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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 |
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3月13日(月) 芦峅寺のおんば様のお召し替え 9時〜 町営芦峅寺線時刻表 ◯小川寺の獅子舞 宮田・火祭り1月第4日曜日 記事 記事 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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暖かな一日だった。 中身はネットに散らばっていた噂話を、ほとんど検証もしないで記事にまとめた産経新聞らしい記事だが、この記事を鵜呑みにして安倍首相が国会答弁に使用している。相手に対して証人喚問を要求した側が、自分の発言の元になるものが産経の記事でいいんだろうか。 ◯【森友学園問題】「まったく面識もない」~辻元清美議員に関する“疑惑”報道で「工作員」とされた作業員が証言【音声配信&書き起こし】TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」 また、以前から辻元氏については噂やデマが飛び交い都市伝説のようになっているようだが、そのことを辻元氏と小林よしのり氏が対談している。辻元氏も小林氏も個人的には好きでも嫌いでもないが、記事はこちら。 未だに民進党のブーメラン事件として山尾議員のガソリンの話しもFacebookに流れて来るが、これも安倍首相のガソリン代が山尾氏の2.5倍にあたる591万7362円だったという巨大なブーメランとなって自民党に戻って行ったのを知らないのだろうか? |
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昨年の10月9日に撮影した大門曳山まつりの様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑昼の花山巡行。↓夜の提灯山巡行。 |
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午後から近所の図書館へ、先日高岡駅前にある市立図書館で借りてきた『とやまの民俗芸能/伊藤曙覧』を返却、その足でミュゼふくおかカメラ館で開催されている『第63回ニッコールフォトコンテスト写真展』を観て来た。展示してある写真はコンテストならではの多彩さで、『LIFE』を創刊したヘンリー・R・ルースの、こんな言葉を思い出した。 人々の暮らしを見るために。 世界を見るために。 大事件を見届けるために。 貧しき者の表情を、傲る者のしぐさや態度を見つめるために。 不思議な様々なもの、機械、軍隊、大群衆、密林や月面の陰影までも見るために。 人が成し遂げた行為や作品、絵画や巨大な塔、偉大な発見を見るために。 何千里の彼方にある物事を、壁や密室の中に隠れている物事を、 近寄るにはあまりに危険な物事を見るために。 それらすべてを見ることによって喜びや新鮮な驚きを得、目が啓かれんことを。 ニッコールの冠がついているのでニコンのカメラを使った写真だけかと思っていたら、キャノンやオリンパス、ソニーにライカと様々なカメラが使われていた。 |
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渡嘉敷島の慰霊祭が、例年通り昨日3月28日に行われ、その様子が琉球新報に掲載されていた。 1945年3月23日、米軍は数百の艦艇で慶良間諸島に砲爆撃を行ない、3月26日には座間味島に上陸、翌27日には渡嘉敷島に上陸した。 那覇に住んでいた2013年、この慰霊祭を撮影に行った。渡嘉敷島は、住んでいたビルから自転車で5分ほどの泊港から高速船で35分、普通のフェリーでも70分ほどで、慶良間諸島の中でも有人島としては一番近い島だ。 |
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阿波連集落からは慰霊祭に参加する黒の礼服に身を包んだ住民の方達と一緒に、村が用意したマイクロバスに乗って会場の白玉之塔へ向かった。 慰霊祭の様子を一通り撮影して、最後にお焼香をさせていただいた。 |
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↓→白玉之塔での献花。 |
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↑生徒代表による、平和の詩の朗読。 式が終わって会場のまわりに咲いていたケラマツツジを撮影していたら、役場の人が白玉之塔から港へ下りて行く坂の途中に、ケラマツツジの原種が2本咲いていると教えて下さった。来る時はバスだったので、ゆっくり歩いて坂を下りた。なるほど、会場のまわりで見たケラマツツジよりも鮮烈で重い赤色の花が咲いていた。 |
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ところで、沖縄戦で戦ったのはアメリカ人と日本人だけではない。大石芳野さんの著『沖縄に活きる』には、こんな証言が記されている。 渡嘉敷島の朝鮮兵も無惨だった。 |
