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○8月13日(水)〜25日(月) HARUKI写真展「The Human Portraits シリーズ『普通の人びと 1987-2007」/America-Bashi Gallery
○9月1日(月)〜3日(水) 越中八尾 おわら風の盆

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 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

8月30日(土)

 27日の午後にネットでアマゾンに注文したプリント用紙とインクが、翌日28日の午後には届いた。現物を見て確かめなくても良い商品なら、富山に居てもさほど不便は感じない。神奈川に住んで居たときも、新宿までの交通費と電車移動の時間を考えてアマゾンで買う事も多かった。
  今回注文したプリント用紙はA3ノビで、家にあるプリンターで印刷できる一番大きなサイズだ。28日の夜から今日のお昼までで60枚程プリントしたが、その間に13本のインクを消費した。最終的には200枚程プリントするので、どれだけの数のインクを消費するのかちょっと不安ではある。それにしても家のプリンターはよく働いてくれる。サイズは様々だが、これまでに何千枚のプリントをしただろうか?
↓A3ノビ20枚入りを5つ購入。→2日間で13本のインクを使用した。
使用済みのインク
アマゾンから届いた写真用紙とインク
 午後から、自転車でのんびり漕いでも10分くらいのミュゼふくおかカメラ館へ、明日まで開催している「篠山紀信展 写真力」を見に行く。土曜の午後という事もあり駐車場はいっぱいで、交通整理の人まで出ていた。
  100枚程のポートレートが「GOD」「STAR」「SPECTACLE」「BODY」「ACCIDENTS」と言う5つのテーマに分けて展示されていた。若かりし頃のカルメン・マキさんのヌードが飾られた「BODY」等、どれも興味深かったが、鬼籍に入られた人々と題された「GOD」が印象に残る。渥美清、ジョン・レノン、森光子、中村勘三郎、夏目雅子、勝新太郎、三島由紀夫、大原麗子、美空ひばりの特大写真が大きな個室の壁面に並べられており、なんだか個室全体が祭壇のような趣だった。
 自分がかつて撮影させていただいた人の中にも、随分と亡くなられた方が多くなった。生田恵子、池真理子、忌野清志郎、植村秀(シュウ ウエムラ)、笈田敏夫、大滝詠一、 岡本文弥 、尾崎豊、小沢昭一、加藤和彦、金田龍之介、河村かおり、清水九兵衛(7代目清水六兵衛)、今野雄二、島倉千代子、ジョニー吉長、田端義夫、照屋林助、原 六朗、二葉あき子、アリフ・マ-ディン、カート・コバーン、グサン・マルトハルトノ、チャック・ブラウン、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、バート・ヤンシュ、ボビー・バード、レイ・カーネetc・・・と言った人達だ。
 7年程前に、桑本正士さんが南青山の小さなギャラリーで『PORTRAIT 1 鎮魂歌』と題した写真展を開いた。フランク・ザッパ、カート・コバーン、ジョ-・ストラマ-、照屋林助、高田渡などすでに亡くなった23人のミュージシャンの写真が飾られていて、これも印象に残る写真展だった。篠山紀信さんの特大写真とは対照的に、こちらは六つ切りの印画紙に焼いたモノクロのプリントが並んでいた。
窓からの風景
 カメラ館に1時間半ほど居ただろうか。展示コーナーを2周して外に出る。
 確か天気予報では、今日の空模様は曇りと雨だったが、秋晴れ。しかし昼間は半袖でも大丈夫だが、朝夕はすっかり冷え込んで来た。亜熱帯の島で4年間を過ごした身には、ちょっと肌寒く感じられる。
 晩ご飯の後に、プリント用紙を2種類ほどテスト。アマゾンで、またプリント用紙とインクを注文。
 4月29日に撮影した、南城市古堅地区の豊年祭・ミーミンメーの様子をPhoto Albumにしました。準備からニーヤ(照屋家)での奉納芸まではこちら。お宮での御願からアシビモーでの奉納芸、後片付けまではこちら
ミーミンメー01
↑ニーヤ(根家)である照屋家の庭にて。↓公民館での芸の奉納の後、ミルク様を先頭に集落を道ジュネー。
ミーミンメー02

