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○12月12日(日) 「クラフトふれあい教室」〜季節の飾り物を作ろう〜/奄美少年自然の家 9時30分〜12時(受付9時〜9時30分) 経費:ミニ門松作り(一組で2個)300円、リース作り(一作品)大きさ別で300円〜500円
○12月18日(土) ヤコウガイ細工講座/瀬戸内町立図書館・郷土館 二階 視聴覚室 15:00~17:00 昼の部/18:30~20:00 夜の部
○12月18日(土) 生涯学習講座「奄美の食材について〜作って美味しい正月料理〜/満 キヨ・丸田 京子(郷土料理研究家)」/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○12月18日(土) 「第7回オープンデー」/奄美少年自然の家 ◎しめ縄作り (材料代一作品100円)わらを使って,正月飾り(しめ縄)を作ります。◎干支の置物作り(材料代一作品200円)わらを使って,ウサギの置物を作ります。イベント 午前の部 10:00 ~ 12:00 午後の部 13:00 ~ 15:00 施設開放(終日)    9:00 ~ 16:00
○12月19日(日) ヤコウガイ放流体験/加計呂麻島徳浜集落 11:00〜12:00 ヤコウガイ細工/加計呂麻島徳浜集落公民館 13:00〜15:00
○12月19日(日) 正月の和凧作り〜親子で和凧(飾り用)を作ろう〜/奄美少年自然の家 体育館 9時〜12時(受付9時〜9時30分) 経費:一作品200円
○12月25日(土) 「日本復帰記念の日の集い」/おがみ山日本復帰記念碑前(雨天時は名瀬小学校体育館)午前11時〜
○12月25日(土) 「奄美紅白歌合戦」/奄美文化センター 開場17:00 開演18:00 指定席1階1500円(当日1800円) 自由席2階1000円(当日1300円) 
○1月3日(月) 「新成人のつどい」住用地区/住用公民館 10時〜
○1月5日(水)つむぎの日 「新成人のつどい」名瀬地区/奄美振興会館(文化センター)式典11時〜12時 笠利地区/農村環境改善センター 式典13時30分〜
○1月8日(土) 凧作り&凧揚げ教室/奄美少年自然の家 制作9:30〜11:30 凧揚げ11:40〜12:30
○1月15日(土) 奄美ならではの染め物作りを楽しもう/奄美少年自然の家 フクギ、テーチギ、藍の多色染めテーブルクロス(1mX1m) 経費1500円 13:30〜16:00
○2月19日(土) 生涯学習講座「生活環境と私たちの生活〜ニホンザル研究でわかったこと〜/和 秀雄(奄美野生動物研究所)」県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○3月5日(土) 生涯学習講座「島唄に魅せられて〜ウヤフジとシマユムタ〜/前山 真吾(唄者)」/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)

奄美少年自然の家 天体ドーム解放
12月14日(火)、21日(火)、1月14日(金)、21日(金)、2月11日(金)、19日(土)、25日(金)、3月4日(金)、11日(金)、18日(金)。25日(金)
時間:18:00 ~ 21:00(第1部18:00~、第2部19:30~、ただし3月は第2部のみの開催)
内容:12.14/ふたご座流星群を見よう 12.21/皆既月食を観察しよう(第1部)月の観察をしよう(第2部) 1.14/木星やオリオン大星雲を観察しよう 1.21/アンドロメダ大銀河を観察しよう 2.11/冬のダイヤモンド、7つの一等星を観察しよう 2.19/アウトドア&スターウォッチング(冬)【別途,案内をいたします。】 2.25/冬の夜空を彩るたくさんの星団・星雲を観察しよう 3.4/りゅうこつ座のα星『カノープス』を見よう 3.11/プレアデス星団と月(月齢6.6)を観察しよう 3.18/月のクレーターを観察しよう(月齢13.6) 3.25/リングのある星『土星』を観察しよう

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

12月31日(金)
 2010年最後の日は、全国的に天気は荒れ模様の様子。鹿児島市内は雪が降り、奄美もアラレが降ったらしい(゜▽゜*)。寒いはずだ。
大晦日の朝仁海岸

 午前中に洗濯をして、午後からスーパーへ年越しそばを買いに行く。
 早くに大掃除をしたため、普通に散らかってしまった部屋をもう一度掃除してから、隣のガソリンスタンドで石油ファンヒーターのタンクに灯油を入れてもらう。
 撮りっ放しになっていた写真データを作成していたら、2010年もあと少しになってしまった(*´д`*)。

←は、スーパーへ行く途中に寄った朝仁の海岸。大時化で、鹿児島からのフェリーも欠航が相次いでいるようです。

 遅くなりましたが、22日〜28日までアチコチ出歩いて撮った写真をPhoto Albumにしました。

12月22日、加計呂麻島の於斉集落、花富集落のスナップはこちら
12月23日、国直集落でのスナップはこちら
12月24日、佐仁、屋仁集落と海岸線からのスナップはこちら
12月25日、「日本復帰記念の日の集い」の様子と、大笠利聖ミカエル カトリック教会、古田町のマリア教会等の様子はこちら
12月27日、今里から名音、大和浜のスナップはこちら
12月28日、加計呂麻島の西阿室集落のスナップはこちら

