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○5月15日(日) フリーマーケット(1万人広場)/奄美文化センター
○5月28日(土) あまみならでは学舍「奄美の野鳥について」講師:奄美野鳥の会・鳥飼久弘裕/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○6月1日(水) 不燃ごみ
○6月5日(日) 元気です。奄美!観光キャンペーン 奄美市合併5周年記念「奄美音楽祭」イベント/15時〜奄美パーク 入場無料 出演:お中元(中 孝介・元 ちとせ)、いっちゃりょん会(笠利町/八月踊り)、サーモン&ガーリック、司会/丸田泰史
○6月15日(水) 不燃ごみ
○6月18日(土) あまみならでは学舍「今注目される奄美の食材〜薬用植物の成分と効能〜」講師:奄美の自然を考える会顧問・田畑満大/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○6月19日(日) フリーマーケット(1万人広場)/奄美文化センター
○6月29日(水) 不燃ごみ
○7月23日(土) あまみならでは学舍「真珠養殖について」講師:奄美サウスシー&マベパール・安楽昌大/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○8月20日(土)、21日(日) 瀬戸内町みなと祭り
○8月21日(日) 三太郎まつり(住用町)
○8月27日(土) あまみならでは学舍「佐仁八月踊りについて」講師:佐仁八月踊り保存会会長・前田和郎/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○9月24日(土) あまみならでは学舍「夏目漱石の作品と思想」講師:大島高校教諭・福重成美/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○10月8日(土) あまみならでは学舍「海外生活で考えた島のこと」講師:シニア海外協力隊OB・恵原正継/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○11月12日(土) あまみならでは学舍「大島紬の魅力」講師:紬ひろば「あまみ〜る」内山初美/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○12月17日(土) あまみならでは学舍「島唄に育まれて」講師:唄者・永井陽子 美香姉妹/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦2月3日(木)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(日)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(金)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月18日(金)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦4月5日(火)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月6日(月)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月6日(土)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月12日(金)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦8月14日(日)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月5日(月)
○アラセツ(※2):旧暦8月11日→新暦9月8日(木)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月12日(月)
○シバサシ:旧暦8月17日→新暦9月14日(水)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月5日(水)

※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定) 等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。旧暦8月最初の丙の日が旧暦8月1日になった場合,前日のツカリの日は旧暦7月になってしまい、一連の行事が月をまたがってしまうことになる。このような場合には次の丙の日がアラセツ行事を行う日となるようです。(平成16年にも同じことがありました。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

5月31日(火)
 昨日のTVニュースで、台風2号(ソングダー)による塩害で奄美大島各地の農産物に被害が出たと聞いたので、午後から小湊のハウス農園へ行ってみる。ビニールを剥がしてあったので、ハウスそのものは大丈夫らしいが収穫前のパッションフルーツが大打撃(≧▼≦)。栄さんのハウスだけではなく、周辺のハウスは軒並み同じ感じのようだ。
 昨年10月の豪雨災害の時も、土砂が流れて来て苗がやられている。つくづく農家は大変だ。
↓→ソングダーの爪痕。例年なら収穫が終わっている頃らしいが、今年は日照不足で青いまま。そこへ季節外れの台風・・・orz。
パッションフルーツ
ビニールハウス
 とりあえず枝から落ちたパッションを拾ってカゴに入れ、車に積んで捨てに行く。
 みんなで気を取り直して、明日は外したビニールを掛け直す作業。私も午後から手伝いに。枝から新芽が出てくれれば、また受粉に繋がるのかな?
5月30日(月)

 午前中から、画像を添付したメールを送ろうとして上手くいかず(≧▼≦)。デスクトップでダメならノートでどうだ?と試みるが送れない。
 通信には奄美に来てからdocomoで契約したL-05Aという小さな機器を使っているので、購入したdocomoショップへ。
 サポートに繋いでもらって、直接担当者と電話でやりとり。結局パスワードを作り直し、新たな設定でノートパソコンからの送信は可能に。デスクトップは、画像の容量がオーバーしていたのが原因のようだ。

 朝から青空が広がる良い天気だったので、自転車で少し遠くまで行こうと思っていたけれど、メールの設定に時間がかかって中途半端な時間になってしまった。遠出はやめて、久しぶりに大熊展望台へ。
 奄美大島で一番傾斜が急だという説もある坂道を、自転車を押して休み休み20分ほど上がって行く。しばらく来ないうちに太陽の位置が随分と動いている。昨年の11月に来た時は山に隠れたのが、今は海に沈んで行く。
 汗をかきながら上がって来た坂道を、両手でブレーキをかけながら、それでも一気に駆け下りる。大熊漁港に寄ると2組ほど、舟漕ぎの練習をしている。これから島んちゅの季節(*´д`*)。

大熊展望台近くからの夕暮れ
↑大熊展望台の近くから。こちらにも少し。
 奄美大島に向かって実家の富山から旅を初めて、今日で一年がたった。
 一年前の5月30日。サンダーバードで京都に向かっていた時には、ホントに奄美大島に辿り着けるのか?あまり自信がなかった (汗)。
 一年旅して(遊んで?)思うのは、まあ、大体のことはなんとかなるもんですね (笑)。
 さて、一年ほどのつもりでしたが、想像以上に奄美大島が大きかったので、もう少し滞在して周辺の島々もまわろうと思っています(*´д`*)。
5月29日(日)

 日付が変わった頃、奄美も暴風域に突入。ビュービューと風が吹き付け、建てつけの悪い窓のサッシをガタガタ鳴らす。ビルなのに微妙に揺れている気がして、ちょっと恐い(@_@;)。
 山椒がピリリと効いた本場四川の麻婆豆腐のような台風2号(ソングダー)は、夜中の3時過ぎ頃に名瀬を台風の目の中に入れ、その後過ぎ去った。
 凄まじい風の音に対抗するためビリー・コブハムのドラムを聴いて寝ようとしていたら、突然3時半頃に市の防災無線で竜巻注意警報。雲の動きに注意して下さいと放送していたが、夜中で暗くて雲なんて見えないと思うが・・・orz。

 台風が去った後も午前中は雨だったが、昼頃から天気は回復し青空も見えて来た。
 午後も遅くなって朝仁海岸まで自転車でプラプラ。海岸のアダンや松の木が、風で折られている。龍郷の円集落は土砂崩れで孤立しているとテレビのテロップで流れていたが、その後どうなっただろうか。
 台風一過のキレイな夕焼けをちょっと期待していたけれど、日が沈むにしたがって、雲が厚くなってしまった。

 窓をガタガタ鳴らし吹きすさぶ風にビビリ(≧▼≦)、対抗処置として昨晩はビリー・コブハムの『Total Eclipse』を聴いていた。
 You Tubeから、ビリー・コブハムのドラム・ソロの入った音源を3つ。「Billy Cobham Solo」「Billy Cobham - Drumsolo II」「Billy Cobham at the Modern Drummer festival, Part. I
 いつかビリー・コブハム 対 台風というイヴェントを見てみたい。無理なら、共演でもいい。

台風01
台風02
台風03
5月28日 PM7:08
5月28日 PM9:31
5月29日 AM12:38
台風04
台風05
台風06
5月29日 AM2:31
5月29日 AM3:40
5月29日 AM4:19
台風07
台風08
台風09
5月29日 AM8:50
5月29日 PM5:23
5月29日 PM5:43
台風10
台風11
台風12
5月29日 PM5:45
5月29日 PM6:22
5月29日 PM6:47

