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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 ◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表 |
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9月2日(日) 善徳寺 一心講踊り 2019年 ◯上市町 日石寺 1月20日 寒修行 記事 |
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*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り *全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *とやまの獅子舞百選 *富山県内のお祭り、イベント *とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞 *とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り *とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事 *富山の祭り *築山行事 *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *山の民の祈り *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *五箇山の獅子舞の起源 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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大型の台風24号が日本列島を縦断している。今夜遅くから未明にかけて、富山に最接近するようだ。この台風により沖縄・鹿児島で49人が重軽傷を負っている。奄美大島の名瀬港では高さ11mの灯台が根元から折れて消失している。 一方、インドネシアでは28日に起きた地震による津波でスラウェシ島を中心に832人が亡くなり、死者は今後さらに増える恐れがあるという。インドネシアでは7月、8月にもロンボク島で大きな地震が相次ぎ515人が犠牲になっている。 その他の最近気になった記事を備忘録として。 ◯トランプ氏「日本はすごい量の防衛装備品を買うことに」 ◯新安倍政権で「年金受給開始を70才に遅らせる」計画が本格化 ◯生活保護、67%世帯で減額 10月から、食費や光熱費 ◯LGBT叩きで大炎上中の杉田水脈議員、今度は「日本のテレビが売れないのは技術力が落ちたからでなく慰安婦問題のせい」と訴え ◯近畿財務局など財務省の財務局OB職員6人がカメラ取材に応じたのだ。それも、全員が顔出し・実名での告白<森友公文書改ざん>2018年9月25日午後11時~放送 テレビ東京WBS ◯三菱電機、裁量制3人労災 15~17年 過労自殺、脳疾患 ◯安倍首相が米国に差し出す農産物 受ける打撃は2兆円規模 ◯防衛装備品の購入を米に伝達 官邸幹部「必要なものを」 |
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昨日は新川神社の「田んぼ学校」での稲刈りを撮影に行って来た。こちらの様子も後々UPいたします。 | ||
↑神職について神饌田へ参進する早乙女姿と田男姿の子供たち。生憎の雨だったので、一株ずつの稲刈りとなった。 |
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明日から10月だ。昨日でNHKの連続テレビ小説『半分、青い。』が終了した。途中、ジェットコースター並みに急展開するストーリーに着いて行けなくなりそうだったが、最後まで観た。まあ、とりあえず怪作だな。 | ||
5月に田植を行った新川神社の「田んぼ学校」で、今日は植えた稲を収穫する稲刈りが行われるので撮影に行って来た。 | ||
ホームページの案内には午後1時45分開始で、雨天の場合は稲刈りをしないと書かれている。あいにく今日は雨模様なので、稲刈りの様子は撮れないかな?と思いながら神社に向かう。 12時4分に富山駅に着き、電鉄富山駅へ。これまで新川神社へは2回来ているが、その時は晴れていたので富山駅から自転車を組み立てて行った。 時刻表を確認すると東新庄駅に止まる電車は本数があるので、コンビニでおにぎりとパンを一つずつ購入。 |
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12時29分発の立山行きに乗り、車内でおにぎりを食べて昼食。12時36分に東新庄駅に着いた。通過する事は何度もあるが下車するのは初めて。趣きのある駅舎だ。 | ||
↑新川神社。 5分ほど歩いて新川神社に到着。境内には「田んぼの学校」と書かれた看板が立っている。 |
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神饌田の写真を撮ってから社殿に戻ると舩木宮司さんが歩いて来られたので、田植の時の写真をお渡しする。雨なので稲刈りは中止か尋ねると、開始時間を変更し少しだけ刈る事にするそうだ。 式次第をいただいたので転載しておく。 平成三十年度「田んぼ学校 稲刈り体験」実施要綱 一、趣旨 子供たちに稲作を通じて、収穫の喜び・感謝の気持ちを感じ取ってもらい、神道、昔ながらの日本の生活文化に親しんでもらう。 抜穂奉告祭 次第 |
