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○7月9日(土) ビン類、ペットボトル
○7月23日(土) あまみならでは学舍「真珠養殖について」講師:奄美サウスシー&マベパール・野村嘉嗣/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○7月30日(土)、31日(日) 六月灯・名瀬市井根町・高千穂神社 午後7時〜9時
○8月3日(水) 図書館 本の返却期限
○8月4日(木)〜7日(日) 第48回奄美まつり
   4日(木) シマあすびの夕(ゆう)べ/奄美文化センター/18:00〜21:30
   5日(金) 商工会議所5ー5(ゴーゴ)パラダイス/御殿浜公園/17:30〜22:00
   5日(金) 花火大会/名瀬商港区/20:00〜21:00
   6日(土) 舟こぎ競争/名瀬港(佐大熊地区)/8:00〜16:30
   6日(土) 八月踊り/支庁通り・本町通り・屋仁川通り/20:00〜22:00
   7日(日) MBC奄美やちゃ坊相撲大会/名瀬中学校/8:00〜15:00
   7日(日) パレード 1部:楽隊・御輿等/16:00〜17:20
   7日(日) 2部:踊り連・六調/ふれ愛パーク~本町通り~屋仁川通り~旧名瀬保健所前~重信銃砲火薬店~ふれ愛パーク/17:30〜19:10
○8月13日(土) ビン類、ペットボトル
○8月13日(土) お盆闘牛大会(仮称)/午前10時開始予定/伊藤観光ドーム闘牛場(徳之島町亀津)
○8月13日(土) お盆ナイター闘牛大会(仮称)/午後5時開始予定/東目手久闘牛場(伊仙町東目手久)
○8月14日(日) 夏祭り闘牛大会(仮称)/午前10時開始予定/伊藤観光ドーム闘牛場(徳之島町亀津)
○8月20日(土)、21日(日) 瀬戸内町みなと祭り
○8月27日(土) あまみならでは学舍「佐仁八月踊りについて」講師:佐仁八月踊り保存会会長・前田和郎/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○9月10日(土) ビン類、ペットボトル
○9月12日(月) 旧暦8月15日 与論島・十五夜踊り
          油井豊年踊り 瀬戸内町・油井集落
○9月18日(日) 敬老なくさみ大会(仮称)/午前10時開始予定/東目手久闘牛場(伊仙町東目手久)
○9月24日(土) あまみならでは学舍「夏目漱石の作品と思想」講師:大島高校教諭・福重成美/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○10月8日(土) ビン類、ペットボトル
○10月8日(土) あまみならでは学舍「海外生活で考えた島のこと」講師:シニア海外協力隊OB・恵原正継/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○10月9日(日) 全島中量級・ミニ軽量級優勝旗争奪戦闘牛大会(仮称)/午前10時開始/伊藤観光ドーム闘牛場(徳之島町亀津)/大人3,000円(高校生)、小人1,000円(中学生)、小学生以下無料
○10月16日(日) 全島一・軽量優勝旗争奪戦闘牛大会(仮称)/午前10時開始/(新)松原闘牛場(天城町松原)/大人3,000円(高校生)、小人1,000円(中学生)、小学生以下無料
○11月10日(木) 旧暦10月15日 与論島・十五夜踊り
○11月12日(土) あまみならでは学舍「大島紬の魅力」講師:紬ひろば「あまみ〜る」内山初美/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○11月12日(土) ビン類、ペットボトル
○12月10日(土) ビン類、ペットボトル
○12月17日(土) あまみならでは学舍「島唄に育まれて」講師:唄者・永井陽子 美香姉妹/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦2月3日(木)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(日)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(金)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月18日(金)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦4月5日(火)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月6日(月)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月6日(土)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月12日(金)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦8月14日(日)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月5日(月)
○アラセツ(※2):旧暦8月11日→新暦9月8日(木)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月12日(月)
○シバサシ:旧暦8月17日→新暦9月14日(水)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月5日(水)

※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定) 等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。旧暦8月最初の丙の日が旧暦8月1日になった場合,前日のツカリの日は旧暦7月になってしまい、一連の行事が月をまたがってしまうことになる。このような場合には次の丙の日がアラセツ行事を行う日となるようです。(平成16年にも同じことがありました。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○Shinya Fujiwara official site Talk&Diary http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima

7月31日(日)
 暑い日中は、部屋の中でパソコンの作業。夕方になって、六月灯の2日目へ。
高千穂神社の拝殿

 

 6時30分から拝殿で、六月灯の神事が行われると聞いていたので、窓の外から見学。
 神事の後、昨日と同じ境内横の特設ステージで、奉納芸能大会。最初の子供たちによるフラダンスを見て、神社周辺の屋台を少し見てまわる。
 縁日のにぎわいを、こちらに少し。

 晩ご飯は、ざるそば、冷や奴、お茶漬け。昼に脂身の多い豚バラステーキを焼いたので、これでバランスが取れた??
 

縁日の風景
 名瀬の飲屋街・屋仁川の通りには、8月4日から開催される奄美まつりの提灯が飾り付けられている。台風9号(ムイファー)の動きがちょっと気になる。
7月30日(土)

 夕方から、昨年は見逃した高千穂神社の六月灯へ。鳥居から境内に続く石段の上に、灯籠がズラリと飾られている。
 ところで六月灯に飾られるこの灯り、ネットで検索すると灯籠と呼ばれていますが、個人的には行灯だと思っていた。灯籠は石で出来ているような丈夫な灯りのイメージがあって、こういう木枠に紙を貼ったような手作りの灯りは行灯かなと。灯籠と行灯の違いがわからない(汗)。

↓→井根町の高千穂神社。神社周辺も露店がいっぱい出てて、夜遅くまで縁日のにぎわいでした。
石段
高千穂神社
 7時15分頃から、境内横の駐車場に作られた特設ステージで、奉納芸能大会。合気道や日舞、カラオケにダンスと15組の出演者による演目が披露された。
 奉納芸能大会は9時を少し過ぎた頃に終了。石段を下り、鳥居を抜けて露店の間を自転車を押しながら歩く。露店のまわりは、まだ子供たちでいっぱいだ。
 六月灯のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
六月灯のスナップ

 アマゾンで注文しておいたPX-5500用のインクが、今日届いた。割安な9色パックがあったので購入したが、使わないマットブラックがまた一つ増えた。フォトブラックが余っている方、交換しませんか(笑)。2つ有ります。

インク
←数量限定で販売されていた、割安な9色パック。
→インクと同時に注文して、一日早く届いた充電式のLEDライト。街灯の少ない奄美の夜に、懐中電灯は必需品です。
ハンディLEDライト
7月29日(金)

 今日は、奄美夕日マニア写真倶楽部の第2回撮影会。お昼に家の前で部員第1号のなっつんさんの車にピックアップしてもらい、屋入峠を目指す。
 前回の撮影会も屋入峠からの風景を撮りに来たのですが、その時は10月の豪雨災害の土砂崩れによる通行止めで断念(;´Д`)。今回は工事中や片側通行の箇所もありましたが、無事に太平洋と東シナ海が一度に見渡せる場所にたどり着きました。

↓屋入峠から。写真中央の赤尾木集落を挟む形で右側の海が太平洋、左側の海が東シナ海。太平洋の先に、薄らと盛り上がっているのが喜界島です。
 ところで、喜界島から見ると、この太平洋が東シナ海になる。アレレ???と思って奄美の人に聞いたところ、太平洋と言っているのは、あくまでも太平洋側と言う事で、奄美の海域は基本的には東シナ海ではないかと。この写真で言うと、右側は太平洋側の東シナ海、左側は東シナ海が正確だろうか。