奄美市のホームページから。

5/29 10:00 奄美市の災害対策本部の廃止及び避難勧告を解除しました。
5/29 9:57 奄美市の大雨警報が解除されました。
5/29 8:40 奄美市の土砂災害警戒情報が解除されました。
5/29 7:49 奄美市の暴風警報が解除されました。
5/29 4:58 奄美市の洪水警報、及び雷注意報が解除されました。
奄美地方の停電情報については、九州電力のページをご確認ください。
5/29 3:25 奄美地方に竜巻注意情報が発表されました。
5/29 3:05 自主避難:名瀬小学校2世帯4人。
5/29 0:00 避難勧告を受け、2世帯7名が朝日中学校に避難しました。
5/28 23:00 名瀬安勝地区(4世帯11名)、名瀬朝日町(10世帯36名)に避難勧告。
5/28 23:00 自主避難:保健センター1世帯1人。
5/28 22:20 奄美市に土砂災害警戒情報が発表されました。大雨のため、土砂災害の危険が高まっています。避難の必要がある場合は、近くの避難所へ避難してください。
5/28 22:20 安勝町の撚糸工場裏山が崩壊。
5/28 21:50 小浜町の東ヶ丘線佐川宅片側通行。
5/28 21:10 自主避難:辺留集会所1世帯3人。
5/28 20:50 自主避難:奄美小学校3人、朝戸公民館4人、住用公民館1人、住用総合支所1人。
5/28 20:40 三儀山多目的広場の市道崩土により片側通行。
5/28 20:25 奄美市災害対策本部を設置しました。
5/28 20:25 奄美市に大雨(土砂災害、浸水害)・洪水・暴風・波浪警報、及び雷注意報が発表されています。
5/28 20:00 自主避難:西仲勝公民館2人、佐仁集会場4世帯6人。
5/28 19:13 奄美市に暴風・波浪警報 、及び大雨・雷・洪水注意報が発表されています。
5/28 19時現在、がけ崩れやけが人等の被害報告はありません。
奄美市の避難所一覧(午後8時に避難所開設予定)
市民の方の自主避難に備えて、市内の避難所を午後8時に開設します。避難の必要がある場合、近くの避難所まで避難してください。朝日小学校は開設しませんのでご注意ください。
5/28 17:00に奄美市災害警戒本部を設置しました。

5月27日(金)
 東海、関東甲信地方も梅雨入りしたようだ。平年よりも随分と早い。
 名瀬は朝から雨。山から立ちのぼる蒸気で、港の対岸は真っ白。
 窓を開けて、いつもは奄美海上保安部の船が停留している観光バースを見ると、大きなクルーズ船が停まっている。船尾の文字を望遠レンズを付けたカメラで見ると、「ぱしふぃっく びいなす」の文字。
 散歩がてら港まで「ぱしふぃっく びいなす」を見学に行く。確か「ぱしふぃっく びいなす」は、3月にも名瀬に寄港するはずが東日本大震災で中止になったんではなかったかな?
 船の横にお土産物を並べたテントが張られ、端の方に簡易観光案内所があったので、出港時間をたずねる。雨が降っているので、船のお見送りのイヴェントは行うかどうか検討中とのこと。
 一通り船の写真を撮り、一旦部屋へ戻って船の出航する30分ほど前に港へ。テントに近づくと楽器の音がする。ハシケンさんが音合わせ中。隣りには中村瑞希さんが立っている。
 3月に寄港予定だった「ぱしふぃっく びいなす」のクルーズは、ハシケン&中村瑞希の船内ライヴ開催という記事を何かで読んでいたので、もしや今回来ているのかな?と思っていましたが。
 お見送りは中村瑞希さんの島唄から、ハシケンさんのワイド節、みんなで六調。紙テープがないのが寂しいですが、両手を振って港を出て行く船を見送るのは何回見てもいいもんです。
ぱしふぃっく びいなす

←朝7時に入港し、夕方6時に出港した「ぱしふぃっく びいなす」。
↓出港の際、雨の降る中を六調を踊ってお見送り。

 こちらに、もう少し写真をUPしました。

六調でお見送り

 港から帰り、部屋でボットボットしていると、さばくりにんさんから電話。急遽、一昨日行った秋名集落へ行くことになる。お酒をご馳走になり、家族写真を撮って、ご飯を食べて帰って来た。
 行きも帰りも大熊展望台横の山道を通りましたが、霧で前が見えない(;´Д`)。
→秋名でご馳走になった、ダーナ(竹の子)と魚の味噌汁。ダーナは、これが竹の子?と思うほど細長い。八百屋の軒先に一束いくらで売られているので、調理の仕方が簡単だったら買ってみようか。

ダーナの味噌汁
 文部科学省が福島の子供の外部被曝限度を年積算1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げた問題は、たくさんの抗議を受けて「年間20ミリシーベルトから、今年度は年間1ミリシーベルト以下を目指す」に変更された。
 ただ、福島第一原発が安定しない中で、年間1ミリシーベルトに抑えるのは大変な作業じゃないかと思う。また、年間1ミリシーベルトというのは外部被曝の量だけで、食べ物や飲み物から摂取する内部被曝は含まれていないんじゃなかったか?
 個人的には子供を疎開できる親は、疎開させた方がいいと思う。文部科学省は子供達の環境変化を心配するが、マスクを着用し、放射線量の測定器のメモリを気にしながら生活するほうが、余程ストレスは溜まらないだろうか。
 ちなみに、奄美大島も奄美市瀬戸内町で来年3月31日までの受け入れを表明しています。雨多いしハブもいますが、良いところですよ(*´д`*)。加計呂麻島では、来年から7つある中学校が1つに統合される。廃校になる中学校を、上手く利用できる方法があればいいな〜と思うけれど。
5月26日(木)
 近畿・中国・四国地方も梅雨入り。
 銀行へ出かけようと自転車に乗ると、なんだか乗り心地が悪い。あれ?と思い調べると、後輪のタイヤがかなりペッタンコ(汗)。パンク!?先日前輪のタイヤがパンクしたばかりなのに・・・orz。とりあえず空気入れで膨らませて、お金をおろしに市街の銀行へ。銀行の前でタイヤの空気の減り具合を確かめるが、硬いまま。自転車屋さんに持って行くのは、もう少し様子をみてからでもいいかな。
 ATMでおろしたお金を持って、6月分の家賃と5月分の水道代を払いに行く。これまでは、ビルを管理していた不動産屋さんに払っていたのだけれど、今月からビルの所有会社が管理を行うと言うことで所有会社へ直接払うことに。なぜだか部屋の番号も、☆03から☆ーCに変更になった。どっちでもいいけど(*´д`*)。
 支払いを済ませて、そのまま自転車で朝仁海岸から小宿までサイクリング。雨こそ降りませんでしたが、思っていたほど晴れもせず。
 22日の未明に発生した台風2号(ソングダー)が、現在フィリピンの東にいるらしい。28日の夜には先島諸島近海、29日夜には九州の南にやって来る予想だ。明日も雨のようなので、台風に供えて食料品を買い足して帰宅。
海岸の猫
油そーめん
↑昨日、屋仁川の居酒屋で食べた油そーめん。ずいぶん汁が多いですが、これはこれで美味しかった。屋仁川から、あれよあれよと秋名集落へ移動して、初対面の方の家でご馳走になって、帰ってきました。
↑朝仁海岸をねぐらにしている猫も、入れ替わりがあるようだ。最近よく見かける猫。カメラを向けられて逃げたいんだけれど、眠くて起き上がれない(笑)。久しぶりに猫写真。こちら

