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○1月23日(木)〜3月23日(日) 森山大道 終わらない旅 北/南 沖縄県立博物館・美術館
(関連催事)
*1月25日(土) シンポジューム 14〜18時
*3月2日(日) アーティスト・トーク 森山大道氏 15時〜16時
*2月8日(土) ギャラリー・トーク 玉城惇博氏 14時〜15時
*3月9日(日) ギャラリー・トーク 仲里 効氏 14時〜15時
*2月15日(土) キュレーター・トーク 新里義和 11時〜12時
*1月28日(火)〜2月1日(土) 森山大道 新作映像プログラム(5本)予定 18時〜
*1月21日(火)〜1月26日(日) ポートフォリオレビュー展覧会
*1月24日(金) ポートフォリオレビュー批評会(公開) 15時〜16時

○1月27日(月) みんなでどんとをうたおう!カフェユニゾン
○1月30日(木) 旧暦12月30日 年の夜(トゥシヌユル)
○1月31日(金) 旧暦1月1日 お正月
○2月1日(土) 初起し(ハチウクシー)
○2月8日(土)〜2月9日(日) 伊江島 村産業まつり
○2月8日(土)〜2月23日(日) 伊江島 ハイビスカス祭り
○2月9日(日) 国際通りなんじぃジャック
○2月11日(火) 県庁前Picnic! &国際通り高江サウンドパレード
○2月11日(火)〜15(土)金城哲夫 生誕75周年祭/南風原文化センター
○2月12日(水) 若狭図書館本の返却期限
○2月14日(金) 午前10時〜議会傍聴 12時15分〜45分沖縄県庁取り囲み
○2月15日(土) 玉城朝薫と組踊/大城学氏 沖縄県立図書館3階ホール 10時〜12時
○2月15日(土) 十六日
○2月19日(水) 二十日正月(ハチカソーグヮチ)辻ジュリ馬行列
○2月21日(金) 辺野古埋立承認問題等調査特別委員会 証人 仲井眞弘多・沖縄県知事 10時〜
○2月21日(金) 「琉球の花街 辻と侏りの物語」(榕樹書林)刊行記念 じゅり馬・春駒実演会/午後1時〜ジュンク堂書店地下1階イベント会場
○2月28日(金)〜3月2日(日) 宮古島観光・物産と芸能フェア/沖縄タイムスビル
○3月5日(水) サンゴの日 慶良間諸島が31番目の国立公園に正式に指定される
○3月5日(水) 「沖縄」そして「日本」における米軍基地問題とは何か 登壇者・鳥越俊太郎、長元朝浩 コーディネーター・猿田佐世/タイムスホール 18時開場 参加費1000円(学生500円)
○3月8日(土) シンポジウム 沖縄の文化表象に見るジュリ(遊女)の諸相/沖縄県立博物館・美術館 午後2時〜6時。
○3月15日(土) 旧暦2月15日 二月ウマチー 麦の初穂祝い
○4月2日(水) 旧暦3月3日浜下り
○4月5日(土)〜19日(土) 清明(シーミー)
○4月13日(日) 第6回 コザ・てるりん祭 午後2時〜/沖縄市中央パークアベニュー
○4月14日(月) 旧暦3月15日 三月ウマチー 麦の収穫祭
○4月29日(火) 旧暦4月1日 南城市大里 ミーミンメー 記事*要確認
○6月1日(日) 旧暦5月4日 ユッカヌヒー 大嶺の地バーリー 記事*要確認
○6月12日(木) 旧暦5月15日 五月ウマチー
○7月11日(金) 旧暦6月15日 六月ウマチー
○7月21日(月) 六月カシチー

与那国島の奇祭マチリ・カンブナガ 参考資料 与那国の行事について
○12月20日(金) クラブマチリ
○12月21日(土) ウラマチリ
○12月24日(火) ンディマチリ
○1月11日(土) ンマナガマチリ
○1月12日(日) ンダンマチリ
○1月13日(月) アンタドゥミ

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
宮古島・宮古協栄バス
宮古島・八千代バス
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
安栄観光フェリー
八重山観光フェリー
石垣島ドリーム観光
スカイマーク
ピーチ
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

2月28日(金)

 昨日、一昨日と2日続けてトンカツを食べたので、運動しないと(汗)。
  今日のお昼12時から嘉手納町にある沖縄防衛局前で、北部訓練場のヘリパッド建設に抗議する集会があるので、運動を兼ねて那覇から自転車で行ってみる。参加して何ができるわけでもないが、頭数になるだけでも少しは意味があると思っている。
 早めに起きたがおにぎりを作ったりしていたら、部屋を出るのが10時半過ぎになってしまった。外は快晴で、半袖のTシャツと半ズボン、帽子を被って出発。泊市場、国立劇場おきなわの前を通り、キャンプ・キンザーの脇道を抜けて国道58号へ。後はひたすら真っ直ぐ走る。
 家を出るのが遅かったので北谷のあたりで12時半になっていた。抗議集会が12時からで、13時から代表者が防衛局への抗議の申し入れをすることになっている。着く頃には誰もいないかもしれないが、行くだけ行ってみる。

壁のペイント
ジョギング
沖縄防衛局前での報告

 嘉手納基地に来ると、戦闘機が離発着の訓練をしているので暫く様子を見ながら撮影。
 お腹が空いたので近くのショッピングセンターでトイレ休憩を兼ねて、持ってきたおにぎりとタンカンを食べる。
 結局、沖縄防衛局前に着いたのは13時50分頃だった。寄り道したのもあるが、那覇から嘉手納のロータリーまで自転車で3時間以上かかった。

 防衛局の玄関前や芝生には、申し入れをしに中に入った代表を待つ人達が座っていた。14時を過ぎて、代表の方たちが防衛局を出てきた。建物の前にある芝生で車座になり、報告を聞く。
 辺野古移設の影に隠れる感じで、あまり取り上げられない東村・高江村のヘリパッド建設問題の詳細はやんばる東村 高江の現状で。高江を舞台にしたドキュメンタリー映画「標的の村」が全国を巡回している。
 報告を聞いた後、国道58号をまっすぐ走って那覇に帰る。今日一日で、6時間ほど自転車に乗っていたかな。
 防衛局への申し入れの様子が、こちらこちらに掲載されています。
 夜のニュース番組で、ネット上の仮想通貨ビットコインの大手取引所であるマウントゴックスが、東京地裁に民事再生法の適用を申請したと報じられた。記者会見でカルプレスCEOは「システム的に弱いところがあり、ビットコインがなくなった」と話していたが「なくなった」に聞こえて、足の生えたお金が走って行く可愛らしい絵柄が頭に浮かんだ。それにしても泡のようなお金だな。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

2月27日(木)

