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○8月2日(木) 旧6月豊年祭(ウンナー) 勢理客公民館前
○8月4日(土) 旧6月豊年祭(ウンナー)  仲田公民館前
○8月5日(日) オスプレイ反対県民大会 宜野湾海浜公園/午後3時〜
○8月5日(日) 夏祭りin那覇2012 一万人のエイサー踊り隊 国際通り(那覇市)/13:00〜18:00
○8月5日(日) 第35回 名護市長杯争奪全島職域ハーリー大会 名護漁港(名護市)
○8月8日(水) 本の返却期限
○8月11日(土)、12日(日) 第35回 宜野湾はごろも祭り
○8月11日(土)、12日(日) 大宜味村青年会夏祭り 大宜味村ふるさとまつり 塩屋漁港広場(大宜味村)
○8月11日(土)、12日(日) 第48回 青年ふるさとエイサー祭り 沖縄セルラースタジアム(那覇市)/ 16:00〜21:00
○8月11日(土)、12日(日)  ときな祭り(綱引きカシキー) 渡名喜漁港広場(泊港〜渡名喜漁港までフェリーで約135分)
○8月12日(日) 旧6月豊年祭(ウンナー) 伊是名公民館前、諸見公民館前
○8月12日(日) 夏の全島闘牛大会 石川多目的ドーム(うるま市)
○8月12日(日) 夏祭りin那覇2012 一万人のエイサー踊り隊 国際通り(那覇市)
○8月上旬 第42回ヨロンサンゴ祭/コースタルリゾート
○8月18日(土) 安田のシヌグ 安田公民館(国頭村) 那覇BTより約2時間30分
○8月18日(土)、19日(日) 第13回いぜな尚円王まつり 臨海ふれあい公園内(伊是名島/伊是名村)
○8月19日(日) 赤田のみるくウンケー 赤田クラブ/16時半〜 
○8月19日(日) 与那原大綱曵き 与那原町御殿山青少年広場 (与那原町)/15:00〜21:00
○8月25日(土) 栄町市場 屋台祭り(毎年6月~10月の月一回、最終土曜日に開催)
○8月26日(日) 第13回金武町青年エイサーまつり 金武町営グラウンド(金武町)/17:00〜
○8月26日(日) 読谷村青年エイサーまつり 読谷村平和の森球場(読谷村)/14:00〜21:00
○8月30日(木)〜9月1日(土) アンガマ 石垣島(石垣市)/ソーロン(旧盆)八重山諸島各地
○8月31日(金) 波照間島のムシャ−マ 波照間島(竹富町)
○9月2日(日) 嘉手納町エイサーまつり 新町商店街(嘉手納町)
○9月2日(日) 第18回 高志保大通りエイサー天国 高志保大通り(県道6号線)(読谷村)/15:00〜18:00
○9月2日(日) 平敷屋青年会「エイサーの夕べ」 浦ヶ浜公園(うるま市)/17:00〜
○9月7日(金)〜9日(日) 第57回 沖縄全島エイサーまつり 沖縄市コザ運動公園陸上競技場(沖縄市)/15:00〜21:00
○9月8日(土)、9日(日) 第20回なは青年祭 那覇新都心公園(那覇市)/17:00〜21:00
○9月9日(日) オスプレイ配備反対県民大会 宜野湾海浜公園多目的広場/午前11時〜
○9月11日    塩屋湾ウンガミ(海神祭)
○9月15日(土)、16日(日) 第7回 うるま市エイサーまつり うるま市与那城総合公園陸上競技場(うるま市)
○9月15日(土)、16日(日) 第16回 宜野湾市青年エイサー祭り 宜野湾市民広場(宜野湾市)/16:30〜
○9月16日(日) 第26回 北中城青年エイサー 中城城跡(北中城村)/15:00〜21:00
○9月22日(土) ショチョガマ、平瀬マンカイ/秋名
○9月22日(土)、23日(日) 大東宮祭2012 大東宮を中心に村内全域(北大東島/北大東村)
○9月22日(土)、23日(日) 南大東村豊年祭 大東神社を中心に村内全域、ふれあい広場(南大東島/南大東村)
○9月23日(日)〜25日(火) 字仲筋土原御願(ンタバルウガン)、字塩川人俣御願(ヒトマタウガン) (多良間島/多良間村)
○9月28日(金) 平成24年度とぅばらーま大会 石垣市真栄里公園(予定/石垣島/石垣市)
○9月29日(土)、30日(日) 首里城公園「中秋の宴」
○9月30日(日)*旧暦8月15日 与論十五夜踊り/地主神社吸収
                  油井の豊年踊り/瀬戸内町
○9月30日(日) 糸満大綱引 糸満ロータリー(糸満小学校)~白銀堂 間(国道331号)/道ズネー14:00〜 綱引き17:00〜
○9月30日(日)〜10月3日(水) ブーンミャ(佐良浜出張所前/伊良部島)
○10月1日(月) 真栄里大綱引 真栄里 メーミチ広場(糸満市)/綱引き11:30〜 道ズネー16:00〜 青年エイサー18:00〜
○10月5日(金)〜7日(日) 世界エイサー大会 2012 那覇市内 奥武山運動公園 等(那覇市)
○10月7日(日) 那覇大綱挽 国道58号久茂地交差点(那覇市)/旗頭行列12:00〜17:30 綱引き14:30〜
○10月23日(火) 諸鈍シバヤ(加計呂麻島・諸鈍)
○10月26日(金)〜28日(日) 首里城祭
○10月28日(日)予定 読谷まつり闘牛大会 むら咲むら闘牛場(読谷村)
○10月下旬 城間松明大綱引(グスクマ テービー) 城間サンパーク通り(浦添市)
○10月or11月の2日間 宮古島のパーントゥ 平良島尻部落(宮古島/宮古島市)
○11月3日(土) 琉球王朝祭り首里
○11月3日(土)、4日(日) 第38回 読谷まつり 読谷村運動広場(読谷村)
○11月3日(土)、4日(日) 田尾8回壺屋やむちん通り祭り2012 壺屋やむちん通り及び路地裏(那覇市)
○11月23日(金) 壺屋陶器まつり 那覇市立壺屋小学校(予定/那覇市)
○11月25日(日)、26日(月) 竹富島の種子取祭(たなどぅい) 世持御嶽(竹富島/竹富町)
○11月28日(水)*旧暦10月15日 与論十五夜踊り/地主神社
○12月9日(日) Mac Bookの5年保証終了日
○12月31日(月)〜1月1日(火) 摩文仁・火と鐘のまつり 沖縄平和祈念堂(糸満市)
○1月1日(火)〜3日(木) 首里城「新春の宴」

