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◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表
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◯6月16日(日)午前8時〜9時 ゴミ拾い 草刈り
◯6月23日(日)夏のスポーツの祭典
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◯7月20日(土)大滝地区納涼祭
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6月30日(日)

 今日で6月も終わり。明日で能登半島地震から半年。そして1週間後は都知事選だ。
アリフ・マーディン

◯アリフ・マーディン

 トルコ・イスタンブール出身のプロデューサー、編曲家。
 1963年にアトランティックに入社しアシスタントとして仕事を始め、60年代中期からプロデューサーとして活躍。
 これまでにアレサ・フランクリン、チャカ・カーン、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、ベット・ミドラー、ビージーズ、ザ・マンハッタン・トランスファー、デヴィッド・ボウイ、ロバータ・フラック、リンゴ・スター、ジョージ・ベンソン、アヴェレイジ・ホワイト・バンド、ホール&オーツ、カーリー・サイモン、ローラ・ニーロ、カルチャー・クラブ、クイーン、フィル・コリンズ、ノラ・ジョーンズなどの作品を手掛けている。
 2006年6月25日、膵癌のため74歳で亡くなった。
 もちろん撮影したことは覚えているが、『レコード・コレクターズ』だったかな?と思っていたら『ミュージック・マガジン』だった。とても身振り手振り、表情豊かに話す人だった。

巨匠プロデューサー、アリフ・マーディンの遺作に豪華アーティストが集結

キャピトル東急ホテル 1991年10月26日
初出『ミュージック・マガジン』1992年1月号
インタヴュアーは半戸芳憲さん
#アリフマーディン
#ArifMardin
#アーカイブ

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◯a-ha

 a-haが1985年にリリースした1stアルバム『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』は、マドンナの『ライク・ア・ヴァージン』と一緒にスペイン・マドリードのラストロ(蚤の市)の露店で買った。CDではなく無許可でダビングした音楽テープで、その頃流行していたアーティストのアルバムが地面にズラッとに並べられていた中から、この2本を選んだ。1本250ペセタだったから、日本円で250円ほどだったろうか。4ヶ月近くになるスペイン、ポルトガルの一人旅のお供にと、スペインに着いて3日目ぐらいに購入した。マドンナの『ライク・ア・ヴァージン』はあまり聴かなかったが、a-haの『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』は旅の間ずっと聴いていた記憶がある。
 打ち込みのドラムとシンセサイザーによるポップなサウンド。小林麻美の「雨音はショパンの調べ」と共に、個人的にあの頃を象徴する音だと感じている。
 添付した写真はCBS・ソニー出版の『POPGEAR』用に撮影したもの。マンダムの男性用化粧品のCMにa-haが起用された時の記者会見の写真だ。

YouTubeから「Take On Me/a-ha」 「マンダム ギャッツビーCM/a-ha」 「雨音はショパンの調べ/小林麻美

a-haの公式ウェブサイト

新宿ヒルトン 1988年9月7日撮影
初出『POPGEAR』1988年11月号
#アーハ
#a-ha
#モートンハルケット
#MortenHarket
#ポールワークターサヴォイ
#PaulWaaktaarSavoy
#マグネフルホルメン
#MagneFuruholmen
#アーカイブ

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a-ha

6月28日(金)

 今日は一日中雨の降る梅雨らしいお天気。今年は梅雨入りが遅かったからか、田んぼのカエルが家の方へ上陸してくるのも遅かった。今日、外を覗くとようやく小さなカエルが庭の紫陽花やユリの花の上にちょこんと座っているのが見れた。
紫陽花とカエル

◯チャック・ブラウン

 先日ディスクユニオンのオンラインショップでポチったゴッドファーザー・オブ・ゴーゴーこと、チャック・ブラウンの1998年発売のベスト盤『CHUCK BROWN GREATEST HITS』が、今日届いた。中古だが未開封で1,100円だった。
 チャック・ブラウンのアルバムは何枚か持っているので聴くだけならベスト盤を買う必要はないのだが、ジャケットに使われている写真が自分の撮影した写真なので以前から手に入れたかった。もう10年以上前に、「あれ?この写真、自分の撮影した写真だ」と気づいてネット検索してCDを探したが日本盤は出ておらず、海外のサイトでしか販売していなかった。それが先日、ディスクユニオンのオンラインショップで見つけて急いでゲットした。
 ジャケットに使われている写真は、1987年12月3日にインクスティック芝浦で撮影したものだ。

チャック・ブラウンのベスト盤
インクスティック芝浦で撮影した写真
↑『CHUCK BROWN GREATEST HITS』。→1987年に撮影したライヴ写真。
チャック・ブラウン

 チャック・ブラウンは1987年の初来日と、翌88年の2度目の来日の時に撮影している。87年は12月2日と3日の2日間で、ともにインクスティック芝浦だった。
 3日の午後2時30分から彼の宿泊先だった青山プレジデントホテルでインタヴューがあり、インタヴューの後に近くの青山公園でポートレートを撮影した。スケジュール帳に<ロビー、トシ矢島>とメモがあるので、トシ矢島さんが仕切っていたのだろう。
「ひと月10グループ 空前のにぎわいを見せたトーキョー・ブラック・シーン」というミュージック・マガジンの特集での取材で、ライターは鈴木啓志さんだった。
 同じ日の19時からインクスティック芝浦で、ライヴを撮影した。そして、これが自分のゴーゴー初体験だった。ビートはゆったりしているが強靭で、そこにスネアやベードラ、パーカションが小刻みに3連譜を入れてリズムが跳ねる。ラップのような歌とコール&レスポンス。MCはほとんどなく曲が繋がっていく。フロアでは気持ちの良いグルーヴに任せて、客がずっと踊っている。演奏する方も聴く方も体力勝負の音楽だ。

←1987年12月3日、青山公園にて撮影。

 1988年の来日は12月1日が大阪サンケイホール、3日、4日、5日がインクスティック芝浦だった。アーカイブを作るのに当時のスケジュール帳を確認したら、最終日の5日に撮影している。また、『ミュージック・マガジン』での撮影かと思っていたら、スイングジャーナル社の『アドリブ』での仕事だった。
 せっかく2回目の撮影なので、前年に撮影したポートレートとライヴ写真を本人にプレゼントしようと思いプリントを持っていった。そして本番前にチャック・ブラウン本人に渡した。そのプリントの中に、『CHUCK BROWN GREATEST HITS』のジャケットに使われた写真が入っていた。
 今回ようやくCDの現物が手に入ったので確認したが、撮影クレジットに自分の名前は入っていなかった。写真をプレゼントした時に名刺を渡したかも忘れたし、あの頃の名刺にアルファベット文字を入れていたかも覚えていない。
 チャック・ブラウンは、2012年5月16日に敗血症による多臓器不全で亡くなってしまった。享年76歳だった。
 チャック・ブラウンがプレゼントした写真を持っていてくれたことが嬉しいし、ゴーゴーのゴッドファーザー(首領)のアルバムに自分の撮影した写真が使われたことが、とにかく嬉しい。

 ちなみに『アドリブ』のライヴ・ルポのクレジットは藤井康一となっている。ウシャコダの藤井さんかな?

