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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 ◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表 ◯2010~2014 Photo Diary ◯奄美・沖縄撮影リスト ◯wangan 水路の都市TOKYO2006~2009 |
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*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *富山県内のお祭り、イベント *富山の祭り *築山行事 *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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◯富山県 新型コロナウイルス感染症について http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U ◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/ ◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html ◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/ ◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ◯沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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メディア関連 ブログなど |
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*web電卓 *漢字辞典 *2023年カレンダー |
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今日は旧暦の7月15日。奄美や沖縄では一昨日から旧盆に入っている。一昨日は先祖の霊を迎える迎え盆、沖縄ではウンケー。昨日はご先祖様を家でもてなす中日。そして今日がご先祖様をあの世に送る送り盆、沖縄ではウークイだ。沖縄タイムスや琉球新報には石垣島の伝統行事「アンガマ」の記事が掲載されている。 |
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このところ、ワイドショーでは反中国感情を煽るように処理水放出後に中国から嫌がらせの電話がかかってくるという話題が垂れ流されている。確かに飲食店や水族館など関係のないお店や施設に電話がかかってくるのは大迷惑だろうが、どこの国にもこうしたバカはいる。これで思い出したのは4年前の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ 2019』の「表現の不自由展・その後」に抗議のメールや電話が殺到した事件だ。結局ガソリン携行缶を持ってお邪魔するという脅迫ファックスが届いて、展示は中止に追い込まれた。中国の日本人学校に投石が行われたようだが、日本でも朝鮮学校への投石やチマチョゴリを切りつける事件は起きている。もう一度同じことを書くがどこの国にもこうしたバカはいる。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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いつ頃からだろう、Facebookに<おすすめ>として香港や台湾、或いは中国も?の投稿記事がたくさん流れてくる。料理のレシピ動画やDIYのワンポイント・アドバイス的な動画もあるが、一番多いのが女性の画像や動画でミニスカートを履いた女性のポールダンス動画も頻繁に流れてくるので、つい見入ってしまう。そんな投稿に混じってジャッキー・チュンのファンページ投稿も毎日のように流れてくる。勧誘されているのだろうか? ジャッキー・チュンはアンディ・ラウ、アーロン・クオック、レオン・ライとともに4大天王と呼ばれた香港の歌手。現在62歳だが、今も人気を誇っている。2018年に中国で行われたコンサート会場に設置された監視カメラの顔認証システムで指名手配犯が検挙されたのは日本でも話題になった。2018年に行われた彼のコンサートで、100人もの逃亡犯が逮捕されたそうだ。 ジャッキー・チュンはこれまで3回撮影したことがある。1995年の12月にポートレートとライブ、1996年12月にもポートレートを撮影している。下の写真は1995年12月21日のコンサート写真。場所は新宿厚生年金会館だったと思う。 |
