HOME TOP | ||
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 ◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表 ◯2010~2014 Photo Diary ◯奄美・沖縄撮影リスト ◯wangan 水路の都市TOKYO2006~2009 ◯戦後ニッポンのポピュラー音楽 |
||
◯1月21日 14時〜 大滝自治会通常総会 集会所 ◯2月11日 10時〜 大滝自治会第一回役員会 集会所 *パスポート 2030年6月9日 |
||
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *富山県内のお祭り、イベント *富山の祭り *築山行事 *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 |
||
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
||
◯富山県 新型コロナウイルス感染症について http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U ◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/ ◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html ◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/ ◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ◯沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
||
メディア関連 ブログなど |
||
*web電卓 *漢字辞典 *2024年カレンダー |
||
雨や雪の日が続いていたが、今日は午前中は曇りで午後から青空が広がった。気温もこの時期にしては暖かかったので、色々と雑事をこなした。 | ||
昨日、班の各家に配るチラシや冊子、それに回覧板が自治会から届いた。それらを床に並べて、チラシを一枚ずつ冊子を一冊ずつ取り各家用にセットした。小学生から高校1年生くらいまでやっていた新聞配達の折り込み広告を仕分けする作業に似ていた。その自治会からの配布物と回覧板を、今日の午前中に届けてきた。 ←自治会からの配布物。取り出し易いように、家ごとに付箋を付けておいた。 |
||
父親が元旦に村の神社へ初詣に行った帰り、自転車のチェーンが外れて自転車を引っ張って帰ってきた。直そうと思いながら地震のバタバタで忘れていたが、ようやく修理できた。チェーンカバーの前方ギア部分をドライバーで外し、外れているチェーンをギアにかませる。カバーが無いと簡単な作業だが、カバーがあると動かせる場所が限られるので難儀した。それでも10分ほど格闘してチェーンを取り付け、潤滑油をさしておいた。 | ||
先日、1階廊下の戸棚の中から賞味期限が切れた乾燥昆布がたくさん出てきたが、午後から家の片付けの合間に、その中の一つを使って昆布の佃煮を作った。 ビニール袋から乾燥昆布を取り出し、水を入れたボールに1時間ほど浸けてもどし、包丁で食べやすい大きさに切る。しょう油、砂糖、料理酒が入ったフライパンに昆布と白ゴマを入れ、汁気がなくなるまで煮詰める。さっそく晩ご飯のおかずにした。 |
||
今日、出版社から確定申告用の源泉徴収書が届いた。もう、そんな時期だ。 | ||
ゴングの創設メンバーであり、バンドのリーダーだったデヴィッド・アレン。1996年6月、ゴングとしての初来日の際に、音楽雑誌の仕事で撮影することができた。彼を撮影する前から持っていたゴングのレコードは1枚だけで、音楽的なことより彼にはヒッピーの親玉のような人という印象を持っていてそちらの方に興味があった。たぶんデヴィッド・アレンのことを知ったのは1970年代後半にクロスウインドのギタリスト、小川銀次さんから話を聞いてだったと思うが、当時、銀次さんもまたミュージシャンが集まるコミューンを作りたいという風なことを渋谷の屋根裏でビールを飲みながら話していたように記憶している。 ーーじゃあ最後に、宇宙人はいると思いますか? |
