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○2月5日(土)〜27日(日) あまみシマ博覧会
○2月19日(土) 生涯学習講座「生活環境と私たちの生活〜ニホンザル研究でわかったこと〜/和 秀雄(奄美野生動物研究所)」県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○2月27日(日) 出水沢藍子文学講演会「小説が生まれるとき」〜なぜ奄美を書くのか〜/県立奄美図書館 午前10時30分から12時まで 入場無料
○3月5日(土) 生涯学習講座「島唄に魅せられて〜ウヤフジとシマユムタ〜/前山 真吾(唄者)」/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○3月6日(日) 「ハアサキ成人講座」七宝焼を楽しもう奄美少年自然の家 9:30〜12:00 申し込みは2月24日まで

奄美少年自然の家 天体ドーム解放
2月11日(金)、19日(土)、25日(金)、3月4日(金)、11日(金)、18日(金)。25日(金)
時間:18:00 ~ 21:00(第1部18:00~、第2部19:30~、ただし3月は第2部のみの開催)
内容:2.11/冬のダイヤモンド、7つの一等星を観察しよう 2.19/アウトドア&スターウォッチング(冬)【別途,案内をいたします。】 2.25/冬の夜空を彩るたくさんの星団・星雲を観察しよう 3.4/りゅうこつ座のα星『カノープス』を見よう 3.11/プレアデス星団と月(月齢6.6)を観察しよう 3.18/月のクレーターを観察しよう(月齢13.6) 3.25/リングのある星『土星』を観察しよう。

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦2月3日(木)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(日)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(金)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月18日(金)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦4月5日(火)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月6日(月)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月6日(土)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月12日(金)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦8月14日(日)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月5日(月)
○アラセツ(※2):旧暦8月11日→新暦9月8日(木)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月12日(月)
○シバサシ:旧暦8月17日→新暦9月14日(水)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月5日(水)

※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定) 等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。旧暦8月最初の丙の日が旧暦8月1日になった場合,前日のツカリの日は旧暦7月になってしまい、一連の行事が月をまたがってしまうことになる。このような場合には次の丙の日がアラセツ行事を行う日となるようです。(平成16年にも同じことがありました。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

2月28日(月)
 一週間バス乗り放題チケットの使用期限最終日。今日も加計呂麻島へ。
 朝10時1分に道の島本社前を出発するバスで古仁屋へ。古仁屋からフェリーかけろまで、生間港へ。瀬相〜生間線のバスで勢里集落に向かうが、途中の秋徳で1時間ほど時間調整があるので、その間に秋徳集落を散策。午後1時30分に秋徳を出発して、佐知克を通り15分ほどで勢里に着く。
 勢里集落を散歩した後、バスで来た道を歩いて戻り佐知克集落へ。瀬相まで行って戻って来た先程のバスに佐知克で拾ってもらい、通り過ぎて来た野見山へ。野見山集落を散策した後、秋徳まで海岸沿いの道を歩き、再び秋徳集落を散歩。
 お昼の時間調整で秋徳集落を散策していた時に、秋徳小中学校に雪が贈られて来たので見に来ませんかと集落の方に誘われたが、勢里に行くバスの時間の関係で見れなかった。あらためて学校の近くを通ったので校庭にいらした先生に雪の事を訪ねたところ、お昼頃に雪が到着して雪だるまを作ったり、雪合戦をしたらしい。ただ、雪が少し凍りのようになっていて雪だるまを作るのに苦労した様子。たしかに、雪を雪の状態のまま運ぶのは難しいかもしれない。
 秋徳で瀬相行きの最終バスに乗る。秋徳〜於斉〜伊子茂〜花富〜伊子茂〜於斉〜瀬相。
 瀬相からフェリーかけろまで古仁屋に渡り、名瀬行きの最終バスで帰宅。
 フェリーかけろま古仁屋〜生間260円、生間〜勢里620円、佐知克〜野見山300円、秋徳〜瀬相480円、フェリーかけろま瀬相〜古仁屋350円。
秋徳のガジュマル

*平成20年4月の世帯数と人口(KAKEROMA.COM.より)

秋徳/41世帯、74人 勢里/7世帯、12人 佐知克/13世帯、23人 野見山/26世帯、39人

←秋徳集落のガジュマル。あんまり木根が伸びていないので、普通に大きな樹という感じ(笑)。

28日のスナップ
 Photo Albumは、こちら。*3月4日に更新。
2月27日(日)

