HOME TOP | ||
○5月15日(日) フリーマーケット(1万人広場)/奄美文化センター 市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。 ※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。 *道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら。 |
||
昨日のTVニュースで、台風2号(ソングダー)による塩害で奄美大島各地の農産物に被害が出たと聞いたので、午後から小湊のハウス農園へ行ってみる。ビニールを剥がしてあったので、ハウスそのものは大丈夫らしいが収穫前のパッションフルーツが大打撃(≧▼≦)。栄さんのハウスだけではなく、周辺のハウスは軒並み同じ感じのようだ。 昨年10月の豪雨災害の時も、土砂が流れて来て苗がやられている。つくづく農家は大変だ。 |
||
↓→ソングダーの爪痕。例年なら収穫が終わっている頃らしいが、今年は日照不足で青いまま。そこへ季節外れの台風・・・orz。 | ||
とりあえず枝から落ちたパッションを拾ってカゴに入れ、車に積んで捨てに行く。 みんなで気を取り直して、明日は外したビニールを掛け直す作業。私も午後から手伝いに。枝から新芽が出てくれれば、また受粉に繋がるのかな? |
||
午前中から、画像を添付したメールを送ろうとして上手くいかず(≧▼≦)。デスクトップでダメならノートでどうだ?と試みるが送れない。 朝から青空が広がる良い天気だったので、自転車で少し遠くまで行こうと思っていたけれど、メールの設定に時間がかかって中途半端な時間になってしまった。遠出はやめて、久しぶりに大熊展望台へ。 |
||
↑大熊展望台の近くから。こちらにも少し。 |
||
奄美大島に向かって実家の富山から旅を初めて、今日で一年がたった。 一年前の5月30日。サンダーバードで京都に向かっていた時には、ホントに奄美大島に辿り着けるのか?あまり自信がなかった (汗)。 一年旅して(遊んで?)思うのは、まあ、大体のことはなんとかなるもんですね (笑)。 さて、一年ほどのつもりでしたが、想像以上に奄美大島が大きかったので、もう少し滞在して周辺の島々もまわろうと思っています(*´д`*)。 |
||
日付が変わった頃、奄美も暴風域に突入。ビュービューと風が吹き付け、建てつけの悪い窓のサッシをガタガタ鳴らす。ビルなのに微妙に揺れている気がして、ちょっと恐い(@_@;)。 台風が去った後も午前中は雨だったが、昼頃から天気は回復し青空も見えて来た。 窓をガタガタ鳴らし吹きすさぶ風にビビリ(≧▼≦)、対抗処置として昨晩はビリー・コブハムの『Total Eclipse』を聴いていた。 |
||
5月28日 PM7:08 |
5月28日 PM9:31 |
5月29日 AM12:38 |
5月29日 AM2:31 |
5月29日 AM3:40 |
5月29日 AM4:19 |
5月29日 AM8:50 |
5月29日 PM5:23 |
5月29日 PM5:43 |
5月29日 PM5:45 |
5月29日 PM6:22 |
5月29日 PM6:47 |
奄美市のホームページから。 5/29 10:00 奄美市の災害対策本部の廃止及び避難勧告を解除しました。 |
||