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上の写真は、首里城からの眺め。沈む太陽の下方に見える島影は、慶良間諸島。2012年8月14日に撮影した。 沖縄戦の当時、首里城の地下には陸軍第32軍の司令部壕が造られていた。首里城から、米軍の砲撃にさらされた慶良間諸島の島々は、どのように見えたのだろうか。 |
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◯ 除染廃棄物利用先に緑地も 造成時の基準まとめる 3月14日 「首相夫人は公人ではなく私人である」と閣議決定。 |
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↑奄美大島・名瀬港。2012年3月31日に撮影。 |
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↑加計呂麻島の瀬相港。2011年3月30日に撮影。 |
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↑渡嘉敷島にて、2013年3月28日に撮影。 |
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奄美大島の名瀬で借りていた部屋は、名瀬港からゆっくり歩いても5分ほどの所で、5階にあった部屋の窓からは港に出入りする船がよく見えた。 ところで、あまり知られていないが、2014年に沈没し現在引き揚げ真っ最中の韓国の旅客船セウォル号は、フェリーなみのうえの名前で2012年10月2日までこの沖縄〜鹿児島間の定期航路を走っていた。 |
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昨日、NHKのwebニュースで「道徳」教科書の話題が報じられた。その記事の中に、こんな文章があった。 小学1年生のある教科書では、申請段階では、物語に友達の家のパン屋を登場させていましたが、「国や郷土を愛する態度」などを学ぶという観点で不適切だと意見がつけられ、教科書会社は「パン屋」を「和菓子屋」に修正しました。 国や郷土を愛する態度を学ため「パン屋」を「和菓子屋」に修正。冗談でもなく真面目にこんなことをしているのが不思議であり、怖いことだとも思う。 日本文化は、歴史が示すように、いつでも輸入によって展開してきました。だから、何が真に日本的で、何が日本的でないかということは、ひじょうにあいまいです。 『今日の芸術/岡本太郎』より「根のない日本主義」。 |
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←トップ画面の模様替えをしました。今回の写真は、潮。写真の下から上まで、距離にして約30kmほどだろうか。緩やかなグラデーションは潮=海流だろう。潮を視覚として認識した、初めての経験だった。 ↓これまでのトップ画面。 |
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昨年の10月7日に撮影した、高岡万葉まつり「朗唱の会」の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑水上に浮かぶ特設舞台で、万葉集全20巻4,516首を三日三晩かけて朗唱する。 |
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◯翁長知事、辺野古埋め立て承認撤回を初明言 県民集会に3500人参加 |
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クシャミと鼻水は花粉症の症状なのだが、頭が少し重いのは風邪? 今朝の北日本新聞に<新湊曳山と築山、一体で継承へ 4月に新たな保存団体>という記事が掲載されていた。射水市は、放生津八幡宮の秋季例大祭で行われる曳山行事と築山行事の両行事を一体のものとして国の重要無形民俗文化財登録を目指すという。 築山とは社(やしろ)のなかった古代に、降臨した神を祀るために作られた仮の祭壇。富山県には、この放生津八幡宮と二上射水神社の2ヶ所で築山行事が継承されている。 神を迎え、神と遊び、神を送るという一連の神事がこれほど分かり易い形で残っている祭りはなかなかないように思う。どうせなら霊迎式、曳山行事、築山行事、放生会までの一連の神事をまとめて国の重要無形民俗文化財に登録できないのだろうか。 霊迎式から放生会までの流れがわかるように、写真を並べてみました。 |
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上から |
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昨年の10月2日に撮影した、放生津八幡宮の築山行事と放生会の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑築山。中央に立つのは主神のオンバ(姥神)、下の段の四隅には多聞天、持国天、増長天。広目天の四天王が立っている。 |
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昨日、奄美大島の宇検村にある船越(ふのし)海岸で、学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を悼む慰霊碑の除幕式が行われた。沖縄、奄美の人にとって「対馬丸」というのは、今も重い記憶だ。 1944年8月22日、沖縄から子供たちを乗せた対馬丸がトカラ列島の悪石島近くで米軍の潜水艦から発射された魚雷を受けて沈没。1,476名が亡くなり、生存者は僅か59名だった。 |
