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9月28日(日)

 国税庁が26日、2024年分の民間給与実態統計調査の結果を公表。民間企業の社員やパート従業員らが1年間で得た給与の平均は前年比3.9%増の478万円で、1997年の467万円を上回り、統計を始めた1949年以降で最高だったそうだ。最高といっても30年ほど前と11万円しか違わない。恐ろしいほどの低成長で、これにアベノミクス以来の円安も加わる。自民党の5人の総裁選候補たちは、この円安をどう思っているのだろうか。減税にしても給付にしても、この極端な円安による輸入原材料の高騰、それによる物価の高騰には焼け石に水の対策にしかならないだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
神保町が2025年「世界で最もクールな街」ランキング第1位に選出
アップル銀座が改装開業 米国外第1号の直営店
還流再開要望は下村氏 旧安倍派の元会計責任者が証言―大野元参院議員公判・東京地裁

 オープンから34年が経ち施設全体が老朽化したことと、昨年の能登半島地震で天井の一部が崩落したこともあり、町で唯一のスーパー「アルビスタピス店」が今日で一旦営業をやめ、建物を解体した上で来年秋ごろに新装オープンする。昔は小さなスーパーが町内にポツンポツンとあったが、小さなスーパーや商店は閉店して大型スーパー1店のみになっていた。最近は大型のドラッグストアーでも食料品を扱っているが、それでもスーパーがなくなるとやはり不便だ。また、「アルビスタピス店」の中にはテナントとして町で唯一の100円ショップのダイソーが入っており、ダイソーがなくなるのも地味に痛い。
↓今日で営業を終了したアルビスタピス店。→ダクトから伸びていた木ともこれでお別れ。
タピス02
タピス01
 明後日、火曜のNHK『世界ふれあい街歩き』はスペインのアンダルシア地方にある港町・カディス。この街は、1986年にイベリア半島を旅した際に2泊3日で立ち寄っている。
 モロッコにあるスペイン領セウタ、そしてタンジェを5日間ほど旅してからジブラルタル海峡をフェリーで渡ってスペインに戻り、アルヘシラス(パコ・デ・ルシアの生まれ故郷)で一泊してからバスでカディスに向かった。なぜカディスに行ってみようと思ったのか忘れてしまったが、その後はカディスからセビーリャに行き、セビーリャからポルトガルのリスボンに入って北上した。
 カディスではフィエスタに遭遇した。たぶんセマナ・サンタ(聖週間・復活祭)ではないだろうか。今はどうかわからないが、港町はなんとなく危険な感じもあって、当時の旅行メモを見るとやたらと若い男に「ハシシ、チョコラータ」と声をかけられたり目つきの悪い2人組みに持っていたタバコをカツアゲされたことが書かれていた。
 作家・逢坂剛さんの代表作に『カディスの赤い星』という小説がある。カディスの赤い星と呼ばれる、ダイヤが埋め込まれた名工<サントス・エルナンデス>作のギターに取り憑かれた男たちと、長期にわたりスペインを独裁したフランコ総統の暗殺計画が複雑に絡み合うハードボイルド・タッチのサスペンス小説だ。逢坂氏はこの小説で、1986年に直木賞と日本冒険小説協会大賞、1987年に日本推理作家協会賞を受賞している。
カディス01

 何人かの読書好きな人と『カディスの赤い星』について話したことがあるが、面白いけれど長すぎるという感想が出てきた。しかし、話の筋とは直接関係のないディテールの描写が読み手に感情移入させるし、そのことで最後のドンデン返しがより鮮やかになっていると思う。
 小説の舞台は東京とスペイン。スペインはマドリード、グラナダ、カディスが登場する。上下2巻合わせて830ページほどある長編だが、これまでに4回か5回読み返している。あらすじはだいたい頭に入っているが、ディテールは結構忘れているので、何年かに一度読み返したくなる。前回は2022年5月に読み返している。
 逢坂剛さんは小説家の顔の他に、フラメンコのギタリストとしての顔もお持ちだ。小説の重要なアイテムとなっているサントス・エルナンデスのギターを弾いてフラメンコの伴奏をしている映像がYouTubeにあった。こちら

←旧市街を、セマナ・サンタと思われるパレードが進む。

↓後ろの建物は市庁舎。

カディス02
 25日にパソコンから国勢調査オンラインにアクセスしネットで回答したが、翌日の26日に国勢調査をよそおうフィッシングメールが届いた。メールの中身を読むと怪しさいっぱいで、回答はスマートフォンのみでパソコンからはアクセスできないという。そしてスマートフォンから回答すると記念品の日用品が進呈されると書いてある。また26日に送られてきたメールだが、回答期限は26日の23:59となっている。今日も新たな国勢調査のフィッシュングメールが届いた。こちらは回答期限が今日の21:59まで。パソコンからは受け付けずスマートフォンのみは一緒だが、記念品の進呈はないようだ(笑)。しばらくは、こうしたフィッシングメールが送られてくるのだろう。
 昨日、軽い気持ちで国勢調査員を引き受けた男性が後悔したという記事が流れてきた。国勢調査票は確定申告用紙と同じように、郵送で配布すればいいのではないだろうか。
フィッシングメール

9月25日(木)

 ようやくポジフィルムの収納リストが完成し、新しいラベルを作ってファイルケースの背に貼ることができた。
印刷したポジフィルム収納リスト

↑ファイルケースの背に貼るラベル作り。ファイルケースの中だけではなく、ダンボールや引き出しの中などに散らばっていたポジフィルムも探し出してリストを作成した。リストを薄手の写真用紙に印刷し、これをカッターで一枚一枚切り離してラベルに。印刷した用紙には糊がついていないので、両面テープで仮どめしてから、ダイソーで買ってきた幅5cmのセロテープを上から貼った。

→新しいラベルを貼ったファイルケースが並ぶスチール棚。真新しいラベルは眩しいくらいに真っ白だ。

↓前のラベルは手書きだったが、今回はパソコンによる印字なので文字が小さくても見やすくなった。また、ファイルケースに通し番号をつけネット上にリストをUPしたので、こちらで探しているポジフィルムが何番のファイルケースに収納されているか確認することもできる。