於斉のガジュマル
←は、22日に加計呂麻島の於斉集落で撮影したガジュマル(道の左側の木)です。
 そして↓は、左のガジュマルの木根です。色んな成長過程の木根が、一本のガジュマルの樹に生えています。
 一番左の細い木根が、いつか一番右の木根のように複雑に絡み合いながら太く成長して地面に辿り着くのでしょう。きっと気の遠くなるような時間をかけて。
 このガジュマルに限らず、奄美の自然や人の営みを眺めていると、そこに横たわっている時間の雄大な流れに、ため息がもれる。
ガジュマルの木根
 良いお年を!
12月30日(木)
 午前中に、自作の門松としめ縄を玄関に飾った。
玄関の正月飾り
しめ縄
 門松には松とゆずり葉、それに造花の梅。
 門松は、神様がお正月の日に地上に降りてくる時の目印だそうです。
 マンションの5階ですが、幸い通路の端が壁でも窓でもなくオープンになっているので、神様がちょっと覗き込めば見えるんじゃないかと思っている(*´д`*)。
 しめ縄は飾り付けがわからず、ウラジロも橙も四手もない。
 よってねじった藁だけのシンプルなしめ縄を、そのまま天上付近のパイプにくくり付けた。なんだか素朴な感じが、かえって魔除けとしての力がありそうで、気に入っている。
←↑↓自作の正月飾り。
門松
黒糖焼酎 龍宮

←↓そろそろ黒糖焼酎がなくなりそうだったので、昨日新しいのを買って来た。今回は龍宮。30°です。昔は30°が普通だったようです。ラベルには商売大繁盛。正月らしくて良いですね。
 これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮。

↓昨日、松とゆずり葉を買った近所の商店で、一緒にポンカンも買った。5キロで350円。安い(*´д`*)。
 今、ポンカンが島を駆け巡っているようです(笑)。島らしくて、良い話しですね。光景が目に浮かぶ。
 八百屋さんの店先には、ポンカンが大量に並べられています。
龍宮のラベル
ポンカン
 さて、今年もあと一日。大掃除を早くにやりすぎたので、部屋が普通に散らかって来た(;´Д`)。明日もう一度、簡単に掃除するかな。
12月28日(火)
 バス一週間乗り放題の、使用期限最終日。ちょっと疲れているけれど、加計呂麻島に行くことにする。
 12時11分に道の島本社前を出るバスで、古仁屋へ。古仁屋港を14時に出港するフェリーかけろまで、瀬相へ。瀬相から加計呂麻バスに乗って、西阿室集落へ。
 地図を見て、瀬相から西阿室まで歩こうかな?とちょっとだけ思っていましたが、バスにして良かった(;´Д`)。バスで10分強の道は、舗装されているとはいえ曲がりくねった山道。集落に辿り着く前に疲れていそう。
西阿室からの風景

    ↑西阿室の海岸から。正面に見えるのは与路島。

 時刻表によれば、西阿室着が14時40分(実際はもう少し遅れていたか)。帰りのバスが出る17時20分まで2時間40分の散策。海岸を歩き、集落の中を散歩し、集落の三方を囲むようにしてある厳島神社、秋葉権現、慰霊碑のある憩いの広場に上る。
 帰りのバスの時間が近づくにつれ、空がオレンジに色付いて行く。いい感じ。でも時間切れ。
 先日花富の海岸から見れたのは請島でしたが、西阿室から見れるのは請島の隣の与路島。フェリーの運航時間の関係で平日は無理ですが、日曜なら古仁屋〜与路島の日帰りも可能のようです。
 西阿室からバスで瀬相へ、瀬相からフェリーで古仁屋へ。古仁屋からバスで名瀬市街へ。全て最終便。乗り遅れないかと、いつもちょっと心配。
 瀬戸内町ホームページ空き家情報に、西阿室で2軒登録があります。どちらも一ヶ月5000円。

Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。

12月27日(月)
 曇り時々日射しあり。風もあり。
 昨日は一日家で大人しく休んでいたので、今日は大和村方面へ。まずはバスで終点の今里まで行き、志戸勘、名音と歩く。
 今里にバスで着いたのが、午後1時半過ぎ。そこから名音まで写真を撮りながら歩いたら、もう3時半頃(汗)。名音を3時42分に出る名瀬行きのバスに乗り、大和村役場前まで。先日オキナワウラジロガシのドングリを見に来た、大和浜の集落を散歩。
27日のスナップ

 大和村役場前から名瀬行きの最終便に。バスの中で大和浜の集落を散歩中、オキナワウラジロガシ林の登山道入り口近くに住むおじさんから貰った、ポンカンを一つ食べる。10月の豪雨災害の時は、やはり家の中まで水が入ったそうだ。大和浜集落の道のアチコチ、家の玄関周りに未だ土嚢が積まれている。

 クリスマスが終わって、スーパーや商店の店先には正月のしめ飾りや花が並べられている。少しずつ正月の気配。

Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。

12月25日(土)

 昨日に続き、朝から雨。気温が上がらず、南の島にも師走の感じがしてきた。
 12月25日はクリスマスだけれど、奄美群島の日本復帰の記念日でもある。この日は、毎年おがみ山で「日本復帰記念の日の集い」が開催されるようですが、今年は雨なので奄美小学校の体育館で行われました。午前11時から始まった式を、邪魔にならないように後ろで見学して来ました。

 戦後、奄美群島は8年間米国政府の統治下におかれ、祖国日本復帰は島民の悲願でした。この運動の中心的存在だった泉芳朗らが、断食運動などの非暴力で抵抗、全群島民の99.8%の署名を集めるなど全力を尽くした結果、1953年12月25日に奄美群島の日本復帰が成就しました。(奄美市役所ホームページより)
 おがみ山には、復帰に尽力した指導者で、「復帰の父」と呼ばれている泉 芳朗(いずみ ほうろう)の胸像と詩碑が建っています。

断食悲願 詩・泉 芳朗
ここは北緯二十九度直下 奇妙不可解な人為の緯線が のろわれた民族の死線に変ろうとしている 目に見えない首枷をつくろうとしている たえがたい責苦の檻になろうとしている

されどこの土 歴々やまとあまみの国 町の奥がに 厳々 高千穂の杜はそびえ 大祖伝承の神域に 今わたしは端座している 仰げば脈々たる樹枝 天沖に合掌して 二十余万の民の大悲を訴えるに似ている

