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バックナンバー

○11月2日(土) 読谷まつり闘牛大会
○11月2日(土) おもろまち秋祭り
○11月3日(日) 泡瀬大綱引き
○11月3日(日)前後数日間 壺屋やむちん通り祭り
○11月6日(水)〜11日(月) 琉球新報創刊120年企画「琉球国之図と完全復元伊能図フロア展」 沖縄県立武道館アリーナ(那覇市の奥武山公園内)/10時〜18時 大人前売り500円、当日600円
○11月9日(土) 伊江島 村民俗芸能発表会/午後2時30分 改善センターホール
○11月13日(水) 市立中央図書館本の返却期限
○11月15日(金)〜17日(日) 離島フェア/セルラーパーク那覇
○11月16日(土) 山原のムラ・シマ講座
○11月16日(土)、17日(日) 北中城まつり
○11月16日(土)、17日(日) 日本名作映画劇場2013 パレット市民劇場(パレットくもじ9階) 500円で映画が2日間見放題
○11月17日(日) 講演とシンポジウム「人間国宝と語る 琉球のうるし・創造と未来」/県立博物館・美術館 3階講堂 13:00〜18:00
○11月17日(日) 与論十五夜踊り(旧暦10月15日) 地主神社
○11月20日(水)〜21(木) 竹富島 種子取祭タナドゥイ
○11月21日(木)〜24日(日) 第34回 壺屋陶器まつり/壺屋小学校
○11月23日(土) 民謡・カラオケ大会/大平通り 堀内加奈子16:30〜 石川陽子20:00〜
○11月25日(月)〜12月6日(金) 大塚勝久写真展「平久保サガリバナの原風景」/石垣市役所1階ロビー 特設会場/9時〜17時
○11月27日(水) 市立中央図書館本の返却期限
○11月28日(木) 石垣島・川平 マユンガナシ
○11月30日(土) 栄町市場感謝祭
○12月1日(日) NAHAマラソン
○12月11日(水) 市立図書館本の返却期限
○12月13日(金)〜15日(日) 久米島町観光・物産と芸能フェア/タイムスビル
○12月21日(土) 山原のムラ・シマ講座

○1月中旬の日曜日 石垣市平得の種子取祭
          登野城は?
○2月8日(土)〜2月9日(日) 伊江島 村産業まつり
○2月8日(土)〜2月23日(日) 伊江島 ハイビスカス祭り

与那国島の奇祭マチリ・カンブナガ
○12月20日(金) クラブマチリ
○12月21日(土) ウラマチリ
○12月24日(火) ンディマチリ
○1月11日(土) ンマナガマチリ
○1月12日(日) ンダンマチリ
○1月13日(月) アンタドゥミ

おきなわ物語 イベントスケジュール2013上半期下半期
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
宮古島・宮古協栄バス
宮古島・八千代バス
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
安栄観光フェリー
八重山観光フェリー
石垣島ドリーム観光
スカイマーク
ピーチ
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/

11月30日(土)

 今日で11月も終わり。管理会社へ来月分の家賃を払いに行き、そのまま栄町市場へ。今年の屋台祭りは先月で終了したが、今日は年に一度の感謝祭があるのでやって来た。
 スタートは17時からですが、少し早めに到着して八百屋でタマネギと人参、ミカンを購入。鮮魚店でイカ4つ、インゲン1つ入った天ぷらのパック200円を買って会場へ。
栄町市場感謝祭
 プログラムは、松城太鼓、カメーおばぁと童ばぁたー、永楽、樺里美、栄町市場シンガーズ、テリーズバンド、大ちゃんバンド、栄町ダンサーズ、おばぁラッパーズ、マルチーズロックwith Cherry belly moon、特別ゲスト・前川守賢。
 途中、会場後方の屋台でオリオンビールと台湾チマキを一つ買って腹ごしらえ。
前川守賢さん

 トリを務めたゲストの前川守賢さんのステージは、50分ほどだった。最初から最後まで大盛り上がり。歌も喋りもお見事でした。沖縄に来て1年半ほどだが、守賢さんの唄う歌はほとんど耳にしたことのある曲ばかり。You Tubeから映像を拾ってみた→「遊び庭〜カチャーチドンドン」「かなさんどー」「遊び庭〜かなさんどー〜ゆがふーでーびる」。
 そして守賢さんのステージを見たら、守賢さんのお父さんで今年の7月に亡くなられた前川守康さんのステージも一度見て聴いてみたかったと思う。守康さんは沖縄の漫談家で、リンケンバンドの林賢さんの父である照屋林助さんと一緒にワタブーショーがやっていた。その頃の映像や音源をネットで探しているが、見当たらない。
 21時過ぎに感謝祭は終了。お客さんみんなでパイプ椅子の片付け。帰り際、屋台で2個500円のチーズケーキを買って帰る。寒くなると甘い物が食べたくなる。

*栄町市場感謝祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年4月23日に更新)。

11月29日(金)

 ヤフーの天気予報によれば、今日の最低気温16℃、最高気温は17℃。20℃を下回ると、さすがに寒いですね。明日は晴れで最高気温が20℃まで上がるようですが、最低気温は14℃らしい・・・orz。そろそろ扇風機を仕舞って、ファンヒーターを出さなくちゃ。