屋入峠からの眺め
 屋入峠から一度来た道を引き返し、今度は笠利方面へ。奄美大島の一番北の集落、用から山を越えて佐仁、屋仁と走る。東シナ海に沿って赤木名を通り、空港近くのサトウキビ畑へ。
 せっかくなので、PENTAXのデジタル一眼購入記念に、なっつんさんの記念写真。これからたくさん写真撮って下さい(*´д`*)。
 午後3時と、まだ早い時間ですが、なっつんさんが夕方から8月6日の奄美まつりの舟漕ぎレースの練習があるので、今日の撮影はここまで。ビック2の隣りのジョイフルで早めの夕食を食べ、買ったばかりのPENTAXの設定を少しして帰宅。
 第3回の撮影会は、あんまり間を空けないでやりましょう!
→買ったばかりのPENTAXのデジタル一眼を持つなっつんさん。でも頭の中は舟漕ぎレースの事でいっぱい(笑)。
なっつん
サトウキビ畑から
↑サトウキビ畑と奄美空港と喜界島。本日のスナップは、こちら

7月28日(木)

 最近では一番の快晴。
 朝から、「神々の古層11豊年を招き寄せるヒラセマンカイ 奄美大島/比嘉康雄」(ニライ社)を読む。

ショチョガマ、ヒラセマンカイの歴史
 ヒラセマンカイは、ノロが関与するという祭祀の形式からすると那覇世(ナハンユー・十三〜十七世紀初頭)と言われた時代、つまり奄美群島が首里王府の治政下にあったころからおこなわれていたと考えられる。
〜略〜
 ショチョガマ、ヒラセマンカイは、かつては名瀬市と龍郷町の東シナ海側の集落で行われていた。嘉渡では明治末までショチョガマ、昭和八年ごろまでヒラセマンカイをおこなっていた。また、名瀬市の大熊、仲勝、有屋、浦上では大正時代まで、有良、芦花部は明治末までショチョガマ(ンチャガマ、ヒチャガマともいう)がおこなわれていた(『沖縄芸術の科学』第五号別刷、久万田晋・寺内直子「奄美大島龍郷町秋名の八月踊り」)。
 また、秋名、幾里のショチョガマ、ヒラセマンカイは前述した旧集落ごと、つまり、里、金久、東(あがれ)の三カ所でそれぞれおこなわれていた。里と金久は現在の浜でヒラセマンカイをおこない、東はその対岸でおこなっていたという。前述したとおり復元した現在のショチョガマは金久の以前のショチョガマ祭場でおこなわれ、結局旧集落の里・金久・東が合同でおこなっているのである。つまり原行政区でいうと秋名、幾里の合同ということになる。

1 日取り
 奄美群島では旧暦八月最初の丙(ひのえ)の日を新節(アラセツ)といい、秋名、幾里のショチョガマ、ヒラセマンカイはこの日おこなわれている。
 アラセツの七日後壬(みずのえ)の日が柴さし、柴さし後の甲子(きのえね)の日にドンガ(墓参、改葬)の一連の行事がおこなわれる。これを「ミハチガツ」と呼ぶ。
 沖縄の久高島でも旧八月九日、カシキー、柴さし(各家のお祓い、健康祈願)、八月十日マッティ(健康祈願)、八月十一日ヨーカビー(悪霊警戒)、八月十二日テーラーガーミ(シマのお祓い)、八月十五日十五夜(健康祈願)と、一連の行事が集中的におこなわれている。八月期を「ミハティグワティ」と称し、悪霊がばっこする悪い月と考えられている。
 久高島では一年を二季に分けて考えられている。それは家レベルの祭祀に顕著である。すなわち六月から十二月までと、十二月から六月までの二季である。これはおそらく農耕暦ではなく、夏・冬という自然暦による考え方であると思われる。
〜略〜
 奄美のミハチガツの一連の行事の背景には、久高島と共通するものがあるのではないかと考えている。奄美でミハチガツ、久高島でミハティグワティと言っているが、両地方で「ミ」は新しい、つまり新年という解釈ということも考えられる。

3 ツカリビ
 祭り前日乙(きのと)の日をツカリといって、夕刻各家においてコーソガナシ(祖先神)に対する祈願がおこなわれる。南側の縁側、戸口などに御馳走を供え、主婦らが司祭する。供え物は赤飯に、ヤサイと称されるトーフ、竹子、ゴボウ、コンニャク、サトイモ、カボチャ、コンブなどの料理、ビラヅネというニラのおひたし、ミキ(濁酒)、お酒、果物などのいわゆる精進料理である。なお同じ供え物で翌朝未明にも礼拝祈願がおこなわれる。

アラホバナ

大熊の概況
 大熊(方言名デックマ)は名瀬市の一集落である。ここも三方を山に囲まれ、海に面するという奄美の典型的な集落の形状をなしている。集落最奥部に神山(ウガンヤマ)といわれる山があり、その山系から、大川(ウゴウ)という川が集落の中を通り、海にそそいでいる。
 『大熊誌』によると、鎌倉時代以前から集落が形成されていたといわれている。島津藩制時代には笠利間切赤木名と大熊に交互に大島の全間切を支配する代官所がおかれ、大熊の港は、鹿児島山川港と結ばれ、黒糖などを積んだ帆船で賑わっていたという。

奄美大島の祝女(ノロ)制
 奄美大島ではノロ制度は真須知組(マスジグミ・真筋すなわち正統の意)と須多組(シュタグミ・シュタとは次男以下の呼称つまり傍系)に二分され、真須知組は大和浜から焼内西東方面、須多組は名瀬、笠利方面であった。真須知組のノロは独身を通したが、須多組は結婚も可能であった。
 二組のノロのグループには「御印加那志」(ギョインガナシ)と称するノロ頭がいた。ノロ頭は享保以前は一生のうちに一度は首里に行き、聞得大君(キコエオオギミ)に拝○し、辞令書、玉加ハ羅(タマガハラ・曲玉)などを拝領し、首里王府の祭政一致政策に属した。慶長十四年(一六〇九年)、薩摩の支配下になってもノロの首里行きは薩摩藩の島民懐柔政策によって黙認されていたが、享保年間(十八世紀初頭)に薩摩藩庁から禁止されてしまった。しかし多くのところで、ノロのまつりは薩摩藩の取締りをかいくぐり存続した。なかでも大熊のノロは、現在までその古式を維持しているといわれている。

*本の発行は1993年

秋名民俗地図
大熊区画整理後の図

↑大熊区画整理後の図(『大熊誌』より)
←秋名民俗地図(『龍郷町誌』民俗編による)
*共に「神々の古層11豊年を招き寄せるヒラセマンカイ 奄美大島」から複写。

 日が傾き始めた頃、夕涼みがてら自転車で朝仁海岸まで。
 朝仁から小宿漁港まで走って、このまま大浜海岸まで夕日を見に行こうと思ったけれど、大浜へ行く坂の下まで来て上る元気がなくて戻って来た(;´Д`)。
 スーパーで食材を買って帰る。
 晩ご飯は、そうめんと塩サバ、卵焼き、イカの中華風珍味。

ヘチマの炒め煮
 一昨日いただいたヘチマを使って、昨日は豚バラとヘチマ、豆腐の炒め煮を作った。
 ネットでヘチマ料理のレシピ検索をすると味噌味が多かったので、味噌に砂糖を加え、料理酒でのばして調味料にした。
 豚バラをフライパンで炒め、ヘチマを投入。ヘチマが柔らかくなったら調味料と豆腐を加えて炒め、麺つゆで味を整える。
 豚バラを炒める時にタカノツメを入れると、ピリッとしてもっと美味しいかも。
 今度はヘチマの代わりに茄子で。
 台風8号(ノックテン)は西に大きくそれて行ったが、今日また台風9号(ムイファー)が発生(@_@;)。台風、多いな〜。
7月26日(火)
 昨日夕方からの激しい雷雨も、午前中でようやく止んだ。午後も遅くなって、所用で小湊にあるハウス農園へ 。ちょっと久しぶりですね。
 5月の台風2号で、収穫直前の実がほとんど落されたパッションフルーツ。塩害で葉っぱも枯れていましたが、2棟は持ち直してキレイな葉っぱを付けている。順調に行けば、こちらは12月に収穫かな?
パッション