新しいラベルを貼ったケースを並べたところ
新しいラベルには通し番号をつけた
 一昨日買い物に出ている間に、5年に一度行われる国勢調査の調査票が郵便受けに入っていた。今日の昼間、鉛筆で調査票に記入し同封されていた封筒に入れたが、郵便局へ出しに行くのが面倒臭くなって、パソコンから国勢調査オンラインにアクセスし、あらためてインターネットで回答した。
国勢調査オンラインの画面
 今年8月、韓国の尹前大統領の妻、金建希(キム・ゴンヒ)氏が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の事業に便宜を図る見返りに、シャネルのバッグ2点とダイヤモンドのネックレスを受け取った疑いなどで逮捕されたが、その供与した側とされる旧統一教会の韓鶴子(ハンハクチャ)総裁も一昨日逮捕された。
 韓国では政権交代すると前大統領が逮捕されることも多いが、それは三権分立が機能している証拠であり、民主主義国家の証明でもある。本来なら総理大臣を辞職し逮捕されなければならないような人物が、三権分立が機能しないため居座り続けて長期政権となってしまったのが日本だ。韓国の検察の捜査が、日本の政界にも及ぶことを期待したい。

9月22日(月)

 自民党総裁選の告示が今日行われ、小林鷹之、茂木敏充、林芳正、高市早苗、小泉進次郎の5人で争われることが正式に決まった。

 昨日、一昨日と「つくりもんまつり」が行われた。一昨日の夕方は雷雨になったが、昨日は晴れ時々曇りで当初の天気予報よりは恵まれた天候になった。近年は2日目の夜に見に行くことが多かったが、今年は昨日の午後の明るいうちに見てまわった。

つくりもんまつり01
つくりもんまつり02
空き地

↑今年は新高岡市誕生20周年ということで、32のつくりもんが飾られた。これまで秋分の日と、その前後の1日の2日間で開催していたが、今回は土・日の開催となった。土・日は他にもイヴェントがたくさんあるからか、自分が歩いた時間帯では人が少なかったように感じられた。

←町の中心部もポツポツと歯が抜けたように空き地が増えている。

↓ムカデとかめ。シンプルなつくりもん。

つくりもんまつり03
 朝ドラの『あんぱん』もいよいよ最終週になってしまった。ドラマに度々登場する坂の階段は、湯島天神に続く男坂ではないだろうか。そしてドラマでは、坂下の右側にある路地を入ったところに嵩とのぶの住むマンションがある設定のようだ。
 1990年代の後半から奄美大島に移住する2010年ごろまで湯島にあったマキノ出版の仕事を多くさせてもらったので、湯島にはよく通った。そして、マキノ出版のスタジオで撮影した日はほぼ毎回、編集者やライターさん、ヘアメイクさん、モデルさんと連れ立って打ち上げと称して飲みに行っていた。男坂を下りて左側に「白梅亭」という居酒屋があって、ここでもよく飲んだ。今日の放送でもこの男坂が登場したので、懐かしくなってGoogleのストリートビューで歩いて見たら「白梅亭」が見つからない。検索すると、もう閉店してしまったようだ。
  湯島では「一片雲」という中国料理店も打ち上げでよく利用したが、ここもいつの間にか閉店したようだ。リーズナブルな値段なのに、店主自ら作った人参や大根といった野菜の彫刻(カービング)が料理に添えられていた。だんだん満席で入れなくなって、新たにへぎそばを出す蕎麦居酒屋ができたので、そちらのお店によく通うようになった。
 湯島、御徒町、上野。懐かしいお店がいっぱいあるが、まだどれだけ残っているだろうか。

9月19日(金)

 自民党の氷見支部が6年間にわたって合計193万8500円分の党費を立て替え払いしていた問題で、氷見支部は18日に常任総務会を開催し、当時の幹部だった積良岳市議、上坊寺勇人市議、小清水勝則氏を役職停止3か月、当時の管理責任に加え2023年分の党費約28万円を私費で肩代わりした薮田栄治氏を役職停止6か月とした。また、当時の管理責任に加え2024年分の党費未払いの党員リストの作成を独断で県連に依頼し、外部の団体に手渡したとして萩山峰人市議に党員資格停止1年の処分を課した。そして、一連の問題に一区切りついたとして、嶋田茂支部長は来月開催予定の臨時総会をもって辞任するという。
 氷見支部は党費の立て替え問題としているが、立て替えならばあらためて党員から党費を徴収しなくてはならないが徴収したのだろうか?この問題が発覚した5月のニュースでは、
毛田キャスター
「自民党員で間違いないですか?」
党員リスト記載の男性
「どうながやろ。会費納めてないからね」
毛田キャスター
「納めてない?」
党員リスト記載の男性
「うん」
という会話がされている。
 立て替えというのは本来支払わなくてはならない人が何らかの事情で支払えない場合、一時的に肩代わりすることだと思うが、この会話からはそもそも党員とされている人に支払う意思はなかったのではないか。自民党員を続ける意志のない人の党費を勝手に支払い、無理やり自民党員の頭数にしていたのではないかという疑念が浮かぶ。
 自民党氷見支部には157人が党員としてリストに載っているそうだが、2023年に薮田氏が肩代わりした党費28万円は約100人分だという。このたくさんの人たちから立て替えた党費は回収したのだろうか。そして現在この内、どれくらいの人たちが党員を続けているのだろうか。
 自民党が国会議員1人につき党員1000人の獲得を指示したのが2014年、氷見支部で党費を支払っていない党員が確認されたのが2015年から。昨年判明した裏金議員で壺議員でもある自民党衆議院議員・田畑裕明氏の架空党員登録ほど悪質ではないかもしれないが、党費を肩代わりすることで党員を獲得していたのではと疑われても仕方がない。
 また、自民党の無断党員登録や党費肩代わりは、富山県だけの問題だとも思えない。発覚していないだけで他の県や市の自民党支部でも同じようなことが行われていないのだろうか。
 来月行われる自民党総裁選は、国会議員票295票と同数が党員にも振り分けられ合計590票で争うフルスペック方式で、自民党は党員の意見を幅広く取り入れた選挙だとアピールしているが、その党員票は本当に党員の意志だろうか?