 今帰仁村へ元旦の新春闘牛大会を見に行ったのはついこの前だと思っていたが、明日で2月も終わりだという現実。なんだか凄い勢いで月日が、時間が流れて行く。
 不動産管理会社へ3月分の家賃を払い行った帰り、お米が無くなりそうなのでスーパーに寄って5キロ1780円と安かった福井産のコシヒカリ、1玉99円のキャベツ他色々買って来る。
   
 昨年の9月26日に撮影したミャークヅツ2日目、ンナカヌヒの写真をPhoto Albumにしました。枚数が多いのでに分けました。001〜017は池間島、018〜163は宮古島・西原の様子です。
男たちのパレードをジャーに導く神司。
↑パレードの男たちをジャー(アシビナー)に誘導する神司。↓ジャーで古謡を歌う村山キヨさん。
ジャーで古謡を歌う村山キヨさん
 NHKの籾井会長が理事10人に日付の入っていない辞表を提出させていた事が、25日の衆院総務委員会で分った。昨日は「一般的によくあること」と答弁し、今日は「それぐらいの覚悟でやってほしいという気持ちだった」と述べた。ブラック企業かよ。今後、混乱を招いた従軍慰安婦等の発言についてテレビ放送などを通じて視聴者に説明する機会を設けたいとしているが、発言すれば余計に混乱を呼びそうだ。
 ビットコインの大手取引所であるマウントゴックスが、全ての取り引きを停止したことで波紋が広がっている。ビットコインと円天の差異がわからない。

2月26日(水)

 2週間前に電話で延長を申し込んだ本の返却期限が来たので、軽いサイクリングがてら自転車で若狭図書館へ。今日は、南からの風が暖かい。半袖のTシャツに薄いヨットパーカーを羽織ってきたが、そろそろ昼間はTシャツだけで過ごせそうだ。
初来日のストーンズの記者会見

 図書館の帰り、途中にある言事堂という小さな古本屋さんに寄ってみる。「母なる神/比嘉康雄」を探してみるが無かった。この本は回顧展の図録として販売されたが、写真展から年数が経っていないので、まだ古本屋には出回っていないのかもしれない。

 今日からストーンズの来日コンサートが始まった。ミックもキースも70歳か。凄い!
←は、初来日時の記者会見。1990年2月9日に撮影。

 昨年9月25日に撮影したミャークヅツ(アラビ)の写真をPhoto Albumにしました。こちら。01〜03、57、58は宮古島・西原、04〜56は池間島の様子です。
池間島のミャークヅツ01
↑前里ムトゥにて、長老の前で踊りを披露する男性。↓水浜広場にて、ウハルズ御嶽に向かってニガイをする神司たち。
池間島のミャークヅツ02

2月24日(月)

 暑くもなく寒くもなく、青い空が広がっている。お散歩日和だ。昨日、一昨日と部屋での作業をしていたので、午後からお出かけ。
おもろまち駅前
ゆいレール
運転席の後ろから
↑おもろまち駅前。
↑ゆいレール。
↑運転席の後ろから。
 食品トレーとペットボトルが溜まったので、自転車で新都心のスーパーへ持って行く。そのままモノレールのおもろまち駅へ。駅に自転車を置いて、ゆいレールで首里駅に向かう。
 首里駅から首里城公園の南に位置する赤田町へ。ここは一昨年の夏にミルクウンケーを見に来て以来だ。前からもう一度歩きたい町だったので、今日のお散歩の場所にした。
 ミルクウンケーのスネー(道ジュネー)の時に歩いた道を記憶の中から辿るが、よく分からない。それでも幾つか見覚えのある家を発見した。赤田町の路地を歩いていると、いつの間にか崎山町に入る。崎山公園は昨年のムーチーの日に散歩に来たことがあるが、赤田町と崎山町がこんなに近いとは思ってもみなかった。
お散歩スナップ

 崎山公園で家から持ってきたタンカンを食べて水分補給し、また赤田町の方へ。ミルクウンケーの祭場だった赤田倶楽部はどこだっけ?とグルグルまわってようやく発見。お祭りの時は入口や建物に紅白の幕が掛けられていたが、普段の赤田倶楽部には当然無く、気づかずに何回か通り過ぎていた。
 地域の公民館として使われている赤田倶楽部は、琉球王朝時代の高級女神官の一人、首里大阿母志良礼の住居(殿内)だった所。入口の説明板には、↓こう書かれている。

 琉球王朝時代の高級女神官の一人「首里大阿母志良礼(シュイウフアンシタリ)」の神殿及び住居跡。
  尚真時代(1477~1526)、琉球王国の神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君(きこえおおきみ)」の下に、首里(シュイ)、真壁(マカン)、儀保(ジーブ)の三人の「大阿母志良礼」(おおあむしられ)が置かれた。3人の「大阿母志良礼」は、聞得大君を補佐して国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願するほか、琉球国中の御嶽・神女を3分割して所管した。
「首里大阿母志良礼」は、首里の南風之平(フェーヌヒラ)等(現大中・桃原・当蔵・赤田・崎山・鳥堀町地域)を始め、斎場御嶽(セーファーウタキ)や久高島のある知念間切、尚円王統初代の尚円ゆかりの伊是名島など王国祭祀で重要な地域の御嶽や神女(ノロ)を管轄した。
 廃藩置県(1879)の後、首里・真壁・儀保の3つの殿内の神殿は天界寺(ティンケージ)跡の一角に移され、1つの建物にまとめられて「三殿内(ミトゥンチ)」と呼ばれた。首里殿内跡は大正初期に払い下げられ、敷地の一部は赤田倶楽部(公民館)となり、1921年(大正10年)に結成された首里三箇(赤田・崎山・鳥堀町)の中学生会「三星会」の集会所としても利用された。
 赤田町には旧暦7月16日に弥勒神が町を練り歩く「ミルクウンケー」という行事が古くから伝えられ、この行事を歌ったわらべ歌「赤田首里殿内」は広く親しまれている。

↓赤田倶楽部(首里殿内跡)。→儀保殿内跡。
儀保殿内跡
赤田クラブ

 赤田町から首里城公園の中を少し散歩。もう2時間以上歩いている。さすがに歩き疲れたのでモノレール駅へ。おもろまち駅から首里駅までは260円だったが、一つおもろまち駅寄りの儀保駅からなら220円になるので40円節約のために歩く。途中に儀保殿内跡を発見。現在はライオンズマンションになっていた。
 儀保駅からゆいレールで、おもろまちへ。自転車で新都心のスーパーに寄って買い物をして帰る。

 ソチオリンピックが終わった。リアルタイムで競技を観ることはなかったが、スキー・ジャンプの葛西紀明選手、モーグルの上村愛子選手、フィギアの浅田真央選手らの場面は印象に残っている。とりわけメダルを取れなかった上村、浅田両選手に強く魅かれた。勝ち負け以上の物語に、心を躍らされた。 
 1964年の東京オリンピックはまるで記憶にないが、1972年の札幌オリンピックはトワ・エ・モワのこの曲(You Tubeから)とともに微かな記憶が残っている。小学校の授業時間に、みんなでテレビを観た気がする。

