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○12月12日(日) 「クラフトふれあい教室」〜季節の飾り物を作ろう〜/奄美少年自然の家 9時30分〜12時(受付9時〜9時30分) 経費:ミニ門松作り(一組で2個)300円、リース作り(一作品)大きさ別で300円〜500円 *奄美少年自然の家 天体ドーム解放 *道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら。 |
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2010年最後の日は、全国的に天気は荒れ模様の様子。鹿児島市内は雪が降り、奄美もアラレが降ったらしい(゜▽゜*)。寒いはずだ。 | ||
午前中に洗濯をして、午後からスーパーへ年越しそばを買いに行く。 ←は、スーパーへ行く途中に寄った朝仁の海岸。大時化で、鹿児島からのフェリーも欠航が相次いでいるようです。 |
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遅くなりましたが、22日〜28日までアチコチ出歩いて撮った写真をPhoto Albumにしました。 12月22日、加計呂麻島の於斉集落、花富集落のスナップはこちら。 |
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←は、22日に加計呂麻島の於斉集落で撮影したガジュマル(道の左側の木)です。 そして↓は、左のガジュマルの木根です。色んな成長過程の木根が、一本のガジュマルの樹に生えています。 一番左の細い木根が、いつか一番右の木根のように複雑に絡み合いながら太く成長して地面に辿り着くのでしょう。きっと気の遠くなるような時間をかけて。 このガジュマルに限らず、奄美の自然や人の営みを眺めていると、そこに横たわっている時間の雄大な流れに、ため息がもれる。 |
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良いお年を! | ||
午前中に、自作の門松としめ縄を玄関に飾った。 | ||
門松には松とゆずり葉、それに造花の梅。 門松は、神様がお正月の日に地上に降りてくる時の目印だそうです。 マンションの5階ですが、幸い通路の端が壁でも窓でもなくオープンになっているので、神様がちょっと覗き込めば見えるんじゃないかと思っている(*´д`*)。 しめ縄は飾り付けがわからず、ウラジロも橙も四手もない。 よってねじった藁だけのシンプルなしめ縄を、そのまま天上付近のパイプにくくり付けた。なんだか素朴な感じが、かえって魔除けとしての力がありそうで、気に入っている。 |
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←↑↓自作の正月飾り。 | ||
←↓そろそろ黒糖焼酎がなくなりそうだったので、昨日新しいのを買って来た。今回は龍宮。30°です。昔は30°が普通だったようです。ラベルには商売大繁盛。正月らしくて良いですね。 |
↓昨日、松とゆずり葉を買った近所の商店で、一緒にポンカンも買った。5キロで350円。安い(*´д`*)。 今、ポンカンが島を駆け巡っているようです(笑)。島らしくて、良い話しですね。光景が目に浮かぶ。 八百屋さんの店先には、ポンカンが大量に並べられています。 |
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さて、今年もあと一日。大掃除を早くにやりすぎたので、部屋が普通に散らかって来た(;´Д`)。明日もう一度、簡単に掃除するかな。 | ||
バス一週間乗り放題の、使用期限最終日。ちょっと疲れているけれど、加計呂麻島に行くことにする。 12時11分に道の島本社前を出るバスで、古仁屋へ。古仁屋港を14時に出港するフェリーかけろまで、瀬相へ。瀬相から加計呂麻バスに乗って、西阿室集落へ。 地図を見て、瀬相から西阿室まで歩こうかな?とちょっとだけ思っていましたが、バスにして良かった(;´Д`)。バスで10分強の道は、舗装されているとはいえ曲がりくねった山道。集落に辿り着く前に疲れていそう。 |
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↑西阿室の海岸から。正面に見えるのは与路島。 時刻表によれば、西阿室着が14時40分(実際はもう少し遅れていたか)。帰りのバスが出る17時20分まで2時間40分の散策。海岸を歩き、集落の中を散歩し、集落の三方を囲むようにしてある厳島神社、秋葉権現、慰霊碑のある憩いの広場に上る。 Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。 |