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昨日の夜、長時間にわたる激しい雷雨があった。県内では、この落雷による火事もいくつかあったようだ。雷雨のおかげで、今朝は久しぶりに少し涼しく感じられた。しかし、週間天気予報によればこの先も最低気温25℃以上、最高気温も35℃前後の日が続くよう。暦上では残暑お見舞いだが、まだまだ酷暑お見舞い申し上げます。 下の写真は昨夜の落雷。部屋の窓から撮影。ISO400、絞り5.6、シャッタースピード1秒。手持ちなのでブレてます。 |
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北朝鮮の軍事偵察衛星の打ち上げを受けて国連の安全保障理事会で緊急会合が開かれた。しかし、その場で北朝鮮の国連大使から「核汚染された水の海への放出は、明らかに生態学的環境を破壊し、人類の存在への脅威となる犯罪行為である」と日本への抗議が行われた。これに対し、日本の国連大使が「科学的根拠にかける根拠のない主張は受け入れられない」と反論したそうだが、貯蔵タンクの7割近くがトリチウム以外の放射性物質も基準を超えて残留しているので、北朝鮮の主張が科学的根拠に欠けるとは思えない。薄めても放出する放射性物質の絶対量は変わらない。植物連鎖と生物濃縮と内部被曝を考えれば、北朝鮮の主張は正しいだろう。薄めて基準値以下だから安全という人は、12年前の事故後に様々な論争が起きた時は寝ていたのだろうか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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←トップ画面を模様替えしました。8月も後半ですが、まだまだ暑い日が続きます。ご自愛下さい。 ↓これまでのトップ画面。 |
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今日の午後1時過ぎ、政府と東電は漁業関係者が反対する中、タンクにたまっている処理水という名の汚染水の海洋放出を開始した。この海洋放出を受けて、香港政府は福島や宮城など10都県からの水産物の輸入を禁止。中国は日本を原産国とする水産物の全面禁輸を発表した。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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30years ago #28 日吉 | ||
デイリー・アン1992年6月3日号日吉特集の表紙に撮影したフィルムの中から。表紙のキャプションには「慶応大学のある街・日吉。駅前の商店街には学生たちの集まる穴場的スポットが点在している」と書かれていた。上の写真は東口にある慶応キャンパス入り口。右側に見えるのは銀杏並木。下の写真はキャンパスと反対側、商店街のある西口駅前。 昨日、慶応高校が第105回全国高校野球選手権大会の決勝戦で、仙台育英に8−2で勝ち、1916年以来107年ぶり、2度目の優勝を果たした。慶応高校も日吉にあり、テレビのワイドショーでは優勝に沸く日吉商店街や住民の映像を流していた。 |
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政府は今日、福島第1原発の処理水をめぐる関係閣僚会議を開き、海洋放出に向けた作業を24日に開始する方針を決定した。この決定を受けて、東電は今日の午前10時半過ぎから現在保管しているタンクから、放出前に海水と混ぜて薄める設備に流し込む作業を開始したという。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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昔、アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)が東方の海の彼方(ニラーハラー)から久高島にきた。ところが久高島は東の波は西に越え、西の波は東に越え、海中の中にたゆたい、まだ島の形はなかった。そこでアマミヤが持参のシマグシナーと称する棒を立て、神に頼んで天から土、石、草、木を降ろしてもらった。それで久高島ができた。 | ||
これが琉球開闢の島と呼ばれ、神の島とも呼ばれている久高島の創世神話だ。この久高島に、外国資本による土地取引の規制を名目に2年前に成立した土地規制法が施行されたという。 ←琉球王国最高の聖地、斎場御嶽の三庫理から、久高島を眺める。 |
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これまで庭木の手入れはシルバー人材センターにお願いしており、年に一度の剪定と冬の雪吊り、それから薬の散布などで年間4〜5万円かかっていた。しかし雪吊りは見た目に風情はあるが、家の庭には必要ない気がする。一年に一度の剪定もそれほど高い木がないので、自分で枝切り鋏を購入してすればいいかなと思い、先週、妹がシルバー人材センターにお金を払いに行くついでに薬の散布以外は契約解除してきてもらった。 | ||
