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12月31日(日)

 ポストカード・ギャラリー #20 永島慎二
永島さんのポストカード01
永島さんのポストカード02

 絵の上手い人だな、と思う。プロの漫画家だから当たり前なのだが、それでもそう感嘆せずには居られない。
 このポストカードは、2008年にまんだらけ出版から発売された単行本『フーテン』の購入特典として付いてきた中の一枚。
 永島さんの代表作でもある漫画『フーテン』を買ったのは、これが3回目だった。一番最初は高校生の時で、町内にあった滝田書店か高岡駅前の文苑堂で購入した講談社の漫画文庫シリーズ。これは上中下の3冊に分かれていたが、どこに行ったのか書棚には下しか残っていない。
 次は筑摩書房のちくま文庫から発売された『フーテン(全)』という1冊にまとまった本だった。奥付けを見ると1988年9月27日第一刷発行と書かれているので、20代後半か30代前半に買ったのだろう。
 永島さんの『フーテン』『若者たち』『漫画家残酷物語』は、若き日のバイブルだった。また、漫画だけではなく、永島さんの書く文章にも惹かれて日記やエッセイも買い求めていた。
 永島さんが書かれた文章で特に好きなのは、『真夜中のせんたく』(創樹社美術出版)に収録されている「夜の随想」(初出1982~3年新日本文学)と題された23編の随筆。
 その中の一つから。

 午後ふかく目覚めると、わたしは頭を何度かふってから外に出る。
 その一日を確実に終わらせようと歩く人々の街を右にまがった小さなコオヒイ店に入るためだ。
 透きとおる香りに、ゆっくり広がるミルクを見てから、ひとつの宇宙を口にする。
 まるで、めっちゃくちゃな私の日常の行間に、ふとおとずれるささやかな熱中を、少しずつセメダ   
 インで接着するようにしてまんがを描こうとする、気だけが走る。
 気がつくと夜。そして秋なのだ。
 秋の夜は長い、といわれているが、パイプタバコに火を入れて、虫の音を聞いているだけで明けて       
 しまうほどの長さかな、と思う朝がある。
 時の流れが、そんなわたしの歩みをスルリと越えて、先に行く。

『真夜中のせんたく』「夜の随想」十四から。
 
 この随想も、そして日記の端々にも独り過ごす夜がしばしば綴られている。それは夜を旅した旅行記のようでもある。その夜の旅は素敵な事ばかりではなく、むしろ辛い時間の流れであったかも知れないけれど、それでもなお、そんな時間に、夜の旅に憧れる。
 自分自身はもうずっと昼と夜が逆転するような生活はしていない(かと言って朝早いわけでもないけれど・・・)、最近徹夜した記憶もない。まあ、普通な生活だ。それに不満もないけれど、永島さんの本を読んだ後は、なんだか自分もまた夜を旅したくなる。

 アホの坂田で親しまれた坂田利夫さんが29日、老衰のため亡くなったというニュースが今朝、流れてきた。今はテレビのお笑い番組に興味はなく見ることもないのだが、小学生の頃は土曜のお昼に放送されていた吉本新喜劇を見るのが楽しみだった。

 バイデン大統領がロシアのミサイル攻撃でウクライナの産婦人科病院などが被害を受け市民が犠牲になったことに対し「残忍な攻撃」と非難し、プーチン大統領を「止めなければならない」と述べたそうだ。ならばロシアと同じかそれ以上に残忍な攻撃を行なっているイスラエルのネタニヤフ首相も非難し止めさせたらどうか。

 1階のリフォームが完成し、今年はゆっくりアナログのレコードを聴くことが増えた。一番聴いたのはLaMONT JOHNSONのアルバム『NINE...』かな。YouTubeから「NO,I NEVER END」。

 よいお年をお迎えください。

12月29日(金)

 クリスマスが終わると、一気に年末モードが加速し色々と片付けなければと気が焦る。
蜜ロウワックスの大きさの比較

 リフォームした1階のテーブルやフローリングの床にワックスをかけて1年ほどが経つので、先日購入した未晒し蜜ロウワックスで磨いた。昨年はテーブルやベンチの脚までワックスで磨いたが、今回は天板や背もたれなど目に付くところだけにした。

←左が今回楽天市場で購入した1リットル缶7,999円、右が昨年アマゾンで購入した300ml缶3,900円。

フローリングのワックスがけ
↑杉材のカフェ板を張ったフローリングのワックスがけ。左側の濃い部分がワックスでツヤを出したところ。
流木01

 家具と床のワックスがけが終わったので、勢いで家の玄関と廊下に放ってあった流木にもワックスをかけることにした。父親が買ってきたらしいが、ホコリを被って白くなっている。

←廊下に放ってあった流木。左の色が濃くなっている部分が、ワックスでツヤ出ししたところ。

↓玄関に放ってあった流木。左がビフォー、右がアフター。

流木02
↓ワックスをかけて艶々になった流木を、オブジェとして1階のギャラリーに飾った。
流木のディスプレイ
↓右が今回のワックスがけで減った部分。この感じだと2〜3年は使えそう。
ワックスの減り具合

 DEEokinawaの年末恒例となった<沖縄で2023年になくなってしまったもの、なくなってしまうもの>を見ていたら、ハイウェイ食堂が9月30日で閉店したと書いてあってちょっと驚いた。那覇で過ごした2年間は基本自炊だったが、自炊に飽きたり料理を作る元気がない時に外食することがあった。外食の際のお気に入りのお店が那覇市若狭にある高良食堂と、国道58号線沿いにある前島のハイウェイ食堂だった。どちらも安くて量があり、メニューも豊富だった。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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12月27日(水)

 仲井真元沖縄県知事が辺野古の埋め立て申請を承認してから、今日で10年が経った。
 10年前の12月27日は、前々日の25日に続き辺野古新基地建設反対を求める包囲行動が行われ、県庁だけではなく隣接する市役所まで人間の鎖が繋がっていた。
10年前の沖縄県庁前抗議行動01
↑この頃は衆議院議員だった玉城デニー氏も、県庁前広場で抗議行動を行なっていた。この日の様子はこちらに。
10年前の沖縄県庁前抗議行動02