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予定では開校式と抜穂奉告祭が先だが、時間が経つに連れて雨足が強くなりそうなので、初めに稲刈りが行われた。 参集殿で子供たちが田男、刈り女姿に着替え、雨合羽を着用。 14時少し前、神職を先頭に参集殿から拝殿の前まで参進し一礼、拝殿から境内を通って神饌田まで進む。 宮司さんから一人一人鎌を手渡される。 |
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大幣と切幣でお祓いをした後、子供たちが一列に並び手前の稲を一株切り取ると、稲刈りは終了した。残りは来週、奉耕者の方々が刈り取って下さるそうだ。 稲刈りが終わると子供たちは参集殿で雨合羽を脱ぎ、拝殿へ。 |
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↑拝殿に用意された神饌。稲穂は晴れていた昨日の内に刈り取ったもの。 |
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一度神饌を子供たちが伝供でお供えする練習を行ってから、「田んぼ学校」の開校式が行われ宮総代が挨拶。引き続き、抜穂奉告祭が執り行われた。 14時20分頃から始まった神事は神楽(太鼓)、修祓、献餞、祝詞奏上、玉串拝礼、撤饌、神楽と進み30分ほどで終了した。 |
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↑神事の後、拝殿で記念の集合写真。 |
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抜穂奉告祭の後、参集殿で「田んぼの学校」の授業として昔の製法による脱穀、精米体験を行った後、「古事記」の紙芝居が行われた。そして紙芝居の中身を題材にしたクイズを開催。正解者にはお菓子がもらえるので、盛り上がる。最後は宮司さんが挨拶して16時半過ぎに終了した。 神社を出て東新庄駅へ。コンビニで買ったパンを食べて電車を待つ。やってきた16時56分発の電車で電鉄富山駅へ。 |
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連休明けの今日は雨、部屋の中に居てもちょっと肌寒い。昨日、一昨日と地元の奇祭つくりもんまつりが行われた。昨年は2日間とも他所の祭りや行事を撮影に行って見れなかったので、昨日の夕方、少し早めに晩ご飯を食べてから2年ぶりのつくりもんを楽しんできた。 町の中心部は混雑していて自転車も通行できないので、少し外れたところのつくりもんを自転車で見てまわってから無料開放されているミュゼふくおかカメラ館へ。現在は『牧野貞之万葉写真展/富士フィルムフォトコンテスト入賞作品展』が開催されている。 |
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↑ライトアップされたミュゼふくおかカメラ館を、中庭から撮影。 ↓写真展を見た後は自転車をカメラ館に置いて、散歩がてら写真を撮りながら町中のつくりもんを見て歩いた。 |
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*北日本新聞の記事1、記事2。富山新聞の記事。つくりもんのリポート。 | ||
22日は福岡町沢川(そうごう)の獅子舞、23日は黒部市沓掛の獅子舞を撮影。こちらの様子も後々UPいたします。 |
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↑沢川の獅子舞にて、天狗に抱えられて泣き出す子供。中学時代同級生だった女の子のお孫さん。 ↓沓掛の獅子舞にて、町回りを終えて宮入りの様子。傘や刀を持った子供を肩に乗せて境内に入って行く。 |
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撮影、現像、写真データの整理とバタバタしているうちに自民党総裁選も少し過去の話しになってしまった。 |
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昨日は沢川の獅子舞を撮影に行ったが、今日は黒部市沓掛(くつかけ)の獅子舞を撮影に。沓掛の獅子舞は下新川系の獅子舞で、獅子は二人立ちで赤くて太い襷をかけた天狗が複数登場する。 沓掛八幡社の祭礼で行われるのだが、秋の祭礼は昨日と今日で、昨日は朝8時半〜17時まで町中を巡行。今日も朝8時半から17時まで巡行した後、17時から18時まで八幡社の境内で奉納の獅子舞が行われると聞いた。 事前に購入しておいたあいの風とやま鉄道の一日フリーきっぷを使い、11時49分に黒部駅へ。黒部駅で自転車を組み立て沓掛に向かうが、途中三島神社の名で親しまれている八心大市比古神社の前を通るので、午前中にプリントしておいた昨年の八心大市比古神社のじんじん祭りの写真と宮司さんが兼務社で祭主を務めた墓ノ木松明祭の写真をお渡しする。 神社を出てから地図を見ながら東三日市駅の手前を左に曲がって走る。途中にスーパーの大阪屋があったので、食料品コーナーで焼き鳥3本とおにぎり1個を購入してお昼ご飯。食べ終わって、また自転車を漕いで沓掛を目指すがどうも道を間違えている予感。十字路の手前で自動車から降りて来る女性がいたので尋ねると、どうも曲がる道を一本間違えていたようで十字路を右に曲がると沓掛に行くという。 教えられた通り十字路を右に曲がり暫く走ると、左手に小さな屋根が見えた。気になって見に行くと、「県指定遺跡 北野の石龕(せきがん)」と書いてある。 以下、案内板から。 指定 昭和四十年二月一日 石龕とは、石を彫りくぼめ仏像を安置するものである。この石龕は一辺が約八十センチの板状の切石を組み合わせ、上に別石をおくもので、奥壁に阿弥陀如来坐像と向かって左に合掌する勢至菩薩と右が蓮台をもつ観世音菩薩、左右壁に、六道(天道・人道・修羅道・餓鬼道・畜生道・地獄道)で衆生を救済する僧形の六地蔵が刻まれている。 |
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↑↓→北野の石龕。 |
