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◯7月28日(金)〜30日(日)庄川 弁財天社 式年御開扉大祭 33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月 | ||
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *富山県内のお祭り、イベント *富山の祭り *築山行事 *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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◯富山県 新型コロナウイルス感染症について http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U ◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/ ◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html ◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/ ◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ◯沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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メディア関連 ブログなど |
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*web電卓 *漢字辞典 *2023年カレンダー |
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国連事務総長が「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が来た」と言い、地球上で12万年ぶりの暑さとなることはほぼ間違いないと専門家が指摘する。年々地球の生存環境が過酷になっている。戦争をやったり、敵基地攻撃だといってミサイルやロケットを飛ばしている場合ではないだろう。 この他の気になった記事を備忘録として。 明日20時からの日曜美術館は「永遠なるサグラダ・ファミリア〜“神の建築家”アントニ・ガウディ〜」を再放送する。 |
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ポストカード・ギャラリー#09 大西基 大西さんの名前を初めて見たのは、雑誌『宝島』かな。たぶんライヴ写真の撮影クレジットに、大西さんの名前があって覚えたのだろう。 |
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↑大西さんの個展の案内ハガキ。モノクロ・プリントの年賀状と迷ったが、やはり大西さんはピンホール・カメラかなと思いこちらにした。大西さんがピンホール・カメラで撮影した個展は2回ほど見に行った。会場に入るとアンケート回収箱のようなものが置いてあって、何だろうと思ったら、その木の箱が大西さん自作のピンホール・カメラだった。 | ||
↑大西さんをフィーチャーした犬棒通信4号。ライブハウスの前の道路で撮影。隣の女性は誰だろう?? ←犬棒通信には、2009年に映画化もされたエッセイ集『私は猫ストーカー』の著者でイラストレーター・エッセイストの浅生ハルミンが「あら、エッチ」というコラムを書いていた。彼女がまだデイリー・アンの編集部でバイトしている頃か、デザイン事務所に移って直ぐの頃だと思う。 |
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30years ago #25 鎌倉 | ||
デイリー・アン1992年6月10日号鎌倉特集の表紙用に撮影したフィルムの中から、鶴岡八幡宮。 鎌倉も雑誌やガイドブックの撮影で何度か訪れているし、高校の修学旅行は東京だったが自由時間に友達何人かと鎌倉へ観光に来た。覚えているのは鎌倉でジャズ喫茶に入ったのと、お土産屋で竹製のスプーンを買ったこと。その竹製スプーンはまだ現役でカレーを食べる時に使っている。 左の写真は、「ブンガワン・ソロ」の作者として知られるインドネシアの音楽家、グサン・マルトハルトノさん。この撮影をしたのも1994年4月1日なので、やがて30年になる。 インドネシア音楽祭の出演と、ビクターでのCDアルバムのレコーディングのために来日したが、忙しいスケジュールの合間に日本グサン基金協会の方々との鎌倉観光をした時に撮影した。グサンさんの桜が見たいというリクエストに応じての鎌倉観光だったと思う。鎌倉観光で疲れただろうと思われるが、その日の夜にビクターの青山スタジオでレコーディングが行われた。その作品が、『ブンガワン・ソロ/哀愁のインドネシア歌謡』。中村とうようさんがプロデューサーになっている。 |
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気温が高いだけでなく、昨日と今日の午前中はあまり風も吹かないので、危険な暑さだった。今日は昼頃に突然激しい雨が降ったが、文字通り焼け石に水だった。それでも午後は少しだけ風が出てきたのが救いだったか。 昨日の午後、自転車での買い物帰りに空を見るともくもくと雲が湧いていた。家に帰り、2階の部屋から雲を撮影。広角では雲が入りきらないので、超広角レンズを使った。奥の雲の下の方では雨が降っていそうだ。この後、こちらにも雨雲が流れてくるかと思ったが天気が荒れることはなかった。ちょっと雨が降ってくれれば、少し涼しくなったかもしれない。 |
