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ブログなど
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ミュゼふくおかカメラ館(富山県高岡市)の木原盛夫 写真展 『とやま、祭り彩時季』(~9/27)
祭りの色彩に思いをはせて  タビノイロドリ
カメラ館 フクチアンの日記

12月31日(木)

 2020年最後の日、東京都の新規感染者数が1,300人を超えたが、個人的にはそれほどの驚きはない。
 それくらいの検査数で1,300人を超えたかわからないが、都の新型コロナ最新感染動向というページでは12月27日の数値が掲載されており、この日の検査人数8,085.3人、検査の陽性率は8.4%となっている。人数に.3というのも謎だが。
 感染者数よりも陽性率の高さが異常で、これはクラスターや濃厚接触者を中心に検査しており検査数そのものが少ないのだろう。検査数の少なさは、先進国の中では群を抜いていると以前から言われている。
 検査を受けていない、検査を受けられない無症状の新型コロナ陽性者が市中に大勢いるのだから、簡単には感染拡大は抑えられないだろう。
 都営大江戸線で新たに運転士20人の感染が確認され、これで計37人となった。運転士がこれほど感染するなら、満員電車の乗客はもっと感染していると思うが、不思議なことに国も都も満員電車の感染リスクを認めない。
 もうマスクや手洗いといった個人での予防=自助で乗り切る段階は遠に過ぎた。アラートだといってライトアップしたり、カルタを作って何かやっている感(富山県知事の<ますずし>も同じ)WO演出していないで、とにかく検査をするべきだろう。今、民間が低価格のPCR検査を行なっているが、国が予算を出して無償の検査を拡充すればいい。
 無症状の陽性者が見つかれば自宅待機ではなく、専用のホテルに入ってもらう。ホテルや旅館への救済策としてGo To トラベルに使うお金を、こうしてホテルや宿泊施設に使ったらどうか。
雇用促進住宅の写真

 2年ほど暖冬で雪の少ない冬を過ごしていたが、今期は寒さの厳しい冬になりそうだ。
 昨日から雪が田んぼに積もっている。田んぼの先に建つ2棟の建物は、雇用促進住宅。この住宅が出来たのは、中学生の頃だったろうか。5階建ての近代的な建物に、当時は”スゲー”と思った。それから40年以上経っているが、福岡町には今でもこの住宅を超える高さの建物がないことに今度は”スゲー”と思う。いや、ひょっとすると3階建ての学校の方が高さはあるかな?でも5階建て。

 今年は友人や知人がずいぶんと亡くなった。新型コロナ禍の2020年だったから・・・と言うよりは自分が今年還暦を迎え、友人や知人もみな高齢になったからだろう。

図録『色とかたち』

 新しく撮影しようと思うテーマもあるが、年を重ねるとこれまで撮影したものを整理したり纏める作業もしなくてはならない。
 お正月は年末にヤフオクで落札した写真集や図録、富山駅の構内で開催されていた古本市で購入した郷土本を読んで過ごす予定。

←28日にヤフオクで落札した『色とかたち/写真=石元泰博』が、今日届いた。

 良いお年をお迎え下さい。

12月29日(火)

 午前中、スーパーの帰りに町で一軒となった吉沢自転車に寄ると店主が居られたので、折りたたみ自転車の20インチの後輪が磨り減って破けたので交換できるか聞いてみたところ、替えのタイヤがあるということなので一度家に戻って自転車を手で押して再びお店へ訪れた。タイヤが破けたのは随分前なのだが、一度自転車屋さんに持って来たがお店は開いているのに声をかけても誰も出て来ないので帰ってきた。他に2台自転車があるので、暫く放ってあった。年内に修理が出来て良かった。
 パンクは100円ショップで買った修理キットを使って直しているが、タイヤそのものが磨り減って破けてしまってはタイヤを買い換えるしかない。しかし、永年自転車に乗っているがタイヤが減って破けた経験は初めてだ。この自転車を購入して3年半。奄美と沖縄で4年間乗っていた同じサイズの折りたたみ自転車は、パンクこそ何度かしたがここまでタイヤが磨り減ることはなかった。
 新しいタイヤに取り替えたら家まで運んで下さるというので、料金5,000円を支払って歩いて家に戻る。
 昼ご飯を食べ、明日から寒くなるというので、まだ比較的暖かな今日のうちに台所や洗面所などの水回りを掃除する。掃除していると、軽四の荷台に乗せられて新しいタイヤを装着した自転車が届いた。
 自分が小学生の頃は、福岡町にも自転車屋さんが3軒あった。吉沢自転車、同級生の野井君の家がやっていた野井自転車、今の雅楽の館の辺りにも名前は忘れたが自転車屋があった。今は吉沢自転車だけで、昔はたくさん自転車が並んでいた店内もコンパクトになっている。みんな自転車は郊外のホームセンターや、大型スーパーで買うのだろうか。
自転車のタイヤのアップ写真
小矢部川の土手で撮影した自転車

↑磨り減って破けたタイヤ(左)と、新しく装着したタイヤ(右)。後輪は前輪よりも減りが早い。また口径の小さなタイヤは、普通の自転車のタイヤよりも減りが早いんだそうだ。

←購入して3年半。折りたたんで輪行したりしたので傷はアチコチにあるが、まあまあ綺麗な状態。奄美では潮風と急な雨で、買って一年で錆だらけになった。

 厚労省が26日、英国に滞在歴のある都内在住の男性と、その濃厚接触者の女性が感染力の強いとされる新型コロナの変異株に感染していることを発表した。また昨日は南アフリカに滞在歴のある女性から南アの変異ウイルスが見つかっている。
 政府は28日から来年1月末まで全ての国・地域からの外国人の新規入国を原則停止する措置を講じたが、既に変異したウイルスが国内に侵入してからの対策なので普通は後手後手と思われるが、どう言うわけか菅首相は「先手先手で対応するために指示した」と説明したそうだ。この人は、頭のネジと体内時計が他人より一周遅れているのだろうか。
 今後は他の国でも様々に変化したウイルスが発見されるかもしれない。先手先手と言うなら、先ずは来年開催予定のオリンピック、パラリンピックの中止を決めたらどうか。ワクチン接種が世界中に行き渡るまで、まだ相当時間がかかるだろう。「ウイルスに年末年始はない」と言いながら、特措法改正の審議を後回しにして早々に国会を閉じてしまったすが政権。このまま無策を続ければ、東京五輪は世界各国で変異した新型コロナの見本市のようになる可能性すらある。国民の命と暮らしを守ると言うなら、少しでもリスクのあることは回避するのが役目だろう。
 政府と大会組織委員会はこれまで原則無償としていた選手村や競技会場で活動する医療スタッフに対して協力金を支給する方針を今月28日に決定したようだが、国内の医療が既に逼迫する中で無償だろうが有料だろうが東京五輪に医療スタッフをまわせる余裕はないだろう。
 感染拡大が止まらないのは、新柄コロナだけではない。鳥インフルも豚熱も未だに抑えられていない。豚熱(当初の呼び名は豚コレラ)は2018年9月に岐阜の養豚場で発生して以来、もう2年が経つが今月26日にも鶴岡市の養豚場で感染が確認され殺処分が行われた。豚熱に関しては有効なワクチンがあったにも関わらず、豚のブランド価値が下がるとして長期間にわたりワクチン接種をしなかったことがここまでの感染拡大を招いた。ちなみに最初の豚熱発生が2018年9月で、10月から農水大臣に就任したのが先日議員辞任した吉川貴盛氏だ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
マイナンバーカード機能をスマホに搭載有識者会議が基本方針
14選管で署名の8割超が不正か 愛知知事リコール運動で
ロシア、コロナ死者数3倍超と認める 世界3番目の18.6万人に

