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祭りの色彩に思いをはせて  タビノイロドリ
カメラ館 フクチアンの日記
ミュゼふくおかカメラ館「とやま、祭り彩時季」へ とやまおでかけ日記

2月27日(土)

 昨日、国税還付金振込通知書が届いてホッとした。
 今日は旧暦の1月16日。沖縄では十六日祭(ジュールクニチー)と呼ばれ、あの世のお正月とされている。特に宮古や八重山といった先島諸島が盛んで、一族がお墓の前に集まりご馳走を詰めたお重を広げて祖先と共食して偲ぶ。
 料理にお酒、時に三線を抱えて歌も始まることから「墓場のピクニック」と言われることもある。
 巨大な門中墓が並ぶ与那国島でも盛大に行われると聞いて撮影に行きたかったが、時間もお金もないので思案していたら、那覇市の三重城に離島出身者が集まり、それぞれの島の方へ向かい遥拝するというので撮影に行った。三重城はもともと16世紀後半に、倭寇からの防衛のために造られたもので、那覇港の近くにある。
 お昼過ぎに行くと、お重を包んだ風呂敷を手にした人が広場を行き来していた。それぞれが自分たちの故郷の島に向かって料理をお供えし、ウコー(お線香)を焚き、ご先祖さまがあの世でお金に困らないようウチカビ(あの世のお金)を燃やす。
 料理を食べながら、もっとゆっくり過ごすのかと思っていたが、わりと直ぐに帰られる。次々に人が訪れるのでゆっくりもしてられないのだろう。
 沖縄の旧暦の正月行事は、この後1月20日の二十日正月(ハチカソーグヮチ)で終了する。

↓那覇市の三重城で行われている十六日祭。レジャーシートを広げて、家族でご馳走を食べているので、知らないとピクニックだと思うかもしれない。

十六日祭01
→生まれ島に向かって遥拝する家族。
十六日祭03
十六日祭02
↑黒いのは沖縄のお線香、ヒラウコー。手前の木の箱は沖縄の携帯用御願セット、ビンシー。お米や塩、盃などを入れて持ち運ぶ。
 Photo Diaryを更新。
*2010年7月7日のPhoto Diaryはこちら。(晩ご飯に作ったゴーヤチャンプルー)
*2010年7月8日のPhoto Diaryはこちら。(部屋から撮影した曇り空の名瀬港とホームページ作成画面)
*2010年7月9日のPhoto Diaryはこちら。(物干しハンガー越しの名瀬港と晩ご飯の蕎麦)
*2010年7月10日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸と猫)
*2010年7月11日のPhoto Diaryはこちら
マングローブパーク
↑11日は自転車で片道約2時間半かけて、住用町のマングローブパークへ。途中、和瀬漁港で一休み。写真はマングローブ原生林。国道58号沿いから撮影。
*2010年7月12日のPhoto Diaryはこちら。(アマゾンで購入したiPod用のスピーカーが届く)
*2010年7月13日のPhoto Diaryはこちら
7月13日のスナップ
↑13日は買い物がてら名瀬の街中を散歩。前から気になっていた、奄美小学校近くのたこ焼き屋さんで、15個250円のたこ焼きを買う。
*2010年7月14日のPhoto Diaryはこちら。(キッチンの換気扇の蓋が落ちてきた。朝仁海岸と舟こぎの練習)
*2010年7月15日のPhoto Diaryはこちら。(イトメンのチャンポンめん)
*2010年7月16日のPhoto Diaryはこちら
7月16日のスナップ。あかさき公園展望塔からの景色
↑キッチンの換気扇の蓋が新しく付け替えられた。住んでいるビルの裏にある、あかさき公園へ行ってみる。急勾配の山を写真を撮りながら40分ほどハイキング。公園の端には展望塔があり、そこでペルーから来日した青年に出会った。写真は展望塔からで、小宿沖を航行するフェリー。

 東北新社は総務省幹部への接待問題で、二宮社長が引責辞任、菅首相の長男を懲戒処分として人事部付けに更迭したと発表したが、今回の問題は辞任や更迭で済む話しではなく贈収賄事件として立件されるべき案件だろう。
 昨日、首相官邸で記者団からのぶら下がり取材に応じた菅首相が、「同じような質問ばっかり」と苛立ちながら答える場面があった。テレビの生中継を見ていたが、同じ質問が繰り返されるのは、自分が答えになっていない答えを繰り返すからだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
栃木の山火事、消火活動を再開 発生7日目、風強まる予報も
最後の核燃料6体を容器に収納 福島第一原発3号機プールからの核燃料取り出し終了へ
東電、原発賠償額が10兆円超へ 避難の慰謝料、営業損害で