YouTubeから「Chuck Brown Live @ 9:30 Club in Washington DC - Part 1

ゴーゴーについては、こちらのサイトが詳しい。

ポートレートは1987年12月3日 青山公園
ライヴは1987年12月3日 インクスティック芝浦
    1988年12月5日 インクスティック芝浦
初出『ミュージック・マガジン』1988年2月号
  『アドリブ』1989年2月号

#チャックブラウン
#ChuckBrown
#チャックブラウンアンドザソウルサーチャーズ
#ChuckBrownAndTheSoulSearchers
#ゴーゴー
#GoGo
#ワシントンDC

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◯村田恵里

 1985年に、CBSソニーから「オペラグラスの中でだけ」でデビューしたアイドル歌手。
 1987年頃、ALI PROJECTの宝野アリカと片倉三起也が彼女のサポート・ミュージシャンをしていたので、2回ほどライヴ・ハウスへ撮影に行っている。
 マニア好みのアイドルというカテゴリーがあるのか分からないが、大鷹俊一さんの連載「レコード・コレクター紳士録」の取材で伺ったコレクターから、彼女の名前を聞くことが何回かあった。ボサノバのコレクターだけど歌謡曲も集めている、ピアソラのコレクターだけど歌謡曲も好きという方達から歌の上手さを絶賛されていた。
 当時のスケジュール帳を見ると1987年5月11日にTAKE OFF7、6月10日に渋谷eggmanで撮影しているが、この写真がどちらで撮ったものかは分からない。
 森口博子と同期デビュー。eggmanだったと思うが、控え室の方にいたら可愛らしい女の子が何人か訪ねてきて、あれは森口博子と井森美幸じゃなかったかと思う。
 wikiによれば村田恵里から橋本舞子、ERINA、FUNNY GENEと改名して活動していたそうだ。

YouTubeから「オぺラグラスの中でだけ/村田恵里

#村田恵里
#橋本舞子
#ERINA
#FUNNYGENE
#アーカイブ

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村田恵里

 チューリップテレビが連日、夕方のニュースで田畑裕明議員の政治資金パーティーの件を取り上げている。取材にも応じず、県民に説明しようという気もないなら、是非次の衆議院選挙で消えてもらいたい。

 この他の気になった記事を備忘録として。
米兵の性的暴行、相次ぎ明るみに 沖縄県に情報共有されなかった背景
美ら海を脅かす工事をメール1通で通告 辺野古、政府が民意に背き強行の歴史 「希望の海」を守るには
バス襲撃で重体の中国人女性が死亡 日本人母子かばう、大使館が半旗
警備員がダンプに接触し死亡 辺野古新基地工事車両の出口付近 抗議活動の女性もけが 沖縄・名護市安和
日本維新の会が「がけっぷち」 政治改革で自民に裏切られ、補選全敗、万博も失速…でも「単独で政権目指す」

6月26日(水)

 気温は真夏日一歩手前だが、湿気がなく風も吹いていたので過ごし易い日だった。
 部屋の窓から見える近所の新築住宅の建設進捗状況だが、これまで作業用の足場と防護ネットで覆われて中の様子があまり分からなかった。それが一昨日、足場とネットが撤去されて外観の様子が分かった。これから本格的に内装工事に入るのだろうか。完成は間近だろうか?
 前回の様子はこちら。前々回の様子はこちら
近所の新築住宅進捗状況01
↑上段左:4月24日/上段右:4月30日/中段左:5月7日/中段右:5月25日/下段左:6月12日/下段右:6月24
近所の新築住宅進捗状況02
↑6月25日、足場もネットも撤去され外観の様子が分かった。

◯3ムスタファズ3

 バルカン半島の奥地、シュゲレリ村出身のムスタファ一族を中心に結成されたバンド。サズやブズーキなどトルコの楽器にサックスやフルート、そしてエレキ・ギターやベース、ドラム、アコーディオンなどが加わり陽気でエキゾチックなダンス・ナンバーを聴かせる。
 1990年前後のワールド・ミュージック・ブームの中で来日した際に撮影したが、日本語による詳しいバイオグラフィーが見つからなかったので、その後の活動の様子がわからない。
 英語のwikiはこちら

YouTubeから『3 Mustaphas 3 - Shopping (Original LP 1987)

渋谷 クラブ・クアトロ 1989年10月3日撮影
初出『ミュージックマガジン』1989年11月号
  『ミュージックマガジン』1989年12月号
11月号はモノクロの写真でコンサート評(北中正和さん執筆)に、12月号はカラーでグラビアに使用されている。
#3ムスタファズ3
#3Mustaphas3

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3ムスタファズ3
ローラ・リー

◯ローラ・リー

 『ミュージックマガジン』誌の仕事で一番最初に撮影したのは、1987年11月に来日したゴスペル・シンガーのローラ・リーだった。それは売り込みに行った時のポートフォリオに入れていたのが、S.O.Sバンドやネヴィル・ブラザーズ、ベン・E・キングといったミュージシャンの写真だったからだろう。
 当時はアポイントを取ればほとんどの出版社、編集部が作品を見てくれて、たいてい仕事に結びついた。ローラ・リーの撮影は、売り込みに行った翌月くらいに編集部から連絡があり、担当編集者は加藤彰さんだった。今から考えると、ローラ・リーと加藤さんというのも不思議ではある(笑)。
 11月2日に虎ノ門にあったニッショーホールでコンサートの撮影をし、翌3日にポートレートを撮影している。当時のスケジュール帳に渋谷東武ホテル3時~4時と記されているので、ホテルでのインタヴューの後、外で撮影したのだろう。インタヴュアーは井上厚さんだった。
 ライヴ写真は87年12月号のコンサート評に、ポートレートは88年1月号に掲載されている。小出斉さんのコンサート評にも、井上厚さんのインタヴューにも、ソウル・シンガーとしてのローラ・リーの歌を聴きたい、聴きたかったという思いが綴られている。

