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サンエール 11月8日以降 2117 | ||
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *富山県内のお祭り、イベント *富山の祭り *築山行事 *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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◯富山県 新型コロナウイルス感染症について http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U ◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/ ◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html ◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/ ◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ◯沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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メディア関連 ブログなど |
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今日の午後2時47分頃、米軍所属のオスプレイが鹿児島県屋久島沖で墜落した。この機体には6人が搭乗していたが、海上で1人が発見され死亡が確認された。オスプレイの墜落事故は、2016年12月に沖縄本島北部での夜間訓練中に名護市安部集落沿岸の海に落ちて以来2回目で、墜落による死者が出たのは今回が初めてだ。 |
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今日の南日本新聞に、奄美大島の大和村湯湾釜集落で旧暦10月16日だった昨日、4年ぶりに伝統行事の「ムチムレ(ムチモレとも言う)踊り」が行われたという記事が掲載されていた。 ムチは餅のことで、ムレ(モレ)は貰う。三線やチヂンの音に合わせて歌い踊りながら家を一軒一軒まわり、火難災除の餅を貰って歩く。 旧暦10月16日は、昔、集落の大半を焼く火災のあった日で、この日を忘れずに火災予防や無病息災を願って行われる。踊り手は男女ともに女性用の着物をきて、頭から布を被って踊る。火災が起こった時、消防用水だけでは足らず、田んぼの泥までも投げたことから、泥団子を見立てたカシャ餅が配られ、火傷を負った顔を隠すために顔をスカーフなどの布ですっぽり隠してしまうのだそうだ。 サバクリ人さんに誘われて、2010年の11月21日にこのムチムレ踊りを見に行った。集落には夜の7時半頃に到着したが、すでに踊りはスタートしていた。踊り手について歩きながら一緒に家々をまわり、各家で用意されていた料理やお菓子、ビールなどをご馳走になった。食べながら踊りながら集落をまわり、最後の家で踊り終わったのは夜の11時半過ぎだった。 踊りの際に歌われるのは徳之島民謡の「どんどん節」で、<モチもろたーモチもろた、よいやーよいやー>と囃したてながら踊られる。国の重要無形文化財に指定されている龍郷町秋名集落の「ショチョガマ」「平瀬マンカイ」は勿論、加計呂麻島、与論島など奄美群島の祭祀や行事も色々と見てまわったが、一番印象に残り一番楽しかったのが、この「ムチムレ踊り」だった。 |
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↑2010年11月21日に撮影した湯湾釜のムチムレ踊り。 ↓庭に面した部屋に料理や飲み物を用意し、踊り手たちが来るのを待つ。 |
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この他の気になった記事を備忘録として。 ◯ガザ北部、建物の半数以上が破壊 米研究チームが衛星データ分析 ◯ガザ戦闘休止2日延長合意 ハマス、第4弾人質解放 ◯DHC元会長が新会社HPでまた差別表現 競合企業経営者の実名挙げ |
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沢渡朔さんの『少女アリス』は、自分が写真を始める前から持っていた写真集の一冊で、家にあるのは1980年9月20日発行の第11刷だ。 | ||
なぜこの写真集を買ったか思い出せないが、当時ライター仕事をしていた時によく撮影をお願いしていたカメラマンの宇佐美さんに薦められたのかもしれない。 『少女アリス』はルイス・キャロルの童話『不思議の国のアリス』をモチーフに、その世界観を実在する少女をモデルに再現した写真集だ。定価3000円の写真集だったが、現在はオークションサイトで高値で取引されているようだ。 |