||
1973年のデヴィッド・アレン、「I Never Glid Before-Live1973/Gong」。2009年のデヴィッド・アレン、「GONG@苗場FUJI ROCK FESTIVAL」。 | ||
1階の廊下にある戸棚や収納ボックスの中と、廊下に続く縁側の奥にある押入れの中をちまちまと片付けている。以下、そこから出てきたモノたち。 | ||
↑ティッシュ7箱(左)と、押入れの中にあった昨年と一昨年の鏡餅(右)。鏡餅は真空パックなので食べられるかな? |
||
↑押入れにあった包丁(左)。5本セットの包丁は3本だけになっていた。廊下の戸棚にあった各種透明保存バッグなど。 |
||
↑賞味期限が13年前の寒天と11年前のすし太郎(左)。押入れで眠っていた調理器具各種(右)。 |
||
↑簡易まな板。中央の赤くて丸いものは適温計だそう(左)。いつ頃製造のものかわからない新品の電気プレート(右)。 |
||
↑サンキストと森永のグラス。→電気ポット。 |
||
1974、75年に起きた連続企業爆破事件で指名手配されていた桐島聡容疑者と見られる男が神奈川県内の病院で見つかり、「最後は桐島聡で死にたい」と話しているそうだ。昨日、このニュースが流れた時に桐島聡という名と顔写真にピンときた。駅などに貼られていた指名手配犯の名前と顔で、もう半世紀近く逃亡しているのでそれだけ長くポスターも貼られていたのだろう。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
昨日からの寒波により岐阜県内で大雪が降り、名神高速で車の立ち往生が相次いだという。富山の平野部は昨晩から今朝までが降雪のピークで、今日の日中はときおり雪がちらつく程度で更に積もることはなかった。雪よりも昨日の夕方から夜にかけての落雷が凄く、雷が止むまで用心のためパソコンやディスプレイ、外付けハードディスクなどはコンセントから外しておいた。 下の写真は今朝の積雪の風景。これ以上積もることはなかった。 |
||
明日は初天神(天神講)。昨年暮れに床の間に飾った天神様の掛け軸を仕舞い、天神様にお帰りいただく日だ。そこで今晩は天神様にご馳走を供えておもてなしをする。幸い予報より雪が少なかったので、自転車でスーパーまで行きにぎり寿司といなり寿司を買ってきて掛け軸の前にお供えした。神棚にも2つお供えし、晩ご飯にそのお下がりをいただいた。 | ||
↓天神様にお供え。→右の掛け軸が天神様。 |
||
今日は午前中から1階の廊下を少し片付けた。収納棚や収納ボックスの中や上に置いてある箱を開けて、中身を点検。一番多かったのがタオル。たぶん、この家の中に封も切ってないタオルが数百本はあると思う。また、賞味期限の切れた乾燥昆布もたくさん見つかった。また、空き箱も多く、それらは潰して廃棄処分することに。 ←1階の廊下に並んだ棚や収納ボックス。手前にはもう使っていない冷凍庫や冷蔵庫もある。 |
||
↑たぶん引き出物の中に入ったいたと思われる昆布はどれも賞味期限切れ(左)。開封されないまま積んであったタオル(右) |
||
↑銀行や郵便局からもらったと思われるキッチン用品も多数ある(左)。庭に面した縁側の押入れからも洗剤が3つ出てきた(右)。 |
||
変わったところではMARIO VALENTINOというイタリアのファッション・ブランドのプラスチック製フィルム・カメラが出てきた。何かのノベルティ・グッズだろうか。箱の中には薄型のラジオも同数されている。 |
||
↓→MARIO VALENTINOのフィルム・カメラ。 |
||
頂き物は最初に神棚にお供えするので、神棚の下には頂き物の箱がたくさん積まれている。そのほとんどが空箱だったので、こちらも潰して廃棄処分に。一番奥からプラ容器に入った濃口醤油6本入りの箱が出てきたが、こちらも遥か昔に賞味期限が切れていた。 | ||
かしまし娘の正司歌江さんが19日に亡くなった。94歳、老衰だそうだ。最近はお正月のお笑い番組を全然見なくなったが、小学生の頃はお正月の漫才もわりと楽しみにしていた。かしまし娘をよく見ていたのは、これくらいの頃だろうか。うちら陽気なかしまし娘〜♪妹の照枝さんも90歳、花江さんも87歳か。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
