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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 ◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表 |
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8月6日(月) 本法寺の曼荼羅絵図風入れ法要 記事 記事 コミュニティーバス 時刻表 2019年 ◯上市町 日石寺 1月20日 寒修行 記事 |
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*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り *全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *とやまの獅子舞百選 *富山県内のお祭り、イベント *とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞 *とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り *とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事 *富山の祭り *築山行事 *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *山の民の祈り *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *五箇山の獅子舞の起源 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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朝から雨なので『とやま民俗文化誌/富山民俗文化研究グループ編』を読んでいた。 富山で五平餅というと五箇山や利賀村などの山間地の食べものという印象があり、山の神と結びつく食べもののような気がしてネットを検索していると県民カレッジテレビ放送講座テキスト「第7回 山の神の祈り 米原寛」という頁に辿り着いた。 「半分、青い」に登場する梟町は架空の名前だが、モデルになっているのは岐阜県恵那市だそうだ。きっと林業も盛んな土地だったのではないだろうか。 *御幣は、木の弊串に紙垂(シデ)を挟んだもの。幣(ヌサ)のように祓いの道具として使われたり、神の依り代、御神体の神籬(ひもろぎ)として用いられる。 |
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→高岡市の射水神社の夏越の大祓にて。拝殿の外に設けられた祭壇に祀られた御幣。 |
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↑南砺市の高瀬神社の観月祭にて。中央に金色の御幣、右に白の御幣が祀られている。 |
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↑二上射水神社の築山神事では、日吉社、二上大神、院内社の祭神を境内に設けられた臨時の祭壇である築山へ遷座する際、御幣を持った御幣ドンと呼ばれる男性が宮司の前を歩く。神主と御幣ドンが祭礼の前日に二上山の山頂にある日吉社から祭神を御幣に移し、その御幣を頭屋が一晩お守りする。その頭屋の主人が御幣ドンと思われる。 |
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今日、沖縄県が辺野古の埋立て承認を撤回した。これで当面工事はストップするだろうが、政府はあらゆる手段で沖縄に揺さぶりをかけて来るだろう。 テレビや新聞でも辺野古の抗議活動の様子は断片的に流れてくるが、辺野古に造られようとしている新基地がどんなものなのか詳しくは伝わっていない。単に普天間の機能を移すだけではなく、強襲揚陸艦が泊まれる軍港としての役割をもつ新基地だと言われている。唯一、新基地建設の中身に触れた報道番組は古館氏がキャスターを務めていた時代の報道ステーションではないかと思う。 安倍首相は国会の答弁で「強襲揚陸艦の運用を前提にするものでは全くないという点につきましては、これは米軍との共通の認識であるということもはっきり申し上げておきたいと思います」と否定したが、 政府はオスプレイの沖縄配備を直前まで隠していた過去がある。強襲揚陸艦の運用が無いなどと言われても信用できるだろうか? その他、気になった記事を備忘録として。 昨年の8月24日に撮影した、大念寺の地蔵盆の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑地蔵堂に信徒が集まり、住職が読経をあげる。この後、信徒が中心となってご詠歌を唱和する。 ↓昼間、町内をまわってお菓子を集めた子供たちに、お下がりが分配される。 |
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今日は曇り時々雨で、気温もそれ程上がらず過ごし易かった。撮影で出かける時は困るが、家にずっと居る日は、これくらいの天気の方が嬉しい。まとまった雨が降ったのは、久しぶりだ。 今朝、久しぶりに羽鳥慎一モーニングショーを観たらオスプレイの特集をやっていた。 この他、気になった記事を備忘録として。 はいだしょうこさんの絵を見て子供が泣き出すのと同質の破壊力だな。 |
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先月の30日に出張修理の担当者が修理のため会社へ持ち帰ったプリンターが、今日の午後に修理を終えて帰って来た。プリントすると用紙にスーッと引っ掻いたような細い線がつくので修理に出したが、原因は紙を送るギザギザのローラーに糸くずのようなものが付着していてローラーが回転しない状態だったそうだ。また、購入した時から紙詰まりをしていたが、こちらも調整してもらった。用紙の排出口の蓋が外れてしまっていたのも、取り付けてもらった。今回は購入したお店の3年保証の期間内なので、そちらで処理してもらったが、もし保証に入っていなかったら出張料金や作業費、部品代などで3万円ほどの出費になるところだった。 代替機をお返しし、直ってきたプリンターを接続してプリントの確認をした。 |
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↑修理から戻ってきたプリンター。さっそくテストプリント。思いがけず新しいインクとメンテナンスカートリッジが。 |