 ユニークな研究に贈られるイグ・ノーベル賞が18日に発表され、生物学賞に<黒毛和牛の体にシマウマのようにしま模様に塗ると、血を吸うサシバエなどの虫が寄りつきにくくなる>という研究発表をした農業・食品産業技術総合研究機構の児嶋朋貴研究員らのチームが選ばれたそうだ。
 この記事を読んで1994年に双葉社から発売された『世界はアホで満ちている』という単行本に掲載されていた「メキシコのロバはシマウマと呼ばれています」という記事を思い出した。この本は旅行ライターの下川裕治さんが立ち上げた雑誌『格安航空券ガイド』のスタッフが取材先で見つけた変なものや変なこと、雑誌に寄せられた読者の投稿を書籍にまとめたもので、好評だったのか『世界はアホで満ちている2』も発刊されている。
 「メキシコのロバはシマウマと呼ばれています」はカメラマンの佐藤君の体験談で、こんなお話になっている。

 アメリカとメキシコの国境の街、ティファナをカメラマンの佐藤君が尋ねたのは3年前のことだった。ティファナの街は、アメリカ領のサン・ディエゴに隣接していることもあり、日帰りでメキシコの雰囲気を楽しもうというアメリカ人観光客が多い。メインストリートには、革の土産物屋や名物のタコス屋が軒を連ねている。
 そのなかに1軒の記念写真屋があった。日本にあるような、ボードから顔だけ出すようなものとは違って、仕掛けは相当に大掛かりだった。ちょっとした馬場が用意されていて、そこには色鮮やかな織物を背にかけたシマウマがいる。このシマウマは馬車を引いていて、客はメキシカンハットをかぶらされてこの馬車に座る。馬場にはサボテンや馬が描かれた大きなボードがあり、その前にシマウマと馬車が止まって、「ハイ・ポーズ」というわけ。写真はその場で現像されて、10分も待っていると、とてもピントがあっているとはいいがたい薄ぼけた白黒写真が出来上がるのだった。これで5ドル。フレームをつけるとさらに1ドル追加。フレームといっても、ぺらぺらの紙製。佐藤君は「ボッタクリもいいとこだよな」と思ったが、写真を撮ってもらったアメリカ人は結構喜んでいる。1時間に2~3人の客があり、それなりに繁盛しているようだった。
 アメリカに戻る日の朝、佐藤君はなぜか朝6時に目が覚めてしまった。今日でティファナも見納めか、と散歩に出てみることにした。通りはまだ人通りもほとんどなくひっそりとしている。しばらく歩くと、街の裏手の道に出た。と、そこに数頭のシマウマが写真屋の先導で道を渡ろうとしているのが目に入った。「シマウマも出勤か」と佐藤君はその場を立ち去ろうとしたが、そのシマウマたちがちょっと変なのだ。なにか間が抜けているのである。「・・・・・?」「シマがない・・・」
 よくよく見ると、シマがあるのは顔と足だけで、背から腹にかけては全くの無地なのである。記念写真を撮るときは、そこに布をかけているのでわからなかったのだ。佐藤君はウマの後を追って見ることにした。たどり着いたのは、小さな納屋だった。そこにはさらに、20頭ほどの同じように背と腹にシマのないウマがカイバを食べていた。世話をしていたおじさんに佐藤君は聞いてみた。すると、そのおじさんは「イッツ、ドンキー」(これはロバよ)とあっさり認めてしまったのである。佐藤君はシマの黒い部分の毛を選り分けてみた。生えぎわはやはり白く、指には黒い塗料がしっかりとついてしまったのである。

↓本に掲載されたメキシコのシマウマ。→『世界はアホで満ちている』
世界はアホで満ちている
メキシコのシマウマ

トランプ氏、自身に否定的な報道をする放送局の免許取り消しの可能性を示唆
トランプ大統領、NYタイムズ紙を提訴 名誉毀損で2兆円超請求
左派の「大規模調査開始」 米大統領一方的に締め付け強化か
 これでは トランプ政権のアメリカは北朝鮮と同じ独裁国家で、アフガニスタンの大学から女性の著書を排除しようというタリバン政権となんら変わりない。

 このほかの気になった記事を備忘録として。
林家ペーさん夫妻の自宅マンションから出火 パー子さんが軽いやけど

 今日の午後、買い物に出かけると町中のアチコチで明日から始まる「つくりもんまつり」の準備が進められていた。20日、21日とあいにくの雨模様らしいが、今年は「新高岡市誕生20周年記念」ということで「つくりもん」の数も多く、イヴェントにも力が入っているようだ。↓の写真は、昨年の「つくりもんまつり」から。
昨年のつくりもんまつり

9月16(火)

 県庁所在地の暑さランキングで、京都が猛暑日60日で1位に、南国・沖縄の那覇ではこの夏はいまだに猛暑日0だそうだ。記事でも解説している通り海に囲まれた沖縄は海洋性気候のため、日差しは痛いほど強いが一定以上には気温が上がらないのだろう。実際、奄美大島と沖縄で暮らした4年間はエアコンなしで生活していた。奄美大島は借りていた部屋が港のそばで周囲に高いビルがなかったこともあり、窓を開けておけば案外快適だった。

 秋晴れだった昨日(気温は30℃越えの真夏日だったが)、隣の田んぼにコンバインが入りあっという間に稲を刈っていった。

コンバインで稲刈りしている隣の田んぼ

 ウクライナ出身の保守系言論活動家のナザレンコ・アンドリー氏が「日本では土葬は絶対してはいけない」といった間違った情報をSNSに投稿し炎上したようだ。
 奄美群島の与論島では2003年まで火葬場がなかったため、今でも土葬のお墓がある。海岸の砂地に亡骸を埋め、その上に龕或いは龕蓋と呼ばれる小さな小屋を置き、その周りに生前愛用した靴やステッキなどが飾られている。そして7年なり9年なりが過ぎた頃、亡骸を掘り起こして海水で洗骨し、改めて骨甕に納める。風で飛ばされないようにしてあるのか、骨甕の上にサンゴ石が重石として乗せられたものもあった。
 また、奄美群島では岩壁や崖を掘り込んだトゥール墓があり、こちらはいわゆる風葬、自然葬だ。徳之島でトゥール墓を案内してくれた民宿のご主人の話では、かつてはたくさんあったが研究目的で多くの骨が持ち去られたという。
 奄美と同様に沖縄でも洗骨の風習があった。沖縄のお墓といえば巨大な亀甲墓や破風墓で知られるが、あの大きな墓の中にはシルヒラシと呼ばれる遺体を安置する場所がある。ここで何年か自然に身体が朽ちるのを待ち、その後、洗骨して本墓に納める。もっとも奄美も沖縄も今ではほとんどが火葬だが、離島ではシルヒラシに安置する自然葬がまだ行われているかもしれない。
 土葬は奄美や沖縄といった琉球文化圏だけの話ではなく、本土でも昔は土葬が当たり前だった。富山県西部でいえば、今でも2つの神社の宮司さんの家系では土葬が行われていると聞いた。

