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1月29日(月)

 雨や雪の日が続いていたが、今日は午前中は曇りで午後から青空が広がった。気温もこの時期にしては暖かかったので、色々と雑事をこなした。
自治会の配布物と回覧板

 昨日、班の各家に配るチラシや冊子、それに回覧板が自治会から届いた。それらを床に並べて、チラシを一枚ずつ冊子を一冊ずつ取り各家用にセットした。小学生から高校1年生くらいまでやっていた新聞配達の折り込み広告を仕分けする作業に似ていた。その自治会からの配布物と回覧板を、今日の午前中に届けてきた。

←自治会からの配布物。取り出し易いように、家ごとに付箋を付けておいた。

外れたチェーンの修理01
 父親が元旦に村の神社へ初詣に行った帰り、自転車のチェーンが外れて自転車を引っ張って帰ってきた。直そうと思いながら地震のバタバタで忘れていたが、ようやく修理できた。チェーンカバーの前方ギア部分をドライバーで外し、外れているチェーンをギアにかませる。カバーが無いと簡単な作業だが、カバーがあると動かせる場所が限られるので難儀した。それでも10分ほど格闘してチェーンを取り付け、潤滑油をさしておいた。
外れたチェーンの修理02
昆布の佃煮作り
 先日、1階廊下の戸棚の中から賞味期限が切れた乾燥昆布がたくさん出てきたが、午後から家の片付けの合間に、その中の一つを使って昆布の佃煮を作った。
 ビニール袋から乾燥昆布を取り出し、水を入れたボールに1時間ほど浸けてもどし、包丁で食べやすい大きさに切る。しょう油、砂糖、料理酒が入ったフライパンに昆布と白ゴマを入れ、汁気がなくなるまで煮詰める。さっそく晩ご飯のおかずにした。
完成した昆布の佃煮
 今日、出版社から確定申告用の源泉徴収書が届いた。もう、そんな時期だ。

 ゴングの創設メンバーであり、バンドのリーダーだったデヴィッド・アレン。1996年6月、ゴングとしての初来日の際に、音楽雑誌の仕事で撮影することができた。彼を撮影する前から持っていたゴングのレコードは1枚だけで、音楽的なことより彼にはヒッピーの親玉のような人という印象を持っていてそちらの方に興味があった。たぶんデヴィッド・アレンのことを知ったのは1970年代後半にクロスウインドのギタリスト、小川銀次さんから話を聞いてだったと思うが、当時、銀次さんもまたミュージシャンが集まるコミューンを作りたいという風なことを渋谷の屋根裏でビールを飲みながら話していたように記憶している。
 取材場所は六本木交差点の近くにあったホテル「アイビス」で、彼の泊まっている部屋だったと思う。インタヴュアーは大鷹俊一さんで、決して広くはない部屋で話を聞き、ポートレートを撮影した。ゴングのアルバムに宝来の銅鑼(ゴング)を使ったデザインのジャケットがあったので、撮影小道具として家にあった宝来の小さな銅鑼を持参した。
 この小さな銅鑼は自分がドラムを叩いていた時の名残りで、本当はBBAのドラマー、カーマイン・アピスのように大きな銅鑼をドラムセットの背後に置きたかったが、お金がなくて小さなものしか買えなかった。まあ、カーマイン・アピスもイントロで一発”ゴ~~ン”と鳴らしているくらいで使い道はそれほどないが、あの頃は大きな銅鑼をセッティングしているロック・ドラマーは結構居たように思う。最近はあまり見かけない気もするが、SHOW-YAの角田美喜さんがツーバスにパイステの大きな銅鑼というセッティングだったのをYouTubeで見たことがある。
 大鷹さんのインタヴューが終わり、黒の背景布の前に置いた椅子に座ってもらった。小さな銅鑼ともう一つ撮影小道具としてカメラバッグに入れておいた壊れた額縁を取り出し、それを担当編集者に持ってもらった。細かい説明をしなかったが、どういう風な写真を撮りたいか察した彼が壊れた額縁越しにポーズを決めてくれた。銅鑼あり銅鑼なしの2パターンを撮影した後、こちらから求めたわけではないのに、その宝来の銅鑼にサインを入れて返してくれた。名前の下にPlanet of Gong、そしてイラストが添えられていた。
 この初来日以降、ゴングは何度も来日し、2009年にはFUJI ROCK FESTIVALにも出演している。残念ながら2015年3月13日に77歳で亡くなってしまったが、彼の場合、宇宙に帰ったという表現の方があっている気がする。
 この時の大鷹さんのインタヴューは、こんな会話で閉められている。

ーーじゃあ最後に、宇宙人はいると思いますか?
「ハハハ。いないとする証拠はないよね」
ーー会ったことは?
「きっと。どこかで。たぶん」

デヴィッド・アレン
サインが書かれた宝来の銅鑼
 1973年のデヴィッド・アレン、「I Never Glid Before-Live1973/Gong」。2009年のデヴィッド・アレン、「GONG@苗場FUJI ROCK FESTIVAL」。

1月27日(土)

 1階の廊下にある戸棚や収納ボックスの中と、廊下に続く縁側の奥にある押入れの中をちまちまと片付けている。以下、そこから出てきたモノたち。
ボックスティッシュと鏡餅
↑ティッシュ7箱(左)と、押入れの中にあった昨年と一昨年の鏡餅(右)。鏡餅は真空パックなので食べられるかな?
包丁と保存バッグなど
↑押入れにあった包丁(左)。5本セットの包丁は3本だけになっていた。廊下の戸棚にあった各種透明保存バッグなど。
寒天とすし太郎と調理器具
↑賞味期限が13年前の寒天と11年前のすし太郎(左)。押入れで眠っていた調理器具各種(右)。
簡易まな板と電気プレート
↑簡易まな板。中央の赤くて丸いものは適温計だそう(左)。いつ頃製造のものかわからない新品の電気プレート(右)。
グラスのセット
電気ポット
↑サンキストと森永のグラス。→電気ポット。

 1974、75年に起きた連続企業爆破事件で指名手配されていた桐島聡容疑者と見られる男が神奈川県内の病院で見つかり、「最後は桐島聡で死にたい」と話しているそうだ。昨日、このニュースが流れた時に桐島聡という名と顔写真にピンときた。駅などに貼られていた指名手配犯の名前と顔で、もう半世紀近く逃亡しているのでそれだけ長くポスターも貼られていたのだろう。