 朝8時20分に長浜みなと公園に集合して、奄美の自然を考える会の観察会に参加。本来は2ヶ月に1度開催されるそうですが、昨年10月の豪雨災害もあり、半年ぶりの観察会となったようです。
 8時半頃に公園を出発し、ループ橋を上がり尾根伝いに本茶峠へ。緋寒桜はすっかり葉桜になっていました。峠を下って大勝集落で絶滅危惧種のオキチモズクを観察。300を越える種類の草木や樹木が育てられている鹿児島県林業試験場龍郷町を見学してから、リュウキュウアサギマダラの越冬風景を見に赤尾木へ。残念ながらもう気温も暖かいので、リュウキュウアサギマダラはヒラヒラと飛んでいました。
 キイレツチトリモチやセンニチコボウズ他珍しい植物のある農家の方の庭を見せていただいてから、奄美パークで昼ご飯。
 午後の部は、須野ダム〜あやまる岬に移動しながら自生している植物の観察。4時過ぎに長浜みなと公園に戻って解散となりました。
 次回は4月後半だそうです。

植物
記念写真

←お昼ご飯を食べた奄美パークで記念撮影。

↓昼食の後、島唄の余興。これは「ワイド節」の時ですね。

島唄の余興
 Photo Albumは、こちら。*3月4日に更新。
2月25日(金)
 今日も加計呂麻島通い。生間港からかけろまバスで、スリ浜へ。スリ浜から諸数集落を通り、生間港まで歩いて戻る。
 帰りのフェリーまで時間があったので、生間集落、本生間集落を散策 。本生間から、安脚場方面からのバスに乗って再び生間港へ戻る。
 フェリーかけろま古仁屋〜生間港往復500円、生間〜スリ浜220円、本生間〜生間110円
諸数の猫
生間の人面石
本生間の山羊

↑は、諸数集落の猫。
→は、生間集落の人面石。
→→は、本生間集落の山羊。

*平成20年4月の世帯数と人口(KAKEROMA.COM.より)

諸数/31世帯、48人 生間/39世帯、58人

 加計呂麻島から帰った後、奄美少年自然の家で星座の観察会。テーマは、「冬の夜空を彩るたくさんの星団・星雲を観察しよう」。来月も4回あります。
↓ご一緒した、栄さんと小辻さん。→天体ドームから。
天体ドームから
栄さんと小辻さん
 Photo Albumは、こちら。*3月4日に更新。
2月24日(木)
 加計呂麻島通いは、今日はお休み。家でゆっくりしてようと思っていたらお昼のTVニュースで里集落のすももが白い花を咲かせている映像を流していて、自転車でいそいそと撮りに行く。
 民家の庭にも咲いていますが、山の斜面にすももの畑があり、日射しを浴びて白い花びらをキラキラさせている。近くに住むおばあさんが、畑に登って撮影しても良いと言うので、ありがたく撮らせていただく。
すももの花
犬
すもも畑
↑緋寒桜はだいぶ葉サクラになり、すももの白い花が見頃に。 ↑すもも畑に侵入した不審者(私)に吠える立派な犬。 ↑山の斜面に植えられた、すもも畑。

 すももの植えられた山を越えて福里集落へ抜け、小宿の漁港から朝仁の海岸を走る。午前中に少し雨がパラついたが、その後は快晴。夏空のよう(*´д`*)。そのまま名瀬の港を回り込んで鳩浜のヤマダ電機にインクを取り寄せてもらいに行く。

 Photo Albumは、こちら。*3月4日に更新。

2月23日(水)
 このところ加計呂麻島の西側(旧実久村)の散歩が多かったので、今日は久しぶりに東側(旧鎮西村)へ。
 朝10時1分に道の島本社前を出発するバスで古仁屋へ。古仁屋からフェリーかけろまで、生間港へ。12時5分のかけろまバスで安脚場集落の入口まで。バスの運転手さんに安脚場戦跡の行き方を教えてもらう。
  海岸沿いを道なりに歩き、途中にある案内板に従って坂道を上がって行くと、安脚場戦跡公園があった。集落の入口からゆっくり歩いて20分ほどか。公園内には旧陸軍、旧海軍の弾薬庫、弾薬格納庫などが残っている。他に観光客も居らず、風の音と鳥の鳴き声が響く中、少しビビりながら散策(汗)。
 探照灯台からは、大島海峡と太平洋が見渡せる。
安脚場戦跡から眺める太平洋
金子手崎防備衛所