 その埋め立て申請を承認した仲井真元沖縄県知事が今日、共同通信の単独インタビューに応え、普天間返還が実現していない現状を「全く予想できなかった」と述懐したそうだ。
  埋立て承認が行なわれる2日前の2013年12月25日、安倍首相が仲井眞知事との会談で伝えた負担軽減策の骨子は、
(1)普天間飛行場の5年以内の運用停止や牧港補給地区の7年以内の全面返還について、防衛省内に作業チームをつくって検討する。
(2)オスプレイの訓練の半分を県外に移転する。
(3)日米地位協定に関連して、基地内の環境保全に関連する立ち入り調査を行えるよう米側と交渉に入る。
 というものだった。
 辺野古埋め立て承認の記者会見で仲井眞氏は、基地の県外移設という公約と辺野古の埋立て承認の整合性について記者の質問に応え、このように述べている。
「辺野古の建設完了というのはなかなか時間がかかるし、難しかろうというのが現実ですよ。日米両政府は9.5年かかると言っている。ですから9.5年あのまま宜野湾に(普天間飛行場が)あり続けるというのは固定化と変わりませんよ。早く宜野湾から辺野古に移設すべきだというのが私のかねてからの主張ですから、9年半より前にもっと短い5年以内に移設してもらいたい。5年以内に辺野古が完了すればこちらの方が早いですよ、ですから現実の見通しの問題です。むしろ(辺野古の工事が)長引く事はあっても短くなる事は苦労がいるだろう。ですから(9.5年以内の)半分位もしくは以下の期間で処理するには県外に移すしかないというのははっきりしているんじゃないでしょうか」。また「一国の総理と話し5年以内に普天間の運用停止状態に持って行くとおっしゃった」とも語っている。まあ、仲井真氏の言っていることは屁理屈としか思えないし、当時の総理は息を吐くように嘘をつく人だった。 

 辺野古沖の地盤改良工事を巡り、福岡高等裁判所那覇支部が「工事の申請を承認せずに放置することは社会公共の利益を侵害する」などとして沖縄県に対し工事を承認するよう命じたが、玉城デニー知事は今日、判決を不服として最高裁判所に上告した。しかし、福岡高裁那覇支部の判決を受けて斎藤国土交通大臣が明日にも県に変わって工事を承認する代執行を行う予定だ。
 裁判所は工事の申請を承認せず放置することは社会公共の利益を侵害するというが、マヨネーズ状ともいわれる軟弱地盤の工事が始まれば莫大な税金が使われることは間違いないし、地盤を固めるために約7万7000本の砂の杭を打ち込むという実績のない地盤改良工事が本当に出来るのかもわからない。仮に出来たとしても完成後に沈下する恐れがあると指摘する専門家もいる。
 2019年に行われた普天間基地の移設計画に伴う名護市辺野古沖の埋め立てへの賛否を問う県民投票で、反対が7割を超えた。マイナ保険証の利用率が約4.5%にも関わらず来年秋に紙の保険証廃止を決めることも、資材価格や人件費の高騰で予算が膨れ上がり懸念の声が多数上がる中でも立ち止まることが出来ない大阪万博も、民意など関係ないという政治の表れで、根は同じだろう。


 日本政府は26日の閣議で、イスラエルへのテロ攻撃に関与したイスラム組織ハマスの幹部3人について、資産凍結の制裁対象に追加することを決めた。しかし、現在起こっていることはイスラエル軍によるガザ市民への虐殺だ。日本政府は、ネタニヤフを始めとするイスラエル幹部への制裁も行なったらどうだ。アメリカの世論調査で、イスラエルに寄り添うバイデン 大統領を、米国の若い世代の7割が支持しないという結果が出た。

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12月25日(月)

 今日で奄美群島が日本に復帰して70年が経った。
奄美群島政府の写真

 添付した写真は、奄美群島日本復帰40周年記念写真集『満天の星のごとく・・・』に掲載されていたもの。キャプションには<昭和27年3月 奄美群島政府の正門前で、工務部交易事業課の職員一同。後ろの建物は昭和37年に建て替えられるまで県大島支庁の庁舎として使われた。【提供】有馬三男(名瀬市)>と書かれている。

 沖縄(琉球国)は大和と米国による侵略と支配に翻弄された歴史だが、奄美もまた同じく侵略と支配が繰り返された悲しい歴史を持つ。奄美世(あまんゆ)と呼ばれる時代から、琉球王国に支配された那覇世(なはゆ)、薩摩藩に支配された大和世(やまとゆ)を経て、敗戦後はアメリカに統治され、1953年12月25日に日本復帰を果たす。
 アメリカに統治された後、日本復帰までの奄美群島の行政は目まぐるしく変わっている。
◯1946年2月2日、北緯30度以南の奄美諸島が日本の行政権から切り離される。10月に臨時北部南西諸島政府が発足。
◯1950年11月に奄美群島政府に昇格。
◯1951年4月、琉球臨時中央政府を設立し、群島政府は廃止を決定。
◯1952年4月、琉球政府を発足。奄美の行政は沖縄と一体化。
◯1953年12月25日、奄美諸島が日本へ復帰。

 奄美群島が沖縄より20年ほど早く日本に返還されたのは、山が多く海岸線は入り組んだ平地の乏しい地形にあったとも言われている。
 奄美大島の南部、瀬戸内町には大島海峡沿いに旧日本軍の要塞跡がいくつかあり、これらを国の史跡に指定しようという動きがある。その一方で、政府は再び自衛隊による南西諸島の要塞化を進めている。
 奄美大島には2019年に名瀬大熊に奄美駐屯地、瀬戸内町に瀬戸内分屯地を開設しているが、先月27日から自衛隊の物資輸送の拠点として新たに整備を計画している港湾施設の適地検討に関連し、瀬戸内町須手地区で地質の強度などを確認するボーリング調査が始まっている
奄美群島 日本復帰70年 復帰運動に尽力した先人の苦労をしのぶ
歴史のバトン未来へ 復帰70年、名瀬小で集会 「断食悲願」朗読も 奄美市
おがみ山で市民のつどい

12月24日(日)

家は神道ですが、Merry Christmasu!

 ウクライナとガザに早く平穏が訪れますように。
 ミニー・リパートンの歌うクリスマス・ソング「Silent Night」。
メリー・クリスマスの写真
 上の写真は2007年の暮れに撮影したスナップ。向島辺りだったろうか。湯島にある出版社へ写真データを入れたCD-Rとサンプル・プリントを届けに行った後、湯島天神でお参りして、台東、元浅草、寿、西浅草と歩いて浅草寺へ。それから花川戸で言問橋を渡って向島、東向島まで。途中、鳩の街通り商店街のとり肉屋さんで5本400円の焼き鳥を買い、つまみ食いしながら歩いた。帰りは東向島から向島、花川戸とほぼ来た道を辿って浅草へ。浅草の立ち食い蕎麦屋で天丼と冷たいお蕎麦のセットを食べ、新宿で買い物をして帰宅した。
グレーの背景布

 アマゾンで注文したグレー系ムラバックの背景布と、楽天市場で注文した未晒し蜜ロウワックスが昨日届いた。

←アマゾンで買った背景布。2.3X3mのサイズで、送料込み3,000円。先ずは、アイロンがけからしなくては。

↓楽天市場で買った蜜ロウワックス。Cタイプの1リットル缶で、7,999円。最初はアマゾンで探したが9,100円だったので、検索してこちらにした。

未晒し蜜ロウワックス

12月22日(金)

