HOME TOP | ||
○8月13日(水)〜25日(月) HARUKI写真展「The Human Portraits シリーズ『普通の人びと 1987-2007」/America-Bashi Gallery おきなわ物語 イベントスケジュール2014上半期、下半期 |
||
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu ○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
||
27日の午後にネットでアマゾンに注文したプリント用紙とインクが、翌日28日の午後には届いた。現物を見て確かめなくても良い商品なら、富山に居てもさほど不便は感じない。神奈川に住んで居たときも、新宿までの交通費と電車移動の時間を考えてアマゾンで買う事も多かった。 今回注文したプリント用紙はA3ノビで、家にあるプリンターで印刷できる一番大きなサイズだ。28日の夜から今日のお昼までで60枚程プリントしたが、その間に13本のインクを消費した。最終的には200枚程プリントするので、どれだけの数のインクを消費するのかちょっと不安ではある。それにしても家のプリンターはよく働いてくれる。サイズは様々だが、これまでに何千枚のプリントをしただろうか? |
||
↓A3ノビ20枚入りを5つ購入。→2日間で13本のインクを使用した。 |
||
午後から、自転車でのんびり漕いでも10分くらいのミュゼふくおかカメラ館へ、明日まで開催している「篠山紀信展 写真力」を見に行く。土曜の午後という事もあり駐車場はいっぱいで、交通整理の人まで出ていた。 100枚程のポートレートが「GOD」「STAR」「SPECTACLE」「BODY」「ACCIDENTS」と言う5つのテーマに分けて展示されていた。若かりし頃のカルメン・マキさんのヌードが飾られた「BODY」等、どれも興味深かったが、鬼籍に入られた人々と題された「GOD」が印象に残る。渥美清、ジョン・レノン、森光子、中村勘三郎、夏目雅子、勝新太郎、三島由紀夫、大原麗子、美空ひばりの特大写真が大きな個室の壁面に並べられており、なんだか個室全体が祭壇のような趣だった。 自分がかつて撮影させていただいた人の中にも、随分と亡くなられた方が多くなった。生田恵子、池真理子、忌野清志郎、植村秀(シュウ ウエムラ)、笈田敏夫、大滝詠一、 岡本文弥 、尾崎豊、小沢昭一、加藤和彦、金田龍之介、河村かおり、清水九兵衛(7代目清水六兵衛)、今野雄二、島倉千代子、ジョニー吉長、田端義夫、照屋林助、原 六朗、二葉あき子、アリフ・マ-ディン、カート・コバーン、グサン・マルトハルトノ、チャック・ブラウン、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、バート・ヤンシュ、ボビー・バード、レイ・カーネetc・・・と言った人達だ。 7年程前に、桑本正士さんが南青山の小さなギャラリーで『PORTRAIT 1 鎮魂歌』と題した写真展を開いた。フランク・ザッパ、カート・コバーン、ジョ-・ストラマ-、照屋林助、高田渡などすでに亡くなった23人のミュージシャンの写真が飾られていて、これも印象に残る写真展だった。篠山紀信さんの特大写真とは対照的に、こちらは六つ切りの印画紙に焼いたモノクロのプリントが並んでいた。 |
||
カメラ館に1時間半ほど居ただろうか。展示コーナーを2周して外に出る。 確か天気予報では、今日の空模様は曇りと雨だったが、秋晴れ。しかし昼間は半袖でも大丈夫だが、朝夕はすっかり冷え込んで来た。亜熱帯の島で4年間を過ごした身には、ちょっと肌寒く感じられる。 晩ご飯の後に、プリント用紙を2種類ほどテスト。アマゾンで、またプリント用紙とインクを注文。 |
||
4月29日に撮影した、南城市古堅地区の豊年祭・ミーミンメーの様子をPhoto Albumにしました。準備からニーヤ(照屋家)での奉納芸まではこちら。お宮での御願からアシビモーでの奉納芸、後片付けまではこちら。 | ||
↑ニーヤ(根家)である照屋家の庭にて。↓公民館での芸の奉納の後、ミルク様を先頭に集落を道ジュネー。 |
||
ヤフーの天気予報では、今日の最高気温28℃、最低気温22℃となっていたが、夕方外へ出かけたら半袖のTシャツ一枚では肌寒かった。もう空気は秋めいている。 |