 昨年の12月21日に撮影した県内各地のイルミネーションの写真をPhoto Albumにしました。こちら
エコリンクの写真
↑グランドプラザのエコリンク。

12月28日(月)

 ラテン音楽を中心に世界の音楽を紹介していた月刊「ラティーナ」が今年5月に休刊となり、代わってwebでe-magazineLATINAとしてスタートした。その際、ラティーナに掲載されていた過去の記事がLATINAに有料記事として転載されたが、そのことについてライターやカメラマンなどの承諾を得ていなかったことが発覚し問題になっている。
ラティーナ過去記事無許諾二次使用問題、高橋健太郎発言集
◯ラティーナからの「お詫びとお知らせ
 月刊「ラティーナ」編集部とは直接仕事をしたことはないが、オフィシャルで撮影したミュージシャンの写真が誌面で使われたことは何度かあるはず。
 たぶんSNSで問題になっている二次使用料や著作権問題は直接的には自分と関係ないが、不思議に思うことがある。数年前使った写真や記事を新たに今月号で使用したいという話ならメール連絡もあるかと思うが、過去の記事を会社としてアーカイブしてそれを商品とするならメールではなくて契約書を全ての関係者に送付するべきだろう。
 実際に他所の出版社だが過去の記事を順次webで転載したいという話があった時は、メールではなくて書類が送られてきた。書類には再使用料について触れられていなかったので、担当者に問い合わせたところ再使用料は出せないということだったのでお断りした。
 この出版社にはたくさん仕事をいただいたし、紙媒体ではきちんと再使用料を払ってもらっていた。奄美や沖縄に滞在していた4年間も、この出版社から雑誌での再使用料や書籍での再使用料が振り込まれて随分と助かった。出版社はどこも大変だろうから無料でもいいか、という判断もあったが、それをしてしまうと次に紙媒体で再使用された時に使用料が取れなくなると思いやめた。
 際使用料というのはボーナスみたいなところがあるので、例えどんなに低い金額でも提示さえしてくれればOKを出したかもしれない。その方がお互いに仕事がし易いだろうし、関係を永く続けられるように思う。
 そして再使用を断ったwebは、いつの間にか消えていた。

 もう一つ疑問に思っているのはe-magazinLATINAが、全面的にnotoのフォーマットを使っていること。notoの仕様が変更になったり運営会社が変更になったり、notoそのものが無くなった時に雑誌はどうするつもりなんだろうか。
 お金をかけずに手取り早くスタートさせたかったのだろうか<月刊ラティーナに掲載してきた過去の記事はたくさんの書き手の皆様の気持ちのこもった宝物であり、なんとかこれを世の中に残す方法をと考えてきました>というなら、せめて自分たちでサイトを構築した方が後々のために良かったのでは?
 そして本気でアーカイブを考えるなら、webではなく紙だとも思っている。ネットには貴重な情報を個人で発信している方もたくさん居られるが、ある日突然閲覧できなくなっていることが多々あるから。

 先月の中旬から今月の初めにかけてノート・パソコン、デスクトップ・パソコン、ディスプレイなどを買い替えた際、大掃除も兼ねて作業空間のリニューアルも行った。
 大掃除をすると小銭がアチコチから出てくることが多いが、今回はお金はあまり発掘されなかった。代わりにほとんど未使用のエプソンのA2サイズ写真用し(7,000円相当)が出てきたり、失くしたと思っていたレンズが出てきたり。
 写真はラックの奥に仕舞われていて、存在を忘れていた外付けのハードディスクドライブ。I-O DATAの製品で容量なんと2GB。2TBではなく2GBだ。そして接続はSCSI(スカジー)接続。
 今はパソコン本体と周辺機器を繋ぐのはUSBケーブルが主流だが、昔はピンの多いSCSIで、それもチェーン接続だった。周辺機器を数珠つなぎにするもので、一番最後の機器にはターミナルと呼ばれるモノを取り付けなければならなかった。新しくスキャナーやMOドライブなどの機器を買って繋ぐたびに、トラブルが起こった記憶がある。メーカーのサポートに電話すると機器の繋ぐ順番が問題かもしれないとか、機器同士の相性が悪いかもしれないと言われて途方に暮れた。
 USBケーブル接続になり、チェーン接続ではなくそれぞれUSB端子に繋げるようになって、そうしたトラブルはほとんどなくなった。
 この2GBの外付けHDDは、いつ頃購入したのか覚えがない。LC-520を使っていた頃だろうか、それともPower Macになってからだろうか。たぶん買った当時はそれなりの値段だったに違いない。

2GBの外付けHDD

 昔、出版社で100MBの外付けHDDを見て驚いたことがあるが、TB(テラバイト)が当たり前の時代になったら、100MBも2GBも使えなさでは同じだろうな。でも、後何十年かすると、産業遺産のようになるだろうか。
 ちなみに、横に一緒に写っているピンクのUSBメモリの容量は64GB。2,000円ほどだったと思う。

←↓I-O DATA製品の2GBの外付けHDD。後ろにはINとOUTのSCSIケーブル用端子が付いている。

外付けHDDの背面
 昨年の12月11日に撮影した砺波チューリップ公園のイルミネーション「KIRAKIRAミッション」の様子をPhoto Albumにしました。こちら
KIRAKIRAミッションの写真
 今日も図録を一冊、ヤフオクで落札した。

12月25日(金)

 朝から雨が降ったり止んだりのお天気。午前中に郵便局から、写真データを入れたDVD-Rと印刷の色見本用コンタクトシートをレターパックで送った。これで今年の仕事納めかな。
 作詞作曲家・中村泰士さんの訃報が昨日流れてきたと思ったら、今朝はなかにし礼さんの訃報。今年は10月に筒美京平さんも亡くなっている。昭和の歌謡曲を作っていた大御所が、相次いで鬼籍に入られる。

 ロックバンド「マウンテン」のギタリスト、レスリー・ウエストが23日に亡くなった。彼らのデビュー・アルバム『Climbing!』は好きなアルバムで、よく聴いた。今もipodに入っている。高岡工芸高校の軽音楽部で一つ学年が上だった寺嶋さん(まつもと泉)達も、彼らの曲を部室で練習していたと思う。永森さんギター。バッタさんベース、テンパさんキーボードかな。
 ヒット曲「Missippi Queen」も良いが、個人的に好きなのは「Them for an Imaginary Western」。ワイルドでいて叙情的。邦題は「想像されたウエスタンのテーマ」で、意味もわからず”オー”となった。高校一年生には「想像された」「ウエスタンの」「テーマ」は意味がわからな過ぎた。今もわからないが。