←新芽も出て、葉っぱもキレイになったパッションフルーツ。
↓以前ゴーヤを作っていた棟で、今はヘチマを栽培しているそうで、大きなヘチマを一本いただきました。

ヘチマ
 夜はゴーヤ、豚バラ、ニンジン、豆腐のサイコロ揚げ、モヤシ、卵と茹でたそうめんを炒めて、そうめんチャンプルー。奄美では油そうめんと言う炒め料理があるけれど、具材がとってもシンプル。今日のは・・・チャンプルーだな。
7月23日(土)

 県立奄美図書館で、あまみならでは学舍の3時間目「真珠養殖について」。ギリギリに図書館に着いたら、講師の方、図書館の方とエレベーターが一緒になってしまった(汗)。
 講座の内容は、配られたテキストに沿って進められ、1.真珠の定義 2.真珠のできる仕組み、3.真珠の歴史 4.真珠貝の種類と出来る真珠について 5.真珠の価値を決めるもの 6.真珠成分と結晶構造 7.真珠の硬さ 8.真珠を測る単位 9.真珠製品のお手入れ方法 10.漁場 11.真珠養殖の流れ 12.浜揚げ。
 講座の後半は、真珠を取り出す実演を見せて頂いた。残った貝柱はもちろん食べられるそうですが、量が少ないのと人気があるようでなかなか市場には出回らないそうです。

真珠の取り出し

↑白蝶貝(学名:Pinctada maxima)から、真珠を取り出すところ。
→マベ(学名:Pteria penguin)に出来た、半円真珠。

 今回講義をされた奄美サウスシー&マベパールのホームページは、こちら。加計呂麻島にある三浦養殖場での体験ツアーの案内もあります。

マベの半円真珠
 図書館を出て、封筒を買いにダイエーの文具売り場へ。ついでに1階の食料品売り場を覗いたら、牛肉の値段がエラい事になっている(@_@;)。国産和牛のステーキ肉が、豚バラよりも安いような勢い。
 部屋に戻る途中、井根町の高千穂神社に寄って、社務所で六月灯の日にちを教えてもらう。昨年は見逃したので、今年こそは。
↓階段にパイプが組まれ、六月灯の準備をしている高千穂神社。→開催は7月30日(土)と31日(日)。
六月灯
高千穂神社
 部屋に戻り、洗濯をし、台所を片付け、そうめんを食べてから朝仁海岸へ。海岸に作られた特設ステージで、宮久田地区の納涼大会が行われていた。昨年の納涼大会は最後まで見て、成り行きで反省会?にまで参加しましたが、今回は少しだけ。部屋に帰る前にスーパーへ寄ったら、近くでチヂンの音が。音を辿って行くと、なぎさ園で八月踊り。知名瀬に移転するので、記念のお祭りかな?
 奄美はこれから、祭りの季節。夏の奄美は忙しい(*´д`*)。
宮久田納涼大会
←宮久田地区の納涼大会。まずは子供たちの踊りから。

↓なぎさ園にて。もう祭りも終わりで、皆さん六調で踊っていました。
なぎさ園
7月22日(金)

 台風通過後も、なんだかお天気は今一つ。今日も雲が多くて、気分は晴れない。
 冷蔵庫の中がだいぶ寂しくなって来たので、久しぶりに買い出しに。日曜日以来かな?
 朝仁海岸に行くと、端っこの方にステージが作られ提灯が飾られている。先日海岸の中央で朝仁青年団の納涼大会があったけど、今度は宮久田地区の納涼大会だろうか。
 海岸のコンクリートに小さな動くものを発見。近づいてみるとヤドカリの赤ちゃん。そう言えば、今がオカヤドカリの産卵期だったかな。オカヤドカリの身体は紫色っぽいんだけれど、この子たちも段々色が付いていくんだろうか。それともこのヤドカリの赤ちゃんは、オカヤドカリとは違う種類?
↓なかなか走るのが速いです(*´д`*)。

ヤドカリ
↓この子も最近生まれた猫だろう。ちょっと警戒心が強いようです。→喜界島の黒糖焼酎・朝日。
朝日
子猫

 スーパーには、もう牛乳が並んでいる。牛乳は買わずに、隣りのミキを購入。この夏はミキで乗り切ろう。
 家に帰って、不在連絡票の入っていた郵便局に連絡。再配達をしてもらう。
 県立図書館から、あまみならでは学舍の確認電話が入る。明日は、「真珠養殖について」講師:奄美サウスシー&マベパール・野村嘉嗣さんです。

 高倉を飲み終わったので、今日から朝日。ちょっとクセがあって、でも好きかも。
 これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻→高倉→朝日。

7月21日(木)
 「きはら君、オレはせっかちだから赤信号で渡って車に跳ねられて死ぬんだろうな〜」
 何の仕事でご一緒した時か、二人で道を歩いていてそう言われ、そうか〜とも思ったけれど、せっかちにも程がある。
 あまりに唐突で悲しむ準備も、怒る準備もできていない。とりあえず『わが心のボレーロ』を聴きながら、色々と想い出しているんだけれど・・・
7月20日(水)

 台風6号は奄美から随分と離れて通過したようで、それほど激しい雨も風もなかった。普段でももっと風の強い日はあるし、土砂降りの雨の日もある。
 それでも海は大時化だったようで、今日の夕方になっても、名瀬港にフェリーが停泊している様子はない。
 船による物資の流通がストップしているので、スーパーでは色々と品切れがあるようだ。
 台風に備えてお酒、食料品を買っておいたので出かけていないが、昨日のローカルTVのニュースで、よく買物に行く朝仁のスーパーが映し出され、空っぽになった牛乳売り場の映像が流されていた。

クイーンコーラル8
 夜になってクイーンコーラル8が入港した。たぶん台風通過以来、最初のフェリーかな?これで明日はスーパーに牛乳が並ぶんだろうか。

 もう直ぐ「与論島 琉球の原風景が残る島/高橋誠一・竹 盛窪」(ナカニシヤ出版)を読み終える。
 気になった箇所を抜き取ってメモ。

ユンヌ 
与論はもともとユンヌと呼ばれていたが、いつの時代からか与論と書かれてヨロンと呼ばれるようになった。

シニグ(シヌグ)という祭祀
シヌグ・・・・・山・・・山の他界神・・・男性社会(年齢階梯組織)
ウンジャミ・・・海・・・ニレーの神・・・女性社会(女神役組織)

パラヂとサアクラ
パラヂという言葉は、血族または親戚のこと。
このパラヂには八世代まで、七世代まで、五世代までに子孫の氏族範囲を含めるサアクラが多い。シニグにおけるパラヂは血縁を同じくするものたちで構成され、シニグ祭を通じてパラヂ意識をより強くする。しかし、シニグ祭を行う集団は必ずしも血縁者ばかりで構成されているわけではなく、地縁的なつながりも加わっている。
パラヂの語源については、腹氏(パラウディ)に由来すると考えるのが一般的である。同じ腹から生まれた血縁系統の同胞を、古代の日本語では、パラカラもしくはパラガラと呼んでいた。パラ(腹・胎)とウディ(氏)が複合したパラウディからパラウヂへ変化し、ウ音が脱落してパラヂになったと考えられている。
これらパラヂが主体となって、シニグ祭がおこなわれるのだが、シニグ祭が行われる祭場(祭舎・斎場)のことをサアクラという。

