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バックナンバー

○12月31日(午後10時)〜1月1日(午前1時) 摩文仁・火と鐘のまつりまつり/沖縄平和祈念堂
○1月1日(水) 新春北部闘牛大会(今帰仁村営闘牛場)/12時〜民謡ショー、13時〜闘牛大会
○1月1日(水)〜3日(金) 首里城公園 新春の宴
○1月3日(金) アギバーリー道ジュネー/浦添市小湾 午後2時半頃から拝所で御願 午後3時〜5時道ジュネーが開催される。
○1月8日(水) 旧暦12月8日 鬼餅(ムーチー)
○1月11日(土) 与那国島ンマナガマチリ
○1月12日(日) 与那国島ンダンマチリ
○1月13日(月) 与那国島アンタドゥミ
○1月中旬の日曜日 石垣市平得の種子取祭
          登野城は?
○1月19日(日) 県立図書館本の返却期限
○1月20日(月)〜29日(水) エレベーター工事
○1月23日(木)〜3月23日(日) 森山大道 終わらない旅 北/南 沖縄県立博物館・美術館
(関連催事)
*1月25日(土) シンポジューム 14〜18時
*3月2日(日) アーティスト・トーク 森山大道氏 15時〜16時
*2月8日(土) ギャラリー・トーク 玉城惇博氏 14時〜15時
*3月9日(日) ギャラリー・トーク 仲里 効氏 14時〜15時
*2月15日(土) キュレーター・トーク 新里義和 11時〜12時
*1月28日(火)〜2月1日(土) 森山大道 新作映像プログラム(5本)予定 18時〜
*1月21日(火)〜1月26日(日) ポートフォリオレビュー展覧会
*1月24日(金) ポートフォリオレビュー批評会(公開) 15時〜16時

○1月27日(月) みんなでどんとをうたおう!カフェユニゾン
○1月30日(木) 旧暦12月30日 年の夜(トゥシヌユル)
○1月31日(金) 旧暦1月1日 お正月
○2月1日(土) 初起し(ハチウクシー)
○2月8日(土)〜2月9日(日) 伊江島 村産業まつり
○2月8日(土)〜2月23日(日) 伊江島 ハイビスカス祭り
○2月9日(日) 国際通りなんじぃジャック
○2月11日(火) 県庁前Picnic! &国際通り高江サウンドパレード
○2月12日(水) 若狭図書館本の返却期限
○2月15日(土) 玉城朝薫と組踊/大城学氏 沖縄県立図書館3階ホール 10時〜12時
○2月15日(土) 十六日
○2月19日(水) 二十日正月(ハチカソーグヮチ)辻ジュリ馬行列
○3月5日(水) サンゴの日 慶良間諸島が31番目の国立公園に正式に指定される
○3月15日(土) 旧暦2月15日 二月ウマチー 麦の初穂祝い
○4月2日(水) 旧暦3月3日浜下り
○4月5日(土)〜19日(土) 清明(シーミー)
○4月14日(月) 旧暦3月15日 三月ウマチー 麦の収穫祭
○4月29日(火) 旧暦4月1日 南城市大里 ミーミンメー 記事*要確認
○6月1日(日) 旧暦5月4日 ユッカヌヒー 大嶺の地バーリー 記事*要確認
○6月12日(木) 旧暦5月15日 五月ウマチー
○7月11日(金) 旧暦6月15日 六月ウマチー
○7月21日(月) 六月カシチー

与那国島の奇祭マチリ・カンブナガ 参考資料 与那国の行事について
○12月20日(金) クラブマチリ
○12月21日(土) ウラマチリ
○12月24日(火) ンディマチリ
○1月11日(土) ンマナガマチリ
○1月12日(日) ンダンマチリ
○1月13日(月) アンタドゥミ

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
宮古島・宮古協栄バス
宮古島・八千代バス
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
安栄観光フェリー
八重山観光フェリー
石垣島ドリーム観光
スカイマーク
ピーチ
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

1月31日(金)

 いい そーぐゎち でーびる。快晴です。
久高ヌル殿内

 那覇から持って来たバナナとドーナツで朝食。8時過ぎに総合センターを出て、日の丸の旗を掲げた家並みを撮影しながら歩く。大里家の入口に続く道には、真新しい珊瑚が敷き詰めてあった。30分ほどで外間殿に着くと、神人の方が殿を清めたり供物の準備をされていた。

←日の丸の旗を掲げた、久高ヌル殿内。青い空に、日の丸の白と赤が映える。

 9時を過ぎた頃に。久高島の神人が一人また一人と外間殿に歩いていらした。9時20分過ぎに、今ではただ一人の男性神職者である外間根人(ニーチェ)が到着された。
外間殿に参集する神人たち
外間殿に向かって歌う若い神人
 9時半になって一番若い神人の女性が庭から殿に向かって神謡(?)を歌った。後日、祭祀のお手伝いをされている女性に彼女が何を歌っているのか尋ねたが、私には分らないと言われる。
  突然<降りて来る>ままに彼女は歌っているようだ。それにしてもその歌声は堂々として、ある種の威厳すら感じさせる。何かで覚えたという風ではなく、それは自信に満ちた声だった。
  その後、神人が揃って殿の中に座り、竃の方へ向かって合掌祈願。この後シャクトゥイ(盃事)で使われる高膳に銀杯を乗せたものが前に置かれて、拝まれている。
 10時頃から昨日庭に設営したテントに座っている島民、旧正月で帰省した人達に刺身と大根を和えたものと、飲み物が配られた。テントの後方に設けられた受付で1000円支払えば、観光客も同じように振る舞われる。
外間殿での祈願
 外間殿の横に設置されたテントには地謡が座り、三線、太鼓、歌で音楽を奏でる。10時半になってシャクトゥイが始まった。
 現在ではかなり変容していると思われるが「神々の古層 女が男を守るクニ 久高島の年中行事1」から引用する。
シャクトゥイ(盃事)
 これは、外間ヌルと根神に対して酒杯をさしあげて一年じゅうの健康を頼むというもので、男は根人や神職者以下十六歳から七十歳までの正人(しょうにん)、女はソージヤク以上のヤジクが参列し、ナンチュは参列しない。
 元旦は男からはじめて女、三日は女からはじめる。男の盃事をイキガジャク、女の盃事をイナグゥジャクという。男の場合はまず根人、男神職者、年長者順に正人、最後は村頭である。二人一組になり、神職者は位の高い者が外間ヌル、低い者が根神と相対し、正人は年長者が外間ヌル、年少者が根神と相対する。
 盃事は前図のとおりおこなわれる。数字は順序である。男の場合は泡盛で、特製の高膳に銀杯を二つのせてさしだす。受けた者は左手で高膳ごと受け取り、右手で右側の盃から順にいただき、いったん高膳を置いて空けた盃に酒を、これも右側から順に注いで返盃をする、という形式でおこなわれる。
 二人一組の盃事が終わると外間殿の庭で必ずカチャーシー舞をする。三線、太鼓、手拍子が鳴り、いやがうえにも正月が華やぐ。神職者の盃事のときには居神たちによってガチントゥヘーナという神謡が半唱される。なお根人の盃事のときにはアガリナーヌヘーナという、太陽と交わり子供を産むという内容の神謡が歌われたという。
 終わると、出稼ぎ、就学などのために盃事に出席できなかった者のために、その身内の者などによって盃事がおこなわれる。これを旅ジャクという。男の盃事が終わると小休止になり、男たちは祭場を去る者もいる。
 女の盃事は両ウメーギからはじめられ、居神、タムトゥ、シュリユリタ、ソージヤクの順におこなわれる。全員終わると外間ヌルとウメーギが庭に出てカチャーシーを舞い、盃事の儀式をしめくくる。残っていた男神職者、ウプシュたちは祭場を去る。残った女たち全員に、ンモーカシーと煮魚のふるまいがある。午後四時ごろに終わる。
シャクトゥイの様子
音楽祭の報告をする中学生たち

↑シャクトゥイ(盃事)の様子
←島の人たちの前で、音楽祭の結果を報告する中学生。

 10時半頃から始まったシャクトゥイを、撮影しながら見学。途中、受付で1000円を支払い料理と飲み物をいただいた。シャクトゥイの合間に、久高中学校の生徒が音楽祭に出場して賞を貰った事が報告されたりした。

 シャクトゥイは続いていたが、13時過ぎに外間殿を出て集落を少し散歩。大里家に行くと、拝殿で御願が行われていた。大里家からぶらぶら歩いてハンチャアタイへ行くと、先ほど大里家の拝殿で御願をしていらした方々がハンチャアタイでも御願を始められた。
大里家とハンチャアタイでの御願
↑左は、大里家の拝殿での御願。右は、ハンチャアタイでの御願。
 14時少し前、ハンチャアタイで御願をしている横を外間根人(ニーチェ)がゆっくりと歩いて行かれた。もうシャクトゥイは終了したようだ。
 14時過ぎに外間殿に戻るが、テントの中にお酒を呑んでいる男性が数人残っているだけだった。宿泊交流館の資料室に見た事のない写真集が何冊かあったので見せてもらう。15時頃に交流館を出て、一旦総合センターに戻り撮影データのバックアップ。少しソファーで横になってから17時過ぎにカメラをぶら下げて散歩に出かける。
久高島のスナップ