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曇り時々日射しあり。風もあり。 昨日は一日家で大人しく休んでいたので、今日は大和村方面へ。まずはバスで終点の今里まで行き、志戸勘、名音と歩く。 今里にバスで着いたのが、午後1時半過ぎ。そこから名音まで写真を撮りながら歩いたら、もう3時半頃(汗)。名音を3時42分に出る名瀬行きのバスに乗り、大和村役場前まで。先日オキナワウラジロガシのドングリを見に来た、大和浜の集落を散歩。 |
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大和村役場前から名瀬行きの最終便に。バスの中で大和浜の集落を散歩中、オキナワウラジロガシ林の登山道入り口近くに住むおじさんから貰った、ポンカンを一つ食べる。10月の豪雨災害の時は、やはり家の中まで水が入ったそうだ。大和浜集落の道のアチコチ、家の玄関周りに未だ土嚢が積まれている。 Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。 |
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昨日に続き、朝から雨。気温が上がらず、南の島にも師走の感じがしてきた。 戦後、奄美群島は8年間米国政府の統治下におかれ、祖国日本復帰は島民の悲願でした。この運動の中心的存在だった泉芳朗らが、断食運動などの非暴力で抵抗、全群島民の99.8%の署名を集めるなど全力を尽くした結果、1953年12月25日に奄美群島の日本復帰が成就しました。(奄美市役所ホームページより) 断食悲願 詩・泉 芳朗 されどこの土 歴々やまとあまみの国 町の奥がに 厳々 高千穂の杜はそびえ 大祖伝承の神域に 今わたしは端座している 仰げば脈々たる樹枝 天沖に合掌して 二十余万の民の大悲を訴えるに似ている わたしはただ一介痩身の無名詩人 樹間に湧く無量の感に涙しぼり 地に満つる落葉や雑草にも 無情の声を呑み 天かける白雲に うたた民族流離の歌をきく よしや骨肉ここに枯れ果つるとも 八月の太陽は 燦として 今 天上にある されば 膝を曲げ 頭を垂れて 奮然 五体の祈りをこめよう 祖国帰心 五臓六腑の矢を放とう |
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式典の後、市街のホテルのレストランでお昼ご飯。焼肉丼+ミニそば+ドリンクで480円。 食後のコーヒーをゆっくり飲んでから、港町営業所を12時40分発の佐仁行きで、笠利まで。 先日、第1回奄美夕日マニア写真倶楽部の撮影会でも行った、大笠利聖ミカエル カトリック教会近くの十字架が並ぶ墓地へ行ってみる。この前は晴れた夕方、今日は雨の昼間。風景は、また違って見えるだろうか。 教会のすぐ近くには大島奉行所跡、辺留城古墳もあるが、案内板が剥がされていたりして何をどう観ていいのかわからず(;´Д`)。しばらく辺留(ベル)集落を歩いていたら、昨日の風で骨が何本か折れていた傘が、今日の風で完全に崩壊。奄美の風、恐るべし(汗)。 雨降る中、傘も壊れたので笠利を3時46分発のバスで名瀬へ。道の島バスの本社で、忘れものの傘1本100円を買って、古田町のマリア教会へ。 |
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←大笠利聖ミカエル カトリック教会の墓地。後ろは太平洋です。 ↓古田町へ行くバスの中から。夕方の市街は、道路も少し混みますね。 |
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マリア教会のイルミネーションを撮った後、幸町の名瀬聖心教会まで散歩。郵便局近く、パン屋さんの前でバスを待つ。バス停にはクリスマス・パーティーがあるのか、プレゼントを持った女の子が二人。 Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。 |
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冬の東シナ海を見に、そして9月の八月踊りの時にお酒と料理をご馳走して下さった家へ写真を届けに、佐仁集落へ行って来た。集落の簡易郵便局で尋ねると、一軒の家の方はほとんど名瀬に住んでいらっしゃると言う。あらら・・・。 |
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←↑屋仁集落の入り口にいた山羊。野山羊が出たかと思いましたが、よく見れば赤い首輪。看板の裏に小屋があり、この後トコトコと帰って行きました。ヤニでヤギ、冗談かと思いますた(*´д`*)。 | ||
←屋仁〜佐仁の海岸から。 |
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海岸線を歩き2つの集落を散歩して、最終便の一つ手前の佐仁を5時45分に出るバスで帰る。 Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。 |