小浜島の結願祭(きつがんさい) 嘉保根御嶽(小浜島/竹富島)9〜11月頃予定
西表島の節(しち)祭 祖内(前泊海岸)・干立(前の浜) (西表島/竹富町) 10月〜12月頃予定
*問い合わせ 竹富町観光協会 0980-82-5445

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 空港線・川平リゾート線5日間フリーパス1000円、みちくさフリーパス(全ての路線バスが、5日間乗り放題)2000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima

8月31日(金)

 昼ご飯を食べてウトウトと昼寝をしていたら、突然の雷鳴と激しい雨。しばらく雷が鳴り止まなかった。
 雨もおさまった頃に、父親の運転でお墓参り。今日はちょうど旧盆の中日ですね。
 奄美では旧暦の7月7日(今年は8月24日)にご先祖さまが迷わず来られるように、家の屋根や玄関に七夕を飾る。そして旧暦の7月13日(今年は8月30日)のお盆初日は、提灯をぶら下げてお墓までご先祖さまを迎えに行く。中日は家でゆっくりしてもらい、旧暦の7月15日(今年は9月1日)のお盆最終日には、提灯をぶら下げてお墓までお見送りをする。
 沖縄ではこの時期、アチコチでエイサーの音が響いているらしい。
 昨年の、奄美での旧盆の様子がこちらに。
山の風景
山の風景・杉
 お墓参りの後、久しぶりに町内を自転車でぶらぶら。
 奄美大島には杉がないので、やはり山の風景といっても随分と違って見える。水墨画のような山並みが、なんだか新鮮だ。
 自転車で小矢部川の土手を走っていると、自分が通っていた小学校が取り壊されて、新しい校舎が建っていた。自分が通った学校の施設で残っているのは、もはや旧中学校の体育館くらいだろうか。
新しい小学校
←写真奥の青い板が並んだ向こう、土砂の積まれている場所に、かつての校舎があった。右の新しい小学校は、昔の体育館と最初の頃にプールがあった場所だろうか。
↓昔の中学校の体育館。
古い中学校の体育館
↓岸渡川沿いの、集合住宅にて。→神々しい夕暮れ。

 夜、窓ガラス越しに外が白く光っている。窓を開けると稲光りと稲妻。ゴロゴロと鳴る音はまったく聞こえず、ただ間断なく稲妻が光っている。1時間ほども続いただろうか。
 稲妻は上から下へ落ちて来るものだと思っていたけれど、横へ走ったり上に昇って行くんだと知った。

 今晩は満月。今月2回目の満月で、ブルームーンと呼ばれているそうです。

 夜、フィリピン付近で起こった地震で、沖縄・奄美〜東北までの太平洋岸に津波注意報。テレビの中継で、奄美の名瀬港、今住んでいるところから自転車で5分ほどの那覇・泊港が映し出される。

*この日のPhoto Albumは、こちら(9月24日に更新)。

8月30日(木)

 撮影に使う大型ストロボ2台4灯と、ストロボ用スタンド・傘をクロネコで送る。使用するのは約1年ぶりなので、家の中で組み立てて発光と同調のテスト。
 ストロボはバック2つを大きな段ボールに一つにまとめ、スタンドと傘は布製の縦長バックに入れて発送。営業所へ直接持ち込んだので、明日には着くようだ。

↑撮影に使うストロボの発光と同調のテスト。コメットCB1200の新旧2台4灯。

←まだまだ残暑厳しいが、風景は少しずつ秋色。実家の2階から。

 ストロボの発送をした後、自転車でちょっと離れた場所にある床屋で散髪。
 カット1,575円。ここで髪を切るのは2回目だ。面倒くさくて1年と10ヶ月ほど伸ばしていた髪をバッサリ。
 バリカンを入れて、ソフトモヒカンに。頭がずいぶんと軽くなった。
 床屋からの帰り、ポツリポツリと雨。
 しばらくして、家の前に大きな虹が出た。
 夜、テレビで女子サッカー観戦。ヤングなでしこ対韓国。3対1でヤングなでしこが勝ち、準決勝に進出。

8月29日(水)

 来月東京で撮影があるので、その前に実家の富山に寄り道。
 朝5時前に起きて、荷物の確認。部屋を7時頃に出て最寄りのゆいレール駅「美栄橋」へ。直ぐに車両が来て、終点の那覇空港。
 那覇から関西空港へは、10時5分のスカイマークで。出発の2時間前から開始される搭乗手続きをさっさと済ませ、実家へのお土産を一つ買って、出発ロビーでのんびり。
那覇から関空スナップ
↑上段右は普天間基地、下段真ん中は沖永良部島。
飛行機からの虹
奄美大島上空

↑奄美大島の上空。島全体が雲に覆われている。雨が止まないわけだ。徳之島も雲が多かった。
←飛行機から見た虹。切れ端のようになっているが、相当大きな虹だろうか。

 関西空港からJRの空港快速で大阪駅へ。早朝に阪和線で事故があったようで、途中の駅で何回も時間調整があり、かなり遅れて大阪駅に到着。大阪駅からサンダーバードに乗り換え、金沢まで。金沢から北陸線の普通列車に乗り換えて実家に着いた。
 2010年の5月末に旅を始めて以来なので、約2年3ヶ月ぶりか。駅前の道がなんだか広くなっている。

*那覇から関空までのスナップを、Photo Albumにしました。こちら(9月24日に更新)。

8月28日(火)

 台風15号は一昨日の午後には沖縄本島を通過したが、昨日も一日中、その吹き返しで暴風が吹き荒れた。また台風が上陸した沖縄よりも、奄美の方が被害は大きいようだ。
 下の写真は、ベランダから撮影した昨日の様子。気象庁が異例の記者会見を行うなど注意を呼びかけたので、沖縄では人的被害は少なかったようだが、長時間の雨による土砂災害や農作物への影響が心配だ。
台風15号ベランダからの風景01
台風15号ベランダからの風景02
台風15号ベランダからの風景03
↑激しい風雨で、外が白くなっている。 ↑雨が時折、屋根の上を走っていく。 ↑庭に植えられた木の葉は、真横になびいている。
沖縄に活きる
←↓返却した2冊。「沖縄に活きる/大石芳野」「沖縄 道ジュネー/浅見裕子」。  台風一過の今日、何回か雨も降ったが、晴れ間も見えた。
 午前中に来月分の家賃を払いに行き、市立図書館で借りていた2冊を返して来た。
 中央図書館で借りた本だが、今回は若狭図書館に返却。
 冷蔵庫の食材をなるべく使い切るように料理を作り、明日からの荷物を用意。
沖縄 道ジュネー