 外間殿から久高殿、そして漁港の方へと歩く。漁港に停泊している船の何隻かには、既に大漁旗が取り付けられていた。今日もほとんど雲のない青空で、半袖のTシャツ一枚で過ごせる。夕日を見ようとキャンプ場へ。久高島からだと太陽は本島に沈んで行く。太陽が沈んだのを確認して、晩ご飯を食べに食事処とくじんへ。食堂のテレビを観ながら野菜炒め定食を食べる。
 食べ終わり、向かいにある総合センターへ戻ってシャワーを浴び、撮影データをバックアップし、メモを書く。

*本日の出費。外間殿での寄付1000円、野菜炒め定食700円。

*久高島の旧正月、元旦の日の様子をPhoto Albumにしました。神人の御願から男性のシャクトゥイ(盃事)はこちら。女性のシャクトゥイから大里家の御願、集落のスナップはこちら。(7月25日に更新)。

1月30日(木)

 明日が旧暦の元旦。新年の行事を見るために、今日から久高島へ。 
 家を7時半頃に出て、那覇バスターミナルへ。8時7分発の志喜屋線で、安座真サンサンビーチに向かう。久高島へ行くフェリーは9時だが、フェリー乗り場についたのが9時10分。どうもバスとフェリーの乗り継ぎがよくない。次の10時出航のフェリーまで待合所で朝作ってきたおにぎりを食べながら待つ。
安座真港の待合所に居た猫
安座真港
↑安座真港。久高島へ向かうフェリーから撮影。
←安座真港の待合所に居た猫。
↓フェリーから。久高島が見えてきた。
久高島へ
久高島 集落の道

 10時のフェリーに乗り、10時半に久高島に到着。今日から総合センターのホールに泊めていただく事になっているが、天気が良いので港の横の公園でしばらくベンチにゴロンとなってお昼寝。12時過ぎに区長さんに電話を入れて、ホールの隅に荷物を置かせてもらって祭祀の行われる外間殿へ。

←センターから外間殿へ向かう道。青い空が気持ちいい。

 13時から元旦行事の準備が始まるが、少し時間があったので宿泊交流館の資料室の展示を見る。13時頃に外間殿に着くと、区長さん他、数名の方がいらした。手伝いの方がだいぶ揃ったところで男性はテントの設営、女性の方は殿の掃除を始められた。テントの設営を手伝いながら、準備の様子を撮影させていただく。
 14時になってハカイメー(供出)が始まった。集落の方が泡盛の瓶を持って殿を訪れる。供出は男性一人につき、泡盛をグラスに1杯と100円。嘗て神女が大勢いらした頃は、神女がお米を供出していた。
外間殿での準備の様子
 お手伝いをしながら写真を撮っていると、上空をヘリコプターが飛んでいる。直ぐ近くに着陸したようなので見に行くと、交流センタ裏手の広場にドクターヘリが停まっていた。92歳のおじーさんが倒れたようだ。しばらく心臓マッサージをした後、ヘリコプターに乗せて本島の病院へ飛んで行った。
ドクターヘリ
子供たちのウサイ作り

 その後も、殿では明日の準備が行われていた。日の丸の旗を揚げたり、島の生徒たちは道にプランターを並べたりしている。
 16時半頃になり準備が完了。区長さんに連れられて交流センターの厨房で、島の子供達がウサイ(御馳走)作りをしているところを撮影させてもらった。

←子供達のウサイ作り。大量のイカを和え物用に薄く切っている。

 30分ほどウサイ作りを見学した後、区長さんの家でご飯とビールを御馳走になる。お刺身とサバの煮付け、ご飯はお供えしてあったもので平べったいおにぎりの上に、小さな丸いおにぎりが3個乗っかっている。
 ビールを飲みながら、区長さんに島の事を色々と教えてもらう。缶ビール2本でほろ酔いになったところで、総合センターに帰る。ソファーを2つ並べて簡易ベットを作り、今日撮影した写真データを外付けのハードディスクにバックアップ。写真を見ながら、今日のメモを書く。
区長さん宅でいただいた晩ご飯
←区長さんの家でご馳走になった晩ご飯。仏壇にお供えしてあったご飯は、小さく丸められたおにぎりが3つ乗っていた。↓総合センターのホールにて。なかなか快適。
総合センターのホールにて

 粟国島ではマースヤーで、今頃は子供達が字の家々をまわっているだろうと思いながら、他に誰もいないシーンとしたホールで泡盛をちびちびと呑んでいた。

*本日の出費。那覇バスターミナル→安座間サンサンビーチ760円、安座間港ー徳仁港往復1240円。

*久高島の旧正月準備の様子をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年7月24日に更新)。

1月29日(水)

 明後日は旧暦の元旦。明日から旧暦のお正月を見に久高島へ行こうと思っているので、昨日、行事の予習をするために何回目かになる「神々の古層 女が男を守るクニ 久高島の年中行事1」(ニライ社)を若狭図書館で借りて来た。
 今日は来月分の家賃を払いに管理会社に行った後、久高島へ行っている間に返却期限になりそうな県立図書館で借りた3冊を返しに行った。図書館のカウンターに沖縄県立図書館歴史講座「玉城朝薫と組踊・大城学氏」のチラシが置いてあり、面白そうなのと無料で受講できるので、その場で申し込んで来た。
エレベーター

 図書館からの帰りにスーパーを2つまわって買い物。家に帰って、パソコンや服など久高島に持って行くものを準備した。
  昨日からエレベーターが使えるようになった。箱ごと取り替えたわけではないが機械が新しくなって動作音が静かになった。ここに入居して直ぐはエレベーターが稼働する度、どこかで工事をしているのかと思っていたほどだ。同じ乗り物とは思えない静かさだ。

 新しくNHKの会長に就任した、籾井勝人氏の記者会見が波紋を呼んでいるようだ。個人的には従軍慰安婦の発言よりも、「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない。国際放送にはそういうニュアンスがある」というコメントに驚いている。それでは公共放送を放棄して、大本営発表放送局ではないか。また、先月成立した特定秘密保護法については「まあ……、一応通っちゃったんでですね。もう言ってもしょうがないと思うんですけども。まあ……、ちょっと……僕なりに個人的な意見はないことはないんですが、これはちょっと、あまりにも、あれなんで、ちょっと差し控えさせていただければと思いますが」。
 会見の全文がこちらにある。
 内部から籾井氏の発言に対して大きな反論が起こらないならば、それはNHKのメディアとしての危機だと思うのだけれど。

1月27日(月)

 今日はどんとの命日(亡くなったハワイでは27日で、日本時間では28日のようだ)。宜野湾市にあるカフェユニゾンで「みんなでどんとをうたおう!」というイベントが行われる。いつか、昔撮影した彼の写真をパートナーである小嶋さちほさんにお渡ししたいと思っていたので届けに行く事にした。イベントにはゲストで前川守賢さん、照屋政雄さんも出演する。昨年の11月30日に栄町市場の感謝祭で撮影した守賢さんの写真もお渡ししたかった。 
 イベントの開始は19時半からだが、途中にある牧港の外人住宅や普天間飛行場周辺の写真も撮りたかったので、14時頃に家を出る。曇り空だけど風もなく、自転車で走るには丁度いい天気だ。
 近所のコンビニで電気料金を支払い、泊の魚市場の横を通り浦添市へ。国道58号線に入って北上し、創価学会の建物の横の道を進むと目指す外人住宅があった。
 綺麗にリフォームされた建物はカフェやレストラン、雑貨屋さんになっている物もあるし、個人のお宅として使われている物もある。空き物件もあるようなので、ネットで調べてみたら15万円前後で借りられるようだ。
牧港外人住宅
 3時頃に外人住宅に着いて、1時間ほど写真を撮りながら散歩をして、再び国道58号を北上。普天間の大山ゲートを通り過ぎて、伊佐の交差点を右折。普天間でいご通りを進むと、右手にカフェユニオンの入っている建物があった。まだ17時で、会場の19時までたっぷり時間があるので自転車で町中を走っていると、大きなエンジン音が聞こえてきた。音のする方へ行ってみると、暫くして目の前の林からオスプレイの隊長機が空へ上がって行った。
 自転車を置いて普天間中学校、普天間第二小学校の横を歩いて行くと、基地のフェンスにぶつかった。フェンスに沿って野嵩ゲートへ。ゲートの横では毎週月曜日にゴスペルを唄う会の人達が、準備をしていた。一年ほど前に野嵩へ来たときも、偶然ゴスペルを唄う日だった。
 野嵩ゲート周辺を写真を撮りながら歩き、ゲート前に戻ってくると歌が始まっていた。歌っている人達の横を通り過ぎ、自転車を置いた場所まで戻る。お腹が空いたので近くのスーパーでサンドイッチを一つ買って食べて、カフェユニオンに向かう。
普天間