四系統に分類できるサアクラ集団
A ショウサアクラのグループ(ショウサアクラ・キンサアクラ・サキマサアクラ)
与論島に最も早くて移住したサアクラ。赤崎に上陸した人たちがその祖先であると推定できることは、シニグ祭のおりに赤崎の海岸が重要な地点として認識されていることからも確実である。

B プカナサアクラ・サトゥヌシサアクラのグループ
先のショウサアクラグループと後述のニッチェーサアクラグループは、明確に異なるグループであることは断言し得るので、ここではその中間的な系統としてプカナサアクラ集団とサトゥヌシサアクラ集団を一応、一つのグループとして位置づけておきたい。

C ニッチェーサアクラのグループ(ニッチェーサアクラ・プサトゥサアクラ・ユントゥクサアクラ・クルパナサアクラ)
各サアクラ集団をひとまとまりのグループとして把握してよいものか否かについては慎重に検討する必要がある。しかし、本拠地の近接性、古里や那間方面への移住の共通性などからすると、同じような過程を歩んできたことは確実である。

D グスクマサアクラのグループ(グスクマ「城間」サアクラ・メーダ「前田」サアクラ・ホーチ「川内」サアクラ・クチビャー「口平」サアクラ・ミーラ「見良」サアクラ・伊伝サアクラ・供利サアクラ・金久サアクラ・トゥマイサアクラ)
A・B・Cのグループが、このDグループより早期に定住したことは明らかで、その移住地も中央断層線の東側(古里や那間方面)の中で完結していた。これに対して、Dのグループはすでに古里や那間が移住地として開発されていたから、断層という地形的障害を隔てた島の西部の低平地に降りていかざるを得なかったと考えられる。

金久サアクラ
このカネクは、沖縄では兼久と書かれてカネグと発音されることが多い。沖縄県恩納村には前兼久、今帰仁村にも兼久という地名があるが、その他にも非常に多くの兼久という地名があって、いずれも浜や海岸を示す地名である。要するに、茶花あたりの浜や海岸を兼久と称していたわけである。
この点は、与論島東海岸の大金久海岸と同じことである。ところが大金久の字に影響されたのかどうかはわからないが、茶花の場合も金久という字が当てられるようになった。したがって、金久サアクラと書けば、「カネクサアクラ」と読むのが自然である。しかし、高井さんたちは、「ハニクサアクラ」と言う。これは『町誌』にも書かれているように、与論ではkがhに変わる場合が多いから、「カ」が「ハ」になり、しかも「エ」音が「イ」音になることが多いから、「ネ」が「ニ」になり、結果としては「カネク」が「ハニク」と言われるようになったのであろう。

*与論町のホームページよりシニグ祭について。

7月17日(日)
 天気予報では、台風6号(マーゴン)の影響で奄美地方も午後から強風になると言っていたが、夜になっても風はそれほどない。嵐の前の静けさか?
 5月末に接近してきた台風2号(ソングダー)は、各地に被害をもたらしながらも、あっという間に通り過ぎて行った”山椒がピリリと効いた本場四川の麻婆豆腐のような台風”でしたが、今度のマードンは随分と動きがゆっくりしているようだ。
朝仁納涼大会01
←↓昨日、朝仁海岸で納涼大会があった。普段は割りと閑散としている海岸が、大混雑(笑)。納涼大会の様子をPhoto Albumにしました。こちら。みなさん芸達者です。ってか、何故にこんな余興好きっち思う(笑)。
朝仁納涼大会02

 『誰も不思議に思わない』は、富山県高岡市出身の作家・堀田 善衞氏のエッセイで、誰も不思議に思わなくなったことが不思議だと、逆説的に付けられたタイトルだったと記憶する。この本の他に、『カタルーニア讃歌』『スペイン断章 』など何冊か読んだと思う。
 このところの原発に関する報道や動きについて、自分の頭の中を整理するために、不思議に思うことを断片的に並べてみた。

 13日に行われた管総理の「脱原発依存」会見後、野党与党、経済界、マスコミから様々な反応が出ている。記者会見の内容は、こちら

 発言は思いつきで、ちゃんと中長期的な計画を示せと言うものもあるが、こういう人達は最終処理の方法や処分場所すら決まっていないまま稼働させてきた原発についてはどう考えているんだろうか。
 Wikipediaの核燃料サイクルの項から抜き出すと
核燃料サイクル政策の検討
2005年に「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」の見直しが行われ、以下の四つのシナリオが検討された。
• シナリオ1 全量再処理(現行路線)
使用済み核燃料は六ヶ所再処理施設で再処理を行う。処理能力を超えた分は中間貯蔵を経た上で同じように再処理を行う。
• シナリオ2 部分再処理
使用済み核燃料は六ヶ所再処理施設で再処理を行う。処理能力を超えた分は中間貯蔵を経た上でそのまま埋設して直接処分する。
• シナリオ3 全量直接処分
使用済み核燃料はすべて中間貯蔵を経た上でそのまま埋設して直接処分する。
• シナリオ4 当面貯蔵
使用済み核燃料はすべて当面の間中間貯蔵する。

なお、シナリオ3は再処理を行わないという選択であり、これは事実上の核燃料サイクル政策の中止を意味する。

 ちなみに六ヶ所再処理工場は1993年に着工され、2009年2月に試運転を終了し、2010年に本格稼働を予定していたが、2010年9月になってから、さらに完成まで2年延期されることが発表された(完成までの延期はこれまでに18回にも及ぶ)。これにより、全国の原発で行き場のない使用済み核燃料がそれぞれの原発に保管され続けている。脱原発を唱えなくても、使用済み燃料プールがやがて満杯になり原発を稼働できなくなるという論もある。長い間政権を握り原発を推進して来た自民党に、こういった原発の中長期的な計画を改めて説明してもらいたい。

 また燃料サイクルで考えれば、高木文科相が開発中止を言った言わないで問題になっている高速増殖炉「もんじゅ」の問題がある。
 7月9日、NHKのテレビ番組の討論会で、原子力安全委員会専門委員の奈良林直北大教授が、高速増殖炉もんじゅと再処理によって2500年分の燃料が確保できると話した。しかし当初約6000億円とされていた建設費は、高速増殖炉とその関連の開発に2.8兆円が投じられ、それでもトラブルによる運転休止で、今までに発電したのは僅か1時間だとされている。
 もんじゅは1985年に着工し、92年12月に性能試験を開始したが、95年12月にナトリウム漏洩事故が発生し運転中止。昨年5月、約14年ぶりに運転再開したが、8月には原子炉容器内に筒型の炉内中継装置(重さ3.3トン)が落下し、再び長期の運転休止。先月23日の夜、落下装置を引き抜いたが、失敗すれば2500年分の燃料どころか福島第一以上の惨事が懸念された。

 原発は安定した電力供給で、低コスト。脱原発をすれば、電気代が上がるという指摘もある。しかし、使用済み核燃料の再処理、そして最終処分にかかるコストを考えると本当にそうなのか。ましてや福島第一の事故によるトータルの損害額を想像すると・・・。
 また世界一高い電気代が、これ以上値上がりすると日本での事業を断念しなければならないという経済界からの意見もあるようだ。ところで高い電気料金を請求しながら、自分たちはたくさんの資産を作り、高い報酬を維持してきた電力会社には非難の矛先は向けないのだろうか?電気を安い料金で提供し、尚かつ高い報酬を得ているなら素晴らしい企業だが、高い料金を請求しながら自分たちは高収入を得ているとなれば、なんら企業努力のない会社と思うのだけれど。
 ちなみに、世界一高い電気料金というのは間違いで、社会実情データ図録電気料金の国際比較によれば、2010年で産業用がイタリアに次いで、家庭用がドイツ、イタリアに次いで高いそうです。
 また「原発依存度の高いフランスでは電力料金が相対的に安くなっているが、原発依存度がフランスより低い米国や韓国の方が、一層、電気料金は安くなっており、原発依存度の要因だけを強調するのは間違いだろう」と指摘されている。
 いずれにしても日本の電気代が高いことには違いないので、先ずは電力会社にもっと努力を求めるのが筋だと思うけれど。