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下の写真は、宝野アリカと片倉三起也のユニット、ALI PROJECTのベスト・アルバム『jamais vu』のジャケット用に撮影した写真の中の一枚。東芝EMIとの契約終了後、廃盤になった自分たちのCDを販売するために設立した彼らのプライベートレーベル、ZAZOU Recordsからのリリースで、東芝時代のシングルを集めたアルバムになっている。 作詞とボーカルの宝野アリカとジャケットの打ち合わせをしている時に出て来た彼女の好きなものが、四谷シモンであり金子國義だった。それを聞いて、頭に浮かんだのは沢渡朔さんの『少女アリス』に掲載されていた、大男など大人たちに囲まれたダイニングテーブルの上に寝転ぶアリスの写真だった。当時、彼女が住んでいた部屋のリビングにはロフトが付いていて、テーブルを俯瞰で撮影することができた。 日中は井の頭公園でインナーに使う写真を何カットか撮影し、撮影小道具のホールケーキや花を購入した。たしかロケアシに人間椅子のマネージャーがついてくれたと記憶している。その頃、人間椅子のギター、和嶋慎治さんがALI PROJECTのライブやレコーディングに参加していた縁だろうか。 ロケでの撮影が終わり、室内でのメインの撮影。クロスを敷いたダイニングテーブルに小道具を並べ、宝野アリカが横たわる。彼女への注文は一つで、壊れた人形のようなポーズをしてくれだった。 |
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そうして出来上がったのが下の写真。右側半分が表ジャケット、左側半分が裏ジャケットになっている。フィルムで撮影しデザイナーに渡しているが、フィルムで入稿したのかスキャンしてデジタルで入稿したのかわからないが、ちょっとマゼンタが強い。 ポリドールから発売されたデビューアルバム『幻想庭園』のジャケットは洋画家である宝野アリカの母親が描いた絵画で、東芝EMIに移籍後のアルバム・ジャケットはカクテル撮影で有名な大輪真之さんによるイメージ写真だった。ジャケットの表に彼らのポートレートを使用したアルバムは、この『jamais vu』が初めてだったかもしれない。 |
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昨日の天気予報では曇りだったと思うが、朝から晴れ間の広がる良い天気だった。 | ||
灯油ポンプに小さな亀裂が入って、給油すると灯油が飛び散るようになったので、昨日の午前中、近所のコメリへ新しいのを買いに行った。1つ148円だったので予備に2つ購入した。 午後、スーパーへ食材を買いに行ったついでにテナントで入っているダイソーを覗くと同じような灯油ポンプが売られていた。やはり何か必要なものがあれば、まず先にダイソーをチェックするのが安く済ませる基本だろうか。 |
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家の外壁に張られたトタンの一部に薄っすらとサビが付いている。たぶん雨どいが壊れていた部分の下で、雨どいから溢れた水が地面のコンクリートに落ち、それが跳ね返ってトタンに当たりサビが発生したのだと思われる。前から気になっていたので、金属のタワシで擦って落とした。 | ||
一昨日の南海日日新聞に、奄美パークのイベント広場で4年ぶりに「朝花節大会」が開催されたという記事が掲載されていた。 奄美大島南部、瀬戸内町の古仁屋から請島経由の町営船で約100分(直通は約50分)の与路島へ、舟漕ぎ大会を見にいったことがある。現在は41世帯73人の普段は静かな島だが、舟漕ぎ大会の日はシマの出身者や観光客も訪れ束の間にぎやかになる。そんなハレの日が嬉しいのか、島の人たちはチヂン(奄美特有の太鼓)を叩きながら、陽気に港で訪れる人を迎え、また見送ってくれた。明日になれば、また島は静かな日常に戻るのだろう。祭の後の寂しさをともなって。それをわかっているから、ことさら陽気に過剰なほどの明るさで迎え、見送ってくれているような気がした 石原を踏み越え、こうしてわざわざ御足をお運び下されたあなたの真実に触れ 上記は「朝花節」の意訳だ。奄美大島も離島だけれど名瀬に住んでいる分には交通の便も移動も楽になり、朝花節で歌われるような人との出会いの感謝というものがピンと来ない。でも離島のさらに離島といった与路島では、そんな島唄の心情を想像してみることができた。 |
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↑2010年11月23日、田中一村の絵画展を見に行って、偶然出会った『第16回朝花節大会』。 ←2012年4月29日、雨と強風の悪天候の中で行われた、与路島の舟漕ぎ大会。関係者でもないのにお弁当やら刺身などご馳走になった。 ↓舟漕ぎ大会が終わり町営船で与路島を離れる時、チヂンを叩きながら「また来てね〜」と大きな声で見送ってくれた。 |