 本日のお散歩スナップをPhoto Albumにしました。こちら

2月21日(金)

 日差しはもう春、風はまだ冬。久しぶりの快晴だが、空気は少しひんやりとしている。そんなお天気。
  辺野古埋立承認問題等調査特別委員会(百条委員会)が、一昨日から始まった。今日は仲井眞知事の証人喚問なので、午前10時少し前に議会に見に行くが、既に傍聴席はいっぱいだった。議会棟1階のロビーで中継するというので、同じく入れなかった人達と一緒にプロジェクターで議会の様子を見る。
 本会議場は傍聴席がたくさんあるが、百条委員会が行われる委員会室の傍聴席は僅か15席だそうだ。
百条委員会
県庁前広場抗議行動

 1時間半ほど質疑の様子を見ていたが長い休憩に入るという議長の案内があり、次の審議は午後1時20分だというので外に出る。
 県庁前広場に行くと、旗や横断幕を持った人達が集まり出していた。今日も12時15分から30分間、抗議集会が行われるという。

*沖縄タイムスの記事
*琉球新報の百条委員会の動画

 抗議集会の最初の方だけ撮影させてもらって、自転車でジュンク堂へ向かう。
 一昨日の辻の二十日正月・じゅり馬行列の日に合わせて、春駒じゅり馬民俗芸能研究会の浅香怜子さんの著書「琉球の花街 辻と侏りの物語」が榕樹書林から発売になった。今日はその発売を記念して、13時からジュンク堂の地下1階のイベントスペースでじゅり馬と春駒の実演が行われる。
 ちなみに本の表紙に使われている写真は、昨年の二十日正月に私が撮影したじゅり馬行列です。
本
サイン
↓オリジナル写真。先頭で踊っているのが浅香さん。
オリジナル写真
↓ジュンク堂にて、じゅり馬の実演。中央で踊っているのが浅香さん。
浅香怜子さん
じゅり馬の実演
↓左は、男春駒。演じているのは、つばき櫻さん。右は、サイン会の様子。
春駒とサイン会

 じゅり馬、春駒の実演の他、唄者の方もお二人登場。最後はカチャーシーを踊って終了した。

 「24人死亡、223人依然孤立…大雪1週間」「大雪:孤立いまだ480人」。14日の大雪から一週間経ったが、未だに多くの人が孤立している。
  この大雪災害の発生直後、のんきに赤坂で天ぷらを食べていた安倍総理に批判が殺到。それにしても天ぷら総理とは、天ぷらに失礼だな。批判を受けて、政府は18日になってようやく「非常災害対策本部」を設置。天ぷら総理は、「孤立による凍死などの犠牲者を1人も出さないようにするとともに、ガスや電気などライフラインの復旧や道路の通行確保に努め、国民生活の早期の改善に全力を挙げてほしい」と述べたそうだが、この時点で何人も凍死者が出ていた。日頃、”私が最高責任者””私の責任において”と頼もしい発言をしているが、その危機意識、危機管理能力が疑われる。
 ところで、天ぷら総理周辺の言動が騒がしい。安倍首相の靖国神社参拝に米国が失望を表明したことに対し、衛藤晟一首相補佐官が「むしろ我々の方が失望した」とYou Tubeで批判。この発言を、菅義偉官房長官が撤回するように指示撤回した衛藤補佐官の発言要旨
 就任記者会見での従軍慰安婦問題や特定秘密保護法などをめぐる発言を個人的意見だったとして取り消したNHKの籾井会長が、今月12日の経営委員会で、「取り消しているし、どこが悪いのか。素直に読めば理解できるはずだ」という趣旨の発言をし、反省していないとひんしゅくを買っている。
 本田悦朗内閣官房参与はアベノミクスの目的を「強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするため」と語ったとする米紙ウォール・ストリート・ジャーナル報道について 、真意が伝わっていないと釈明。また、首相の靖国参拝を高く評価すると発言した報道も、オフレコのつもりだったと語った。
 こんな人達の言動を、これから先、誰が信用するのだろうか。

 先日、昨年7月に採取した福島第一の観測用井戸から過去最高値の1リットル当たり500万ベクレルのストロンチウム90を検出したと発表した東京電力だが、今度は1リットル当たり2億3000万ベクレルの、ストロンチウム90が含まれる高濃度の汚染水100トンが貯蔵タンクから漏れたと発表。一昨日の19日は、炉心溶融事故を起こした福島第一原発2号機の原子炉圧力容器の底についた温度計が壊れて測定できなくなったと発表している。
 汚染水処理、廃炉作業も充分に行えない会社が、原発を再稼働させようなんて常軌を逸している。
 それにしても国の借金が1017兆円、汚染濃度が2億3000万ベクレル。数字が大きくなり過ぎて、想像が及ばなくなってきた。

* 辺野古埋立承認問題等調査特別委員会(百条委員会)による仲井眞知事の証人喚問が行われた、この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。(2014年8月14日に更新)。

2月19日(水)

 今日の天気予報は曇りのち雨。
 朝起きて、税務署に電話。昨日から確定申告の申告書を作成していたが、今年から復興特別所得税というものが加わり、その計算方法を教えてもらう。そう言えば先日送られてきた源泉徴収書を見ると、10%以上引かれているものがあった。この分が復興特別所得税分か。
  申告書を完成させて同封の封筒に入れて住民票のある税務署の宛名を書く。
確定申告の用紙
 今日は旧暦の1月20日で、二十日正月(ハチカソーグヮチ)。この日、琉球の花街として知られた辻では神人による祈願と、じゅり馬行列が行われる。昨年初めて撮影させていただいた後、直会に参加させて貰ったので、そのお礼にA4用紙14枚のアルバムを作成。撮影がてら届けに行くことにする。
 昨年は午後2時から始まったので、今年も同じだろうと思い部屋を12時半頃に出る。すでに小雨が降っている。辻まで自転車なら10分ほどだが、途中にある郵便局で確定申告用紙を入れた封筒を出し、泊、前島、若狭と歩いてスナップを撮りながら向かう。
お散歩スナップ
 辻の御嶽の前にあり、この祭りを執り行っている辻新思会に13時15分頃に到着。小降りの雨は止んでいた。すでに祭祀の現場でよくお見かけするカメラマンの姿がちらほら。
 13時半過ぎに神人の方が到着し、14時から祈願のための拝所巡りが始まった。順序は昨年と同じく1.辻新思会 出発 2.海蔵院(王女と王女の娘二人の位牌が収められています) 3.志良堂御嶽(辻むら全体のウタキ) 4.祝女井戸(ヌルガー) 王女の使用した井戸 5.石被(イシカブイ) インダカリの火神(匕ヌカン) 6.軸(ジク) 王女達が首里城に向かってお通し(御願)した場所 7.辻むら開祖之墓となっていた。
海蔵院
↑左は、銅鑼に先導されて海蔵院へ向かう神人。右は、海蔵院にて。
↓志良堂御嶽。→祝女井戸。
祝女井戸
志良堂御嶽
石被と軸
↑左は、石被での御願。右は、軸での首里城へ向かってのお通し。
辻むら開祖之墓
ビンシー
←↑辻むら開祖之墓にて。上の箱はビンシー(携帯式御願道具)。泡盛の入った銚子、盃、花米、塩が収められている。
 ↓石被、軸、辻むら開祖之墓では神人の御願の後に、じゅり馬が奉納された。
じゅり馬の奉納