 
 経済産業省原子力安全・保安院が東電に対して、一般人の被曝限度(年間1ミリシーベルト)を越える作業を女性従業員にさせたとして厳重注意した、というニュースを見た。その一方で、国は福島の子供の外部被曝限度を、年積算1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げている。普通に考えて、変じゃないか?国が示す数字が、こんなに曖昧で軽々しいものでいいんだろうか。
 数字と言えば、藤原新也さんの5月23日のShinya talk「個人が身を守る時代(藤原新也WMより転載)」に、興味深い政府発表の数字に関するトリックが記述されている。
 
 23日の復興特別委員会をテレビ中継で見て、言った言わないの子供のような党首対決にうんざりさせられたが、同じ日に参議院行政監視委員会では、京都大学原子炉実験所助教・小出 裕章氏、芝浦工業大学非常勤講師・後藤 政志氏、神戸大学名誉教授・石橋 克彦氏、ソフトバンク株式会社代表取締役社長・孫 正義氏を招いた参考人質疑が行われていた。その時の模様がYou Tubeに上がっているので、ぜひ!
参議院USTREAM中継 脱原発への道 1/2
 全体で3時間近いが、最初の4人が意見を述べているところだけでも聞いておく価値は高いように思う。
 ネットで生中継されていたそうだが、これだけ実のある答弁をテレビが触れないことが不思議でしょうがない。NHKには子供の言い争いのような国会中継よりも、こちらを放送して欲しかった。

 脱原発の活動をしていたとして、俳優の山本太郎さんがドラマを降板させられたというニュースを読んだ。本人はテレビ局も番組名も言っていないが、ちょっと検索すると東芝がスポンサーになっている番組名が出てくる。本人が明かさない以上は噂でしかないが、仮に東芝だとしたら、RCサクセションのアルバム『COVERS』を東芝EMIが発売中止にした時のことを思わせる。

You Tubeから、「Love Me Tender /The Timers」「君はラブミーテンダーを聴いたかい?/RCサクセション」「サマータイム・ブルース/RCサクセション

「ラブミーテンダー」(替え歌詩  忌野清志郎)
何言ってんだー、ふざけんじゃねー
核などいらねー
何言ってんだー、よせよ
だませやしねぇ
何言ってんだー、やめときな
いくら理屈をこねても
ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ

放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ
何言ってんだー、税金(かね)かえせ
目を覚ましな
たくみな言葉で一般庶民を
だまそうとしても
ほんの少しバレてる、その黒い腹

5月22日(日)
 梅雨の中休み。
 喜界島散策でバタバタしていて、チケットを貰っていながら見に行けていなかった勝 廣光、常田 守 自然写真展「長雨から新南風の自然」へ。今日が最終日でした(汗)。
 写真展を見た後、そのまま自転車で朝仁海岸へ。空の青が濃い。夏空だ。
 朝仁から長浜に戻り、名瀬港をぐるっとまわる感じで鳩浜へ。100円ショップとドラッグストアーが一緒になったお店で、アレコレ買物。
 海の上は青空、山の方から黒い雲。大熊展望台へ上がって夕焼けを待つか・・・しかし黒い雲も気になる。大熊展望台までの長くて急な坂を自転車を押して上がって夕焼け見れないと、ちょっと辛い(;´Д`)。
 悩んだ末に来た道を戻って、朝仁海岸へ。スーパーで今年3個目の白くまを買って、食べながら夕焼けを待つ。
 大熊展望台からは、どんな夕焼けが見れたんだろう。朝仁から山を一つ越えた大浜海岸からは、どんな夕焼けが見えたんだろう。そんな事を想像しながら、家に帰る。
 うどんを茹で、昨日仕込んでおいたルーをかけて、カレーうどん。うまい。
朝仁海岸
写真展
↑今日まで奄美博物館で開催されていた勝 廣光、常田 守 自然写真展「長雨から新南風の自然」。
←夕方の朝仁海岸。梅雨が明けたら、また舟こぎの練習で賑わうのだろうか?
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
本日のスナップ
5月21日(土)
 午前中に部屋の掃除。また潮でフローリングの床がネチャネチャしてきたので、そのうち洗剤を付けて拭き掃除しなくちゃな〜。
借りて来た本

 図書館で本を3冊借りて来た。「出発は遂に訪れず/島尾敏雄」(新潮社)、「特攻花/仲田千穂」(ポプラ社)、「徳之島写真集 島史/加川徹夫」(南方新社)。
 「出発は遂に訪れず」は前にも借りたが、読み終える前に本の返却期限がきたので再度挑戦。

 今日はさっそく写真集「特攻花」を読む。本の内容はこちらを参考に。You Tubeから喜界島の若手デュオdokidokiが歌う「特攻花」。

漬け物の詰め合わせ

←先日、桜島から送られて来た漬け物の詰め合わせ。ありがとうございます。

→今日は、桜島大根のしそ風味「桜っ娘」をいただきました。桜の花びら型の漬け物です(*´д`*)。

桜島大根しそ風味
5月18日(水)
 午前中から、喜界島で撮って来た写真の現像作業。なかなか終わらない(;´Д`)。
 一日部屋に閉じこもっているのも悲しいので、夕方から軽くサイクリング。名瀬港をぐるっとまわる感じで大熊漁港へ。カツオのぼりが泳いでいるので販売所を覗いてみたら、珍しくシビのお刺身が並んでいる。でも昨日の晩と今日の昼に、キハダマグロのお刺身食べたからな・・・。代わりに魚のかき揚げ5個350円を買う。
 大熊漁港に架かる橋の上から、そして鳩浜の辺りから夕暮れを撮影。雲が多いから、ちょっと難しいかな?と思っていましたがキレイに焼けて行きましたね。ジリジリと炭に火が入る感じで、中心は透明感のある明るさ。堪能しました(*´д`*)。
 夕暮れに染まって行く風景をPhoto Albumにしました。こちら
夕焼け
5月16日(月)〜17日(火)

 朝からザーザー降りの雨。国会中継を見てから、昼過ぎにスーパーへ買物に行く。カールチーズカレー味100円、カフェオレ158円、菓子パン126円、油そーめん150円、いなり寿司220円。
 お昼ご飯を食べてから、カメラをぶら下げて、雨の町を散歩。途中、湾港へ寄って明日の早朝に出航するフェリーの、喜界島から名瀬までのチケットを購入。冬場の海が時化るときは湾の港ではなく、早町の港にフェリーが着くこともあると聞いたので確認すると、たぶん明日は湾の港で大丈夫とのこと。良かった。
 雨だけなら傘をさして撮影散歩も楽しいけれど、風が加わるとそうも言ってられない。早めに切り上げて、部屋で休憩。テレビを付ければ、まだ国会中継をやっている。
 喜界島の集落では、石敢當をよく見かけますね。あれっ、ここは三叉路?と思うような場所にも置かれている。
 少しベッドでウトウトしてから、晩ご飯を食べに行く。昨日、一昨日と食べに行った回転すしの2階にある居酒屋がおすすめだと、わざわざ電話をもらったので挑戦。
 もずくと煮貝の付きだし、豆腐と牛そぼろのサラダ(ハーフサイズ)、アオサとじゃこのかき揚げ(ハーフサイズ)、鶏飯、黒糖焼酎1合で1980円。
 すっかりお腹もいっぱいになり、家へ戻る。ちょっと酔った頭でテレビのニュースを見、荷物の整理。小さなアナログテレビは、時間が経つと画面が暗くなり音だけになった。まあ、ラジオだと思えばいいか。
 フェリーの出航は早朝の5時。寝過ごすといけないので、テレビのスイッチを切って、You Tubeで色々な音源を探してみる。途中から、吉田拓郎の「1982年王様達のハイキング」ツアーのライヴをアレコレ探して聴く。懐かしい。このツアーはスタッフとして全国をまわった。スタッフTシャツは、RENOMAじゃなかったかな?
 前年のツアーは途中からスタッフとして参加した。そのツアーではギターが鈴木茂さん、キーボードは松任谷正隆さんだったと思う。
 You Tubeから「王様達のハイキング」「アジアの片隅で」「マークII