2月25日(木)

 昨日、孔子を祀る那覇市の松山公園内にある久米至聖廟について、那覇市がその土地を無償提供しているのは政教分離原則に違反していると最高裁が判断した。
 この至聖廟が久米に移された時、那覇に住んでいた。久米に移る前は波上宮の横、若狭にある天尊廟と同じ敷地にあった。
 もともと至聖廟は中国から琉球に帰化した久米三十六姓と呼ばれる職能集団によって作られた久米村にあったが、1944年の10・10空襲で焼失し、天尊廟と一緒の敷地に再建されていた。だから、2013年6月に建立された現在の至聖廟は、本来あった場所に戻ったわけだ。
 ちなみに至聖廟の隣りには、那覇市と姉妹都市になっている中国・福州市との友好都市10周年を記念して1992年に造られた福州園がある。

 至聖廟は久米三十六姓の末裔らによって設立された久米崇聖会によって管理運営されているそうだ。土地の権利の移り変わりがわからないので、那覇市が土地を無償提供していることの是非は判断が難しいが、そもそも儒教が宗教なのかという疑問もある。
 個人的には日本の神道や琉球神道は宗教というより、元々は素朴な信仰だと思っている。儒教について詳しくないが、宗教というより道徳に近いのではないかとも思う。

至聖廟01
至聖廟02

←↑那覇市が土地を無償提供しているのは違憲と判断された、久米にある至聖廟。建立当時の琉球新報の記事「五本爪の龍描き 孔子廟、松山公園に完成」。

 今後の裁判の行方は分からないが、これを機会に沖縄の、琉球の歴史に興味を持つ人が増えればいいと思っている。

 菅首相の長男が勤務する放送事業会社「東北新社」による総務省幹部らへの接待問題で、接待を受けた幹部が「(相手が)利害関係者という認識がなかった」と釈明したそうだが、幹部ともあろう者が利害関係者かどうかの区別すらできないのは、接待を受けていた事実と同じくらい問題だろう。
 米軍のヘリが新宿駅周辺の上空を低空飛行しているのが最近問題になっているようだが、沖縄ではずっとそれが続いている。

 この他の気になった記事を備忘録として。
故人8千人の名が署名簿に 資料流用?愛知リコール問題
エアアジア・ジャパンが破産 新型コロナで国内航空初
コロナ禍で全国初…天神のライブハウスが破産申請へ

 Photo Diaryを更新。
*2010年6月27日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港の夜景と月)
*2010年6月28日のPhoto Diaryはこちら。(大島紬の古布)
*2010年6月29日のPhoto Diaryはこちら。(豚味噌とスイカと対岸のホテル・カリフォルニア)
*2010年6月30日のPhoto Diaryはこちら
6月30日のスナップ。朝に海岸での舟こぎの練習
↑30日は夕方から自転車で10分ほどの朝仁海岸へ。奄美まつりのメイン・イベントの舟こぎの練習を初めて見た。
*2010年7月1日のPhoto Diaryはこちら。(docomoのwifi端末と契約。契約特典のノートPCなどを貰う)
*2010年7月2日のPhoto Diaryはこちら。(ヤマダ電気の前からの夕景とボンタンアメ)
*2010年7月3日のPhoto Diaryはこちら
7月3日のスナップ
↑3日は、奄美大島に来てから初めての自転車での遠征。龍郷湾まで行って帰って来た。帰りに中勝の島とうふ屋さんの前で、親猫とはぐれた子猫を発見。無事、親猫のもとに届ける。せっかくなので島とうふ屋さんで、お惣菜を買って帰る。
*2010年7月4日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬中心部の公園や野良猫のスナップ)
*2010年7月5日のPhoto Diaryはこちら
7月5日のスナップ。大浜海浜公園
↑5日は、大浜海浜公園へ。6月24日にも一度自転車で目指したが、途中の山の上りがキツくて断念した。やはり自転車を漕いで上るのは大変なので、途中は自転車を押して上がった。山の上から海岸まで下る時は、逆に爽快。
*2010年7月6日のPhoto Diaryはこちら。(ときおり激しいスコールが降る中、名瀬の街中をスナップ)

2月22日(月)

 今朝の北日本新聞に、県内でスギ花粉の飛散が始まったという記事が載っていた。この3日ほど暖かい日が続いたので、例年より飛散が早まったようだ。
 今日の高岡の最高気温は19℃を超えたようだ。花粉の飛散は始まったがまだ量は少ないようなので、午後からサイクリングに出かけたが、風が強かったので30分ほどで戻ってきた。