 第二次大戦において、国内では最大規模の地上戦となった沖縄。「沖縄に活きる」にはその惨劇の証言が、「沖縄 道ジュネー」には大戦から現在に続く沖縄の受難が、写真とともに記されている。

 日本兵からの仕打ち、自決。生々しい証言のいくつかを「沖縄に活きる」から。

 米軍戦史に、沖縄戦のことは、「あらゆる地獄を一箇所に集めたような戦闘だった」とある。米軍の犠牲者の数をいっているのではなく、沖縄一般住民の置かれた状況、さらには、追いつめられた人びとの死にざまを指しているのだろう。
 米兵は随所で一般住民の集団自決や、敗残兵による住民虐殺などを見聞きして知っていた。時には助け出し、人びとに対して「日本兵に見つからないように」と忠告することさえあったと聞く。
 あの当時は「天皇のために」「お国のために」命を失うことは崇高だとの教育が行き渡っていた。「敵の捕虜になるより自決を」が一般住民にも浸透していた。
 敵が上陸してからの地上戦はすさまじい”鉄の暴風”が吹き荒れた。移動する日本軍が壕に避難していた人びとを砲撃の嵐の中に追い出した。特に婦女子や老人など最も弱い立場にいる住民が犠牲となった。小さな島で逃げ場がなく、さらに同胞の軍隊に守られなかった人びとは、結局、自決するしか方法がなかった。
 昔から、お互い助け合って暮らして来た人びとは、自決の時もまた、お互い「助け合い」殺し合った。そして「皆と一緒なら」と手と手を取り合いながら死んでいった。
~略~
 また、集団自決もすさまじい惨劇となった。軍から防衛隊員を通して配られた手榴弾ばかりか、人びとの持つ斧、鎌、カミソリ、縄、石など手当りしだいの道具を用いて自決が行われた。肉親や親しい者同士が殺し合ったのである。
 そして、傷病兵もその犠牲になった。数千人の重症兵が、自決を強要された。

 渡嘉敷島の朝鮮兵も無惨だった。
「日本兵は自分たちだけ安全な所にいて、朝鮮人や中国人を動物よりもひどい扱いをした。大勢の仲間が死にました。骸骨のように痩せ衰え、まるで、キジグナー(幽霊)のようでした」山城ヨシさんはこういいながら、いかに自分が驚いたかを仕草で見せた。
 朝鮮半島から連れて来られた人たちに対する仕打ちは、同じ人間としてあまりにも残忍すぎるものばかりだ。
 日本軍は終戦直前の1945年、満州の関東軍を急遽、沖縄の支援に配備変えしたとされる。
 「長い間、大陸で中国人たちに対して行っていたのと同じことをやったんですよ」
 そういう声が、沖縄の至る所に今も残っている。
 沖縄の海は実に美しい。この青い海が、人びとの生活と文化を築き、守って来た。だが、この海に囲まれた島々は、時として”収容所”と化す歴史をたどって来た。貧しいながらも平和な生活を送って来た住民は、たちどころに”囚人”とされ、支配者たちからあからさまな差別のもとに置かれる。そして”囚人”と”看守”は、建前で付き合ううちはまだしも、ひとたび理性がそこなわれた時は、”囚人”の命は、まるで虫ケラのように粗末に扱われる。
~略~
 「戦争は怖いです。弾が怖いのではありません。人間が気狂いになるのです。平和時には考えられない残虐な行為を、戦争はいともたやすく人間にさせてしまうのです」と古堅キヨ子さん(昭和3、読谷在住)は実感を込めていい、さらにこう続けた。
 「戦争中は、誰もが昼夜を問わずびくびくとして身を縮め、這うように歩いた。いつの世になったら、高い山に登って、天文字(星)を見ることができるのか・・・・・・。両手をあげて、空に向かって、大声を出してみたい、ということばかり考えていました」
 キヨ子さんのその言葉が、私の耳にこびりついて離れない。
(語り始めた人びとから)

 戦後行われた米軍の拳銃とブルドーザーによる土地強奪は、「沖縄 道ジュネー」に詳しい。

 沖縄戦後、沖縄住民が収容されているあいだに米軍は広大な軍用地を囲い込んでいた。「何らの補償もなく私有地を没収した米軍の行為は明らかに『ヘーグ陸戦法規四六条』(私有財産は、これを没収することを得ず)」違反であった。更に、日本の敗戦が決定した八月十五日以降の土地接収は何ら国際法的根拠を持たなかった」(高等学校 琉球・沖縄史)。一九五二年の講和条約締結以降、米国は三・三㎡あたりタバコ一個分の安い賃貸契約を、しかも二十年という長期間、結ぼうとしたが契約を結ぶ地主は誰もいなかった。そこで、契約が成立しなくても土地収用が可能であるように『土地収用令』を公布したのであった。
 復帰した後も、契約を拒否する地主の土地を強制使用する法をつくり、米軍基地の強制収用は現在も続いている。
(占領下の伊江島 米軍土地を強奪)

 また、米軍基地はどこも治外法権かと思っていたが「NATO諸国では軍属と家族の裁判権は駐留受け入れ国にある。韓国でも軍属の裁判権は米軍にない。「日本において米軍は、同盟軍ではなく占領軍のように存在する」と言われるゆえんである」と初めて知った。

シュガーローフ

 家から自転車で10分程、ゆいレールの「おもろまち」駅に近く、新しい商業施設の建ち並ぶ新都心にシュガーローフと呼ばれる戦跡がある。
  現在は大きな給水塔が設置されているこの小さな丘は、激しい沖縄戦が繰り広げられた場所の一つで、アメリカ軍だけで2600人あまりが戦死したり、怪我をしたとされている。

↑シュガーローフ戦跡。8月24日に撮影。シュガーローフの戦いについては、こちらこちらを参考に。

8月26日(日)