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一昨日は、瑞龍寺で開催された高岡薪能を撮影。こちらの様子も後々UPいたします。 | ||
↑瑞龍寺の境内で行われた薪能。演目は「清経」。謡や仕舞は観たことがあるが、能はたぶん初めて。 |
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今日は国宝の瑞龍寺で、高岡能楽会主催による薪能が行われる。一昨日辺りの天気予報では曇り時々雨で外での開催は危ぶまれたが、昨日から天気予報が良い方に変わり今日は晴れになっていて安心した。 薪能を含めた境内での舞台は17時45分からだが、能楽会の会員による素謡や連調連管の発表会が瑞龍寺の大茶堂で13時から行われるので、こちらも見せていただく事にする。 |
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あいの風とやま鉄道で、11時46分に高岡駅へ。南口に出て、駅前ロータリーの今庄で、天玉ちゃんぽんを食べて昼ご飯にする。 今庄から歩いて瑞龍寺へ。12時20分ごろに到着すると、総門を入って左側に能の舞台が設営されていた。 能楽会の第一部は13時からなので、しばらく瑞龍寺の伽藍を撮影して歩く。 ←薪能の舞台。 ↓国宝に指定されている山門。 |
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しばらく撮影してから能楽会の発表会が行われる大茶堂へ行き、理事長の上田さんにご挨拶をする。撮影申し込みの時に電話でお話しをしたが、お会いするのは初めてだ。撮影にあたっては所定の書類に記入が必要で、その書類を副会長の高田哲さんがお持ちになっているというので、高田さんのところへ。高田さんは自分の写真展に来て頂いた事もあり、町内でお顔を会わせる事もある。総門の下に受け付けが準備され、そこに高田さんがいらしたので書類をいただき記入をして提出した。 今日の薪能のパンフレットを一部いただいた。 以下が番組。 第三十六回 高岡薪能 番組 第二部 薪能(午後五時四十五分始) 場所 瑞龍寺山門前 ◇火入れの儀(午後七時ごろ) ◇能 |
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13時になり自然と第一部が始まった。7人から15人ほどで構成した13のグループが主に素謡を発表し、途中で太鼓と笛による連調連管(写真中段右)が披露された。 入れ替わり立ち替わりで休憩は無かったが、一曲が長いので終わったのは17時頃だった。 |
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↑素謡の発表の合間や終わってから撮影した、瑞龍寺の伽藍。緑の芝、青い空と白い雲が美しい。 大茶堂から、薪能の行われる山門手前に設営された舞台へ。パイプ椅子の他に、舞台の下に座布団を敷いた席も設けられていた。撮影場所の規制はないようなので、邪魔にならないように動いて撮ることにする。 |
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↑上田博理事長の開会宣言。→高橋正樹市長の挨拶。 |
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↓→金井雄資氏による演目解説と、舞囃子「紅葉狩」。 |
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↑狂言「水掛聟」。↓→仕舞「網ノ段」と「笠ノ段」。 |
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←↑火入れの儀の様子。 舞台で舞囃子、狂言、仕舞が行われた後、18時50分頃から火入れ式が執り行われた。 |
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「清経」のあらすじは、都で待つ清経の妻を家臣淡津の三郎が訪れ、一門の行く末に絶望し自害した清経の最後を語る。「生きるも死ぬも共に」との約束を果たさなかった清経を恨み、妻は遺髪をつき返し、悲しみの床につく。 涙にむせぶ妻の枕元に清経の霊が立つ。源氏に追われた一門が縋るような気持ちで宇佐八幡に詣でるが、神託は平家一門に冷たい。神仏にも見放されたかと力を落とし、絶望のあまり生きる望みを失ったことを語り、最期の様子を見せる。 |
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やがて修羅道の苦患が清経を襲うが、念仏の功徳で成仏する。 演能が終わったのは19時45分頃だった。夜空では雲の間から丸い月が顔を出していた。受け付けにいらした高田さんにご挨拶して、駅へと向かう。20時11分の金沢行きに乗車して、家へと帰る。 仕舞や舞囃子ではなく、今回初めて能を観た。能の動きと琉球古典舞踊、中でも女踊りや老人踊りの動作はあらためて似ているなと思う。腰をグッと落とし、すり足で動く。激しさはなく、踊りというよりやはり「舞」だ。 岡本太郎氏は留学先のパリ大学では民俗学も専攻していた。この『沖縄文化論』には、他にも示唆に富んだ文章が収載されており沖縄を知る大きな手がかりになった。またアメリカ占領下であった1959年と1966年に沖縄を訪れて撮影した写真を豊富に収載した『岡本太郎の沖縄』では、その写真家としての力量に驚かされた。 |
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昨日は富山で観測史上最高の39.5℃を記録したが、今日は新潟県で史上初の40℃超えを記録した。 | ||
暑さにたまりかねて、午前中はプールへ、午後は2時間ほど近くの図書館へ避難した。 <宇多田ヒカルが「5年かぁ」とツイート。母の藤圭子さん偲んでの投稿か>昨日、こんな記事が流れて来た。
昨日はもう一つ<元ワンギャル・相沢まきが第1子女児出産「赤ちゃんも私も号泣」>という記事が流れて来た。 ←相沢真紀改め、相沢まきさん。 |
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◯東電・中部電・日立・東芝、原子力事業で提携協議 |
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↑関野神社に鎮座する通町の守護神を年に一度お迎えに行き、町内の御旅所に一晩お泊まりいただく。↓一晩お泊まりいただいた守護神を、再び唐蹕に移して町内を巡行した後、関野神社へお戻しする。 | ||
台風20号が、21時頃に徳島県南部に上陸した。 俳優の菅井きんさんが、今月の10日に亡くなったことがわかった。 |