 大坂なおみ選手が一昨日、全豪オープンで2度目の優勝を果たした。
 東電は福島第一の3号機に設置していた地震計2台が故障していたにもかかわらず、修理せずに半年以上放置していたことが先日起きた地震で判明した。原発事故からもうすぐ10年だが、東電の企業体質は相変わらずだな。

 この他の気になった記事を備忘録として。
菅首相長男の接待参加者は計13人 今の内閣広報官も 総務省、24日にも11人を処分へ
菅首相長男側の接待、山田真貴子広報官に7万円超 総務審議官時
エルメスや高級和牛に政治活動費 閣僚4人、誰に贈った
原子炉格納容器の水位30センチ以上低下 福島第一原発1、3号機で 震度6弱の地震の影響か
コロナで借金2億円「文化を残したい」 老舗ライブハウス「ロフト」社長が描く「未来と覚悟」

 Photo Diaryを更新。
*2010年6月17日のPhoto Diaryはこちら。(不動産屋をまわって部屋探し)
*2010年6月18日のPhoto Diaryはこちら。(ホテルでランチ。鶏飯と天ぷら、刺身などの豪華な定食1500円)
*2010年6月19日のPhoto Diaryはこちら。(部屋を決めて入居。ニシムタで折り畳み自転車を買う。)
*2010年6月20日のPhoto Diaryはこちら。(部屋の窓から眺める名瀬港)
*2010年6月21日のPhoto Diaryはこちら。(奄美のヤマダ電機とベスト電器で買った家電が届く)
*2010年6月22日のPhoto Diaryはこちら。(docomoでwifi端末を借りてインターネット接続)
*2010年6月23日のPhoto Diaryはこちら。(初めてのパッションフルーツ)
*2010年6月24日のPhoto Diaryはこちら
6月24日のスナップ
↑24日は小宿漁港や朝仁海岸を自転車でぶらぶらした後、名瀬の中心街を撮影散歩。歩いていると家の外を掃除していたおばさんに声をかけられ、月下美人を一本いただく。写真は散歩の途中に撮影した、道路脇の花壇に植えられていた花。名前もわからないが、その色彩に驚いてシャッターを押した。見るもの全てが新鮮だった。
*2010年6月25日のPhoto Diaryはこちら
6月25日のスナップ。月下美人。
↑25日は富山からの荷物が届いた。前日にもらった月下美人の花が、夜になって開花した。
*2010年6月26日のPhoto Diaryはこちら。(海の見える窓際にパソコン・デスクをセット。快適)

2月19日(金)

 昨日、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の新会長に橋本聖子氏が選出された。その同じ日に、彼女のスキャンダルを擁護するつもりだったのだろうが、自民党の竹下亘氏が「スケート界で男みたいな性格なので、ハグなんて当たり前だ。セクハラと言うのはかわいそうだ」と記者団に語ったそうだ。結果、火に油を注いだようだ。
 また、竹下氏は同じ日に島根県の丸山知事が県内の東京五輪聖火リレーを中止する意向を示したことに対して、「知事の発言は不用意だ。注意しようと思っています」と述べ、SNSを中心に竹下氏への反発が広がっている
 ところで、かなり昔になるが永田町の議員会館で橋本聖子さんの撮影をしたことがある。撮影が終わって帰る際、またいらして下さいとは言われたが、当たり前だがハグをされることはなかった。

 この他の気になった記事を備忘録として。
協議わずか4時間…9人の候補者は非公表…透明性なく決定経緯も結局「密室」 橋本新会長を選んだ五輪組織委
忖度、虚偽答弁、再び?…菅首相長男接待問題に重なる「モリカケ」「桜」
別の変異株ウイルスを確認 由来は不明 国立感染研が報告
愛知リコール署名「代筆の人集めを受注」 広告会社幹部
国の責任認める 福島第一原発事故の避難者訴訟で東京高裁判決

斉藤由貴

 今朝、ヤフーのトップニュースにデビュー35周年を迎え、1stシングル「卒業」から10thシングル「さよなら」までをリアレンジで収録したアルバムを21日にリリースする斉藤由貴のインタビューがUPされていた。
 インタビューの中でプロデューサーの武部聡志さんが「由貴ちゃんのボーカルは究極の不安定だよね」と言ったという話が載っていて、上手い表現だと納得した(笑)。
 写真は1994年、確かポニーキャニオンの会議室で撮影した。窓から柔らかい光が入っていたので、ライティングはせずそのまま。レンズは多分、ミノルタの85mm、F1.4かな。 
 wikiで確認すると、1966年生まれで現在54歳。もっと年下かと思っていた。そしてこの撮影をした年に、彼女は結婚しているそうだ。
 自分の中でのアイドルは南沙織、アグネス・ラムの時代で終わっているが、それでも斉藤由貴あたりまではアイドル然としていて、テレビの中の人という近寄りがたさが残っていた。

