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11月27日(金)

 午前中は青空が広がっていた。徐々に雲が多くなり夕方からは雨が降り出す天気予報だったので、晴れているうちに少しだけ自転車を漕ぐ。
 昨日、EIZOのディスプレイCS2410とキャリブレーションセンサーEX4が届いた。届いたのが午後も遅かったので、昨日はマニュアルを読むだけにした。
昨日届いたディスプレイとセンサー


 自転車で小矢部川の堤防を少し走って来てから、ディスプレイをセッティング。モニターをスタンドベースに取り付ける作業がちょっと分かり難かったが、なんとか出来た。
 これまでCE240Wで使用していた映像信号用のケーブルで、MacBook Proと接続。次にソフトウェアを使う際に必要なUSBケーブルを繋ぐ。電源を入れると、CS2410の画面も表示された。

←昨日届いたディスプレイとセンサー。

センサーと使ってキャリブレーション中
キャリブレーション完了

↑画面中央がセンサーのEX4。

 パソコンと外部モニターが繋がったので、カラーマネージメント・ソフトColorNavigator7をEIZOのホームページからダウンロード。
 ダウンロードしたColorNavigator7を起ち上げると、画面にセンサーを取り付けるように要求されたので、急いでEX4をセットすると、後は画面の指示に従っていけば数分でキャリブレーションは完了した。

 キャリブレーションは思っていた以上に簡単に済んだが、一ヶ所気になるところがあった。ガイドブックにはカラーモードを「CAL」に設定とあったが、画面には「CAL1」「CAL2」「CAL3」があった。とりあえずCAL1に設定したが、これで良かったのかサポートに電話して確認。確認したところCS2410は、CAL1で良いそうだ。他にも2台のパソコンを同時に繋ぐ場合のことなどをお聞きする。
 MacBook ProとCS2410のセッティングが完了したら、Magic Mouse2が欲しくなった。MacBook Proにはトラックパッドがあるが、慣れていないせいもあり少々扱い難い。iMacではMagic Mouseを使用しているが、このマウスを使うと画像を扱うソフトを動かす時にもとても操作が楽。昔はワコムのペンタブレットを買って使用していたが、Magic Mouseの方が快適な気がする。Magic Mouseは電池式だが、新しいMagic Mouse2の方は充電式だそうだ。
 ヨドバシカメラのネット販売サイトでMagic Mouse2をポチッとする。この商品は取り寄せになるそうだ。支払いをコンビニ決済にしたので、コンビニまで支払いに行く。コンビニから100円ショップで買い物をして、そのまま小矢部川の土手を自転車で走ってくる。午前中は青空だったが、天気予報の通り曇り空になった。雲の合間から、雪を被った立山連峰が見えた。
雪を被った立山連峰

 昨年の11月23日に撮影した射水神社の初穂曳の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら

射水神社の初穂曳
 昨日、千駄木にある四川料理のお店「天外天」を運営する会社が破産したというニュースが目に飛び込んで来て驚いた。
 天外天に初めて行ったのは、近畿日本ツーリストの旅行誌『ジョイフル』の唐辛子特集の撮影だったかな?もう25年ほど前だ。編集長が、あの有本香氏に代わってからの時代。料理長・中川優氏のポートレートと、麻婆豆腐や四川担々麺を撮影した。柴田書店の雑誌でも撮影に伺っているかもしれない。
 プライベートでも谷根千方面へ散歩に行った際、ちょっと贅沢なお昼ご飯を食べようかなと思った時に何度か足を運んだ。
 今日は東京都で過去最多となる570人の感染を確認、重症者も緊急事態宣言解除後最多となる61人となった。全国で新型コロナの感染拡大が止まらない事態に、菅首相は対策本部の会合でGo Toトラベルの札幌・大阪出発も控えるように呼びかけたそうだ。そんな小手先の手段で感染拡大が終息するとは思えない。先ずは「ハンドル握ってるサル」を運転席から放り出せ。至極真っ当な意見だろう。
 吉本新喜劇で活躍されていた、船場太郎さんが亡くなられた。新喜劇を退団後は、大阪市議会議員をされていたのは知らなかった。享年81歳だった。

11月24日(火)

 3連休のうち2日間は、部屋の掃除をしていた。小さなチリトリを使ってゴミ袋2つ分を集めたが、物が多いので他人から見ればそのビフォーとアフターにあまり違いは無いかもしれない。掃除をすると、たいてい小銭が出てくる。今回はあまり落ちていなくて100円玉、10円玉を一つずつ見つけた。お金は大したことなかったが、ほぼ未使用のA2サイズのプリント用紙が見つかった。金額にすると7000円以上だろうか。嬉しいが、写真展が終わったのでA2サイズでプリントする用途がない。ちょっと困った。
 午後、依頼のあったマイナンバー通知カードのコピーを書類に添付し、封筒に同封されていたレターパックライトに入れて郵便局から送った。
宮沢和史

 朝の連続テレビ小説『エール』も、あと明日を入れて4日となった(最終日の28日は最終週の振り返り)。
 連続テレビ小説は 新型コロナの影響で、春と秋のスタートがズレてしまったが、今後放送を重ねて調整しながら春、秋スタートに戻していくんだろうか。
  ヒロイン音の娘・華はロカビリー歌手のアキラと結婚して、霧島という名字になった。
 霧島アキラ役の宮沢氷魚は、お父さんとよく似ているな〜と思う。

 宮沢和史さんは1993年と1998年に、雑誌の仕事でポートレートを撮影してる。
 左の写真は1993年に撮影したものだから、彼が27歳の時だろう。今『エール』に出演している息子が26歳だから、同じ年頃の写真ということになる。お母さんの光岡ディオンさんはよく知らないのだが、お父さんの顔をもっとソフトな感じにすると氷魚の顔になるような気がする。
 氷魚という字ズラやヒオという発音は美しいと思うが、氷魚とは鮎の稚魚だそうだ。どうして息子の名前を氷魚にしたのだろうか。