東海、関東甲信地方も梅雨入りしたようだ。平年よりも随分と早い。 名瀬は朝から雨。山から立ちのぼる蒸気で、港の対岸は真っ白。 窓を開けて、いつもは奄美海上保安部の船が停留している観光バースを見ると、大きなクルーズ船が停まっている。船尾の文字を望遠レンズを付けたカメラで見ると、「ぱしふぃっく びいなす」の文字。 散歩がてら港まで「ぱしふぃっく びいなす」を見学に行く。確か「ぱしふぃっく びいなす」は、3月にも名瀬に寄港するはずが東日本大震災で中止になったんではなかったかな? 船の横にお土産物を並べたテントが張られ、端の方に簡易観光案内所があったので、出港時間をたずねる。雨が降っているので、船のお見送りのイヴェントは行うかどうか検討中とのこと。 一通り船の写真を撮り、一旦部屋へ戻って船の出航する30分ほど前に港へ。テントに近づくと楽器の音がする。ハシケンさんが音合わせ中。隣りには中村瑞希さんが立っている。 3月に寄港予定だった「ぱしふぃっく びいなす」のクルーズは、ハシケン&中村瑞希の船内ライヴ開催という記事を何かで読んでいたので、もしや今回来ているのかな?と思っていましたが。 お見送りは中村瑞希さんの島唄から、ハシケンさんのワイド節、みんなで六調。紙テープがないのが寂しいですが、両手を振って港を出て行く船を見送るのは何回見てもいいもんです。 |
||
←朝7時に入港し、夕方6時に出港した「ぱしふぃっく びいなす」。 こちらに、もう少し写真をUPしました。 |
||
港から帰り、部屋でボットボットしていると、さばくりにんさんから電話。急遽、一昨日行った秋名集落へ行くことになる。お酒をご馳走になり、家族写真を撮って、ご飯を食べて帰って来た。 |
||
文部科学省が福島の子供の外部被曝限度を年積算1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げた問題は、たくさんの抗議を受けて「年間20ミリシーベルトから、今年度は年間1ミリシーベルト以下を目指す」に変更された。 ただ、福島第一原発が安定しない中で、年間1ミリシーベルトに抑えるのは大変な作業じゃないかと思う。また、年間1ミリシーベルトというのは外部被曝の量だけで、食べ物や飲み物から摂取する内部被曝は含まれていないんじゃなかったか? 個人的には子供を疎開できる親は、疎開させた方がいいと思う。文部科学省は子供達の環境変化を心配するが、マスクを着用し、放射線量の測定器のメモリを気にしながら生活するほうが、余程ストレスは溜まらないだろうか。 ちなみに、奄美大島も奄美市や瀬戸内町で来年3月31日までの受け入れを表明しています。雨多いしハブもいますが、良いところですよ(*´д`*)。加計呂麻島では、来年から7つある中学校が1つに統合される。廃校になる中学校を、上手く利用できる方法があればいいな〜と思うけれど。 |
||
近畿・中国・四国地方も梅雨入り。 銀行へ出かけようと自転車に乗ると、なんだか乗り心地が悪い。あれ?と思い調べると、後輪のタイヤがかなりペッタンコ(汗)。パンク!?先日前輪のタイヤがパンクしたばかりなのに・・・orz。とりあえず空気入れで膨らませて、お金をおろしに市街の銀行へ。銀行の前でタイヤの空気の減り具合を確かめるが、硬いまま。自転車屋さんに持って行くのは、もう少し様子をみてからでもいいかな。 ATMでおろしたお金を持って、6月分の家賃と5月分の水道代を払いに行く。これまでは、ビルを管理していた不動産屋さんに払っていたのだけれど、今月からビルの所有会社が管理を行うと言うことで所有会社へ直接払うことに。なぜだか部屋の番号も、☆03から☆ーCに変更になった。どっちでもいいけど(*´д`*)。 支払いを済ませて、そのまま自転車で朝仁海岸から小宿までサイクリング。雨こそ降りませんでしたが、思っていたほど晴れもせず。 22日の未明に発生した台風2号(ソングダー)が、現在フィリピンの東にいるらしい。28日の夜には先島諸島近海、29日夜には九州の南にやって来る予想だ。明日も雨のようなので、台風に供えて食料品を買い足して帰宅。 |
||