 SNSで土葬について話題になるのは、近年、イスラム圏からの移住者が増えたからだろうか。
「火葬」求める陳情 日出町議会が不採択 土葬墓地計画めぐり
浮上したイスラム土葬墓地計画 分断を越えて町長が耳を傾けた民意
イスラム土葬墓地「日本人にも希望者」「果敢に挑戦」宮城・村井知事 反対など1200件

 日本でもかつては土葬が当たり前であり、今でも僅かながら土葬が行われていることを知らないのは必ずしも恥ずかしいことではないと思うが、ナザレンコ氏の場合、知らないこと、調べもしていないことを堂々と発信し、その誤情報をイスラム教徒へのヘイトに結びつけようとしたことが悪質だろう。

与論島のお墓
↑与論島の海岸にあった、まだ新しい龕(小屋)が乗せられたお墓。生前愛用した靴が並べられている。2011年8月20日撮影。

 国内アーティスト撮影リストの名前にfacebookのアーカイブへ飛ぶリンクを張りました。こちら

9月14日(日)

 日中の暑さも少しやわらいできたので、何ヶ月ぶりかで電子ドラムを叩いた。アルバム一枚分叩いて、ズボンのポケットに入れた携帯電話の万歩計で約3700歩だった。このローランドの電子ドラムは2007年4月に購入したので、もう18年以上使用している。奄美大島・沖縄に移住していた時は、ブラスバンド部に入部した姪っ子が使っていた。ペダルが壊れてハイハットのオープン、クローズが機能しないなど、さすがに18年も使っているとアチコチにガタがきているが、全身を動かす健康器具としてはまだまだ使えるかな(笑)。
電子ドラム

 昨日、今日と「東京2025世界陸上」の放送があるため、「なんでも鑑定団」「報道特集」「サンデーモーニング」「世界遺産」など普段見ている番組が飛んでしまった。そのお陰で、フィルム確認などの作業が進んだ。

 高岡市の出町市長が前市長の作った新庁舎整備のロードマップを白紙撤回する考えを示したことを受け、市議会側が反発し同志会の水口清志議員が「市民の皆さんを巻き込んだ議論を行うためにロードマップを作成したのでありまして、白紙撤回は全くつじつまが合わないと考えています」と述べたそうだ。この記事、何度読み返しても水口氏が何と何のつじつまが合わないと言っているのかさっぱりわからない。
 以前のチューリップテレビの記事によると、新庁舎については<新築や既存施設への移転、現庁舎の耐震化を含め、整備の方法や場所を決めるとして、5月にはすべての職員を対象に、現庁舎の課題を洗い出すためのアンケートを実施するなど、検討が進んでいました>とあるが、その一方で地元の経済団体から市役所移転を求める声に応じて、今年3月に高岡駅南口の旧ダイエー跡地を8億6000万円で購入している。こちらの方が、よほどつじつまが合わないと思うのだが。で、職員へのアンケートではどんな結果になったのだろうか?
 また、水口氏は「市長が変われば方針も変わるということは一定の理解はするものの、今回の一件は行政の継続性という観点が欠けていると思います」と市の担当者に述べているが、言われた担当者も困るだろう。施策の正当性と継続性のどちらが重要なのか、逆に水口氏に聞いてみたい。
 その一方、出町氏についても前回、2021年の市長選の頃、元自民党議員で元テレビ朝日時代の同僚でもある丸川珠代氏と盟友であり懇意にしていることをアピールし、『女性の生き方~”ガラスの天井”破れるか?~』なるタイトルの対談を二人でやっている。彼女が裏金議員だと発覚した現在はどう思っているのだろうか。個人的に丸川氏で思い浮かぶのは「この愚か者めが!」発言と、2019年参院選の公約が「タピオカ容器の統一」。彼女は参議院で3期ほど議員を務めていたが、その間、タレントが政治家の役を演じているようにしか見えなかった。裏金が発覚する以前から議員としての資質が疑われていた人だと思うけれど、いかがなものか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
「法律がなければ、ぶっ殺してやるよ」 クルド人に向けられるヘイトが、参院選後エスカレートしている
柏崎刈羽原発で制御棒引き抜けないトラブル続く 再稼働準備に影響も
【速報】首相退陣、自民の信頼回復につながらず76%

9月12日(金)

 昨日の朝、今月30日までと受診期間が迫っていた年に一回の特定健康診査を受けてきた。詳しい診察結果は来月にならないとわからないが、腹囲がちょっとオーバーしていた。この暑さで運動できなかったのも影響しているかもしれない。
 今日は午後から雨予報だったので、両親がデイ・サービスに行った後の午前中、久しぶりに小矢部川の土手を1時間ほど自転車で走ってきた。田んぼが黄金色になり、アチコチで稲刈りが始まっている。
小矢部川からの風景01
小矢部川からの風景02
 午後からポジフィルムの中身確認作業。床に置いて作業していたら腰が痛くなって来たので、パソコン一台床に降ろしてテーブルで作業することにした。
フィルムの確認作業
 今日の那覇市議会で、今年7月の市議選で過去最多得票でトップ当選した参政党の和田圭子市議が、トランスジェンダーの性自認が「伝染する」と述べたそうだ。いったいどういう医学的根拠、科学的根拠があって話しているのだろうか。

9月10日(水)

 次のアーカイブ作業をする準備として、ポジフィルム(スライドフィルム)の確認。撮影後にセレクトしたフィルムはマウントしてファイルに入れ、それをファイルケースに収納して保管している。ファイルケースの背にはどんなフィルム(撮影したアーティスト名など)が納めてあるか記入したラベルが貼り付けてあるのだが、古いものはやがて40年も前のものなので、ラベルが日に焼けて茶色くなり字も薄れて読めなくなってきた。中にはラベルが剥がれてないものも。そこで久しぶりにライトボックスを引っ張り出して中身の確認をして、ラベルを作り直すことにした。ファイルケースは43個あるが、とりあえず全て確認し、手書きでメモを作ってからパソコンでキレイに字を打ち直して印刷することにする。
 今日は午後の数時間で、9個のファイルケースの中身を確認した。 ちなみにセレクトしなかった残ポジも、捨てずにスリーブのまま現像所の袋に入れてモノクロフィルムと一緒に大きなプラスチックの衣装ケースの中に無造作に突っ込んである。
→ポジフィルムを収納したファイルボックスが納められたスチール棚。
スライドフィルムのファイルが収まった棚
ラベル

