HOME TOP  
バックナンバー

○6月1日(水) 不燃ごみ
○6月5日(日) 元気です。奄美!観光キャンペーン 奄美市合併5周年記念「奄美音楽祭」イベント/15時〜奄美パーク 入場無料 出演:お中元(中 孝介・元 ちとせ)、いっちゃりょん会(笠利町/八月踊り)、サーモン&ガーリック、司会/丸田泰史
○6月11日(土) 第37回鹿児島ブロック大会in徳之島開催記念観光闘牛大会/午後6時開始/伊藤観光ドーム闘牛場(徳之島町亀津)/大人2,000円(高校生)、小人1,000円(中学生)、小学生以下無料
○6月11日(土) ビン類、ペットボトル
○6月15日(水) 不燃ごみ
○6月18日(土) あまみならでは学舍「今注目される奄美の食材〜薬用植物の成分と効能〜」講師:奄美の自然を考える会顧問・田畑満大/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○6月19日(日) フリーマーケット(1万人広場)/奄美文化センター
○6月24日(金) 屋仁川 7時30分〜
○6月25日(土) 本の返却期限
○6月26日(日) 秋名集落 ハマオレ
○6月29日(水) 不燃ごみ
○7月9日(土) ビン類、ペットボトル
○7月23日(土) あまみならでは学舍「真珠養殖について」講師:奄美サウスシー&マベパール・安楽昌大/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○8月4日(木)〜7日(日) 第48回奄美まつり
   4日(木) シマあすびの夕(ゆう)べ/奄美文化センター/18:00〜21:30
   5日(金) 商工会議所5ー5(ゴーゴ)パラダイス/御殿浜公園/17:30〜22:00
   5日(金) 花火大会/名瀬商港区/20:00〜21:00
   6日(土) 舟こぎ競争/名瀬港(佐大熊地区)/8:00〜16:30
   6日(土) 八月踊り/支庁通り・本町通り・屋仁川通り/20:00〜22:00
   7日(日) MBC奄美やちゃ坊相撲大会/名瀬中学校/8:00〜15:00
   7日(日) パレード 1部:楽隊・御輿等/16:00〜17:20
   7日(日) 2部:踊り連・六調/ふれ愛パーク~本町通り~屋仁川通り~旧名瀬保健所前~重信銃砲火薬店~ふれ愛パーク/17:30〜19:10
○8月13日(土) ビン類、ペットボトル
○8月13日(土) お盆闘牛大会(仮称)/午前10時開始予定/伊藤観光ドーム闘牛場(徳之島町亀津)
○8月13日(土) お盆ナイター闘牛大会(仮称)/午後5時開始予定/東目手久闘牛場(伊仙町東目手久)
○8月14日(日) 夏祭り闘牛大会(仮称)/午前10時開始予定/伊藤観光ドーム闘牛場(徳之島町亀津)
○8月20日(土)、21日(日) 瀬戸内町みなと祭り
○8月27日(土) あまみならでは学舍「佐仁八月踊りについて」講師:佐仁八月踊り保存会会長・前田和郎/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○9月10日(土) ビン類、ペットボトル
○9月18日(日) 敬老なくさみ大会(仮称)/午前10時開始予定/東目手久闘牛場(伊仙町東目手久)
○9月24日(土) あまみならでは学舍「夏目漱石の作品と思想」講師:大島高校教諭・福重成美/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○10月8日(土) ビン類、ペットボトル
○10月8日(土) あまみならでは学舍「海外生活で考えた島のこと」講師:シニア海外協力隊OB・恵原正継/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○10月9日(日) 全島中量級・ミニ軽量級優勝旗争奪戦闘牛大会(仮称)/午前10時開始/伊藤観光ドーム闘牛場(徳之島町亀津)/大人3,000円(高校生)、小人1,000円(中学生)、小学生以下無料
○10月16日(日) 全島一・軽量優勝旗争奪戦闘牛大会(仮称)/午前10時開始/(新)松原闘牛場(天城町松原)/大人3,000円(高校生)、小人1,000円(中学生)、小学生以下無料
○11月12日(土) あまみならでは学舍「大島紬の魅力」講師:紬ひろば「あまみ〜る」内山初美/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○11月12日(土) ビン類、ペットボトル
○12月10日(土) ビン類、ペットボトル
○12月17日(土) あまみならでは学舍「島唄に育まれて」講師:唄者・永井陽子 美香姉妹/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦2月3日(木)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(日)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(金)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月18日(金)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦4月5日(火)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月6日(月)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月6日(土)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月12日(金)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦8月14日(日)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月5日(月)
○アラセツ(※2):旧暦8月11日→新暦9月8日(木)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月12日(月)
○シバサシ:旧暦8月17日→新暦9月14日(水)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月5日(水)