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昨日までは涼しい風が吹いて過ごし易かったが、今日から暑くてジメジメした真夏日が復活。明日、明後日は富山も猛暑日の予報だ。 ◯東京五輪ボランティア「中高生枠」確保へ 組織委 一昨日の19日は、鉄砲町・白銀後町の天神祭りに行って来た。 |
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8月19日(日) | ||
今日は鉄砲町・白銀後町の天神祭りを撮影に行く。鉄砲町も白銀後町も旧町名で、現在は鉄砲町の一部と白銀後町の一部は末広町、残りは白金町になっている。 天神祭りは、元々この地にあった曹洞宗の禅憧寺の敷地に置かれた天満宮で開催されていたが、禅憧寺が平成14年に廃寺となり、天満宮を町内の一角に移して斎行されている。鉄砲町・白銀後町の辺りは嘗て谷内(やち)と呼ばれていた地域で、天満宮の名も谷内天満宮が正式のようだ。 昔は8月24日、25日の2日間に渡って行われていたが、現在は1日だけで8月の第3日曜日に開催されている。2日間に渡っていた頃は24日の宵祭りの後、午前0時にお供えされた生きた鯉を用水に放す放生会が執り行われたが、今は御神体の巡行が終わった19時頃に鯉を放している。 今日の天神祭りの開始時間は17時からと聞いていたが、始まる前の町の様子も見たいので早めに家を出る。電車で行こうかとも思っていたが、晴れで涼しい風も吹いていたので自転車にした。 15時少し前に家を出て、天満宮に着いたのは15時50分頃だった。天満宮の前には祭壇が置かれ、テントが張られている。また、天満宮の横には台車に乗った小さな社があり、こちらに御神体を遷座して町内を巡行するのだろう。2000年頃までは唐櫃に御神体を移して巡行していたが、担ぎ手が居なくなったため台車に社を乗せて子供たちが引くようになったそうだ。 |
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↓天神祭りが斎行される谷内天満宮。→この社に御神体を遷座して町内をまわる。 |
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↑樽神輿(左)と「おきみ」の碑。 |
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天満宮の路地を挟んだ隣には樽神輿と祭壇が置かれ、天満宮から10mほど離れたところにある「おきみ」という女性を讃える顕彰碑の前にも祭壇の用意がされていた。 ←禅憧寺と彫られた石柱。 |
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16時20分頃に祭主である大木白山社の神職の方々が到着され、氏子の方々も少しずつ天満宮に参集された。 17時になり、先ず樽神輿の前で神事が行われた。これは白銀後町の祭礼で、樽神輿は昭和54年9月に制作されている。昔は神輿を担いで 町内を巡行したが、現在はお祓いをしてもらうだけになったという。 高尾宮司による神楽(太鼓)で始まり、修祓、祝詞奏上、玉串奉奠が行われる。祭主は宮司の奥さんが務められ、20分弱で終了した。 |
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↑白銀後町の祭礼。樽神輿のお祓いが行われた。 |
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白銀後町の祭礼の次に、10mほど離れたところにある「おきみ」という女性の顕彰碑で祭典が行われた。おきみについては、こちらの9/14頁(2)養老軒のことに書かれている。以下、引用。 高岡湯話に、貞節な女性、おきみのことが記されている。白銀後町に住んでいて、夫に先立たれて幼い男の子を抱えて女の細腕で手内職の機を織って、その僅かな手間賃で暮らしていた。その貧しい暮らしぶりを見かねて、ある男が、隣に住む婆さんを通じてお金を恵んでくれたが、おきみは、それを受け取らなかった。それには、真心こめて恵んでくださるのかも知れないが、私は未だ若い身であり、つい越えてはならないものを求めることにもなりかねない。といって固く断り、自らの節操を曲げずに仲々の貞女であった。 |
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↑↓→おきみを顕彰する「堕涙の碑」での祭典。宮司の娘さんが祭主を務めた。 |
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白銀後町の祭礼、おきみの碑での祭典が終わり、天神祭りが始まったのは17時50分頃だった。一昨年までは、天神祭りの前に子供たちによる鯉の放流が行われていたそうだ。 天満宮略縁起 解説 |
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↑天神祭りの神事の様子。祭壇には、神饌の生きた鯉が入れられたビニール袋を詰めたダンボールが置かれている。 |
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↑天神像と御神体の掛け軸を取り出す宮司。 玉串奉奠の後、天満宮の祠から天神像が、続いて御神体である布に包まれた天神様を描いた掛け軸が宮司によって取り出され、台車の上に乗せられた小さな社に遷座された。 天神像は前に、御神体の掛け軸と縁起書は社の中に安置された。社の裏には「明治参拾九年八月 新築 天満宮御本殿」と記されている。 |
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18時10分頃から、御神体を安置した社が子供たちによって町内を引きまわされる。途中までは「ごーざった ごーざった 天神さんが ごーざった」とテープレコーダーに録音された歌と一緒に、子供たちも声を上げて引いていた。子供たちの後について歩く二人の神職は、家の前でお祓いをしながら町内をまわる。 | ||
町内を巡行するのに25分ほどかかっただろうか。空は薄暗くなり、通りに置かれた行燈に火が灯る。 ←↓神饌の鯉を放流する放生会。 |
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19時頃、全ての神事が終了。直ぐに片付けが始まった。この後、テントの下で直会があるようだ。撮影させていただいたお礼を述べて、自転車で家へと向かう。 そう言えば、今日と明日は通町の布袋祭りだ。通町でも、同じ時間帯に御神体を唐櫃に安置して町内を巡行していたのだろう。帰り際、通町の方を見ると神事の行われる通町御車山交流館の照明が明々とついていた。 |
