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○8月2日(木) 旧6月豊年祭(ウンナー) 勢理客公民館前 小浜島の結願祭(きつがんさい) 嘉保根御嶽(小浜島/竹富島)9〜11月頃予定 |
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○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら) ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円 那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円 那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円 琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円 読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円 石垣島・東運輸 空港線・川平リゾート線5日間フリーパス1000円、みちくさフリーパス(全ての路線バスが、5日間乗り放題)2000円 西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円 与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu ○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima |
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8月31日(金) |
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昼ご飯を食べてウトウトと昼寝をしていたら、突然の雷鳴と激しい雨。しばらく雷が鳴り止まなかった。 雨もおさまった頃に、父親の運転でお墓参り。今日はちょうど旧盆の中日ですね。 奄美では旧暦の7月7日(今年は8月24日)にご先祖さまが迷わず来られるように、家の屋根や玄関に七夕を飾る。そして旧暦の7月13日(今年は8月30日)のお盆初日は、提灯をぶら下げてお墓までご先祖さまを迎えに行く。中日は家でゆっくりしてもらい、旧暦の7月15日(今年は9月1日)のお盆最終日には、提灯をぶら下げてお墓までお見送りをする。 沖縄ではこの時期、アチコチでエイサーの音が響いているらしい。 昨年の、奄美での旧盆の様子がこちらに。 |
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お墓参りの後、久しぶりに町内を自転車でぶらぶら。 奄美大島には杉がないので、やはり山の風景といっても随分と違って見える。水墨画のような山並みが、なんだか新鮮だ。 |
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自転車で小矢部川の土手を走っていると、自分が通っていた小学校が取り壊されて、新しい校舎が建っていた。自分が通った学校の施設で残っているのは、もはや旧中学校の体育館くらいだろうか。 | ||
←写真奥の青い板が並んだ向こう、土砂の積まれている場所に、かつての校舎があった。右の新しい小学校は、昔の体育館と最初の頃にプールがあった場所だろうか。 ↓昔の中学校の体育館。 |
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↓岸渡川沿いの、集合住宅にて。→神々しい夕暮れ。 | ||
夜、窓ガラス越しに外が白く光っている。窓を開けると稲光りと稲妻。ゴロゴロと鳴る音はまったく聞こえず、ただ間断なく稲妻が光っている。1時間ほども続いただろうか。 今晩は満月。今月2回目の満月で、ブルームーンと呼ばれているそうです。 |
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夜、フィリピン付近で起こった地震で、沖縄・奄美〜東北までの太平洋岸に津波注意報。テレビの中継で、奄美の名瀬港、今住んでいるところから自転車で5分ほどの那覇・泊港が映し出される。 *この日のPhoto Albumは、こちら(9月24日に更新)。 |
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撮影に使う大型ストロボ2台4灯と、ストロボ用スタンド・傘をクロネコで送る。使用するのは約1年ぶりなので、家の中で組み立てて発光と同調のテスト。 ストロボはバック2つを大きな段ボールに一つにまとめ、スタンドと傘は布製の縦長バックに入れて発送。営業所へ直接持ち込んだので、明日には着くようだ。 |
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↑撮影に使うストロボの発光と同調のテスト。コメットCB1200の新旧2台4灯。 ←まだまだ残暑厳しいが、風景は少しずつ秋色。実家の2階から。 |
