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○1月3日(月) 「新成人のつどい」住用地区/住用公民館 10時〜 *奄美少年自然の家 天体ドーム解放 市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。 ※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。 *道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら。 |
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写真家・常田守さんの案内で、笠利方面へリュウキュウアサギマダラの観察とバードウオッチング。 | ||
↓→枝に鈴なりになって越冬する、リュウキュウアサギマダラ。枯れ葉のように擬態している。 | ||
バードウオッチング中、コロコロと変るお天気。激しく雨が降ったかと思うと、ピタッと止んで日射しが出る。虹が出そうな空模様だな〜と思っていたら、期待通りに出現(*´д`*)。 ↓虹をバックに記念写真。写真家の常田さん、栄さんご家族、松元さんご夫婦、地元ホテルの支配人・田中さん、小辻さん。 |
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奄美パークでトイレ休憩、龍郷の浜千鳥館でドリンクとお菓子で一休みして帰宅。 リュウキュウアサギマダラの越冬風景ほか本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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雨が降ったり止んだり。家で大人しくしているのも飽きたので、らんかん山とおがみ山をハシゴ。どちらも入り口まで自転車で行き、一番近い広場まで散歩。 らんかん山もおがみ山も道が整備されているけれど、一人で歩く山道は昼でもドキドキします(汗)。ハブが出ませんように、イノシシが出ませんようにと思いながら道の真ん中を歩く。 |
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←久しぶりに上った、おがみ山の展望広場から。 ↓タンカン、5キロで790円。ポンカンよりも味が濃いですね。甘くて美味しい(*´д`*)。 |
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おがみ山から自転車で朝仁まで行き、スーパーでカレー用の材料を購入。ついでに家の近くの商店でタンカンを買って帰る。 |
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午後になってパラパラと雨(;´Д`)、のち曇り。 | ||
↓スーパーへ行ったら、なかなか安くならない日清やきそばが (*´д`*)、5個パック258円の特売。ちょっと考えて2つ大人買い。 早速食べましたが、うまい。肉も野菜も入れない、他の調味料もいらない。付属のスパイスだけで完結する美味しさ。 |
→暮れに買った黒糖焼酎「龍宮」がそろそろ無くなりそうなので、奄美大島酒造の「じょうご 平成二十三年干支 卯ラベル」を購入。 |
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2月5日(土)〜27日(日)まで、あまみシマ博覧会が開催されます。奄美大島だけでなく与論島でも2月5日(土)〜20日(日)、喜界島・徳之島・沖永良部島でも2月14日(月)〜27日(日)まで各種体験プログラムが用意されています。 | ||
昼ご飯の後の腹ごなしに、自転車で赤崎公園まで。今日は長浜方面からではなく、朝仁の千年松の横から上って行く。たぶんこちらの方が、若干近くて坂もきつくないような気がします。まあ、それでも大変なんですが(汗)。 |
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←「朝仁誌 私考/椿 吉盛」(ノア企画制作)から。 ↓比較できるように赤崎公園から朝仁の集落が見下ろせる場所を探しましたが、木が邪魔で全体が入らない。昔は高い木がなかったのか?木に登って撮影したのか? |
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←イノシシに掘り起こされた、赤崎公園の芝生。 「朝仁誌 私考」によれば、昔はこの辺の山には放し飼いされた山羊もいたらしい。 |
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↓赤崎公園に上ってくる途中に、葉っぱの成長過程がよくわかるヘゴが生えていたので撮影。細部まで観察すると、ゼンマイ状のくるくるがこの植物の基本デザインだとわかる。大きなゼンマイの中に小さなゼンマイがあり、小さなゼンマイは極々小さなゼンマイで構成されている。これらが成長し伸びて行って葉っぱになるようです。 | ||