↑安脚場戦跡公園から眺める太平洋。
←安脚場戦跡の金子手崎防備衛所。
↓渡連集落の山羊。

 Photo Albumは、こちら。*3月4日に更新。

渡連集落の山羊

 安脚場戦跡公園を見た後、山道を下って安脚場集落を撮影しながら渡連まで。途中、待網崎農村公園を少しだけ寄り道。
 渡連集落から生間港までの最終バスが3時21分。3時間もあれば安脚場と渡連をゆっくり散策できると思っていたが、渡連の集落は時間がなくなって駆け足になってしまった。
 バス停がないので、バスが通る道を歩きながら待つ。ペンション来々夏ハウスの前を通りかかると、声をかけられた。タンカンを下さると言う。2つ3つじゃなくて、ビニール袋いっぱい(笑)。ただの通りすがりに恐縮です。部屋に帰って数えたら14個もありました。来々夏ハウスの方だと思う。ありがとうございます(*´д`*)。
 バスに無事に拾ってもらって生間へ。フェリーで古仁屋に渡り、名瀬に戻る。
 フェリーかけろま古仁屋〜生間260円x2、生間〜安脚場300円、渡連〜生間200円。

*平成20年4月の世帯数と人口(KAKEROMA.COM.より)
安脚場/9世帯、16人 渡連/22世帯、43人 

2月22日(火)

 1週間バス乗り放題のチケットを購入して、8時31分に道の島本社前を出発するバスで古仁屋へ。古仁屋からフェリーかけろまで、瀬相へ。瀬相からバスで芝集落に行く。
 久しぶりの青空。透明な海と白い雲のコントラストが気持いい。海岸を散歩してから集落の中をぶらぶらと歩く。
 午後1時33分のバスで芝から木慈まで。木慈集落にもかつてはアシャゲがあったが、すでに倒壊したらしい。木慈から海岸沿いに歩いて、隣りの武名集落へ。集落の奥にあるガジュマルの巨木を撮影し、また海岸沿いに歩いて三浦へ。三浦集落のアシャゲでは切り干し大根が干されていて、良い色に乾燥している(*´д`*)。
 三浦を5時20分に出る瀬相行き最終バスに乗車。瀬相からフェリーで古仁屋へ。古仁屋から名瀬行きの最終バスで帰宅。
 フェリーかけろま古仁屋〜瀬相往復670円、瀬相〜芝650円、芝〜木慈400円、三浦〜瀬相280円。本日の水分補給タンカン3個。

*平成20年4月の世帯数と人口(KAKEROMA.COM.より)
芝集落/世帯数63、人口96 木慈集落/世帯数7、人口13 武名集落/世帯数4、人口6 三浦集落/世帯数11、人口18

↓芝の海岸。→武名集落のガジュマル。
武名のガジュマル
芝の海岸

↓芝集落のアシャゲ。

↓木慈集落のミャア(集会所)。 ↓武名集落のアシャゲ。
芝集落のアシャゲ
木慈集落のミャア
武名集落のアシャゲ
↓武名集落のシマコスガナシ。 ↓三浦集落のアシャゲ。 ↓アシャゲの中に干された大根。
武名集落のシマコスガナシ
三浦集落のアシャゲ
アシャゲの中に干された切り干し大根

 昨日は朝起きたら、身体がふ〜っと浮遊する感じ。熱はないし頭も痛くないが、ちょっぴり風邪の予感。風邪を惹いている場合ではないので、熱いお風呂に浸かって汗を出しアクエリアスで水分補給。しっかり汗を拭いて早めに就寝。荒治療でしたが、効き目があった気がする。 

 Photo Albumは、こちら。*3月4日に更新。

2月19日(土)
 雨が降り続ける中、山からはモクモクと水蒸気が上がっている。こういう光景を見ていると、マッチポンプ式に雨が止む事はないんじゃないかと思えてくる。
山から水蒸気