 リハーサルが少し押したようで、19時を過ぎて開場。店内にいらした小嶋さんに、どんとのプリントを入れたファイルをお渡しする。プリントは1992年にレコード会社で撮影したポートレートと、同じ年に行われたウオーマッド’92でのボ・ガンボスのライヴ。そして1991年にドミニカ共和国から来日したガールズ・グループ、ラス・チカス・デル・カンのステージに小嶋さんとゼルダのサヨコさんが飛び入りで一緒に踊っている写真もサプライズで入れておいた。その後、小嶋さんに控えのスペースで休んでいらした守賢さんを紹介してもらい、栄町市場での写真をお渡しする事ができた。照屋政雄さんもいらしたので、今日は「ちょんちょんきじむな〜」は歌われますかと尋ねると、歌いますよと言って笑われた。
 奄美や沖縄の島唄、民謡のサンプルCDが時々レコード会社から送られてきていた時期があって、その中に照屋政雄さんのCDがあった。聴いた瞬間”ちょんちょんちょんちょん”のフレーズが頭の中をぐるぐるこだまして、強烈な印象を残した。

”どんと”という情報展

←お渡ししたどんとの写真を入れたファイル(中央下)を早速並べて下さった。
 どんとの描いた絵や、使っていた楽器、衣裳などが展示された”どんと”という情報展は2月3日(月)まで開催されています。
 11時30分〜22時で、入場無料。

↓イヴェントの様子。

イベントの様子
 19時半からイヴェントがスタート。先ずは沖縄に移住してから親しくしていた前川守賢さん、照屋政雄さん、天然酵母のパンやさん宗像堂のご主人がステージに上がり、一人ずつどんとの思い出を語る。その後、ボ・ガンボスの様々なライヴを一つに編集した映像の上映会。
 イヴェントのタイトル通り、各人がどんとの曲で好きなものを歌うコーナーがあり、小嶋さん、守賢さん、照屋政雄さんのミニ・ライヴが行われた。最後は守賢さん、照屋政雄さんの歌で踊る贅沢なカチャーシー。終了したのは23時過ぎだった。
↓贅沢なカチャーシー。→どんとの描いた絵と一緒に照屋政夫さんを撮影。
照屋政雄さん
カチャーシー

 イヴェントの途中に一度外に出ると雨が降っていた。まだ降っていたらイヤだなーと思って外に出ると、雨は上がっていた。お店の前に停めて置いた自転車のサドルが濡れているのでタオルで拭いて、那覇へ向かってゆっくりとペダルを漕ぐ。自転車で帰るには寒いかなと少し心配していたが、長袖のTシャツの上に厚手のシャツ、ヨットパーカーでも夜のサイクリングは大丈夫だった。
 普天間から自宅までゆっくり自転車を漕いで1時間半ほどだった。エレベーターはまだ調整中で、駐輪場に自転車を停めて8階まで階段を上がる。お腹が空いたのでインスタントの塩らーめんを作り、今日撮影した写真データをバックアップ。

 照屋政雄さんのミニライヴは、どんととの思い出の曲を歌われて「ちょんちょんきじむな〜」は登場しなかった。是非、生で聴いてみたかったんだけど。こんな曲です→You Tubeから「照屋政雄 チョンチョンキジムナー」「ちょんちょんきじむな〜さんしんの日」。

 牧港外人住宅と普天間飛行場周辺のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

1月24日(金)

 未処理の写真データが溜まっているのとエレベーターが修理中なので、3日間部屋に籠って写真の作成作業をしていた。冷蔵庫にはまだ食材があるので、もう少し籠る事もできるが、今日は沖縄県立博物館・美術館で昨日から開催されている「森山大道 終わらない旅 北/南」の関連イベントで、森山さんによるポートフォリオレビューが行われるので見に行く。公開の批評会は15時からなので、その少し前に会場に着いて5人の応募作品を鑑賞。ほどなく批評会が始まった。作者一人一人が作品の解説をし、森山さんが総評。その後質疑応答が行われて1時間ほどで終了した。
 明日も14時〜18時まで関連のシンポジウムがあるので、少し早めに来て肝心の森山さんの写真展を見ようと思う。
豚肉の解体ショー
 4日ぶりに外出したので自転車でスーパーへ。お肉屋さんのコーナーでは豚肉の解体ショーが行われていた。マグロの解体ショーは何度も見たが、豚は初めて。
  沖縄では爪と鳴き声以外は食べると言われるほど豚肉は親しまれていますが、街中の普通のスーパーで解体ショーは驚きです。
←思わず携帯電話で撮影。
↓チーズケーキ。→修理中のエレベーター。
修理中のエレベーター
チーズケーキ

 先日はアップルパイをホールで買ったが、今日はチーズケーキのホールを購入。冬は甘いものが食べたくなる季節です。
 買ってきた荷物を持ち、8階までゆっくり階段で上がる。ちょっと息が荒くなりますね。エレベーターは箱ごと取り替えるんだろうか?

 琉球新報に「永田町の民意もある」 防衛政務官、辺野古で発言という記事が載っていた。記事の後半で永田町の民意ではなく国会の民意だと防衛省の木原稔政務官は訂正しているが、「国会の民意」??
「民意」を辞典で調べると人民の意思、国民の意見と書かれている。確かに国会議員も国民だが、議員の意見を民意と言うのだろうか。選挙期間中に「国民のみなさん・・・」と呼びかける時、彼らは国民とは少し距離を置いた立ち位置に居ないだろうか。
 国会の民意も不思議な言葉だが、名護市長選の結果に触れて「今回の選挙結果は直近の民意だが、同じように選挙で選ばれた仲井真弘多知事の埋め立て承認も民意の一つだ。そういうことを踏まえ、丁寧に議論せねばならない」という発言もしている。
 不思議な事を言う人だと思う。 名護市長選で辺野古への新基地建設を反対する稲嶺さんが当選したのは、民意による選択だ。しかし、普天間飛行場の県外移設を公約に掲げて再選した仲井眞知事が、新基地建設に繋がる辺野古埋め立てを承認する事は、民意ではなく民意への裏切り行為だろう。
 それにしても、何でこの人は民意民意と民意を強調するのだろう。強調すればするほど、民意をないがしろにしようとしているのではないかと勘ぐりたくもなる。

1月20日(月)

 昨日、名護市長選が行われ、即日開票の結果、辺野古への新基地建設反対を掲げる現職の稲嶺進さんが当選した。
名護市長選挙

 自民党が推薦する前県議の末松文信氏との一騎打ちで接戦になるかとも思われたが、開票の始まる1時間前の20時に沖縄タイムスが電子号外で稲嶺氏の当選確実を報じていた。
 開票の結果も稲嶺氏が1万9839票、末松氏が1万5684票と4000票以上の差をつけての当選となった。

←開票後の選挙結果を報じるテレビのニュース。

 一夜明けた今日も、朝からテレビのニュース番組、ワイドショーで名護市長選の結果が伝えられている。今回の選挙結果は新基地建設反対の稲嶺さんが当選したというだけでなく、県外移設を公約に選挙で当選しながら辺野古移設を容認した沖縄の自民党議員5人や、同じく方針転換した自民党の沖縄県連埋め立て申請を承認した仲井眞知事への名護市民からの”NO"という強い意思表示だろう。
 自民党は辺野古移設を、住宅地にある普天間飛行場の危険性の除去という大義名分で推進しようとしているが、危険性の除去なら先ずは日米で取り決めたオスプレイの運用ルールを米軍に守らせる事だろう。そして日米地位協定の見直し。これで危険性は随分と変わるように思う。逆にこれすら出来なければ、どこに基地を作っても危険性は変わらないだろう。
 昨日は名護市長選の他、南相馬市長選も行われて脱原発の現職、桜井勝延氏が再選した。次は、23日に公示される都知事選だな。

 今日からビルのエレベーター工事が始まった。入居した時からやたらと定期点検が行われて、酷い時には月に2、3回点検で停まっていた。もう点検修理ではダメなようで、全面的にエレベーターをリニューアルすることになったようだ。これから1週間ほどエレベーターが使えない。8階建ての8階に住んでいるのでエレベーターなしは辛いが、しょうがない。灯油やお米等は昨日、一昨日のうちに買っておいた。普段エレベーターで持って上がっている自転車は、しばらく1階に置いておく事にした。

 一昨日、出版社からの速達が届いた。4年ほど前に撮影した書籍が、今度海外の出版社から中国語に翻訳されて発売になるという事で、それに対する契約書と覚書だった。著者ではないので印税ではないが、写真使用料がいただけるようだ。大きな金額ではないが、離島に1、2回撮影に行く旅費にはなるかな。本が発売になるのは、まだ先のようなので気長に待つ事にします。
 さっそく覚書に署名、捺印して封筒に入れて郵便局へ持っていった。

↓覚書。→中央のコンクリートの部分がエレベーター。
エレベーター
覚書
 せっかく郵便局へ行くのに階段で下りたので、ついでに少し買い物。スーパーでアップルパイのホール399円を買う。

 夜になって佐久間正英さんの訃報が伝えられた。肩書きを音楽プロデューサーとしている記事が多いが、個人的な思い入れは四人囃子のベーシスト。近年は早川義夫さんとステージで競演されていたようだ。
 You Tubeから「レディ・バイオレッタ/四人囃子」「 サルビアの花ほか/早川義夫+佐久間正英+HONZI

アップルパイ
那覇の空
↑ベランダからの那覇の空。左は一昨日の朝、右は昨日の夕方。

1月17日(金)

