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○4月29日(火)〜5月4日(日) 牧志 治写真展「とわの海へ」〜沖縄、辺野古・大浦湾〜/那覇市民ギャラリー
○5月3日、4日 ゴールデンウイーク・フリー乗車券 前期
○5月5日、6日 ゴールデンウイーク・フリー乗車券 後期
○5月3日(土)〜5月5日(月) 那覇ハーリー
○5月3日(土) 第11回平和と憲法を語る集い 海兵隊沖縄駐留と集団的自衛権行使〜視野狭窄の安全保障神話〜講師:屋良朝博(入場無元沖縄タイムス論説委員)/南風原町立中央公民館 黄金ホール 午後6時〜入場無料
○5月3日(土)〜5日(月) 奥やんばる鯉のぼり祭り
○5月4日(日) 瀬底ピージャーオーラサイ/11時〜 本部多目的広場
○5月7日(火) 若狭図書館 本の返却日
○5月11日(日) 久米崇聖会 創立100周年記念式典
○5月18日(日) 学芸員と歩く史跡・旧跡ツアー 那覇地区10:00〜12:00
○5月22日(木)〜23日(金) 多良間村スツウプナカ (旧暦4月24日 みずのと み)*記事 多良間島のスツウプナカ記事2記事3
○5月25日(日) 学芸員と歩く史跡・旧跡ツアー 小禄地区10:00〜12:00
○6月1日(日) 旧暦5月4日 ユッカヌヒー 大嶺の地バーリー 記事*要確認
○6月12日(木) 旧暦5月15日 五月ウマチー
○7月11日(金) 旧暦6月15日 六月ウマチー
○7月21日(月) 旧暦6月25日 久米島六月ウマチー
○7月21日(月) 六月カシチー

おきなわ物語 イベントスケジュール2014上半期下半期
沖縄イベント情報
島が好き!離島博覧会 リトハク
沖縄 旧暦行事カレンダー
古典芸能研究センター 沖縄祭祀資料データベース
黒島の旧正月 旧暦1月1日
伊是名島 島の年中行事
伊平屋村の伝統行事
年間行事
宮古島・野原サティパロウ 旧暦の十二月最後の丑の日
糸満の旧正月
浜比嘉島 初拝み 旧正月の3日
辻のジュリ馬祭り
 旧暦1月20日(二十日正月)
節分祭
 波上宮
平安座のサングヮチャー
 旧暦3月3日
三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○沖縄の交通機関 割引切符(詳しくは、こちら
ゆいレール 一日乗車券600円、2日乗車券1000円、三日乗車券1400円
那覇バス 一日乗り放題パスポート(那覇市内区間)660円、バスモノパス(那覇市内区間とモノレール全線一日乗り放題)1000円
那覇バス・琉球バス交通 土日祝1日限定フリー乗車券(111番高速バスを除く)2000円
やんばる急行バス 那覇から美ら海水族館、運天港へ
琉球バス交通・沖縄バス・東陽バス・那覇バス ゴールデンウイークフリー乗車券1000円、バスの日(9月20日頃)フリー乗車券1000円
読谷村コミュニティーバス 1日乗車券400円
石垣島・東運輸 全路線バス1日フリーパス1000円
西表島・西表島交通 1Day Free Pass1000円、3Day Free Pass1500円
宮古島・宮古協栄バス
宮古島・八千代バス
与論島・南陸運 2日間乗り放題チケット500円
安栄観光フェリー
八重山観光フェリー
石垣島ドリーム観光
スカイマーク
ピーチ
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmしばらく
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

5月31日(土)

 雲の合間から青空が見える。部屋に居るのが勿体なくて、午後から少しだけ自転車を漕いで、農連市場から国際通り、波の上ビーチを走って来た。
 家に帰り、洗濯。梅雨の間は小まめに洗濯しないと着る物がなくなってしまう。晩ご飯は、乾麺の蕎麦を茹でて大根おろしを添え、冷やしおろし蕎麦。
 先日購入した津嘉山酒造の國華が残り僅かになったので、昨日、新しい泡盛を買って来た。どなんのクバ巻きボトルにしようかと思ったが、家呑みには贅沢すぎると思い、手頃な値段だった識名酒造の時雨にした。識名酒造は首里赤田町にあり、みるくウンケーの時に酒造所の前を通った事がある。
 これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海→ゆいまーる→松藤→八重泉→残波の白→請福(フダチミのラベル)→海人→今帰仁の新酒→ユニオンですから→島風→國華→時雨。
農連市場の猫01
識名酒造の時雨
↑↓農連市場の猫。→識名酒造の時雨。
農連市場の猫02
 昨日で、旅を始めて4年になった。2010年5月30日、富山から奄美大島を目指して、先ずは京都に。それがスタートだった。
 一年間の予定が、もう4年が経った。人生の夏休みのつもりが、琉球弧への留学のようになり、なんだか東京で仕事をしていた時よりも忙しく過ごした。
 さて、そろそろ旅の終盤。旅の始め方も難しいが、終わらせ方はもっと難しいように思う。
 少しですが、農連市場の猫の写真をPhoto Albumにしました。こちら

5月29日(木)

 前日の天気予報では、今日の那覇は梅雨の中休みで晴れ。朝早く起きて天気予報を確認した後、座間味村のホームページで船の空席情報をチェック。座間味島行きを決行する。 
 那覇・泊港と座間味島を結ぶ船はフェリーざまみと、高速艇のクィーンざまみの2隻がある。フェリーざまみなら往復で4030円だが、島に滞在できる時間は3時間。高速艇は往復で5970円だが7時間半ほど滞在できる。行きをフェリーざまみにして、帰りを高速艇という選択もあるが、高速艇に乗る事にした。
 クィーンざまみの出航時間は9時。家を8時半に出て、信号待ちの時間を入れても5分ほどのふ頭北岸船客待合所へ自転車で向かう。泊港から出る離島便はとまりんでチケットを買うが、この高速艇だけはふ頭北岸船客待合所になっている。
クィーンざまみ
ふ頭北岸船客待合所

↑泊外人墓地の向かいにある、ふ頭北岸船客待合所。

←高速艇クィーンざまみ。50分で泊と座間味島を結ぶ。

 船の座席は余裕があったが、泊港を出発する時には潮風にあたりたくて2階のデッキに移動。 デッキの上では何かに掴まっていないと飛ばされそうなスピードで、高速艇は慶良間の島々を抜けて行く。フェリーざまみが阿嘉島に寄って2時間かけて座間味島に到着するのに対して、クィーンざまみは50分で着いてしまう。 
ノロ宮
 座間味島に着いて、先ずは観光案内所で地図や村内バスの時刻表などをもらう。島には3つの集落があり、フェリーの発着する港がある座間味集落、座間味集落から1キロほど離れた阿真集落、村営バスで10分ほどの阿佐集落。とりあえず座間味集落を散策すると、「ノロ宮」と鳥居に記された殿があった。家に帰ってから今帰仁村歴史文化センターのホームページ座間味島の項目を見るとヌル宮(ヌルドゥンチをお宮にした?)と書かれていた。

↑鳥居にノロ宮と記された殿。座間味集落の地図はこちら。慶良間海洋文化館の近くだったと思う。

↓窓が開いていたので中の様子を撮影させてもらった。写真左、2つの小さな香炉(?)の後ろに、それぞれヌル、若ヌルと書かれた札が立っている。

ノロ宮の中03
ノロ宮の中01
ノロ宮の中02
赤い鳥居と殿

 集落内を散策していると他にも赤い鳥居の立っている祠があった。中には香炉が3つほど並んでいた。飲み物を買うついでにスーパーで聞いてみたが、神人ではなく個人が管理しているそうだ。
  今帰仁村歴史文化センターのHPには「集落内を歩いていると、屋敷内に祠(殿)をつくり鳥居が建立されている。波照間島で見られたが屋敷をワー(ウタキ)にしていこうとする発想だろうか」とある。

 港の近くには、鳥居に「いびぬめー」と記された殿があった。座間味村のHPには海神宮とあり、旧暦8月の海御願の時には大漁旗で飾られて祭りの拠点となると書いてある。殿の中には海御願の時に登場するミルクの面が奉られていた。ところで、いびぬめーとは、イビの前という意味だと思うが、ではイビはどこだろうか。
「 座間味+いびぬめー」で検索すると(いびぬめーとは海の前という意味)とか、(いびぬめえ、いびの宮)と紹介しているブログがあり、いび=海、めえ=宮と言う解釈があるのか少し疑問に思ったりもする。
↓いびぬめー。→殿の中にはミルクの面が奉られていた。
ミルクの面
いびぬめー
 集落散策はこれくらいにして、せっかく今年の3月5日、国内で31番目の国立公園に指定された座間味島の海を泳ぐ事にする。そのためにバックの中に、海水パンツとバスタオルを入れて来た。
 まずは座間味集落から海岸沿いに1キロほど離れた阿真集落のビーチへブラブラ歩く。天気予報は晴れ、と言いながらガスがかかっていて空は少し白っぽい。途中、共同井戸(?)の跡やマリリン像があった。
共同井戸?
アダンの美
マリリン像
↑共同井戸の跡?
↑久しぶりに見たアダンの実。
マリリンの像
 15分ほどで阿真集落に着いて、目の前のビーチへ。沖に何隻か小型の船が出ているが、砂浜には誰も居ない。プライベートビーチ状態。さっそく持って来た海水パンツに着替えて、今年2回目の海水浴。海水の透明度に驚く。
  1時間半ほど泳いだり、Tシャツを着て集落の中を歩いたりして過ごす。阿真ビーチには青少年旅行村キャンプ場があり、キャンプ利用料300円、テント(小)1000円で宿泊できる。一瞬帰りの船を明日にして泊まって行こうかと思ったけれど、やはり心の準備ができなかった。
 帰りの船までたっぷり時間があるので、今度は座間味集落を挟んで反対側にある古座間味ビーチへ。途中にある座間味の漁協で天ぷらを3つ買って昼ご飯にする。漁協の横、集落入口近くには「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩之地」と記した碑が建っている。
 今ではマリンレジャーの島のような印象だが、座間味島は沖縄戦における最初の米軍上陸の地であり、渡嘉敷島と共にたくさんの犠牲者を出している。米軍が座間味島に上陸した時の写真が、こちらにあります。
太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩之地