 関西電力は、調整運転中の大飯原発1号機が15日に冷却系統のトラブルを起こしたため、16日夜に原子炉を停止したと発表した。これにより電力供給の心配が懸念されているが、それより定期検査の最終段階にあった原発がトラブルを起こしたというのが気にかかる。定期検査の方法に問題はないのだろうか?ましてや大飯原発1号機は、試験運転中もフル出力で稼働していたそうだ。
 原発は安定的なエネルギー供給源だと言うが、これほどトラブル続き(表面に出ていないのもあるのかな?)で安定的と言えるかどうか。まして、これから原子炉の老衰化はますます進むのだから。なにより、今回の電力不足、節電にまつわるゴタゴタの発端は、福島第一の事故ではなかったか。

 「ついに死者!!菅首相の思いつきで続出する3次被害」とタイトルをつけて、産経が昨日のニュースで脱原発路線→節電→熱中症という筋で記事を書いている。しかし、まず責められるべきは足りない足りないと15%の節電を要求した東電ではないだろうか?
 1日4,170、2日3,734、3日3,884、4日4,387、5日4,349、6日4,236、7日3,857、8日4,143、9日4.242、10日4,161、11日4,594、12日4,537、13日4,534、14日4,540、15日4,627、16日4.341
 これは今月に入ってから昨日までの東電が発表しているピーク時の使用電力量。12日にも同じような日記を書いたが、その時点で東電は、7月末の供給力を5680万キロワット、8月末時点の電力供給力を5560万キロワットとしていた。それでも余裕があったが、15日には沼原発電所の復旧にめどがついたとして7月末の供給力を5730万キロワット、8月末は5610万キロワットに上方修正している。
 さて、昨年以上に猛暑と言われているが、今のところ一番消費の多かった15日のピーク時でさえ4627万キロワット。これに15%の節電分を加えても5321万キロワットでしかない。実際、東電管内では余裕があり、関電に電力供給するという話もあるようだ。
 ちなみに、詳しい電力消費を知るには、東電のホームページから「電力の使用状況グラフ」→「過去の電力使用実績データのダウンロード」で見れます。この数字を見れば、責めるべきは必要以上の節電を求めた電力会社と、自らが検証することもなく電気が足りない足りないと煽った大手マスコミではないか?
 また、これを見れば、ピーク時以外はかなり余裕があり、電力使用制限令を発動してまで15%の節電を義務づける必要があったのか?と思われる。
 先の管総理の記者会見の中の「例えばこの夏においてもピーク時の節電、あるいは自家発電の活用などによって十分対応できると考えております。この点については、関係閣僚に具体的な電力供給の在り方について計画案をまとめるように既に指示を致しております」と言う発言に、具体的ではないと反論する人達もいるが、過去の電力使用実績データを見ればそれ程難しいことではないと思われる。6000万キロワットあると言われている自家発電の内、直ぐに使える電力は多くないというが、足りないのは数日のピーク時だけなのだから、それに対処する方法を考えるのは充分現実的で価値があると思う。
 ところで、東電の電気が足りない足りないが収まったら、今度は関電が足りない足りないと騒ぎ始めた。そこで関電のホームページに過去の電力使用実績データが載っていないか探したが、当日の使用状況データしか掲載されていない。探し方が悪いのか?いずれにせよ、足りない足りないと煽るならキチンとわかり易い場所にデータを出して欲しい。

 海江田経済産業相が、「緊急対策をとり、安全は確保できている。再開については国が責任を持ちます」と述べて、玄海原発2、3号機の運転再開を佐賀県の古川知事に求めた。その後、管総理がストレステストを実施すると言い出したことで主張がコロコロ変わると批判を浴びているようだ。しかし安全宣言について、海江田経済産業相から管総理に事前報告はなかったと言う記事もある。
 それより、まず批判すべきは海江田経済産業相と経済産業省が出した安全宣言の中身じゃないだろうか。
 以前書いたことの繰り返しになるが、福島原発事故が未だに収束しない中での”確保できている安全”とは、どんなものなのだろうか。津波によって冷却機能が失われ、そこから事故が引き起こされたとしているが、津波の前に地震により既に原子炉内のパイプがズタズタになっていた可能性もある。安全の確保、確認は福島原発の事故が収束し、事故の検証がちゃんと行われてからでないと不可能だと思うのだけれど。
 共産党・小池晃氏のツイッターによれば、共産党が今日、原子力安全保安院から受けた説明によれば、原発の安全対策が十分だと判断した理由のうち、水素爆発対策ができたと判断したのは、「原子炉建屋に穴を開けるドリル」が揃ったからだそうです。 とある。原子炉建屋にドリルで穴を開けると言うことは、そこから放射能も放出されるというこじゃないんだろうか?その時点で安全とは思えないし、100歩譲って余震の続く中、ドリルを持ってそんな作業ができるんだろうか。
 ちなみに、九州電力が福島第1原発の事故を踏まえた国の緊急安全対策の指示を受け、玄海原発で実施した全電源喪失時の対応訓練を報道陣に公開したVTRがある。こちら(You Tubeから)。
 VTRによれば、全電源喪失に供えて1キロ程離れた場所にある電源車を使いとあるが、原発が津波に襲われたなら1キロしか離れていない場所に保管されている電源車も同じように津波に襲われていないだろうか。また移動式ポンプによる冷却水の供給訓練が披露されているが、余震が続く中で大きなタンクの上にのぼって本気で放水しよう思っているんだろうか。また映像を見る限り、原子炉を冷却できる水量とはとても思えない。

 ところで日本に原子炉を廃炉にできる技術力はあるのだろうか?管総理は先の記者会見で福島第一原発について「最終的な廃炉といった形までたどり着くには5年10年、あるいはさらに長い期間を要するわけでありまして、」と述べている。
 調べてみたら、これまで日本の原発で廃炉が決まったのは、日本初の商業用原子力発電所・東海発電所と、福井のふげんだけのようだ。そして、まだ完全に廃炉に出来るところまでは行っていない。
 東海発電所は、1998年3月31日に営業運転終了、2001年3月 燃料搬出完了、2006年8月熱交換器撤去工事開始まで進み、今後は2014年に 原子炉解体開始となっている。原子炉解体開始までに16年かかっている。
 ふげんは、運転を終了した2003年から35年かけて解体される予定と書かれている。
 シビアアクシデントを起こした訳ではないこれら2つの原発でさえ、廃炉には長い年月がかかる。まして、事故で高い放射線量が出ている福島第一の廃炉を考えると暗澹たる気持になる。

 先日この日記に、管総理が記者会見を行い、「脱原発依存」を明言した。迷走しながら、時々ポイントを突いてくる(@_@;)A。酔っぱらいの拳法、酔拳みたいだ。新しい政治手法か。案外、強い戦法かも知れない。
 
と書いた。実際に浜岡原発は休止し、再稼働しそうだった玄海原発は白紙に戻った。もちろん原発を推進する人もまだまだ居るようだが、自民党の中からも新しく原発を作ることは最早不可能だろうとする意見が出て来た。
 もちろん民主党の体たらくぶりは非難されるべきものだろうし、管総理の原発対応も疑問だらけだ。先ず何より高い放射線量に暮らす人の安全確保をして欲しい。