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石龕を後にして、しばらく走ると右側に杜が見えて来た。神社だろうと思い交差点を右に曲がって杜の方角に進むと目指す沓掛八幡社だった。 | ||
↓→祭礼の行われる沓掛八幡社。 |
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境内で準備をしていた男性に、獅子舞は今どの辺りにいるか尋ねると昼休みの時間なので参道を出て直ぐの集落センターだという。歩いて行くと、そろそろ出発なのか大勢の人が外に出ていた。その中に生地にある新治神社の宮司さんがいらした。沓掛八幡社には普段宮司さんが居らず、新治神社の兼務社になっているそうだ。 13時5分になって巡行が始まった。獅子舞の一行を先頭に、お神輿が後を着いて行く。 |
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昨日は4区から3区を巡行し、今日は2区をまわるそうだ。獅子舞が演目を行い、その後に神職が祈祷をする。そうして一軒一軒まわって行くので時間がかかる。時々、箒を持った願念坊が現れて子供を追いかけ回す。昔はずっと獅子舞と一緒に歩いていたのだろうが、今は追いかけ回す子供が少なくなったため、子供が集まった場所だけ現われるようだ。 |
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↓→子供を追いかけたり、追いかけられたりして道化を演じる願念坊。 |
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17時を過ぎて境内では鳥居の横に置かれた篝火台に点火。ほどなくして祈祷を終えた神職が八幡社に帰って来られた。 | ||
17時半頃、傘や刀を持った子供を肩に乗せて獅子舞の一行が参道を歩いて宮入りをする。 | ||
↑↓→祭りのハイライトとも言える宮入り。 |
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獅子方の後にお神輿が境内に入り、宮司が御神体(神籬)を本殿に遷す。 境内では奉納獅子舞が始まり、社殿では還幸祭が執り行われた。 演目は以下の通り。 1.樽割り 2.さくる 3.乱丸 4.天狗相撲 5.受太刀(うけたち) 6.天狗 7.刀合わせ 8.傘相踊り 9.神楽 10.天狗 11.舟越し 12.二人天狗 13.もちまき ←還幸祭。 ↓奉納の獅子舞。 |
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↑上段左:樽割り/上段右:振る舞い酒/中段左:さくる/中段右:乱丸/下段左:天狗相撲/下段右:受太刀(うけたち) |
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↑上段左:天狗/上段右:刀合わせ/中段左:傘相踊り/中段右:神楽/下段左:天狗/下段右:舟越し |
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↑二人天狗。↓願念坊の寸劇。 |
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↑餅まき(左)と団長の胴上げ(右)。↓最後は全員揃って挨拶。 |
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13の演目があるが一つ一つは短いので、おおよそ1時間ほど。18時半過ぎには終了した。 日が暮れるのが早くなり、空はすっかり暗くなった。参道の前の道を左折してひたすら真っ直ぐ走り、突き当たりの道を右折すれば黒部駅に着くと教えてもらったのでその通りに走る。駅横のコンビニでパンを一つ買って自転車を折りたたみ、パンを食べて19時23分発の電車を待った。 |
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福岡町の中心から車で40分ほど山の方へ入ったところに、沢川(そうごう)という集落がある。中学校には沢川出身の同級生が男子4人、女子4人いたが、みんな学校の近くにあった若竹寮に入っていた。同級生はいたが、ず〜っと集落に行ったことがなかった。どこにあるのかもよくわかっていなかった。 昨年の11月に高岡市公営バスに乗れば片道100円で沢川まで行けるのを知って、ふらっと行ってみた。バス停にとまりながら終点の沢川まで50分ほどかかり、乗って行ったバスが町へ折り返す最終バスだったので初沢川の滞在は5分ほどだった。 帰りのバスで沢川出身の運転手さんと話していると、毎年9月に行われる獅子舞もいつまで続けられるかわからないとのこと。獅子舞は山を下りて町で生活している人たちの息子や孫が演じている。無くなる前に写真に納めておこうかと思い、今月に入って役場に問い合わせて、第4土曜日の22日に行われることを知った。 愛宕社の秋季例祭で、始まりは12時頃だという。 沢川行きのバスは4本あるが家の近所を12時37分発のバスだと到着が13時41分なので、一つ前で始発の8時41分発に乗る。これだと沢川に9時30分で早く着き過ぎるが、ゆっくり集落を撮影して歩ける。 少し遅れて来たバスに乗ると、お客さんはお婆さんが一人。乗客2人を乗せてバスは山の方へと入って行く。先に乗車していたお婆さんは山ぼうし前で降り、終点の沢川まで貸し切りになってしまった。 9時半過ぎに着いて先ずは祭礼の行われる愛宕社へ。境内と鳥居の間を道路が横切っている。境内に人はいないが、鳥居の横に祭礼の幟が立っている。 |
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↑愛宕社。→愛宕社の鳥居。祭礼の幟には愛宕神社と書かれている。 |