↑昨日、屋仁川の居酒屋で食べた油そーめん。ずいぶん汁が多いですが、これはこれで美味しかった。屋仁川から、あれよあれよと秋名集落へ移動して、初対面の方の家でご馳走になって、帰ってきました。 | ||
↑朝仁海岸をねぐらにしている猫も、入れ替わりがあるようだ。最近よく見かける猫。カメラを向けられて逃げたいんだけれど、眠くて起き上がれない(笑)。久しぶりに猫写真。こちら。 | ||
脱原発の活動をしていたとして、俳優の山本太郎さんがドラマを降板させられたというニュースを読んだ。本人はテレビ局も番組名も言っていないが、ちょっと検索すると東芝がスポンサーになっている番組名が出てくる。本人が明かさない以上は噂でしかないが、仮に東芝だとしたら、RCサクセションのアルバム『COVERS』を東芝EMIが発売中止にした時のことを思わせる。 You Tubeから、「Love Me Tender /The Timers」「君はラブミーテンダーを聴いたかい?/RCサクセション」「サマータイム・ブルース/RCサクセション」 「ラブミーテンダー」(替え歌詩 忌野清志郎) 放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ |
||
梅雨の中休み。 喜界島散策でバタバタしていて、チケットを貰っていながら見に行けていなかった勝 廣光、常田 守 自然写真展「長雨から新南風の自然」へ。今日が最終日でした(汗)。 写真展を見た後、そのまま自転車で朝仁海岸へ。空の青が濃い。夏空だ。 朝仁から長浜に戻り、名瀬港をぐるっとまわる感じで鳩浜へ。100円ショップとドラッグストアーが一緒になったお店で、アレコレ買物。 海の上は青空、山の方から黒い雲。大熊展望台へ上がって夕焼けを待つか・・・しかし黒い雲も気になる。大熊展望台までの長くて急な坂を自転車を押して上がって夕焼け見れないと、ちょっと辛い(;´Д`)。 悩んだ末に来た道を戻って、朝仁海岸へ。スーパーで今年3個目の白くまを買って、食べながら夕焼けを待つ。 大熊展望台からは、どんな夕焼けが見れたんだろう。朝仁から山を一つ越えた大浜海岸からは、どんな夕焼けが見えたんだろう。そんな事を想像しながら、家に帰る。 うどんを茹で、昨日仕込んでおいたルーをかけて、カレーうどん。うまい。 |
||
↑今日まで奄美博物館で開催されていた勝 廣光、常田 守 自然写真展「長雨から新南風の自然」。 ←夕方の朝仁海岸。梅雨が明けたら、また舟こぎの練習で賑わうのだろうか? |
||
本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
午前中に部屋の掃除。また潮でフローリングの床がネチャネチャしてきたので、そのうち洗剤を付けて拭き掃除しなくちゃな〜。 | ||
図書館で本を3冊借りて来た。「出発は遂に訪れず/島尾敏雄」(新潮社)、「特攻花/仲田千穂」(ポプラ社)、「徳之島写真集 島史/加川徹夫」(南方新社)。 今日はさっそく写真集「特攻花」を読む。本の内容はこちらを参考に。You Tubeから喜界島の若手デュオdokidokiが歌う「特攻花」。 |
||
←先日、桜島から送られて来た漬け物の詰め合わせ。ありがとうございます。 →今日は、桜島大根のしそ風味「桜っ娘」をいただきました。桜の花びら型の漬け物です(*´д`*)。 |
||
午前中から、喜界島で撮って来た写真の現像作業。なかなか終わらない(;´Д`)。 一日部屋に閉じこもっているのも悲しいので、夕方から軽くサイクリング。名瀬港をぐるっとまわる感じで大熊漁港へ。カツオのぼりが泳いでいるので販売所を覗いてみたら、珍しくシビのお刺身が並んでいる。でも昨日の晩と今日の昼に、キハダマグロのお刺身食べたからな・・・。代わりに魚のかき揚げ5個350円を買う。 大熊漁港に架かる橋の上から、そして鳩浜の辺りから夕暮れを撮影。雲が多いから、ちょっと難しいかな?と思っていましたがキレイに焼けて行きましたね。ジリジリと炭に火が入る感じで、中心は透明感のある明るさ。堪能しました(*´д`*)。 夕暮れに染まって行く風景をPhoto Albumにしました。こちら。 |
