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11月29日(水)

 今日の午後2時47分頃、米軍所属のオスプレイが鹿児島県屋久島沖で墜落した。この機体には6人が搭乗していたが、海上で1人が発見され死亡が確認された。オスプレイの墜落事故は、2016年12月に沖縄本島北部での夜間訓練中に名護市安部集落沿岸の海に落ちて以来2回目で、墜落による死者が出たのは今回が初めてだ。
 「機体が突然、ひっくり返り、真っ逆さまになった。火が出て爆発しそのまま海に垂直に落ちていった」という目撃者の証言があり、海上で機体とみられる灰色の多数の残骸が見つかったという海上保安庁の報告があるにもかかわらず、宮澤防衛副大臣は臨時記者会見で今回の墜落事故に関して「不時着水」だとした。墜落ではなく不時着水とする理由は「米側から、最後の最後までパイロットが頑張っていたとの説明を受けている」からだという。墜落するとわかって必死にならない、頑張らないパイロットがいるのだろうか。この国の政治家の、こうした言葉の誤魔化しで事実をねじ伏せようとする姿勢は、本当に気持ち悪い。
 今年の9月、3日間で5機のオスプレイが民間空港に緊急着陸している。緊急着陸の詳細な原因は明らかにされていないが、こうした繰り返される緊急着陸の果てに今回の墜落事故があるのだろう。

 今日の南日本新聞に、奄美大島の大和村湯湾釜集落で旧暦10月16日だった昨日、4年ぶりに伝統行事の「ムチムレ(ムチモレとも言う)踊り」が行われたという記事が掲載されていた。
 ムチは餅のことで、ムレ(モレ)は貰う。三線やチヂンの音に合わせて歌い踊りながら家を一軒一軒まわり、火難災除の餅を貰って歩く。
 旧暦10月16日は、昔、集落の大半を焼く火災のあった日で、この日を忘れずに火災予防や無病息災を願って行われる。踊り手は男女ともに女性用の着物をきて、頭から布を被って踊る。火災が起こった時、消防用水だけでは足らず、田んぼの泥までも投げたことから、泥団子を見立てたカシャ餅が配られ、火傷を負った顔を隠すために顔をスカーフなどの布ですっぽり隠してしまうのだそうだ。
 サバクリ人さんに誘われて、2010年の11月21日にこのムチムレ踊りを見に行った。集落には夜の7時半頃に到着したが、すでに踊りはスタートしていた。踊り手について歩きながら一緒に家々をまわり、各家で用意されていた料理やお菓子、ビールなどをご馳走になった。食べながら踊りながら集落をまわり、最後の家で踊り終わったのは夜の11時半過ぎだった。
 踊りの際に歌われるのは徳之島民謡の「どんどん節」で、<モチもろたーモチもろた、よいやーよいやー>と囃したてながら踊られる。国の重要無形文化財に指定されている龍郷町秋名集落の「ショチョガマ」「平瀬マンカイ」は勿論、加計呂麻島、与論島など奄美群島の祭祀や行事も色々と見てまわったが、一番印象に残り一番楽しかったのが、この「ムチムレ踊り」だった。
ムチムレ踊り01
↑2010年11月21日に撮影した湯湾釜のムチムレ踊り。
↓庭に面した部屋に料理や飲み物を用意し、踊り手たちが来るのを待つ。
ムチムレ踊り02
 この他の気になった記事を備忘録として。
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 沢渡朔さんの『少女アリス』は、自分が写真を始める前から持っていた写真集の一冊で、家にあるのは1980年9月20日発行の第11刷だ。
少女アリス
 なぜこの写真集を買ったか思い出せないが、当時ライター仕事をしていた時によく撮影をお願いしていたカメラマンの宇佐美さんに薦められたのかもしれない。
 『少女アリス』はルイス・キャロルの童話『不思議の国のアリス』をモチーフに、その世界観を実在する少女をモデルに再現した写真集だ。定価3000円の写真集だったが、現在はオークションサイトで高値で取引されているようだ。
 下の写真は、宝野アリカと片倉三起也のユニット、ALI PROJECTのベスト・アルバム『jamais vu』のジャケット用に撮影した写真の中の一枚。東芝EMIとの契約終了後、廃盤になった自分たちのCDを販売するために設立した彼らのプライベートレーベル、ZAZOU Recordsからのリリースで、東芝時代のシングルを集めたアルバムになっている。
 作詞とボーカルの宝野アリカとジャケットの打ち合わせをしている時に出て来た彼女の好きなものが、四谷シモンであり金子國義だった。それを聞いて、頭に浮かんだのは沢渡朔さんの『少女アリス』に掲載されていた、大男など大人たちに囲まれたダイニングテーブルの上に寝転ぶアリスの写真だった。当時、彼女が住んでいた部屋のリビングにはロフトが付いていて、テーブルを俯瞰で撮影することができた。
 日中は井の頭公園でインナーに使う写真を何カットか撮影し、撮影小道具のホールケーキや花を購入した。たしかロケアシに人間椅子のマネージャーがついてくれたと記憶している。その頃、人間椅子のギター、和嶋慎治さんがALI PROJECTのライブやレコーディングに参加していた縁だろうか。
 ロケでの撮影が終わり、室内でのメインの撮影。クロスを敷いたダイニングテーブルに小道具を並べ、宝野アリカが横たわる。彼女への注文は一つで、壊れた人形のようなポーズをしてくれだった。
ALI PROJECT
 そうして出来上がったのが下の写真。右側半分が表ジャケット、左側半分が裏ジャケットになっている。フィルムで撮影しデザイナーに渡しているが、フィルムで入稿したのかスキャンしてデジタルで入稿したのかわからないが、ちょっとマゼンタが強い。
 ポリドールから発売されたデビューアルバム『幻想庭園』のジャケットは洋画家である宝野アリカの母親が描いた絵画で、東芝EMIに移籍後のアルバム・ジャケットはカクテル撮影で有名な大輪真之さんによるイメージ写真だった。ジャケットの表に彼らのポートレートを使用したアルバムは、この『jamais vu』が初めてだったかもしれない。
jamais vu

11月26日(日)

 昨日の天気予報では曇りだったと思うが、朝から晴れ間の広がる良い天気だった。
灯油ポンプ
 灯油ポンプに小さな亀裂が入って、給油すると灯油が飛び散るようになったので、昨日の午前中、近所のコメリへ新しいのを買いに行った。1つ148円だったので予備に2つ購入した。
 午後、スーパーへ食材を買いに行ったついでにテナントで入っているダイソーを覗くと同じような灯油ポンプが売られていた。やはり何か必要なものがあれば、まず先にダイソーをチェックするのが安く済ませる基本だろうか。
 家の外壁に張られたトタンの一部に薄っすらとサビが付いている。たぶん雨どいが壊れていた部分の下で、雨どいから溢れた水が地面のコンクリートに落ち、それが跳ね返ってトタンに当たりサビが発生したのだと思われる。前から気になっていたので、金属のタワシで擦って落とした。
サビ取り

 一昨日の南海日日新聞に、奄美パークのイベント広場で4年ぶりに「朝花節大会」が開催されたという記事が掲載されていた。
 奄美パークでの「朝花節大会」は、奄美大島に住んでいた2010年に第16回を少しだけ見たことがある。奄美パークの敷地内にある田中一村美術館へ「田中一村 新たなる全貌」と題された特別展を見に行ったら、島唄が聴こえてきてイベント広場を覗くと「第16回朝花節大会予選会」が開催中だった。大会には50組ほどがエントリーしていたようだが、歌う曲は全て「朝花節」なので3組ほど聴いてから美術館へ移動した。
 「朝花節」は奄美の島唄の代表的な曲で、歌遊びや祝宴の席で座を清めるためやウォーミングアップとして最初に歌われる。歌詞のパターンは様々あるようだが、神様のお引き合わせにより、こうしてまたお会いできたのですね。久しぶりにあなた方にお会いできて嬉しいです、といった内容だ。