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毎日が祝日のような生活なので(汗)、今日が天皇誕生日で休日だとは暫く気付きませんでした(*´д`*)。 昨日に続き、朝から良い天気。すぐにでもバスでどこかへ撮影に行きたかったのですが、アレコレ用事を済ませていると午後。 昼もだいぶ過ぎた頃にようやく準備ができて、家の近くのバス停から今里行きに乗る。目指すは、大和村の国直集落。8月に1度来て、今日が2度目です。 大和村方面は豪雨災害の後も湯湾釜に2回車で行っているので、バスも普通に大浜の横を通って行くものだと思っていたら、小宿から旧道(?)を通り大浜には寄らず知名瀬へ。知名瀬からは通常の海岸沿いの道に戻り、根瀬部を通り国直に到着。 今回国直に来たのは、夕焼けを見るのと写真を渡すため。国直から名瀬方面への最終バスは平日が夕方5時40分、土日祝日が5時45分。この時間だと夏場はまだまだ日が高く、前回は夕焼けが見れなかった。日の短くなった今なら、なんとか見れるかと思いやって来た。 写真は前回来た時に缶ジュースをご馳走してくれた子供がいたので、その御礼。他にも何人かの子供の写真を撮っていたので、それも渡そうと思って。 |
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↑海岸からの夕焼け。夏は海に沈むそうですが、今の時期は山に隠れます。→フクギの並木。日射しがあったので、師走とは思えない風景。 | ||
→前回来た時に、オカヤドカリがモゾモゾといっぱいいた集落のはずれの雑木林へ行ってみた。オカヤドカリは見れなかったけれど、リュウキュウアサギマダラが木の間を舞っていたり、枝にぶら下がって休んだりしている。ここで越冬するんだろうか? | ||
3時15分に着いて、最終バスが来る5時45分まで2時間半の滞在。とりあえず写真は渡せた。夕日はもう少し見たかったけれど、しょうがない。浜里町のあたりに、クリスマスの飾り付けをした家が。南の島のクリスマス。 Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。 |
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早朝3時20分、津波注意報を知らせる奄美市役所からのエリアメールで起こされる。 久しぶりに一週間バス乗り放題のチケットを購入して、島の探索。 |
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↑於斉集落のガジュマル。樹にはタイヤのブランコが付けられていた。この樹なら、子供だけじゃなく大人も乗れそうな気がする。 花富集落に着いて直ぐ、瀬相行きの加計呂麻バスが出て行った。次は3時間ほど後の5時17分発最終便までない。花富から瀬相まで歩いて帰るつもりでしたが、山道を1時間ほど歩く元気はないので、3時間集落を散歩して過ごす。 フェリーの時刻表や加計呂麻バスの時刻表、料金表も載っていて、昨日買った奄美手帳がさっそく役に立った。奄美を旅行するにはオススメです。 |
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Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。 |
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曇り空ながら、今日の最高気温は22℃。昨日からまた少し暖かくなって、暖房がなくても過ごせます(*´д`*)。 | ||
来年のスケジュール帳に、奄美手帳を買った。ダイヤリーの部分には、年中行事や集落のお祭りが記載されている。 「松田幸治写真集/奄美の世界」(西日本新聞社)より抜粋 |
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大掃除も済んだ。早くやりすぎて、また散らかってきましたが(;´Д`)。年内にやらなくてはと思っていた用事はだいぶ片付いたので、またちょっとカメラを持って散歩に出掛けようかな。 | ||
先日門松を作ったので、今日はしめ縄作り(*´д`*)。9時半頃に部屋を出て、自転車を押しながら30分程山道を上って奄美少年自然の家へ。朝仁トンネルが出来るまでは、この山道がメインの道路だったらしい。今ならトンネルを通って長浜入り口から朝仁の海岸まで自転車で15分くらいだと思うが、トンネルの無かった頃は1時間ほど山道を上り下りして行き来したのかも知れない。 正月飾りについてのチラシを戴いたので、少し抜粋。 Q:なぜ、門松を飾るの? Q:しめ縄や門松は、どれくらい飾っておけばいいの? |
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↑しめ縄作りの第一歩は、加工しやすいように藁を叩いて柔らかくする事から。 | ↑体育館での作業風景。手前がしめ縄作り、奥が干支の兎作り。 | ↑完成したしめ縄。自分でやったのは全体の15%程か(汗)。 |