 未明にブルドーザーが家の前の道路を除雪していく音を聞いた。朝起きて外を見ると、しっかりと雪が積もっていた。
大雪
雪かき
 朝ご飯を食べてから、家の前の駐車場を雪かき。車1台分だけ駐車できればいいだろうと雪かきしておいたが、それでは不満なようで父親が後から雪かきを始めた。寒いし転んだら大変だが、言うことを聞くはずもなく駐車スペース全ての雪かきをしていた。まあ、スコップを持っている方が転ばないような気もするし、運動になるかなと思い放っておいた。草むしりとか雪かきが好きなんだろう。

 しばらく前から今年5月にヤフオクで購入したiMacのソフトウェアのアップデートを促す表示がされていたのだが、ようやく今日の午前中にアップデートした。6月の終わりにも一度アップデートしていて、その時はOSバージョン11.6から11.7.8にアップデートされた。今回のアップデートでは11.7.8から11.7.10となった。しかし、OSのアップデートは緊張する。インストールにけっこう時間がかかり、残り約10分の表示から時間がやたら長く感じられた。もし途中でインストールに失敗したらと、毎回不安でしょうがない。

OSのアップデート
 近年はバイオディーゼルの原材料として需要が高まっている廃食用油だが、沖縄県内から2022年に輸出された揚げ物料理などで使用した廃食用油の輸出が約2258トン、約3億9180万円で数量と金額ともに過去最高だったという記事が沖縄タイムスに掲載されていた。
 年間に2258トンか・・・この記事を読んで、沖縄の天ぷら事情を思い浮かべた。沖縄の天ぷらは、衣がぼってりしている。そして衣に既に味が付いているので、ソースや天つゆなしでも食べられる。一つが50円前後と安いので、ついついアレコレ買ってしまう。ご飯のおかずでもあるが、小腹が空いた時におやつ代わりに食べるものでもある。2012年に食べた宮古島の人気店、くになか食堂の天ぷらは小さいけれど4つで100円だった。現在は値上がりして1つ40円になったらしい。同じく宮古島で立ち寄った天ぷら屋さんは5個で150円だったが、おまけしてくれて野菜天ぷら2個と魚天ぷら5個が入っていた。
 そんなわけで、沖縄には天ぷらを売る店がたくさんある。天ぷら屋の他に、市場やスーパー、総菜屋に弁当屋でも売られており、売っている店はそれこそ星の数ほどありそうだ。沖縄の揚げ菓子として有名なサーターアンダギーも別名は砂糖天ぷらだ。これほど左様に沖縄の食文化には揚げ物が浸透しているので、廃食用油も大量に出るのではないだろうか。
天ぷら屋

←那覇の上之屋に住んでいた時、近所を自転車でぶらぶらしていて見つけた天ぷら屋。住宅街のど真ん中で、家の庭の2畳ほどのスペースで営業していた。

↓閉店時間の5時まで後30分程の時間、残っていた中から野菜、もずく、魚肉、竹輪のチーズ入りを一つずつ購入。どれも50円。左端の小さいのは、おまけで入れてくれたサーターアンダギー。

天ぷら

12月21日(木)

 今シーズン最強寒波が襲来しており、今日は朝から雪。雷が鳴り雪の降る中、午前中にミュゼふくおかカメラ館へ安念余志子写真展を見に行き、その帰り郵便局とスーパーへ寄ってきた。スーパーからの帰りは風が強くて、途中、傘をさすのを諦めたこともあった。これから明日にかけて雪が降り続く予想で、県内では明日臨時休校を決めた学校もあるそうだ。

 射水市の放生津八幡宮に伝わる「曳山・築山行事」が、ユネスコの無形文化遺産に登録されている「山・鉾・屋台行事」の構成要素の1つとして追加提案する候補に選ばれた。この放生津八幡宮の曳山と築山行事については、以前こんな文章を書いている。

 連合の芳野会長が立憲民主党に対し、民間団体「市民連合」が仲介する共産党との会合には今後参加しないように求めたそうだが、どういう立場でどういう権限でこんなことを言ってるのだろうか。

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 今年2月、アマゾンで20%引きで4,790円になっていた背景スタンドを買った。値段よりはしっかりしたモノだったが、やはり背景布を吊るすバーは弱々しく、左右のスタンドも軽いので不安定だ。そこで少し改良を加えた。
 バーは4本繋いで3m幅として使えるのだが、4本繋ぐと中央でたわむ。バーがたわむと吊るした背景布にシワが出来る。そこで近所のホームセンター、コメリで1.66~3mに伸縮する物干し竿を買ってきた。
 最初の目論見は、これまで背景布は折りたたんでしまっていたのだが、これだと使用する時にたたみジワが出来るので、物干し竿にクルクルと巻きつけて収納しようと考えて買ってきた。しかし、物干し竿の両端にプラスチックがはめ込んであり、そこに穴が空いていた。上手くすると収納だけではなく、背景布を吊るすバーとしても使用できるのでは?と閃いた。穴はスタンドの上部についているバーと接続するネジを差し込むには少し小さかったので、ドリルで広げてやった。物干し竿の両端にある穴をドリルで広げてネジに差し込み、スタンドに取り付けると最大幅3mまで伸ばしてもたわむことがない。物干し竿自体が太めでしっかりしているので安定感もある。何より1本698円と安いので、背景布の数だけ購入してクルクル巻いて収納し、使用するときはそのままスタンドに固定してバーになるのが良い。
 それから、左右のスタンドには手頃なウエイトを取り付けた。ダイソーで布のバックを2つ買って来て、その中に水を入れた2リットルのペットボトルを2つずつ入れる。これをウエイト代わりにしてスタンドにぶら下げると、軽いスタンドも若干安定する。
背景スタンドと物干し竿
↑左は、今年2月に4,790円で購入した背景スタンドのセット。右は、手前がセットに付属していた4本繋いで3mになるバー。奥が3mまで伸びるコメリの伸縮物干し竿。
物干し竿の両端にあるプラスチック部品の穴を広げる
↑左は、物干し竿の端に付いている穴。右は、スタンドのネジを差し込むには小さいのでドリルで穴を広げたところ。
スタンド先端のネジに物干し竿の穴を通す
↑スタンド先端に付いているネジに、物干し竿の穴を差し込む。これでバッチリ固定出来る。
バーの比較
↑左が背景スタンドのセットについてきたバーを4本繋いで3mにした状態。右はコメリの伸縮物干し竿を3mにした状態。両側のスタンドにぶら下がっている布製バッグの中には水を入れた2リットルのペットボトルが2本ずつ入っている。
背景布01
↑2.7mX7mの背景布。色はイエローのムラバック。バーは物干し竿を使用。以下同じ。
背景布02
↑2.7mX7mの背景布。色はグリーンのムラバック。
背景布03
↑2.7mX7mの背景布。購入した際、色はダーク系と表示してあったような。
背景布04
↑3mxX6mの背景布。色は茶系のグラデーション。
背景布05
↑2mX2mの背景布。色はシャンパンゴールド。
背景布06
↑1.5mX2.2mの背景布。色はブルーがかったグリーン?
背景布の収納
↑物干し竿にクルクル巻きつけて収納。折りたたんで収納するより場所は取るが、折りじわが付かない。