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奄美群島の徳之島で、町役場敷地内に置かれたハブの保管・展示施設「ハブの館」から11匹のハブが脱走したという記事が、昨日の奄美新聞に掲載されていた。6匹は捕獲したものの、5匹がまだ逃走中だ。 |
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↑山道でハブを捕獲したサバクリ人さん。↓村役場へ持って行き、役場のハブ小屋にハブを納品?2011年だったが、この時はハブ1匹4000円で買い取って貰えた。 | ||
徳之島ではハブが逃げ出したが、奄美大島の宇検村ではペットとして飼われていたらしいアフリカ原産とされるニシキヘビ科のボールバイソンが捕獲されたという。体長約1.1m、重さ約1.3キロの大きなヘビだ。この記事を読んで凄いと思ったのは、70代の新聞配達員の男性が配達先の玄関で発見し、捕獲して警察に届けたということ。体長1mを超すヘビを捕まえる70代の男性。奄美の人はやはり凄い。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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11月、12月は妹の誕生日、父親の誕生日、母親の誕生日、クリスマスと続くので、この何年間は沖縄の洋菓子店ジミーで冷凍のホールケーキを3個注文し、あとはコストコでホールケーキを1つ購入していたが、今年は全てコストコで賄うことにした。理由は、ジミーのケーキが値上がりしているのに加え、配送料が大幅に高くなったから。 昼ごろに少し晴れ間もあったが、今日は朝から雨の荒れた天気だった。一昨日は雲一つない快晴、昨日は雲が多く風もやや強かったが暖かい日だった。快晴だった一昨日、自転車をブラブラと漕いで母親の実家の方まで足を伸ばした。母親の実家には従兄弟が一人で住んでいる。カイニョと呼ばれる屋敷林のある家だが、従兄弟一人では手入れが出来ないのだろう、伸び放題の樹木が森のようになっている。 |
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↑母親の実家のカイニョ。快晴だった一昨日、遠くに立山連峰、空には月が浮かんでいた。 |
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↑ススキの穂が夕日に輝くと、秋を実感する。写真は小矢部川の支流、黒石川の堤防で。 |
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10月7日以来続いてきたイスラエルとハマスの戦闘だが、24日午前7時(日本時間24日午後2時)から休戦期間に入った。休戦期間は4日間で、その間ににハマス側が拘束する人質のうち50人を開放することになっている。 東京新聞が「配達の現場から どう守る仕事 暮らし」と題して<アプリに「働かされる」12時間…迫るブラックフライデー、Amazon配達員の実態から見えた「危うさ」><「偽装フリーランス」が常態化する宅配業界 労働者の「無権利状態」を防ぐ立法を>という2つの記事を掲載しているが、この記事に書かれている配達員がフリーランスではなくフリーターではないかと思えてしょうがない。2020年の3月、還暦の誕生日にこんなことを書いている。 「首相夫人は私人」と2017年に安倍内閣が閣議決定したんだが、その私人である昭恵夫人が安倍元首相の死後、政治資金を引き継いでも課税対象外とはこれいかに。こういうお金こそ税率を上げて国に戻すべきでは。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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音楽評論家の小尾隆さんが先月19日に亡くなったことを、1ヶ月近く経った先週になって知った。特別親しい間柄ではなかったが、小尾さんのレコード・コレクションを2回撮影したことがある。 ある日、春日出版というお付き合いのない出版社から電話があり、小尾さんのレコード・コレクションを並べた本を作るのだが、その撮影をお願いできないかという内容で、小尾さんから紹介されたという。とりあえず後日、渋谷にあったその春日出版に詳しい話を聞きに行くことにした。 本の発売は予定より遅れてアメリカン・ロック編が2008年5月、UKロック編が2008年7月になった。献本されてきた本は、共に200ページを超す分厚い本で、オールカラー。レコードの複写も編集部ではなく、あとがきを読むとカメラマンに依頼されたようだ。どれだけの部数を刷り、どれだけ売れたのか見当もつかないが、コレクター冥利に尽きる本だろう。 |
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昨日、11月20日は恵比寿祭りの日で、県内各地で祭りや行事が行われたようだ。今朝の北日本新聞に黒部市宇奈月町下立の家庭で「おーべっさま迎え」が行われたという記事が掲載されていた。 チューリップTV「おおべっさま迎え」 |