 昨年の11月23日に撮影した勝興寺で開催されたアール・ブリュット展の様子と、勝興寺の写真をPhoto Albumにしました。こちら

勝興寺の唐門

↑個人的に、県内の建造物で一番綺麗だなと思っている勝興寺の唐門。
 昨年、さんざん国会で追及されていた「桜を見る会」の会費について、安倍前首相側が約800万円補填していた可能性があることがわかった。また、衆院調査局が、森友学園問題に関して2017年2月から18年7月までの間に安倍政権が行った事実と異なる国会答弁は139回にも及ぶことを明らかにした。
 首相の座を降り、時間も出来ただろう。桜を見る会の問題だけではなく、森友、加計学園の問題も遡ってきっちりと説明責任を果たし然るべき処分を受けたらどうかと思う。トランプ大統領も、今後は訴追される可能性もある。仲良くどうぞ。

11月21日(土)

 朝方は時折り雨が降っていたが、少しずつお天気は回復。昨日、EIZOからネットで購入したディスプレイの代金振込用紙が郵便で届いたので、コンビニで支払いを済ませる。総額72,500円の内6,591円が消費税だ。そりゃ、民間の購買欲も低下するだろう。
 コンビニの帰り、先月末に特定検診を受診した病院に寄って結果を教えてもらう。尿酸値が基準値より少し高いが、他は基準値以内だった。尿酸値が高いのは食生活に原因があり、肉の食べすぎやお酒の量が考えられるそうだ。心当たりはある。

 一昨日はMacBook Proをネットに接続し、メールの設定までできた。そこで、昨日はソフトのインストールを試みた。自分の使っているソフトはAdobeのPhotoshopとDreamweaverで、どちらもバージョンはCS6。パッケージ版としては最後のバージョンだ。CS6以降は定額で一定期間使用できるサブスクのCCになっている。
 このCS6に対応している MacのOSは、10.9まで。しかし、ネットで検索したところ自分でパソコンの中をいじれば10.13High SierraまではCS6が使えるという記事があった。今回、10.15Catalinaを、わざと旧いバージョンの10.13に変更してもらったのは、このためだった。
 パソコンの知識があるわけではないが、やらないとソフトが使えない。背水の陣。先ずは DreamweaverCS6のインストーラーが入ったCD-ROMを入れる。CS6のアップグレート版なのでシリアル番号を入力すると、次に元となったCS3のシリアルナンバーを求められる。これも入力すると、インストールを開始。インストールが完了したので、早速ソフトを起ち上げようとすると「以前のJavaSE6ランタイムをインストールする必要があります」とメッセージが出る。
 そこで記事を見ながらトライ。リカバリーモードでパソコンを起動し、ターミナルに移動。記事に書いてあるようにコマンドを実行する。これは上手くできて、再起動。しかし、次の管理者アカウントでログインしてターミナルを起動してコマンドを実行する場面が、どうも実際の画面と記事の画面が違ってよくわからない。わからないままコマンドを実行し、試しにDreamweaverCS6を起ち上げてみたところ、起動した! 少しホッとしたが、まだ作業は完了しない。もう一度リカバリーモードで起動し、ターミナルにコマンドを実行する。これも記事の画面と実際のパソコン画面が違うが、わからないままコマンドを実行。そして再起動。ドキドキしながら、再度 DreamweaverCS6を起ち上げると起動した。多分、成功したようだ。
 そこで次にPhotoshopCS6をインストールする。こちらもCS3からのアップグレート版なので、CS6とCS3のシリアルナンバーを入力してインストールを開始。 インストールが完了して起ち上げると、なんなく起動した。
 早速Photoshopを使ってみると「?」、ショートカットキーが使えない。⌘Zや⌘+、⌘−といったショートカットはPhotoshopを使う上でなくてはならない。そこで対処法をネット検索すると「Photoshop CSのショートカットキーが効かなくなった時の対処法まとめ」という記事が見つかった。書かれている方法を色々と試し、結果的にはAdobeのホームページから直接Photoshop 13.0.6 update for CS6をダウンロードしたところ、ショートカットキーが使えるようになった。

 昨日ソフトがインストールできたので、今日はプリンターの接続。エプソンのサポートを受けないとならないかな?とちょっと心配になりながら、プリンターに付属していたソフトウェアディスクを挿入。セットアップガイドにしたがってクリックしていくと、全てが自動で完了した。パソコンのシステム環境設定を確認すると、ちゃんとプリンターが認識されている。
 次にiMacに繋いでいるEIZOのCE240WをMacBook Proに繋いでみる。そしてPhotoshopで画像を開いてプリントしてみる。パソコンとプリンターは無線接続だがスムーズにプリントできた。
 もうパソコンを使い始めて25年ほどになる。このMacBook Proで9台目、ノートパソコンとしては3台目だ。昔はSCSIのチェーン接続で、新しく周辺機器を繋ぐたびに相性が悪いとか繋ぐ順番が良くないとかでトラブルが起こった。それがUSB接続になり安定し、今や無線接続で自動で完了してしまう。

↓Wi-Fiで接続してテストプリント。→デュアルモニターにしてみた。
MacBook Proと外付けのディスプレイ
テストプリント
 自分でも驚くほどプリンターの接続が上手くいったので、午後から自転車で外を走ってくる。風は冷たく、昨日までの夏日ではないが、陽射しが当たると暖かい。
小矢部川と空と雲
 今年も支払調書を作成するために、マイナンバー(個人番号)を書いたマイナンバーカードかマイナンバー通知カードのコピーを送付して欲しいという書類が届いた。新しい仕事先が出来る度に、年末や年始にマイナンバー通知カードをコピーして送らなければいけない。個人的には面倒くさい作業が増えただけで、マイナンバーカードで便利になったことは何一つない。