 福島第1原発2号機の溶け落ちた核燃料(デブリ)を取り出す作業の着手が延期になった。延期はこれで3回目となる。2017年から国費を投じて開発してきたロボットアームの性能不足が原因のようだ。一説にはロボットアームの開発には80億円が投下されている。事故からやがて13年経つが、推計約880トンに上るとされる1〜3号機内のデブリは未だ1gも取り出せていない。こんな状態で新型原子炉の開発や建設などおこがましいだろう。

 河野太郎デジタル相は「マイナンバーカードはデジタル社会のパスポートとして、平時の便利だけでなく有事の安心にもつながるもの。マイナンバーカードをお持ちのかたは、タンスに入れておくのではなく、現時点ではぜひ財布に入れて、避難する際などに一緒に避難していただければと思っている」と、能登半島地震を念頭にマイナンバーカードの普及を進める発言をしているが、「停電ならただのカード」とSNSで批判する声が上がっているそうだ。そもそも大分県保険医協会が県内の医療機関にマイナ保険証のトラブル調査をしたところ、回答した117医療機関のうち半数以上に当たる65機関で、昨年10月以降にカードの読み取り不具合などのトラブルが発生したというポンコツなシステム。平時でなく有事にカードのトラブルが起これば、現場は余計に混乱するだろう。

 <加速する「安倍派外し」に高まる恨み節 閣僚・党役員に続き、国会の委員長ポストも一挙に交代>。こういう記事を見ると、吉田拓郎の「アジアの片隅で」が浮かんでくる。
ひと晩たてば 政治家の首がすげかわり 子分供は慌てふためくだろう
闇で動いた金を 新聞は書きたてるだろう
ひと晩たてば 国境を戦火が燃えつくし 子供たちを飢えが襲うだろう
むき出しのあばら骨は 戦争を憎みつづけるだろう
アジアの片隅で 狂い酒飲みほせば アジアの片隅で このままずっと
生きていくのかと思うのだか

 この他の気になった記事を備忘録として。
能登半島地震でトイレどうした 女性も「連れション」切実な実態 必要な備えは
2023年の日本 アナログレコード生産金額が34年ぶり60億円超え
ドライバーでパソコン破壊か 池田議員と秘書を起訴 安倍派裏金事件
「野音」の再整備 民間から応募なく都が実施へ 使用期間延長も
関電、2年間に12億円申告漏れ 原発テロ対策費など、大阪国税局
英国の小規模ライヴハウス 3分の1以上が赤字 生活費や家賃が高騰

1月24日(水)

 昨日からの寒波により岐阜県内で大雪が降り、名神高速で車の立ち往生が相次いだという。富山の平野部は昨晩から今朝までが降雪のピークで、今日の日中はときおり雪がちらつく程度で更に積もることはなかった。雪よりも昨日の夕方から夜にかけての落雷が凄く、雷が止むまで用心のためパソコンやディスプレイ、外付けハードディスクなどはコンセントから外しておいた。
 下の写真は今朝の積雪の風景。これ以上積もることはなかった。
今朝の積雪
 明日は初天神(天神講)。昨年暮れに床の間に飾った天神様の掛け軸を仕舞い、天神様にお帰りいただく日だ。そこで今晩は天神様にご馳走を供えておもてなしをする。幸い予報より雪が少なかったので、自転車でスーパーまで行きにぎり寿司といなり寿司を買ってきて掛け軸の前にお供えした。神棚にも2つお供えし、晩ご飯にそのお下がりをいただいた。
↓天神様にお供え。→右の掛け軸が天神様。
天神様の掛け軸
天神様へのお供え
1階廊下の片付け

 今日は午前中から1階の廊下を少し片付けた。収納棚や収納ボックスの中や上に置いてある箱を開けて、中身を点検。一番多かったのがタオル。たぶん、この家の中に封も切ってないタオルが数百本はあると思う。また、賞味期限の切れた乾燥昆布もたくさん見つかった。また、空き箱も多く、それらは潰して廃棄処分することに。

←1階の廊下に並んだ棚や収納ボックス。手前にはもう使っていない冷凍庫や冷蔵庫もある。

昆布とタオル
↑たぶん引き出物の中に入ったいたと思われる昆布はどれも賞味期限切れ(左)。開封されないまま積んであったタオル(右)
キッチン用品とタオル
↑銀行や郵便局からもらったと思われるキッチン用品も多数ある(左)。庭に面した縁側の押入れからも洗剤が3つ出てきた(右)。
 変わったところではMARIO VALENTINOというイタリアのファッション・ブランドのプラスチック製フィルム・カメラが出てきた。何かのノベルティ・グッズだろうか。箱の中には薄型のラジオも同数されている。
↓→MARIO VALENTINOのフィルム・カメラ。
フィルムカメラ02
フィルムカメラ01
 頂き物は最初に神棚にお供えするので、神棚の下には頂き物の箱がたくさん積まれている。そのほとんどが空箱だったので、こちらも潰して廃棄処分に。一番奥からプラ容器に入った濃口醤油6本入りの箱が出てきたが、こちらも遥か昔に賞味期限が切れていた。
神棚の下

 かしまし娘の正司歌江さんが19日に亡くなった。94歳、老衰だそうだ。最近はお正月のお笑い番組を全然見なくなったが、小学生の頃はお正月の漫才もわりと楽しみにしていた。かしまし娘をよく見ていたのは、これくらいの頃だろうか。うちら陽気なかしまし娘〜♪妹の照枝さんも90歳、花江さんも87歳か。

 この他の気になった記事を備忘録として。
TBS「方言禁止」企画は「戦前の方言札思わせる差別」 SNSで批判 沖縄の歴史的背景を検討せず
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裏金おとがめなしの安倍派5人組、言い訳と開き直りと沈黙 処分を求める党内の声に岸田文雄首相は…
地震で孤立した集落は原発から避難できない 弁護士ら、全国の原発停止と避難計画の見直しを求める意見書
国会議員じゃない会計責任者が起訴され、派閥幹部「おとがめなし」の不条理 「秘書が…」で逃げ切る大甘ルール
立山町芦峅寺「オンバサマのお召し替え」、記録すべき無形文化財に 国の文化審答申
フロッピーディスクの使用指定を廃止 経産省

1月22日(月)

