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8月30日(水)

 今日は旧暦の7月15日。奄美や沖縄では一昨日から旧盆に入っている。一昨日は先祖の霊を迎える迎え盆、沖縄ではウンケー。昨日はご先祖様を家でもてなす中日。そして今日がご先祖様をあの世に送る送り盆、沖縄ではウークイだ。沖縄タイムス琉球新報には石垣島の伝統行事「アンガマ」の記事が掲載されている。
 8月も終わりだというのに、暑い日が続いている。このところ買い物以外で自転車に乗ることがなくなったし、電子ドラムの練習も休んでいる。これでは運動不足だと思い、今日は朝の6時過ぎから1時間ほど小矢部川の土手を自転車で走ってきた。日中に比べれば幾分涼しいが、それでも日差しはまだ夏のものだ。小矢部川の土手を走るのは午後が多いので、太陽の位置が違う朝の風景はちょっと新鮮だった。

小矢部川01
小矢部川02

 このところ、ワイドショーでは反中国感情を煽るように処理水放出後に中国から嫌がらせの電話がかかってくるという話題が垂れ流されている。確かに飲食店や水族館など関係のないお店や施設に電話がかかってくるのは大迷惑だろうが、どこの国にもこうしたバカはいる。これで思い出したのは4年前の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ 2019』の「表現の不自由展・その後」に抗議のメールや電話が殺到した事件だ。結局ガソリン携行缶を持ってお邪魔するという脅迫ファックスが届いて、展示は中止に追い込まれた。中国の日本人学校に投石が行われたようだが、日本でも朝鮮学校への投石やチマチョゴリを切りつける事件は起きている。もう一度同じことを書くがどこの国にもこうしたバカはいる。
 橋下徹がホストを務めるバラエティ番組で、ゲストの東国原英夫と共に中国人への入国条件でホタテを10個食わそう、福島の海で泳いでもらいましょうという虐待と思える暴言が発せられた。動画はこちらにある。これが元大阪府知事と元宮崎県知事だ。
 海産物の輸入禁止など海洋放出への反発を強める中国政府に対し、岸田首相は自民党役員会で「専門家同士でしっかりと議論するよう強く働きかけ続ける」と述べたそうだが、順序が反対だろう。中国は以前から海洋放出に反対していたわけで、それなら先ず両国の専門家同士で科学的根拠を元に議論して中国を納得させてから放出するのだ筋だろう。
 報道は中国が中国がとなっているが、太平洋島嶼国ドイツからも放出には懸念が示されている。タイでもタイ王国消費者保護委員会は日本が輸出元である海産物への規制を強化するよう、食品医薬品局と農林水産省に求めたという。何より日本国内でも政府の説明が不十分だと感じる人が70%おり、海洋放出反対は33%もある。
 貯蔵タンクの中の処理水(汚染水)に残存しているのはトリチウムだけのように議論して安全を訴えるコメンテーターもいるが、貯蔵タンクの7割はトリチウム以外の核種が基準値を超えて残存している。また、他国の原発の冷却水にトリチウムが含まれている事と、事故を起こして放射性物質で汚れた燃料デブリに触れた冷却水を処理したものとを同列に並べて議論することはできない。そのことを政府も東電もしっかりと説明した上で、どう処理していくのかを説明しない限り不信感しか生まれない。科学的根拠というが、政府と東電のいう放出完了まで30年という年数の科学的根拠はあるのだろうか。汚染された燃料デブリを全て取り出すまで汚染水は出続けるが、燃料デブリを取り出す方法、技術はまだ確立されていない。そんな状況でなぜ30年という数字が出せるのだろう。
  東電はトリチウムを検知できない線量計で処理水の安全性を誇張していた過去もある。ほとんど報道されなくなったが、福島県沖では基準を大幅に上回るセシウム汚染された魚が現在も多数出ている。科学的根拠や透明性を求められるのは反対する他国ではなく、日本政府と東電だ。

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 いつ頃からだろう、Facebookに<おすすめ>として香港や台湾、或いは中国も?の投稿記事がたくさん流れてくる。料理のレシピ動画やDIYのワンポイント・アドバイス的な動画もあるが、一番多いのが女性の画像や動画でミニスカートを履いた女性のポールダンス動画も頻繁に流れてくるので、つい見入ってしまう。そんな投稿に混じってジャッキー・チュンのファンページ投稿も毎日のように流れてくる。勧誘されているのだろうか?
 ジャッキー・チュンはアンディ・ラウ、アーロン・クオック、レオン・ライとともに4大天王と呼ばれた香港の歌手。現在62歳だが、今も人気を誇っている。2018年に中国で行われたコンサート会場に設置された監視カメラの顔認証システムで指名手配犯が検挙されたのは日本でも話題になった。2018年に行われた彼のコンサートで、100人もの逃亡犯が逮捕されたそうだ。
 ジャッキー・チュンはこれまで3回撮影したことがある。1995年の12月にポートレートとライブ、1996年12月にもポートレートを撮影している。下の写真は1995年12月21日のコンサート写真。場所は新宿厚生年金会館だったと思う。
ジャッキー・チュン

8月27日(日)

 昨日の夜、長時間にわたる激しい雷雨があった。県内では、この落雷による火事もいくつかあったようだ。雷雨のおかげで、今朝は久しぶりに少し涼しく感じられた。しかし、週間天気予報によればこの先も最低気温25℃以上、最高気温も35℃前後の日が続くよう。暦上では残暑お見舞いだが、まだまだ酷暑お見舞い申し上げます。
 下の写真は昨夜の落雷。部屋の窓から撮影。ISO400、絞り5.6、シャッタースピード1秒。手持ちなのでブレてます。
落雷