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↓→愛宕社の境内と、高岡市指定天然記念物の大いちょう。 |
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境内に御神木と思われる大きないちょうの木が立っており、市の天然記念物に指定されていることや愛宕社の由来を記した案内板が立っていた。 高岡市指定 天然記念物 この大いちょうは、幹回りが約四・五mあり、地上四mのところで数本に枝分かれし、高さは約三〇mに達しています。 |
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境内を出て、集落内を写真を撮りながら散歩。一番栄えていた頃は100戸ほどの家があったというが、現在住んでいるのは高齢者ばかりで20世帯ほどだという。住む人が居なくなり、廃屋となった家も何軒かある。 沢川に到着した時は青空だったが、雲が流れてきてやがて雨も降り出した。持って来た傘をさし愛宕社へ戻ると、氏子の方が祭礼の準備をされていた。 澤川営農通信というサイトに沢川の成り立ちを綴った澤川物語というページがあり、そこに 「ばんぶち(力石)」のことが書かれていた。 里では「盤持」と言います。 お宮さんの境内に形、重さ、の違った、数個の石が置いて有りました。(現存します) その石を、膝の高さまで、上げる事ができるか、腰の高さまで上げられるか、肩に担ぐ事が出来るかを競い、力自慢。をしたのでした。 石、そのものは、「力石」で全国に通用します。 この力石はどこにあるか氏子の方に尋ねると、たぶん木の根っこに埋もれている石がそうだという。合計で5つほどが半分埋もれている。境内を修理するのに砂を敷いた時に埋もれたそうだ。 |
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↑拝殿に飾られている絵馬と、境内で半分埋まっている力石。 12時半になり、祭典が始まった。参加された氏子の方は3名。修祓、祝詞奏上、玉串奉奠が執り行われ30分ほどで終了した。 |
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神事が終わったので愛宕社から200mほど離れた地区の集会所へ。ちょうど獅子舞の一行が出発するところで、男の同級生4人も揃っていた。一人は先月の中学の同窓会で会っているが、他の3人は中学の卒業以来か。 13時過ぎに集会所を出た獅子舞は鳥居をくぐり境内に入ると、しばらく獅子舞を踊って拝殿に入った。 |
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2頭の獅子がお祓いを受け、続いて拝殿の前に並んだ獅子方連中がお祓いを受ける。お祓いが終わると、神の御霊である紙垂を付けた獅子が、境内で奉納の獅子舞を演じる。そして村まわりが行われる。 村まわりは、集落の一番上にあるお寺から始まった。お寺が終わると、次は田畑家へと移動する。 田畑家の入口横に杉の大木があり、その横に案内板が立っていた。 高岡市指定 天然記念物 田畑家正門の入口に立つこの大杉は、樹齢約五百年と推定され、樹種はヤワラ杉(葉が柔らかい杉の変種)と思われます。幹回りは四・七m、樹高約三〇mに達します。鬱蒼とした樹勢もあってかつては天狗が棲むと恐れられていました。 |
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↑花を読み上げる同級生。↓4人とも中学の同級生。→田畑家の大杉。 |
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田畑家では庭の隅にテーブルが出され、飲み物と食べものが並べられている。同級生から缶ビールを1本もらい、飲み干すと日本酒が紙コップに注がれた。 |
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同級生が中学生だった頃は60〜70戸ほどだったそうで、その時は獅子舞をまわり終えると次の日の未明になり、疲れて歩けなくなって神社から家まで道を這って帰ったこともあるそうだ。 | ||
何軒か獅子舞について歩くと、同級生の女の子と遭遇。彼女の実家だった。実家に住んでいるのはお母さん一人のようだが、祭りの時には彼女や彼女の姉妹、彼女の子供や孫が集まり賑やかになる。せっかくなので家族揃った記念写真を撮ったら、出来立てのお赤飯をお土産にいただいた。 夜まで獅子舞について歩きたいが、町に戻る最終バスは17時だ。 心地よく酔っぱらってバス停に行くと、既にバスが待っていた。 |
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昨日今日と天晴な秋晴れ。ネットの天気予報を見て前日に決め、昨日、日帰りで立山登山に行って来た。おかげで昨日から太もも、ふくらはぎを中心に身体全体が筋肉痛だ。こちらの様子も後々UPいたします。 | ||
↑雄山神社の峰本社がある、標高3,003mの雄山頂上。 |
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富士山、石川県の白山と並ぶ日本三霊山の立山。小学生の時に学校の行事で一度雄山に登っているので、46年ぶりくらいだろうか?その時は一泊二日だったが、登山の様子はすっかり忘れていて、覚えているのは前日の夜に山荘で同級生達と電気を消して怖い話しをしていたことぐらいだ。 小中学生の頃は修学旅行なんかで観光地へ行くと、三角のペナントを買ったりしたが、昨日見た立山の売店には置いてなかった。 |
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16日にアマゾンのマーケットプレイスでポチった写真集『Portraitsー女性アーティストの肖像ー/松本路子』(河出書房新社)が、17日に届いた。 | ||