12月18日(月)

 朝、窓を開けると雪が積もっていた。平野部での積雪は今季初めてだろうか。富山市で6センチ、高岡市で1センチだそう。
積雪

 日本と東南アジア諸国連合(ASEAN )の友好協力50周年を記念する特別首脳会議が昨日、都内で開かれた、岸田首相はインフラ整備や気候変動対策などに今後5年間で350億ドル(約5兆円)の官民投資を実施すると表明したそうだ。国内のインフラ整備すらままならないのに、どこにそんなお金があるのだろう。また、今後10年で1000万人を目指す人的交流事業「次世代共創パートナーシップ」に400億円、研究者のネットワーク強化に150億円と、海外に良い顔を見せたいのか気前良くお金をばら撒くようだ。
  出版社、宝島社の社長・蓮見清一さんが亡くなったそうだ。自分が雑誌『宝島』の撮影をしていたのは、まだ宝島社になる前、JICCの頃だった。定期購読していた1970年代後半から80年代前半の『宝島』はA5判サイズで音楽はもちろん様々なサブカルチャーの情報が詰まった、まさに雑誌だった。その宝島の仕事がしたくて80年代の後半に売り込みに行ったのだが、もうその頃はA5判からA4判に変わっていた。一番最初にもらった仕事は、電気グルーヴの前身、人生の撮影だったと思う。
 今、アマゾンのメンズファッションメガネ部門の売れ筋ランキング1位がこれだそう。

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 昨日から浅草寺の羽子板市が始まった
 羽子板市を初めて見に行ったのは2003年だから、もう20年前だ。それから奄美大島へ移住する前年の2009年まで、散歩がてら毎年見に行っていた。酉の市もよく足を運んだが、師走を感じられるのは年の瀬も押し迫った羽子板市で、東京もこの頃にぐっと寒くなった。
 羽子板市の露店を眺めてから、浅草寺の周辺を少し歩いて合羽橋、上野と歩いて帰ることもあれば、隅田川を渡って向島、東向島まで足を延ばすこともあった。途中、鳩の街通り商店街の鳥肉屋で大きな焼き鳥をお土産に買うこともあった。
 まだインバウンドなんて言葉が浸透していない頃で、浅草の夜は早く外国人観光客もそれほどいなかった。冷たい空気と暗い街灯の路地を、民家の窓明りをボーッと眺めながら散歩するのが好きだった。
 初めて羽子板市を見に行った2003年、浅草寺の前に並ぶ露店をウロウロしていたら女性に「写真を撮ってもらえませんか?」と声をかけられ、レンズ付きフィルムを渡された。「誰を撮るの?」と聞くと、背負っている子供を見せて、なんだかとっても嬉しそうに「じゃあ、私とこの子を羽子板のお店をバックに」と返ってきた。レンズ付きフィルムはほとんど使ったことがないので、ちょっと心配になりながら、パチリ。あまりに女性が嬉しそうだったので、ちゃんと写っていますようにとお祈りした。

 あと一週間でクリスマス。クリスマスが過ぎれば、あっという間にお正月だ。羽子板市は明日、19日まで。

羽子板市01
↑↓2009年の浅草・羽子板市。12月18日に撮影。
羽子板市02

12月17日(日)

 昨日は季節外れの暖かさで、昼間は暖房も要らないくらいだった。昼ご飯に賞味期限が近づいていた蕎麦を茹で、スーパーで買ってきた天ぷらと一緒に、冷たいおろし蕎麦を食べた。
 予報では、今日の天気は一日雪。平野部でも積雪が5センチという予想だったが、昼前に霰がバラバラとトタン屋根を叩く激しい音がしたけれど、それもすぐに止んで晴れのち曇り時々暴風雨の空模様になった。たぶん霰と一緒に雪も降ったのだろうが、一瞬白くなった道路もすぐに溶けて黒くなった。一応、これが初雪だろうか。
初雪?

 政治資金パーティーを巡る裏金疑惑で、東京地検特捜部が安倍派議員への任意の事情聴取を開始したそうだ。高額の還流(キックバック)を受けた議員から聴取するとみられ、対象は数十人に上る見通しだという。政治資金規正法違反だけではなく脱税の疑いもあるので、ゆくゆくは国税庁にも捜査して欲しい。
 先日、宮沢博行防衛副大臣が国会内での記者会見で自身が還流を受けていたことを認め、「大丈夫かなとは思ったが、長年やっているんだったら適法なのかなと(思った)」と話した。常識的に考えれば違法だとわかるだろう。政治家というのは法律を作る立場の人間で、そんな人物が「長年やっているんだったら適法なのかな」などと言うのであれば、そもそも議員の資格はない。
 安倍派所属の鈴木淳司前総務相に到っては、2018年から22年の5年間に60万円の裏金を受け取っていたことを明らかにした上で、キックバックについて「この(政治の)世界で、文化と言えば変だが、そういう認識があった」と述べた。”裏金が文化”とは、開いた口がふさがらない。
 安倍派の関係者が「5枚以上買ってくれたら<桜を見る会>に1人ご招待します」とお願いして買ってもらったことがあると証言している。安倍政権が桜を見る会の招待者名簿を頑なに開示しようとしなかったのは、こういうことだったのだろう。今回のパーティー券裏金問題から飛び火して、桜を見る会の問題が再度注目されることを期待する。
 経団連の十倉会長が、国からの政党交付金制度があるにもかかわらず経団連が毎年約24億円の政治献金を自民党側に続けていることを問われ、「民主主義を維持していくにはコストがかかる。企業がそれを負担するのは社会貢献の1つだ」などと驚くような発言をしたが、コストがかかるのは自民党の金権政治であり派閥政治だ。経団連のような大企業が政治献金をするから、中小零細や個人に不利益で大企業有利な政策が取られる。本当に民主主義を実現し維持しようと思うなら企業献金や政治資金パーティーなど一切やめたらどうか。
 政治家がお金と票を集めることばかりに注力するため立法はおざなりで、アメリカの要望や旧統一教会、日本会議といった組織の提言ばかりを聞く政治になっている。その結果が、著しく低下した今の日本の国力だろう。