||
相変わらず部屋でパソコンに向き合う日々だが、合間に永島慎二の「若者たち」と「漫画家残酷物語」を読んだりしている。どちらも30年以上前に買った漫画で、どちらも何十回となく読み返していると思う。そして、永島漫画を読むと、はっぴえんどの曲が聴きたくなる。 |
||
4月13日に開催された、「コザ・てるりん祭」の様子をPhoto Albumにしました。ティンクティンクから我如古より子・宮沢和史さんまではこちら、仲本興次さんから園田青年会のエイサーまではこちら。 | ||
↑山里ユキ・饒辺 勝子・金城恵子さん。↓園田青年会によるエイサー。 |
||
朝日新聞デジタルに「河川や湖沼、基本的に除染せず 環境省」という記事が載っていた。除染せずと言うより、現実には除染する事は不可能でありお手上げ状態なのだと思う。驚くのは記事の中にある「地元には、飲み水に利用しているダムなどの除染を求める声などもあるが、水道設備で放射性物質の影響を取り除くことができるとした」と言う一文だ。水道設備にそんな高性能な機能があるとは知らなかった。ならばトラブル続きの汚染水除去装置アルプスの代わりに、放射性物資の影響を取り除ける水道設備を設置すればいいではないか。 | ||
朝から夜まで家にいてパソコンに向かっている日が続いたので、今日の午後は気分転換に1時間半ほど自転車で近所を走って来た。↓の写真は家から自転車で10分程のところにある、来春開通する北陸新幹線の線路。 | ||
4月3日に撮影した、平安座島のサングヮチャーの様子をPhoto Albumにしました。集落内のスナップとトゥダヌイューはこちら。巨大な魚を象った神輿の行列とナンザ拝み、仮装コンテストはこちら。 |
||
↑魚を銛で突き、その銛を肩に担いで踊るトゥダヌイューと言う儀式。 ↓巨大な魚を模した神輿を担いで浜に行き、ナンザと呼ばれる岩礁へ拝みに行く。 |
||
今日、辺野古キャンプ・シュワブのゲート前で新基地建設反対の抗議集会が行われた。辺野古ゲート前に3600人=「基地建設泊める」と抗議集会、辺野古新基地中止を 県民集会 工事強行に怒りの拳。 今月15日に締め切られた川内原発の再稼働適合審査書案へのパブリックコメントだが、30日間の募集期間で約1万7千通の意見が寄せられたそうだ。 |
||
16日の夜から17日の朝にかけて降った雨で京都・福知山市街地が水没。家屋の浸水被害は床上1155戸、床下1296戸の計2451戸に上る。また、岐阜・高山でも大雨により61戸が床上、床下浸水している。 辺野古への新基地建設のために行われる、工事海域の地盤を調べるボーリング調査が18日に着手された。これに反対する抗議集会が23日(土)、キャンプ・シュワブゲート前で開かれる。これに合わせて26台のバスがチャーターされている。先着順だが、往復一人1000円で利用できる。 3月29日に行われた、登川誠仁さんの一年忌追悼公演の様子をPhoto Albumにしました。追悼公演の前、散歩に寄った普天間周辺や具志川のスナップはこちら。追悼公演の様子はこちら。 |
||
↑具志川にて。↓ 登川流会員一同による「寄師事る宝・新デンサー節」。 |
||
姪っ子が所属する吹奏楽部の、定期演奏会を聴きに行く。曲目に、ディープ・パープル・メドレーと言うのがあった。You Tubeで検索すると、わりと吹奏楽ではポピュラーなレパートリーのようだ。せっかくなので本家の「スモーク・オン・ザ・ウォーター」と、王様の「高速道路の星〜湖上の煙」。 | ||
69回目の終戦記念日だが、なんだかピンとこないのは武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に代えられたり、解釈改憲で集団的自衛権を容認させようとする現政権の時計の針を戻すような政策からだろうか。それとも毎日のように不発弾処理が行われ、ガマでは今も遺骨収集が続けられている沖縄で2年を過ごしたからだろうか。辺野古への基地建設や、北部・高江でのヘリパッド建設に揺れる沖縄は、未だに戦世(いくさゆ)の中にあるのかもしれない。 一昨日、「日本人の魂の原郷 沖縄久高島/比嘉康夫」(集英社)を読み終えた。本の中で気になった箇所を、いくつか引用させていただく。 ○カマドと火神(ヒルカン) |
||