※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定) 等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。旧暦8月最初の丙の日が旧暦8月1日になった場合,前日のツカリの日は旧暦7月になってしまい、一連の行事が月をまたがってしまうことになる。このような場合には次の丙の日がアラセツ行事を行う日となるようです。(平成16年にも同じことがありました。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○Shinya Fujiwara official site Talk&Diary http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
6月29日(水)
 自分で作ったすももジャムが美味しくて、瓶にたっぷりあったのが、もう無くなってしまった。1キロ買って、まだ冷蔵庫に入れてあった残りのすももで、ジャム作り第2弾。もう、レシピを見なくても作れます(*´д`*)。
 ジャムを瓶に詰め、冷蔵庫に入れてから、矢之脇町の食堂で遅めの昼食。日替わりのとんかつ定食500円。とんかつに、マカロニサラダ、かぼちゃと挽肉の煮物、生野菜、漬け物2種類、味噌汁。
 郵便局でお金を降ろして、7月の家賃と6月の水道代を払いに行く。先月から、それまでビルを管理していた不動産屋さんではなく、ビルを所有している会社に直接支払うことになった。先月は不在だった経理担当らしい女性に手渡すと、これからよろしくお願いしますと、領収書と一緒に黒糖とピーナッツを使った豆菓子を一袋手渡される。ご馳走さまです。
 一旦部屋に寄ってから、スーパーへ買物に行くついでに朝仁海岸へ。ハマユウの花が、いくつか咲いている。田中一村も、奄美の自然を描いた一連の作品でハマユウを描いている。アダンや、ソテツやビロウ、ガジュマルほど絵の中心にないが、美しいアクセントとなって画面の隅を飾っている。
↓ハマユウの花。ところどころ茶色いのは、先月の台風による塩害かもしれないですね。→ハマユウの蕾み?
ハマユウ
ハマユウ01
 夏バテなのか、運動不足なのか、食べ過ぎなのか、あまり食欲がなくてスーパーの棚を見ても食べたくなる食材が見つからない。食パン、バナナ、ヨーグルト、ロールケーキ、ミキを買う。
 ミキは、米粉にサツマイモの絞り汁を混ぜて作る発酵食品。牛乳パックのような容器に入っていますが、飲み物というより食感は超軟らかいお粥かな。発酵させるので日にちが経つに連れ酸味が出て来ます。個人的には酸味のある方が美味しいと思う。
 先日、ネイチャーカメラマンさんと飲んでいた時にミキの話題になり、夏バテで何も食べられない時でもミキさえ飲めば元気に野外撮影ができると話された。昔から奄美に伝わる健康食品で、かつては家で手作りしていたそうです。
 また、健康食品というだけではなく祭事にも欠かせないもので、神様へのお供え物でもある。昨年、加計呂麻島・諸鈍集落へ諸鈍シバヤを見に行った時も、舞台横で集落の女性陣がミキを作り、配って下さいました。ミキは、神酒(みき)から来ているのでしょうね。
てぃだ豆
ヨーグルトwithすももジャム
ミキ
↑すももジャムをヨーグルトにトッピング。ジャムに透明感がないのは、皮ごと煮たから?
←家賃を払いに行って貰った、黒糖とピーナッツの豆菓子。
→奄美の健康食品、ミキ。飲み物と言うより、お粥とヨーグルトの中間のような食べ物?
 夕方、窓を開けて椅子に座っていると雨が降り出す匂い。湿った土埃のような匂いが鼻をつく。来るなと思った瞬間、大きな雨音とともに激しい雨粒が降って来た。急いで窓を閉める。
 しばらくして雨足は小さくなり、止んでしまった。窓が淡いオレンジ色に輝いているので、開けて外を見る。朝から厚い雲だったので夕焼けは期待していなかったけれど、雲があるなりに美しい夕景になっていた。
 驟雨。もう、夏の雨の降り方だ。
夕景
6月26日(日)
 昨日の午後、奄美に最接近した台風5号。その後、離れて行ったはずなのに、今日も一日中強い風が吹いていた。
 お昼ご飯を食べてテレビを見ていたら、お誘いの電話があり、秋名集落のハマオレへ。
舟漕ぎ

 ハマオレは、浜下れ。集落の人達が一重一瓶、料理やお酒を持ち寄って、浜辺に下りて遊ぶ行事です。
 秋名のハマオレの行事、舟漕ぎ競争は午後2時半頃からスタートしたらしいが、私達が着いたのは3時半過ぎ。後半戦になっていました。
 舟漕ぎの後は、知り合いのお宅で食事とお酒をご馳走になり、帰って来ました。
 昔ながらに、浜で座って料理やお酒を囲み、楽しんでる方々もいらっしゃいました。

 舟漕ぎ競争の様子をPhoto Albumにしました。こちら

ハマオレ
 昨日は、知人の親族の集まりを撮影することになって、久しぶりに押し入れからストロボを引っ張り出して来た。一応、奄美にもモノブロックのストロボを3灯持って来ている。
 スタンドと傘を用意し、発光テスト。ついでに1年以上は使っていない露出計をカメラバックから取り出し、ストロボ光を測ろうと思ったら・・・発光ボタンを押せば同調はするが、露出計の表示が点滅。
 電池を交換するが同じ症状。壊れた??アチコチのスイッチを切り替えてみても、ただ点滅するばかり・・・orz。
露出計
 修理?買い替え?としばらく落ち込んでいたが、ダメもとでもう一度違う電池をセット・・・バッチリ表示されました(*´д`*)。2個続けて容量のない電池だったようです。
 一瞬、買い替え費用を計算してクラクラしました。でも、デジタルになってからは、露出計に頼らなくても、撮ってみて液晶で確認しながら露出を詰めて行けばなんとかなります。
 世の中的には、新しく露出計を買うより、線量計の方が必要になりそう?ロケの多いカメラマン用に放射線量も測れる露出計というのが出て来そうな気さえします。
↑愛用の露出計。ミノルタのフラッシュメーター4型。20年以上は使っていると思います。
6月24日(金)
お祝い記念写真

 お祝い、お祝いヾ(=^▽^=)ノ飲んだ、食べた(*´д`*)@屋仁川・むちゃかな

 食べたのは・・・トビンニャ、島らっきょ、海鮮サラダ、鶏の唐揚げ、関西風のオムレツ?、ジャーマンポテト、塩焼きそば、ゴーヤ炒飯だったかな?
 飲んだのはビール、玉乃光、黒糖焼酎。

 また飲みましょう!

6月23日(木)
 午前中は本を読み、昼過ぎから郵便局へ。昨年奄美に来た時に郵便物の転送届けを出したが、そろそろ期限がきれる。当初一年ほどの予定だったが、滞在期間を延ばしたのでもう一度転送届けの手続きをする。
借りて来た本

 郵便局から、奄美県立図書館へ。
  借りていた3冊のうち2冊返して、1冊を期間延長してもらい、新たに3冊借りて来た。
 新しく借りたのは、「闘牛島 徳之島/桑嶋維 福田和也」(平凡社)、「奄美群島日本復帰50周年記念 奄美を描いた画家 田中一村展」(編集・制作 日本放送出版協会)、「島にて/島尾敏雄」(冬樹社)。