||
朝からザーザー降りの雨。国会中継を見てから、昼過ぎにスーパーへ買物に行く。カールチーズカレー味100円、カフェオレ158円、菓子パン126円、油そーめん150円、いなり寿司220円。 |
||
↑雨の喜界島に咲く花。 |
||
早朝の3時半頃に、荷物を背負って自転車で湾港のフェリー待合所に。先客は一人。自転車を折りたたんで、布団袋に収納。 4時半近くになって、まだ暗い港へ静かにフェリーが入って来る。湾内でゆっくりと回転して着岸。下船するお客さんが全員タラップを降りた後、順番に乗り込む。 コンテナを積み込んで、フェリーはほぼ定刻に出航。雨は止んでいるが、大きな雲が島を覆っている。 海も陸も空も境目がよくわからなかったのが、出航の直前、急激にそれぞれの輪郭が現れる。 喜界島から名瀬までの約2時間、ず〜っと海と雲を眺め、写真に撮っていた。 昨年の6月に初めて鹿児島から名瀬にフェリーで来た時と違い、今は船から眺める奄美大島の地理もだいぶ分るようになった。あやまる岬、笠利崎灯台、佐仁・・・それにしても海に横たわる姿を見て、改めて大きい島だな〜と思う。 |
||
↑フェリーあまみから見た、奄美大島。右端が用の笠利崎灯台。 7時頃に名瀬港着。自転車を組み立てて、歩いても5分とかからない部屋へ戻る。 |
||
16日から17日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
昨日長距離を自転車で走り回って疲れていたのか、朝起きると、もう9時だった。ボットボットした頭でスーパーへ買い物。コーヒー牛乳128円、オムライス弁当400円。 朝昼兼用の弁当を食べて、11時過ぎに家を出る。まずはホテルのフロントへ家の鍵を預け、今日と明日の宿泊料2泊4000円を支払う。 途中気になった風景をスナップしながら、湾から先山まで。昨日は浦原で百之台へ行くために左折しましたが、今日は島一周コースなのでまっすぐ海沿いの道を走る。 浦原の隣り、花良治集落から奥に入った山道の途中にある夫婦ガジュマルを見に行く。場所を教えてもらった集落のおじさんは、「たいしたガジュマルじゃない」と言うんで、坂も上がらなくてはいけないので見るの止めようかな〜と一瞬思いましたが、見に来て良かった。カーブの外側、崖に巨大なガジュマル。木根がず〜っと奥まで伸びていて樹の全貌が分からないくらいデカイ!一本の樹なのか、何本か並んでいて、夫婦なのか?カーブの内側にも大きなガジュマルがあって、こちらも立派な木根を地面に伸ばしている。 |
||
↑花良治集落の夫婦ガジュマル。大きすぎて、全貌がよくわからない(@_@;)。昨日見た手久津久集落のガジュマルもそうだけれど、こういう巨木と対峙する時、35mmのカメラでは役不足だな〜と思う。機材にこだわりのない自分でも、アオリの出来る4x5を三脚に立てて撮ってみたいと思う。 |
||
海沿いの道路に戻り蒲生、阿伝。阿伝集落で自転車を下り、珊瑚の石垣が連なる集落を散歩。迷路のような村内の道を珊瑚岩が囲む。どこまでが道で、どこからが屋敷かわからない。美しいメイズ。 阿伝集落に限らず喜界島の家々には、珊瑚の石垣が残っている。珊瑚と珊瑚の間をコンクリートで固めたものや、ブロック塀に変わった家もあるけれど、珊瑚を積み上げただけの石垣がやはり美しい。 しっかり木根を伸ばしたガジュマルが植えられている家も多い。ガジュマルと珊瑚が、この島を昔から海風から守って来たのだろう。 |
||
↑珊瑚の石垣のある風景 |
||