ヘゴの他、本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
久しぶりに青空が広がったので、昼から自転車でお出掛け。 |
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知名瀬の海岸に着いたあたりで雲が出て来ましたが、風もそれほどなく暖かい。天気予報では最高気温18°Cとなっていましたが、体感的には20°Cくらいあったかも。 帰りは里と小宿の途中に、福里という小さな集落を通って帰宅。 小宿の山側には段々畑がたくさんありますね。 |
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↓イモリ発見。ネットで調べてみたんですが、アマミシリケンイモリでしょうか。ちなみにイモリはカエルと同じ両生類で、水中も陸もOK。ヤモリはトカゲ・ヘビと同じ爬虫類で、陸のみだそうです。 | ||
本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。イモリは、こちら。 | ||
雲が多いけれど雨が降っていないので、買物がてらぷらぷらとサイクリング。朝仁のスーパーと近所の八百屋さんで食料品を買い、一旦部屋に戻ってから大熊漁港へ。 今日は宝勢丸も金紘丸も、カツオのぼりが揚がっている。先日は金紘丸でカツオの刺身を買ったので、今日は宝勢丸でシビ(キハダマグロの幼魚)の刺身を購入。お金を支払ってから、しばらく預かってもらいサイクリングの続き。 龍郷町にある奄美自然観察の森では、もう緋寒桜が咲き始めたとネットで知った。本茶峠にも緋寒桜の並木があるという。とりあえず本茶トンネルの手前、浦上のスーパー・タイヨーまでは来たが・・・本茶峠はまた今度。タイヨーの前から坂道を下って浦上へ。バス停には奥万田とある。 |
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しばらく自転車を走らせていると川沿いの木に、濃いピンクの蕾。緋寒桜でした(*´д`*)。何本かあった木のうち、一本にだけ蕾が付いていた。 | ||
浦上から大熊に戻ってシビの刺身を受け取る。ついでにイカ味噌も購入。 | ||
↓風をお腹いっぱいに入れて、丸々とした宝勢丸のカツオのぼり。 | ↓宝勢丸の売店で買った、シビの刺身、500円。 | ↓こちらも宝勢丸で買った、イカ味噌500円。 |
↑???なんだか野良猫に齧られた魚のようになっている、金紘丸のカツオのぼり。 | ↑1/3ほどをアボガドと一緒に食べた。明日の朝はマグロ納豆で、残りは漬けに。 |
↑炊きたてご飯の上に、イカ味噌。おにぎりの具にしても美味しいだろうな〜(*´д`*)。 |
今読んでいる「奄美の島 かけろまの民俗/鹿児島民俗学会編」(第一法規出版)から、気になった箇所を抜粋。 十五才祝い この年の祝いにはウデルといって、加計呂麻島から本島の名瀬まで行って帰ってくる行事が、明治のころから大正の時代にあったというが詳細は伝えられていない。 ~略~ |
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今日も雨。これから一週間の天気予報を見ても、明後日に晴れマークが付いているけれど、後は曇りと雨ばかり。 朝仁のスーパーへ、自転車ではなく珍しく歩いて買物に行く。港の横を通ると、ンモオ〜と牛の鳴き声。見渡して探せば、上部が柵になったコンテナに牛が三頭。フェリーで運ばれて来たのか、これからフェリーで運ばれて行くのか・・・。 |
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スーパーで肉、きのこ、パスタ他を買い、近所の商店でポンカンを買って帰ったら2時間ほどの散歩になった。 それにしても雨の多い島だ(;´Д`)。他にも何枚か写真が。こちら。 |
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ヒキャゲ=引き揚げ。お正月行事も今日で終わり。14日に、トイレの出窓に飾ったナリムチを外す。何もないと寂しいので、空いた瓶に梅の花の造花をさしておく。 午後から市街地にある、蘭館山(らんかんやま)へ行ってみる。暮れに買った黒糖焼酎「龍宮」の蔵元・富田酒造の横に、山へ上る入り口がある。幕末期にオランダ人の屋敷があったことから、蘭館山の名前が付いたとか。 |
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初めての蘭館山散策の後、自転車で市街地を探索。名瀬の市街地、なかなか奥が深い(地形的にも)です。 | ||