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昨日、今日と冷たい北風が吹いて随分と過ごし易い。猛暑から一転、秋晴れ。しかし、これで一気に秋?とは成らず、来週から再び猛暑になるようだ。 昨年の8月16日に撮影した中島町の水天宮祭の写真をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑水天宮祭では、夕暮れになると千保川で灯籠流しが行われる。↓御旅所になっていた中島公民館から、有磯正八幡宮へ還御される御神体。 |
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お盆休みも今日までのところが多いのだろうか?今日は全国的に雨模様のようだが、富山では14市町村に大雨、洪水警報が発令され、北陸線、城端線、高山本線が一時運転見合わせを行った。今年は猛暑と豪雨の夏だ。 一昨日の夜は弟家族、妹家族が集まり、昨日は午前中にお墓参りをして午後から立山町へ米道踊りを撮影に行った。 |
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8月15日(水) | ||
5時前、部屋をトントンとノックする音で目を覚ます。何かと思えば、母親が朝焼けが凄いと知らせるために起こしに来たのだった。とりあえず窓を開けて、何枚か写真を撮る。 | ||
←母親に起こされて見た朝焼け。 9時頃からお墓参りへ。父親の運転する車で4つの霊園をまわる。途中で、今年の2月に亡くなった叔母の家へ。もう誰も住んでいない家で、この先建物がどうなるかわからないので、写真を撮っておいた。 お墓参りが済んで家に帰って来たのはお昼頃で、3時間かかった。 お昼ご飯は昨晩の寿司やオードブルの残りを食べる。 |
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今日は立山町米道地区にある善入寺で米道踊りがある。お寺に電話で確認したところ、始まりは18時30分からで雨が降ってもお堂の中で行われるので見に来て下さいと言われる。善入寺の最寄り駅は富山地方鉄道の釜ケ淵駅で、芦峅寺に行く時は通過して行くが、駅で降りるのは2年前の11月に新瀬戸小学校へ池田浄瑠璃を見に行って以来だ。 | ||
↑富山地方鉄道の電車から。 電鉄富山駅を16時35分発の岩峅寺行きに乗車。午前中は快晴だったが家を出た15時過ぎから激しい雨が降り出し、雨足が弱くなったり強くなったりしながらも降り続いている。 |
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↑駅から善入寺までのスナップ。 ←善入寺。 途中にあるカーテンを閉じたりシャッターを下ろして眠ったようなお店を撮影しながら、小雨の降る中25分ほど歩いてお寺に着いた。 お堂では、地謡の男性が準備をされていた。やはり今日は雨が降ってきたので、本堂の中で踊りを行うそうだ。男性たちはこれから近くの公民館へ着替えに行くので、始まりまで中でお待ち下さいと言われる。 |
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↑地謡の座る椅子やマイクがセッティングされたお堂の中(左)。18時になると鐘がつかれ、子供たちも集まって来た。 18時になると境内にある鐘楼がゴーン、ゴーンとつかれる。子供たちも集まって来た。雨が止んだので着替えの終わった地謡の男性たちから外でやろうという声が上がり、急遽椅子やマイク、アンプやスピーカー等が外に出される。 |
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鐘楼堂の下に米道踊りの由来を書いた案内板があったので、以下に引用しておきます。 米道踊は、米道集落に伝承されている盆踊りです。 唄の一部 【追分】 【甚句】 【松坂】 |
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準備が整い踊りが始まったのは18時25分頃だろうか。地謡は唄・囃子が3人、三味線3人、胡弓1人、太鼓1人の計8人。踊り手は子供が14人に、大人の女性6人、男性1人。 続けて10分ほど踊ると休憩になり、演者と観客に飲み物が配られた。 休憩の後、同じ踊りをもう一度踊るのだが、ポツポツ降り出した雨が本降りになり、今度は急遽お堂の中でやることになった。 |
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←駅へ向かう道もシンとしている。 米道踊りの唄は「おけま」「追分」「甚句」「松坂」の4つで構成されているが、高音で唄う「追分」は唄い手が現在おらず行っていないので、2回目の踊りも10分ほどで終了した。 19時頃に踊りが終わり、片付けを少しお手伝いしてお寺を出たのが19時10分頃だった。 駅で来る時にコンビニで買って来たパンを食べて、19時53分発の電鉄富山行きの電車に乗る。 |
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電鉄富山に20時25分に到着する。ヤフーの路線検索では。20時55分発の金沢行きに接続となっていたが、富山駅の改札に行くと20時33分発の金沢行きに間に合った。 手元に富山大学人文学部文化人類学研究室が制作した『霊峰に抱かれて生きる人々と伝統ー立山町の調査記録ー 地域社会の文化人類学的調査27』という本がある。その中に「受け継がれてきたお盆行事ーオショウライと米道踊りー」という記事が掲載されている。この記事と、撮影の合間に胡弓奏者で米道踊り保存会会長の酒井孝さんからお聞きした話をまとめておく。 永禄11年(1568年)、上杉謙信に池田城が攻略され、池田城の家老の次男である林権右衛門重正が米道村に逃れてきた。重正の家臣である加野半右衛門は唄、踊り、管絃に堪能で米道の若衆にそれを伝えたのが、米道踊りの始まりとされる。 |
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一昨日くらいから全国的にお盆休みに入っているようだ。昨年の8月13日は上市町のおしょうらいを撮影に行ったが、今年は芦峅寺のオショウライを撮影に行って来た。オショウライは「精霊来」や「お招霊」などと漢字を当てるようで、迎え火を焚いて祖先を迎える行事だ。 芦峅寺では13日がオショウライをする迎え盆、14日、15日は招いた祖先の霊に家でゆっくり休んでいただき、16日は早朝に祖先をお見送りする送り盆となる。昔は14日、15日の2日間盆踊りを行っていたが、今は14日だけだそうだ。 オショウライが始まるのは日が暮れかかる18時前後からだろうが、その前に庚申塚や墓地の様子を撮影したいので少し早く着くようにした。 |