 元々ゴスペル・シンガーで、その後ソウルを歌っていたローラ・リーがゴスペルに戻るきっかけを井上さんのインタヴューの中で、こう話している。
「ソウルを歌っている時代、私はガンに冒されました。毎日神に祈りました。そして私は神に会うことが出来ました。それからガンはすっかり治りました。神の力以外の何物でもありません。それから私は神の存在、素晴らしさを人々に伝えています。それが神から私に与えられた仕事、使命です」

 コンサートの写真は、1993年発売の『ミュージック捜査線/ピーター・バラカン』(新潮文庫)にも掲載されている。

YouTubeから「Since I Fell For You/Laura Lee

コンサート写真は1987年11月2日 ニッショーホール
ポートレートは1987年11月3日 渋谷
初出『ミュージックマガジン』1987年12月号
  『ミュージックマガジン』1988年1月号
  『シティロード』1987年12月号 ミュージック捜査線26
再掲載『ミュージック捜査線/ピーター・バラカン』(新潮文庫)

#ローラリー
#LauraLee
#ゴスペル
#Gospel
#アーカイブ

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「円の実力」は過去最低 64カ国・地域で最大の下落
日本の競争力、38位に下落 企業の効率低下、最低更新
 岸田首相の独断で8月から電気・ガス料金の補助が復活するようだが、止まらない円安をなんとかしないと補助金など砂漠に水を撒くようなものだろう。
 国民が岸田首相への批判を口にするのはもっともだが、茂木派や麻生派の若手議員が岸田首相を批判し総裁から引き摺り下ろそうとするのは違うように思う。茂木氏や麻生氏の方が岸田氏よりも数倍酷いので、先ずは自分の派閥のトップを批判したらどうか。

 電動スーツケースを無免許で運転したとして中国籍の留学生が道交法違反で書類送検されたが、そもそも、こんな危なっかしい乗り物を製造するメーカー、認可した国交相に罪はないのだろうか。公道では走行できず空港内での使用が想定されているそうだが、最高時速は13キロ。危ないだろ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
「何ら指摘を受けていない」田畑議員…“ご入金のみ” 政治資金パーティー案内状の寄付呼びかけを否定 富山
“ご入金のみ” 問題は取材拒否…田畑議員にテレビ4社がインタビュー申し込む 富山
海外インフラ投資の官民ファンド、累積赤字1千億円 各国で事業失敗

6月24日(月)

 東京新聞が今日、新紙幣発行の影で忘れられてる2000円札という記事を書いていた。確かに沖縄以外では普段の買い物に2000円札が使われることはほとんどなく、中には記念紙幣だと思っていたり、若い人の中にはその存在すら知らない人も多いかもしれない。母親もピン札の2000円札を使わずに大事にしまっていて、記念紙幣か何かと思っている節がある。
 <実は沖縄県では存在感を増し続けている。沖縄県内で出回っている枚数は、2001年には200万枚弱だったが、2024年には800万枚を超えた。背景には、官民を挙げた利用促進策がある>と書かれているが、確かに2013年7月14日に、那覇のパレットくもじ前の広場を通った際、「2000円札応援祭り」というイベントが開かれていた。でも、正直、2000円札をどう応援していいのか分からず、高校生のダンスパフォーマンスをしばらく眺めて家に帰った。
 沖縄では銀行へ行けば簡単に2000円札を手に入れることはできるが、実際にスーパーや飲食店で2000円札が流通しているかというと、やはり少ないというのが2年間那覇で暮らした実感だろうか。
 Dee-okinawaが「二千円札に出会う旅」という連載を始めている。
2000円札応援祭り
↑2013年7月14日、那覇のパレットくもじ前広場で行われていた「2000円札応援祭り」
Yae

◯Yae

 歌の上手い人だな、と思う。素直な歌い方で、彼女の母親よりも個人的には好みの声だ。
 撮影したのは彼女のデビュー・アルバム『New aeon』が発売された2001年で、この時にレコード会社からサンプル盤をいただいたのだが、今でもiPodに入れてよく聴いている。
 ギターは鬼怒無月さんで、バイオリンに太田惠資さんが参加している。ちょっとエキゾチックなサウンドで、アラブ風な味付けの曲もある。
 このアルバムを聴いて思い出したのが、彼女のお母さんの初めての著書『ろばと砂漠と死者たちの国』だ。28歳の多感な女性がテヘラン、ベイルート、カイロ、マラケシュと中近東を旅した本だが、この本を書いた女性が結婚してYaeが生まれ、その彼女が創り出す音楽が『New aeon』だったのは、自分の中ですごく納得がいった。
 この本を出版する直前に、28歳の女性は藤本敏夫と獄中結婚し長女を出産、3年後に次女である彼女が誕生している。彼女の本名は藤本八恵、お母さんの名前は藤本登紀子こと加藤登紀子という。

 カメラはマミヤ645PRO。ライティングはストロボ1灯でダイレクトに当てている。ストロボのヘッドかレンズの前にマゼンタのフィルターをつけているかもしれない。

YouTubeから「My Dear/Yae

2001年5月23日 虎ノ門・ポニーキャニオンにて撮影
初出『ミュージックマガジン』2001年7月号
インタヴュアーは当時の編集長、高橋修さん
#Yae
#藤本八重
#加藤登紀子

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6月22日(土)

 気象台が今日、北陸地方が梅雨入りしたとみられると発表した。富山は今夜から雨で、明日は大雨になる予想だ。明日は『スポーツの祭典 夏の陣2024』と題した地区のスポーツ大会がある。競技は屋内でするので雨天決行だが、ここまで梅雨入りが遅くなったのだから、スポーツ大会が終わってから梅雨に入ってもらいたかった。スポーツ大会の告知と参加者募集の用紙を班の各家に配ったが、参加したいと名乗りをあげる人がいなかったので、班長として玉入れに出場することになった。
 今日、1階入り口ドアの上部に蜂の巣があるのがわかった 。まだ小さい巣だが、けっこうな数の蜂が住んでいる。巣のあることを報告に来た甥っ子の子供、小学2年生によればアシナガバチだそうだ。ネットで検索すると<アシナガバチの巣は1年限りで中は空になり、残った巣が翌年に利用されることはありません>と書かれていた。あんまり大きくなって蜂に追いかけられるようになっても困るが、しばらくは様子見だな。

↓→家の入り口ドアの上部に作られた蜂の巣。
蜂の巣02
蜂の巣01

 一昨日、都知事選の告示がされ、これまでで最多の56人が立候補した。NHKから国民を守る党は宣言通り選挙ポスター掲示板をジャックし、同団体に寄付をすれば掲示板に自身で作成したポスターを貼れるというビジネスを展開している。これにより同じ人物やデザインのポスターが並んだ異様な光景があらわれ、東京選挙管理委員会には苦情や問い合わせが多数寄せられているという。
 NHKから国民を守る党をずっと追いかけて取材している選挙ウォッチャーのちだいさんが、このポスター掲示板問題について詳細に書いている。こちら。また、NHKから国民を守る党のこれまでの党名の変遷やゴタゴタ劇はwikiに詳しく書かれている。
 今月13日の独り言で<立候補者が多ければ選択肢が広がるという考えもあるが、やはりその質は問われなければならない>と書いたが、 今回の都知事選では単なる売名行為としての立候補者も多そうで、そうした人たちを除けば出馬数の割に選択肢は少ない。