8月27日(水)

 ヤフーの天気予報では、今日の最高気温28℃、最低気温22℃となっていたが、夕方外へ出かけたら半袖のTシャツ一枚では肌寒かった。もう空気は秋めいている。
若者たちと漫画家残酷物語

 相変わらず部屋でパソコンに向き合う日々だが、合間に永島慎二の「若者たち」と「漫画家残酷物語」を読んだりしている。どちらも30年以上前に買った漫画で、どちらも何十回となく読み返していると思う。そして、永島漫画を読むと、はっぴえんどの曲が聴きたくなる。
 You Tubeから「12月の雨の日」「かくれんぼ」「夏なんです」「春よこい」「風をあつめて」。

 4月13日に開催された、「コザ・てるりん祭」の様子をPhoto Albumにしました。ティンクティンクから我如古より子・宮沢和史さんまではこちら、仲本興次さんから園田青年会のエイサーまではこちら
コザ・てるりん祭01
↑山里ユキ・饒辺 勝子・金城恵子さん。↓園田青年会によるエイサー。
コザ・てるりん祭
 朝日新聞デジタルに「河川や湖沼、基本的に除染せず 環境省」という記事が載っていた。除染せずと言うより、現実には除染する事は不可能でありお手上げ状態なのだと思う。驚くのは記事の中にある「地元には、飲み水に利用しているダムなどの除染を求める声などもあるが、水道設備で放射性物質の影響を取り除くことができるとした」と言う一文だ。水道設備にそんな高性能な機能があるとは知らなかった。ならばトラブル続きの汚染水除去装置アルプスの代わりに、放射性物資の影響を取り除ける水道設備を設置すればいいではないか。

8月23日(土)

 朝から夜まで家にいてパソコンに向かっている日が続いたので、今日の午後は気分転換に1時間半ほど自転車で近所を走って来た。↓の写真は家から自転車で10分程のところにある、来春開通する北陸新幹線の線路。
北陸新幹線の線路

 4月3日に撮影した、平安座島のサングヮチャーの様子をPhoto Albumにしました。集落内のスナップとトゥダヌイューはこちら。巨大な魚を象った神輿の行列とナンザ拝み、仮装コンテストはこちら

魚を突いた銛を担いで踊る女性
↑魚を銛で突き、その銛を肩に担いで踊るトゥダヌイューと言う儀式。
↓巨大な魚を模した神輿を担いで浜に行き、ナンザと呼ばれる岩礁へ拝みに行く。
巨大な魚の神輿が浜へ運ばれる
 今日、辺野古キャンプ・シュワブのゲート前で新基地建設反対の抗議集会が行われた。辺野古ゲート前に3600人=「基地建設泊める」と抗議集会辺野古新基地中止を 県民集会 工事強行に怒りの拳
 今月15日に締め切られた川内原発の再稼働適合審査書案へのパブリックコメントだが、30日間の募集期間で約1万7千通の意見が寄せられたそうだ。

8月21日(木)