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 ポストカード・ギャラリー #19 野々下猛
野々下さんのポストカード
カードの裏のサイン
 野々下さんはフォトグラファーであり、プロのプリンターでもある。写真家・伊島薫さんの暗室アシスタントを経てフリーランスになった人だ。
 野々下さんに初めて会ったのは、ミュージック・マガジン社の社内デザイナーだった荒川典久さんが独立する時に開いた飲み会の席だった。荒川さんが、やはりフォトグラファーの富井昌弘さん、野々下猛さん、そしてボクに声をかけ、4人で集まった。荒川さんのテリトリーだった新宿で何軒かハシゴして、別れたのは朝方だった。
 写真は、野々下さんも出展されていたプロのプリンターによる写真展『プリンターズ展』を見に行った際、後日お礼の手紙と一緒に封筒に入れられていたポストカード。プリントなのか印刷なのか分からないが、裏に鉛筆でサインが入っている。

12月14日(木)

 岸田内閣の支持率が17.1%と、2012年12月の自民党政権復帰後の調査で最低を更新した。また自民党の政党支持率も18.3%と、政権復帰後の最低を更新した。もちろん岸田首相の政策や人柄に批判が集まっての数字ではあるが、旧統一教会や今回のパーティー券裏金問題は安倍元首相に起因する。ポスト岸田の話も色々あるようだが、岸田氏を下ろして自民党が良くなる話では全然ない。それにしても民主党政権が誕生する直前の麻生内閣の支持率13.4%というのはなかなか超えられない凄い数字だと思う。こんな数字を作った麻生太郎氏が、今でも党内で大きな顔をしていられるのが不思議だ。

マイナ保険証で「いったん10割負担」が141件あった 6割近くの医療機関でトラブル 保団連が実態調査
入所者100人でマイナ保険証の預かり「ゼロ」 葛飾区の特養ホームが望むのは現行保険証「残してほしい」
混乱必至…保険証に代わる「保険証もどき」まで乱立 いったい何種類あるの?
↑こんな状況で「マイナンバーカードはデジタル社会における公的基盤だ」「国民の不安払拭のための措置を踏まえ、予定通り、現行の健康保険証の発行を来年秋に終了し、マイナ保険証を基本とする仕組みに移行する」と述べる岸田首相。誰の声を聞いたら、こういう判断になるのか。マイナンバーカードの取得は義務ではなく任意、そんなものと保険証を一体化しようとするから不都合が生じるし、無駄なコストもかかる。今ある健康保険証を継続すればいいだけの話だろう。

 アメリカのバイデン大統領がガザへの攻撃を続けるイスラエルのネタニヤフ政権について国際社会で「支持を失い始めている」と警告したそうだが、そのイスラエルに武器154億円分の緊急売却を承認したのはアメリカだし、安保理の停戦決議に拒否権を行使して否決したのもアメリカだ。ネタニヤフ政権同様、バイデン政権も国際社会で「支持を失い始めている」のではないだろうか。

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 ポストカード・ギャラリー #18 富井昌弘
富井さんのポストカード
 ある日、ミュージック・マガジン社に撮影した写真を届けに行くと、何人かの編集者とデザイナーがこれからスタジオエビスで開催している富井昌弘さんの写真展を見に行くと言うので同行することにした。
 富井さんの名前は雑誌の撮影クレジットで知っていたが、会ったことはなかった。ゾロゾロと会場へ行き富井さんを紹介してもらい、展示写真を収載した限定部数の写真集『THROUGH THE PAST DARKLY』を購入した。写真集の後ろのデータを見ると1999年のことで、写真集に入れてもらったサインの日にちを見ると5月7日のことのようだ。
 次に富井さんに会ったのは、大鷹俊一さんの連載「レコード・コレクター紳士録」をまとめた単行本の完成打ち上げの席だった。単行本には連載の再掲載だけではなく、撮り下ろしの企画ページもあり、富井さんは単行本の表紙と撮り下ろしのカラーグラビアを担当していた。
 この写真は2005年2月、青山に新しくオープンした小さなギャラリー『PEACE GALLERY』で開催された富井さんの写真展を見に行った際にいただいたポストカード。オーロラ、流氷、満月など確か5枚ほどセットになったものをいただいたが、これはパリの子供。男の子?だろうか。

12月12日(火)

 あ~、あの時撮影しておけばよかった、と思うことは度々ある。かつて銀座にあった英国チューダー様式の建物、交詢ビルもその一つだ。
 交詢ビルは福沢諭吉を中心に設立された日本初の社交クラブ、交詢社の本拠地として1929年(昭和4年)に建てられたビルだが、2004年に老朽化に伴い建て替えられてしまった。現在は旧建物のファサードだけが新しいビルの一部分として保存されている。
サン・スーシー01


 建て替えられる前の交詢ビルの1階にはバー「サン・スーシー」、ビアホール「ピルゼン」がテナントとして入っていた。2店の位置は、ビルの裏表にあったと記憶している。交詢ビルの入り口は「サン・スーシー」の側だったろうか。「サン・スーシー」「ピルゼン」共に雑誌や書籍の仕事で店内は2回ずつ撮影しているが、交詢ビル全体の外観などは撮影していなかった。
 2000年代の初め頃、休日に4x5のカメラを担いで都内の建築物や風景をモノクロ・フィルムで撮影していたことがある。2003年の6月の終わり、銀座で電車を降り、4x5のカメラを担いで交詢ビルのあった場所まで歩いてみたが、ビルのあった場所を囲む3辺の通りが塀で覆われて中が見えなくなっていた。

 『報道写真の青春時代 名取洋之助と仲間たち』という本によれば、名取洋之助は昭和8年に写真家を集めて報道写真の仕事をする日本工房を設立するが、 事務所は銀座の交詢ビルにあった。バー「サン・スーシー」は、交詢ビルが落成した昭和4年にオープンしている。名取洋之助らが、このバーで飲むことはあったのだろうか。

サン・スーシー02
↑バー「サン・スーシー」。店名は谷崎潤一郎が命名したという。1989年に発売の『東京★横浜BAR GUIDE』用に撮影した。バースプーンを持つ男性は当時のバーテンダー、野村保さん。カウンターの後ろと窓にステンドグラスが使われていた。カウンター席の反対側には椅子席がある。カウンター左端に懐かしい黒電話が置かれている。ネットの情報によれば2001年の交詢ビル解体に伴い移転したが、1年ほどで閉店したそうだ。
ピルゼン01
ピルゼン02
↑ビアホール「ピルゼン」。柴田書店のMOOK『居酒屋 第12号』の「特別企画 ピルゼンの1万8000日」という頁用に撮影した。ピルゼンのオープンは1951年(昭和26年)9月。交詢ビルの解体に伴い2001年9月20日に閉店した。上左はピルゼンの外観、上右は2代目店主の斎藤誠彌さん。下の写真の奥に巨大な木製ビア樽が見える。ピルゼンの椅子は、立山・粟巣野の家具メーカー、KAKIのモノが使われているそうだ。