 奄美大島南部、瀬戸内町の古仁屋から請島経由の町営船で約100分(直通は約50分)の与路島へ、舟漕ぎ大会を見にいったことがある。現在は41世帯73人の普段は静かな島だが、舟漕ぎ大会の日はシマの出身者や観光客も訪れ束の間にぎやかになる。そんなハレの日が嬉しいのか、島の人たちはチヂン(奄美特有の太鼓)を叩きながら、陽気に港で訪れる人を迎え、また見送ってくれた。明日になれば、また島は静かな日常に戻るのだろう。祭の後の寂しさをともなって。それをわかっているから、ことさら陽気に過剰なほどの明るさで迎え、見送ってくれているような気がした

石原を踏み越え、こうしてわざわざ御足をお運び下されたあなたの真実に触れ
私は嬉しさでいっぱいです。
今日こうして未知のあなたにお逢いして、よく知ることができました。
これも命ながらしていただいたからこそで、本当に命あってこそ未知の人にも逢えるというものです。
たまたま皆様方にこうしてお逢いできましたが、さて今度は、
いつまた、お逢いすることができましょうか。
唄いましょうよ やりましょうよ
唄は、やってこそ、上達しますよ
唄いましょうよ やりましょうよ。

 上記は「朝花節」の意訳だ。奄美大島も離島だけれど名瀬に住んでいる分には交通の便も移動も楽になり、朝花節で歌われるような人との出会いの感謝というものがピンと来ない。でも離島のさらに離島といった与路島では、そんな島唄の心情を想像してみることができた。

朝花節大会
与路島の舟漕ぎ大会

↑2010年11月23日、田中一村の絵画展を見に行って、偶然出会った『第16回朝花節大会』。

←2012年4月29日、雨と強風の悪天候の中で行われた、与路島の舟漕ぎ大会。関係者でもないのにお弁当やら刺身などご馳走になった。

↓舟漕ぎ大会が終わり町営船で与路島を離れる時、チヂンを叩きながら「また来てね〜」と大きな声で見送ってくれた。

与路島の人達のお見送り

 奄美群島の徳之島で、町役場敷地内に置かれたハブの保管・展示施設「ハブの館」から11匹のハブが脱走したという記事が、昨日の奄美新聞に掲載されていた。6匹は捕獲したものの、5匹がまだ逃走中だ。
 徳之島の町役場ではハブ咬傷被害防止と生息数抑制を目的にハブ捕獲買取事業を行なっており、住民が捕獲したハブを買い上げて「ハブの館」で一時保管・展示を行なっているという。今回はその「ハブの館」にある排水口のバルブを閉め忘れ、そこからハブが脱走したようだ。
 徳之島の町役場をGoogleマップで検索すると、商業施設もたくさん建ち並ぶ島の中心部に位置していた。奄美大島にも徳之島にもハブはたくさんいるだろうが、それは町を外れた山や森の中で、町中でハブと遭遇することはほとんどない。奄美大島に2年間住んだが、ハブを見たことがないという人も結構いた。だから、ハブが逃げ出した町役場近くの住民も気が気ではないかもしれない。
 奄美大島でも村役場にハブ小屋があり、ハブを捕獲して持って行くと買い取ってもらえる。アマミノクロウサギを探しにサバクリ人さんと夜の山に入ると、度々ハブと遭遇した。サバクリ人さんの車の中にはハブを捕獲するハブ棒と、ハブを入れる箱が常備されていた。捕まえたハブを役場に持って行き、買い取ってもらったお金でアマミノクロウサギ探しのガソリン代にしていた。

ハブの捕獲
↑山道でハブを捕獲したサバクリ人さん。↓村役場へ持って行き、役場のハブ小屋にハブを納品?2011年だったが、この時はハブ1匹4000円で買い取って貰えた。
役場のハブ小屋

 徳之島ではハブが逃げ出したが、奄美大島の宇検村ではペットとして飼われていたらしいアフリカ原産とされるニシキヘビ科のボールバイソンが捕獲されたという。体長約1.1m、重さ約1.3キロの大きなヘビだ。この記事を読んで凄いと思ったのは、70代の新聞配達員の男性が配達先の玄関で発見し、捕獲して警察に届けたということ。体長1mを超すヘビを捕まえる70代の男性。奄美の人はやはり凄い。

 この他の気になった記事を備忘録として。
井戸の水位が2~5m前後低下 リニア新幹線トンネル掘削工事の影響 工事現場での湧水は1日500㎥→2,000㎥へと急増 JR東海は調査継続へ
イスラエル軍、迎えの家族に発砲 パレスチナ人釈放で、31人負傷
パーティー券で「裏金」つくる自民党のやり方…5派閥の過少記載問題 関係者たちが語った実情とは

11月24日(金)

 11月、12月は妹の誕生日、父親の誕生日、母親の誕生日、クリスマスと続くので、この何年間は沖縄の洋菓子店ジミーで冷凍のホールケーキを3個注文し、あとはコストコでホールケーキを1つ購入していたが、今年は全てコストコで賄うことにした。理由は、ジミーのケーキが値上がりしているのに加え、配送料が大幅に高くなったから。
 ジミーのケーキで一番好きなジャーマンケーキは1490円から昨年は1680円、今年は1800円になっている。アップルパイは1490円から1780円、そして今年は1950円だ。配送料は1100円だったのが、今年は2070円になってしまった。ケーキよりも配送料が高くなると、流石に取り寄せる気がしなくなってしまった。思い出の沖縄の味、ちょっと残念だな~。
 昨日の勤労感謝の日が妹の誕生日で、コストコで買ってきた大きなイチゴのショートケーキを食べ、夜は両親と妹家族で台湾料理の福来順へ。大人6人、子供1人で色々食べて6500円ほどだったか。

 昼ごろに少し晴れ間もあったが、今日は朝から雨の荒れた天気だった。一昨日は雲一つない快晴、昨日は雲が多く風もやや強かったが暖かい日だった。快晴だった一昨日、自転車をブラブラと漕いで母親の実家の方まで足を伸ばした。母親の実家には従兄弟が一人で住んでいる。カイニョと呼ばれる屋敷林のある家だが、従兄弟一人では手入れが出来ないのだろう、伸び放題の樹木が森のようになっている。

カイニョ
↑母親の実家のカイニョ。快晴だった一昨日、遠くに立山連峰、空には月が浮かんでいた。
ススキ
↑ススキの穂が夕日に輝くと、秋を実感する。写真は小矢部川の支流、黒石川の堤防で。

 10月7日以来続いてきたイスラエルとハマスの戦闘だが、24日午前7時(日本時間24日午後2時)から休戦期間に入った。休戦期間は4日間で、その間ににハマス側が拘束する人質のうち50人を開放することになっている。
 休戦は歓迎すべきことだが、この合意に達するまでガザの子供がなぜ5600人も死ななくてはならなかったのか