行こう行こうと思いながら他の撮影があったりお天気が良くなかったりで、延び延びになっていた立山登山。撮影したい雄山の頂上にある峰本社の開山期間は7月1日〜9月30日までなので焦っていたが、天気予報では今日と明日は晴れの予報だったので昨日のうちに食料などを準備して登山を決行した。 |
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↑上段左:早朝の富山駅/上段右:電鉄富山から室堂までの往復チケット/中段左:千垣駅と有峰口駅の間を流れる常願寺川/中段右:電鉄立山駅/下段左:ケーブルカーに乗り換えて美女平駅へ/下段右:美女平から室堂までのバスの車窓から剣岳を撮影 | ||
8時16分に電鉄立山駅に到着し、8時40分のケーブルカーで美女平駅へ。7分程で美女平に到着してバスに乗り換える。バスは9時出発の予定だったが乗客が多いので、8時50分出発の室堂直行の臨時便が出た。 運転手一人のバスだが、観光ガイドの映像と音声が車内に流れて外の景色を説明してもらえる。出発して直ぐに道路の真中に猿の子供が座っていて、バスが徐行する場面もあった。およそ50分程で室堂のバスターミナルに到着した。ターミナルの案内所で雄山への行き方を尋ねると、登山計画書は出されましたかと言われ、名前・電話番号・住所・行き先などを記入する。日帰りで雄山神社に登るのに登山計画書を出している人は他にいなさそうだったが。 |
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↑標高2,450mの室堂バスターミナル付近から雄山(左側の山)を見る。 |
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↑上段左:登山道のあちらこちらにお地蔵さんが/ 上段右:石を敷きつめた道を黙々と歩く。若い女性や海外からの登山客が多くて驚いた/中段左:紅葉も少しずつ/中段右:ナナカマド?/下段左:振り向けばみくりが池とみどりが池が見える/下段右:写真中央の人が集まっている広場に祓堂がある 一時間程歩いて標高2,700mの一の越山荘に到着。魚肉ソーセージを1本食べて少し休憩。 |
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↑上段左:一の越で休憩する人たち/上段右:一の越から頂上まではガレ場が続く/中段左:一の越山荘を見下ろす/中段右:山頂が見えてきた/下段左:振り返れば絶景。人が集まっているところが三の越だろうか/下段右:屋根に石を積んだ小さな祠 途中休憩しながら、尻餅をつきながら一の越から1時間半ほどかけて雄山の山頂に到着。社務所の前で冷たいお茶を飲み、バナナを1本食べて休憩。 |
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↑立山雄山神社本宮と書かれた四角い碑と登山と彫られた岩(写真左)。鳥居の先に峰本社がある(写真右)。 |
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鳥居の手前にある受け付けで初穂料500円を納めて、標高3,003mの頂上に建つ雄山神社の峰本社へ。ある程度参拝者が集まったところで、ご祈祷が行われる。 |
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↑峰本社から見下ろす社務所(お守りの授与所)と、峰本社でのご祈祷。 |
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登山は体力を使ってお腹が空くだろうと思い、おにぎり、菓子パン、魚肉ソーセージ、バナナ、キャラメルなど食料をたくさん持ってきたが、何故か食欲が無くバナナ1本食べるのがやっとだった。疲れ過ぎたのか、あるいは軽い高山病だったのかもしれない。 50分程山頂に滞在して、下山を始める。下りは少し楽かなと思ったが、滑りやすく足を踏ん張らなくてはならないので、これはこれで大変。登っている時よりも、尻餅をつく回数は多かったかもしれない。 2時間ちょっとで雄山山頂から室堂まで下りて来た。 |
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↑室堂ターミナルの前にある立山玉殿の湧水(左)と、中部山岳国立公園立山と彫られた碑。 |
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室堂ターミナルに到着したのが15時半過ぎで、次の美女平行きのバスは16時20分。バス乗り場に行くと、係の男性が人数が揃えば16時10分に美女平直行の臨時バスが出ますので列に並んで下さいという。列に並んでいると人数に達したのか、臨時便が出た。 バスの車内では、また観光ガイドのビデオと音声が流れ剣岳や称名滝を案内してくれる。 |
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↓中央の尖った山が剣岳。→雲の中に浮かぶ称名滝。 |
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美女平駅から17時発のケーブルカーで、電鉄立山駅へ。 電鉄立山から17時30分の電車で、電鉄富山へ。 電鉄富山から富山駅へと歩くと、改札の電光案内板に18時42分の金沢行きの表示があった。出発まで後2分程。急いで切符を買い、改札を抜けてホームへのエスカレーターを上がる。 ちょっと慌ただしかったが、思っていたよりスムーズに移動出来た。 |
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↑美女平から電鉄立山駅へ向かうケーブルカー。所要時間は約7分。 | ||
↑初穂料を納めていただいたお札や鈴(左)。履いて行ったトレッキングシューズ。先月小矢部のアウトレットで購入(右)。 |