*返却期限は7月14日←自分メモ(笑)。

 一旦部屋に戻り、本を置いてから、久しぶりに自転車で少し遠出。朝仁、小宿、里、知名瀬と通り、根瀬部まで。前回来たのはいつだったか?と、この日記を遡って行くと3月10日。大震災の前日か・・・。
 根瀬部の浜を歩いていたら、大きな貝殻が砂に埋まっていた。集落を歩いているとよく見かける、魔除けとしてスイジガイと一緒に門の所に飾られている貝だ。こんな大きな貝がどうして・・・波に打ち寄せられて?で、カラスに食べられたのだろうか??
 写真を撮り、浜で日を浴びていたら、お孫さんを連れた島のオバアが。先程の貝を見せて名前を聞いたら、夜光貝だと教えてくれる(家に帰りネットで調べたら同じ真珠層を持つ巻貝の、高瀬貝じゃないかな、と思う)。近所の漁師が採って来て、食べた殻を捨てたのだろうと・・・なるほど(笑)。
 水泳教室に通っているという孫の男の子は、準備体操をして海に走って行った。服を着て、帽子をかぶったオバアがゆっくり後を追い、そのまま泳いで行く。気持良さそう(*´д`*)。
 さて帰ろう、と自転車に乗ろうとした時、海から上がったオバアが手招きをする。歩いて行くと大きな貝。これで貝が2つになった。マンションなので門はないけれど、門松の様に部屋の入口のドアの左右に置いてみようか。
オバアと孫
貝
泳ぐオバア
 帰りは里と福里の間のすもも畑に寄ってみる。すももの実がなっているのを初めて見ましたが、鈴なりですね。
朝仁海岸の親子
 福里集落を抜け、小宿を通り朝仁海岸へ。
 海岸のアダン林の横で、お父さんに連れられた女の子が泣いている。夕焼けを撮影している間中、泣き止むことがない。どうしたんだろう。
 お父さんが女の子に話しかけ、座ったまま砂に手を合わせる。
 女の子のペットが死んで、この浜にお墓を作りにきたのかもしれない。
 お父さんに手を引かれ、まだ泣きながら波打ち際の方へ歩いて行った。
 彼女にとって、地球が終わる日のような悲しみだったかもしれない。
 昼は焼きそば、夜はそうめんと焼き餃子。小麦粉ばかり(;´Д`)。Photo Albumは、こちら
6月22日(水)

 トーストに、マーガリンと先日作ったすももジャムを塗って昼ご飯。あまりに美味しくて5枚も食べてしまった(汗)。
 ついでに、この夏に薬味用に使うショウガの擦りおろしを作る。100円ショップに売っていたプラスチックのおろし器で、ゴシゴシ。擦ったショウガをラップに乗せ、スプーンで伸ばして薄い板状に。ラップに包んで冷凍庫に入れて、これで食べる分だけポキッと折って使います。

 今日は日射しもあるが、薄曇りの空。それでも奄美地方に梅雨明け宣言が出されました。個人的には2〜3日前から梅雨明けしてんじゃない?と思っていましたが。平年より7日、昨年より23日早いらしい。ただ、せっかく梅雨明したのにフィリピンの東で台風5号が発生・・・orz。
 日本各地で30度を超える真夏日になったようで、群馬県館林市など35度以上の猛暑日を記録した所もある。梅雨明け宣言が出された名瀬は曇り空に風もあったので、窓を開けておけば快適。窓の横に椅子も持って行き、午後は本を読んで過ごしていた。

 晩ご飯は茹で餃子、茹でもやし、そうめん。茹でてばっかり(;´Д`)。茹でもやしは、鰹のハラカワの燻製(ソフトな鰹節みたいな感じ)と青じそを乗せ、醤油とポッカレモンと食べる辣油のドレッシング。うんまい!

しょうが
擦りおろしたしょうが
茹でもやし
↑この夏、薬味に使うショウガを擦りおろした。 ↑擦りおろしたショウガを、薄く板状に伸ばして冷凍。 ↑茹でもやしに、醤油とポッカレモンと食べる辣油で味付け。うんまい!

「アダンの画帳/田中一村伝」(南日本新聞社編)
画業三昧より

「先生の御書信、拝見致しました。私の手紙と先生のと、すれ違いとなったらしいですね。前便にて申し述べ足らぬところを申し上げ、私の今の立場と気持を御諒察願いたいと存じます」
「紬工場で、五年働きました。紬絹染色工は極めて低賃金です。工場一の働き者といわれるほど働いて、六十万円貯金しました。そして、去年、今年、来年と三年間に七〇パーセントを注ぎ込んで、私の絵かきの一生の最後の絵をかきつつある次第です。何の念(おも)い残すところもないまでにかくつもりです」
「画壇の趨勢も、見て下さる人々の鑑識の程度なども一切顧慮せず、ただ自分の良心の納得行くまでかいて居ます。一枚に二か月くらいかかり、三か年で二十枚はとてもできません」
「私の絵の最終決定版の絵が、ヒューマニティーであろうが、悪魔的であろうが、画の正道であるとも邪道であるとも、なんと批評されても私は満足なのです。それは見せる為にやったのですから・・・・・・。千葉時代を思い出します。つねに飢えに駆り立てられて、心にもない絵をパンの為にかき、稀に良心的にかいたものはかえって非難された」
「私の今度の絵を最も見せたい第一の人は、私のためにその生涯を私に捧げてくれた私の姉、それから五十五年の絵の友であった川村様。それも又詮方なし。個展は岡田先生と尊下と柳沢様と外数人の千葉の友に見て頂ければ十分なのでございます。私の千葉に別れの挨拶なのでございますから・・・・・・。そして、その絵は全部、又奄美に持ち帰るつもりでもあるのです。私は、この南の島で職工として朽ちることで満足なのです」
「私は紬絹染色工として生活します。もし七十の齢を保って健康であったら、そのときは又、絵をかきましょうと思います」
「当奄美の私の生活は、耕作して野菜は自給しておりますので、一、二月の農閑期以外は家を離れることができません。一軒家の独り暮らしですから、上葉のときは、所帯は全部荷造りして家主に預けて出かけるのですから、引っ越しも同様で、簡単には出かけられないのです。昭和四十五年と四十六年と又工場で働いて三十万円ほど個展の費用を準備して上葉する計画なのです」
「個展は、昭和四十七年二月の予定。作品は運搬に便利な様に、全部捲ける状態にしてありますから、わざわざ千葉まで御出で下さらずとも、私が全作品を提げて、たとえ大雪の日であろうとも、岐阜の尊宅へお伺いして御覧に入れますから、どうかのんびりと養生されて御待ち下さい」(スケッチブックに残された手紙の下書きより)