こどもお天気教室より雨がふるしくみ
1 太陽の熱が、海や川をあたためます。
2 あたためられた海や川や地面(じめん)などの水分は、水蒸気(すいじょうき)になって、空にのぼっていきます。
3 空にどんどん水分がたまって重たくなると、雨になって地上にふってきます。
4 雨は川は海にふりそそいで、ふたたび海や川になります。
1から4をくりかえすながれのことを「水の循環(じゅんかん)」といいます。

 カレーの仕込みをし、お米を研いでから県立奄美図書館へ。午後2時から午後3時30分まで行われる、生涯学習講座「生活環境と私たちの生活〜ニホンザル研究でわかったこと〜/和 秀雄(にぎ ひでお)」を聴講。内容は大雑把に[ニホンザルの先天性四肢異常][ニホンザルのスギ花粉症]の2つでした。
 次回の生涯学習講座は3月5日(土)、「島唄に魅せられて〜ウヤフジとシマユムタ〜/前山 真吾(唄者)」です。
借りて来た本
↓図書館の帰り、近所の八百屋さんで買ったタンカン。5キロで1200円。先月買った5キロで790円のよりサイズが大きくて皮の表面もキレイ。でも甘さは790円の方があったかな。
たんかん

 図書館から5冊借りているうちの3冊を返却し、2冊を期間延長してもらい、新たに3冊借りた。
 今回借りたのは『ARCHIPELAGO/ NAOKI ISHIKAWA』(集英社)、『平良正雄写真集 沖永良部島ー南風さわやかにー』(昇竜洞ギャラリー)、『トン普通語処方箋ーシマの標準語をすっきりさせる法ー/倉井則雄』。

 鹿児島では、その訛りのはいっている共通語を、卑下して「カライモ普通語」と言っているようです。奄美では、カライモのことを、トンまたはハンスと言っているので、「トン普通語」は、「カライモ普通語」を言い換えたようなものです。
〜略〜
 この言葉を、世間に紹介したのは、島尾敏雄先生の「離島の幸福・離島の不幸」の中の「名瀬ことば」が、最初ではないかと思います。「トン普通語」という語は、このころから一般に通用する一人前の名称となった、と考えられます。
 はじめ自嘲的な意味で使われた「トン普通語」も、現在では、何の恥じらいもなく、完全な言語社会を形成している点に、私たちは注目しなければなりません。

『トン普通語処方箋ーシマの標準語をすっきりさせる法』はじめにより。

 それにしてもカライモ普通語、トン普通語、響きがメチャカワイイ(*´д`*)。

2月18日(金)
 郵便局へお金を降ろしに行ったついでに、ガス料金を払ってくる。これまで2000円を超える事はなかったのに、今月は2947円。さすがの奄美も、水温が下がってお湯を沸かすにも燃料が要るという事か。ちなみに家の部屋は、夏場にキッチンの蛇口をひねると温水が出る(笑)。
紋様
↑砂の紋様。朝仁と小宿の間の海岸にて。他にも何枚か撮影したスナップは、こちら

「離島の幸福・離島の不幸 名瀬だより/島尾敏雄」から
 名瀬市の議会は三十の議席をもち、昨三十一年九月の選挙の結果のなかで、共産党員四名、カトリック伝道師二名の当選が私には興味深い現象として感じられた。
~略~
 二名の議員をもつことになったカトリックは、市街地だけでその信者は約千人。そしてこの町には、それとほぼ同数の天理教信者と生長の家誌友がいるほか、浄土真宗の壇信徒約三千九百人という数字が、市勢要覧に出ている。(市街地だけの人口は約三万四千人。)もうひとつ例をとってみると、今は名瀬市に編入されてはいるが、一個の孤立的な部落であり、九学会連合の調査でノロの行事の残っている珍らしいところとして知られた大熊は、総人口約千人のうち、カトリック教徒が二百十人、天理教信者が二百四十人となっている。(現在もなお行われているノロの祭りの行事に、天理教信者は参加するがカトリック教徒は参加しない。意識的な仏教徒はいない。)この宗教分布は市民の生活にあるニュアンスを与えずにはおかない。奄美群島における宗教、もしくは民間信仰については、もっとくわしく述べなければならないが、ひとつかみほどの市街地のなかの一方でミドウのお告げの鐘が鳴ると片方では天理教分教会の大太鼓がとよみ、また別の町辻では市政のまずさを弾劾している若いコミュニストの姿が見られるようなことが、市民の生活気分のなかにある緊張を与えていることを考えるわけだ。(そのなかで古い民間信仰のノロの行事やまた呪術的なユタ信仰が、どのようにかかわりあっているかを見極めることは重要な別の主題だ。)