 岸田首相は安倍派の政治資金パーティー裏金問題を巡り、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、鈴木淳司総務相、宮下一郎農林水産相の4閣僚交代の人事を14日に実施する意向のようだ。西村康稔氏は8日、政治資金パーティー券を巡る疑惑について「うみがあるとすれば出し、信頼をいただけるよう取り組まなければならない」と話したが、あなた自身が膿(うみ)だったということだろうか。しかし、本当に自民党の中から膿を出し切ったら党自体が空気の抜けた風船のようにペシャンコなるのではないかと思う。それほど今の自民党政治は酷い。

 イスラエルの攻撃による、ガザでの死者が1万8000人に達する。燃料や水、食料の供給も制限され、医療も崩壊状態だという。今月8日、国連のグテーレス事務総長が停戦を求めるよう安全保障理事会に要請し、人道目的の即時停戦を求める決議案の採決が行われた。参加した15か国のうち日本やフランスなど13か国が賛成したが、イギリスは棄権、そしてアメリカが拒否権を行使し決議案は否決されてしまった。また、停戦決議を否決しただけではなく、ハマスと戦闘を続けるイスラエルに対して戦車用の砲弾など約1億650万ドル(約154億円)相当の武器売却を承認した。もうアメリカは平和主義も人道主義も捨ててしまったのか、いや、そもそもそんなものは持ち合わせていなかったのか。アメリカはイラク、北朝鮮、イランを指してならず者国家と呼んでいるが、アメリカもその称号に十分値する。

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(社説)米の拒否権行使 ガザの危機深める短慮
住用・役勝川で激減 1万4千匹余、前年の6割 リュウキュウアユ数値検討会 奄美大島
マイナンバーとひも付けの保険証情報 台帳と不一致 約139万件
銀座の草分けマダム

12月10日(日)

 先日、母親の米寿の祝いで食べに行った魚安で、ちょっと傷んだ柚子が安く売られていたので買ってきた。今日はその柚子と、以前甥っ子が持ってきてくれたりんごを使ってジャムを作ってみた。自分でジャムを作るのは、奄美に住んでいた2011年にスモモのジャムを作って以来かもしれない。
柚子とリンゴ
↑魚安で買った6個500円の柚子と、甥っ子が持ってきてくれたりんご。
ジャム作りの工程
完成した柚子とりんごのジャム

1.柚子6個の皮を剥き、皮の内側の白いワタをスプーンでこそぎ落とす。

2.白いワタを取り除いた柚子の皮を千切りにする。

3.水の入った鍋に柚子皮を入れて湯がいてザルにあげる。これを3回繰り返し苦味を取る。

4.柚子の果汁を搾り、種は袋(ドリップコーヒーの中身を捨てて使用した)に入れる。

5.りんご2個の皮を剥き、4つに割って包丁で薄くスライスする。

6.鍋に千切りにした柚子皮、柚子の絞り汁、スライスしたりんご、砂糖を入れて1時間ほど放置。柚子皮、絞り汁、りんごの合計が700g程だったので、砂糖は200g程使用した。

7.鍋に柚子の種を入れた袋を加え、しゃもじで混ぜながら煮詰める。

8.水分が無くなったら火を止めて、粗熱をとる。

9.煮沸消毒したガラス容器に入れて完成。

*今回はこちらのレシピを参考にしました。

 大谷翔平選手の移籍先がドジャースに決まった。契約は10年で総額7億ドル(約1,015億円)、スポーツ史上最大の契約だそうだ。1,015億円が一度にもらえる訳ではないのだろうが、一度大谷選手の貯金通帳を見てみたい。

 24時間あいてますでお馴染みの沖縄のスーパー、フレッシュプラザユニオンの前島店が建物の老朽化に伴い、来年1月31日で一時閉店するという。那覇に住んでいた時、刺身は泊市場で野菜は近所の八百屋や栄町市場で買い、総菜や日常の食料品は新都心のサンエーかユニオン前島店で買うことが多かった。記事によると築50年以上ということだが、上の階のアパート部分はどうするのだろうか。

 チューリップテレビが、出張にビジネスクラスの飛行機を使用したことで騒動となった高岡市長の旅費文書を情報公開請求したところ、ほとんど黒塗りだったという。市長の角田氏は報道記者から市長に転身したが、それで黒塗りか・・・富山テレビ時代はどんな記者だったのだろう。

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12月7日(木)

 今日は母親の88歳の誕生日。午前中、米寿の祝いに妹が借りてきたチャンチャンコを着て床の間の前で記念撮影。
米寿の祝い02
米寿の祝い01
↑↓→米寿の祝いの記念撮影。
米寿の祝い03
 昼ご飯を簡単に済ませて、食後に昨日コストコで誕生日ケーキとして買ってきたグレープパンナコッタ。晩ご飯は妹夫婦と5人で父親の米寿の祝いの時にも食べにきた、魚安へ。

12月6日(水)

 10年前の12月6日、大森一也さんの『来夏夜ー祈りの島々 八重山ー』と言う写真集を買った。その日の日記に、こんなことを記している。

 特定秘密保護法が今晩、参議院本会議で可決、成立した。どのテレビ局も中継を行わなかったので、ネット配信でその様子を見ていた。本当にメディアが伝えなければいけないのは法案の可否ではなく、どのように審議されたかだろう。そして本来それを担うのは公共放送を自任するNHKだと思うが、この特定秘密保護法案の審議を実況中継することは一切なかったようだ。公共放送としての役目を放棄したとしか思えない。そう考える人は他にもいるようで、ネット上でNHKに対する不満・不信を綴ったコメントをたくさん見た。まさか大本営発表の放送局に戻ったとは思いたくないが、こういう記事を見ると勘ぐりたくもなる。
 また、特定秘密保護法案に気を取られている間に安倍政権は「原発は引き続き重要なベース電源」としたエネルギー基本計画の素案や、武器輸出を原則として禁ずる武器輸出三原則に代わり禁止から管理とする新原則を提示してきた。これらも注意深く見て行かなくてはいけない。
 沖縄に「わじわじする」という言葉がある。奄美の島口にも同じ言葉がある。怒り心頭というより、胸くそ悪いといったニュアンスだと個人的には思っている。
 この何日かネット配信で国会の審議を見ていたら完全にわじわじしてきて、それが大きなストレスになった。そのストレス発散のために何か美味しい物を食べようかな〜とも考えたが、かわりに美しい写真集を一冊買うことにした。
 八重山諸島の祭祀を撮影した写真集で、「来夏世ー祈りの島々 八重山ー/大森一也」。神々と共に歌い踊る(奉納芸)神遊びの部分だけでなく、神迎えや神送りといった神司による祈りや肖像写真が多く掲載されており、その写真がまた美しい。
 写真は158枚だが、横位置の写真は見開きで掲載。沖縄県立芸術大学教授・波照間 永吉氏の「世ば稔れ」考、撮影メモ、あとがきを含めて264頁の分厚い本になっている。税抜き2900円という良心的すぎる値段にも驚く。