 一昨日、ヤフーに松田聖子の4枚目のアルバム『風立ちぬ』についての記事が掲載されていた。
 タイトル曲の「風立ちぬ」は松本隆作詞、大滝詠一作曲、多羅尾伴内(大滝詠一の変名)編曲で、アコースティック・ギター4人、キーボード3人、パーカッション4人、コーラス3人を起用した当時大滝さんが試みていた和製フィル・スペクター・サウンド(ウォール・オブ・サウンド)満載の曲だ。
 wikiによれば、このアルバムの録音は1981年8月~9月にCBSソニー信濃町スタジオとなっている。「風立ちぬ」のドラムは当時ローディーをしていたシマ(島村英二)さんで、ベースはSHOGUNのミッチー長岡さん。このころの大滝さんのレコーディングによく起用されたコンビだ。アルバム10曲中6曲がシマさんのドラムなので、この録音の場に自分も居たと思う。
 81年のスケジュール帳を見ると8月に信濃町スタジオの記載はなく、9月1日NO13時~16時、2日の18時~20時、8日の18時~21時、14日の13時~16時、15日の19時~21時、28日の14時~17時が信濃町ソニーの予定となっているので、このいずれかの日に「風立ちぬ」をレコーディングしているのだろう。
 信濃町スタジオは好きなスタジオだった。ロビーが広くて、そのロビーのテーブルで写譜屋さんが譜面を書いていたり、インペグ屋さんが録音に必要なミュージシャンのスケジュールを押さえるためにアチコチ電話をしていたり。ローディー達は自分のギターやベース、スティックを持ってロビーで練習をしている。

椿山荘で撮影した大滝詠一さん

 信濃町スタジオでの楽しみが、駅の近くにあったレストランのお弁当。生姜焼き定食をテイクアウト用に箱に詰めてもらって、ロビーで食べていた。ご飯の上に敷いた生姜焼きのタレがご飯にまで染みて美味しかった。
 信濃町スタジオは2001年に閉鎖された後、創価学会の施設、南元平和会館として使用されていたそうだが、2009年に解体された。現在は跡地に創価学会の創価文化センターが建っているという。

 後6日で大滝さんの命日となる。亡くなられたのが2013年だから、もう7年にもなる。実際に訃報を知ったのは31日(大晦日)の朝の情報番組だった。
 その日は那覇の牧志公設市場で年越しそばを食べ、食料を少し買ってから、家に帰って追悼コンサートのつもりではっぴいえんど、シュガーベイブ、大滝さんのソロを部屋で流していた。
 夕食後にデザートのリンゴを食べていて倒れたと聞いて白雪姫のような亡くなり方だと思ったが、解離性動脈瘤だったようだ。

 写真は滝の前で新聞を読む大滝さん。撮影に際しての大滝さんからの注文は、「被写体を画面の三分の一いかに」というものだった。1995年4月5日、椿山荘にて撮影。
新しいトップ画面

 しばらく放ったらかしてあったトップ画面を模様替えしました。今回は南砺・利賀そば祭りで、雪像で遊ぶ子供達。

←新しいトップ画面。
↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面
 近況報告を兼ねて昔は100枚以上年賀状を書いていたが、SNSで繋がることもあってその数は年々少なくなっている。
 そして、この10年ほどは年賀状ではなく、クリスマスカードを贈っている。急にキリスト教徒NIなったわけではなく、神奈川から富山、富山から奄美大島、奄美大島から沖縄、そして再び富山と目まぐるしく住所が変わったので年賀状が来る前に住所変更のお知らせをしたいと思い、引越し案内とクリスマスのメッセージを書いて送っていた。
1990年の香港の写真
 その時に思い出したのが香港から届いたクリスマスのグリーティングカードで、そこにはgreetings of the season and best wishes for the new yearというメッセージが添えられていた。
 1990年に双葉社の「格安航空券ガイド」という雑誌の仕事で、アメリカやヨーロッパのブランド品が安く買えるショップ、ファクトリーバーゲンを10店舗ほど撮影した。その中のお店の店員さんが贈ってくれたクリスマスカードだった。
 そうだ、クリスマスおめでとう!明けましておめでとうございます!を一つにまとめれば良いじゃないかとこの10年ほどはMerry Christmas & A Happy New Yearにしている。
 ところが最近、A Happy New Yearは新年明けましておめでとうございますではなく、良いお年をお迎えくださいという意味になると知った。そして明けましておめでとうには”A”は付かず、Happy New Yearが正しいそうだ。
 写真は中国に返還される前、1990年の香港。香港に行ったのは、この時だけだ。この時、30年後の今を想像できた人はいないだろう。

12月23日(水)

 朝の連ドラ「おちょやん」を観ていて、トータス松本が演じる千代の父親・竹井テルヲの嘘ばかりつくロクデナシの姿に、ここまでダメな人間はそうそう居ないだろうと思った瞬間、前総理大臣の顔が浮かんだ。

 寒い日が続いていたが、今日は最高気温が10℃まで上がり穏やかな天気だったので午後から少し自転車に乗ってきた。家から西高岡の方へ向かう途中にある笹川公民館の近くに、地蔵堂があった。以前も一度道端にある地蔵堂を見ているが、その時はカメラを持っていなかった。今日はバッグに入れてあったので、撮影させていただいた。お堂の中にはお地蔵様と石仏が安置されており、左右と後ろの壁面にはお地蔵様と仏様のレリーフがびっしりと飾られている。ちょっと不思議な地蔵堂だ。

↓→笹川の地蔵堂。家に帰りネットで検索してみたが情報はなかった。
笹川の地蔵堂02
笹川の地蔵堂01
 笹川から西部総合公園野球場(ボールパーク高岡)の横を通り西高岡駅前に出て、今度は旧北陸道を通って戻り小矢部川を少し走って帰って来た。1時間強のサイクリングだった。
小矢部川
↑一昨日は河原も堤防も雪で埋もれていたが、今日は雪が溶けて堤防を自転車で走ることができた。
ヤフオクで落札した図録

 今月の19日にヤフオクで落札したピーター・リンドバーグ写真展の図録『MODELS』とサルガドの写真展の図録『EXODUS』が一昨日、20日に落札した東松照明写真展の図録『Tokyo曼荼羅』が今日届いた。
 これで年末年始に読む本が7冊ほどたまった。