 16日の夜から17日の朝にかけて降った雨で京都・福知山市街地が水没。家屋の浸水被害は床上1155戸、床下1296戸の計2451戸に上る。また、岐阜・高山でも大雨により61戸が床上、床下浸水している。
 そして昨日未明に起こった、広島での豪雨による大規模な土砂災害。昨日はネットのニュースや、テレビのニュースをチェックするたびに死者の数が増えて行った。今日も午前中は、39人死亡、7人不明-1000人が避難所となっていたが、夜には行方不明者が51人に増えていた。
 この非常事態とも言える災害に、この国の首相もようやく昨日は別荘での静養を切り上げて官邸に出向いて指揮を取ったが、災害一報後も1時間ゴルフをしていたとして批判が出ている。土砂災害が起きたのは未明で、早朝には被害の規模もわかっていたはずで、途中で切り上げたとは言えゴルフに出た事に対して批判が出るのは当然だろう。また、夜には官邸を出て再び別荘に戻ったと報じられた。確かに首相が官邸にいても別荘にいても広島の状況が大きく変わるわけではないだろうが、国の責任者の心がどこを向いているのかを国民に示す事はできる。国民に向いているとわかれば、安心もする。しかし、どうも彼の心は国民にはあまり向いていなかったようだ。この今年2月の豪雪災害の時が思い出される。
 沖縄が日本に復帰した5月15日に、集団的自衛権の行使容認を目指す考えを表明した安倍首相。記者会見の中で「今や海外に住む日本人は150万人、さらに年間1,800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます。そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助、輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。このような場合でも日本自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を日本の自衛隊は守ることができない、これが憲法の現在の解釈です」と述べていた。
 シリアで湯川遥菜さんがイスラム過激派組織「イスラム国」に拘束されて4日以上が経つ。実際に紛争国で日本人が拉致され拘束されると言う状況が起こったわけだが、安倍首相からは不思議な事に何のコメントもない。

 辺野古への新基地建設のために行われる、工事海域の地盤を調べるボーリング調査が18日に着手された。これに反対する抗議集会が23日(土)、キャンプ・シュワブゲート前で開かれる。これに合わせて26台のバスがチャーターされている。先着順だが、往復一人1000円で利用できる。
 辺野古の現状は、元琉球朝日放送のキャスターで、映画「標的の村」の監督、三上智恵さんの連載コラム「沖縄撮影日記<辺野古・高江>」や、チョイさんの沖縄日記に詳しく書かれています。

 3月29日に行われた、登川誠仁さんの一年忌追悼公演の様子をPhoto Albumにしました。追悼公演の前、散歩に寄った普天間周辺や具志川のスナップはこちら。追悼公演の様子はこちら

具志川にて
↑具志川にて。↓ 登川流会員一同による「寄師事る宝・新デンサー節」。
登川誠仁さん一年忌追悼公演

8月17日(日)

定期演奏会
 姪っ子が所属する吹奏楽部の、定期演奏会を聴きに行く。曲目に、ディープ・パープル・メドレーと言うのがあった。You Tubeで検索すると、わりと吹奏楽ではポピュラーなレパートリーのようだ。せっかくなので本家の「スモーク・オン・ザ・ウォーター」と、王様の「高速道路の星〜湖上の煙」。

8月15日(金)

 69回目の終戦記念日だが、なんだかピンとこないのは武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に代えられたり、解釈改憲で集団的自衛権を容認させようとする現政権の時計の針を戻すような政策からだろうか。それとも毎日のように不発弾処理が行われ、ガマでは今も遺骨収集が続けられている沖縄で2年を過ごしたからだろうか。辺野古への基地建設や、北部・高江でのヘリパッド建設に揺れる沖縄は、未だに戦世(いくさゆ)の中にあるのかもしれない。
 朝日新聞デジタルが、戦没者追悼式での首相式辞の全文を掲載している。こちら。その中に、「歳月がいかに流れても、私たちには、変えてはならない道があります」と言う文言がある。変えてはならない道を、今変えようとしているのは当の本人ではないのだろうか?