↑↓→先日撮影した庭木。これからは、この写真を参考に自分で剪定するつもり。 |
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15日に近畿地方を縦断した台風7号。当初の予想より西に進んだので、北陸地方はあまり大きな被害はなかったようだ。それでも台風が日本海に抜けた16日の明け方から午前にかけて強い南風が吹くという予報だったので、15日の夜に念のため台風対策として1階入り口のドアに長い棒を渡して補強をした。南向きの入り口は大きな戸が4枚並んでいるだけなので、見るからに風圧に弱そうなので台風などで南から暴風が吹きそうな時はどれだけ役にたつか分からないが、こうして補強している。幸い、風はそれほど強くなく西の方から吹いてきたので無事だった。 | ||
<自民安倍派、集団指導体制を了承 塩谷氏取りまとめ役に>という見出しを見て、目を丸くした。集団指導体制って、習近平政権以前の中国共産党やソ連じゃないの? この他の気になった記事を備忘録として。 |
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30years ago #27 浅草 | ||
デイリー・アン1992年6月24日号浅草特集の表紙用に撮影したフィルムの中から、浅草寺の境内。この頃はまだ、浅草は取材でたまに訪れるくらいだったが、2000年代はよく散歩していた。湯島にあった出版社の仕事が多くなって、その打ち合わせや納品に行った帰りに湯島から浅草まで足を伸ばした。気が向けば浅草から、鳩の街通り商店街を抜けて東向島まで歩いた。 もう一枚、左の写真は近畿日本ツーリストが発行していた旅行雑誌『ジョイフル』1992年3月号の下町特集で撮影した、新門組の組頭、杉林仁一さん。新門組は三社祭のほか、浅草寺・浅草神社の祭りの設営から陣頭指揮までを代々執り行っている。 初代は江戸の火消しで鳶頭、侠客であった新門辰五郎。杉林さんは、その新門辰五郎の末裔であり、7代目組頭になる。 身につけている半纏は浅草寺の礼服で、浅草寺の行事の時に着るそうだ。手前が跳ね上がった草履は、つっかけ草履という履き方。自宅の玄関前で撮影させていただいた。 |
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台風7号が今朝、和歌山県の潮岬付近に上陸し、北上。岡山や鳥取では線状降水帯が発生し、各地で停電や鉄道の運休など大きな被害と影響が出ている。 予想より台風の進路が西側になったので、今のところ富山では雨風の被害はない。お盆のお墓参りは、台風を考慮して昨日のうちに済ませた。午後2時ごろから地元の山の方の霊園にある木原家の墓をお参りし、次に町中にある墓地で親戚のお墓を4ヶ所お参りし、それから二上霊園へ弟と母親の妹のお墓へ。最後は母親の里のお墓をお参りした。スタンプは押してもらえないが、お墓参りのスタンプラリーのようでトータル2時間ほどかかった。 |
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終戦の日(敗戦の日)の今日、現職閣僚の高市早苗経済安全保障担当大臣が靖国神社を参拝し「国策に殉じられた方々の御霊に哀悼の誠を捧げてまいりました」と述べた。 死んで神様と言われるよりも ・杏さんの「教訓1」カバー |
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1989年に『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』(KKロングセラーズ)という本を作った時に、カクテルやBARに纏わる本をたくさん購入した。柴田書店発行の『バー・ラジオのカクテルブック』もその中の一冊で、同じく柴田書店から発売されていた『THE BAR BOOK』と共に本作りの参考にさせてもらった。参考にというか、『THE BAR BOOK』に至っては本の構成など真似させてもらった部分もある。 『バー・ラジオのカクテルブック』の初版は1982年で、自分が買った時は1988年発行の9版だった。神宮前のバー「ラジオ」のオーナーバーテンダー、尾崎浩司さんの手によるスタンダード&オリジナル・カクテルの数々をベネチアン・グラスをはじめとする豪華なグラスを用いて撮影されている。撮影者は大輪真之さんで、1984年にTBSブリタニカから発売された大型写真集『ザ・サントリー・カクテルブック』も大輪さんの撮影だ。カクテルを黒バックで撮るというのは、大輪さんが最初だろうか。 『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』にバー・ラジオは登場しない。あやふやな記憶だが、取材を申し込んだが断られたのではなかったか。バー・ラジオに限らず、オーセンティックなバーの何軒かに取材を断られている。銀座の「クール」や「サン・スーシー」「ルパン」など断られるだろうな、と思いながら取材を申し込んだところ受けてもらえたお店もある。 