 東京新聞が「配達の現場から どう守る仕事 暮らし」と題して<アプリに「働かされる」12時間…迫るブラックフライデー、Amazon配達員の実態から見えた「危うさ」><「偽装フリーランス」が常態化する宅配業界 労働者の「無権利状態」を防ぐ立法を>という2つの記事を掲載しているが、この記事に書かれている配達員がフリーランスではなくフリーターではないかと思えてしょうがない。2020年の3月、還暦の誕生日にこんなことを書いている。
 そういえば新型コロナによる休業補償が話題になっている時に、正規・非正規で働く人は日額上限8330円の助成金を出すのに対して、フリーランスの場合は4100円という政府案が示された。フリーランスが正規・非正規の半額以下という金額は、東京都の最低賃金1013円X4時間で算出したという。
 政府はフリーランスとフリーターをごちゃ混ぜにしていないだろうか?フリーランスとは自分の知識や技能を活かして企業等から仕事を請け負う個人事業主で、フリーターは企業などでアルバイトをして生計を立てている人のことだと個人的には理解している。
 二十歳を過ぎた頃から個人事業主として毎年欠かさず確定申告をしている。フリーランスのライターやカメラマンというのは基本的にギャラの1割りが源泉徴収されているので、必要経費を申告して源泉徴収された分を返還してもらわなくてはならないから。
 そうやって40年ほどフリーランスで仕事をしてきた身で言うと、一日で得る収入は正規・非正規で働く勤め人の方よりフリーランスの方が多くなければ、フリーランスという稼業は続けられないだろう。毎月決まった日数、毎日決まった時間の労働が保証されているわけではないのだから。
 国が進める働き方改革の中で、多様な働き方の一つとしてフリーランスも取り上げられていたが、政府が考えるフリーランスの位置付けが今回の見解ならば、多様な働き方など広まらないだろう。

 「首相夫人は私人」と2017年に安倍内閣が閣議決定したんだが、その私人である昭恵夫人が安倍元首相の死後、政治資金を引き継いでも課税対象外とはこれいかに。こういうお金こそ税率を上げて国に戻すべきでは。

 この他の気になった記事を備忘録として。
安倍・二階・麻生派、新たにパーティー収入不記載か 最新の報告書
閣僚ら「高額会食」120件 岸田首相の団体、懐石料理店に90万円
「沖縄を戦場にさせぬ」 1万人が軍拡化に反対訴え 県民大集会 玉城知事「声を上げ続ける」
「自衛隊の南西シフト」で「戦争の姿が見え始めた」 沖縄・鹿児島の人々が国会前で訴えた切実な思い
木原防衛相「物体が地球周回」 北朝鮮の衛星打ち上げで
排気ダクトからウラン粉末170キロ 26年間未点検の核燃料事業所

11月21日(火)

 音楽評論家の小尾隆さんが先月19日に亡くなったことを、1ヶ月近く経った先週になって知った。特別親しい間柄ではなかったが、小尾さんのレコード・コレクションを2回撮影したことがある。
 最初は大鷹俊一さんの連載「レコード・コレクター紳士録」での撮影で、『レコード・コレクターズ』1993年4月号での掲載だからもう30年も前になる。どんな話で、その時にどんな写真を撮ったかは掲載誌を見れば確認できるが、掲載誌を見るまでもなく思い出すのは小尾さんの横にポツンと置いてあった空き缶のことだ。取材でご自宅にお伺いした時から妙に浮いた存在の缶があって、何かエピソードがあるのだろうと思っていたら、イアン・マクレガンから貰ったビールを飲み干した後も大事に保管していたという記念の品だった。確かこの空き缶も撮影した気がするが、紙面に限りがあるので大鷹さんが書いたそのエピソードだけが掲載されている。
 その次に小尾さんのコレクションを撮影したのは2007年の暮で、春日出版から発売される小尾さんの著作『my favorite us Records 1960s-1970sレコード・ジャケットで”聴く”アメリカン・ロック』『my favorite of uk Records 1960s-1970sレコード・ジャケットが”奏でる”UKロック』という2冊の本の撮影だった。

 ある日、春日出版というお付き合いのない出版社から電話があり、小尾さんのレコード・コレクションを並べた本を作るのだが、その撮影をお願いできないかという内容で、小尾さんから紹介されたという。とりあえず後日、渋谷にあったその春日出版に詳しい話を聞きに行くことにした。
 打ち合わせの日、訪ねて行くと小尾さんと担当の女性編集者、女性のデザイナーが編集部で待っていらした。珍しいレコード、貴重なレコードを並べたコレクション本ではなく、小尾さんが聴いてきた音楽の遍歴をレコード・ジャケットと共に紹介するという内容だった。ただ、その撮影(レコード・ジャケットの複写)は何百枚となるので、しばらく考えてお断りした。出版社に簡易なスタジオを組んで取っ替え引っ替え撮影しても、数日はかかりそうだったから。そうしたスケジュール的なものと、もう一つはそれだけの数の複写をカメラマンに発注すると制作費が嵩み採算が取れるのか心配だったから。たぶん、編集部でスキャンするか複写してはどうかと提案した気がする。
 その代わり目次にあった各章毎の、扉用写真の提案をした。各章に関係するレコードが並んだ棚を撮影するというもので、レコード・ジャケットの背がずらりと並んだ写真だ。アーティスト名、タイトルはもとよりレコード番号もハッキリと分かるよう見開きで掲載する。棚に並んだレコードの背にも持ち主の個性が表れると思うし、背から色々と読み解くこともできる。そして本の判型は、コレクションを集めた本と聞いていたので、以前撮影した『中村とうようの収集百珍』を参考になればと持参したところ、『収集百珍』と同じ正方形の本にすることが決まった。
 アメリカン・ロック編の扉用に4カット、UKロック編の扉用に5カット、そしてレコード・コレクション部屋とオーディオとレコードが並んだリビングの様子などを撮影した。扉用の写真は撮影する棚を決めて、レコードをその都度並べ替えてもらった。整理整頓された部屋だったが、ストロボとカメラを付けた三脚を室内で移動させるよりはレコードを並べ替える方が効率が良さそうだったから。
 ライティングはストロボの光が反射してレコードの背の文字が見えなくならないように、傘トレのストロボ1灯と白のケント紙で棚全体を上下に挟むようにして光をまわした。
 カット数はそれほど多くはなかったが、レコードを入れ替えたり撮影した写真をデザイナーと確認したりしていると半日仕事になった。撮影が終わった後、担当編集の女性、デザイナーの女性、そして小尾さんの4人で近くの居酒屋へ夕飯を兼ねて呑みに行った。

 本の発売は予定より遅れてアメリカン・ロック編が2008年5月、UKロック編が2008年7月になった。献本されてきた本は、共に200ページを超す分厚い本で、オールカラー。レコードの複写も編集部ではなく、あとがきを読むとカメラマンに依頼されたようだ。どれだけの部数を刷り、どれだけ売れたのか見当もつかないが、コレクター冥利に尽きる本だろう。
 小尾さんのご自宅には撮影で2回訪れているが、いずれの時もご家族の気配はなかった。小尾さんのX(旧ツイッター)の投稿を見ると奥さんがいらっしゃるようだが、外に出かけていらしたのか別の部屋で静かに待機されていたのか。
 4年ほど前にステージ4の癌の告知を受け、入退院を繰り返しながら闘病されていたが、Xを見ると病院を抜け出してレコード収集に励んだりもされていたようだ。亡くなる前日も、レコードの写真をUPして好きな音楽のことを書かれていた。
 小尾さんが亡くなって、あの部屋いっぱいのレコードはどうされるのだろうか。闘病が長かった分、ご家族とも話し合われていただろうが、それでも残された方は、しばらくは途方に暮れるばかりの日々だろうか。