 北朝鮮の軍事偵察衛星の打ち上げを受けて国連の安全保障理事会で緊急会合が開かれた。しかし、その場で北朝鮮の国連大使から「核汚染された水の海への放出は、明らかに生態学的環境を破壊し、人類の存在への脅威となる犯罪行為である」と日本への抗議が行われた。これに対し、日本の国連大使が「科学的根拠にかける根拠のない主張は受け入れられない」と反論したそうだが、貯蔵タンクの7割近くがトリチウム以外の放射性物質も基準を超えて残留しているので、北朝鮮の主張が科学的根拠に欠けるとは思えない。薄めても放出する放射性物質の絶対量は変わらない。植物連鎖と生物濃縮と内部被曝を考えれば、北朝鮮の主張は正しいだろう。薄めて基準値以下だから安全という人は、12年前の事故後に様々な論争が起きた時は寝ていたのだろうか。
 海洋放出に反対し抗議しているのは中国と北朝鮮、或いは一部の韓国人というような嫌中、嫌韓を煽るような印象報道も気になるが、マーシャル諸島など太平洋島嶼国からも怒りや不安の声が上がっている。
 福島第1原発の貯蔵タンクの現状については、この<【Q&A】ALPS処理汚染水、押さえておきたい14のポイント>が分かりやすい。また、昨日のTBS報道特集の海洋放出についての番組がネットにUPされている。こちら
 大阪府の吉村知事が全国知事会で海洋放出を巡る風評被害対策として、全国の都道府県庁の食堂で福島産の魚介類を食材として使っていくことを提案したという。それなら、ALPS処理水(汚染水)を真水で薄めて殺菌処理したものを都道府県庁の食堂で調理水として使う方が風評被害対策としてインパクトも効果もあるのでは。是非、どうぞ。

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新しいトップページ

トップ画面を模様替えしました。8月も後半ですが、まだまだ暑い日が続きます。ご自愛下さい。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップページ

8月24日(木)

 今日の午後1時過ぎ、政府と東電は漁業関係者が反対する中、タンクにたまっている処理水という名の汚染水の海洋放出を開始した。この海洋放出を受けて、香港政府は福島や宮城など10都県からの水産物の輸入を禁止中国は日本を原産国とする水産物の全面禁輸を発表した。
 政府は以前から中国に対して科学的根拠に基づいた議論を行うよう強く求めていくと述べているが、科学的根拠に基づいた説明をしなくてはいけないのは日本側ではないのだろうか。
 こちらに2021年4月20日に行われた環境委員会での川内博史衆議院議員と経済産業省大臣官房原子力事故災害対処審議官・新川達也氏の質疑を収めた動画がある。「タンクに貯められているトリチウム以外の放射能の総量、そしてその核種の数を教えて欲しい」という川内議員の質問に対し、新川審議官は「検出頻度の高い核種はトリチウム以外に9核種存在。セシウム134、セシウム137、コバルト60、ルテニウム106、アンチモン125、ストロンチウム90、ヨウ素129、テクネチウム99、炭素14。総量については、トリチウム以外の放射性核種の一つ一つについてはトリチウムのような推定は実施しておりません」と答えている。つまりトリチウム以外の核種がタンクの中にどれだけ混じっているかわからないし、調べる気もないということだ。これで海洋放出を反対している側に、科学的根拠に基づいた議論をどうして求められるのだろう。約133万トンとされる処理水(汚染水)の約7割が浄化不十分でこのようにトリチウム以外の放射性物質が残存しているとされている。他の国の原発もトリチウムを含んだ排水を流している、中国の原発はもっとトリチウムの量が多いなどというコメントを見るが、問題はトリチウム以外の放射性物質の残存だ。
 科学的に安全が証明されているというなら、ALPS処理水を海水ではなく真水で薄めて殺菌処理をした上でペットボトルに詰め<アルプスのあやしい水>とでも名付けて販売してはどうか。もちろん議員と経産省の職員と東電の社員には強制的に歳費や給料から一定の割合で購入していただきたい。

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30years ago #28 日吉
日吉01
 デイリー・アン1992年6月3日号日吉特集の表紙に撮影したフィルムの中から。表紙のキャプションには「慶応大学のある街・日吉。駅前の商店街には学生たちの集まる穴場的スポットが点在している」と書かれていた。上の写真は東口にある慶応キャンパス入り口。右側に見えるのは銀杏並木。下の写真はキャンパスと反対側、商店街のある西口駅前。
 昨日、慶応高校が第105回全国高校野球選手権大会の決勝戦で、仙台育英に8−2で勝ち、1916年以来107年ぶり、2度目の優勝を果たした。慶応高校も日吉にあり、テレビのワイドショーでは優勝に沸く日吉商店街や住民の映像を流していた。
日吉02

8月22日(火)

 政府は今日、福島第1原発の処理水をめぐる関係閣僚会議を開き、海洋放出に向けた作業を24日に開始する方針を決定した。この決定を受けて、東電は今日の午前10時半過ぎから現在保管しているタンクから、放出前に海水と混ぜて薄める設備に流し込む作業を開始したという。
 岸田首相は「今後、数十年の長期に渡ろうとも処理水の処分が完了するまで政府として責任を持って取り組む」と述べたというが、放出決定した関係閣僚も東電の関係者も数十年後に責任のある立場として残っている人は誰もいないだろう。そんな約束を誰が信じるのだろうか。
 昨日、官邸で面会した全国漁業協同組合連合会の坂本会長は「漁業者、国民の理解を得られない処理水の放出に反対であることは、いささかも変わりない」と述べている
 政府は今年6月28日、2015年に政府と東電が「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と福島県漁連に文書で伝えた方針を「順守する」と述べている。8年前に取り決め、2ヶ月前にもその約束は順守すると言っておきながら、今回の性急な海洋放出決定。8年前の約束すら守れない人たち(政府)の言う、数十年後までにわたる約束などなんの価値もない。
 政府と東電は風評被害が起きた場合は補償と賠償をするというが、政府が支出するお金の原資は税金であり、東電が支出するお金の原資は電気代だ。痛むのは国民であり、政府と東電の関係者の腹は痛まない。
 政府はタンクの置き場が無く限界というが、廃棄物処理・保管エリアには空きスペースがあるのではないだろうか。福島第1原発の燃料デブリは推定880トンあるとされているが、ただの1gも取り出せていない。保管エリアに保管できるデブリがない状態だ。廃炉の工程などほとんど進んでいないに等しいだろう。保管エリアが必要とされるのは当分先のことだと思われる。ならばこのエリアに処理水という名の汚染水のタンクを増設すればいい。これで何年間かの猶予ができるから、今度こそ関係者の理解が得られる丁寧な説明をすればいい。廃炉が完了しない限り汚染水は出る。岸田首相は今後数十年というが、数十年という単位ではすまない可能性もある。
 今月9日に書いたことだが、もう一度ここに載せておく。
 福島第1原発の処理水という名の汚染水が、この夏ごろに放出されようとしている。岸田首相は、これまでの対話を通じて地元の漁業関係者との信頼関係は少しずつ深まっているという認識を示したそうだが、ニュースで登場する漁業関係者の発言を聞く限り信頼関係が深まっているとは思えず、岸田首相の独りよがりではないかと思う。そして「引き続き政府を挙げて、安全性の確保と風評対策について、丁寧に説明を重ねていきたい」と相変わらずの発言が続く。自民党が丁寧に説明などしたことがあるだろうか。少なくとも安倍政権以降、丁寧な説明など聞いたことがない。福島第一の汚染水について一番丁寧に説明しているのは、政府でも東電でもなく東京新聞だろう。こちら
 Q タンクで保管中の処理水は全てが十分に浄化できているの?
 A いいえ。ALPSの稼働当初は不具合が頻発し、汚染水の発生量も今より数倍多く、東電は十分な浄化よりも素早く処理することを優先しました。現時点でタンクに保管している約133万トンの処理水のうち、約7割が浄化が不十分で、トリチウム以外の放射性物質も国の排水基準を上回っています。
 Q 浄化が不十分な水も放出するの?
 A 東電はALPSの性能が向上した後の新しい処理水から放出する方針です。基準を上回っている水は、ALPSでもう一度浄化処理し、基準未満の濃度に下げてから放出する計画です。東電の再浄化試験では、基準未満に低減された結果が出ています。