1972年オープンのバー・ラジオ、86年オープンのセカンド・ラジオはクローズし、現在は98年にオープンしたサード・ラジオだけが営業しているようだ。そして、この文章を書くにあたって検索したところ尾崎浩司さんは2021年11月に亡くなられたそうだ。また、お酒の話しをちょっと気取った文章で書かれていたオキ・シローさんも同じ頃に亡くなられたようだ。『東京⭐︎横浜 BAR GUIDE』を作っていた時に、カクテルに纏わるエッセイをオキ・シローさんに書いて欲しくて、当時オキ・シローさんの本を出していた出版社に連絡先を尋ねたが教えて貰えなかったのを思い出す。 本の終わりの方には「店主独断」と題した尾崎浩司さんの、あとがきが書かれている。その最後は、こんな文章で結ばれている。 カクテルはジャズの演奏に似ています。多くは即興で作られました。そして評判の良い物は繰り返し作られ続け、いつの時代にも合うように少しずつ改良が加えられます。その場の状況に応じて、或いは飲む人の状態によって、多少のアレンジは必要でしょう。私はいつも、最良のプレイを皆様にお届け出来るようにしたいと願っています。<ラジオ>は”批評家”に恵まれています。お陰様で、少しずつですが成長して来られました。銀座<クール>の御主人、古川さんのように、余裕の感じられるプレイが出来るように早くなりたいものです。 『バー・ラジオのカクテルブック』のことを書いていたら、チャンドラーの『長いお別れ』を何十年振りかで読み返したくなった。自分の中で、カクテルとハードボイルド小説は対の存在だから。 |
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↑『バー・ラジオのカクテルブック』は1987年に角川書店から文庫も発売されているが、写真も素晴らしく所有欲を掻き立てられる本なので柴田書店の方がオススメかな。↓本のカバーを外すと布製の表紙が現れる。表にはCocktail at Radioの文字が箔押しされており、裏にはイラストが箔押しされている。 | ||
8月13日(日) |
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今日はお盆の入りだそう。今年は弟の家族、妹の家族のスケジュールを検討した結果、今日集まって一緒に食事をすることになった。この何年かは砺波の魚安で食事をしていたが、今年は大人11人、子供3人という大人数になったせいもあり一昨日電話をしたが予約を取れなかった。他に2軒ほど電話してみたが暦の関係か台風の関係か13日はどの店も混んでいるようで予約が取れなかった。そこで何日か前に新聞に広告が入っていた寿司居酒屋に電話したところ、ようやく席が取れた。 最年長の父親が今年91歳、最年少は弟の娘の子供で1歳。年の差90。なかなか賑やかなお食事会になった。 |
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ちょうど一ヶ月前、高岡市に線状降水帯がかかり、町の中心を流れる小矢部川の水位が氾濫危険水位にまで達した。支流の西明寺川は一部で氾濫し、床上浸水した家もあった。翌日、自転車で小矢部川の様子を見に行くと、水位は少し下がったようだが川の水は茶色く濁っていた。河川敷にはペットボトルやプラスチックの袋が大量に浮き、大きな流木も流れ着いていた。 その小矢部川で昨日、町のイベント「リバーサイドフェスタ」が行われた。いつもは家の横で花火を少し見るだけだが、今年は散歩がてら会場まで行き、ファイヤーショーと花火の打ち上げを見てきた。昼間は突然激しい雨も降ったが、夜のイベント会場は大賑わいだった。 |
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今月の2日にアマゾンでポチったバックドロップ(背景布)が、ようやく昨日届いた。最初は8月4日から8月11日の間にお届けとなっていたが、いつの間にか11日お届けに。そして9日に発送したというメールが届いて、昨日商品が着いた。別に直ぐに必要な訳でもなかったのでいいんだけれど、待たされて気分の良いものではない。 今回購入したのは2mX2mのサイズで、色はシャンパンゴールド。他の色より安い3,080円だった。商品を袋から取り出してアイロンをかけて折りたたみ皺を取らなければならないが、あまりの暑さに色の確認だけした。 |
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今日は午前中に近所のコメリで物干し竿を買ってきた。購入したのは1.66〜3mに伸縮する物干し竿。これを少し改造して、背景スタンドの布を吊るすバーとして使おうと思う。 | ||
↑奥がコメリで買った伸縮式の物干し竿、手前の黒い棒4本が背景スタンドに付属していたバー。4本繋ぐと3mになるが、棒が細く繋ぐと中央の方で弛んでくる。 | ||
↑物干し竿の両端に付いているプラスチック部分の穴。左は購入した時のまま、右はドリルで少し穴を拡張したもの。 ←背景スタンドの上部についているネジの部分を、物干し竿の穴に入れて締める。これで背景布を吊るすバーが完成。 ↓アイロンをかけて折りたたみ皺を取った背景布を、吊るしてみた。付属のバーより全然しっかりしている。このまま巻きつけて収納すれば皺もつきにくい。 |