阿伝の隣りの嘉鈍で、ソテツの巨木を観賞。確かに大きいんだけれど、ガジュマルの巨木を見た後だからな・・・。 嘉鈍、白水、早町、塩道、佐手久、志戸桶。志戸桶からバスが通る道から外れて、トンビ崎国定公園の中を走る道へ。今日の天気は、曇りのち晴れのち小雨。雨がちょっとだけ強くなって来た。 トンビ崎の辺りを自転車で走っていると白砂の海岸。「ハワイ」と書いた看板。これがハワイビーチか。 珊瑚に囲まれた湾の中に白い砂。そして透明な海水。珊瑚の岩場に男性が一人。蛸とりに来たらしいが、収穫はなかったようだ。 小野津に出て、昨日と同じ道を通って赤連まで。港湾を自転車で走ってホテルで鍵を受け取り、昨日も晩ご飯を食べた回転すしやで、油そーめん450円、ヤギ汁450円。ヤギ汁、初めて食べましたが想像していたより癖がなく、美味しかった。塩味でしたがダシが出ていてスープが美味い。このスープでお餅を入れて、お雑煮も良さそうだ。 完走できるか、ちょっとだけ不安でしたが島一周達成!多少の起伏はあるけれど、奄美大島に比べれば全然平らで走りやすい。サイクリングにはぴったりの島ですね。 |
||
←塩道長浜。護岸工事がなければ、白砂の浜辺がもっとキレイだったと思う。You Tubeから「あさはな節〜塩道長浜節/牧岡奈美」。 |
||
この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
朝起きて、自転車で近所のスーパーへ買い物。ポカリスエット1.5L198円、菓子パン105円、飴178円、サッポロポテトBQ味98円、唐揚げ弁当350円。 さっそく朝食に唐揚げ弁当を食べ、10時過ぎに部屋を出る。まずはホテルのフロントに家の鍵を預け、喜界島の地図をいただき、いざ出発。 島をぐるりとまわっている県道を左回りに自転車を走らせる。湾、中里、荒木、手久津久集落から少し入ったガジュマルの巨木を見て上嘉鉄、先山。浦原から左に曲がり坂を上って中西公園へ行き、喜界島の最高峰(海抜約212メートル)とされている地点に上り、百之台国定公園を走り、そのまま畑の中の一本道を突き進む。 島の高台に位置する百之台国定公園の歩道の脇に、大きな珊瑚岩がゴロゴロと転がっている。珊瑚が隆起して出来た島だと実感する。現在も、年に2ミリずつ隆起しているそうだ。 |
||
↓4泊した別館の2号館。3DKで1泊2000円。左は5号館。 →高台に転がっている大きな珊瑚岩。 |
||
お昼ご飯を食べずに走ってきて、もう午後3時。お腹が空いたので朝買っておいた菓子パンを食べようと自転車カゴの中のバックを覗くが・・・あれっ!?パンがない。どこかで落として来たのか??悲しい・・・orz。 一本道を東シナ海側に折れてムチャ加那公園によって、小野津。海沿いに伊実久、坂嶺、中熊、先内、中間、池治、赤連を通り湾に戻ってきた。ホテルで家の鍵を受け取り、空港臨海公園で夕焼けを眺める。 すっかりお腹が空いたので回転すしやには入り、焼き肉定食880円を注文。目の前を皿に乗った寿司が流れて行くのを見ながら、焼き肉を食べる。食べ終わり、ディスカウントショップで黒糖焼酎・たかたろう720mlを購入。 家に戻りシャワーを浴び、カメラのバッテリーを充電、撮影データをバックアップ。 今日のサイクリングで、島の大きさがだいぶ実感できた。明日は、一周。 それにしてもハブがいないというのは、安心感がありますね。奄美大島だと、ちょっと草むらの中に入るのも勇気が要ります。 |
||
13日から14日のスナップを、Photo Albumにしました。こちら。 | ||