 沖縄で戦没者の遺骨収集を続ける市民団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが18日、遺骨の混じった本島南部の土を辺野古新基地建設で海を埋め立てるために使うのは戦没者への冒涜だとして、土の使用を断念するよう防衛省の担当者に迫った。 
 明日23日は、沖縄戦犠牲者を追悼する慰霊の日だ。
◯三上智恵の沖縄撮影日記<第124回:“慰霊の日”は誰のため?~沖縄県庁が事前に掲示物・配布物チェック~

 この他の気になった記事を備忘録として。
ハマス壊滅は「達成不可能」 イスラエル軍報道官が異例の政府批判
「国が正しいとは限らない」 成立した改正地方自治法の危うさ 指示権の乱用、拡大解釈への懸念消えず
「抜け穴だらけ」改正政治資金規正法が成立 維新も転換、全野党が反対…岸田首相は「大きな一歩」と自賛

◯ダリル・ホール

 ホール&オーツで知られる、ダリル・ホールの13年ぶりのソロ・アルバム『D』が発売になったようだ。
 ホール&オーツとしての撮影はないが、1994年にソロで来日した時にインタヴュー写真とコンサートを撮影している。
 当時のスケジュール帳を見ると、インタヴューは赤坂のキャピトル東急ホテルで14時から。掲載誌を確認するとインタヴュアーは渡辺亨さんで、通訳は丸山京子さんだった。

ダリル・ホール
 コンサートは同じ日の18時30分から横浜文化体育館。ポートレートとライヴでは使う機材が違うので一度家に帰って機材の交換をしたか、当時フィルム現像をお願いしていた外苑の堀内カラーに使わない機材を預けてコンサートの撮影に行ったかもしれない。
 ポートレートの背景は黒の布と、堀内のカラーペーパー。グラデーションペーパーではなく、赤のカラーペーパー。プラスチックのコーティングがしてあり皺にならなかったので、よく撮影に使っていた。
 ダリル・ホールのコンサートのサポートに、アヴェレイジ・ホワイト・バンドのアラン・ゴーリーが参加していたのを後になって知った。1999年にアヴェレイジ・ホワイト・バンドの撮影をした時に、本人から1994年にダリル・ホールのコンサートのバック・ミュージシャンとして来日したと直接聞いた。そのコンサートは自分も撮影に行ったと話すと、どうりで君の顔は見覚えがあると笑って言われた。ステージの真下で撮影していたが、そんなことはないだろう(笑)。 
 コンサート写真で、ダリル・ホールの左側でベースを弾いているのがアラン・ゴーリーだと思う。 

 尚、今年になって正式にホール&オーツの解散が公言された。ちなみにジョン・オーツのソロ・アルバム『Rrunion』も先月発売になっている。
ポートレートはキャピトル東急ホテル
コンサートは横浜文化体育館
共に1994年3月3日撮影
初出『ミュージックマガジン』1994年5月号
#ダリルホール
#DarylHall
#アランゴーリー
#AlanGorrie

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6月20日(木)

 富山は未だに梅雨入りしていないが、沖縄は今日梅雨明けしたそうだ。
 昨日、アマゾンに注文していたノートパソコン用のスタンドと、パソコン用の外部スピーカーが届いた。これから気温の高い日が続くとパソコンのファンが暑さで唸るので、少しでも放熱できるようにスタンドに乗せることにした。また、しばらく前からパソコンの内蔵スピーカーの音がビリビリと割れているので外部スピーカーを繋いでみることにした。1,000円ほどのスピーカーもたくさんあるが、ちょっと奮発して5,000円ほどのものにした。
ノートパソコンスタンドと外部スピーカー
ノートパソコンスタンド外部スピーカー
実際に使用している写真
↑さっそくセッティングして使ってみた。かなり音が良くなったのでYouTubeで音楽を聴く時間が増えそうだ。
 ミュージックマガジン7月号が、今日届いた。特集は先月7日に急逝したスティーヴ・アルビニで、初来日だった1992年5月号用に撮影した写真が再掲載されている。
ミュージックマガジン7月号

 これまで撮影してきたアーティストの写真をインターネット上でアーカイヴしようと思い、今年のはじめからデータを作成していた。まず頭に浮かんだのがInstagramだが、タブレットやスマホでの投稿がデフォルトなのか、パソコンからでは使い難いし思っていたように表示されない。とは言えインスタの勉強をしている時間もないので、まずはスティーヴ・アルビニの画像からUP。
 今後、インスタと同時にfacebookでも画像をUPしていきます。
 YouTubeから1992年の来日時のライヴ「STEVE ALBINI&ZENI GEVA"The Model"(Kraftwerk cover)」。

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6月18日(火)

 スギ花粉やらキッチンのリフォームやら2階物置きの片付けなど様々な理由で買い物以外では自転車に乗ることがなかったが、昨日、久しぶりに小矢部川の土手を走り、その後、山沿いにある五位庄用水横の道を通って赤丸の浅井神社まで往復2時間ほどサイクリングしてきた。
田んぼ
小矢部川
クマ出没注意の立て札
 水が張られた田んぼの稲が青々として、初夏らしい風景。小矢部川の土手や河川敷は草が伸び放題で、市の担当者か業者かわからないが、草刈機をリモコンで操作して刈り取っていた。
 昨日も最高気温は30℃の真夏日だったが、薄曇りで日差しが弱かったのと風が吹いていたので、サイクリングもそれほど苦ではなかった。
 今のところ近所でクマが出たという情報はないが、山裾の道を走る時はやはり少し心配になる。
 先日物置き部屋の片付けが完了したが、今度は単なる物置きの片付け。元々は階段があった場所で、階段を取っ払い1階は現在の廊下の一部に、2階は板を張ってこのような物置きになっている。
これから片付ける物置き1
これから片付ける物置き2
↑→昔は階段があった場所を塞いで物置きになっている。
 以下、物置きにあったモノたち。
物置にあったもの01
↑左は油切りパット、右は入れ子になった容器。
物置きにあったもの02
↑左はプラスチック手袋、右はホコリ取り。
物置きにあったもの03