今日で能登半島地震の発生から3週間が経った。一昨日石川県は住宅被害が3万棟を超えたと発表したが、被害の大きい輪島市と珠洲市は全容が分からずほとんど集計に含まれていないので、まだまだ増えることが予想される。また、今なお石川県では5万世帯が断水しており、水道の仮復旧は2月末〜3月末の見通しだという。断水が5万世帯に対して停電は現在、約5600戸だ。これは地中にある水道管より地上にある電線の方が直しやすいということもあるのだろうか。電線の地中化を進める動きもあるが、今回のような大きな地震が起こった時に停電の復旧に時間を要することにならないだろうか。 富山県の住宅被害も日が経つにつれ少しずつ増え、昨日の時点で4239棟に上り、全壊23棟、半壊97棟などとなっている。また、断水が続いていた氷見市の水道が昨日、完全復旧した。 29年前の阪神・淡路大震災の後も新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震があり、この他に毎年のように豪雨や土砂災害にも見舞われていながら、避難所生活の改善が進まないのは何故だろうか。昨日のサンデーモーニングで青木理氏が断水している避難所のトイレの不衛生さを指摘し、トイレトレーラーの導入について触れていた。断水していなくても一カ所に大勢の人が集まる避難所のトイレは汚れて、不衛生になりがちだ。今日の毎日新聞に<被災地に安心も届けるトイレトレーラー 3市1町の16カ所に派遣>という記事が掲載されており、トイレトレーラーの有り難みが語られている。この記事によればトイレトレーラー の価格は1台約2300万円と決して安いものではないが、災害大国の日本には必要なものだろう。自治体の予算で賄うのは大変だろうが、国が防災の予算として計上して各自治体へ配備することはできないのだろうか。高価といってもオスプレイ1機を買うお金で、400台ほど購入できるはず。災害大国日本にまず必要なのはオスプレイやトマホークではなく、レッドサラマンダーやトイレトレーラー だろう。 |
||
住んでいる地区は16の班に分かれており、家は16班になる。世帯数は13世帯で、一年ごとに持ち回りで班長を務める。今年は自分の家の番で、昨年末に班長の札やら出納帳などを引き継いだ。 |
||
総会では班長に世帯数分の年賀のタオルと令和6年度の定期総会議案書が配られた。総会には班の方が3名出席されていたのでその場でお渡しし、残りは帰宅してからご挨拶を兼ねて一軒ずつ家をまわって配った。1軒のお宅が留守だったので、こちらは今日の午前中に届けてきた。 ←玄関の横に下げた班長の札。 ↓左は班の家に配る議案書と年賀タオル、右は総会でいただいた蒲鉾詰め合わせ。 |
||
富山県選出の安倍派の国会議員、野上浩太郎氏と田畑裕明氏も派閥からのキックバックをもらっていながら収支報告書に不記載であったことを認めた。その額は野上氏が3年間で100万円、田畑氏は4年間で68万円。両氏ともお金は事務所で管理し使用しておらず、事務所側は違法性の認識はなかったとしている。今回の派閥パーティー券の裏金問題で違法性の認識がなかったというのを言い訳のようにしているが、国会議員というのは法律を作る立場の人たちで、そのような人たちがキックバックについて違法性の認識がなかったというなら立法機関に携る資格はないだろう。議員を辞職して一からやり直したらどうかと思う。 共産党の新しい委員長に田村智子氏が就任したことを良い選任だと先日書いたが、なんでこうなるのか。党が組織として硬直しているのだろうか。 「Feel Like Makin' Love」などで知られる女性ヴォーカリスト、マリーナ・ショウが19日(日本時間20日)に亡くなった。81歳だった。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
元旦の地震発生以来、1階のコタツがある部屋で寝ていた母親も、昨日から2階の自分の部屋で寝ることにした。母親の部屋にはタンスがいくつかあるので、倒れてこないようタンスの前にポールを立てておいた。 2万棟以上の家屋被害が発生した石川県と比べれば少ないが、富山県でも家屋被害は4100棟に上り、うち全壊が23棟、半壊92棟となっている。これらの家屋のうち、どれだけの家が地震保険に加入していたのだろうか。 |