 You Tubeから究極の不安定と称された歌唱「卒業/斉藤由貴」。

 Photo Diaryを更新。
*2010年6月14日のPhoto Diaryはこちら
桜島の持木集落
↑14日は市役所に祖父の戸籍謄本を貰いに行った。すると町名の改定があり、祖父の本籍として記されている番地は野尻から持木という町名に変わったことがわかった。再び桜島へ行き、野尻の一つ先の持木というバス停で降りて祖父の実家の跡を探す。親切な方々に助けられて、場所がわかったが既にそこは雑木林になっていた。写真の中央左側の家の右側の木の茂みのある場所に、祖父の家があったようだ。
*2010年6月15日〜16日のPhoto Diaryはこちら
鹿児島港から名瀬港まで乗船したフェリー

↑15日の夕方、17時30分出航のフェリーで奄美大島の名瀬港に向かう。16日の朝6時頃に喜界島に寄港すると、たくさんの中学生が乗船して来た。そして8時半に、目的地の名瀬港に到着。写真は鹿児島港から名瀬港まで乗船したフェリー「きかい」。さっそく市役所や不動産屋をまわって住む場所を探し始める。奄美大島で唯一顔見知りだった唄者の築地俊造さんを訪ね、築地さんに予約していたホテル「カリフォルニア」へ車で送ってもらった。

 さて、いよいよ次からは奄美大島でのPhoto Diaryが始まる。

2月17日(水)

 土・日曜は春のような陽気で田んぼに積もっていた雪もほとんど溶けたのに、昨日の夜からまた強い冬型の気圧配置となり高岡の平野部でも43センチの積雪だという。
今日の積雪

 県内のほとんどの地域に大雪警報が発令されている。
 この大雪に伴い、富山市の小中学校は明日臨時休校になるようだ。また県立高校や支援学校のいくつかも臨時休校になる。
  春に向かって一歩進んで二歩下がった感じだろうか。

←今日のお昼過ぎ。吹雪になっていた。昨日は田んぼの雪がほとんど溶けていたのに、また雪で覆われてしまった。

ボビー・バードとヴィッキー・アンダーソンのポートレート

 上の写真はジェームス・ブラウンの盟友、ボビー・バードと、妻のヴィッキー・アンダーソン。音楽雑誌の仕事で、1988年4月12日に撮影している。
 ホテルでのライターさんのインタヴューの後、近くの青山公園に連れ出して撮影。彼らが抱きかかえているのは、たまたま公園で遊んでいた子供で、お母さんの了承を得て一緒に撮った。
 ボビー・バードの名前は知らなくてもジェームス・ブラウンの代表曲「Get Up セックス・マシーン」でJ.Bが「ゲロンパ(Get up)」とコールすると、隣りで「ゲロンラ(Get on up)とレスポンスしているのが彼だ。また、ヴィキー・アンダーソンもボーカリストとしてJ.Bファミリーに加わっている。
 この撮影をした当時、ロンドンのクラブでジェームス・ブラウンや彼のファミリーを再評価する動きがあり、日本へもクラブでのギグのために来日した。
 仕事の撮影はポートレートだけだが、この後、たしか西麻布のクラブで行われた、彼らのギグも撮影させてもらった。

 ボビー・バードを撮影した4年後の1992年5月には、J.B'sのライヴを撮影し、ドラムのメルヴィン・パーカーとジョン”ジャボ”スタークスのポートレートも撮影している。
 ジェームス・ブラウンの周辺はこれだけ撮影できたが、御大は撮影できないまま2006年12月25日に亡くなってしまった。
 そして、ボビー・バードも2007年9月12日に亡くなっている。カーリーン・アンダーソンは、彼らの娘だそうだ。
 You Tubeから「JAMES BROWN/Sex machine」。