↓→昨日も午前中から本を読んでいた。日が傾く前に、買物がてら自転車で朝仁海岸から小宿までぶらぶらと走る。
 蟹は、小宿漁港の防波堤の石垣で。ワサワサいっぱいいるが、すばしっこいので捕まえられない(≧▼≦)。
 おじさんと犬の散歩は、朝仁海岸にて。もう何回このおじさんと犬の散歩を撮影しているだろう。ついついレンズを向ける、愛すべき光景なのです。

小宿の蟹
犬の散歩
6月20日(月)

 昨日は、すもものジャム作り。まずはパソコンでレシピを検索。
 以下、いくつかのレシピを参考にして作った私の”すももジャム”さばくりです。*さばくりは、島口で段取りのこと。

1.すももをキレイに水道水で洗い、キズやへたを取る。2.包丁で切れ目を入れたすももに砂糖をまぶし、水を少量加えて火にかける。3.スプーンですももを潰しながらポッカレモン少量と、砂糖を加える。4.好みの硬さになったら火を止め、煮沸したビンに詰める。
 グツグツと鍋の中で煮立つジャムを見ながら、溶け出した燃料棒とは、こんな状態だろうかと思った。なんだかな・・・
 ジャムさばくりのBGMは、久しぶりに聴く佐藤奈々子『Tears of ANGEL』。Sweet! お菓子作りにはピッタリなアルバムですね。You Tubeから一曲「週末のハイウェイ /佐藤奈々子 」。

すもも
ジャム作り1
ジャム作り2
↑近所の商店で買ったすもも。1キロ200円。安っ! ↑半分の量でジャム作り。へたとキズを取って、皮ごとジャムに。 ↑砂糖とポッカレモンを加えて煮込む。溶けた燃料棒とは、こんな感じだろうか・・・
すももジャムトースト
完成品

↑煮沸したビンに入れて完成。
←一晩冷蔵庫に入れておいたジャムを、トーストに塗ってみた。皮もジャムにしたので酸味と甘みに、少し苦みも加わって大人な味で美味しい。レンジじゃ上手くパンをトーストできませんね(;´Д`)。

 福島第一原発事故は、未だ収束に向かう気配が見えない。むしろ増々被害が拡大している。
 原子炉建屋やタービン建屋地下などにたまった高濃度の放射性物質を含む汚染水を浄化するシステムが、わずか5時間で停止し再開の目処もたっていない。一ヶ月に一度の交換で済むと思っていたセシウム吸着装置のフィルターが、想定以上に高濃度な汚染だったため僅か5時間で限度を超えたと言う。いったいどういう想定をしたら、一ヶ月に一度が5時間になるのだろう(@_@;)。
 そもそも浄化システムが上手く稼働したとしても、大量の放射性物質が濃縮された汚泥は残るわけで、最終的にその処分はどうするのだろうか?
 まだ実際に作業は始まっていないのかもしれないが、原子炉を巨大な布のカバーで包んで放射性物質の拡散を防ぐという計画もあるようだ。
 事故当初のヘリコプターでの海水の注入、コンクリートやおがくずで汚染水を止める、布のカバー。懸命に原発内部で作業している方々の必死の努力というものを横に置いて、物理工学の問題に、技術・家庭で答えているような印象だ。
 共産党・小池晃氏のツイッターのつぶやきから、
 共産党が今日、原子力安全保安院から受けた説明によれば、原発の安全対策が十分だと判断した理由のうち、水素爆発対策ができたと判断したのは、「原子炉建屋に穴を開けるドリル」が揃ったからだそうです。
 こうなると、物理工学の問題に、夏休みの工作で答えているレベルか?

 たまった汚染水の問題と共に心配なのが、メルトスルーした核燃料が格納容器を突き破り地下のコンクリートにめり込みながら地下水脈を汚染させているのではないかという問題。
 これはテレビ朝日のモーニングバードの「そもそも総研」に出演した、小出裕章氏(京大助教)の解説が解り易い。こちら(You Tubeから)。
 番組の中で小出氏は、この地下水の汚染を防ぐために原子炉建屋の外にかなり深い穴を掘って、そこに深い壁を作って溶け落ちた炉心が地下水にできるだけ接触しないようにするという方法を提案している。
 さて、今日になって「<福島第1原発>東電、遮蔽壁費用公表せず 債務超過懸念で」というニュースが出て来た。この記事を見る限り、東電は地下水の放射能汚染及びそれによる住民の健康被害よりも、自社の株価の方が心配なように思われる。しかし、ムーディーズ・ジャパンは今日、東電の格付けを現行の「Baa3」から投資不適格とされる「B1」に4段階格下げした

6月18日(土)
 梅雨明け宣言はまだ出されていないが、一昨日くらいから明けてないか??
 午前中は窓の横に折りたたみの椅子を持って行き、読書。部屋の窓を全部開けておくと、風が吹き抜けて行って気持いい。奄美は日射しが強く暑いんだけれど、海からの風が吹くとスーッと涼しくなる。
 椅子にもたれて本を読んでいると、コックリコックリ・・・zzz。
 昼ご飯に油ソーメンを作り、2時から奄美図書館で行われる「あまみならでは学舍」へ。今期2時間目の授業ですが、先月の「奄美の野鳥について」は台風2号にぶつかって欠席してしまった。
 今日は、奄美の自然を考える会顧問・田畑満大さんによる「今注目される奄美の食材〜薬用植物の成分と効能〜」。頂いたテキストには、奄美に自生する薬用植物並びに栽培種のリストが載っており、それぞれに作用、どうして効くのか、用法が記されている。
 あまみならでは学舍は、12月まで毎月1回開催されます。聴講料は無料。個人的に楽しみにしているのは、8月27日(土)の佐仁八月踊り保存会会長・前田和郎さんによる、「佐仁八月踊りについて」です。
 You Tubeから、名瀬文化センターで行われた「佐仁の八月踊り」。この、反復し重なり加速しながら生まれる高揚感が気持いい。
 図書館からの帰り、ガズ代を払い、郵便局で用事を済ませ、100円ショップで日用品を買って帰宅。
すもも
クロックスもどき