 上記のような説明をした上で、浄化が不十分とされるタンクの汚染水を再度ALPSで処理してから漁業関係者や国民に海洋放出の是非を問うのが筋ではないだろうか。

 ところで、あまり話題にならないが、先日アメリカで行われたバイデン大統領との日米首脳会談で、岸田首相は北朝鮮や中国などが開発を進める音速のおよそ5倍の早さで飛行する「極超音速ミサイル」など探知しにくい兵器を迎撃できる新型ミサイルの共同開発を始めることで合意したと言う。
 新型ミサイルの共同開発など、国の在り方進む方向を左右する大事なことを国会で議論することなく一人で決めて良いわけがない。貴方が発揮しているのは聞く力ではなく、聞かない力だろう。

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移転、閉店、消えゆく「せんべろのまち」…酒都・立石の激変に抗して始まった「物語」プロジェクトとは
関東大震災の朝鮮人虐殺にどう向き合うか 東大・外村教授に聞く「事実として語り継ぐ」 小池知事の追悼文不送付は…

8月20日(日)

 昔、アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)が東方の海の彼方(ニラーハラー)から久高島にきた。ところが久高島は東の波は西に越え、西の波は東に越え、海中の中にたゆたい、まだ島の形はなかった。そこでアマミヤが持参のシマグシナーと称する棒を立て、神に頼んで天から土、石、草、木を降ろしてもらった。それで久高島ができた。
斎場御嶽から見える久高島

 これが琉球開闢の島と呼ばれ、神の島とも呼ばれている久高島の創世神話だ。この久高島に、外国資本による土地取引の規制を名目に2年前に成立した土地規制法が施行されたという。
 しかし、久高島は原則として土地の私有を認めず、区の共有地とする琉球王朝時代からの地割制が残っている地域だ。例外は島の最高神職者である外間ノロと久高ノロに与えられたノロ地という畑。現在、外間ノロも久高ノロも不在で、そのノロ地がどのように継承されているか分からないが、いずれにしても久高島の土地を外国資本が買い求めることは不可能だろう。そんな島に、土地規制法を適用することが、どれほど馬鹿馬鹿しいことか。それとも政府は土地規制法を使って、単に島と島民を監視下に置きたいだけだろうか。
 また、 外国資本から国土を守るなら、土地規制法より円安の是正に力を注いだ方が現実的ではないだろうか。
 

←琉球王国最高の聖地、斎場御嶽の三庫理から、久高島を眺める。
↓アマミヤが初めて降り立った場所といわれる、久高島北部にあるカベール岬に続く道。

カベール岬へ続く道
 これまで庭木の手入れはシルバー人材センターにお願いしており、年に一度の剪定と冬の雪吊り、それから薬の散布などで年間4〜5万円かかっていた。しかし雪吊りは見た目に風情はあるが、家の庭には必要ない気がする。一年に一度の剪定もそれほど高い木がないので、自分で枝切り鋏を購入してすればいいかなと思い、先週、妹がシルバー人材センターにお金を払いに行くついでに薬の散布以外は契約解除してきてもらった。
庭の木01
庭の木02
↑↓→先日撮影した庭木。これからは、この写真を参考に自分で剪定するつもり。
庭全体

8月17日(木)

 15日に近畿地方を縦断した台風7号。当初の予想より西に進んだので、北陸地方はあまり大きな被害はなかったようだ。それでも台風が日本海に抜けた16日の明け方から午前にかけて強い南風が吹くという予報だったので、15日の夜に念のため台風対策として1階入り口のドアに長い棒を渡して補強をした。南向きの入り口は大きな戸が4枚並んでいるだけなので、見るからに風圧に弱そうなので台風などで南から暴風が吹きそうな時はどれだけ役にたつか分からないが、こうして補強している。幸い、風はそれほど強くなく西の方から吹いてきたので無事だった。
台風対策

 <自民安倍派、集団指導体制を了承 塩谷氏取りまとめ役に>という見出しを見て、目を丸くした。集団指導体制って、習近平政権以前の中国共産党やソ連じゃないの?
 河野デジタル担当大臣が、マイナンバーを巡るトラブルの責任を取って、自身の大臣給与3ヶ月分を自主返納するという。個人的には大臣給与の自主返納ではなく、大臣職の自主返納を期待したいし何なら議員バッジの自主返納でも良いのではないかと思う。
 三重県桑名市の多度大社で5月に行われる伝統行事「上げ馬神事」が動物虐待だと批判されている問題で、県教委が県文化財保護条例に基づき、多度大社に勧告を出したという。伝統行事や神事と、動物虐待は難しい問題だ。富山県射水市の加茂神社で開催される「やんさんま」で、特に重要だとされている「牛乗式」は、何人もの人の手で牛を押さえ付けて座らせることで田の神をこの地に留め、五穀豊穣をもたらすというもの。牛にかかるストレスは相当なものだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
また自民党女性議員!森まさこ首相補佐官と大手ブライダル業者の怪しい“蜜月”関係
首相は1万円、安倍氏は1.8万円… メルカリで有名議員の名刺売買
660字の9割が一言一句同じ 岸田首相、戦没者追悼式の式辞で際立つ「前例踏襲」
豚の骨つるし悪霊払い 27カ所に張り巡らせる 参加者「行事継続に感動」 沖縄・多良間村
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30years ago #27 浅草
浅草寺
杉林仁一さん
 デイリー・アン1992年6月24日号浅草特集の表紙用に撮影したフィルムの中から、浅草寺の境内。この頃はまだ、浅草は取材でたまに訪れるくらいだったが、2000年代はよく散歩していた。湯島にあった出版社の仕事が多くなって、その打ち合わせや納品に行った帰りに湯島から浅草まで足を伸ばした。気が向けば浅草から、鳩の街通り商店街を抜けて東向島まで歩いた。

