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○7月21日(月) 六月カシチー
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鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
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○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

7月31日(木)

 今日と明日、石川県輪島市名舟町で名舟大祭が開催される。音響関係の仕事をしている友人のMさんが、お祭りの音響の手伝いをすると言うので一緒に連れて行ってもらった。
 朝8時前に迎えに来てもらい、車で輪島へ。11時頃に名舟大祭の音響や照明を担当する輪島の音響会社に到着して、機材の積み込み。連れて来てもらったので、私も少しお手伝い。積み込みの後、輪島の中心地にあるうどん屋さんでお昼ご飯をご馳走になって名舟へ。
 お祭りの会場に着いて、機材を降ろしてステージにPAと照明の設営。2時間程で設営は終わり、後は自由時間となったので、祭りの始まる21時まで町の中を散歩しながら祭りの準備風景などをスナップ撮影。

祭りの準備風景のスナップ

○7月31日は宵祭、8月1日が本祭。名舟大祭執行日程から宵祭の進行表
21:00 キリコ 宿元を出発
21:30 キリコ 神社境内に集合完了
      *祭事始め 御神輿祝詞奏上
      *キリコ御供順くじ引き
      *子ども御陣乗太鼓
22:00 キリコ 神社境内を出発
22:10 キリコ 港内道路上に整列     
      *御神輿海上渡御(舳倉島より神霊お迎え)
22:30 御陣乗太鼓奉納打ち 
23:00 御神輿・キリコの町内渡御(御神輿が谷内出橋を渡ったら、反転して御仮屋に向かう)
24:00 御神輿御仮屋に到着
      *祝詞奏上(御神輿お泊まり)

祭事の写真
御陣乗太鼓奉納打ち01
↑(上左)花火の合図で神社へ向かうキリコ。(上右)境内に揃ったキリコ。例年は5つのキリコが出るそうだが、今年は4つ。(中左)キリコが揃ったところで、ステージでは子ども御陣乗太鼓が始まった。(中右)祝詞奏上の後、神社を出発する御神輿。(下左)海上渡御のため御神輿が船に乗せられる。(下右)神輿を乗せた船が、海中の鳥居に向かう。鳥居の先にある舳倉島に向かって祝詞が奏上される。
御陣乗太鼓奉納打ち02

↑御神輿海上渡御で、舳倉島より神霊をお迎えした後、ステージでは御陣乗太鼓の奉納打ちが行われた。

 予定より時間が押して22時40分頃に始まった御陣乗太鼓は、20分程演舞。23時にはステージでの演目が終了。会場のお客さんが帰られた後、設営した音響や照明をバラして車に積む。
 24時頃に機材の撤収が終わり、輪島へ向かう。輪島の音響会社で機材を再び降ろしたら13時過ぎ。富山まで車で3時間程かかるので、今晩は音響会社の0さん宅に泊まって行く事になった。

7月26日(土)

 今日も列島各地で記録的な猛暑となったようだ。富山も最高気温が38度で、窓を開けて扇風機を回しても温風しか届かない。沖縄の暑さは強い日差しによる痛さが伴うが、海に囲まれているため35度を越えることは滅多にない。今日の那覇の最高気温も34度で、海風が吹けば内地より涼しいだろう。
納涼フェスティバル
 今日は地区の納涼フェスティバルで、ビール券をもらったので夕方からうちわを持って父親と一緒に出かける。暑さも落ち着き、風が吹いているので家の中にいるよりも涼しい気がする。着いた時には和太鼓の演奏が終わり、カラオケが始まった。カラオケの後に、地元歌手のステージがあり、泥鰌すくいの踊りが飛び出し、最後はバンド演奏。男性4人に女性が1人。男性4人の平均年齢が67歳というから、貫禄のおじさんバンドだ。

 エヴァンゲリオンの曲で始まり、AKBの恋するフォーチューンクッキー、そしてベンチャーズを3曲披露し、昭和の歌謡曲。最後はグループサウンズで締めた。枝豆と味噌こんにゃく、焼き鳥をつまみにビールを飲みながらまったりと楽しんだ。

 琉球王朝の時代から聖なる島、神の島と崇められて来た久高島。その久高島で12年に一度行われる重要な祭祀、イザイホーの中止が決まった。最後に開催された1978年のイザイホーから36年、中止は今回で3度目だ。
 午年の旧暦11月15日から数日間に渡って行われる祭祀は、久高島に生まれた30歳以上の既婚女性がナンチュ(神女)になる儀式。しかし78年のイザイホーでナンチュになられた女性も、既に70歳を過ぎて神女を下りられている。今年イザイホーが行われなければ、4日間に渡る祭祀の様子を記憶している人も途絶えてしまうことになるのだろう。ナンチュが籠る七ツ屋で何が行われていたのか、それはナンチュの経験者しかわからない。映像記録にも残っていないのではないだろうか。 
 過疎化によるナンチュとなる女性の減少などでイザイホーの中止は想像していたが、いざ中止の決定を知らされるとやはり動揺する。
 島に生まれた女性が神女になり、島の守護神となる。イザイホーは、姉妹が兄弟の守護神となる奄美から沖縄に連なる琉球弧のオナリガミ(ウナリガミ)信仰を象徴する祭祀に思える。 
 1978年のイザイホーを記録した貴重な映像がある。一ヶ月前の準備から祭りの第3日目までを収録した「沖縄 久高島のイザイホーー第1部ー」、第4日目と祭りの片付け、祭り後の最初の年中行事であるフワバクまでを収録した「久高島のイザイホーー第2部ー」。
 1990年のイザイホーが中止になった時の「久高島のイザイホー中止に関する報告/森田真也」と題した研究ノートがあった。

 2月1日に撮影した、久高島の旧正月二日目、ハチウクシー(初起こし、仕事始め)の様子をPhoto Albumにしました。漁師の航海安全と大漁祈願、徳仁港での祝宴はこちら。漁港の祝宴と、久高島の墓地、ヤーミグルーの様子はこちら

船に供え物をし、祈願をする漁師
↑船に刺身や塩、お酒を供えて祈願する漁師。↓徳仁港での祝宴。
徳仁港での酒宴
新しいトップ画面
←しばらく放置していたトップ画面の写真を衣替えしました。今回は黒島の豊年祭で登場するミーラク(ミルク)行列です。八重山諸島のお祭りでは、よくミルク行列を見ますが、浜辺を歩くのは黒島の豊年祭と、西表島・祖納集落の節祭だけではないだろうか。
↓これまでのトップ画面。
これまでのトップ画面

7月25日(金)

 岐阜県多治見市では、今年最高の39.3度を記録した。高岡は猛暑日一歩手前の34度。一日中部屋で作業していたが、窓を開けて扇風機を回しても”もわー”っとした暑さだった。
11台の外付けハードディスク
 これまで使用した外付けのハードディスクを一つ一つパソコンに繋いで、ディスクの中身の確認と動作チェックをした。11台のハードディスクは全て正常に動作したが、古いハードディスクに入っている画像ファイルで再生できないものがあった。JPEGとPhotoshop形式のファイルは開けたが、古いバージョンのPhotoshopで作成したTifに変換したファイルが再生できなかった気がする。