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今朝、アイルランドの女性シンガー、シネイド・オコナーの訃報が流れてきた。 「UFOの残骸を秘密裏に回収」元米情報要員が証言、国防省は否定。この記事を読んで、中学の時に班ごとに新聞を作るという課題制作があってUFOに関する新聞を作ったのを思い出した。校舎の窓からタイヤのホイールか何かを投げて写真に撮り、謎の飛行物体として掲載した。思えば、これがカメラマン・デビューだったのか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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パナソニックのリコール製品回収で送られてきた15,000円で、扇風機2つとフロアライト1つを購入した。普通の扇風機は近所のホームセンターコメリで買い、ちょっと小型の扇風機はヨドバシの通販サイトで、フロアライトはアマゾンで買った。フロアライトは一昨日、小型の扇風機は昨日届いた。 最近の楽しみは寝る前に1階でアナログレコードを聴くことで、その際には部屋を真っ暗にしているが、何か小さな灯りが欲しいと思っていた。そこで間接照明になるフロアライトを購入。さっそくフロアライトに家にあった40wの電球を取り付けて点灯させてみたが、思っていたより明るい。20wくらいでも十分かな。 |
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↑小型でも風力は充分な扇風機。↓→間接照明で居心地の良い空間に。 |
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先日、アマゾンのマーケットプレイスに比嘉康雄さんの「神々の古層」シリーズが安く出品されていないかチェックしたら、「神々の古層」シリーズは安く出品されていなかったが、沖縄写真家シリーズ〔琉球烈像〕の『情民』が333円+送料257円で出ていたので迷わずポチッと注文した。この写真集は新品4,950円でも販売しているが、古書だと333円の次は8076円以上の値段になっている。333円は格安だが、マーケットプレイスではたまにこんなことが起きる。 「神々の古層」全12巻のうち8巻は持っているが、全てマーケットプレイスで購入したもので、だいたい500円前後だったと思う。残り4冊だが、どれも沖縄に住んでいた時に2回ほど図書館で借りて読んでいて直ぐに必要な本でもないので格安なものが出るまで気長に待つことにしている。 |
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7月25日(火) |
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梅雨があけたら連日の猛暑、いや、体感的には酷暑。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ポストカード・ギャラリー#08 舘岡豊照 油絵を習っていた時期がある。20代の前半で、小田急線の鶴川駅から歩いて10分ほどのアパートに住んでいた。 |
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舘岡さんは相変わらず絵画教室を開いて子供達に教えているようで、学展(学生油絵コンクール展)の最優秀指導者賞をなんども受賞しているそうだ。 ◯銭湯のような教室で生まれる絵 アトリエ一番坂 舘岡豊照・悦子さん ←舘岡さんからの年賀状。色の付いた絵もあったが、墨だけのカードにした。 ↓町田の美術館で個展を開催された時に撮影した記念写真。印画紙の箱に様々なプリントと一緒に入っていたので、ご本人にプレゼントする写真のテストプリントだろう。 |
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昨日、四国と北陸地方が梅雨明けした。富山も本格的な夏だ。 先週の線状降水帯による被害は小矢部川の北側の方が酷かったというので、昨日の午後、自転車で様子を見てきた。 小矢部川の水嵩はだいぶ減っていたが、水はまだ少し濁っていた。橋を渡って下向田の方へ行くと、アスファルトの道路が泥で茶色くなっている。道路脇の用水が豪雨で氾濫し、泥水が溢れたのだろう。近くを流れる西明寺川も水が溢れた痕が残っていた。道路の一角に、電化製品や家具がまとめられていた。床上浸水した家のものだろうか。 下向田から山裾にある五位用水沿いの道を通って、赤丸、石堤の方まで自転車を走らす。先日、チューリップテレビで石堤にあるカーショップと仕出し屋さんの家屋の中まで泥水が侵入したというニュースを見たが、こちらはだいぶ片付いているようだった。石堤から小矢部川に戻り、土手をまた少し走って帰ってきた。 |
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↑水量はだいぶ減ったが、まだ少し水は濁っている。 |
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↑右隣りの用水が氾濫し、泥水がアスファルトを覆ったのだろう。 |