←ぶらぶらサイクリングの帰り、入舟町のグリーンストアーでヒキャゲを購入。味はサツマイモ、食感はお餅。材料そのまんまですね(*´д`*)。 | ||
本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
昨日、”奄美はさすがに雪は降っていませんが”と書きましたが、山間部では雪が舞ったらしい(゜▽゜*)。こちら。 今日も朝から雨が降っていましたが、午後になって少し回復しそうだったので自転車で出掛けて来ました。行き先は朝仁の隣の集落、小宿です。 |
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←説明書きには「嘉永二年、島津斉興の正妻の子斉彬、妾腹の子久光とのあいだで相続争いの事件で二派にわかれて争われた、お由良(妾)騒動で、高崎五良左エ門ら十四名切腹を命ぜられたため、高崎崩れという。退役謹慎十四名、遠島九名中の一人名越左源太が大島名瀬方小宿藤由気宅に嘉永三年五月八日から安政二年四月二日まで約五年間居住して、小宿の子弟に読書や学問を教えその感化を授けた地である」と記されている。 |
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この小宿にいた期間に『南島雑話』『遠島日記』など、当時の奄美大島の実情を知る事のできる貴重な史料を残している。 |
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↓→小宿の集落から小宿漁港に出て、海岸沿いに朝仁へ向かっていると目の前の海から大きな虹が出現。 | ||
明日はヒキャゲ(ヒチャゲ)です。14日に飾ったナリムチの餅をはずし、サツマイモと一緒に潰して練って、ヒキャゲを作って食べる行事だそうです。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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昨日、今日と全国的に大荒れの空模様。西日本では、この冬一番の寒さらしく、あちこちで雪が降っているらしい。奄美はさすがに雪は降っていませんが、午後にベランダでパチパチと音がしていたのでミゾレだったかもしれません。 昨日の夜は、ず〜っと風がゴーゴーと唸っていた。ビルの中なのに、その唸るような音に正直ビビる。いや、ホントにコンクリートの建物も倒すんじゃないかと思うほどの音。島の風は、ハンパない。 |
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↑昨日の夕方6時頃の空。 ←今日の夕方5時半頃の空。昨日は波浪警報が発令。強い風の中、条件付きもあるようですが、フェリーは運航しているようだ。 |
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今日は雨が降ったり止んだり。窓越しにサッと強い日射しが入るので、散歩に行こうかと外を覗くが、直ぐに日射しは消えて、雨雲が現れる。そんな繰り返し。 外出は諦めて、本を読み、ファイルやフォルダーでいっぱいになったパソコンのデスクトップを整頓する。 →バックアップを取った後、デスクトップいっぱいにあったファイルやフォルダーを整理した。 |
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明日も日本海側を中心に大雪だとか。奄美は、どうだろう? | ||
昨日買って来たぶぶの木とお餅で、ナリムチを制作 。置く場所に悩んで、トイレの出窓に飾ってみました(汗)。 飾る場所として相応しいのかわかりませんが 、最近はトイレの神様も人気があることだし (笑)。 門松を作った時にあまった梅の花の造花も、 一緒に並べてみました。花瓶がなかったので、 田中一村の”初夏の海に赤翡翠”がラベルになっている黒糖焼酎 「奄美の杜」の空き瓶を利用。 |
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今借りている部屋を選んだ理由は、 5階角部屋で港と空がよく見えるから 。そしてトイレが明るいことも。 床はフローリングですが、壁と天井は白系統で 窓から日射しが入ると全体に光がよく回ります 。また、洗面所と一緒になっているのもあって、 広いのも嬉しい。 隣接する浴室の湯船は、これまで入ったことがないくらい狭いけど(;´Д`)。湯船は倍の広さが欲しい。 でもお湯に浸かって窓を開けると、フェリーが見れます(*´д`*)。 |