 Mac Proに内蔵していた4つのハードディスクと、ポータブル型の2つのハードディスクは今回チェックしなかったので、これは次回に。
 外付けのハードディスクが今ほど安くなかった頃は、CD-RやDVD-Rに焼いて保存していた。もっと前はMOディスクだった。11台のハードディスクの中を探しても見つからない画像データがあったので、CD-Rからハードディスクにコピーした。画像データを記録したMOディスクもたくさんあるが、ちゃんと開けるだろうか。そもそもMOディスクドライブが、現在使っているマックのOSで対応できるんだろうか?ちょっと心配だ。

 1月31日に撮影した久高島の旧正月、元旦の日の様子をPhoto Albumにしました。神人の御願から男性のシャクトゥイ(盃事)はこちら。女性のシャクトゥイから大里家の御願、集落のスナップはこちら

外間殿での神人による御願
↑外間殿での神人による御願。↓神事の後の帰り道。
帰り道

 国連が運営する学校がイスラエル軍から砲撃され、15人が死亡、200人以上が負傷した。学校には戦闘で家を追われたパレスチナ人10万人近くが避難しており、女性や子供、国連職員を含め多くの民間人が亡くなった。これでパレスチナ側の死者は800人に達した。

現代の戦争は、圧倒的な力を誇る攻撃する側と、市民の犠牲者に分けられる。そして戦場は私にとって、腐る体であり、焼けただれる匂いであり、体がぐちゃぐちゃに砕ける姿であり、切断された顔、壁に付着する子どもの髪の毛だった。兵士の死体はめったに出会わない。戦争と呼ばれるものの犠牲者ほとんど市民だった。
だから私は自衛隊に死者が出るからと言う理由で、集団的自衛権に反対するのではない。臆病な兵士は優秀な兵士である。動くものを見ると、確かめもしないですぐに引き金を引く兵士である。それは市民に引き金を引ける兵士である。物影で動いたのが子どもであることを確かめることもなく。そして被害者の姿を一生見なくてすむ者、司令官や政治家の命令で、ミサイルのボタンが押される。自衛隊が10人死ぬ現場では、自衛隊によって100人が殺されるだろう。そのうちの5人は敵の兵士であり、5人は友軍に殺される兵士であり、90人は市民なのだ。

広河隆一さんのブログより、「DAYS JAPAN8月号の編集後記に、集団的自衛権について書いた。 きれいごとの戦争イメージがまかり通っているのが、我慢できない」から引用。

7月24日(木)

 ホームページ用に借りているサーバーの更新が迫っているので、一年分の使用料を振込に行く。これまでは銀行振込にしていたが、今回はゆうちょからの振込にしたところ手数料が80円で済んだ。驚いたのは振り込み用紙に口座番号や金額、加入者名などを記入してATMに持って行けば、通帳を入れる場所から自動で読み込んでキーボードの操作は金額を再入力するくらいで済む事だ。いつもキーボードの入力でイライラするので、これは便利。

 ガザの被害が拡大し、死者が700人を超えた。昨日、スイス・ジュネーブの国連本部で国連人権理事会が開かれ、イスラエルの軍事作戦を非難する決議を賛成多数で採択した。内訳は賛成29カ国、反対1カ国、棄権17カ国となっており、反対したのはアメリカで、日本は棄権した。パレスチナ側に少なくとも子供147人、女性74人の犠牲者が出ているそうだが、採決を棄権するという行為は惨事を知りながら見て見ぬ振りをすると言う事に思えてならない。安倍首相の掲げる、積極的平和主義の意味がわからない。田中龍作さんが、自身のサイトでガザの惨状を報告している。よりリアルタイムなTwitter情報はこちら
  新規制基準を満たすとして秋にも再稼働の可能性がある川内原発。九州電力が27日に、原発から5キロ圏の3歳以上の住民にヨウ素剤を一斉配布する。原発事故が起こった際に甲状腺被爆を防ぐためだが、そもそもヨウ素剤を必要とする過酷事故が起きた場合、この国の経済が保つのだろうか。
 福島第一原発の凍土壁が凍らず、1日10トンの氷投入へ。汚染水対策の目途すらたたないのに、原発再稼働などあり得ないだろう。

 1月30日に撮影した、久高島の旧正月準備の様子をPhoto Albumにしました。こちら

カメラを見つめる神人の女性
↑外間殿にて、カメラを見つめる神人の女性。↓外間殿でのハカイメー(供出)の様子。
ハカイメーの様子

7月22日(火)

 ここ数日、部屋に籠って安宿を泊まり歩きながら離島を訪ねてまわっていた日々の日記を書いていた。その間にウクライナ東部でマレーシア航空の旅客機が撃墜され、イスラエル軍によるガザ地区への地上戦が開始された。
 今日になってようやく安倍首相は電話会談で「戦闘が激化し、双方の死傷者が増加していることを深く憂慮している。停戦に向けた勇気ある決断を強く要請したい」とイスラエルのネタニヤフ首相に述べたと言うが、既にイスラエルの攻撃によりガザでの死者は500人を超え、このうち約100人が子供だと言う。遅すぎた対応だと思えてならない。イスラエル側にも兵士18人、市民2人の死者が出ているが、最早これは戦闘ではなくイスラエルによるパレスチナへのジェノサイドではないのか。
 広河隆一さんが自身のホームページに「イスラエルのガザ侵攻について、なされている報道は正しいのか」という文章を載せている。これは5年前に起こった、イスラエル軍のガザ侵攻の時に書いた文章の再掲載のようだが、 今回のガザ侵攻を考える場合にも有効だ。この文章を読み、2008年に公開されたドキュメンタリー「パレスチナ1948NAKBA」を思い出し、この映画の上映に連動してデイズ・ジャパンに短期連載された広河さんのNAKBAを読み返した。連載1回目のリードにはこう書かれている。
1948年のイスラエル建国から今年で60年が経つ。パレスチナ人にとっては受難の60年だ。70万人以上のパレスチナ難民が発生したこの出来事をパレスチナ人はNAKBA(大惨事)と呼ぶ。
 3回の連載で、イスラエルがどのように現在の土地を手に入れたかが描かれている。1948年に起こった事を遡って検証しなければ、イスラエルとパレスチナの真の和平はないのかもしれない。
 ところで3回の連載は2008年2月号〜4月号だが、2月号のトピックスは『沖縄戦から63年歴史のわい曲許さず 教科書から削除された[軍による強制]は[関与]に?』、3月号のトピックスは『パレスチナ 分離壁破壊でガザ・エジプトの[国境]溶解か』で、特集には『沖縄 海と人々 暮らしの海、埋め去る新基地』が掲載されている。4月号のトピックスは『パレスチナ100人を超す死者 ガザ地区にイスラエル軍の激しい空爆』、記事に『まだ間に合うのなら 六ヶ所再処理工場』が載っている。6年が経って何も問題が解決せず、世界はますます酷い方向へシフトしているようだ。
  メデイロス米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長がマレーシア航空機撃墜に関して「国際社会が透明性を持った調査をできるよう日本政府も声を上げてほしい」と要請したそうだが、イスラエルのガザへの侵攻に何の存在感も示せないアメリカが何を言っているんだろうと思うのはボクだけだろうか。
 NAKBAの連載の流れで、久しぶりに「反テロ戦争の犠牲者たち/広河隆一」(岩波書店)を読む。本当のテロ国家はどこだろうと、改めて考えさせられる。