明日、明後日はまずまず天気が良さそうなので、折りたたみ自転車を持って遠出。ネットで喜界島の宿泊施設を検索していると、一泊朝食付き5000円のビジネスホテルが引っかかった。この値段だと安くはないが、別館の案内がありこちらは一泊2500円。さっそく電話して2泊予約する。 宿の手配ができたので、昼ご飯。山脇町に最近できた食堂で天ぷら定食。海老二本に野菜の天ぷら、マカロニサラダ、きんぴら、漬け物、みそ汁、ご飯で500円はお値打ち。ランチを食べて、図書館へ本を返却し、開運会社で奄美から喜界島へのフェリーのチケットを購入。 荷物を用意し、焼酎とお弁当を買って6時30分頃にフェリー乗り場へ。折り畳んで布団袋に入れた自転車を持って、フェリーあまみに乗船。コンテナに入れられた牛を積んで、ほぼ7時20分の定刻に出航した。 スーパーで買ってきたお弁当を食べ、ちょっと船内をうろうろしているうちに喜界島に到着。これまで鹿児島から奄美への途中に寄港するだけでしたが、初上陸!さっそく自転車を組み立てる。フェリーの待合所で帰りのフェリーのことを尋ねると、日曜、月曜は奄美へ戻る船はないとのこと。えっ!2泊して明後日の朝に帰ろうと思っていましたが、4泊(汗)? 自転車で港近くにあるビジネスホテルのフロントへ。ホテルの人の運転する車の後ろに着いて、自転車で別館へ。ホテルの別館といっても、普通の民家ですけど(笑)。私が泊まることになった2号館は3DKかな。生活感のある室内。民泊体験みたいだ。 とりあえず予約した2泊分を支払う。1泊2500だったのが、シーズンオフだからか2泊で4000円になった。ありがとうございます。助かります。 |
||
↓フェリーあけぼの。→コンテナに入れられた牛を積み込んで、出発。 | ||
You Tubeから「Moon River/手嶌葵」 二人は岸を離れ、世界を見るために漂う漂流者。 明日から、喜界島探検。 |
||
7日に発生した台風1号(AERE・アイレー)が、11日の夜中に名瀬を通過しそうだと天気予報が伝えたので部屋でジッと外の様子を伺うが、思っていたより大人しい。台風じゃなくてももっと風の強い日はあるし、台風じゃなくてももっと雨足の激しい日はある。かなり勢力は落ちていたのかな?奄美南部に接近した夕方くらいの方が、風も雨も強かったかもしれない。 |
||
↑左は、台風通過中(?)の名瀬港。右は、今日の昼頃。 |
||
このところ雨が続いたので、部屋に籠って本を読んでいる。 ヤポネシアの発想ですが、これはやはり奄美に住むようになって思ったことです。ぼくはさっき出身が東北地方だと言いましたね。最近のことなんですが、東北と奄美・沖縄を含めた地域に、何か似たような歴史体験があったとぼくは考えはじめているんです。でもこれもまた実証がないんで、どうもいけませんけども・・・・・・ 逆になっている大和口と中国口 奄美・沖縄の言葉には中国語の影響は少ない、と学者が言ってますが、ぼく自身住んでいてそう感じますね。影響が多いから別に悪いわけではなく、少なくてもどうってわけじゃないですが、実際問題として少ないのです。 (雑誌「中国」のインタビュー・シリーズ第五回、一九七0年五月号掲載、のち冬樹社版「島尾敏雄非小説集三」に収録) 日本とは異質の琉球弧の違和感 島尾 以前、私は本土にいたときも、周囲の日本にばく然と違和感を持ちながら、それが何であるかはっきりしなかった。四、五、六世紀にかけて近畿を中心に九州から関東あたりまでを含んで日本国家が誕生するはるか以前、すでに日本列島には琉球弧を含めた全域に同じような生活文化をもった原日本人が住みついて原日本語をつかい、日本文化の基質になるものをつくりあげた。ところが大和朝廷ができ、国家統一が進むにつれて国家が前面に出てきて、日本の正統を誇り、基底にある古い文化は異端として退けられ表面から消え、意識下にひそんでしまった。ただ琉球弧は日本国家とは別の歴史をたどったために、古い日本の原型に近いものが色濃く残っているのではないかと考える。 本来の日本をとらえる 島尾 国家については、ほとんど討論しなかった。「ヤポネシア」という考えは、反国家を意図した発想ではない。「ヤポネシア」という概念で日本文化を見直すと、ゆがみのない、本来の姿がとらえられるということである。 (あすの西日本を考える30人委員会文化部会の通算八回延べ四十時間におよぶ討論を「西日本新聞」昭和四十七年十月十日より十月二十日まで十一回に亘り連載) |