↓→クラブでのボビー・バードとヴィッキー・アンダーソン。
クラブでのヴィッキー・アンダーソン
クラブでのボビー・バード
 Photo Diaryを更新。
*2010年6月11日のPhoto Diaryはこちら
島原鉄道の大三東駅
↑11日は長崎から熊本へ。シーサイドライナーで諫早まで行き、諫早から島原鉄道に乗り換えて島原外港へ。島原港からフェリーで熊本港へ行き、連絡バスで熊本駅に。写真は島原鉄道の大三東駅。気になって電車の窓から撮ったが、今ネットで調べてみると海の見える駅として有名なようだ。
*2010年6月12日のPhoto Diaryはこちら
熊本の創業1960年の食堂
↑12日は熊本から鹿児島へ。梅雨に向かって進む旅で、これまでずっと晴れていたのが不思議だが、鹿児島に着いたら土砂降りの雨。梅雨との遭遇だった。写真は熊本で見つけた創業1960年という、同い年の食堂。ここでお昼ご飯に、500円の冷やしそうめんを食べた。
*2010年6月13日のPhoto Diaryはこちら
桜島の野尻集落
↑13日は桜島の野尻という集落へ。野尻は亡くなった父方の祖父の生まれ故郷で、戦争で出てから一度も帰ることはなかったらしい。家族の誰も今まで来たことがなく、奄美大島に行くなら寄ってみてはどうかと言われて足を運んだ。一時間もあればまわれそうな小さな集落を、祖父の家があった場所を探して3時間ほど散策した。

 新型コロナウイルスの感染対策として行われるワクチン接種の、先行接種が医療従事者を対象に今日から始まった

2月15日(月)

 東日本大震災から後ひと月ほどで10年が経とうとしていた一昨日の夜、福島県沖を震源とする東日本大震災の余震とみられるマグニチュード7.1の地震が起こった。最大震度は6強だったが、震源が深かったため津波の被害はなかった。富山も震度2を記録したそうだが、発生した23時10分は寝ていて気付かなかった。
 Photo Diaryを更新。
*2010年6月8日のPhoto Diaryはこちら
門司区でのスナップ
↑8日は下関から高速船で門司港へ。僅か5分ほどで山口県から北九州に。勝手に荒々しい港町を想像していたら、綺麗に復元された洋館が建ち並んでいた。門司区を散策後、下関に戻り福岡県の博多へ移動。中洲から天神と歩いて、港の方へ。晩御飯は長浜ラーメン。写真は門司区でのスナップ。
*2010年6月9日のPhoto Diaryはこちら
石橋がいくつも架けられている中島川にて
↑9日は朝に中洲を少し散歩してから、高速バスで長崎に移動。趣のある石橋がいくつも架かっている中島川を撮影して歩く。晩御飯は特製ちゃんぽん。写真は中島川にて。
*2010年6月10日のPhoto Diaryはこちら
グラバー園にて
↑10日は路面電車の一日乗車券を購入して、市内観光。晩御飯は中華街にあるチャンポン専門店で、皿うどん。写真はグラバー園にて。

2月13日(土)

 高岡の最高気温は18℃、春のような陽気だった。家にいるより、外の方が暖かい。午後からミュゼふくおかカメラ館へ、明日まで開催中の「第67回ニッコールフォトコンテスト写真展」を見に行く。
 写真展の帰り、小矢部川の土手を少し自転車で走る。山の杉が赤茶けている。そろそろ花粉の飛ぶ季節だ。花粉症になる前は、春は好きな季節だったのに。

 昨日、チック・コリアが今月9日に亡くなったことが発表された。
 チック・コリアの「スペイン」は、彼が率いていたリターン・トゥ・フォーエヴァーの1972年に発売されたアルバム『ライト・アズ・ア・フェザー』に収録されているのを聴いたのが最初で、発売から少し経った高校2年生くらいの時だったろうか。まだフュージョンという言葉は馴染みがなくて、クロスオーバーと呼んでいたと思う。
 チック・コリアを熱心に聴いていたのは高校生から20代半ばまでだが、最近はYou Tubeでチック・コリアの「スペイン」を国内外の様々なミュージシャンが演奏している動画を聴いたりしている。もちろんチック・コリア自身のライブも。
 一時よく聴いていたのはパコ・デ・ルシア、アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリンのギタリスト3人による「スペイン」だ。それでも最後は、アルバム『ライト・アズ・ア・フェザー』に収録されている「スペイン」に戻って行く。
  アルバムに収録されている「スペイン」はチック・コリアがフェンダーのローズ・ピアノで弾くロドリーゴの「アランフェス協奏曲」でゆったりと始まり、そこから少しアップテンポな本編へと進む9分を越える大作。フラメンコ風の掛け声や手拍子も入るが、リズムはどちらかと言えば中南米音楽のそれだ。 スペインにこんなリズムの音楽はあっただろうか?と思うが、聴くとそこはかとなくスペインらしく感じるのが不思議だ。
 ジョー・ファレルのスリリングなフルートを始め、緊張感溢れる演奏が心地よい。そして、チック・コリアの奏でるフェンダー・ローズの音が、あの頃を思い出させる。
 You Tubeから「 Spain/Chick Corea」。