 1月13日に撮影した与那国島のマチリ最終日、アンタドゥミと祖納集落の風景をPhoto Albumにしました。こちら

チィラクンダでの儀式
↑チィラクンダでの主分かれ(ヌチバカリ)の儀式。↓祖納集落から見上げるティンダハナ。
祖納集落から見上げるティンダハナ

7月17日(木)

 一昨日パソコンの設定が完了したので、昨日から写真の現像やホームページの更新をやっているが、修理に出す前と比べてサクサクと動くようになった気がする。特にAdobeの現像ソフトBridgeのレスポンスが速くて気持ちいい。

 6月9日に那覇の部屋を退去して離島を巡っていた間に、富山の実家に手紙が送られて来ていた。6月1日に大嶺の地バーリーを撮影に行った時に知り合った方で、粟国島のマースヤーの写真を送ったら、お礼の手紙と琉球切手が送られて来た。俳句を作ってらっしゃる方で、沖縄の祭祀を俳句と写真で紹介されている。粟国島のマースヤーの俳句に添える写真が必要だと言うことで、撮影した何枚かをポストカードサイズにプリントして送ったのだった。
 早く琉球切手のお礼を書こうと思っていたが、パソコンの故障や再設定で今日になってしまった。

琉球切手
↑送られて来た琉球切手。ハーリー競漕や組踊の切手もあるが、一番目をひいたのは右の塩屋のウンジャミの切手だった。カラフルな神衣を着けた神人が弓を持って「ヨンコイヨンコイ」と唱えながら柱を回る屋古アサギの儀式が描かれている。
パッションフルーツ
 昨日、奄美大島から父親に宛ててパッションフルーツが送られて来た。
 3年前に両親が奄美大島に遊びに来た時に、栄さんの農園でパッションフルーツの受粉作業を体験させてもらったのだが、その時の作業賃だと言う。
 3年前に受粉作業をしたパッションフルーツは、実が熟す前に台風で落とされてしまって収穫できなかった。今年は豊作だったので、遅ればせながら送って下さったと言う。
 豊作だったとは言え、先日の台風8号でビニールハウスのビニールが破けたり、収穫前の実が落とされたりと被害もあったようで、そんな中から色艶・形も上等なパッションフルーツをたくさん送っていただいて恐縮している。

7月15日(火)

 昼過ぎから、昨日出来なかったプリンターの設定。エプソンのサイトからOS10.7用のドライバをダウンロードし、インストール。最初は認識されなかったが、プリンターとパソコンを繋いでいるUSBコードを一度外して再度接続してやると無事に認識された。KGサイズの用紙に一枚テストプリントをして、確認をする。これでパソコン関係の設定は一段落だ。パソコンの故障と修理で時間を無駄にした気もするが、ビデオカード、ロジックボード、ハードディスク、OSが交換され、2年使ったiMacが新品のようになって帰って来たので得をしたと思えなくもない。
 ハードディスクの交換でメールアドレスが全て消えたので、ノートブックにあるアドレスからiMacのアドレス帳に入力。奄美・沖縄でいただいた名刺からもアドレス帳に書き写す。
 メールアドレスの作成が終わったので、沖縄電力と那覇水道局から送られてきた請求書を持って自転車でコンビニへ。引っ越し荷物の整理や片付け、パソコンの設定で忙しかったので、8日の夜に鹿児島から帰ってきて初めての外出だ。
 国道8号線沿いにあったローソンで支払いを済ませて、自転車で町内をブラブラ。駅前再開発事業で道は広くなっているが、ますます閑散とした印象。
パソコンとカディスの赤い星
 パソコンが修理に出ている間作業がストップしたので、一昨日から「カディスの赤い星/逢坂 剛」を読み始めた。上下2巻合わせて830頁ほどあるこの長編作品を読むのは、今回が3度目だったか4度目だったか。 ストーリーを覚えているつもりが、結構ディテールを忘れていて新鮮に読める。
 「カディスの赤い星」を読み始めたらフラメンコが聴きたくなって、昨日から今年の2月に亡くなったギタリスト、パコ・デ・ルシアのCDを流している。

7月14日(月)

 11日の夜に引き取られていったiMacが、今日の午前中に修理を終えて帰ってきた。作業中に電源が落ちて再起動を繰り返すという症状は、ビデオカードの故障が原因ということでカードが交換された。またFOMAの端子を認識しないという症状は、他のUSB機器を使ってUSBポートの接続テストをしてもポートに異常が無かったため、想定される不具合部品としてロジックボードの交換をしていただいたようだ。
  ここまでの修理で済めば良かったが、ハードディスクにエラーを確認したとしてハードディスクの交換と、OSのインストールが行われていた。画像や書類のバックアップはしてあるが、メールの中身やアドレスは消えてしまった。ソフトもインストールし直さなくてはいけない。
修理から戻ってきたiMac
←11日の夜に修理に出したiMacが、14日の午前中に修理を終えて戻ってきた。
↓再インストール中のPhotoshopCS6。
再インストール中のPhotoshop
 とりあえず電話でdocomoのサポートを受けながら、FOMAの接続。ネットに繋がるノートブックでdocomoのサイトよりOS10.7用のドライバをダウンロードし、それを外付けのハードディスクにコピーしてiMacにインストール。電話で設定の仕方を教わってなんとかネットに繋がった。
 ネットに繋がったが、メールのアカウント情報の作成がわからず、もう一度docomoのサポートに電話。指示された通りに設定し、メールの送受信ができるのを確認してお礼を言って電話を切った。
 次にソフトの再インストール。 まずは、PhotoshopCS6から。CS6のシリアルナンバーを入力し、次にアップグレードに使ったCS3のシリアルナンバーを少し不安な気持ちで入力。と言うのは、購入したCS6のパッケージには「期間限定 CS3、CS4からもアップグレードできます。期間:2012年12月31日 月曜日まで」と書かれたシールが貼ってあったからだ。再インストールとは言え、期間が過ぎているので拒否されたらどうしようとドキドキした。さっそくPhotoshopを立ち上げたら、インターフェイスが変更になっていた。ソフトのアップグレードやOSの変更が行われるたびにインターフェイスも変更になるので、いつまで経っても使い慣れない。
 Photoshopが済んだので、今度はweb(ホームページ)作成ソフトのDreamweaverCS6の再インストール。こちらもCS3からのアップグレードだが、無事に完了。 さっそく立ち上げて、レンタルサーバーに接続するための設定を行うが、こちらもインターフェイスが変わっている。ログインのパスワードは控えてあるが、ユーザー名がわからない。ノートブックにインストールされているCS3の設定画面を参考にしながら、ようやく設定を終えた。
 明日、プリンターのドライバをダウンロードして接続すれば、 パソコン関係は一段落と言ったところだろうか。