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↑船越海岸。2010年9月7日撮影。 |
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ところで、「戦争で犠牲になったのは沖縄だけではない」という声も時々聞くが、あの小さな島で 200,666人(沖縄県援護課発表)が亡くなっている。内訳は米軍12,520人、日本軍94,136(沖縄県出身将兵28,228)人、沖縄住民 94,000人。当時の沖縄の人口は50万人ほどといわれ、この沖縄戦で島民の4人に一人が亡くなったことになる。 最近発表されたシリアの内戦による死者の数が、この6年間で32万人に上っているという。この数字も凄いが、沖縄に米軍が初めて上陸したのは1945年 3月26日、慶良間諸島だった。それから沖縄本島へ戦闘が移り、組織的な戦いは6月23日に終結している。上陸前に沖縄でどれほどの犠牲者が出ていたのか わからないが、米軍が上陸した3ヶ月の間にあの小さな島で夥しい数の死者が出ていることになる。「戦争で犠牲になったのは沖縄だけではない」とは、やは り言えないだろう。 |
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奄美大島で慰霊碑の除幕式があった頃、対馬丸記念館に近いチージ(辻町)で、ジュリ馬が踊られたようだ。旧二十日正月(旧暦の1月20日)に神事と一緒にジュリ馬行列が行われていたが、昨年から神事とジュリ馬は別々の日になったようだ。あいにくの雨で、踊りは外ではなく料亭・那覇で行われたようだ。 さっそくYou Tubeに映像がアップされていたので観ていたら、途中に自分が撮影した写真が何枚か使用されていた。なんだかな(笑)。 |
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↑ジュリ馬行列。2013年3月1日撮影。 |
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なんだかな〜というニュースがSNSで流れていた。 ロックン・ロールの神様、チャック・ベリーが一昨日亡くなった。90歳だった。ボクくらいの年代で音楽をやっていたら、一度くらいは彼の曲をコピーして演奏したんじゃないだろうか。 |
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朝から良い天気。こんな日は花粉が飛びまくっているだろうから外には出ずにパソコンの前に座って作業をしていようと思っていたら、Facebookに午後2時から近くの文化ホールで作家で元東京都知事の猪瀬直樹氏の講演が開催されるという情報が流れてきた。商工会が主催する経済講演会で、テーマは『この国のゆくえ』とある。入場無料で先着300名なので、昼ご飯を食べてから自転車で行ってみた。 ところで、徳洲会から5000万円を借りていたとして連日取材記者の前で釈明している猪瀬直樹都知事は、本当に猪瀬氏なのだろうか。なんだか精巧に作られた猪瀬都知事の着ぐるみの中に、別人が入っているんじゃないかと思うぐらいお粗末な対応だ。元々ボソボソとして聞き取り難い話し方をする人だが、話している内容がベテランのノンフィクション作家とは思えない稚拙さで、「親切な方だと思った」発言には噴いた。 |
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沖縄タイムスに<ハブ捕り名人困惑「これって違法なのか・・・」出荷まで自宅で保管→警視庁「無許可飼育」と捜査>という記事が掲載されていた。ハブを捕まえて出荷するまで自宅で保管していたのが罪だと言われても普通は困惑するだろう。 せっかくなのでハブの捕獲の様子でも。 捕まえたハブを車に乗せて、役場に着くまでがドキドキだった。ハブを入れた箱は蓋をし、開かないようにして後部座席に置いてあったが、何かの拍子に出てきたら・・・と思うと本当に怖かった。 |
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昨年の10月1日に撮影した放生津八幡宮秋季例大祭二日目に行われる、新湊曳山まつりの様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑曳山の巡行順はくじ引きで決められるが、一番歴史の古い曳山である古新町だけは最初に巡行する決まり。 ↓夕方、花山から提灯山に飾り付けられる。18時30分に提灯の点灯式が行われる。 |
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税務署から、還付金の振込通知書が届いた。 | ||
昨日は朝から雨が降ったり止んだりの変な天気。昔よく一緒にお仕事をさせていただいた元編集者のIさんが13日から富山へ観光に来ており、夕方から高岡で呑むことになっていた。 18時に高岡駅の改札で待ち合わせていたが、その前に駅前のウイングウイングで開催されている『再現 釈迦三尊像展』を観ようと思って早めに駅に行くと、既にIさんが到着していた。そこでIさんを誘って、展示を一緒に観に行った。 |