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↑西明寺川の氾濫の痕。今日の北日本新聞に、もう少し奥にある中学の同級生の家が床上浸水し、高校生がボランティアで泥出しを行ったという記事が掲載されていた。 | ||
↑床上浸水した家から出たと思われる電化製品や家具。 |
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↑小矢部川の水嵩はだいぶ減ったが、大きな流木などはそのままだ。 |
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←梅雨も明けたので、トップページを模様替えしました。奄美大島・大和村の端にある今里集落。路地の先に広がる海と青空が夏のイメージ。 ↓これまでのトップページ。 |
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夏休みが始まったばかりだが、昨日、福岡県で小学6年生の女の子3人が川で溺れて亡くなった。また、今月17日に川遊びをしていて溺れ、意識不明になっていた長野市の小学1年生の男の子が、今日の午前に搬送先の病院で亡くなったそうだ。亡くなった子供たちも可哀想だが、子供を失った親の気持ちを想像すると居た堪れない。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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昨年、家のリフォームをするために2階の書庫兼物置を片付けていたら、存在を忘れていた撮影データ・ノートやフィルムが出てきた。下の方に添付した写真のものは『中村とうようの収集百珍』(ミュージックマガジン)という、とうようさんのコレクションを収載した本のために撮影したフィルムの残ポジと、テスト用のポラロイドなど。 『植草甚一主義』に「ライバルはニューヨークへ」という浅井慎平さんのエッセイが収められている。このエッセイで「写真家というものの資質のひとつがコレクターだと、ぼくは思っているのだが、その考えで行けば、植草さんは、もっとも写真家に向いているのではないだろうか」と、浅井さんが書いており、その文章に植草さんがシドニーで撮影した写真が添えられている。塗装の剥げた壁や柱などがモチーフで、味わい深い写真だ。このエッセイの何ページか後には、ゴロゴロと並べられた植草さんのカメラコレクションが掲載されている。キャプションには<一昨年あたりからニューヨークのウォーター・ストリートとかホボーケンの汚ない町の色が出したくなって、カメラ学校へ通って写真の勉強をはじめからやり直そうとしたところ、最近のカメラがこんなにたまったわけです>と書かれている。 とうようさんのコレクションは武蔵野美術大学に寄贈され、武蔵美のホームページの中の『地球が回る音』というサイトで収蔵品を検索することもできる。LPやSPといったレコードや書籍、楽器や蓄音機などのオーディオは収蔵されているのだろうが、テレサ・テンの水着姿の写真をプリントしたライターや、平田国二郎さんからのお土産でいただいたというスタックス・スタジオを取り壊した時のレンガ、とうようさん自身がレプリカだろうと言っていた唐三彩の置物なども武蔵美に収蔵されているのだろうか。 明日で、とうようさんが亡くなって12年が経つ。 |
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↑35mmが20本、ブローニーが52本あった。この頃は、水道橋にあったエッグに現像をお願いしていた。 |
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↑撮影初日はとうようさんからの指定で、近所の公園で楽器や木彫りの置物などの撮影。残ポジなので若干オーバーだったりアンダーなフィルムが多い。 | ||
↑垂直と奥行きを出すため4x5のカメラを使用しているが、経費節約と時間短縮でブローニーのホルダーをつけて撮影。 |
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↑SPレコードを収納した棚。照明は部屋のタングステン。そのままの撮影と、フィルターで若干補正しての撮影。 |
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↑撮影データ・ノートに貼り付けてあるテスト用のポラロイド。裏には撮影した時の絞りが書いてある。本はオールカラーだが、カラーのポラは現像時間が長いので、モノクロのポラを使っていた。モノクロのポラは1分弱くらいで、カラーは3分ほどだったろうか。僅かな差ともいえるが、撮影中はその2分も待てない。 | ||
↑コレクションの撮影を始める前に、打ち合わせを兼ねてとうようさんの家を訪問し、当時持ち歩いていたフロッピーディスクに記録するソニーのマビカで被写体となるものを撮影。マビカで撮った写真をプリントして撮影リストにした。 | ||
先月、近所の電気屋さんを通してリコール対象品の除湿機をメーカーに送ってもらったが、今日、そのメーカーであるパナソニックから現金書留で15,000円が送られてきた。1万円だと思っていたので、ちょっと得した気分。 | ||