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ストロボの発送をした後、自転車でちょっと離れた場所にある床屋で散髪。 カット1,575円。ここで髪を切るのは2回目だ。面倒くさくて1年と10ヶ月ほど伸ばしていた髪をバッサリ。 バリカンを入れて、ソフトモヒカンに。頭がずいぶんと軽くなった。 床屋からの帰り、ポツリポツリと雨。 しばらくして、家の前に大きな虹が出た。 |
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夜、テレビで女子サッカー観戦。ヤングなでしこ対韓国。3対1でヤングなでしこが勝ち、準決勝に進出。 | ||
8月29日(水) |
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来月東京で撮影があるので、その前に実家の富山に寄り道。 朝5時前に起きて、荷物の確認。部屋を7時頃に出て最寄りのゆいレール駅「美栄橋」へ。直ぐに車両が来て、終点の那覇空港。 那覇から関西空港へは、10時5分のスカイマークで。出発の2時間前から開始される搭乗手続きをさっさと済ませ、実家へのお土産を一つ買って、出発ロビーでのんびり。 |
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↑上段右は普天間基地、下段真ん中は沖永良部島。 |
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↑奄美大島の上空。島全体が雲に覆われている。雨が止まないわけだ。徳之島も雲が多かった。 |
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関西空港からJRの空港快速で大阪駅へ。早朝に阪和線で事故があったようで、途中の駅で何回も時間調整があり、かなり遅れて大阪駅に到着。大阪駅からサンダーバードに乗り換え、金沢まで。金沢から北陸線の普通列車に乗り換えて実家に着いた。 *那覇から関空までのスナップを、Photo Albumにしました。こちら(9月24日に更新)。 |
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台風15号は一昨日の午後には沖縄本島を通過したが、昨日も一日中、その吹き返しで暴風が吹き荒れた。また台風が上陸した沖縄よりも、奄美の方が被害は大きいようだ。 下の写真は、ベランダから撮影した昨日の様子。気象庁が異例の記者会見を行うなど注意を呼びかけたので、沖縄では人的被害は少なかったようだが、長時間の雨による土砂災害や農作物への影響が心配だ。 |
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↑激しい風雨で、外が白くなっている。 | ↑雨が時折、屋根の上を走っていく。 | ↑庭に植えられた木の葉は、真横になびいている。 |
←↓返却した2冊。「沖縄に活きる/大石芳野」「沖縄 道ジュネー/浅見裕子」。 | 台風一過の今日、何回か雨も降ったが、晴れ間も見えた。 午前中に来月分の家賃を払いに行き、市立図書館で借りていた2冊を返して来た。 中央図書館で借りた本だが、今回は若狭図書館に返却。 冷蔵庫の食材をなるべく使い切るように料理を作り、明日からの荷物を用意。 |
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第二次大戦において、国内では最大規模の地上戦となった沖縄。「沖縄に活きる」にはその惨劇の証言が、「沖縄 道ジュネー」には大戦から現在に続く沖縄の受難が、写真とともに記されている。 |
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日本兵からの仕打ち、自決。生々しい証言のいくつかを「沖縄に活きる」から。 米軍戦史に、沖縄戦のことは、「あらゆる地獄を一箇所に集めたような戦闘だった」とある。米軍の犠牲者の数をいっているのではなく、沖縄一般住民の置かれた状況、さらには、追いつめられた人びとの死にざまを指しているのだろう。 渡嘉敷島の朝鮮兵も無惨だった。 |
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戦後行われた米軍の拳銃とブルドーザーによる土地強奪は、「沖縄 道ジュネー」に詳しい。 沖縄戦後、沖縄住民が収容されているあいだに米軍は広大な軍用地を囲い込んでいた。「何らの補償もなく私有地を没収した米軍の行為は明らかに『ヘーグ陸戦法規四六条』(私有財産は、これを没収することを得ず)」違反であった。更に、日本の敗戦が決定した八月十五日以降の土地接収は何ら国際法的根拠を持たなかった」(高等学校 琉球・沖縄史)。一九五二年の講和条約締結以降、米国は三・三㎡あたりタバコ一個分の安い賃貸契約を、しかも二十年という長期間、結ぼうとしたが契約を結ぶ地主は誰もいなかった。そこで、契約が成立しなくても土地収用が可能であるように『土地収用令』を公布したのであった。 また、米軍基地はどこも治外法権かと思っていたが「NATO諸国では軍属と家族の裁判権は駐留受け入れ国にある。韓国でも軍属の裁判権は米軍にない。「日本において米軍は、同盟軍ではなく占領軍のように存在する」と言われるゆえんである」と初めて知った。 |
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家から自転車で10分程、ゆいレールの「おもろまち」駅に近く、新しい商業施設の建ち並ぶ新都心にシュガーローフと呼ばれる戦跡がある。 |