 8月4日に撮影した、与那原大綱曳きの写真をPhoto Albumにしました。道ジュネーはこちら、大綱曳きはこちら

アガリの雄綱
↑たくさんの支度(シタク)を乗せて、綱曳き会場に向かうアガリの雄綱。↓綱曳き会場での、イリの雌綱。
イリの雌綱
 東電は保管タンクが不足したとして、汚染地下水のくみ上げを当面行わないと発表。これで、汚染水の海への漏洩が続く事になる。政府が直ちに取り組まなくてはいけないのは秘密漏洩よりも、この汚染水の漏洩だろう。

11月27日(水)

 中央図書館で借りた本を若狭図書館へ返却に行く途中、久茂地にある居酒屋で昼ご飯。主菜はエビと揚げ魚、ブロッコリーの黒酢炒め。小鉢は3つで冬瓜の煮物、おひたし、クーブイリチー。これにデザートのフルーツゼリーが付いて680円。
 図書館で2冊借りている内の1冊を返却、1冊を延長してもらい、新たに2冊借りて来た。2冊とも一度借りた事のある本で、神々の古層シリーズから「巡行する神司たち マチリ(与那国島)」「女が男を守るクニ 久高島の年中行事1」(ニライ社)。
 図書館からの帰り、松山のスーパーでニラ、もやし、長ネギ、泊漁港で刺身の切り落としを買って帰る。

 8月2日に撮影した、粟国島のヤガンウユミ最終日の写真をPhoto Albumにしました。ミキ作りから朝フララ、トゥン巡りまではこちら。夕フララ、立ちウムイ、奉納相撲まではこちら

ニーヤで御願をするスイミチ座の神女
↑根屋(ニーヤ)で御願をするスイミチ座の神女。↓立ちウムイ。ヌル座とスイミチ座の神女が向かい合い、謡い踊りながらチーグ座に移動する。
立ちウムイをする神女たち

 昨日、特定秘密保護法案が衆議院で可決。今日、国家安全保障会議(日本版NSC)の創設関連法が参議院で成立した。25日に福島で行われた公聴会では有識者全員が反対と述べたのに、翌26日、強行採決により特定秘密保護法案が可決した。何のための公聴会だったのか、さっぱりわからない。この特定秘密保護法案の問題点が日本ペンクラブの「意見書」に書かれている。
 県外移設を公約にしていた沖縄の自民党議員5人が、一昨日石破幹事長と会談して辺野古移設を容認した。また、今日になって自民党の沖縄県連も辺野古移設容認へ方針転換したことを発表。公約を撤回するなら、あらためて民意を問うべきだろう。特定秘密保護法案への対応を巡り桃野よしふみ議員は「みんなの塔は結党の原点を捨ててしまいました。みんなの党を離党いたします」という決断をした。沖縄の自民党議員も、離党という選択肢があったはずなのに。
 ちなみに、みんなの党の執行部は、特定秘密保護法案の衆院採決で造反した3人の議員を処分する方針だという。みんなの党のみんなとは、誰のことなのだろうか。議論らしい議論もされないうちに、自民党に寄り添ったアジェンダ代表。なんだか化けの皮が一枚剥がれた感じだ。

 ところで、徳洲会から5000万円を借りていたとして連日取材記者の前で釈明している猪瀬直樹都知事は、本当に猪瀬氏なのだろうか。なんだか精巧に作られた猪瀬都知事の着ぐるみの中に、別人が入っているんじゃないかと思うぐらいお粗末な対応だ。元々ボソボソとして聞き取り難い話し方をする人だが、話している内容がベテランのノンフィクション作家とは思えない稚拙さで、「親切な方だと思った」発言には噴いた。
 STUDIO VOICEという雑誌があった(現在はON LINEでのみ運営されている)。創刊は1979年で、日本では珍しいインタヴューを主体にした雑誌だった。この雑誌に80年代前半、猪瀬直樹氏が「日本凡人伝」というインタヴューを連載していた。特別な人ではない普通の人、しかしその普通の人の様々な職業にスポットをあてたインタヴューで市井の人の非凡な人生を紡いだ。この連載が好きでSTUDIO VOICEを購読していた。インタヴューを読む事の面白さを、この連載で知ったように思う。後に単行本として纏まっているが、実家の本棚には坂田栄一郎さんが表紙を撮影していたこの雑誌のバックナンバーが今も並んでいる。
 そう言えば、今年の春頃に五輪招致を巡る取材で猪瀬氏は「イスラム諸国はけんかばかりしている」発言をして謝罪している。いわばインタヴューのプロが、インタヴューを受けて窮地に追い込まれた。あの辺りで、都知事の精巧な着ぐるみの中に誰か違う人が入っていたのかもしれないな。
 ノンフィクションを書くという事は、情報を収集し分析し纏めて一つの作品にするということだろう。幼稚な言い訳を繰り返しているうちに、これまで彼が積み上げてきたノンフィクション作家としての輝かしいキャリアが崩壊してしまった。失った物は大きいと思う。

11月24日(日)