 最大瞬間風速70メートルという超大型の台風15号が沖縄を直撃。那覇を発着する空の便、船の便は欠航。路線バスもモノレールも終日運休で、大型スーパーも休業したところがあるようだ。
台風の進路図
 昨日の21時頃に那覇市から避難準備情報のエリアメール、21時半頃に浦添市から避難準備情報のエリアメールが届く。沖縄に来て初めての事で少しビックリ、少し安心。
 昨日のうちに懐中電灯を用意し、携帯電話を充電。浴槽に水をため、自転車は廊下の柵にチェーンとビニール紐で固定した。
 最近使っていないノートパソコンだが、停電した時に活躍してもらうため、こちらも充電。
←Yahoo天気図から。

 今日は一日強風、暴風が吹き荒れる。ベランダ側はまだ窓を開けて外に出られるが、玄関側はドアがガタガタ鳴っている。マンションの真ん中が吹き抜けで、建物の左右中央に吹きさらしの階段があるという構造からだろうか??
 停電になる前にと思って、お昼ご飯を食べて直ぐにお米を炊きカレーとゆで卵を作る。これで食料は確保した。
 那覇は今のところ大丈夫だが、沖縄電力のホームページによると22時現在、16市町村で10,400戸が停電しているようだ。奄美の方はもっと停電しているようで、九州電力によれば群島全体で43,000戸となっている。
 台風15号は大型なだけではなく速度が遅く、明日も沖縄は暴風、強風の予報。また、この15号に影響されて一旦沖縄を離れていった14号が、怪しい動きをしている。なんだか少し沖縄に戻ってくる気配だ。

自転車の台風対策
←念のため、飛ばされないようにチェーンと紐で固定した自転車。部屋が広ければ中に入れるんだが。
→今日の午後、ベランダから新都心を見る。雨で視界が悪い。
新都心側の風景
ガラガラの国道58号

↑夕方の那覇市。いつもは昼夜関係なくびっしりと車が列になっている国道58号も、さすがにガラガラだ。

↓昨日、郵便受けに掲載誌が届いていた。
図解 ひざ痛・股関節痛は自分で治せる」(マキノ出版)。著者・大谷内輝夫/ブックデザイン・有限会社エルグ/写真・木原盛夫/モデル・三宅あみ(AIMING)/ヘアメイク・井口直子(WYNN)/イラスト・平山郁子/図版・田栗克己

大谷内先生のムック 中頁
大谷内先生のムック 表紙

8月24日(金)

 昨日、来月撮影に使う機材の一部を宅急便で東京の出版社に送った。今日のお昼、撮影日前後の宿の手配。
 台風14号は去って行ったが、15号がゆっくり近づいている。今日のところは日差しもあるので洗濯をし、それから買い物に出かける。買うのはお祝いの品。何をプレゼントしようか迷っているうちに、すっかり遅くなった。一年以上過ぎたか(汗)。
 いろんな窯元の作品が並んだお店を2軒まわって、自分がいいな〜と思う作家さんの焼き物を探し、今度は直接その窯元を訪ねて話を聞きながら購入した。

赤に魚文の茶碗01
←赤絵に魚文のお茶碗。微妙に大きさの違う二つを選んで、夫婦茶碗にして送った。↓茶碗の中にも泳いでいる。
赤に魚文の茶碗02
 目出たくて楽しくなるような夫婦茶碗だと思うのだけれど、どうだろう。

8月21日(火)

 台風14号、15号の影響で明日からお天気が崩れるようなので、今日のうちにアレコレ用事を片付ける。
 県立図書館、市立図書館で借りた本は23日が返却期限だが、今日手続きに行ってきた。
 県立図書館は休みだったので、借りていた1冊を返却ポストに投函。市立図書館で借りた2冊は読み切れなかったので、延長してもらった。新たな返却期限は、9月4日。
 電気料金を新都心のコンビニで支払い、スーパーや八百屋へ食料品の買い出し。これで2〜3日部屋から出なくても、何とかなるだろう。
伊平屋島のお米
泡盛・残波
 お米と泡盛が少なくなってきたので、昨日のうちに買っておいた。
 お米は先月伊是名島の新米を買ったので、今回はお隣の伊平屋島の新米。
 内地のもう少し安いお米もあるが、先月買った伊是名島の新米が思いのほか美味しかったので沖縄のお米にした。
 泡盛は、比嘉酒造の残波。これで泡盛の遍歴は久米仙、菊之露、残波。
今日の那覇の夕暮れ
↑ベランダから撮影した、今日の那覇の夕暮れ。

8月19日(日)

 先日首里城を見に行った時に、「赤田のみるくウンケー 8月19日(日)16:30〜 場所:赤田クラブ」と書かれた大きな白い布を見て、何だろう??と思ってパソコンで検索。首里の赤田町に古くから伝わるお祭りだと知り、楽しみにしていた。
 みるくは弥勒の沖縄方言読みだそうで、五穀豊穣をもたらす神として信仰されている。みるくの神様をウンケー(お迎えの儀式)し町内スネーイ(練り歩く)した後、ウトィムチ(おもてなし)で芸能を奉納する。
スネーイ出発
 かつて首里殿内があった場所で、現在は地域の公民館となっている赤田クラブからスネーイが始まる。
みるく御願
スネーイ
路次樂
↑スネーイの前に赤田弥勒御堂に奉られたみるくの神様に、関係者が御願(うがん)をする。 ↑町内をスネーイ(道ジュネー、練り歩く)。無病息災と幸せを願い、みるくに団扇で頭を扇いでもらう。 ↑みるくの後を、哨吶(つおな、チャルメラ)や銅鑼、鼓で構成した路次樂が歩く。
ミルクングワ
記念撮影
舞台でみるく御願
↑路次樂の後をンカジ旗を持った子供たち、ミルクングヮが歩く。 ↑スネーイの終盤、首里城をバックに記念撮影タイムがあった。 ↑スネーイの後はバンク(舞台)に奉られたみるくの神様に、まずは御願。

 みるくウンケーは午後4時半からとなっていたが、1時間程前に会場の赤田クラブへ。祭りの準備をしているところを撮影していたら、御堂に奉られたみるくの神様に、関係者が御願する神事が行われたので撮影させていただいた。早めに来ていて良かった。
 スネーイは予定通り4時半からスタートして、1時間程町内を練り歩いた。みるくが通ると子供よりもお年寄りが大喜びで、握手している。
 スネーイの後は舞台にみるくを奉り、 ウトィムチ(おもてなし)の奉納芸能。奉納が終わると、みるくの神様を御堂にお帰しして盆踊りが始まった。
 盆踊りを30分程見てから、ライトアップされた首里城を見ながら自転車で帰宅。