 一昨日、「日本人の魂の原郷 沖縄久高島/比嘉康夫」(集英社)を読み終えた。本の中で気になった箇所を、いくつか引用させていただく。

○神となって歌うティルル
〜略〜祭祀で神女たちが神歌を歌うときは、神女に守護神が憑依していて、それによって現人神となって神詞を歌うのである。〜略〜 話はさかのぼるが、神歌が決まった形になったのはノロ制度以後のことであろう。それまでは、儀式が定期的におこなわれることもなく、もっぱら個人の命運を司る超能力者、目に見えない異界や神霊と交信する力を持つシャーマンが、個々の儀礼に応じて憑依した神霊の神詞を発していたと思われる。おそらくそのときの神詞はそれぞれのケースに応じたもので、ノロ制度以後の神歌のように決まった形ではなかったと考えられる。
 神霊の発する神詞のリアリティーは不定形のときの方が強かったことは確かであろう。神歌を定型化することによって作為性が加わり、神が発するというリアリティは弱くなったと考えられる。しかし、久高島では少なくとも意識として、神歌は神に歌わされているという状態を保ちつづけていた。

 今年行われた久高島の旧正月。外間殿へ上がる途中で若い神人が立ち止まり、殿に向かって一人で神歌を唱えた。その歌は覚えたと言う風ではなく、 突然<降りて来る>ままに歌っているように見えた。それにしてもその歌声は堂々として、ある種の威厳すら感じさせる。何かで覚えたという風ではなく、それは自信に満ちた声だった。

○カマドと火神(ヒルカン)
〜略〜終戦直後までは薪のカマドであった。近年の生活改善運動で、粘土やコンクリートで作ったカマドが普及したが、それ以前のカマドは、東海岸からとってきた自然石を三個立てた、ほとんど人の手を加えない簡素なものだったのである。
〜略〜
 現在の久高島のコンロ式の台所では、火神は灰を入れた陶器または磁器製の香炉を置いたものになっているが、カマドの時代は、主食煮炊き用の石三つ式のカマドそのものが火神であった。 今でもこのカマドがそのまま火神になっているところは、前記ハマメンダカリ家、それに古ムトゥでは外間根家(フカマニーヤー)に付属する祭場の外間殿にあるものである。このカマドでは神饌の煮炊きが以前と変わらずおこなわれている。
〜略〜
 家の守護神には、このカマド神のほかに<トゥパシリ>と呼ばれる香炉と<床ヌ神> がある。トゥパシリはその家の「主婦の香炉」であり、この香炉には主婦の亡祖母霊が依り憑くことと、御嶽に鎮まる亡祖母霊への遥拝の依代としての機能がある。おそらく現在のように守護神として定型化したのはノロ制度以後だろう。
 また床ヌ神は男性当主の守護神で、この守護神は、床の間という建築様式が久高島に取り入れられて以後のものと考えられる。 この香炉の守護神は不明で、礼拝の拠り所としてのみ機能する。つまり、両守護神とも火神より新しい。
 現在では、<トートーメー>と呼ばれる、位牌を祀る棚を備えた家が一般的になっている。
 この位牌は近世に首里王府が中国からとりいれたもので、儒教思想の、父系をたどっていく祖先観に基づいている。位牌を祀ることは首里王府から発し、全琉球弧に波及して現在に至っている。久高島でこの位牌を導入したのは大正十二年(一九二三年)ごろである。 久高島ではその導入が遅かったために、家庭祭祀は本来の守護神が中心で、位牌の祖先は付随的に礼拝がおこなわれているにすぎない。

↓→今年の旧正月に撮影させていただいた、外間殿の火神。
外間殿の火神02
外間殿の火神01
○始原の地ニラーハラー
 久高島で呼ばれている「ニラーハラー」は、沖縄全般で呼ばれている「ニライカナイ」と同意の言葉である。〜略〜
  集落から東海岸沿いの農道を約二キロほど行くと、モンパノキが群生したところがある。この木は海浜の低木で、銀緑色の肉厚の葉をダリヤの花弁のようにつけ、まるで潮除けのように生えている。そのモンパノキの群生の中を海浜に出る小道があるが、その小道の脇に、自然石が置かれた小さな広場がある。ここがニラーハラーの最高神の一神<東リ大主・アガリウプヌシ>の神職者が司る御嶽である。この御嶽、イシキ泊は一七一三年、首里王府が編集した『琉球国由来記』に、
 伊敷泊二御前
一、御前ギライ大王
一、御前カナイ真司
と記載されているものである。