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↑シュガーローフ戦跡。8月24日に撮影。シュガーローフの戦いについては、こちらやこちらを参考に。 | ||
最大瞬間風速70メートルという超大型の台風15号が沖縄を直撃。那覇を発着する空の便、船の便は欠航。路線バスもモノレールも終日運休で、大型スーパーも休業したところがあるようだ。 | ||
昨日の21時頃に那覇市から避難準備情報のエリアメール、21時半頃に浦添市から避難準備情報のエリアメールが届く。沖縄に来て初めての事で少しビックリ、少し安心。 昨日のうちに懐中電灯を用意し、携帯電話を充電。浴槽に水をため、自転車は廊下の柵にチェーンとビニール紐で固定した。 最近使っていないノートパソコンだが、停電した時に活躍してもらうため、こちらも充電。 ←Yahoo天気図から。 |
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今日は一日強風、暴風が吹き荒れる。ベランダ側はまだ窓を開けて外に出られるが、玄関側はドアがガタガタ鳴っている。マンションの真ん中が吹き抜けで、建物の左右中央に吹きさらしの階段があるという構造からだろうか?? |
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←念のため、飛ばされないようにチェーンと紐で固定した自転車。部屋が広ければ中に入れるんだが。 →今日の午後、ベランダから新都心を見る。雨で視界が悪い。 |
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↑夕方の那覇市。いつもは昼夜関係なくびっしりと車が列になっている国道58号も、さすがにガラガラだ。 ↓昨日、郵便受けに掲載誌が届いていた。 |
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昨日、来月撮影に使う機材の一部を宅急便で東京の出版社に送った。今日のお昼、撮影日前後の宿の手配。 |
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←赤絵に魚文のお茶碗。微妙に大きさの違う二つを選んで、夫婦茶碗にして送った。↓茶碗の中にも泳いでいる。 | ||
目出たくて楽しくなるような夫婦茶碗だと思うのだけれど、どうだろう。 | ||
台風14号、15号の影響で明日からお天気が崩れるようなので、今日のうちにアレコレ用事を片付ける。 県立図書館、市立図書館で借りた本は23日が返却期限だが、今日手続きに行ってきた。 県立図書館は休みだったので、借りていた1冊を返却ポストに投函。市立図書館で借りた2冊は読み切れなかったので、延長してもらった。新たな返却期限は、9月4日。 電気料金を新都心のコンビニで支払い、スーパーや八百屋へ食料品の買い出し。これで2〜3日部屋から出なくても、何とかなるだろう。 |
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お米と泡盛が少なくなってきたので、昨日のうちに買っておいた。 お米は先月伊是名島の新米を買ったので、今回はお隣の伊平屋島の新米。 内地のもう少し安いお米もあるが、先月買った伊是名島の新米が思いのほか美味しかったので沖縄のお米にした。 泡盛は、比嘉酒造の残波。これで泡盛の遍歴は久米仙、菊之露、残波。 |
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↑ベランダから撮影した、今日の那覇の夕暮れ。 |
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先日首里城を見に行った時に、「赤田のみるくウンケー 8月19日(日)16:30〜 場所:赤田クラブ」と書かれた大きな白い布を見て、何だろう??と思ってパソコンで検索。首里の赤田町に古くから伝わるお祭りだと知り、楽しみにしていた。 みるくは弥勒の沖縄方言読みだそうで、五穀豊穣をもたらす神として信仰されている。みるくの神様をウンケー(お迎えの儀式)し町内スネーイ(練り歩く)した後、ウトィムチ(おもてなし)で芸能を奉納する。 |
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かつて首里殿内があった場所で、現在は地域の公民館となっている赤田クラブからスネーイが始まる。 | ||
↑スネーイの前に赤田弥勒御堂に奉られたみるくの神様に、関係者が御願(うがん)をする。 | ↑町内をスネーイ(道ジュネー、練り歩く)。無病息災と幸せを願い、みるくに団扇で頭を扇いでもらう。 | ↑みるくの後を、哨吶(つおな、チャルメラ)や銅鑼、鼓で構成した路次樂が歩く。 |
↑路次樂の後をンカジ旗を持った子供たち、ミルクングヮが歩く。 | ↑スネーイの終盤、首里城をバックに記念撮影タイムがあった。 | ↑スネーイの後はバンク(舞台)に奉られたみるくの神様に、まずは御願。 |
みるくウンケーは午後4時半からとなっていたが、1時間程前に会場の赤田クラブへ。祭りの準備をしているところを撮影していたら、御堂に奉られたみるくの神様に、関係者が御願する神事が行われたので撮影させていただいた。早めに来ていて良かった。 →バンク(舞台)に奉られたみるくの神様。ちょっと衝撃的な姿。胸毛もあります。 |