 今日で特定秘密保護法が成立して10年が経った。東京新聞が<成立から10年「特定秘密保護法」 あれから今まで起きたこと、これから注意するべきこと>という記事を掲載している。

来夏夜

 ポストカード・ギャラリー #17 田部雅生

 1990年代の中頃から終わりにかけて、『関東 テレコムユーザ・ニュース』という(財)日本電信電話ユーザ協会関東地方本部のPR誌の撮影を担当していた。隔月の発行で毎回加盟する企業の撮影もいくつかあったが、メインは巻頭の「テレコム談話室」というページ。銀行の頭取や地域の有力企業の社長、町長などを訪ねて女性のインタビュアーがお話を聞くというものだった。
 自分がアシスタントの経験がないので基本的に撮影でアシスタントを雇うことはないのだが、この「テレコム談話室」の時だけは、体裁を整えるのにアシスタントを使って欲しいと制作会社がアシスタントを用意した。アシスタント代は制作会社が支払った。
 撮影を担当したのは4年ほどだが、その間に4人、アシスタントとして撮影の手伝いに来てくれた。その中の一人が田部雅生さんだった。写真家の西川治さんのアシスタントを経て、独立したばかりの頃だったと思う。アシスタントをしてもらって直ぐの頃、1995年9月に新宿のコニカプラザ東ギャラリーでシリーズ「新しい写真家登場」で、田部さんが写真展「ANGEL OF MEXICO」を開催したので見に行った。ギャラリーの片隅に西川治さんからのお花が飾られていたのを覚えている。
 写真は田部さんからいただいた1996年の年賀状で、95年に撮影したメキシコの子供だそう。宛名の方には<2月よりインド・ネパールへ行くつもりです>と書いてあった。ネットで検索すると銀座ニコンサロンで「Children of Kathmandu」という写真展を開かれているので、この時に旅した写真だろうか。

 ちなみに「テレコム談話室」の女性インタヴュアーは、仲條亮子さんだった。元々はテレビ東京の契約アナウンサーで、一緒に仕事をしていた頃は早稲田大学の社会人学生をしながらフリーのアナウンサーをしていた。その後、アメリカ系の通信社ブルームバーグの日本法人社長を経て、現在はYouTubeの日本代表、Google執行役員となっているようだ。仲條さんの後任のインタビュアーは樹原ゆりさんという俳優さんだった。何年か前にテレビを見ていたらライフリーという尿もれパッドのCMに出ていて驚いた。

田部雅生さんの年賀状

イスラエル、ガザ南部も侵攻 「全域に作戦拡大」、空爆も強化
イスラエル、ガザ全域空爆 2学校で50人死亡か
国連、基本的人権の露骨な無視に警告 ガザ情勢
 病院や学校を標的にするイスラエルの攻撃は明らかに国際法違反、というより人道上あり得ないだろう。ウクライナ侵攻をしているロシアに対して経済制裁という手段をとった欧米が、イスラエルになんら制裁を行わないのはダブルスタンダードだ。北部を爆撃するから南部に避難しろと言いながら、今度は南部を徹底的に破壊している。パレスチナ市民にどこへ逃げろというのか。日本のテレビでもこれまでの紛争にないほどの惨劇映像が流れてくるが、現実のガザはこんな比ではないのだろう。欧米、そして日本の政府はイスラエルに対して直ちに虐殺をやめろともっと強い声を上げるべきだ。

 先日、「なぜ岸田内閣の支持率が上向かないのか不思議」と述べた経団連の十倉会長が、今度は経団連が毎年約24億円の政治献金を自民党側に続けていることについて「民主主義を維持して行くにはコストがかかる。企業がそれを負担するのは社会貢献の1つだ」と説明し「何が問題なのか」と正当化したそうだ。経団連が民主主義を破壊しているのがよくわかる発言だ。

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「謎の気泡」は外環道地盤補修工事との関連が確実に 圧縮空気を送ったら近くの川の複数個所で「ブクブク」
元米議長、旧統一教会系トップの同席認める 岸田首相と19年の面会
米、商船護衛強化を友好国と協議 紅海でフーシ派の攻撃相次ぐ
安倍派複数議員1千万円超受領か 国会閉会後確認へ、特捜部
「何が言いたいのか分からない」敦賀原発2号機の再開審査で規制委を呆れさせた、原電の支離滅裂な説明

12月3日(日)

 朝起きてパソコンを起ち上げてヤフーのトップ画面を見ると、津波警報のニュース。何が起きたのかわからず画面をスクロールすると、昨夜23時37分にフィリピン付近を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生したとのこと。1階に下りてテレビを見ると奄美大島の小湊で20センチの潮位が観測されたことが伝えられたが、画面は名瀬港が映し出されていた。小湊は太平洋側で、名瀬港は本州風に言うなら日本海側。名瀬港に津波は押し寄せないが、小湊の小さな港には映像カメラが無いからだろう。
 フィリピンのミンダナオ島では、建物の壁が崩れたり停電などの被害はあるようだが、今のところ死傷者の情報は無いようだ

 今日は朝から雨。午後、雨の止んだ時間が少しあって窓の外が明るくなったので開けると、大きな虹が架かっていた。

虹

 先月29日に屋久島沖でアメリカ空軍の輸送機オスプレイCV22が墜落したことを受け、アメリカ国防総省は日本国内で空軍が運用するオスプレイの飛行を停止したと発表したが、その一方で海兵隊が使用するオスプレイMV22の飛行は継続するとしている。
 しかし、CV22とMV22は装備品(空軍使用は多少の戦闘能力などがある)に違いがあるだけで、基本性能、基本構造は同じだ。火を噴いたのがエンジンなのかプロペラ部分なのか詳細はわかっていないが、機体の構造的な欠陥なら普天間に配備されているMV22も即刻飛行停止するべきだろう。
 日本での墜落は2回目だが、オスプレイの民間飛行場への緊急着陸は日常茶飯事になっている。

 一昨日も触れたが、屋久島沖に墜落したオスプレイの残骸を地元の漁師が協力して集めている写真がニュースに流れて驚いている。沖縄タイムス琉球新報も書いているが、2016年12月に名護市安部の沿岸にオスプレイが墜落した時や、2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落した時は、日米地位協定を盾にアメリカ軍が現場をガードし、近づくことさえ出来なかったという記憶がある。
 オスプレイの機体には放射性物質が使用されている部分があるため、名護市安部の現場ではバラバラになった機体の回収をする米軍関係者は防護服とマスクを着けていたが、屋久島で回収に協力している漁師たちにそんなものは支給されていない。