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↑2017年11月20日に撮影させていただいた、下立の此川さん宅の「おーべっさま迎え」。えびす様と大黒様が並んだ神棚の下に料理を並べ、ご主人が酒を注いでもてなしている。 |
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経団連の十倉会長が「なぜ岸田内閣の支持率が上向かないのか不思議」と述べたそうだが、岸田首相の聞く耳が、国民の声ではなく貴方のような人の声ばかり聞いているからではないだろうか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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イスラエルはハマスとの戦闘のためガザ地区北部の住民に南部へ避難するよう呼びかけていたが、今度は南部の住民にも避難を勧告するビラを配布しているという。現在南部のビラを配布された地域には元々住んでいた10万人に加えて、北部から逃れてきた数万人の人がいるとされる。この人達にどこへ行けというのだろう。 この数日、第2期の『DAYS JAPAN』を書棚から取り出して、パレスチナに関する記事を読んでいた。 2月27日、イスラエルの攻撃が激化したのは、イスラム原理主義組織ハマスが大量のロケット弾をイスラエル国内に発射し、イスラエル市民1人が死亡したからだった。ハマスによる大量のロケット弾攻撃は、同じ日の早朝、ハマスのメンバーと疑われる5人のパレスチナ人をイスラエルが殺害したことがきっかけだったという。 イスラエルが挑発し、ハマスがそれに反抗すると、その何十倍もの攻撃を市民を巻き添えにする形でイスラエルが加える。こんな図式になってはいないだろうか。 1948年5月に始まったパレスチナ戦争(第1次中東戦争)が49年2月に終結したとき、新生イスラエル国は、国連のパレスチナ分割協議がユダヤ人国家の領土として割り当てた土地をはるかに超えて、アラブ人国家予定地の多くを占領し、全パレスチナの77%を手中にした。48年9月と12月の国連総会決議194号でパレスチナ難民の帰還の権利が決議されたがそれは聞き入れられず、またイスラエルの初代首相ダビッド・ベングリオンは国家樹立宣言に国境明記を拒んだため、休戦ラインが国際的には国境とみなされるようになっていったのだ。 10月7日のハマスによる奇襲攻撃でイスラエルが1200人もの犠牲者を出したのは不幸なことだが、自分たちの安全のためとして分離壁を作りパレスチナ人の移動を制限し自由と尊厳を奪ってきたのはイスラエルだ。そしてこのイスラエルを一貫して支持してきたのがアメリカだ。ウクライナ侵略を進めるロシアを非難しながら、パレスチナ侵略を続けるイスラエルを支持するアメリカのダブルスタンダードも非難されなくてはならない。 イラクに米英軍が侵攻したとき、都市部への爆撃を逃れて、村々に避難する人が続出した。幹線道路には、民間人の車が数珠繋ぎになった。 イスラエルの建国と共に、パレスチナの絶望は始まった。イスラエルによる侵略と占領が終わらない限り、この絶望は続く。逆に言えば、イスラエルが占領をやめ、世界がパレスチナ国家を認め、国境を引き直せば絶望が希望に変わるのかもしれない。難しいことだけれど。 |
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県文化財保護審議会は17日、新たに創設した県登録無形民俗文化財の第1号に、細入地域の伝統行事「おくわさま 」を登録するよう答申したそうだ。 登録の理由には、<この行事は地域的特色が顕著で、県内に伝承されてきた農耕儀礼を理解する上で注目されること、さらに県内に唯一、保存・継承されていることから、保存及び活用のための措置が特に必要である>と書かれている。 文化財としての評価には<2本の鍬をそれぞれ田の神と畑の神に見立てている点は、全国的にも類例が少なく、この地域が稲作だけでなく畑作も重視してきたことをよく示している>という一文がある。 神通川を挟んで旧細入地域の対岸に位置する旧大沢野地域にある布尻地区と町長地区にも鍬を御神体として祀る行事「お鍬さま祭り」がある。五穀豊穣と無病息災を願い、布尻地区の布尻神社と隣接する町長地区の町長神社で御神体である「木の鍬」を神輿に乗せて一年毎に移すお祭りだ。 旧細入と旧大沢野という隣接した地域で継承されてきた鍬を祀る2つの素朴な行事を、合わせて無形民俗文化財として登録できれば素晴らしいと個人的には思う。 |
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↑旧細入地域の岩稲に伝わる「おくわさま 」。2018年1月11日撮影。 ↓旧大沢野の布尻と町長に伝わる「お鍬さま 祭り」。2016年5月19日撮影。 |