←「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩之地」と記した碑。

→セイイカ、マグロ、シーラの天ぷら各50円を購入。

天ぷら
 座間味集落から峠を一つ越えて、古座間味ビーチに到着。こちらも透明度の高い海に、珊瑚を敷いた白い浜。パラソルが並んで、リゾートっぽい。さっそくTシャツを脱いで泳いでみる。阿真のビーチは遠浅だったが、こちらは直ぐに深くなるようだ。
 1時間半ほど泳いだり砂浜を歩いたりして、また峠を越えて座間味集落に戻る。漁港の護岸壁に男の子が上って騒いでいる。「ヒージャーヒージャー!」と聞こえて山羊がどうしたんだろうと思ったら、シージャーだった。家に帰ってネットで調べるとダツと言う凶暴な魚の事だった。
シージャーと子供たち
↑左の写真の画面中央、白い紐状のものがダツ。
 帰りの高速艇は17時20分。港の待合所で船の到着を待っていると、港湾内を2隻のサバニが横切って行く。一隻は帆が立てられている。ハーリー競漕の練習かと思ったら、座間味島では毎年座間味から那覇までを競うサバニ帆漕レースが開催されているそうで、その練習だった。テレビカメラを乗せた漁船が並走していたので取材かもしれない。
 泊港から来たクィーンざまみに乗船。折り返し座間味から泊に出航した。帰りも2階のデッキに上がり、猛烈な潮風に当たりながら慶良間諸島の島々の間を走り抜けて行った。
 18時10分頃、泊港に到着。昨年から建て替え工事が行われていた那覇ハーリー会館の外観が、だいぶ完成していた。泊の市場でお刺身でも買って帰ろうと思い寄ってみたが、市場は既に閉まっていた。
サバニの練習

←中央がサバニ。奄美・沖縄で昔から漁に使われている舟だ。

↓泊港にて。建て替え中だった那覇ハーリー会館がだいぶ出来上がっていた。

那覇ハーリー会館
 下の写真は、今日、座間味の海で撮影した珊瑚の群落です。海水の透明度なら奄美大島の宇検村にある屋鈍の海岸、或いは与論島のビーチも負けてはいないと思うが、これほど見事な珊瑚礁は初めて見た。国立公園に指定されるだけの事はありますね。
  大きな珊瑚に様々な生き物が寄生し共存する。それは一つの完成された宇宙のようでもある。なんだかシュノーケリングのセットや水中カメラが欲しくなりました。
珊瑚01
珊瑚02
*本日の出費。クィーンざまみ、泊港と座間味の往復5970円、ジャスミン茶のペットボトル160円、天ぷら3個150円。

5月28日(水)

 冷凍庫に入れて、ちびりちびりと食べていた冬瓜漬がなくなったので、何かまた甘いモノをとジミーのアップルパイを買って来た。 
 箱に入れられたのと、ホールのパイが裸で置かれたのがあって、裸の方は今日焼いたばかりで賞味期限が一日長い。せっかくなので焼いたばかりのパイを箱に入れてもらった。常温で4日間、31日まで大丈夫。
 広い店内で見ている時は感じないが、家に持って帰ると大きくてズシリと重い。
ジミーのアップルパイ
 ニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなって、もう20年が経つ。河出書房新社から「ニルヴァーナ カート没後20年/最後のロック魂」と言う本が出たようだ。
 下の3枚の写真は1992年2月19日、中野サンプラザでのニルヴァーナのステージ。この時の来日が最初で最後になった。
  音楽雑誌の仕事で撮影に行ったけれど、当時はニルヴァーナの存在も知らなかった。暗い照明の中、ボーカルのカート・コバーンはステージの上で揺れていた。撮影できるのは頭の3曲までで、ちゃんと写っているか心配で撮影を終えたら急いで現像所にフィルムを持って行った。今思えば早く現像所に出しても結果は同じなので、ライブの主催者側にお願いして撮影の後もステージを見せてもらえば良かった。いくらか席も空いていたように思う。
カート・コバーン

 ニルヴァーナのアルバム『IN UTERO』に収録されている「 All Apologies」はいつ聴いても切なくなり、美しい曲だなと思う。日本版CDの対訳は、中川五郎さんだったかな。今手元にCDのライナーノートがないので、ネットで歌詞を拾って来た。

あんたたちみたいだったらよかったのに
なんでも楽しめる人間だったら
ヘロインの隠し場所をさがす
すべて俺の過ち
どんな責めでもうけるよ
海の泡のような恥辱
冷蔵庫で日焼けをし
敵の遺灰にのどを詰まらせる

陽光の中で
俺はひとつになる
陽光の中で
俺は結婚し 埋葬される

俺たちはみんな かけがえのない存在
俺たちはみんな 何にも勝るかけがえのない存在

You Tubeから「All Apologies(Live at Reading 1992)」「 All Apologies (MTV Unplugged)」。シンニード・オコナーが歌う「All Apologies」。

TANGOS

 じゃがたらのメンバーだった南流石、OTOが中心となって結成したTANGOSのライヴが、カートが亡くなった年の10月に渋谷クアトロであり撮影に行った。カートへの追悼だったのか、彼らもこの曲を歌った。 TANGOSの歌う「 All Apologies」もやはり美しかった。

←TANGOS。ボーカルの南流石。1994年10月11日に撮影。

5月26日(月)

 5月の最終月曜日は、メモリアルデー。昨年、家の近所にある泊外人墓地で、この戦没者慰霊祭のセレモニーを撮影した。その時の写真を何枚かプレゼントしようと思い、少し早めに起きてプリントをする。
 セレモニーは朝10時からだが、9時過ぎに外人墓地へ。昨年、国旗を掲揚したり式で流す音楽を用意されていた退役軍人と思われる方がいらしたので、さっそく朝プリントした写真をお渡しした。
 しばらくすると泊外人墓地を撮り続けている新垣辰雄さんがいらした。メモリアルデーを知ったのは、昨年の5月21日から26日まで那覇市民ギャラリーで開催された新垣さんの写真展「泊外人墓地」を見たからだった。新垣さんとは、3月8日に沖縄県立博物館・美術館の講座室で開催された「沖縄の文化表象に見るジュリ(遊女)の諸相」と題したシンポジウムでお会いして以来なので久しぶりだ。
 10時になってセレモニーが始まった。今年は昨年よりも参加者が多かった。

メモリアルデー
 セレモニーが終わった後、新垣さんと近くにある軽食ルビーで昼ご飯を食べながらお互いの近況報告など。
 今日は昨年撮影させていただいた人達に写真をお渡しするのがメインで、あまり写真は撮らなかった。天気予報は午後から雨で、夕方からは雷雨となっていたが、降り出したのは夜も遅くになってからだった。
 昨年のメモリアルデーの様子はこちら。写真はこちら

5月25日(日)

 先週の日曜に続き、今日も那覇市歴史博物館が企画する学芸員と歩く史跡・旧跡ツアーに参加。4回目であり、最終回でもある今回は小禄地区を廻る。先週は雨だったが、今日は快晴だ
 朝10時にモノレールの小禄駅改札に集合となっていたので、9時半過ぎに家を出て自転車で向かう。
集合

  駅の下の駐輪場に自転車を止めて改札に行くと、係りの女性が駅の横の広場での集合になったと教えて下さる。今日の保険料100円を支払い、資料をいただいて集合場所に向かった。
 町歩きを始める前に説明があり、今回の道程は約3.4キロ。戦前からの道が残っている地区なので、配られた昔の字小禄、字田原の地図を見ながら歩くことになった。
←小禄駅の横に集合。参加者は4回ともほぼ同じ顔ぶれだった。

 以下、配られた資料に書かれていた今回の行程。字の色が違う所は自分のメモ。
1.出発地(モノレール小禄駅改札口前) 2.カテーラムイ・・・海軍航空隊巌部隊の本部陣地壕跡 3.フール跡・・・屋号「南前下庫理」家のトイレ跡 4.アカナームイの碑・・・田原村の小丘跡 5.メーヌカー・・・田原村の村ガー(共同井戸) 6.梵字・・・梵字が刻まれた石碑 7.田原劇場跡・・・戦後建てられた田原の劇場跡 8.田原のビジュル・・・田原村の霊石 9.田原火神・・・田原村の火の神 10.地頭火神・・・小禄地頭所の火の神 11.小禄間切番所跡・・・琉球王国時代の真和志間切の番所跡 12.原石「ヨ」・・・小禄村前原に建てられた原石(印部石) 13.袋中寺・・・琉球王国時代に来琉した袋中上人にまつわる浄土宗の寺院 14.小禄前道・・・小禄村の前方にある通り 15.小禄ノロ殿内・・・小禄村のノロの屋敷 16.村屋跡・・・琉球王国時代からの小禄村の集会所跡 17.小禄のビジュル・・・小禄村の霊石 18.真珠道跡・・・首里から真和志を通り、那覇港南岸に続く真珠道の一部 19.ミーガー毛跡・・・小禄村の小丘跡。原石「ユ」が祀られている 20.クシバルヒージャー跡・・・小禄村の村ガー(共同井戸)跡
*5.のメーヌカーは無くなっていたのか廻らなかった。資料に記載されている以外に高良隣徳先生顕彰碑、村の共同井戸であるクシンカーガー(後川井戸)を見学。8.の田原のビジュルは神屋(カミヤー)の敷地の奥にあった。村の草分け家、根屋(ニーヤ)である。神人を輩出している家ではあるが、ノロではない。
旧海軍壕
フール跡
アカナームイの碑
↑カテーラムイ(寿山)旧海軍壕
↑フール跡
↑アカナームイの碑
田原劇場跡
神屋カミヤー
田原のビジュル
↑人が集まっている辺りが、田原劇場跡 ↑白い建物が神屋(カミヤー)。根神の家?神人ではあるがノロではない。 ↑神屋の敷地の奥にいくつかある田原村の霊石のひとつ。
田原村の火の神
地頭火神
原石「ヨ」
↑田原村の火の神
↑地頭火神
↑原石「ヨ」
小禄間切番所跡
袋中寺
小禄前道
↑タイルの建物が小禄間切番所跡
↑袋中寺
↑小禄前道(メーミチ)
小禄ノロ殿内
村屋跡
高良隣徳先生顕彰碑
↑小禄村のノロの屋敷である、ノロ殿内
↑村屋跡。現在は字小禄ハワイ会館となっているが、旗頭なども置かれている。右上は、高良隣徳先生顕彰碑
真珠道跡
↓小禄のビジュル(霊石)。石の由来などは解っていないようだ。
→首里から那覇港へ続く真珠道の一部。↓小禄ビジュルからの眺め。今は家が密集しているが70年ほど前は畑だった。
小禄のビジュル
小禄ビジュルから見た町並み
クシンカーガー
ミーガー毛跡
クシバルヒージャー跡
↑クシンカーガー(後川井戸)
↑ミーガー毛跡。祠に「ユ」と彫られた原石が祀られている。 ↑小禄の村ガー(共同井戸)、クシバルヒージャー跡。
 10時過ぎにスタートした史跡・旧跡巡りは12時をちょっと過ぎて終了。最後のクシバルヒージャー跡で解散となった。
巨大な破風墓

  県道221号を挟んでヒージャー跡の斜め前に、以前から気になっている巨大な破風墓があるので寄ってみた。モノレールの奥武山公園駅と小禄駅の間にあり、モノレールからも見える。
 何の標示板もないので名所や史跡ではなさそうだが、一つのお墓としては今まで沖縄で見た中で一番大きい気がする。
←巨大な破風墓。現在は後ろにマンションも建っているが、元々はムイ(森)だったのか?