||
↑家から自転車で20分ほどの距離にある、天正地震で倒壊した木舟城跡。 |
||
昨日行われた党大会で、共産党は志位委員長が交代し、新しい委員長に田村智子氏が選任された。共産党の委員長に女性が就任するのは初めてだそうだ。個人的には良い選任だと思う。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
一昨年から昨年にかけて父親の仕事場だった1階と、その上の物置だった2階を小さなギャラリーとスタジオにリフォームした。また、懸案だった平屋部分の錆びたトタン屋根も、昨年の秋にペンキを塗ってこれ以上腐蝕するのを防いだ。あとリフォームしたいのは台所だ。床の合板の接着が剥がれて、歩くと沈む箇所がいくつかある。また、使わない食器を並べたサイドボードや戸棚、収納ボックスが所狭しと並んでいるので動線が悪く居心地もよくない。しかし、リフォームするには台所と1階の廊下にある棚などを整理しないとならない。そこで昨日、1階廊下の奥にあるスチール棚を整理したら洗剤がたくさん出てきた。銀行や新聞販売店からもらったのだろう。化粧箱に入ったままのタオルケットもあった。新品のデジタル体重計もあって、これは妹が持って行った。2階の押入れには未使用のタオルがぎっしり詰まったプラスチックの衣装ケースが2つもある。春までに少しずつでも家の中の物を整理したいと思う。 | ||
↑1階廊下の奥のスチール棚から出てきた、たくさんの洗剤。 |
||
今日で阪神・淡路大震災から29年が経った。この日が来ると中国のロック・バンド、黒豹(ヘイバオ)楽隊を思い出す。 ビクターの仕事で、1995年1月13日から16日まで北京・南京・北京と移動し黒豹のアーティスト写真とライヴを撮影、成田からタクシーに乗り16日の夜中に家に帰り着いた。 翌日の17日早朝に阪神淡路大震災が起こった。もっともこの頃は家にテレビはなく新聞も購読していなかったので、地震のことを知ったのはその日の夕方、デザイン事務所へ向かうため最寄りの駅へ行きホームの売店に並んだ新聞の号外を見てだった。 黒豹は、今も北京で活動を続けている。ボーカルとキーボードはメンバーチェンジしたが、ギターの李彤、ベースの王文傑、ドラムの趙明義は変わらず黒豹でプレイしている。こちらに、2022年のライヴがある。ギターの李彤は長かった髪を短くしている。彼も今年還暦になる。 |
||
↑1995年1月、南京の体育館で行われた黒豹のコンサート。 |
||
能登半島地震で大きな被害が出た石川県の家屋被害が昨日の時点で2万803棟に上るそうだ。しかし、輪島市や珠洲市、能登町では被害が甚大で把握できておらず多数としている。今後、状況が明らかになってくれば被害家屋の数はさらに増えるだろう。 今日、2024年のお年玉付き年賀はがきの当選番号が決まった。昨年は3等の切手シートが3枚も当たったが、今年は何もなしだった。切手を集めているわけではないが、一枚も当たらないのはちょっと寂しい。昨年2枚でいいから、今年も1枚くらい当たって欲しかった。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
年明けにりんごをたくさん貰ったので、一昨日、その中の4つを使いりんごジャムを作った。 ←美味しく出来た手製のりんごジャム。 |
||
スティーヴ・ガッドのドラム・ソロを初めて聴いたのはstuffのアルバムだったろうか、スティーリー・ダンのアルバム『エイジャ」だったろうか。それまでのジャズ・ドラマーのドラム・ソロともロック・ドラマーのドラム・ソロとも違うプレイはとても刺激的だった。スティーヴ・ガッドの登場前と後でドラム・ソロが大きく変わったと個人的に思っている。二つ打ち、パラディドル、手と足による3連譜。多彩なルーディメンツを駆使して作り出すドラムのフレーズは、とても豊かな表情とグルーヴがあった。 |
||
←松の内も過ぎたので、トップ画面を模様替え。神通川を挟んで旧大沢野から見た、旧細入地区。 ↓これまでのトップ画面。 |
||
雪は昨日の夕方ごろに止んだが、今朝は快晴で放射冷却もあり、今季一番の寒さとなった。家の中の水道は凍らなかったが、外に出ている井戸水の蛇口は凍ってまわらなかった。温くなった湯たんぽのお湯をかけて、ようやく蛇口を捻ることができた。 | ||