 今日で能登半島地震の発生から3週間が経った。一昨日石川県は住宅被害が3万棟を超えたと発表したが、被害の大きい輪島市と珠洲市は全容が分からずほとんど集計に含まれていないので、まだまだ増えることが予想される。また、今なお石川県では5万世帯が断水しており、水道の仮復旧は2月末〜3月末の見通しだという。断水が5万世帯に対して停電は現在、約5600戸だ。これは地中にある水道管より地上にある電線の方が直しやすいということもあるのだろうか。電線の地中化を進める動きもあるが、今回のような大きな地震が起こった時に停電の復旧に時間を要することにならないだろうか。
 富山県の住宅被害も日が経つにつれ少しずつ増え、昨日の時点で4239棟に上り、全壊23棟、半壊97棟などとなっている。また、断水が続いていた氷見市の水道が昨日、完全復旧した。
 29年前の阪神・淡路大震災の後も新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震があり、この他に毎年のように豪雨や土砂災害にも見舞われていながら、避難所生活の改善が進まないのは何故だろうか。昨日のサンデーモーニングで青木理氏が断水している避難所のトイレの不衛生さを指摘し、トイレトレーラーの導入について触れていた。断水していなくても一カ所に大勢の人が集まる避難所のトイレは汚れて、不衛生になりがちだ。今日の毎日新聞に<被災地に安心も届けるトイレトレーラー 3市1町の16カ所に派遣>という記事が掲載されており、トイレトレーラーの有り難みが語られている。この記事によればトイレトレーラー の価格は1台約2300万円と決して安いものではないが、災害大国の日本には必要なものだろう。自治体の予算で賄うのは大変だろうが、国が防災の予算として計上して各自治体へ配備することはできないのだろうか。高価といってもオスプレイ1機を買うお金で、400台ほど購入できるはず。災害大国日本にまず必要なのはオスプレイやトマホークではなく、レッドサラマンダーやトイレトレーラー だろう。

 住んでいる地区は16の班に分かれており、家は16班になる。世帯数は13世帯で、一年ごとに持ち回りで班長を務める。今年は自分の家の番で、昨年末に班長の札やら出納帳などを引き継いだ。
 昨日、地区の自治会定期総会が集会所で開かれた。 班長は父親の名前になっているが、もう91歳なので出席できるときは出席してもらい、その場合も自分が付き添うつもりだが、昨日はあいにくの雨模様だったので自分一人で参加してきた。
 直ぐに終わるものかと思っていたら、事業報告や監査報告など7つの議案報告や新しい自治会長の選任などもあり、午後2時に始まった総会が終了したのは午後4時過ぎだった。

班長の札

 総会では班長に世帯数分の年賀のタオルと令和6年度の定期総会議案書が配られた。総会には班の方が3名出席されていたのでその場でお渡しし、残りは帰宅してからご挨拶を兼ねて一軒ずつ家をまわって配った。1軒のお宅が留守だったので、こちらは今日の午前中に届けてきた。

←玄関の横に下げた班長の札。

↓左は班の家に配る議案書と年賀タオル、右は総会でいただいた蒲鉾詰め合わせ。

班の家に配る議案書とタオル、年賀でいただいた蒲鉾

 富山県選出の安倍派の国会議員、野上浩太郎氏と田畑裕明氏も派閥からのキックバックをもらっていながら収支報告書に不記載であったことを認めた。その額は野上氏が3年間で100万円、田畑氏は4年間で68万円。両氏ともお金は事務所で管理し使用しておらず、事務所側は違法性の認識はなかったとしている。今回の派閥パーティー券の裏金問題で違法性の認識がなかったというのを言い訳のようにしているが、国会議員というのは法律を作る立場の人たちで、そのような人たちがキックバックについて違法性の認識がなかったというなら立法機関に携る資格はないだろう。議員を辞職して一からやり直したらどうかと思う。
 能登半島地震の被災地、石川県の馳知事も衆院議員時代に安倍派から819万円のキックバックを受け、政治資金報告書に記載していなかったことを明らかにした。地検特捜部は派閥の会計責任者と3000万円以上の高額な裏金を受け取っていた議員以外は不起訴にしたが、野上氏、田畑氏、馳氏などは脱税の罪でも問えるのではないだろうか。

 共産党の新しい委員長に田村智子氏が就任したことを良い選任だと先日書いたが、なんでこうなるのか。党が組織として硬直しているのだろうか。

 「Feel Like Makin' Love」などで知られる女性ヴォーカリスト、マリーナ・ショウが19日(日本時間20日)に亡くなった。81歳だった。

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1月19日(金)

 元旦の地震発生以来、1階のコタツがある部屋で寝ていた母親も、昨日から2階の自分の部屋で寝ることにした。母親の部屋にはタンスがいくつかあるので、倒れてこないようタンスの前にポールを立てておいた。

 2万棟以上の家屋被害が発生した石川県と比べれば少ないが、富山県でも家屋被害は4100棟に上り、うち全壊が23棟、半壊92棟となっている。これらの家屋のうち、どれだけの家が地震保険に加入していたのだろうか。
 地震保険の加入率は全国平均で69.4%だが、石川県は平均以下の64.7%、富山県も63.5%に留まっている。実は、自分の家が地震保険に加入したのは、元旦の地震が発生する何日か前だ。それも、これまで火災保険にも入っていなかったことが先月判明し、急いで県民共済の常設店舗に行き、ついでに地震保険にも加入した。県民共済は加入月は無料なので、月末に加入するより月初めに加入する方がお得だと担当者からアドバイスをもらい年明けに申し込むという案もあったが、一刻も早く安心したくて月末に加入した。そのお陰で元旦の地震の際に、「保険がある」と少し心に余裕が持てた。幸い地震保険のお世話になるほどの被害もなかったけれど。
 能登半島地震で記録した富山県の震度5強は観測史上初めてと言われるが、天正13年(1586年)に起きた天正地震(諸説あるがM7.8)では県西部、現高岡市にある木舟城が倒壊し、城主の前田秀継夫妻など多数が亡くなり城下町も崩壊したとされる。
 高岡御車山祭りで知られる山町筋にある木舟町は、天正地震で崩壊した木舟城のあった木舟村から移住した人たちが作った町だと言われている。

木舟城跡
↑家から自転車で20分ほどの距離にある、天正地震で倒壊した木舟城跡。

 昨日行われた党大会で、共産党は志位委員長が交代し、新しい委員長に田村智子氏が選任された。共産党の委員長に女性が就任するのは初めてだそうだ。個人的には良い選任だと思う。
 社民党は福島瑞穂氏が党首、立憲民主党も蓮舫さんが党首を務めてはどうかと思う。土井たか子さんが党首時代の社会党で起こったマドンナ旋風は冷めて見ていたくらいで女性だから良いとは思わないが、野党には優秀な女性議員が居ることは確かだろう。