 気になっていた破風墓の写真も撮れたので、自転車の置いてある小禄駅へ。お腹が空いたので食堂に入って何か食べたかったが、昨日も外食したのでグッと堪えてスーパーで買い物。食パンにコロッケと千切りキャベツを挟み、ソースをかけて食べる。シンプルだけど美味しい。
波之上ビーチ
 お腹が満たされたので、海水パンツとTシャツに着替えて自転車で波之上ビーチへ。初泳ぎ。思っていたよりも海水は冷たかったが、しばらく泳いでいると水温になれて来た。
 遠浅のように思うが、このビーチは直ぐに深くなる。
 一時間ほど泳いだり休んだりして、家に帰った。

5月24日(土)

 晴天。昨日の内に買っておいた土日祝一日乗車券を使い、伊計島へ。最寄りのバス停を7時53分発の屋慶名線に乗車。終点の一つ手前のJA屋慶名前で下りて、直ぐ近くにある平安座総合開発が運行する伊計島行きのバスに乗り換える。平安座島から浜比嘉島に渡り、もう一度平安座島に戻って宮城島、伊計島へとバスは走る。終点の伊計島共同売店前に着いたのは10時50分頃だった。平安座総合開発が運行する伊計島行きのバスは、土日祝一日乗車券は使えないので500円の運賃を支払う。

↓左は、浜比嘉島から撮影した伊計島。山の上には巨大な石油タンクが並んでいる。右はサングヮチャーの時にタマンの神輿と一緒に島の人達が海を渡って拝みに行くナンザ。共にバスの車窓から。

伊計島の石油タンクとナンザ
 さっそく伊計島の集落をブラブラと散策。ヌンドゥンチ(ノロ殿内)を見つけたが、あいにく補修工事の真っ最中だった。
 使い古しのソファーが通りの木の下に並べられ、オジーが並んで座っておしゃべりをしている。空いているソファーを借りて、ウトウトと午睡したくなる。
木陰でくつろぐオジー
伊計島の集落
お墓

↑ビーチへ向かうYナンバーの車を多く見かけたが、集落の中は至って静かだ。
←伊計ビーチの直ぐ近く、ちょっと森に入った所にお墓があった。ガジュマルの気根が、墓石を守るように根を生やしている。

 一時間半ほど伊計島を歩いた後、歩いて伊計大橋を渡り、宮城島へ。

伊計大橋

↑赤いアーチ状の橋が宮城島と伊計島を繋ぐ伊計大橋。写真左は伊計島から宮城島を、右は宮城島から伊計島を撮影。

 行きのバスで通った道を思い出しながら、辿りながら宮城島の集落を歩く。平安座島に近い桃原は歩いて行くには遠いが、池味、宮城、上原の3つの集落を巡った。集落の中や周辺の道路に、PCB処理施設の処理施設反対の立て札が立っていた。

宮城島の集落
 14時半頃までひたすら歩いて、さすがに疲れたので上原集落にあるバス停・新里商店前で一休み。お店でアイスクリームでも買って食べようかと思ったが、ドアが閉まっていた。自販機でミネラルウオーターを買って道端に腰を下ろす。しばらくすると杖をついたオバアさんがお店にやって来たが、ドアが閉まっているのでやはり隣りに腰を下ろす。上原集落にはお店はここだけだ。伊計島からここまで歩いて来たと話すと「今晩足が痛くなるよー」と言われる。暫くオバアさんと世間話をしていたが、お店が開くのが待ちきれなくてオバアさんは隣りの宮城集落へ歩いて行った。
 帰りのバスは2時間に1本。次は商店の前を15時8分。 バスが来る少し前にお店のオバさんが用事から帰って来た。ほどなく何人かのオバアさんも集まって来た。集落の憩いの場所なのだろう。
 定刻通りにバスが来た。ウトウトしながらバスに揺られる。来た道を辿り宮城島から平安座島、浜比嘉島、また平安座島に戻り海中道路を通って屋慶名農協前に着いた。
 新里商店前から屋慶名農協前までの運賃400円を払ってバスを降りると、27番の那覇行きのバスが目の前を走って行った。急いでバス停まで追いかけて乗車。まだ日が暮れるまで時間があるので勝連城に行くことにする。27番のバスは勝連城までは行かないが、運転手さんに聞くと西原バス停からは歩いても15分ほどだと言う
  屋慶名から西原までは15分ほどで着いた。土日祝一日乗車券を見せてバスを下りようとすると、運転手さんが困った顔で「このバスは沖縄バスなので使えないんです」と言う。確かに土日祝一日乗車券は琉球バスと那覇バスで使える乗車券だが、沖縄バスも走っている共同運行の路線では沖縄バスでも使えると思っていた。27番の屋慶名線は沖縄バスと琉球バスの共同運行だ。そう運転手に言うと主に西側を走る共同路線は沖縄バスでも使えるが、東側を走る27番の屋慶名線と227番の屋慶名おもろまち線は共同運行だが使えないと言う。確かに乗車券の裏面に小さく書いてあった・・・orz。東側は沖縄バスが中心に走っている路線だからだろうか?なんだか腑に落ちないが360円の運賃を支払ってバスを下りる。後で時刻表を見るとこの時間帯は沖縄バスしか走っていないので、お金を払ってでも乗って正解だった。
 西原のバス停からトボトボと勝連城へ。想像していたよりもこじんまりとした城跡だったが、丘陵地に建てられており眺めが素晴らしかった。
勝連城
西原にて
 勝連城から西原バス停へ戻り、那覇方面行きのバスを待つ。来るのは沖縄バスばかりだ。
  かなり待ってやって来た、琉球バスが運行する27番で胡屋へ。先月、コザ・てるりん祭を見に来た中央パークアベニューを散歩する。家から持って来たおにぎり3個、シュウマイ3個はお昼に食べて、すっかりお腹が空いたので大衆食堂ミッキーへ。
おかず
ミッキー
←↑ミッキーにて沖縄の食堂で一番ややこしいメニュー、おかずを注文。600円。みそ汁の代わりにゆし豆腐。漬け物がきれたそうで、ご飯の上に味噌が乗っていた。
 お腹いっぱいになり、歩き疲れたので胡屋のバス停へ。23番具志川線の那覇行きが来たので乗車。なんだか車内が暑い。斜め前の席の人が上部の窓を開ける。同じように窓を開けながら、暖房でも入っているのだろうかと話しかけたら、運転手に聞こえたようで自動温度調整になっているそうだが少し下げてくれた。それでも暑いので、最寄りのバス停に着くまで外の風を入れて凌いだ。

5月23日(金)

 昨日から国立劇場おきなわで、坂東玉三郎さんが主演の新作組踊「聞得大君誕生(ちふぃじんたんじょう)」が始まっている。公演は25日までだが、チケットは応募抽選で既に完売。
 聞得大君(きこえおおぎみ、琉球方言ではちふぃじん)は琉球国王のおなり神(姉妹が神となり、兄弟を助けるという琉球の信仰)であり、琉球全土の祝女(ノロ)の頂点に立って国の祭祀を司っていた。
 Wikipediaの聞得大君の項目に、聞得大君は18代まで続いたと記されている。
↓がその掲載されているリストで、出典は「歴史・伝説にみる沖縄女性」比嘉朝進著、那覇出版社となっている。このリストに国王との関わりを調べて、解る範囲でリンクを張ってみた。*の後が追加したリンクで、例えば初代の月清は尚円の娘であり、尚真の妹である。参考にしたのはWikipediaの第二尚氏の項目にある各王の家族構成だが、間違いがあるかもしれません。

初代:月清(生没不明) 就任:尚真王代 *尚円の王女(独身)、尚真王の妹
二代:梅南(不明 - 1577年) 就任:尚元王代 *浦添王子朝満女(独身)
三代:梅岳(不明 - 1605年) 就任:1577年 *真和志聞得大君加那志。尚元王の妃、浦添親方女
四代:月嶺(1584年 - 1653年) 就任:1605年 *尚永王の次女、大里王子朝長婦人
五代:円心(1617年 - 1677年) 就任:1653年 *国頭王子正則夫人(金武王子朝貞女)
六代:月心(1645年 - 1703年) 就任:1677年 *奥間按司加那志。尚貞王の妃(宜野湾親方正信女)
七代:義雲(1664年 - 1723年) 就任:1703年 *尚益王の母尚純王子妃(座喜味親方盛貞女)
八代:坤宏(1680年 - 1765年) 就任:1723年 *尚益王の妃尚敬王の母
九代:仁室(1705年 - 1779年) 就任:1766年 *尚敬王の妃
十代:寛室(1719年 - 1784年) 就任:1780年
十一代:順成(1721年 - 1789年) 就任:1784年
十二代:徳沢(1762年 - 1795年) 就任:1789年 *尚温王の母尚灝王の母尚哲の妃
十三代:法雲(1765年 - 1834年) 就任:1795年
十四代:仙徳(1785年 - 1869年) 就任:1834年 *尚成王の母
十五代:仲井間翁主(1817年 - 不明) 就任:1870年
十六代:安里翁主(1825年 - 1909年) 就任:明治年間
十七代:安室翁主(1874年 - 1944年) 就任:大正年間 *尚泰王の次女?
十八代:思戸金翁主(1887年 - 不明) 就任:1944年。戦後廃職
(出典:「歴史・伝説にみる沖縄女性」比嘉朝進著、那覇出版社)
*琉球王朝(第二尚氏)系図沖縄の神女の婚姻制について尚穆王の長女=聞得大君加那志。

 今年の1月11日に撮影した与那国島の嶋仲公民館主催の五穀豊穣を願うンマナガマチリの様子と、祖納集落の浦野墓地の写真をPhoto Albumにしました。ンマナガマチリのマイヌトゥニからアラガウガン、ヌックウガン、ツイヌトゥニでの御願はこちら。再びマイヌトゥニでの御願と祝宴の様子はこちら。翌日行われる西公民館主催のンダンマチリのウサイ(ご馳走)作りと、浦野墓地の風景はこちら