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↑ウトィムチ(おもてなし)の奉納芸能。最初は子供会によるわらべ歌「赤田首里殿内」。みーみんめー♪ | ↑途中、お饅頭が配られた。一つ貰いました。白地に赤で田と書いた、お饅頭。中は白餡。 | ↑奉納芸能が終わり、みるくの神様は御堂にお帰りになった。その後は盆踊り大会。 |
スネーイの時に路次樂が奏でている曲が「赤田首里殿内」で、わらべ歌として親しまれている。 一. 一度聴いたら虜になる曲です。You Tubeから5連発!「NHKの番組編」「与那原歩編」「ネーネーズ編」「kotobuki編」「ロケーション編」。 |
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今日は、国頭村・安田のシヌグ。が、昨日公民館に問い合わせたところ大きなシヌグと小さなシヌグを隔年で開催しており、今年は小さなシヌグ。祭祀は夕方から行うそうだ。 今帰仁城は、三山時代の北山王の居城。1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史に幕を閉じ、監守が設置される。1609年、薩摩藩に侵攻されて城は炎上。監守が住まなくなって以降は御嶽として、精神的な拠り所になっていたようだ。 今帰仁城跡入口のバス停で降りて、1kmほど続く坂道を上がって行く。券売所で、今帰仁歴史文化センターの入場もできるチケット400円を購入。 |
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↑今帰仁城跡から眺める風景。水平線の右端に並ぶ島影は、伊是名島と伊平屋島かな? |
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↑本門で、昭和37年に修復された平郎門。 | ↑ゆるやかな曲線が美しい、石垣。 | ↑城壁の外にある、今帰仁ノロ殿内火之神の祠。 |
↑ハンタ道。石畳もある古道。 | ↑集落に2つあるハサギ(アシャギ、奄美ではアシャゲ)の一つ。 | ↑今泊集落の海岸。パンフレットでは、シルバマとなっている。 |
18時頃に名護バスターミナルに到着。ゆっくりカツ丼を食べて、19時15分のバスで那覇へ帰る。 |
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「塩屋・ウンガミ/塩屋ウンガミ刊行委員編」を読み終える。 毎年旧盆明けの初亥の日に行われる塩屋港内のウンガミ(ウンジャミ、海神祭)は永い歴史と伝統を誇り、地域住民の心の支えとして最も盛大に行われる行事である。 〜略〜 塩屋・ウンガミ刊行委員会 委員長 宮城竹秀 竹富島の種子取祭(タナドゥイ)を記録した「うつぐみの心 竹富島/大塚勝久写真集」もそうだったが、一つの地域の一つの祭祀をここまで丁寧に記録した本は珍しいし、それが充分見応え読み応えのある本となっている。 ウンガミ(あるいはウンジャミ)は、沖縄本島北部の国頭村比地や、大宜味村塩屋、謝名城、今帰仁村の古宇利島など沖縄本島の北部から中部にかけて分布している民俗行事である。この祭りは毎年旧暦七月に行われるが、ウンガミというのは海神の意とされ、その儀礼の内容から、海のかなたにあると信じられている世界ニライ・カナイからの来訪神を迎え、作物の豊穣を祈る祭りとみることができる。 また、証言・ウンガミ今昔として5人からの聞き書きが載っている。 |
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←↓巻末の資料。本が作られた昭和61年当時の、ヌル、ハミンチュ、シマンホー(島方)一覧や、県知事からのノロクモイ就職許可書(写)など。 | ||
今日はエルヴィス・プレスリーの命日だそうです。You Tubeから「Love Me Tender/Elvis Presley 」。 | ||
↑は、東京国際フォーラムで行われた「エルヴィス・プレスリー ザ・コンサート」。エルヴィスのビデオ映像に合わせて、生前一緒にプレイしていたメンバーが演奏するというもの。1999年11月に撮影。 ←主要メンバーの、ジェームス・バートン、グレン・D・ハーディン、ロニー・タット、ジェリー・シェフ。11月21日、赤坂のホテルにて撮影。 |
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奄美から沖縄に引っ越してきて、そろそろ2ヶ月。まだ乗っていなかった、沖縄都市モノレール(通称ゆいレール)の一日乗車券600円を購入して端から端まで乗ってみた。 | ||
家から多分一番近い泊ふ頭郵便局で用事を済ませた後、歩いて美栄橋駅へ。乗車券を購入して、まずは那覇空港駅へ。 →駅の自販機で買える一日乗車券。初めに改札を通ってから24時間が有効期限というのが素晴らしい。首里城などの施設割引もある。 |
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那覇空港に着いて直ぐに激しい通り雨が降ったが、空港の施設を少し見学しているうちに去って行った。 |