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石川県の馳浩知事が17日、都内の会合で講演し官房機密費でIOC委員に贈答品を渡したと発言したが、同日夜に「誤解を与えかねない不適切な発言であり、全面的に撤回する」とコメントした。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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このところ肌寒かったり雨が降ったりの天気だったが、今日は穏やかで最高気温も18℃まで上がるというので、久しぶりに自転車で走ってきた。相変わらず前のギアでチェーンが直ぐに外れていたが、後ろのギアチェンジをしてみてはどうだろうかと頭に浮かんだ。自転車は6段変速で後ろのギアは一番小さいギアを使っているが、それを5段にしてみた。6段は一番ペダルが重くて、5段は少し軽くなる。そして5段のギアは少し大きい。これが見事に正解で、ギアが少し大きくなった分、チェーンにテンションがかかるのか外れなくなった。 |
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太田神社を撮影してから、また小矢部川の土手に戻る。クロスランドタワーを左手に見ながらしばらく上流に向かってペダルを漕いで、小矢部中橋まで。今年は小矢部川を福光あたりまで自転車で行きたかったが、10月の行楽日和は屋根に上がってペンキを塗っていたので実現できなかった。 小矢部中橋からUターンして、石動に戻る。2020年に開館した、石動駅に併設されている小矢部市民図書館へ。 |
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小矢部市民図書館は2020年にオープンした。2020年に『とやま祭り彩時季1〜11』を刊行し、ミュゼふくおかカメラ館で同名の写真展を開催した時に、小矢部市民図書館が『とやま祭り彩時季』11卷を購入して下さった。来よう来ようと思いながら、なかなか来れず初めて図書館の中に入った。本は1階奥の郷土コーナーに並んでいた。 | ||
図書館を出て石動の町をブラブラ走って、三井アウトレットパークの近くから小矢部川の土手に戻る。午前中は雲が多いながらも晴れていたが、午後はだんだん曇り空になってきた。それでも雪を被った立山連峰がハッキリと見えた。 小矢部川をしばらく走り、地元に着いたので土手を下り山裾の方を少し走る。県の東部は熊が多数出没しているが、西部はあまり熊被害を聞かない。それでも怖いので、車の通りが少なくなった辺りで山裾を離れた。 |
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町中に戻って、今度は久しぶりに西高岡まで行ってみる。自転車が調子いいと、乗っていて楽しい。西高岡の駅前まで行って、帰って来た。 午前中、携帯に+184471580487という通知の国際電話が掛かってきた。出ると、自動音声でNTTの料金が未納だというので、これは詐欺だと思い直ぐに切った。たぶん、これだろう。ご注意を。 |
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昨日から気温がグッと下がり、冬のモードだ。晩ご飯は今季3回目か4回目のおでん。そして今日から湯たんぽを使用開始。 | ||
昨日の朝、先月受けた特定健康診査の結果通知表をもらいに近所の病院へ。全ての数値が基準値以内で、異常認めずだった。一昨年は収縮期血圧が高めで、市の保険年金課から指導を受けるように連絡が来たが、今年は126で基準値以内だった。ダイエットも特別な運動もしていないが、腹囲と体重が減っている。野菜を多く食べているせいだろうか。と言ってもお腹は出ているが。 | ||
病院の帰り、近くの自転車屋へ。先月の半ば過ぎだろうか、スーパーへ買い物に行った帰りに突然前のギアからチェーンが外れた。手でチェーンを摘んでギアに戻してまたペダルを漕ぐが、また直ぐにチェーンが外れる。それから、あんまりチェーンが外れるのでドライバーを持ち歩くようになった。チェーンをギアに嵌めるのに手で持つと油で汚れるから。そのうち、チェーンが外れた瞬間にペダルを逆回転に漕ぐと戻る事を発見し、しのいでいた。いつまでもこんな事をしていられないので、自転車屋で修理をお願いする。もともとペダルを漕ぐと前ギアが左右にぶれていたのだが、最近はそのブレ幅が大きくなっていた。たぶんそれが原因だろうという事で、直してもらうのに自転車を置いて歩いて家に帰った。 昼ごはんを食べていると自転車屋さんから直したという電話があり、1時過ぎに自転車を引き取りに行く。分解したがギアのブレは完全に直らないが、ベアリングを2個取り替えて修理代は3000円だという。多少ギアは左右にブレるが、チェーンが外れることはないだろうということだった。家に乗って帰る間はチェーンが外れることはなかったが、そのあと買い物に行くとまたチェーンが外れた。果たしてベアリングの交換は必要だったのだろうか。 |
