でもポイ捨てしたんだろうか。
 もう一度集落の中を自転車でぶらぶらして本通りに戻って来ると、先程の家の方がおまわりさんを呼んだので発見者として話して欲しいと頼まれる。おまわりさんの到着を待って、第2発見者として状況を説明。
 思わぬ展開にちょっと時間を取られたので、日が暮れてしまわないように急いで自転車で帰る。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。久しぶりに猫いっぱい(*´д`*)。

3月8日(火)
 シビのお刺身が食べたいな〜と思い、大熊漁港へ。
 このところヤマダ電機へ買物とか何かのついでに漁港へ寄るが、カツオのぼりが上がっておらず、2回ほど続けて残念な思いをして帰って来ている。
 さて今日は?と思い近くまで行くと、空高くカツオが泳いでいた(*´д`*)。
 今日は食べられる!と思い販売所に入るが、シビは量が少なくて午前中に売り切れ。カツオのお刺身はいっぱいあったんだけれど・・・お刺身は次回にして魚のかき揚げを買って来た。
→魚のかき揚げ。5個で350円。魚のコロッケというのもあったので、これもいつか食べてみたい。
魚のかき揚げ
 大熊漁港から一旦部屋に戻って、ザルとビニール袋とスプーンを持ち、長靴に履き替えて朝仁海岸へ自転車を走らせる。
 奄美の海岸線は今、アオサが繁殖して岩場が緑に染まっている。八百屋やスーパーには、この奄美近海のアオサが1パック100〜200円くらいで並んでいる。1パック100円なんて凄く安いんだろうと思うが、海に行って自分で採ればお金はかからない。
 奄美に来た記念にアオサ採りを経験してみた(*´д`*)。

↓朝仁の海岸。潮が引いていて、砂浜の先にある岩場まで歩いて行けた。
朝仁の海岸
朝仁のベンチ1月
↑1月13日に撮影。↓今日撮影。
朝仁のベンチ3月
 岩の上にへばりついている大量のアオサ。スプーンでズズズっと採ろうと思ったのですが、アオサの下にある砂も一緒にくっついてくるので、花を摘むように指で採りました。
 岩場の端のほうに、海岸のベンチ横に立てかけられていた大きな流木が放置されていた。てっきり海岸のモニュメントになるものだと思っていたのに。
アオサ採り

←本日採ったアオサ。海水で砂を取って、その場で少し食べてみました。イケル! 

↓晩ご飯には、アオサのみそ汁。

アオサのみそ汁
3月4日(金)

 一昨日くらいから寒の戻りで、少し寒い日が続いている。買物に出るくらいで、部屋に籠って撮りっ放しになっていた写真のデータを作成。ようやく出来ました(*´д`*)。

 2月22日 芝、木慈、武名、三浦集落のスナップはこちら。 
 2月23日 安脚場、渡連集落のスナップはこちら
 2月24日 里集落のすもものスナップはこちら
 2月25日 スリ浜、諸数、生間、本生間集落のスナップと星空観察の様子はこちら
 2月27日 「奄美の自然を考える会」観察会の様子はこちら
 2月28日 秋徳、勢里、佐知克、野見山集落のスナップはこちら

 何年か前にネットで話題になり、それがきっかけで本にもなった「姉ちゃんの詩集/サマー」。データ作成の合間に久しぶりに読んだが、やっぱり声を出して笑った。凄いね〜(笑)。
 私のお気に入りの詩をいくつかピックアップ。
サマー
サマーというあだ名をつけられたんだよ
でも12月生まれだよ

ヨーデル
ヨーデルヨーデル!!
恋しちゃってる?!
ヨーデルヨーデル!!
愛しちゃってる?!
勉強しろ!!

新人類
あだ名が新人類になった
まだサマーの方がよかった


ラブ・・・v
アイアイアイアイ暴走中!
とめらんないよ 超特急!!
乗りたい? だめー
フツーにだめー

フラワー
フラワーアタック! 花は死んだ
フラワーサブマリン! 人魚だよ!
でもおよげない 海水が目にしみる
たまねぎもきれない
フラワーチョップ! ギリギリ死んでない
トドメはいまさ
フラワー フラワー
フレグランス・ド・フラワー

エンピツの死
先生からもらったエンピツが
ぼきんっておれた
私の心もおれた
シャーペン使いたい・・・

 痺れちゃって他の詩ももっと読みたい方は、こちらこちらでどうぞ。

3月2日(水)
 百万石の城下町・金沢の片町に来月オープンする、ライヴハウス「Million City」。その開店祝いに、私が撮影したミュージシャンの写真を10枚プリントして、今日郵便局から送った。店内に飾られると思うので、金沢に行かれた際はお立ち寄り下さいませ。
 先日の日曜日に開催された「奄美の自然を考える会」の観察会の様子が、一昨日の南海日日新聞に掲載され、私が真ん中に写っているという情報をもらったので、電気代を払いに出たついでに新聞社で買って来ました。 カラーページですね(*´д`*)会員じゃないのに、恐縮です(汗)。
↓ちょっと渋めのアーティストを入れて10人をプリント。→一昨日の南海日日新聞。顔つきが、ちょっと怖い(゜▽゜*)。
南海日日新聞
プリント
2月へ