(六 市民生活など)より

 一日私は、空席ができていたイガミの座に新しく就任する婦人のための祭(それをサカシの祭といった)が行われるのを見た。そのときその婦人をまるく取り囲んだノロやウッカンやイガミが、御詠歌ににた単調なふしのオモリ(奄美の祈祷の歌で、琉球のオモロのようには記録されてはいない)をくりかえしとなえているうちに、やがて立ち上がってぐるぐる廻りはじめ、次第にテンポが早くなり、最高潮にきたときに、その動作をやめるのを見た。そのときその婦人はカミサマになったと村の人たちは信じているようであった。このノロたちの集団の踊りはその手ぶりや足拍子、テンポなどすべて島のあのすばらしい躍動の八月踊りとほとんど変っていないことを確認した。大熊のノロの祭は旧の六月、七月、十一月の三回あるといわれ、部落の人たちは、カトリック教徒をのぞいてはすべて、天理教徒や生長の家誌友にしてもまた仏教寺院と交渉をもっている家であっても、その祭に協力的であるという。(つまり祭に最も重要な供物であるミキをつくるための米を一合ずつ提供、などのことをする。)
(一0 民間信仰)より

2月17日(木)
 一日雨。スーパーへ買物に行く途中、何となく旅の気分を味わいたくて、久しぶりにフェリー乗り場に寄ってみた。
フェリー乗り場のレストラン
 部屋の窓を開ければ正面に見えるフェリー乗り場だけれど、部屋を借りてからは初めて寄った。
 フェリーの入出航が無い時間帯は人気がなく、フロアーの明かりも消されている。
 レストランも、船にあわせて早朝と昼と夜の3回に分けて営業。遅い午後は入り口を閉じて、じっと佇んでいる。
 港に向かって何列も並んだ待合室のプラスチックの椅子に座り、窓から入る少しの明かりでバックに入れて来た本を読む。

 明日は曇り、そして明後日からまた雨と天気予報が伝える。島の天気は、なかなか安定してくれない。

「離島の幸福・離島の不幸 名瀬だより/島尾敏雄」
 島の空気には、次の瞬間に激変する気短なエネルギーが充満していて、天候は刻刻に崩れ持ち直しまた再び崩れるふうに、いそがしく変化する。秋の中に夏と冬がへばりつき、均衡は不安定で、くるりと回転するといつでもどの季節の表情をも示した。もちろんその危険なあわただしさに私は長いあいだ自分のからだを適応させることができなかった。少し誇張して言えば、一日のうちに、春も秋も夏も冬も同居していて、気儘に唐突にそのどれかを任意につきつけてきた。
~中略~
 私は日記に名瀬のその日の天候の模様を書きつける適当な現わし方のないことにあきらめている。また私は外出するときにはどんな天候のときでも、こうもり傘をこわきにかかえこんで行くことを自分に課した。陽が照れば(それはすさまじいばかりカーッと照りつけてくるが)そのときは日よけにし、雨になれば(吹きなぐりで用を足さないことの方が多いが)雨よけにすることができるからだ。そして、出がけにまばゆいばかりの真夏の空も、あるとき急に北の方の空が雲に覆われ、そしてまたたくまに街は暗くかげって冬の様相を帯び、逃げおおせる余裕もなくしたたか雨足にたたかれてしまう事態は珍らしくない。

(二 その気候)より

名瀬港の比較写真
↑左の写真は「離島の幸福・離島の不幸 名瀬だより/島尾敏雄」から複写した名瀬港。右の写真は、今日の名瀬港。背景の山の連なりから、多少角度の違いもわかるが、それでも名瀬の街が埋め立てによって拡大してきたのがわかる。埋め立ては今も進んでいるようだ。
2月16日(水)
 数字は書き入れたけれど、この申告書はどこに出せばいいんだろう??お昼前に、ダメ元で部屋の直ぐ前にある大島税務署に相談に行ったら、係の方が親切に教えて下さる。ありがとうございます。
 一旦部屋に戻ってお昼ご飯を食べてから、住民票のある高岡市の税務署宛に郵送する。ついでにお年玉付き年賀はがきで当選した、切手シートをもらう。今年は2枚。
ビロウの葉