わたしはただ一介痩身の無名詩人 樹間に湧く無量の感に涙しぼり 地に満つる落葉や雑草にも 無情の声を呑み 天かける白雲に うたた民族流離の歌をきく

よしや骨肉ここに枯れ果つるとも 八月の太陽は 燦として 今 天上にある されば 膝を曲げ 頭を垂れて 奮然 五体の祈りをこめよう 祖国帰心 五臓六腑の矢を放とう 

日本復帰記念の日の集い
 式典の後、市街のホテルのレストランでお昼ご飯。焼肉丼+ミニそば+ドリンクで480円。
 食後のコーヒーをゆっくり飲んでから、港町営業所を12時40分発の佐仁行きで、笠利まで。
 先日、第1回奄美夕日マニア写真倶楽部の撮影会でも行った、大笠利聖ミカエル カトリック教会近くの十字架が並ぶ墓地へ行ってみる。この前は晴れた夕方、今日は雨の昼間。風景は、また違って見えるだろうか。
 教会のすぐ近くには大島奉行所跡、辺留城古墳もあるが、案内板が剥がされていたりして何をどう観ていいのかわからず(;´Д`)。しばらく辺留(ベル)集落を歩いていたら、昨日の風で骨が何本か折れていた傘が、今日の風で完全に崩壊。奄美の風、恐るべし(汗)。
 雨降る中、傘も壊れたので笠利を3時46分発のバスで名瀬へ。道の島バスの本社で、忘れものの傘1本100円を買って、古田町のマリア教会へ。
笠利の十字架の墓地

←大笠利聖ミカエル カトリック教会の墓地。後ろは太平洋です。

↓古田町へ行くバスの中から。夕方の市街は、道路も少し混みますね。

車のライト

 マリア教会のイルミネーションを撮った後、幸町の名瀬聖心教会まで散歩。郵便局近く、パン屋さんの前でバスを待つ。バス停にはクリスマス・パーティーがあるのか、プレゼントを持った女の子が二人。
 平松町行きのバスを待っていたら医師会病院行きのバスが来たので、運転手に行き先を確認して帰宅。

Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。

12月24日(金)

 冬の東シナ海を見に、そして9月の八月踊りの時にお酒と料理をご馳走して下さった家へ写真を届けに、佐仁集落へ行って来た。集落の簡易郵便局で尋ねると、一軒の家の方はほとんど名瀬に住んでいらっしゃると言う。あらら・・・。
 佐仁から海岸沿いに屋仁の集落へ。道は何カ所か土砂崩れの跡が。海から吹き付ける風が強くて、あっという間にさしていた傘の骨が折れる。久しぶりに踏ん張らないと前に進めない程の向かい風に会った。
 長靴にヤッケと傘。ちょっと重装備かと思ったけれど、これで正解。

ヤギ01
ヤギ02
←↑屋仁集落の入り口にいた山羊。野山羊が出たかと思いましたが、よく見れば赤い首輪。看板の裏に小屋があり、この後トコトコと帰って行きました。ヤニでヤギ、冗談かと思いますた(*´д`*)。
屋仁〜佐仁の海岸から

←屋仁〜佐仁の海岸から。
 先日加計呂麻島の集落で会った男性は、奄美大島北部の東シナ海は、日本海に似ていると話した。荒々しい波と、海岸線の直ぐそばまで迫る山。確かに少し似ている気もする。でも北陸の山に蘇鉄は生えていないし(笑)、こんなに遠浅じゃないようにも思う。
 佐仁の海と空はちょっと独得で、心魅かれます

 海岸線を歩き2つの集落を散歩して、最終便の一つ手前の佐仁を5時45分に出るバスで帰る。
 奄美は幹線道路にもほとんど街灯が無い。日が暮れると、海も山も暗い闇の中に沈んで行く。時々バスがどこを走っているのかわからなくなる。
 市街に入り郵便局前で降りて、ちょうどバス停で止まっていた平松町行きに乗り換える。
 写真を撮りながら歩いていた時は感じなかったが、暖房をかけていないバスの中でじっと黒い外を見ていると、じわりと寒さが沁みてくる。

Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。

12月23日(木)
 毎日が祝日のような生活なので(汗)、今日が天皇誕生日で休日だとは暫く気付きませんでした(*´д`*)。
 昨日に続き、朝から良い天気。すぐにでもバスでどこかへ撮影に行きたかったのですが、アレコレ用事を済ませていると午後。
 昼もだいぶ過ぎた頃にようやく準備ができて、家の近くのバス停から今里行きに乗る。目指すは、大和村の国直集落。8月に1度来て、今日が2度目です。
 大和村方面は豪雨災害の後も湯湾釜に2回車で行っているので、バスも普通に大浜の横を通って行くものだと思っていたら、小宿から旧道(?)を通り大浜には寄らず知名瀬へ。知名瀬からは通常の海岸沿いの道に戻り、根瀬部を通り国直に到着。
 今回国直に来たのは、夕焼けを見るのと写真を渡すため。国直から名瀬方面への最終バスは平日が夕方5時40分、土日祝日が5時45分。この時間だと夏場はまだまだ日が高く、前回は夕焼けが見れなかった。日の短くなった今なら、なんとか見れるかと思いやって来た。
 写真は前回来た時に缶ジュースをご馳走してくれた子供がいたので、その御礼。他にも何人かの子供の写真を撮っていたので、それも渡そうと思って。
国直海岸からの夕焼け
フクギの並木
↑海岸からの夕焼け。夏は海に沈むそうですが、今の時期は山に隠れます。→フクギの並木。日射しがあったので、師走とは思えない風景。
→前回来た時に、オカヤドカリがモゾモゾといっぱいいた集落のはずれの雑木林へ行ってみた。オカヤドカリは見れなかったけれど、リュウキュウアサギマダラが木の間を舞っていたり、枝にぶら下がって休んだりしている。ここで越冬するんだろうか?
リュウキュウアサギマダラ

 3時15分に着いて、最終バスが来る5時45分まで2時間半の滞在。とりあえず写真は渡せた。夕日はもう少し見たかったけれど、しょうがない。浜里町のあたりに、クリスマスの飾り付けをした家が。南の島のクリスマス。

Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。

12月22日(水)

 早朝3時20分、津波注意報を知らせる奄美市役所からのエリアメールで起こされる。
 テレビのニュースで、午前2時20分頃に小笠原諸島・父島近海を震源とする地震があったことを確認して、もう一度就寝...zzz。

 久しぶりに一週間バス乗り放題のチケットを購入して、島の探索。
 朝8時31分、道の島本社前出発の古仁屋行きバスに乗って、海の駅へ。古仁屋を10時20分に出るフェリーかけろまで、瀬相港に10時45分着。
 瀬相から、今日のお目当ての大きなガジュマルの樹がある於斉(オサイ)集落までぶらぶら歩く。舗装された山道を30分ほど歩いただろうか。
 於斉集落の中を少し歩くと、直ぐにガジュマルの樹は見つかった。横には、これまた大きなデイゴの樹が立っている。集落を2周ほどしてから、海岸沿いに伊子茂(イコモ)、花富(ケドミ)集落と歩く。

於斉のガジュマル

↑於斉集落のガジュマル。樹にはタイヤのブランコが付けられていた。この樹なら、子供だけじゃなく大人も乗れそうな気がする。

 花富集落に着いて直ぐ、瀬相行きの加計呂麻バスが出て行った。次は3時間ほど後の5時17分発最終便までない。花富から瀬相まで歩いて帰るつもりでしたが、山道を1時間ほど歩く元気はないので、3時間集落を散歩して過ごす。
 海岸の堤防や、家の玄関先に白い皮のようなものがアチコチに干してあるので、何だろうと思ったら切り干し大根。なるほどね、こうして作るのか。
 集落のところどころにハブ棒が。これまで訪れた集落で、こんなにハブ棒が置いてあるのは初めて見た。そんなにハブが出るんだろうか?と村の人に聞いたら、ほとんど出ないそうだ。老人ばかりの集落なので、青年団が心配して設置していった物だと言う。
 海岸の堤防から請島を眺めて、集落の人と話しをしていたらバスの時間。
 5時17分花富発、17時25分瀬相着の加計呂麻バス270円。瀬相18時05分発のフェリーかけろまで、古仁屋へ。海の駅18時35分発名瀬行きの最終バスで帰ってきた。バスは行きも帰りも、ほぼ貸切り状態。

 フェリーの時刻表や加計呂麻バスの時刻表、料金表も載っていて、昨日買った奄美手帳がさっそく役に立った。奄美を旅行するにはオススメです。

22日のスナップ

Photo Albumはこちら。*12月31日に更新。

12月21日(火)
 曇り空ながら、今日の最高気温は22℃。昨日からまた少し暖かくなって、暖房がなくても過ごせます(*´д`*)。

 来年のスケジュール帳に、奄美手帳を買った。ダイヤリーの部分には、年中行事や集落のお祭りが記載されている。

「松田幸治写真集/奄美の世界」(西日本新聞社)より抜粋
分棟づくり
 南方民家の特徴はひと部屋ひと屋根の分棟づくりだ。つまり、ひとつの屋根の下に部屋をふやしていく方法ではなく、別棟をつくる南方独得の高床形式だ。
 民家はオモテ(母屋)とトーグラ(台所)の二棟づくり(まれにナカヤがある)で、その間を小さな渡しでつないである。
 名称は島によって異なり、ハイヨー、フタナ、ワタリドなどと呼ばれる。
 現在ではかやぶきの分棟づくりは珍しく、分棟より一棟への変化の過程が島々で見られ興味深い。
 完全に合体してもなお、屋根に分棟づくりの遺構を残しているものも見られる。
 民家の多くは南向きで、太陽崇拝、方位信仰が根強く残り、オモテは必ず東に位置し、トーグラは西に位置する。先祖棚はオモテの東に位置する。

*奄美の古民家の写真がこちらにあります。

奄美手帳
 大掃除も済んだ。早くやりすぎて、また散らかってきましたが(;´Д`)。年内にやらなくてはと思っていた用事はだいぶ片付いたので、またちょっとカメラを持って散歩に出掛けようかな。
12月18日(土)

 先日門松を作ったので、今日はしめ縄作り(*´д`*)。9時半頃に部屋を出て、自転車を押しながら30分程山道を上って奄美少年自然の家へ。朝仁トンネルが出来るまでは、この山道がメインの道路だったらしい。今ならトンネルを通って長浜入り口から朝仁の海岸まで自転車で15分くらいだと思うが、トンネルの無かった頃は1時間ほど山道を上り下りして行き来したのかも知れない。
 10時になって、しめ縄作りがスタート。3人の指導員の方の中に、14日に開催された「ふたご座流星群を見よう」で星座についてのレクチャーをされた方がいらしてビックリ(笑)。多才です。
 藁をよってねじって縄を作り、三つ編みにしてたれを付ける。はっきり言って、しめ縄作り難すい(;´Д`)。門松も最後に男結びで巻いた藁を縛るのが難しかったですが、今回は最初から最後まで難しい。右左、2人の指導員の方に手伝ってもらって、ようやく完成。自分の手先の不器用さを思い知りました。

 正月飾りについてのチラシを戴いたので、少し抜粋。
Q:なぜ、しめ縄を飾るの?
A:しめ縄とは、神事の神聖な場所や領域を示す目印として用いられます。新年にしめ縄を飾るのは、古い年の悪や不浄を祓い清める意味で飾ります。

Q:なぜ、門松を飾るの?
A:神様がお正月の日に地上に降りてくるときの目印です。新年を無事に迎えるための魔除けで飾るしめ縄とは目的が違います。

Q:しめ縄や門松は、どれくらい飾っておけばいいの?
A:飾り付けは、25日以降に設置される場合が多くみられます。29日は「二重苦」、また、9の末日でもあるので「苦待つ」と解釈されるため避けることが多いようです。さらに、31日は「一日飾り」といって神様をおろそかにするということから、25日〜28日か30日に飾るのがよいとされています。飾りをはずすのは、1月7日の「七日正月」を併せて7日までを「松の内」と呼ぶことが多く、7日にはずすことが多いようです。15日の小正月まで飾る地域もあります。 