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先日読み終えた『とやま民俗文化誌/富山民俗文化研究グループ編』(シー・エー・ピー)より、立山と立山信仰に関する記述を引用させていただく。 半僧半俗の芦峅寺の衆徒 諸国での廻檀配札布教 江戸での布教 立山曼荼羅の絵解き 立山曼荼羅の浄土真宗の影響と製作年代 布橋灌頂会の執行 山岳信仰と立山の名称 立山信仰に関する山名と峰 その他の地名 |
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安室奈美恵さんが今日で引退。昨日は故郷の沖縄で最後のステージに立ったが、今日の新聞はその記事でいっぱいだった。まさに平成を駆け抜けた歌姫だな。 一昨日、日本記者クラブ主催による自民党総裁選の討論会が行われた。NHKが中継していたので、途中からネットで観ていた。相変わらず本来なら3行で終わる話しが、無駄な接続詞と改行で延々と続くから何の話しかわからなくなる安倍話法。2部は記者団からの質疑応答で、珍しく記者団が突っ込んだ質問をして頑張っていたが、噛み合ない答弁が多い安倍話法。衣ばかりの天ぷら並に中身のない答弁を繰り返す。 7月、8月は暑すぎて全然触っていなかったが、涼しくなってきたので一昨日から電子ドラムを叩き始めた。プレイをして直ぐにスティックを握る左指に水ぶくれができた。 ◯秋田と萩へのイージス・アショア配備こそ、日本を逆に窮地に追い込む「平和ボケ」 この他、興味深かった記事を備忘録として。 |
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←トップ画面を模様替え。前回に続いて子供の写真。2012年9月30日(旧8月15日)に行われた、糸満大綱引きを見に行った時のスナップ。離島は「15の春」があるけれど、奄美も沖縄も小さい子供をたくさん町中で見かける。↓これまでのトップ画面。 |
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昨年の9月13日に撮影した前田利長公顕彰祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑顕彰祭の日だけ一般開放される、利長公墓所。 |
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樹木希林さんが15日に亡くなられた。 芸名が悠木千帆から樹木希林になった時に、えっ?と思ったけれど、40年が過ぎて悠木千帆という芸名を忘れてしまっていた。ホントに、個性的な役者さんでした。いや、存在自体が個性的だったのか。 ◯「こんな姿になっても…」若者へ樹木希林さんが直筆メッセージ |
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稲刈りの季節。昼過ぎに隣の田んぼにコンバインが入った。外側からカクカクカクカクとまわって30分程でキレイに刈り取って行った。 | ||
『日本の古社 伊勢神宮』(淡交社)を読み終えた。気になった箇所を備忘録として。 神宮の古儀は語る 小堀邦夫(神宮教学課長) 御神体は宝鏡 ヤシロ(社)からミヤ(ミヤ)へ 神事の循環 神宮の式年遷宮 建築形態と信仰・祭祀の形態 心御柱(柱信仰) |
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フランス在住のアルジェリア人ロッカー、ラシッド・タハが9月11日に亡くなったというニュースが、フェイスブックに流れて来た。自宅で就寝中に心臓発作を起こしたという。1958年9月18年生まれだから、ほぼ同級生だ。 沖縄県知事選の告示が今日行われ、4人が立候補した。 |
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昨年の9月10日に撮影した福岡町1区のオモテの宮の獅子舞と、2区のウラの宮の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑オモテの宮の獅子舞。小学生の頃は、よくこの宮で野球をしたりして遊んだ。↓ウラの宮の獅子舞。 |
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◯人手不足深刻…土曜の郵便配達取りやめ検討 ◯生活苦7年半 東日本大震災3460世帯 災害援護資金 半数返せず ◯40歳代の半数が睡眠6時間未満 国民健康・栄養調査 ◯統計所得、過大に上昇 政府の手法変更が影響 補正調整されず…専門家からは批判も ◯日本の教育公的支出は最低 15年のOECD調査 この2日間ほどで流れて来たニュースを繋げると、労働力人口の低下に伴う人手不足で睡眠を削って働いているが給料は上がらず、おまけに国が教育機関への公的資金を出し渋っているので家庭の教育費への負担が大きく生活は困窮。でも、その状況を国民に知られないように政府は所得に関する統計を操作して誤摩化している。凄いな日本。 |
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しばらく前はあんなに暑かったのに、9月になって急に秋めいてきた。一昨日は今期初めてのおでんを食べた。 | ||
秋祭りの季節も始まって、今日は朝から獅子舞のお囃子が聞こえて来る。 |
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今日9月10日は、射水市にある櫛田神社で秋季例大祭が行われる。神輿の出御祭の後、獅子とお神輿が各村の御旅所をまわる。そして夕方、神社に還御した獅子とお神輿が境内入り口で火渡りを行う。氏子の繁栄を祈り、村々を祓ってまわった際についた穢れを火で焼き払うのだろう。 火渡りはしないが、不動明王との関わりを示す獅子舞がある。白山社からお神輿の先導をして、隣接する千光寺の境内をまわる魚津市・小川寺の獅子舞だ。神仏混淆の祭りとして知られる祭りだが、この行道獅子の獅子頭に梵字の「カーン」という文字が刻まれている。梵字のカーンは「不動明王」を表している。 |