 久高島の伝承では、この御嶽は、ニラーハラーから神々が神船に乗って来訪するときに、最初に上陸した地点といわれる。〜略〜毎年旧暦の四月と九月に来訪するニラーハラーの神々はこのイシキ浜からシマに上陸し、神船はこの浜に係留されると考えられている。
→イシキ浜と書かれた案内板。↓左は、イシキ浜へと続く小道。右は、上の文章にある御嶽だと思われる。

イシキ浜の看板
イシキ浜への小道と御嶽
 引用した箇所以外にも、興味深い話がたくさん綴られた本だった。
 久高島ではエイサー(盆踊り)や豊年祭といった沖縄本島や八重山諸島に見られる祭りはない。久高島の区長さんとお話ししていた時に、久高島では人が亡くなられた時以外に墓地へ行く事はほとんどないとおっしゃられていた。沖縄では広く行われている、お墓の掃除をして、祖先とともに共食する清明祭も久高島にはない。思うに、久高島で行われている祭祀と言うのは中国などからの影響を受ける前、古い時代の琉球の祭祀だけを連綿と続けているのではないだろうか。
 日本人の魂の原郷かはわからないが、沖縄あるいは琉球弧の島々の魂の原郷が久高島に残っていると言うのは理解ができる。
木原家のお墓

 今日は朝早くから、木原家や親戚のお墓参りに行って来た。 
  木原家のお墓は、2年程前に東京で仕事の撮影があった際、機材の調達を兼ねて沖縄から一度実家に寄った時にお参りしているが、もともとお盆の時期に帰省する事があまりなかったので、親戚のお墓は何十年ぶだったり初めてお参りする所もあった。
←お花やロウソクの他に、榊とお米、塩が供えられた。

 「日本人の魂の原郷 久高島」を読み終えたので、「古琉球/伊波普猷 著/外間守善 校訂」(岩波文庫)を読み始める。

8月14日(木)

 書こう書こうと思いながら中々筆が(キーボードを打つ指が)進まなかった川内原発の再稼働適合審査書案へのパブリックコメントだが、明日が募集期限なので午後から集中してパソコンに向かい、福島第一の事故処理すらままならない現状で、これ以上原発による事故・災害を起こす事は絶対に許されないことと、川内原発が建設されている立地の危険性について書いてみた。以下はその一部。
  川内原発は火山噴火の影響が懸念される立地に建設されています。原子力規制委員会は「運用期間中(核燃料が存在する期間)に、設計対応不可能な火山事象によって、本発電所の安全性に影響を及ぼす可能性について十分小さい」とした九州電力の評価を妥当としたそうですが、十分小さいはゼロではありません。福島の事故で安全神話が問われたこの国において、ゼロではないなら立地不適格とするべきではないでしょうか。
 また火山噴火の予知はできるとし、その上で原子炉の停止や核燃料搬出といった方針を出すそうですが、搬出した核燃料の搬出先はどこなのでしょうか?その場所は確保できているのでしょうか?また核燃料を取り出して搬出・運搬するという作業自体が非常に危険をともなうように思われます。そもそも火山噴火の予知は出来ないと言う火山学者の意見も多いようです。

  募集するのは科学的・技術的なご意見とあり、自分の書いたコメントがどれだけ科学的で技術的かは疑問があるが再稼働反対の意思表示にはなるだろう。また、最後に、安倍首相が「世界で最も厳しい」と豪語する日本の原発の安全基準ですが、メルトダウンが発生した時に備えて欧州の原発に設置されているコアキャッチャーという特殊な受け皿すら日本の原発にはありません。この状態がどうして世界で最も厳しい安全基準なのか、安倍首相に科学的・技術的に解説していただきたい。とも書き添えておいた。