 朝9時前に部屋を出て、新都心にある大きな病院へ。初診なので色々質問用紙に答えて、診察券を作る。奄美・沖縄の旅で病院の診察券を作るのは3つ目だ。前の2つは歯医者さん。
 7月に八重山の豊年祭を撮影に行った時から、膝が痛み出した。祭祀を撮影していると一日中立ちっ放しだったり、歩きっ放しだったりする。それが何日間も続き、しかも100円ショップの直ぐに底がすり減る粗雑なサンダルを履いていたから痛めたのだと思う。 
  10月の中頃まで祭祀の現場を訪ねて出歩く事が多く、膝が痛いままだった。一番酷い時は、しゃがむと激痛が走った。歩くのも自転車に乗るのも、しんどかった。
 11月になって撮影に出かけるペースがゆっくりになり、湿布の効果や、シャワーだけではなくて湯船に浸かるようにしたこともあって、だいぶ良くなってきた。それでもまだ少し違和感がある。 
 また、最近は腕や手首が痺れる事がある。首も痛いので、手の痺れは首から来ていると思っている。カメラを2台持つ時は、1台を首にぶら下げる事も多いので負担がかかる。また部屋に居る時はパソコンに向かっている時間が長いので、それも首に負担がかかるのだと思う。
 そんな訳で、一度ちゃんと病院で診てもらおうと思っていた。
 整形外科のロビーで待っていると、名前を呼ばれて先ずはレントゲン。首、腰、膝を細かく撮影。またしばらくロビーで待っていると、名前が呼ばれて先生による問診。先ほど撮ったレントゲン写真を見ながら説明される。首も膝も骨に異常はなく、コリだろうとの見解。膝は疲労骨折でもしているんじゃないだろうか、首にはギブスをはめた方がいいんだろうか?と心配していたので、一先ずホッとした。
 問診の後、病院内のリハビリ施設で首の治療。首を伸ばす機械と、電気を当てる機械を受ける。会計を済ませて病院を出たのは12時を過ぎていた。
 病院の横にある薬局で処方された飲み薬2種類と湿布薬を受け取る。お財布に優しいジェネリックのある薬は、そちらにしてもらう。
診察券
お薬
森山大道 前売り券
↑診察券。
↑処方された薬と、おくすり手帳。
↑森山大道写真展の前売り券。

 薬を受け取った後、せっかく新都心に来たので沖縄県立博物館・美術館へ行き、今月の23日から開催される「森山大道 終わらない旅 北/南」の前売り券を購入。売店で今図書館から借りて見ている「母たちの神 比嘉康雄展」(沖縄県立博物館・美術館)の販売について聞いたところ、この図録は写真展の会期中に売り切れたそうだ。
  沖縄県立博物館・美術館から、近くのコンビニへ。水道代とガス代を払って家に帰る。昼ご飯を食べて、早速薬を飲む。後はパソコンの前に座って、与那国島で撮影して来た写真の作成。

 今日で阪神大震災から19年。元陸軍少尉・小野田さんが昨日の午後、亡くなられた。明日から今帰仁グスク桜まつりが開催される。そして明後日、いよいよ名護市長選挙が行われる。
 それにしても、告示後に「500億円の名護振興基金新設」を党の推す候補者の応援演説で表明する石破茂幹事長の行為は、選挙違反に当たらないのだろうか?

1月16日(木)

 午前中に洗濯。昨日買った刺身の盛り合わせの残りで昼ご飯を食べた後、郵便局へ寒中お見舞いのハガキを出しに行く。
  郵便局から安里の床屋さんへ行く途中に自転車屋さんがあったので、スタンドのバネを取り付けてもらう。年明けに、自転車スタンドのバネの引っ掛ける部分が錆でポロッと取れてしまった。何重にも巻いた輪ゴムをバネ代わりに応急処置をしていたが、走っている途中に振動でスタンドが頻繁に下りて来る。バネの値段を聞いたら400円なので、付けてもらった。他にも変速ギアなどが壊れているので全部直すといくら位か尋ねると、新しい自転車を薦められた・・・orz。
 久しぶりの床屋さん。髪の毛を久々に伸ばそうかと思っていたが、寝癖やなんだで面倒くさくなり挫折した。3ミリのバリカンを入れる。中央は少し立ててソフトモヒカンに。
 床屋さんの近くの栄町市場で、ミカンと人参とチンゲン菜を購入。スーパーで肉、キャベツ、総菜他を買って帰る。
バネと那覇の空
↑写真左は、交換した自転車スタンドのバネ。これで安心。右は、今日の那覇の空。
月
 スーパーで買ってきた豚バラの切り落としと、合挽のひき肉を小分けにして冷凍。安かったチンゲン菜は痛み始めているので、早速今晩の料理に使用。タマネギ、人参、チンゲン菜、エノキ、ひき肉を具材にした中華スープ。仕上げに溶き卵とごま油。 
 外は大きくまん丸な月が出ていた。満月だろうか。

1月14日(火)

 1月9日から今日まで、島最大の祭祀マチリ・カンブナガの後半を見に日本最西端の与那国島へ行っていました。
 11日は祖納集落の嶋仲公民館が主催の五穀豊穣を願うンマナカマチリ、12日は祖納の西公民館が主催の航海安全を願うンダンマチリ。夜籠もりが明けて13日の朝からアンタドゥミ(明日へのとどめ)に入り、神別れが行われて、昨年12月20日から25日間続いた祭祀が無事に終了しました。
与那国島のヤギ。
↑祖納の浦野墓地近くにて。後方の切り立った崖はティンダハナタ。1月13日に撮影。

1月14日(火)

 与那国島に来てからず~っと朝早かったので布団の中でのんびりしていると、宿のオーナーから飛行機の時間だよ、と声を掛けられてビックリする。ん!?那覇行きの直行便でお昼頃の出発なのだが、オーナーは石垣行きの第一便に乗るのだと勘違いしたようだ。自信を持って起こされたので、間違いだと思いながら一瞬心配になった。
 荷物を整理してから、色々とお世話になった教育委員会へ挨拶に行き、少し集落を散歩。途中から小雨が降り出した。風も強く、フェリーよなぐには欠航となったようだ。南の島は夏が賑やかなだけに、冬はよけいに寂しさが募る気がする。ましてやこんな天気の日には。
祖納集落の風景
 与那国島は5泊したが、祭祀の現場と墓地を見ることで終わってしまった。
 10時45分頃に宿のオーナーに空港へ送ってもらう。11時前に着くと、搭乗手続きは1時間前からのようでカウンターが閉まっていた。
帰りの飛行機
搭乗ロビーへの案内

↑搭乗待合室に入れるのは出発の15分前からと書かれた案内。
←帰りの飛行機。機長と思われる人が機体へ歩いて行く。

 機内に預ける荷物をチェックし、直ぐに搭乗待合室に入ろうと思っていたら、案内は15分前からだった。
 搭乗待合室から歩いて、12時5分発の那覇行きRACO724便へ。フライトの途中、機長から追い風が弱いため予定時刻より到着が遅れるというアナウンスがあった。

 那覇空港から、モノレールで美栄橋へ。途中にあるハイウエイ食堂で、カキフライ定食を食べてから帰宅。
 与那国島で撮影した写真データを、2つのハードディスクにバックアップ。

→カキフライ定食ポーク玉子、刺身付き。

カキフライ定食

*本日の出費。自転車使用料2日間200円、那覇→美栄橋290円 カキフライ定食670円

○与那国島の祭祀について参考になるリンクLIST
与那国公民館の組織図 http://www.cosmos.ne.jp/~m-tajima/kouminkan.html
与那国研究 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/yonaguni1.htm
与那国の豊年祭 http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/yonaguni/yonaguni.html
杉島敬志研究室 http://www.chiiki.asafas.kyoto-u.ac.jp/gallery/search.php?place_lv3id=19
与那国島フィールドノート http://ameblo.jp/attacus/theme-10012371418.html
幻想のティダン(太陽) 沖縄・与那国島記録映画 http://www.youtube.com/watch?v=nhzwyxLXqPM

1月13日(月)

 今日も朝7時に館長さんのご自宅に行き、ンダントゥニまで同乗させてもらう事になっていたが、少し早めに着いて外で待っていたら供物の準備をする男性が軽トラで通りかかり乗せてもらう事になった。ンダントゥニには司と同じく夜籠もりした関係者が2人いらして、祭事の準備をしている。7時になって館長さんの携帯に、先に祭場に到着したことを連絡。
早朝のンダントゥニ01
早朝のンダントゥニ02
←↑早朝のンダントゥニでは、まだ薄暗い中、祭祀に使う供物の準備が行われていた。
↓ビディリの前での御願。
ビディリの前での御願
 今日は昨年の12月20日から25日間続いた祭祀の最終日、アンタドゥミ。明日へのとどめといった意味らしいが、神分かれを行ない、司は神衣を脱いで人間に戻る。
 まだ夜が明け切らない中、ビディリの前に供物が並べられる。7時半頃には各地区の公民館長も揃い、御願が始まった。儀式は20分ほどで終わり、次にハイナグへ移動。
↓→ハイナグでの儀式。
ハイナグでの儀式01
ハイナグでの儀式02
チィラクンダの儀式01
 このハイナグで、神分かれ(カンバカリ)の儀式。そしてチィラクンダに場所を移して主分かれ(ヌチバカリ)が行われ、司は神衣を脱いだ。これで祭祀が全て執り行われ、期間中の禁忌が解かれた。
チィラクンダの儀式02