7月11日(金)

  一昨日ホームページの更新や写真の処理をするためにパソコンのセッティングをするが、ネット接続に使っているFOMAのL−05Aが認識されない。昨日もトライするが、FOMAを認識しないだけではなくパソコン自体が5分程作業すると電源が落ちるという症状が現れた。電源が落ちた後、自動的に再起動するが上手く立ち上がれずに繰り返す。アップルケアーに入っていたので、サポートに電話。症状を伝えると、修理に出す事になった。 
  今日の19時半頃、クロネコがパソコンを引き取りに来た。

7月9日(水)

 6月9日に那覇の部屋を引き払い、その後は安宿に泊まりながら久米島や八重山諸島、座間味島をまわった。
 7月4日の早朝の船で奄美大島に渡り、名瀬で懐かしい人達に会って来た。本当はもう少し長く奄美に滞在する予定だったが、台風8号に追い立てられる様に6日の夜の船で鹿児島に渡った。
 7日に3年前探し当てた父方の先祖の墓にお参りをし、沖縄本島の北部から鹿児島に続く国道58号の終点を訪ねて長い散歩を終えた。そして昨日、4年前に一週間以上かけた富山から鹿児島までの距離を、新幹線と特急に乗車して半日で辿った。
  今日は、朝から台風8号関連のニュースをテレビで見ている。台風の暴風域から抜けた沖縄に、今朝になってまた大雨特別警報が発令された。沖縄タイムスの台風8号関連のニュース写真特集。先月末、屋台祭りを見に行った栄町市場のアーケードの骨組みが暴風で壊されている。
窓からの風景
↑窓を開けて見える風景が、一月ほど前とガラリと変わった。
 先月沖縄から送った引っ越しの荷物を、2階の部屋に上げる。今日の富山は猛暑日で日本一の暑さになった。荷物を全て運び込んだら、すっかり汗でビショビショ。沖縄・奄美の日差しは、暑いというより痛さが来る。けれど海風が吹くので35℃を越える事はほとんど無い。今年は、沖縄や奄美で過ごした夏とはまた一味違った暑さの日々を過ごす事になるのだろうか。

7月8日(火)

  朝7時過ぎに、ホテル1階のレストランで豚しゃぶ付きの朝食を食べる。小鉢に入った豚しゃぶのお肉は3切れほどだが、他にだし巻き玉子、焼きたらこ、つけ揚げ、豆腐と野菜の炒り煮、山芋、納豆、サラダ、漬け物、生卵、のり、みそ汁と盛りだくさん。3650円の宿泊費でこの朝食は、とてもお得。ご飯をお替わりして、食後にフルーツとジュース、コーヒーも2杯飲んだ。
ホテルの朝食
  朝食の後に荷物をまとめ、一休みしてから10時半頃にチェックアウト。フロントで明細を書いた領収書と栄養ドリンクをいただく。日記にホテルの名前をあまり書いた事はないが、この南州館はオススメです。広めの部屋で、洗濯機があり、朝食が美味しくて、栄養ドリンクまでプレゼントされて3650円。旅の最後がこのホテルで良かったな〜と思う。
  いづろ通がホテルから一番近いようだが、せっかくなので朝日通り(国道58号)まで出て、少し歩いて朝日通の停留所へ。路面電車で、新幹線の発着する鹿児島中央駅へ。2階の窓口で鹿児島中央駅から富山の実家の最寄り駅までの乗車券と、鹿児島中央から新大阪までの新幹線の特急券、新大阪から金沢までの特急券を購入。4年前に一週間以上かけて来た距離を、半日で戻る。
新幹線と栄養ドリンク
  11時10分発の九州新幹線さくら552号で、まずは新大阪へ向かう。ホテルでもらった栄養ドリンクを飲み、一昨日栄さんからいただいた西郷松せんべいを食べながらの道中。台風8号の影響で、新幹線は激しい雨の中を走るのかと思っていたが、鹿児島から福岡までは快晴、山口から大阪までは曇りで空も少し暗かったが、それでも雨の降る事はなかった。
  新幹線のスピードは、旅の名残惜しさや感傷を吹き飛ばす程の速さ。4時間強で新大阪に到着した。新幹線のホームで立ち食いの肉うどんを食べて、在来線の乗り場へ。
鹿児島から金沢までのスナップ
  16時16分の特急サンダーバードに乗車し、今度は金沢へ向かう。途中、琵琶湖の横を通るが、関西の水瓶と言われるだけあり、その大きさに改めて驚く。滋賀と福井は隣り。もし福井の原発に事故が起こり、この巨大な湖が汚染されたら電力会社はどう対処するつもりなのだろうか。
金沢駅のホーム
普通列車の富山行き
  19時少し前に金沢に到着し、普通電車の富山方面行きに乗り換えて、実家の最寄り駅で下車。
  暗い道をトボトボと歩いて、玄関を開け、ただいま。長い長い散歩が終わった。
福岡駅
*本日の出費。朝日通ー鹿児島中央170円、鹿児島中央ー富山の最寄り駅までの乗車券と特急券25060円、肉うどん470円。

7月7日(月)