 凍土壁が凍らず、1日10トンの氷を投入していた福島第一だが、222トンの氷を投入しても目に見える効果がなく、今月7日から切り札としてドライアイスを1トン投入したら配管が詰まり今後の投入を見合わせていると言う。また、東電は11日、地下水を汲み上げて浄化した後に海に放出するという計画を原子力規制委員会に提出したが、昨日のニュースでは3年前に導入したもののトラブル続きでほとんど稼働していない仏製の汚染水処理装置を廃止すると報じられている。汚染水処理装置を廃止するなら浄化はできないはず。単に基準値以下に希釈して放出しようなどと考えていないよう、切に願うばかりだ。

 辺野古の海が騒がしい。沖縄防衛局は今日、辺野古の沿岸部に臨時制限区域を示すブイやフロートを設置。同区域での海底ボーリング調査の早期着手を目指しているそうだ。11月に行われる沖縄県知事選までに、埋め立てへ向けての既成事実を作りたいのだろうか。国民に丁寧に説明したい、しっかり説明したいと言いながらやっている事は強行な事ばかりだ。国民に、沖縄県民に少しでも寄り添う気持ちがあるなら、せめて辺野古が争点と言われる11月の県知事選の結果を待っても遅くはないだろう。

 内閣支持率続落43%に=6割が原発再稼働反対。時事通信の発表した内閣支持率だが、なぜ40%以上も支持があるのかわからない。

  辺野古埋立承認問題等調査特別委員会(百条委員会)による仲井眞知事の証人喚問が行われた、2月21日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

仲井眞知事の証人喚問のテレビ中継
↑百条委員会が行われている議事棟1階ロビーで、仲井眞知事の証人喚問を見る市民。
↓県庁前広場にて、埋め立て承認取り消しを求める抗議行動。
埋立て承認撤回を求める抗議行動
 HARUKI氏の初の写真集『 The Human Portraits ・ シリーズ 普通の人びと 1987-2007より』の出版を記念した写真展が、渋谷のアメリカ橋ギャラリーで昨日から開催されている。

8月11日(月)

 昨日台風11号が、兵庫から福井へと本州を横断した。テレビの気象予報では富山も暴風、強風が吹きそうな天気図だったが、午後にしばらく強い雨が降っただけで夕方には雲の隙間から日差しも出た。
 白山と立山のお陰か、それほど強い風が吹く事もなく富山の平野では静かに台風の日が過ぎて行った。

10日の空模様

 今日は午前中からパソコンに向かい、撮影データの現像。午後になって髪の毛が伸びているので散髪に。栄町市場近くの床屋で5月の中頃に切って以来なので3ヶ月ぶり。3ミリのバリカンを入れてもらい、中央は少し立ててソフトモヒカンに。ひげ剃りとカットで1500円+消費税。

 2月19日に撮影した辻の旧二十日正月(ハチカソーグヮチ)の様子をPhoto Albumにしました。神人の拝所巡りとジュリ馬の奉納はこちら。ミルクうなり、赤馬節、ジュリ馬のスネイ、マミドーマの奉納演舞などはこちら

ジュリ馬の奉納
↑石被、軸、辻むら開祖之墓では神人の御願の後に、じゅり馬が奉納された。↓昨年は登場しなかったミルク神が、今年は通りを練り歩いた。
ミルクうなり

8月9日(土)

 ずっと暑い日が続いていたが、富山も昨日から雨模様で涼しくなった。今日の昼間は半そで半ズボンでは寒いくらいだった。
  アマゾンで、6日の夜にポチっとした商品が昨日届いた。今回購入したのはプリンターのインク8色10本と、プリント用紙、充電式単三電池、本が2冊だ。本の方は「日本人の魂の原郷 沖縄久高島/比嘉康夫」(集英社)と「古琉球/伊波普猷 著/外間守善 校訂」(岩波文庫)で、どちらも沖縄に住んでいれば図書館で借りられる本だが、富山では自分で買うしかない。
 このところパソコンと向き合っていたので、昨日は久しぶりに本を読んで過ごした。「カディスの赤い星」をようやく読み終えたので、「日本人の魂の原郷 久高島」から読み始める。