アラガウガンでのニガイ
↑アラガウガン(新川御嶽)でのニガイ(御願)。
マイヌトゥニでのドゥンタ
↑マイヌトゥニでの祝宴。与那国島の巻踊り、ドゥンタを踊る。
浦野墓地
↑祖納集落の浦野墓地。巨大な破風墓や亀甲墓が並ぶ風景は圧巻。

5月22日(木)

 昨日の天気予報では、今日は昨日よりも晴天になると予測されていたので、昨日の午前中に座間味島行きの高速フェリーを予約していた。
 今朝、6時頃に起きて外を見るとなんだか曇り空。急いで天気予報を確認すると、曇りのち雨になっていた。8時過ぎに、昨日予約の電話を入れた座間味村役場那覇出張所にキャンセルを申し込む。
 結局午前中は曇り、午後からは雨の降るちょっと肌寒い一日となった。

 昨日、大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決が出た。判決文には、運転差し止めとする判断に至る詳細な理由が述べられた後、
  「原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と述べている。判決要旨の全文はこちら。書かれていることは至極真っ当なことで、一読されることをお勧めする。
  判決文にはないが、福井にある原発が福島第一のような事故を起こした場合、近くにある琵琶湖が汚染されることは充分に考えられる。琵琶湖は関西の水瓶だ。関西電力は、そのような事態が起きた場合の対処の仕方を構築しているのだろうか?また、政府は緊迫する隣国との有事に備えて国民を守る、と言うが日本海側に原発をいくつも並べて、どのように守るのだろうか。不思議でしょうがない。

 新疆ウイグル自治区でテロタイでクーデター北朝鮮が韓国艦近くに砲撃自衛隊の陸海空が奄美群島で上陸訓練、昨日久米島で爆発音がし黒煙が上がり地面が揺れたのは、米空軍による鳥島射爆撃場で航空機を使った訓練によるものだった。
 今日は騒々しいニュースが並んでいる。

 アイルランドの女性シンガー、メアリー・ブラック19日、20日と来日コンサートを行っていたようだ。1992年にはJR東日本のCMで彼女の歌う「The Thorn Upon The Rose」が流れていたので、ファンも多いだろう。アイルランドのシンガーやバンドのCDを色々聴いていた時期があったが、一番CDを揃えたのがメアリー・ブラックだった。好きな曲を2つ、You Tubeから。「By The Time It Gets Dark」「No Frontiers」。

↓→メアリー・ブラック。ライヴ、ポートレート共に1990年12月に撮影。この撮影から、もう24年が経ったのか・・・
メアリー・ブラック、ポートレート
メアリー・ブラック、ライヴ

5月21日(水)

 朝から晴天。午前中に借りていた本を返しに若狭図書館へ行くが、閉まっていたので返却ポストに投函。
 お昼にそうめんと納豆ご飯を食べてから、久しぶりに自転車で嘉手納の方へ。陽射しはあるが暑くはなく、空気が乾いていて風が気持ち良い。サイクリング日和だ。
那覇から北谷へ
壁を塗り替え中のクレイジーホース
↑那覇から自転車を漕いで砂辺へ。
←国道58号沿いにあって、ユニークなペイントで目立っていたクレイジーホースの壁が塗り直されていた。↓は今年2月28日のもの。
以前のペイント
 泊市場、国立劇場おきなわの前を通り、キャンプ・キンザーの脇道を抜けて国道58号に出るお馴染みのルートで北谷へ。途中、浦添にあるソニーのサービスセンターに寄ったり写真を撮ったりしていたので、北谷町砂辺にある戦闘機が嘉手納空軍基地に着陸するポイントに着いたのは15時半頃だった。
嘉手納空軍基地に着陸する戦闘機01
嘉手納空軍基地に着陸する戦闘機02

 1時間半ほど居て、戦闘機の離発着(離陸する所は方向が多分反対なのであまり確認できないが)訓練の様子を眺めていた。他に2人、やはり戦闘機の着陸を撮影に来ている人がいた。
  頻繁に上空を飛ぶ戦闘機を見ながら、世界中に散らばるアメリカ軍の基地で使用するガソリンというのは、一日でどれくらいの量なのかと考えて途方に暮れる。 
 そろそろ帰宅ラッシュとなる国道58号を、那覇に向かって走る。北谷辺りは本当にYナンバーの車が多く、半分くらいがYナンバーの様な印象だ。そう言えば、この58号(軍用道路1号)は米軍の緊急時の滑走路としての利用も考えて作られた道路だった。
 家の近く、天久にある吉野家の前を通る。一度通り過ぎてから、牛丼が無性に食べたくなりお店へ引き返す。肉が1.2倍と言うアタマの大盛りとみそ汁を注文。これだけだと夜中にお腹が空きそうなので、新都心のスーパーに入っているパン屋さんへ。選り取り7個540円のセールをやっていた。

*キャンプ・キンザーから国道58号、嘉手納空軍基地までの写真をPhoto Albumにしました。こちら。(2014年10月5日に更新)。

5月20日(火)

 放射能濃度、5カ所で最高値=福島第1港湾内外の海水。安倍首相は昨年、オリンピック招致のスピーチで「汚染水は港湾内で完全にブロックされている」と世界に向けて発言したが、港湾内外で汚染水の濃度は上昇を続けている。
 その汚染水対策の切り札となるはずの浄化装置=アルプスだが、3系統ある内の1つはトラブルで長期間処理が出来ない状態となっており、17日にはもう1系統でも白濁した水が確認されて処理を停止。そして今日、残っていた1系統でも処理水が白濁するトラブルが見つかり、処理を停止した。これで福島第一の汚染水処理は3系統全てで出来ない状態になった。 
 福島第一の原発所員の9割りにあたる約650人が、大震災4日後の3月15日朝、当時の所長で事故対策責任者だった吉田昌郎氏の待機命令に違反し、10キロ離れた福島第二原発へ退避していたことが吉田調書でわかったと朝日新聞が報じている。
 この政府事故調査・検証委員会に吉田所長が答えた聴取結果である吉田調書を、菅官房長官は今日の記者会見で公開しないとする考えを示した。また原子力規制委員会の田中俊一委員長は、吉田調書について「読んでいない。知らない」と答えたそうだ。

 今日は雨がずっと降り続けたわけではなく、何度か激しい暴風雨に見舞われた。玄関から外に一度も出ること無く、部屋で過ごした。
  1月9日に撮影した与那国島・久部良集落のスナップをPhoto Albunにしました。こちら

久部良集落にて、与那国馬?
↑久部良にて。与那国馬だろうか。↓久部良バリの近くにある、集落の墓地。
久部良の墓地

5月18日(日)

 今日は那覇市歴史博物館が企画する学芸員と歩く史跡・旧跡ツアーの3回目で、那覇地区を歩く。 朝10時に歴史博物館に集合なので、9時半頃に家を出て雨の中を博物館の入っているパレットくもじへ向かう。ちなみに2回目の真和志地区は辺野古のボーリング調査阻止10周年集会と重なったため参加できなかったが、初回の首里地区の様子はこちらにあります。
 10分ほど前に到着し、保険料の100円を支払い今日の資料を貰う。10時になって学芸員の方たちと1階に下りて行くと、小雨だった雨が本降りに。しばらく様子を見ていたが止みそうにないので、急遽歴史博物館のロビーで地図と資料を見ながらの勉強会となった。
那覇地区の史跡・旧跡ツアー
↑さあ那覇地区を歩こうと外に出たら激しい雨。急遽ロビーでの勉強会となった。

 話しを聞きながら、配られた資料にメモをする。かつての那覇の中心は西町・東町。久米には中国人、若狭には大和人、西町・東町には琉球人が住んでいた。硫黄城は今の沖縄製粉がある辺り。泉崎は字が示すように水に恵まれた場所。間切=田舎方、首里・那覇・泊・久米=町方。現在の那覇市は那覇・首里という2つの町方と、真和志・小禄という2つの田舎方で出来ている。渡地村(わたんじ)は現在の那覇埠頭の辺り。

 1時間ほどロビーで勉強会をしていたが、いつの間にか雨は止んでいたので、少しの時間だが近場の史跡・旧跡巡りをする事になった。

武徳殿跡

←県庁の敷地に設置された武徳殿跡(ブトクデンアト)の標示板。解体される前の写真が、こちらにあった。

湧田地蔵堂跡の標示板。

湧田地蔵堂跡
仲島小堀跡
仲島の大石
仲毛芝居跡
↑泉崎にあった人口の溜め池、仲島小堀跡 ↑那覇BTの敷地にある、仲島の大石。北斎の浮世絵にも描かれている。 ↑中央のアイボリーのビルの辺りが仲毛芝居跡

 室内での勉強会で時間を使ったのと、いつまた雨が降るかわからないので泉崎地区にある史跡・旧跡を30分ほどで廻った。ちなみに今回廻る予定だった史跡・旧跡は、○仲島小堀跡・・・泉崎村に造られた人口の溜め池跡 ○仲島の大石・・・久米村の風水に関わる大石 ○那覇駅跡・・・1914年(大正3)から操業した軽便鉄道の駅跡 ○那覇市跡・・・戦前における沖縄県下最大の市場跡 ○親見世跡・・・琉球王国時代の那覇の役所跡 ○東恩納寛惇生家跡・・・沖縄研究者東恩納寛惇の生家跡 ○薩摩藩在番奉行所跡・・・琉球における薩摩藩の出張所跡 ○那覇港周辺の史跡・旧跡・・・琉球王国の海の玄関口「那覇港」 ○西の海跡・・・三重城から潮の先にかけてU字形に湾入していた海跡 ○新天地劇場跡・・・1922年(大正11年)建立の劇場跡。「石屋」と呼ばれた ○伊波普猷生家跡・・・沖縄学の父と呼ばれた伊波普猷の生家跡 ○天使館跡・・・冊封使節一行の宿泊所跡。通常は「砂糖座」として使われた ○仲毛芝居跡・・・沖縄で初めての常設芝居小屋跡 ○円山号跡・・・那覇のメインストリートに面して建てられた百貨店跡 ○久米村大門跡・・・久米村の南入口跡 ○泉崎橋・・・戦後の1957年に架橋された橋。戦前の泉崎橋をモチーフにした
 
この中で標示板だけでなく史跡そのものが残っているのは仲島の大石だけのようだ。

 パレットくもじに戻って来ると、目の前を神輿を担いだ一団が歩いて行く。昨日、今日と波上宮なんみん祭(例祭)が行われており、その神輿行列だ。史跡・旧跡ツアーは歴史博物館で解散となっていたが、神輿行列を見たい人のためにここでお別れとなった。そう言えば今日は浅草の三社祭の最終日だと思いながら、神輿行列に着いて行く。
 県庁前の通りを若狭に向かって進み、波上宮へ。中国風の爆竹が鳴り、獅子が舞う。その中を榊を手にした神主さんと神輿、大太鼓が歩いて行く。どこか中国と大和がチャンプルーな行列は、琉球の成り立ちのようにも見える。