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飾り付けができたので、ナリムチ当日の墓地の様子を見に、朝仁海岸へ。 朝仁には、海岸を囲むように3カ所に霊園がある。アチコチの集落を訪ねると、たいてい海岸、浜の隣には墓地があるように思う。一つには、昔は洗骨(せんこつ)が行われていたので海に近い場所にお墓が建てられたのだろう。奄美では洗骨は、改葬という。 「奄美の島 かけろまの民俗/鹿児島民俗学会編」の口絵のキャプションには<改葬> 改葬のことをアトウガムともいう。死後七年、九年、十三年目などのトモチの日に、墓を掘り出し、頭骨には真綿をかぶせて骨壺に入れ、納骨堂に大切に保存して拝む。とある。 そして祖先を大切にする土地柄、ご先祖様には集落の一番眺めの良いところをということで、風光明媚な場所に建てられたと本で読んだ気がする。 島のアチコチを歩いていると、ホントに墓地をよく目にする。島の人口に比べてお墓の数がとても多いように感じられる。でもそれは、お墓は忌み嫌って隠すものではなく、生活の傍にあり、集落の一等地に建てられているからよけい目に付くからかもしれないですね。 |
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↑は「朝仁誌 私考/椿 吉盛」から複写した、朝仁集落の地図です。書いてあるのは、かつて使われていた小字地名です。 | ||
↑地図番号10の、天川にある天の川墓苑。海岸より少し陸に入っています。 | ↑地図番号2の外金久にある霊園。3つの中では一番古くからありそうです。 | ↑地図番号15の不瀬平にある、朝仁霊園。一番良く海が見えますね。 |
本日のスナップをPhoto Albumにしました。お墓ばかりですけど(汗)。こちら。 | ||
久しぶりに日射しが多くて、それだけで幸せな気持になる。お日様、偉大なり(*´д`*)。 何日か振りで朝仁海岸へ来ると、海岸端の地元の人が腰掛けているベンチの横に巨大な木のオブジェが立っている。昨年の豪雨災害の時の流木だろうか。倒れないように鎖で繋いであるので、海岸のシンボルにするのかな?きっと1年もすると、すっかり馴染んで昔からここにあったようになりそうですね。50年くらい経つと、何か伝説もできているかもしれない(笑)。そういえば、いつの間にかベンチも新しくなっている気がする。 千年松の横の山道を歩いて、赤崎公園と金作原と名瀬市街へ分かれる四つ角の方まで行って戻ってくる。トンネルが出来るまでは、この山道が名瀬市街と朝仁を結ぶ主道路だと思うけれど、山を一つ超えるわけで当時の苦労が偲ばれる。 道路自体は割りと広めで舗装もしてありますが、道路の端から斜面を見ると鬱蒼と木が茂り、見た事もないような植物が生えている。金作原原生林はまだ行ってないけれど、よそから来た者には生活道路の直ぐ横の林ですら十分特別な場所に思える。 そういえば、宮久田の後ろの方から上がって行く道の入り口に、”1月16日(日曜日)に赤崎公園一帯で銃器を使って「イノシシ」の捕獲作業を行いますので、当日は安全のため立ち入りをご遠慮下さい”と書かれた立て札がありました。 |
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→バス通りに面したところにある、朝仁貝塚。案内板には「この貝塚は、古くからの奄美と中国あるいは本土との交易を実証する唯一のもので、青磁、白磁などの中国系の遺物や本土系の須恵器、陶器、石鍋、初期伊万里等が出土していて、奄美の歴史・文化を解明するための重要な貝塚である」と書かれている。 | ||
朝仁の歴史について、「朝仁誌 私考/椿 吉盛」には以下のような記述がある。 朝仁には集落(シマ)建てとのかかわりあいを色濃くとどめている地名の小字や俗称名が多い。その中で最も古い時代を髣髴(ほうふつ)とさせる地名を残しているのが唐水(トウムジ)小字である。 唐水については、本書の地名考の頁で述べているとおり、朝仁湾の右岸先端の紺畑小字と接して東支那海に面し、その海岸沿いには遠い祖先たちが唐との貿易の際に往来していた航路がある(その航路を舟路と呼んでいる)。その舟路が当時の貿易港であった白間まで通じていたのである。 唐水はかつて水量豊かな清流が流れていた。唐商船の出入りの際の目じるしにされたり、航海中の飲料水の補給をしたりして、唐船とのかかわりあいがあったところからその名が出たのではないだろうかと推考されるので、それが安藤平の『日本貿易史』にあるような、唐との貿易の傍証(後考を待つしかない)として位置づけされることになれば朝仁の集落建ては遠く平安の時代まで遡ることができるかも知れない。 |
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朝仁のスーパーで買物をして、一旦部屋に戻ってから、永田橋の商店街へ。商店の店先では枝にカラフルなお餅をくっ付けてナリムチ作りの真っ最中。川沿いには完成品が並べられている。色々と写真を撮らせてもらった後、自分で作るようにぶぶの木と4色のお餅を購入。2つで400円は、かなりオマケしてくれたのかな? 年末に買った5キロ250円のポンカンが無くなりそうなので買いに行くが、ポンカンの時期はそろそろ終わりのよう。店先を見回して安かったサンキスト・オレンジ10個200円を買って帰る。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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一昨日アマゾンでポチッとした外付けハードディスク・ドライブが、今日届いた。今回購入したのはI-O DATAのHDC-EU2.0Kという商品で、2TBで11,480円でした。 |