 最低気温18℃、最高気温24℃。風は南から。こんな日を小春日和と言うんだろうか。
 お昼ご飯を食べてから、第34回 壺屋陶器まつりを見に行く。会場は、国際通りの裏手にある壺屋小学校。しょっちゅう横の道を通っていたが、こんなところに小学校があるとは気づかなかった。会場に着くと、旗頭演舞の真っ最中だった。
 グランドの周りを囲むようにテントが設営されて、壺屋にある窯元がお茶碗や皿、シーサー等を出品している。校舎の裏の方ではヤギふれあい広場が作られていて、餌をあげる事もできるようになっていた。
 会場を一通り見てから、自転車を小学校の横に置いて近所を散策。一時間ほど壺屋、桜坂のスージグヮーをのんびりと歩いてまわった。
お散歩スナップ
↑右の一番上はトックリキワタの花。今、那覇の公園や街路で咲いているのを目にします。今日のお散歩スナップをPhoto Albumにしました。こちら
猫
 散歩の後、小学校まで自転車を取りに戻り、それから国際通りを抜けて波の上ビーチへ。さすがに泳いでいる人はいなかったが、日光浴をしている人が数人。しばらく眺めてからスーパーで買い物をして帰宅。
  晩ご飯は久しぶり(沖縄に来て初めて?)に麻婆豆腐。丸美屋の辛口に豚肉とネギ、唐辛子を1本加え、豆腐はちょっと固めの島豆腐を使用。島豆腐は炒めても崩れなくていいが、やっぱり絹ごし豆腐のツルンとした舌触りのほうが好きかな。
 明日は雨の予報だ。溜まっている写真データの現像をするか、それとも借りている本を読んで過ごそうか。
 本日の一曲。「千鳥橋渋滞/TULIP」 。

11月22日(金)

 サウンド・エンジニアの藤井暁さんが亡くなった。一番最後にお会いしたのは渋谷クワトロで行われた、ベーシスト・松永孝義さんのソロ・アルバム『THE MAIN MAN』発売記念ライヴの時だと思うが、その松永さんも昨年の7月に亡くなられている。
 藤井さんと初めて会ったのがいつだったか思い出せないが、言葉を交わした印象がはっきり残っているのは外苑の堀内カラーへフィルム現像の仕上がりを取りに行った時だ。チンドン屋さんの追っかけ撮影をしていた時だから、1991年の夏かな。
 藤井さんはエンジニアだけれど、その当時puff upというレーベルを立ち上げて、サックス奏者の篠田昌巳さんのソロやコンポステラのCDアルバムをリリースされていた。その篠田さんは、通常の音楽活動と平行してチンドン楽団に入って街頭演奏をしていた。
 チンドンのサウンドと東欧のクレズマーが類似しているとか俄にチンドン屋さんが一部で盛り上がり、季刊誌「ノイズ」でチンドン屋さんの特集が組まれた。その特集の撮影で、みどりや、小鶴家、都家やっちゃん宣伝部、高田宣伝社といった都内のチンドン屋さんを撮って歩いた。そんな中、埼玉で撮影した高田宣伝社の写真の現像上がりを取りに行った時に藤井さんとバッタリ会ったので、少しお話しをしたのだった。
 翌年の92年に、puff upから篠田さんと藤井さんが製作した「東京チンドンVol.1」が発売されたが、この年の12月に篠田さんが急性心不全で亡くなられて、このアルバムが遺作となった。外苑の堀内カラーでバッタリお会いした時は、この「東京チンドン」の製作真っ只中だったかもしれない。今CDが手元にないが2枚組のアルバムで、ジャケット写真は桑本正士さん、分厚いライナーノートが添えられていたと思う。

↓高田宣伝社。左のサックスが篠田昌巳さん。1991年7月、埼玉県の小川町(?)で撮影。
高田宣伝社

 それほど交流があったわけではないけれど、インドネシアの作詞家、グサンさんのレコーディングや、RIKKIのレコーディングでお会いしてアレコレと話しをした。
 1994年の春にグサンさんが来日して、コンサートとレコーディンを行った。レコーディングはビクターの青山スタジオだったが、レコーディングの様子を撮影しているうちに深夜になり、終電がなくなって同じ方向だと言う事で藤井さんと下北沢までタクシーでご一緒した。小学生の頃だったかに家出をしてバリ島に行った話しや、京大・西部講堂でミキサーをしていた時にウイスキーボンボンを食べさせられて酔っぱらいコンサートがムチャクチャになった話しを聞いた記憶がある。
  このグサンさんの録音は藤井さんがエンジニアだったか、それとも藤井さんは見に来ていただけかは覚えていないけれど。
→レコーディング中のグサン・マルトハルトノさん。1994年4月1日に撮影。

グサンさん
 ジョン・レンボーンのギターが好きで、寝る前によく流している。1996年にライヴとポートレートを撮影しているが、実はその時はあんまりピンと来なかった。ライヴの時は撮影していたので、演奏を聴く事に集中できなかったからだろうか。
 2001年の夏に湘南のスタジオでRIIKIのアルバム『miss you amami 』のレコーディング合宿があり、その時に宿泊所で藤井さんが流していたのがジョン・レンボーンで、それを聴いて初めてジョン・レンボーンの音楽が好きになった。
↓John Renbourn&Jacqui McShee。→John Renbourn。1996年7月・新宿ロフトにて撮影。
ジョン・レンボーン02
ジョン・レンボーン01

 一番好きな曲は「The South Wind」なんだけれど、You Tubeに本人が演奏しているバージョンがなかったので「Traveller's Prayer /John Renbourn」「There You Go/Dorris Henderson and John Renbourn 」。
 いつだったか、藤井さんがレコーディング・エンジニアとして参加した様々なアーティストの音源を収録したDATのテープを戴いた事がある。残念な事にDATを再生するプレイヤーを持っていなかったので、どれかの段ボールに仕舞ったままになっているんだけれど。

 ようやく日記は追いついたが、写真の現像作業は8月からのものが溜まっている。
 8月1日に撮影した粟国島ヤガンウユミのナーウマチー(祭場開き)の写真をPhoto Albumにしました。こちら
フェリーから撮影した粟国島
↑フェリーから撮影した粟国島。↓庭(祭場)に向かって御願をする神女たち。
庭(祭場)に向かって祈願する神女