神輿行列
御神輿と記念写真
 神輿は境内を通り拝殿に入れられた。雅楽が演奏される中、神事が行われ、最後は神主さんの音頭で乾杯となった。
波上宮神輿保存會のみなさんを中心に。↓神輿の片付け。
御神輿の片付け

 なんみん祭のイベントとしては、この後14時から波上宮の隣りにある旭が丘公園で全島沖縄角力大会が行われるので見学に。

ソバの行列
ソバ
 公園の入口の方で行列ができていて、無料でソバが配られていたので並んでみる。いただいたのは具沢山のミソ味の汁の中に沖縄ソバが入ったものと、おにぎりが一つ。量もたっぷりで美味しかった。
角力大会
 14時10分頃に開会式が行われ、神主さんが土俵をお払いしてから角力(すもう)が始まった。相撲も柔道も詳しくないが、沖縄角力は柔道に近いですね。同じ琉球弧でも奄美は裸にまわしを巻いて大和の相撲と同じ様に取るが、沖縄の角力は最初から組んだ状態でスタートする。沖縄角力のホームページがあったので、詳しくはこちらをどうぞ。
 角力を途中まで見て、琉球舞踊奉納が行われる波上宮の拝殿へ。
路地楽

←先ずは路地楽(ルギガク)の演奏。
↓地謡(ジカタ)は琉球古典 安富祖流音楽研究会朝一会 総帥 人間国宝 照喜名朝一。

地謡
琉球舞踊奉納
↑琉球舞踊の奉納。写真は玉城流玉扇会 玉城盛義琉舞道場 二代目家元・玉城秀子さんの瓦屋節。

琉球舞踊奉納演目
1.路地楽御座楽 啓扇会路地楽御座楽保存会 会長・阿波連 本勇 2.かぎやで風節 阿波連本流啓扇紅節の会 会主・屋比久 節子/阿波連本流啓扇会 師範・阿波連 京子 3.作田 真踊流佳幸の会 会主・宮城 幸子 4.加那よー 島袋本流・紫の会 三代目家元・島袋 秀乃 5.瓦屋節 玉城流玉扇会 玉城盛義琉舞道場 二代目家元・玉城 秀子 6.前の浜 親泊本流親扇会 二代目家元・親泊 興照 7.稲まづん 玉城流翔節会 家元・玉城 節子 8.秋の踊り 宮城流 宮城能造 二代目家元・宮城 能造 9.鳩間節 貞扇会 二代目家元・山内 小夜 10.浜千鳥 琉舞緑扇会 会主・池原 勝子

 琉舞の奉納が終わったのが16時15分頃だった。なんみん祭の催し物としては、この後18時から若狭公民館でのど自慢大会が行われるようだが、だいぶ時間が開くのでスーパーで買い物をして帰宅した。
 今日は5.15平和行進の最終日。テレビのニュースが、その様子を伝えていた。 琉球新報の記事

*波上宮のなんみん祭の様子をPhoto Albumにしました。神輿行列と拝殿での神事はこちら、旭が丘公園での全島沖縄角力大会と波上宮での琉球舞踊の奉納はこちら。(2014年10月3日に更新)。

5月16日(金)

 朝から青空。こんなに晴れるとわかっていたら、フェリーで座間味島に行く予定でも立てておけば良かったと思うが、もう遅い。ならばバスを乗り継いで伊計島はどうだろうと時刻表を見て検討したが、今日は平日で土日祝一日乗車券は使えないのだった・・・orz。 
 ならば近場にあり前から訪れようと思っていた中山王陵・浦添ようどれ行きにする。ネットで調べると55番の牧港線に乗車し、仲間バス停で下車するらしい。55番線は最寄りのバス停にとまらないので、自転車でおもろまちへ。おもろまち駅前に着いたら、ちょうど12時33分発の牧港線がやってきた。 
 13時頃に仲間バス停に到着。バスを降りると、浦添ようどれがある浦添城跡への案内表示板があった。表示板に従って住宅街の坂道を5分ほどあがったところに資料室である浦添グスク・ようどれ館がある。100円の入場料を払って、まずは展示資料を見学。

ようどれ館01
ようどれ館02

↑浦添グスク・ようどれ館。

←展示物の目玉は、実物大で再現された西室(英祖王の墓の内部)。

 メインの展示物は、浦添ようどれの西室(英祖王の墓)の内部を実物大で再現した部屋で、かなりリアルな石厨子が置かれていた。西室を見てからロビーにあるテレビで三山時代の琉球の歴史や、浦添グスクについてのビデオを観る。ビデオは2種類あったが、先ずは1種類を観て、実際に城跡を見学してから戻って来る事にする。
 国指定史跡・浦添城跡というパンフレットを貰い、その中に掲載されている地図を見ながら浦添ようどれへ。入り口までは歩いて2、3分の距離だ。
 浦添ようどれは2005年の4月に復元工事が終了し、現在は無料開放されているが、先の沖縄戦で大きな被害を受けている。破壊された写真や、復元工事の様子もようどれ館に展示されている。
浦添ようどれ01
↑一番庭から撮影した浦添ようどれ。手前が西室(英祖王の墓)、奥が東室(尚寧王の墓)となっている。
↓写真左が東室の入り口、右が西室の入り口。
西室と東室
↓浦添ようどれを下から見上げる。→東室の横に置かれた石獅子。
石獅子
ようどれを下から見上げる
 浦添ようどれを出て、城跡の中にある伊波普猷のお墓やディーグガマを見てから、もう一度浦添グスク・ようどれ館へ。ロビーの椅子に座り、休憩がてらまだ観ていなかったビデオを鑑賞。
↓沖縄学の父と呼ばれる伊波普猷のお墓(左)とディーグガマ(右)。
伊波普猷の墓とディーグガマ
 ところで再現された西室の中にある石厨子の中には洗骨した骨(レプリカ?)が納められていたが、洗骨する前の遺体はどこに安置されていたのか気になった。シルヒラシ(仮墓)のような場所はなかったのか事務所にいらした職員の方に聞いたが、仮墓の存在は不明だと言う。ただ西室に奥室があり、そこが仮墓だったと考える説があるようだ。
→写真右の扉が奥室への入り口。奥室そのものは再現されていない。
奥室
 浦添ようどれ館の横に小さな公園があり、展望台があった。櫓に上って普天間の方を見ると、飛行場にオスプレイがたくさん駐機していた。
普天間飛行場
住宅街の坂道
 浦添ようどれ館から、坂道を下りてバス停へ向かう。この坂道の先に城跡があるとは想像もできない、真新しい住宅が並んでいる。強い陽射しに当たって、全てが白日夢のようだ。
 55番の牧港線は1時間に2本ほど走っているので、10分ほど待ってバスが来た。
 自転車をとめてある、おもろまち駅前で下車。 自転車に乗って安里にある床屋さんへ向かう。

 消費増税後、初めての散髪。平日ならカット700円だったが、4月1日からはカット1000+消費税で、1080円になってしまった。それでも十分安いんだけれど。
 髪を切ってスッキリし、途中のスーパーで食材を買って帰る。晩ご飯は、イワシ揚げと冷蔵庫にある野菜を具にした、沖縄風やきそば。味付けは塩こしょうとお醤油にした。麺が油でコーティングされているのが沖縄風だろうか?

*本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

5月15日(木)

 沖縄が日本に復帰して42年を迎えた今日、安倍首相は集団的自衛権の行使容認を目指す考えを表明した。
 記者会見の中で「今や海外に住む日本人は150万人、さらに年間1,800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます。そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助、輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。このような場合でも日本自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を日本の自衛隊は守ることができない、これが憲法の現在の解釈です」とアメリカの船に救出される日本人家族の絵を見せながら説明した。一見なるほど、と思わせるが何か変である。本当に国民の生命を守りたいのなら、アメリカの船に護送される状況になる前に自国民を民間機で退去させるのが政府の役目だろう。突然の紛争と言うが、紛争の火種をいち早く情報収集するのが先ずやるべきことで集団的自衛権と結びつけるのは強引だ。
 また、憲法改正ではなく憲法解釈の変更で集団的自衛権を行使しようとするのは暴挙以外の何モノでもない。一政権の解釈でどうにでもなるような憲法にしてはならない。
 昨年末の特定秘密保護法案の可決成立といい、どうしたんだろう、この国は、と暗澹たる気持ちになる。今年の4月には武器の輸出を原則禁止してきた武器輸出三原則が撤廃され、防衛装備移転三原則に生まれ変わった。さっそく政府はミサイル部品の輸出を検討している。
 「美しい国、日本」と言いながら、未来に残せるのものが膨大な借金と、放射能汚染だけ。そしてその責任は誰も取らない、なんて国になりはしないだろうか。
 まず、総理から前線へ。初めてこのコピーと写真を見たのは、小学館の写真雑誌・写楽の記事だったと思う。時の総理は中曽根康弘氏だった。

You Tubeから「アジアの片隅で 武道館’82/吉田拓郎

 一晩たてば 政治家の首がすげかわり 子分共は慌てふためくだろう 闇で動いた金を 新聞は書きたてるだろう
 一晩たてば 国境を戦火が燃えつくし 子供達を飢えが襲うだろう むき出しのあばら骨は 戦争を憎しみつづけるだろう
 アジアの片隅で 狂い酒飲み干せば アジアの片隅で このままずっと 生きていくのかと思うのだが

小湾アギバーリー01
↑↓今年の1月3日に撮影した、小湾アギバーリーの様子をPhoto Albumにしました。こちら
小湾アギバーリー

5月14日(水)

 富山は今日、最高気温31℃の真夏日になった。那覇は最高気温28℃、最低気温23℃。空気は湿っていて、何だか身体に纏わり付くような重さもあるが、梅雨の中休みなのか雨は降らずに済んだ。
 午前中から、ネットと電話で調べもの。午後、前島のスーパーに特売のトンカツ108円とサンピン茶のをお茶っ葉を買いに行く。買い物に出たついでに那覇港の近くから、波の上ビーチの辺りを自転車で走って来た。
 晩ご飯はカツ丼、昼に作っておいた切り干し大根の煮物、トマトとオニオンのサラダ、温かい素麺のお汁。
 那覇は、明日からまた雨の予報。You Tubeから「The Dramatics/In The Rain」。
ドラマティックス01
ドラマティックス02
←↑ザ・ドラマティックス。左のモノクロが1987年12月1日、上のカラーが1994年12月22日撮影。