↑左は昭和の匂いがするアイロン鏝、右は祝成人と書かれた袋に入っていた鈴木修社長の「やる気」色紙と額縁。弟が貰ったのだろうか。

物置きにあったもの04
↑衣料洗剤のモノゲンユニ。wikiによれば1964年にモノゲンを改良して販売され、1998年にモノゲン ドライ&ウールにリニューアルされたという。裏のパッケージに描かれたイラストが年代を感じさせる。
物置きにあったもの05
物置きにあったもの06

←↑BY HIRO TSUNODAと書かれたDRUM METHOD。コピー用紙をホッチキスで綴じたもので、中にはシングルストローク、ダブルストローク、パラディドルなどの奏法が書かれている。高校3年生の時、高岡駅前にあった開進堂という楽器店につのだ☆ひろさんがドラムクリニックで訪れ、その時参加して貰ったモノだろう。PRICE ¥100000000000。この時貰ったサインも、昨年ドラムの譜面を入れたファイルの中から見つかっている

 今日、小池百合子氏蓮舫氏の都知事選出馬会見があり、それぞれ公約を発表した。
 政府は携帯電話の契約確認に、マイナンバーカードに搭載されているICチップの読み取りを本人確認方法として義務付けることを決定した。マイナンバーは国民一人一人に割り振られて皆んな既に持っている。それをカードにするかは任意のはずだったが、本人確認方法として義務化したら取得を強制していることになる。マイナンバー制度が始まった当初、番号通知カードは簡易書留で配達された。郵便局が誤配送した時は通知カードを作り直すなどニュースになるほどの大騒ぎだった。それほどマイナンバーは秘匿性の高いものだったはずが、その番号の扱いがどんどん軽くなっている。
 大阪万博の目玉だった「空飛ぶクルマ」の商用運行を断念することが発表された。そもそも写真で見る限り、あれはクルマではなく大きなドローンだろう。
 自民党の萩生田光一前政調会長の元公設秘書で八王子市議の大竹利明氏が酒気帯び運転で逮捕された。地元消防団の懇親会に参加してビール3本くらい飲んだのは認めているが、「なぜ車に乗ったか、コンビニに来たか分からない」と話しているという。言ってることが無茶苦茶だ。

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6月16日(日)

 今日は朝8時から、集落の一斉草刈りとゴミ拾いの日。今年は班長なので8時になったら家の前に出てゴミ袋を配ればよいかと思っていたら、7時半頃には何人かゴミ拾いをしている人がいて、中には6時頃にゴミを拾っておいたという人がゴミ袋を持って来られた。8時過ぎには草刈りとゴミ拾いが終わり、集まった雑草やゴミを選別して袋に入れ直した。9時過ぎに違う班の収集車が来て、集会場は運んでもらった。
 TBSのサンデーモーニングを観てから、ミュゼふくおかカメラ館で開催中の中井精也写真展「ゆる鉄絶景100」を見てきた。今日が最終日ということもあってか子供からお年寄りまで大勢の人で賑わっていた。

 一昨日、家の庭の木の剪定をした。これまでは庭の木の剪定と雪吊りはシルバー人材センターにお願いしていたが、薬の散布を含めて年間5万円ほど掛かっていた。しかし昔に比べれば雪吊りするほどの大雪も降らなくなったし、剪定バサミを使ってちょっと飛び出している枝を切ったり葉の繁っているところを空くくらいなら自分でもできそうなので、今年から薬の散布だけにしてもらった。
 まあ、シルバー人材センターの人が3人ほど来て1時間ほどかけて剪定していた作業を、素人が一人でするのは大変だがこれも節約だ。

庭の剪定01

↑ピョンと飛び出した枝や、蔓が絡まっていたりした枝を剪定バサミでザクザクと切った。縄張りを荒らされていると思ったのか、蜂が3匹ほど寄ってきたが幸い刺されることはなかった。

→大きなゴミ袋2つ分ほどの枝と葉っぱを剪定した。

 枝が伸びて歩くのに邪魔なところや突出して伸びている枝など、大きなゴミ袋2つほど切って少しだけ庭がスッキリした。小さな庭で起伏もあるので脚立が上手く置けない。高枝切り鋏が欲しくなった。今月はノンフライヤーを買ったので、来月かな。

↓少しだけスッキリした庭。

庭の剪定02
庭の剪定03
↓剪定で思い出すのが、奄美に住んでいた時に名瀬市内の床屋さんの入り口にあった角刈りのようにキレイに揃えられた植木だ。床屋のご主人が散髪の技術を活かして剪定したのだろうか。角刈りにするならこの店!と思わせる植木だ。
名瀬の床屋さんの植木
↓昨年、小矢部川の土手を自転車で走って河口まで行った時に、伏木の町でやはり床屋さんの庭にキレイに剪定された木が並んでいるのを見た。床屋さんの庭木の枝や葉っぱが伸び放題ではやはりイメージが悪い。これも床屋のご主人が散髪の技術を活かして剪定したのだろうか。床屋さんと庭師、なんとなく似た職業のように思える。
伏木の床屋さんの植木

 与党と日本維新の合意で提出された政治資金規正法改正案はアンケートで7割以上が否定的。内閣支持率は16.4%と2012年に自民党が政権に復帰して以降最低を更新し続けている。支持率低下は底なしの様相だ。。
 党内からは岸田首相では選挙に勝てないという意見が出ているようだが、裏金事件で国民から厳しい声が湧き上がっているにも関わらずザルのような改悪案を出してくる党=自民党議員に失望しているのだ。自民党にはこのまま底なし沼に沈んでもらいたい。

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6月13日(木)

 昨日、今日と最高気温が30℃越えの真夏日になった。この暑さの中、昨日は物置き部屋の片付け。以下は、物置き部屋にあったものたち。
物置部屋にあったもの01
↑湯呑みなどを保管したり運んだりする蓋つきのお盆のようなもの?
物置部屋にあったもの02
↑左は重箱、右は色紙を飾る表具。箱には内祝と書かれた紙が貼ってある。
物置部屋にあったもの03
↑左は灰皿だろうか、ペン置きだろうか。右はネピアと書いてあるのでウエット・ティッシュかな?
物置部屋にあったもの04
物置部屋にあったもの05

↑左はマルチ洗浄器。箱には”農家の友”と書かれている。収穫した野菜から作業服、軍手などを洗えるようだ。買ったものか貰ったものかわからないが、一度も使った形跡はない。右は蒸し器、蒸し釜?