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↑常願寺川に架かる鉄橋を渡る電車(左)、有峰口駅には富山行きの電車が止まっていた。 電鉄富山駅を14時43分発の電車に乗る。芦峅寺の最寄り駅は千垣だが、有峰口もそれ程変わらない。千垣と有峰口の間にある常願寺川に架かる鉄橋を渡りたくて、有峰口まで乗車することにした。電鉄富山からは本宮駅までは料金は同じだ。 |
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↑有峰口駅にて。↓葛の花。→立山参道の石仏。 |
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有峰口から常願寺川に掛かる橋を渡って、芦峅寺集落の方へ歩く。あまり見たことのない花が咲いていたので撮影し、後で名前を聞いたら葛の花だった。 坂道を上がった小学校の横、村の入口に青面金剛を祀った庚申塚がある。立山信仰が盛んだった頃、村人や登拝者に禍を与える悪霊の進入を防ぎ、無病息災や長寿を願って建立された。 芦峅寺のオショウライでは村の中心にある雄山神社より千垣駅寄りに住む人は庚申塚へ、雄山神社よりも立山寄りに住む人は布橋の先にある墓地へ松明を持って祖先の霊を迎えに行く。集落にあるあの世と繋がる2つの場所へ、それぞれ向かうわけだ。 庚申塚の石段を上ると砂利を敷いた小さなスペースがあり、そこに松明(オショウライ棒)を燃やす窪みが作られ、傍に消火器が置かれていた。 |
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↑中央が青面金剛。↓→石仏や地蔵が並ぶ庚申塚。 |
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民家が建ち並ぶ集落の中心に来ると、ガレージや玄関の横に手作りの松明が置かれている家を何軒か見た。昨年の上市町のおしょうらいでは、ほとんどの人が市販のおしょうらい棒を使っていたが、芦峅寺ではまだ手作りする家が多いようだ。市販のものに比べてずいぶんと棒が長い。上市町では川原でくるくる回すだけだが、芦峅寺では火をつけてまわしながら庚申塚や墓地へ迎えに行くので、長い松明が作られているのだろう。 | ||
↑ガレージや軒先に置かれた、手作りの松明。 |
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今日は17時頃に芦峅寺の行事の世話役をされている佐伯照代さんのお宅へ伺うことになっているが、まだ時間が早いので閻魔堂から布橋、墓地を撮影して歩く。布橋はこの世(現世)とあの世(彼岸)を繋ぐ橋とされており、橋を渡って先に墓地がある。布橋の下を流れるうば堂川は、三途の川に見立てられている。 | ||
17時少し前に佐伯家に到着し、先月撮影した雄山神社の例大祭のフォトブックとプリントをお渡しする。そして、芦峅寺のオショウライについて色々と教えてもらう。今は布橋の先にある墓地まで松明を持ってご先祖様を迎えに行っているが、昔は布橋の手前で迎えたそうだ。お供えは昔は家で採れた夏野菜だった。夏野菜の他に素麺を供えるが、これを「足洗いそうめん」と呼んでいる。 ビールを飲みながらオショウライに関することを聞いてから外に出ると、家の前で松明を燃やしている男性がいらしたので、これからお墓へ祖先を迎えに行くのか尋ねると、既に墓地まで迎えに行って松明の火を行燈の蝋燭に移し、それを仏壇に供えるところだと仰るのでその様子を撮影させていただいた。 |
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↑先祖を迎えに行った松明の火を行燈の蝋燭に移し(左)、行燈の蝋燭を仏壇に供える(右)。 |
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しばらく大通りをウロウロしていると芦峅寺で建設業を営む志鷹さん一家が家の前で松明に火をつけて墓地に行かれる様子だったので、撮影させていただいた。志鷹さんのお家は今年初盆だが、芦峅寺では初盆だからと特別なことはしないそうだ。 | ||
家の前で火をつけた松明を持って布橋の方へ下りて行き、橋を回り込むように作られた道路を歩いて墓地に向かう。お墓は霊園の外れにあるので早めに家を出るそうだ。お墓の前に燃える松明を置き、その火を蝋燭に移して供える。そして蝋燭に火のついた行灯と提灯を下げて、家に戻られた。 墓地でしばらく松明をまわしながらご先祖様を迎えに来た人達を撮影してから、庚申塚の方はどうなっているかと思い大通りに出る。大通りを雄山神社の方まで行くと、道の両脇に松明の炎が点々とついていた。 雄山神社より千垣駅側の家は庚申塚に行くが、それは集落を貫く大通りに面した家で、大通りから奥に入った家は大通りに出たところで松明を燃やして済ますそうだ。 |
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松明を持った人達を撮影しながら庚申塚へ。塚の階段を上がると持って来た松明を砂利の窪みに投げ入れて燃やす。燃やしながらその場で手を合わせる人もいれば、青面金剛の前まで行って手を合わせる人もいる。庚申塚に来る人は松明は持って来るが、提灯や行燈を持って来ないので家の前で松明に火をつけた時に一緒に行燈の蝋燭に火をつけて仏壇に供えているのかもしれない。庚申塚を訪れる人が途切れたのは、19時15分頃だろうか。そろそろオショウライも終わりそうなので、佐伯照代さんのお宅へ戻る。 | ||
お盆なので照代さんのご主人、南海雄さんのご兄弟が北海道と富山市内から帰省されており、三兄弟が揃った写真と照代さん、南海雄さんのお母さんの5人揃った記念写真を撮影。 芦峅寺の各家庭の宗派はバラバラだが、14日、15日にお坊さんに来てもらいお経をあげてもらうのが一般的で、こちらの家も15日にお坊さんが来るそうだ。 芦峅寺ならではの「足洗いそうめん」も撮影させていただいた。 |
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↓仏飯器に入れて供えられた素麺。→夏野菜も供えられている。 |
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帰りは富山市内に帰るという次男の方に、富山駅まで車で送っていただいた。 16日の送り盆は、早朝にお供えしていた夏野菜とおはぎを持って布橋に行き、昔は川に流したそうだが、今は袂において来るそうだ。そして墓地に行って親戚のお墓も一緒にお参りをする。 奄美のお盆行事と芦峅寺のお盆行事はよく似ている。奄美は旧盆で旧暦の7月13日(今年は新暦の8月23日)にお墓へ提灯をぶら下げて祖先を迎えに行き、15日に再び提灯をぶら下げてお墓へお送りする。 |