 雨に咲く花
↑雨の喜界島に咲く花。
 早朝の3時半頃に、荷物を背負って自転車で湾港のフェリー待合所に。先客は一人。自転車を折りたたんで、布団袋に収納。
 4時半近くになって、まだ暗い港へ静かにフェリーが入って来る。湾内でゆっくりと回転して着岸。下船するお客さんが全員タラップを降りた後、順番に乗り込む。
 コンテナを積み込んで、フェリーはほぼ定刻に出航。雨は止んでいるが、大きな雲が島を覆っている。
 海も陸も空も境目がよくわからなかったのが、出航の直前、急激にそれぞれの輪郭が現れる。
 喜界島から名瀬までの約2時間、ず〜っと海と雲を眺め、写真に撮っていた。
 昨年の6月に初めて鹿児島から名瀬にフェリーで来た時と違い、今は船から眺める奄美大島の地理もだいぶ分るようになった。あやまる岬、笠利崎灯台、佐仁・・・それにしても海に横たわる姿を見て、改めて大きい島だな〜と思う。
フェリーから見た奄美大島

↑フェリーあまみから見た、奄美大島。右端が用の笠利崎灯台。

 7時頃に名瀬港着。自転車を組み立てて、歩いても5分とかからない部屋へ戻る。
 お腹が空くと寝れないので、チャンポンめんを食べて、さてひと眠り。

 16日から17日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
5月15日(日)
 昨日長距離を自転車で走り回って疲れていたのか、朝起きると、もう9時だった。ボットボットした頭でスーパーへ買い物。コーヒー牛乳128円、オムライス弁当400円。
 朝昼兼用の弁当を食べて、11時過ぎに家を出る。まずはホテルのフロントへ家の鍵を預け、今日と明日の宿泊料2泊4000円を支払う。
 途中気になった風景をスナップしながら、湾から先山まで。昨日は浦原で百之台へ行くために左折しましたが、今日は島一周コースなのでまっすぐ海沿いの道を走る。
 浦原の隣り、花良治集落から奥に入った山道の途中にある夫婦ガジュマルを見に行く。場所を教えてもらった集落のおじさんは、「たいしたガジュマルじゃない」と言うんで、坂も上がらなくてはいけないので見るの止めようかな〜と一瞬思いましたが、見に来て良かった。カーブの外側、崖に巨大なガジュマル。木根がず〜っと奥まで伸びていて樹の全貌が分からないくらいデカイ!一本の樹なのか、何本か並んでいて、夫婦なのか?カーブの内側にも大きなガジュマルがあって、こちらも立派な木根を地面に伸ばしている。
夫婦ガジュマル

↑花良治集落の夫婦ガジュマル。大きすぎて、全貌がよくわからない(@_@;)。昨日見た手久津久集落のガジュマルもそうだけれど、こういう巨木と対峙する時、35mmのカメラでは役不足だな〜と思う。機材にこだわりのない自分でも、アオリの出来る4x5を三脚に立てて撮ってみたいと思う。
 三脚にカメラを乗せて、レンズをボードに取り付ける。レンズを開放にしてピントグラスをルーペで覗き、蛇腹を調整。そっとレリーズを押す。ちょっと大袈裟な儀式のような作業を踏んで対峙しないと、その圧倒的な存在感に向かえない。道路脇から崖下へ木根を伸ばしていて、三脚を立てる場所を確保するのも難しいけどね。

 海沿いの道路に戻り蒲生、阿伝。阿伝集落で自転車を下り、珊瑚の石垣が連なる集落を散歩。迷路のような村内の道を珊瑚岩が囲む。どこまでが道で、どこからが屋敷かわからない。美しいメイズ。
 阿伝集落に限らず喜界島の家々には、珊瑚の石垣が残っている。珊瑚と珊瑚の間をコンクリートで固めたものや、ブロック塀に変わった家もあるけれど、珊瑚を積み上げただけの石垣がやはり美しい。
 しっかり木根を伸ばしたガジュマルが植えられている家も多い。ガジュマルと珊瑚が、この島を昔から海風から守って来たのだろう。
珊瑚の石垣
↑珊瑚の石垣のある風景
 阿伝の隣りの嘉鈍で、ソテツの巨木を観賞。確かに大きいんだけれど、ガジュマルの巨木を見た後だからな・・・。
 嘉鈍、白水、早町、塩道、佐手久、志戸桶。志戸桶からバスが通る道から外れて、トンビ崎国定公園の中を走る道へ。今日の天気は、曇りのち晴れのち小雨。雨がちょっとだけ強くなって来た。
 トンビ崎の辺りを自転車で走っていると白砂の海岸。「ハワイ」と書いた看板。これがハワイビーチか。
 珊瑚に囲まれた湾の中に白い砂。そして透明な海水。珊瑚の岩場に男性が一人。蛸とりに来たらしいが、収穫はなかったようだ。
 小野津に出て、昨日と同じ道を通って赤連まで。港湾を自転車で走ってホテルで鍵を受け取り、昨日も晩ご飯を食べた回転すしやで、油そーめん450円、ヤギ汁450円。ヤギ汁、初めて食べましたが想像していたより癖がなく、美味しかった。塩味でしたがダシが出ていてスープが美味い。このスープでお餅を入れて、お雑煮も良さそうだ。
 完走できるか、ちょっとだけ不安でしたが島一周達成!多少の起伏はあるけれど、奄美大島に比べれば全然平らで走りやすい。サイクリングにはぴったりの島ですね。
塩道長浜