 今年の元旦に撮影した、新春北部闘牛大会の様子をPhoto Albumにしました。カット数が多いので前半後半にわけました。

新春北部闘牛大会01
↑会場となった今帰仁村営闘牛場。↓闘いが終わって、帰りのトラックの荷台の上で。
新春北部闘牛大会02

5月12日(月)

 天気予報では曇りと雨マークの日が並んでいたが、昨日は丸一日雨が降らなかった。今日も朝起きると晴れていたので、午前中から色々と用事を済ませる。
 一年ほど前に平和通りの糸洲雨合羽店で買った傘の骨が2本ほど折れたので、新しい傘を買いに行く。一年前もこの店で傘を買った事を話すと、昨年は240円だったが今年は消費税が上がったので250円に値上げしたと申し訳なさそうに言う。昨年「私は毎日雨フレー、雨フレーお祈りしているさ〜」と言っていたオバさんは、梅雨の繁盛期なのに昨日は雨が降らなかったのが残念な様子だった。
 店の奥に座っているオバアさんが、合羽はどうかと勧める。店名が示す通り、元々は雨合羽の専門店だったがそれだけでは経営が大変なので「傘にも手を出した」そうだ。オバさんの「傘にも手を出した」が、どこか「ついつい麻薬に手を出した」という感じの言い方で何だか可笑しかった。
 沖縄に来る前に奄美大島に2年住んでいたと話すと、奄美も梅雨は雨が降るかと聞かれたので「沖縄よりも雨が降りますよ」と答えると、「向こうで商売した方が儲かるかしら」とオバさん。どうだろうか。沖縄もそうだが、奄美の雨は強風を伴うことが多く、最早傘をさしても何の役にも立たないほどだ。島の子供たちは雨が降っても傘もささずにずぶ濡れで歩いている。傘をさしても濡れるし、風に吹かれて傘の骨が折れるだけだから。自分は奄美と沖縄で何本の傘をダメにしただろうか。
 2010年の6月、初めて名瀬に降り立った日も大雨だった。宿泊したホテルの近くにあるダイエーへ食料を買いに行ったら、ずぶ濡れになった女子高生の集団が裸足で歩いているのを見て驚いた。
 雨はたくさん降るが、あまり雨傘が売れるとは思えない。日傘の方が、まだ需要はあるだろうか? 
 沖縄で傘が必要になったら、平和通りの糸洲雨合羽店へどうぞ。
 傘を買って国際通りから松尾消防署通りへ。ようやく御歳暮でいただいたビールのお礼に送る、ポストカードと手紙ができたので、同封するお菓子を買いに謝花きっぱん店に行く。お菓子はきっぱん冬瓜漬を考えていたが、きっぱんの方は常温だと表面の砂糖が溶けてしまうので送れないようだ。クール便だと送れるが、レターパックに同封するので常温で遅れて10日間保つ冬瓜漬だけを送る事にした。
 実家にも写真データがいっぱいになったハードディスクをゆうパックで送るので、3個ずつを2袋購入。ショーケースの上に形の不揃いな冬瓜漬を詰めた袋があったので、こちらは自分で食べる用に一つ購入。
 一旦家に帰り冬瓜漬を同封してレターパックと、ハードディスクを入れた段ボールを郵便局に持って行き発送。

マグロのステーキ、刺身、冬瓜漬け
↑左から本マグロのステーキ250円、刺身はぎれ380円、冬瓜漬500円。

 一仕事終えてお腹が空いたので、沖映通りのどん亭で牛丼セット。どん亭の帰り、コンビニでガス代と水道代を払い、泊市場へ。本マグロのステーキ250円分と、刺身のはぎれ380円を買って帰る。

 先日購入した島風の720mlが残り僅かになったので、新しい泡盛を新都心のスーパーへ買いに行った。今回購入したのは、津嘉山酒造の國華の43℃。720mlで1831円と少々お高いですが、奮発しました。

 これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海→ゆいまーる→松藤→八重泉→残波の白→請福(フダチミのラベル)→海人→今帰仁の新酒→ユニオンですから→島風→國華。

↓昨日の那覇市街の空。なかなかドラマチックな雲と夕映えでした。

國華
昨日の那覇の空

5月10日(土)

梅雨空の那覇市街

 雨の日が続いている。明日からの天気予報も、ずらりと傘マークが並んでいる。

 You Tubeから「Tom's Diner/Suzanne Vega
この雨は午前中 ずっと降り続くわ 教会の鐘の音を聞きながら わたしはあなたの声を思い出していた
雨が降り出す前に出かけた 真夜中のピクニックのことも
コーヒーを飲み終えたわ そろそろ電車の時間

↓→スザンヌ・ベガ。1991年9月1日、ウォーマッド’91にて撮影。
スザンヌ・ベガ02
スザンヌ・ベガ01

5月7日(水)

 今日が返却期限の本が一冊あるので、午前中に若狭図書館へ。何回か延長してもらったが読み切れないまま返す事にした。代わりに「母たちの神/比嘉康雄展」を借りる。この本は一度借りて読んでいるが、読み返したいのとコピーを取りたいページがあるので再度借りた。受け付けの女性に図書館でもコピーできるか尋ねると、セルフサービスだが1枚10円だと言う。本の後半に何人かの方が文章を寄せているが、前回借りた時にとても興味深く読んだ「母が神になる 安里 英子 ライター」と「古層のバトンを受け取った比嘉康雄 後田多 敦 海邦市民文化センター代表理事」をコピーする。どちらも琉球弧の祭祀について示唆に富んだ内容の文章で、尚かつわかり易い言葉で綴られている。図録に掲載されている比嘉康雄さんの写真も、神々の古層シリーズに掲載されているものも多いが、モノクロの階調表現はこの本の方が豊かな様に思う。
 本当ならば借りるのではなく購入したい本だが、この図録は写真展の途中で売り切れてしまったそうだ。今のところ古本屋さんにも出回っていないようなので残念。
 ところでこの図録は神迎え、神崇め、神女、神願い、神送りという括りで写真を纏めている。その神願いの最初の写真は池間島のウハルズ御嶽の写真で、神司と思われる3人の女性が土の中に埋もれている香炉を掃除している。昨年、池間島へミャークヅツを見に行った時に、ウハルズ御嶽(ミャークヅツの時だけ一般人もウハルズに参拝できる)でこの土俵のように砂を盛った中に埋められたたくさんの香炉を見た。最初、埋もれているのは甕かと思ったが、ニガイをされていた司の方に聞いて香炉だとわかった。が、誰の香炉なのか尋ねてもわからなかったのだが、この写真のキャプションで判明した。キャプションには「香炉は第2次大戦時、出征兵士によって奉納された。」と書かれている。
 後田多 敦さんの「古層のバトンを受け取った比嘉康雄」の中に「八重山では昭和期に女神官らが戦勝祈願に駆り出され、御嶽が戦勝祈願の場として使われたりした。このような祭祀の再編、天皇の体系との結合の試みは沖縄戦まで続く。日本は琉球国のために存在していた琉球の祭祀空間、祭祀対象、司祭者などを、改変して日本の祭祀と関連づけ、日本(天皇)のための祭祀へと転換させようとしたのである」という記述がある。八重山と宮古と言う違いがあるが、このキャプションと見事にリンクするように思う。
母たちの神

←「母たちの神/比嘉康雄展」に寄せられている文章をコピーしてきた。

↓池間島 ウハルズ御嶽 香炉の掃除。

池間島のウハルズ御嶽
ステーキとエビ、スナックパイン
 図書館からの帰り、昼ご飯を食べに久しぶりに高良食堂へ。ステーキとエビ700円を注文。鉄板にはステーキと小さめの海老フライが一つ、付け合わせのポテトとニンジン。刺身3切れ、タクワン、そしてフルサイズのソバとご飯。沖縄に来た当初はじぇじぇじぇ〜と思った量だが、だんだん普通に見えて来た。ぺろりと完食。
 10日ほど前に、1個250円と安かったので買っておいたスナックパイン。 熟していい香りがしてきたので、晩ご飯の後にデザートで食べた。底を包丁で切り、一粒ずつむしって食べる。寝かせ過ぎたのか、甘みもあるが酸味も強い。唇と舌が痛くなりながら、それでも美味しく食べた。

5月6日(火)

ピージャーオーラサイ。出番を待つ山羊
↑5月4日のピージャーオーラサイにて、出番を待つ山羊。

 ゴールデンウイークの後半は、路線バスのフリー乗車券を使い、連日遠出。3日は、うるま市の浜比嘉島へ。4日は本部町の多目的広場で、ピージャーオーラサイ(角をぶつけ合う山羊の闘い)見学。5日は路線バスと村営バスを乗り継いで本島最北の奥集落へ行き、奄美・鹿児島へと続く国道58号の起点を確認してきました。今日は遅まきながら沖縄の定番観光スポット・海洋公園に行き、美ら海水族館を初体験。
  毎日往復6〜8時間ほどバスに揺られていた。乗っているだけとは言え、長時間の移動は身体に堪える。それでもバスに揺られる事で、この島の大きさと地形を身体で感じる事ができた。

5月6日(火)

 フリー乗車券を使えるのも、今日が最後。昨日、一昨日に続いて今日もやんばる方面へ。沖縄観光の定番スポット、本部半島にある美ら海水族館へ行く事にする。

 今日はゆっくり目で、最寄りのバス停を9時43分に出る名護西線に乗車。酷い渋滞は無かったが、それでも終点の名護バスターミナルに着いたのは15分ほど遅れた12時過ぎだった。

→最寄りのバス停で、名護行きのバスを待つ。

バスを待つ
 美ら海水族館のある海洋博公園へ行くには名護BTから本部半島線に乗り換える。本部廻りも今帰仁廻りも本部半島を一周するのでどちらに乗車しても行けるが、距離が短いのは本部廻りのようだ。しかし、11時45分発の本部廻りが出たばかりで、次は13時20分までない。今帰仁廻りは12時25分があるので、こちらで行く事にする。バスの運転手さんに海洋博公園へ行くか確認すると、このバスは謝花経由なので、海洋博公園には停まらないので、浦崎で降りて15分ほど歩く事になるとの返事。それでも1時間以上本部廻りのバスを待つよりはいいだろう。ターミナルの売店でサンドイッチ1つと2個入りのおにぎりを買って乗車する。バスはお年寄りを中心に満席で、皆さんゴールデンウイークのフリー乗車券をお持ちのようだ。
 50分ほどで浦崎に到着。お腹が空いたので先ほど買ったサンドイッチを頬張りながら、運転手さんに教えられた方角に歩いて行く。随分と歩いたな~と思う頃に、海洋博公園の南ゲートに到着。水族館のある中央ゲートまでは、さらに歩く。とりあえず公園のベンチに座っておにぎりを食べて一休み。
植物管理センター