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←高岡へ向かう電車の窓から虹が見えた。 展示会場は、ウイングウイングの4階だった。平日だからか混んではいなかった。 |
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←再現された釈迦三尊像。台座部分は井波彫刻。レプリカなので手で触ることもできる。 →3Dプリンタで出力された原型。美しい! ↓釈迦三尊像のまわりには、同じく再現された金堂壁画が飾られている。ロビーではメイキング・ビデオも上映されている。今月の20日まで、入場無料。 |
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『再現 釈迦三尊像展』を観た後、居酒屋へ。Iさんとは、2012年の11月に沖縄で呑んで以来。お互いの近況と、友人知人の近況を聞いたり聞かれたり。 家に帰ると両親も東京観光から帰って来ていた。コタツの上にはお土産が。皇居で買ったきたお財布だった。 |
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昨年の9月30日に撮影した放生津八幡宮の霊迎式の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑秋季例大祭の宵祭りに行われる霊迎式。篝火を焚き、海上から迎えた御祖神(みおやのかみ)、代々の祖神達(よよのおやかみたち)を舟の形をした御船代に降ろす。 ↓御船代の前で宮司が祝詞を奏上し、篝火が松明に移される。その松明に先導されて、御船代が東境内にある老松の前に運ばれる。御船代にのって来られた祖霊は老松に憑依される。老松の前には築山の土台が建てられており、10月2日に築山の飾りつけが行われ、築山神事が執り行われる。 |
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今日で北陸新幹線が開通して2年だそうだが、未だに乗れていない。 おんば様のお召替えは、衣食の恵を与えてくれる豊穣の神であり、女性を成仏に導き守ってくれる女神でもあるうば尊(おんば様)の装束を、一年に一度感謝を込めて新しく作った装束とお取り替えする行事。かつては芦峅寺集落で栽培から織りまで行っていた麻布で作っていたが、現在は木綿を使っている。江戸時代以前から受け継がれて来た行事で、江戸時代にはうば堂に祀られていたおんば様だが、現在は閻魔堂に6体、近くにある立山博物館に9体安置されている。 |
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8時半頃からおんば様の装束をつくる女性たちが、お堂の中に集まっていらした。嘗ては布の裁断は9日に芦峅女性の会の役員が集まって閻魔堂で行っていたそうだが、現在は女性の会の佐伯照代会長が時間のある時に裁断しているという。 女性の会と地元の老人会・伯鷹会の女性40人ほどが裁断された布に一針一針感謝の思いを込めて15体の白装束を縫う。 |
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↑閻魔王座像と、6体のおんば様。このおんば様の白装束を新しいものに 着せ替えるのが、お召替え行事。 |
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↓→この世に留まることのないよう糸の継ぎ足しはせず、糸の最後は結ばない。 |
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1時間ほどで15体の新しい白装束が完成した。出来上がった装束は一つずつビニール袋に入れ箱に仕舞う。その箱を風呂敷に包んで雄山神社の境内にある開山堂へ持って行き、宮司さんによるお祓いを受ける。 | ||
↓→太鼓を叩く女性に先導され、雄山神社の開山堂まで白装束を運ぶ。 |
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10分ほどで開山堂に到着。ここには立山開山の祖である慈興上人座像が祀られている。社伝によれば慈興上人は越中国司・佐伯有若の子息、佐伯有頼と言われている。 | ||
↓→開山堂で神職のお祓いを受ける。 |
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↓→祝詞奏上の後、玉串を奉納し御神酒をいただく。 |
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10時頃から始まった開山堂での神事は30分ほどで終わり、また太鼓を叩く女性に先導されて閻魔堂に戻る。 閻魔堂に戻ると、6体安置されているおんば様のお召替えが行われる。年に一度取り替えられるのは白装束だけで、赤いタスキは汚れ具合を見て取り替えるそうだ。 博物館に安置されているおんば様も取り替えるが、月曜日で博物館がお休みなので、こちらは明日。お休みでない場合も、博物館の営業時間が終わってから取り替えるそうだ。 |
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↓→1年前の装束を外し、新しいお召し物を着ていただく。 |
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↑↓→仏飯器が供えられ、真新しい装束を身につけたおんば様。 |