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1月11日に高橋幸宏さんが70歳で、1月29日に鮎川誠さんが74歳で、2月14日に岡田徹さんが73歳で、4月20日に川満勝弘さんが78歳で、7月7日にパンタ(中村治雄)さんが73歳で、10月8日に谷村新司さんが74歳で、10月18日にもんたよしのりさんが72歳で、そして今月9日に大橋純子さんが73歳で亡くなった。今年は、わりと身近に感じていたミュージシャンの方々の訃報が多い。 イスラエルが、ガザの病院の地下にハマスの拠点があるとして病院を攻撃し民間人を多数殺戮している今の姿と、2003年にイラクが大量破壊兵器を持っているとして武力行使を行い多数の民間人を殺戮したアメリカの姿が重なって見える。 南砺市利賀の上村集落で約200年にわたり受け継がれてきた県指定無形民俗文化財の伝統行事「初午」が、集落に小・中学生がゼロになったことから、来年1月の行事は困難な状況だという。 |
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今日は雨の降る肌寒い日だったが、昨日は秋晴れの暖かい日だった。午前中から庭の物干し場の塗装をした。 | ||
先ずはマスカーテープと養生テープ、古新聞で、外壁や戸、樹木や地面などペンキがつかないように養生とマスキングを行った。 | ||
鉄板や鉄柱にイエローのペンキを塗る。トタン屋根の時はローラーでスイスイ塗れたが、サビで凸凹しているのでハケで少しずつ塗り進めた。 この鉄板や鉄柱の元々の色がはっきり思い出せない。リフォームした作業場の鉄骨と同じペパーミントグリーンだった気もするし、錆止め塗料の赤茶色だったような気もする。 幸いなことにサビだらけだが、結構しっかりしていて折れたり倒れたりすることはなさそうだ。 |
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午前9時半頃から作業を始め、お昼に1時間ほどご飯休憩を挟んで、午後4時頃に終了した。購入した1.6Lの塗料がほぼ無くなった。メーカーによると1.6Lで畳10枚分塗れるそうだが、そんなに塗っただろうか。一回塗りなので塗りムラもあるが、今回はこれで良しとしようかな。 ペンキ塗りたてのところに虫がやって来て、動けなくなってしまった。下の写真の2匹に、もっと小さな虫がもう1匹、3匹の虫が確認できた。可哀想な事をしたが助けることもできないので、このまま風化していくのを見守るしかない。 |
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30years ago #29 ポール・ウェラー | ||
ポール・ウェラーが1993年にリリースしたソロとして2枚目のアルバム『Wild Wood』をテーマにした、新作ドキュメンタリー『Record On: Paul Weller - Wild Wood』が完成し、英Sky Artsで11月11日に放送されるそうだ。 添付した写真は『Wild Wood』がリリースされた1993年の来日ツアーの初日、10月27日の中野サンプラザでのステージ。音楽雑誌の仕事で撮影に行ったが、会場に入ると受付でカメラマンが全員誓約書にサインを書くよう要求された。誓約書は確か英語で、どんな内容かわからないままサインをした。撮影に行って誓約書にサインを求められたのは後にも先にもこの時だけだ。それにしても、どんな内容だったのだろう。 |
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先月20日、体調不良を理由に任期途中で衆院議長を辞任した細田博之氏が死去した。旧統一教会や女性記者へのセクハラなど、疑惑の説明をしないまま去ってしまった。 先月15日に県立首里高校に侵入したとして嘉手納基地所属の米兵3人が逮捕されたが、そのうち2人が別の日にも他の米兵1人と同校に侵入した疑いがあることがわかったそうだ。これが本土にある米軍基地の周辺で起こった事件なら大騒ぎになるだろう。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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物干し場の片付けと洗浄が終わったので、昨日と一昨日はサビ落とし。何十年も放ったらかしにしてあったので、鉄板・鉄柱はサビがついているというより、何層ものサビの衣をまとっている状態。ベベルワイヤーブラシを装着したディスクグラインダーでサビの表面を削ると、顔や手にバシバシとサビの粒が当たって痛い。 | ||
↑ゴツゴツしたサビの粒が付着した鉄板。サビを根こそぎ取るのは不可能なので、表面のサビだけ削ってみる。トタン屋根はサビの粉だったが、こちらはサビの粒が飛んできて、顔や手に当たる。電動ブラシで削っていると、時々火花が散る。 ←電動ブラシで表面のサビを削った鉄板。トタン屋根に比べて作業面積は少ないが、凹凸があるので意外と時間がかかる。 |