小尾さんのレコード部屋
おーべっさま迎え

 昨日、11月20日は恵比寿祭りの日で、県内各地で祭りや行事が行われたようだ。今朝の北日本新聞に黒部市宇奈月町下立の家庭で「おーべっさま迎え」が行われたという記事が掲載されていた。
 おーべっさまはえびす様のことで漁師町では豊漁の神様と崇められているが、黒部市周辺の農村部では稼ぎの神、行商の神、商売繁盛の神として崇められている。
 下立では年の暮れが近づく11月20日に、出稼ぎに行っていた自分の家のえびす様がたくさんお金を稼いで帰ってくるので、夕方になると玄関を開け、ご馳走を用意してお迎えする。
 昔はえびす様は電車に乗って帰って来るというので提灯を持って下立口の駅まで迎えに行き、お風呂を沸かし、それから食事とお酒でもてなしたそうだ。現在はご馳走を用意するくらいで、目には見えない神様を「おわすが如く」出迎えたりお風呂に案内する家庭は少ない。
 この下立の「おーべっさま迎え」も先日触れた「おくわさま 」と同様、無形民俗文化財として保存・継承の対象としなければ消えていく行事になりかねないと思うのだが。

チューリップTV「おおべっさま迎え

↑2017年11月20日に撮影させていただいた、下立の此川さん宅の「おーべっさま迎え」。えびす様と大黒様が並んだ神棚の下に料理を並べ、ご主人が酒を注いでもてなしている。

 経団連の十倉会長が「なぜ岸田内閣の支持率が上向かないのか不思議」と述べたそうだが、岸田首相の聞く耳が、国民の声ではなく貴方のような人の声ばかり聞いているからではないだろうか。
 建設費が膨れ上がる大阪万博の無駄の象徴のようになっている、会場外縁を丸く取り囲むように建設される木造の大屋根(リング)。建設費が350億円とされるリングは万博閉幕後は解体する方針だったが、無駄遣いの批判を浴びて保存する案が浮上しているという。しかし、この巨大な木造建築物を保存するとなると維持費はいくらかかるのか。こうして無駄が無駄を呼ぶ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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11月18日(土)

DAYS JAPAN

 イスラエルはハマスとの戦闘のためガザ地区北部の住民に南部へ避難するよう呼びかけていたが、今度は南部の住民にも避難を勧告するビラを配布しているという。現在南部のビラを配布された地域には元々住んでいた10万人に加えて、北部から逃れてきた数万人の人がいるとされる。この人達にどこへ行けというのだろう。
 ネットの情報では、ガザ地区は今、インターネットと通信サービスが遮断されており世界から孤立させられている。イスラエルによる非道な行いを監視する術はほとんどない状態だ。
 イスラエルは1948年の建国以来、武器で住民を追い払いブルドーザーで家を壊しパレスチナの村々を破壊し略奪し領土を広げてきたが、今回もまた同じことを繰り返すのだろうか。

 この数日、第2期の『DAYS JAPAN』を書棚から取り出して、パレスチナに関する記事を読んでいた。
 講談社から発行されていた第1期『DAYS JAPAN』は1988年4月号が創刊号で、1990年1月号が最終号となり短命に終わった。第2期『DAYS JAPAN』の創刊号は2004年4月で、イラク戦争の翌年だ。特集は「大義なき戦争」。フセイン政権の大量破壊兵器開発・保有を大義にアメリカが仕掛けた戦争だが、ついに大量破壊兵器は見つからなかった。そして創刊2号の特集は「絶望のパレスチナ」だった。
 第2期の『DAYS JAPAN』は2004年4月号の創刊号から、奄美大島へ移住するため一旦富山へ戻るまでの2010年1月号までがほぼ揃っている。その間にパレスチナ問題は何度も取り上げられている。2008年に広河隆一さんのドキュメンタリー映画『NAKBA』が公開された時は、3号連動して掲載された。
 今回の激しい戦闘のキッカケとなった10月7日のハマスによる2千数百発のロケット弾とイスラエル領内への侵入による奇襲はこれまでにない大規模な攻撃で、イスラエル側の死者も今までになく1200人以上と多い。
 しかしイスラエルの死者は1200人からほとんど増えておらず、イスラエルに報復として攻撃されているガザ地区の死者はすでに1万人を超えている。その多くは民間人で、4630人が子供だ。
 ハマスによるテロ攻撃が先で、イスラエルには自衛する権利があると主張する政治家、メディアもあるが自衛というにはあまりに双方の死者数のバランスが欠けていないだろうか。
 これまでも紛争のたびにハマスによるロケット弾がキッカケだとされてきたが、本当にそうだろうか。
 2008年4月号の『DAYS JAPAN』で、フォトジャーナリストの古居みずえさんが以下のような記事を書いている。

 2月27日、イスラエルの攻撃が激化したのは、イスラム原理主義組織ハマスが大量のロケット弾をイスラエル国内に発射し、イスラエル市民1人が死亡したからだった。ハマスによる大量のロケット弾攻撃は、同じ日の早朝、ハマスのメンバーと疑われる5人のパレスチナ人をイスラエルが殺害したことがきっかけだったという。
 その後、イスラエルはガザ北部に侵攻し、空爆と地上からの攻撃で6日間だけで、100人を超すパレスチナ人が死亡した。その半数は女性や子どもを含む市民だ。中でも20人以上の子どもが殺されている。サッカーをして遊んでいた4人の子どもたちがミサイルで亡くなり、そのとき生き残った2人の子どものうち1人も足を失うほどの大怪我をした。また瓦礫の下敷きになった生後6か月の赤ん坊が亡くなった。

 イスラエルが挑発し、ハマスがそれに反抗すると、その何十倍もの攻撃を市民を巻き添えにする形でイスラエルが加える。こんな図式になってはいないだろうか。
 イスラエルが建国以来、どのようにパレスチナの土地を略奪してきたかは、『DAYS JAPAN』2008年3月号で広河隆一さんが執筆している短期連載2「NAKBA」に記述されている。少し長くなるが、引用させてもらう。

 1948年5月に始まったパレスチナ戦争(第1次中東戦争)が49年2月に終結したとき、新生イスラエル国は、国連のパレスチナ分割協議がユダヤ人国家の領土として割り当てた土地をはるかに超えて、アラブ人国家予定地の多くを占領し、全パレスチナの77%を手中にした。48年9月と12月の国連総会決議194号でパレスチナ難民の帰還の権利が決議されたがそれは聞き入れられず、またイスラエルの初代首相ダビッド・ベングリオンは国家樹立宣言に国境明記を拒んだため、休戦ラインが国際的には国境とみなされるようになっていったのだ。
 パレスチナの土地は、イスラエルだけに蹂躙されたのではない。ガザ地区はエジプトに、ヨルダン川西岸地区と東エルサレムはヨルダンに併合された。
 その後、パレスチナ人の村の接収が様々な法律を動員して進んだ。「民主主義国家」イスラエルにとって、土地は合法的に手に入れたものでなくてはならないからだ。
 まず、「不在者財産没収法」がある。これは戦争中に一度でも自分の村を離れた者は、不在者とされ、財産を没収するという法律である。この「不在者」とは、戦火が近づいたため一時的に村を離れた者、イスラエル軍の命令で村を立ち退かされたものを差し、彼らの家屋・土地・財産は没収された。法の適用を受けて接収された村は300に及ぶという。
 次にイスラエルは、「緊急法(防衛法)」を用いた。この125条に、軍司令官が定めた「閉鎖地域」と呼ばれる地区への出入りを禁じる法律があり、主に一時避難中の村民が自分の村に戻ろうとするときに適用されたという。14の村が「閉鎖地域」と宣言され、土地が没収された。