↑ファイルの背に貼ってあるラベルが日に焼けて茶色に。↓ライトボックスで何が写っているかフィルムの確認。

ファイルの中身を確認してメモ作り
↓奄美大島出身の歌手、RIKKIのアルバム『miss you amami』のレコーディング風景のポジがあった。左はバック・コーラスで参加した里アンナちゃん。27年前の撮影で、たぶんこれが彼女の初レコーディングではないだろうか。右は「祭りメドレー」の録音だろうか。左から築地俊造さん、RIKKI、里アンナちゃん。
里アンナ レコーディング風景

 昨日の夕方、地元のテレビ・ニュースを見ていたら高岡市議会で市長の公用車をめぐる論戦が繰り広げられたという話題が流れてきた。なんでも前市長の角田氏がリース契約した公用車を新市長の出町氏が解約するに伴い発生する違約金について、自民系最大会派・同志会の議員が「違約金を税金で支払うのは不適切ではないか」と述べたそうだ。
 公用車解約の違約金を税金で支払うのが適切か不適切かという以前に、前市長がリース契約して新市長は解約が望ましいと言っている公用車がそもそもどれだけ稼動していて必要性がどれほどあるのかをちゃんと議論する方が重要だろう。
 公用車の必要性がそれほど高くないなら、年間のリース料が100万円以上する車を税金で支払い続ける方がリース契約の違約金46万円あまりを支払うより無駄遣いだろう。
 質問に立ったのは同志会の酒井善広議員だそうだが、これは彼個人の意見なのだろうか、それとも同志会の総意なのだろうか。
 今年の6月に行われた高岡市長選挙では自民党高岡市連から推薦を受けていた現職の角田氏が敗れ、新人の出町氏が当選した。まさか自分たちが推薦した現職が落選したからというワダカマリで発言しているとは思いたくないが、いずれにしてもレベルの低い質問だとは思う。

9月7日(日)

 相変わらず昼間は暑いが、短パンと半袖Tシャツでは朝方、寒さで目がさめるようになった。
 アーカイブ作業のために棚から引っ張り出していた雑誌や書籍、CDやスケジュール帳などがようやく元の位置に収まった。広くなった床に久しぶりに掃除機をかけた。いろいろ作業を始めたら、また床が埋まるのだが・・・
片付けた部屋01
片付けた部屋02

 なかなか遠出ができない日々なので、毎週火曜のNHK-BSで放送されている『新日本風土記』と『世界ふれあい街歩き』を見て旅心を癒している。来週9日の『世界ふれあい街歩き』はスペイン北西部ガリシア地方のラ・コルーニャ(ガリシア語ではア・コルーニャ)ということで、とても楽しみ。
 今から39年前。1986年4月から7月まで4ヶ月ほどイベリア半島を旅した後、撮影した写真を売り込みにいくつもの出版社・編集部をまわった。創刊したばかりの学研の女性誌『NESPA』もその一つで、その日のうちにカラー4ページの旅行記を書かせてもらえることになった。
 タイトルは<ガイドブックにのっていない旅をしたい 自分だけの時間が流れる小さな村いなか町>で、スペインのカンポ・デ・クリプターナ、サクロモンテ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ラ・コルーニャ、ポルトガルのオビドス、アヴェイロを紹介している。
 ラ・コルーニャについては、こんな文章を書いた。

◯輝くガラスの町
 港に建ち並ぶビルの窓は、全て白い窓枠を持つガラス製。これが日にあたりキラキラと輝いているので「ガラスの町」とも呼ばれている。この町には、現存する灯台では世界最古のエラクレスの塔がある。観光名所は避けて旅しようと思いながら、”世界最古”なんていうフレーズがつくと、つい登ってしまう。やっぱりミーハーなんだろうな。
 塔を降りて近くのレストランへ入る。メヌー・デル・ディア(本日の定食)という旅行者向けの料理を頼む。イカの丸焼き、巨大ステーキ、籠いっぱいのパン、ワイン、デザートのオレンジ。これで千円ぐらいだから、スペインの田舎にしてはちょっと高いかな?
 スペイン、ポルトガルのレストランは、当たりハズレもあるがだいたい安くて、量があってうまい。ただし、のんびりしたお国がらだから時間はかかる。このラ・コルーニャ近辺は港町だから魚介類が特に安い。港にいくとウヨウヨ魚が泳いでいるのが自分の目で見れる。わざわざレストランで魚を食べるのがバカらしい程、簡単に取れそうな場所で泳いでいるのだ。
 それにしても、レストランに入る度に思う。 スペイン人もポルトガル人も胃袋を、2つは持っているんじゃないだろうか!?ってね。

ガラスの町

 番組の予告編では伝統楽器のガイタ (バグパイプ)が紹介されている。旅をした39年前はそんなことを全く知らなかったが、スペインのバグパイプ奏者、カルロス・ヌニェスのアーカイブを作っている時に、スペイン北西部のガリシア地方がアイルランドやスコットランドなどと共にケルト連盟に入っていた時期がありケルト文化圏だそうだ。カルロス・ヌニェスはガリシア地方のビーゴ出身。キリスト教の三大巡礼地の一つ、サンティアゴ・デ・コンポステーラを挟んでラ・コルーニャは北に、ビーゴは南に位置している。

 カルロス・ヌニェスのアーカイブはこちら

9月4日(木)

 昨年6月20日のスティーヴ・アルビニからスタートして、今日のベン・E・キングと大木トオルまで毎日休まずにアーカイブを更新した。たぶん連続430日ほどで、フェスのようにたくさんのアーティストが出演しているものもあるので写真をweb上にアーカイブできたのは500組ほどではないだろうか。毎日毎日パソコンのキーボードを打っていたので、その間、左手が腱鞘炎になって病院で診てもらったこともある。まだまだアーカイブしなければならないアーティスト写真があるが、フィルムをスキャンしてデータ化済みの在庫がなくなってしまった。
  フィルムからのデータ化は2006年〜2007年頃、仕事の合間に作業していた。35mmのフィルムは最初、ニコンのLS-1000を使っていたが、途中で壊れたので中古のニコンCOOLSCAN VEDを購入。ブローニーや4X5のフィルムはエプソンのフラットベッド・スキャナーGT9800Fでデータにしていた。使用していたスキャナー自体は部屋にあるが、もう接続端子も合わないし、OSもドライバーも適合していないだろうから、新たにフィルムをスキャンするならスキャナーを購入しなければならない。
 ようやく空気が少し秋めいて、朝晩は過ごしやすくなってきた。アーカイブを更新していた期間は出かけることもほとんどなかったので、ここらでちょっと休憩。その間に最新のスキャナー情報の収集、フィルムの整理もしなければならないが、もう少し涼しくなったら昨年買った自転車で走りたい。