↑チィラクンダでの儀式(写真左)。神衣を脱いで、人間に戻った神司(右)。

 9時頃、太鼓を持った青年2人と鉦を持った青年1人を荷台に乗せた軽トラックが、チィラクンダを出発。その後を司を乗せた軽トラック、各地区の館長が運転する軽トラックが続く。
軽トラの荷台に乗り、鉦と太鼓でマチリの終了を告げてまわる青年たち
 軽トラックの隊列は久部良集落から比川集落へ、そして祖納集落へとマチリが無事に終わった事を知らせるために太鼓と鉦を鳴らしてまわる。期間中は禁忌とされていた四つ足の動物の肉も食べられる。
 西公民館の館長さんの自宅の前で盛大に太鼓と鉦を鳴らして、行事が終了した。
館長さんの家での直会
焼きそば

↑館長さんの家の前にて。大きな釜で焼きそば作り。
 その後、館長さんのお宅で直会が行われた。私も座敷に上げていただいて、泡盛と料理をご馳走になった。

 13時、嶋仲公民館の館長さんの挨拶で直会もお開きに。近くの中央公民館に、昔使われていた龕があるというので見せていただいてから宿に戻る。
↓→公民館で見せていただいた龕(下)と厨子甕(右)。
厨子甕
龕
 宿で一時間半ほど休んでから、のんびりと歩いてティンダハナタへ。距離はそんなに無いが、緩い坂道が続く。展望所から祖納の集落を眺めた後、ティンダハナを下りて集落の中を散策。2時間半ほどの散歩の後、晩ご飯のオカズにと刺身屋さんに行くが、閉まっていた。
ティンダハナと祖納集落
↑集落から見上げるティンダハナ(左)と、ティンダハナから見下ろした祖納集落(右)。↓祖納集落のスナップ。
祖納集落

 晩ご飯は宿が無料で提供してくれる白米と那覇から持ってきた金ちゃんヌードル、昨日ソナ家からいただいた「ス」と呼ばれる長命草の和え物。
 昨日からの撮影データを外付けのハードディスクにバックアップした後、メモを書く気力もないのでビールを飲みながら宿のオーナー、他のゲストの方達とゆんたく。23時頃までゆんたくして、就寝。

*本日の出費。ビール150円、ポテトチップス150円

*与那国島のマチリ最終日、アンタドゥミと祖納集落の風景をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年7月22日に更新)。

1月12日(日)

 今日は祖納集落の西公民館が主催する、航海安全を祈願するンダンマチリ。祭場が集落から離れているため、西公民館の館長さんの車に同乗させていただくことになった。
 ゲストハウスから徒歩1分ほどの館長さんのご自宅に、朝の7時に待ち合わせ。館長さんの運転する軽トラックに乗せてもらい、ンダントゥニへ。
ンダントゥニでの準備
朝焼け
 まだ空が明け切らない薄暗い中、コンクリートブロックの壁とトタン屋根のンダントゥニではお供え物の準備が始まっていた。
 用意された供物を運んで、最初の祈願をするハイナグへ。8時頃に司が到着すると、館長が神酒で接待して迎える。ビディリ(霊石)の前に着座して、昨日のンマナカマチリと同じように祈願が行われる。20分ほどの儀式の後、館長から司にンバ(カニクサ)の草冠が渡された。
ハイナグにて
草冠を渡される神司

↑左は、ハイナグの入口で公民館長より接待を受ける神司。右は、ハイナグでの儀式。前日のンマナカマチリと同様に、各地区の公民館長が揃う。ハイナグの位置は区画整理(?)などで移動して、現在はアヤミハビル館の敷地の奥にある。

←ハイナグでの御願の後、公民館長より草冠を授けられる神司。

 ハイナグからンダントゥニへ移動して、ンダントゥニの敷地にあるビディリの前で合掌祈願が行われる。司は儀式の始まる前に、先ほど頭に着けた草冠をビディリの横にあるソテツの木に掛けた。
ンダントゥニでの御願

 ンダントゥニから、次の祭場ミドゥヤマへ。館長さんの運転する軽トラの助手席に司が、私は荷台に乗せてもらって移動。
 同所はドナンバラ家のブナダラの墓といわれている。一九七五年にはうっ蒼とした山になっていたが、今は木が払われ祭場にはセメントが敷かれている。カウを立てるところは、自然の岩を掘り込んでつくられた墓のようなたたずまいである〜「神々の古層 巡行する神司たち マチリ」から〜。

 ミドゥヤマでの祈願は9時頃に始まり、儀式の後に司から列席者に神からの託宣が伝えられた。託宣は祈願の後、ほぼ毎回告げられるが、この祭場では長く語られて儀式が終了したのは10時を過ぎていた。ミドゥヤマの出口で館長から、今度はイトゥ(唐ツルモドキ)の草冠が司に渡される。

            ↓→ミドゥヤマでの儀式。

ミドゥヤマ01
ミドゥヤマにて02
 ミドゥヤマから軽トラックで移動し、ンダントゥニへ。ンダントゥニに入る前に、隣接するソナ家トゥニとドナンバラ家トゥニ(与那原家)で接待を受ける。そしてンダントゥニに入る時は、館長からカンヌイユ(神の魚)が司に渡される。
ソナ家での接待
ドナンバラ家での接待

↑上は、ソナ家トゥニでの接待。下は、ドナンバラ家トゥニでの接待。どちらも屋敷跡となっている。
→ンダントゥニの入口で、館長からカンヌイユ(神の魚)を手渡される神司。
↓ンダントゥニでの司の御願。建物の中から庭にあるビディリを拝んでいる。

カンヌイユを渡される神司
ツイヌトゥニでの御願
ドナンバラ家の祝宴
 先ほどは敷地にあったビディリの前で御願が行われたが、今度はンダントゥニの建物の中で儀式が行われた。儀式の間、隣りのドナンバラ家の祝宴の歌が聴こえていた。
 ンダントゥニでも儀式の後、昼食が出され、参列者を交えて祝宴が開かれた。ウブダラ ナガダラ(大椀 中椀)、タティウサイがあり、踊りが披露された。途中、雨が降り出して庭にテントが設営される。
←ドナンバラ家の祝宴。
ツイヌトゥニでの祝宴
↑ンダントゥニでの祝宴。↓ンダントゥニでのドゥンタ。
ツイヌトゥニでのドゥンタ
 14時過ぎに始まった祝宴は、15時半過ぎまで続いた。途中強い雨も降ったが祝宴の後に行われる与那国島の巻踊り・ドゥンタの頃には止んだので、庭のテントをどかして中央にドラム缶の焚き火を設置。火を囲んで輪になってドゥンタが踊られた。
 これでンダンマチリの祭事は終わって、後は朝まで司と関係者は建物の中で夜籠りをする。
天ぷらの作り方
↑ドゥンタの後、夜籠りの晩ご飯用に天ぷらが作られた。下の中央が魚てんぷら、下の右が3色のお餅、ナントゥの天ぷら。↓ドナンバラ家のドゥンタ。
ドナンバラ家のドゥンタ
ツイヌトゥニの夜籠り

 隣りのドナンバラ家の庭でも19時からドゥンタが踊られた。
 夜食のそばと泡盛をご馳走になりながら、23時過ぎまでンダントゥニでの夜籠もりの様子を見せていただき、一旦館長さんの車で宿に帰った。

*You Tubeから2011(?)年のンダンマチリのドゥンタと、2013年のドゥンタ。ドナンバラ家でのものだろうか。

*この日のドナンバラ家の祝宴の様子もYou TubeにUPされていました。こちら

*祖納集落のンダンマチリの様子をPhoto Albumにしました。ンダントゥニでの準備、ハイナグでの御願、ンダントゥニでの合掌祈願、ミドゥヤマでの儀式、ソナ家トゥニとドナンバラ家トゥニでの接待はこちら。ドナンバラ家トゥニの祝宴、ンダントゥニでの御願と祝宴、ドナンバラ家でのドゥンタはこちら。(2014年6月4日に更新)。

1月11日(土)