←左から『MODELS』『EXODUS』『Tokyo曼荼羅』。

「大深度なら地上に影響ない」はずだったのに…リニア工事は大丈夫?<貼付陥没>
リニア談合で公取、ゼネコン2社に課徴金計43億円命令 「決別宣言後で悪質」 
 リニアに纏わる記事が立て続けに流れてきたので、以前もここで書いたことを繰り返しておく。
 今から30年程前のバブル真っ盛りの時に、ビジネス情報誌の仕事でリニアモーターカーの取材をした事がある。まだ長距離の実験線が出来る前で、リニアを日本全国に走らせるか、東京と大阪間だけなのかも正式に決まっていない時だった。ファックスはあったが、インターネットはまだ普及していなかった。もちろんLCC(格安航空会社)の気配もない頃だ。
 取材した時に鉄道総合技術研究所の担当者が話していたのは東京ー大阪間をリニアで結ぶことにより、東京ー大阪間に集中している飛行機を地方へ分散させる狙いがあるということだった。しかし、LCCが出来て東京と地方を結ぶ飛行機の数も充実している。
 当時リニアを開発していたのはJRの他に、HSSTトランスラピッドがあったが、トランスラピッドは2008年、事業費の大幅な増大を理由に路線建設を断念。2011年に開発が終了し、実験線も2014年に取り壊されることになった。HSSTは2005年の愛知県で開催された愛・地球は国合わせて、磁気浮上式の常設実用線としては世界で4番目となる愛知高速交通東部給料線(リニモ)として開業しているが、海外への販売に向けて2003年に設立されたHSSTシステム販売株式会社は売り込みの結果が出ずに2011年に解散している。
 取材当時から起点となる東京では用地の確保が難しいことから地下を走ることになるだろうと言われていたが、東京・品川ー名古屋間の総延長285.6キロのうち、86%にあたる246キロがトンネルになるという。
 平坦な土地が広がる国ならまだしも、こんな起伏に富んだ地形の国でリニアを走らせるのは不向きだろう。

 この30年間の間に新幹線もスピードを上げ、2013年には東北新幹線が320キロを記録したそうだ。リニアの500キロには及ばないが、在来船との乗り継ぎを考慮すると移動時間そのものはリニアと遜色ないのかもしれない。何より走行中はほとんどトンネルの中というのは、個人的には耐えられないと思う。
 新型コロナ禍で人々の移動は否応なく変化している。それはコロナ禍が落ち着いた後も続くかもしれない。
 リニアの総工費は9兆円とも言われている。少なくともリニア建設の工事は一旦中止し、そのお金の配分先を考え直してはどうだろうか。

リニアについて書いたアレックの記事
↑30年ほど前に書いた記事。この頃は未来の乗り物に対して好意的に書いているが、リニアが使用する消費電力が新幹線の4倍にもなると知った今となっては否定的にならざるを得ない。このまま建設を進めても、原発と同じく負の遺産を残すだけだろう。

12月19日(土)

 寒い日が続いている。今日の最高気温は4℃、明日の最高気温は3度。雪マークが月曜日まで付いている。

 毎年12月17日から19日まで、浅草の羽子板市が開催される。新型コロナ禍の今年も、少し規模を縮小して開催されたようだ。
 よく仕事をしていた出版社が湯島や本郷三丁目の方にあったので、打ち合わせや納品の後にそのまま浅草まで散歩に行くことも多かった。
 そんな訳で三社祭、サンバカーニバル、植木市、ほおずき市、羽子板市と浅草の祭りや縁日はわりとよく見に行った。いつの三社祭だったか、法被に下帯姿の小倉エージさんとバッタリ会ったこともある。

2007年の羽子板市

 浅草の縁日で一番好きなのは羽子板市。この頃は東京もシンと空気が冷えて、なんとなく師走の風情が街全体に漂っている。境内に並んだ羽子板の店を一通り眺めた後、合羽橋の方へ歩いたり、隅田川を渡って鳩の街通り商店街を抜け、東向島まで足を延ばすこともあった。
 まだインバウンドという言葉が定着する前で、観光客でごった返すこともなかった頃。ちょっと外れると夜の早い下町は、アチコチでお店のシャッターが下りている。
 人通りも少ない仄暗い路地を、ただブラブラと歩くのが好きだった。文京区、台東区、墨田区の路地は不思議と飽きずにずっと歩いていられた。
 羽子板市という言葉に師走のせわしなさと寂しさ、顔に当たる空気の冷たさを思い出す。

←2007年の羽子板市。
↓2008年の羽子板市。

2008年の羽子板市
 ルーターのACアダプターだが、結局同じルーターをヤフオクで購入して、そのACアダプターを今使っているルーターに使用することにした。アダプターだけでもヤフオクに出品されていたが、もしアダプターだけが原因でなかった場合に困るので、結局未開封の製品で即決価格980円の商品を落札した。これなら今使っているルーターが直らなくても、新しいルーター本体を使って設定し直せばいい。
 その一昨日落札した商品が、昨日届いた。商品よりも高かった1.000円の送料だが、迅速に届いたので納得した。早速開封して新品のACアダプターを取り出して、今使っているルーターに取り付けると・・・徐々にランプが点灯。2階に上がりパソコンで確認するとちゃんとインターネットと繋がっている。これで問題が解決した。
ヤフオクで落札したルーター
↑即決価格980円で落札した未使用のルーター。とりあえず必要なのはACアダプターだけなんだが。
 ルーターの件が解決したので、昨日はプリンターとパソコンのwifi接続も。エプソンのインフォメーションセンターに電話をして、状況を説明。MacBook Proはプリンターに付属していたCDを入れて指示に従ってクリックして行くと、簡単にwifi接続できたこと。次に同じようにiMacでもCDを入れて作業したが途中でプリンターが見つかりませんというエラーメッセージが出て接続できなかったこと。また一度は接続してプリントもできたMacBook Proでも、プリントをしようと思ったら出来なかったことなどを話した。
 担当者から、先ずはiMacから解決しましょうと提案される。ドライバは既にインストールされているだろうから、プリンターの設定。それは、以下のような手順だった。
 システム環境設定→プリンタとスキャナ→+をクリック→名前をドライバの確認→ドライバはEPSON SC-PX3Vを選択
 次に一度はwifi接続できたのに、プリントできなかったMacBook Pro。wifiの接続状況が不安定なんじゃないかということで、プリンター本体で接続状況を確認。サポーターの男性の指示するままにプリンターの液晶パネルを操作。そうして、プリンターが接続状況を克明に記した用紙を排出した。どうも回線が混雑して不安定な様子。そこでUSB接続の設定もしてはどうかと提案される。特に写真をプリントする時などはwifiよりもUSB接続の方が無難なようだ。
 電話で30分ほど指示を受けて、2台のパソコンそれぞれにwifi接続とUSB接続の設定をした。サポーターの男性が、こちらの画面を確認しながら作業を進めますと言っていたが、自分のパソコンのディスプレイが向こうで見られているんだろうか?
サルガドの写真展『AFRICA』の図録
 やはりこれも一昨日ヤフオクで落札した、セバスチャン・サルガドの写真展『AFRICA』の図録が、今日届いた。本自体が想像していたより小さかったので、『GENESIS』のように迫力はないが、写真解説が日本語で読めるのがありがたい。この写真展は2009年に東京都写真美術館で見ている。
 年末年始はほとんど家に居ることになると思うので、ヤフオクで色々と本を物色している。

 一昨日、地元テレビ局のローカルニュースが、10月に行われた県知事選の際に出回った怪文書を巡り、富山市の森市長が県議会議員の杉本氏を名誉毀損で訴えたと伝えていた。そのニュースの中で訴えられた杉本氏が「選挙が終わってノーサイドだと思っていたのに残念だ」とコメントしていたので驚いた。誹謗中傷したビラをばら撒いておいて、なんでノーサイドになると思えるんだろうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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 夜、部屋の窓を開けるとシンシンと雪が降り続いていた。明日は積もりそうだ。