 食べ終わり、植物管理センターと言う施設の中で沖縄のランの写真が展示されていたので、ささっと見てくる。名瀬に住んでいた時にも思ったが、奄美・沖縄に生息する野生のランの種類の多さにビックリする。*奄美に自生するランについては、植物写真家・山下弘さんのホームページに詳しく紹介されている。

←正面の建物が、植物管理センター。

 植物管理センターを出て熱帯・亜熱帯都市緑化植物園の中を抜け、熱帯ドリームセンター、沖縄郷土村の横を通って目指す美ら海水族館に到着。連日の旅疲れもあって、南ゲートから中央ゲートまで歩くだけで結構しんどかった。
 水族館に行くと14時30分からのイルカショーの案内がスピーカーから流れて来た。あと5分ほどで始まるので、まずはこちらを見学。ショーの行われるオキちゃん劇場は野外にあり、入場券がなくても観れるようで太っ腹ですね。
イルカショー01
イルカショー02
 20分ほどのショーを見終えて、ようやく水族館へ。見学順路の案内に従って見て行く。驚いたのが、水槽がクリアな事と照明が極力反射しない様に設置されている点だ。水槽の外から撮影しているのに水中写真風にクリアに撮れる。それにしても色んな顔・形の魚がいますね。
 圧巻はやはり、巨大なジンベーザメやマンタが悠々と泳ぐ大水槽。ジンベーザメが3匹同時に姿を現わすと、迫力あります。
美ら海水族館01
美ら海水族館02
マナティー

 1時間ほど水族館の中を見てから、外にあるマナティー館とウミガメ館へ。こちらも無料で見学できる。やはり太っ腹ですね。
←マナティー。↓ウミガメ。

ウミガメ
 水族館の後に熱帯ドリームセンターを見学しようと思っていたが、総合案内所で貰った帰りのバスの時刻表とにらめっこすると、あまり長くは居られないので近くにある海洋文化館に入ることにする。名護BTから那覇行きのバスの最終は20時まであるが、余裕をみて17時16分に中央ゲート発の70番・備瀬線で帰る事にする。これだと名護BTに18時5分に到着する。
 海洋文化館に入り170円の入場券を購入。16時半からプラネタリウムが上映されると案内されるが、上映時間が30分ほどなので他の展示物を見る時間が無くなってしまうのでパスすることに。ホールには大型のカヌーや、沖縄・奄美の伝統的な漁で使われていた舟・サバニなどが展示されていた。 
  この海洋博公園は、昭和50年に沖縄で開催された沖縄国際海洋博覧会の跡地に作られた公園。そう言えば高校の頃、一つ年下の女の子が修学旅行で海洋博覧会に行き、お土産に帆船の模型を買って来てくれたのを思い出した。
海洋文化館の展示
 船の他、太平洋地域の楽器や、タトゥー(入れ墨)の紹介もある。奄美・沖縄の女性たちも、嘗てはハジチ(入れ墨)をしていた時代があった。
海洋文化館の外観
 1時間ほど館内を見てまわったが、何回か通うか、腰を据えて一日居ないと見切れないほどの展示だった。
 17時に文化館を出て中央ゲートへ。しばらく待って70番の備瀬線に乗車。この路線は本部半島の山の中を通って名護へ向かう。車窓からは、ヘゴの木がたくさん生えている山原らしい風景が眺められる。
 18時過ぎにバスターミナルに到着。那覇行きは名護西線、名護東線共に18時30分に出るが、77と書いた東線のバスが既にロータリーで待っていた。臨時便だと言う。どっちみち今日は東線で帰ろうと思っていたので、迷わず乗車。18時15分にターミナルを出て、那覇に向かった。
バスの車窓から。金武
↑バスの車窓から。キャンプ・ハンセンのある金武。

 ゴールデンウイークの最終日、渋滞もない。辺野古、金武、コザを通って那覇に入る。最寄りのバス停に着いたのは、20時40分頃だった。

*本日の出費。サンドイッチ150円、おにぎり2個セット150円、海洋文化館入場料170円、ジュース100円。

*海洋博公園・美ら海水族館のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

5月5日(月)

 朝から雨。インターネットのニュース欄に地震速報があったので、急いでテレビのスイッチを付けると東京で震度5の地震があった。
 昨年のゴールデンウイークは辺戸岬まで行ったので、今日は辺戸岬の先、沖縄本島の北の最果てにある奥集落へ行く事にする。天気予報では一日中雨なので、明日にしようかな~と多少迷うが、行ける時に行っておく事にする。

最寄りのバス停

 奥に行くには路線バスで行ける最北のバス停・辺土名で、村営バスに乗り換える。奥行きの村営バスが辺土名を出発するのが11時30分。それに間に合うように乗り継ぎを組み立てると、昨日と同じく最寄りのバス停を7時28分に出る20番の名護西線に乗車する事になった。

←最寄りのバス停。
↓名護行きのバスの車窓から。

名護行きの車窓から
村営バス

 名護BTで10時出発の67番・辺土名線に乗り換え。終点の辺土名BTで降りて村営バスを待ってもいいが、一つ手前のバス停の向かいに村営バス乗り場があるので、そちらで下車して待合所へ。奥集落では3日から今日まで、鯉のぼり祭りが開催されており、それを見ようと言う家族連れが多く待合所は満員だった。

←奥行きの村営バスと待合所。

 30分ほど待って、奥行きのバスに乗車。海岸線を走る国道58号を通り、途中途中の小さな集落に寄って辺戸岬へ。そして山の中を抜けて終点の奥に到着した。普段は2人くらいの乗客だと言うが、今日は10人ほど乗っていただろうか。 
奥行きのバスの車窓から
 バス停で降りると、目の前の奥川にたくさんの鯉のぼりが泳いでいた。雨だったのであまり期待していなかったのだが、白く煙るやんばるの森を背景に泳ぐ鯉は幻想的で美しかった。
鯉のぼり祭り
 バスは13時30分に辺土名へ引き返す。滞在できるのは1時間強だ。この後に最終となる16時の便もあるが、暴風雨の中、あまり長居もしたくない。 
集落の様子
 鯉のぼりを眺めてから、集落の中を散策。そう言えば沖縄から奄美、鹿児島へと続く国道58号の起点は奥なのだが、起点となる場所はどこだろうと思い祭り会場のスタッフの女性に尋ねると、歩いて5分ほどの所にある橋の袂が起点だと教えて下さった。遠ければ諦めたが歩いて5分なので、傘が飛ばされそうになりながらも行ってみた。
 橋の欄干の横には起点と書いた標識が立っており、その横にはモニュメントが設置されていた。 モニュメントの隣りには「国道58号0起点到達証明書」を奥共同売店にて1部100円で販売しているという案内板があったので、さっそくバス停の向かいにある共同売店で購入。レジの女性が日付と番号をボールペンで入れてくれた。 
 訪れた土地で証明書を手に入れるのは、これが2カ所目だ。もう一カ所はポルトガルを旅した時に行ったロカ岬で、ユーラシア大陸最西端の証明書を貰った。
国道58号の起点01
国道58号の起点02

←↑沖縄から奄美、鹿児島へと続く国道58号線の起点が、この橋の袂にあった。
↓共同売店で購入した「国道58号0起点到達証明書」。

↓国道58号線の起点のモニュメント。
証明書
モニュメント
 1時間はあっという間に過ぎて、帰りのバスに乗車。奥の隣りの辺戸集落で、迷彩服の上下を来たオジさんが乗って来た。カメラを持っているのを見て、カメラに詳しいか尋ねられる。撮影の事なら多少解るが、機械のことはあまり解らないと答える。オジさんは大きなバックを持っており、その中に10台ほどカメラが入っていると言う。昔から持っているが使い方がわからないので、これからカメラに詳しい知り合いに使い方を聞きに行くそうだ。そう言ってバックの中を見せてくれたが、古いフィルムカメラが無造作に押し込まれていた。カメラの話し、集落の祭祀の話し、オジさんの仕事の話しをしているうちに辺土名に到着した。 
 他の乗客の人達は名護行きの辺土名線に乗り換えたが、辺土名と言えば波止場食堂。ちょっと遅めのお昼ご飯を食べに、食堂のある漁港の方へ歩いて行く。波止場食堂には過去3回来てカツ丼を食べているが、今日はやはり名物のポーク玉子を注文。暫くしておばさんが運んで来たトレーには、大きなお皿にベーコンとソーセージがてんこ盛りになっていた。
ポーク玉子01
ポーク玉子02
 ベーコンの下には、ポーク(ランチョンミート)、卵焼き、ハンバーグ、トンカツ、煮魚、イカ、ホタテ、マカロニサラダ、 レタス、青菜の和え物が隠れていた。 
 食べきれなかった料理をプラスチック容器に詰めて、辺土名BTへ。15時30分の辺土名線で名護へ。名護から名護西線で那覇へ帰る。
  沖縄は今日、梅雨入りした那覇ハーリーの3日目、本バーリーは雨で中止になってしまった。

*本日の出費。辺土名ー奥 600円X2、国道58号「0起点」到着証明100円、ポーク玉子650円。

*本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

5月4日(日)

 今日は本部町で、瀬底島ピージャーオーラサイ保存会主催の大会が開催される。ピージャーオーラサイとは山羊が角をぶつけて戦う闘山羊。昨年までは地元の瀬底島で開催していたが、今回から本部町の多目的広場(闘牛場)に場所を移して行われる。午前11時からなので、最寄りのバス停を7時28分に出る20番の名護西線で名護バスターミナルへ。20分ほど遅れて9時44分頃に到着。