11月20日(水)

 先日、久しぶりにローグのヴォーカリスト・奥野敦士氏のブログを見た。そこにはローグが再結成し、車椅子の彼がステージに復活した事が書かれていた。

 2010年の春先、ローグの元マネージャーから電話があった。今度、ローグの昔のライヴ音源をまとめたCDを制作するので、その時のライヴ写真を探しているというものだった。ライヴは1987年2月14日・日本青年館だと言うので、それなら撮影している。撮影した写真は既にフィルムスキャナーでデジタルデータにしてあったので、メールに添付して送った。その中の写真の一枚が2010年4月7日に発売された『ROGUE/LIVE The Ultimate Collection』のジャケット写真になっている。そして、その時の電話で初めて、彼が2008年に落下事故で頸椎を損傷して、入院していると知ったのだった。
  入院を知って暫くは彼のブログを時折チェックしていたのだが、それから直ぐに奄美大島への旅が始まっていつの間にかご無沙汰していた。一年のつもりだった奄美の旅は2年になり、今も沖縄へと繋がっている。 旅を初めて3年半ほどが経った。
 久しぶりに読んだブログで、昨年「いろいろあるさ 生きてっからね」(実業之日本社)、「終わりのない歌」(双葉社)という2冊の単行本が出版された事も知った。
 書籍「終わりのない歌」のWEB CMで、ローグの代表曲の一つ「終わりのない歌」を車椅子の彼が歌っている。そのアカペラの唄は、何に対してなのかはわからないが慈しみに溢れていて強く魅き込まれる。そして彼がリハビリ中に唄った「この素晴らしき世界」の音源とも出会った。首から下が動かない彼が、歌を唄う。それは想像以上に大変な事だと思うが、映像で見る姿に悲惨さはなく逆に見るものをポジティヴにさせる優しい強さがある。
 それにしても、何故そうまでして歌を唄わなくてはならないのか。そう思った人が彼にインタヴューした記事が「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されている。
  「なぜ、そうまでして歌うのか」シンプルだけれど奥が深く、読み応えのあるインタヴューになっている。

 さて、そんなローグのベスト・アルバム「easy go easy comes+Live at CBGB,NewYork 1989」(ポニーキャニオン)が、今日発売されたようだ。

→16回NEW YEAR ROCK FESTIVAL(1988.12.31〜1989.1.1)
ローグ02
ローグ01
↑1986年(?)渋谷ライブイン。この時の写真は、こちらにも少し。
ローグ03
↑『Live The Ultimate Collection』のオリジナル写真。1987年2月14日、日本青年館にて撮影。You Tubeに、この日の「終わりのない歌」がアップされていた。映像を観ていると、25年なんてあっという間かもしれないなと思えてくる。

11月18日(月)

朝の空01
朝の空02

 午前中に洗濯。午後から、冷蔵庫の中が寂しくなって来たのでスーパーと魚市場で買い物。途中、コンビニでガス代、水道代、電気代の支払い。スーパーの店頭では丸美屋のすきやきふりかけが特売だったので思わず購入。魚市場ではマグロの刺身とサーモンのあらを買った。さっそく晩ご飯に、あらを入れた鍋を作る。

←↑朝の那覇市街の空。この後、徐々に晴れて洗濯日和になった。

 今日から福島第一原発4号機の使用済み燃料プールに保管されている核燃料(未使用燃料202体、使用済み燃料1331体)の取り出し作業が始まった。初日の今日はトラブルもなく、4体を輸送容器に収用した。
 東電は、この燃料取り出し作業の直前である15日に福島第一原発1号機の使用済み燃料プール内にある燃料棒70体が震災前から損傷していたことを公表。取り出し作業が始まった4号機にも損傷した燃料棒が3体あり、この3本は通常の取り出しが困難なため対応を後回しにするとしている。
  損傷している燃料棒は2号機にも3体、3号機にも4体あるというが、この際、全ての原発の燃料プールに保管されている損傷した燃料棒の数も明らかにしたらどうだろうか。
 今回の4号機の核燃料の取り出しで廃炉に向けた作業が一歩進んだと言うが、その一方で解体後のごみ処分場が決まらず東海原発の廃炉作業が先送りになった。東海原発は、日本初の商業用原子力発電所・東海発電所のことだと思うが、以前にも書いたが1998年3月31日に営業運転終了、2001年3月 燃料搬出完了、2006年8月熱交換器撤去工事開始まで進み、今後は2014年に 原子炉解体開始となっていた。98年の営業運転終了から今まで、処分場の当てもないまま作業をしていたのだろうか。あまりにも杜撰な計画。どうするんだろうか。
 もう一つどうするんだろうと思う事がある。政府の汚染水処理対策委員会は、国内外から公募した技術にトリチウムを除去する画期的な技術はなかったと発表した。福島第一原発の汚染水除去装置アルプスは、約60種類の放射性物質を処理できるがトリチウムは除去できない。そのため公募していたが、結局トリチウムを分離する方法が見つからなかった。福島第一の汚染水処理は既に待ったなしの状況、貯蔵タンクが一杯になればトリチウムを除去しないまま海洋放出するということだろうか?