雪の降る深夜
↑ミノルタの単焦点85mmf1.4で撮影。奄美に住んでいた時にどこかで忘れてきて失くしたかと思っていたら、そもそも奄美には持って行っておらず部屋のカメラバッグの中にあるのを先日の大掃除で発見した。

12月16日(水)

 一昨日は県東部の平地で初雪が降ったが、西部の平野部でも昨日初雪となった。昨日の雪は積もらなかったが、今日は断続的に雪が降り田んぼを白くしている。今日の最高気温は2℃、明日は4℃の予想だ。
部屋から撮影した雪景色
 急に寒さが厳しくなったので、昨日の朝、電気カーペットとエアコンを点けたらブレーカーが落ちてしまった。ブレーカーのスイッチを上げたら照明もテレビも復旧。やれやれと思って部屋に行きパソコンを起ち上げたら、インターネットに繋がらない。これまでも停電になったことはあったが、復旧すると自然にルーターも電源が入りネットに繋がったのに・・・不思議に思い1階にあるNTTのONU(光回線の終端装置)とBUFFALONOルーターを確認するとONUのランプが点灯していない。
 機械本体に書かれていた番号に電話すると故障センターに繋がり、新しいONUを送ってくれることになった。到着は明日になるということで、それまではネットの世界とは断絶。なんだかネットに繋がっていないと急に手持ち無沙汰になったが、諦めて届いたばかりのサルガドの写真集『GENESIS』を眺めて過ごした。
送られてきた新しいONU
 まだかまだかと待っていたONUが、午前中にゆうパックで届いた。これまで使っていたONUと同じものを送りますということだったが、中を開けると違うものだった。以前のONUは製造中止で、それに準ずる製品なのだろう。とりあえずケーブルや電源コードを繋ごうと思ったが、これまで使っていたONUに繋いである光ケーブルの外し方がわからない。たぶん蓋のようになっている箱をこじ開けるのだろうが、もし無理して壊してしまったら。そこでゆうパックに書いてあった送り主の富山の会社に電話。しばらく話していると業者を手配して配線してくれることになった。
 お昼頃に業者の方が来て、新しいONUと無線LANルーターを接続してくれたので、2階のパソコンからインターネットを確認。ネットが通じた。これでOK!と思っていたら、業者の方がこれまで使っていたONUとルターターのACアダプターが入れ替わっているんじゃないかと言う。
ONUとルーターの接続写真
 そこで本来のアダプターに差し替えると、今度はルーターが起ち上がらなくなった。ルーターにONUのACアダプターをつけると、ちゃんと起動する。どうしてこんな事になったんだろう。壊れたのはONUではなくて、ルーターのACアダプターだったのか?
 ONUのアダプターは、本体と一緒に送り返さなくてはならない。
 困った。どうしたものだろう。
↑新しいONU(左)と、BUFFALOの無線LANルーター(右)。

12月14日(月)

 今日は県東部の平地で初雪が降ったが、西部は雨だった。こちらの初雪は、明日になりそうだ。
 今月10日にヤフオクで1,500円で落札したセバスチャン・サルガドの写真集『GENESIS』が、昨日の夕方届いた。早速梱包を解いて中を見ると、思っていたほど汚れも折れもなく綺麗な本だった。
 『GENESIS』はずっと前から欲しかった写真集で、買おう買おうと思いながら目先の資料となる本を優先して後回しになっていた。Amazonの洋書では7,000円~9,000円ほどで売られており、なぜこれが1,500円で出品されたのか今でも不思議だ。一つ考えられるのは、出品者が古書店ではなくリサイクル・ショップだったからだろうか。

 サルガドの写真を初めて見たのは、雑誌「Switch」か「DAYS JAPAN」だったと思う。ドキュメンタリー写真、報道写真家という立ち位置だが、写真はその枠を超えて美しい。
 2009年12月に東京都写真美術館で開催されたサルガドの『アフリカ 生きとし生けるものの未来へ』と題した写真展を見に行った。土・日は混雑しているだろうと平日を選んで行ったが、それでも凄い人出だった。

サルガドの『GENESIS』
 当時の日記のようなものに<1970年代から30年以上にわたって撮影されたアフリカの写真の中から、100点が展示されている。その多くはアフリカの飢餓や干ばつなど悲惨な状況を撮影したものだが、そこに写っているものは過酷さや悲惨さを超えて、美しい。構図も、光りも、プリントも。ため息もでない。キャプションを読みプリントを真近で見て一周した後、今度は少し距離を置いて眺めて一周する。美しい写真>と書いている。
写真集『GENESIS』NO中ページ
↑25.3センチX36.7センチ、517ページ。ズシリと重い。ページの所々観音開きになっている。
 本棚にあった1991年3月号の「Switch」を久しぶりに出して見たら、第一特集が藤原新也で第二特集がセバスチャン・サルガドと濃い内容で驚いた。
 You Tubeから「セバスチャン・サルガド Genesis展 in New York
ご自宅で撮影させていただいた浅香光代さんの写真
↑2008年5月19日、ご自宅にて撮影。

 「ペットと私」という連載は、動物好きな著名人にお会いしてお話を聞き、飼っていらっしゃるペットと一緒の写真を撮らせてもらうというものだった。
 有名人に会いたい!という当時の担当編集の女性が企画したもので、本人は1年続けば良いくらいに思っていたようだが、スタートすると中々好評で割りと長期にわたる連載となった。
 若いアイドルの場合はだいたい事務所での取材となったが、年配の方はご自宅で取材させていただけることが多かった。浅香さんの場合も、稽古場と事務所を兼ねたご自宅だった。
 ご自宅は雷ゴロゴロ会館の裏の方だったので、ライターさん、担当編集者と雷門の下で待ち合わせ。せっかくなので「取材がうまくいきますように」と3人で浅草寺でお参りしてから伺った。

 1階にあった稽古場でお話を聞いた後、いよいよペットとのツーショット撮影。浅香さんの後について階段を上り案内されたのは、まさかの浅香さんの寝室だった。これまでも芸能人や作家さんのご自宅で撮影することはたくさんあったが、寝室はこの時が最初で最後じゃないだろうか。浅香さんがベッドの上でゴロンとなり、ペットの猿を餌で手懐けての撮影となった。
 この当時、浅香さんの家では猿、猫、犬、オウムを飼っていたが犬はその日留守だったので、猿と猫とオウムとそれぞれ一緒の写真を撮らせてもらった。結局雑誌で使用したのはインパクトのある”寝室で猿”のこの写真だった。
 なんとなくお猿さんと浅香さんが似ているのだが、オウムと一緒に撮った写真もオウムと浅香さんが似ている。写真をセレクトしながら、担当編集者と不思議だね~と話していた。
 取材の後、お土産に雷ゴロゴロ会館の「雷おこし」をいただいて帰った。浅香さんには他の企画でも、もう一度撮影させていただいた。

浅香光代さんが死去 92歳、女剣劇のスターとして人気

12月11日(金)