←大きな計量カップと、入れ子になっている三色保存容器。

↓ようやく物置き部屋が片付いた。左がビフォー、右がアフター。

物置部屋のビフォー、アフター01
物置部屋のビフォー、アフター02
 ドクター・イエローの引退が報道された今日、発明家のドクター・中松さんが今度の都知事選に立候補することを正式に表明した。
ドクター・中松さん

 2014年12月の衆院選以来9年半ぶりの出馬だそうだ。
 これまで都知事選、衆議院選、参議院選合わせて16回出馬し、5,000万円以上の供託金を没収されている。いわゆる泡沫候補と呼ばれてきた一人だ。発明家としての実績はあるが、政治家としてはどうなの?とキワモノ感があるのだろうか。 
  ただ、先の衆議院東京15区の補欠選挙で他党の選挙妨害をして逮捕されたつばさの党の立候補者や、参議院選挙で当選したにもかかわらず一度も国会に出席せず、自身の動画サイトで俳優らを脅迫したとして逮捕されたガーシー(東谷義和)被告など、最近は度を越して酷い候補者がいっぱいいるので、95歳という高齢を除けばドクター・中松さんは至って普通に見える。
 今回の都知事選には40人以上が出馬するそうで、中には在特会の桜井誠氏、元迷惑系ユーチューバーのへずまりゅう氏、 元航空幕僚長の田母神俊雄氏などの名前もある。
 立花孝志氏が党首を務める「NHKから国民を守る党」は20人以上の候補を擁立し、選挙ポスター掲示板をジャックしてビジネスに繋げようとしているという。
 立候補者が多ければ選択肢が広がるという考えもあるが、やはりその質は問われなければならない。  

 ドクター・中松さんの政策がこちらの記事に書かれている。
<発明家としての実績、知名度を生かし、世界各国から発明者、企業を誘致し、東京を世界の発明の中心地に復活させる>・・・う〜ん、難しいかな。でも、ドクター・中松さんの場合は結果に関係なくちょっと微笑ましい。
 上の写真は2008年4月にオフィスで撮影したドクター・中松さん。壁は濃いめの朱色で、天井は金色に塗られている。ドクター曰く、この色の組み合わせが一番肌がキレイに見えるそうだ。右手首に取り付けているのは携帯電話。左手で持っているのはドクター・中松カード。このカードで買い物ができるそうだが、たぶん家の近所のスーパー・タピスでは無理じゃないかな・・・

 フランスのシンガー・ソング・ライターで女優のフランソワーズ・アルディが亡くなった
 彼女の音楽をリアルタイムで聴いたのは1982年にリリースされた『時の旅人たちへ』からで、その後から遡って聴いたりしていた。なんとなく歳をとらない人のイメージがあったが、80歳だった。まあ、自分が64歳なのだから当たり前なのだが・・・
 どのアルバムだか忘れたが愛川欽也さんがライナー・ノーツを書いていて、それは彼女に宛てたラブレターのようだった。
 YouTubeから『時の旅人たちへ』に収録されている曲を3つ。「Retour De Nuit」「Mazurka」「Tirez Pas Sur L'Ambulance」。

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6月10日(月)

 今日は先日購入したノンフライヤーで、鶏の竜田揚げに挑戦。昨日のうちに、鶏肉に下味(醤油、ハチミツ、料理酒、ショウガ、ニンニク)をつけて一晩寝かして置いた。
 この下味をつけた鶏肉に片栗粉をつけてノンフライヤーに入れて調理すれば竜田揚げはできるはずだが、油を吹きつけるとこんがりカリカリに仕上がるというので100円ショップで吹きつけるためのボトルを買ってきた。容器の中に入れる油は、1階の片付けで発掘した3年半ほど前に賞味期限が切れているキャノーラ油。10年前、20年前に賞味期限が切れている醤油やサラダ油をたくさん見てきたので、3年半前なら最近だから大丈夫かな?と思ってとってあった。
賞味期限切れの油01
賞味期限切れの油02
↑3年半ほど前に賞味期限が切れた油。沈殿物もなく封を開けても変な匂いもなし。
 プラスチック容器に一晩冷蔵庫で寝かせて下味をつけた鶏肉を入れ、片栗粉でコーティング。賞味期限の切れたキャノーラ油を100円ショップで買ったボトルに移す。
下味をつけ片栗粉をつけた鳥肉
オイル・ボトル
↑下味をつけた鶏肉に片栗粉をまぶす。→油を入れたプラスチックボトル。
 片栗粉をまぶした鶏肉をノンフライヤーのバスケットに並べ、ボトルの油を吹きかけたら・・・ミスト状ではなくポトリと一滴落ちた。買ったものは思っていた商品ではなかったようだ。霧吹きの容器があればいいんだが。油を吹きかけるのは諦めて、予熱した後、セレクトメニューの鶏肉ボタンを押して調理開始。レシピ集には14分と書いてあったが、7分経過した時に鶏肉をひっくり返すために開けたところキレイに色がついていたので、残り時間を4分に短縮した。
 皿に盛って食べたところ美味しく仕上がっていたが、やはり4分に短縮せず7分(計14分)にしておけば外側がもっとカリッとしたかもしれない。思っていた以上に美味しくできたので、次はかき揚げか、ちくわの磯辺揚げに挑戦かな。
慢性した鳥の竜田揚げ

 自民党幹事長、茂木敏充氏の地元である栃木県で昨日投開票された鹿沼市長選は、立憲民主党県連幹事長を務めた元県議の松井正一氏が、自民・公明の推薦を受けた元県議会議長の小林幹夫氏を破り初当選を果たした。
 自民党の森山総務会長が今日、静岡市で開かれた党静岡県連大会に出席し、派閥裏金事件について陳謝した後、「自民党が政権を失うようなことになれば大変なことになる」と述べたそうだが、大変なことになるのは自民党と自民党の議員だ。これまで与党に居座ることで隠蔽できたモリ、カケ、サクラにかかわる公文書も下野すれば明らかにできるかもしれない。自分たちでは解明できなかった(しなかった)自民党と旧統一教会との癒着や裏金事件の発端なども明らかになるかもしれない。今でも反対の声が大きいインボイス制度やマイナカード と保険証の一体化も見直されるかもしれない。是非、政権を失って大変なことになってもらいたい。
 立憲民主党・社民の村田享子議員によって、富山選出の自民党議員、田畑裕明氏が今月予定していた政治資金パーティーについて参議院決算委員会で取り上げられた。田畑氏の政治資金パーティーについて追求していた地元のチューリップテレビが、その国会の様子を夕方のニュースで特集を組んで放送した。詳細はこちら
 田畑裕明氏は旧統一教会から支援を受けていた壺議員であり、安倍派に所属しキックバックを受け取っていた裏金議員だ。 一向に説明責任を果たさず反省もないようなので、是非次の衆院選で落選してもらいたい。

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6月8日(土)