せっかく山を上って来たので、隣のあかさき公園の展望台で少し写真を撮ってから、山道を一気に自転車で駆け下りる。気持良す。 しめ縄作りに思っていた以上に時間がかかったので、市街のホテルのレストランで急いで昼ご飯。鶏の照り焼き丼+ミニそば+ドリンクセット480円。 自転車で県立奄美図書館に向かい、借りていた本から読み終わった3冊を返し、2時から開催される生涯学習講座「奄美の食材について〜作って伝えたい正月料理〜/郷土料理研究家・丸田 京子先生」を受講。 奄美の食材や、正月料理のレシピを書いたテキストをもらい、それを見ながら先生のお話しを聞く。 奄美の正月料理は三献(サンゴン)で始まり、お屠蘇、塩盛・干ものと続く。三献は、一の膳が魚と餅の吸い物、二の膳が刺身、三の膳が鶏肉の吸い物(地域により、豚や猪でも)。塩盛りは結び昆布を松になぞらえ、裂きいかを波にたとえて並べ、お屠蘇の次に配る。 年越しそばはなく、大晦日は豚骨料理を食べるそうです。テキストから引用すると「大晦日クンチ(九日のことで旧暦の大晦日は大体29日であることから)、またはトシヌユ(年の夜の意)といい、年越肴をクンチのウワンフネと呼んで豚骨と野菜で、必ずつわを入れ、そのほか大根や人参、昆布、にんにくの葉などいっしょに煮込んで味噌やしょう油で味付けし、食べる習わしである」。 テキストには、他にも奄美の年中行事とその時の料理のことが書いてあるので、資料性がありますね。 元旦にお雑煮を食べる風習はなく、11日(鏡開き)に雑煮、またはぜんざいを食べるそうです。 |
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←あかさき公園の展望台から。山の向うは大浜海岸かな?他にもこちらに何枚か。 ↓今日、新たに借りて来た本。『レフト・アローン/藤崎慎吾』(ハヤカワ文庫)を購入リストにリクエストして来た。 |
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生涯学習講座の後、新たに本を3冊借りる。「夢から来た景色 沖縄・奄美・吐噶喇列島1988〜2000/上西 重行」(ボーダーインク)、「松田幸治写真集/奄美の世界」(西日本新聞社)、「いれずみ(文身)の人類学/吉岡 郁夫」(雄山閣出版)。 | ||
図書館の帰り、ガス料金を払いに行き、スーパーで1匹250円のインドネシア産のアサヒガニを買い、八百屋で野菜色々とポンカンを買った。晩ご飯のメインは、アサヒガニの鍋。 →30個入りのポンカンが150円。島バナナが終わり、今はポンカンが店先に積まれています。来年になれば、タンカン。食べたこと無いですが、どんな味でしょう? |
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昨日から明日19日まで、浅草寺の羽子板市ですね。ここ最近は毎年行っていて、羽子板市を散歩する度に師走を感じてもいました。これまでの羽子板市の写真はこちらに。 | ||
冬将軍の到来で、九州でも各地で初雪が降ったとか。奄美も最高気温が14℃と寒い一日。今日から暖房デビュー。 | ||
朝、ゴミを捨てるついでに石油ファンヒーターの灯油タンクも持って出て、隣のガソリンスタンドで灯油を入れてもらう。18ℓのポリタンクがないので、ファンヒーターの灯油タンクに直接入れてもらったのですが、エレベータ無しの5階なので、この方法も良いかもしれませんね(*´д`*)。18ℓを持って5階は、ちょっとタイヘンだと思う(;´Д`)。 | ||
夜、NHKで『ブラタモリ』。今回は「本郷台地 完全版」。オープニングが湯島天神で、根津、谷中、本郷三丁目、菊坂、聖橋が登場。今年の3月まで、しょっちゅう散歩していた場所だけれど、随分昔のことで遠い所に思える。 「ユタのノート/阿世知照信記」から気になった箇所を抜粋 種下し祭伝説(九月) 種下し祭り踊歌の内訳(ノロ神式の部) ○餅<モチ>くわ下<クレ>てぃたぼれ祝<ユワ>ておしようろう ○ありゃ殿参銭<ドンサンセン> こりゃ殿参銭<ドンサンセン> ○おぼこり(い?)る ありようる ○家宝者儀<カホシャギ>る成<ナ>りようるな ○来年<ヤネ>ぬ稲<イネ>がなし畔枕<アブシマクラ> |
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ヤフーの天気予報では最高気温18℃、テレビの天気予報では16℃。20℃を下回るとグッと寒く感じますね((;゚Д゚)ガクガクブルブル。一日中、大人しく部屋に籠ってパソコンで作業。昼ご飯の主菜はステーキ、副菜は肉豆腐。晩ご飯の主菜は肉豆腐、副菜は餃子。コテコテです(笑)。 昨日はふたご座流星群を見ようと、天体ドームが解放される奄美少年自然の家のイヴェントに出かけましたが、あいにくの曇り空で流星は見れず。先日の田中一村展をご一緒した栄さん、小辻さんと3人で星空観察の代りに、職員の方から星座についてのお話しを聞いて帰って来ました。 |
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↑室内で星座についてのレクチャーを聞いて来ました。→せっかくなので天体ドームで望遠鏡と一緒に記念写真(*´д`*)。 | ||