←ビロウの葉。有盛神社にて。↓お年玉付き年賀はがきで、切手シートが2枚当たった。20年以上前にお仕事していた編集者の方からと、アロマセラピストの先生からの葉書でした。ありがとうございます(*´д`*)。

お年玉当選切手
 郵便局で用を済ませ、そのまま自転車で大熊漁港へ。残念ながら、カツオのぼりは上がっていない(;´Д`)。
 天気予報では曇りでしたが、段々と青空が広がって来た。風もなくサイクリング日和。そのまま浦上の有盛神社、有屋の田中一村終焉の家、トネヤを回る。一村の家の裏には、現在も使われているのかわからないが、泥染の田んぼがあった。水たまり(泥たまり?)の中を覗いてみると、イモリが泳いでいる。
16日のスナップ

 鳩浜、佐大熊、小浜、港町、塩浜、長浜と名瀬の港をくるりと回り、朝仁海岸から小宿漁港へ。朝仁のスーパーで買物をして、日が落ちた朝仁の浜を見ながら帰宅。お昼過ぎから夕方まで、久しぶりによく乗ったな。
 本日のサイクリングしながらスナップをPhoto Albumにしました。こちら

 クシャミは出ないし鼻水も出ないが、なんだか少し目がかゆい。もしかして?そう言えば奄美の花粉事情はどんなだろうと思い「奄美 花粉症」で検索したところこんな記事が出て来た。花粉症のない島。まるっきり無いわけでもないようですが、ホントに少ないみたいですね。

2月13日(日)
 午後から、奄美市立奄美博物館で3月21日(火)まで開催されている勝 廣光、常田 守 自然写真展『奄美大島 森の歳時記』を見てくる。
奄美博物館の写真展
←3階の写真展会場。

↓常設展示室には、森を再現したジオラマや標本が多数飾ってある。写真はアマミノクロウサギ。
クロウサギの標本

 3階で開催されている写真展を観た後、同じフロアーの第3展示室でジオラマや昆虫の標本、鳥獣の剥製を見学。もちろんハブの標本もあります。
 2階に下りて、第2展示室で「暮らしと歴史」と分類された展示品を観賞。ノロの祭祀に関する品や、祖国復帰運動の史料、名越左源太(なごや さげんた)が描いた挿絵のコピー等が置いてある。
 1階の第1展示室は「島尾敏雄・海・ヤコウガイ」。受付の近くにある水槽にイシカワガエルが一匹飼育展示されています。
 博物館の隣りにある奄美文化センターで開催されている市美術展が今日までなので立ち寄ったら、閉館まであと3分。片付け作業が始まる中、少しだけ見せてもらう。

 先月購入した黒糖焼酎「じょうご 卯ラベル」が、昨日で無くなった。今晩から、先日いただいた「瀬戸の灘」。
 これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘。

せとのなだ
2月11日(金)

 東京、大阪でも雪。全国的に天気は荒れ模様。奄美も、昨日からお天気は下り坂。今日は朝から雨が降ったり止んだり。
 ノートに貼付けた領収書を電卓で足して行く。大体の計算はできた。問題は、どこに出せばいいんだろう (;´Д`)??

 昨日から、撮りっ放しになっていた写真を現像。ようやくPhoto Albumができました。
 2月3日 須子茂、嘉入集落のスナップはこちら
 2月5日 請島・請阿室集落のスナップはこちら
 2月6日 本茶峠、奄美自然観察の森、大浜海岸のスナップはこちら
 2月7日 大棚、大金久集落のスナップはこちら
 2月9日 実久、薩川、瀬武集落のスナップはこちら