しめ縄の藁
作業風景
完成した、しめ縄
↑しめ縄作りの第一歩は、加工しやすいように藁を叩いて柔らかくする事から。 ↑体育館での作業風景。手前がしめ縄作り、奥が干支の兎作り。 ↑完成したしめ縄。自分でやったのは全体の15%程か(汗)。
 せっかく山を上って来たので、隣のあかさき公園の展望台で少し写真を撮ってから、山道を一気に自転車で駆け下りる。気持良す。
 しめ縄作りに思っていた以上に時間がかかったので、市街のホテルのレストランで急いで昼ご飯。鶏の照り焼き丼+ミニそば+ドリンクセット480円。
 自転車で県立奄美図書館に向かい、借りていた本から読み終わった3冊を返し、2時から開催される生涯学習講座「奄美の食材について〜作って伝えたい正月料理〜/郷土料理研究家・丸田 京子先生」を受講。
 奄美の食材や、正月料理のレシピを書いたテキストをもらい、それを見ながら先生のお話しを聞く。
 奄美の正月料理は三献(サンゴン)で始まり、お屠蘇、塩盛・干ものと続く。三献は、一の膳が魚と餅の吸い物、二の膳が刺身、三の膳が鶏肉の吸い物(地域により、豚や猪でも)。塩盛りは結び昆布を松になぞらえ、裂きいかを波にたとえて並べ、お屠蘇の次に配る。
 年越しそばはなく、大晦日は豚骨料理を食べるそうです。テキストから引用すると「大晦日クンチ(九日のことで旧暦の大晦日は大体29日であることから)、またはトシヌユ(年の夜の意)といい、年越肴をクンチのウワンフネと呼んで豚骨と野菜で、必ずつわを入れ、そのほか大根や人参、昆布、にんにくの葉などいっしょに煮込んで味噌やしょう油で味付けし、食べる習わしである」。
 テキストには、他にも奄美の年中行事とその時の料理のことが書いてあるので、資料性がありますね。
 元旦にお雑煮を食べる風習はなく、11日(鏡開き)に雑煮、またはぜんざいを食べるそうです。
あかさき公園の展望台から

←あかさき公園の展望台から。山の向うは大浜海岸かな?他にもこちらに何枚か。

↓今日、新たに借りて来た本。『レフト・アローン/藤崎慎吾』(ハヤカワ文庫)を購入リストにリクエストして来た。

借りて来た本
 生涯学習講座の後、新たに本を3冊借りる。「夢から来た景色 沖縄・奄美・吐噶喇列島1988〜2000/上西 重行」(ボーダーインク)、「松田幸治写真集/奄美の世界」(西日本新聞社)、「いれずみ(文身)の人類学/吉岡 郁夫」(雄山閣出版)。
 図書館の帰り、ガス料金を払いに行き、スーパーで1匹250円のインドネシア産のアサヒガニを買い、八百屋で野菜色々とポンカンを買った。晩ご飯のメインは、アサヒガニの鍋。

→30個入りのポンカンが150円。島バナナが終わり、今はポンカンが店先に積まれています。来年になれば、タンカン。食べたこと無いですが、どんな味でしょう?
ポンカン
 昨日から明日19日まで、浅草寺の羽子板市ですね。ここ最近は毎年行っていて、羽子板市を散歩する度に師走を感じてもいました。これまでの羽子板市の写真はこちらに。

12月16日(木)

 冬将軍の到来で、九州でも各地で初雪が降ったとか。奄美も最高気温が14℃と寒い一日。今日から暖房デビュー。
 朝、ゴミを捨てるついでに石油ファンヒーターの灯油タンクも持って出て、隣のガソリンスタンドで灯油を入れてもらう。18ℓのポリタンクがないので、ファンヒーターの灯油タンクに直接入れてもらったのですが、エレベータ無しの5階なので、この方法も良いかもしれませんね(*´д`*)。18ℓを持って5階は、ちょっとタイヘンだと思う(;´Д`)。
石油ファンヒーター

 夜、NHKで『ブラタモリ』。今回は「本郷台地 完全版」。オープニングが湯島天神で、根津、谷中、本郷三丁目、菊坂、聖橋が登場。今年の3月まで、しょっちゅう散歩していた場所だけれど、随分昔のことで遠い所に思える。

「ユタのノート/阿世知照信記」から気になった箇所を抜粋
*手書きの文章をコピーして綴った本で、読めない文字は●にしました。

種下し祭伝説(九月)
享保十一年の大飢饉祈願祭が豊年作記念となり特に竜郷笠利方面は種下し祭が現在も盛んに行続いてある陰暦九月中旬(昔は庚申カネサルに初まる)特に地元の安木屋場は平家時代の諸鈍のように仮装祭は中期頃から消えて豊作祭踊りが部落の資金逹踊に変ったように舞踊る女達は五色七色のタツキハチ巻をかならず色合せて踊るならわしが昭和初期頃から消えしかし平家教えの顔面上に悪魔除きの墨を付ける仮装踊が僅かながら残り享保時代と庚申祭期と合せて踊祭が残されてある(島一番であり保存されるべきである)
毎年九月九日の神社大祭前に種下せ祭は禁じられてあり明治中期頃迄は七名の(清肌)女子達が赤青白緑黄紫空と眞太陽の七色と虹のハチ巻タツキを掛け合し豊作餅を供えて願い神主と共に神社より部落に神をお迎して各一軒々西より東方に廻り災難漕難疫病●●●祟り一切を除き無病息災を祈り海幸山幸土地幸まいた種が五穀豊穣萬民快楽也りの大飢饉祈願祭が記念成り地元竜郷村と特に安木屋場部落は神社祭と共に続残り盛上り初まったとも伝わる