アマゾンでの買い物
写真用紙ライト
  エプソンのプリント用紙からエントリーが姿を消した。写真用紙より少し薄手だが色の再現性は変わらず値段が安かったので重宝していた。しょうがなくてまた写真用紙に戻っていたのだが、今回写真用紙ライトという商品を購入してみた。エントリーよりもさらに薄手で、値段も安い。さっそく今日、カラーとモノクロを織り交ぜてプリントしてみた。色の再現は写真用紙と同様だと思う。

 かなり薄いがファイルや額に入れるならば問題はなさそうだ。

 2月15日に撮影した、三重城での十六日祭(ジュールクニチー)の様子をPhoto Albumにしました。こちら

十六日祭01
↑生まれ島へ向かって遥拝をする、離島出身の家族。↓ビニールシートを広げ、遥拝の後に持って来たお重の料理を家族で食べる。なんだかピクニックのようでもある。
十六日祭02

8月5日(火)

 先月の22日に受診した特定健康診査の結果を聞きに、午後から病院へ行く。健康診断を受けたのは、40歳だったかの節目健康診査以来だろうか。 
 検査結果は中性脂肪の数字が多かったが、これは昼ご飯を食べて受診したせいだろうとお医者さん。後は概ね良好な数字で、メタボリックシンドローム判定は非該当となっていた。とは言え、お腹周りはもう少し細くした方が良さそうだ。
 病院から郵便局へ行き、レターパックを購入。一旦家へ帰ってから、今度は100円ショップへ。何年か前に近所のスーパーに入っていた100円ショップが撤退したので、自転車で40分程走った遠い町まで買いに行く。100円ショップの傍にファッションセンターしまむらがあったので、ハーフパンツを購入した。
 100円ショップで購入したクリアファイルに、先日プリントした節祭のプリントを収納しレターパックに入れる。後はお礼の手紙を同封して、明日にでも出そうと思う。

 2月2日に撮影した久高島の旧正月3日目、ミッチャヌスクの様子をPhoto Albumにしました。こちら

外間殿での祈願
↑外間殿での祈願。中央は現在久高島でただ一人の男性神職者である外間根人(ニーチェ)。
↓外間殿でシャクトゥイ(盃事)を受けた後は、庭に出てカチャーシーを踊る。
シャクトゥイの後のカチャーシー

8月3日(日)

 九州や四国で豪雨が続いている。高知県では1日からの雨量が1000ミリを越えた。一方富山は連日の猛暑で、今日の最高気温は富山で34度、伏木で35度となっている。 
 ところで、高知市全域の33万7000人余りに避難勧告が出された。避難勧告について、(該当地域に居住する方は計画された避難場所などへの避難行動を開始してください)とあるが、33万人以上もの人を収容できるだけの避難場所が確保されているのだろうか。 

 今日は午前中から部屋に籠ってプリント作業。昨年の9月30日から10月2日にかけて行われた西表島、祖納集落の節祭の写真をA4サイズの用紙30枚にプリントしてアルバムを作った。撮影でお世話になったお礼に送ろうと思いながら、なかなか作業ができず随分と日にちが経ってしまった。ミルク役の男性宅への訪問まで撮影させていただいたので、こちらにもミルクの写真を中心にA4用紙8枚のアルバムを作った。