 自民党の石破幹事長が沖縄の自民県連に対し、普天間基地の辺野古移設を容認するよう要請し「県外移設を進めていくと、普天間の固定化がほぼ確実になる」と述べたそうだ。随分と乱暴な話しだと思うが、菅官房長官にいたっては「県外移設なんて、とんでもない。党本部の方針に従うべきだ」と話したと言う。しかし、沖縄の自民党議員は県外移設を公約にして選挙を戦い票を獲得したのではなかったか。県外移設がとんでもないなら、党として選挙の前に捻れを解消しておくべきだろう。

ルールをよく守れだって?
ルールはいつだって かってに変えていいってルールだもん
そんなのインチキじゃん!?
PUBLIC ENEMY/VIBRASTONE」(You Tubeから)。

11月16日(土)

 始発の名護西線で、名護バスターミナルへ。1週間前と同じですが、先週は伊江島旅行、今日は山原のムラ・シマ講座です。
 名護BTで、本部半島線の今帰仁廻りに乗り換えて今帰仁城趾入口で下車。1kmほど続く緩やかな坂を上って、今帰仁村歴史文化センターに到着。講堂に入ると、レクチャーが始まっていた。
 館長さんが自ら運転するマイクロバスで、今日の観察地である比地集落へ向かう。今帰仁村から本島北部の国頭村比地に行く途中、屋我地島を経由した。屋我地島は本部半島にも本島にも橋で繋がっているので、近道のようだ。この島にはまだ足を踏み入れたことがなかったので、少し得した気分。
 10時半過ぎに、集落に到着。まずは集落の入口にある印部石(ハル石)を見学。「ゐ ひち原」と彫られている。その後、山全体が御嶽となっている小玉杜に上り神アサギや、住居跡、アカギの大木などを見学。

 小玉杜内に10件近い住居跡(火神の祠)がある。それは屋敷跡である。かつて小玉杜(ウタキ)内に人が住み、そこには神アサギがあり、また各門中のイビがある。集落の発生の古い形態をみせているのではないか。沖縄のグスクは高い所に築かれている。グスク以前はウタキ(杜)である場合が多い。その杜の内部に住居を構え、古琉球から近世にかけて次第に麓に住居が移動していく。国頭村比地は、戦後まで杜の斜面に住み、その痕跡として火神の祠が今に残し、移動したものの今でもお参りを続けている。
*比地については、こちらに詳しく書かれている。
 小玉杜の観察後は山を下りて、カー(湧泉)や風呂屋跡を見学した。 こちらに今日の様子が少し載っています。

↓集落に到着。→下のブロックの奥にある石が、印部石。
集落入口にある印部石
比地に到着
小玉杜にある神アサギ
↑小玉杜の中にある神アサギ。現在、修復中のようだ。
小玉杜の住居跡
解説される仲原先生

↑小玉杜の中に残る住居跡。

←昔の比地の生活を描いた浮世絵風の絵を見ながら、集落の形態を説明する仲原館長と玉城さん。

↓左は小玉杜全体のイビ。中央は一門(門中)のイビ。右は小玉杜から現在の集落に下りて行く途中で見つけたサガリバナ。

ウタキ全体のイビ
一門のイビ
サガリバナ
泉川井
風呂屋の跡01
風呂屋の跡02
比地大川

↑左はカー(湧泉)。中央と右は、風呂屋(ユーフルヤー)の跡。
←比地大川。
↓公民館の前で、今日のおさらい。

公民館の前でおさらい
 12時過ぎに、今日の講座は修了。マイクロバスは歴史文化センターに戻るが、久しぶりに辺土名にある波止場食堂のかつ丼が食べたくて、58号に出て直ぐに降ろしてもらった。少し歩くとバス停があった。横は道の駅「ゆいゆい国頭」で、中にある観光案内所で辺土名までの距離を尋ねると、歩いて15分ほどだそうだ。バスが来るまで時間があるので、途中の奥間集落の中を歩きながら辺土名まで歩くことにする。
 案内所でもらった地図を見ながら比地に隣接する奥間へ。この集落にも比地で見て来たような御嶽や神アサギがあるのだろうが、ただ通っただけではわからない。
 集落内から国道58号に戻ってしばらく歩いていると辺土名行きのバスが走って来た。観光案内所で15分と言われたが、もう少しあるかな?ちょっと歩き疲れたので手を上げたら、バス停から離れているのに止まってくれた。終点の辺土名バスターミナルの手前、村営バスが停車しているところで下車。ここから目的の波止場食堂へ。
 かつ丼を注文。来ていない間に50円値上がりして650円になっていた。
かつ丼
波止場食堂の店内

↑波止場食堂の店内。
←隣りの汁碗が小さく見えますが、ご飯のどんぶりが大きいのです。カツは揚げたて。味は濃くて甘めです。

 注文する前はいつもより食べられる気がしていたが、目の前に置かれるとあまりの盛りに戦意を消失。格闘しましたが、半分以上お持ち帰りとなりました。惨敗です。
 辺土名バスターミナルを14時40分発のバスで名護BTへ。名護西線に乗り換えて那覇に戻る。最寄りのバス停に着いたのは18時半頃だった。朝が早かったので、行き帰りのバスの中ではほとんどウトウトとしていた。
 お持ち帰りしたご飯とカツに、昨日作ったカレールーをかけてカツカレーにして食べる。
 とりあえず撮影データをバックアップし、セレクトと現像をして早めに就寝。

*本日の出費。土日祝1日限定フリー乗車券2000円、かつ丼650円。

11月11日(月)