 今日、石原伸晃幹事長が主導して、報道機関の論調を調べ、内容に問題があれば対抗措置を講じる「メディアチェック」の担当議員を新設したそうだ。詳細はこちら
 自民党が与党時代を紳士に反省し、長い間政権を担って来た党としての蓄積を生かし、民主党を上手くサポートしながら未曾有の災害に対処していたら自民党に対する評価は大きく変わったように思う。
 テレビ報道のあり方は多いに疑問だが、だからと言って「なぜ党の支持率が上がらないのか」「自民党を批判するテレビのコメンテーターが悪い」。これこそヒステリーではないんだろうか?それに、マスコミは自民党に乗って、どちらかと言えば管降ろしを煽っている気がするのだけれど。不思議でしょうがない。

7月15日(金)
 今日から「与論島 琉球の原風景が残る島/高橋誠一・竹 盛窪」(ナカニシヤ出版)を読み始める。
朝仁海岸の夕焼け

 ←スーパーで買物の帰り、朝仁海岸にて。海岸に小さなステージが作られていたので、何があるのか聞いてみたら、明日町内会のお祭りだそうです。  

↓家に帰り窓を開けたら、対岸の山の上に満月。

「月にてらされて」
コインを空に投げ 表が出たなら
このまままっすぐ行くさ
月が消えぬまに
月にてらされて

 ティンパン・アレーで探したのですが無かったので、ハイファイセットで「月にてらされて」(You Tubeから)。これも好いね。
満月と名瀬港
満月
 加計呂麻島、そして奄美大島の住用で建設計画が持ち上がり、住民から強い反対を受けていた木材チップ工場。計画は断念され、事業主である大東海運が撤退すると、昨日地元紙が報じたそうだ。詳細は、奄美の自然と景観を守る会のブログから。そもそものチップ工場の問題はこちらや、こちらで。
7月14日(木)
 暑ぢぃ。午後から、小宿漁港に隣接する砂浜へ海水浴に。お腹周りが気になるので、島ンチュ式にTシャツを着たまま海へ入る。
 海岸左手の山に沿って歩いて、先っぽを左に曲がれば大浜海岸の端っこかと思っていましたが、そうでもないようだ。先っぽ近くでウニ漁をしていたおじさんに聞いたところ、曲がった先にもう一つ山があり、そこを越えないと大浜に辿り着けないらしい。昼の干潮時には、歩けないことはないらしいが・・・orz。
 海水の温度は思った以上に高いですね。さすが、熱帯魚も泳いでいる島です。それでも潮の流れか、水深の関係かグッと水温の下がる場所もある。右足と左足で感じる水温が違うくらい、海の中はまばらな気がする。
 クロックスもどきを履いて来ましたが、海の中は珊瑚と石がゴロゴロしていて、歩くとちょっと痛い。プカプカ浮いていると気持良いけど。
 堤防にあるテトラポットはカニの住処のようで、ワラワラとアチコチから姿を現し素早く逃げて行く。
 2時間程海水浴を楽しんで自転車で帰ろうとした時、漁港の方で学校帰りの高校生くらいの女の子が二人、キャッキャ騒ぎながら服を着たまま海に飛び込んでいる。六調が流れると踊り出すのと同じで、夏に海へ飛び込むのも島のDNAとして受け継がれているのかもしれない。
小宿の海岸と水筒
←昨日ニシムタで購入した水筒に、アクエリアスを入れて来た。

↓奄美では7月からウニ漁が解禁。アチコチの海岸で、ウニを割って中身を取り出したりする簡易な作業小屋が立っている。
ウニ漁解禁
 昼ご飯は、ナポリタンとクロワッサン。晩ご飯は、三日目カレーでカレーうどんとライスとクロワッサン。
 ナポリタンは、パスタを茹でる時に徳之島でお土産に貰ったヒマラヤ岩塩を使用。味付けは、加計呂麻島の徳浜で購入したさんご塩。タバスコの代わりに、落合シェフのかけチャオ!イタリアンラー油を投入。なかなかイケル、ナポリタンの完成(*´д`*)。
満月の名瀬港
↑15日が満月らしい。14日の夜10時頃のお月様・・・満月まで後2時間(笑)?
7月13日(水)

 今日も突然激しい雨が降って、急いで窓を閉めに走った。
 午後から郵便局へ行き、喜界島でお世話になった方々に、レターパックで写真を送る。その後、図書館へ行き3冊を返して1冊を期間延長してもらい、新たに4冊借りて来た。*本の返却期限は8月3日←自分メモ(笑)。
 図書館の利用カードを最近紛失してしまったので再発行して貰えないか聞いてみたが、発行してから一年以内はダメらしく、申込書を書いてレシートのような利用仮カードをいただく。

借りて来た本
←今日借りた本。「奄美の生活史(画集)/中島 仁」「さよならアメリカ/森口豁 写真集」(未来社)「神々の古層11豊年を招き寄せるヒラセマンカイ 奄美大島/比嘉康雄」(ニライ社)「与論島 琉球の原風景が残る島/高橋誠一・竹 盛窪」(ナカニシヤ出版)。
図書館利用仮カード
 図書館からニシムタへ行き、水筒を購入。これまで使っていた水筒を、喜界島で忘れて来てしまった(汗)。忘れて来た場所はわかるけれど、自転車カゴから何回も落っことしたりと酷使したので薄らと漏れるようになっていたので、買い替えることにした。
 ニシムタからの帰り、ガス料金を支払ってくる。今回は1540円。安い!基本自炊で、シャワーもよく使うのに。夏場は水道の水温も上がっているので、余計安くなるのか??
朝仁海岸の夕焼け

  

 本や買物の品を一旦部屋に置いて、日課のようになっている朝仁海岸へプチ・サイクリング。今日は、地味に美しい夕景でした。

 夕方、管総理が記者会見を行い、「脱原発依存」を明言した。
 迷走しながら、時々ポイントを突いてくる(@_@;)A。酔っぱらいの拳法、酔拳みたいだ。新しい政治手法か。案外、強い戦法かも知れない。
 さて、これに対して自民党がどう反応するんだろうか?興味深い。

 

 昼ご飯は、カレーうどんとライス。晩ご飯は、キノコうどんとカレーライス。
 昨日辺りに、台風6号(マーゴン)が発生した。こっちに来るんだろうか。
7月12日(火)

 昨日から、お天気は不安定。曇っているかと思えば、一瞬強い日射しがあり、しばらくすると激しい雨が降りだす。そんな事が一日の中で何回もあるので、雨が降る度に窓を急いで閉めなければならず、忙しい。泣いて怒って笑っているような、島の天気。
 久しぶりに部屋で本を読んで過ごし、日が落ちる前に朝仁海岸まで買物がてら自転車を走らせる。
 海岸の墓地にハマユウの花がたくさん咲いている。その中にちょっと赤く色付いた丸い玉のようなものがあった。家に帰ってネットで調べると、これがハマユウの実だそうです。
 海岸のアダン林の中に子猫が一匹。他にも最近生まれたような子猫が何匹かいるようだ。
 スーパーで買物をして、もう一度朝仁海岸に戻って来ると、雲が神々しいオレンジ色に染まっている。今日は6組程のチームが、舟漕ぎの練習をしていた。
 夕日に染まる雲を見ながら自転車で帰ろうとすると、パラパラと雨。次第に雨足が強くなる。キレイな夕焼けと雨。なんだか竹中直人の「笑いながら怒る人」(You Tubeから)のようなお天気?