↓→今年の旧正月に撮影させていただいた、外間殿の火神。 |
||
○始原の地ニラーハラー 久高島で呼ばれている「ニラーハラー」は、沖縄全般で呼ばれている「ニライカナイ」と同意の言葉である。〜略〜 集落から東海岸沿いの農道を約二キロほど行くと、モンパノキが群生したところがある。この木は海浜の低木で、銀緑色の肉厚の葉をダリヤの花弁のようにつけ、まるで潮除けのように生えている。そのモンパノキの群生の中を海浜に出る小道があるが、その小道の脇に、自然石が置かれた小さな広場がある。ここがニラーハラーの最高神の一神<東リ大主・アガリウプヌシ>の神職者が司る御嶽である。この御嶽、イシキ泊は一七一三年、首里王府が編集した『琉球国由来記』に、 伊敷泊二御前 一、御前ギライ大王 一、御前カナイ真司 と記載されているものである。 |
||
久高島の伝承では、この御嶽は、ニラーハラーから神々が神船に乗って来訪するときに、最初に上陸した地点といわれる。〜略〜毎年旧暦の四月と九月に来訪するニラーハラーの神々はこのイシキ浜からシマに上陸し、神船はこの浜に係留されると考えられている。 |
||
引用した箇所以外にも、興味深い話がたくさん綴られた本だった。 久高島ではエイサー(盆踊り)や豊年祭といった沖縄本島や八重山諸島に見られる祭りはない。久高島の区長さんとお話ししていた時に、久高島では人が亡くなられた時以外に墓地へ行く事はほとんどないとおっしゃられていた。沖縄では広く行われている、お墓の掃除をして、祖先とともに共食する清明祭も久高島にはない。思うに、久高島で行われている祭祀と言うのは中国などからの影響を受ける前、古い時代の琉球の祭祀だけを連綿と続けているのではないだろうか。 日本人の魂の原郷かはわからないが、沖縄あるいは琉球弧の島々の魂の原郷が久高島に残っていると言うのは理解ができる。 |
||
今日は朝早くから、木原家や親戚のお墓参りに行って来た。 |
||
「日本人の魂の原郷 久高島」を読み終えたので、「古琉球/伊波普猷 著/外間守善 校訂」(岩波文庫)を読み始める。 | ||
書こう書こうと思いながら中々筆が(キーボードを打つ指が)進まなかった川内原発の再稼働適合審査書案へのパブリックコメントだが、明日が募集期限なので午後から集中してパソコンに向かい、福島第一の事故処理すらままならない現状で、これ以上原発による事故・災害を起こす事は絶対に許されないことと、川内原発が建設されている立地の危険性について書いてみた。以下はその一部。 凍土壁が凍らず、1日10トンの氷を投入していた福島第一だが、222トンの氷を投入しても目に見える効果がなく、今月7日から切り札としてドライアイスを1トン投入したら配管が詰まり今後の投入を見合わせていると言う。また、東電は11日、地下水を汲み上げて浄化した後に海に放出するという計画を原子力規制委員会に提出したが、昨日のニュースでは3年前に導入したもののトラブル続きでほとんど稼働していない仏製の汚染水処理装置を廃止すると報じられている。汚染水処理装置を廃止するなら浄化はできないはず。単に基準値以下に希釈して放出しようなどと考えていないよう、切に願うばかりだ。 辺野古の海が騒がしい。沖縄防衛局は今日、辺野古の沿岸部に臨時制限区域を示すブイやフロートを設置。同区域での海底ボーリング調査の早期着手を目指しているそうだ。11月に行われる沖縄県知事選までに、埋め立てへ向けての既成事実を作りたいのだろうか。国民に丁寧に説明したい、しっかり説明したいと言いながらやっている事は強行な事ばかりだ。国民に、沖縄県民に少しでも寄り添う気持ちがあるなら、せめて辺野古が争点と言われる11月の県知事選の結果を待っても遅くはないだろう。 内閣支持率続落43%に=6割が原発再稼働反対。時事通信の発表した内閣支持率だが、なぜ40%以上も支持があるのかわからない。 辺野古埋立承認問題等調査特別委員会(百条委員会)による仲井眞知事の証人喚問が行われた、2月21日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
||
↑百条委員会が行われている議事棟1階ロビーで、仲井眞知事の証人喚問を見る市民。 ↓県庁前広場にて、埋め立て承認取り消しを求める抗議行動。 |
||