 午後から、県立武道館で開催されている琉球国之図と完全復元伊能図フロア展へ。6日から始まっており、昨日と一昨日は沖縄県立博物館・美術館の安里進館長による「琉球国之図」について、完全復元伊能図全国巡回フロア展中央実行委員会の星埜由尚会長(元国土地理院長)による「伊能忠敬の生涯と測量行」と題した講演があった。一昨日は日帰りの伊江島旅行、昨日はその疲れで家から出られず聴講できなかった。残念。
 会場には一枚が一畳ほどの地図を214枚敷き詰めた伊能大図が、どーんと置かれている。この大図を含めて靴下を履いていれば地図の上を歩いて鑑賞することが出来る。また伊能忠敬が測量して歩いたルートや、測量に用いた道具のパネル展示もあった。
  奄美大島の地図を探したが、伊能忠敬は種子島、屋久島までは測量したが奄美群島には足を踏み入れていなかった。測量して歩いた期間は1800年〜1816年なので、奄美はもう琉球から薩摩の支配になっている。伊能忠敬が測量を始める4年前に完成していたという琉球国之図にも、奄美群島の地図はない。奄美群島が測量されて、地図が作られたのはいつ頃になってだろうか。
琉球国之図と完全復元伊能図フロア展
富山・石川の部分

↑会場となった武道館のアリーナ。右の大きな地図は、伊能大図の東北から九州。中央上が北海道。左のブルーのシートは、伊能中図と小図。下の人集りのしている部分に、琉球国之図がある。伊能図の展示については、こちらに詳細が書かれている。

←伊能大図の富山・石川部分。富山は沿岸の村以外は二上山くらいしか記載がない。村も氷見と伏木しか知っている名前がなかった。

琉球国之図
上段左は、琉球国之図を見る方々。伊能忠敬が測量を開始する4年前に、この琉球国之図が完成していたそうだ。この琉球国之図を作るにあたって使用されたのが、先月やんばるのムラ・シマ講座で観察した印部石(ハル石)だろうか 。
上段右は、一昨日行った伊江島。タッチューが描かれている。
中段左は、久高島。外間、久高の文字が見える。
中段右は、今住んでいる周辺。
下段左は、先月カジマヤーのパレードを見に行った久志。黄色く塗られている箇所が久志間切だろうか。間切は琉球王国時代の行政区分。琉球に支配されていた奄美群島でも使われた。
下段右の中央、茶色く塗られた箇所は浮島だろうか。浮島は現在の久米・松島辺りで、嘗て首里王府によって作られた辻の遊郭があった。浮島の埋め立てがいつから始まったのか分からないが、この地図では既に首里と繋がっているように見える。長虹堤古地図を理解するための予備知識
チケット
武道館
かっぱえびせん
↑チケット。当日券は600円也。
↑会場となった沖縄県立武道館。
↑かっぱえびせんの日。

 武装館から家に帰る途中、スーパーで買い物。11月11日はポッキーの日らしく、商品がディスプレイがされている。チョコレート食べたいな〜と思いながら、コストパフォーマンスの良いかっぱえびせんを購入。1111は、かっぱえびせんの日でもいいじゃないか。

 10月19日(土)〜平成26年1月13日(月・祝)まで、沖縄県立博物館・美術館で「琉球王国の古地図展」が開催されている。

11月9日(土)

 おにぎり3個、ウインナー6本とミカンをリュックに入れて最寄りのバス停へ。始発の名護西線で、名護バスターミナルへ。2時間弱でターミナルに着いた。 
最寄りのバス停と嘉手納ロータリー
↑左は、朝6時前。最寄りのバス停から。右は嘉手納ロータリー。バスの中から。
伊江島行きのフェリー

 名護BTで65番本部半島線の本部廻りに乗り換えて、本部港へ。本部港を9時に出航するフェリーで、伊江島に渡った。

←本部港と伊江島を結ぶフェリー。
↓アメリカ軍の兵隊も乗船する。伊江島補助飛行場があり、基地の島だ。こちらに、島と基地問題の現況が載っている。

兵隊
 名瀬から那覇へ、那覇から与論島へといった旅で、フェリーから何回も眺めていた伊江島に初めて上陸する。
タッチュー
 一日4便のフェリーがあり、本部港から30分で渡れる伊江島。いつでも来れそうな感じだが、せっかくならイヴェントのある日にと思い今日にした。 今年の1月に沖縄タイムスの本社ビルで伊江島の芸能&物産フェアが開催されたが、その時に国の重要無形文化財となっている伊江島の村踊を観た。次はぜひ、村の中で行われているところを観たいと思っていた。 
←伊江島のシンボル、タッチュー(城山)。
 村踊は、年に一度伊江村民俗芸能発表会で行われる。開演は14時半からだが、せっかくなら伊江島を自転車でアチコチ走ろうと早めに島に着いた。
 フェリーから降り、観光案内所で地図とパンフレットをもらい、案内所を出たところにあるレンタサイクルで自転車を借りた。地図を見ながら時計と反対回りに走り、道路に立っている案内板に書いてある観光名所を見てまわった。
伊江島のスナップ

 島の北西部にある米軍基地は抜かして、ぐるりと島を巡った後、伊江村民俗芸能発表会が開催される改善センターホールに向かった。改善センターはタッチューの麓にあり、緩やかな坂を汗をかきながら上る。 
 事前に電話で問い合わせたところ、芸能発表会は14時半に始まって、終わりは18時頃ではないかとの返答だった。伊江島から本部港への帰りのフェリーは16時が最終便なので途中までしか観られない。開演の1時間以上前に改善センターに到着して、その分リハーサルでも観れないかと思っていたが、会場では町の表彰式が行われていた。
 しょうがないので自転車でタッチューの下を少し走って、14時過ぎにセンターへ戻って来た。 
 伊江村民俗芸能発表会は、伊江島にある8つの字(東江前・川平・東江上・西江上・阿良・西江前・真謝・西崎)が毎年輪番で踊りを発表する。今年は、5巡目での川平地区担当だった。