 御願の後は芸能の奉納。昨年は見れなかったミルクが登場した。プログラムは1.財団法人会・辻新思会理事長挨拶 2.ミルクうなり 3.赤馬節 4.春駒の会・浅香怜子さんの挨拶 5.ジュリ馬のスネイ 6.マミドーマ。最後に観客も一緒になってカチャーシーで締められた。赤馬節の時に雨が強くなったがジュリ馬スネイの頃には上がり、まずまずのお天気だった。

芸能の奉納
お料理
 行事が全て終わった後、辻新思会の事務所へ。奥にある祭壇に、昨年撮影した写真アルバムを奉納。今回もスーチカ(豚の塩漬)、ナマシグァ(生酢)、ジューシー(炊込御飯)といったお料理が乗ったお膳をご馳走になった。ビールや泡盛を呑みながらゆんたくしていると、いつの間にか22時。良い感じ酔っ払って辻新思会を出る。近くにあるステーキのMr.マイクで春駒親方にコーヒーをご馳走になってから、歩いて家に帰る。

 昨年のじゅり馬行列の様子は、こちらにあります。

*辻の旧二十日正月(ハチカソーグヮチ)の様子をPhoto Albumにしました。神人の拝所巡りとジュリ馬の奉納はこちら。ミルクうなり、赤馬節、ジュリ馬のスネイ、マミドーマの奉納演舞などはこちら。(2014年8月11日に更新)。

2月15日(土)

 今日は午前10時から県立図書館で「玉城朝薫と組踊」と題した大城 学(琉球大学法学部教授)氏の講座がある。

今日の朝焼け

 早めに起きておにぎりを作り、昨日の残りのレンコンのきんぴらと一緒にタッパーに詰める。
  9時半頃に家を出て、自転車で県立図書館へ。図書館横にある知事公舎前の道には、今日も警備員が立っている。
 10時に10分ほど前に着いてエレベーターで3階のホールへ。空いている席に座って、机に配られているレジュメを読む。

←今日の朝焼け。

 講座の内容は、A4のプリント5頁分のレジュメに沿って進む。プリントを読むだけでも内容は把握できるが、所々で大城氏からディテールの補足が行われる。大城氏の話しの後に、組踊のビデオを流し10分ほどの質疑応答で予定の12時になってしまった。
  レジュメがあったので講座で話された内容は理解し易かったが、質疑の時間がもう少し欲しかったと思う。
  以下に、自分なりに理解したことをまとめておく。

 嘗て琉球王国では、国王の代替わりがあるごとに中国から冊封使が訪れて冊封儀礼が行われた。冊封使は新国王に授ける王冠を携えて来ることから、彼らの乗る船は冠船(かんせん)と呼ばれた。この冠船の渡来は1404年から1866年まであり、その間に23回の冊封が行われた。中国から一度に500人ほどが渡来したが、船は南からの風で琉球に、北の風で中国に帰るため滞在期間は4カ月から8カ月に及んだ。
 冊封使が渡来すると琉球王府は前国王の弔いの儀式である諭祭之宴、新国王の認証儀式である冊封之宴の他、仲秋之宴、重陽之宴、餞別之宴、 拝辞之宴、望舟之宴といった7つの宴を催した。
 宴では音楽、舞踊、演劇で冊封使を持て成した。これらの芸能を総称して冠船踊、或いは御冠船踊という。王府は芸能を催すために踊奉行を設けたが、玉城朝薫は1718年に尚敬王から踊奉行に任命され、組踊を創作する。1719年の尚敬王の冊封の時に組踊の初演を行った。

冊封儀礼
首里城での執心鐘入

首里城祭で再現された、冊封儀式。2012年10月27日に撮影。この時のPhoto Albumは、こちら
中秋の宴で上演された組踊「執心鐘入」。2013年9月21日、御庭(ウナー)にて撮影。この時のPhoto Albumは、こちら

*You Tubeから組踊の動画「二童敵討」「銘苅子」。ちなみにオキナワハムのCMは、こんなです。

 組踊は雅楽、能楽、文楽、歌舞伎と並ぶ国の重要無形文化財に指定されている。琉球方言の古語によるせりふを主として、音楽、所作、舞踊によって構成された芸能。朝薫の作品は「執心鐘入」「二童敵討」「銘苅子」「女物狂」「孝行の巻」があり、いずれも人気が高く『朝薫の5番』と呼ばれている。
 組踊の写本は60〜70ほど確認されており、一番古いものは宜野座村松田にあり、1818年の写本。
岡本文弥さん
 組踊とは直接関係ないが、玉城朝薫の略年表で1701年、17歳の時に尚貞王の上意により童名(ワラビナー)を文彌と改名されるが、文彌は人形浄瑠璃の岡本文弥に肖って付けられたと思われるそうだ。ちなみに朝薫の生まれたときの童名は思五郎、唐名(カラナー)は向受裕。思わぬところで岡本文弥さんの名前が登場して面白かった。
←4代目の岡本文弥さん。1991年、谷中のご自宅で撮影。

 図書館を出ると、向かいの与儀公園に人集り。NPO法人プロミスキーパーズによる炊き出しが行われていた。ソーゼージを焼いていて、ホットドックが配られるようだ。美味しそう。
 図書館の近くにある元気食堂で1つ30円の天ぷらを3個購入。自転車で農連市場近くの大平通りに行き道路で野菜を売っているおばあさんから1袋130円のミカンを買う。
 家で作って来たおにぎりときんぴら、今買った天ぷらとミカンを持って、那覇港近くにある三重城に向かう。

 2月15日の今日は旧暦の1月16日。沖縄では十六日祭(ジュールクニチー)と言われ、グソー(あの世)の正月とされている。お墓参りに行き、料理をお供えし、祖先がお金に困らないようにウチカビ(あの世のお金)を焼いて先祖供養をする。沖縄本島より宮古・八重の方が盛んなようで、先月行った与那国島でも盛大に行われると聞いた。

三重城の入口

 この十六日祭のためだけに与那国島へ行くお金も時間もないので思案に暮れていたら、離島出身者がこの日は三重城に集まり、それぞれの島に向かって遥拝をするという記事を見つけた。
 どれくらいの人達が集まるのか見当もつかないまま、13時頃に三重城に着くとお重らしきものを包んだ風呂敷を手にした人達が行き交っていた。