ブリッジの画面

←A4サイズで30枚のアルバムを作成。扉のページは、フダチミの手元を中心とした上半身の写真。

↓プリントを畳の上に並べて乾燥中。タイミングが悪く、インクは3本取り替えた。

プリント

 イスラエルが停戦交渉を拒否。これまでの戦闘でガザ側の死者は1650人を超え、その中には多数の子どもや女性が含まれている。イスラエル側も66人の死者を出しているが、63人は兵士だ。
 経済封鎖と物理的な壁による囲い込みで兵糧攻めにされたガザ地区の人々が、堪え兼ねて抗議の意思を示したら、何十倍、何百倍もの暴力で返された。イスラエルによるパレスチナ人への虐待であり、エスカレートした今の状況はジェノサイドとしか言いようがない。アメリカはこの蛮行を批判するどころか、イスラエルのミサイルに資金援助する事を決めた。本当のテロリストとテロ支援国家とはどこだろうか、と考えさせられる。
 普天間飛行場の辺野古移設計画にともない、政府は普天間に配備されているオスプレイを暫定的に佐賀空港に配備したいと佐賀県知事に打診した。説明の中に沖縄の負担軽減と言う文言もあるようだが、辺野古移設までの暫定処置なら沖縄の負担軽減になどならないだろう。本当に沖縄の負担軽減を考えるなら、政府は沖縄の民意に寄り添って辺野古への新基地建設を断念するべきだ。埋め立て承認をした仲井眞知事だが、彼が県知事に再選した時の選挙公約は県外移設であり、先の名護市長選は辺野古移設反対の稲嶺氏が勝利したのだから。
 今月7日に「虚像の抑止力ー沖縄・東京・ワシントン発 安全保障政策の新基軸」(旬報社)という本が発売されるようだ。琉球新報の本の紹介記事に、 著者の一人、柳沢協二元官房副長官補は1日、政府が基地負担軽減策として提案した普天間飛行場のオスプレイの佐賀空港への暫定移転などについて「普天間の海兵隊がいなくても抑止力に影響はないと政府自ら認めたもの」と指摘米ジョージワシントン大のマイク・モチヅキ教授は「北朝鮮や台湾海峡で有事が起こっても海兵隊の役割はない。尖閣問題をめぐっても米国に中国と戦争するメリットはなく、在日海兵隊の意味はなくなっている」と指摘したと書かれている。
 沖縄に置かれた米軍基地や、集団的自衛権行使の正当性を主張する言葉として政府は頻繁に”抑止力”を使うが、果たして本当に抑止力になるのか。都合の良い言葉として乱発してはいないだろうか。
 台風12号が去り、また辺野古への基地建設に向けての作業が開始された。 資材を搬入するゲートの前には、反対する市民が集まっている。その市民に対峙するのが民間の警備会社アルソックの警備員で、その後ろに県警、その後ろに沖縄防衛局が控えているようだ。民間の警備会社に守られている県警と言うのは不思議な絵だと思う。
 元琉球朝日放送のキャスターで、映画「標的の村」の監督、三上智恵さんの連載コラム「沖縄撮影日記<辺野古・高江>」がスタートした。

8月1日(金)

 泊めてもらった音響会社の0さん宅を7時頃に出て、Mさんの車で輪島の港へ。駐車場に車を止めて、朝市をやっている通りへと歩く。

輪島の朝市
↑7時ちょっと過ぎの輪島の朝市。平日なのと時間が早すぎたのか、人通りは多くなかった。まだ商店街ではシャッターを降ろしているお店が多く、露天の商いもこれから。
集落の風景

 朝市の通りを一巡してから車を取りに港へ。帰る方向とは反対だが、Mさんの提案で名舟に行く途中にある白米の千枚田へ寄って行く。

←海と山に挟まれた集落。いかにも北陸の田舎と言う風情。
↓国指定文化財名勝指定の千枚田。この棚田を含め、能登の里山里海は世界農業遺産となっている。

千枚田
 千枚田を見た後、富山への帰途につく。途中、のと里山空港や穴水のぼら待ち市場七尾フィッシャーマンズ・ワーフで休憩し、12時過ぎに家に着いた。それにしても小松空港は知っていたが、能登に空港があるのは初めて知った(汗)。能登半島は知っているが、能登島は知らなかった(大汗)。

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