 もう一枚、左の写真は近畿日本ツーリストが発行していた旅行雑誌『ジョイフル』1992年3月号の下町特集で撮影した、新門組の組頭、杉林仁一さん。新門組は三社祭のほか、浅草寺・浅草神社の祭りの設営から陣頭指揮までを代々執り行っている。 初代は江戸の火消しで鳶頭、侠客であった新門辰五郎。杉林さんは、その新門辰五郎の末裔であり、7代目組頭になる。
 身につけている半纏は浅草寺の礼服で、浅草寺の行事の時に着るそうだ。手前が跳ね上がった草履は、つっかけ草履という履き方。自宅の玄関前で撮影させていただいた。

8月15日(火)

 台風7号が今朝、和歌山県の潮岬付近に上陸し、北上。岡山や鳥取では線状降水帯が発生し、各地で停電や鉄道の運休など大きな被害と影響が出ている
 予想より台風の進路が西側になったので、今のところ富山では雨風の被害はない。お盆のお墓参りは、台風を考慮して昨日のうちに済ませた。午後2時ごろから地元の山の方の霊園にある木原家の墓をお参りし、次に町中にある墓地で親戚のお墓を4ヶ所お参りし、それから二上霊園へ弟と母親の妹のお墓へ。最後は母親の里のお墓をお参りした。スタンプは押してもらえないが、お墓参りのスタンプラリーのようでトータル2時間ほどかかった。

 終戦の日(敗戦の日)の今日、現職閣僚の高市早苗経済安全保障担当大臣が靖国神社を参拝し「国策に殉じられた方々の御霊に哀悼の誠を捧げてまいりました」と述べた
 毎年、終戦の日に乗じて戦争で亡くなった兵士を美化する発言をする政治家や評論家もいるが、太平洋戦争における日本軍兵士の多くは戦いではなく餓死や病死、自決で亡くなったと言われている。
 先日、麻生副総裁がわざわざ台湾まで赴き「戦う覚悟」などと発したようだが、そんな昨今だからこそ、終戦の日には加川良の「教訓1」を聴きたい。

死んで神様と言われるよりも
生きて馬鹿だと 言われましょうヨネ
きれいごとならべられた時も
この命を捨てないようにね
青くなって 尻込みなさい
逃げなさい 隠れなさい

・杏さんの「教訓1」カバー
・ジャーナリストの大矢英代さんの「教訓1」沖縄三線カバー

 1989年に『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』(KKロングセラーズ)という本を作った時に、カクテルやBARに纏わる本をたくさん購入した。柴田書店発行の『バー・ラジオのカクテルブック』もその中の一冊で、同じく柴田書店から発売されていた『THE BAR BOOK』と共に本作りの参考にさせてもらった。参考にというか、『THE BAR BOOK』に至っては本の構成など真似させてもらった部分もある。
 『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』を作り終えて、飲食関係の撮影をもっとしてみたいと思って柴田書店に売り込みに行ったところ、対応してくださった当時柴田書店の一番新しい雑誌『フード・ビジネス』の編集長だった神山泉さんから持参した『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』を見るなり「これについては言いたいことがある」と言われたのを覚えている。『THE BAR BOOK』と『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』のページ構成やレイアウトに似ている部分があるのを快く思っていなかったのだろう。それでも、売り込みに行った翌月から『フード・ビジネス』の仕事が入ってきた。『フード・ビジネス』に始まり、『月刊 食堂』『ホテル旅館』『専門料理』『そば・うどん』『季刊 居酒屋』など90年代は柴田書店の雑誌やムックの仕事をかなりさせてもらった。

 『バー・ラジオのカクテルブック』の初版は1982年で、自分が買った時は1988年発行の9版だった。神宮前のバー「ラジオ」のオーナーバーテンダー、尾崎浩司さんの手によるスタンダード&オリジナル・カクテルの数々をベネチアン・グラスをはじめとする豪華なグラスを用いて撮影されている。撮影者は大輪真之さんで、1984年にTBSブリタニカから発売された大型写真集『ザ・サントリー・カクテルブック』も大輪さんの撮影だ。カクテルを黒バックで撮るというのは、大輪さんが最初だろうか。
 大輪さん撮影による見事なカクテル写真の合間に、松山猛さん、オキ・シローさん、和田誠さん、高平哲郎さんらのエッセーが綴られ、山口はるみさんのイラストが添えられている。中でも榎本富士夫さんの「スタンダードカクテル」と題した、カクテルに纏わるエピソードを交えた長いエッセーが楽しかった。
 購入してからもたまに本棚から取り出して写真を眺めたり読み返したりしていたのだが、もう14年ほど前だろうか、よく一緒に仕事をしていた編集者が長い休暇を取ることになり暇な時間もあるだろうと思い「読んでみて」と渡した。残念ながら、その渡した本が再び手元に返ってくることはなかった。休暇の間に彼女は急逝してしまったから。
 何度も読んでいる本なので、もう所有しなくてもいいかなと思っていたが、先日ふいにエッセーの数々を読み返してみたくなってヤフオクで探してみた。何冊か出品されていて一番安い値段が2500円 +送料300円。ウオッチしている人が何人かいたが、競り合わずに落札できた。
 手元に届いた本は1992年発行の12版だった。もう30年以上前の本だが日焼けもシミも折れもないキレイな状態だった。

 『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』にバー・ラジオは登場しない。あやふやな記憶だが、取材を申し込んだが断られたのではなかったか。バー・ラジオに限らず、オーセンティックなバーの何軒かに取材を断られている。銀座の「クール」や「サン・スーシー」「ルパン」など断られるだろうな、と思いながら取材を申し込んだところ受けてもらえたお店もある。
 バー・ラジオには、プライベートでも足を運んだことがない。『バー・ラジオのカクテルブック』が素晴らしすぎて、ある意味、個人的には銀座のオーセンティック・バーより敷居が高かったのかもしれない。
 そんなわけで尾崎浩司さんとは面識もないのだが、ひょんな事から尾崎さんのお姉さんと一度お会いしてお話をしたことがある。
 健康と美容の雑誌の撮影で、関西在住の美容研究家の女性を出版社のスタジオで撮影した。午前中から撮影し、お昼の休憩に出版社近くのビストロで食事をした。担当編集者とヘア・メイク、美容研究家の女性、そして女性のお母さんが一緒にいらした。その美容家のお母さんが尾崎さんのお姉さんだった。