←三重城の入口。ロワジールホテルの裏にある。 

 三重城はもともと16世紀の後半に、倭冦からの防衛のために作られた。それが現在は遥拝所があり、香炉や香炉代わりのブロックがアチコチに置かれて御嶽のようになっている。
 途中、持ってきたおにぎりや買ってきた天ぷらを食べながら、1時間半ほど遥拝の様子を見させていただいた。拝んだ後、料理を食べながらゆっくりと過ごすのかと思っていたが、割りと早く帰られるので最初は不思議に思っていたが、次々に人が訪れるのでゆっくりしているわけにもいかないようだ。
三重城での十六日歳の様子

 三重城からの帰り、波の上ビーチや若狭公園を通ると、こちらにも少ないけれどビニールシートを広げて十六日祭の遥拝をしている家族がいらした。十六日祭を知らなければ、それはピクニックのような光景だった。
  旧暦3月に行われる清明祭(シーミー)や、この十六日祭が”墓場のピクニック”と言われるのも「なるほどな」と思われる。

*三重城での十六日祭(ジュールクニチー)の様子をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年8月9日に更新)。

2月14日(金)

 今日は12時15分から仲井眞知事の辞職と辺野古移設容認の撤回を求める県庁包囲行動が行われるが、その前に沖縄県議会で2月定例会が開催されるので傍聴に行く。
 定例会は10時からで、9時半頃に家を出て自転車で県庁へ。議会が行われる建物の1階で手続きをして傍聴券を貰い、本会議場のある5階へ。
 10時の始まりと同時に仲井眞知事に対して百条委員会を設置する緊急動議が出され、直ぐに定例会議は休憩になった。その後、11時に再開して百条委員会設置の提案説明があり、また休憩となる。
仲井眞知事
本会議場

↑定例会が始まった直後の本会議場。
←仲井眞知事。
*沖縄タイムスの記事
*琉球新報の記事

 議会が休憩に入ったので、県庁前広場へ。12時少し前に広場に着くと、既に市民、市民団体が集まっていた。12時15分から30分間、県庁を人の輪で包囲し「承認撤回」「辞任せよ」と書かれたプラカードを仲井眞知事の居る県庁の建物に突きつけた。
県庁包囲行動

 包囲行動の後、横断幕とプラカードを持った数人の人たちが県庁のロビーに入ろうとしたところ、県庁1階入口の扉が封鎖され、抗議行動と関係のない一般県民も閉め出される形になった。

お弁当
傍聴券
 13時過ぎに扉が開いたので県庁の地下1階にある食堂へ。250円のお弁当を買って食べる。議会は15時から再開される事になったので、それまで県庁の売店やロビーを色々と見学。
 15時前に本会議場に入ったが、始まったのは15時15分からだった。
  「普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋立承認問題等に関する調査の件」という難し気な議題になっているが、普天間に代わる辺野古埋立を承認した仲井眞知事に対する百条委員会を設置するか否かの討論が行われた。討論は6人が意見を述べた。公明県民無所属の議員1人と自民党議員4人が百条委員会設置に反対、社大党の議員1人が賛成の討論。1時間ほどで6人の議員の意見が述べられた後に採決がとられ、賛成多数で百条委員会が設置される事になった
大雪情報を放送するテレビ画面

 とりあえず採決が終わったので本会議場を出る。
  家に帰る途中、スーパーで買い物。明日は降水確率が低いので、溜まった洗濯物をする。

 テレビのニュースは、先週に続いて首都圏を襲っている大雪情報を繰り返し伝えている。明日も荒れ模様のようだ。

 今日の県庁包囲行動の様子をPhoto Albumにしました。こちら

 気になるニュースや記事がたくさんあるが、整理する時間がないのでメモ代わりにリンクしておく。首相、立憲主義を否定 解釈改憲「最高責任者は私安倍首相に批判相次ぐ=解釈改憲めぐる答弁ー自民総務会米大使館、NHK取材に難色 百田氏の発言理由に浜岡原発:4号機の再稼働申請辺野古移転は不要 それよりも安倍首相を代えることが安全保障の要です

2月12日(水)

 お昼ご飯を食べた後、今日が返却期限だった本の延長をお願いする電話や、郵便物の転送手続きを更新し忘れて届かなかった確定申告の用紙を再度送ってもらう手はずをする。
ラミーチョコレート
 先日作成したプリントとお礼の手紙をファイルに入れて郵便局へ。レターパックで与那国島の神司の方へお送りする。
 郵便局から泊の漁市場へ行く途中のコンビニで、ガス代と水道代の支払い。コンビニはもっぱら公共料金の支払いで利用するが、今日はチョコレートを一つ買った。このところ甘いものを食べたいと言う欲求がとまらない。ところでレミーって、昔から冬季限定だったっけ?

 魚市場では定番のマグロのブツと、魚天ぷらを購入。部屋に戻り、アマゾンでプリント用紙やインク他をポチッと注文。

 キャロライン・ケネディ駐日米大使の来沖に合わせて昨日、県庁前広場と国際通りで県庁前Picnic! &国際通り高江サウンドパレードと題したイベントが行われた。
 県庁前ピクニックは12時〜15時半だが、着いたのは15時少し前。フラダンスが終わり、日本鱗翅学会自然保護委員というアキノ隊員のスピーチが始まる頃だった。
  沖縄の北部やんばるにある高江の森の中に、オスプレイの利用も含む米軍のヘリパッドが6つ建設されようとしている。1つ目は昨年既に完成し、現在2つ目の建設に入っている。このヘリパッド建設に伴う高江の自然への影響についてアキノ隊員によって書かれた文章がこちら→「やんばる東村高江の自然と米軍ヘリパッド建設計画」。
 辺野古は先月の名護市長選が全国的に放映されたので知ってる人も多いだろうが、高江にある米軍の北部訓練基地の問題はあまり知られていない。今回は高江という場所の存在をアピールすることから始めるイベントのようだった。

高江の写真展示
アキノ隊員

↑県庁前広場で高江の自然についてスピーチをするアキノ隊員。

←広場に展示された高江の自然を撮影した写真など。

 国際通りでのサウンドパレードが16時からで、まだ時間があったので県庁近く松尾の辺りをブラブラと散歩する。坂やスージグワー(路地)が多い那覇の散策は、とても楽しい。壁に直接描かれた看板、なんで?と思うようなパステル・ブルーに塗られた瓦屋根の民家。チャンプルーな町並みは、歩いて直ぐに、ここは東南アジアの入口だと感じさせてくれる。
お散歩スナップ
↑県庁の近くを散歩。↓国際通りで行われたサウンドパレード。
サウンドパレード
虹

 県庁前広場で「ワイド節」他民謡を唄って景気づけをしてから、国際通りをパレード。およそ1時間をかけて通りの端から端まで歩く。途中から雨が降り出したが、パレードが終了する頃には止み、ご褒美のようなくっきりとした虹が出た。
 自転車を県庁の方に停めてきたので、所々より道もしながら歩いて戻る。
  お散歩写真とサウンドパレードの様子をPhoto Albumにしました。こちら