 10月7日のハマスによる奇襲攻撃でイスラエルが1200人もの犠牲者を出したのは不幸なことだが、自分たちの安全のためとして分離壁を作りパレスチナ人の移動を制限し自由と尊厳を奪ってきたのはイスラエルだ。そしてこのイスラエルを一貫して支持してきたのがアメリカだ。ウクライナ侵略を進めるロシアを非難しながら、パレスチナ侵略を続けるイスラエルを支持するアメリカのダブルスタンダードも非難されなくてはならない。
 イスラエルがガザで現在行なっている残虐行為。何の罪もない子どもたちが空爆や銃撃で殺されている。しかし、イスラエル軍だけが非道なわけではないだろう。第2期『DAYS JAPAN』創刊号の特集「大義なき戦争」には、イラクでアメリカ軍が行なったことが記されている。戦争は人を狂気に変える。

 イラクに米英軍が侵攻したとき、都市部への爆撃を逃れて、村々に避難する人が続出した。幹線道路には、民間人の車が数珠繋ぎになった。
 南部のナーシリヤ市のカーリーは3月31日にトラックで避難したが、運転席には彼と親戚の女性たち、そして荷台には子どもが乗っていた。米軍攻撃ヘリは、子どもたちを見たら攻撃してこないだろうと、彼は考えたのである。
 しかし、アパッチ・ヘリは運転席にミサイルを撃ち込んだ。そして荷台から飛び降りて逃げる子どもたちを地上の米兵たちが射殺していった。合計14人が死亡し、負傷者は3人だった。
 同じくナーシリヤの医療技師ダハムは、3月25日に弟と妻と4人の子どもを乗せて乗用車で避難した。しかし町を出たところで米軍戦車に阻まれた。ダハムは恐ろしくて車を止めたところ、猛烈な銃弾を浴びた。このとき3人の子は死亡し、ダハムも妻もかろうじて生き残った女の子も負傷した。
 ダハムたちは車から引きずり下ろされ、米軍基地の野戦病院に収容されたが、夜中に追い出され、寒さのため、女の子が死んだ。ダハムは病床で「犬でもこんなことはしない」と語った。
 3月29日、アパッチ・ヘリの攻撃から逃れようと、女性や子どもたちが防空壕に逃げ込んだ幹線脇のカオードム村では、防空壕が直撃され、24人が殺され、30人が負傷した。

 イスラエルの建国と共に、パレスチナの絶望は始まった。イスラエルによる侵略と占領が終わらない限り、この絶望は続く。逆に言えば、イスラエルが占領をやめ、世界がパレスチナ国家を認め、国境を引き直せば絶望が希望に変わるのかもしれない。難しいことだけれど。
 いや、一度だけ希望に繋がる瞬間はあった。1993年のオスロ合意だ。1992年の選挙で政権を取ったイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長の間で調印されたもので、パレスチナに暫定的な自治政権を樹立すること、そして基本的に両者が「二国共存」を認めるというものだった。しかし協議が進まないなか、95年にラビン首相がイスラエルの和平反対派の青年に暗殺されて希望は潰えてしまった。


 県文化財保護審議会は17日、新たに創設した県登録無形民俗文化財の第1号に、細入地域の伝統行事「おくわさま 」を登録するよう答申したそうだ。
 登録の理由には、<この行事は地域的特色が顕著で、県内に伝承されてきた農耕儀礼を理解する上で注目されること、さらに県内に唯一、保存・継承されていることから、保存及び活用のための措置が特に必要である>と書かれている。
 文化財としての評価には<2本の鍬をそれぞれ田の神と畑の神に見立てている点は、全国的にも類例が少なく、この地域が稲作だけでなく畑作も重視してきたことをよく示している>という一文がある。
 神通川を挟んで旧細入地域の対岸に位置する旧大沢野地域にある布尻地区と町長地区にも鍬を御神体として祀る行事「お鍬さま祭り」がある。五穀豊穣と無病息災を願い、布尻地区の布尻神社と隣接する町長地区の町長神社で御神体である「木の鍬」を神輿に乗せて一年毎に移すお祭りだ。
 旧細入と旧大沢野という隣接した地域で継承されてきた鍬を祀る2つの素朴な行事を、合わせて無形民俗文化財として登録できれば素晴らしいと個人的には思う。
おくわさま
↑旧細入地域の岩稲に伝わる「おくわさま 」。2018年1月11日撮影。
↓旧大沢野の布尻と町長に伝わる「お鍬さま 祭り」。2016年5月19日撮影。
お鍬さま祭り

 石川県の馳浩知事が17日、都内の会合で講演し官房機密費でIOC委員に贈答品を渡したと発言したが、同日夜に「誤解を与えかねない不適切な発言であり、全面的に撤回する」とコメントした。
 記事を引用すると、
自民党で東京五輪の招致推進本部長だった馳氏は、当時の安倍晋三首相から「必ず勝ち取れ」「金はいくらでも出す。官房機密費もあるから」と告げられたと述べた。当時100人余りのIOC委員に対し、それぞれの選手時代などの写真をまとめた1冊20万円のアルバムを全員分、作成したと説明。「それを持って世界中を歩き回った」と話し、棒高跳びで活躍したセルゲイ・ブブカ氏らに渡したとした
 よく政治家が「誤解を招く発言だった」と口にし、自分の失言を聞く方の受け取り方の問題として責任を押し付けようとするが、馳氏のこの発言に誤解する余地はあるのだろうか。

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11月16日(木)

 このところ肌寒かったり雨が降ったりの天気だったが、今日は穏やかで最高気温も18℃まで上がるというので、久しぶりに自転車で走ってきた。相変わらず前のギアでチェーンが直ぐに外れていたが、後ろのギアチェンジをしてみてはどうだろうかと頭に浮かんだ。自転車は6段変速で後ろのギアは一番小さいギアを使っているが、それを5段にしてみた。6段は一番ペダルが重くて、5段は少し軽くなる。そして5段のギアは少し大きい。これが見事に正解で、ギアが少し大きくなった分、チェーンにテンションがかかるのか外れなくなった。
 調子の良くなった自転車で小矢部川へ。毎年定点観測している山の中腹にある神社の銀杏の木は、上半分が黄色く色付いていた。小矢部川の土手を上流に向かってのんびりペダルを漕ぐ。福町の国道8号線にぶつかるところで小矢部川を離れ、石動駅の裏へ。12時前だが、台湾料理の福来順へ。ランチの酢豚セット800円を注文。一人で外食するのは今年初めてかもしれない。食後のコーヒーも飲んで30分ほどの昼ごはんタイム。12時前だったのでお客さんもまばらだったが、近くで火事があったのか救急車とパトカーがサイレンを鳴らしてお店の前を走って行って、なんだか慌ただしかった。
 福来順の前の通りをブラブラと走っていると綾子という地名の標識が出てきた。綾子には2016年9月、太田神社の願念坊踊りを撮影に来ている。綾子の標識を発見して、直ぐに太田神社があった。7年ぶりだ。2016年9月3日に撮影した願念坊踊りの様子はこちらに。