横断幕
名護バスターミナルにて
↑名護BTにて、本部廻りのバスを待つ人の列。
←本部高校入り口のバス停近くに張られた、今日の大会を知らせる横断幕。
 名護BTで、10時に出発の65番の本部半島線(本部廻り)に乗り換える。事前に問い合わせた本部観光協会の話しでは、会場の多目的広場には本部高校入口のバス停が近いという事なので下車。バス停近くの交差点にはピージャーオーラサイの開催を知らせる横断幕が張られており、ここから1.8キロ先と書いてある。えっ、1.8キロ!?とりあえず歩くしかない・・・orz。暫く歩くと道が別れている。真っ直ぐだと思うが自信がないので走って来た車に手を振って尋ねたところ、「多目的広場まで乗せてあげますよ」とありがたいお言葉。親切が身にしみる。歩くと遠いが、車だとピューンで着いた。
開会の挨拶
 会場に着いたのは、丁度開会の挨拶が始まる頃だった。1000円の入場料を払い、入場券と対戦表を貰う。券には番号が付いており、後でプレゼントが当たる抽選会があるらしい。
 挨拶は5分ほどで終わり、直ぐに最初の対戦が始まった。対戦表には19頭の山羊がエントリーしているが、1頭は欠場。第一回戦はトカラ2号vs山羊十兵衛となっていたが、金丸vs山羊十兵衛に変更となった。なんだかゆるい感じのスタートだ。
 山羊の闘い方は後ろ足で立ち上がり、相手の角をめがけて自分の角を振り下ろす。角と角とがぶつかり合う痛そうな音が聞こえてくるが、山羊たちは闘いながら尻尾を振っていたりもする。また、闘うはずが発情して相手に乗りかかって行く山羊もいる。雄同士なんだが・・・。
山羊の闘い方
↑後ろ足で立ち上がり、身体を捻りながら相手の角をめがけて”ゴチーン”と、ぶつかって行く。痛そう。
↓角を相手の身体の下にもぐり込ませ、そのまま投げ飛ばす大技も出た。
山羊の闘い方その2
↓雄同士だが、なぜか発情する山羊もいる。
客席の子供
発情した山羊
民謡ショー
 12時20分頃から30分ほどの民謡ショーを挟んで14時半まで対戦が行われた。1試合は15分ほどで、13試合。その内勝負が着いたのは最後の試合だけで、他は引き分けだった。トーナメントでもなく、順位も着かない。それでも何だか面白い。保存会の方の実況中継を聞いていると、本当にこのピージャーオーラサイを好きで楽しんでいるのが伝わってくる。
↓→民謡を聴きながら、ヤギ汁を食べて休憩。
山羊汁02
山羊汁01
リングの全景
↓後ろ足が持ち上がるほどの力で”ゴチーン”と、ぶつかって行く。最後は茶色の山羊がリングの外に押し出されて勝負が着いた。
山羊の闘い方その3
抽選会02
抽選会01
←↑ 全勝負が終了した後、トマトやスイカの当たる抽選会が行われた。たくさん用意されていたが、残念ながら当たらなかった。 ↓闘いを終えて、家路に着く山羊たち。
闘いを終えて家路につく山羊たち
 一昨年の竹富島の種子取祭で知り合って以来、時々ご一緒する町作りコーディネーターのkazuさんと今日も会場で合流したが、本部高校入り口よりもメージャフというバス停が近い事を教えてもらう。
 会場の受け付けにいらした女性にバス停への道を教えてもらい、その曲がりくねった一本道を歩くと10分ほどでバス停に着いた。
 本部半島線での帰り、名護市街に入ると国道58号が大渋滞している。名護バスターミナルに着いて、ここから那覇まで国道58号を通る20番の名護西線で帰るか、辺野古を経由する77番の東線で帰るか思案。距離自体は20番線の方が短く時間も早いはずだが、ターミナル前の58号の渋滞ぶりをみると東海岸経由の方が順調な気がする。
名護東線の車窓から
↑東線は、名護からキャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンの横を通り那覇へと向かう。

 17時5分発の名護東線に乗車。名護市街を抜けるまでに時間がかかり、辺野古辺りで道路脇の斜面を何カ所か工事していてそのための渋滞もあった。結局名護から最寄りのバス停まで3時間半ほどかかったが、果たして西線だったらどうだったろうか。

*この日のニュース映像がYou Tubeにアップされていました。こちら。 
*本日の出費。名護バスターミナルで弁当250円、ピージャーオーラサイ入場料1000円、アップルティーのペットボトル100円。

*ピージャーオーラサイの様子をPhoto Albumにしました。こちら

5月3日(土)

 ゴールデンウイーク後半の初日。今日からゴールデンウイーク・フリー乗車券が使える。色々と行きたい所はあるが、今日は与勝半島巡りにした。
 ちょうど一ヵ月前に、サングヮーチャーを見に平安座島に来ているので、今回はその先にある浜比嘉島、宮城島、伊計島を散策しようと思っていた。
 最寄りのバス停を7時52分に出る27番・屋慶名線で終点の一つ手前のJA屋慶名前まで。9時半過ぎに到着し、直ぐ近くにある平安座総合開発が運行する伊計島行きのバスに乗り換える。この路線はフリー乗車券が使えないが、しょうがない。
 10時に出発したバスで浜比嘉島へ。平安座島から浜比嘉大橋を渡り右手が浜集落、左手が比嘉集落になる。

浜比嘉島の入口
 浜比嘉島には浜漁港前と比嘉漁港前、一日2本だけだが兼久漁港前に停車する。一番最初に停車した浜漁港前で降りて、まずは浜集落を散策。集落の中を歩いていると公民館の横に地頭代火ぬ神(じとうでーひぬかん)を見つけた。そこから暫く歩くとシヌグ堂の案内標識。標識に従って歩くと、少し山の方に入った所に祠と立派なガジュマルの樹があった。ガジュマルの奥には階段があり、上った所にはお墓らしきものが。
地頭代火ぬ神01
地頭代火ぬ神02

←↑立身出世の神様を祀る地頭代火ぬ神(じとうでーひぬかん)。
↓東(アガリ)の御嶽(ウタキ)と呼ばれるシヌグ堂。立派なガジュマルの樹の横に、小さな祠がある。

シヌグ堂
 バスが走る海岸線道路に出て、浜比嘉大橋の方に歩くとヤマトゥンチュー墓があった。元々は浜の砂丘にあったそうだが、海岸線道路の建設に伴い今の場所に移設されたらしい。
 道路を比嘉集落の方に歩いて行く。集落に入る手前にハマガーがあった。うるま市教育委員会の解説には「このカーは、字比嘉のウブガーで、正月元旦の若水をくむ井泉です」と書かれている。
 ハマガーの近くにノロ墓と書いた標示板を見つけた。ノロ墓の横には鍾乳洞があり、入口には厨子瓶が一つ置いてあった。
ヤマトゥンチューの墓

←ヤマトゥンチュー墓。

→正月の若水を汲んだと言う、ハマガー。

↓ノロ墓。右側に鍾乳洞があった。

ハマガー
ノロ墓
 ノロ墓から集落の中を少し歩き、アマミチューの墓へ。それから標識にしたがいシルミチュー霊場へ。こちらは比嘉漁港から1キロほど離れた兼久漁港の方にある。
↓→比嘉漁港の傍にあるアマミチューの墓。
アマミチューの墓02
アマミチューの墓01
 シルミチュー霊場の手前に大きな看板があり「観光の方はガーデン茶屋で環境エコチケットを購入して下さい」と書かれている。シルミチューの保全のためのチケットだろうかと思い受け付けに行くと、シルミチュー霊場そのものとは関係なく、隣接するシーサイドガーデンの入場料だった。こちらにはミルク門、シルミチューガー、展望台などがあり、当主が色々と説明をしてくれる。が、ネットで検索してもミルク門もシルミチューガーもここを訪れた観光客のブログと施設の紹介ページにしか出て来ないので、遺跡として正式に認められたものではないように思う。

 グランドゴルフの施設や手作りの展望台、展望台の下の崖には防空壕があり、その横には唐突に村獅子(石獅子)が飾られている。遺跡を尋ねるというより、秘宝館に行ったような感じだろうか。

↓→シーサイドガーデンにて。左は展望台からの眺め。兼久漁港が見える。中央は村獅子。右はミルク門。斜めに切り立った岩が、斎場御嶽(せーふぁうたき)を連想させないでもないが・・・。

ミルク門
展望台からの眺め
村獅子
 シーサイドガーデンを一旦出てシルミチュー霊場を見学してから、また戻って来た。最初に購入した300円のエコチケットで、飲み物やかき氷と交換できるのでイチゴのかき氷をもらった。かき氷は大きくて300円の価値は充分にあると思うが、エコチケットという名称が紛らわしいですね。
↓→鳥居を潜り階段を上った先にシルミチュー霊場がある。
シルミチュー02
シルミチュー01
かき氷
 浜比嘉島から伊計島方面に行くバスは2時間に1本で、次は1キロほど歩いて戻る比嘉漁港前から14時19分。のんびりかき氷を食べていたら、間に合いそうにないので諦める。その次のバスは兼久漁港にも来るので暫く海岸をウロウロしていたが、次のバスで伊計島に行っても帰りのバスまで2時間ほどしかない。伊計島は日を改めて来る事にして、今日は早めに家に帰る事にする。
 兼久漁港から比嘉漁港、浜漁港へと歩いて戻る。
 帰りのバスは浜漁港前から17時27分に出る。少し時間があるので、商店で揚げたての天ブラを購入。もずく、イカ、魚が2個ずつで350円。食べながらバスを待った。
キングタコス

 時間通りに来たバスで、浜漁港前から屋慶名農協前へ。27番の屋慶名線に乗り換える間に、近くにあったコンビニで美ら海水族館の前売りチケットを購入。沖縄に来てそろそろ2年だが、この定番の観光スポットにまだ行っていないので、ゴールデンウイーク中に訪れようと思っている。

←JA屋慶名前のバス停横にあるキングタコス。

  27番の屋慶名線を待っていたら、那覇行きと書いた52番の与勝線がやって来た。運転手に尋ねると、最寄りのバス停まで同じ位の時間だと言うのでそのまま乗車。20時近くに家に着いた。
アマミキヨ(アマミチュー)。
*「浜比嘉島における神話の世界 加藤 悠」。
*「沖縄人は、九州→奄美→久高島へと移住 桑原正則

*本日の出費。屋慶名農協前ー浜漁港 200円X2、ドリンク付きエコチケット300円、お賽銭30円、天ぷらミックス350円、美ら海水族館前売りチケット1660円。

*浜比嘉島のスナップをPhoto Aibumにしました。こちら

5月1日(木)

 朝から小雨が降ったり止んだり。那覇の今日の最高気温は23℃、東京は25℃。これから夏にかけて沖縄と関東の最高気温が逆転する日も増えてくる。奄美・沖縄で35℃を越える猛暑日はあまりない。さすがに陽射しは強いが、風さえ通れば快適に過ごせる。
 午後からパレットくもじ6階にある市民ギャラリーで「とわの海へ〜沖縄、辺野古・大浦湾〜/牧志 治写真展」を見てくる。

パレットくもじイベント広場
山川まゆみさん
↑大きなテントが設営されたパレットくもじ前広場。
前川守賢さん
 写真展の帰り、1階のイベント広場に寄るとRBCのラジオ番組の生中継をやっていた。今日は一日、この広場で生中継をするようだ。
 ちょうど「民謡で今日拝なびら」という番組が始まったので、山川まゆみさんの「ユイユイ」と、前川守賢さんの「かなさんどー」を聴いて行く。
 ユイユイ ユイマール♪今日、初めて正式な曲名を知りました。それにしても、曲も歌い手も明るいな〜。
 さて、5月がスタートした。

4月へ