オスプレイ
↑普天間飛行場を飛び立ったばかりのオスプレイMV22の隊長機。2014年1月27日撮影。

 アラブ首長国連邦のドバイでエジプトのシン大統領と夕食を共にした岸田首相が、イスラエルとハマスの戦闘で観光客減少などの影響を受けているエジプトに対して、最大2.3億ドル(約340億円)の財政支援を検討する考えを伝えたという時事通信の記事を読んで、国民に対する支出は渋るのに外遊すると自分のポケットマネーのように気前良くお金をばら撒くのはやめて欲しいと思っていたら、東京新聞にはドバイでヨルダンのアブドラ国王と会談しガザ情勢の影響でヨルダンが厳しい財政状況にあるとして約1億ドル(約146億円)の財政支援を実施すると表明したと書いてあり、頭がクラクラした。
 菅元首相の時は印象がないが、地球儀を俯瞰する外交などとうたって海外に行っては金をバラ撒いたのが安倍元首相で、一説にはその額が60兆円を超えるとも言われている。それだけのお金を海外にバラ撒いて生まれた成果などあっただろうか。第2次安倍政権以来、日本の国力は落ち貧しくなるばかりだ。

 岸田首相の今回の外遊はドバイで開かれたCOP28首脳級会合への参加だったのだが、そこで宣言されたのは日本を含む20の有志国による「世界の原発の発電能力を2050年までに3倍に増やす」というものだった。日本も世界も12年前の福島第一原発事故を忘れたのだろうか。目指しているのは次世代型の小型原子炉の開発だろうが、つい先日、小型原発の開発を進めていた米国の新興企業ニュースケール・パワーが世界的なインフレで採算が見込めないことから建設計画を中止した。
 小型原発は事故が起こった時に対処しやすいというが、小型であれば出力も小さいわけで、その分数を造らなければならない。それは事故を起こす確率が増えるということではないだろうか。
 そもそも日本の原子力発電所で廃止・解体が決定したもので、廃炉が完了したものは只の一基もない。事故を起こした福島第一の原発の廃炉は2051年となっているが、未だに溶け落ちた燃料デブリを1gも取り出せていない。次世代型原子炉など、先ずは福島第一の廃炉・解体が出来てからの話だろう。

 夜、インドネシア・スマトラ島にあるマラピ火山で大規模な噴火があったと言うニュースと、またフィリピン付近でマグニチュード7.0の地震が発生したと言うニュースが流れてきた。なんだか地球が騒々しい。

12月1日(金)

 今日から12月。今年も残すところ一ヶ月だ。しばらく前からスーパーにはしめ縄やお餅などが並んでいたが、今日の夕方のテレビ・ニュースでは神社が初詣用の縁起物の製作をしているとか、シルバー人材センターが正月飾りのもち花を作っているという話題が流れてきた。まだ師走の実感はないが、これから段々気忙しくなるのだろう。
 ポストカード・ギャラリー #16 小松整司
小松さんからの年賀状
 小松整司という名前にピンと来る人は、まつもと泉の「きまぐれオレンジ⭐︎ロード」のファンだろうか。漫画の中では主人公、春日恭介の親友として登場するが、実在する人物でもある。
 まつもと泉こと、寺嶋一弥さんの専門学校時代の同級生が小松整司さんで、職業はEMON,Incというデザイン事務所を構えるデザイナーだ。まつもと泉が立ち上げたCD-ROMで見せるマンガ『COMIC ON』の画面デザインは、小松さんが担当した。
 写真は『COMIC ON』の制作をしていた1997年に、小松さんからいただいた年賀状。本人が描いたものか、何かをコラージュしたものかわからないが、まつもと泉が「専門学校時代、デッサンでは小松にだけは敵わなかったんだよね」と言っていたのを思い出す。
 ちょうど『COMIC ON』に関わっている頃に、住んでいたアパートを引っ越した。その引っ越し案内兼年賀状のデザインを小松さんに頼んだことがある。『COMIC ON』がvolume5で休刊になってからは疎遠になっている。
 近年は写真展『御苗場』の審査員や、自身がプロデュースする写真ギャラリー「EMON PHOTO GALLERY」の運営などもされているようだ。

 徳之島町の町役場にあるハブの保管・展示施設「ハブの館」から脱走したハブだが、脱走から6日目の29日に11匹目とみられるハブの死骸を確認したそうだ。これで逃げたハブの個体数と捕獲・確認したハブの個体数は同じになったが、捕獲したハブが逃げたハブと同じ個体かは特定できないため、引き続き捜索しているそうだ。
 先日このハブの話題を書いた時、町役場が商業施設もたくさん建ち並ぶ島の中心部に位置すると記載したが、これは徳之島町役場だった。ハブが脱走したのは天城町役場で、こちらは静かな住宅地のようだ。

 29日に屋久島沖で墜落したオスプレイ、当初は「米側から、最後の最後までパイロットが頑張っていたので不時着水だ」と宮澤防衛副大臣が説明していたが、昨日になって木原防衛相が米側から墜落と説明されたので「墜落に訂正する」と述べた。なんだろう、この日本政府の主体性のなさ。
 ところで、今回墜落したオスプレイの残骸を、屋久島の漁業関係者が回収している写真があってビックリした。 確か2016年12月に名護市安部の沿岸にオスプレイが墜落した時や、2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落した時はアメリカ軍にガードされて現場に近づくことさえ出来なかったという記憶がある。

 イスラエル軍とハマスの休戦は7日間で終わり、またガザでの戦闘が始まった。イスラエルはハマスが休戦を破りイスラエル領に向けて砲撃したとして、ガザ各地に空爆を再開。この空爆により109人のパレスチナ人が亡くなった。イスラエルのネタニヤフ首相はハマスの殲滅というが、殺害されている多くが一般の市民で、イスラエルの行なっているのは民族浄化そのものだ。こちらにパレスチナ国連大使のスピーチ(日本語字幕付き)がある。

 毎日新聞が「自民・安倍派、パー券収入のキックバック常態化か 1億円超の可能性」、NHKは「安倍派 パーティー収入不記載 5年で数億円か キックバック疑い」。岸田文雄氏が首相になって犯した一番の間違いは、こんな人物を国葬にしたことだろう。
 この政治資金パーティーの収支について安倍派の塩谷座長が昨日、キックバックがあったのかという問いに「そういう話はあったと思う」と一度発言したが、その後「曖昧な話で誤解を与えたとして」発言を撤回した。馳知事のオリンピック招致の話と同じで、どこにも誤解が生じるような複雑な話ではないだろうに。

 自民党の堀井学衆院議員が代表を務める自民党支部などの政治資金収支報告書に、元秘書が約2364万円を横領したとの記載があったことが29日に分かった。しかし元秘書は「そんなに横領していない。報告書は虚偽であり、速やかに訂正してもらわないと困る」と話しているそうだ。コントかよ。

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