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↑値段を安く抑えるためか、無地の段ボール箱に入れられ、取り説はネットでダウンロード。 | ↑右が今回購入した2TBのHDD。左は旅の途中、熊本で購入した1TBのHDD。 |
Naradaと言う名前を付けてみました。1TBの方はJackです。 |
このところお天気がよくないので、部屋で本を読んでいることが多い。「朝仁誌 私考/椿 吉盛」が面白い。これまで郷土史のようなものは興味がなくて、ほとんど読んだことがなかったのに。 | ||
朝仁地名私考から、気になったところを抜粋。 小字地名考 十一、牧 俗称地名考 八、ウドン |
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7日に玄関から外した、しめ縄と門松。一昨日図書館で本を借りた時に、受付の女性に奄美ではどうするのか尋ねてみたがわからないとの答え。図書館を出てしばらく自転車で走っていたら、車に乗った栄さんご夫婦とバッタリ。これ幸いに聞いてみたところ、どんと焼きのような風習はないようで、ゴミの日に出すのが普通のようです。 というわけで、今日の燃えるゴミの日に出して来ました。 今日もお天気は今一つ。「朝仁誌 私考/椿 吉盛」を読み始める。朝仁地名私考と、朝仁の歴史と生活の2つの章からなる189頁の本です。 奄美市のホームページによると朝仁340人、朝仁新町1598人、朝仁町580人と奄美の集落としては大きい方だと思いますが、一つの地域でこうした本が作られているのが凄いですね。 |
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8日から今日まで、天王洲 銀河劇場でアフロ・キューバン★オールスターズ★のコンサートがあったようですね。 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の立役者、ファン・デ・マルコス率いる、超一流のビックバンド・サウンド!空前のキューバ音楽ブームを引き起こしたこの映画から10年―待望の再来日が実現! もう10年が経つんですね。一日一日はそれなりに長いのですが、振り返るとあっという間かも。 |
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↑2000年10月24日、東京国際フォーラムでのアフロ・キューバン★オールスターズ★のコンサート。 ←ファン・デ・マルコス(手前)とフェリ・バローイ。2000年10月22日、赤坂プリンスにて撮影。 |
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アフロ・キューバン★オールスターズ★が10年前なら、20年前は誰を撮影していたんだろうと自分の撮影リストを見てみる。 |
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↑ウォズ・ノット・ウォズの撮影。インタヴュアーだった今野雄二さんと。89年6月12日。六本木プリンスだったかな。 |
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←昨日の朝、目が覚めたら窓に薄らと色がついている。久しぶりに見た朝焼け。 ↓こちらは朝の9時半頃かな。雲の隙間から溢れる日射しがキレイだった。 |
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昨日は「成人祝賀 奄美市地区対抗駅伝」が開催された。奄美市の広報誌によると、午前9時に市役所正面玄関前をスタートし、家の横を通るのが9時5分過ぎと、小宿で折り返して9時40分頃のようなので窓を開けてその時間帯だけ観戦。 結局部屋から出ない一日だった。さて、どこの地区が優勝したんでしょう? |
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雲が多いながらも、久しぶりに日中は青空も広がった。風もそれほどないので、長袖のTシャツにトレーナーと薄手のヨットパーカーで大丈夫(*´д`*)。 久しぶりに大熊漁港に行くと、金紘丸の鰹のぼりが上がっている。直売所へ行き、1パック500円の刺身を購入。大熊を少し自転車で走りたかったので、刺身を1時間ほどお店にとって置いてもらう。 |