←塩道長浜。護岸工事がなければ、白砂の浜辺がもっとキレイだったと思う。You Tubeから「あさはな節〜塩道長浜節/牧岡奈美」。

→晩ご飯に食べたヤギ汁。想像していたより癖がなく美味しかった。
ヤギ汁
 この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
5月14日(土)
 朝起きて、自転車で近所のスーパーへ買い物。ポカリスエット1.5L198円、菓子パン105円、飴178円、サッポロポテトBQ味98円、唐揚げ弁当350円。
 さっそく朝食に唐揚げ弁当を食べ、10時過ぎに部屋を出る。まずはホテルのフロントに家の鍵を預け、喜界島の地図をいただき、いざ出発。
 島をぐるりとまわっている県道を左回りに自転車を走らせる。湾、中里、荒木、手久津久集落から少し入ったガジュマルの巨木を見て上嘉鉄、先山。浦原から左に曲がり坂を上って中西公園へ行き、喜界島の最高峰(海抜約212メートル)とされている地点に上り、百之台国定公園を走り、そのまま畑の中の一本道を突き進む。
 島の高台に位置する百之台国定公園の歩道の脇に、大きな珊瑚岩がゴロゴロと転がっている。珊瑚が隆起して出来た島だと実感する。現在も、年に2ミリずつ隆起しているそうだ。
↓4泊した別館の2号館。3DKで1泊2000円。左は5号館。
→高台に転がっている大きな珊瑚岩。
百之台の珊瑚岩
2号館
 お昼ご飯を食べずに走ってきて、もう午後3時。お腹が空いたので朝買っておいた菓子パンを食べようと自転車カゴの中のバックを覗くが・・・あれっ!?パンがない。どこかで落として来たのか??悲しい・・・orz。
 一本道を東シナ海側に折れてムチャ加那公園によって、小野津。海沿いに伊実久、坂嶺、中熊、先内、中間、池治、赤連を通り湾に戻ってきた。ホテルで家の鍵を受け取り、空港臨海公園で夕焼けを眺める。
 すっかりお腹が空いたので回転すしやには入り、焼き肉定食880円を注文。目の前を皿に乗った寿司が流れて行くのを見ながら、焼き肉を食べる。食べ終わり、ディスカウントショップで黒糖焼酎・たかたろう720mlを購入。
 家に戻りシャワーを浴び、カメラのバッテリーを充電、撮影データをバックアップ。
 今日のサイクリングで、島の大きさがだいぶ実感できた。明日は、一周。
 それにしてもハブがいないというのは、安心感がありますね。奄美大島だと、ちょっと草むらの中に入るのも勇気が要ります。
14日のスナップ
 13日から14日のスナップを、Photo Albumにしました。こちら
5月13日(金)
 明日、明後日はまずまず天気が良さそうなので、折りたたみ自転車を持って遠出。ネットで喜界島の宿泊施設を検索していると、一泊朝食付き5000円のビジネスホテルが引っかかった。この値段だと安くはないが、別館の案内がありこちらは一泊2500円。さっそく電話して2泊予約する。
 宿の手配ができたので、昼ご飯。山脇町に最近できた食堂で天ぷら定食。海老二本に野菜の天ぷら、マカロニサラダ、きんぴら、漬け物、みそ汁、ご飯で500円はお値打ち。ランチを食べて、図書館へ本を返却し、開運会社で奄美から喜界島へのフェリーのチケットを購入。
 荷物を用意し、焼酎とお弁当を買って6時30分頃にフェリー乗り場へ。折り畳んで布団袋に入れた自転車を持って、フェリーあまみに乗船。コンテナに入れられた牛を積んで、ほぼ7時20分の定刻に出航した。
 スーパーで買ってきたお弁当を食べ、ちょっと船内をうろうろしているうちに喜界島に到着。これまで鹿児島から奄美への途中に寄港するだけでしたが、初上陸!さっそく自転車を組み立てる。フェリーの待合所で帰りのフェリーのことを尋ねると、日曜、月曜は奄美へ戻る船はないとのこと。えっ!2泊して明後日の朝に帰ろうと思っていましたが、4泊(汗)?
 自転車で港近くにあるビジネスホテルのフロントへ。ホテルの人の運転する車の後ろに着いて、自転車で別館へ。ホテルの別館といっても、普通の民家ですけど(笑)。私が泊まることになった2号館は3DKかな。生活感のある室内。民泊体験みたいだ。
 とりあえず予約した2泊分を支払う。1泊2500だったのが、シーズンオフだからか2泊で4000円になった。ありがとうございます。助かります。
↓フェリーあけぼの。→コンテナに入れられた牛を積み込んで、出発。
牛の積み込み
フェリーあけぼの

You Tubeから「Moon River/手嶌葵

二人は岸を離れ、世界を見るために漂う漂流者。
見るべき世界はたくさんあるわ。
二人は同じ”虹の端っこ”を追いかけているの。
それは、あのカ-ブを曲がったあたりで待っているかもしれないわ。
幼馴染みの冒険仲間、ムーン・リバーと私。

 明日から、喜界島探検。
 さて、寝るか・・・zzz。

5月12日(木)

 7日に発生した台風1号(AERE・アイレー)が、11日の夜中に名瀬を通過しそうだと天気予報が伝えたので部屋でジッと外の様子を伺うが、思っていたより大人しい。台風じゃなくてももっと風の強い日はあるし、台風じゃなくてももっと雨足の激しい日はある。かなり勢力は落ちていたのかな?奄美南部に接近した夕方くらいの方が、風も雨も強かったかもしれない。
 台風一過の今日だが抜けるような青空ではなく、相変わらすの梅雨空。
 早朝に、港町のコンビニに強盗が入ったらしい。のんびりとした南の島でも、事件は起ります。犯人はすぐに捕まったようですが(*´д`*)

名瀬の空模様
↑左は、台風通過中(?)の名瀬港。右は、今日の昼頃。

 このところ雨が続いたので、部屋に籠って本を読んでいる。
 ネットで情報を得るようになって、昔はあんなに読んでいた雑誌や書籍を読まなくなった。たぶんこの何年間は、ほとんど本を買っていない。
 それが奄美に来て、図書館に通うようになって、また読書三昧の生活。奄美群島に関する文献は、奄美に居る間ではないと簡単には読めないという事情もあるけれど。 
「ヤポネシア考/島尾敏雄対談集」(葦書房有限会社)から、興味深い箇所を抜粋。こういう本を読むと、もっと歴史や地理を勉強しとけばよかったと思う。

もう一つの日本・ヤポネシア

 ヤポネシアの発想ですが、これはやはり奄美に住むようになって思ったことです。ぼくはさっき出身が東北地方だと言いましたね。最近のことなんですが、東北と奄美・沖縄を含めた地域に、何か似たような歴史体験があったとぼくは考えはじめているんです。でもこれもまた実証がないんで、どうもいけませんけども・・・・・・
 ぼくは琉球弧という言葉を使っています。それは琉球という言い方が、奄美の人、沖縄の人にかなり抵抗があるんです。ただ他に言いようがなくて、琉球そのままでもなんなので、まあ琉球弧という地理学的な言葉を援用しています。弧という字がかっこうがいいし発音もいいでしょう。それで琉球弧というのを使って、奄美からずっと沖縄、先島までを含めた地域を言い表す言葉にしているのです。この琉球弧と東北が、何かいろんな点で似ています。
 どっちも、中央集権を持ったことのない地方ですね。琉球弧の方は、沖縄が小さな独立政権を作りましたが、でも日本全体からみると、やはり疎外された辺境で、いつも忘れられているという形です。東北はというと、これはいつも征伐されている。度々の蝦夷征伐とか、戊辰の役とか・・・そういうふうにされて来ているところが、何かとても似ているような気がしてしかたないのです。
〜略〜
 ヤポネシアというのは、ミクロネシアだとか、メラネシア、ポリネシア、インドネシアだとかありましょう。われわれは、これまで大陸の方ばかりを眺めてきすぎたような気がするんです。地図を見ても、大陸を真中に置くから、日本はもう大陸に振り落されそうな形で、はじっこの方にちょっと乗っているといった具合です。しかしそういうことだけじゃなくて、やはり半分は太平洋に面しているんですから、その面から日本を見れば、メラネシアとか、ミクロネシア、ポリネシアみたいに、ここにも一つの島々のグループがあるという気がするんです。
〜略〜
 日本を構成してきたもの、それはいろいろあると思うんです。大陸から朝鮮半島を通って、九州、本州へと広がっているもの。中国の南部に根を有するもの。もっと南に下って、ポリネシア、インドネシアと連続するもの。ぼくは日本にはポリネシア、インドネシア的側面も濃厚にあるんだぞと言いたいわけです。
 そういうふうに考えると、解放されるんです。朝鮮半島からはいったコースだけですと、ちょっとどうしようもないでしょう。九州から関東の辺までが固められて、普通に言われる日本というものが、すこぶる頑丈にできあがっていますからね。