 アマゾンに注文した耐震ポール(家具転倒防止突っ張り棒)と、油を使わずに揚げ物が調理できるノンフライヤー、Wサイズの布団セットが、まとめて昨日届いた。
 耐震ポールは、先日久しぶりに緊急地震速報が鳴ったので、廊下に置いてある大きな食器棚の転倒防止に。
耐震ポール01
耐震ポール02
耐震ポール1,955円。↓廊下にある大型の食器棚に取り付けた。
耐震ポール03
 Wサイズの布団セットは父親用。父親が週2回通っているデイサービスから、背中から腰にかけて引っかき傷があるとお知らせをいただいた。本人は痒くて引っ掻いたことはないと言っているが、何十年と同じ布団を使いほとんど天日干しもしていないので布団を買い換えることにした。ベッドがWサイズなため布団もWサイズで、近所のしまむらにも置いてないのでアマゾンで探した。敷き布団、掛け布団、枕2つ、カバー4枚、収納ケースの9点セットで1万ちょっとだった。
父親のWサイズの布団セット
ノンフライヤー01

 ノンフライヤーはキッチンのリフォーム費の残りに少し足して購入した。最初は油を使う卓上フライヤーを買おうと思ってアマゾンで探したら、油を使わないノンフライヤーという調理器具があるのを知って、こちらにした。

COSORIノンフライヤー4.7L

↓自作の食器棚の上に設置。手前からノンフライヤー、オーブントースター、電子レンジ、炊飯器とキレイに並んだ。

ノンフライヤー02
 さっそくスーパーで冷凍のコロッケとイカリングを買ってきて、ノンフライヤーで調理。カリッと仕上がったが、見た目はあまり美味しそうではない。表面にオイルを吹き付けて調理すると、もう少し美味しそうになるのだろうか。これから色々と調理テストだな。
ノンフライヤーで調理

 写真家の吉田ルイ子さんが5月31日に、胆管がんのため死去していたことを、昨日の地元紙の朝刊で知った。
 吉田ルイ子さんの本を初めて買ったのは高校生の頃で、『自分をさがして旅に生きてます』(じゃこめてい出版)というエッセイ集だった。吉田ルイ子さんが写真家だということも知らず、高岡駅前の文苑堂で手に取り、面白そうだと思って買ったのだろう。その後に、講談社文庫の『ハーレムの熱い日々』を買っている。
 高校生の頃に、これらの本と出会っていなければ、自分の人生は少し違ったものになっていた気がする。
 最近は読み返すこともなかったが、20代の頃はバイブルだった。
吉田ルイ子さん死去 「ハーレムの熱い日々」 

自分をさがして旅に生きてます

6月6日(木)

 久しぶりに奄美群島にある瀬戸内町人口世帯集計表を見たら、加計呂麻島・阿多地集落の人口が0になっていた。一年に一度くらい、この集計表を見ているのだが、この何年かは1世帯2人が続いていた。遡って確認すると今年の2月までは1世帯2人だったようだ。集落を離れてどこかへ移住されたのだろうか。
 加計呂麻島は、奄美大島の南部と大島海峡を隔てて対岸にある島。リアス式海岸の入り組んだ地形をしており、太平洋戦争の際には大島海峡沿いの海岸に特攻隊の基地が何カ所も作られた。有名なのは『出発は遂に訪れず』で知られる作家・島尾敏雄が指揮官を務めた呑ノ浦の第18震洋隊だろうか。今も呑ノ浦の海岸には人間魚雷艇である「震洋」の格納庫とレプリカがある。
 加計呂麻島には30の集落がある。車かバイクがあれば1日か2日でまわれるだろうが、島内を走る加計呂麻バスと徒歩でまわったので、トータルで10日ほどかかった。便数は少ないが、知之浦集落以外は路線バスが通っていた。
 阿多地集落を訪れたのは2011年3月28日で、記録のある2012年(平成24年)の人口は5世帯6人。路線バスの運行時間の関係で商店どころか自動販売機もないこの村で2時間以上写真を撮りながらウロウロしていたが、わずかに畑作業をしている人を見かけただけだ。それから12年の間に少しずつ人が減り、そして、誰もいない村になってしまった。
 当時一番人口の少なかった呑ノ浦は4世帯6人だったが、現在4世帯7人に増えている。それでも加計呂麻島、与路島、請島を含む瀬戸内町の人口は減り続けている。卒業シーズンの今年2月末から3月末の1ヶ月は61世帯減り、人口も139人減っている。入学シーズンの4月には多少増えるようだが。
 阿多地集落は、このまま廃村になってしまうのだろうか。
阿多地集落01
↑2011年の阿多地集落。加計呂麻島では、たいていどの集落でも青年団が作ったハブ棒(毒蛇のハブが出た時に叩く木の棒)が道に立てかけてあったが、阿多地集落では見なかった。もうハブ棒を作る青年団が無かったからか。
阿多地集落02
↑中央は村のシンボルのような大きなデイゴの木。手前のビニールシートを被っているのは土俵。デイゴの木を挟んで右にある建物は、神人が祭祀を執り行うアシャゲ。加計呂麻島ではどの集落にもアシャゲや公民館の近くに土俵があり、相撲はスポーツというより神事であることを理解した。また、本島(奄美大島)より加計呂麻島の方がアシャゲやトネヤなど貴重な建物が残っており、それを記録しておくために全ての集落を歩いた。

 今日の衆院本会議で安倍派の政治資金パーティー裏金事件を受けて自民党が提出した政治資金規正法改正案が、自民、公明、維新の賛成多数で可決した。公明や維新の意見を盛り込むことで合意に達したというその改正案の中身は<政治資金パーティー券購入者の公開基準を現行の20万円超から5万円超へ引き下げ><使途公開が不要な政策活動費は、10年後に領収書などを公開する><政治資金収支報告書の記載について国会議員本人がチェックしたことを示す確認書の作成を義務付ける>といった内容で、立憲などが求めた企業・団体献金の禁止や、議員が会計責任者と同等の責任を負う連座制の導入などは無かった。
 5万円以下なら何回パーティー券を購入しても明らかにされず、政策活動費の使い道は10年経たないと分からない。 はっきり言ってザル法だろう。10年後に公開された領収書に使い道の怪しいものがあっても、刑事罰を問える時効は過ぎているだろうし、そもそも10年後にその政治家が現役で居るのかも分からない。自民党が今回の裏金問題を、全く反省していないというのがよく分かる改正案だ。

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6月4日(火)