今日の午後3時から地区の公民館のグラウンドで左義長が行われるので、玄関につけた正月飾りや、神棚に置いてあったお札や榊などを持って行った。これまで父親が持って行っていたが、お正月に神社へ行った帰り父親の自転車のチェーンが外れてしまったので、代わりに行ってきた。 ←左義長で燃やす正月飾りなど。 ↓公民館のグラウンドで行われた左義長。子供たちが書き初めを燃やしていた。 |
||
奄美大島に滞在していた2年間で、何度も大型フェリーを見た。にっぽん丸が一番たくさん寄港したと思うが、ぱしふぃっくびーなす、オランダ船籍のザーンダム号も多くの観光客を乗せて名瀬の観光バースに入港した。変り種は、2011年11月にやって来た高速フェリー、ナッチャンWorldだろうか。このフェリーは、奄美大島で演習を行なっていた自衛隊の車両を運搬するために使用された。 防衛省は、自衛隊の海上輸送力確保のため、民間企業の高速マリン・トランスポート株式会社と契約を結び、ナッチャンWorld、はくおう の2つの大型船を運用している。能登半島地震で被害を受けている七尾市の七尾港に、昨日、この全長199.5メートル、1万7345トンの大型フェリーはくおうが入港し、今日から被災者の船上避難場所として使われるようだ。また、これからナッチャンWorldも災害対策拠点用に七尾港に入港する予定だという。 元旦の地震が起こった時に、名瀬港で見たナッチャンWorldが頭に浮かんだ。ナッチャンWorldは旅客定員508名、車両積載数はトラック50台、乗用車110台となっている。自衛隊の救援車両を積んで現地に赴き、現地に到着したら被災者の宿泊施設として活用できないだろうかと思っていた。しかし、震災から日にちが経ってもそんな気配もなく報道もないので、海岸が隆起し大型フェリーの寄港できる港がなくなったのだろうかと思っていた。それが昨日になって、七尾港への入港報道だ。もう少し早く、この民間大型フェリーの活用をできなかったのだろうか。ちなみに、防衛省は令和6年度の概算要求で、この2隻を確保するために325億円を計上している。 2つの船が何処にいたのかわからないが、仮に母港の北海道にいたとしても時速60キロのナッチャンWorldならもっと早く被災地に入港し救援活動ができたのではないか?これまでの大震災と比べても自衛隊の現地入りが遅く、また人数も小出しだという批判がある。自衛隊の責任というより自衛隊へ派遣要請する国や県の責任で、トップの災害への認識の甘さが問題だったのだろう。 自衛隊の最高指揮監督権を持つ総理大臣が、発災から明日で2週間という今日になってようやく被災地を訪れた。とことん国民と向き合わない人だな〜と思う。 |
||
↑2011年11月、自衛隊の車両を運搬するため奄美大島の名瀬に入港したナッチャンWorld。 |
||
能登半島地震では国の登録有形文化財となっている輪島市門前町にある曹洞宗の総持寺祖院や、輪島市町野町にある国の重要文化財である上時国家住宅も倒壊の被害にあっている。 |
||
今回の地震で能登半島の北側にある海岸線が隆起した。幸い志賀原発のある海岸では隆起がなかったようだが、今後も地震による隆起や沈下がないとは言えない。 東京地検特捜部が自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金問題で、会計責任者は政治資金規正法違反で在宅起訴するようだが、歴代事務総長など幹部議員については会計責任者との共謀の立証が困難との見方を強めているという。しかし、会計責任者は裏金作りをしてもメリットがあるわけではなく裏金を享受するのは議員なので、少しでも裏金を手にした議員は逮捕するのが法治国家であり民主主義国家の役目だろう。地検はそれを放棄するのだろうか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