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↑左は櫛田神社の火渡り神事。2017年9月10日撮影。右は二口熊野神社の火渡り神事。2015年9月5日撮影。 |
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↑左は福岡町1区(オモテの宮)の獅子ごろし。2017年9月10日撮影。右は福岡町2区(ウラの宮)の一刀振り。2017年9月10日撮影。 | ||
↓六渡寺の獅子舞。→小川寺の獅子舞。獅子頭の鼻に梵字の「カーン」。 |
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昨年の9月10日に撮影した櫛田神社の秋季例大祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑御旅所から御旅所へ巡行するお神輿。↓村々をまわった後、境内入り口で行われる火渡り。 |
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政府は北海道地震で被災した方の当面の生活を支援する財源として本年度予算の予備費から5億4000万円を支出することを決定したそうだが、どう考えても少ないだろう。海外へ行く度に莫大なお金をバラまいて来るのに・・・。 |
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ようやく『とやま民俗文化誌/富山民俗文化研究グループ編』(シー・エー・ピー)を読み終えて、『日本の古社 伊勢神宮』(淡交社)を読み始めている。 | ||
4日に上陸し、5日にかけて暴風雨をもたらした台風21号による被害の全貌も明らかにならないうちに、今度は北海道を震度7の地震が襲った。 それにしても、2011年の東日本大震災以来、気がつけば日本列島はボロボロだ。 昨年の9月2日に撮影した善徳寺の一心講踊りの様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑仮装して踊る参加者。『とやまの民俗芸能』(北日本新聞社)には、「チョンガレ節のチョンガレという語は、ちょうける(ちょぼくれ)、つまり剽軽者(ひょうきんもの)の意味である」と書かれている。↓ちょんがれの「目連尊者」を歌う3人の音頭取り。 | ||
明日からしばらく雨のようなので、先月行われた鉄砲町・白銀後町の天神祭の写真とフォトブックを大木白山神社の宮司・高尾宗清さんのところへ届けに行った。高岡まで電車で行けば往復460円、運動も兼ねて自転車にした。写真とフォトブックのお礼に、お茶っ葉をいただいて帰って来た。奥さんが禰宜かと思っていたが、娘さんが禰宜だそうだ。 |
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風はまだ強かったが、台風一過の青空が広がった。奄美や沖縄で台風にはだいぶ慣れたと思ったが、昨日の台風21号の北陸通過は久しぶりに冷や冷やさせられた。今日は朝から台風の被害で孤島になってしまった関西国際空港のことで、テレビは持ち切りだ。 ◯ 関空孤立5000人、輸送開始 台風21号 死者11人に ◯ 台風被害、関空閉鎖の長期化必至 連絡橋の復旧めど立たず ◯ 街路樹倒れ、風圧で窓割れる 台風21号、神戸に再上陸 ◯ 68万人に避難勧告・指示 台風21号の影響広がる ◯ 関空が孤立…各地で甚大な被害/台風21号写真特集 ◯台風21号 関西空港滑走路など浸水、最大風速58m ◯ 2018年台風・大雨 写真特集 ◯ 【写真特集】台風21号被害、大阪の街の被害 |
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上の写真は昨日撮影した隣の田んぼ。枝豆とお米を交互に植えていたが、何故か今年は昨年に引き続きお米を植えている。台風が近づいてきて、強い風が稲穂を揺さぶっていた。 左の写真は同じ隣の田んぼで、こちらは7月の初旬にやはり2階の自分の部屋から撮影した。初夏の風がスーッと渡り、稲の葉を気持ち良さそうに揺らして行った。2カ月で随分と田んぼの表情が変わった。 |
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前田真三さんの写真集『ふるさと』に、<水田は生産の場であり、季節の鏡である>という言葉が載っていた。なるほど。 昨年の8月26日に撮影した黒河夜高祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑田楽行燈を掲げた子供たちが大きな声で「チョーサイタニワカ ゴモンザイタニワカ サンモンザケニヨータヨータ」と囃子唄を歌いながら黒河神社と西養寺をまわる。 | ||
このまま暑い日が延々と続くのかと思ったが、9月になって季節は進み、昨日から空気が秋のそれになった。今日は快晴だったが、サラッとした暑さで心地よかった。 | ||
あれから18年・・・の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス」が今月1日から金沢シネモンドで上映されているが、こちらは40年前。確か東北・北海道ツアーの帰り道。赤い「T-Bird」号がちょう4万キロを走破した。色紙には40,000km走破と書いてある。越中さん、嬉しそうだな〜(笑)。 高校を卒業した1978年。高岡にあったライブハウス「タムタム」のマスターのすすめで、この年にビクターのフライング・ドックからデビューした石川県出身のロックバンド、T-Birdのローディーをする事になった。楽器を詰め込んだ赤い大型の楽器車「T-Bird」号にメンバー全員が乗って毎月のように関西や関東のライブハウスに行き、夏には九州や東北・北海道もまわった。 そう言えば、あの頃、みんなTシャツはジーパンに入れていた。流行は繰り返すというから、またTシャツをジーパンに入れる日がいつか来るだろうか。 |