スペインの闘牛
↑写真は1986年に撮影した、マドリッドの闘牛場。スタンリー・クラークのベース、アイアート・モレイラのドラム、チック・コリアのローズ・ピアノ、ジョー・ファレルのフルートが絡み合いながら進んで行く緊張感が、一度しか観たことはないスペインの闘牛となぜか重なり合う。
 Photo Diaryを更新。
*2010年6月5日のPhoto Diaryはこちら
尾道の猫
↑5日は尾道駅近くで自転車を借り、フェリーで対岸の向島へ。しまなみ海道を少し走ってから、尾道に戻る。また猫を探しながら坂道を散歩。本当は尾道でもう一泊したかったが宿が取れなくて、福山へ移動。宿は福山城の向かいだった。
*2010年6月6日のPhoto Diaryはこちら
宮島の厳島神社
↑6日は博物館となっている福山城の天守閣から街並みを眺め、駅の周辺を少し散歩してから広島へ。ホテルにチェックインする前に、宮島の厳島神社へ。夜はライトアップされた原爆ドームを見に行った。
*2010年6月7日のPhoto Diaryはこちら
下関
↑7日は平和記念公園、原爆ドームを散策した後、山口県の下関へ移動。ホテルにチェックインした後。港の方を歩くが、途中で小雨が降り出して来た。写真は薄墨色の空の下、関門橋をくぐる貨物船。

 昨年の10月6日に撮影した赤丸の浅井神社の写真をPhoto Albumにしました。こちら

浅井神社の杉並木

↑高岡市の天然記念物に指定されている、浅井神社の杉並木。

2月11日(木)

 風はなく、日差しがあって少し暖かかったので、電子ドラムの練習はやめて1時間ほどサイクリング。小矢部川の土手は少し飽きたので、あまり車の来ない農道をタラタラと走って来た。
 建国記念日で祝日の今日は、旧暦の12月30日。旧暦に31日は無いので今日が大晦日(とぅしぬゆる)になる。例年だと沖縄の粟国島では夕方から元旦の未明にかけて、マースヤー (塩売り)が行われる。字ごとに塩売りが一軒一軒家を訪ね「ここの家の方が入っておいでとおっしゃったので入ってまいりました。これは火の神の塩、これは子や孫の塩、これはおじいさん・おばあさんの塩です」と口上を述べて、玄関に用意されたお盆の上に塩を置いていく。塩売りの口上が終わると子供たちが踊りを披露し、次の家へと移動する。塩売りはまれびとであり、来訪神だろう。
 未明まで続くので子供たちは大変だが、途中、振舞われた年越しの沖縄そばを食べながら踊って歩く。そんな楽しい粟国島のマースヤー だが、今年は新型コロナの影響で中止のようだ。また、旧正月に神事が行われる久高島でも今年は来島の自粛要請が行われている。

 生誕70年、音楽生活50年という近田春夫さんの『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトル・モア)が、先月の28日に発売されたそうだ。
 近田さんの名前を初めて知ったのは、ジューシー・フルーツの作詞や作曲者としてだろうか。その時から既に40年が経っている。個人的に一番聴いたり見たりしていたのは、1990年前後のビブラストーンの頃だ。ヒップホップはあまり聴かないが、ビブラの『ENTROPY PRODUCTIONS』は、今でも時々聴いている。
 You Tubeから「調子悪くてあたりまえ! ビブラストーン」。

↓→1989年3月に撮影した近田春夫&ビブラストーン。
近田春夫02
近田春夫01

 一生懸命部屋に籠ってPhoto Diaryの現像をしている。

*2010年6月2日のPhoto Diaryはこちら

大阪・京橋の居酒屋とよ
↑2日は大阪。お昼は鶴橋へ焼肉を食べに行く。鶴橋から難波へ出て、道頓堀、法善寺横丁、道具屋筋を観光。難波から梅田に出て、京橋の屋台居酒屋「とよ」へ。17時半に着いた時点で、30分待ちだった。
*2010年6月3日のPhoto Diaryはこちら
神戸の異人館地区
↑3日は大阪から神戸へ移動。地図を頼りに異人館地区、元町、南京町(中華街)、メリケンパークを歩く。写真は異人館地区。晩御飯は中華街でフカヒレ麺のほか、11品が付いた飲茶セット880円。
*2010年6月4日のPhoto Diaryはこちら
尾道のロープーウェイ
↑4日は神戸から広島県の尾道へ。尾道は2回目だが、1回目は広島に取材撮影で来た時に少し寄っただけなので、初めてと変わりない。写真は千光寺山ロープウェイ。猫を探しながら、写真を撮りながら坂道を歩いた。