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本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 ↓ライトアップされた首里城の正殿。わりと長い時間首里城公園にいたが、見ていない御嶽や施設もいっぱいある。無料エリアの下之御庭で毎週4日(水・金・土・日)と祝日に琉球舞踏も行われているようなので、また来なくては。 |
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2000年12月に、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』が、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録された。その内容は1. 首里城跡 2. 園比屋武御嶽石門 3. 玉陵 4. 識名園 5. 今帰仁城跡 6. 勝連城跡 7. 座喜味城跡 8. 中城城跡 9. 斎場御嶽 の9ヶ所。 復元された建物や城壁ではなく、あくまでも首里城跡が登録されている。 1945年の沖縄戦で徹底的に破壊された首里城の写真が、こちらにありました。 |
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当初は5日に予定されていたが、オスプレイ配備反対県民大会が5日に決まったことで今日に延期された夏祭りin那覇2012 一万人のエイサー踊り隊。 |
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車両の通行規制が行われ、歩行者天国となった国際通りで、午後1時からエイサーが始まった。 イヴェントのスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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エイサー大会は午後5時過ぎに終了。自転車で家に帰り、急いでシャワーを浴びてスッキリ。晩ご飯は冷凍のうどんを2つ茹でて氷で冷やして、ぶっかけうどん。オニオンスライス、大葉、青ネギ、焼き肉、すりごま、卵黄をトッピング。 ところで5日に予定されていたオスプレイ配備反対県民大会は、台風の影響で延期になっていましたが、ようやく開催日時が決まった。9月9日の午前11時から、宜野湾海浜公園多目的広場。う〜ん、この日は参加が難しい。 |
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朝6時半頃にようやう寝て、起きたのは11時頃だったか。 私と同様、 今日は寝不足の人が多いかな?観るつもりでもなかったけれど、何となく起きていたので、そのままオリンピック女子サッカー決勝をテレビ観戦。なでしこ負けましたが、いい試合でしたね。本人たちが、楽しそうなのが良い。 |
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午後から、先日虫に刺されて断念した天久緑地の散策。 今日は国道58号から入り、大きな門中墓が点在する森を、道を探しながら歩く。 58号から入って、泊港の鮮魚卸売市場の方へ抜けようとしたが道が見つからず、泊高校の横に出た。 外人墓地の横を通り、泊いゆまちで刺身と天ぷら、横の八百屋さんで野菜と安かったパイナップルを購入。 |
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↑散歩に出る時、隣の部屋の前に柵の複雑な影が落ちていた。 | ||
買い物を済ませて帰る途中、コンビニに寄ってガス料金の支払い。1869円。やっぱり都市ガス、安いですね。 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。お墓の写真ばかりですが。 |
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市立ほしぞら図書館で借りてきた5冊のうち、読み終えた4冊を市立中央図書館に返却して新たに2冊借りる。隣の県立図書館でも1冊借りてきた。 | ||
県立図書館で借りてきた「塩屋・ウンガミ/平良孝七・塩屋ウンガミ刊行委員会編」と、市立中央図書館で借りてきた「沖縄に活きる/大石芳野」(用美社)、「沖縄 道ジュネー 犠牲と抵抗の歳月/浅見裕子」(なんよう文庫)。 *メモ。3冊とも返却期限は8月23日。先日ほしぞら図書館で借りた残り1冊は8月13日。 |
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自炊に飽きたので、今日はおもろまちのスーパーで菓子パンとやんばる食堂レモンティーを購入。 | ||
→安くてどこのコンビニやスーパーにも置いてあるので、わりとよく飲んでいる。↓晩ご飯は菓子パン。 | ||
のらりくらりとした動きの台風11号も、ようやく遠く去って行ったようだ。 午後から散歩。いつも使っている18〜250mmのズームレンズから50mmのマクロレンズに付け替えて、歩いてみる。 |
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↑本日のスナップをPhoto Albimにしました。こちら。 散歩のコースは泊〜崇元寺〜国際通り〜牧志公設市場〜安里〜おもろまち。3時半頃に家を出て、帰ってきたのが7時過ぎだったか。 深夜、半分眠りながら女子卓球団体戦の決勝、男子サッカー準決勝を観る。 |