小矢部川
クロスランドタワー
小矢部市民図書館
 太田神社を撮影してから、また小矢部川の土手に戻る。クロスランドタワーを左手に見ながらしばらく上流に向かってペダルを漕いで、小矢部中橋まで。今年は小矢部川を福光あたりまで自転車で行きたかったが、10月の行楽日和は屋根に上がってペンキを塗っていたので実現できなかった。
 小矢部中橋からUターンして、石動に戻る。2020年に開館した、石動駅に併設されている小矢部市民図書館へ。
 小矢部市民図書館は2020年にオープンした。2020年に『とやま祭り彩時季1〜11』を刊行し、ミュゼふくおかカメラ館で同名の写真展を開催した時に、小矢部市民図書館が『とやま祭り彩時季』11卷を購入して下さった。来よう来ようと思いながら、なかなか来れず初めて図書館の中に入った。本は1階奥の郷土コーナーに並んでいた。
雪を被った立山連峰
廃屋と紅葉
 図書館を出て石動の町をブラブラ走って、三井アウトレットパークの近くから小矢部川の土手に戻る。午前中は雲が多いながらも晴れていたが、午後はだんだん曇り空になってきた。それでも雪を被った立山連峰がハッキリと見えた。
 小矢部川をしばらく走り、地元に着いたので土手を下り山裾の方を少し走る。県の東部は熊が多数出没しているが、西部はあまり熊被害を聞かない。それでも怖いので、車の通りが少なくなった辺りで山裾を離れた。

 町中に戻って、今度は久しぶりに西高岡まで行ってみる。自転車が調子いいと、乗っていて楽しい。西高岡の駅前まで行って、帰って来た。
 午前10半頃に出発し家に帰り着いたのは午後4時頃だったろうか。携帯の万歩計は久しぶりの1万越え、12,684歩だった。

 午前中、携帯に+184471580487という通知の国際電話が掛かってきた。出ると、自動音声でNTTの料金が未納だというので、これは詐欺だと思い直ぐに切った。たぶん、これだろう。ご注意を。

11月12日(日)

 昨日から気温がグッと下がり、冬のモードだ。晩ご飯は今季3回目か4回目のおでん。そして今日から湯たんぽを使用開始。
特定健康診査結果通知表
 昨日の朝、先月受けた特定健康診査の結果通知表をもらいに近所の病院へ。全ての数値が基準値以内で、異常認めずだった。一昨年は収縮期血圧が高めで、市の保険年金課から指導を受けるように連絡が来たが、今年は126で基準値以内だった。ダイエットも特別な運動もしていないが、腹囲と体重が減っている。野菜を多く食べているせいだろうか。と言ってもお腹は出ているが。
 病院の帰り、近くの自転車屋へ。先月の半ば過ぎだろうか、スーパーへ買い物に行った帰りに突然前のギアからチェーンが外れた。手でチェーンを摘んでギアに戻してまたペダルを漕ぐが、また直ぐにチェーンが外れる。それから、あんまりチェーンが外れるのでドライバーを持ち歩くようになった。チェーンをギアに嵌めるのに手で持つと油で汚れるから。そのうち、チェーンが外れた瞬間にペダルを逆回転に漕ぐと戻る事を発見し、しのいでいた。いつまでもこんな事をしていられないので、自転車屋で修理をお願いする。もともとペダルを漕ぐと前ギアが左右にぶれていたのだが、最近はそのブレ幅が大きくなっていた。たぶんそれが原因だろうという事で、直してもらうのに自転車を置いて歩いて家に帰った。
 昼ごはんを食べていると自転車屋さんから直したという電話があり、1時過ぎに自転車を引き取りに行く。分解したがギアのブレは完全に直らないが、ベアリングを2個取り替えて修理代は3000円だという。多少ギアは左右にブレるが、チェーンが外れることはないだろうということだった。家に乗って帰る間はチェーンが外れることはなかったが、そのあと買い物に行くとまたチェーンが外れた。果たしてベアリングの交換は必要だったのだろうか。
自転車の前ギアとチェーン

 1月11日に高橋幸宏さんが70歳で、1月29日に鮎川誠さんが74歳で、2月14日に岡田徹さんが73歳で、4月20日に川満勝弘さんが78歳で、7月7日にパンタ(中村治雄)さんが73歳で、10月8日に谷村新司さんが74歳で、10月18日にもんたよしのりさんが72歳で、そして今月9日に大橋純子さんが73歳で亡くなった。今年は、わりと身近に感じていたミュージシャンの方々の訃報が多い。
 大橋純子さんは大ヒットした「シルエット・ロマンス」の頃より、デビューして間もない大橋純子&美乃家セントラル・ステイションの頃の方が熱心に聴いていた。YouTubeから「シンプル・ラブ/大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」。

 イスラエルが、ガザの病院の地下にハマスの拠点があるとして病院を攻撃し民間人を多数殺戮している今の姿と、2003年にイラクが大量破壊兵器を持っているとして武力行使を行い多数の民間人を殺戮したアメリカの姿が重なって見える。
 例えイスラエルが主張するように病院の地下にハマスの拠点があったとしても、病院には病気や怪我で収容されている人のほか、空爆から逃れて集まった多数の民間人もいる。そんな場所を攻撃することに正当性は一切ない。ガザ保健当局によると今回の戦闘によるパレスチナ側の死者は1万1000人以上で、ほとんどが民間人だ。そのうちの4500人は子供だという。
 上川外相は9日の衆院安全保障委員会でハマスからテロ攻撃を受けたイスラエルに関して、「国際法に基づいた自国と自国民を守る権利を有する」として国際法順守を前提とした反撃を認めたそうだ。死者1万1000人以上で、そのうち子供の犠牲が半分近いイスラエルの攻撃が国際法を無視しているのは明らかだろう。「人道状況の改善へ外交努力を粘り強く続けたい」とも述べたそうだが、ガザの今の状況はそんな悠長なものではないだろう。

 南砺市利賀の上村集落で約200年にわたり受け継がれてきた県指定無形民俗文化財の伝統行事「初午」が、集落に小・中学生がゼロになったことから、来年1月の行事は困難な状況だという。
 下の写真は2017年1月9日に撮影した、利賀の初午。

利賀村の初午

11月10日(金)

 今日は雨の降る肌寒い日だったが、昨日は秋晴れの暖かい日だった。午前中から庭の物干し場の塗装をした。
養生とマスキング
 先ずはマスカーテープと養生テープ、古新聞で、外壁や戸、樹木や地面などペンキがつかないように養生とマスキングを行った。
塗装01
塗装02
 鉄板や鉄柱にイエローのペンキを塗る。トタン屋根の時はローラーでスイスイ塗れたが、サビで凸凹しているのでハケで少しずつ塗り進めた。
 この鉄板や鉄柱の元々の色がはっきり思い出せない。リフォームした作業場の鉄骨と同じペパーミントグリーンだった気もするし、錆止め塗料の赤茶色だったような気もする。
 幸いなことにサビだらけだが、結構しっかりしていて折れたり倒れたりすることはなさそうだ。
塗装03
 午前9時半頃から作業を始め、お昼に1時間ほどご飯休憩を挟んで、午後4時頃に終了した。購入した1.6Lの塗料がほぼ無くなった。メーカーによると1.6Lで畳10枚分塗れるそうだが、そんなに塗っただろうか。一回塗りなので塗りムラもあるが、今回はこれで良しとしようかな。
 ペンキ塗りたてのところに虫がやって来て、動けなくなってしまった。下の写真の2匹に、もっと小さな虫がもう1匹、3匹の虫が確認できた。可哀想な事をしたが助けることもできないので、このまま風化していくのを見守るしかない。 
虫
 30years ago #29 ポール・ウェラー
ポール・ウェラー
 ポール・ウェラーが1993年にリリースしたソロとして2枚目のアルバム『Wild Wood』をテーマにした、新作ドキュメンタリー『Record On: Paul Weller - Wild Wood』が完成し、英Sky Artsで11月11日に放送されるそうだ。
 添付した写真は『Wild Wood』がリリースされた1993年の来日ツアーの初日、10月27日の中野サンプラザでのステージ。音楽雑誌の仕事で撮影に行ったが、会場に入ると受付でカメラマンが全員誓約書にサインを書くよう要求された。誓約書は確か英語で、どんな内容かわからないままサインをした。撮影に行って誓約書にサインを求められたのは後にも先にもこの時だけだ。それにしても、どんな内容だったのだろう。