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←大熊龍王神社。建物の横には、「立入禁止でござーる」の立て札。 |
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集落の奥に建っている龍王神社を見てから、有屋へ。途中にチボリ水という湧き水を発見。 有屋の一村住居跡の近くにもノロのトネヤがあると知ったので探しに行くが、見つからない。一度来たことがある一村の住居跡も見つからない(;´Д`)。あれれ?刺身を預かって貰っているので、また次回に探しに行きます。 刺身を冷蔵庫に入れてから、朝仁へ。いつもは横の道から眺めるだけの千年松の下まで行ってみる。奄美市の保存樹第1号とある。さすがに大きいですね。 海岸の横を通り、スーパーで買物をして、朝仁集落の路地を自転車で走って帰宅。晩ご飯に、鰹のお刺身。食べきれないので、また明日。 |
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↑商店や花屋、スーパーの店先に14日のナリムチ用の枝、ぶぶの木が売られていた。 | ↑朝仁集落の路地。各家を囲む生垣が風情ありますね。 | ↑大熊漁港の金紘丸で買った鰹の刺身、500円。 |
←今日借りて来た本。 昨年暮れの「田中一村 新たなる全貌」の記念図録がありましたが、持ち出し禁止となっていました。残念。 |
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本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
門松をたてておく期間が松の内で、小正月の1月15日までらしいですが、最近は七草がゆを食べる7日くらいを指すことも多いそうです。奄美は15日までだろうか? なんだかこのところ、すっきりしないお天気が続きます(;´Д`)。今日も午後になって出かけようと思ったら、小雨が降って来た。しょうがないので郵便局だけ行って、帰ってから本を読んで過ごす。 「奄美の伝説・日本の伝説23/島尾 敏雄・島尾 ミホ・田畑 英勝」(角川書店) |
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昨日も雨でしたが、散歩がてら傘をさして、伊津部小学校まで消防出初め式を見に行って来ました。 校庭には消防車がいっぱい並んでいましたが、 あいにくの雨なので体育館で開催。 放水や、ハシゴ上りを期待していたのですが、そういうのはやらないのかな? 式典の後に、紅白の餅まきがありました(*´д`*)。 |
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←午後1時30分から開催された、消防出初め式。 ↓式の後に行われた、餅まき。子供たちが張り切って拾ってました。 |
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明日は本の返却期限。晴れるといいな。 | ||
一日ほぼ曇り空でしたが、風が強くなかったので久しぶりに自転車で遠出。まずは奄美文化センターに寄って、成人式を見に行く。 | ||
←会場には入れないので、式典の後で外に出て来た所を見学。 さすが奄美大島、大島紬の着物を着た女の子もけっこういました。色や柄のせいもあって、落ち着いて見えますね。 |
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奄美文化センターから朝仁海岸へ行き、小宿、福里、里の集落を通り、知名瀬トンネルを抜けて知名瀬集落へ。知名瀬へ自転車で来るのは昨年7月以来で、2度目です。 |
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←根瀬部で見つけた石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)。奄美は、せっかんとうと読むんだろうか? 先日、国直集落のT字路でも見つけました。 |
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帰りに朝仁のスーパーで、食材を買って行く。お節に飽きたら、カレーもね♪お節は蒲鉾くらいしか食べていませんが(;´Д`)、安かった牛肉を買ってカレーを作る。 ←小宿の集落で撮影した、正月飾り。松、ゆずり葉、笹を縛っただけのシンプルな門松ですが、味がありますね。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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冷蔵庫の中が寂しくなったので、買い出しに。 | ||