プログラムから
○主催者あいさつ(教育長) ○功労者表彰 ○発表(川平区) 1.かぎやで風 2.今日の誇らしゃ 3.真河の上 4.上り口説 5.久高 6.見れば 7.前の浜 8.勝連節 9.鳩間節 10.あかきな 11.むんじゅる 12.組踊「伏山敵討」 13.城の前 14.湊くり節 15.四季口説 16.大中桃原 17.加那よ 18.浜千鳥 19.渡海ひざみ 20.扇吉田 21.高平良万才 22.真北 23.次郎が 24.揚作田 25.鶴亀 26.下り口説 27.宮古節 

村踊
 16時のフェリーに乗るため、少し余裕をみて15時半前に会場を出た。それでも一つ一つの踊りが短いので(中には一分もない演目もある)、11番のむんじゅるまで観ることができた。

 改善センターからフェリー乗り場までは下り坂もあって、あっという間に着いた。これなら12番目の組踊「伏山敵討」を少しでもいいから観てくればよかった。

↓本部港行きのフェリーから。左は伊江島。右は水納島(みんなしま)。

フェリーの出港
伊江島と水納島
本部港に入港
←伊江島からのフェリーが、本部港に入る。
↓帰りの那覇行きのバスから。名護湾沿いに、バスは国道58号を走る。夕方の6時で、こんなに暗くなった。
帰りのバスから

 本部港に着いて通りに出たら、ちょうど名護BT行きのバスが停車していた。急いで乗り込んでターミナルへ。名護西線に乗り換えて、那覇へ向かう。行きは2時間弱だったが、帰りは2時間半近くかかった。

*本日の出費。土日祝1日限定フリー乗車券2000円、本部港〜伊江島往復乗船券1330円、レンタサイクル1000円、天然水100円、ミルクティー110円。

11月8日(金)

 今日の那覇の最高気温は27℃、最低気温は21℃。半袖シャツを着て扇風機を回しながら、札幌で初雪が降ったと言うニュースを聞いている。

 島倉千代子さんが亡くなられた。下の写真は雑誌の仕事で撮影した。場所は、コロンビアレコードの会議室(だったかな?)。10年ほど前だろうかと思って自分の撮影リストを見ると、1995年となっているので18年も前になる。ついこの間と言う感じもするのに。

島倉千代子さん

  この何年か前にも、違う雑誌で島倉さんを撮影させていただいた事がある。東北の方で行われた演歌歌手の方々が出演するコンサートで、島倉さんの追っかけ撮影だった。楽屋の風景、ライヴ、会場近くの神社でのポートレート、そして東京まで同じ列車に乗って帰って来た。残念ながら撮影したフィルムは出版社から戻って来ていないので、自分のところにはないんだけれど。
 そう言えば、昔、宝島社からの源泉徴収書の項目に「人生いろいろ」と書いたのが送られて来て「?」と思ったのだけれど、雑誌「宝島」の大槻ケンヂ氏の対談連載を一度だけ撮影したことがあって、その連載をまとめた単行本のタイトルが「人生いろいろ」だった。ちなみに、一度だけ撮影した対談は矢追純一さんとでした。

 中心の気圧895ヘクトパスカル、最大瞬間風速90メートルの台風30号がフィリピン中部に上陸した。沖縄も台風の通り道だが、フィリピンはもっと多い気がする。今年、与論島に行った時に宿のご主人と呑んでいて、あれだけ台風がやってくるフィリピンの島々では家をどうしているんだろうと話していた。台風に備えて頑丈に作るのか、台風に壊されても、またすぐに作り直せるように簡易な家にするのか。どちらも考え方としてありそうだ。  
 明日は早起きするので、台風のようなビリー・コブハムのドラムを聴きながら泡盛を呑んで早めに就寝。  

11月6日(水)

 先月の末は何だか寒く感じられた。亜熱帯で過ごす冬も4年目を迎えると自分が寒さに弱くなったのかと思ったが、11月になってまた暖かくなって来た。まだまだ扇風機は仕舞えない。
 午後から栄町市場で買い物。そのまま国際通りを通ってパレットくもじ6階にある市民ギャラリーで「第6回 なは市民芸術展」を観る。パレットくもじから、遊泳期間が終わった波の上ビーチへ。結局今年は一回しか海で泳げなかった。波の上ビーチから家に帰る途中、スーパーで買い物。沖縄ソバが安かったので、久しぶりにソバを家で作って食べる。

 残波の白がなくなったので、先月、西表島・祖納集落の節祭(シチ)で買って来た泡盛を開ける。泡盛自体は請福の30度だが、節祭を記念してフダチミの絵柄のラベルが貼ってある。600mlで1000円だった。もう一種類ミリクの絵柄の瓶もあったが、迷わずフダチミにした。なにせ、節祭はこのフダチミに会いたくて行ったようなものだから。
頭に笠を被り、その上から全身をすっぽり覆う黒い布で身を包み手には扇子を持って静々と歩く。初めて本で見た時に、この不思議な造形・佇まいに強く魅かれた。
 ところで、フダチミとは誰なのか集落の人に何回か尋ねてみたが、よくわからなかった。こちらには、(高貴な家の姫とその家の嫁)とある。その姫は慶来慶田城家の娘で、異人と恋をして駆け落ちしたが、年を経て一緒に帰郷した。村人は海辺でにぎやかに二人を迎え、また送り返したと書いてある。異人と駆け落ちした話しの由来は、こちらに詳しい。