種下し祭り踊歌の内訳(ノロ神式の部)
○種下参銭<タネオロサンセン>餅<モチ>もれが来<キ>やようてなあ
(種下し豊作祭りの神様の為にお参銭と餅を貰いに来ました)

○餅<モチ>くわ下<クレ>てぃたぼれ祝<ユワ>ておしようろう
(餅を下さい豊年のお祝の祈りにお供えします)

○ありゃ殿参銭<ドンサンセン> こりゃ殿参銭<ドンサンセン>
(あの家もこの家も豊作餅とお参銭は豊作祈願の殿<トネ>神様の御礼お供えの為に)
と一軒々廻る家の門に入り最初に歌踊り
初めに貰うお参銭と餅は殿<トネ>神様に各家の豊年豊作と無病息災祈願祭り祝の為後から出る数々の御馳走は踊子達が戴き●●時程色々な踊り祝歌をして終わりに

○おぼこり(い?)る ありようる
(有難い事がありますように)

○家宝者儀<カホシャギ>る成<ナ>りようるな
家の宝者儀式踊り祝いに成りますように(果報)

○来年<ヤネ>ぬ稲<イネ>がなし畔枕<アブシマクラ>
(来年の稲穂かなしも首が重くて田畔枕する程実るように)
祝祭の歌踊りのようである。
昔は殿<トネ>祭りの庚申<カネサル>に合し初まったとも言う

12月15日(水)

 ヤフーの天気予報では最高気温18℃、テレビの天気予報では16℃。20℃を下回るとグッと寒く感じますね((;゚Д゚)ガクガクブルブル。一日中、大人しく部屋に籠ってパソコンで作業。昼ご飯の主菜はステーキ、副菜は肉豆腐。晩ご飯の主菜は肉豆腐、副菜は餃子。コテコテです(笑)。

 昨日はふたご座流星群を見ようと、天体ドームが解放される奄美少年自然の家のイヴェントに出かけましたが、あいにくの曇り空で流星は見れず。先日の田中一村展をご一緒した栄さん、小辻さんと3人で星空観察の代りに、職員の方から星座についてのお話しを聞いて帰って来ました。

少年自然の家で星の話し
天体ドームで記念写真
↑室内で星座についてのレクチャーを聞いて来ました。→せっかくなので天体ドームで望遠鏡と一緒に記念写真(*´д`*)。

 赤尾木から名瀬に向かう部落のはずれ、国道の左手に星窪という地名がある。大きな窪地になっている。昔、隕石が落ちたところだといわれ、最近また話題を呼んでいる。
(ネリヤへの通い路)より

 と言うのを12月9日に「奄美の伝説・日本の伝説23/島尾 敏雄・島尾 ミホ・田畑 英勝」(角川書店)から引用しましたが、「奄美大島 星窪」で検索すると赤尾木湾もまた隕石が落下してできた隕石孔(クレーター)であるかもしれないという説があるようですね。詳しくはこちら
 また、SF作家の藤崎慎吾さんが短編集『レフト・アローン』(ハヤカワ文庫)の中で、「星窪」と題した短編を発表されているようです。面白そうだな〜。奄美図書館にあるかな?借りて来なくては。

13日の朝焼け

←は、最高気温26℃と暖かかった一昨日の朝焼け。奄美は、雲を見てるだけでも飽きない(*´д`*)。
 朝焼けと、朝の名瀬港の写真を何枚かPhoto Albumにしました。こちら

 ところで宇宙の果てはどうなってるんでしたっけ?星の話しを聞きながら、久しぶりに子供の頃の疑問を思い出した。検索するとサイトはあるのですが、誰か簡潔に教えて下さい(笑)。

12月12日(日)
 昨日あたりから、また少し暖かくなった気がする奄美。今日の最高気温は21℃、明日は26℃の予想です(゜▽゜*)。まったく師走という感じがしないのですが、奄美少年自然の家で開催された「クラフトふれあい教室」に参加してミニ門松を作って来ました。
完成した門松
門松の制作の様子
↑門松の制作風景。9時30分の予定が、10分ほど遅れてスタート。終了時間は12時ですが、早く完成する人もいれば、時間オーバーの人も。私も時間オーバーして完成。

↑完成したミニ門松。材料代は300円。のこぎりを使ったのは、何十年ぶりだろう???飾りは松と、ゆずり葉。これに梅を足せば松竹梅が揃います。大掃除も済んで門松もできて、着々とお正月を迎える準備が(*´д`*)。やっぱりしめ縄も作りに行こうかな(笑)。

 門松作りが終わって部屋に帰って来たら、連絡が入って急遽大和村の方へ出かけることに。
 「奄美の自然を考える会」の事務局長・栄さんと、日本野鳥の会鹿児島の恵沢さんに連れられて大和浜の集落へドングリを穫りに行く。なんでドングリなんだろう??と思いながら付いて行きましたが、大和浜には天然記念物にもなっているオキナワウラジロガシ林があって、日本最大級のドングリが穫れるということらしい。
 ドングリがあるのは急な山の上の方なので、ドングリはお二人にお任せして私は集落を少しだけ散歩。今年はあんまりドングリは無かったようですが、見せてもらったらやはり大きいですね。

朝焼け
ドングリ
老人クラブの忘年会
↑門松作りに参加するため早起きしたら、久しぶりに朝焼けが見れました。 ↑左が日本最大級の、オキナワウラジロガシのドングリ。 ↑湯湾釜の老人クラブの忘年会。私も初めてゲートボールに挑戦。難しい(汗)。
 大和村へ来たので、先月ムチムレ踊りを撮影させていただいた湯湾釜の集落に寄って、あの時に撮影したムチムレ踊りの写真をプレゼントする。ちょうど集会場では老人クラブの忘年会があり、またまたお酒と料理をご馳走になり、初ゲートボールに参加してきました(*´д`*)。
 朝焼けから門松、ドングリ他、今日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
12月11日(土)