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おんば様の着せ替えが終わって、円隆寺(富山市梅沢町)の住職による読経が行われた。 | ||
↓→読経の間、箱に入った抹香をまわしてお焼香をあげる。 |
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読経が済むと、お堂の中にテーブルを出して簡単な直会が行われた。お弁当とお供えの果物が御下がりとして配られた。 なぜか私にもお弁当が。ありがたくご馳走になる。 直会も終了し集落の方々が帰られた後、女性の会の佐伯さんと、立山芦峅ふるさと交流館館長の佐伯さんに集落の行事のことなどを色々と教わる。ちなみに芦峅寺の名字は佐伯と志鷹で占められているようだ。 |
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来る時は千垣駅から町営バスで着たので、帰りは歩こうと思って駅に向かう。2キロほどなので、ゆっくり歩いて30分ほどだろうと思って5分ほど歩いた所で布橋を見ていないのを思い出した。閻魔堂近くにあるこの橋は、布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)という現在3年に一度開催されている行事の舞台となる。今年がその開催年。引き返して橋を見に行くと、特徴である赤い橋の欄干にはブルーシートが被せられていた。 駅まで歩くと15時36分発の富山行き電車に間に合わないので、15時22分のバスで千垣駅へ。駅で8分ほど待って富山行きに乗車。 |
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富山駅から、節分の日に儀式を撮影させていただいた日枝神社にお礼の写真を届けに行く。あいにく禰宜の方は会議中とのことで写真を預けて駅に戻る。金沢方面の電車が直ぐにあったので、そのまま帰宅。両親は13日から15日まで妹と一緒に東京観光に行っている。とりあえず家にあるもので晩ご飯。 北日本新聞の記事、富山新聞の記事。 |
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今日は、韓国の朴大統領の罷免と自衛隊の南スーダンからの撤退という2つの大きなニュースが流れた。 北朝鮮が今月6日に日本海に向けてミサイル4発を発射したが、朝鮮中央通信は有事の際に在日米軍基地への攻撃を担う朝鮮人民軍戦略軍火星砲兵部隊の訓練だったと報じた。 |
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↑最近アマゾンでポチッとした本。左は『amaranth/SAKATA Photography』(朝日新聞社)、『Paris 巴里/徳谷ヒデキ』(クレオ)、『老人と海 与那国島/本橋成一写真録』(朝日新聞社)。右は『ニライカナイ/藤井保』(リトルモア)、『ESUMI/藤井保』(リトルモア)、『巨幹残栄・忘れられた日本の廃鉱/萩原義弘』(窓社)、『子どもの肖像/谷川俊太郎・詩 百瀬恒彦・写真』(紀伊國屋書店)。 昨年の9月23日、24日に撮影したつくりもん祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑↓通りに面した家や納屋に、野菜や果物などで作った世相を反映した人物や風景を飾るつくりもん祭り。普段は人通りも少なく閑散とした町に、この祭りの2日間は多くの人が訪れて夜まで賑わう。上の写真は、つくりもんを眺める人。下の写真は、菅笠音頭の町流し。 | ||
明日で、東日本大震災から6年。 | ||
だいぶ春めいてきたと思ったら、今日は雪。天気予報ではしばらく雪だるまが並んでいる。 昨日の午後、印刷用データと見本プリントを納品に高岡へ出たついでに駅前にある高岡市立図書館に寄って来た。アマゾンで購入して未読のまま積んである本もあるのに、『とやまの民俗芸能/伊藤曙覧』(北日本新聞社)という1冊を借りて来た。(*返却期限は3月21日)。 高岡へ行くのに一応マスクをしたが、夜になってクシャミ、鼻水、鼻づまりと花粉症の症状が。今日も何度かクシャミが出たので、外では雪と花粉が一緒に舞っているのだろうか。 |
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↓雪が降った、今日の外。→久しぶりに図書館で借りてきた本。 |
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bookとgalleryのページに『東京写真散歩 TOkYO 2002〜2005年』を追加しました。 何年も使われることなく、部屋の隅に放っておかれた4x5(シノゴ)のカメラ。4インチx5インチの大きなフィルムに、東京の風景を撮ってみようかな。2002年の春に思い立って、街に担いで出た。 これらの写真を撮ってから十数年が経った。浅草の東映は既に無く、再開発中だった新宿の富久町は平成27年度に完成する予定だ。 土地は生き物だ。絶えずスクラップ&ビルドを繰り返し生まれ変わっている。ここに掲載した写真は、2002年から2005年にかけて通り過ぎた東京の断片。その欠片を繋ぎ合わせて構築した、ある時代のレイヤーのようなものだろうか。 |