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 一昨年から昨年にかけて父親の仕事場だった1階と、その上の物置だった2階を小さなギャラリーとスタジオにリフォームした。また、懸案だった平屋部分の錆びたトタン屋根も、昨年の秋にペンキを塗ってこれ以上腐蝕するのを防いだ。あとリフォームしたいのは台所だ。床の合板の接着が剥がれて、歩くと沈む箇所がいくつかある。また、使わない食器を並べたサイドボードや戸棚、収納ボックスが所狭しと並んでいるので動線が悪く居心地もよくない。しかし、リフォームするには台所と1階の廊下にある棚などを整理しないとならない。そこで昨日、1階廊下の奥にあるスチール棚を整理したら洗剤がたくさん出てきた。銀行や新聞販売店からもらったのだろう。化粧箱に入ったままのタオルケットもあった。新品のデジタル体重計もあって、これは妹が持って行った。2階の押入れには未使用のタオルがぎっしり詰まったプラスチックの衣装ケースが2つもある。春までに少しずつでも家の中の物を整理したいと思う。
片付けで出てきたたくさんの洗剤
↑1階廊下の奥のスチール棚から出てきた、たくさんの洗剤。

1月17日(水)

 今日で阪神・淡路大震災から29年が経った。この日が来ると中国のロック・バンド、黒豹(ヘイバオ)楽隊を思い出す。
 ビクターの仕事で、1995年1月13日から16日まで北京・南京・北京と移動し黒豹のアーティスト写真とライヴを撮影、成田からタクシーに乗り16日の夜中に家に帰り着いた。
 翌日の17日早朝に阪神淡路大震災が起こった。もっともこの頃は家にテレビはなく新聞も購読していなかったので、地震のことを知ったのはその日の夕方、デザイン事務所へ向かうため最寄りの駅へ行きホームの売店に並んだ新聞の号外を見てだった。
 黒豹は、今も北京で活動を続けている。ボーカルとキーボードはメンバーチェンジしたが、ギターの李彤、ベースの王文傑、ドラムの趙明義は変わらず黒豹でプレイしている。こちらに、2022年のライヴがある。ギターの李彤は長かった髪を短くしている。彼も今年還暦になる。
南京での黒豹のコンサート
↑1995年1月、南京の体育館で行われた黒豹のコンサート。

 能登半島地震で大きな被害が出た石川県の家屋被害が昨日の時点で2万803棟に上るそうだ。しかし、輪島市や珠洲市、能登町では被害が甚大で把握できておらず多数としている。今後、状況が明らかになってくれば被害家屋の数はさらに増えるだろう。
 この被害を受けた家屋の解体と撤去、そしてその災害廃棄物の処理がこれから問題になってくる。2万棟以上ある家屋の災害廃棄物を捨てる場所が、石川県内だけで確保できるのだろうか。
 維新の馬場代表が今回の能登半島地震を受けて世論で高まる万博中止論に、「万博は震災復興につながる」と反論しSNSで批判を浴びている。当たり前だ。建設業、輸送業の人手や建設資材の調達も難しい中、大阪万博が震災復興の妨げになりこそすれ、復興につながるわけがない。ましてや万博が被災した北陸に夢と希望など与えられるわけがない。
 大阪万博もカジノ建設も中止し、夢洲の本来の役割だった産廃処分場として能登半島地震の産廃も一部引き受けたらどうか。夢洲は、建設残土や一般ゴミの最終処分場として埋め立てられた土地だ。万博の後はカジノを含む統合型リゾートの建設が予定されているが、そもそも建築物の建設を予定されていない埋め立て地なので地盤沈下の心配もされている。

 今日、2024年のお年玉付き年賀はがきの当選番号が決まった。昨年は3等の切手シートが3枚も当たったが、今年は何もなしだった。切手を集めているわけではないが、一枚も当たらないのはちょっと寂しい。昨年2枚でいいから、今年も1枚くらい当たって欲しかった。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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りんごジャム

 年明けにりんごをたくさん貰ったので、一昨日、その中の4つを使いりんごジャムを作った。
 先月作った柚子とりんごのジャムは、柚子皮の苦味を取るのに何度も湯がかなくてはならず少し面倒だったが、りんごジャムは薄く切って砂糖と一緒に煮詰めるだけなので手間もかからず簡単だった。

←美味しく出来た手製のりんごジャム。

 スティーヴ・ガッドのドラム・ソロを初めて聴いたのはstuffのアルバムだったろうか、スティーリー・ダンのアルバム『エイジャ」だったろうか。それまでのジャズ・ドラマーのドラム・ソロともロック・ドラマーのドラム・ソロとも違うプレイはとても刺激的だった。スティーヴ・ガッドの登場前と後でドラム・ソロが大きく変わったと個人的に思っている。二つ打ち、パラディドル、手と足による3連譜。多彩なルーディメンツを駆使して作り出すドラムのフレーズは、とても豊かな表情とグルーヴがあった。
 自分自身は1980年代の半ば、25歳くらいでドラマーの道を諦めたので、それ以降のドラマーについての知識は皆無で、ハービー・メイソンやスティーヴ・ガッドから更新されていない。
 レコード・コレクター紳士録の取材で、スティーヴ・ガッドのコレクターという人に会ったことがある。ボサノバのコレクターとして取材させていただいたのだが、個人的にスティーヴ・ガッドと親しいそうで、ご自宅にガッドが遊びに来たこともあるという。しかし、スティーヴ・ガッドが参加したレコードをコレクションしようと思うと、一人のシンガー・ソング・ライターのアルバムをコレクションするよりも大変ではないかと思う。取材した1999年当時で、ガッド関係のアルバムはざっと600枚保有されていた。
  stuffのファースト・アルバム『スタッフ!!』の発売が1976年、スティーリー・ダンの『エイジャ』の発売が1977年。そこからもう45年以上が経ちスティーヴ・ガッドは78歳だが、未だ現役でプレイしている。
 今月の20日、スティーヴ・ガッドが率いるバンドのコンサートが石川県立音楽堂 邦楽ホールで行われる
 YouTubeからスティーヴ・ガッド圧巻のドラム・ソロ「Steve Gadd Gang Jazzfestival Bern 1989 Drumsolo」。

新しいトップ画面

←松の内も過ぎたので、トップ画面を模様替え。神通川を挟んで旧大沢野から見た、旧細入地区。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面

1月14日(日)

 雪は昨日の夕方ごろに止んだが、今朝は快晴で放射冷却もあり、今季一番の寒さとなった。家の中の水道は凍らなかったが、外に出ている井戸水の蛇口は凍ってまわらなかった。温くなった湯たんぽのお湯をかけて、ようやく蛇口を捻ることができた。
積雪
正月飾り

 今日の午後3時から地区の公民館のグラウンドで左義長が行われるので、玄関につけた正月飾りや、神棚に置いてあったお札や榊などを持って行った。これまで父親が持って行っていたが、お正月に神社へ行った帰り父親の自転車のチェーンが外れてしまったので、代わりに行ってきた。