岸田首相が来週にも豪雨災害のあった九州へ訪問に行くそうだが、何周遅れの対応だろうか。被災した人の中には、今さら来なくてもいいよと思っている人も居るだろうな。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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まだ7月だというのに、この3日ほど猛暑が続いている。明日は雨が降る予想なので、少しは気温が下がるのだろうか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ポストカード・ギャラリー#07 鈴木敏也 1980年代後半、渋谷にあったライブハウス「LIVE INN」が、ミッドナイト・ソウル・パーティーというイベントを開催していた。これは海外から招聘したソウル・ミュージックのグループが真夜中から未明にかけてライヴを行うというもので、ブラック・ミュージック好きの女の子もたくさん集まって会場は熱気があった。 |
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ブッキングはウシャコダのマネージメントをしていたサロンゴ・ミュージックの木下さんが担当しており、撮影に来ないかと声をかけられたのが始まりでsosバンドやコモドアーズなどを撮影に行った。 このミッドナイト・ソウル・パーティーで会ったのが鈴木敏也さんだった。ソウル、ブルースを中心に撮影しているカメラマンで、たしかニューヨークで皿洗いをしながらミュージシャンを撮ったりしていたと聞いた。1980年代後半から1990年代初めにかけてのバブルの頃は、ブラック・ミュージック・バブルでもあり、次々にソウル系のグループが来日し大箱のライブ・ハウスや期間限定のライブ会場でパフォーマンスを繰り広げた。 鈴木さんとはそうしたライブ会場でも顔を合わせたが、当時使っていたフィルムの現像所が同じ外苑前にあった堀内カラーだったので、ここでもよく顔を合わせた。現像の上がりを待つ間、近くのファースト・フード店へ行き、お茶をすることもあった。お互いに音楽雑誌の他に料理雑誌の撮影もしていたので、共通の話題が多かった。 鈴木さんからの年賀状もミュージシャンの写真が多かったが、これは珍しく風景のスナップ。ニューヨーク、マンハッタンだ。 |
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30years ago #24 都電荒川線 | ||
デイリー・アン1993年2月3日号都電荒川線沿線特集の表紙用に撮影したフィルムの中から。乗り鉄でも撮り鉄でもないが、町中をのんびりガタゴトと走る路面電車はわりと好きだ。富山から奄美大島へ向かう道中も、広島や長崎、熊本、鹿児島市内を走る路面電車に乗って観光した。雨の日などは一日乗車券を買って、路線の端から端まで乗ってみたり。それでも都電荒川線に乗車した記憶が、この撮影以外にないのは三ノ輪橋から早稲田というあまり自分の行動範囲にない場所を走っていたのと、都電で一駅二駅の短い距離なら散歩がてら歩いてしまうからかもしれない。 | ||
今日の富山は曇りだが、東北で激しい雨が降り河川の氾濫も起きているようだ。 昨日の朝、秋田県能代市にあるロケット実験場で、イプシロンS燃焼試験中に爆発があった。今回の件だけではなく、このところ主力ロケットの打ち上げ失敗が続いている。こちらの記事の後半にまとめられているが、昨年10月12日にイプシロン6号機が打ち上げ失敗、11月には日本初の月面着陸を目指した無人探査機「OMOTENASHI」が着陸を断念。今年に入っても主力ロケットであるH3の初号機が2月17日の発射直前に打ち上げ中止になり、3月7日に再び打ち上げたがエンジンが着火せず失敗に終わった。そもそも日本のロケット開発をJAXAと共に担っている三菱重工は約1兆円の開発費を投入し国産初の日の丸ジェット旅客機「スペースジェット」を2008年から開発していたが、今年2月に開発を断念している。このプロジェクトには経産省からも約500億円の研究費が支援されていた。ものづくり大国はもう過去の話しになっている。ちなみに、スペースジェットの開発を断念した三菱重工が次に開発を進めるのが次世代型原子炉というのは、ホラーと言うしかない。 昨日インドネシアで開かれた東アジアサミット外相会議で福島第一原発の処理水(汚染水)の海洋放出は安全だと主張した日本に対し、安全ならば飲料水として日本国内で使用すればよいと中国が主張したそうだ。正論である。これに対し、松野官房長官は「中国側に対しては科学的根拠に基づいた議論を行うよう強く求めていく」とし、「高い透明性を持って国際社会に丁寧に説明していく」という。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ポストカード・ギャラリー#06 蛭子能収 10代~20代の頃が一番マンガを読んでいた時期だ。物語(ストーリー)を考え、絵と言葉で表現する。当時、一番クリエイティブな仕事がマンガだと思っていたし、実際、豊かな才能が集まっていると感じた。家の本棚に占めるマンガ本の割合も、けっこう多い。蛭子作品は『地獄に落ちた教師ども』(青林堂)、『ゲイジュツ魂』(青林堂)、『超短編傑作漫画集 蛭子能収』(JICC)の3冊を持っている。 |