2月10日(月)

 2月8日の降雪量は予報をはるかに上回り、東京都心でも26センチを記録。戦後3番目の積雪となった。この雪も影響したのか、都知事選の投票率は46.14%と過去3番目に低かった。20時の開票開始と同時にテレビは自民、公明の支援を受けた舛添要一氏の当確を速報で流した。最終的な各候補の得票数はこちらにある。
 脱原発を大きく掲げた細川・小泉両元首相陣営や、同じく脱原発派の宇都宮健児氏が当選とはならなかったが、これで運動が終わるわけではない。細川・小泉両元首相の脱原発への思いが本気なら、これからがスタートだろう。
 原発稼働ゼロ、知っているのはたった15%。昨年10月に大阪大学の1年生を対象に行われたアンケートの結果だ。実はこれが、個人的に昨年見たニュースの中で一番ショックな記事だった。選挙よりも何よりも、先ずは無関心と向き合わななければならないのだろう。これは写真家・藤原新也さんの昨日のブログにエントリーされている、善良な中堅工務店の営業マンの話しとも重なるように思う。
 昨年の9月半ばから、国内の原発は一基も稼働していない。脱原発も何も、今がその状態だ。それでも昨夏の猛暑、残暑を乗り切ったし、この冬の厳しい寒さも原発の稼働なしで過ごしている。原発停止に伴う燃料輸入による貿易赤字を指摘する人もいるが、貿易赤字の主原因は円安だという見方がある。
 財務省が今日発表した2013年の経常黒字は3.3兆円。比較可能な1985年以降で最小となった。そして、国の借金が2013年末の時点で1017兆円まで膨らんだことがわかった。人口で割ると一人あたり約800万円の借金だという。

那覇の空とオスプレイ
ミートソース
 2月に入って曇りや雨の日ばかりだ。那覇の今日の最低気温は15℃、最高気温は16℃。北風が強く寒い一日だった。 空気を震わせながら、オスプレイが市街地の上空を何機も飛んで行った。
 自炊が続いている。今日はミートソースを作った。安売りの合挽肉にタマネギのみじん切り、ホールトマト。塩と胡椒とケチャップ、少しの醤油で味を整えた。粉チーズの値段が高くて驚いた。
 さて、明日は沖縄県庁前広場でイベントがあります。16時からは国際通りを、高江のヘリパッド建設反対を訴えてサウンドパレード。沖縄北部、やんばるにある高江を舞台にしたドキュメンタリー映画「標的の村」が全国を巡回している。2月15日〜3月7日まで東京のポレポレ東中野で上映される。
 You Tubeから「沖縄県東村高江の唄/青葉市子」。

2月7日(金)

 朝から、与那国島でお会いした神司の方に差し上げる写真のプリント。
ブリッジの画面

 一枚目をプリントしてチェックすると全体が擦れている。プリンターのノズルのクリーニングをしようとするとインクの残りが少ないというアラート。結局ライトシアン、フォトブラック、ライトマゼンタの3本を交換してクリーニングが出来た。
 11枚のプリントを終えると、お昼になってしまった。

 天気予報によれば、関東地方は明日、16年ぶりの大雪だとか。那覇は2月になって暖かくなり暖房のいらない日もある。

 いよいよ都知事選が、明後日になった。個人的に見ているネットでは盛り上がっている風もあるが、テレビでは候補者による討論会も見られず、なんだか控えめな選挙報道だ。関係があるのか、NHKの籾井会長は音楽評論家のピーター・バラカン氏に対し、東京都知事選が終わるまでは原発問題に触れないよう要請していたことを明らかにしたそうだ。そのNHKの経営委員の作家、百田尚樹氏が都知事選の応援演説で他の候補者を「人間のくずみたいなもの」と批判したとして物議を醸している。 
 このところのNHKの在り方に、フィナンシャル・タイムズのジョナサン・ソーブル東京支局長が安倍首相の介入でNHKの姿がぶれるという文章を書いている。写真家の藤原新也さんは、安倍政権がNHK支配などを含むマスコミの政権批判を押さえ込むため、新聞など大メデイアに対する税制優遇(低減税率の適用)を持ち出しているというコメントをブログに載せ、拡散を呼びかけている。
 ところでNHKは、受信料で購入した電力会社の社債をどうしたんだろうか。

 静岡、山梨、神奈川の3県と国の機関でつくる富士山火山防災対策協議会は昨日、噴火時の火山灰で47万人の避難が必要と言う試算を発表した。風向きによっては神奈川県東部の一部まで30センチ以上の灰が積もるとしている。浜岡原発に影響はないのだろうか。
  その浜岡原発の防波壁だが、1.6キロほぼ繋がったそうだが、あまりのペラペラさに話題となっている。東日本大震災から、福島第一の事故から何も学ばなかったのだろうか。
  過去最高をいつ迄更新するのだろうか。昨日東京電力は、昨年7月に採取した福島第一の観測用井戸から過去最高値の1リットル当たり500万ベクレルのストロンチウム90を検出したと発表した。余りにも数値が高くて、当初は不自然だと思い公表しなかったようだ。開いた口が塞がらない。そして、放射性物質濃度の一部を過小評価していたとして、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質濃度を再測定する方針を示した。
 これだけの事故を起こしていて、なぜ過小評価する・・・意味うつらん(*奄美の島口で、意味がわからない)。

 富士山の噴火と東海地震と浜岡原発を考察した記事がこちらにあります。

2月3日(月)

いーそーぐゎちでーびる。

 1月30日から今日まで、旧正月の行事を見に久高島に行って来ました。今年は新暦の1月30日が年の夜(トゥシヌユル)、31日が元旦でした。
帰りの高速船から見た久高島
↑帰りの高速船から見た久高島。

2月3日(月)

 早朝4時頃に大きな雷が落ちた音で目が覚めるが、そのまま2度寝。7時の集落放送で目が覚めて、昨日酔っ払って出来なかった撮影データのバックアップをし、昨日のメモを書く。
 区長さんがいらしたので、宿泊費をお支払いし、外間殿の祭祀で使った音響機材の後片付けを少しお手伝いする。
 メモが大体出来上がったので荷物を整理し、宿泊していたホールを清掃。昼ご飯をゆっくり食べて午後の船で帰ろうと思っていたが、天気が悪いのとバスの時刻表を調べたら午前11時の高速船なら安座真港に着いてから那覇までのバスの乗り継ぎが良さそうなのでこちらで帰る事にした。
 区長さんにお世話になったお礼を言い、10時半頃に総合ホールを出て、目の前にある徳仁港へ。来る時にフェリーの往復切符を買っておいたので、高速船に乗るための追加料金80円を支払って乗船。
高速船から撮影した徳仁港
高速船から撮影した海と雲
 11時に出航した高速船は15分ほどで安座真港に着いた。港からバス停まで歩き、38番の志喜屋線上りを待つ。20分ほどで11時44分の那覇バスターミナル行きが来た。
 那覇バスターミナルから停めて置いた自転車で家へ。途中から小雨が降って来た。郵便受けには出版社から2通の封筒が入っていた。一つは以前撮影した写真の再使用料の振込明細書、もう一つは源泉徴収書だった。もうそんな季節です。