 1972年オープンのバー・ラジオ、86年オープンのセカンド・ラジオはクローズし、現在は98年にオープンしたサード・ラジオだけが営業しているようだ。そして、この文章を書くにあたって検索したところ尾崎浩司さんは2021年11月に亡くなられたそうだ。また、お酒の話しをちょっと気取った文章で書かれていたオキ・シローさんも同じ頃に亡くなられたようだ。『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』を作っていた時に、カクテルに纏わるエッセイをオキ・シローさんに書いて欲しくて、当時オキ・シローさんの本を出していた出版社に連絡先を尋ねたが教えて貰えなかったのを思い出す。
 バー・ラジオの空間デザインはスーパーポテトの杉本貴志さんだった。新しくオープンしたレストランやバーの取材を一番していた1990年代の初め頃は、杉本さんのお名前をよく聞いた。杉本貴志さんも2018年に亡くなられ、スーパーポテトは奥さんが引き継がれたようだ。

 本の終わりの方には「店主独断」と題した尾崎浩司さんの、あとがきが書かれている。その最後は、こんな文章で結ばれている。

 カクテルはジャズの演奏に似ています。多くは即興で作られました。そして評判の良い物は繰り返し作られ続け、いつの時代にも合うように少しずつ改良が加えられます。その場の状況に応じて、或いは飲む人の状態によって、多少のアレンジは必要でしょう。私はいつも、最良のプレイを皆様にお届け出来るようにしたいと願っています。<ラジオ>は”批評家”に恵まれています。お陰様で、少しずつですが成長して来られました。銀座<クール>の御主人、古川さんのように、余裕の感じられるプレイが出来るように早くなりたいものです。
 あなたと、夜と、音楽と。

 『バー・ラジオのカクテルブック』のことを書いていたら、チャンドラーの『長いお別れ』を何十年振りかで読み返したくなった。自分の中で、カクテルとハードボイルド小説は対の存在だから。

バー・ラジオのカクテルブック01
↑『バー・ラジオのカクテルブック』は1987年に角川書店から文庫も発売されているが、写真も素晴らしく所有欲を掻き立てられる本なので柴田書店の方がオススメかな。↓本のカバーを外すと布製の表紙が現れる。表にはCocktail at Radioの文字が箔押しされており、裏にはイラストが箔押しされている。
バー・ラジオのカクテルブック02

8月13日(日)

 今日はお盆の入りだそう。今年は弟の家族、妹の家族のスケジュールを検討した結果、今日集まって一緒に食事をすることになった。この何年かは砺波の魚安で食事をしていたが、今年は大人11人、子供3人という大人数になったせいもあり一昨日電話をしたが予約を取れなかった。他に2軒ほど電話してみたが暦の関係か台風の関係か13日はどの店も混んでいるようで予約が取れなかった。そこで何日か前に新聞に広告が入っていた寿司居酒屋に電話したところ、ようやく席が取れた。
 最年長の父親が今年91歳、最年少は弟の娘の子供で1歳。年の差90。なかなか賑やかなお食事会になった。

 ちょうど一ヶ月前、高岡市に線状降水帯がかかり、町の中心を流れる小矢部川の水位が氾濫危険水位にまで達した。支流の西明寺川は一部で氾濫し、床上浸水した家もあった。翌日、自転車で小矢部川の様子を見に行くと、水位は少し下がったようだが川の水は茶色く濁っていた。河川敷にはペットボトルやプラスチックの袋が大量に浮き、大きな流木も流れ着いていた。
 その小矢部川で昨日、町のイベント「リバーサイドフェスタ」が行われた。いつもは家の横で花火を少し見るだけだが、今年は散歩がてら会場まで行き、ファイヤーショーと花火の打ち上げを見てきた。昼間は突然激しい雨も降ったが、夜のイベント会場は大賑わいだった。
リバーサイドフェスタ01
リバーサイドフェスタ02
リバーサイドフェスタ03
リバーサイドフェスタ04
リバーサイドフェスタ05

8月11日(金)

 今月の2日にアマゾンでポチったバックドロップ(背景布)が、ようやく昨日届いた。最初は8月4日から8月11日の間にお届けとなっていたが、いつの間にか11日お届けに。そして9日に発送したというメールが届いて、昨日商品が着いた。別に直ぐに必要な訳でもなかったのでいいんだけれど、待たされて気分の良いものではない。
 今回購入したのは2mX2mのサイズで、色はシャンパンゴールド。他の色より安い3,080円だった。商品を袋から取り出してアイロンをかけて折りたたみ皺を取らなければならないが、あまりの暑さに色の確認だけした。
新しく買った背景布
 今日は午前中に近所のコメリで物干し竿を買ってきた。購入したのは1.66〜3mに伸縮する物干し竿。これを少し改造して、背景スタンドの布を吊るすバーとして使おうと思う。
物干し竿と背景スタンドのバー
↑奥がコメリで買った伸縮式の物干し竿、手前の黒い棒4本が背景スタンドに付属していたバー。4本繋ぐと3mになるが、棒が細く繋ぐと中央の方で弛んでくる。
物干し竿の穴の拡張
物干し竿を背景スタンドに取り付ける

↑物干し竿の両端に付いているプラスチック部分の穴。左は購入した時のまま、右はドリルで少し穴を拡張したもの。

←背景スタンドの上部についているネジの部分を、物干し竿の穴に入れて締める。これで背景布を吊るすバーが完成。

↓アイロンをかけて折りたたみ皺を取った背景布を、吊るしてみた。付属のバーより全然しっかりしている。このまま巻きつけて収納すれば皺もつきにくい。

アイロンをかけた背景布を吊るす
 昨日、ザ・バンドのギタリスト、ロビー・ロバートソンさんの訃報が流れてきた。
 下の写真は渋谷のタワーレコードで開催された映画『ラスト・ワルツ 特別編』DVDリリースに合わせたイヴェントで、ピーター・バラカンさんとのトークショー。トークの後にサイン会も行われた。2002年11月2日撮影。
ブライアン・ウイルソン01
ブライアン・ウイルソン02

 昨日はもう一人、吉本新喜劇の桑原和夫さんの訃報もあった。老衰のため87歳で亡くなられたそうだ。最近の吉本新喜劇は見ようと思わないが、小学生の頃は毎週土曜のお昼に学校から帰って新喜劇を見るのが楽しみだった。