逆になっている大和口と中国口

 奄美・沖縄の言葉には中国語の影響は少ない、と学者が言ってますが、ぼく自身住んでいてそう感じますね。影響が多いから別に悪いわけではなく、少なくてもどうってわけじゃないですが、実際問題として少ないのです。
 沖縄本島の場合、あそこには琉球王朝があって、宮廷文化があったんです。ですから、宮殿とか宮廷の人たちが着た着物とか宮廷舞踊だとか、そういう関係のものは、中国風の影響が非常に強いと思います。けれども、一般の人たちの家とか服装、それから踊り、歌とかの方は、いわゆる中国の、北部中国の影響は、むしろとても少ないという気がします。
 奄美の人は、本土を大和と言って、その言葉を大和口(ヤマトグチ)というんですけども、ぼくに言わせれば、濃厚な大和口はむしろ奄美の人の方が使っているんです。本土の方は中国口(チュウゴクグチ)を使っていると言っていいと思うんです。漢語を多くまぜなければものが言えませんから・・・・・・
 それに思想ですね、儒教だとか仏教だとかみんな中国から来ている。そういうものを本土から抜いてしまったら、どういうことになるんでしょうか。琉球弧での仏教と儒教、儒教は琉球王朝を通して強くはいっていますが、仏教はほとんど影響がありません。その点でも、大和口はむしろ奄美・沖縄なんですね。奄美の人たちは、自分たちの言葉を島口(シマグチ)、沖縄では沖縄口(オキナワグチ)と言っていますが・・・・・・

(雑誌「中国」のインタビュー・シリーズ第五回、一九七0年五月号掲載、のち冬樹社版「島尾敏雄非小説集三」に収録)

日本とは異質の琉球弧の違和感

島尾 以前、私は本土にいたときも、周囲の日本にばく然と違和感を持ちながら、それが何であるかはっきりしなかった。四、五、六世紀にかけて近畿を中心に九州から関東あたりまでを含んで日本国家が誕生するはるか以前、すでに日本列島には琉球弧を含めた全域に同じような生活文化をもった原日本人が住みついて原日本語をつかい、日本文化の基質になるものをつくりあげた。ところが大和朝廷ができ、国家統一が進むにつれて国家が前面に出てきて、日本の正統を誇り、基底にある古い文化は異端として退けられ表面から消え、意識下にひそんでしまった。ただ琉球弧は日本国家とは別の歴史をたどったために、古い日本の原型に近いものが色濃く残っているのではないかと考える。
 このように本土では意識の底に沈んだが、琉球弧などではまだあらわに残っているような”もう一つの日本”ーーこれを私はふつう意識の中にある「日本」と区別して「ヤポネシア」と呼んだら、と思う。それは、反日本的な日本であり、大陸との関係と同時に、ポリネシアやインドネシアなど南海の島々と共通するものが強く感じられるという意味で「ヤポネシア」つまり「日本の島々」と名付けたわけだ。
 ことばはどうでもよいが、私がいいたいのは日本の歴史は「ヤポネシア」と「日本」をあいまいにしてきたために、いろいろきしみが生じ、無理解や疎外や差別や劣等感が起ってきたのではないかということだ。琉球弧と本土の文化は違うのだとはっきり認識しておかないと、いくら琉球と九州は一体だといっても肉ばなれを起こす。
〜略〜
 明治以降、琉球弧の人びとは、日本国家の仕組みにはがいじめにされ、ムリに島の個性をおし殺して本土日本にとけこもうとしてきたがそれがかえってコンプレックスとなり、本土側では琉球弧を蔑視し、無視する結果となった。
 しかし、琉球弧との関連を無視しては、ほんとうの日本の姿をとらえることができない。たとえば、本土が鎖国していても、琉球弧は世界に開いていた。薩摩はその琉球弧をおさえることで経済的エネルギーを収奪すると同時に、世界の動向を察知し、明治維新の主力となった。またポルトガル船はいきなり種子島に漂着したようにいわれるが、琉球弧のあたりに近づく理由があった。ペリーの黒船も浦賀にくる前に沖縄を基地としている。カトリックの宣教師も長崎などにくる十五年前に首里で日本語を学んでいた。こんどの戦争でも沖縄は本土へのクッションになった。
 このように琉球弧は、日本が世界につながる”海上の道”であり”道の島”であった。世界史の曲がり角では、いつも世界の波はまず琉球弧にぶち当たって来たのである。もし琉球弧がなかったならば日本の歴史は別のものになっただろう。
 私は琉球弧を正しく位置づけなければ、日本を正しく理解することはできないと考えるのだが、これまで九州人は琉球弧にたいしてあまりにも無理解だった。というより琉球のことなど意識になかった。
 台風が琉球弧で荒れ狂っていても、台風が日本にきたという実感はない。せいぜい「日本接近」というていどである。しかし琉球弧は間違いなく日本なのである。
 琉球弧と本土は、歴史の原初においては同じ体験を共有した。その後別々の歴史をたどったために違った文化になり、お互いに違和感をおぼえるようになったが、両者は同じ根っこにつながっているのだ。琉球文化を理解することは、すでに私たちが忘れてしまった民族の古い記憶を思いおこさせることにもなり、そこから新しい文化の可能性もひらけてくる。日本列島には、それぞれの地方の歴史にはぐくまれた固有の文化が共存しているのだということをはっきり認識し、お互いの個性を尊重しつつ交流することが大切なのである。

本来の日本をとらえる

島尾 国家については、ほとんど討論しなかった。「ヤポネシア」という考えは、反国家を意図した発想ではない。「ヤポネシア」という概念で日本文化を見直すと、ゆがみのない、本来の姿がとらえられるということである。
 つまり、日本というのは、二つに分けて考えるとはっきりする。一つは、先史いらい、まだ国家もなかった縄文時代の数千年の間、日本列島の北から南まで、琉球弧を含めて、共通していた生活文化で、これが、「ヤポネシア」である。もう一つは、弥生いらい九州、近畿から関東あたりを舞台に沸騰し、展開した日本国家の歴史の中で形成された文化で、ふつう「日本」と考えられるのが、これである。
 私は、前者の、ふつうは意識にない、地域的歴史的に広く深い日本、つまりヤポネシアをとりこむことによって、初めて、後者の狭く浅いいわゆる「日本」は、カッコを取りはずされて、ほんとうの日本になると考えるわけである。私は国家を否定しようというのではない。狭い国家意識にとらわれた「日本」ではなく、ほんとうの日本を発見したいのだ。

(あすの西日本を考える30人委員会文化部会の通算八回延べ四十時間におよぶ討論を「西日本新聞」昭和四十七年十月十日より十月二十日まで十一回に亘り連載)