11月19日(木)

 この2、3日暖かい日が続いている。今日は快晴だったことに加えて南風が吹いたので、最高気温が27度の夏日になった。お昼ご飯は、大根おろしと鰹節を乗せた冷やしぶっかけ蕎麦にした。
 家のパソコン環境を向上しようと、一昨日中古のパソコンと新品のディスプレイを購入する手続きをした。パソコンはApple のMacBook Pro 9.2 Mid 2012 13インチ 。OSは10.15のCatalinaが標準でインストゥールされているが、10.13のHigh Sierraに変更してもらった。CPUはCore i5 3210M 2.5GHzと古いが、16GBのメモリと新品のSSD256GBが積んである。このスペックで45,780円だった。中古のパソコンは初めて買うのでちょっと不安でもあるが、デジカメα−700はもう何台も中古で買っているのでこれも経験だろう。
 ディスプレイはEIZOのColoeEdgeシリーズのエントリー機CS2410にキャリブレーションセンサーEX4をセットにしたもので、 72,500円。代引き払いだと手数料が1,100円かかるので、コンビニ振り込みの用紙を送ってもらう方法にした。ディスプレイは2006年の10月に購入したEIZOのCE240Wを永く使ってきたが、さすがに周辺が焼けてきたり色むらがあるので買い替えを決めたが、14年前にCE240Wとキャリブレーションセンサーのセットを買った時は約18万円だった。今回購入するにあたって、CS2410で不都合はないかメーカーに問い合わせたら 色域はCE240Wと同じだという。また接続するケーブルも、現在iMacとCE240Wを繋いでいるモノがそのまま使えるそうだ。
 新しくパソコンを購入するにあたり、AppleIDやAdobeIDの変更も行った。Appleの方は自力で変更できたが、Adobeの方は難しくてサポートを受けた。チャットによるサポートだが、直ぐに繋がってなかなか快適に受けられた。

 そして、今日の午後。さっそくパソコンが届いた。代引きだが、こちらは手数料はなし。
ネットで購入した中古のMacBookPro01
 段ポールに入れられてゆうパックで送られてきたMacBook Pro。中にはパソコン本体とACアダプタ。パソコンの箱やユーザーズガイドなどは一切付いていない。
 先ずはWi-Fiルーターに接続。これは上手くいって、Safariを起ち上げると、そのままインターネットに接続された。続いて設定アシスタントで今使っているマックからデータ送ろうと思うが、これは上手く出来ないので諦める。
 メールもOSが変わると設定画面もずいぶんと変更になっているので、OCNに電話してサポートを受ける。
MacBookPro02
 とりあえずインターネットとメールは繋がった。これからソフトや周辺機器のドラーバーを、インストゥールしなければいけない。しばらくはパソコン画面と向き合って、試行錯誤する日々が続きそうだ。

 このところ新型コロナ感染者数が更新を続けている。今日は東京都で534人全国では2,327人を記録した。それでも政府は基本的に見守るだけで、感染予防は自助に頼っている。そして日本医師会の会長が感染拡大のきっかけはGo Toトラベルだとの見解を示しているにもかかわらず、助言に従って取り止めることはしないようだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
ノジマ、航空業界以外からも出向受け入れ検討
エアアジア・ジャパン破産 コロナ影響、国内航空初 需要急減で経営悪化
政府が健康保険証の将来的な発行停止を検討、マイナカードとの一体化で
マイナンバーカード、交付待ち500万人 せかす国、自治体はパンク状態
「地球の歩き方」事業、学研HD子会社に譲渡へ 海外旅行回復見通しなく
「日本で報道されないトランプ支持者の集会」拡散の動画などは誤り、自民市議はお詫び
辺野古工事で移植したサンゴ1群体が死滅 ジュゴンの鳴き声確認 防衛局が報告

11月14(土)

 バイデン氏が過半数の270人を上回る306人の選挙人を獲得し、米大統領選の勝利を確定した。しかし、トランプ氏はまだ敗北を認めないようだ。
 ところで、バイデン氏側の不正を訴える言説やコメントがアメリカのみならず日本のSNSでも拡散しているが、 BuzzFeedは、まとめサイトや新興宗教系メディアの影響が大きいという記事にしている。

 今日も朝から快晴で、午後から近所を自転車で走って来ようと玄関に出たら・・・一昨日パンク修理した自転車の後輪がまたペチャンコになっている。一昨日修理した後に1時間ほど走り回り、昨日も家から駅の往復に使用したのに。
 修理する気力がなかったので、家のママチャリで1時間半ほど小矢部川の土手をプラプラして帰って来た。
 昨日はガラス美術館の5階で開催されている、グループ写真展「AboxPhotoClubとやま写真展2020」を見に富山市へ。あいの風とやま鉄道の電車で、12時4分に富山駅に到着。電車に乗るのは御旅屋セリオで開催していた写真展「たかおか彩時季」の最終日だった8月16日以来なので、約3ヶ月振りだ。
 富山駅からガラス美術館に向かって歩いて行くと、富山県民会館の前の街路樹に電飾をつける作業が行われていた。もう、そんな季節だ。
電飾の飾り付け

↑駅前の街路樹にイルミネーション用の電飾が取り付けられている。

 写真展を見る前に、ガラス美術館へ行く途中にある富山市役所でお昼ご飯にチャーシューメンをいただく。この510円のチャーシューメンが食べたくて、富山まで出てきたとも言える。
 お昼時で混んでいたので、ササッと食べて写真展へ。