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昨日は城端別院善徳寺の一心講踊りを見に行ってきた。こちらの様子も後々UPいたします。 | ||
↑仮装した地元の人にまじって、本格的なコスプレイヤーも参加して踊る善徳寺の盆踊り大会。 |
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気になった記事を備忘録として。 ◯ブラジルの国立博物館で火災 設立200年 ◯(社説)公文書管理 経産省の「骨抜き」指導 ◯東京五輪ボランティア、マイナンバーカード+顔認証システムで管理されることに ◯蔓延する外国人農業労働者への人権侵害と過剰労働。国家戦略特区による受け入れ増でますます増える可能性 ◯「翁長雄志は命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期 ◯MOX燃料の再処理断念 電力10社、核燃サイクル崩壊 ◯太陽光発電、九電が停止要求の可能性 原発再稼働も一因 ◯住民の反対むなしく進む「汚染土」再利用計画、放射能バラまきに待ったなし!? ◯元原発技術者が「放射性トリチウム汚染水を薄めて海洋放出する」方針を批判 ◯トリチウム水と政府は呼ぶけど実際には他の放射性物質が1年で65回も基準超過 |
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今日は、城端別院 善徳寺の一心講踊りが行われる。昨年初めて撮影したが、踊りの後半に歌われる「ちょうんがれ」をまた聴きたくて出かけた。 | ||
自転車で戸出駅まで走り、16時59分の城端線で終点の城端駅へ。17時36分に到着して、ゆっくり善徳寺まで歩く。空はなんとなく秋の空だ。 18時少し前に善徳寺に到着。境内には提灯が吊るされているが、人の気配はない。 しばらく写真を撮って過ごしていると、本堂から何のキャラクターかわからないが、本格的なコスプレ姿の女の子が4人出て来た。 |
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少しずつ踊り手も観客も集まって来る。ちょんがれの音頭取りであり、城端町古典民謡保存会の会長さんに7月に善徳寺で開催された磐持ち大会での「盤持講甚句」の歌と踊りの写真をお渡しする。この時もちょんがれの「目連尊者」を歌われたが、触りの部分だけだった。今日のちょんがれの曲目を尋ねると、やはり「目連尊者」だった。 | ||
開始時刻の19時になって一心講踊りが始まった。オカメやヒョットコに虚無僧といった仮装、小学生の男の子はダンボールでパーツを作ってロボットになっている。その中に本格的なコスプレイヤーもまじってスピーカーから流れる「麦屋節」「こきりこ節」「炭坑節」「といちんさ」といった民謡で輪になって踊っている。 40分ほど踊った後、少し休憩してから、今度は仮装の審査のために番号を書いた札を受け付けでもらって首に下げて踊る。審査員が後で仮装の出来をみてそれぞれに賞品を配る。 |
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しばらく民謡で踊った後、いよいよちょんがれが始まった。音頭取りは昨年と同じ3人の男性だ。 伴奏は一切なく、最初は甚句のように朗々と歌うように始まる。そして途中から僅かな抑揚でリズムに乗せて早口にしゃべるように歌う。 昨年初めて聴いた時ほどインパクトはなかったが、やはりラップのようだ。ちょんがれについては、昨年書いたこちらを参考に。 |
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10分ほどと一曲としては長い「目連尊者」が終わり、一心講踊りは終了した。踊り手たちは本堂の階段下に設けられた受け付けで賞品を受け取る。 ご挨拶をして帰ろうと思ったが、20時20分近くになっていた。高岡方面の城端線が20時40分なので、そのまま駅へと急いだ。 20時40分の城端線で戸出へ。戸出駅に21時14分に着いて、駅前の駐輪場にとめておいた自転車で家へと向かう。涼しい秋の空気だ。 |
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今日から9月。 ミュゼふくおかカメラ館では写真展と同時にカメラのコレクション展を開催しているが、現在展示されているのは『カメラとふくおかまちーいま、むかしー』で、大正から昭和に撮られた福岡町の写真がカメラと共にガラスケースに飾られている。 |
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上の写真は家にあった、昭和40年代初め頃の福岡町の写真。写っているのは祖母、私、従兄弟、妹。たぶん魚竹(片原鮮魚店)の前かな?左後ろに川が少し見えるが、今は暗渠になっている。昔は町中に小さな川(用水路)がアチコチに流れていて、川に落ちた。自転車に乗ってそのまま落ちたこともある。今はほとんどが暗渠になっている。 |
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↑北前船を模して造られた屋形船の神輿に御神体を乗せ、地区を巡行する。 |
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↑屋形船は漁業関係の会社や公民館を中心にまわり、宮司さんがお祓いをした後、子供と青年団員が余興を披露する。 |
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8月へ |