→バンク(舞台)に奉られたみるくの神様。ちょっと衝撃的な姿。胸毛もあります。

舞台に奉られたみるく
子供会の赤田首里殿内
お饅頭が配られる
盆踊り
↑ウトィムチ(おもてなし)の奉納芸能。最初は子供会によるわらべ歌「赤田首里殿内」。みーみんめー♪ ↑途中、お饅頭が配られた。一つ貰いました。白地に赤で田と書いた、お饅頭。中は白餡。 ↑奉納芸能が終わり、みるくの神様は御堂にお帰りになった。その後は盆踊り大会。

 スネーイの時に路次樂が奏でている曲が「赤田首里殿内」で、わらべ歌として親しまれている。

一.
あかたすんどぅんち くがにどぅーるーさぎてぃ
赤田首里殿内 黄金灯籠提げてぃ
〈首里赤田村の首里殿内に 黄金に輝く灯籠を提げて〉
うりがあかがりば みるくうんけー
うりが灯がりば 弥勒御迎え
〈それが明るく灯ったらば 弥勒様をお迎えしよう〉
(囃子)しーやーぷー しーやーぷー みーみんめー みーみんめー
    ひーじんとー ひーじんとー いーゆぬみー いーゆぬみー
二.
あがりあかがりば しみなれーがいちゅん
東明がりば 墨習いが行きよん
〈日が昇ったら 学校に参ります〉
かしらゆてぃたぼり わうやがなし
頭結てぃ給り 我親がなし
〈髪を結って下さいませ 私の親御様〉
     (囃子)
三.
だいくくぬみるく わがしまにいもち
だいこくの弥勒 我が島に往もち
〈だいこくの弥勒 私の島にもおいで下さい〉
うかきぶせみそうり みるくゆがふ
御拡きぼせみそうり 弥勒世果報
〈そして広めて下さい 弥勒の太平の世「ゆがふ」を〉
     (囃子)
四.
みちみちぬちまた うたうたてぃあしぶ
道々の巷 唄歌てぃ遊ぶ
〈道々のそこかしこ みんなが唄を口ずさむ―平和な世の中〉
みるくゆぬゆがふ ちかくなたさ
弥勒世の世果報 近くなたさ
〈弥勒の「ゆがふ」が近くなったようだよ〉
     (囃子)

 一度聴いたら虜になる曲です。You Tubeから5連発!「NHKの番組編」「与那原歩編」「ネーネーズ編」「kotobuki編」「ロケーション編」。
 さあ皆さんご一緒に、 しーやーぷー しーやーぷー みーみんめー みーみんめー♪ 

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。御願〜スネーイはこちら。ウトィムチ〜盆踊りはこちら

8月18日(土)

 今日は、国頭村・安田のシヌグ。が、昨日公民館に問い合わせたところ大きなシヌグと小さなシヌグを隔年で開催しており、今年は小さなシヌグ。祭祀は夕方から行うそうだ。
  辺土名からの村営バスが安田に着くのは昼の1時。帰りの最終バスは安田を3時5分に出るため2時間しか滞在できないので祭祀そのものは見れないが集落の様子だけでもと思い、土日に使えるバスの一日フリー乗車券を購入して行ってみることにした。
 安田行きの村営バスは辺土名を12時半に出るので、それに間に合うように乗り継ぎを調べると、最寄りのバス停を9時17分発の名護バスターミナル行きに乗車。名護バスターミナルに11時17分に着いて、今度は11時30分の辺土名行きに乗り換え。辺土名バスターミナルに12時26分に到着する。順調に行けば12時半の村営バスに乗車できる段取りだ。
 が、名護バスターミナルに着いた時点で11時50分くらいだったか。名護市内に入る手前から道路は渋滞。30分以上は遅れたと思われる。
 バスターミナルで聞いたところ、土日に加えて夏休み中なので、このところずっと道路は混雑しているそうで、確実に着くには2つ前のバスに乗った方が良いとのアドバイス。
 あっけなく安田行きは断念となったので、先月雨が降り出して見学を見送った今帰仁城跡へ行くことにした。
 ターミナルの売店で250円のお弁当を買って食べて、バスの発車を待つ。

 今帰仁城は、三山時代の北山王の居城。1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史に幕を閉じ、監守が設置される。1609年、薩摩藩に侵攻されて城は炎上。監守が住まなくなって以降は御嶽として、精神的な拠り所になっていたようだ。
 2000年に、琉球王国のグスク及び関連遺産群の一つとして世界遺産に登録された。

 今帰仁城跡入口のバス停で降りて、1kmほど続く坂道を上がって行く。券売所で、今帰仁歴史文化センターの入場もできるチケット400円を購入。
 城跡を散策した後、歴史文化センターで展示物を拝見。
 帰りはハンタ道という古道を通って、ノロ殿内の火之神の祠やミームングスクを探しながら集落へと降りて行った。
 今帰仁、親泊という2つの集落が合併してできた今泊集落の中を散策。ハサギ(奄美ではアシャゲ、ノロが祭祀を行う場所)やフクギの並木道を見て歩く。
  古い建物が残っていそうな集落なのでもっと見て回りたいが、今日はもう歩き疲れた。また来ることにして17時18分のバスで名護ターミナルへ。ターミナルにある食堂でカツ丼600円を注文。

今帰仁城跡からの風景
↑今帰仁城跡から眺める風景。水平線の右端に並ぶ島影は、伊是名島と伊平屋島かな?
平郎門
石垣
火之神の祠
↑本門で、昭和37年に修復された平郎門。 ↑ゆるやかな曲線が美しい、石垣。 ↑城壁の外にある、今帰仁ノロ殿内火之神の祠。
古道
今泊集落のハサギ
シルバマ
↑ハンタ道。石畳もある古道。 ↑集落に2つあるハサギ(アシャギ、奄美ではアシャゲ)の一つ。 ↑今泊集落の海岸。パンフレットでは、シルバマとなっている。
カツ丼

 18時頃に名護バスターミナルに到着。ゆっくりカツ丼を食べて、19時15分のバスで那覇へ帰る。
 注文したカツ丼。カツは揚げたてですが少し焦げてるのはご愛嬌(笑)。それにしてもボリュームたっぷりです。
 2時間強、バスに揺られて家の近くのバス停に到着。途中から座席はほぼ満席が続いていた。
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