赤尾木から名瀬に向かう部落のはずれ、国道の左手に星窪という地名がある。大きな窪地になっている。昔、隕石が落ちたところだといわれ、最近また話題を呼んでいる。 |
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←は、最高気温26℃と暖かかった一昨日の朝焼け。奄美は、雲を見てるだけでも飽きない(*´д`*)。 ところで宇宙の果てはどうなってるんでしたっけ?星の話しを聞きながら、久しぶりに子供の頃の疑問を思い出した。検索するとサイトはあるのですが、誰か簡潔に教えて下さい(笑)。 |
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昨日あたりから、また少し暖かくなった気がする奄美。今日の最高気温は21℃、明日は26℃の予想です(゜▽゜*)。まったく師走という感じがしないのですが、奄美少年自然の家で開催された「クラフトふれあい教室」に参加してミニ門松を作って来ました。 | ||
↑門松の制作風景。9時30分の予定が、10分ほど遅れてスタート。終了時間は12時ですが、早く完成する人もいれば、時間オーバーの人も。私も時間オーバーして完成。 | ||
↑完成したミニ門松。材料代は300円。のこぎりを使ったのは、何十年ぶりだろう???飾りは松と、ゆずり葉。これに梅を足せば松竹梅が揃います。大掃除も済んで門松もできて、着々とお正月を迎える準備が(*´д`*)。やっぱりしめ縄も作りに行こうかな(笑)。 門松作りが終わって部屋に帰って来たら、連絡が入って急遽大和村の方へ出かけることに。 |
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↑門松作りに参加するため早起きしたら、久しぶりに朝焼けが見れました。 | ↑左が日本最大級の、オキナワウラジロガシのドングリ。 | ↑湯湾釜の老人クラブの忘年会。私も初めてゲートボールに挑戦。難しい(汗)。 |
大和村へ来たので、先月ムチムレ踊りを撮影させていただいた湯湾釜の集落に寄って、あの時に撮影したムチムレ踊りの写真をプレゼントする。ちょうど集会場では老人クラブの忘年会があり、またまたお酒と料理をご馳走になり、初ゲートボールに参加してきました(*´д`*)。 朝焼けから門松、ドングリ他、今日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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午後から、久しぶりに名瀬市街を散歩。自転車を図書館に停めて、古見本通り沿いの古田町、真名津町、平田町、石橋町を歩く。途中スーパーで買物もして、2時間半ほど住宅地をぶらぶら。帰りに10個250円のたこ焼きを買って帰る。 郵便ポストに「奄美紅白歌合戦」のチラシが入っていた。12月25日(土)に奄美文化センターで開催されるそうです。 素晴らしい意気込みです(*´д`*)。 |
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本日のお散歩スナップを、Photo Albumにしました。こちら。 | ||
一昨日から、最高気温が20℃に届かない寒い奄美です(;´Д`)。 「奄美の伝説・日本の伝説23/島尾 敏雄・島尾 ミホ・田畑 英勝」(角川書店)を読んでいる。初版が昭和52年10月10日なので、33年前に書かれた本なのですが面白い。まだ読んでいる途中ですが、いくつか抜粋。 用部落の後方シュチャ坂(びら)からの景観は後ろ髪引かれるばかりの佳景である。 赤尾木から名瀬に向かう部落のはずれ、国道の左手に星窪という地名がある。大きな窪地になっている。昔、隕石が落ちたところだといわれ、最近また話題を呼んでいる。 戸口の地名について、平家が喜界島から海の彼方に大きな島をみつけ、あの島へ渡ろうといって渡ったのがこの戸口であった。それで大島で平家が初めて上陸した入口の島という意味で戸口と命名したと伝説は語っている。 名瀬の中央に突き出た山がおがみ山。島人たちの心のよりどころで、御神山か、拝山かでにぎわった山であるが、名瀬の古い人たちは漢字とは関係なくうぐわん山といっていたようだ。「うがん山」か「うぐわん山」かはさておき、見ただけで神山としての山容をそなえている。大正の末頃まではこの山頂の草むらに小さな自然石があった。どんな神であったかはわからないが、ここが伊津部ノロの神山であったことを考えれば、これがいわゆるイビであったのではなかろうかと思われる。 |