節祭にて01
フダチミのラベルの泡盛
↑↓先月の祖納集落の節祭にて。アンガー行列の先頭を歩くフダチミ。
節祭にて02
 栄町市場でドラゴンフルーツを買った。大きめで一玉120円と安かった。那覇の街中を自転車で、或いは散歩していてふと見上げるとマンションのベランダにドラゴンフルーツがなっていたりする。
ドラゴンフルーツ01
ドラゴンフルーツ02
←↑毒々しいほど強烈な色だが、見かけに反して味は優しい。個人的には、味が優しすぎて食べる度に何だか物足りなく感じる。
↓一昨日の那覇の空。
一昨日の那覇の空

11月3日(日)

 3連休の中日。今日は沖縄市の泡瀬で、大綱引きがある。泡瀬村創設110周年・泡瀬復興期成会創立65周年記念事業として行われるもので、綱引き大会は10年ぶりだそうだ。泡瀬はゴールデンウイークに干潟を見に一度来ているが、せっかくの綱引き大会なのでバスに乗って見に行く事にした。
 綱引きの前に14時から道ジュネーがあるので、部屋を13時過ぎに出て最寄りのバス停へ。31番の泡瀬西線に乗り、泡瀬3区入口で下車。同じバス停で下りた方に綱引きが行われる泡瀬ビジュル大通りの場所を尋ねると、やはり綱引きを見にいらしたようで会場の近くまで道案内をしていただいた。
泡瀬ビジュル01
泡瀬ビジュル02
 泡瀬3区のバス停に着いたのが14時半頃、そこから会場の大通りまで10分ほど歩いた。大通りの名前にもなっている泡瀬ビジュルがあったので、先ずは参拝。
エイサー演舞01
 参拝の後、大通りを人垣のある方へ歩いて行くと演舞が行われていた。大通りに面したビルの外階段に見物客が並んでいるので、便乗して暫く日米混合?の創作エイサーを見学する。
エイサー演舞02
大綱
↑大通りで待機中の大綱。写真左が、アガリ(東方)の雄綱、右がイリ(西方)の雌綱。雌雄綱合計の全長が110m、最大径0.7m、重量約10t。
会場に入る道ジュネー

↑15時半近くになって、道ジュネーを行っていた東西の行列が会場に到着。赤のマンサージ(頭巾、たすき、帯)が西方、青のマンサージが東方。

 以下、泡瀬大綱引プログラムから
14:00 道ジュネー(東方 泡瀬公民館出発、西方 マンタ公園)
14:00 カヌチグチ演舞
泡瀬わらべ太鼓 フラダンス フラダンス”プアヒヒ””ハナハナ” ニックス・ハマヤー太鼓 泡瀬トントンミー子ども会演舞 泡瀬第三婦人会集団演舞 沖縄市東部地域老人会連合集団演舞 琉球國祭り太鼓
17:00 開会式
開会の言葉/泡瀬大綱引副実行委員長 実行委員長あいさつ/泡瀬大綱引実行委員長 沖縄市長祝辞 沖縄市議会議長祝辞 審判長注意/綱引部会長 空手演武・棒術演武 東方 心治館/西方 誠武館 若者ガーエー 東方・西方 1番太鼓燈籠(テークドゥール)演舞・若者ガーエー 2番太鼓燈籠演舞・若者ガーエー 3番太鼓燈籠演舞 太鼓燈籠乱舞 綱寄せ カヌチヌチ(貫き) 支度(シタク)寄せ 子ども綱引(小学生以下の児童・園児)
19:00 綱引開始 
閉会あいさつ/泡瀬大綱引副実行委員長 
19:45 花火打ち上げ

演舞のスナップ
↑綱引き会場での演舞。↓若者ガーエー。
若者ガーエー
テークドゥールー01
テークドゥールー02
テークドゥールー03
←↑太鼓燈籠(テークドゥールー)。東方は旗に絵が描いてあり、西方は文字が書いてある。
↓プログラムによれば、カヌチ棒の長さは3m、直径30cm、重量200kgで材質はアフリカンチーク。
カヌチ棒
アガリの支度

←アガリの支度は、謝名の大主(ジャナ ヌ ウフヌシ)。
→イリの支度は、姉妹(亀松 カメマツ、乙鶴 ウトゥチル)。
↓支度によるガーエーの後、いよいよ大綱引きが始まった。熱戦の末、今回は赤のイリが勝った。

イリの支度
イリの応援団
大綱引き
 綱引きが終わった後、まだ熱気の残る通りの写真を撮りたくて、先ほどのビルの外階段に上る。俯瞰写真を撮影していると、隣りの人から声をかけられる。安田のシヌグでお会いして、先月「全琉秀作写真選抜展」を観に市民ギャラリーへ行って再会したSさんだった。車で来ていて、これから那覇の方へ帰るということで乗せてもらうことになった。途中、58号沿いのレストランで晩ご飯までご馳走になってしまった。ありがとうございます。
大通りの俯瞰写真

←まだ余韻冷めやらぬ、綱引き会場。

↓ご馳走になったオムライス。Sさんは、サンマ定食。サンマが2尾お皿に乗っている。

オムライス

 部屋に帰り撮影データを外付けのハードディスクにバックアップ。日記用に少し現像していると、机が揺れた。地震?沖縄近海でマグニチュード5.0だった。

*沖縄タイムスの記事。琉球新報の記事

*泡瀬の大綱引きの写真をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年4月1日に更新)。

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