←左義長で燃やす正月飾りなど。

↓公民館のグラウンドで行われた左義長。子供たちが書き初めを燃やしていた。

左義長
 奄美大島に滞在していた2年間で、何度も大型フェリーを見た。にっぽん丸が一番たくさん寄港したと思うが、ぱしふぃっくびーなす、オランダ船籍のザーンダム号も多くの観光客を乗せて名瀬の観光バースに入港した。変り種は、2011年11月にやって来た高速フェリー、ナッチャンWorldだろうか。このフェリーは、奄美大島で演習を行なっていた自衛隊の車両を運搬するために使用された。
 防衛省は、自衛隊の海上輸送力確保のため、民間企業の高速マリン・トランスポート株式会社と契約を結び、ナッチャンWorld、はくおう の2つの大型船を運用している。能登半島地震で被害を受けている七尾市の七尾港に、昨日、この全長199.5メートル、1万7345トンの大型フェリーはくおうが入港し、今日から被災者の船上避難場所として使われるようだ。また、これからナッチャンWorldも災害対策拠点用に七尾港に入港する予定だという。
 元旦の地震が起こった時に、名瀬港で見たナッチャンWorldが頭に浮かんだ。ナッチャンWorldは旅客定員508名、車両積載数はトラック50台、乗用車110台となっている。自衛隊の救援車両を積んで現地に赴き、現地に到着したら被災者の宿泊施設として活用できないだろうかと思っていた。しかし、震災から日にちが経ってもそんな気配もなく報道もないので、海岸が隆起し大型フェリーの寄港できる港がなくなったのだろうかと思っていた。それが昨日になって、七尾港への入港報道だ。もう少し早く、この民間大型フェリーの活用をできなかったのだろうか。ちなみに、防衛省は令和6年度の概算要求で、この2隻を確保するために325億円を計上している。
 2つの船が何処にいたのかわからないが、仮に母港の北海道にいたとしても時速60キロのナッチャンWorldならもっと早く被災地に入港し救援活動ができたのではないか?これまでの大震災と比べても自衛隊の現地入りが遅く、また人数も小出しだという批判がある。自衛隊の責任というより自衛隊へ派遣要請する国や県の責任で、トップの災害への認識の甘さが問題だったのだろう。
  自衛隊の最高指揮監督権を持つ総理大臣が、発災から明日で2週間という今日になってようやく被災地を訪れた。とことん国民と向き合わない人だな〜と思う。
ナッチャンworld01
ナッチャンworld02
↑2011年11月、自衛隊の車両を運搬するため奄美大島の名瀬に入港したナッチャンWorld。

 能登半島地震では国の登録有形文化財となっている輪島市門前町にある曹洞宗の総持寺祖院や、輪島市町野町にある国の重要文化財である上時国家住宅も倒壊の被害にあっている。
 下の写真は、2018年2月9日に撮影した上時国家。

上時国家

 今回の地震で能登半島の北側にある海岸線が隆起した。幸い志賀原発のある海岸では隆起がなかったようだが、今後も地震による隆起や沈下がないとは言えない。
 福島第一原発事故は津波による外部電源喪失が引き金と言われているが、もし志賀原発の冷却水を取り入れている取水口のある海岸が隆起したらと思うとゾッとする。
 原子力規制委員会は地震対策の見直しが必要か検討するというが、発災直後異常は見られないとしていた志賀原発に油漏れやモニタリングポストの故障、そして津波が押し寄せてきたことも発覚した。また、発災から2週間が経とうとしているが、今なお孤立集落に取り残されている人がいる現状を考えると、もし原発事故が起こった時には避難できない人が多数出ることが考えられる。それらを勘案すると志賀原発、いや国内の原発は今後廃炉一択しかないのではないかと思う。

 東京地検特捜部が自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金問題で、会計責任者は政治資金規正法違反で在宅起訴するようだが、歴代事務総長など幹部議員については会計責任者との共謀の立証が困難との見方を強めているという。しかし、会計責任者は裏金作りをしてもメリットがあるわけではなく裏金を享受するのは議員なので、少しでも裏金を手にした議員は逮捕するのが法治国家であり民主主義国家の役目だろう。地検はそれを放棄するのだろうか。

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1月10日(水)

 年明けから毎日毎日驚くようなニュースが飛び込んでくる。
 昨日の夕方6時台の民放のニュース番組を見ていたら、速報として八代亜紀さんの訃報がテロップで流れてきた。しかし、6時台のニュース番組では続報が流れず、詳細を知ったのは7時のNHKニュースだった。
 下の写真は2008年6月に、「NO,PET NO,LOFE ペットと私」という雑誌連載で撮影したもの。八代亜紀さんの事務所兼自宅の中庭で、愛犬のゴン太と一緒に撮らせていただいた。
 基本的に取材相手にサインを貰うことは慎んでいる。なので、八代亜紀さんにもその場でサインをいただくことはなかったのだが、撮影したゴン太と一緒の写真を本人から欲しいと言われたので何枚かプリントを送り、その中に手紙ともう一枚プリントを添えた。
 手紙には父親が八代亜紀さんのファンなので、プレゼントした写真とは別に同封したプリントにサインをいただけないでしょうかというお願いを書いた。
 後日、サインを入れたプリントとオフィシャル・グッズが送られてきた。
 YouTubeから「雨の慕情」「舟唄」。
八代亜紀さんとゴン太
↑2008年6月11日撮影。ゴン太も昨年亡くなったようだ。
 地震から1週間は震度7クラスの余震に注意という気象庁の呼びかけがあったが、1週間が過ぎたら今後1ヶ月程度は震度5強の余震に注意へと変わった。しかし、いつまでもデスクトップ・パソコンを床に置いておくわけにもいかないので、昨日、それぞれ定位置に戻した。もう余震も少なくなったし、と思っていたら夕方に少し大きな揺れがあって、急いで1台また床に戻した。
 地震直後から井戸水が濁っていたので、飲料水には水道水とペットボトルの水を使っていたが、井戸水も濁りが無くなってきたので、昨日から飲料水に使用している。
 少しずつ日常を取り戻さないと、と思い1ヶ月に1度行っている使用していない大型ストロボの通電をした。なんだか最近は、ストロボとは照明機材ではなく通電するだけのものになっている。
元旦の地震で倒れたり落下したiMac
↓元旦の地震でテーブルの上で倒れたり、机から床に落下したiMacをそれぞれの定位置に戻した。
作業台に戻した21.5インチのiMac
机に戻した27インチのiMac
ストロボの通電作業
1階ギャラリーのサイドボードに戻したコップなど
↑ストロボの通電。→1階ギャラリーの鉢植えやコップも定位置に。