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今日は中学の同窓会が高岡のホテルで開催される。今年で中学を卒業して43年か。前に出席したのは10年前だ。開始時間は18時からだが、その前に色々と用事を済まそうと、早めに家を出る。 あいの風とやま鉄道で、高岡駅に15時5分に到着。先ずは関野神社へ行き、禰宜の酒井さんに5月に撮影させていただいた利屋町の天神祭り他の写真をお渡しする。この天神祭りが病気療養後の最初のお仕事だったが、この時に比べてずいぶんとお元気そうでなにより。 関野神社を出て、歩いて5分ほどの大木白山社へ。 |
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今月催される鉄砲町・白銀後町の天神祭りについて記事を書かれた高岡市立博物館に以前詳細を尋ねたところ、寺内に天満宮があった曹洞宗禅憧寺が廃寺になり、天満宮の祠が町内に移されたが現在どのように祭りが行われているかわからないということだった。そこで、記事中に「御神体を唐櫃に移す時は、部屋を真っ暗にして覆面をした大木神社の神主が」と書いてあるので、現在の祭りの詳細が分かるかもしれないと訪ねてみた。 |
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社にも社務所にも誰もいらっしゃらなかったので、ご自宅の方へ伺った。宮司さんが応対して下さって、天神祭りの様子がわかった。 |
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↓→天神様の御神体が祀られた祠。 |
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天満宮の祠は直ぐにわかった。小さな空地の隅に木の鳥居とアルミサッシで囲まれた祠があった。 ←天満宮近くの川に鯉が泳いでいた。 |
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場所を確認したが、同窓会の開始時間まで1時間半以上ある。国宝の瑞龍寺で今月の26日に薪能が行われるが、瑞龍寺まで歩いて15分ほどなどで撮影の申し込みに行ってみた。拝観受付所に行くと、寺務所の場所を教えられたので訪ねて行く。薪能に関しては瑞龍寺は場所を貸しているだけなので、能楽会に聞いて下さいということで理事長の連絡先を教えていただいた。 瑞龍寺から高岡駅へ戻る。まだ少し会場に向かうには早いので図書館へ寄るが、17時で終了だった。1階フロアーの椅子に座ってしばらく休んでから、ゆっくりとホテルへ向かう。途中、御旅屋通りの大和デパートの隣でイベントが開催中で、広場に雪が敷いてあり子供たちが雪の上で遊んでいた。 始まりの15分ほど前に会場へ。3階に上がるエレベーターで、何となく見覚えのある顔。「同級生?」と聞いてみる(笑)。集まった同級生は40人ほどで、先生が3人参加されていた。 18時から始まった同窓会は、20時半過ぎ頃まで続いた。最後にホテルの従業員の男性にカメラを渡して、記念の集合写真を撮ってもらった。 |
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ずっと暑苦しい夜が続いているので部屋の窓を開けたまま寝ているが、今日は寒くて目が覚めた。 目が覚めてパソコンを起ち上げて目に入ったニュースが、俳優の津川雅彦さんの死去だった。8月4日に亡くなられていたそうだ。 |
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2007年5月に、雑誌の仕事で撮影させていただいた。東京・九段の事務所に伺うと、しばらくして津川さんが到着されたがそのまま取材とはならず、控え室で椅子に座り酸素注入器をつけて休まれていた。 インタヴュー中の顔写真を撮った後にポートレート撮影となったが、用意した背景布の前に立つと腕を前に組んで仁王立ちになり、真っ直ぐにカメラを見据える。もちろん俳優さんなのでそのまま撮影すれば絵になるが、撮らされた感があるので何枚か撮影した後に「津川さん、ちょっとボクに気を許してもらえないでしょうか?」と声を掛けてみた。 キョトンとされた後、「男に気を許すわけにはいかねー」と言って口元を緩められた。その瞬間に一枚撮った。また真顔に戻られたので、結局全部で9回シャッターを押して「ありがとうございました」と言って撮影を終えた。デジタルになってからは、あまりたくさんカット数を撮る方ではないが、9枚は自分でも少ない。でも、口元を緩められた瞬間の写真が撮れた時点で撮影を終えても良かったと思っている。 |
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日本の俳優さんタレントさん、ミュージシャンの場合、たいてい写真チェックがある。後日ポートレートとインタヴュー中の写真をセレクトして送ったが、ほとんどの写真にOKが出て安堵した。 一昨日は富山市八尾町にある本法寺の「法華経曼荼羅絵図」風入法要と、魚津市の上村木地区の七夕祭を撮影に行って来た。こちらの様子も後々UPいたします。 |
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↑本法寺の風入法要。重要文化財の曼荼羅絵図を納めた厨子を国宝殿から出し本堂に移す途中、信徒が無病息災を祈って厨子の下を潜る。↓上村木の七夕祭り。12体のアジロと呼ばれる神の化身が屋形船のお神輿と共に町内を練り歩く。 |
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五輪のマラソン競技の猛暑対策。コース沿いの店舗やビルで冷房を効かせた1階部分を開放してもらう「クールシェア」というトンデモなアイデアが出てきて驚いたが、今度は安倍首相からサマータイムの導入を検討するよう指示が出た。 のろのろスピードの台風13号が今夜から明日の未明にかけて関東、東北の沿岸に接近するとして大雨や暴風に注意するよう呼びかけられているが、フィリピンの東で台風14号が発生した。名前を「ヤギ」と言うらしい。 夜になって沖縄の翁長雄志知事の訃報が流れて来た。享年67歳という若すぎる死だった。 |
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富山市八尾町にある法華宗別院 本法寺で年に一度行われる、国指定重要文化財である「法華経曼荼羅絵図」の風入れ法要を撮影に行く。本法寺へは、本数は少ないが平日なら越中八尾駅からコミュニティバスが通っている。曼荼羅絵図を納めた厨子を国宝殿という蔵から出して本堂へ運ぶ厨子行列が10時から行われるので、それに間に合うように電車とバスを乗り継いだ。 | ||