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大川の川口近く、名瀬勝寄りの海岸に鯨松という枝振りのよい松の生えた岩がある。 昔、名瀬勝の金比羅の神(男神)と小湊の厳島の神(女神)とが、沖の方から松の木の生えた岩を背負った鯨が小湊の海岸に向かって泳いでくるのを見た。二神はその岩を自分のところに招き寄せようとしきりに招きあった。すると鯨がだんだん厳島の方に寄っていった。金比羅の神が厳島の神に腰紐が解けていることを告げた。厳島の神が驚いて腰紐をなおしている間に金比羅の神が自分の方に招き寄せてしまい、現在のところにきて止まったのだという。 鯨は男神の立っていた岩の下敷きとなって死んでしまった。それからは正月ごとに小鯨たちがたくさんやってきてこの岩の近くで泣いていたという。岩の上の松も昔ながらの松で、大きくもならず立ちつづけている。 (古見の七不思議)より |
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↑は鯨松が生えていた岩。先月の28日に撮影。ネットで検索したところ、鯨松は1981年夏に枯死。翌年、名瀬勝の有志によって二世の松が植樹されたとあります。 →鯨松の岩の近くにあった、金刀比羅神宮。 |
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奄美大島というのは、よく岩やら島が流れて来たらしく、他にも色々と伝説が残っています(*´д`*)。 昔、大棚と志戸勘との間のシノビラで、志戸勘ノロ、今里ノロ、名音ノロの三名が、沖から流れてくる岩を見て、それぞれの神の名をとなえて手招きをした。ところが志戸勘ノロは印判ノロ(琉球王朝からのノロの辞令をもっているノロ)で、高神だったので志戸勘の沖にきて止まったといわれている。 山間から戸玉を過ぎて市に向かうとまず目につくのが、市の沖のトゥブラ島である。この島もまた流れ島で、昔、喜界の方から流れて来たのを、市の神様と、山間の神様とで招きあい、市の神様が勝ったので市の沖に来て止まったといわれている。 昔、琉球王がオランダ王(一説には大和朝廷)にハブを贈ったとき、大島海峡でその船が遭難し、ハブを入れたかめが枝手久のオキというところに打ち上げられて、そこから大島、徳之島に広がったのだといわれている。 |
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外はビュービューガタガタ。北西の風が強く、最高気温も18℃。部屋にいても、暖房がないとTシャツにトレーナーではちょっと寒い。しばらく20℃を下回る日が続くらしい。いよいよ石油ファンヒーターの登場か? 昨日は、奄美夕日マニア写真倶楽部の第1回撮影会を開催しました。8月19日にミーティングを行って以来活動をしていなかったのですが(汗)、ようやく本格始動? |
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→笠利にあるカトリック教会の墓地。初めてバスの窓からこの十字架の並ぶ墓地を見た時、きれいだな〜と思った。撮影したかった場所の一つです。 | ||
↑佐仁の海岸から撮った、東シナ海に沈む夕日。この撮影会で撮った風景写真を、Photo Albumにしました。こちら。 | ||
↑奄美大島の北部、用岬にある笠利崎灯台からの眺め。 | ↑灯台にて、奄美夕日マニア写真倶楽部の部員第1号のなっつんさん。 | ↑佐仁の海岸にて、東シナ海に沈む夕日を撮影するなっつんさん。 |
伊津部町の鳥しんさんで、忘年会。メインはアバスと地鶏の鍋。アバスはハリセンボンの事です。フグの仲間で、なかなか美味しい(*´д`*)。皿の右側がアバス、左側が地鶏。 ←お店の前で記念写真。栄さんご家族、松元さんご夫婦、先日一村展をご一緒した小辻さん、写真家の常田さん、歯科医の西さんご夫婦、地元ホテルの支配人・田中さん、鳥しんのご主人。 |
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7時にスタートして、私は後半少しウトウト(汗)。気がつけば10時半。話に夢中であっという間でしたね。また飲みましょう(*´д`*)。 | ||
うかうかしている間に師走になってしまった(汗)。100円ショップのオネーさんはサンタの赤い帽子をかぶり、レジの横には小さな鏡餅が並べられている。 |
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←↑一昨日、スーパーへ買物に行く途中に寄った朝仁海岸。どんよりとした空と海も嫌いじゃない。親猫はなついて触らせてくれますが、子猫は逃げちゃいますね。 →昨日、今日とひたすらプリント。奄美に来てから取り替えたインクが13本。フォトブラック(2)、グレー(1)、ライトグレー(1)、シアン(1)ライトシアン(2)、マゼンタ(1)、ライトマゼンタ(3)、イエロー(2)。 |
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市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。 ※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。 |
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