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昨日、ザ・バンドのギタリスト、ロビー・ロバートソンさんの訃報が流れてきた。 下の写真は渋谷のタワーレコードで開催された映画『ラスト・ワルツ 特別編』DVDリリースに合わせたイヴェントで、ピーター・バラカンさんとのトークショー。トークの後にサイン会も行われた。2002年11月2日撮影。 |
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昨日はもう一人、吉本新喜劇の桑原和夫さんの訃報もあった。老衰のため87歳で亡くなられたそうだ。最近の吉本新喜劇は見ようと思わないが、小学生の頃は毎週土曜のお昼に学校から帰って新喜劇を見るのが楽しみだった。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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長崎原爆の日の今日、ちょうど大石芳野さんの『長崎の痕』(藤原書店)を読み終えた。沖縄戦の体験者を取材した『沖縄に活きる』と同様、静かな中に力強さのある肖像写真と丁寧な被爆者の証言が収められている。そして、この本で「被曝体験者」という言葉があるのを知った。少し長くなるが本から引用させてもらう。 「被曝体験者」という言葉をご存知だろうか。ヒロシマでもナガサキでも、原爆で被曝した人は皆その「体験者」のはずだと、誰もが単純に思う。実はそうではない。ヒロシマにこの言葉は存在しない。広島では広範囲に降り注いだ「黒い雨」による胎内被曝が問題となっているが、行政の歪んだ円での線引きはしていない。けれど、長崎では、ほぼ旧長崎市内に当たる、爆心地から半径南北12km、同東西7kmで被曝した人たちを被爆者とし、その範囲外だと、半径12km圏内でも被爆者と認めないと規制したのだ。 |
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↑富山から奄美へ向かう途中、2泊3日で長崎に立ち寄った。この写真は2010年6月10日に、グラバースカイロードで上がった山の方から撮影した長崎市内の夜景。対岸の左側が長崎造船所だろうか。アメリカが長崎に原爆を落とした理由の一つが、戦艦「武蔵」などを建造した造船所や兵器工場などが集まる日本軍の重要都市だったからと言われている。 | ||
福島第一原発の処理水という名の汚染水が、この夏ごろに放出されようとしている。岸田首相は、これまでの対話を通じて地元の漁業関係者との信頼関係は少しずつ深まっているという認識を示したそうだが、ニュースで登場する漁業関係者の発言を聞く限り信頼関係が深まっているとは思えず、岸田首相の独りよがりではないかと思う。そして「引き続き政府を挙げて、安全性の確保と風評対策について、丁寧に説明を重ねていきたい」と相変わらずの発言が続く。自民党が丁寧に説明などしたことがあるだろうか。少なくとも安倍政権以降、丁寧な説明など聞いたことがない。福島第一の汚染水について一番丁寧に説明しているのは、政府でも東電でもなく東京新聞だろう。こちら。 上記のような説明をした上で、浄化が不十分とされるタンクの汚染水を再度ALPSで処理してから漁業関係者や国民に海洋放出の是非を問うのが筋ではないだろうか。 一昨日、国立科学博物館が光熱費の高騰や物価高の打撃を受け、動植物の化石や標本などの管理をする資金が枯渇しているとしてクラウドファンディングで1億円を募ったところ、わずか9時間半で1億円を達成した。現在は、5億円以上の支援金が寄せられている。なんだか美談のようにもなっているが、そもそも日本を代表する国立の博物館が財政難に陥るなら国が支援すべきだろう。今回のクラウドファンディング成功に政府が味を占めて、ますます学術研究や知的財産・文化財に予算をつけない心配がある。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ポストカード・ギャラリー#11 石田昌隆 ライヴ会場や来日アーティストの取材現場で、一番顔を合わせたのが石田さんだと思う。来日アーティストの場合は取材日が決まっていて、各雑誌1時間ほどの時間が割り当てられる。だいたいインタビューが45分ほどで、残り15分がフォトセッション。割り当てられた時間の中には機材のセッティングや撤収も含まれるので、指定時間の少し前から取材場所の近くで待機している。そんな訳で、石田さんとはよく撮影現場で顔を合わせたがあまりゆっくり話をしたことがなかった。ゆっくり話をしたのは、奄美大島へ移住するために一旦富山へ帰る何ヶ月か前のことだった。 |