年明けから毎日毎日驚くようなニュースが飛び込んでくる。 昨日の夕方6時台の民放のニュース番組を見ていたら、速報として八代亜紀さんの訃報がテロップで流れてきた。しかし、6時台のニュース番組では続報が流れず、詳細を知ったのは7時のNHKニュースだった。 下の写真は2008年6月に、「NO,PET NO,LOFE ペットと私」という雑誌連載で撮影したもの。八代亜紀さんの事務所兼自宅の中庭で、愛犬のゴン太と一緒に撮らせていただいた。 基本的に取材相手にサインを貰うことは慎んでいる。なので、八代亜紀さんにもその場でサインをいただくことはなかったのだが、撮影したゴン太と一緒の写真を本人から欲しいと言われたので何枚かプリントを送り、その中に手紙ともう一枚プリントを添えた。 手紙には父親が八代亜紀さんのファンなので、プレゼントした写真とは別に同封したプリントにサインをいただけないでしょうかというお願いを書いた。 後日、サインを入れたプリントとオフィシャル・グッズが送られてきた。 YouTubeから「雨の慕情」「舟唄」。 |
||
↑2008年6月11日撮影。ゴン太も昨年亡くなったようだ。 |
||
地震から1週間は震度7クラスの余震に注意という気象庁の呼びかけがあったが、1週間が過ぎたら今後1ヶ月程度は震度5強の余震に注意へと変わった。しかし、いつまでもデスクトップ・パソコンを床に置いておくわけにもいかないので、昨日、それぞれ定位置に戻した。もう余震も少なくなったし、と思っていたら夕方に少し大きな揺れがあって、急いで1台また床に戻した。 地震直後から井戸水が濁っていたので、飲料水には水道水とペットボトルの水を使っていたが、井戸水も濁りが無くなってきたので、昨日から飲料水に使用している。 少しずつ日常を取り戻さないと、と思い1ヶ月に1度行っている使用していない大型ストロボの通電をした。なんだか最近は、ストロボとは照明機材ではなく通電するだけのものになっている。 |
||
↓元旦の地震でテーブルの上で倒れたり、机から床に落下したiMacをそれぞれの定位置に戻した。 |
||
↑ストロボの通電。→1階ギャラリーの鉢植えやコップも定位置に。 |
||
先日、大阪府の吉村知事が能登半島地震で万博を縮小したり延期する可能性を否定し、「二者択一の関係ではない。万博があるから(復興の)費用が削減されるものではない」と述べたが、日本維新の会の馬場代表も万博が開催される2025年には復興が進んでいるとして、万博が「北陸の皆さんにも、新たな夢や希望を持って、明るい将来に歩みを進めてもらえるイベントになるのではないか」と述べたという。本当のバカか、人でなしだろう。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
天気予報ほどは積もらなかったが、昼過ぎまで淡々と雪が降っていた。能登半島地震後、初の降雪だ。今年は暖冬と言われているが、北陸はこれから2月の終わりまで雪の季節。被災地は道路が隆起していたり陥没していたり地割れしていたりと悪路になっているようなので、雪が降っても除雪車が通れない箇所もあるだろう。それもこれから復旧の妨げになりそうだ。 | ||
昨日、輪島市の坂口市長が市内の避難所に避難していた被災者一人が低体温症で亡くなったと発表したが、今朝、低体温症と確認できていないと訂正した。 安倍派の政治資金パーティーを巡る裏金事件で、同派衆院議員の池田佳隆議員が昨日逮捕された。 関係先にあった記録媒体が壊され、証拠隠滅を図った疑いがあるとみて調べているようだ。また、同じく安倍派の大野泰正参院議員、谷川弥一衆院議員も還流資金の不記載額が4000万円を超えるとされており、東京地検特捜部は立件する方針のようだ。特捜部には金額の多い少ないに関わらず、不正なお金を手にした議員はどんどんしょっ引いて欲しい。 俳優の中村メイコさんが昨年12月31日に亡くなったことが、昨日報道された。個人的には中村メイコさんと言えば、「連想ゲーム」だろうか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
今日は昨年の暮れにアマゾンで買った背景布、グレーのムラバックをアイロンがけした。 | ||
↑ダンボールを布の下に当て、スチームアイロンで皺をのばしていく。 ←新年最初の買い物、伸縮物干し竿の両端に付いている穴を、背景スタンドの先端にあるネジが入るようドリルで拡張した。 ↓アイロンで皺をのばした2.3X3mの背景布。背景布の色はグレーだが、その両脇に見えるカーテンもグレー。グレーと言っても幅が広い。 |
||