↑日が傾き始めた頃、買物がてら朝仁海岸へ。クロックス(もどき)を履いて海へ。素足だと砂の上にゴロゴロと転がっている珊瑚が痛いのです。
 ちょっとひんやりして、気持いい。

↑名瀬の八百屋の軒先は、すももがいっぱい。すももジャムを作ってみようかと思い、1キロ買った。オマケしてもらって200円。↓朝仁海岸にて。今日も2組ほど舟漕ぎの練習をしていた。
朝仁海岸にて

「琉球弧の視点から/島尾敏雄」(講談社)
 『奄美の墓のかたち』より

 現在でも島々の随所にトゥールバカなどと呼ぶ洞窟がまだいくらか残っていて(島々の方言がかなりちがうから、その呼び名の発音も多様ななまりを持つ事になるが)、頭蓋骨や四肢の人骨の破片を見つけることがあるけれど、それはこの島々の葬法のなごりであることにちがいないだろうが、それはまた島の人々が死者に対するある特別な感情をいだき、かよわせるに適当な、あらわし方だったのではないだろうか。白くさらされた珊瑚虫骨片の堆積を白昼の砂浜で目にするたびに、私はどうしても人間の骨を連想しないではおれないのに、その中に融和したいふしぎななつかしい感情の起きてくるのが防げないのはなぜだろう。やがて私はそれと洞窟内の白骨との区別を失っていることに気がつく。沖縄から奄美の島々にかけて、改葬もしくは洗骨ととなえ、いったん埋葬した死体を適当な年数のあとで墓をあばき、腐肉のとれた骨を洗って骨瓶に入れなおす習慣があるけれど、それも、死後の白骨に対するなんといっていいかわからないある親密な感情がどうしてもそうさせるようにいざなうのだと思う。

 このエッセイの冒頭で島尾敏雄は、「奄美の島々をまわっていて、こころひかれるもののひとつは、この地方の墓だ。そのそばを通るとどうしてもそこに立ちよってみないではおられない」と書いている。
 お墓あるいは墓地と言うものに対して奄美に来るまでは、あまり触れては行けない場所のような気がしていた。少し忌み嫌っていたと言ってもいいかも知れない。それが奄美に住んでいると、墓地が身近にあり、生活の場に寄り添っているように思え、特別な場所というより自然な場所に感じられる。
 海岸に行けば、その周りに必ずと言っていいほど墓地がある。あまりに墓地を目にするので、島の人口よりも墓の数の方が多いんじゃないだろうか?などと思ってしまうほどに。

 先日、トゥール墓を撮影する機会があった。写真は、こちら。(*人骨がそのまま写っていますので、ご注意を)。

6月16日(木)

 最近お気に入りの、矢之脇町に出来た食堂でランチ。日替わりの鶏の唐揚げ定食は、鶏から5個に生野菜、ワカメと蛸の酢の物、スパゲティーサラダ、漬け物、味噌汁が付いて500円。店内が広くない事もあって、賑わっています。
 高岡市から住民税の納税通知書が届いていたので郵便局へ支払いに行くが、名瀬の郵便局では取り扱いができないと窓口で言われ、コンビニのエブリワンをすすめられる。
 ニシムタの途中にあるエブリワンで、4期分をまとめて支払う。ニシムタでコーヒー、麦茶色々と購入した後、大熊漁港へ。カツオのぼりが上がっていたので、販売所でシビの刺身を購入。ついでに冷蔵庫に入れておけば日持ちがするというので、鰹のハラガワの燻製というのも買ってみる。
 一度部屋に戻り荷物を置いてから、朝仁のスーパーへ食材の仕入れ。
 晩ご飯はシビとアボガド、ハラガワの燻製、茹でたモヤシと豚しゃぶのサラダwith胡麻ドレッシングと食べる辣油。

 今日で奄美大島に来て一年が経った。名瀬の港に降りて、右も左もわからないまま、とりあえず市役所に行き、市営住宅に空きはないかと尋ねて行ったのが一年前。
 名瀬で最初に宿泊したのは小浜町の山の途中にあるホテル・カリフォルニアだった。今借りている部屋の窓を開けると、港を挟んだ対岸にその白いホテルが見える。

 名瀬に多いもの。コインランドリー、猫、床屋・美容院、お弁当・総菜屋、八百屋・果物屋。
 奄美大島に多いもの。坂、トンネル、土俵。
 名瀬にも奄美全体にも少ないのは・・・街灯かな?

ホテル・カリフォルニア
←部屋の窓を開けると見える景色。白い建物が、ホテル・カリフォルニア。
↓大熊漁港でシビの刺身と一緒に買った、鰹のハラガワの燻製500円。ご飯のおかずと言うより、酒の肴にいいかも。
ハラガワの薫製
満月

 早朝の皆既月食は、眠くなって見れなかった(≧▼≦)。
 昨日の月もキレイな丸だったけれど、満月は今晩の月かな?
You Tubeから「Moon River/手嶌葵
二人は岸を離れ、世界を見るために漂う漂流者。
見るべき世界はたくさんあるわ。
二人は同じ”虹の端っこ”を追いかけているの。
それは、あのカ-ブを曲がったあたりで待っているかもしれないわ。
幼馴染みの冒険仲間、ムーン・リバーと私。

6月15日(水)
 徳之島に滞在していた3日間は、奄美群島も梅雨明けか!?と思いましたが、昨日、一昨日は梅雨空に逆戻り。けっこう激しい雨が降った。
 今日は朝から快晴。海に入りたくなるような天気ですが、部屋に籠ってパソコンに取り込んだ徳之島の写真の現像作業。
 でもホント、もう直ぐ奄美も梅雨明けしそうだな(*´д`*)。
 作業BGMは、Slapp Happy。彼らのアルバム『CaVa』の中から、「Let's Travel Light」(You Tubeより)。心落ち着く、美しい曲。Let's Travel Lightは、日本語にどう訳すのだろうか?
↓フェリー乗り場の向うに大きな月。今晩・・・と言うか明日の早朝に皆既月食があるらしい。→一昨日から飲み始めた高倉。
高倉
フェリーと月
 これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻→高倉。
6月12日(日)