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8月9日(水)

 長崎原爆の日の今日、ちょうど大石芳野さんの『長崎の痕』(藤原書店)を読み終えた。沖縄戦の体験者を取材した『沖縄に活きる』と同様、静かな中に力強さのある肖像写真と丁寧な被爆者の証言が収められている。そして、この本で「被曝体験者」という言葉があるのを知った。少し長くなるが本から引用させてもらう。

 「被曝体験者」という言葉をご存知だろうか。ヒロシマでもナガサキでも、原爆で被曝した人は皆その「体験者」のはずだと、誰もが単純に思う。実はそうではない。ヒロシマにこの言葉は存在しない。広島では広範囲に降り注いだ「黒い雨」による胎内被曝が問題となっているが、行政の歪んだ円での線引きはしていない。けれど、長崎では、ほぼ旧長崎市内に当たる、爆心地から半径南北12km、同東西7kmで被曝した人たちを被爆者とし、その範囲外だと、半径12km圏内でも被爆者と認めないと規制したのだ。
 実際には、そうした地域にも、黒い雨どころか閃光も爆風も届き、家屋が壊れたり燃えたりしたうえ、地上から巻き上げられた破片なども灰のように降り注いだ。地上での爆発ならば山々で遮られたかもしれないが、上空500mでの爆発だった。放射性微粒子を含んだ原子雲は、放射性微粒子が「同心円」状に広がって地上に降り注ぎ、呼吸や飲食により人びとの体内に取り込まれた。
〜略〜
 岩永千代子は「私たち被爆者ではないと国や県、市が言う根拠は、内部被曝と低線量被曝でもたらされる害はないと言う点だ。けれど多くの人たちが、原子雲が立ち込め、太陽は卵の黄身のような色に見えたと言っているので、原爆の影響に違いない」と訴える。
 「被曝体験者」と括られた人たちへの冷淡さは国や県の行政ばかりでない。裁判でもまさかの敗訴が続く。結局、私たち被曝国民の一人ひとりとしての意識がかれらを救うことになる。

<分断された「被曝」ーー被曝体験者>より。

長崎市内の夜景
↑富山から奄美へ向かう途中、2泊3日で長崎に立ち寄った。この写真は2010年6月10日に、グラバースカイロードで上がった山の方から撮影した長崎市内の夜景。対岸の左側が長崎造船所だろうか。アメリカが長崎に原爆を落とした理由の一つが、戦艦「武蔵」などを建造した造船所や兵器工場などが集まる日本軍の重要都市だったからと言われている。

 福島第一原発の処理水という名の汚染水が、この夏ごろに放出されようとしている。岸田首相は、これまでの対話を通じて地元の漁業関係者との信頼関係は少しずつ深まっているという認識を示したそうだが、ニュースで登場する漁業関係者の発言を聞く限り信頼関係が深まっているとは思えず、岸田首相の独りよがりではないかと思う。そして「引き続き政府を挙げて、安全性の確保と風評対策について、丁寧に説明を重ねていきたい」と相変わらずの発言が続く。自民党が丁寧に説明などしたことがあるだろうか。少なくとも安倍政権以降、丁寧な説明など聞いたことがない。福島第一の汚染水について一番丁寧に説明しているのは、政府でも東電でもなく東京新聞だろう。こちら
 Q タンクで保管中の処理水は全てが十分に浄化できているの?
 A いいえ。ALPSの稼働当初は不具合が頻発し、汚染水の発生量も今より数倍多く、東電は十分な浄化よりも素早く処理することを優先しました。現時点でタンクに保管している約133万トンの処理水のうち、約7割が浄化が不十分で、トリチウム以外の放射性物質も国の排水基準を上回っています。
 Q 浄化が不十分な水も放出するの?
 A 東電はALPSの性能が向上した後の新しい処理水から放出する方針です。基準を上回っている水は、ALPSでもう一度浄化処理し、基準未満の濃度に下げてから放出する計画です。東電の再浄化試験では、基準未満に低減された結果が出ています。

 上記のような説明をした上で、浄化が不十分とされるタンクの汚染水を再度ALPSで処理してから漁業関係者や国民に海洋放出の是非を問うのが筋ではないだろうか。

 一昨日、国立科学博物館が光熱費の高騰や物価高の打撃を受け、動植物の化石や標本などの管理をする資金が枯渇しているとしてクラウドファンディングで1億円を募ったところ、わずか9時間半で1億円を達成した。現在は、5億円以上の支援金が寄せられている。なんだか美談のようにもなっているが、そもそも日本を代表する国立の博物館が財政難に陥るなら国が支援すべきだろう。今回のクラウドファンディング成功に政府が味を占めて、ますます学術研究や知的財産・文化財に予算をつけない心配がある。
 今回のことは安倍、菅政権と続いた反知性主義政策と地続きだろうし、 その結果が「注目論文数 日本10位から12位に 初めて韓国に抜かれる」ということなのだと思う。

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ポストカード・ギャラリー#11 石田昌隆

 ライヴ会場や来日アーティストの取材現場で、一番顔を合わせたのが石田さんだと思う。来日アーティストの場合は取材日が決まっていて、各雑誌1時間ほどの時間が割り当てられる。だいたいインタビューが45分ほどで、残り15分がフォトセッション。割り当てられた時間の中には機材のセッティングや撤収も含まれるので、指定時間の少し前から取材場所の近くで待機している。そんな訳で、石田さんとはよく撮影現場で顔を合わせたがあまりゆっくり話をしたことがなかった。ゆっくり話をしたのは、奄美大島へ移住するために一旦富山へ帰る何ヶ月か前のことだった。
 ある時、移動中の電車の中で石田さんの『オルタナティヴ・ミュージック』を見ていると、近くに座っていた写真家のHARUKI君が興味を示し、しばらく眺めた後「この人に会いたい」と言う。そこで石田さんに連絡を取り、渋谷の居酒屋で3人で会うことになった。居酒屋でしばらく話をした後に、HARUKI君の自宅へ3人で向かい石田さんのブックなどを見せてもらった。たぶん朝方までHARUKI君の自宅で写真のことを話していたと思う。
 富山へ一旦帰るために住んでいたアパートを引き払い、しばらく都内のホテルを転々としている頃に、もう一度HARUKI君の家で3人であった。お酒を飲まない石田さんが、バナナをお土産に持ってきたのを覚えている。
 この2年ほど後に、HARUKI君がデジカメWatchmで連載していたPhotographer’s Fileに石田さんが登場している。
 ポストカードは石田さんからの年賀状。カイロと記されている。見覚えのある写真なので、ミュージック・マガジンで石田さんが連載していた「音楽の発火点」に掲載されていたのかもしれない。