←分厚いチャーシューが5枚ほどに、メンマがどっと乗って510円。

 ガラス美術館の2・3階では木梨憲武展「Timingー瞬間の光ー」を開催中だが、こちらは素通りして5階の写真展へ。それぞれが展示方法を含めて、試行錯誤した作品が並べられている。
 30分ほどでガラス美術館を出て、次に福岡町出身の映画監督、滝田洋二郎さんの企画展を開催している高志の国文学館へ向かう。 富山駅の総合案内所でもらった地図を見ながら歩いていると、富山の大和デパートの壁面に巨大なキティちゃん。富山城にもキティちゃんをデザインしたフォトフレームが。そういえば北日本新聞にもオススメ記事のアイコンとしてキティちゃんのイラストが登場する。なぜ?と検索してもこんな感じの記事しか見当たらない。

ハローキティ

 富山城址公園横の松川に出ると、川沿いに小さな祠があった。中にお地蔵さまが祀ってあり、由来が書いてあった。

延命地蔵尊由来

天保五年神通川より発掘せる石地蔵あり住民これを奇瑞(きずい)として奉祀せるに霊験揚焉(ケチエン)なり延命地蔵と曰ひ近隣これを信仰すること甚だ篤し遂には行基菩薩御作なりとの巷説をすら生じたりき然るを昭和二十年八月一日夜戦火を蒙りて尊像焼損し給ひぬ御出現以来百十二年の事なり人々これを悲しみ昭和二十三年新像を模作して故地に奉安せるを同二十三年都市計のため此の地に移し奉れりいささか由来を録し以て後代に遺さんとす

 天保5年(1834)に神通川からお地蔵さまが発掘され近隣の人々から篤く信仰され、中には行基菩薩がお造りになったという人まで現われた。しかし、昭和20年8月1日の富山空襲でお地蔵さまが損傷した。人々は嘆き悲しみ昭和23年に、元のお地蔵さまを模して新たな地蔵を造って安置したということだろうか。
 松川のほとりで、なぜ神通川から発掘したお地蔵さまが?と一瞬不思議に思ったが、<松川はかつて神通川の本流が富山市中心部を蛇行して流れていた跡であることがしられている>とWikiに書かれている。
 また、なぜ行基の名前が出てくるのだろうとも思ったが、行基菩薩が神亀元年(724)に開山したとされる富山寺(ふせんじ)は、現在の富山城周辺の藤居村にあったのを思い出した。

延命地蔵尊01
延命地蔵尊02
↓松川沿いの紅葉。↑→延命地蔵尊。
松川沿いの紅葉
高志の国文学館01

 ガラス美術館からのんびり30分ほどかけて歩いて、15時半前に高志の国文学館へ到着。
 企画展のチケット500円を払い、中へ。展示室の中は4ヶ所撮影可能な場所があり、配られた資料に記しがついていた。展示室の中には何ヶ所か滝田監督のインタヴュー映像が流れていたが、それほど広くないスペースで一斉に音声が聞こえてくるのでちょっと気が散る。

←高志の国文学館。

 企画展のチケットには、常設展の入場券もついている。常設展の中には富山ゆかりの漫画家のコーナーもあり、まつもと泉を紹介したブースもあった。その前に、彼が先月逝去したことを知らせる案内が置かれていた。
高志の国文学館02
↑滝田洋二郎展にて、撮影可能だったポスターの展示(左)と、庭から眺める文学館の正面。
スナップ01

 文学館の後、散歩がてら富山県水墨美術館へ足を延ばそうと思っていたが、文学館に1時間強滞在したら15時半過ぎ。足も疲れたので、路地を探索しながら駅に向かうことにした。

←玄関ドアが3つもある家。煙突は繋がっておらずトマソン状態。芝園町にて。

↓愛宕町にあった東南アジア風?の朝乃山。中央が駐車場になっていて、奥に店舗らしきものが。

スナップ02
 なるべく人通りの少なそうな道を選んで歩いていると、「北陸御巡幸 御前水井戸」と書いた案内板と、その横に蓋をされた井戸があった。
北陸御巡幸の井戸

北陸御巡幸 御膳水井戸

 明治五年(一八七二年)から、天皇親政の徹底と新政府の威信を国民に示すため、明治天皇の全国巡幸が行われた。
 北陸巡幸は、明治十一年(一八七八年)で、八月三十日に東京を出発された。九月二十八日に新潟から富山へ板輿(板の上に白木の板囲いをした屋形を乗せ、すだれをかけた輿)で入られ、朝日町と魚津市にそれぞれ一泊された。三十日には、富山市に到着し、中田清兵衛(薬業の豪商)邸で一泊された。十月一日には、西町・越前町・旅籠町・諏訪川原町を経て七軒町で板輿に乗り換えられた。神通川に架かる六十四艘の舟橋を渡りながら、一〇余艘の漁船による神通川名産のアユ漁を御覧になった。
 その後、明治天皇は、船頭町(現在は、芝園町の一部)を経て愛宕町の大間地正助(呉服商)邸で休息され、この井戸水で沸かした御茶を召しあがり、馬車に乗り換えられ、船橋今町・五福新町を経て、安養坊に向かわれた。
 なお、この井戸は枯れたため、今は使用されていない。