 那覇市前島にあるスーパーの駐車場に、6階建てのビルの壁面が崩れて赤レンガタイルが落ちて来たというニュースが流れて来た。前島のスーパーなら、ユニオンだろうか。那覇に住んでいた時は、よく前島のユニオンに買い物に行っていた。幸いケガ人はいないようだ。
 オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言を巡り辞任の意向を固め、元サッカー協会会長の川淵三郎氏に後任を要請したそうだ。森氏の辞任には驚かないが、まだ東京五輪を開催しようと思っていることに驚いた。そもそも新型コロナがなくても、暑さ対策や会場となるお台場の水質問題で開催が危ぶまれていた。これらの問題も解決していないまま、この夏に東京五輪など正気の沙汰とは思えない。
 おちょやん役の杉咲花が、回を重ねるごとに野沢直子とオーバーラップしてくる。 とと姉ちゃんの頃は思ってもみなかったんだが、なんだか似ている。

2月8日(月)

 この2〜3日暖かい日が続いて季節が少し進んだ感じがしたが、今日は雪の降る寒い一日でまた季節が戻ってしまった。
 昼ご飯の後、少し晴れ間があったので郵便局へ行き先日作成した確定申告の書類を郵送した。郵便局からの帰り、近所のドラッグストアーで、目薬を購入。目薬を買うのは多分初めてで、目薬をさすのも初めてか、何十年ぶりかだ。自分の体の中に何かを取り込むことがあまり好きではなくて、薬もあまり飲まない。目の中に液体を直接さすことがちょっと不安で使ってこなかったが、これから花粉症の季節だしパソコン画面と睨めっこの生活が続いて目が疲れているのも確かなので買ってみた。
目薬と雪景色
↑今日買った防腐剤無添加と書いてあった目薬と、吹雪いている外。ちょっと積もりそうな降り方だ。

 一昨日から2010年〜2014年の富山から奄美大島、奄美大島から沖縄、沖縄から富山の旅の写真を現像し直している。もちろん写真データはその都度RAW現像していたが、当時は毎日のように撮影しており、撮影したものについて調べたり文章にしたりと時間に追われていた。富山に帰って来てからも2016年までは琉球弧のフォトブックを作成したり、写真展の準備と開催で忙しかった。2016年からは、今度は富山の祭りと年中行事を追いかける日々だった。
 2010年〜2014年の写真をもう一度丁寧に見直して再現像したくなった。写真のハイライトやシャドーの表現も、時とともに好みが変わってくる。そういうわけで、旅を始めた2010年5月30日から始めた。現像しながら、案外撮影したものや撮影した状況を覚えているものなんだな〜と感心している。

*2010年5月30日のPhoto Diaryはこちら

2010年5月30日の写真(京都)
↑5月30日は富山から京都へ。何十年ぶりかで降りた京都駅の変貌に驚いた。京都駅に着いたらブラスバンドのコンクールが行われていた。錦市場、河原町、八坂神社、円山公園、八坂の塔、清水寺、茶わん坂などを歩いた。
*2010年5月31日のPhoto Diaryはこちら
2010年5月31日の写真(京都)
↑31日はイノダ本店でコーヒーを飲んだ後、京極、先斗町、鴨川の河原を歩いた後、西陣へ。写真は京極かな?
*2010年6月1日のPhoto Diaryはこちら
2010年6月1日の写真(大阪)
↑6月1日は金閣寺を見学した後、大阪に移動。大阪では西成(ドヤ街)の安宿に泊まる。通天閣とつぼらやの提灯とビリケンさんという、コテコテの大阪風景。
 昨年の5月13日に撮影した氷見市中田にある道神社の写真をPhoto Albumにしました。こちら
氷見市中田の道神社の写真
↑道神社の拝殿。元は石動山天平寺の開山堂だった建物を、中田村が道神社の拝殿として購入した。屋根は杮葺き。

2月5日(金)

 午前中は1階の居間で確定申告の書類の作成。仕上がったが、マイナンバーの通知書のコピーと身分証明書のコピーを用紙に貼り付けなければいけないので、昼ご飯を食べた後に近所のスーパーにテナントで入っている写真屋さんでコピーを取る。
大滝神社