  とりあえず冷凍してあった餃子を茹でて昼ご飯にする。久高島で撮影したデータのバックアップを取り、荷物を解き、洗濯。
 明日食材を買いに行ったら、しばらく部屋に籠って写真データの現像をしなくては。

*本日の出費。ミルクティー150円、4泊分の宿泊費4000円、高速船の追加料金80円、安座真サンサンビーチ→那覇バスターミナル760円。

2月2日(日)

 お正月三日目。昨日の夕方から雨が降り続いている。朝起きて、昨日のメモの続きを書く。
雨に濡れた外間殿の庭

 今日は元旦と同じく外間殿でシャクトゥイが行われるが、何時からだかわからないので9時頃に行ってみると神人の方が一人いらした。他には誰もおらず始まる気配がなかったので、総合センターに忘れてきた雨合羽を取りに戻る。リュックの中に常備している折り畳み傘では小さいので、センターに置いてあったビニール傘もお借りする。

←雨に濡れた外間殿の庭。

 9時半頃になって他の神人の方々も集まり、10時前に外間根人(ニーチェ)も外間殿に到着された。10時になって殿の中でミッチャヌスク(三日目の盃事)が行われた。以下に「神々の古層」より儀式の詳細を引用させていただくが、変容している部分もあるかもしれない。
↓→外間殿に入る神人の方々。
外間殿に入る神人の方々02
外間殿に入る神人の方々01
ミッチャヌスクヌウフケー
 朝、外間殿においておこなわれる祈願。参列者の座順、服装は元旦と同じである。高膳四つ、ファーシブンという特製の膳二つにンパイ(おにぎり)、大根と魚の煮付け、泡盛がのせられ、外間殿の神座に並べられる。
 この供え物で、1火神 2ミウプグゥイミンナカ 3床ヌ神 4ティントゥジーキ 5外間根屋(ニーヤー)の始祖に対して外間ヌルが司祭しておこなわれる。根神がヒヂャイグゥマ(左側)で主司祭者である。
外間殿の儀式
シャクトゥイ開始の祈願
 イキガジャク、ンナグゥジャク用の酒とタルマミキをファーシブンで供え、1火神、ミウプグゥイミンナカに外間ヌル、根神が司祭して祈願がおこなわれる。ひき続き三日のシャクトゥイがイナグゥジャクから開始される。


 11時頃になって神人のシャクトゥイに続き、男性のシャクトゥイが始まった。元旦の時と同じように二人一組で殿に上がり盃事を行った後、庭に出てカチャーシーを踊る。若い神人も2度ほど庭に下りてカチャーシーを舞った。
 元旦よりも列席者が少なかったので12時前にはシャクトゥイが終了し、区長さんの挨拶があり、その後は久高島出身の高校生が友達と一緒に琉球舞踊を踊ったり、カチャーシーを踊って楽しんだ。
シャクトゥイ
 12時半頃に神事を終えた神人の方々が殿を去り、家路につかれる。朝から降ったり止んだりの天気でテントは濡れているので仕舞う事ができない。とりあえず下に敷いたゴザや空き缶を片付ける。一通り終わると供物のおにぎりや刺身、焼き魚をご馳走になった。
↓→家路につく神人の方々。
家路につく神人の方々02
家路につく神人の方々01
 今日もヤーミグルーがあるようで、区長さんからお誘いを受けて14時に留学センターを訪問。テーブルには生徒たちが作ったご馳走がいっぱい並んでいた。
 センター長さん、区長さん、島の青年の代表の挨拶があり、久高小中学校の校長先生の音頭で乾杯。料理をつまみ、泡盛をいただきながら楽しませてもらった。
留学センターにて

 思いがけず長居をして20時過ぎにセンターを出る。ポツーンとある僅かな街灯の明かりを頼りにセンターまでの道をほろ酔い加減で歩く。メモを書く気力も、撮影したデータをバックアップする気力もないので、那覇から持って来た泡盛をちびりちびりと呑みながらインターネットを徘徊。寝袋に入ったのは23時頃だろうか。

*本日の出費。外間殿での寄付1000円。

*久高島の旧正月3日目、ミッチャヌスクの様子をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年8月5日に更新)。

2月1日(土)

 正月二日目はハチウクシー。年頭の仕事始めの儀式が行われる日で、漁師は船に大漁旗を掲げ、塩、お酒、刺身を供えて航海安全と大漁祈願をお願いする。
 早朝に行われる祈願を見ようと、起きて顔も洗わないまま7時頃にセンターを出て直ぐ近くの徳仁港へ。
早朝の徳仁港
朝日
 港には昨日の内に大漁旗を取り付けた船が一隻。しばらく様子を見ていたが祈願の行われる気配がないので、一旦センターに戻り歯を磨き、顔を洗う。
 久高島の港は、フェリーが発着する徳仁港と漁港の2つある。顔を洗って今度は漁港の方へ行ってみた。7時半頃に着いてしばらく待っていると、親子と思われる漁師が港にやって来た。父親の方は塩とお酒、刺身を乗せたお盆を風呂敷に包んで手に提げている。撮影のお願いをして、その様子を見せていただいた。船の要所要所に塩をまき、酒を振りかけ、お刺身を供え祈る。その後も途切れる事なく漁師さんがやって来て、同じように祈願を行った。ちなみに漁に出るのは旧暦1月5日からだそうだが、現在は人それぞれで正月から漁をしている人もいる。
船の祈願
 9時頃になると漁港の建物の中で宴会が始まった。漁港から大里家、外間殿を通り集落の中をスナップを撮りながら歩いて徳仁港へ戻ると、こちらでも港の端の方で宴会が始まっていた。
 宴会はまだ始まったばかりのようで、今なら参加費は500円、もう少しすると1000円になるというので早速参加させていただいた。お酒飲み放題に、お刺身と大根の入った魚汁、後からシャコガイの刺身と伊勢エビも出て来た。途中からやって来た三線と太鼓と歌が、宴会を盛り上げる。カチャーシーの踊り手一番手は区長さんだった。
徳仁港での酒宴
 9時半頃から12時過ぎまで参加し、缶ビール2本でほんのり酔っぱらったので一旦総合センターへ戻り、ソファーに横になって昼寝をする。1時間ほど寝てから徳仁港へ行ってみると宴は終わり、片付けられていた。今度は漁港へ行ってみると、こちらは建物の中に大きな円陣が組まれて酒宴の真っ最中だった。缶ビールを一本ご馳走になり、一時間ほど宴会の様子を撮影させてもらう。
漁港での酒宴
 港を出て海沿いの道を散歩。海ぶどうの養殖場を過ぎてしばらくすると久高島の墓地があった。以前から久高島の墓地はどこら辺にあるんだろう、観光客の目につかない場所だろうかと考えていたから、いきなり目の前に現れたので少し驚いた。
↓→海に面して建てられている、久高島のお墓。
久高島の墓地02
久高島の墓地01