 朝食のパンを食べ、コーヒーを飲んでまったりして11時頃に宿をチェックアウト。宿のご主人からお土産に、ヒマラヤの岩塩をいただく(笑)。なんで徳之島でヒマラヤ?? 
 名瀬までの乗船券を買い、大きな荷物はフェリー乗り場のコインロッカーに。自転車のカゴにカメラを入れたバックと水筒、空気入れを詰め込んで亀津の海岸沿いを走る。以前テレビで見た、ウミガメの産卵場所を発見。海岸のコンクリートの階段近くで、普通は産卵しない場所らしく、柵がしてある。
 お昼過ぎになりお腹が空いたので、ネットで評判の良かった、みよ食堂のラーメンを食べに行く。日曜日のお昼という事もあってか、次から次へと小さな子供連れのお客さんがやって来て、あっという間に人でいっぱい。
 500円のラーメンは、学校帰りに食べたくなるような素朴な食堂のラーメンとでも言おうか。スープは甘めな醤油味。麺は太麺ストレート、チャーシューは角煮を薄くした感じだ。ただ、ラーメン一杯じゃ物足りないかも。ご飯付けますか?と聞かれたが、ご飯欲しくなりますね。
 ラーメンを食べ終わって、再びフェリ−が入港するまで亀津の街中を自転車でぐるぐると散策。
 4時過ぎにフェリー乗り場に戻り、自転車を折り畳んで布団袋に。入港を待っていたら、同宿だった岡田君が待合室に。彼もフェリーに乗り、これから鹿児島へ。それから自転車で日本一周の続きをすると言う。九州から日本海側を走って北海道か。終点は出身地の神戸だろうか。

12日のスナップ
↑自転車でぶらぶらしながら撮った亀津、亀徳のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

 名瀬行きのフェリーはクイーンコーラル。来る時のあけぼののように自転車の積み込み料金を徴収されるかと思ったが、なかった。ラッキー。
 亀徳港を5時に出発。ず〜っと船の最上階の展望デッキで空と海を眺めながら、名瀬へ帰る。それにしても海上から見る奄美大島は、デカイな〜と思う。
 8時過ぎに名瀬港に到着。自転車を組み立て、歩いても5分ほどの部屋へ帰る。冷凍庫の白くまを食べ、シャワーを浴び、そうめんを茹でる。う〜ん、そうめん美味い!
帰りのフェリーから島の雲

↑帰りのフェリーから。展望デッキで空と海ばかり眺めていた。

*リンゴジュース160円(?)、みよラーメン500円、スポーツドリンク150円、フェリー・クイーンコーラル亀徳〜名瀬2900円。
6月11日(土)

 朝食を食べてから、宿のご主人に車で伊仙町を案内してもらう。馬根集落、阿権集落を通り犬田布岬へ行き、戦艦大和の慰霊碑を眺める。泉重千代さんの生家やカムイヤキ窯跡をまわり、珊瑚の石垣の立派な民家をいくつか見せてもらった。
 午後からは、岡田君と宿の車を借りて徳之島町、天城町の観光名所をまわる。畦プリンスビーチ、金見崎のソテツトンネル、ムシロ瀬、徳之島空港、犬之門蓋と海沿いの名所を見て、糸木名集落から内側に入り、亀徳に戻る。

11日のスナップ
↑午前と午後に、車でまわって撮影したスナップをPhoto Albumにしました。こちら

 宿の近くのスタンドでガソリンを満タンにして、今度は宿のご主人と3人で伊藤観光ドーム闘牛場へ第37回鹿児島ブロック大会in徳之島開催記念観光闘牛大会を見に行く。この闘牛大会を見るために、今回徳之島へ来たようなもの。
 闘牛場横でチケットを買って中に入ると、直ぐに闘牛大会は始まった。
 対戦は8組。闘牛は初めてなのでよくわからないが、途中で2組ほど牛が戦わず対戦にならなかった。闘牛好きだと言う宿のご主人によれば、最初と最後の対戦が良かったらしい。最後の横綱の対戦では中の人が牛とぶつかって怪我をするというハプニングもあった。
 個人的には闘牛よりも、勝った牛の家族、親族がワイドワイドヾ(=^▽^=)ノと牛に跨り、祭り騒ぎをするのが見たかったのですが、最後の横綱対決で紙吹雪が舞うワイドが見れて満足。
 ♪ワイド ワイド ワイド 我(わ)きゃ牛ワイド  全島一ワイド♪
 ちなみに、こんな感じです→You Tubeより徳之島民謡「ワイド節」。
 対戦にならなかった試合があったからか、思っていたより随分と早い7時半頃に大会は終了。6時開始だから1時間半か。
 外に出ると、みんなゾロゾロと帰り道を歩いている。中学生らしい女の子のグループや、小学生の男の子達もいる。
 宿に帰ってシャワーを浴びて、3人でご飯を食べながら闘牛のDVDを見て、宴会。朝からアチコチ見てまわったので、あっという間に撃沈。
闘牛大会
↑闘牛大会の様子をPhoto Albumにしました。こちら
*宿泊2500円、11日夕食+12日朝食+飲み放題2500円、スポーツドリンク190円、スポーツドリンク150円、レンタカー1500円(折半)、ガソリン代2000円、闘牛入場料2000円。
6月10日(金)