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今日は、広島に米軍による原爆投下が行われて78年目の「原爆の日」。広島市の平和祈念公園では、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれた。この平和記念式典で広島市の松井一実市長は「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか」と述べた。全文はこちら。また、広島県の湯崎英彦知事は、核抑止論者に対し「あなたは、万が一核抑止が破綻した場合、全人類の命、場合によっては地球上の全ての生命に対し、責任を負えるのですか。あなたは、世界で核戦争が起こったら、こんなことが起こるとは思わなかった、と肩をすくめるだけなのでしょうか。核兵器は、存在する限り人類滅亡の可能性をはらんでいる、というのがまぎれもない現実です。その可能性をゼロにするためには、廃絶の他ない、というのも現実なのです。今、核抑止論者がすべきことは、この現実を直視し、そのような責任はとりきれないことを認め、どんなに厳しい安全保障環境にあろうとも、どうしたら核軍縮を進め、最終的には核廃絶を実現できるか、そのための知恵の結集と行動に参画することです」と述べた。知事あいさつの全文はこちら。 |
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↑広島の原爆ドーム。富山から奄美への旅の途中、2010年6月6日に撮影。前日は尾道から福山に移動し、この日は福山から宮島の厳島神社を観光してから広島市内に泊まった。市内は浴衣祭りの最終日で、大勢の浴衣を着た人で賑わっていた。 | ||
昨日はミュゼふくおかカメラ館で開催されている大石芳野写真展『戦世をこえて』の関連イベントで、佐藤進さん(富山大空襲を語り継ぐ会)のお話会「富山大空襲の体験と当時の暮らし・世相」を聞きに行ってきた。 沖縄を北上した台風6号だが、その後進路を変えて沖縄・奄美に再接近した。進路を見ると奄美群島をほぼ直撃するコースだ。 演歌歌手の尾形大作さんが、次期衆院選で自民党の公認候補予定者に選ばれたそうだ。スポーツ報知の記事によれば「政治のことはほとんど分かりませんが、命懸けで頑張ります」と述べたという。政治のことをほとんどわからない人が政治家になって、何をするのか何ができるのだろうか。 岸田首相が4日、健康保険証を廃止しマイナンバーカードと一本化する方針をめぐり記者会見を行い、来年秋に保険証を廃止するスケジュールを現時点で維持する考えを示した。その上で、マイナカード を持っていない人などには保険証の代わりとなる資格確認証をマイナ保険証を持たない人全員に申請がなくても交付するという。それなら現行の保険証を今まで通り発行すればいいのではないだろうか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ようやく沖縄が台風6号の暴風域から外れ、スーパーも今日から営業しているところが多いようだ。飛行機は一部で運行が再開されたそうだが、昨日、一昨日の欠航で7万人以上に影響が出た模様だ。今日も329便が欠航し約5万3000人に影響が出る見通しだという。 |
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今回の台風で車が横転し小屋が倒壊し大木がなぎ倒されたというニュースが流れてきたが、屋根や門柱のシーサーが飛ばされたという話しは聞かない。奄美から沖縄に引っ越す時に、台風になったらアチコチからシーサーが飛んでくるんじゃないかと心配していたが、那覇に住んでいた2年間でそんな経験は一度もなかった。シーサーはそんなにしっかり固定されているんだろうか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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昨日、アマゾンのマーケットプレイスで購入した越間誠さんの写真集『奄美 二十世紀の記録 シマの暮らし、忘れえぬ日々』(南方新社)が届いた。越間さんの写真集はもう一冊『奄美 静寂と怒涛の島 日本復帰から平成への記録』(南方新社)があるが、こちらは6年ほど前、マーケットプレイスで533円 +送料という格安で出品されていた時に購入した。『二十世紀の記録』もずっと欲しかったが、なかなか安い価格での出品がなかったので待っていたところ、ようやく800円+送料で出品されていたので購入した。 奄美大島の名瀬に住んでいた2年の間に、県立奄美図書館の郷土コーナーで民俗学の本や写真集を借りて読んだ。郷土コーナー全ての本とは言わないが、それでもかなりの本を借りて読んでいる。その中で一番刺激を受けたのは越間誠さんの『奄美 二十世紀の記録』と『奄美 静寂と怒涛の島』の2冊だ。越間さんは奄美大島の北部にある佐仁集落の生まれで、本に記載されているプロフィールによれば名瀬市役所勤務の後、南海日日新聞の記者、南日本放送嘱託・名瀬支局長を務め、1977年に自身の会社コシマプロダクションを設立している。奄美大島から離れることなく、一貫して奄美群島の写真を撮り続けた写真家ではないかと思う。 |