||
アメリカ軍は自殺艇と呼んだ 作戦変更がもうできなかった日本軍 震洋は04(マルヨン)兵器と呼ばれたもので、形は普通のモーターボート、船体はベニヤ張りです。エンジンは自動車エンジンだと聞いていました。一人乗りで、ボートの舳先の部分に、二百三十キロの爆薬が、鉄の容器に入れられてくっつけてあるんです。舳先に衝撃が与えられると、舳先が引っこむ、すると電気の回路が形成されてボカンと爆発することになっている。ですが、海岸に穴を掘ってその中に隠して置きますと、湿気が多くってベニヤ板の艇体全体が回路みたいになってしまうんです。だからうっかりスイッチを入れたりすると、その場で爆発してしまいます。それで死んだ者も多いんです。近くの基地でしたが、指揮官で行っていた同じ仲間の三木十郎が、そうした事故の誘爆に巻きこまれて死にました。 |
||
↓→加計呂麻島・呑之浦にある、島尾敏雄が率いた第18震洋隊の基地。3月30日に撮影。 | ||
先週辺りの週間天気予報では、明日からお天気マークが続いていたので与論島か喜界島に行ってみようかな〜と考えていたのですが、昨日から予報を確認する度、悪くなる・・・orz。 台風1号が発生したらしい。12日には奄美大島に来るかも知れない?明日はほとんど一日雨の模様。部屋で本でも読んでいようかな。 |
||
←猫の住処になっている海岸のアダン林を覗くと、貝殻が転がっている。ひっくり返すと、ヤドカリ。オカヤドカリかな?けっこう居るのであまり有り難みがないですが、天然記念物のはず。↓すごい湿気で(@_@;)ムシムシ(≧▼≦)今年もこの季節。今日、初白くま。 | ||
中部電力が臨時取締役会で、要請のあった浜岡原子力発電所の全面停止を受け入れた。 震災以来、管首相のリーダーシップが問われていたが、5月6日の中部電力に対する原発停止の要請は、彼が示したこれまでで一番大きなリーダーシップだと思う。 これに対して、原発停止に伴う様々なことを十分な審議をせずに独断で決定するのはけしからんという論調もある。しかし、原発を止めることのメリット、デメリットを審議していても結論を出すのは難しいように思う。今は平時ではなく緊急時。待った無しの際に論議を飛ばしてトップが簡潔な結論をだす。リーダーシップとは、このようなものだと思う。 十分な審議もなしに要請したことを、もし自民党が問題にするなら、逆に与党時代になぜ自民党は真剣に浜岡原発の問題を審議しなかったのか反省するべきだろう。浜岡原発が震源域の上に建っていて危ないというのは、何年も前から言われていたのだから。 |
||
昨日は楽しいジンギスカンから酔って帰ってバタンキューで寝たら、一時間ほどで目が覚めた。外で飲んだ時はいつもの事で、音楽聴きながらチビチビと焼酎を飲んで朝を迎える。 ↓(左)ずいぶん大きくなったパッションフルーツの実。これから濃い紫に色付いて行く。(右上)熟す前のパッションフルーツの中身。(右下)いただいたゴーヤ3本。 |
||
小湊からの帰り、平田町のスーパーで買物。かなり汗をかいたが、お酒が微妙に残っていてあっさっりした物しか食べられそうにない。辛し明太子、卵納豆、みそ汁とご飯。 |
||
夕方から松元さんの経営するショートゴルフ場「名瀬ゴルフクラブ」の前庭で、ジンギスカン。オリオンビールと、黒糖焼酎と、赤ワインのチャンポン。楽しく酔っぱらいました(*´д`*)。 | ||