 午後から、久しぶりに名瀬市街を散歩。自転車を図書館に停めて、古見本通り沿いの古田町、真名津町、平田町、石橋町を歩く。途中スーパーで買物もして、2時間半ほど住宅地をぶらぶら。帰りに10個250円のたこ焼きを買って帰る。
 たこ焼きだけだと直ぐにお腹が空いて晩ご飯にならないので、お好み焼き粉で豚玉を一枚作って食べる。粉ものとソースが食べたくなるのは、てっぱんの影響か(笑)。

 郵便ポストに「奄美紅白歌合戦」のチラシが入っていた。12月25日(土)に奄美文化センターで開催されるそうです。
 チラシから転載。
奄美の音楽文化の一年間の集大成として、この一年あるいは、これまで活躍されてこられたアーティストを中心に歌の祭典を行います。この名称を『奄美紅白歌合戦』と銘打ち、NHK紅白歌合戦に対抗すべく奄美の特性を打ち出し全国に発信してまいります。日本国内初の地域における地域の為の紅白歌合戦とし、地元の皆さんに楽しんでいただきます。

 素晴らしい意気込みです(*´д`*)。

お散歩スナップ
 本日のお散歩スナップを、Photo Albumにしました。こちら
12月9日(木)

 一昨日から、最高気温が20℃に届かない寒い奄美です(;´Д`)。
 師走という感じはしませんが、今年は早めに済まそうと昨日から大掃除を開始。海に近い部屋なので潮風が入り、フローリングの床が直ぐにネチャネチャしてきます。スポンジに洗剤を付けて汚れを落とし、その後タオルで拭いていきますが、けっこう大変。
 とりあえず夕方までには床磨き、水回りとガスレンジ周辺の掃除が終了。今年の大掃除、こんなところで大丈夫でしょう(*´д`*)!

「奄美の伝説・日本の伝説23/島尾 敏雄・島尾 ミホ・田畑 英勝」(角川書店)を読んでいる。初版が昭和52年10月10日なので、33年前に書かれた本なのですが面白い。まだ読んでいる途中ですが、いくつか抜粋。

 用部落の後方シュチャ坂(びら)からの景観は後ろ髪引かれるばかりの佳景である。
 坂を上り、バスで十二、三分ゆられていくうちに海は太平洋から東シナ海に変わる。その最初の部落が佐仁である。用の静かなたたずまいに対して、部落全体がはなやかな明るさを感じさせる。部落の顔であろう。佐仁プルシキとでもいわれそうなP音が大島本島ではここだけに残っているとはいささか裏腹な感がしないでもない。
(後生が穴)より

 赤尾木から名瀬に向かう部落のはずれ、国道の左手に星窪という地名がある。大きな窪地になっている。昔、隕石が落ちたところだといわれ、最近また話題を呼んでいる。
(ネリヤへの通い路)より

 戸口の地名について、平家が喜界島から海の彼方に大きな島をみつけ、あの島へ渡ろうといって渡ったのがこの戸口であった。それで大島で平家が初めて上陸した入口の島という意味で戸口と命名したと伝説は語っている。
 奄美では北のことをニシという。これもキタというと平家の落人たちが源氏の追手が来たと間違えるので北をニシというのだという。
(戸口の平松)から

 名瀬の中央に突き出た山がおがみ山。島人たちの心のよりどころで、御神山か、拝山かでにぎわった山であるが、名瀬の古い人たちは漢字とは関係なくうぐん山といっていたようだ。「うがん山」か「うぐん山」かはさておき、見ただけで神山としての山容をそなえている。大正の末頃まではこの山頂の草むらに小さな自然石があった。どんな神であったかはわからないが、ここが伊津部ノロの神山であったことを考えれば、これがいわゆるイビであったのではなかろうかと思われる。
(三日打ちごもり)より 

鯨松の岩
 大川の川口近く、名瀬勝寄りの海岸に鯨松という枝振りのよい松の生えた岩がある。
 昔、名瀬勝の金比羅の神(男神)と小湊の厳島の神(女神)とが、沖の方から松の木の生えた岩を背負った鯨が小湊の海岸に向かって泳いでくるのを見た。二神はその岩を自分のところに招き寄せようとしきりに招きあった。すると鯨がだんだん厳島の方に寄っていった。金比羅の神が厳島の神に腰紐が解けていることを告げた。厳島の神が驚いて腰紐をなおしている間に金比羅の神が自分の方に招き寄せてしまい、現在のところにきて止まったのだという。
 鯨は男神の立っていた岩の下敷きとなって死んでしまった。それからは正月ごとに小鯨たちがたくさんやってきてこの岩の近くで泣いていたという。岩の上の松も昔ながらの松で、大きくもならず立ちつづけている。
(古見の七不思議)より
↑は鯨松が生えていた岩。先月の28日に撮影。ネットで検索したところ、鯨松は1981年夏に枯死。翌年、名瀬勝の有志によって二世の松が植樹されたとあります。

→鯨松の岩の近くにあった、金刀比羅神宮。
金刀比羅神宮

 奄美大島というのは、よく岩やら島が流れて来たらしく、他にも色々と伝説が残っています(*´д`*)。

 昔、大棚と志戸勘との間のシノビラで、志戸勘ノロ、今里ノロ、名音ノロの三名が、沖から流れてくる岩を見て、それぞれの神の名をとなえて手招きをした。ところが志戸勘ノロは印判ノロ(琉球王朝からのノロの辞令をもっているノロ)で、高神だったので志戸勘の沖にきて止まったといわれている。
(今里立神)より

 山間から戸玉を過ぎて市に向かうとまず目につくのが、市の沖のトゥブラ島である。この島もまた流れ島で、昔、喜界の方から流れて来たのを、市の神様と、山間の神様とで招きあい、市の神様が勝ったので市の沖に来て止まったといわれている。
(豪傑イシャラダラホ)より