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プロラボの堀内カラーが、今月いっぱいでポジフィルムの自社現像処理を止めるそうだ。それに伴い、現像料金と納期の変更が行われるようだ。現像料金の値上げは止む終えないのだろうが、現像の仕上がり時間の遅さに驚いた。 20年以上、外苑前にあった堀内カラーの青山営業所で現像をお願いしていた。休日明けの月曜日や連休明けは待たされる事もあったが、35mmのロールフィルムの現像は通常2時間だった。それが来月からは午後2時までに出して、現像の上がりは翌日の午後3時。たぶんフイルムを使う雑誌や広告の仕事自体がほとんどない時代だから問題はないのだろうが、仕上がりが翌日は凄いな。 ポジフィルムの場合、最初にテストフィルムを現像に流して、それを見て本番フィルムの増減感を指定して現像に出していたので、昔でも2時間+2時間かかった。それがテストフィルムを午後2時までに出して、仕上がりが翌日の3時。それを見て本番のフィルムを出そうと思った時は午後2時を過ぎているから翌日になる。なんだか気の遠くなるような話しだな。 |
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今日は暖かいなと思ったら、15℃まで上がったようだ。そろそろ花粉が本格的に飛びそうだ。 昨日、奄美大島に住んでいた時にハブ獲りやアマミノクロウサギの観察に連れて行ってくれた友人から、ダンボールいっぱいのタンカンが送られてきた。さっそく神棚と床の間、そしてお雛様に据えてから食べてみた。やっぱり甘い! |
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タンカンは、ポンカンとネーブルオレンジの交配種だそうだ。奄美では年末頃にポンカンがお店に出回る。初めてポンカンを買って食べた時は、その安さと美味しさに唸った。そして年が明けるとタンカンが出回るのだが、これがポンカン以上に甘くて美味しい。 ←送っていただいたタンカン。 ↓タンカンをお供えした、ひな飾り。今年も明らかにお雛様じゃない人形も並んでいる。 |
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ポンカン、タンカン、スモモ、島バナナ、パッションフルーツ、グアバ、ドラゴンフルーツ、パパイヤetc。さほど大きくはない名瀬の町に、たくさんの果物屋さんがある。たぶん、奄美で過ごした時が、今までで一番フルーツを食べたんじゃないだろうか。 |
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タンカンの収穫が終われば、次はスモモ。今頃は白い花を咲かせており、5月頃になればスモモの実がお店に出回るだろうか。近所の商店で1キロ200円だった時に、そのスモモでジャムを作った。 |
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一昨年ミカンコミバエの発生で果物の島外への出荷制限が行われていましたが、昨年の夏にミカンコミバエの根絶が確認されて出荷制限は全面的に解除されています。 | ||
昨年の9月10日に撮影した小矢部市の無形民俗文化財、越中源氏太鼓の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑越中源氏太鼓は下後亟神明社の秋季例祭に奉納される。拝殿での神事の後、先ずは獅子舞。↓越中源氏太鼓は源平倶梨迦羅合戦の戦勝を祝って打ち鳴らされたのが起源とされる。 |
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朝、Facebookを見るとムッシュかまやつさんの訃報。タイムラインには、たくさんの人のかまやつさんとの思いで話や記念写真が流れて来た。 星には夜があり そして朝が訪れた はじめ人間ギャートルズ「やつらの足音のバラード」、 一度生で聴いてみたかった。 |
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←モノクロのポートレートは、1995年にご自宅で撮影。ご自宅の屋上からは、東京タワーが望めた。そして、ソファーの上には、『ゲンズブール または出口なしの愛』『さよならゲンズブール』という本が置かれていた。 ↓ライヴは2010年4月23日、ヘッケル&HUのゲストで参加した時のもの。ヘッケル田島(Vo.&Dr)、HU克彦(Vo.&G.)、今剛(G.)、鮫島秀樹(B.)、中山努(Key.)。ゲストにムッシュ。この時、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」「バン・バン・バン」を目の前で聴けたんだった。 |
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You Tubeから「やつらの足音のバラード」「やつらの足音のバラード ロングバーション」「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」。 | ||
昨年の9月3日に撮影した小矢部市綾子の願念坊踊りの様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑↓現在は太田神社の秋季例大祭に奉納されている、願念坊踊り。願念坊とは托鉢して歩いた僧の姿をした大道芸人で、踊りの起源は奈良時代に仏教の布教にともなって始まったという。幕末から明治初期にかけて流行した踊りが、何時の頃からか小矢部一帯の農民たちによって踊られるようになったそうだ。一曲一曲は短く、この日は6曲奉納されたが、それでも15分ほどで終了した。 | ||
2月へ |