8月16日(木)

 「塩屋・ウンガミ/塩屋ウンガミ刊行委員編」を読み終える。
 沖縄本島、大宜味村の塩屋で行われる行事・ウンガミを、一冊の本に記録したものだ。
 写真家・平良孝七氏が4年間をかけて行事の詳細、祭りの前後の村の様子をカメラに収めており、それらの写真が本の中心となっている。
 本の前書きにあたる、”発刊にあたって”から少し引用する。

 毎年旧盆明けの初亥の日に行われる塩屋港内のウンガミ(ウンジャミ、海神祭)は永い歴史と伝統を誇り、地域住民の心の支えとして最も盛大に行われる行事である。
 確かな記録がないままに、口承によって伝えられてきたが、時代の流れと文化の進展に伴い、ハミンチュ(神人)の高齢化や欠員等により参加する人数も年々減少しつつある。後継者も出ない現状で、ウンガミ行事の内容、ウムイ(祈願)、儀式は消滅、あるいは省略されて古式ゆかしいこの民俗行事がいつまで続くだろうかと懸念される。
 今のうちに記録として残さねばという憂うる気持ちから、次の視点に立って本誌の刊行となった。
 1.祖先から伝えてきた文化遺産を後世に永く伝える。
 2.祭りの流れを写真で適確に撮り現状を保存する。 
 3.儀式の内容や全体の経過を文章でまとめ、明らかにする。

〜略〜    塩屋・ウンガミ刊行委員会 委員長 宮城竹秀

 竹富島の種子取祭(タナドゥイ)を記録した「うつぐみの心 竹富島/大塚勝久写真集」もそうだったが、一つの地域の一つの祭祀をここまで丁寧に記録した本は珍しいし、それが充分見応え読み応えのある本となっている。
 本の後半に”沖縄の伝統的な祭祀ウンガミとシヌグ”と題して比嘉政夫(琉球大学教授)氏が書かれてる文章から、ウンガミについて短く引用すると、

 ウンガミ(あるいはウンジャミ)は、沖縄本島北部の国頭村比地や、大宜味村塩屋、謝名城、今帰仁村の古宇利島など沖縄本島の北部から中部にかけて分布している民俗行事である。この祭りは毎年旧暦七月に行われるが、ウンガミというのは海神の意とされ、その儀礼の内容から、海のかなたにあると信じられている世界ニライ・カナイからの来訪神を迎え、作物の豊穣を祈る祭りとみることができる。

 また、証言・ウンガミ今昔として5人からの聞き書きが載っている。
 ヌルとなったいきさつ、と題した山城トヨさんの証言の終わりに、
 「戦前は国から年棒も支給されていました。今のようになかなか名護にも行けない時代だったので2、3年分まとめて銀行で受け取っていました」という興味深い話もある。ヌル(ノロ)が、公的な神職であったことがうかがえる。

塩屋・ウンガミ 表紙
塩屋・ウンガミ 資料
←↓巻末の資料。本が作られた昭和61年当時の、ヌル、ハミンチュ、シマンホー(島方)一覧や、県知事からのノロクモイ就職許可書(写)など。
塩屋・ウンガミ 資料
 今日はエルヴィス・プレスリーの命日だそうです。You Tubeから「Love Me Tender/Elvis Presley 」。
エルヴィス・プレスリー ザ・コンサート
エルヴィス・プレスリー バックメンバー
↑は、東京国際フォーラムで行われた「エルヴィス・プレスリー ザ・コンサート」。エルヴィスのビデオ映像に合わせて、生前一緒にプレイしていたメンバーが演奏するというもの。1999年11月に撮影。
←主要メンバーの、ジェームス・バートン、グレン・D・ハーディン、ロニー・タット、ジェリー・シェフ。11月21日、赤坂のホテルにて撮影。

8月14日(火)

 奄美から沖縄に引っ越してきて、そろそろ2ヶ月。まだ乗っていなかった、沖縄都市モノレール(通称ゆいレール)の一日乗車券600円を購入して端から端まで乗ってみた。

 家から多分一番近い泊ふ頭郵便局で用事を済ませた後、歩いて美栄橋駅へ。乗車券を購入して、まずは那覇空港駅へ。

→駅の自販機で買える一日乗車券。初めに改札を通ってから24時間が有効期限というのが素晴らしい。首里城などの施設割引もある。

ゆいレール一日乗車券

 那覇空港に着いて直ぐに激しい通り雨が降ったが、空港の施設を少し見学しているうちに去って行った。
 再びゆいレールに乗って反対端の首里駅へ。所要時間は27分となっているが、もう少し長く感じられる。
 首里駅から首里城まで歩き、城内へ。今日は無料エリアだけを周ろうと思っていたが、次来た時に青空をバックに正殿が撮影できるかわからないので、入場料を払って有料エリアを撮影。
 首里城の閉館時間は夜8時で、7時15分からライトアップが行われると聞き、それまで近くを散策。有料エリアに再入場できるように手の甲にスタンプを押してもらう。
 日本の道100選の一つにもなっている金城町の石畳の坂道を歩き、 近くの内金城御嶽(うちかなぐすくうたき)と神木と思われるアカギを見てきた。
 7時前に首里城に戻り、北殿の展望所から東シナ海に落ちる夕日を眺める。丸い大きな太陽は慶良間諸島の島影の後ろに消えて行った。
 ライトアップされた正殿や北殿、奉神門などを撮影し閉館時間の少し前に城外へ。水筒のアクエリアスも無くなったので、コンビニでやんばる食堂のレモンティーを買って水筒に詰めて首里駅へ。途中スーパーでお弁当を買おうと思って安里駅で降りるが、食べたいものがなくて再びモノレールに乗車。美栄橋駅で降りて家へと歩く。
 美栄橋から部屋まで、徒歩で20分くらいか。普段は自転車で動いているので気にしていなかったが、モノレール駅までちょっと遠いな。

スナップ

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

↓ライトアップされた首里城の正殿。わりと長い時間首里城公園にいたが、見ていない御嶽や施設もいっぱいある。無料エリアの下之御庭で毎週4日(水・金・土・日)と祝日に琉球舞踏も行われているようなので、また来なくては。