 朝、燃えるゴミを出しに外に出るとクッキリと大きな虹が架かっていた。ゴミを出し終わって家に戻ると、両親に外へ出て見てくるように勧めた。
虹の写真
 ヨドバシのネットショップでMacBook ProとディスプレイCS2410の接続用として購入したケーブル、サンワサプライのKC-DPM1Wが午前中に届いた。早速2つを繋いでみる。電源を入れると、MacBook Proの外部モニターとして機能した。
 CS2410はiMacともDVIコネクタとサンダーボルトのケーブルで繋がっている。CS2410の前面にあるスイッチで、どちらのパソコンの外部ディスプレイとして表示するか選択できる。
サンワサプライのケーブル
↑サンワサプライのKC-DPM1W。CS2410のDisplay Portコネクタと、MacBook Proのサンダーボルトに接続する。
↓2つのパソコンの外部ディスプレイとして繋がったCS2410。
MacBook Proとディスプレイ
パソコンとディスプレイを設置した机の写真

 ディスプレイ・ケーブルの接続が完了したので、昨日撮影した写真のベタ焼き(コンタクトシート)をプリントする。新しく購入したiMacとプリンターの無線接続はまだ出来ていないので、無線接続してあるMacBook Proから。プリントを実行するが、プリンターを認識してくれない。そこでプリンターとパソコンをケーブルで繋いでプリント。一応プリントは出来たが、エプソンのサポートに問い合わせて聞きたいことがいっぱいある。
 新しく購入したiMacとMagic Mouse2のペアリングを先日したので、これまで使っていたiMacとMagic Mouseのペアリングを解除して、Magic MouseをMacBook Proとペアリングする作業。こちらはネットで方法を検索して、なんとか出来た。

 午後、明後日まで高野裕輔写真展「ツギノ間」と富士フィルムフォトコンテスト入賞作品展を開催しているミュゼふくおかカメラ館へ。入り口で手を消毒し受付へ行くと、今までなかった検温装置が。おでこを近づけると低すぎて測れないようだ。何度かおでこを近づけると34.4度。なんでこんなに低いんだろうと考えたが、多分寒い外を自転車で来たからではないだろうか。

小矢部川の土手から撮影した立山連峰
 展示写真を一通り見てカメラ館を出て、そのまま自転車で小矢部川の土手を走る。曇り空の下、遠くに見える立山に日差しがあたり、雪原が輝いている。
 土手を下り、国道沿いにあるしまむらでトレーナーとスウェットパンツを買って帰る。
屋根裏の本
 『屋根裏のユミさんとRCと 池畑ユミ/神山典士と屋根裏編集部編』(青月社)がスマートレターで届いた。郵便受けに入っていたので、昨日の内に届いていたのかもしれない。
 70年代終わりから80年ごろまでライブハウス「屋根裏」のスタッフだった池畑ユミさんが当時のエピソードや思い出を綴り、その文章の合間に当時出演していた子供ばんどのうじきつよしさんや、下田逸郎さん、シーナ&ロケッツの鮎川誠さん他のインタビューが挟まれている。
 ユミさんが屋根裏にいた頃、ボクも時々屋根裏でバイトをしていた。透(そうる透)さんの家を出て、東小金井にあったプレハブ小屋のアパートで初めての一人暮らしを始めた頃だ。センター街のメイン通りからちょっと入り、1階がパチンコ屋で2・3階がキャバレー・ロンドンで、狭い階段を上った4階に屋根裏があった。
 1980年のスケジュール帳には、毎月屋根裏のライブスケジュールを印刷した二つ折りの小さな紙がホッチキスで留められているので、この年が一番バイトをしていたのだろう。そうだ、スタレビはまだデビュー前で名前がアレレのレだった。この頃は自分でバンドをやりながら、シマ(島村英二)さんのローディーもしていて、拓郎さんの全国ツアーについて行ったり、雑誌に原稿を書いたりもしていた。その合間に屋根裏でアルバイト。昔は働き者だったのだな。
 まだ本が届いたばかりでパラパラとしか見ていないが、忌野清志郎さんに化粧したエピソードなどユミさんの屋根裏の思い出話しはmixiの屋根裏コミュで読んでいる。
 店長の長田秋吉さんは、もう亡くなられたのか。関西弁を話すアマチュアの考古学者で、発掘に出かけていたのかあまりお店に居なかった。長田さんのお兄さんのチョウさん。何をしている人かよくわからなかったが、5階の事務所で見た気がする。
 色んな人が出入りしていて、色んな名前が浮かんで来る。RCがブレイクする前に、マネージャーの坂田さんに屋根裏で声をかけられアルバム『RHAPSODY』にもなった久保講堂のコンサートを舞台スタッフとして手伝いに行った。
 おとぼけキャッツのマネージャーだったブッチャー岡野さんがROGUE(ローグ)をまだマネージメントする以前に関わっていた「苔のむすまで」というバンドのドラムを頼まれて、屋根裏の夜のライブが終わった後にバンドの練習をしていたのも、この頃かな。ボーカルがバラモン岸本。練習が終わって始発で東小金井のプレハブのアパートに帰った。
 今は一年なんてあっという間だが、あの頃の一年はなんだか激しくて永かった。もうあれから40年。あの頃狭い階段ですれ違ったスケスケのミニスカートを穿いたロンドンの女の子たちも、もう還暦なんだな。
 「屋根裏」という単語だけで様々なことが思い浮かぶ。時間はたっぷりあるので、ゆっくりゆっくり楽しみながら頁をめくろう。

12月10日(木)

 中学校まで同級生だった女性が経営する会社の宣材用写真の撮影。朝8時に家の近くで待ち合わせて、彼女の車で富山市内にある会社へ向かう。曇り空だが、今日は立山連峰がくっきりと見えた。
古本市で買った『富山の寺社』
 3~40分ほどで会社について、ストロボのセッティングなど撮影準備。
 先ずは新しく入った社員の顔写真。そして社員全員の集合写真を何パターンか撮影した後、オフィスのイメージカットをいくつか撮る。
 9時頃に撮影を始めて、10時半前に終了した。
 帰りは富山駅まで送ってもらって、あいの風とやま鉄道で。富山駅に着くと、構内で古本市が開かれていた。
 金沢方面行きの電車が来るまで少し時間があったので、古本市をのぞいて見る。富山文庫の『富山の寺社』が1,000円だったので購入。その横に『富山の絵馬』があって、2,000円だったので、駄目元で1,000円にならないか聞いたが安くできても500円までだというので見送った。
 11時43分発の金沢行きに乗車し、家に帰る。昼ご飯を食べて、今日撮影したデータをパソコンに取り込んで、早速現像を開始。一昨日Apple Storeに注文したMagic Mouse2が昨日届いたので、Magic Mouse2を使っての作業。快適だ。
Magic Mouse2

↑昨日届いたマジックマウス2。これまでiMacに付属していたMagic Mouseを使っていて、その使い心地の良さは知っているが電池式のため度々電池交換しなくてはいけなかった。また、電池を新しく入れ替えても中々mouseを認識してくれないことがある。Magic Mouse2は充電式なので、そんな面倒臭さがなさそうだ。mouseとパソコンのペアリングも簡単で、付属のUSBケーブルで繋いでから外すと直ぐに使えるようになっていた。

 パソコン環境の設備投資が思っていたより低くおさえられたので、以前から欲しかったセバスチャン・サルガドの写真集『ジェネシス』を買おうとアマゾンの洋書を見たがちょっと高めの値段。ネットでサルガドの名前とジェネシスで検索するとヤフーのオークションに2冊出品されていて、その内の1冊が1,500円。残り2時間で入札者が0だったので入札してみた。まさか1,500円で落札できるわけないと思っていたが、他に入札する人がいなくて落札してしまった。ちょっとビックリ。こんな事も有るんだ!