 今日は嶋仲公民館主催の五穀豊穣を願うンマナガマチリ。最初の祭場であるマイヌトゥニ(*トゥニは祭場の意味と思われる)で、8時から朝のニガイが行われる。7時半頃に祭場に着けばいいかと思っていたが、早く起きて準備も出来たので自転車で向かったら7時頃に到着。
マイヌトゥニでの朝焼け
 まだ誰もいない場所で、静かに空が明けて行くのを写真を撮りながら眺めていた。7時15分頃から道具を積んだ軽トラや関係者の車が集合し、祭場の設営を開始。
  マイヌトゥニについて町の案内には「なうんに村の(とぅにむとぅ)である。これは元屋、集落の創建者の家のことである。なうんに村は、1647年には長嶺村と記されているが、その後、島仲に統合されたようである」と記されている。
↓マイヌトゥニでの神事が始まる前、隣りにある友利家トゥニを案内してもらった。中央は竃とヒヌカンだろうか。
友利家トゥニ01
友利家トゥニ02
友利家トゥニ03
公民館長からもてなしを受ける神司01
公民館長からもてなしを受ける神司02
←↑マイヌトゥニの入口で、嶋仲公民館の館長、副館長からおもてなしを受ける神司。現在、与那国島の神司はお一人だ。
 8時前にマイヌトゥニの入口で公民館長がカァブ(神司)を出迎えて、ニガイが始まった。マイヌトゥニでの司の合掌御願のあと、ビディリ(霊石)の前に供え物が並べられて、こちらでも御願が始める。世話役の男性が司、嶋仲公民館長、他の公民館長の順にお神酒(泡盛)を注いでまわり、次にミチ(炊いた米を発酵させたミキ)を同じ順で注いでまわる。ミチは大椀、中椀が用意されている。
マイヌトゥニでの神事
 マイヌトゥニでのニガイは35分ほど行われ、次の祭場であるアラガウガン(新川御嶽)に移動。祭場の入口にある鳥居をくぐり、着座。ニガイの順序、内容は同じ。終わって鳥居を出たところで公民館から司に、草冠が与えられた。
アラがウガンでの神事
 アラガウガンから少し離れたヌックウガンへ。他の方は車やバイクなので、自転車で追いかけるのは大変だ。
ヌックウガン
↑ヌックウガンにて。
 ここはティンダハナ近くの小丘にあり、女首長サンアイイソバが見張台にもしていたといわれている。現在、付近は牧場になっている。ここの神饌はツイヌトゥニから運ばれてくる。このウガンはサンアイムラのウガンということが考えられる。〜「神々の古層 巡行する神司たち マチリ」から〜。
カンヌイユを渡される神司
 ヌックウガンから、次にツイヌトゥニへ。入口で公民館長から司にカンヌイユ(神の魚)が渡される。ここでもニガイは同じように行われたが、タティウサイと言われるさきいかが世話役の男性から配られ、ミチを注ぐ時は二名の女性が登場し歌いながら接待する、ウブダラ ナガダラ(大椀 中椀)という儀式が行われた。
ツイヌトゥニでの神事
 ツイヌトゥニについては、「ここは北の集落(サンアイ村)の(とぅにむとぅ・元屋)」と説明されている。
ツイヌトゥニからマイヌトゥニへ
 ツイヌトゥニから再び、マイヌトゥニへ。ここでも入口でカンヌイユが渡され、ニガイやタティウサイ、ウブダラ ナガダラが行われる。またマイヌトゥニでは司、役員だけではなく参列者にも行われた。
マイヌトゥニでの御願と祝宴
ドゥンタ
マイヌトゥニでのニガイ

↑与那国島の巻き踊りである、ドゥンタ。

 ニガイの後は、祝宴がもうけられ踊りが披露された。その後、各公民館長さん他の挨拶があり、与那国島の巻き踊り・ドゥンタが行われた。嘗てはこの場所で夜籠りしたようだが、今は行われていない。そのかわりドゥンタの後に、もう一度ニガイが行われた。これは夜籠りの終わった朝に行うニガイを早めて行っているようだ。

 ンマナガマチリの行事が総て終わったのは16時過ぎだった。明日は西公民館主催のンダンマチリが開催される。今日はそのウサイ作りが行われているようなので見学に行く。料理はあらかた出来上がっていたが、チンムイを作る過程を撮影させていただいた。
西公民館のウサイ作り
 西公民館から昨日も行った浦野墓地へ。大きな破風墓、亀甲墓がならぶ墓地を写真を撮りながら歩く。昨日と打って変わって日差しがあり暖かい日だった。
浦野墓地01
浦野墓地02
 宿に戻る途中、隣りのスーパーで明日のンダンマチリに持って行くお祝いの泡盛を買って行く。宿に帰ってシャワーを浴びる。昨日も一緒だったゲストの人が刺身を買って来たので、昨日のお返しでご馳走になる。今日撮影した写真データを、外付けのハードディスクにバックアップ。今日はトラブルもなくコピー完了。昨日の撮影データが消えていたのはなんだったのだろうか。

 今日のマチリの様子を思い出しながらメモを書く。

*本日の出費。どなん30度1升瓶1480円。
*神司を指す言葉がカァブ、カーブの2種類あるが、集落の人の発音がカァブに近かったので、こちらにした。

*嶋仲公民館主催の五穀豊穣を願うンマナガマチリの様子と、祖納集落の浦野墓地の写真をPhoto Albumにしました。ンマナガマチリのマイヌトゥニからアラガウガン、ヌックウガン、ツイヌトゥニでの御願はこちら。再びマイヌトゥニでの御願と祝宴の様子はこちら。翌日行われる西公民館主催のンダンマチリのウサイ(ご馳走)作りと、浦野墓地の風景はこちら。(2014年5月23日に更新)。

1月10日(金)

 7時半に一階の食堂で朝ご飯。食べ終わり部屋に戻り、荷造り。9時40分頃にチェックアウト。久部良のバス停に行き、10時発の町営バスで祖納集落へ。町営バスは、本数は少ないが無料運行している。祖納に着いて、今日から4泊するゲストハウスへ。チェックインの手続きをしてから町役場の隣りにある教育委員会へ、明日、明後日行われるマチリの詳細を聞きに行く。明後日行われる西公民館主催のマチリは、公民館長さんがいらしたので、その場で撮影を申し込んで許可を貰った。明日の嶋仲公民館へは直接挨拶に行く事になった。
 教育委員会の建物を出たら、丁度消防出初め式が始まったので、しばらく見学させてもらう。出初め式の後、一旦宿に戻り自転車を借りて嶋仲公民館を訪ねて、明日のマチリの撮影許可をいただいた。
 公民館から宿に戻り自転車を置いて、バス停へ。島の大きさを掴もうと13時15分の町営バスで久部良、比川を回り、14時に祖納に戻って来た。それから明日の最初の祭場であるマイヌトゥニの場所を確認しに自転車で行ってみる。教えてもらった通りに走ると、間違えずに着いた。なだらかな坂道が少し続くが距離はなく、下り坂となる帰り道は宿まで10分ほどで戻って来れた。
 晩ご飯のオカズを探しに宿の隣りにあるスーパーへ。刺身を買おうと思ったが大きなブロックしかなくて断念。
 小雨が降って来たので傘をさして集落の外れにある浦野墓地へ。大きな破風墓や亀甲墓が並んだ有名な墓地の中を写真に撮りながら歩いてまわった。一通り墓地を歩いて集落に戻り、自転車で少し離れたスーパーで刺身を探すと刺身屋さんを教えて下さった。教えてもらった刺身屋さんでクロマチの刺身を500円分作ってもらう。
 刺身を宿の冷蔵庫に入れて、再び自転車で嶋仲公民館へ。チンムイや高膳、ミキなどの写真を撮らせていただいて集落の方に話しを聞かせ貰って宿に帰って来た。途中、隣りのスーパーで明日ンマナカマチリにお祝いで持って行く泡盛の一升瓶を購入。
 戻って来ると、ゆんたく場に宿泊客の方が3人座ってご飯を食べていた。このゲストハウスは白ご飯はただで食べられるので、買って来た刺身で晩ご飯にする。
 食べ終わって今日撮影したデータをバックアップしようと思ったら、撮影したデータが最後に撮影した15枚ほどを残して、消えていた...orz。
チンムイとタティウサイ

↑残っていた写真データから。左は、チンムイ。カマボコ、厚揚げ、天ぷら、昆布巻き等を皿の上に立てて飾った供物。沖縄本島で言う、シンムイと同じだろう。芯には大根が使われていた。手前の大きな四角と半円筒形のカマボコを上に乗せ、木の枝を飾れば完成する。白とピンクと黄色のカラフルなものは、ナントゥと呼ばれる3色のお餅。右の皿に乗ったものは、細く裂いたスルメで、タティウサイ。箸で摘んで参列者の手に乗せて振る舞われる。縁起物とされ、今回のマチリだけではなく色んな祝い事で行われるようだ。奄美大島の正月にも、家長がスルメ、塩、昆布を家族に分け与える行事がある。

*本日の出費。宿泊費4日分6000円、ボンカレー200円、刺身500円、どなん30度1升瓶1480円。

1月9日(木)