あいの風とやま鉄道で富山駅に6時59分に到着。一度改札を出て構内のコンビニで買い物をしてから、7時21分発の高山線で越中八尾に7時53分に着いた。 コンビニで買ったパンを食べて、8時25分発のコミュニティバスの黒瀬谷線で本法寺下へ。帰りは歩くかも知れないとバスの運転手さんに言うとメーターを見て5.5キロだと教えてくれた。歩くと1時間ちょっとか。 |
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↑本法寺の山門(左)と本堂(右)。 8時37分に本法寺下に着いて、参道ではなく車の通るゆるい坂を上って境内へ。事前に電話で撮影の申し込みはしてあり、ご挨拶に伺うと住職(名刺には山主と書かれている)の方が対応して下さった。 |
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10時少し前に厨子行列が始まった。本堂の前に裃姿の門徒と住職が列を作り、境内の隅にある国宝殿(収蔵庫)へ曼荼羅絵図を納めた厨子を取り出しに行く。殿から出された厨子は本殿に運ばれるが、途中で立ち止まり参詣者が厨子の下をくぐり抜けて無病息災を祈る。越中八尾と同じ高山線の楡原駅に近い布尻と町長地区で行われている、お鍬さま祭りで行われるお神輿の下をくぐる習慣とよく似ている。お鍬さま祭りでは御神体である小さな木製の鍬を祀ったお神輿が毎年2つの地区のお宮さんを行き交うが、その途中に無病息災を願って住民がお神輿の下をくぐる。 厨子が本堂の中に入ると、ここでも中で待っていた参詣者が厨子の下をくぐり、一通りくぐり終わると本堂の中央に安置された。 |
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↓本堂に安置された厨子。→厨子を前にして読経する住職。 |
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↑厨子が本堂に安置されると、他所のお寺の住職による前座説教が行われた。 |
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前座説教の後は、国宝殿の隣にある拝観所で本修寺からいらした僧侶による絵解きが行われた。曼荼羅絵図は22幅あるが、ガラスケースにはその中から3幅の曼荼羅絵図がかけられており、一つずつ説明があった。 | ||
拝観所での絵解きが終了すると、本堂でお弁当とペットボトルのお茶が無料で配られた。 瑞泉寺や善徳寺の絵解きでは庫裏で600円ほどのお斎を出される。思いがけず無料のお弁当が出され、ありがたくごちそうになった。 お弁当を食べて扇風機の風に当たって休んでいると、太鼓の乾いた音と鐘の音。13時からの風入れ大法要の5分前を知らせる合図だった。 |
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↑↓→風入れ大法要。読経、雅楽があり、厨子から絵解きされる第九軸が出される。 |
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↓→僧侶が退室し、第9軸が文化財保存協会の職員の手によって吊るされる。 |
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風入れ大法要が済み、住職による曼荼羅絵図の絵解きと説教が行われる。曼荼羅絵図は全22幅だが、毎年その中から1幅が吊るされ、今年は第九軸の曼荼羅絵図だった。 ただし、この曼荼羅絵図の由緒については新説も出ており、海からの出現という伝説は絵図の権威を高めるためのものであり、時代ももっと後のものだとしている。詳しくは北日本新聞の「激動を生きた文化財 新説・本法寺法華経曼荼羅絵図 (1)勧進僧浄信/恩徳院の長老が制作か」で。 |
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↑↓第九軸の絵解きを行う住職。→絵解きの後、専門家によって仕舞われる絵図。 |
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住職による絵解きと説教が終わると絵図は厨子に仕舞われ、絵図の入った厨子は門徒に担がれて国宝殿に戻される。 |
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本殿を出る前に入口で厨子くぐりが行われた。その後参道を行列が歩を進める。途中で一度立ち止まり、また無行息災を願って厨子の下をくぐる。せっかくなので撮影の手を止めてくぐらせていただいた。 | ||
厨子は門徒の方々の手によって国宝殿に納められた。次に扉が開けられるのは、一年後か。 撮影が終わり寺務所の方へ挨拶に行き、今日の祭典のスケジュールを書いた紙を複写させてもらった。 法要が終わったのが15時15分過ぎで、次に越中八尾駅へ向かうバスは18時12分。3時間ほどある。覚悟を決めて駅まで歩く。途中にあるお墓やお地蔵さんの横に白い幟が立っている。お盆が近いからだろうか? |
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ご案内 第六百九十一回 法華経曼荼羅絵図 風入れ大法要 日時・・・平成三十年八月六日(月) 絵解き用の第九軸を吊るす時と厨子に納める時、文化財保存協会に立ち会って貰います。 |
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15時半頃に本法寺を出発して、駅に到着したのは16時40分だった。途中、何度か風景を撮影したりしていたので真っ直ぐ歩けば1時間で歩ける距離かもしれない。 今日は夜に魚津市の上村木地区の七夕祭がある。今日が宵祭りで明日が本祭り。昨年も8月6日の宵祭りの日にせり込み蝶六踊りを撮影した後で見に来たが、天気予報で雨の降る予想だったため中止になった。アジロと呼ばれる神の化身の衣装が、雨に濡れると色が落ちて大変だからだそうだ。 今日も空は曇りで雨が降ってもおかしくない気配ではある。心配になったので魚津観光案内所に電話すると、魚津は昼頃に雨が降ったが夕方から夜は降らない予報なので七夕祭は行われるということだった。 17時17分発の高山線で越中八尾から富山駅へ。富山駅に17時50分に着いて、18時12分のあいの風とやま鉄道で魚津へ。魚津には18時36分に着いた。七夕祭の練り歩きは19時30分からだが、アジロの拠点となっている上村木神明社へ行ってみる。 |