平成二十九年三月 富山市教育委員会

 地元の福岡町にも、明治11年の明治天皇が北陸を巡幸された際に休憩されたという島田邸がある。ネット上に「北陸への明治天皇巡幸ー富山県」と題したファイルがあり、その詳細が記されていた。それによれば、大間地庄助(正助?)宅で休息されたのは、明治11年10月1日のことのようだ。そして同じ日の午後3時半に福岡町の島田七郎平宅に到着し、島田邸の向かいにある造り酒屋、酒井仁十郎方にて雅楽が演奏される。この雅楽が、現在の洋遊会に繋がっている。
 御前水井戸や島田邸だけでなく、県内のいたるところにこのような明治天皇巡幸縁の地が存在し、地元民から誇りに思われているのだろう。

 富山駅に近づいてきたので、大きな通りに出る。幅広の歩道を歩いていると名前と住所と赤い矢印の貼り紙が目についた。覗くと、ビルとビルの間の先に家が見える。まさかこんな細い隙間の先に家があるとは思われないから、表札が大通りの方まで出張してきたのだろう。家に帰ってGoogleマップで確認すると、平屋の家があった。

 富山駅を16時42分発の電車で帰る。17時までなら空いてるかな?と思っていたが学校帰りの生徒もいて、それなりに混んでいた。
 携帯電話の万歩計で、この日は久しぶりの1万越え、12,212歩だった。

11月12日(木)

 久しぶりの秋晴れ。日差しもあり、風は少し冷たいがわりあい暖かな日だった。
 しばらく前に、自転車の後ろのタイヤがパンクした。虫ゴムがすり減って空気が抜けたことは一度あったけれど、買って3年半ほど経つがパンクしたのは今回が初めてだ。
 いつまでも放っておけないので、パンクの修理を試みる。前にも一度100円ショップで買った修理キットで、家にあった自転車のパンクを修理したことがある。先ずはYou Tubeで探した「元自転車経営者が100均の修理キットでパンク修理してみた」を観て予習をしてから実践。2回目という事もあり、思っていたよりスムーズに出来た。
 奄美大島に住んでいた時は、2年間で4回はパンクした記憶がある。ただ、ありがたいことに名瀬の自転車屋さんは500円でパンク修理をしてくれた。たぶん、今地元の自転車屋さんにパンク修理を頼むと1500円ほどかかるんじゃないだろうか。

パンク修理
↑昔、写真のプリントに使用したパットに水を入れてパンクした箇所を探し、接着剤を塗りパッチを当てて修理。
紅葉01
 天気も良いことだし、上手くパンク修理ができたか確認するため、小矢部川の土手を自転車で走る。
 走りながら周囲を見ると、しばらく寒い日が続いたからか、紅葉が里に下りてきている。
 1時間ほど走り、スーパーで焼酎とチーズを買って帰る。
 空気が抜けることもなかったので、修理は成功したようだ。
紅葉02
 今日一日で新型コロナの新規感染者が1636人確認され、一日あたりで過去最多を記録した。外食大手のすかいらーくホールディングスは、不採算に陥った首都圏を中心とする約200店を2020〜21年に閉店すると発表。
 これから日本は、世界はどうなって行くんだろうか。

11月11日(水)

 寒気が入り込んでいるのか、この3日ほどは日中も寒くて部屋に閉じ籠っている。
 昨日、父親が病院の定期検診の後に妹と一緒に免許の返納をしてきたようだ。今月には88歳になる。本人はもう少し運転したいのだろうが、まわりはちょっとホッとしている。
 11月、12月は妹、父親、母親の誕生日が続くので今年も沖縄の洋菓子店「ジミー」にケーキを注文。定番のジャーマンケーキとアップルパイに、今年はクランブルチーズケーキというのがあったのでこの3つにした。

 那覇に住んでいた2013年、沖縄県立図書館で芳賀日出男さんの写真集『折口信夫と古代を旅ゆく』(慶應義塾大学出版会)を借りた。
 折口信夫は「まれびと」や「依り代」という概念を広めた民俗学者だが、その折口信夫の民俗学を各地に残る祭りや芸能の写真を通して、わかり易く伝えようとした写真集ではなかったかと思う。
 この写真集を制作する過程の映像を、最近、You Tubeで見つけた。「民俗写真家 芳賀日出男」というタイトルで、元々は「探究者たち 民俗と祭りと」と題して2009年にWOWOWが放送したものだそうだ。映像は奥三河で伝承されている重要無形民俗文化財「花祭」での撮影を中心にしている。現在99歳の芳賀日出男さんの、87歳の時の記録だが、そのしっかりとした足取りに驚く。54分と少し長いが、面白いのであっという間だ。

 一度、芳賀日出男さんの講演を聴講したことがある。奄美に住んでいた2011年の9月、書籍の仕事で東京にある出版社のスタジオへ行った時、撮影の後も何日か東京に滞在していた。ちょうどその時、麹町のJCIIフォトサロンで『1955ー1957自然と文化 奄美』と題した芳賀日出男さんの写真展が開催されており、電話予約をして講演会を聞きに行った。
 その時は90歳になられていたが、わかり易い言葉でプロジェクターに映し出された写真一枚一枚の解説をされていた。
 写真のいくつかは、当時奄美の図書館で借りて見ていた民俗学の本に掲載されていたものだった。

 昨年の11月13日に撮影した上行寺のお会式の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
上行寺のお会式