 昨夜22時に名瀬を出航した船は、8時半頃に鹿児島新港に着いた。ターミナルからは、桜島が見えた。
桜島
  ターミナルの前にバス停があり、鹿児島駅行きのバスが停車していた。3年前はターミナルからバス停まで少し歩いた気がするし、ターミナルそのものも新しくなっている気がする。
  新幹線の発着する鹿児島中央駅で下車して、駅ビルへ。九州新幹線の時刻表を貰う。4年前に富山から鹿児島まで移動した時は携帯サイトのヤフーの路線乗り換えが重宝したが、久しぶりに検索したら携帯サイトの運営は先月末で終了し、PCとスマホのサイトだけになっていた。
  駅ビル2階の観光案内所で、3年前に両親と一緒に探し当てた父方の祖父の先祖の墓の場所を教えてもらう。墓参りに行くにあたって墓地の住所と名前を携帯のメールに送ってくれるように母親に言ったが、妹からは墓地の名前とお墓の場所を示す番号が送られて来た。霊園の名前、興国寺を告げて地図でしらべてもらい観光パンフレットの大まかな地図に印を付けてもらった。路面電車の鹿児島駅から行った気がしたが、一つ手前の桜島桟橋通で下車した方が近いそうだ。
 案内所の近くの休憩所から、携帯で今晩の宿を探す。セミダブルのベッドに洗濯機とミニキッチン、豚しゃぶの朝食が付いて3650円のビジネスホテルがあったので予約。1000円、2000円のドミトリーを泊まり歩いていたので久しぶりのホテル。
 携帯サイトから予約を入れた後、チェックアウトまでの時間、荷物を預かってもらえるかホテルに電話で確認。大丈夫だったので路面電車でホテルのある朝日通まで。
 西本願寺鹿児島別院の横にあるホテルに着いて大きな荷物を預けてから、さっそくお墓参り。朝日通にある郵便局で明日の交通費分のお金を下ろし、路面電車で桜島桟橋通へ。観光案内所で印を付けてもらった方向に歩く。だいぶ歩いたところにあった郵便局で興国寺の場所を聞くが、興国寺だけではわからないらしく富山の実家に電話して、改めて住所を確認してもらう。
霊園入り口の坂
 郵便局の方に地図で調べて貰ったが、道が複雑なので大雑把な方向を聞き、近くに着いたら地元の人に聞く事にする。3年前に一度来ているので近くに行けばわかると思っていたが、結局1時間半ほど探し歩いて最後はヤクルト販売のオネーさんに教えてもらって辿り着いた。霊園の入口にも興国寺の字が見当たらないので、長沢鼎の墓がある墓地と尋ねた方がわかりやすかったかも知れない。
 墓地に入る階段の途中にある花屋さんに、先祖の墓の手入れを頼んであるので尋ねる。あいにく不在で、娘さんが対応して下さる。霊園のどこに先祖のお墓があるかは娘さんではわからないので、自分で検討をつけて探す。実家に電話し、お墓に刻まれた名前を読んで確認。墓石が4つ建っているので花を4つ作ってもらい、花瓶に挿してお供えして来た。墓石のまわりの雑草を少し抜いて、お参りをする。実家の両親に見せるためカメラと携帯で写真を撮っておく。
木原家のお墓
 花屋さんに挨拶をし、桜島桟橋通の停留所まで歩く。迷わなければ20分くらいの距離だろうか。いづろ通で下りてアーケード街を歩きランチを食べられる店を探す。アーケードに七夕飾りが並んでいて、7月7日だったと気付いた。
ホテルの部屋

 とんかつ屋でミックス(エビ、白身魚、コロッケ)ランチ750円を食べてからホテルへ。
  改めてチェックインし宿泊費を支払う。1泊朝食付き3650円だが、溜まっていたポイント100円を使って3550円。部屋に荷物を置き、汗でビショビショのTシャツを脱いでシャワーを浴びた。

←ドミトリーを泊まり歩いていたので、ふかふかのベッドが嬉しい。

 すっきりしたところで、ホテルから歩いて直ぐの朝日通へ。この朝日通が沖縄本島北部の奥集落を起点とする国道58号で、そして終点である。鹿児島ではわずか700mしかない58号を歩いてみようと思い、先ずは海側へ。桜島がよく見える場所からスタートして上がって行く。
国道58号の終点
 国道10号とぶつかる交差点が58号の終点だ。58号の終点は、今回の4年におよぶ長い散歩の終点でもある。終点のモニュメントはないが、交差点で西郷隆盛さんの銅像が見守ってくれていた。
 携帯を忘れて来たので、カメラで撮影した後、ホテルに携帯を取りに行きもう一度携帯で撮影。コンビニでミネラルウオーターを買ってホテルに戻り、デスクにパソコンを広げて昨日の日記のメモを書く。
 奄美のさばくり人さんから電話があった。台風で予定より早く名瀬を出たのと、さばくり人さんが観光ガイドで忙しかったため会えず仕舞いだった。しばらく話しをしていると、昨日ボクが名瀬から鹿児島に渡ったクイーンコーラル8で、さばくり人さんは徳之島から帰って来たと言う。名瀬港ですれ違ったのだ。徳之島から帰って名瀬で下船したさばくり人さんと、名瀬から鹿児島へ行くため乗船したボクはロープで仕切られた細い通路でお互いに気がつかないまますれ違っていたのだ。顔を見れなくて残念に思っていたが、気がつかないですれ違っていた事実はなんだか面白くて満足した。またいつかホントに会えればいい。
 部屋にある洗濯機に汗で汚れた服を入れ、廊下に置かれた乾燥機で乾かす。乾燥機は2台あり一台は60分100円のコイン式、もう一台はコインの投入口がない。不思議に思いフロントのオネーさんに聞くと、コインの投入口のない乾燥機は無料で使えるかもしれないと言う。洗った服を入れてスイッチを押すと、本当に無料で使えた。
 日記のメモを書き終わり、洗濯も済んだので外に出る。せっかく一日乗車券をかったのに3回しか乗っていないので、路面電車に乗りに行く。1回の乗車賃が170円なので、3回だと一日乗車券を買った意味がない。いづろ通の停留所で待ち、やってきた谷山行きに乗車すると東京の通勤電車並みに混んでいた。終点の谷山まで行くつもりだったが、郡元で鹿児島中央駅経由の鹿児島行きに乗り換える。こちらはガラガラだ。中央駅で下りて散歩したい気持もあるが、身体が気持について行かない。けっきょく高見馬場で下りて天文館の繁華街にある「のり一」と言うお店でラーメンの中500円を食べる。3年前にも両親とこの店に入り、ラーメンを食べた気がする。
アーケードの七夕飾り

 繁華街を少し歩き、天文館通の停留所から朝日通まで乗車。コンビニでビールを買ってホテルに帰る。昼間にシャワーを浴びたが、せっかくホテルに泊まったのでバスタブにお湯をはって入る。湯船につかるのはずいぶん久しぶりだ。
 ビールを飲み、テレビの台風情報を見てふかふかのベッドに入って眠りについた。

←アーケードの七夕飾り。

*本日の出費。鹿児島新港ー鹿児島中央駅160円、路面電車一日券600円、お供えの花1200円、宿泊費3550円、ミネラルウオーター100円、のり一ラーメン500円、ビール145円。

7月6日(日)

  朝6時にセットした携帯のアラームで起床。顔も洗わず自転車で朝仁海岸まで一っ走り。もう少し名瀬に滞在したかったが、明日の鹿児島便は欠航が決まっているので、今日の夜の船で鹿児島に渡る事にした。
  宿に戻り歯を磨き顔を洗い、8時に屋仁川のライヴハウス、アシビの前へ。既に栄さんの車が待っていた。2年ぶりの再会。車に同乗して、小湊にあるパッションフルーツのビニールハウスへ行く。台風8号が接近しているので、その前になるべく沢山収穫しておく事になり、そのお手伝いだ。
ビニールハウス
  パッションフルーツの受粉作業は3年前にしたことがあるが、収穫は初めてだ。3年前は収穫する前に大型の台風が来て、大きくなり始めた実が落とされてしまったのだった。
  栄さんから実の穫り方を教わり、色付いた実を丁寧に収穫して行く。ビニールハウスの中はサウナの様に湿気があり、あっという間にTシャツがびしょ濡れになる。近くの農園が飼っている子猫が3匹遊びに来て、エサが欲しいのか足下にまとわりついてじゃれている。収穫した実を入れるカゴを乗せた荷車を移動しながら作業しているので、荷車で猫をひかないか気が気じゃなかった。
収穫したパッションフルーツ
熟したパッションフルーツ