 先日、大阪府の吉村知事が能登半島地震で万博を縮小したり延期する可能性を否定し、「二者択一の関係ではない。万博があるから(復興の)費用が削減されるものではない」と述べたが、日本維新の会の馬場代表も万博が開催される2025年には復興が進んでいるとして、万博が「北陸の皆さんにも、新たな夢や希望を持って、明るい将来に歩みを進めてもらえるイベントになるのではないか」と述べたという。本当のバカか、人でなしだろう。
 大阪万博の会場となる夢洲は、建設残土や一般ゴミの最終処分場として埋め立てられた土地だ。万博の後はカジノを含む統合型リゾートの建設が予定されているが、そもそも建築物の建設を予定されていない埋め立て地なので地盤沈下の心配もされている。
 万博が被災者の新たな夢や希望になるわけがなく、建設業・輸送業の人手不足がいわれる現状で万博と速やかな被災地復興の両立など叶うわけがない。これから被災した能登を復興させるには、瓦礫と化した建築物を先ずは処分しなくてはならないが、その処分先を確保するのも大変だろう。大阪万博もカジノ建設も中止し、夢洲の本来の役割だった産廃処分場として能登半島地震の産廃も一部引き受けたらどうか。

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1月8日(月)

 天気予報ほどは積もらなかったが、昼過ぎまで淡々と雪が降っていた。能登半島地震後、初の降雪だ。今年は暖冬と言われているが、北陸はこれから2月の終わりまで雪の季節。被災地は道路が隆起していたり陥没していたり地割れしていたりと悪路になっているようなので、雪が降っても除雪車が通れない箇所もあるだろう。それもこれから復旧の妨げになりそうだ。
積雪

 昨日、輪島市の坂口市長が市内の避難所に避難していた被災者一人が低体温症で亡くなったと発表したが、今朝、低体温症と確認できていないと訂正した。
 一昨日の夜、倒壊した家から124時間ぶりに90代の女性が救出されるという小さな希望もあったが、以降は生存者の救出はなく死者の数は確実に増えており、今日の午後2時の時点で昨日より40人多い168人となった。安否不明者も増え323人となっている。
 被害の大きい輪島市では開設された避難所160カ所のうち、市の指定避難所は35カ所にとどまり、8割近くが自主避難所や臨時開設した避難所だそうだ。道路が寸断され孤立した集落も多いからだろう。そんな中、習志野演習場で昨日、陸上自衛隊の第1空挺団を含む8カ国の空挺部隊による「降下訓練始め」が行われたそうだ。どう考えても千葉で降下訓練するなら、その空挺団を孤立している能登に派遣して物資の運搬・救助にあたってもらうのが本来の役目だと思うが。
 政府は国防だ敵基地攻撃だと勇ましいが、災害大国の日本に必要なのはオスプレイやトマホークなどよりも、まだ全国で2台しかない消防の大型水陸両用車レッドサラマンダーの多数配備や、避難所設備のアップグレードだろう。レッドサラマンダーの価格は1億1000万円らしいが、あの緊急着陸ばかりして遂に墜落事故まで起こしたオスプレイの価格は1機あたり100億円前後という。オスプレイ1機で、レッドサラマンダーが各都道府県に2台配備できる。
 ちなみにそのオスプレイは11月29日の屋久島沖墜落事故を受け、米軍は全機飛行停止を決め、普天間飛行場のオスプレイも昨日で飛行停止1カ月となった。政府は抑止力維持の観点から運用停止の長期化を懸念しているというが、単なる輸送機にどんな抑止力があるというのだろうか。

 安倍派の政治資金パーティーを巡る裏金事件で、同派衆院議員の池田佳隆議員が昨日逮捕された。 関係先にあった記録媒体が壊され、証拠隠滅を図った疑いがあるとみて調べているようだ。また、同じく安倍派の大野泰正参院議員、谷川弥一衆院議員も還流資金の不記載額が4000万円を超えるとされており、東京地検特捜部は立件する方針のようだ。特捜部には金額の多い少ないに関わらず、不正なお金を手にした議員はどんどんしょっ引いて欲しい。

 俳優の中村メイコさんが昨年12月31日に亡くなったことが、昨日報道された。個人的には中村メイコさんと言えば、「連想ゲーム」だろうか。

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 今日は昨年の暮れにアマゾンで買った背景布、グレーのムラバックをアイロンがけした。
背景布のアイロンがけ
穴の拡張

↑ダンボールを布の下に当て、スチームアイロンで皺をのばしていく。

←新年最初の買い物、伸縮物干し竿の両端に付いている穴を、背景スタンドの先端にあるネジが入るようドリルで拡張した。

↓アイロンで皺をのばした2.3X3mの背景布。背景布の色はグレーだが、その両脇に見えるカーテンもグレー。グレーと言っても幅が広い。

背景スタンドにセットしたグレーのムラバック

1月6日(土)

 なかなか余震が収まらない。昨夜と今日の早朝には大きな揺れを感じる地震があり、目が覚めた。

 井戸水はだいぶ透明になってきたが、地震の後から井戸水を吸い上げるポンプの様子がおかしい。井戸水を蛇口から出している時はポンプが動く音がするのは当たり前なのだが、蛇口を閉めてしばらくすると勝手にポンプが稼働して、また停止する。この繰り返し。何年か前にポンプが稼働しっぱなしになって、新しいポンプに取り替えた。そこで昨日、ポンプを取り付けてもらった近所の電気屋さんにきてもらった。新しいポンプを取り付けた後にも同じような症状が出たことがあったので、井戸とポンプの間に逆止弁を取り付けることを提案される。30分ほどで取り付けられるというのでお願いする。が、逆止弁を取り付けた後もポンプが勝手に稼働と停止を繰り返す。となると、配管や蛇口の方で微量の水漏れがあるのだろうか。
 水漏れがないか調べるために、自分で床下に潜り込むが濡れたり湿った場所はない。水道の蛇口付近を調べるため流し台を壁から外して壁の中も調べるが漏れている形跡はない。電気屋さんは他にも修理を依頼されている家があるので、また戻ってくると言って、そちらへ向かう。トイレと洗面所は水道水で、井戸水はキッチンと洗濯場、屋外とお風呂で使っている。まさか・・・と思い風呂場を覗くと、蛇口からポタン、ポタンとしずくが落ちていた。大晦日にお風呂に入った後、蛇口をしっかり閉めていなかったのだろう。元旦の地震以来井戸水が濁っていたのと、お風呂に入っている間に大きな余震があると怖いのでお風呂を使っていなかったので気がつくのが遅れた。些細なうっかりで、取り付けなくてもよかった逆止弁を取り付け、本来使わなくても良いお金を使うことになってしまった。井戸水の汲み上げポンプと格闘している間に、妹と両親で山の方の霊園にある木原家のお墓が倒れていないか見てきてもらった。近くにあるお墓も含めて倒れている墓石はなかったそうだ。