買物へ行く途中に、今年最初の朝仁海岸。今日も風が強くて、波が高い。 アレコレ買おうと思っていたが、正月だからか時化でフェリーの欠航があったからか、品揃えがいつもより少ない。 色々悩んで、とりあえず今晩は、鰹のタタキと鍋。 ↓朝仁海岸の猫。最近見かけるようになった黒白の子猫。1匹だと思っていたら、2匹いた。いったいアダン林の中に、何匹住んでいるんだろう。 |
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昨日は雨が降っていたので、部屋に籠って本を読んでいたら、突然窓から強い日射しが入り、その直後に女の子達の歓声。 ←昨日、1月2日の虹。ベランダから直ぐ近くに見えた。港ではなく建物に架かっていたのか? |
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「奄美の世界/松田幸治写真集」(西日本新聞社) 「奄美 二十世紀の記録〜シマの暮らし、忘れえぬ日々〜/越間 誠」(南方新社)にも、ハジキをいれた老婆の写真が掲載されている。 「いれずみ(文身)の人類学/吉岡 郁夫」(雄山閣出版)から、奄美群島のハジキについての部分をいくつかピックアップ。 琉球の文身は一般に「ハヅキ」あるいは「ハジチ」(針突)の名で呼ばれている。 明治の廃藩置県で、奄美諸島は鹿児島県に属し、沖縄本島以南は沖縄県になった。政府は法令で文身を禁止し、奄美諸島には明治九年(一八七六年)、沖縄県には特殊事情を考えて、文身を廃止するように教育した後、明治三二年(一八九九)10月20日に禁止令を適用した(*注) *注 奄美では、明治二七年(一八九四)に針突をしたものもあり、完全に止んだのは三0年ごろだろうという(恵原)。 3針突に関する伝説 徳之島 昔、大和から来た客が琉球王と対談中、王の多くの美姫を見て、一人ぐらいは私に賜ってもいいでしょうというと、王は三年後に一人やろうと約束した。そうはいったものの、一人でも手離したくなかったので、七人の姫の手に残らず文身をして、彼が辞退するようにしむけた。そこで、一般の婦女子もそれに倣って文身し、外来の人々と自分たちを区別した(伊仙村面縄)(小原)。 5施術の年齢と回数 小原は昭和五~七年の調査をまとめて発表している。喜界島では、早い人で八歳ごろから始め、一二~一四歳に入れるのが普通らしい。奄美大島では、早いものは八歳ごろから始め、普通一四、五歳ごろまでに入れる。~略~昭和一二年に沖永良部島を調査した野間吉夫によると、文身は一五~一七、八歳に入れることが多いという。 結婚との関係 奄美諸島では、禁止令の施行が沖縄県よりも早かったので、針突習俗も早く消失している。それでも三宅が調査したころには、まだ右手を「親厄介」、左手を「夫厄介」という伝承が残っていて、右手から入れる習慣があり、左右で入れた年齢の違う例が一三例記録されている。小原の調査でも、「片手は里で片手は夫の家で」という言葉が残っていたが、普通は一四、五歳までに入れ、結婚後は行わなかったらしい、と述べている。 針突と結婚との関係は、これまでの報告のなかに、断片的に現れている。昭和一二年に沖永良部島を調査した野間吉夫は、女性は文身をしないと結婚できなかったし、それをしていない人は三三年忌をしてはいけない、といわれていたという。 これまでの報告からみると、針突習俗は、奄美諸島、沖縄諸島、宮古・八重山諸島の三地域に大別できるように思う。元来、針突は成女儀礼として行われ、針突をしなければ結婚することができなかったが、宮古・八重山では結婚前に完成させ、奄美・沖縄諸島では結婚後に完成させた、とみることができる。 |
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7針突文様 針突文様の意義~略~ |
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「いれずみ(文身)の人類学」から、奄美大島の針突文様↑ |
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Beauty&Health8に、昨年撮影した『股関節痛を自分で治す本』『「ふくらはぎをもむ」と超健康になる』を載せました。 | ||
明けましておめでとうございます! |
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朝の9時、防災無線で奄美市長・朝山 毅さんの新年の挨拶が始まった。布団の上で、じっと聞く。 昨日のかき揚げそばの汁にお餅を入れて、お雑煮。 元旦のお散歩をPhoto Albumuにしました。こちら。 |
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撮影アーティストリストの国内アーティストのページに、昨年撮影させていただいた方々の名前を追加しました。 今年もご贔屓に♪ |
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2010年12月へ |