トゥシアマイ ナイビタン
ティラバンタ ウシュキィティ
ヒッチハタバルヤ
ナミヌシュル タチュル
ナミヤハタバルヤ
ヒブイ タチュサ
ニルヤリューチュ ウシュキィティ
ハナヤリューチュ ウシュキィティ
フガニジャク ハミヤビラ
ナンジャジャク ティリヤビラ
 寿命になりました。葬所に来ました。潟の波のごとく肉体が腐乱し、溶け、煙となり、昇天し、そうしてニラーハラーに到着、金杯、銀杯を受けましょう。

 
 この詩は「神々の古層 女が男を守るクニ 久高島の年中行事1」にあとがきに代えて載せられた「ある神女の死」と題された文章の冒頭にある葬送歌だ。ある神女とは、外間ヌルの補佐役として長年にわたり久高島の祭祀を伝承してきた外間ウメーギ・西銘シズさんのことである。1989年4月20日の朝に西銘シズさんは本島の病院で亡くなられ、21日に葬儀が行われた。その葬儀の様子が綴られている。

ー略ー
 久高島ではクニガミと言われる神人ー外間ヌル、久高ヌル、根神、ヌル根神のウメーギ、外間根人、久高根人、ファガナシー、アマミヤーが亡くなると、冒頭で記したような葬送歌が歌われる特別な葬儀がおこなわれる。
 当日朝、五十歳以上の男・ウプシュたちによって作られたブン(船)と呼ばれる木棺に納められた亡軀は、アカウマー、つまり沖縄本島あたりでいうガンで葬所に運ばれる。
 シズさんの出棺の時には雨があがり、太陽も出て真夏のようなうだる暑さになった。
 葬列の先頭は、ハチマチ(王府時代に士族が用いた冠と同形のもの)に着物の正装をした龍宮神・ソールイガナシー(男神職者)二人である。その後にティンゲー(龍頭のようなものを棒の先につけたもの)持ち、旗(紙製の白旗)持ち、ウプシュたち、そのあとにアカウマーがつづく。最近、アカウマーには車輪がとりつけられて引っぱるようになっているが、以前は親戚から選ばれた七名の男たちによって担がれた。アカウマーの後方から親戚の女たち、それに白衣のヌル以下のヤジク(神女)たちがつづく。鳴り物など一切なく、葬列は静かに進む。トゥグゥ道という葬儀の道を過ぎると、ムラはずれである。
 しばらく行くと十字路になっているが、ここまで来るとアカウマーをおろし、アカウマー担ぎの七名の男たちがその場で東方に向かって座し、合掌する。全参列者も東方に向かいこれに和す。
 シズさんが生前私に話していたことだが、この場面は、久高島の他界と考えられているニラーハラー(ニライカナイの久高読み)に対して「○○生まれの者がこれから行きます」という報告である。
 ニラーハラーは海の彼方、太陽の出づる処であると考えられている。
 数分でこの報告を終わると、葬列は久高島のグゥソーに向かう。久高島のグゥソーは島の西海岸沿いにある。
  グゥソーの入口まで来ると、ティンゲー持ち、旗持ち、アカウマー、それに親戚の人たちが墓に進む。他の参列者は立ちどまってアカウマーを合掌して見送ると解散し、ミガーという井泉で禊をして帰宅する。
 シズさんは墓がなかったので、死後、島の人々の共同作業によって、アダンの濃緑色の葉陰に造られてあった。墓に納める前にもう一度お棺が開けられ、親近者との最後の別れがあった。私もそれに立ち会った。
 冒頭の葬送歌にもあるように、久高島における墓は肉体を消滅(腐乱)させるための場所であり、その魂は煙となって飛翔し、前述したニラーハラーに行くのである。そうしてイザイホーを経験した神女たちは、再び島の守護神として島のウタキに帰ることになる。
 シズさんは生前、久高島の祭祀のリーダー的存在として、島のために人生のほとんどを捧げてきた。きっと早いうちに他界・ニラーハラーから島のウタキに帰り、今度は直接の守護者として島を守ってくれることと思う。私はそう自分に言い聞かせて、シズさんと最後の別れをした。

 比嘉康雄さんの書かれた「神々の古層」全12巻の中で、この西銘シズさんについて書かれた「ある神女の死」が一番好きな文章だ。文章はこの後シズさんの死から繋がって、危機に直面している琉球弧の祭祀全体に及ぶ。引用した箇所も含めて、それらは示唆に富んだ内容になっている。

↓ヤグルガーの付近から。→ヤグルガー。
ヤグルガー
ヤグルガーの付近から
 墓地を過ぎてヤグルガーの標識が立っている所まで行き、また同じ道を通って集落まで戻って来た。歩き疲れたので、もう晩ご飯を食べて総合センターへ戻ろうと思っていたら目の前を三線と太鼓を持った青年達が通り過ぎて行った。青年達の後に漁港で見かけたオジさんがいらしたので聞いてみたら、漁師の家を一軒一軒まわって酒宴をしているという。着いて行ってもいいというので、くっ付いて一軒の家にお邪魔した。
 通りすがりの私にも刺身と煮物、ビールが振る舞われた。青年達が祝いの席で最初に演奏される「かぎやで風」を奏でる。久高島の中学校の校歌も歌われた。
 一時間ほどで酒宴はお開きとなり、一行は次の家へ向かう。この家回りをヤーミグルーと言うそうだ。
ヤーミグルー
 ヤーミグルーは一軒だけ参加させてもらって、総合センターへ。隣りにある食事処とくじんでテレビを観ながら沖縄そばを食べて、センターに戻る。撮影データをバックアップし、メモを書く。
 日も暮れた頃から小雨が降り出した。テレビの天気予報では、明日は曇り時々雨。
沖縄そば

 昨日まではセンターの宿泊所に長年に渡り久高島の祭祀を撮影している映像監督の方が泊まっていらしたが、今日の午後に帰られた。広いセンターに一人ポツンと居るのも、なんだか寂しい。

*本日の出費。港の宴会参加費500円、沖縄そば600円、ミルクティー150円。

*久高島の旧正月二日目、ハチウクシー(初起こし、仕事始め)の様子をPhoto Albumにしました。漁師の航海安全と大漁祈願、徳仁港での祝宴はこちら。漁港の祝宴と、久高島の墓地、ヤーミグルーの様子はこちら。(2014年7月26日に更新)。

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