↑ジンギスカン、焼きおにぎり、ウインナー、じゃがバター。 ←小辻さん、常田さん、ミノさん、ミエさん、松元さんご夫婦、栄さんご夫婦、田中さん。また飲みましょう! |
||
今日も雨。梅雨入りしたばかりですが、既に雨、飽きた・・・orz。 今回の大震災と原発事故における民主党、管首相の対応に不満を持つ人は多い。私も不満はいっぱいある。それでも自民党が与党だったらこの未曾有の災害に対して、ズバ抜けて良い対処ができたとも思えない。まして今の自民党総裁は、私の中では「自転車で転んでけがをした人」くらいの印象しかない。 夕方になって、管首相が中部電力に対して浜岡原発の全原子炉を運転停止するよう要請したというニュースが流れた。ただ、1、2号炉は廃炉が決まっているが、残りの3、4、5号炉は今のところ停止という処置である。それでも脱原発に少し前進した。 VIBRASTONE の91年のアルバム『ENTROPY PRODUCTIONS』に収録されている |
||
↑左は1989.3青山ビクタースタジオで。kyon2のレコーディングの時かな? 右はウオーマッド’92にて。 | ||
ルールをよく守れだって? 20パーセントの人間の幸福が けど自分のことで精一杯 オレにも核シェルターをくれ ルールをよく守れだって? そっちの水は甘いな こっちの水は不味いな ヒップホップ、あんまり聴かないんだけど、このアルバムは好き。 |
||
梅雨らしく朝から雨が降り続いていましたが、午後からは雨が止み、少し日射しも出て来た。待ってましたと、自転車で朝仁海岸まで。しばらく海と空を眺めていると、徐々に青空が広がって行く。もしや夕焼けが見れるかも?と久しぶりに山を上って大浜海岸まで。 南国風な木が並ぶ駐車場に着いた頃には、空が淡く染まっていた。海岸まで降りて夕焼け空を見ていると、虹の切れはしのような光が。夕方の太陽が雲の端を、そんな風に染めているだけだろうか。 海岸の階段に座って日暮れを待つ。太陽が沈んで行くにしたがって雲が多くなり、ちょっと不完全燃焼な夕暮れ。 |
||
↑小宿漁港にて。泳いでいると言うより、釣り上げられた感じの鯉のぼり。→黒糖焼酎・加計呂麻。 | ||
↓大浜海岸にて。左の方に虹の切れはしのような光りが。本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
||
昨日、浜千鳥乃詩 原酒を飲み干したので、今日から加計呂麻。これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻。 | ||
今日は西日本だけではなく、東日本まで中国からの黄砂が飛んできたようだ。名瀬でも視界は悪く、少し先が白く霞んで見える。 風が運ぶ距離と言うのは凄いね。4月5日だったか、沖縄でも微量の放射能を検出したという記事を見たが、今日の黄砂を見れば不思議でもない。 懸命に原発内部で作業している方々の必死の努力というものを横に置いて、事故以来のヘリコプターでの海水の注入、コンクリートやおがくずで汚染水を止める、挙げ句は汚染水の海への大量排水という処置の仕方は、悪徳建築会社のその場しのぎの住宅リフォーム工事のようにも見える。 震災後、悲惨な状況下にあっても美談はいくつも生まれただろう。でも政治家絡みの美談というものを、私は未だ一つも耳にしていない。というか、何故彼らの発する言葉はこうも美しくないのだろう。 |
||
←↑黄砂の日の名瀬。左は小宿漁港、上はフェリー乗り場。 こちらにも何枚かあります。 |
||
沖縄と一緒に、奄美大島も昨日梅雨入りしました。平年よりも11日も早いそうです。それでなくても雨多いのに(;´Д`)。 ↓雨の名瀬港。部屋の窓から。 |
||
震災後にチェックしているサイト。 |
||
4月へ |