 昨日の朝6時半頃、能登地方を震源とするマグニチュード6.0の地震があった。家族全員起きていたが、久しぶりに携帯電話から緊急地震速報が流れてビビッタ。元旦の大地震から5ヶ月が経ち少し気が緩んでいたところだった。高岡市は震度3だったが、幸いしばらくガタガタと横揺れが続いただけで済んだ。富山県内の被害状況はこちら
 昨日、今日と2階の物置の片付けをしている。その中に懐かしい物があった。豆炭アンカだ。自分でも小学生くらいの頃に使っていた記憶がある。
豆炭アンカ01

 蓋を開けて中の窪みに赤く熱した豆炭を入れ、蓋を閉め布のカバーで包み、寝る時に布団の中に入れて暖まった。
 これは昭和遺産だろうか?捨てずに高岡市の博物館に寄贈した方がいいだろうか?と思い<豆炭アンカ>で検索すると、今でも普通にアマゾンで売られていた。値段は少々高めだけれど。

←2階の物置にあった豆炭アンカ。布のカバーもオレンジ色のアンカも使い込まれて年季が入っている。
↓真ん中の窪みに豆炭を置く。

豆炭アンカ02
電気卓上クッカー01
電気卓上クッカー02

↑こちらも昭和の香りがする調理器具。電気卓上クッカー。電源を入れると電熱線が熱くなり、その上にプレートや平鍋を置いて調理するのだろう。デザインもなんだかレトロだ。一度も使った形跡はない。たぶん父親がボーリング大会の景品で持ち帰ったのだろう。

←保証書のお買い上げ日の記入欄は昭和なので、少なくとも35年以上前の製品だろう。

↓以下、2階の物置にあった物。

物置にあった物01
↑上段左と右は、鉢と醤油入れ。料理屋さんからもらった食器だそうで、鉢に刺身を盛っていたのだろうか/中段左と右も、料理屋さんからもらった皿。酢豚とか肉団子など中華料理の盛り付けに使えそうな皿だ/下段左:陶器製の回転式オードブル皿/下段右:木製のサラダボウル。
物置にあった物02
↑上段左:一人用?ホットプレート/上段右:しゃもじ、プラスチックのレンゲ、菜箸など/中段左:ピクニックケース、紙製組立てBOX、押し寿司の型など/中段右:灰皿かと思ったが中央に穴があり同封されていた説明書にクロックと書かれていたので、時計の表示板かもしれない/下段左:灰皿付きのトレー?/下段右:プラスチックの洗面器とステンレスの桶。
物置にあった物03
↑灰皿各種。
真鍋かおりさん

 テレビのワイドショーに出演し「自民党の裏金問題があって野党が『わ〜』って言うけど、別に文句しか言ってないみたいなのが、もうウンザリって思っている」という、タレントの眞鍋かをりさんのコメントがSNSで拡散し炎上しているそうだ。
 彼女の「野党は文句しか言っていない」というのは間違いで、国会中継などを見ていれば独自の政策や対案を野党が出しているを分かるはず。「文句しか言っていない」の他にも、タレント・コメンテーターが口にする「ゴタゴタだった民主党政権時代」「混迷した民主党時代」などステロタイプな意見をテレビは垂れ流すけれど、そのコメントのファクトを番組は一つ一つチェックしてはどうか。
 流石にこれまで自民党を擁護していた評論家やコメンテーターでも、裏金事件を契機に自民党への批判を口にするようになった。ただ残念なのは、彼らは自民党批判とセットでこうしたステロタイプな野党批判も垂れ流して、政権交代への機運を阻害しようとしている節がある。
 なんだかんだ言っても自民党政治は安定感があるというのもステロタイプで、正しくは<自民党は安定して酷い政治をずっと行ってきた>だろう。

←眞鍋かをりさん。ブログの女王と呼ばれていた頃に2度、雑誌の仕事で撮影したことがある。

 こちらに、民主党時代の政策実現力と危機対応力を検証した記事がある。安倍氏が「悪夢の民主党政権」などと繰り返し言っていたが、「本当の悪夢は安倍自民党政権」ではなかったか。そして、その悪夢は現在進行形だ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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6月2日(日)

 昨日の晴天とは打って変わって、今日は明け方から激しい雷雨だった。

 2009年に亡くなったトノバンこと加藤和彦さんを追ったドキュメンタリー映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』が、5月31日から公開されている。
 映画公開に合わせて様々な記事がネットに上がっていて、久々に聴きたくなって1983年にリリースされた加藤さんの8枚目のソロ・アルバム『あの頃、マリー・ローランサン』が家にあった筈とレコードを探してみたが見つからなかった。音楽雑誌にレコード紹介の記事を書いていた頃のアルバムで、見本盤を貰ったがカセット・テープで頂いたのかもしれない。加藤さんのソロ・アルバムは音楽そのものよりも、個人的には金子國義さんの絵がジャケットに使われているのが強く印象に残っている。
 トノバンという愛称は、加藤さんが昔、イギリスのフォーク・シンガー、ドノヴァンに心酔していたからという話を聞いたことがあるが、 wikiを見ると<かつてはドノヴァン(Donovan)との関係から「トノヴァン」と呼ばれることも希にあったが、加藤がドノヴァンを批判するようになってからは「殿番」の意味合いも兼ねて「トノバン」と呼ばれてた。本人の署名も"TonoB"だった>と書かれていた。
 加藤さんは1988年11月、桐島かれんをボーカルに据えてSadistic Mica Bandとして再結成した時にインタヴュー写真を撮影している。品川の寺田倉庫にあるスタジオで、レコーディングの合間の取材だったと記憶している。
 ドノヴァンは1997年5月に、やはり音楽雑誌の仕事で撮影している。来日アーティストの撮影は宿泊しているホテルの部屋が多いが、ドノヴァンの場合はホテル・オークラだった。京王プラザ、キャピトルホテル東急、六本木プリンセスあたりで撮影することは多かったが、オークラでの撮影はこれまでドノヴァンだけだ。トノバンとドノヴァンの二人を仕事で撮影したことがあるというのが、密かな自慢だった。
 加藤和彦さんが2009年10月16日、今野雄二さんが2010年7月27日、中村とうようさんが2011年7月21日。3人続いた自死は、自分の中では一連の出来事のようで気持ちが重くなった。
時代を駆け抜けた「天才」加藤和彦 没後15年、トノバンの衰えぬ魅力
加藤和彦のいったい何がそんなに凄かったのか 映画「トノバン」に表れる先進と諧謔と洗練
高橋幸宏の一言から始まった!「トノバン 音楽家加藤和彦とその時代」のいったい「その時代」とは?

トノバンとドノヴァン
↑トノバン(左)とドノヴァン(右)。
写真データの現像作業
 今日は早朝から昨日撮影したライヴの現像作業。たぶん明日の午前中には目処が立つかな。

5月へ