12月8日(火)

 夜中の3時頃、屋根を叩きつける激しい雨音で一度目が覚めた。一昨日から始めた作業スペースとは反対の場所の模様替えは、昨日でほぼ終了し何十年ぶりかでベッドを置いた。
 初めて一人暮らしをした東小金井のプレハブ小屋のアパートにはベッドが付いていて、その時以来かもしれない。東小金井から町田に引っ越して最初に借りたアパートでは、取り壊すという東小金井のアパートからマットレスだけを譲ってもらって使っていた。町田から向ヶ丘遊園に引っ越してからはソファーベッドにした。マットレスを折りたたんだり敷いたりするだけのベッドだった。奄美と沖縄は、家にあった薄いマットレスを使っていた。脚のあるベッドは20代前半以来だろうか。
 明け方なんだか寒いと思ったら、掛け布団がベッドから半分ほどズリ落ちていた。

 昨日は母親の85歳の誕生日だった。晩御飯の後に、沖縄のジミーから取り寄せたアップルパイにアイスクリームを添えて食べた。今日のお昼は、先日父親の米寿の祝いで食事に行った魚安へ。魚安でご飯を食べる前に、父親が好きな御菓蔵へ寄っておかきを何種類か買う。創業祭のイベントが開催されており、父親宛に来ていた案内はがきで妹が抽選をすると小鉢に植えられた花が当たった。
 魚安では4人とも平日昼のみの日替わりランチを注文。天ぷら、刺身、サラダ、煮物など7品ほどが付いて1,100円とお得なメニューで何回も食べにきている。本当は母親の誕生日だった昨日来たかったが、毎週月曜日が魚安の定休日なので、今日になった。
 食べ終わって、妹の運転する車で帰宅。夜、残っていたアップルパイにアイスクリームを添えて父親、母親と3人で食べる。

リニューアル中の部屋の写真01
リニューアル中の部屋の写真02

←↑作業スペースと反対側の模様替え。6畳分の畳が敷いてある。先ずは畳5枚とカラーボックス、本などを部屋の外や赤いカーペットの外に出し、その上からニトリのネット通販で購入したカーペットを敷く。そしてカラーボックスと本を戻す。6日の夜は物が散乱する中に布団を敷いて寝た。

↓せっかくの模様替えと大掃除なので、家具のレイアウトも少し変えてみた。ロッキングチェアを置けるのは何年振りだろう。

ロッキングチェアを置いた部屋の写真
 今日は雨模様の肌寒い日だったが、明日は日差しがあるようだ。少し暖かくなるだろう。

12月4日(金)

 昨日の午後から、一昨日届いたiMacのセッティング。これまで使っていたiMacを隣のテーブルに移動し、空いたスペースに今回購入したiMacを置いた。キーボードとマウスは付属していないので、キーボードは以前のiMacのものを流用。マウスはMac Proで使用していたものを流用。
 起ち上げてネットとwifi接続し、インターネットが繋がるか確認。続いてメールの設定。ちょっと前にMacBook ProでOCNのサポートを受けながら設定したので、今回は自分一人で出来るかと挑戦したが無理だった。またOCNのサポートに電話して教えてもらいながら設定していく。
 メールが繋がったら、今度はAdobeのPhotoshopCS6とDreamweaverCS6のインストール。既にこれまで使っていたiMacと先日購入したMacBook Proと2台のパソコンにインストールしているので、どちらかのライセンス認証を解除してからでないとインストールできないかな?とも思ったが、やってみたら3台目のパソコンにもインストールすることができた。
 インストールできたが、OS10.13High Sierraは正規には対応していないので、この記事のように自分でユーティリティーの中のターミナルにコマンドを打ち込んで実行しなくてはならない。それでも試しにDreamweaverCS6を起ち上げてみると、やっぱり「以前のJavaSE6ランタイムをインストールする必要があります」とメッセージが出る。PhotoshopCS6も同じだろうと思いながら起ち上げてみると、起動した!えっ!じゃあ、これで良いかと一瞬思ったが、やっぱりDreamweaverも使いたい。覚悟を決めて、リカバリーモードで起動して作業を始めた。2回目なので、少しは馴れたがドキドキするのは同じだ。なんとか作業を終えてDreamweaverCS6を起ち上げると、使える状態になった。
 PhotoshopCS6は、MacBook Proにインストールした時はショートカットキーが使えない状態になっていたが、今度はどうだろうと確認するとやはり使えなかった。また、「PhotoshopCSのショートカットキーが効かなくなった時の対処法まとめ」という記事を参考に色々と試してみるが、最終的にはAdobeのホームページから直接Photoshop 13.0.6 update for CS6をダウンロードしたところ、ショートカットキーが使えるようになった。途中、システム環境設定からキーボード→入力ソースで日本語を削除してU.Sを選択し、それでPhotoshopを起ち上げるとショートカットキーが使えるようになったが、毎回それをやるのも手間だ。
 Adobeのソフトが使えるようになったので、次にエプソンのプリンターとのwifi接続。MacBook Proの時は、プリンターに付属のソフトウェアディスクに入っているセットアップガイドに従って操作すると簡単にできたので、今回も上手くいけるんじゃないかと期待していたがダメだった。途中まではスムーズにいくが<プリンターが見つかりませんでした。[OK]をクリックし、続いて表示される画面の説明に従って設定してください。>というメッセージが出てしまう。何度かトライしても同じメッセージが出てくるので、昨日はここまでにした。
焼きそば
 最近の朝食は食パンに溶けるチーズを乗せてトーストだが、今日は一昨日買った日清焼きそばが食べたくなって朝からインスタントの焼きそば。具材は何も無いシンプルな焼きそばだが、相変わらずスパイシーで美味しい。今日はちょっと水の量が多かったのか、柔らかめの仕上がりになった。
 焼きそばを食べたら冷たい水で顔を洗って、昨日の続き。EIZONOディスプレイCS4210を繋いでダブルディスプレイに。
 先ずはCS4210に繋がっているMacBook Proのサンダーボルトのケーブルを外して、そのままiMac側のサンダーボルトに接続。両方の電源を入れると、2つの画面が起動した。iMacのシステム環境設定からディスプレイの配置を設定。次にEIZOのホームページからColorNavigator7をダウンロードしてiMacにインストール。ディスプレイにセンサーEX4をセットし、室内の環境光を高演色性蛍光灯のリアルクスのみにしてキャリブレーション。
パソコンとディスプレイの写真
↑左が今回購入したiMac、右がキャリブレーション中のCS4210。奥にこれまで使っていたCE240Wが少し見える。
パソコンとディスプレイの集合写真