 今日、アップルが自社製チップを搭載したマックの新製品「マックブック・エア」「マックブック・プロ」「マック・ミニ」の3機種を発表した。
洋服の青山など160店閉鎖へ 希望退職400人募集も><エイベックス「虎の子」南青山の本社ビル売却へ><コロナ禍で消えた“ハレの日”需要が大打撃 「写真スタジオ」で倒産急増、過去10年で最多確実に
 Go Toトラベル、Go Toイートを全否定はしないが、これらのキャンペーンで救われるのは一部の業種に偏ってしまう。他の業種の多くの企業は青息吐息だ。そんな現実とは裏腹に、日経平均株価は7営業日続伸し、今日は29年ぶりに2万5000円を突破した。
 持病の潰瘍性大腸炎が再発し「体力が万全でない中、政治判断を謝ることがあってはならない」と首相を辞任した安倍氏が、 自民党の「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」の会長に就任するそうだ。呼びかけ人だという山本幸三元地方創生担当相は「第2次安倍政権下でのアベノミクスは大きな成果 を上げましたが、本年初頭からの新型コロナウイルス・ショックによって頓挫し、デフレに逆戻りしかねない岐路に立たされています。今こそ、アベノミクスの 原点に立ち戻り、積極果敢な金融・財政政策によってデフレ完全脱却に向けて再始動を図らなくてはなりません」と訴えたそうだ。アベノミクスが大きな成果を上げたという認識がそもそも間違えていると思うが、歴代最長の連続2822日、第1次政権を含む通算3188日も首相の座についていながらデフレ脱却が出来なかった人に何を期待しているんだろう。これだけ永く政権を持ちながら、デフレ脱却だけでなく全てが道半ばで放り投げた人物なのに。
全国で新たに1538人感染確認 大阪256人、埼玉116人などが過去最多><東京で新たに317人感染 300人超は8月20日以来><愛知のコロナ感染者、新たに104人 2日連続100人超
 感染予防はマスクや手荒いの自助に頼り、国は感染の拡がりそうな政策を立ち上げる。そりゃ、感染は拡がるだろう。感染者が急増している北海道では、軽症で重症化するリスクが低い感染者を宿泊療養してもらうホテルの受け入れが追いつかず自宅待機を余儀なくされている。自宅待機なら家族への感染拡大も懸念される。ホテルの受け入れが逼迫している要因がGo Toトラベルによる旅行者の急増なら、やはりイヴェントを一時的にも休止しないと収拾がつかないのではないだろうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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11月6日(金)

 テレビのニュースやワイドショーを観ていると、国会審議よりもアメリカの大統領選挙の方が関心が高いようだ。

 今朝、ヤフーのトップ画面を見ていたら<本田美奈子.の貴重な映像、NHK資料から15年の時を経て>というタイトルが目についた。
 なんのことはない、NHKの番組『NHK映像ファイルあの人に会いたい』の宣伝だった。そして、今日が2005年に38歳で亡くなった彼女の命日なのを知った。

MINAKO01

←↓写真は1988年9月11日に、SHOW-YAが中心となって日比谷の野音で開催した『NAONのYAON』にMINAKO with WILD CATSで出演した時のもの。
 彼女がロックバンドを結成して活動していたのは2年足らずのことなので、この写真も貴重かもしれない。

MINAKO02

 広報紙の印刷費名目で政務活動費をだまし取ったとして詐欺罪に問われている富山市議で、元議長の村上和久被告の第6回公判の様子が、今日の北日本新聞に掲載されていた。
 要約すると<広報紙は一度に5,000部から1万部刷ったが、実際に配ったのは1.500部から2,000部。残りは自宅の倉庫に保管していたが、引っ越した時に全て捨てた>そうだ。
 自分の活動報告を記した広報紙を、記録として残さずに全て捨てるのか?こんな話し、誰が信じるんだろうか。
 出版社に渡して返って来なかったり、引っ越しのバタバタで部屋の中で行方不明になっているものもあるが、写真の仕事を始めてからのものは基本的にフィルムも、プリント、データも全てとってある。それが撮ってしまった者の責任だと思うから。
  それにしても「10時間もかけて作っておいて、印刷しないのはあり得ない」と述べたそうだが、10時間で広報紙が出来ることに一番驚いた。
 もし彼の言うことが本当なら、誰か一人くらい配られた広報紙を「私の家にあります」と名乗りでないものだろうか。1,500部は配っているんだから。
 富山市議会議員の政務活動費不正問題を追ったドキュメンタリー映画『はりぼて』が、富山の映画館「ほとり座」で今月の20日まで上映中だ。

 ボロボロの実体経済をよそに、東京株式市場の日経平均株価の午前の終値は、バブル崩壊後の最高値2万4367円をつけたそうだ。この記事と、先月の23日に朝日新聞が掲載した、東証1部企業の8割にあたる約1830社の事実上の大株主が年金資産を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)と日銀になっているという記事を合わせて読めば、薄ら寒くなる。株のバブルが弾ければ、個人投資家だけではなく国家が火傷を負うことになるのだろう。それは全ての国民に、ツケが回るということだ。

 昨年の11月12日に撮影した楡原、岩稲のホーカイサマ(題目塔)や木札の写真をPhoto Albumにしました。こちら

楡原のホーカイサマ
↑楡原集落の南端のホーカイサマと木札。

11月3日(火)