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↑脚立を立てるのに邪魔だし、塗装する際に葉や枝にペンキがつく恐れがあるので、鉄柱まで枝が伸びていた木をチェーンソーとハサミで剪定した。これまでシルバーセンターに頼んでいた庭木の剪定を、経費節減で来年からは自分でやるので、これも練習だ。 ←切り落とした枝は、生ゴミと一緒に燃えるゴミとして出す予定。 |
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明日は晴れの予報なのでサビを落としたペンキを塗る作業。そのために必要なハケなどをダイソーとコメリに買いに行った。家に帰ってくると、アマゾンに注文しておいたペンキが届いていた。 今回新たに購入したのは、 ◯極うす手袋10枚入り 110円 ◯万能用ハケ50mm 110円 ◯万能用ハケ30mm 110円 ◯ローラーバケット 548円 ◯ニッペ塗料油性シリコンタフ1.6Lイエロー 2,927円 |
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一昨日、両親と妹が岩魚寿司を食べに五箇山へ行った。そのお土産に岩魚寿司の折り詰めを一つ買ってきてくれた。なんでも岩魚が不足していて、半分はニジマスになっているそうだが、どれが岩魚でどれがニジマスだかわからない。食べても、どれが岩魚でどれがニジマスだかわからなかった。岩魚寿司を食べるのは、これが二回目だろうか。川魚だが臭みはなく、淡白な味です。 | ||
国立科学博物館が6日に会見を開き、今年8月から行なっていたクラウドファンディング で目標額の1億円を大きく上まわる9億円が集まったことを明らかにした。これはクラウドファンディング の支援額、支援者数ともに過去最高だという。科学博物館の資金難に対して善意のお金が集まったことは喜ばしいことなのだろうが、素直に喜べないのは本来は国が予算として計上・確保すべきお金だということだ。 新藤経済再生担当大臣がNHKの日曜討論で、物価上昇を上回る賃上げの実現には働く人のスキルの向上が不可欠だとして国が補助するリスキリング(学び直し)の講座の対象を拡大したいという考えを示したそうだ。まるで賃金が上がらないのは働く側の問題だという意見だが、例えば介護職の人が新たに資格を取得したからといって賃金が増えるだろうか?賃金が物価上昇に追いつかないのは円安であり、増税であり制度の問題だろう。自分たちの無策を国民のせいにしてはいけない。 NHKがテレビがあるのにNHKとの放送受信契約を結ばない都内の3世帯に対し、契約の締結と割り増し金などの支払いを求める民事訴訟を東京簡裁に起こしたという。今年4月から未契約者などに対し、受信料の2倍にあたる割増金を請求できる制度が開始され、割増金を請求する訴訟は今回が初めてだそうだ。 那覇空港にも近い豊見城市にある瀬長島に、127室全てに露天風呂、3つのプールを備えた地上9階建てのホテル新棟が2027年3月の開業を目指して建設されるそうだ。 |
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↑2012年7月28日、豊見城ハーリーを見にいった帰りに撮影した瀬長島。周回道路の近くにあった子宝岩はどうなっただろうか。 | ||
この他の気になった記事を備忘録として。 ◯安倍内閣が崩した最高裁判事選びの「慣例」 6年経て「元通り」に ◯謎の気泡が近くの川から…調布の外環道、地盤補修工事を中断 東日本高速は原因を明言せず ◯救急車、買い替えさせて…2004年式をガムテープ補強 山では馬力不足 ◯維新支持層も「万博不要」65% 整備費増、開催理解進まず ◯ザ・ストーン・ローゼズのオリジナル・ベーシスト、ピート・ガーナー死去 |
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昨日の高岡の最高気温は25℃、今日は28℃。2日続けて夏日となった。昨日は片付け作業をしたので、今日は高圧洗浄機を使って屋根や窓などの汚れ落としをした。 | ||
波板の屋根を洗浄するためハシゴを掛け、高圧洗浄機を持って上がる。波板の上を洗浄した後、波板の下(裏側)を洗浄。波板の上は雨で流されるからか、裏側の方が汚れていた。噴射した水が跳ね返りビニールのポンチョを着ていたが、けっこう濡れてしまった。でも洗浄したおけげで半透明の波板の屋根が明るくなった。 西側に比べ家の東側にある窓に蜘蛛の巣がいっぱいついているので、こちらも高圧洗浄機で吹き飛ばした。 |
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東側の窓を洗浄した後、午後からはリフォームした1階入り口の大きな4枚ドアも高圧洗浄機で汚れ落とし。今日の作業はこれくらいにして、着替えて久しぶりに小矢部川を自転車で少し走って来た。 | ||
先月はトタン屋根のリフォームで、買い物や用事以外ではほとんど自転車に乗っていなかったからサイクリングは久しぶりだ。 |
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ビートルズの新曲「Now And Then」が、英国時間の11月2日にリリースされた。ビートルズのオフィシャルチャンネルがYouTubeにUPしている「Now And Then」は22時間ほどで既に500万回以上再生されている。 | ||