↑熟したパッションフルーツが落下しないように、紐で結んである。

←収穫したパッションフルーツ。

  2時間半程で作業は終了し、名瀬市内の工場へ収穫したパッションフルーツを持って行く。工場で栄さんの奥さんとも再会。車で宿まで送ってもらい、汗でビショビショの服を着替える。
  4年前に名瀬のニシムタで買って、奄美で2年、沖縄で2年乗った自転車を泊まっているゲストハウスに貰ってもらった。この自転車で、喜界島も徳之島も沖永良部島も与論島も沖縄本島も座間味島も走った。錆びて折り畳めなくなった折り畳み自転車だが、もう少し奄美の中を誰かが走ってくれたら嬉しい。
湯葉春巻きセット
  宿でしばらく休んでから、もう一度迎えに来て下さった栄さんの車で島とうふ屋さんへ。ここで栄さんの奥さん、3人の娘さんたちと合流して昼ご飯。長女と次女は名瀬に住んでいた時に何回も会っているが、福岡で働いている三女は初めましてだった。
  注文した湯葉春巻きセットは、相変わらず色んな小鉢が付いて来て完食するのが大変だった。
  島とうふ屋を出て、みんなであやまる岬へ。天気が良くて、空の色も海の色も奇麗。沖には喜界島も見えた。
↓あやまる岬にて記念写真。
あやまる岬にて
空港にて

 あやまる岬から、きょら海工房へ。海の眺められる席に座り一休み。
 お店を出て、今日福岡へ帰る三女を見送りに、みんなで奄美空港へ。搭乗口の前で私が家族写真を撮影し、見送った。
 空港から名瀬の工場に戻り、出荷準備のできているパッションフルーツを青果市場に持って行く 。

←奄美空港にて記念撮影。

むちゃかなにて
 18時頃、居酒屋むちゃかなで、松元さんご夫婦と合流。波照間島で買った泡盛、波照間のミニボトルを開けてみんなで少しずつ呑んでみた。
  名残惜しいけれど、20時頃に栄えさん家族、松元さんご夫婦と別れて名瀬港へ歩いて行く。ターミナルに着いて、乗船カードに記入して鹿児島までのチケット10310円を購入。今日の船はマリックスラインのクイーンコーラル8だった。
名瀬港
  名瀬への入港は通常20時30分だが、少し遅れて21時10分頃に船が到着。乗船し、2等の和室に荷物を下ろす。出航する直前に屋上のデッキに上がり、夜の名瀬港を眺める。高校の野球部が乗船したようで、その応援なのか見送りなのか上半身裸の高校生たちが大きな声を上げて踊り始めた。
名瀬港の夜空

  22時に船は出港。立ち神岩の灯台が小さな明かりを点す港を、船は静かに出て行った。しばらく暗くなった島影と月と雲を眺めてから、2等の大部屋に戻り泡盛をちびちびと呑む。ウトウトしながら、いつの間にか眠りについた。

*本日の出費。名瀬ー鹿児島乗船券10310円。

7月5日(土)

 夢を見た。名瀬に住んでいた時に、毎日のように海を眺めていた朝仁海岸へ遊びに行こうと思って自転車で出掛けるが、海岸への道を忘れてしまう。あれこれと道を曲がるが、辿り着かない。どうもおかしいと思ったら、それは富山の実家の近くの道だった。そろそろ旅を終わらせる頃なのだろう。
  変な夢で目覚めてから、自転車で朝仁海岸へ行ってみる。夢とは違い、毎日のように通った道はちゃんとあり、懐かしい海岸が見えた。
朝仁海岸
 宿に戻り、1泊延長してもらい、宿泊費1500円を支払う。ベッドの上にパソコンを広げ、昨日の日記のメモを書く。
  12時過ぎ、お腹が空いたので外へ食べに行く。名瀬に住んでいた頃、時々ランチを食べに行った矢之脇町のお店で日替わり定食の焼肉600円。焼肉の他に付け合わせで、きんぴら、里芋の煮転がし、キャベツのサラダ、漬け物2種、みそ汁、ご飯と充実の内容だった。
  食べ終わり、もう一度朝仁海岸へ行き、先日波照間島でしたように、もう一本取って置いた大きい方の親知らずの歯を海に投げ入れて来た。朝仁海岸の近くにあるスーパー・タイヨウも住んでいた時によく買い物に来たので覗いてみると内装が変わってスッキリとしていた。この店に髪の毛のとても長い女性が働いていた。三沢あけみの歌う「島のブルース」に登場する、長い黒髪、島娘よーとはこんな娘だろうかと勝手にイメージしていた。いないだろうかと探してみたが、見つける事はできなかった。 
  朝仁海岸から海沿いの道路を走り、小宿漁港へ。漁港から山側に自転車を走らせて、昨日宿へ案内して下さった恵沢さんの家に向かう。2時間程雑談をし、朝仁海岸、名瀬中心街、山羊島、大熊漁港と自転車でまわる。
山羊島とシーサイドホテル
↑山羊島とシーサイドホテル。↓名瀬港を出るフェリー。那覇行きだろうか。
名瀬港を出るフェリー
大熊漁港

 大熊漁港の売店の横に、食事のできる休憩所が出来ていた。今日はカツオの幟が上がっていて、売店にはカツオの刺身が並んでいた。
  大熊漁港から、ぐるっとまわって名瀬港のフェリー乗り場へ。台風8号の影響を聞きに行くと、既に7日の鹿児島行きは欠航が決まっていた。
  グリーンストアーでミネラルウオーターと油ソウメンを買って帰る。

←大熊漁港。

*本日の出費。宿泊費1500円、焼肉定食600円、富士のおいしい水98円、油ソウメン230円。

7月4日(金)

  朝4時にセットしておいた携帯のアラームで起床。荷物をまとめて、ゆんたくルームへ。しばらくボーッとしてから5時20分頃に宿を出る。自転車で那覇港を目指して走っていると、ブルーの空に茜雲。まだ閑散としている国際通りの空に、美しい朝焼けが広がっていた。
  那覇港に到着して、チケット販売の窓口が開く6時まで椅子に座って待つ。窓口が開いて、那覇から名瀬までの乗船料と自転車の運搬料を支払う。6時半頃、自転車を車両の出入り口から積み込み、自分も乗船。2等和室の大部屋に場所を取り、甲板から那覇を出航する様子を眺める。
国際通りの朝焼け
クイーンコーラルプラス
三重城と那覇港
↑三重城(左)と那覇港(右)。
 那覇港を出て直ぐ右手に、2月15日(旧1月16日)に十六日祭を撮影に行った離島出身者が遥拝をする三重城が見えた。
 7時に那覇を出航した船は、沖縄本島の本部港、与論島を経由して沖永良部島へ。沖永良部島で沢山の牛を入れた籠を積み込んだため、その後の到着時刻が遅くなった。そう言えば名瀬から那覇に引っ越した時、荷物を安く運ぶため、この牛や野菜を入れる籠に積んで引っ越しをしたのだった。
フェリーからのスナップ
↑上段左・右、中段左は本部港にて。中段右は与論島。下段左は沖永良部島。下段右は徳之島。
名瀬港