 11月に入り、NHK連続テレビ小説『エール』も終盤だろうか。主人公の妻・古山音役の二階堂ふみさんが、今年の紅白歌合戦の赤組の司会に選ばれた。
 主人公の古山裕一のモデルとなっているのは、戦前から戦後にかけて活躍した作曲家で、1989年に80歳で亡くなるまで5000曲にも及ぶ曲を作ったといわれる古関裕而さん。あと10年ご存命だったら、撮影する機会はあっただろうか。
 と言うのも、 雑誌『レコード・コレクターズ』で1997年10月号から2001年6月号まで、北中正和さん、田中勝則さんという二人の音楽評論家が交互に取材・執筆した「戦後ニッポンのポピュラー音楽」という連載の撮影を担当していたから。第一回目はどういう内容の連載にするかというお二人の対談だったが、2回目以降は戦後に活躍した作曲家や演奏家、歌手の方々を取材している。
 『エール』に登場する木枯正人のモデルと言われる古賀政男さんは既に亡くなられていたが、古賀さんの弟子であり作曲家、ギタリストの山本丈晴さんや、古関裕而さんの曲もたくさん歌われた二葉あき子さんも連載の中で取材した。
 連載2回目に登場されたのは、元コロムビア・オーケストラ楽長でピアニストの岩田喜代造さんだった。北中正和さんが執筆された岩田さんの記事を読み返していると、古関裕而の名前が登場してくる。
もう一枚おもしろいのは「別れのワルツ」というタイトルで出た「蛍の光」。映画『哀愁』の中で、ロウソクの火のもとで恋人たちの踊る場面にこの曲が使われていたので、あやかって出たレコードだが、編曲者のユージ・コスマンは洋盤として出すために古関裕而が使った変名。この曲で岩田さんが弾くゆったりとしたピアノは黒柳徹子のお父さんが弾くバイオリンと共に、デパートの閉店時や連絡船の出港時に流れ、多くの人の耳をとらえたのだった
 検索するとYou Tubeに「別れのワルツ ユージン・コスマン楽団 1956」という音源があった。これが岩田さんのピアノと、黒柳徹子のお父さん、黒柳守綱さんのバイオリンだろうか。

岩田喜代造さん

 岩田喜代造さんが亡くなられたのがいつだったか思い出せないのだが、亡くなられた時に親族(お孫さんだったと思う)の方からメールで連絡をいただいた。撮影させていただいたミュージシャンや俳優の方々のリストを自分のホームページに掲載しており、親族の方が岩田さんのお名前で検索して辿り着いたのだろう。お葬式の遺影にレコード・コレクターズの連載で撮影した、自宅のピアノに座っている岩田さんの写真を使いたいという内容だった。お葬式まで少し日にちがあったので、暗室に入って4つ切りのプリントを作り、お送りした。
 連載で取材させていただいた方は15人。「ジャワのマンゴ売り」の作曲でも知られるクラリネット・サックス奏者の佐野鋤さんは御子息でやはりサックス奏者の佐野博美さん、「バラが咲いた」などで知られる作詞・作曲家の浜口庫之介さんは御子息でフルート奏者・パーカッショニストの浜口茂外也さんに取材しているが、直接ご本人に取材した方のほとんどは既に鬼籍に入られてしまった。取材して何年もしない内に亡くなられた方も居られた。

←ご自宅のピアノに座る、岩田喜代造さん。

 もともとこの連載が始まったきっかけの一つが、1995年に取材した生田恵子さんの急死だった。田中勝則さんと一緒に、1951年にブラジルに渡って本場のミュージシャンとバイヨンをレコーディングした生田さんのご自宅にお伺いしてお話しを聞いたのだが、その数ヶ月後に脳出血のために68歳で亡くなられてしまった。そういうこともあって、戦前から戦後にかけて日本のポピュラー音楽を創っていった方々に今のうちにお話しを聞いておかなければ、と始まった連載なのでほとんどの方が鬼籍に入られたのは止むを得ないことではあったけれど。
原六朗さん

 左の写真は、1952年に美空ひばりさんが歌って大ヒットした「お祭りマンボ」の作詞・作曲者である原六朗さん。
 原さんも岩田さんの次に、この連載で取材している。担当編集者と田中勝則さんの3人でご自宅に伺ったのだが、ご本人から顔写真はNGが出された。髪の毛がちょっとボサボサになり、その姿を残したくないということのようだったが、せっかく来たのに撮影しないで帰るわけにもいかない。そこで、ポラロイドで最初に一枚撮影して、それを見てご本人がOKなら雑誌用にフィルムで撮らせてもらうことにした。
 当時はミノルタのα9000の裏蓋に、ミノルタ用のポラバックを付けたボディを1台持っていた。なるべく光が回らないように地明り(机の上にあった照明)だけで横顔を撮った。出来上がったポラを見て、これならと原さんからOKをいただいた。
 撮影したのが1997年で、亡くなられたのが2001年。晩年のお姿だ。
 ところで、原さんの取材もそうだが、この連載はどこか1989年に52歳で亡くなった美空ひばりさんの周辺を探るというか、ひばりさんの影を追っている部分も感じていた。

 ひばりさんが師匠と仰いだ「あきれたぼーいず」の川田晴久さんの御息女、岡村和恵さんに取材して、当時のひばりさんとのエピソードも話していただいている。
 この連載では取材させていただいたご本人の撮影の他に、ご本人がお持ちの貴重な資料や写真を複製するという仕事があった。お願いすれば貸していただけただろうが失くしたりしては大変なので、編集部の配慮で取材当日に複写させてもらっていた。
 岩田喜代造さんのピアノで美空ひばりさんが歌っているリハーサルの写真、笠置シヅ子さんと並んだ原六朗さんの写真、燕尾服にステッキと帽子姿の美空ひばりさんと紋付袴にギターを持った川田晴久さんの写真、ペレス・プラード楽団来日時の江利チエミさんと東京キューバン・ボーイスの記念写真、ラテン・クオーターで力道山とふざけ合っている浜口庫之介さんの写真など貴重な写真がいっぱいある。たぶん、複写したけれど紙数の都合で掲載できなかった写真もあったと思う。
 そういえば、フィリピン出身のサックス奏者レイモンド・コンデさんを取材した時には、コンデさんが李香蘭と朝鮮を巡業している時の演奏写真を複写している。中央に衣装を着た李香蘭が写っている。
 この連載が続いていた時に、存命だった方で個人的にお会いしたかったのが李香蘭こと山口淑子さんだった。たぶん、編集部でもオファーしていただろうが取材が実現することはなかった。