なかなか余震が収まらない。昨夜と今日の早朝には大きな揺れを感じる地震があり、目が覚めた。 井戸水はだいぶ透明になってきたが、地震の後から井戸水を吸い上げるポンプの様子がおかしい。井戸水を蛇口から出している時はポンプが動く音がするのは当たり前なのだが、蛇口を閉めてしばらくすると勝手にポンプが稼働して、また停止する。この繰り返し。何年か前にポンプが稼働しっぱなしになって、新しいポンプに取り替えた。そこで昨日、ポンプを取り付けてもらった近所の電気屋さんにきてもらった。新しいポンプを取り付けた後にも同じような症状が出たことがあったので、井戸とポンプの間に逆止弁を取り付けることを提案される。30分ほどで取り付けられるというのでお願いする。が、逆止弁を取り付けた後もポンプが勝手に稼働と停止を繰り返す。となると、配管や蛇口の方で微量の水漏れがあるのだろうか。 ポンプの件が解決したのでお昼ご飯の後、今年最初の買い物。近所のコメリで暮れにアマゾンで購入したグレーの背景布用の物干し竿を購入。これまで1.66〜3mの物干し竿を買っていたが、今回は100円高い2.16〜4mの伸縮物干し竿にした。 |
||
↑左はポンプの横に取り付けられた逆止弁。右は新年最初の買い物、798円の伸縮物干し竿。 |
||
コメリで物干し竿を買った後、町の大型スーパーへ。1階と2階へのエスカレーターがある吹き抜けスペースの天井パネルが地震で落下したそうで、周囲をブルーシートで覆ってあった。元旦は営業していなかったのが幸いか。スーパーでの買い物の後、ちょっと風は強かったが立山連峰がキレイに見えたので、小矢部川と町中を1時間ほど自転車で走ってきた。 | ||
時間が経つにつれ地震による死者が増え、今日の午後1時の時点で110人だったのが夜には126人に増え、今なお安否不明者は210人を数える。輪島市では建物倒壊で下敷きになったという情報が多数あり、今後も死者の数が増える恐れがある。 下の写真は沖縄から富山に戻って間もない、2014年8月1日に撮影した輪島の朝市。この朝市通りが今回の地震による火事で焼失した。友人に誘われて輪島市名舟の名舟大祭を撮影した翌日、富山へ帰る前に寄った時の写真だ。名舟大祭ではキリコという山車と、御陣乗太鼓を撮影した。こちら。あの海岸沿いに並んだ名舟の町の家々は大丈夫だったろうか。 |
||
自民、公明、立憲民主、日本維新の会、共産党、国民民主の6党は所属国会議員による能登半島地震の被災地視察について当面自粛することを申し合わせた。救助活動や支援物資輸送の妨げになるのを避けるためだというが、それで被災地支援の指示ができるのだろうか。岸田首相も「自分自身も見合わせる」というが、震災以降テレビに映るあなたの作業着姿は単なる衣装なのか。大名行列のような視察ではなく、上空からヘリで被災の状況くらい確認したらどうか。それなくして災害への予算規模も決められないのでは? 写真家の篠山紀信さんが老衰のため、今月4日に亡くなったことがニュースで伝えられた。83歳だった。そう言えば先月29日に82歳で亡くなったお笑い芸人の坂田利夫さんも老衰だった。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
元旦は能登半島地震、二日は日本航空516便と海上保安庁の航空機が羽田空港で衝突炎上、三日は北日本新聞朝刊のおくやみ欄で後輩の音楽仲間の訃報を知る。なんと目出度さのないお正月だろうか。 コタツに入って寝ると疲れが取れないので、昨晩から自分と父親は2階の寝室で就寝することにした。新年初の朝のテレビ小説『ブギウギ』の舞台は空襲後の富山県高岡市だった。 |
||
昨日辺りから余震も少なくなったので、地震で落ちたり割れたりした物を片付ける作業をした。 1階ギャラリーのサイドボードから落ちて割れたコップやグラス、小鉢などを袋に入れ、掃除機で小さなカケラを吸い取った。サイドボードには以前アマゾンで買った型ヌキがあったので、箱を開けると空だった。お腹が空いた父親が、型ヌキせずにおやつ代わりに食べたらしい。まだ半分以上残っていたのに。 |
||
1階のギャラリー兼交流スペースも2階の小さなスタジオ兼ギャラリーも素人のDIYだが、今回の震度5強にもなんとか耐えた。 | ||