 ポンプの件が解決したのでお昼ご飯の後、今年最初の買い物。近所のコメリで暮れにアマゾンで購入したグレーの背景布用の物干し竿を購入。これまで1.66〜3mの物干し竿を買っていたが、今回は100円高い2.16〜4mの伸縮物干し竿にした。

逆止弁と伸縮物干し竿
↑左はポンプの横に取り付けられた逆止弁。右は新年最初の買い物、798円の伸縮物干し竿。
 コメリで物干し竿を買った後、町の大型スーパーへ。1階と2階へのエスカレーターがある吹き抜けスペースの天井パネルが地震で落下したそうで、周囲をブルーシートで覆ってあった。元旦は営業していなかったのが幸いか。スーパーでの買い物の後、ちょっと風は強かったが立山連峰がキレイに見えたので、小矢部川と町中を1時間ほど自転車で走ってきた。
立山連峰
 時間が経つにつれ地震による死者が増え、今日の午後1時の時点で110人だったのが夜には126人に増え、今なお安否不明者は210人を数える。輪島市では建物倒壊で下敷きになったという情報が多数あり、今後も死者の数が増える恐れがある。
 下の写真は沖縄から富山に戻って間もない、2014年8月1日に撮影した輪島の朝市。この朝市通りが今回の地震による火事で焼失した。友人に誘われて輪島市名舟の名舟大祭を撮影した翌日、富山へ帰る前に寄った時の写真だ。名舟大祭ではキリコという山車と、御陣乗太鼓を撮影した。こちら。あの海岸沿いに並んだ名舟の町の家々は大丈夫だったろうか。
輪島の朝市01
輪島の朝市02

 自民、公明、立憲民主、日本維新の会、共産党、国民民主の6党は所属国会議員による能登半島地震の被災地視察について当面自粛することを申し合わせた。救助活動や支援物資輸送の妨げになるのを避けるためだというが、それで被災地支援の指示ができるのだろうか。岸田首相も「自分自身も見合わせる」というが、震災以降テレビに映るあなたの作業着姿は単なる衣装なのか。大名行列のような視察ではなく、上空からヘリで被災の状況くらい確認したらどうか。それなくして災害への予算規模も決められないのでは?
  今回の地震で輪島港など各地の漁港やその周辺で海面水位が低く見える現象が起きており、海底が隆起したのではないかと推測されている。富山県射水市の新湊沖に仕掛けられたカニ籠や、定置網などにも地震による海底の地形変化による被害が出ているようだ。
 また、富山県内のホテルや旅館への宿泊キャンセルは5000人に上り、損出額は1億円になるという。

 写真家の篠山紀信さんが老衰のため、今月4日に亡くなったことがニュースで伝えられた。83歳だった。そう言えば先月29日に82歳で亡くなったお笑い芸人の坂田利夫さんも老衰だった。

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志賀原発「異常なし」から考えた 運転中だったら?「珠洲原発」だったら? 震度7の地震は想定内なのか

1月4日(木)

 元旦は能登半島地震、二日は日本航空516便と海上保安庁の航空機が羽田空港で衝突炎上、三日は北日本新聞朝刊のおくやみ欄で後輩の音楽仲間の訃報を知る。なんと目出度さのないお正月だろうか。
 コタツに入って寝ると疲れが取れないので、昨晩から自分と父親は2階の寝室で就寝することにした。新年初の朝のテレビ小説『ブギウギ』の舞台は空襲後の富山県高岡市だった。
空っぽになっていた型ヌキ
 昨日辺りから余震も少なくなったので、地震で落ちたり割れたりした物を片付ける作業をした。
 1階ギャラリーのサイドボードから落ちて割れたコップやグラス、小鉢などを袋に入れ、掃除機で小さなカケラを吸い取った。サイドボードには以前アマゾンで買った型ヌキがあったので、箱を開けると空だった。お腹が空いた父親が、型ヌキせずにおやつ代わりに食べたらしい。まだ半分以上残っていたのに。
 1階のギャラリー兼交流スペースも2階の小さなスタジオ兼ギャラリーも素人のDIYだが、今回の震度5強にもなんとか耐えた。
壁の亀裂01

 壁に大きな亀裂が入ることもなく、石膏ボードの上に塗った漆喰のカケラや粉が床に落ちたくらいだ。

←1階で一番ダメージを受けたとみられる壁。フローリング・スペースの角に亀裂があるが、漆喰部分の亀裂で石膏ボードは割れていない。

→階段の踊り場の上。こちらも漆喰に亀裂が入っているが、石膏ボードは割れていないようだ。

壁の亀裂02
ちょっとダメージのあったカウンター

←壁ではなく1階の窓の横に作った長いカウンター。石膏ボードの上に木目の壁紙シールを貼ったのだが、こちらは地震の際に筋交いの棒とぶつかって、石膏ボードにもダメージがあったようだ。

↓壁面にほとんどダメージのなかった2階のスタジオ。天井から落ちてきた木屑や壁から落ちてきた漆喰の粉などを掃除機で吸い取った。ポストカード用の額はいくつか落下したが、大きい額は傾いただけだった。

ほとんどダメージのなかった2階スタジオ

 日を追うごとに能登半島地震の犠牲者が増え、石川県で死者84人となった。また安否不明者も179人に上る。富山県内の断水状況は、昨日の午後の時点で氷見、高岡、小矢部、射水の4市で1万4250戸だという。
 能登半島の所々で道路が寸断され支援物資が届かず、電気やガス、水道も止まり孤立している集落も多数あるようだ。そんな大災害にも関わらず、岸田首相が口にしたこの震災への予備費が40億円で、予備費の拠出は9日に閣議決定するという。その少ない予算と対応の遅さに呆れるしかない。
 石川県の危機対策課作成の被害状況をまとめた資料を見ても、七尾市の全壊家屋は129戸と記載されているが、輪島市、珠洲市は多数としか書かれていない。珠洲市長が県の災害対策本部会議にオンラインで出席し、「市内の6000世帯のうち9割が全壊またはほぼ全壊だ」と語った通り、あまりに被害が甚大で把握できないのだろう。予備費40億円で何ができるのだろう。桁が2つ3つ違わないだろうか。ちなみに2日の羽田空港で炎上した日航機516便の損害額が150億円だ。
 また、閣議決定が週明けの9日というのは理解に苦しむ。この一刻を争う災害対策に、閣僚は3連休を取るのだろうか。本当に国民を救わない自民党政治だ。
 SNSでは大阪万博を中止して、その予算を能登半島地震の復興へ回せという声が多数上がっているが、吉村知事は能登半島地震の影響で縮小や延期をする可能性を否定し、「二者択一の関係ではない。万博があるから(復興の)費用が削減されるものではない」と述べたそうだ。今は被災者の救助、避難されている方の支援が中心だが、その後は壊滅したインフラや町の整備・復興を始めなくてはならない。ただでさえ建設業界、運送業界の人手が足りないのだから、その人材を万博か復興かの二者択一で決めるというのも有りではないだろうか。なんなら辺野古埋め立ても今すぐ止めて、その人材と予算も復興に当てて欲しい。