トタン屋根のリフォームが完了したので、今日から背戸の庭にある物干し場?のリフォームを開始。鉄柱の上にプラスチックの波板の屋根が乗っかっているもので、多分この家が出来た頃からあると思う。もう50年以上が経ちサビだらけになっている。昔はこの下に池があり、そのまま透明のアクリル板を床に敷いた部屋に続いていた。最近は畑でとれた白菜を並べて保管するため、左右に脚立を置いて工事用の足場に使うステンレスの板を渡したものが組まれて縁側から出入りすることも出来なかった。下の方には割れた鉢植えやら雑草を毟って袋に入れたものやら色んなものが放置され足の踏み場もないような状態だった。 | ||
今年は白菜を作らなかったので、先ずは脚立と足場用の板を片付けることから。 | ||
↑波板の下に枯れ枝や枯葉が引っかかっている。どこかから飛んで来たのかと思ったら、庭のバラの木の枝が伸びたものだった。引っかかっている枝を取り除こうとすると、軍手をした手に棘が刺さる。怪我をしたら大変なのでペンチで掴んで外し、ペンチとニッパーで枝を細かく切って始末した。 ↓波板を打ち付けている板に、小さい蜂の巣が2つあった。どちら古いもので、蜂は住んでいなさそうだ。 |
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脚立やステンレスの板、割れた鉢植えや散らかっていたゴミを片付けてスッキリした。庭は眺めて楽しむものだと思うが物が散らかっていて眺められる状態ではなく、父親と母親にとってはただ雑草を毟る場所になっていた。 |
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今日の朝日新聞にガザとイスラエルの死者が合計で1万人を超えたという記事が掲載されていたが、イスラエル側の死者は1400人からほとんど増えておらず、日に日に死者の数が増えているのはガザ地区だ。イスラエルは先月30日にガザでの地上作戦中、ハマスに拘束されていた人質の兵士1人を救出したと発表したが、イスラエルが人質1人を救出するためにどれほどのガザの一般人が殺されたのだろうか。イスラエルは戦争と言っているが、これはイスラエルによるガザへのジェノサイド或いは民族浄化と言った方が相応しいだろう。 ツイッターでデタラメな野党批判を繰り返し立憲民主党の議員2人から民事訴訟を起こされて、損害賠償を命じられたDappi。Dappiは都内のウェブ関連企業ワンズクエストのツイッターアカウントだが、このDappiと自民党本部の関係を調査すべきではないかと31日の衆院予算委員会で議論になったそうだが、岸田首相は「何ら調査の必要があるとは考えていない」と否定したそうだ。いやいや、あなたも調査されるべき側の人間で、そんな人に必要ないなどという権利はあるのだろうか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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29日の日曜日に、叔母(母親の妹)が亡くなった。5年ほど前に病気がわかり、何度か入院し抗がん剤治療なども行なっていた。今年の9月に体調が悪くなり自ら手続きをして入院していたが、途中から緩和ケア病棟へ移っていた。 写真を生業にしていると、思いもよらないことがある。1997年から2001年にかけてレコード・コレクターズ誌で「戦後ニッポンのポピュラー音楽」という北中正和さんと田中勝則さんが交互に取材・執筆した連載の撮影を担当した。その連載2回目に登場されたのは、元コロンビア・オーケストラ楽長でピアニストの岩田喜代造さんだった。その岩田喜代造さんが亡くなられた時に、お孫さんからレコード・コレクターズで撮影した写真を遺影に使いたいというメールを頂いた。これまで撮影してきたミュージシャンや俳優の方々のリストを自分のホームページに掲載しており、お孫さんが岩田さんの名前を検索していて辿り着いたのだろう。自宅のピアノに座りカメラ目線の写真が、音楽家だった岩田さんの遺影に相応しいと思われたようだ。メールを頂いてから葬儀まで少し日にちがあったので、暗室に入って4つ切りのプリントを作り、お送りした。 奄美大島には日本画家・田中一村さんが描いた肖像画が遺影として残っている家がある。画業のかたわら、大熊集落の染色工場で働いていた時にお世話になった人へのお礼や、生活費の糧にするため描いたと聞いている。今となっては、その肖像画は大変なお宝になっているのではないだろうか。 高校を卒業し、暫くして富山を離れたので20代、30代、40代の頃は従姉妹たちと会う機会は少なかったが、冠婚葬祭だけではなく、またここにきて顔を合わせる機会が増えた。不思議なもので、もうお互い還暦を過ぎたが、子供の頃のようにチャン付けで呼び合っている。 |
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10月へ |