←2年ぶりの名瀬港に到着。 

 徳之島を経て奄美大島の名瀬港に到着したのは、予定時刻より50分程遅い21時20分。車両置き場の隅に置いてあった自転車を引っぱって下船。待合所の前で、今晩宿泊するゲストハウスを手配して下さった群島鳥類研究所の恵沢さんと待ち合わせ。恵沢さんの車に荷物を乗せてもらい、その後を自転車で追いかけて行く。

 屋仁川の奥にある宿に着いて、宿泊名簿に記入し宿泊費1500円を支払う。入口のソファーに座りコーヒーを飲みながら、暫し恵沢さんと四方山話し。
 朝は昨日の残りのカツ丼、フェリーが与論島に着いた頃に船内のレストランでカレー、徳之島を過ぎた辺りで昨日スーパーで買ったきつねうどんを食べたが、なんだかお腹が空いた。恵沢さんが帰った後、グリーンストアーで値引きされたお弁当とビールを買って来る。シャワーを浴びようと思ったらホースが抜けていて驚いたが、宿の方に言って取り付けてもらい無事にシャワーが浴びれた。買って来たお弁当とビールで遅い晩ご飯にして、就寝。今夜は他に宿泊者はおらず、2段ベッドが3つ(1つは荷物置き場になっている)置かれた部屋を一人で独占している。

*本日の出費。那覇ー名瀬乗船券10050円、自転車運搬料1700円、カレー500円、宿泊費1500円、弁当198円、ビール156円。

7月3日(木)

 朝5時にセットしておいた携帯のアラームで起床。少しボーッとしてから宿を出て、農連市場へ歩いて行く。
 昭和28年に開設された農連市場だが、再開発のために来年辺りから取り壊しが始まると聞いて、撮影に来た。お昼頃の農連市場は何度となく訪れているが、市場が活気のある早朝は初めてだ。
農連市場01
 活気があると言っても、野菜や果物を並べているおばさんたちは、そんなに多くない。 
  市場の中のベンチでカメラのコンパクトディスクを交換していると、隣りで休んでいたオジさんに、それはフィルムかと話しかけられた。このカメラはデジタルで、フィルムの代りにこのカードに記録する事を説明する。オジさんは市場の関係者のようで、早朝の3時頃から6時頃が賑わうそうだが、昔のように売り手が沢山並び、買い物客でごった返すような事はなくなったと話す。
農連市場のラジオ体操
 6時半になって、市場内にラジオ体操の音楽が流れ、オバさん2人とオジさん1人が体操を始めた。そう言えば沖縄に来て直ぐの頃に、牧志公設市場周辺のアーケードを散歩していたら、突然ラジオ体操の音楽が流れてお店のオバさんたちが道に出て来て体操を始めたこともあった。
  市場に着いた頃はまだ薄暗かったが、ラジオ体操の始まった頃にはすっかり日が昇り、キラキラと空がまぶしくなった。
朝の社交街
 7時近くまで市場とその周辺を散策し、神里原社交街を通って宿に帰った。
 泡盛を少しラッパ飲みしてベッドに入り、3時間程睡眠。起きて、宿の受付で延泊にしてもらい今晩の宿泊費1200円を支払う。ベッドにパソコンを広げて、昨日断念した日記のメモを書く。
 日記のメモを書いた後、しばらく休んでからお昼ご飯を食べに那覇港の波布食堂へ。
波布食堂のカツ丼
 那覇は昨日以上に快晴で、夏空だ。13時頃に着いたら、ピークの時間を過ぎていたのか混雑はなかった。注文した750円のカツ丼は、マンガの様なてんこ盛り。
  辺土名の波止場食堂のカツ丼はトンカツが2枚半乗っているが、こちらは2枚のようだ。カツも少し薄めだが、ご飯の量がハンパない。お持ち帰り用のプラ容器に汁のしみ込んだご飯をびっしりとカツを2切れ詰めて持ち帰り、宿の冷蔵庫で保存。
 そろそろ沖縄を離れる時期かなと思い、明日はホテルに泊まろうと検索するがドミトリーしか空きはないようだ。名瀬から那覇に借りる部屋を探しに来た時に宿泊した、辻にあるビジネスホテルを当てにしていたのだが、考えたら明日は金曜日で、沖縄は梅雨明けの観光シーズンだった。
 もう明日、沖縄から奄美へフェリーで渡ろうか。そう思い、さっきカツ丼を食べに行ったばかりの那覇港へ。明日の運航はマリックスラインのコーラルプラスだった。那覇を7時に出航し、名瀬には20時半頃の到着予定。運賃は1万50円に、自転車を持って行こうと思うので1700円。合計で11750円。
 那覇港から波の上の方へ自転車を走らす。途中気まぐれに路地に入ったら料亭左馬の角に出て、まさに取り壊しの真っ最中だった。料亭街だった辻の面影がまた一つ消えて行く。
料亭左馬と小桜の塔
↑解体工事中の料亭左馬(左)と小桜の塔(右)。

 そのまま辻の街を自転車で走り、先日天皇陛下がお見えになった対馬丸記念館へ。いつでも来れると思って入っていなかったので、見て来ようと思ったら休館日だった。そう言う巡り合わせだろうと思い、記念館の裏手の方にある小桜の塔だけ見て来た。小桜の塔から波の上ビーチに寄り、前島のスーパーでビールやスポーツドリンク、パンなど買って宿に帰る。
 明日泊まる宿を、奄美の知人に電話で相談。シャワーを浴び、洗濯をし日記用のメモを書く。

*本日の出費。宿泊費1200円、カツ丼750円、スーパーで(スポーツドリンク139円、サザンスター102円、久米仙グリーンペット284円、明治ヨーグルト82円、日清きつねうどん93円、パン99円、レジ袋3円、消費税64円)。

7月2日(水)

 朝6時頃に目を覚ましたので、昨日書けなかった日記用のメモを作る。
 炊事場で顔を洗ってテントに戻る時、どこかで見た顔の女性とバッタリ。先日、波照間島の民宿で一緒になった団体の中のお一人だった。向こうも気付いたようで、座間味での再会にビックリしていた。
 彼女たちは、波照間から宮古島経由でサバニに乗って座間味に渡って来たという。昨日の夜中、キャンプ場に到着した団体がいて、どこから来たのだろうかと思っていたが、彼女たちだった。
サバニ
 彼女たちの乗って来たサバニは最大級の大きさで、8人で乗船して来たという。女性は彼女を含めて3人だろうか。座間味から本拠地の名護に戻り、それから奄美大島に向かうと言うことなので、また名瀬でバッタリ会うということがあるかも知れない。