ライトアップした首里城正殿
 2000年12月に、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』が、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録された。その内容は1. 首里城跡 2. 園比屋武御嶽石門 3. 玉陵 4. 識名園 5. 今帰仁城跡 6. 勝連城跡 7. 座喜味城跡 8. 中城城跡 9. 斎場御嶽 の9ヶ所。
 復元された建物や城壁ではなく、あくまでも首里城跡が登録されている。
 1945年の沖縄戦で徹底的に破壊された首里城の写真が、こちらにありました。

8月12日(日)

 当初は5日に予定されていたが、オスプレイ配備反対県民大会が5日に決まったことで今日に延期された夏祭りin那覇2012 一万人のエイサー踊り隊
 朝からよく晴れた沖縄。お昼ご飯にマグロのづけ丼を食べてから、水筒にアクエリアスを入れて会場の那覇・国際通りに向かう。

一万人のエイサー踊り隊

 車両の通行規制が行われ、歩行者天国となった国際通りで、午後1時からエイサーが始まった。
 2曲ほど踊ったら場所を移動するため何チームが出場したか把握し辛いが、プログラムを見ると20組以上が踊っていたようだ。

 イヴェントのスナップをPhoto Albumにしました。こちら

スナップ

 エイサー大会は午後5時過ぎに終了。自転車で家に帰り、急いでシャワーを浴びてスッキリ。晩ご飯は冷凍のうどんを2つ茹でて氷で冷やして、ぶっかけうどん。オニオンスライス、大葉、青ネギ、焼き肉、すりごま、卵黄をトッピング。

 ところで5日に予定されていたオスプレイ配備反対県民大会は、台風の影響で延期になっていましたが、ようやく開催日時が決まった。9月9日の午前11時から、宜野湾海浜公園多目的広場。う〜ん、この日は参加が難しい。

8月10日(金)

 朝6時半頃にようやう寝て、起きたのは11時頃だったか。
 私と同様、 今日は寝不足の人が多いかな?観るつもりでもなかったけれど、何となく起きていたので、そのままオリンピック女子サッカー決勝をテレビ観戦。なでしこ負けましたが、いい試合でしたね。本人たちが、楽しそうなのが良い。
シャドー
 午後から、先日虫に刺されて断念した天久緑地の散策。
 今日は国道58号から入り、大きな門中墓が点在する森を、道を探しながら歩く。 
 58号から入って、泊港の鮮魚卸売市場の方へ抜けようとしたが道が見つからず、泊高校の横に出た。
 外人墓地の横を通り、泊いゆまちで刺身と天ぷら、横の八百屋さんで野菜と安かったパイナップルを購入。
↑散歩に出る時、隣の部屋の前に柵の複雑な影が落ちていた。
天久緑地

 買い物を済ませて帰る途中、コンビニに寄ってガス料金の支払い。1869円。やっぱり都市ガス、安いですね。
 東京、神奈川に住んでいた時はプロパンでしたが、奄美大島で初めて都市ガスになって安さにビックリした。那覇で今住んでいる部屋に決めた理由の一つが、都市ガスだったから。
 都市ガスとLPガスの料金の違いについては、こちらを。

 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。お墓の写真ばかりですが。
 この天久緑地も戦場となったようです。当時の写真がこちらにありました(トップページ)。

8月9日(木)

 市立ほしぞら図書館で借りてきた5冊のうち、読み終えた4冊を市立中央図書館に返却して新たに2冊借りる。隣の県立図書館でも1冊借りてきた。
今日借りてきた本
 県立図書館で借りてきた「塩屋・ウンガミ/平良孝七・塩屋ウンガミ刊行委員会編」と、市立中央図書館で借りてきた「沖縄に活きる/大石芳野」(用美社)、「沖縄 道ジュネー 犠牲と抵抗の歳月/浅見裕子」(なんよう文庫)。
*メモ。3冊とも返却期限は8月23日。先日ほしぞら図書館で借りた残り1冊は8月13日。
 自炊に飽きたので、今日はおもろまちのスーパーで菓子パンとやんばる食堂レモンティーを購入。
→安くてどこのコンビニやスーパーにも置いてあるので、わりとよく飲んでいる。↓晩ご飯は菓子パン。
やんばる食堂レモンティー
菓子パン

8月7日(火)

 のらりくらりとした動きの台風11号も、ようやく遠く去って行ったようだ。
 午後から散歩。いつも使っている18〜250mmのズームレンズから50mmのマクロレンズに付け替えて、歩いてみる。
スナップ01
スナップ02

↑本日のスナップをPhoto Albimにしました。こちら

 散歩のコースは泊〜崇元寺〜国際通り〜牧志公設市場〜安里〜おもろまち。3時半頃に家を出て、帰ってきたのが7時過ぎだったか。
 牧志公設市場で海ぶどうのB級品(茎の部分が多い)3パック500円と、コーレーグースー( 泡盛に島とうがらしを漬け込んだ調味料)を購入。
 おもろまちのスーパーで、食材をいろいろ購入。
  晩ご飯は、素麺。具は薄焼き卵とトマト、スライスオニオン。薬味に青ネギ、大葉、生姜、梅肉、すりごま。

 深夜、半分眠りながら女子卓球団体戦の決勝、男子サッカー準決勝を観る。

海ぶどう

8月5日(日)

 台風11号の影響で、那覇を離発着する飛行機はほぼ全便が運休。船もほとんど運行していない状況だ。
 昼から夕方にかけて沖縄本島に最接近するのかと思っていたら案外静かで、夜になって雨風が強まってきた。動きがゆっくりなのかもしれない。

 昨日、「エイサー/沖縄県文化環境部文化国際局文化振興課」(ゆい出版)を読み終えた。エイサーについて書かれた部分を以下に並べてみた。

エイサーとは〜ニンブチャー

 沖縄本島の周辺や離島で盆に行われる踊りを「エイサー」という。太鼓を打ち鳴らし、若者達が「エイサー、エイサー」と掛け声をかけながら踊る。精霊の供養を目的に踊られ、掛け声に由来して「エイサー」と言われている。また『おもろさうし』の巻十四の「ゑさおもろ」の「ゑさ」にその語源があるとする説もある。

 エイサーはもともと念仏歌で踊られていたが、時代の変遷に伴って大きく変化してきた。特に戦後はコザ市(現沖縄市)が主催したエイサーコンクールで、各地の青年が青年会活動の一環として精力的に取り組み、現在のようなエイサーの形が作られてきた。精霊の供養を目的として、念仏歌で踊られていたエイサーに流行の民謡、恋歌、めでたい内容の民謡まで加わり、それに相応しい振り付けがなされ、最近ではお盆以外のめでたい場所でもアトラクションとして踊られるまでになってきた。