 朝はすももジャムトースト、昼はざるそばと冷や奴、夜はカレーライス。明日は2日目カレーで、カレーうどんを予定。

↓ハマユウの花と実。→ハマユウの実。
ハマユウの実
ハマユウの花と実
子猫

←アダン林の中に隠れていた子猫。他にも何匹か、最近生まれた子猫がいる模様。

↓親猫。

親猫
朝仁海岸の夕焼け
 1日4,170、2日3,734、3日3,884、4日4,387、5日4,349、6日4,236、7日3,857、8日4,143、9日4.242、10日4,161、11日4,594
 上の数字は東電のホームページにある「過去の電力使用実績データ」から、今月に入ってからのピーク時の使用電力量を抜き出したものです。
 東電が先日発表した7、8月の電力需給見通しは、7月末の供給力を5520万キロワットから5680万キロワットに上方修正。8月末時点の電力供給力を5620万キロワットから5560万キロワットに下方修正。
 今のところ、最大使用量は昨日の4594万キロワットですが、7月末の供給力5680万キロワットからするとかなり余裕があるように思える。もちろん企業、個人の節電による努力もあるけれど、試しに4594万キロワットに15%の節電分を足しても5283万キロワット。昨日11日の最大供給力を東電は5200万キロワットとしているが、本当に電力使用制限令を発動してまで15%の節電を義務づける必要があったのか?
 実際、東電副社長「他社に電力融通検討」という日経新聞の記事がある。
 また、テレビ朝日のそもそも総研という番組の特集「電力不足は本当なの?本当の発電能力を調査1」「」の中で名古屋大学・高野雅夫准教授が指摘されている数字も興味深い。
 日本の原発は安全、安全と言ってきたが、福島第一原発の事故で安全神話は崩れた。原発を再稼働しなければ電気が足りない、足りないと節電を煽ったが、実際はそうでもなかった。
 この夏が終わったら、政府には東電が出して来た数字をしっかり検証してもらいたい。そこに嘘や思惑がなかったか。
7月5日(火)〜7月9日(土)
 5日の夜にフェリーあまみで名瀬港を出発、2度目の喜界島探検。
6日(水)
カトリック喜界島教会

←今回の旅行でお世話になった、カトリック喜界島教会の助祭、四條さん。ありがとうございました。

↓喜界島を北限に生息する、オオゴマダラ。

オオゴマダラ
信号機
ヤギ刺し
カラジュリ
↑喜界島で唯一の信号機。 ↑ヤギの刺身。 ↑山羊肉で作る、カラジュウリ。
 6日に撮影したスナップをPhoto Albumにしました。こちら
(カトリック喜界島教会、喜界島歴史民俗資料室、油そーめん、トゥール墓?、ウフヤグチ鍾乳洞、地下ダム、オオゴマダラ、牛舎、山羊料理など)。
6日のスナップ
7日(木)
↓飛行場と特攻花。→喜界島の町花、竜舌蘭。花を咲かせるまでに数十年かかるそうですが、2つ並んで咲かせています。
竜舌蘭
飛行場と特攻花
 7日に撮影したスナップをPhoto Albumにしました。こちら
(飛行場と特攻花、竜舌蘭、戦闘指揮所跡、手久津久集落の巨大ガジュマル、灯台、阿伝集落の珊瑚の石垣、震洋艇の基地跡、スギラビーチなど)。
巨大ガジュマル
↑手久津久集落の巨大ガジュマル。山の斜面側を見ると、気根が広がりどこまでが一本の樹なのかわからない(@_@;)。
8日(金)
一本道
↑サトウキビ畑の中を通る一本道。真っすぐで気持いい(*´д`*)。
 8日に撮影したスナップをPhoto Albumにしました。こちら
(トーチカ、百之台、一本道、城久遺跡群、島唄教室、唄者・安田宝英さん)。
↓公民館で行われている島唄教室。→唄者・安田宝英(やすだたかひで)さん。
安田宝英さん
島唄練習
9日(土)
湾港
フェリーあまみ

 早朝4時20分にタクシーに来てもらい、湾港へ。名瀬でスポーツ大会があるらしく、待合室には子供たちがたくさん。

←フェリーあまみから撮影した、湾港。

 喜界島の湾港から名瀬港までのスナップをPhoto Albumにしました。こちら
奄美大島 用岬
↑手前の山にポツンと立っている白い建物が、用岬の笠利崎灯台。この景色を見ると奄美大島に帰って来たと感じます。
7月4日(月)
 夕方、涼しくなってから自転車で買物に。一昨日観光バースに停留していた男鹿海洋高等学校実習船 船川丸が、今日出港するという情報をいただいていたので見に行くと、まさにたくさんの紙テープが渡されてお見送りの真最中。お見送りのBGMは、「島のブルース/三沢あけみ」。♪長い黒髪〜島むすめ〜♪この曲で、グッと雰囲気が出ます(*´д`*)。私も写真を撮った後、手を振ってみました。
 これから東シナ海〜日本海を航海して、秋田へ帰るのだろうか?良い旅を!
船川丸のお見送り
猫の爪研ぎ
↑お見送りの様子をPhoto Albumにしました。こちら。→朝仁海岸の猫の、爪研ぎ風景。
 スーパーに行くと、国産黒毛和牛モモスライス192g、1497円が→半額748円から→おつとめ品500円になっていたので購入。晩ご飯は家で一人焼肉。美味しかったが、自分のお腹周りの肉が気になる(汗)。久しぶりに”考える人歩き”150回。
7月3日(日)

 午後から麦わら帽子をかぶり、水筒を自転車カゴに入れて小湊まで。集落の手前にあるハウス農園には何回か寄っていますが、集落に来るのは3月9日以来です。

ゴールデンシャワー

 集落に到着し漁港に行くと、ちょうど防波堤から女の子が飛び込もうとしているところ。しばらく躊躇した後、威勢良くジャンプ(*´д`*)。
 自転車を置いて、2時間ほど集落内を散歩して帰宅。
 夜NHK総合で放映された、原発危機第2回「広がる放射能汚染」を見る。
 3.11を境に、この国は変わったのだと認識させられる(7/9(土)16.30〜17.20再放送)。
←小湊集落の途中で、ゴールデンシャワーの花を見つけました。タイの国花のようです。

「離島の幸福・離島の不幸 名瀬だより/島尾敏雄」 周辺の村落より

 この本通りはいわば小湊の玄関口であり、外から一瞥した姿だ。ひと目でその起点と終点を見通すことができるけれども、柔軟な感じの南方的な大木に覆われたこの通りは、一方その内側の方に奥深い秘境を包みもっているような錯覚を与える。言ってみれば訪問者の気持は軽い酔いにおそわれるふうだ。中学校も小学校も米穀販売店も雑貨兼食料品店や菓子類販売店も、その通りに並んでいて、つまりこの部落の中枢がこのそんなに長くも広くもない一本の道路に露呈しているのだが、むしろそれらの代表的な外界接渉機関というものは、まやかしの無意味な存在でしかないのだと思わせる雰囲気をその本通りはもっている。たとえば、名瀬からの定期バスが、部落の入り口のところで警笛をならしながらこの通りに突入して行くと、何かしら部落全体のざわめきが起り、この本通りから部落の内部にはいって行くそれぞれの路地の入口のところに、子供や年寄りや女たちが穴わきのかにのように出ているのだ。彼らの多くははだしであり、そり身になった姿勢のよいすがたで、南海の風にふきさらされた彫の深い表情をバスの窓の方に向けてよこす。

 名瀬から一番近い、太平洋に面した集落。島尾敏雄が、上に引用した文を書いた頃と集落の様子は大きく変わったに違いない。古い民家もそれほど多くは残っていない様に感じられる。それでも、この集落を歩きながら、当時を想像することはとても楽しい。
 ゴールデンシャワーと小湊集落のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