  今日から日本の最西端の島、与那国島へ。与那国島は、先月の20日から25日間に及ぶ長いマチリの期間に入っている。
 早めに起きてご飯一合炊いて、おにぎりを3個作る。昨日の内に荷物はまとめておいたが、最終確認をして6時前に部屋を出る。美栄橋まで歩き、6時13分のモノレールで那覇空港へ。日本航空のカウンターで手続きを済ませて、搭乗ロビーで出発を待つ。
与那国行きの飛行機
 飛行機は那覇空港7時40分発の、琉球エアコミューターRACO721A便。想像していたより随分と小さな飛行機だが、乗客も15人ほどだった。沖縄は昨日から強風が吹いているが、覚悟していたほどには揺れずに到着。
 与那国空港でタラップを下りると強い横殴りの雨。係員が傘を渡してくれるが、空港の建物まで濡れながら歩いた。到着時刻は予定の9時20分頃だった。
 空港の出口で、今日一泊する民宿の迎えの車を待つ。今回は往復の飛行機だけより、宿泊付きのプランの方が安かったのでプランの中にある民宿の中から久部良集落にある宿を選んだ。那覇ー与那国島の往復チケットと、一泊2食付きの民宿で22300円だった。
 しばらく待っていると民宿の若い男性のスタッフが、ライトバンで迎えに来てくれた。後に荷物を入れて、島の西端に位置する集落へ向かう。
 宿帳に名前を記入し、部屋に案内してもらう。新館のツインだ。とりあえず荷物を置き、朝作ってきたおにぎりを食べて、テレビを観ながらベットで横になり、しばし休憩。
 空は曇りで小さな雨も降ったり止んだりしているが、このまま部屋で休んでいてもしょうがないので13時過ぎにカメラも持って外に出る。まずは宿から見える日本最西端の西崎灯台へ。距離にして1キロほどだろうか。緩い上り坂が続くが、それほど大変でもない。灯台の辺りから久部良集落を眺めたり、崖に打ち寄せる波しぶきを撮影したり。
西崎灯台
 波しぶきは強い風に煽られて横殴りの雨のように身体を、カメラを濡らす。ちょっと撮影しては水滴が付いたレンズを拭かなくてはいけない。
久部良集落

 与那国空港に到着する寸前、飛行機の窓から島のどこかの崖近くに座礁した貨物船が見えた。昨年那覇で開催された離島フェアーで、荷物を積んだ船が座礁したとニュースで見たが、その船がまだそのままになっている。灯台に来る途中、競りの情報を聞こうを漁港に寄ったが今日は時化で船が出ていないから、明日の競りはないそうだ。

←灯台から眺める久部良集落。日本再西端の島の、最西端の集落。

↓→与那国馬。
与那国馬02
与那国馬01
 西崎灯台から集落の中を少し歩き、それから久部良バリへ。久部良バリの少し先に与那国馬の牧場があり、馬小屋の手前に大小様々なお墓があった。お墓の写真を撮っていると、馬にエサをやりに軽トラックに乗った女性が。馬が好きで与那国島に来て、10年が経つという。ここにあるのは珊瑚を掘っただけのものや、それをコンクリートで固めたもののようだ。崩れるままになっているお墓も多く、それらは親族が島を離れて手入れができなくなったお墓のようだ。もう少し先には新しい墓地があるというので行ってみた。最近亡くなられた方がいて、旗が立っているという。しばらく歩くと、旗がまわりを囲むようにして立っているお墓があった。
久部良バリ周辺と集落の中
↑上の4枚は久部良バリの周辺、下の2枚は集落の中。↓最近亡くなられた方のお墓。旗に書かれた文字は、ペンキにお酒を混ぜたものを使うそうだ。
最近亡くなられた方のお墓
 両側にお墓が並んだ道をまっすぐ歩いて行くと集落に出た。小学生の女の子が走って来たので、港に出る道を教えてもらう。教えられた道を歩いて行くと、港に出た。近くの商店で与那国の泡盛、どなんの30度、360ml550円を購入。ちょっと歩き疲れたが、部屋に戻るには早いので宿の前の久部良港をぐるっと散歩。
久部良港と西崎灯台
↑久部良港(左)と、久部良港から見た西崎灯台。
 4時間強の散歩を終え、17時半頃に宿に戻る。テレビをつけると、川崎で逃亡していた犯人が捕まったというニュース。6時過ぎに宿のスタッフから晩ご飯の準備ができたという室内電話。
↓民宿の晩ご飯。→与那国島の泡盛、どなん。
どなん
民宿の晩ご飯

 1階の食堂で晩ご飯を食べ、お風呂に湯をはり、ゆっくりと入る。撮影データのバックアップを取り、買って来た泡盛どなんをちびちび呑んで早めに就寝。

*本日の出費。美栄橋→那覇空港290円、那覇ー与那国空港往復チケット+民宿代22300円(事前に購入済み)、どなん550円。

*久部良集落のスナップをPhoto Albunにしました。こちら。(2014年5月20日に更新)。

1月7日(火)

 新年最初の沖縄県庁前広場での抗議行動。12時少し前に到着すると、既に人が集まっていた。12時15分から30分ほど庁舎に向かって抗議のシュプレヒコールが行われた。
県庁前抗議行動
 明日8日は、ムーチー(鬼餅)。公設市場の近くにある露店では、ムーチーやムーチー作りに使う月桃の葉が売られていました。せっかくなので明日のために、黒糖味と白(プレーン)各100円を一つずつ買って帰る。

↓店先に並べられたムーチー。→月桃の葉。

月桃の葉
ムーチー
 那覇市議会は昨日の臨時議会で、仲井眞知事が辺野古埋め立てを承認したことに対して抗議する意見書を賛成多数で可決した。それに対し、自民党県連は賛成した県連所属の市議の処分を検討するという。

1月6日(月)

 昼ご飯を食べた後、腹ごなしに自転車で小湾自治会館へ先日撮影したアギバーリーの写真を届けに行く。
小湾集落の模型
小湾川
↑自治会館の中に展示してある、嘗ての小湾集落の模型。個人が作られた物で、一軒一軒に屋号が書かれている。
←帰りは、小湾川に沿って河口まで自転車で行ってみた。写真は、パイプライン通りから河口方面を見る。小湾川については、こちらを参考に。
↓国道58号を越えると、暫くはキャンプ・キンザーの横の道を通る。
キャンプ・キンザー
 小湾川沿いに河口まで行った後、自治会長さんから国立劇場おきなわの向かいにある浦添市産業振興センター1階の結の街にも小湾集落の模型がある聞いたので見学してきた。
泊港から見た落陽
取り壊されたハーリー会館
 帰り道に泊漁港の横を通ると、空がオレンジに輝いている。魚市場の奥、防波堤に座って夕日を眺める。雲が多いので期待していなかったのだが、見事に太陽が水平線に沈んで行った。
  せっかくなのでYou Tubeから「落陽/吉田拓郎」を。
 市場の傍にあったハーリー会館は、建て替えのために取り壊されている。
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

1月5日(日)

 朝から洗濯。お昼ご飯は、お雑煮。蕎麦とお餅が続いている。
 午前中から、一昨日撮影したアギバーリー道ジュネーの記念写真をプレゼント用にプリントしたりデータをDVD-Rに焼く作業。
 こちらに夕方5時から6時まで知事公舎抗議行動があると書いてあったので、自転車で向かう。グーグルの地図で知事公舎の場所を確認すると、県立図書館の傍だった。
 途中、神里原社交街の横を通ったので撮影。昨年の6月には重機が置かれていたが、今はキレイに更地になっている。更地の奥のブルーの建物では、まだ何軒か営業しているようだ。
スナップ
 与儀公園の横の道を県立図書館に向かって入って行くと、突き当たりが柵で閉鎖されてガードマンが立っている。その奥には機動隊の車とパトカーが控えている。この先が知事公舎のようだ。図書館に来るのに何回も前を通っていたが、こんな警備を見るのは初めてだ。
 5時になっても誰も集まらないので、隣りの図書館で本を探して借りる。向かいの公園では、おじさん達が碁に興じている。ガードマンの方に聞いたところ今朝は抗議が行われたが、夕方はなさそうなので5時半頃まで居て帰ることにした。
↓借りてきた本。→封鎖された知事公舎入口への道路。
封鎖された知事公舎入口
今日借りてきた本
 今日、県立図書館で借りてきたのは何回目かになる「神々の古層 巡行する神司 マチリ(与那国島)/比嘉康雄」(ニライ社)、「母たちの神 比嘉康雄展」(沖縄県立博物館・美術館)、「熱き日々 in オキナワ/石川真生」(フォイル)。
 少しですが、本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

1月3日(金)

 昨年1月5日の琉球新報のweb版に掲載されていた「アギバーリー勇壮に 繁栄を願って集落練り歩く」という記事に興味を引かれ、今年は是非見てみたいとメモしておいた。昨年の暮れに主催している小湾自治会館に電話をして、詳しい時間と場所を教えていただいた。
 嘗て小湾集落のあった土地は、現在キャンプ・キンザーの中にある。戦後、軍用地として接収されたため、小湾集落の住民は国道58号(軍用道路1号)を挟んで反対側に位置する、宮城地区に移住した。昨年4月に三月あしびを撮影させていただいた、旧日本軍により小禄飛行場(現那覇空港)を造成するために土地を接収された鏡水地区とよく似ている。鏡水地区の場合は拝所の一つが陸上自衛隊基地の中にあるため、三月あしびの時は事前に自衛隊に連絡をして中に入り、御願をした。後で聞いたのだが、小湾地区は幾つかあった拝所を一つに纏めて宮城にある共同墓園の一角にお宮を作って奉っているそうだ。
  アギバーリーとは地バーリー、陸で行うハーリーのようだ。由来等は上にリンクした琉球新報の記事にある。地バーリーは那覇市泊地区の他、大嶺地区でもあるようだが、小湾のように道ジュネーを行うのは他にはないようだ。この道ジュネーをお正月にやるようになって今年が8回目だという。