 沖縄や奄美では旧盆行事が始まった。今日、旧暦7月13日は先祖の霊をお迎えするウンケー。添付した写真は沖縄の中でも特に旧盆行事が盛んな八重山諸島のアンガマ。アンガマはグソー(あの世)からやって来た精霊の一行が家々をまわり、三線と太鼓の地揺をバックに唄と踊りを披露して供養する。中心となるのはウシュマイ(おじいさん)とンミー(おばあさん)で、ファーマー(子孫)の花子達をたくさん引き連れている。
 YouTubeから石垣島・登野城青年会のアンガマ

アンガマ

◯アリ・プロジェクト

 二十歳の頃、しばらく「未来夜バンド」というバンドでドラムを叩いていた。ボーカルとギターが片倉三起也で、ほとんどの詞と曲も三起也ちゃんが書いていたと思う。演奏はフュージョンよりだが、詞と歌は歌謡曲よりだった。このバンドには1年ほどしかいなかったと思うが、メンバーの入れ替わりが激しく後にメトロファルスに参加するベースの光永巌さんや、後に五輪真弓のバンドに参加して旦那さんになる鈴木宏二さんも短い期間だが在籍していた。未来夜バンドとしてのレコードはないが、当時、西武が中心となって開催していた音楽コンテスト『DISKPORT MY RECORD FESTIVAL』に出場した時のライヴが1曲レコードに収録されている。全国から送られてきたアマチュア・ミュージシャンのテープを審査し、本選をパスした10組のライヴがレコーディングされていて、未来夜バンドは「ジャスミン・ナイト・サンバ」という曲を演奏している。
 アリ・プロジェクトはボーカル・作詞の宝野アリカとキーボード・作曲・編曲の片倉三起也によるユニット。1986年に第1回サンチェーン・ミュージック・バトルロイヤルに参加し、細野晴臣賞を受賞している。彼らを撮影したのはこの少し後、1987年で、最初はCBSソニーから「オペラグラスの中でだけ」でデビューしたアイドル歌手・村田恵里のバックバンドにアリプロの二人が参加していたライヴを撮っている。また、アリプロとしてのアーティスト写真を撮ったのもこの頃だ。
 掲載した写真の1、2枚目は1987年5月に相模原市にあったライヴハウス「Live innフレンドリー」に彼らが出演した時に楽屋で撮ったもので、この写真のバリエーションが1988年にポリドールから発売された蟻プロジェクト名義のアルバム『幻想庭園』の販促ポスターに使われている。また、この年の10月に代々木公園で撮影したポートレートが『幻想庭園』の裏ジャケットのアーティスト写真になっている。
 3~10枚目の写真は2000年8月にリリースされたアリプロのベスト・アルバム『jamais vu』のジャケット用に撮影したもの。このアルバムは東芝EMIとの契約終了後、廃盤になった自分たちのCDを販売するために設立した彼らのプライベートレーベル、ZAZOU Recordsからのリリースで、東芝時代のシングルを集めたアルバムになっている。宝野アリカとジャケットの打ち合わせをしている時に出てきた、彼女の好きなものが四谷シモンであり金子國義だった。それを聞いて、頭に浮かんだのは沢渡朔さんの写真集『少女アリス』に掲載されていた、大男など大人たちに囲まれたダイニングテーブルの上に寝転ぶアリスの写真だった。当時、彼女が住んでいた部屋のリビングにはロフトが付いていて、テーブルを俯瞰で撮影することができた。
 日中は井の頭公園でインナーに使う写真を何カットか撮影し、撮影後は小道具のホールケーキや花を購入。たしかロケアシに人間椅子のマネージャーがついてくれたと記憶している。その頃、人間椅子のギター、和嶋慎治さんがアリプロのライブやレコーディングに参加していた縁だろうか。
 ロケでの撮影が終わり、室内でのメインの撮影。クロスを敷いたダイニングテーブルに小道具を並べ、宝野アリカが横たわる。彼女への注文は一つで、壊れた人形のようなポーズをしてくれだった。
 11、12枚目も同じ日に撮影したものだが、この写真は徳間ジャパンから2001年4月に発売されたオリジナル・アルバム『Aristocracy』のジャケットに使われている。ジャケットでは彼女の身体から蝶の羽が生えているが、このアートワークは彼女自身の手によるものだったかもしれない。この頃、7色のスケルトンカラーのiMacが発売されて、どの色だったか忘れたが彼女も1台購入した。母親が洋画家で彼女自身もイラストを書いていたので、そのiMacを使って仕上げたんじゃないだろうか。
 13~20枚目のライヴ写真は2000年2月の吉祥寺・スターパインズカフェ。
 wikiによるといつの間にかオリジナル・アルバム23枚、ベスト・アルバム10枚の他、アニメの主題歌やサウンドトラックも多数リリースしている。

YouTubeから「1988年2月4日渋谷Eggman/蟻プロジェクト」 「Ali project - 亡国覚醒カタルシス」 「ALI PROJECT - Tico Tico no Fubá (live)

ALI PROJECT  公式ウェブサイト

相模原市・Live innフレンドリー 1987年5月30日撮影
代々木公園 1987年10月28日撮影
初出『幻想庭園』(ポリドール)
吉祥寺・スターパインズカフェ 2000年2月24日撮影
川崎・宿河原 2000年6月1日撮影
井之頭公園 2000年6月3日撮影
東京・練馬 2000年6月3日撮影
初出『jamais vu』(ZAZOU Records)
初出『Aristocracy』(徳間ジャパン)
#蟻プロジェクト
#アリプロジェクト
#ALIPROJECT
#宝野アリカ
#ArikaTakarano
#片倉三起也
#MikiyaKatakura
#アーカイブ