小湊漁港
7月2日(土)
 日中は、「奄美群島日本復帰50周年記念 奄美を描いた画家 田中一村展」(編集・制作 日本放送出版協会)に収載された絵を眺め、解説を読む。
 夕方6時近くになって、気分転換に自転車でぷらぷら。観光バースを通ると、いつも停留している奄美海上保安部の船の先にもう一隻。近くに寄ってみると、秋田県立男鹿海洋高等学校実習船 船川丸と書いてある。今日は、この港で過ごすのだろうか?
海岸の猫
実習船01
実習船02
↑久しぶりに朝仁海岸の猫。→右の上下2枚は、男鹿海洋高等学校実習船 船川丸。

 朝仁海岸から小宿漁港へ行き、朝仁海岸に戻ってからスーパーで買物。
 先日買った500mlミキが無くなったので、新しく1Lのミキを買おうと思ったら、直ぐ横に並んでいたヨーグルッペの名前に魅かれてこちらを購入。田舎っぺみたいな感じで好いですね。販売はスコールと同じ、南日本酪農協同株式会社でした。

 最近、パソコン作業の合間にYou Tubeで小坂忠〜ティンパン・アレーの音楽を探して聴いている。
ほうろう/ Tin Pan Alley」(むちゃくちゃ豪華なメンバー)、「機関車/小坂忠&ウルトラ」(1976年日比谷野音)。

朝仁海岸の日没
ヨーグルッペ

↑朝仁海岸の夕景・・・と言うより日没ですね。
→ヨーグルッペ。さっそく部屋に帰り、シャワーを浴びた後、グラスに一杯注ぎ、腰に手を当てて飲みました。色と言い味と言いヤクルトに近いかな。

7月1日(金)

 午前中から、データ作成とプリント。オリジナルの撮影データをDVD-Rに焼き、プリント用のデータをCD-Rに焼く。
 夕方からは、バックアップをさぼっていた奄美の写真を外付けのハードディスクに移す作業。今年の1月後半からの分なので、けっこう時間がかかります(汗)。
 以前は、撮影データのバックアップを内蔵ハードディスク、外付けのハードディスク、DVD-Rの3つで行っていました。最近は外付けハードディスクの値段が下がって来たので、内蔵ハードディスクと、2つの外付けのハードディスク(JackとNarada)の3つにしています。Naradaには毎回バックアップしているので、今日はJackにひたすらデータをコピー。

 今日から東京電力、東北電管内で、電気事業法に基づく電力使用制限令が発動された。第1次石油危機時の74年以来、37年ぶりということらしいが、14歳だった37年前がどうだったかまるで記憶にない。
 テレビのニュースやワイドショーは、原発事故の状況よりも節電特集で一色と言う印象だ。
 東電が今日発表した7、8月の電力需給見通しは、7月末の供給力を5520万キロワットから5680万キロワットに上方修正。8月末時点の電力供給力を5620万キロワットから5560万キロワットに下方修正。夏の最大電力需要見通しである5500万キロワットは上回るものの、供給の余裕度を表す予備率は8月末は1.1%に落ち込むとしている。
 ところで、この5500万キロワットはどこから出た数字なのだろうか?空前の猛暑と言われた昨年の電力使用実績データ(東電HPに過去の電力使用実績データのダウンロードができるページがあります)を見ると、7月21日にピークがあり5918万キロワットとなっている。これに政府が削減を義務づけている15%を試しに引いてみると5030万キロワットとなる。単純に昨年のピーク電力から15%引くのも乱暴な気もするが、東電の出して来た5500万キロワットという数字の根拠をもう少ししっかり示して欲しい。
 今年は6月の後半から暑い日が続いている。6月29日には、74地点で35度以上の猛暑日、511地点で30度以上の真夏日となり、各地で6月の最高気温を更新した。でも、今年の電力使用実績データをみると29日のピーク時でさえ4571万キロワットである。ちなみに今日の東電の供給電力量は5100万キロワットです。
 これを機に節電するというのは大切だと思うが、電気が足りない足りないと煽るのはいかがなものか?企業は15%削減の為にサマータイムの導入、輪番休業などの方策をとっている。さて、大声で節電を呼びかけているテレビは、何か対策をとるのだろうか。電気が足りない足りないと煽るなら、いっそテレビの番組も輪番で休んではどうだろう。
 「橋下府知事がブチギレ!関西電力の15%節電要請はデタラメだった?」見出しの付け方はともかく、様々な人達が電力会社の説明、根拠とする数字に不信を感じているのは確かだろう。

 6月29日、海江田経済産業相が、「緊急対策をとり、安全は確保できている。再開については国が責任を持ちます」と述べて、玄海原発2、3号機の運転再開を佐賀県の古川知事に求めた。
 海江田経済産業相からの説明により古川知事は、(1)安全性の確認(2)地元の玄海町の意向(3)県議会での議論という三つの必要条件のうち、(1)と(2)の二つはクリアできたとしている。
 福島原発事故が未だに収束しない中での”確保できている安全””確認できた安全性”とは、どんなものなのだろうか。津波によって冷却機能が失われ、そこから事故が引き起こされたとしているが、津波の前に地震により既に原子炉内のパイプがズタズタになっていた可能性もある。安全の確保、確認は福島原発の事故が収束し、事故の検証がちゃんと行われてからでないと不可能だと思うのだけれど。
 ちなみに、九州電力が福島第1原発の事故を踏まえた国の緊急安全対策の指示を受け、玄海原発で実施した全電源喪失時の対応訓練を報道陣に公開したVTRがある。こちら(You Tubeから)。素人ながら、これで冷却できるなんて、とても思えない。ってか、余震のある中、ホースをもってタンクに上っちゃ危ないだろ(@_@;)。このVTRを見ると怒るより、呆れるより、なんだか悲しくなる。そして、とても安全が確保できているとも思えない。

久野織物工場跡

 昨日は曇り空、午前中から本を読んで過ごす。
 午後も遅くなって、だんだん雲がとれ青空が広がった。天気予報を見れば明日は雨のち曇り。晴れた今のうちにと、自転車で一走り。
 名瀬港をぐるっとまわり、山羊島トンネルを抜けて大熊漁港へ。

←先日、島のさばくりにんさんに教えて頂いた、田中一村が染色工としてはたらいていた紬工場の跡地。

「アダンの画帳/田中一村伝」(南日本新聞社編) 紬工場より
「工場は、海辺の小集落にあり、空気は清澄。しかし夏の工場内は地獄の釜のごとくむし暑く、海岸には真黒な南の鷺が餌を漁り、断崖には奇異の植物あり、南国情緒豊かです。(中略)工場の昼休みに」(昭和三十七年十二月十六日、川村幾三氏あてのはがき) 
 常用の地下たびをはき、ステテコにランニングシャツ姿で、朝の「歩行訓練」で汗を流したあと、朝食をすませて紬工場に出勤する日課であった。有屋の借家から大熊の久野織物工場まで1.5キロほどあった。大熊はカツオ漁船の基地であり、工場から道路一つ越せば、漁港に続く海岸が広がっていた。
↓大熊漁港から山羊島方向を見る。→山羊島の岩越しに眺める、名瀬の立神灯台。
山羊島から覗く立神灯台
大熊漁港

 大熊漁港から山羊島へ戻り、夕焼けを待つ。昨年建て替えのために閉館したシーサイドホテルは、解体中だった。
 青空が広がったけれど、水平線には雲が多かったからか期待したほどには空が焼けなかった。上空よりも水平線の近くの雲がポイント?キレイな夕焼けが見れるかどうかの見極めが、未だによくわからない。
 大熊漁港、山羊島近くからの夕景はこちら
 

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