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奄美大島に移住していた2年間に、島の行事やお祭りで何度か越間さんをお見かけすることはあった。一番最初は2010年9月4日に名瀬にある奄美文化センターで開催されたイベント『十五夜唄あしび』だった。佐仁集落のボレ歌と八月踊りが披露されたのだが、アチコチ動きまわって写真を撮っている年配の男性がいて、それが後になって越間さんだと知った。 ・奄美文化センターでの十五夜唄あしび「佐仁の八月踊り」。 |
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↑佐仁集落の八月踊り。左の建物が新しく完成した農作業小屋だろう。 |
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↓重箱を持っている方が、越間誠さん。 |
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大型の台風6号が今日から明日にかけて沖縄や奄美地方に接近する模様で、昨日から飛行機の欠航も相次いでいる。スーパーのサンエーは普通に臨時休業だが、臨時休業するかどうかで台風の大きさ危険度がわかると言われているユニオンも全店舗で夜間の閉店を決めたというから台風6号への警戒度がわかる。昼間にユニオンのホームページをチェックした時は何もなかったが、夜にのぞいてみるとユニオン一時閉店いたしますというお知らせが掲載されていた。 国民民主党の玉木代表が30日に福岡市であった党員・サポーター集会で、党の立ち位置について「自民党のアクセル役になりたい」と述べたという記事を見て目を疑った。もう党を解散して自民党から立候補してはどうか。少し前には日本維新の会の馬場代表が自民党と維新の関係について「第1自民党と第2自民党でいい」と発言している。国民民主と維新はコバンザメのような政党だと思っていたが、まさか自分たちが臆面もなくそれを言うとは思わなかった。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ポストカード・ギャラリー#10 霜田恵美子 彼女のイラストを初めてみたのは「ビックリハウス」だったか「宝島」だったか。どちらも80年代のサブカルを代表する雑誌だった。 |
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彼女と一度会ってみたいと思っていた時に、双葉社の週刊大衆臨時増刊号で団塊世代特集を出すことになり、団塊世代への若者からの手紙という編集ページで彼女に文章を書いてもらった。好きなことを書いてもらったのだが、彼女の手紙の宛先は糸井重里さんで、今読み返してみるとなかなか痛烈な批判が書かれている。 このポストカードは、文章を書いてもらった年にいただいた年賀状。その後、彼女はニューヨークへ移住したが、そこから先の情報はネットで検索しても分からない。 80年代にはたくさんの作品を描いていたと思うが、著作は以外と少ない。自分が持っているのはJICC出版局から発売されたキャロル霜田名義の『SUPER PSYCHIC DOMANGA ウルトラマイナー』だが、他は『一生のお願い』(ソニーマガジンズ)、『ライブ!ニューヨークから』(日本交通公社出版事業局)くらいのようだ。 「ビックリハウス」と「宝島」は定期購読していた。宝島は本棚に並んでいるが、ビックリハウスはダンボールに詰めて保管したはずだが、そのダンボールの行方がわからない。 |
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30years ago #26 向ヶ丘遊園 | ||
デイリー・アン1993年3月3日号向ヶ丘遊園特集の表紙用に撮影したフィルムから。上の写真中央に写っているのは小田急線の向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園正門までを走っていたモノレール。下の写真は向ヶ丘遊園。 この撮影をした1993年は小田急線の鶴川駅の方に住んでいたが、4年後の97年に急行も止まる向ヶ丘遊園駅の近くに引っ越した。けれど向ヶ丘遊園に行ったのはこのデイリー・アンの撮影の時だけだと思う。モノレールもほとんど乗ったことがない。駅と遊園の間、約1.1kmの区間しか運行していないので機会がなかったし住んでいれば自転車の方が便利が良かった。このモノレールは2001年に廃止され、向ヶ丘遊園自体も翌2002年に閉園された。 向ヶ丘遊園には1997年から2010年の3月まで住んでいた。新宿まで小田急線で1本、下北沢で乗り換えれば渋谷や吉祥寺にも行けるし、代々木上原で地下鉄千代田線にも乗り換えられる。多摩川まで自転車なら5分ほどだし、隣りの登戸駅までは歩いて10分ほどしか離れていない。登戸まで歩けば、南武線に乗って川崎や立川にも行けた。駅前には大きな本屋やスーパーもあり、個人経営の飲食店もたくさんあって便利だった。 駅前にあったモノレール乗り場は駐輪場に代わり、モノレールの橋脚やレールは少しづつ解体されて街から消えていった。たぶん、新しく向ヶ丘遊園に引っ越してきた人は、ここにかつてモノレールが走っていたことなど想像もできないだろう。 |
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