 昔、琉球王がオランダ王(一説には大和朝廷)にハブを贈ったとき、大島海峡でその船が遭難し、ハブを入れたかめが枝手久のオキというところに打ち上げられて、そこから大島、徳之島に広がったのだといわれている。
 枝手久と宇検の間に小さな小島がはさまっているが、これもまた流れ島で、宇検ノロより久志ノロの力が強く、久志ノロが招いたら現在のところまで来て止まったという。
 ノロ神の神力は流れる島をも止めることができると信じて疑わなかったから、このような話の類型が飽きることなく語り伝えられたのであった。島で鯨を捕獲することがあったが、その場合でも人々はどこそこのノロの印判(所有権を標示する)が押されていると語り、その分配も、当然ノロの手によってなされるべきものだと信じて疑わなかった。
(ケンムンの嫁入り)より

12月7日(火)

 外はビュービューガタガタ。北西の風が強く、最高気温も18℃。部屋にいても、暖房がないとTシャツにトレーナーではちょっと寒い。しばらく20℃を下回る日が続くらしい。いよいよ石油ファンヒーターの登場か?

 昨日は、奄美夕日マニア写真倶楽部の第1回撮影会を開催しました。8月19日にミーティングを行って以来活動をしていなかったのですが(汗)、ようやく本格始動?
 天気予報では雨が降ると言っていたので、夕焼けは期待しないで出かけたのですが、日頃の行いが良かったせいか素晴らしい夕日が見られました。
 予定では、太平洋と東シナ海が一度に見渡せる屋入峠へ行くはずが、途中の道路が土砂崩れで通行止め(;´Д`)。急遽撮影コースを変更し、ばしゃ山近くの海岸〜笠利のカトリック教会の墓地〜用岬〜佐仁。佐仁の海岸から、東シナ海に沈む夕日が撮影できました。
 帰りは、龍郷町のジョイフルで今後の活動方針をミーティングしつつ晩ご飯 。思いがけず素晴らしい撮影会になりました(*´д`*)。

→笠利にあるカトリック教会の墓地。初めてバスの窓からこの十字架の並ぶ墓地を見た時、きれいだな〜と思った。撮影したかった場所の一つです。
笠利のカトリック教会の墓地
佐仁からの夕日
↑佐仁の海岸から撮った、東シナ海に沈む夕日。この撮影会で撮った風景写真を、Photo Albumにしました。こちら
笠利崎灯台
灯台にてなっつんさん
佐仁にてなっつんさん
↑奄美大島の北部、用岬にある笠利崎灯台からの眺め。 ↑灯台にて、奄美夕日マニア写真倶楽部の部員第1号のなっつんさん。 ↑佐仁の海岸にて、東シナ海に沈む夕日を撮影するなっつんさん。
12月4日(土)
アバス鍋
鳥しんで記念写真

 伊津部町の鳥しんさんで、忘年会。メインはアバスと地鶏の鍋。アバスはハリセンボンの事です。フグの仲間で、なかなか美味しい(*´д`*)。皿の右側がアバス、左側が地鶏。

←お店の前で記念写真。栄さんご家族、松元さんご夫婦、先日一村展をご一緒した小辻さん、写真家の常田さん、歯科医の西さんご夫婦、地元ホテルの支配人・田中さん、鳥しんのご主人。
↓鳥刺し、鳥団子、串焼き。他にもパパイヤサラダなど。最後は雑炊です。

鳥しんの料理
 7時にスタートして、私は後半少しウトウト(汗)。気がつけば10時半。話に夢中であっという間でしたね。また飲みましょう(*´д`*)。
12月3日(金)

 うかうかしている間に師走になってしまった(汗)。100円ショップのオネーさんはサンタの赤い帽子をかぶり、レジの横には小さな鏡餅が並べられている。
 少しずつ街はクリスマス仕様になっていますが、どうもまだピンとこない(;´Д`)。天気予報によれば、昨日より3℃下がったらしいが、それでも21℃。部屋に居る分んには長袖のTシャツ一枚で過ごせます。
 富山から奄美大島に向かったのが5月30日。もう半年が過ぎた。奄美に着いて部屋を借りてからも、あと2週間ほどで半年になる。7
 この何日間か部屋にこもって、奄美に来てから撮った何千枚(?)の写真からセレクトして200枚ほどをポストカードサイズにプリントした。
 パソコンのディスプレーで見るだけでは物足りなく、プリントしてみなくては気が済まない。アレコレ並べ替えてファイルに入れて通して眺めると、自分の嗜好がなんとなくわかってくる。

12月1日の朝仁海岸
朝仁海岸の猫

←↑一昨日、スーパーへ買物に行く途中に寄った朝仁海岸。どんよりとした空と海も嫌いじゃない。親猫はなついて触らせてくれますが、子猫は逃げちゃいますね。

→昨日、今日とひたすらプリント。奄美に来てから取り替えたインクが13本。フォトブラック(2)、グレー(1)、ライトグレー(1)、シアン(1)ライトシアン(2)、マゼンタ(1)、ライトマゼンタ(3)、イエロー(2)。

使用済みのインク

 市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦2月3日(木)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(日)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(金)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月18日(金)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦4月5日(火)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月6日(月)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月6日(土)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月12日(金)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦8月14日(日)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月5日(月)
○アラセツ(※2):旧暦8月11日→新暦9月8日(木)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月12日(月)
○シバサシ:旧暦8月17日→新暦9月14日(水)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月5日(水)

※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定) 等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。旧暦8月最初の丙の日が旧暦8月1日になった場合,前日のツカリの日は旧暦7月になってしまい、一連の行事が月をまたがってしまうことになる。このような場合には次の丙の日がアラセツ行事を行う日となるようです。(平成16年にも同じことがありました。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

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