↑パソコンの集合写真。左が今回購入したiMac、中央がCS2410、手前がMacBook Pro。右がこれまで使っていたiMac。4つともデスクトップはソリッドグレイ・ミディアム。実際の見た感じは写真ほど違わないが、やはりパソコンによって同じソリッドグレイ・ミディアムに設定しても色が変わる。

 CS2410を2台のパソコンと繋ぎたいので、もう一台をどんなケーブルで繋げばいいかEIZOのサポートに問い合わせる。教えられた純正のケーブルは高価なので、ネットでもう少し安価な商品を探す。サンワサプライのKC-DPM1Wというのが使えそうなので、お客様サポートにメールで実際に使えるか問い合わせる。
 昨日から部屋に閉じこもっていたので、外の空気を吸いに自転車でちょっとブラブラ。買い物もして帰ってきたら、サンワサプライから使用可能とのメールが届いていた。
 机の上はケーブルだらけで、特に外付けHDDのUSBケーブルがゴチャゴチャになっている。そこで先日100円ショップで買ってきたお名前シールをHDDの本体に、カラーシールをケーブルの両端に貼って直ぐに区別ができるようにしてみた。

外付けHDDとケーブル
 これで今回のパソコン環境の改善、リニューアルはほぼ終了。ヨドバシカメラに注文したMagic Mouse2が届くのを待つばかりだ。想定していたよりも快適な作業環境になり、予算は今のところ想定していた3分の2ほどで済んでいる。ソフトはいくつか揃えるにしても、今回組んだパソコンやディスプレイで5年、いや10年ほど作業ができればいいのだけれど。
 iMacのメモリは16GBだが、ストレージはMacBook ProのSSDと違い1TBのハードディスク。起動やダウンロードは、SSDのMacBook Proに比べるとかなり遅く感じるけれど、一旦起動してからの作業はスムーズだ。DreamweaverもPhotoshopもストレスなく使えている。今日のホームページはさっそく、買ったばかりのiMacを使って更新している。

12月2日(水)

 朝は曇り空だったが、だんだんと晴れていった。窓を開けると、冷たい風が吹いていた。少しずつ師走らしくなっていく。
新しく購入したiMac

 昨日の午前にネットで注文したパソコンが、今日の午後に届いた。
 今回購入したのは、Apple iMac Mid 2011 21.5インチ Core i5 2500S 2.7GHz。メモリ8GB、HDD1TBで29,800円だったが、メモリを16GBに増設してもらい39,600円。前回MacBook Proを買った時のポイントなどを使って38,643円になった。

←今日届いたiMac。本体と電源ケーブルのみ。

 届いたiMacを部屋に持って行き、ダンボールから取り出す。中は本体と電源ケーブルのみで、ビニールのプチプチで梱包してあった。
 パソコンを受け取り家で待機する必要がなくなったので、ちょっと自転車でお出掛け。近所のスーパーのチラシに、日清焼きそば5食入が特売になっていたので買いに行く。 スーパーの中にテナントとして入っている100円ショップでも、シールを2つ購入。買い物を終えてスーパーを出てから、小矢部川の方へ。空にはいわし雲。今日はキレイな夕焼けになるかもしれないと思い、急いで家にカメラを取りに帰る。
 カメラをバックに入れて、再び小矢部川の土手へ。暫くして太陽が山の中に沈んで行った。思ったほど空は焼けなかったけれど、キレイな夕焼けだった。

小矢部川の夕焼け01
小矢部川の夕焼け02
 家に帰り晩ご飯を食べてから、妹の車で昨日から始まった砺波チューリップ公園のイルミネーション『KIRAKIRAミッション2020』を見にいく。
チューリップ公園のイルミネーション
記念写真
 昨年はこのイルミネーションを撮影するため、自転車でここまで来た。片道1時間ほどかかっただろうか。
 30分ほどブラブラ見て歩き、記念写真を撮って帰って来た。
 家に帰ったらパソコンのセッティングを少しやろうかな、と思っていたが明日することにする。
 そう言えば、11月27日にヨドバシカメラに注文したMagic Mouse2は、未だに在庫を確認中になっている。
 明日は午前中から、iMacのセッティングと色んな設定をしなくては。

12月1日(火)

 今日から12月。凄まじかった2020年も、あと一ヶ月となった。
 先月の28日は父親の88歳の誕生日だった。
 米寿のお祝いに、ここ1、2年たまに利用している魚安という料理屋さんへ。妹の運転で、妹の旦那さんも一緒に5人で向かう。
 18時30分に予約してあり、掘り炬燵式の個室に通された。料理は一人3,300円の「おまかせ膳」。お造り、煮物、焼物、台の物、天ぷら、小鉢2品、御飯、香の物、汁物、デザート、コーヒーが付く。かなりお腹がいっぱいになるメニューだが、父親は肉が食べられない妹と歯が痛いという母親の牛鍋の肉も食べる。88歳とは思えない食欲だ。今年は正月早々から足を悪くし、今も杖を持って歩いているが、他は健康でよくそれほど唐揚げやトンカツ、天ぷらが食べられるな〜と感心するほど食欲旺盛だ。
 食事の後、妹が借りてきた米寿の衣装を着せて記念写真。還暦の赤い衣装も借りてきており、今年の3月に60歳になったので着せられそうになったが勘弁してもらった。
 誕生日のケーキも沖縄のジミーから取り寄せたジャーマンケーキが用意してあったが、家に帰って来たらお腹がいっぱいで、翌日と翌翌日に分けて食べた。
米寿の祝い
 購入したMacBook ProとEIZOのモニターのセッティングができたので、29日から部屋の大掃除を始めた。今使っている部屋は、横長の18畳ほどの大きさ。家は何回か増築しており、この部屋も確か30年以上前に増築したもの。カラオケセットがあったり、ソファーのセットがあったりしたので、父親が応接間にしようと思っていたのかもしれない。その後、物置のようになっていたが、帰郷してから自分の部屋として使っている。 
 部屋に敷いてある真紅のカーペットは増築した時からのものだから、こちらも30年以上だろう。繊維が劣化しており掃除機では細かいゴミが吸い取れないので、箒やブラシで掃き掃除するのだがカーペットの表面が赤い粉となって削れてくる。そこで28日にニトリで新しいカーペットを買ってきた。18畳ほどの部屋を一度に模様替えするのは大変なので、今回は作業場所を中心に8畳のカーペットを敷き変える。
部屋の片付け01
部屋の片付け02

↑掃除中の部屋はカオス。

 新しいカーペットを敷くためには、荷物を一旦部屋から出さなくてはいけない。カメラ機材、パソコン、撮影フィルム、おまけに電子ドラムまで。
 荷物を出す作業は、29日の午後から始めて30日の夕方までかかった。

←ようやくカーペットが見えた。本当は真紅のカーペットを剥がしたいが、ゴミと埃を取ってから、上に敷いた。 

満月
↑30日は満月だった。
 今日は朝から新しく敷いたカーペットの上にテーブルやラックなどをセットして、パソコンやカメラ機材を並べる。夕方までかかって、ようやくひと段落。
片付いた部屋01
片付いた部屋02
 部屋がなんとか片付きそうだったので、今日の午前中にネットで中古のiMaとカーペットを購入した。パソコン環境、作業場環境の改善はまだまだ続きそうだ。

11月へ