アメリカ軍は自殺艇と呼んだ 作戦変更がもうできなかった日本軍

 震洋は04(マルヨン)兵器と呼ばれたもので、形は普通のモーターボート、船体はベニヤ張りです。エンジンは自動車エンジンだと聞いていました。一人乗りで、ボートの舳先の部分に、二百三十キロの爆薬が、鉄の容器に入れられてくっつけてあるんです。舳先に衝撃が与えられると、舳先が引っこむ、すると電気の回路が形成されてボカンと爆発することになっている。ですが、海岸に穴を掘ってその中に隠して置きますと、湿気が多くってベニヤ板の艇体全体が回路みたいになってしまうんです。だからうっかりスイッチを入れたりすると、その場で爆発してしまいます。それで死んだ者も多いんです。近くの基地でしたが、指揮官で行っていた同じ仲間の三木十郎が、そうした事故の誘爆に巻きこまれて死にました。
 電気を使うことができなければ、どういうふうにして爆発破壊させるかというと、ぶつかると同時に、目の前の把っ手を引くことにしていました。すると人間もろ共ふっ飛ぶ。まあそういう訓練をしましたけど、はたして実際にやってみて、どういうことになったかは、分りませんね。
 コレヒドールと沖縄戦で何隻かが出撃したと言われてますが、戦果は確認されていません。コレヒドールの時は、おそらく出てないでしょう。向うへ行って、基地を整備する間もなく、アメリカ軍が揚がって来ましたから。そしてその時アメリカ軍はこういう兵器があることを知ったんです。そして全軍に回状を回してあるんです。こういう馬鹿な自殺艇があるから注意しろというふうに・・・・・・沖縄では、一個艇隊か二個艇隊、バラバラに出たように聞いています。戦果はどうだったんでしょうか。
〜略〜
 日本軍は察知されたことは分っているけれども、もうそれを変えることはできなかったんですね。そのあとも南西諸島から中国の海岸地帯、舟山列島のあたりまで、震洋隊を配置しました。敗戦間際には、九州、四国沿岸にずっと、もう後生大事にそれを抱えこんでいたんですよ。
 同期の連中でも回天で行ったのは、戦果が確認されています。何か悲惨な感じがしますね、あの連中のことは・・・・・・十人近く死んでます。名簿をみると、回天に乗った予備学生というのはすぐに分ります。初めの頃の攻撃はだいたいぼくの同期です。回天にまわされたのは、みんな成績のいい連中でした。ぼくは成績が悪かったから・・・・・・
 特攻配置になった同期の連中、みな同じ気持でいたかどうかわからないですけども、まあ小説を書くような男が一人いたということですね。

↓→加計呂麻島・呑之浦にある、島尾敏雄が率いた第18震洋隊の基地。3月30日に撮影。
震洋2
震洋1
5月9日(月)
 先週辺りの週間天気予報では、明日からお天気マークが続いていたので与論島か喜界島に行ってみようかな〜と考えていたのですが、昨日から予報を確認する度、悪くなる・・・orz。
 台風1号が発生したらしい。12日には奄美大島に来るかも知れない?明日はほとんど一日雨の模様。部屋で本でも読んでいようかな。
オカヤドカリ
←猫の住処になっている海岸のアダン林を覗くと、貝殻が転がっている。ひっくり返すと、ヤドカリ。オカヤドカリかな?けっこう居るのであまり有り難みがないですが、天然記念物のはず。↓すごい湿気で(@_@;)ムシムシ(≧▼≦)今年もこの季節。今日、初白くま。
白くま
 中部電力が臨時取締役会で、要請のあった浜岡原子力発電所の全面停止を受け入れた。
  震災以来、管首相のリーダーシップが問われていたが、5月6日の中部電力に対する原発停止の要請は、彼が示したこれまでで一番大きなリーダーシップだと思う。
 これに対して、原発停止に伴う様々なことを十分な審議をせずに独断で決定するのはけしからんという論調もある。しかし、原発を止めることのメリット、デメリットを審議していても結論を出すのは難しいように思う。今は平時ではなく緊急時。待った無しの際に論議を飛ばしてトップが簡潔な結論をだす。リーダーシップとは、このようなものだと思う。
 十分な審議もなしに要請したことを、もし自民党が問題にするなら、逆に与党時代になぜ自民党は真剣に浜岡原発の問題を審議しなかったのか反省するべきだろう。浜岡原発が震源域の上に建っていて危ないというのは、何年も前から言われていたのだから。
5月8日(日)

 昨日は楽しいジンギスカンから酔って帰ってバタンキューで寝たら、一時間ほどで目が覚めた。外で飲んだ時はいつもの事で、音楽聴きながらチビチビと焼酎を飲んで朝を迎える。
 少しウツラウツラとした後、軽い二日酔いの頭で油そうめんを作り、シャワーを浴びてからアルコールが抜けるようにサイクリング。久しぶりに小湊を目指す。
 ちょっと重い身体でペダルを漕ぎ、汗を流し、アクエリアスで水分補給。小湊集落の手前にある栄さんのハウスに寄ると、ご夫婦でパッションの作業中。せっかくなので、受粉作業をやってみる。
 お手伝いになったのかわかりませんが、ゴーヤを3本いただいて小湊漁港へ。連休最後の日曜日。海岸では、たくさんの子どもたちが遊んでいた。
 集落の真ん中を走る本通り。そこから左右に幾筋も伸びている路地。そんな路地を自転車でゆっくりまわると、ありふれた日常が垣間見える。極々普通の生活。玄関先に落ちる木漏れ日のなんて美しいことか。
 福島から遠く離れ、直接の影響が無いように見える奄美にいても、3.11以降に価値観は大きく変えられたように思う。

↓(左)ずいぶん大きくなったパッションフルーツの実。これから濃い紫に色付いて行く。(右上)熟す前のパッションフルーツの中身。(右下)いただいたゴーヤ3本。

パッションフルーツ
パッションの中身
ゴーヤ

 小湊からの帰り、平田町のスーパーで買物。かなり汗をかいたが、お酒が微妙に残っていてあっさっりした物しか食べられそうにない。辛し明太子、卵納豆、みそ汁とご飯。
  晩ご飯食べたら、だいぶ楽になった(*´д`*)。

5月7日(土)
 夕方から松元さんの経営するショートゴルフ場「名瀬ゴルフクラブ」の前庭で、ジンギスカン。オリオンビールと、黒糖焼酎と、赤ワインのチャンポン。楽しく酔っぱらいました(*´д`*)。
ジンギスカン01
ジンギスカン02
ジンギスカン03
記念写真
ジンギスカン料理

↑ジンギスカン、焼きおにぎり、ウインナー、じゃがバター。

←小辻さん、常田さん、ミノさん、ミエさん、松元さんご夫婦、栄さんご夫婦、田中さん。また飲みましょう!