 アギバーリーのスタート地点は、小湾自治会館。家から自転車でも行ける距離だが、天気予報は曇りのち雨。自治会長さんに教えていただいた99番の天久新都心線で向かうことにする。このバスを運行するバス会社に電話で確認したところ、下りは最寄りのバス停には停まらないようなので少し離れた泊高橋へ。帰りの上りは、最寄りのバス停を通る。国道58号を挟んだ上りと下りのバス停に距離があり、その途中に新都心へ行く三叉路があるので、バス路線によってはこんな変なことになっている。
 泊高橋を12時43分発の天久新都心線に乗車。集落の道ジュネーは15時からだが、14時半から共同墓園で御願があるという。14時頃に自治会館に行けば同行できるということだったので、少し早めに向かう。
 バスは国道58号から新都心に入り、また58号に戻りキャンプキンザーの前を右折して、パイプライン通りに入った。なんだか遠回りだが、もともと距離がそんなにないので13時8分頃に小湾のバス停に到着。バス停の向かいが自治会館だった。
 周辺を少し散歩してから、会館の中を見せていただく。旗頭やハーリー舟の組み立て、衣裳への着替えが行われている。出発前には「アギバーリー歌」の練習もあった。

(一) 小湾走(くわんは)る舟(ふに)ぬ 浦添村上(うらしぃむらのぶ)ティヨー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー
   *エーイ 小湾陸(くわんあぎ)ハーリーヌヨー
    ハーリー拝(うが)り シーリーラー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー 

(二) 今年物作(くとしむづく)イヤ アン清(ちゅ)ラサー
                   ユカティヨー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー
   *エーイ 世果報歳(ゆがふどうし) 浮(う)キティヨー
    ハーリー御祝(うゆえ) サビーラー
    ハーリー小湾ヌ ヘンサーヨー

(三) 石子( いしなぐ)ヌ 石(いし)ヌ 大石(うふしー)成ル
                      マディンヨー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー
   *エーイ 御掛(うか)キ 欲(ぶ)セミソリヨー
    ハーリー 御願(うにげ)サビラー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー

   *は全員で

小湾の共同墓園で
共同墓園での旗頭演舞

↑左は、自治会館から小湾出身者の共同墓園に向かうハーリー舟の型をした山車。右は、共同墓園で御願をする保存会の会長さんと、自治会長さん。
←共同墓園内で旗頭の演舞。
↓共同墓園で記念の集合写真。予定していた撮影担当者が到着しなかったので、急遽私が撮影することに(笑)。

記念写真
 共同墓園での御願と旗頭演舞の奉納の後、集落を道ジュネー。天気予報の通り、雨が降り出した。昨日、一昨日の快晴とは打って変わって土砂降りの雨になった。
 ところどころで櫂を漕ぐ真似をし、アギバーリーの歌を唄いながら集落の中を進む。
道ジュネーの様子
 途中の公園では旗頭演舞の他、「かぎやで風」の舞や伝統芸能が披露された。この後、激しい雨に打たれながら自治会館へ。16時半頃に会館に着いて、着替えと道具の片付けをして直会となった。
ヤギ汁01
ヤギ汁02
←↑自治会館ではヤギ汁と牛汁が振る舞われた。大人気のヤギ汁。
↓牛汁とヤギの刺身。この他、おにぎりや子供達が午前中に搗いたお餅をいただいた。
牛汁とヤギ刺し

 自治会館の講堂のような場所にテーブルやパイプ椅子が並ぶ。各自ヤギ汁、牛汁をチョイスして暖かい汁で冷えた身体を温める。一緒にどうぞと誘われて牛汁を1杯、ヤギ刺しを3切れほど食べて、おにぎりや子供達が搗いたお餅もいただく。せっかくなので牛汁の後に、ヤギ汁も少し食べてみた。
 帰り際にはお饅頭とミカンまでいただいて、ほろ酔い気分で帰りのバスに乗る。天久新都心線の上りは最寄りのバス停で停まる。行きは270円だったが、帰りは260円だった。

こちらに、接収される前の小湾集落の写真が何枚か掲載されていました。

*小湾アギバーリーの様子をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年5月15日に更新)。

1月2日(木)

 昨年5月に知り合った、泊の外人墓地を撮影されている新垣さんと、午後1時に新都心のマクドナルドで待ち合わせ。マックも近くのファミレスも人がいっぱいのようなので、新垣さんの車で少し離れたロッテリアへ。祭祀の行われている場所で何回かお会いすることはあったけれど、お互いに撮影していると、その時はゆっくりお話しをする時間もゆとりもないので、お正月2日目の今日になった。
 自分の持って行った奄美群島の写真をポストカードサイズにファイルしたものと、新垣さんが今年奄美大島と与論島で撮影した写真をノートパソコンに入れてスライドにしたものを見せ合いっこしながら、写真の話し、沖縄の話し、奄美群島の話しをしていると、あっという間に2時間半が経った。写真の話しができるのは楽しい。
 あまりに話しに夢中になって、飲みかけのコーラが乗ったトレーを床に落としてしまった。
のし烏賊のような雲
↑ベランダから那覇市街。千切ってみたくなる、のし烏賊のような雲。南城市辺りの上空を被っているのだろうか。
正月2日目のスナップ
 新垣さんに新都心のマックまで車で送ってもらい、自転車で部屋に戻る。ベランダから、のし烏賊のように空を覆う雲を撮影してから、初詣に。
 昨年は波上宮へ参拝しに行ったので、今年は護国神社へ。参拝を済ませて那覇港の方へ自転車を走らせると、太陽が沈んで行くところだった。那覇港の中にある波布食堂はシャッターが降りて、しめ縄が飾られている。北の波止場、西の波布と言われる?くらいこの店も大盛りで有名な食堂。今年は是非、波布食堂のカツ丼にチャレンジしたいと思う
 那覇港から家に戻る途中、波上宮に寄ってみるが、人の多さに鳥居の手前まで行って帰って来た。

1月1日(水)

明けましたね、2014。

元旦の那覇の朝02
元旦の那覇の朝01
↑夜が明け切る前の那覇市街。
←昨年の初日の出は、首里城から見た。今年は部屋のベランダから。向かいのビルから太陽が顔を出す。

 今日は今帰仁村営闘牛場で、新春北部闘牛大会が開催される。闘牛大会は13時からだが、12時から民謡ショーが行われるというので、最寄りのバス停を7時54分に発車する名護西線に乗車。名護バスターミナルで、10時20分発の本部半島線今帰仁廻りに乗り換える。
 闘牛場に一番近い仲宗根バス停で降りて、運転手さんに大まかに教えてもらった道を歩き、途中で見かけた集落のおばさんに尋ねて会場に着いた。バス停から徒歩20分ほどだったろうか。
 11時5分くらいに到着して、受け付けで入場料3000円を支払う。民謡ショーまで後1時間ほどあり客席には殆ど人は居ない。朝早く起きて作ってきたおにぎり、卵焼き、昨日の残りのてんぷらを食べたりして開演を待つ。

↓2、3日前の天気予報は曇りのち雨で、昨日の天気予報では曇りだったが、雲一つない快晴となった。

今帰仁村営闘牛場
闘牛大会の様子

 民謡ショーを演っている間に、お客さんが少しずつ入場。家族連れ、カップル、若い女の子同士も多い。入口付近に物販コーナーが設けられて、おにぎりやアメリカンドック、金ちゃんヌードルが売られている。アチコチで金ちゃんヌードルを食べている人が居て、場内はタバコの匂いと金ちゃんヌードルの匂いがした。沖縄は何故か金ちゃんヌードルが大人気です。

 22頭による11取組(アトラクション一つ含む)が終了したのは、15時頃だった。闘牛場横の牛舎やトラックの荷台に乗せられた牛をしばらく撮影してから、仲宗根のバス停に歩く。
 真っ直ぐ帰るのも少し惜しくて集落の路地を散策。歩いて行くと道の正面に民家が。行き止まり?と思ったら縁側にいたご主人が抜けられますよ、と教えてくれる。庭を通って下さいと言われ敷地に入ると、床の間にトロフィーが並んでいるのが見えた。何のトロフィーか尋ねると、弟さんが嘗て闘牛が好きで大会に出場して貰った物だと言う。トロフィーの写真を撮ってもいいですか?と聞くと部屋に上がって好きに写して下さいと返事が返って来た。せっかくだけれど庭から見えたそのままの光景が撮りたくて、部屋に上がらず3カットほどシャッターを押す。お礼を言って庭を抜け、また仲宗根のバス停に向かって歩いて行く。

仲宗根集落にて
洋品店のショーウインドー

↑闘牛を見に来て、偶然、闘牛大会のトロフィーが飾られた家の庭を通りかかる。素敵な元旦だ。

←仲宗根の洋品店のショーウインドー。

↓名護バスターミナルを17時30分に出る名護西線で、那覇へ。お正月はいつもより渋滞が少なかった。最寄りのバス停に着いたのは19時40分頃。

帰りのバスから

 昨年の元旦は祝賀の座開きとして踊られる祝いの舞い「かぎやで風」をリンクしましたが、今年はYou Tubeから「ワイド節」を。「ワイド節」誕生秘話がこちらに載っています。

*この日の対戦結果。沖縄タイムスの記事

*新春北部闘牛大会の様子をPhoto Albumにしました。カット数が多いので前半後半にわけました。(2014年5月14日に更新)

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