 先月20日、体調不良を理由に任期途中で衆院議長を辞任した細田博之氏が死去した。旧統一教会や女性記者へのセクハラなど、疑惑の説明をしないまま去ってしまった。

 先月15日に県立首里高校に侵入したとして嘉手納基地所属の米兵3人が逮捕されたが、そのうち2人が別の日にも他の米兵1人と同校に侵入した疑いがあることがわかったそうだ。これが本土にある米軍基地の周辺で起こった事件なら大騒ぎになるだろう。

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11月8日(水)

 物干し場の片付けと洗浄が終わったので、昨日と一昨日はサビ落とし。何十年も放ったらかしにしてあったので、鉄板・鉄柱はサビがついているというより、何層ものサビの衣をまとっている状態。ベベルワイヤーブラシを装着したディスクグラインダーでサビの表面を削ると、顔や手にバシバシとサビの粒が当たって痛い。
サビだらけの鉄板
電動ブラシでサビを削った鉄板

↑ゴツゴツしたサビの粒が付着した鉄板。サビを根こそぎ取るのは不可能なので、表面のサビだけ削ってみる。トタン屋根はサビの粉だったが、こちらはサビの粒が飛んできて、顔や手に当たる。電動ブラシで削っていると、時々火花が散る。

←電動ブラシで表面のサビを削った鉄板。トタン屋根に比べて作業面積は少ないが、凹凸があるので意外と時間がかかる。

剪定した木
剪定した枝

↑脚立を立てるのに邪魔だし、塗装する際に葉や枝にペンキがつく恐れがあるので、鉄柱まで枝が伸びていた木をチェーンソーとハサミで剪定した。これまでシルバーセンターに頼んでいた庭木の剪定を、経費節減で来年からは自分でやるので、これも練習だ。

←切り落とした枝は、生ゴミと一緒に燃えるゴミとして出す予定。

 明日は晴れの予報なのでサビを落としたペンキを塗る作業。そのために必要なハケなどをダイソーとコメリに買いに行った。家に帰ってくると、アマゾンに注文しておいたペンキが届いていた。
 今回新たに購入したのは、
◯極うす手袋10枚入り 110円
◯万能用ハケ50mm 110円
◯万能用ハケ30mm 110円
◯ローラーバケット 548円
ニッペ塗料油性シリコンタフ1.6Lイエロー 2,927円
新たに購入した塗料など
岩魚寿司
 一昨日、両親と妹が岩魚寿司を食べに五箇山へ行った。そのお土産に岩魚寿司の折り詰めを一つ買ってきてくれた。なんでも岩魚が不足していて、半分はニジマスになっているそうだが、どれが岩魚でどれがニジマスだかわからない。食べても、どれが岩魚でどれがニジマスだかわからなかった。岩魚寿司を食べるのは、これが二回目だろうか。川魚だが臭みはなく、淡白な味です。

 国立科学博物館が6日に会見を開き、今年8月から行なっていたクラウドファンディング で目標額の1億円を大きく上まわる9億円が集まったことを明らかにした。これはクラウドファンディング の支援額、支援者数ともに過去最高だという。科学博物館の資金難に対して善意のお金が集まったことは喜ばしいことなのだろうが、素直に喜べないのは本来は国が予算として計上・確保すべきお金だということだ。
 科学博物館の成功を受けてか9月には東北大学の植物園も、標本を管理する資金をクラウドファンディング で募り、目標額の400万円を上まわる1500万円が集まっているという。また、つくば市にある国立環境研究所も「遺伝子資源バンク」の管理に充てる資金をクラウドファンディング で募り、目標額を上まわる900万円余りを集めたそうだ。心配なのはこれらの成功に政府が味を占めて、博物館や研究機関への資金を削ってしまわないかということだ。
 政府は防衛費の増額分を増税で賄おうとしているが、防衛費の増額分はそれが妥当だと思う人による支援をクラウドファンディング で募ったらどうか。なんなら国会議員の議員歳費も一定額以上はクラウドファンディング にしてはどうか。そして博物館や研究所などへの必要なお金は、しっかり国が予算として計上・確保して欲しい。

 新藤経済再生担当大臣がNHKの日曜討論で、物価上昇を上回る賃上げの実現には働く人のスキルの向上が不可欠だとして国が補助するリスキリング(学び直し)の講座の対象を拡大したいという考えを示したそうだ。まるで賃金が上がらないのは働く側の問題だという意見だが、例えば介護職の人が新たに資格を取得したからといって賃金が増えるだろうか?賃金が物価上昇に追いつかないのは円安であり、増税であり制度の問題だろう。自分たちの無策を国民のせいにしてはいけない。

 NHKがテレビがあるのにNHKとの放送受信契約を結ばない都内の3世帯に対し、契約の締結と割り増し金などの支払いを求める民事訴訟を東京簡裁に起こしたという。今年4月から未契約者などに対し、受信料の2倍にあたる割増金を請求できる制度が開始され、割増金を請求する訴訟は今回が初めてだそうだ。
 NHKと受信契約を結んでいない世帯は推計868万軒に上るそうだが、なぜ今回この3世帯だけが民事訴訟を起こされたのか。その理由や経緯、詳細をNHKは広く国民に説明すべきではないだろうか。

 那覇空港にも近い豊見城市にある瀬長島に、127室全てに露天風呂、3つのプールを備えた地上9階建てのホテル新棟が2027年3月の開業を目指して建設されるそうだ。
 瀬長島は2012年7月、豊見城ハーリーを自転車で見にいった帰りに寄ったことがあるが、島内を自転車で一周しても5分ほどの小さな島で、確か建設途中の建物が一つあるだけだった。
 沖縄北部、今帰仁村の古宇利島近くには、JTB沖縄がマリンレジャーの拠点となる巨大な人工浮島の設置を計画しているという。こうして沖縄の開発は、どんどん進んでいくのだろうか。

瀬長島
↑2012年7月28日、豊見城ハーリーを見にいった帰りに撮影した瀬長島。周回道路の近くにあった子宝岩はどうなっただろうか。
 この他の気になった記事を備忘録として。
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11月3日(金)

 昨日の高岡の最高気温は25℃、今日は28℃。2日続けて夏日となった。昨日は片付け作業をしたので、今日は高圧洗浄機を使って屋根や窓などの汚れ落としをした。
ハシゴを掛けて波板の上を見る
高圧洗浄機で汚れを落としキレイになった波板の屋根
 波板の屋根を洗浄するためハシゴを掛け、高圧洗浄機を持って上がる。波板の上を洗浄した後、波板の下(裏側)を洗浄。波板の上は雨で流されるからか、裏側の方が汚れていた。噴射した水が跳ね返りビニールのポンチョを着ていたが、けっこう濡れてしまった。でも洗浄したおけげで半透明の波板の屋根が明るくなった。
 西側に比べ家の東側にある窓に蜘蛛の巣がいっぱいついているので、こちらも高圧洗浄機で吹き飛ばした。
窓の蜘蛛の巣ビフォー、アフター
 東側の窓を洗浄した後、午後からはリフォームした1階入り口の大きな4枚ドアも高圧洗浄機で汚れ落とし。今日の作業はこれくらいにして、着替えて久しぶりに小矢部川を自転車で少し走って来た。
小矢部川
神社の銀杏の木