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神明社へ向かう道すがら太鼓の音が聴こえて来た。聴こえて来る方に歩いて行くと、提灯で飾り付けたリヤカーに太鼓を乗せた太鼓台と、竹箒を持ったひょっとこ、アジロが歩いていた。祭りの開催を呼びかけるふれ太鼓だろう。ひょっとこは中学生の役で、昔は交通整理をしていたそうだが、今は露払いの役目だろうか。 しばらく着いて歩いてから神明社に行くと、ちょうど屋形船のお神輿が神社を出るところだった。 |
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七夕祭の練り歩きのスタートは19時30分からだが、18時50分頃に神社を出たアジロとひょっとこ、太鼓台はスタート地点の上村木東交差点を通り越してアップルヒルという商業施設の少し先まで歩く。そして再び上村木東交差点に戻り、屋形船のお神輿と合流。交差点には子供を連れた父兄がたくさんアジロの出現を待っていた。 上村木の七夕祭の由来などは保存会のホームページに書いてあるが、昨年の日記で自分が書いた文章を引用しておく。 大正初め(2年とも言われる)に3人の少年が入善町の吉原や芦崎のえびす祭りで曳きまわされる屋形船を見て、自分たちでもこんな祭りをやりたいと船を造ったのが始まりだそうだ。当時上村木神社(今の神明社だろうか?)は上村木東交差点、現在のアップルヒル敷地内にあり、そこにあった杉の御神木には天狗が住んでいるという伝説があったので、天狗の面を着けたあじろと呼ばれる神が屋形船と一緒に練り歩くことになったようだ。あじろ=網代だろう。後で衣装に触れたが、薄い木のパサパサした感触だった。このあじろの衣装が雨に濡れると色が落ちて作り直さなくてはならず、今日の雨天中止になったようだ。 当初は天狗とひょっとこだけだったが、昭和初期から赤い般若(通称バツ)や白狐などが生まれ、2012年の百年祭には全ての神(あじろ)を束ねる大鬼神が誕生し、現在は総勢13体となった。何となく神様というより、ポケモンのような感じがしないでもない(笑)。あじろは七夕祭だけではなく、交通安全のキャンペーンなどの地域イベントにも出演しているようだ。 |
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駅前の大通りを練り歩くときは台車に乗せていた屋形船のお神輿だが、沿道に提灯をぶら下げた通りに入ると担ぎ上げ、リヤカーをデコレーションした太鼓台は道の真中でクルクルと回転するパフォーマンスを見せる。 |
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1時間ほど練り歩いた8時半頃、神社の少し手前で今日の宵祭りは終了した。今年の隊長だという男子が挨拶し、解散した。アジロやひょっとこ、屋台船が神社に帰る。明日の終了時間は21時頃だそうだ。 *北日本新聞の記事。 |
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The 10 string Classical Guitar 。初めて見た時、極太のネックとヘッドの形から「ツチノコのようなギターだな」と思った。 この幅広のネックの上を銀次さんの小さい手が縦横無尽に滑り、時に掌で叩いてパーカッションのようにも使っていた。 |
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昨晩はクロスウインドではなくて、久しぶりに自宅録音のシリーズ『Private Diary』の一枚を聴きながら寝た。全楽器を一人で演奏して録音したもので、ドラムは打ち込みだが、その打ち込みのフレーズがギタリストとは思えない(笑)。ホントにドラムが好きなんだろうなと思う。 2カ月後の10月2日、ホームグランドだった吉祥寺のシルバー・エレファントで、小川銀次「ありがとう」~生徒の集い~と題したライヴが行われる。命日である今日から、チケットの予約が開始されるそうだ。詳細はGinji Ogawa Official Siteで。 写真は2008年11月22日、吉祥寺シルバー・エレファントにて。 |
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The 10 string Classical Guitarを弾いている動画をYou Tubeで探したがなかったので、アコースティック・ギターによる「Wait and See/小川銀次SOLOライブ」を。 昨年の8月14日に撮影した朴谷の「獅子舞 IN SUMMER」の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑朴谷の獅子舞は太くて赤いタスキをかけた天狗がたくさん登場する新川獅子。写真の演目は、天狗と獅子が桶に入ったお酒を取り合って共に酔っぱらう「猩々」。 | ||
◯首相は会ってない、言ってない・・・伏せる・否定する官邸 |
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今日から8月。相変わらず暑い日が続いている。朝5時過ぎに起きて作業を開始し、10時半頃から30分ほど市営プールに泳ぎに行く。 |
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CS3のパッケージからディスクを取り出して、iMacにインストール。インストールが完了するまで15分程かかった。インストールしてもAdobeのライセンス認証を得なければ30日で使用できなくなるので、インターネット経由でライセンス認証のボタンを押すが、接続エラーになってしまう。 Adobeのサポートは受けられないだろうから、インターネットのプロバイダーとして使っているOCNに問い合わせてみる。 |
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OCNのサポーターに状況を説明するとマックのOSを聞かれたので、OS10.7.5だと答えると、AdobeはマックのOS10.8以下はサポートしてないと教えられる。ライセンス認証が接続エラーになるのはそれが原因かはわからないが、困ったもんだ。 |
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↑火のついたおしょうらい棒をゆっくりと円を描くように振って祖先の霊を迎える。↓19時30分に白竜橋の真ん中に設営されたテントの中で僧侶の読経が始まり、それに合わせて河川敷の櫓に火がつけられる。火のついた櫓の周辺で、個々人がおしょうらい棒を振り回して、祖先の霊を迎える。 | ||
◯安倍政権が突然「外国人労働者受け入れ」に転換した分かりやすい事情 ◯ 辛淑玉さん、「ニュース女子」制作会社と長谷川幸洋氏を提訴「人間の尊厳取り戻したい」 ◯安田さんと親交あるジャーナリスト「解放に向けた働きかけを」 |
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