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アリ・プロジェクト
ベン・E・キング

◯ベン・E・キング 大木トオル

 好きなアーティストのレコード発売記念インストア・ライヴに出かけて、列に並んで新譜のCDにサインを貰うことはあるが、取材相手にサインを貰うことは慎んでいる。なのでミュージシャンをたくさん撮影させていただいたが、サインはほとんど持っていない。
 このベン・E・キングと大木トオルさんのサインは、まだ写真を始めて2年ほどの頃に仕事ではなくプライベートで撮影した時のもの。
 この頃、ウシャコダのマネージメントをしていたサロンゴ・ミュージックの木下さんが、「写真を撮りにおいでよ」と、自分が招聘したミュージシャンのコンサートに誘って下さった。
 一番初めは1987年4月9日に渋谷のライヴ・インで開催されたミッド・ナイト・ソウルパーティーのS.O.Sバンドのライブで、次は87年7月に芝浦のインクスティックで行われたニューオーリンズ・イベントで来日したドクター・ジョンとネヴィル・ブラザーズ、そして87年9月に来日したベン・E・キングだった。

 ベン・E・キングは大木トオルさんとの来日で、9月23日が青山CAY、26日が郵便貯金会館だった。CAYで撮影したライヴ写真をミュージシャン本人と、自分がサインを入れてもらう用の2枚ずつプリントし、26日の郵便貯金会館に持って行って楽屋でサインをもらった。ベン・E・キングと大木トオルさんの他、コーラスの女性2人、ギタリストのサインもある。ドラムやベースのサインがないのは、ステージの後方で写真が撮れなかったのかもしれない。
 木下さんにはこの他にアラン・トゥーサンのコンサートも撮らせてもらった。こうして撮影したライヴ写真を持って音楽雑誌に売り込みに行って、当時は仕事に繋げた。
 今でも残念に思っているのは青山CAYで予定されていた南ア出身の歌手ミリアム・マケバのライヴで、こちらも木下さんに誘ってもらったのだが、当日CAYに行くと入り口に木下さんがいて急遽中止になったと告げられた。 
 ベン・E・キングことベンジャミン・アール・キング。出生名はベンジャミン・アール・ネルソン。1938年ノースカロライナ州ヘンダーソンに生まれ、1958年にリードシンガーとしてドリフターズに加入。1960年にドリフターズを脱退しソロ歌手に転向。1961年に「スタンド・バイ・ミー」の大ヒットを放った。2015年4月30日、ハッケンサック大学メディカル・センターで死去。76歳だった。
 大木トオル。日本橋人形町生まれのブルース・シンガー。1976年に渡米し、トオル・オオキ・ブルースバンドを率いて活動。ミュージシャンとして永住権を獲得した。ライフワークとして殺処分寸前の捨て犬達の救助と共に、セラピードッグ育成のパイオニアとして動物愛護の普及を行っている。

YouTubeからベン・E・キングと大木トオルさんが87年に来日した時のライヴ映像「I'LL BE ALRIGHT/BEN.E.KING&TOURU OOKI
Stand By Me 1961/Ben E KING」「大木トオル&ナイトホークス- I Got My MojoWorking - 1983 New York ボトムラインライブ 3

大木トオル 公式ウェブサイト

青山CAY 1987年9月23日撮影
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9月2日(火)

 アーカイブ作業の第一弾がそろそろ落ち着きそうなので、アーカイブを作成するために棚から引っ張り出した雑誌や書籍、CDやフィルムを在った場所に戻す片付け作業を昨日から開始。だいぶ棚に収まったが、キレイに片付くまでもう少し時間がかかりそう。
片付け01
片付け02
↑アーカイブ作業をするのに棚から取り出して床やテーブルに山を作っていた本やCD、フィルムやプリントなど。
 東京電力は再稼働を目指している柏崎刈羽原発6号機で核分裂反応を抑える制御棒の動作確認をした際、1本が挿入したまま引き抜けなくなる異常があったと発表した。原因を特定し再稼働に必要な検査を一部やり直すとしているが、この酷暑の夏にも節電要請をしなくて済むくらいに電力は足りている。トラブルばかりの柏崎刈羽原発は廃炉で。
オマー・シャリフ

◯オマー・シャリフ

 オマー・シャリフを撮影したのは、東京近郊にイランやパキスタンから働きに来ていた若者が大勢集まっていた1993年のことだった。前年の92年にはそうした人たちのためにインドのポップ・ガザル歌手、パンガジ・ウダースや、イランのポップス歌手、サタールやレイラ・フォルーハルのコンサートが行われていた。5月3日に大宮ソニックシティー・ホールで開催された「オマー・シャリフ・ショー1993」も、そうした日本に働きに来ている外国人のためのコンサートだった。
 取材のキッカケは音楽評論家の北中正和さんが池袋のエイジアン・ショッピング・センターに貼られていたポスターを見たことから。当初は『パキスタン・スーパー・スター・ショー』というコンサートを取材する予定だったそうだが、このショーは中止になったと聞き、それを確かめに訪れたお店でオマーのポスターを目にしたそうだ。