 8時頃、昨日見つけたレンタルショップでシュノーケリングのセットを借りる。テントに戻り、海パンに着替えて海岸へ。初めてのシュノーケリングで呼吸の仕方が難しい。今日は9時半頃が満潮らしく、まだずいぶんと海が深い。足の届く範囲で、練習を兼ねて潜ってみる。

→初めて借りたシュノーケリングのセット500円。

シュノーケルのセット
 2時間ほど海に入り、2時間ほどテントで昼寝。12時頃になって、再びシュノーケルセットを持って海岸へ。朝方よりも少し海水が引いている。足の届く範囲がだいぶ広がった。呼吸の仕方も少しだけ上手になった。近くで亀がいるぞ〜と言う声が上がったので泳いで行く。潜ると浅い海底で亀が泳いでいた。
阿真ビーチ
 14時少し前までシュノーケリングを楽しみ、シャワーを浴びて着替え、レンタルショップに用具を返却に行く。テントを片付け、荷物をまとめてキャンプ場の受付へ。テントをチェックしてもらい、損傷も欠損もなかったので昨日払った保証金が返って来た。16時のフェリーで那覇に戻るが、今日の宿を決めていないのでネットで検索し、牧志のサンライズ商店街にある1泊1200円のゲストハウスを予約した。
 キャンプ場から自転車で座間味港へ。朝から魚肉ソーセージとパンの残りしか食べていなかったので、天ぷらの売店に行くが、今日は定休日だった。がっかりしながら集落のスーパーへ自転車で向かっていると、昨日のキャンプ場の受付の女性とバッタリ会う。2泊するかもしれないと昨日言っていたけれど、亀も見れたしシュノーケリングも楽しんだので今日の船で帰る事を告げる。
フェリーと座間味港
 スーパーでカレーパンとお菓子を一つ買ってフェリー乗り場へ。貨物の取り扱い所で自転車を預けて、乗船までの間、待合所で一休み。15時半になって乗船開始になり、16時に出航した。
フェリーから見た座間味のビーチ
↑フェリーから見た座間味の海。↓もうすぐ那覇に(左)。フェリーから預けた自転車が出て来た(右)。
那覇と自転車

 途中、阿嘉島に寄港し2時間ほどで泊港に着いた。船に預けていた自転車を受け取り、牧志のゲストハウスへ。泊高橋の交差点で、先月の9日まで住んでいたビルを見る。陽に当り白く光っているビルはなんだかよそよそしく見え、此処に住んでいたのはずっと昔のような気がして来た。
 ゲストハウスに到着し、宿泊名簿に名前を書き、1200円を支払う。施設を案内してもらい、ドミトリーへ。荷物を置いてコンビニへ行き、ミネラルウオーターとビールを購入。宿に戻り、パソコンを広げて写真データのバックアップ。洗濯とシャワーを済ませて、日記用のメモを作るが、途中までで断念。明日は早朝の農連市場を見に行きたいので、携帯のアラームを5時にセットして就寝。

*本日の出費。シュノーケルセット500円、カレーパン140円、お菓子144円、宿泊費1200円、ミネラルウオーター101円、サザンスター140円、乾燥機使用料100円。

7月1日(火)

 8時半過ぎにゲストハウスをチェックアウトして、自転車でとまりんへ。とまりんから座間味青少年旅行村に電話をして、キャンプの申し込みと一人用テントの予約。
 泊〜座間味港の往復乗船券4030円を購入し、コンビニでパンとミネラルウオーターを買ってフェリーざまみへ。乗船する前に貨物の受付所で、自転車を預ける。自転車を折り畳めば手荷物で無料のはずだが、奄美と沖縄の潮と雨ですっかり錆びて、折り畳めない折り畳み自転車になってしまった。それでも自転車の運賃は往復で760円、島で自転車を借りるよりは安くつく。 
座間味へ
 船は10時過ぎに泊港を出航し、阿嘉島に寄港してから12時過ぎに座間味に着いた。港の観光案内所で観光パンフレットをもらい、船で運んで来た自転車に乗って座間味集落のレストランへ。日替わり定食のラフティー700円を注文。
ラフティー定食
 レストランから青少年旅行村に電話し、座間味に着いて食事をしているので13時頃に到着予定と告げると、テントの骨組みを作っておいてもいいですか?と受付の女性。申し込む時にテントの設営をした事がないと言っておいたので、気を使って下さったようだ。
 座間味集落からキャンプ場のある阿真集落へ。受付には、すでに組み立てられたテントが置かれていた。
 キャンプ場の使用料300円、テント代1000円、保証金1000円を支払い組み立てられたテントを移動。中に荷物を入れ、海水パンツに着替えて目の前の海へ。
 泳ぎ、海の中を沖まで散歩し、海水にただ浸かったりしながら14時から17時までの3時間程を海岸で過ごした。
テント
 シャワーを浴び、自転車で集落を散策。家の敷地に、火の神を祀ったと思しき祠を設置した家がたくさんあった。集落の入口にあるレンタルショップでシュノーケリング道具の料金を尋ねると、セットで一日500円。明日は初シュノーケリングに挑戦してみようか。
 集落から展望台へ行く道の途中に、山羊を散歩させている光景に出会った。草を食べさせながら歩いているようだが、よく見る白い山羊ではなく黒や茶色、まだらの山羊だ。山羊を引き連れて歩いている男性に話を聞くと、外国の種で食用ではなく乳を搾ってチーズを作ったりするらしい。
山羊の散歩
 山羊の散歩を追い越して、展望台へ。360°のパノラマで、阿真ビーチも太陽が沈む外洋も見える。18時過ぎから19時半頃までいて慶良間諸島の夕暮れを観賞。
展望台からの夕暮れ

 テントに戻りパソコンを広げるが、狭くて暗くて暑いのでデータのバックアップだけにして、日記用のメモは明日の朝にする。朝買ったパンと、昨日スーパーで買ったバナナと魚肉ソーセージで晩ご飯。する事もないので泡盛を瓶からラッパ飲みして寝ようとするが、テント内はサウナのように暑くて眠れない。虫が入って来てもいいから入口2ヶ所のファスナーを開けて風を通す。
 多少蚊に刺されるが涼しくなって寝入ったところに、近くのコテージから花火や騒ぎ声が聞こえて何度か目を覚ます。

*本日の出費。ミネラルウオーター98円、レーズンバターロール152円、ミニチョコクリームパン100円、泊ー座間味島往復4030円、自転車運搬往復760円、ラフティー定食700円、キャンプ場使用料300円、一人用テント1000円、保証金1000円。

6月へ