壁に大きな亀裂が入ることもなく、石膏ボードの上に塗った漆喰のカケラや粉が床に落ちたくらいだ。 ←1階で一番ダメージを受けたとみられる壁。フローリング・スペースの角に亀裂があるが、漆喰部分の亀裂で石膏ボードは割れていない。 →階段の踊り場の上。こちらも漆喰に亀裂が入っているが、石膏ボードは割れていないようだ。 |
||
←壁ではなく1階の窓の横に作った長いカウンター。石膏ボードの上に木目の壁紙シールを貼ったのだが、こちらは地震の際に筋交いの棒とぶつかって、石膏ボードにもダメージがあったようだ。 ↓壁面にほとんどダメージのなかった2階のスタジオ。天井から落ちてきた木屑や壁から落ちてきた漆喰の粉などを掃除機で吸い取った。ポストカード用の額はいくつか落下したが、大きい額は傾いただけだった。 |
||
日を追うごとに能登半島地震の犠牲者が増え、石川県で死者84人となった。また安否不明者も179人に上る。富山県内の断水状況は、昨日の午後の時点で氷見、高岡、小矢部、射水の4市で1万4250戸だという。 ◯志賀原発で変圧器の配管が破損、3500リットル油漏れ…外部への放射能の影響なし この他の気になった記事を備忘録として。 |
||
まだ正月の三日だというのに、元旦に起こった令和6年能登半島地震でお正月気分はすっかり抜けて、大晦日に見た紅白歌合戦がずっと前のことのように感じられる。 |
||
大晦日は雨だったが、元旦は雲が多いながらも晴れ間もあったので午後から村の神社へ初詣に行った。この何年かはお正月がだいぶ過ぎてから初詣に行っていたので、元旦の初詣は久しぶりだ。お参りして鳥居の方へ歩いて行くと、お神酒のお金を納めに来た父親とばったり会う。 ←封筒に入れたお金を納めにきた父親。 神社を出て、1時間ほど小矢部川の土手を自転車で走る。 |
||
短いサイクリングから家に帰り、2階の自分の部屋でパソコン作業をしているとガタガタと揺れ出し、大きそうな地震なので急いで両親のいる1階の居間へ降りて行くとテレビから緊急地震速報を知らせるアナウンサーの声が。しばらくすると用事があって家に来た妹も一緒にテレビを見ていたが、嘗て経験したことのない揺れに襲われた。後で富山県内で最大震度5強を観測したと知ったが、この時の地震だろう。 頻繁に余震で家が揺れたが、2階の自分の部屋が心配になり見に行くと、入り口横の本棚からいくらか本が落ち、奥では作業台の上の21.5インチのiMacが倒れ、27インチのiMacが机から床に落下していた。 |
||
↑左は、作業台の上で倒れていた2012年に新品で買った21.5インチのiMac。右は、机から落下した昨年ヤフオクで購入した27インチのiMac。 | ||
また大きな揺れがあるかもしれないので落下したものはそのままにして、他の部屋も点検。1階の交流スペースのサイドボードからコップやグラスが床に落ちて割れていた。キッチンでは電子レンジの上に乗せてあったオーブントースターが床に落ちて中の網やトレーが飛び出していた。 | ||
↓床に落ちて割れたコップやグラス。→落下したオーブントースター。 |
||
家の中を点検して、あとはテレビの災害ニュースに釘付けだった。両親の寝室も2階だが、またいつ大きな地震が来るかわからないので、3人で1階の居間にあるコタツに入って寝た。 2日目の朝も、とりあえずお雑煮を作って食べる。富山県内でも断水している家がかなりあるようだが、家のキッチンの井戸水は地震の後も普通に出ていた。しかし、昨日は気づかなかったが水が白く濁っている。洗面所は水道水で、こちらは濁ってはいないようなので、飲み水はこちらを使うようにする。 |
||
17時頃に妹が自分の家から料理を運んできた。今日は妹家族と一緒に新年会で、大阪で料理人をしている妹の次男がご馳走を作ってくれることになっていた。コロナ禍のここ3年ほどは外へ食べに行っていて、自宅に大勢集まるのは久しぶりだ。新年会の途中に居間のテレビをつけると、羽田空港で炎が上がっていてビックリした。 | ||
↑甥っ子が作ってくれた料理。ふぐ刺し、ふぐの皮の和え物、だし巻き卵、飛龍頭(がんもどき)、ローストビーフ、豚軟骨煮、鳥の唐揚げ、イワシの梅煮、中トロとサーモンと玉子の寿司。この他に漬け物や、ふぐの出しで作ったお雑煮など腕を奮ってくれた。 ←刺身の盛り合わせ。 |
||
↑小学一年生が撮影した記念写真。 |
||
↑料理を作った甥っ子(左)と、記念写真を撮影した小学一年生(右)。 |
||
2023年12月へ |