HARUKI氏の初の写真集『 The Human Portraits ・ シリーズ 普通の人びと 1987-2007より』の出版を記念した写真展が、渋谷のアメリカ橋ギャラリーで昨日から開催されている。 | ||
昨日台風11号が、兵庫から福井へと本州を横断した。テレビの気象予報では富山も暴風、強風が吹きそうな天気図だったが、午後にしばらく強い雨が降っただけで夕方には雲の隙間から日差しも出た。 |
||
今日は午前中からパソコンに向かい、撮影データの現像。午後になって髪の毛が伸びているので散髪に。栄町市場近くの床屋で5月の中頃に切って以来なので3ヶ月ぶり。3ミリのバリカンを入れてもらい、中央は少し立ててソフトモヒカンに。ひげ剃りとカットで1500円+消費税。 2月19日に撮影した辻の旧二十日正月(ハチカソーグヮチ)の様子をPhoto Albumにしました。神人の拝所巡りとジュリ馬の奉納はこちら。ミルクうなり、赤馬節、ジュリ馬のスネイ、マミドーマの奉納演舞などはこちら。 |
||
↑石被、軸、辻むら開祖之墓では神人の御願の後に、じゅり馬が奉納された。↓昨年は登場しなかったミルク神が、今年は通りを練り歩いた。 | ||
ずっと暑い日が続いていたが、富山も昨日から雨模様で涼しくなった。今日の昼間は半そで半ズボンでは寒いくらいだった。 |
||
エプソンのプリント用紙からエントリーが姿を消した。写真用紙より少し薄手だが色の再現性は変わらず値段が安かったので重宝していた。しょうがなくてまた写真用紙に戻っていたのだが、今回写真用紙ライトという商品を購入してみた。エントリーよりもさらに薄手で、値段も安い。さっそく今日、カラーとモノクロを織り交ぜてプリントしてみた。色の再現は写真用紙と同様だと思う。 | ||
かなり薄いがファイルや額に入れるならば問題はなさそうだ。 |
||
↑生まれ島へ向かって遥拝をする、離島出身の家族。↓ビニールシートを広げ、遥拝の後に持って来たお重の料理を家族で食べる。なんだかピクニックのようでもある。 | ||
先月の22日に受診した特定健康診査の結果を聞きに、午後から病院へ行く。健康診断を受けたのは、40歳だったかの節目健康診査以来だろうか。 |
||
↑外間殿での祈願。中央は現在久高島でただ一人の男性神職者である外間根人(ニーチェ)。 ↓外間殿でシャクトゥイ(盃事)を受けた後は、庭に出てカチャーシーを踊る。 |
||
九州や四国で豪雨が続いている。高知県では1日からの雨量が1000ミリを越えた。一方富山は連日の猛暑で、今日の最高気温は富山で34度、伏木で35度となっている。 今日は午前中から部屋に籠ってプリント作業。昨年の9月30日から10月2日にかけて行われた西表島、祖納集落の節祭の写真をA4サイズの用紙30枚にプリントしてアルバムを作った。撮影でお世話になったお礼に送ろうと思いながら、なかなか作業ができず随分と日にちが経ってしまった。ミルク役の男性宅への訪問まで撮影させていただいたので、こちらにもミルクの写真を中心にA4用紙8枚のアルバムを作った。 |
||
←A4サイズで30枚のアルバムを作成。扉のページは、フダチミの手元を中心とした上半身の写真。 ↓プリントを畳の上に並べて乾燥中。タイミングが悪く、インクは3本取り替えた。 |
||
イスラエルが停戦交渉を拒否。これまでの戦闘でガザ側の死者は1650人を超え、その中には多数の子どもや女性が含まれている。イスラエル側も66人の死者を出しているが、63人は兵士だ。 |
||
泊めてもらった音響会社の0さん宅を7時頃に出て、Mさんの車で輪島の港へ。駐車場に車を止めて、朝市をやっている通りへと歩く。 |
||
↑7時ちょっと過ぎの輪島の朝市。平日なのと時間が早すぎたのか、人通りは多くなかった。まだ商店街ではシャッターを降ろしているお店が多く、露天の商いもこれから。 | ||
朝市の通りを一巡してから車を取りに港へ。帰る方向とは反対だが、Mさんの提案で名舟に行く途中にある白米の千枚田へ寄って行く。 ←海と山に挟まれた集落。いかにも北陸の田舎と言う風情。 |
||
千枚田を見た後、富山への帰途につく。途中、のと里山空港や穴水のぼら待ち市場、七尾フィッシャーマンズ・ワーフで休憩し、12時過ぎに家に着いた。それにしても小松空港は知っていたが、能登に空港があるのは初めて知った(汗)。能登半島は知っているが、能登島は知らなかった(大汗)。 | ||
7月へ |