 朝5時50分発のフェリーあけぼので、徳之島へ。
 名瀬港から奄美大島の東シナ海側を進み、加計呂麻島、与路島の横を通って、9時過ぎに徳之島の亀徳港に到着。

フェリーから島の雲
↑フェリーあけぼのから。奄美大島の南部かな?島の上を覆う雲は、森の呼吸を思わせる。
 布団袋に入れた自転車を組み立てて、港の近くの民宿へ。荷物を置いたら、さっそく地図を持って海沿いの道路をサイクリング。沖縄は昨日梅雨明けしたそうだが、奄美諸島も梅雨明けしたような快晴。
 10時過ぎに亀徳を出発し、徳和瀬、諸田、神之嶺、井之川、下久志、池間、母間、花時名と通り、1時半頃に花徳に。先月自転車で走った喜界島ほど平坦な道ではないけれど、奄美大島ほどのキツい起伏でもないかな。
 出発する前に民宿近くのニシムタに麦わら帽子を探しに行ったがなかったので、帽子もかぶらず炎天下を自転車漕いでいたら、さすがにクラクラとしてくる。あまり長い時間サイクリングしているのは危険だと思い、ここらで引き返す。来る時に寄った第46代横綱朝潮太郎の銅像横にあるトイレで顔と頭を洗い、近くの自販機でスポーツドリンクを補給。
 煮えそうな暑さの中、ようやく民宿にたどり着いたのが3時頃だったか。でも宿は鍵がかかって入れない・・・orz。しょうがないのでフェリー乗り場の待合室で一休み。そうしているうちに沖縄からのフェリーが入港。この便で到着するお客さんを迎えにきた、宿のご主人と遭遇。
 フェリー乗り場から自転車で亀津の街を少しぶらぶらして、宿へ帰る。今日が、この民宿の2周年の誕生日だそうだ。シャワーを浴び、ご飯を食べながら沖縄からの便で来た岡田君、宿のご主人と祝酒。夕方から飲み始めて、夜中に撃沈。
10日のスナップ
 名瀬から亀徳までのフェリーから撮った景色と、花徳までのサイクリングで撮影したスナップをPhoto Albumにしました。こちら
*フェリーあけぼの名瀬〜亀徳2900円、自転車積み込み300円、宿泊2500円、10日夕食+11日朝食+飲み放題2500円、スポーツドリンク150円。
6月8日(水)
雷雨
 夜になって、激しい雷雨。港を挟んだ対岸の山が、雷が鳴る度にバックライトを当てられたようにシルエットを浮かべる。一時間ほどの間に何十回、雷落ちただろう(@_@;)。
 この雷が、奄美に本格的な夏の始まりを告げるのだろうか??
6月7日(火)
 午後から電気料金を払いに行き、先日テレビ局に貸した写真データの請求書を入れた封筒を出しに郵便局へ行き、プリント用紙を買いに行く。
 佐大熊から鳩浜までの道路沿いに植えられたソテツに新芽が出ている。くるくるの新芽が伸びて、若葉になるようだ。こちらに、様々な成長過程の新芽や、雄花、雌花を載せました。
 ちなみに、ソテツと共に奄美を代表するヘゴのくるくるはこちらにあります。
↓くるくるしているソテツの新芽。→ソテツの雄花。
ソテツの雄花
ソテツのくるくる
 用事を済ませて、本格的な夏に備えて買物。平田町のタイヨーとニシムタで値段をチェックして、タイヨーでTシャツ、サンダル、扇風機を購入。島の子供達が愛用している、クッロックスもどきのサンダル。これを履いて普段着のまま海に入れば、きっと島んちゅになれると思う(*´д`*)。
↓この夏用に買ったTシャツと、クロックスもどきのサンダル。→おニューの扇風機、1980円也。
扇風機
Tシャツとサンダル
記念写真

朝仁海岸

 夕方、買物がてら朝仁海岸へ行くと4組ほどが舟漕ぎの練習をしている。しばらく練習を眺めていたら、お呼び出しがかかった。自転車で屋仁川へ。ご馳走様でした(*´д`*)。

料理
6月6日(月)
 一昨日の晩ご飯は、塩焼きソバとライス。昨日の昼は、カレーうどんとライス。昨晩は、とり釜飯(丸美屋使用。シメジとシイタケを増量)とそうめん。今日の昼は、塩焼きソバととり釜飯。今晩は、カレーうどんととり釜飯。このところ献立考えるのが、ちとメンドクサイ(;´Д`)。明日は、何か食べに行こ。
↓→昨日、朝仁海岸にて。3.11は、この海岸でアオサを採っていた。もう直ぐ3ヶ月が経つ。
朝仁海岸の猫
朝仁海岸

「3月11日以降のことを全部なかったことにしてもらえたら、私はもう何も要りません」。
 昨日の、NHKスペシャル・シリーズ 原発危機 第1回「事故はなぜ深刻化したのか」の、このメルヘンな班目春樹・原子力安全委員会委員長の発言に少々驚いた。原発対応の責任者にある地位の人が、現在も進行中の災害・事故に対して現実逃避とも思える発言しかできないのだろうか。
 福島県浪江町で3月12日朝、核燃料が1000度以上の高温になったことを示す放射性物質が検出されていたことを、事故発生から2か月以上たって発表したことについて「隠す意図はなかったが、国民に示すという発想がなかった。反省したい」と述べた原子力安全・保安院の西山英彦審議官といい、なかなか理解できない発言が続く。

 保安員は、原発事故で放出された放射性物質の量について、従来の37万テラベクレルに対し、77万テラベクレルに変更。
 プルトニウムを、原発から1.7キロの地点で検出。
 これらに示されていることは大変なことなのではないのか。大概のTVニュースは、サラッと数字と事象を垂れ流すだけなので、かえって危機感を持ちににくくさせている気もする。
 こちら「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」に、これらの数字が意味することが語られている。

 asahi.comより「県、高放射能データ公表せず 3月、福島市などで検出」。
 子供を守ろうSAVE♡CHILDより「福島県の保護者が、県に放射能低減策とアドバイザー交代迫る
 原発を推進し、プルサーマル(3号機)まで受け入れた佐藤 雄平・福島県知事が、東電・清水元社長に対して強く非難をしている姿は個人的に違和感があった。そんな県知事は、これらの事にどう応えるのだろうか。東電が福島県にしたことを、こんどは福島県が県民にしているように見えるのだけれど。