 この時のショーの様子は『ミュージック・マガジン』1993年7月号に、「五月の憂鬱 外国人”違法”労働者たちの様々な日曜日」と題した北中さんのルポルタージュに書かれている。その記事によるとショーは3時間余りで、オマー・シャリフのトーク・ショーのほか、ガザル歌手メヘディ・ハッサンの弟子というメヘディ・ハッサン・ラナ、テレビ・ドラマの主題歌を歌っているというシャムサー・カーンワルなど数名が入れ代わり立ち代わりステージに現われポップからガザルまで歌ったと書かれている。
 このショーを企画・招聘した埼玉で商社を経営しているパキスタン人のチョードリーさんにも北中さんは話を聞いていて、「お客さんは2千人以上入った。だいたい90%はパキスタン人。5%はインド人。残りが日本人、その他の国の人」と答えている。
 このショーが行われた少し前、日曜日になると大勢のイラン人が集まってバザールを開いていた代々木公園の原宿門脇の小公園がフェンスで封鎖されてしまった。このことについても記事では触れており、東京都南部公園緑地事務所に聞いた話や東京入国管理局の話が掲載されている。その上で、北中さんはこのように結んでいる。
<電話で役所の広報担当者の話を聞くのは憂鬱な作業だった。社会が外国人の低賃金労働に依存し、税金も取り、巡り巡ってほとんどの日本人がその恩恵を受けているという現実があるのに、そしてまた代々木公園に集まって情報交換するのは異国で緊張して暮らす彼らのささやかな息抜きなのに、現実に対応できていない法律に基づいて取り締まりを強化するのは柔軟性に欠けるのではないか。とまあ正論をふりかざしての憂鬱というより、ぼくはいっそのことイラン人のバザールをエキゾチックな観光資源にしてしまえ、露天での買い食いが単純に楽しいと思っているような人間だ。それなのに楽しいかどうかという以前に「公園は物を売るところではない」と決めて疑わない管理事務所の杓子定規な発想との隔たりからくる憂鬱だった。しっかり商売のことを考えながら『人間の気持ち、エンジョイのためですよ」と言ってのけるチョードリーさんのやまっけが恋しかった。露天でペルシャン・ポップのカセットやビデオの山から掘出物を探す楽しみが奪われ、香ばしいケバブをかじりながらの草の根文化交流の機会が絶たれたことへの、我欲に根ざした怨嗟の念がふつふつと湧いてきた>
 掲載した写真の1、2枚目がオマー・シャリフ、11枚目の右がメヘディ・ハッサン・ラナ、左の女性がシャムサー・カーンワル。
 ところで、記事ではオマー・シャリフは人気コメディアンと紹介されているが、ネット検索で引っかかるオマー・シャリフ(オマル・シャリーフの表記もある)はアラブ人でエジプト出身の俳優。wikiによると本名はミシェル・ディミトリー・シャルフーブで、1932年4月10日、エジプトの裕福な材木商の家庭に生まれ、少年時代はアラブ圏や東欧の王族の子弟も通ったアレクサンドリアのヴィクトリア・カレッジで学んだそうだ。カイロ大学では数学を専攻していたが、卒業後はイギリスに留学し、ロンドンの王立演劇アカデミーで演技を学んだという。
 俳優デビューは1955年のエジプト映画『砂漠の悪魔』で、1962年には『アラビアのロレンス』のベドウィン族長アリを演じ、ハリウッドデビューを果たしている。その後も『ドクトル・ジバゴ』『うたかたの恋』『華麗なる相続人』などに出演。1980年代は映画から遠ざかっていたとwikiに書かれているが、1980年『名探偵ベンジー』、 84年『トップ・シークレット』、86年『アナスタシア/ひかり・ゆらめいて』、88年『悪霊』ほかコンスタントに映画出演している。
 2003年に、『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』でセザール賞最優秀男優賞を受賞。また、この年にヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞も受賞している。2004年のアメリカ映画『オーシャン・オブ・ファイヤー』などにも出演し俳優として再活動していたが、2015年7月10日、心臓発作のためカイロで亡くなったそうだ。83歳だった。
 コメディアンのオマー・シャリフトと俳優のオマー・シャリフの同名人物がいることも考えられるが、wikiに掲載されている顔写真とオマー・シャリフ・ショーで撮影した人物は似ているように見える。もし俳優のオマー・シャリフだったら、撮影した当時は60歳か。

YouTubeから「Well Scene - Lawrence Of Arabia」 「Omar Sharif - Top 23 Highest Rated Movies

大宮ソニックシティー・ホール 1993年5月3日撮影
初出『ミュージック・マガジン』1993年7月号
コンサート・ルポは北中正和さん
#オマーシャリフ
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#MichelDemitriChalhoub
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ウイーン

◯ウイーン

 1984年にジーン・ウイーン(本名アーロン・フリーマン)と、ディーン・ウイーン(本名マイクル・メルキンド)によって結成された、ペンシルバニア州ニューホープ出身のロック・バンド。オルタナティヴ・ロック・バンドに分類されるようだが、ファンク、ソウル、カントリー、プログレ、サイケ、ヘビーメタルと様々な音楽をシームレスに構成した楽曲で知られる。
 結成から1989年まではカセットアルバムを数枚自主制作し、1990年に『GodWeenSatan: The Oneness』、1991年に『The Pod 』をインディーズからリリース。1992年にエレクトラ・レコードと契約し『The Pod 』でメジャー・デビューを果たした。このアルバムからシングル「Push th' Little Daisies」が生まれ、オーストラリアとアメリカでヒットチャート入りしたそうだ。

 彼らを撮影したのは6枚目のスタジオ・アルバム『The Mollusk(邦題は軟体動物の宴)』をリリースした1997年で、初来日公演で日本を訪れた時だった。『ミュージック・マガジン』での取材で、10月15日に渋谷クラブ・クアトロでのステージを、16日にインタヴュー撮影を行っている。インタヴュアーは彼らと親交のあるというボアダムズのギター山本精一さんで、ジーンとディーンとの対談という感じだった。
 彼らはアメリカ、ニュージーランド、オーストラリアをまわり、日本へ。すでにツアーが始まって6週間が経っていた。ただ、日本でのライヴは10月15日の東京公演だけだった。
 山本さんが「なんでウイーンは日本に来ないんだってみんな言うてたんですけど」とウイーンの2人に話すと、
「ちゃんとしたツアーを日本でやりたいとは思っている。でも、実を言うと『チョコレート&チーズ』をリリースした後に一度、日本公演の話はあったんだ。ただ、その時のプロモーターが、俺たちは二人だけだと思ってた。実際にはバンド形態で6~7人いたから、全員連れてくるとコストが3倍くらいになってしまう。だけど何カ月も一緒にツアーしてきたバンドを連れていけないんじゃしょうがないから、みんなでいけるまで待つことにしたんだ。それが今まで来られなかった理由かな」とディーン。「今はウイーンはバンドが基本、特にライヴではね。ただ、たくさんお金がもらえる時は二人になる(笑)」とジーン。
 東京公演にはベース、ドラム、キーボードの3人がバック・ミュージシャンとしてサポートしていた。このライヴの様子を赤尾美香さんが、
<ステージでジャック・ダニエルズをラッパ飲みしているヤツを見るのも久々なら、笑顔で中指立ててはしゃいでいるヤツを見るのも久々だった。そして、そのどれもがウイーンをウイーンたらしめる要素として欠かせないことを思い知らされる。何をやっても浮かずにハマる。恐らく普通の人に比べれば、思考回路はズレてるかもしれない。でも、彼らにはズレ方の方程式があり、それによって危ういバランスを保っているとでも言えばいいだろうか>と、コンサート評で書いている。
 wikiによると、ジーンは2012年にアルコールと薬物中毒の問題でバンドを脱退。2015年後半に再結成するが、今度はディーンの精神状態を理由に2024年から無期限の活動休止に入っているという。

YouTubeから「Ween- Push th' Little Daisies (LIVE)」 「Ween - Baby Bitch (Live in Chicago)

ウイーン 公式ウェブサイト

渋谷クラブ・クアトロ 1997年10月15日撮影
コンサート評は赤尾美香さん
青山・イーストウエスト 1997年10月16日撮影
インタヴュアーは山本精一さん、通訳は増田ユリさん
初出『ミュージック・マガジン』1997年12月号
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