 31回15人への連載記事に、連載を始めるきっかけとなった田中勝則さんによる生田恵子さんや、松田トシさんの取材記事、それに連載終了後に行われた北中正和さんによる雪村いづみさんのインタヴュー記事。連載終了から20年ほどが経って新たにわかったこともあるだろう。こうしたことも加えて「戦後ニッポンのポピュラー音楽」が、いつか一冊の本に纏まることはないのだろうか。

 以前、ネット上にこの「戦後ニッポンのポピュラー音楽」の連載をリストにして下さっていた方がいらしたが、いつの間にか消えていた。無料サービスだったサーバーが、停止したのだろう。ネット上の記録というのは、あてにしていると突然消えてしまったりする。そういう意味では、データだけではなく紙でも残しておくのは重要だと思うのだが。
 今回、書棚からレコード・コレクターズをひっぱり出して自分でリストを作成した。連載と関係する記事も並べてみた。

戦後ニッポンのポピュラー音楽

1995年4月号 「東京バイヨン娘」の生田恵子さんに聞く/田中勝則
1996年1月号 「ブンガワン・ソロ」を最初に日本語でカヴァーした松田トシさん/田中勝則

1997年10月号 戦後ニッポンのポピュラー音楽 
          連載1回目 対談/北中正和x田中勝則
1997年11月号 連載2回目 元コロムビア・オーケストラ楽長 
          岩田喜代造さんに聞く(前編)/北中正和
1997年12月号 連載3回目 岩田喜代造さんに聞く(後編)/北中正和
1998年1月号  連載4回目「お祭りマンボ」の作曲者 
          原六朗さんに聞く(前編)/田中勝則
1998年2月号  連載5回目 原六朗さんに聞く(後編)/田中勝則
1998年5月号  連載6回目 「街の伊達男(ズンドコ節」を弾き語った
          田端義夫さんに聞く(前編)/北中正和
1998年6月号  連載7回目 田端義夫さんに聞く(後編)/北中正和
1998年7月号  連載8回目 サックス/クラリネット奏者、佐野鋤さんのご子息 
          佐野博美さんに聞く(前編)/田中勝則
1998年8月号  連載9回目 佐野博美さんに聞く(後編)/田中勝則
1998年9月号  連載10回目 歌謡曲の王道を歩んできた元祖「純情歌手」
          二葉あき子さんに聞く(前編)/北中正和
1998年10月号 連載11回目 二葉あき子さんに聞く(後編)/北中正和
1998年12月号 連載12回目 ジャズ、ラテンからロシアの歌にまで意欲的に取り組む
          池真理子さんに聞く(前編)/田中勝則
1999年1月号  連載13回目 池真理子さんに聞く(後編)/田中勝則
1999年3月号  連載14回目 古賀政男の弟子/ギタリストとして活躍された
          山本丈晴さんに聞く(前編)/北中正和
1999年4月号  連載15回目 山本丈晴さんに聞く/北中正和
1999年5月号  連載16回目 あきれたぼういず川田晴久さんのご息女
          岡村和恵さんに聞く(前編)/田中勝則
1999年6月号  連載17回目 岡村和恵さんに聞く(後編)/田中勝則
1999年7月号  連載18回目 ポス宮崎とコニー・アイランダースの元ギタリスト
          三橋渡さんに聞く(前編)/北中正和
1999年8月号  連載19回目 三橋渡さんに聞く(後編)/北中正和
1999年10月号 連載20回目 東京キューバン・ボーイズの元トロンボーン奏者
          金田芳一さんに聞く(前編)/田中勝則
1999年11月号 連載21回目 金田芳一さんに聞く(後編)/田中勝則
2000年3月号  連載22回目 ビクター・オーケストラの元トロンボーン奏者
          野々村直造さんに聞く(前編)/北中正和
2000年4月号  連載23回目 野々村直造さんに聞く(後編)/北中正和
2000年6月号  連載24回目 日本のジャズ黎明期に活躍したフィリピン出身のサックス奏者
          レイモンド・コンデさんに聞く(前編)/田中勝則
2000年7月号  連載25回目 レイモンド・コンデさんに聞く(後編)/田中勝則
2000年8月号  追悼 池真理子/田中勝則
2000年9月号  連載26回目 戦後からウェスタン・ミュージック界をリードしたスター歌手
          黒田美治さんに聞く(前編)/北中正和
2000年10月号 連載27回目 黒田美治さんに聞く(後編)/北中正和
2001年1月号  連載28回目 「バラが咲いた」の作曲者、浜口庫之介さんの御子息
          浜口茂外也さんに聞く(前編)/田中勝則
2001年2月号  連載29回目 浜口茂外也さんに聞く(後編)/田中勝則
2001年5月号  連載30回目 和製ビリー・エクスタインと謳われたジャズ歌手
          笈田敏夫さんに聞く(前編)/北中正和
2001年6月号  連載31回目 笈田敏夫さんに聞く(後編)/北中正和

2002年5月号  雪村いづみinterview/北中正和

 今日の午後、大飯原発4号機が定期検査のために停止した。これにより今後1ヶ月半ほどは、国内で稼働する原発は九州の玄海原発4号機だけとなる。
  Wikipediaによれば国内で運用中の原発は33基、廃止・解体中の原発は26基ある。玄海原発4号機以外の現在停止している原発32基を安全に保つために使用する電力量や、26基の原発を廃止・解体するのに使用する電力量はどれだけなのか。
 原発が生み出すエネルギーより、原発に使用するエネルギーの方が大きくはないだろうか。一度経産省は試算を発表してくれないだろうか。
 今後、電力が大幅に必要になるとしたら何年後になるかわからないリニアを走らせる時だろう。航空会社に続き、JR東日本もJR東海も巨額の赤字になる見通しを先日発表した。とりあえずJR東海はリニアを諦めてはどうか。

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