古仁屋港
↑加計呂麻島への行きと帰りに撮影した古仁屋港@2月9日。
2月9日(水)
 一週間バス乗り放題チケットの有効期限が今日までなので、朝早く起きて加計呂麻島へ。西端の実久集落から散歩を始め、薩川集落、瀬武集落と歩いて来ました。
瀬武の山羊
 8時31分に道の島本社前を出るバスで古仁屋へ。10時20分のフェリーかけろまで、古仁屋港から加計呂麻島の瀬相港に。
 10時45分発の加計呂麻バスで、西端にある実久集落へ。集落を2時間近く散策して、13時20分のバスで隣りの薩川集落に。
 薩川集落を歩いた後に、海岸沿いに歩いて瀬武集落に行き、上り最終バスで瀬相港に戻る。
 名瀬から古仁屋までは乗り放題チケットだが、フェリー往復670円、瀬相〜実久700円、実久〜薩川280円、瀬武〜瀬相480円は実費。2130円也。
←瀬武集落にて。
 薩川集落で話しかけられた女性に、神山と神道を教えていただいて、神道を途中まで歩いてみた。
 アシャゲやトネヤがあり、神山と神道がある。昔ながらの集落の姿が未だ残っているのが、加計呂麻島の魅力だろうと思う。
実久のアシャゲ
足跡と手跡の石
実久三次郎神社
↑実久集落のアシャゲ。 ↑実久三次郎の足跡、手跡のついた石。 ↑実久三次郎神社。
実久のもう一つのアシャゲ?
薩川のアシャゲとトネヤ
アシャゲ内のカマド
↑実久集落の、もう一つのアシャゲ? ↑薩川集落のアシャゲとトネヤ。 ↑アシャゲ内の竃(カマド)。
薩川の神山
神道の途中にある鳥居
瀬武のアシャゲ
↑中央の岩が見える山が、薩川集落の神山。 ↑神道の途中にある鳥居。 ↑瀬武集落のアシャゲ。
 Photo Albumは、こちら。*2月11日に更新。
2月7日(月)

 最高気温が20°C近くにもなった、暖かな日。緋寒桜の満開宣言が出されました。
 家の近くの停留所からバスに乗り、久しぶりに大和村方面へ。大棚で降りて集落を散歩し、海岸沿いに隣りの大金久まで歩く。連日出歩いていて疲れが溜まって来たので、海岸のテーブルに寝そべってひなたぼっこ。
 大棚まで歩いて戻り、バスで帰宅。

大金久海岸の切り干し大根
 ポカポカな晴天@。切り干し大根日和?アチコチで大根が干されていました。
←は大金久の海岸。↓は大棚の海岸。干した大根は、他の野菜や豚肉と一緒に煮物にするそうです。
大棚の切り干し大根
2月7日のスナップ
 Photo Albumは、こちら。*2月11日に更新。
2月6日(日)
 お昼過ぎから、奄美の緋寒桜の名所・本茶峠でミニ撮影会。満開の樹の下では、グループや家族、カップルが楽しそうに宴会(*´д`*)。さして広くない道路ですが、桜見物の車が行き交い賑わっていました。
 本茶峠で緋寒桜を撮影した後、龍郷にある奄美自然観察の森へ。瀬留めの先にある入り口は通行止めになっていたので、嘉渡集落で消防署の職員さんに教えてもらって安木屋場の集落から林道に入って自然観察の森へ行く道を教えてもらう。
 途中に豪雨災害で斜面が大きく崩れた場所がありましたが、そこから龍郷湾がよく見渡せました。
 自然観察の森に着いたのが閉園の30分ほど前。もうお客さんが少なくなったからか、係員の方が付き添って案内して下さいました。
↓奄美自然観察の森にて。同じ枝にピンクと白の花が咲いている緋寒桜。
→大浜海岸の夕焼け。
大浜海岸の夕焼け
緋寒桜
 帰りは来た道ではなく、本茶峠へ抜ける道を走ったはずが、何故か浦上に出て来た(笑)。太陽が山に隠れそうな時間。煙霧のような靄がかかった空だけれど、晴れてはいる。日が沈むのと競争しながら、大浜海岸へ。駐車場から淡いトーンの夕焼けを撮影。
 すっかりお腹が空いたので、ミックスフライ定食を食べて帰宅。
 Photo Albumは、こちら。*2月11日に更新。
2月5日(土)
 昨日から降り続いた雨も朝には止み、お天気は徐々に回復。それでも島の天気はわからない、長靴を履いて傘を持って出掛ける。
 道の島バスの本社を12時11分に出るバスで古仁屋へ。古仁屋からフェリーせとなみに乗って、請島の請阿室に向かう。せとなみは初めて乗りましたが、漁船を少し大きくしたような船で、思っていた以上に揺れますね(汗)。
 大島海峡から加計呂麻島の東側を回り込んで島の裏側へ。こうして外側から加計呂麻島を眺めると、大きな島ですね。ネットで調べてみると面積77.39平方キロメートルで、人口は1,547人だそうです。
請阿室の集落
 2時30分に古仁屋を出港したフェリーせとなみは、45分ほどで請阿室の港に到着。
 請島は面積13.34平方キロメートルで、請阿室と池地の2つの集落があり人口は161人。
 珊瑚の石垣、にんにく畑、アチコチから聞こえる山羊の鳴き声。のどか (*´д`*)。
 帰りのフェリーが来るまで、僅か2時間ほどの散歩。海はキレイでしたが、空の青さはもう一つ。今度は夏空の時に。
 