石田昌隆さんのポストカード

8月6日(日)

 今日は、広島に米軍による原爆投下が行われて78年目の「原爆の日」。広島市の平和祈念公園では、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれた。この平和記念式典で広島市の松井一実市長は「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか」と述べた。全文はこちら。また、広島県の湯崎英彦知事は、核抑止論者に対し「あなたは、万が一核抑止が破綻した場合、全人類の命、場合によっては地球上の全ての生命に対し、責任を負えるのですか。あなたは、世界で核戦争が起こったら、こんなことが起こるとは思わなかった、と肩をすくめるだけなのでしょうか。核兵器は、存在する限り人類滅亡の可能性をはらんでいる、というのがまぎれもない現実です。その可能性をゼロにするためには、廃絶の他ない、というのも現実なのです。今、核抑止論者がすべきことは、この現実を直視し、そのような責任はとりきれないことを認め、どんなに厳しい安全保障環境にあろうとも、どうしたら核軍縮を進め、最終的には核廃絶を実現できるか、そのための知恵の結集と行動に参画することです」と述べた。知事あいさつの全文はこちら
  そもそも銃乱射による無差別殺人が頻発するアメリカの銃社会を見れば、<銃には銃を>という武器を持つことが抑止だという論理は破綻していることは明白だ。核抑止などというものが同じく破綻するのは明らかだろう。

広島原爆ドーム
↑広島の原爆ドーム。富山から奄美への旅の途中、2010年6月6日に撮影。前日は尾道から福山に移動し、この日は福山から宮島の厳島神社を観光してから広島市内に泊まった。市内は浴衣祭りの最終日で、大勢の浴衣を着た人で賑わっていた。

 昨日はミュゼふくおかカメラ館で開催されている大石芳野写真展『戦世をこえて』の関連イベントで、佐藤進さん(富山大空襲を語り継ぐ会)のお話会「富山大空襲の体験と当時の暮らし・世相」を聞きに行ってきた。
 富山大空襲は8月2日で、配られた資料によると死者2,700人以上、負傷者は約8,000人で全国平均を大きく上回るそうだ。中小都市では浜松3,349人、鹿児島3,329人に次ぐ死者数となる。

 沖縄を北上した台風6号だが、その後進路を変えて沖縄・奄美に再接近した。進路を見ると奄美群島をほぼ直撃するコースだ。
きょう最接近 大荒れ続く 線状降水帯発生恐れも 台風6号
【台風6号】沖縄本島北部、昼前まで暴風か 大雨災害の危険度高まる 北中部に土砂災害警戒情報(6日午前8時現在)

 演歌歌手の尾形大作さんが、次期衆院選で自民党の公認候補予定者に選ばれたそうだ。スポーツ報知の記事によれば「政治のことはほとんど分かりませんが、命懸けで頑張ります」と述べたという。政治のことをほとんどわからない人が政治家になって、何をするのか何ができるのだろうか。

 岸田首相が4日、健康保険証を廃止しマイナンバーカードと一本化する方針をめぐり記者会見を行い、来年秋に保険証を廃止するスケジュールを現時点で維持する考えを示した。その上で、マイナカード を持っていない人などには保険証の代わりとなる資格確認証をマイナ保険証を持たない人全員に申請がなくても交付するという。それなら現行の保険証を今まで通り発行すればいいのではないだろうか。

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8月3日(木)

 ようやく沖縄が台風6号の暴風域から外れ、スーパーも今日から営業しているところが多いようだ。飛行機は一部で運行が再開されたそうだが、昨日、一昨日の欠航で7万人以上に影響が出た模様だ。今日も329便が欠航し約5万3000人に影響が出る見通しだという。
 琉球新報によれば2日の時点で2人が死亡、51人がケガをしたという。停電は今日の午後2時時点で14万540戸に及ぶそうだ。
 下の写真は浦添市城間にある廃業したホテル「アメリカン」の敷地に立つ自由の女神だが、台風6号でこうなったそうだ。沖縄本島には自由の女神像が7体あるそうだが、他の自由の女神は無事だろうか。

自由の女神

 今回の台風で車が横転し小屋が倒壊し大木がなぎ倒されたというニュースが流れてきたが、屋根や門柱のシーサーが飛ばされたという話しは聞かない。奄美から沖縄に引っ越す時に、台風になったらアチコチからシーサーが飛んでくるんじゃないかと心配していたが、那覇に住んでいた2年間でそんな経験は一度もなかった。シーサーはそんなにしっかり固定されているんだろうか。

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 昨日、アマゾンのマーケットプレイスで購入した越間誠さんの写真集『奄美 二十世紀の記録 シマの暮らし、忘れえぬ日々』(南方新社)が届いた。越間さんの写真集はもう一冊『奄美 静寂と怒涛の島 日本復帰から平成への記録』(南方新社)があるが、こちらは6年ほど前、マーケットプレイスで533円 +送料という格安で出品されていた時に購入した。『二十世紀の記録』もずっと欲しかったが、なかなか安い価格での出品がなかったので待っていたところ、ようやく800円+送料で出品されていたので購入した。

 奄美大島の名瀬に住んでいた2年の間に、県立奄美図書館の郷土コーナーで民俗学の本や写真集を借りて読んだ。郷土コーナー全ての本とは言わないが、それでもかなりの本を借りて読んでいる。その中で一番刺激を受けたのは越間誠さんの『奄美 二十世紀の記録』と『奄美 静寂と怒涛の島』の2冊だ。越間さんは奄美大島の北部にある佐仁集落の生まれで、本に記載されているプロフィールによれば名瀬市役所勤務の後、南海日日新聞の記者、南日本放送嘱託・名瀬支局長を務め、1977年に自身の会社コシマプロダクションを設立している。奄美大島から離れることなく、一貫して奄美群島の写真を撮り続けた写真家ではないかと思う。
 『静寂と怒涛の島』には空港の開港や、皇太子ご夫妻の来島、宇検村の枝手久島への石油備蓄基地建設反対運動や、保岡興治と徳田虎雄による選挙戦の様子、田端義夫や三沢あけみなど島にゆかりのある歌手の公演など世相や時事を反映した写真が収められている。一方『二十世紀の記録』には漁や農作業の様子、祭祀や葬儀といった習俗が収められている。南島の女性のイレズミであるハジキ(ハジチ)の写真は、この本で初めて見た。
 自分の生まれ育った場所を撮り続けることで、こうした素晴らしい写真集ができることに正直驚いた。自分が富山に帰って祭りを記録しようと思った背景には、この越間さんの本と奄美〜沖縄の祭祀を撮り続けた比嘉康雄さんの『神々の古層』12卷に影響と刺激を受けたということがある。