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台風11号の影響で、那覇を離発着する飛行機はほぼ全便が運休。船もほとんど運行していない状況だ。 昨日、「エイサー/沖縄県文化環境部文化国際局文化振興課」(ゆい出版)を読み終えた。エイサーについて書かれた部分を以下に並べてみた。 エイサーとは〜ニンブチャー 沖縄本島の周辺や離島で盆に行われる踊りを「エイサー」という。太鼓を打ち鳴らし、若者達が「エイサー、エイサー」と掛け声をかけながら踊る。精霊の供養を目的に踊られ、掛け声に由来して「エイサー」と言われている。また『おもろさうし』の巻十四の「ゑさおもろ」の「ゑさ」にその語源があるとする説もある。 エイサーはもともと念仏歌で踊られていたが、時代の変遷に伴って大きく変化してきた。特に戦後はコザ市(現沖縄市)が主催したエイサーコンクールで、各地の青年が青年会活動の一環として精力的に取り組み、現在のようなエイサーの形が作られてきた。精霊の供養を目的として、念仏歌で踊られていたエイサーに流行の民謡、恋歌、めでたい内容の民謡まで加わり、それに相応しい振り付けがなされ、最近ではお盆以外のめでたい場所でもアトラクションとして踊られるまでになってきた。 現在のエイサーの音楽・歌詞の大部分は、恋歌や流行の民謡で、念仏歌はわずかしか演唱されていない。かつてのエイサーは念仏歌だけで踊られていて、エイサーは念仏踊でもある。 ニンブチャー(念仏者)は、中世的な遊行宗教芸人の典型で、首里の郊外アンニャ村(安仁屋村。行脚村。現在の首里久場川町の一部)に住み、葬儀や法事があれば頼まれて鉦を打ち、念仏歌を歌い、ときには経文も読んだ。僧のいないところでは、その代わりも務めたという。彼らは各地を回り、彼らによって念仏歌が伝えられていった。彼らが伝えた念仏歌は、盆踊り歌として伝わっている。 1663年、琉球王府は仏教の民衆への布教を制限するため、僧侶の説教禁止を打ち出した。僧侶による布教ができなかった時代、その役目を担ったのはニンブチャーであった。 チョーギナー エイサーには、芭蕉布の衣装に棕櫚(シュロ)の繊維で作ったカツラ、顔を白く塗り異様な化粧をした者が数人いる。彼らはサンダーとかチョーギナー、チョンダラーと呼ばれる。太鼓や手踊りの者が踊っている側で奇妙な動き、踊り、をしている。酒甕を担ぎ、コミカルな動きでエイサーを盛り上げる。 ニンブチャーとチョンダラーについて、「沖縄の季節と行事/比嘉朝進」(沖縄総合図書)にも面白い記述がある。 |
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↑チョーギナー、チョンダラーと思われる写真。左から7月15日エイサーinいとまん、7月20日屋富祖のひぃーやー祭々、7月21日浦添三大王統まつり。 ↓りんけんバンド。自分の撮影リストを見ると1991年と1994年にライヴを撮影しているが、この写真はどちらだろう? |
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もう一曲You Tubeから、「ミルクムナリ」。沖縄のお祭りで一番耳にしている曲だと思う。ミルクは弥勒の沖縄方言読みだそうで、五穀豊穣をもたらす神として信仰されている。 歌詞の意味はこちらに。 |
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台風9、10号が去ったかと思ったら、今日、台風11号が発生。その影響で、明後日の日曜日に宜野湾海浜公園で予定されていたオスプレイ反対県民大会が延期された。 午後、買い物のついでに自宅と泊いゆまちの間にある天久緑地に寄ってみる。緑地というか墓が並んだ場所。丘のようになった墓地を上っていけば、泊大橋や市街を見渡せるようだが、虫に刺されて断念。次は長ズボン、長袖シャツの時に来てみようと思う。 |
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↑天久緑地の門中墓。まるで山奥のような感じだが、大きな産業道路を少し入ったところにある。那覇に来てびっくりするのは、突然大きな門中墓があらわれる事。 「うつぐみの心 竹富島/大塚勝久写真集」(葦書房)を読み終える。 |
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台風9号、10号に挟まれて、今日は大荒れの天気になるかと思っていましたが、那覇はいたって静か。先島諸島は暴風のようですが、那覇は激しい雨も降らず風もさほど強くなく普通の曇り空。 You Tubeから、「I Shot The Sheriff/Eric Clapton」「Many Rivers To Cross/Jimmy Cliff」「One Love/Bob Marley」。 |
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↑の写真は、REGGAE JAPANSPLASH'90で来日したシェリー・サンダー。ポートレートは1990年8月12日、ライヴは8月11日に撮影。他にナ-キ、デルロイ・ウィルソン、ビッグ・ユース、サンチェス 、レディ・G 、ホーム・T 、フレディ・マクレガー、ココ・ティ-が出演した。 | ||
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