請阿室のスナップ
 Photo Albumは、こちら。*2月11日に更新。
 2月3日(木)

 朝起きたら、青空が (*´д`*)。確か昨日までの予報では雨じゃなかったか? 島の天気はわからない (;´Д`)。
 急遽一週間乗り放題のバスチケットを購入して、古仁屋へ。 古仁屋からフェリーかけろまで、瀬相港。 瀬相からバスで須子茂へ行き、集落を散歩。
 続いて、バスで来た道を少し歩いて戻り、嘉入の集落へ。 嘉入からバスで瀬相に戻り、 フェリーで古仁屋、バスで名瀬へと帰って来た。

↓は地元の方に教えていただいた、須子茂集落のカミミチ(神道)。 「通っていいですか?」と聞いたら、「いいですよ」と。今も使われているミャーにあるアシャゲから、今は使われていない様子の、もう一つのアシャゲを通り河口に着いた。川を渡ったところにグンギンの神様が祀られている。立て札より
グンギンの神様 秋葉権現で部落を守り続けている火の神様である 昔は板に名前を書き当番順で部落の人達が掃除をしていた。旧の九月九日には日の丸を立てて皆で火災や災害が起こらない様に六十五才以上の男子がゴンゲンの祭りに加わり部落を守っていた。
カミミチ
「奄美の島 かけろまの民俗/鹿児島民俗学会編」(第一法規)から
 神山から祭場であるアシャゲに達する道はカミミチと呼ばれる。この道をとおって神は降臨されるのであるから、神聖な道であるとされている。於斉部落では、このミチはクワバンと呼ぶ祭りに使用されていて、部落の人々が通ると神に突き当たるといわれる。俵部落では、このほかにカミミチで不浄なことをするのが禁じられていて、於斉部落でも俵部落でも常の日に通ることは禁じられている。他の部落でも若干の差違はあるが、神聖視されていることには変わりない。
↓嘉入集落にて。手前の壁のない建物がアシャゲ、奥の壁のある家がトネヤ。その奥がオボツ山(神山)のようです。
アシャゲとトネヤとオボツ山
 アシャゲとトネヤはその機能の点から考えてみると、アシャゲは純然たる祭場であるとすることができると思われる。トネヤとアシャゲの差違は、トネヤには祭場があると同時にトーグラ(炊事場)があって、神祭り用の準備の場所になる点にあるといえる。そして、神祭りの際の唯一の男性の神役であるグジヌシの住居となっている例や、グジヌシがトネヤの管理をしている例などから考えてみると、おそらくはグジヌシの住居として部落の神を祭る場所、神祭りの準備もする場所であったのがトネヤではなかったかを示唆するものであろう。
 奄美パークのホームページにある「シマの道:アシャゲ」も参考に。
 須子茂集落、嘉入集落で撮影した写真をPhoto Albumにしました。こちら
2月3日のスナップ
 2月3日は節分ですが、奄美では旧正月でもあります。散歩をしながら、何かそれらしい飾り付けはないかと探しましたが、発見できず。
2月2日(水)
 2月に入りましたが、相変わらず雨ばかり。
借りて来た本

←雨の中、午後から県立奄美図書館へ。本を3冊返却して、新たに3冊借りた。
  「名瀬だより/島尾敏雄」(社団法人 農山漁村文化協会)、「離島の幸福・離島の不幸 名瀬だより/島尾敏雄」(未来社)、「東京〜奄美 損なわれた時を求めて/島尾伸三」(河出書房新社)。

 確定申告の用紙と源泉徴収書が揃ったので、領収書の整理。昨年は実質2ヶ月位しか働いていないんですが(汗)、一昨年の暮れに撮影したギャラの分もあり、思っていたより振り込みがあった。
 さて、提出は用紙を送って来た川崎か?住民票を移した富山か?今居る名瀬市か?どこに出せばいいんだろう。
1月へ