 現在のエイサーの音楽・歌詞の大部分は、恋歌や流行の民謡で、念仏歌はわずかしか演唱されていない。かつてのエイサーは念仏歌だけで踊られていて、エイサーは念仏踊でもある。

 ニンブチャー(念仏者)は、中世的な遊行宗教芸人の典型で、首里の郊外アンニャ村(安仁屋村。行脚村。現在の首里久場川町の一部)に住み、葬儀や法事があれば頼まれて鉦を打ち、念仏歌を歌い、ときには経文も読んだ。僧のいないところでは、その代わりも務めたという。彼らは各地を回り、彼らによって念仏歌が伝えられていった。彼らが伝えた念仏歌は、盆踊り歌として伝わっている。
 念仏歌は、「南無阿弥陀仏」で始まり、先祖の供養や、父母の孝養を奨励する内容である。念仏歌のなかでもっとも広く普及したのは「継親念仏」で、その他には「長者の流れ」「無蔵念仏」「親の御恩」「天神世界」「阿の鐘」「春咲く花」「花ぐんだん」「山伏」などがある。

 1663年、琉球王府は仏教の民衆への布教を制限するため、僧侶の説教禁止を打ち出した。僧侶による布教ができなかった時代、その役目を担ったのはニンブチャーであった。
 廃藩置県後、ニンブチャーの活動は次第に衰微し、昭和初め頃に消滅した。

チョーギナー

 エイサーには、芭蕉布の衣装に棕櫚(シュロ)の繊維で作ったカツラ、顔を白く塗り異様な化粧をした者が数人いる。彼らはサンダーとかチョーギナー、チョンダラーと呼ばれる。太鼓や手踊りの者が踊っている側で奇妙な動き、踊り、をしている。酒甕を担ぎ、コミカルな動きでエイサーを盛り上げる。
 チョーギナーは、盆の夜に徘徊する餓鬼の変形で、化粧もこの世の者ではない異様な化粧をしている。チョーギナーは、観衆の笑いを誘い、踊り手を鼓舞し、隊列を整える役割を担っている。

 ニンブチャーとチョンダラーについて、「沖縄の季節と行事/比嘉朝進」(沖縄総合図書)にも面白い記述がある。

 ニンブチャーたちの住んでいた首里の東部の一角はアンニャ村(行脚の意)とよばれていた。一七〇〇年ごろの地図に「行脚屋敷」と記入されており、昭和四年ごろの地図では「安仁屋」となっている。世間からは特殊な集団とみられていた。葬列の後から鉦を叩くのでニンブチャーとよばれ門付(家の門で芸をして金品をもらい歩く)をするのでチョンダラー(人形舞い)・ヤンジャヤー(万歳する者)とよばれ、念仏を唱えて食べ物を乞うのでクンチャー(乞食)・ヒンガチャー(彼岸行者)と、いろいろ言われながら、全島に足を延ばしていった。

チョーギナー01
チョーギナー02
チョーギナー03

↑チョーギナー、チョンダラーと思われる写真。左から7月15日エイサーinいとまん、7月20日屋富祖のひぃーやー祭々、7月21日浦添三大王統まつり。

↓りんけんバンド。自分の撮影リストを見ると1991年と1994年にライヴを撮影しているが、この写真はどちらだろう?
 You Tubeから「嘉手久~唐船どーい/りんけんバンド@WOMAD '92」。

りんけんバンド01
りんけんバンド02
 もう一曲You Tubeから、「ミルクムナリ」。沖縄のお祭りで一番耳にしている曲だと思う。ミルクは弥勒の沖縄方言読みだそうで、五穀豊穣をもたらす神として信仰されている。
 歌詞の意味はこちらに。

8月3日(金)

 台風9、10号が去ったかと思ったら、今日、台風11号が発生。その影響で、明後日の日曜日に宜野湾海浜公園で予定されていたオスプレイ反対県民大会が延期された。 

 午後、買い物のついでに自宅と泊いゆまちの間にある天久緑地に寄ってみる。緑地というか墓が並んだ場所。丘のようになった墓地を上っていけば、泊大橋や市街を見渡せるようだが、虫に刺されて断念。次は長ズボン、長袖シャツの時に来てみようと思う。
 泊いゆまちを覗いて、欲しい物がなくて何も買わずに帰る。

天久緑地の門中墓

↑天久緑地の門中墓。まるで山奥のような感じだが、大きな産業道路を少し入ったところにある。那覇に来てびっくりするのは、突然大きな門中墓があらわれる事。
  国際通りを少し入った路地で、門中墓を見た事がある。墓を守るようにガジュマルの気根が伸びて、小さな森のようになった場所をビルの横で見る事もある。

 「うつぐみの心 竹富島/大塚勝久写真集」(葦書房)を読み終える。
 うつぐみ「打組」とは、協力して物事を行うことだそうです。竹富島で秋に行われる国の重要無形民族文化財・種子取祭(タナドゥイ)の表舞台から裏舞台までを記録した写真集です。

8月1日(水)

 台風9号、10号に挟まれて、今日は大荒れの天気になるかと思っていましたが、那覇はいたって静か。先島諸島は暴風のようですが、那覇は激しい雨も降らず風もさほど強くなく普通の曇り空。
 午前中から、先日引っ越し祝いにいただいたCDをiMacのiTuneに入れる作業。レゲエばかり18枚が、iTuneのライヴラリーに並びました。夏仕様ですね。
 さっそくレゲエを聴きながら、これまで撮影した沖縄の写真をチェック。プリントしたいと思う写真をセレクトして、現像作業。

 You Tubeから、「I Shot The Sheriff/Eric Clapton」「Many Rivers To Cross/Jimmy Cliff」「One Love/Bob Marley」。
 一番最初に聴いたレゲエの曲は、それがレゲエとも知らずに聴いたクラプトンの『461 オーシャン・ブールヴァード』に収録されていた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」だと思う。

シェリー・サンダー
↑の写真は、REGGAE JAPANSPLASH'90で来日したシェリー・サンダー。ポートレートは1990年8月12日、ライヴは8月11日に撮影。他にナ-キ、デルロイ・ウィルソン、ビッグ・ユース、サンチェス 、レディ・G 、ホーム・T 、フレディ・マクレガー、ココ・ティ-が出演した。

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