「琉球弧の視点から/島尾敏雄」(講談社)より
テレビジョンのおそれ ー遠くからの小さな声の便りー

 つい二、三日まえ、奄美各島の高校生たちの弁論大会で、喜界島から来たひとりの女子高校生が、毎日くりかえされる親切すぎるテレビジョン番組につかまえられてのがれられず、その受身の生活のくりかえしでもの憂い気分におちいり、確実に自分自身でなにかをやっているといえるのは、学校の行きかえりに自転車のペダルをふむことだけだ、と述べているのをきいた。なお彼女はつけ加えて、中世のストイックな気持をまねてテレビジョンから遠ざかりたいなどと言っていた。そのとき私は思わず或る考えにひとうちされたように思う。それは仕事に集中できぬ自分のなまけごころをテレビジョンにおしつけようという考えだ。もうテレビジョンになにかを期待することはやめよう。まず第一に自分の仕事に集中し、もし知識がほしいなら自転車のペダルをふむようにしてつかみとるようにしよう。テレビジョンを横目に見、テレビジョンから、でなく、足でもって何かを知るようにしよう。
(TBS調査情報/41.9)

6月4日(土)

 昨日までの週間天気予報では、今日が曇りで明日と明後日は晴れのはずが、今日と明日は雨で、明後日は曇り時々雨に変った・・・orz。
 台風のあとは梅雨とは思えない晴天が続いていましたが、1日の夕方から、また梅雨らしい天気に戻ってしまった。
 1日は、午後から小湊のハウス農園へ台風でやられたパッションフルーツのビニールハウスの片付けを手伝いに行って来た。予定では台風直前に外しておいたビニールを被せるはずでしたが、この畑一帯が断水になるということで、雨が入るように暫くビニールは外したままにすることに。代わりに、苗床に被せてあったシートを貼り直す作業。お昼頃から夕方までしか作業していないのに、アチコチ筋肉痛です(;´Д`)。

 今日は午後から、読み終わった本を返しに図書館へ。せっかくなのでカメラをブラ下げて、紫陽花のある風景を探しながら図書館までの道を散歩。小雨の頃を見計らって部屋を出たが、途中から雨足が強くなって来た。

スナップ
借りて来た本

↑紫陽花のある風景を探しながら、図書館まで散歩。その往復に撮ったスナップをこちらに。紫陽花の写真少ないですが・・・。
 2009年までの紫陽花のある風景はこちら

←今日、新たに借りて来た3冊。「沖永良部島ー南風さわやかにー/平良正雄写真集」(昇竜洞ギャラリー)、「琉球弧の視点から/島尾敏雄」(講談社)、「アダンの画帳/田中一村伝」(南日本新聞社編)。

 読み終えた本から、気になった箇所を抜粋。

「徳之島写真集 島史 しまぶみ/加川 徹夫」(南方新社)
刊行に寄せてから。

私の徳之島体験   小川 学夫

〜略〜
 また、奄美のシマウタが、言霊信仰に彩られていることは、これまでもいろいろな人がいってきた。全くその通りだと思うが、徳之島はひときわその彩りが濃いというのも抜き難い印象である。
 民謡採集を始めて間もなくの頃、母間の実寿当翁にあった。このとき聞いた呪歌「蟹口説」については、わたしは何度も話したり書いたりしたが、ここでも繰り返す。
 川の蟹(がに)ぐわの 物取(むんと)うて 食(か)みや 一(て)ち 二(た)ち 三(み)ち 四(ゆ)ち 五(いち)ち 六(む)ち 七(なな)ち 八(やー)ちや 九(くん)ち 十(とー)
 
これだけの歌だが、翁は「これはよそシマ(集落)に行って、歌遊びをやるときにさりげなく歌ったものだ。なぜなら、知らないシマでは、相手がもしかすると自分に害を及ぼす歌をうたうかもしれない。しかしこれを歌っておけば、悪いものは蟹のハサミが絶ち切ってくれるから安心だった」というのだ。
 その後、あちこちで「サカウタ」という言葉を聞くようになった。「この世とは逆様のことをうたった歌」という意味らしく、人に危害を与える歌そのもののことである。話だけで、実際の歌はなかなか教えてくれないので、消滅したのかと思った。しかし、私が島を離れたあと、先述の松山光秀さんが、古老からついに聞き出すことに成功した。
 そのほか、歌や、芸能や、習俗の上で徳之島独特のものを挙げよといわれたら、際限もなく出てくる。
 かつて、島内全域で行われていた「田植え歌」もそうである。田を植える娘さんたちと、畦で太鼓を打ちながら歌う男たちとの掛け合いで進められる。男女掛け合いこそ、奄美の歌のいのちであることは、いくらいってもいい過ぎではないが、この田植え歌こそ、その典型といってよいものである。
 男女掛け合いといえば、夏の折目(旧暦七月)に踊られる夏目踊り(浜踊り、千人踊りなどともいう)がある。奄美大島の八月踊りと同系だ。八月踊りの多くが、男の群と女の群で一つの輪を作り、男女交互に歌を交わしていく。対して、井之川の夏目踊りなどは、男女交互唱という点では変らないが、女グループが男グループを囲みこむような形をとる。南島に広くみられる、姉妹が霊的に兄弟を守護するという姉妹(うなり)神信仰を示している(前述、松山光秀氏の見解)ことは確かだろう。
 実は、わたしの分野である歌唱方法そのものからも、この踊りの古代性をいうことができる。
 奄美大島の八月踊りも、シマウタも多くは「八八八六」(琉歌調)の四句体歌詞をそのまま、ないし繰り返し歌う。ところが、夏目踊りの多くの歌は、「八八」ないし「八六」調二句体歌詞のやりとりなのだ。これは何を意味するのか。わが国の伝統的歌謡ないし和歌のほとんどは上の句と下の句からなっている。その初源を尋ねると、歌掛けにたどり着く。徳之島の夏目踊りは、今なお上の句、下の句で一首を完成させるという、実に古い形を残しているということなのである。

 明日6月5日、NHK総合で21:00〜NHKスペシャル シリーズ 原発危機 第1回「事故はなぜ深刻化したのか」、NHK教育で22:00〜ETV特集「続報 放射能汚染地図」。

5月へ