 雲が多いながらも、まずまずのお天気。気温も10℃近くまで上がるという予報なので、サイクリングに出かける。
 先ずは自転車で5分ほどのところにある、大滝神社へ初詣に。昨年は元旦に岐阜の白川郷へ撮影に行き、そこで初詣を済ませたが、今年は雪や雨の日が続いたのですっかり初詣に行きそびれていた。
 大滝神社の社の前は屋根から落ちてきた雪が積もっていた。その山を乗り越えて、参拝してきた。

 大滝神社で初詣を済ませたら、小矢部川の堤防へ。一昨日も来たが風が強かったのと天気が急変しそうだったので、直ぐに引き返した。今日は風もないのでサイクリング日和、写真を撮りながら土手を中心に2時間ほどペダルを漕いだ。
小矢部川の鳥
小矢部川の堤防からの風景
仕上がった確定申告書
 サイクリングから帰り、確定申告の用紙にコピーして来たマイナンバー通知書と身分証明書のコピーを貼り付けて、書類と一緒に封筒に入れる。来週の月曜日に郵便局から郵送すれば、作業完了。
 2009年度分までは毎年申告書と領収書を貼り付けたノートを税務署に持参していたが、2010年度分は奄美大島に引っ越していたので初めて郵送で提出。以来、毎年郵送になった。
 昨年の5月13日に撮影した藤波神社と磯部神社の写真をPhoto Albumにしました。こちら
磯部神社近くに咲いていた白藤
↑磯部神社の近くに咲いていた白藤(手前左)。

 昨日、消えてしまっていた昨年12月の日記を復元してUPしました。12月8日はこちら、10日はこちら、11日はこちら、14日はこちら、16日はこちら、19日はこちら、23日はこちら、25日はこちら、28日はこちら、29日はこちら、31日はこちら。なんとか復元出来て良かった。

 明日は今日よりも暖かいそうだ。また自転車に乗れる。

2月3日(水)

 悲劇の始まった29日から三日間ほど深酒をしていたら食欲がなく身体が重くなったので、これではいけないと昨日、一昨日とお酒を抜いた。ようやく食欲も出て普通になってきた。
 今年は、今日が立春。そう言えば、少しづつ日が長くなってきたような気もする。 今年の節分は124年ぶりに2月2日の昨日行われた。県内の神社でも豆は撒かずに手渡しするなど、新型コロナ感染防止策を行って開催したところがあるようだ。
  朝から雪が降ったり雨が降ったり、晴れたり曇ったりの忙しい天気。天気予報ではしばらく曇りのち雪が続くようなので、晴れ間の見えた午後、外の空気を吸いに自転車で小矢部川へ。久しぶりに来てみると堤防の雪が消えていたので、今年になって初めて堤防を走ったが向かい風が強いのと、直ぐに空模様が変わって来たので家に戻った。

堤防の雪が溶けた小矢部川
↑こちら側は青空が見えているが反対側は曇り空で、しばらくすると雪が降ってきた。
 家に帰ってきて、確定申告の準備。ダンボールの中に放り込んであった領収書をカーペットの上に出し、種類ごとに分ける。その後、1階の居間に領収書や書類、筆記用具などを持って行って必要経費をまとめる作業。
確定申告用の領収書
 ノートに種類ごとに分けた領収書を糊で貼る。もう、40年ほど毎年この作業をしている。昨年は大きな写真展を2つ開催できたので、フォトフレーム(額縁)代が365,190円という額になっている。フォトブックの印刷代も22万円を超えている。昨日、しまうまプリントのホームページで領収書を確認したら1年以内のものしか表示されないようだ。表示できた領収書は108枚。一枚一枚プリントアウトすると大変なので、スクリーンショットにして、その画像をPhotoshopでコンタクトシートに。9枚にまとまったコンタクトシートをプリントアウトした。
 反対に経費の中で少なかったのが、交通費。外出を控え、取材撮影もほとんどできなかったので1年間で1万4070円にとどまった。

 昨日緊急事態宣言の一ヶ月延長が決まり、今日、新型コロナ対応の改正特別措置法と改正感染症法が成立した。これにより営業時間短縮命令を拒んだ事業者は、緊急事態宣言下で30万円以下、まん延防止等重点措置下で20万円以下の過料が科される。また、入院拒否者に対し50万円以下、疫学調査拒否者に30万円以下の過料が科される。
 東京地裁で有罪判決を受けた衆議院議員、河井案里被告が、今日、議員辞職した。地元から「辞めるのが遅すぎた」と怒りの声が上がっているそうだが、たぶん地元だけではなく日本国中からその声は上がっているだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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 消えてしまっていた昨年12月4日の日記を復元しました。

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