奄美二十世紀の記録

 奄美大島に移住していた2年間に、島の行事やお祭りで何度か越間さんをお見かけすることはあった。一番最初は2010年9月4日に名瀬にある奄美文化センターで開催されたイベント『十五夜唄あしび』だった。佐仁集落のボレ歌と八月踊りが披露されたのだが、アチコチ動きまわって写真を撮っている年配の男性がいて、それが後になって越間さんだと知った。
 その『十五夜唄あしび』での佐仁の八月踊りの素晴らしさに感動して、10日後の9月14日に集落で行われる八月踊りを見に行った。集落での八月踊りはヤーまわり(家まわり)で最初に訪れたのは、その年に農作業小屋を新築したという人の家だった。中央に持ち寄った料理を置いて、輪踊りをする。一軒の家で1時間ほど踊ると次の家に向かう。 夕方からスタートしたので帰りのバスの関係で、2軒目の途中でおいとました。撮影させてもらっただけでなく料理やお酒もご馳走になったので、後日撮影した写真をプリントして佐仁集落へ持って行ったが、郵便局で尋ねると農作業小屋を新築した人は普段は名瀬に住んでいると言い、それが越間誠さんだった。何日か後に、あらためて名瀬のコシマプロダクションへ訪ねて行き写真をお渡しした。
 残念ながら越間さんは2018年3月2日に亡くなられた。79歳だった。越間さんの残した2冊の写真集は、島の大切な記録であり、それは島の人たちの宝だろう。

・奄美文化センターでの十五夜唄あしび「佐仁の八月踊り」。
・コシマプロダクション製作の「奄美の八月踊り 笠利町佐仁第1集」。

佐仁集落の八月踊り
↑佐仁集落の八月踊り。左の建物が新しく完成した農作業小屋だろう。
↓重箱を持っている方が、越間誠さん。
お祝いの黒糖焼酎
越間さん

8月1日(火)

 大型の台風6号が今日から明日にかけて沖縄や奄美地方に接近する模様で、昨日から飛行機の欠航も相次いでいる。スーパーのサンエーは普通に臨時休業だが、臨時休業するかどうかで台風の大きさ危険度がわかると言われているユニオンも全店舗で夜間の閉店を決めたというから台風6号への警戒度がわかる。昼間にユニオンのホームページをチェックした時は何もなかったが、夜にのぞいてみるとユニオン一時閉店いたしますというお知らせが掲載されていた。

 国民民主党の玉木代表が30日に福岡市であった党員・サポーター集会で、党の立ち位置について「自民党のアクセル役になりたい」と述べたという記事を見て目を疑った。もう党を解散して自民党から立候補してはどうか。少し前には日本維新の会の馬場代表が自民党と維新の関係について「第1自民党と第2自民党でいい」と発言している。国民民主と維新はコバンザメのような政党だと思っていたが、まさか自分たちが臆面もなくそれを言うとは思わなかった。

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ポストカード・ギャラリー#10 霜田恵美子

 彼女のイラストを初めてみたのは「ビックリハウス」だったか「宝島」だったか。どちらも80年代のサブカルを代表する雑誌だった。
 湯村輝彦や蛭子能収らと並んで、彼女もまたヘタウマの代表として取り上げられていた。「きいちの塗り絵」から”カワイイ”を取り払ったような大胆な絵柄と色遣いと不敵さが面白かった。

霜田恵美子さんのポストカード
 彼女と一度会ってみたいと思っていた時に、双葉社の週刊大衆臨時増刊号で団塊世代特集を出すことになり、団塊世代への若者からの手紙という編集ページで彼女に文章を書いてもらった。好きなことを書いてもらったのだが、彼女の手紙の宛先は糸井重里さんで、今読み返してみるとなかなか痛烈な批判が書かれている。
 このポストカードは、文章を書いてもらった年にいただいた年賀状。その後、彼女はニューヨークへ移住したが、そこから先の情報はネットで検索しても分からない。
 80年代にはたくさんの作品を描いていたと思うが、著作は以外と少ない。自分が持っているのはJICC出版局から発売されたキャロル霜田名義の『SUPER PSYCHIC DOMANGA ウルトラマイナー』だが、他は『一生のお願い』(ソニーマガジンズ)、『ライブ!ニューヨークから』(日本交通公社出版事業局)くらいのようだ。
 「ビックリハウス」と「宝島」は定期購読していた。宝島は本棚に並んでいるが、ビックリハウスはダンボールに詰めて保管したはずだが、そのダンボールの行方がわからない。
30years ago #26 向ヶ丘遊園
向ヶ丘遊園のモノレール
 デイリー・アン1993年3月3日号向ヶ丘遊園特集の表紙用に撮影したフィルムから。上の写真中央に写っているのは小田急線の向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園正門までを走っていたモノレール。下の写真は向ヶ丘遊園。
 この撮影をした1993年は小田急線の鶴川駅の方に住んでいたが、4年後の97年に急行も止まる向ヶ丘遊園駅の近くに引っ越した。けれど向ヶ丘遊園に行ったのはこのデイリー・アンの撮影の時だけだと思う。モノレールもほとんど乗ったことがない。駅と遊園の間、約1.1kmの区間しか運行していないので機会がなかったし住んでいれば自転車の方が便利が良かった。このモノレールは2001年に廃止され、向ヶ丘遊園自体も翌2002年に閉園された。
 向ヶ丘遊園には1997年から2010年の3月まで住んでいた。新宿まで小田急線で1本、下北沢で乗り換えれば渋谷や吉祥寺にも行けるし、代々木上原で地下鉄千代田線にも乗り換えられる。多摩川まで自転車なら5分ほどだし、隣りの登戸駅までは歩いて10分ほどしか離れていない。登戸まで歩けば、南武線に乗って川崎や立川にも行けた。駅前には大きな本屋やスーパーもあり、個人経営の飲食店もたくさんあって便利だった。
  駅前にあったモノレール乗り場は駐輪場に代わり、モノレールの橋脚やレールは少しづつ解体されて街から消えていった。たぶん、新しく向ヶ丘遊園に引っ越してきた人は、ここにかつてモノレールが走っていたことなど想像もできないだろう。
向ヶ丘遊園

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