志賀原発で変圧器の配管が破損、3500リットル油漏れ…外部への放射能の影響なし
志賀原発 敷地内の水位計で約3メートルの水位上昇を観測
志賀原発の周辺15カ所で放射線量を測定不能 モニタリングポストが「壊れているのか、埋まっているのか…」
 地震発生直後は異常は見られないと言っていた志賀原発だが、日が経つにつれ不具合やトラブルが明らかになってきた。今回震度7を記録した志賀町の揺れの最大加速度は2826ガルで、東日本大震災で震度7だった宮城県栗原市の2934ガルに匹敵する大きさだったという。北陸電力のHPを見ると、その志賀原発の耐震基準は1000ガルまでしか想定されていない。志賀原発は福島第一原発のあった2011年以来1号機、2号機ともに運転停止中だったが、もしこれが2機とも稼働中だったらどうだろう。震度7、2826ガルの加速度を想定できなかった北陸電力に志賀原発を動かす資格はあるのだろうか。それにしても、地震発生後の志賀原発の様子を映した映像が皆無なのが不思議でしょうがない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
裏金問題で自民党内に「政治刷新本部」 岸田首相「再発防止や派閥ルール検討」と表明 法改正にも含み
台湾が6000万円を支援 能登半島地震、義援金口座も設置
イラン南東部で爆発103人死亡 殺害司令官の墓地付近、テロか

1月3日(水)

 まだ正月の三日だというのに、元旦に起こった令和6年能登半島地震でお正月気分はすっかり抜けて、大晦日に見た紅白歌合戦がずっと前のことのように感じられる。
 地震による死者は時間と共に増えて、現在は73人に上っている。

初詣

 大晦日は雨だったが、元旦は雲が多いながらも晴れ間もあったので午後から村の神社へ初詣に行った。この何年かはお正月がだいぶ過ぎてから初詣に行っていたので、元旦の初詣は久しぶりだ。お参りして鳥居の方へ歩いて行くと、お神酒のお金を納めに来た父親とばったり会う。

←封筒に入れたお金を納めにきた父親。

 神社を出て、1時間ほど小矢部川の土手を自転車で走る。

小矢部川
 短いサイクリングから家に帰り、2階の自分の部屋でパソコン作業をしているとガタガタと揺れ出し、大きそうな地震なので急いで両親のいる1階の居間へ降りて行くとテレビから緊急地震速報を知らせるアナウンサーの声が。しばらくすると用事があって家に来た妹も一緒にテレビを見ていたが、嘗て経験したことのない揺れに襲われた。後で富山県内で最大震度5強を観測したと知ったが、この時の地震だろう。
 頻繁に余震で家が揺れたが、2階の自分の部屋が心配になり見に行くと、入り口横の本棚からいくらか本が落ち、奥では作業台の上の21.5インチのiMacが倒れ、27インチのiMacが机から床に落下していた。
地震で倒れたり床に落下したパソコン
↑左は、作業台の上で倒れていた2012年に新品で買った21.5インチのiMac。右は、机から落下した昨年ヤフオクで購入した27インチのiMac。
 また大きな揺れがあるかもしれないので落下したものはそのままにして、他の部屋も点検。1階の交流スペースのサイドボードからコップやグラスが床に落ちて割れていた。キッチンでは電子レンジの上に乗せてあったオーブントースターが床に落ちて中の網やトレーが飛び出していた。
↓床に落ちて割れたコップやグラス。→落下したオーブントースター。
落下したオーブントースター
床に落ちて割れたコップなど

 家の中を点検して、あとはテレビの災害ニュースに釘付けだった。両親の寝室も2階だが、またいつ大きな地震が来るかわからないので、3人で1階の居間にあるコタツに入って寝た。

 2日目の朝も、とりあえずお雑煮を作って食べる。富山県内でも断水している家がかなりあるようだが、家のキッチンの井戸水は地震の後も普通に出ていた。しかし、昨日は気づかなかったが水が白く濁っている。洗面所は水道水で、こちらは濁ってはいないようなので、飲み水はこちらを使うようにする。
 地震で倒れたり床に落下していた2台の iMacが起動するかテスト。先ずは作業台の上でパタンと倒れていた21.5インチのiMac。背面のボタンを押すと起動音がなり、無事に画面が出た。ネットの接続も問題なし。次に床に落下していた27インチのiMacをチェック。こちらはダメージが大きそうなのでかなり心配していたが、無事に起動した。ネットも繋がったのでYouTubeで音楽を鳴らし、床に転がっている本などを片付けた。

地震で倒れたり落下したiMacの起動チェック
 17時頃に妹が自分の家から料理を運んできた。今日は妹家族と一緒に新年会で、大阪で料理人をしている妹の次男がご馳走を作ってくれることになっていた。コロナ禍のここ3年ほどは外へ食べに行っていて、自宅に大勢集まるのは久しぶりだ。新年会の途中に居間のテレビをつけると、羽田空港で炎が上がっていてビックリした。
甥っ子が作った新年会のご馳走
刺身の盛り合わせ

↑甥っ子が作ってくれた料理。ふぐ刺し、ふぐの皮の和え物、だし巻き卵、飛龍頭(がんもどき)、ローストビーフ、豚軟骨煮、鳥の唐揚げ、イワシの梅煮、中トロとサーモンと玉子の寿司。この他に漬け物や、ふぐの出しで作ったお雑煮など腕を奮ってくれた。

←刺身の盛り合わせ。

記念撮影
↑小学一年生が撮影した記念写真。
料理を作った甥っ子と記念写真を撮影した小学1年生
↑料理を作った甥っ子(左)と、記念写真を撮影した小学一年生(右)。

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