 先月はトタン屋根のリフォームで、買い物や用事以外ではほとんど自転車に乗っていなかったからサイクリングは久しぶりだ。
 半袖のTシャツで丁度良いくらいの暖かい日だが、眺める景色は秋色になって来た。毎年定点観測している山の中腹にある神社の銀杏の木も色づいて来た。
 小矢部川の堤防を降り、しまむらで冬用の靴下などを買って帰る。アチコチで柿の実がなっている。青空に柿の朱色が鮮やかだ。

柿
 ビートルズの新曲「Now And Then」が、英国時間の11月2日にリリースされた。ビートルズのオフィシャルチャンネルがYouTubeにUPしている「Now And Then」は22時間ほどで既に500万回以上再生されている。

11月2日(木)

 トタン屋根のリフォームが完了したので、今日から背戸の庭にある物干し場?のリフォームを開始。鉄柱の上にプラスチックの波板の屋根が乗っかっているもので、多分この家が出来た頃からあると思う。もう50年以上が経ちサビだらけになっている。昔はこの下に池があり、そのまま透明のアクリル板を床に敷いた部屋に続いていた。最近は畑でとれた白菜を並べて保管するため、左右に脚立を置いて工事用の足場に使うステンレスの板を渡したものが組まれて縁側から出入りすることも出来なかった。下の方には割れた鉢植えやら雑草を毟って袋に入れたものやら色んなものが放置され足の踏み場もないような状態だった。
これからキレイにする背戸の物干し場?
 今年は白菜を作らなかったので、先ずは脚立と足場用の板を片付けることから。
波板の天井まで伸びたバラの枝
取り除いたバラの枝の棘
↑波板の下に枯れ枝や枯葉が引っかかっている。どこかから飛んで来たのかと思ったら、庭のバラの木の枝が伸びたものだった。引っかかっている枝を取り除こうとすると、軍手をした手に棘が刺さる。怪我をしたら大変なのでペンチで掴んで外し、ペンチとニッパーで枝を細かく切って始末した。

↓波板を打ち付けている板に、小さい蜂の巣が2つあった。どちら古いもので、蜂は住んでいなさそうだ。
蜂の巣
 脚立やステンレスの板、割れた鉢植えや散らかっていたゴミを片付けてスッキリした。庭は眺めて楽しむものだと思うが物が散らかっていて眺められる状態ではなく、父親と母親にとってはただ雑草を毟る場所になっていた。
片付いた物干し場

 今日の朝日新聞にガザとイスラエルの死者が合計で1万人を超えたという記事が掲載されていたが、イスラエル側の死者は1400人からほとんど増えておらず、日に日に死者の数が増えているのはガザ地区だ。イスラエルは先月30日にガザでの地上作戦中、ハマスに拘束されていた人質の兵士1人を救出したと発表したが、イスラエルが人質1人を救出するためにどれほどのガザの一般人が殺されたのだろうか。イスラエルは戦争と言っているが、これはイスラエルによるガザへのジェノサイド或いは民族浄化と言った方が相応しいだろう。
 イスラエルとパレスチナの衝突があった2014年に、こんなことを書いていた。
 イスラエルが停戦交渉を拒否。これまでの戦闘でガザ側の死者は1650人を超え、その中には多数の子どもや女性が含まれている。イスラエル側も66人の死者を出しているが、63人は兵士だ。
 経済封鎖と物理的な壁による囲い込みで兵糧攻めにされたガザ地区の人々が、堪え兼ねて抗議の意思を示したら、何十倍、何百倍もの暴力で返された。イスラエルによるパレスチナ人への虐待であり、エスカレートした今の状況はジェノサイドとしか言いようがない。アメリカはこの蛮行を批判するどころか、イスラエルのミサイルに資金援助する事を決めた。本当のテロリストとテロ支援国家とはどこだろうか、と考えさせられる。

 ツイッターでデタラメな野党批判を繰り返し立憲民主党の議員2人から民事訴訟を起こされて、損害賠償を命じられたDappi。Dappiは都内のウェブ関連企業ワンズクエストのツイッターアカウントだが、このDappiと自民党本部の関係を調査すべきではないかと31日の衆院予算委員会で議論になったそうだが、岸田首相は「何ら調査の必要があるとは考えていない」と否定したそうだ。いやいや、あなたも調査されるべき側の人間で、そんな人に必要ないなどという権利はあるのだろうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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11月1日(水)

 29日の日曜日に、叔母(母親の妹)が亡くなった。5年ほど前に病気がわかり、何度か入院し抗がん剤治療なども行なっていた。今年の9月に体調が悪くなり自ら手続きをして入院していたが、途中から緩和ケア病棟へ移っていた。
 あと数週間だろうという連絡をもらって、母方の親族が揃ってお見舞いに行ったのが10月1日で、その4週間後のことだった。
 一昨日がお通夜で、昨日が葬儀だった。遺影は昨年の正月明けに自分が撮影した写真だった。抗がん剤治療をやめて地毛が伸びたので、撮影して欲しいということだった。几帳面で準備の良い叔母だったので最初から遺影にするつもりだったのだろう、こちらも、そうかな、と思いながら撮影した。
 母親には妹が二人いたが、もう一人の妹も5年前に亡くなってしまった。こちらは突然だったので遺影をどうするか親族みんなで悩んで、以前叔母の会社の創立50周年記念祝賀会の際に自分が撮影した写真を遺影にすることにした。

 写真を生業にしていると、思いもよらないことがある。1997年から2001年にかけてレコード・コレクターズ誌で「戦後ニッポンのポピュラー音楽」という北中正和さんと田中勝則さんが交互に取材・執筆した連載の撮影を担当した。その連載2回目に登場されたのは、元コロンビア・オーケストラ楽長でピアニストの岩田喜代造さんだった。その岩田喜代造さんが亡くなられた時に、お孫さんからレコード・コレクターズで撮影した写真を遺影に使いたいというメールを頂いた。これまで撮影してきたミュージシャンや俳優の方々のリストを自分のホームページに掲載しており、お孫さんが岩田さんの名前を検索していて辿り着いたのだろう。自宅のピアノに座りカメラ目線の写真が、音楽家だった岩田さんの遺影に相応しいと思われたようだ。メールを頂いてから葬儀まで少し日にちがあったので、暗室に入って4つ切りのプリントを作り、お送りした。

 奄美大島には日本画家・田中一村さんが描いた肖像画が遺影として残っている家がある。画業のかたわら、大熊集落の染色工場で働いていた時にお世話になった人へのお礼や、生活費の糧にするため描いたと聞いている。今となっては、その肖像画は大変なお宝になっているのではないだろうか。

 高校を卒業し、暫くして富山を離れたので20代、30代、40代の頃は従姉妹たちと会う機会は少なかったが、冠婚葬祭だけではなく、またここにきて顔を合わせる機会が増えた。不思議なもので、もうお互い還暦を過ぎたが、子供の頃のようにチャン付けで呼び合っている。

朝仁海岸の夕暮れ

10月へ