5月6日(金)

 今日も雨。梅雨入りしたばかりですが、既に雨、飽きた・・・orz。
 午後になって雨の止み間に郵便局へ出かけ、先日来作成していた両親の旅行アルバムをレターパックに入れて送る。
 
 放射線業務従事者の年間被爆許容量が100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに変更された時は、その大幅な引き上げ量に驚き話題になったが、時間が経つにつれてそれが以前からそうであったかのような当たり前の数字となっている。人間の記憶力というか、感覚の麻痺というのは恐ろしい。
 子供の外部被曝限度が、年積算1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げられた。こちらは小佐古敏荘(内閣官房参与)の辞意表明もあってテレビでも大きく取り上げられたし、現在ネット上で反対署名活動が行われている。
 福島原発事故の前まで1ミリシーベルトだった許容値がいきなり20倍に設定されるというのは、異常としか思えない。管理区域が5.2ミリシーベルトとされている数値の約4倍を、子供に適用している。
 この1、5.2、20ミリシーベルトという数字については中部大学 武田邦彦教授のコラムにわかり易く書かれている。
 年間20ミリシーベルトというのがどれだけ危険な数字なのかは、たぶん誰も確証を持って答えられないのだろう。そんな管理区域の数字を大きく越える場所に、永く住んだ人はいないはずなのだから。このまま撤回されなければ、十分な説明もないまま福島は放射能の実験区域になってしまいかねない。
 ただ福島原発事故が起ってしまった以上、子供の外部被曝限度を年積算1ミリシーベルトとするのが難しいのも理解できる。
 独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htmの「子供の外部被曝限度(年積算20mSv)問題への所見」というコラムに、興味深い意見が述べられている。
 子供の外部被曝限度を20ミリシーベルトに引き上げて適用する事はもちろん反対だが、1ミリシーベルトとするのも現実的には難しいかもしれない。個人的には、国は住民に十分な数字的根拠を説明した上で避難できる住民には避難させるということしか浮かばない。

 今回の大震災と原発事故における民主党、管首相の対応に不満を持つ人は多い。私も不満はいっぱいある。それでも自民党が与党だったらこの未曾有の災害に対して、ズバ抜けて良い対処ができたとも思えない。まして今の自民党総裁は、私の中では「自転車で転んでけがをした人」くらいの印象しかない。

 夕方になって、管首相が中部電力に対して浜岡原発の全原子炉を運転停止するよう要請したというニュースが流れた。ただ、1、2号炉は廃炉が決まっているが、残りの3、4、5号炉は今のところ停止という処置である。それでも脱原発に少し前進した。
 原発について「悲惨を極める原子力発電所事故―終焉に向かう原子力(第11 回)講演」がわかり易い。
 今回の原発事故を受けて東電の責任だけではなく、電気を使うだけで無関心だった国民にも責任はあるという論調がある。そうだろうか。事故は隠蔽され、正確なデータは提出されず、海外の重大な事故もほとんど報道されて来なかった。2005年のセラフィールド再処理工場の事故も大手メディアはほとんど伝えなかったし、2006年8月にスウェーデンの原子炉でメルトダウン寸前の事故が起った事も伝えられていないように思う。そんな中で、国民に責任を問えるのだろうか。

VIBRASTONE の91年のアルバム『ENTROPY PRODUCTIONS』に収録されている
PUBLIC ENEMY(You Tube)から。

VIBRASTONE
↑左は1989.3青山ビクタースタジオで。kyon2のレコーディングの時かな? 右はウオーマッド’92にて。

ルールをよく守れだって?
ルールはいつだって かってに変えていいってルールだもん
そんなのインチキじゃん!?

20パーセントの人間の幸福が
残りの8割の人の命と
ひきかえられてるって知ってショック
もう見て見ぬふりはやめたいんだ

けど自分のことで精一杯
悪いことなんかしてないしさぁ
会社の方針にしたがってるだけです 休みも返上
ほしいヒトがいるから売ってるだけです
その結果会社はもうかってるけど
社員はただ疲れてるだけですよ
考えたりするヒマなんてまったくないんです
私を攻撃するのは
おかど違い勘違い大まちがい
私も8割のなかのひとりです
金なら出します
会社がいくらでも払うよ

オレにも核シェルターをくれ
死の灰で 死ぬのは一般人

ルールをよく守れだって?
ルールはいつだって かってに変えていいってルールだもん
そんなのインチキじゃん!

そっちの水は甘いな こっちの水は不味いな
どう考えても変だな 
どう考えてもそんなのインチキに決まってるじゃん!

ヒップホップ、あんまり聴かないんだけど、このアルバムは好き。
今聴くと、ますます名盤だと思う

5月5日(木)
 梅雨らしく朝から雨が降り続いていましたが、午後からは雨が止み、少し日射しも出て来た。待ってましたと、自転車で朝仁海岸まで。しばらく海と空を眺めていると、徐々に青空が広がって行く。もしや夕焼けが見れるかも?と久しぶりに山を上って大浜海岸まで。
 南国風な木が並ぶ駐車場に着いた頃には、空が淡く染まっていた。海岸まで降りて夕焼け空を見ていると、虹の切れはしのような光が。夕方の太陽が雲の端を、そんな風に染めているだけだろうか。
 海岸の階段に座って日暮れを待つ。太陽が沈んで行くにしたがって雲が多くなり、ちょっと不完全燃焼な夕暮れ。
鯉のぼり
黒糖焼酎・加計呂麻
↑小宿漁港にて。泳いでいると言うより、釣り上げられた感じの鯉のぼり。→黒糖焼酎・加計呂麻。
↓大浜海岸にて。左の方に虹の切れはしのような光りが。本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
大浜海岸の夕暮れ
 昨日、浜千鳥乃詩 原酒を飲み干したので、今日から加計呂麻。これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻。
5月2日(月)

 今日は西日本だけではなく、東日本まで中国からの黄砂が飛んできたようだ。名瀬でも視界は悪く、少し先が白く霞んで見える。 風が運ぶ距離と言うのは凄いね。4月5日だったか、沖縄でも微量の放射能を検出したという記事を見たが、今日の黄砂を見れば不思議でもない。
 放射能が黄砂のように可視化出来る物だったら、どうだろう。福島原発事故の後は、パニックが起っていたかも知れない。幸か不幸か放射能が可視化できず、余程の大量被爆をしない限り”直ちに”影響は出ないため、震災から50日ほどが経って緊張感が薄れて来ているようにも思える。
 小佐古敏荘(内閣官房参与)の辞意表明はテレビのニュースでも大きく取り上げられたが、それでもテレビのニュースと、私が震災後にチェックしているサイトとの原発や放射能に関する情報の温度差が気になる。

 懸命に原発内部で作業している方々の必死の努力というものを横に置いて、事故以来のヘリコプターでの海水の注入、コンクリートやおがくずで汚染水を止める、挙げ句は汚染水の海への大量排水という処置の仕方は、悪徳建築会社のその場しのぎの住宅リフォーム工事のようにも見える。
 バケツで溶液を扱って臨界が起きた1999年の東海村JCOの事故は、そのずさんな管理に驚いたけれど、方法の手荒さにおいては今回の事故処理も同じような気がする。
 福島第一原発にはGE、東芝、日立製作所が係っているが、これらの会社の技術者の話し、コメントというのがテレビから聞こえて来ないのは何故だろう。そして原発に係る数字と言うのが、推進派と反対派で何故こうも違うのか。認識の違いはあっても、正しい数字は一つしかないはずなのに。不思議でしょうがない。

 震災後、悲惨な状況下にあっても美談はいくつも生まれただろう。でも政治家絡みの美談というものを、私は未だ一つも耳にしていない。というか、何故彼らの発する言葉はこうも美しくないのだろう。

what a wonderful world/Louis Armstrong

黄砂の日の小宿
黄砂の日のフェリー乗り場
←↑黄砂の日の名瀬。左は小宿漁港、上はフェリー乗り場。
 こちらにも何枚かあります。
5月1日(日)

 沖縄と一緒に、奄美大島も昨日梅雨入りしました。平年よりも11日も早いそうです。それでなくても雨多いのに(;´Д`)。
 今日は一日布団にゴロンとなって、本を読む。しばらく読むと、なんだか瞼が重くなって一眠り・・・zzz。起きて、またしばらく読み進むと瞼が重くなって一眠り・・・zzz。そんな繰り返し。

↓雨の名瀬港。部屋の窓から。

雨の名瀬港

 震災後にチェックしているサイト。
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○Shinya Fujiwara official site Talk&Diary http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm

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