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武蔵境から西武線に乗って一緒に競艇場へ。基本的にギャンブルはやらないのだが、蛭子さんに誘われて1レースだけやってみたが、ビギナーズラックはなかった。蛭子さんは10レースで、1勝9敗。インタヴューはレースの合間に、競艇場の食堂で行った。 「お金があっという間に入るところがオモシロイですね。あっという間になくなるときは悲しいですけどね。でも、行く前は必ず勝つような気がするんですよ(笑)。 レースの前の晩は興奮して眠れないんですよ。で、朝、もの凄く早く目が覚めるんだけど何もすることがないから布団の中で悶々としてるんです。時間が来るのを待つだけ。早く来ないかなナと。その時間がもの凄く待ち遠しいんですよ。で、待ちきれなくて家を出ると1時間も早く着いちゃうんですよ。そうするとパチンコ屋に行くんですよ(笑)。で、パチンコ屋で意外にも5~6千円負けるんですよね。それがイタイんですよ(笑)」 このポストカードは、蛭子さんからいただいた年賀状。全部で3枚(3年分)あったが、他の2枚は印刷(プリントゴッコ?)だが、これはサインペンで描いたものだろうか。 |
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7月13日(木) |
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昨晩から今日の未明にかけて富山県に線状降水帯がかかり、雷を伴う激しい雨が降った。夜中の1時45分と3時5分に、高岡市から<警戒レベル4避難指示を発令>というエリアメールが届き、その着信音で起こされた。幸い避難指示地域には入っていなかったが、小矢部川と岸渡川が氾濫危険水位に達していた。 下の写真は今日の午前、雨が止んだので小矢部川の土手を自転車で走って撮影してきたもの。 |
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この他の気になった記事を備忘録として。 ◯マイナカード交付枚数、過大計上が判明 ◯拡大し続けるサグラダ・ファミリアの増築計画に、地元住民が猛反対。1万5000人が立ち退き対象 ◯琉球王府にも献上したウミヘビの燻製 「久高島のイラブー漁」を映画化 1978年の映像活用、資金募る |
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ポストカード・ギャラリー#05 小沢忠恭 CBQ(CAMERA BOY’S QUARTERLY)という、ミノルタのαシリーズ用の無料PR誌があった。イベリア半島の旅から帰ってきていくつかの出版社に写真や企画を売り込みに行ったが、当時世界貿易センターの中に入っていたミノルタにも、このCBQで企画ページをやらせてもらえないか売り込みに行った。すると担当者が、CBQはダイヤモンド社の情報局に制作を任せているので、そちらに聞いて欲しいと連絡先を教えて下さった。 |
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↓CBQ1987 SUMMER NO.9号の表紙と裏表紙。 |
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ここ数日の大雨による災害が各地で起こっている。福岡県と佐賀県では土石流などで6人が死亡し、2人が不明だという。まだ復旧作業の途中なので、家屋やインフラ施設などへの被害の全貌が分かってくるのはこれからだろう。 2013年4月24日から25日まで、一泊二日で与論島の十五夜踊りを撮影に行った。旧暦の3月15日だった4月24日の15時から地主神社で神事が行われ、その後、神社の下にある広場で十五夜踊りが始まった。終わったのは19時頃で、それから歩いて宿へ帰った。宿はわりと部屋数のある民宿だったが、観光シーズンではなかったので宿泊客は自分一人だった。宿の主人が呑みませんか、と声を掛けてくれた。宿のゆんたく処で差し向かいで、与論島の黒糖焼酎・有泉を呑んだ。与論島は前年の2012年の夏、ひと月程の間に3回も台風に直撃されていた。宿の庭にあった大きな倉庫のような建物の壁も剥がれていたし、周辺にも台風で倒壊したと思しき家屋がいくつかあった。宿の主人が、「フィリピンは台風の通り道でしょっちゅう直撃されて家が破壊されているけれど、台風に備えて頑丈な家を造った方が良いのか、どうせ壊されるんだから簡易な家にして、また直ぐに造り直せるようにした方がいいのか。どう思います?」と聞かれた。もう10年も前でお酒も入っていたので、どう答えたのか覚えていないが難しい選択だと思う。 |
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↑↓2012年の台風で破壊されたと思しき建物。与論島にて。 |
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香川県義8人が今年11月に知事に同行してブラジル、パラグアイ、アメリカを訪問する予定だが、その派遣費用が総額2100万円に上ることがわかり、市民団体が「派遣人数を減らすなり、中止するなり」陳情したが7日に開かれた県議会の総務委員会で採択が行われ、市民団体の陳情は不採択になった。こちらの記事によれば、飛行機はビジネスクラスを使い、彼らが宿泊する予定の施設には一泊6万6000円の高級ホテルもあるという。派遣の目的は移住者や現地の県人会との友好親善だそうだが、税金を使うのだから県民、国民から納得が得られるような使い方をするべきだろう。エコノミーで移動しビジネスホテルで宿泊。それでも良いから、現地の人たちと友好親善をしたいという議員だけ行けばいいのでは? この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ポストカード・ギャラリー#04 成田ヒロシ 漫画家の永島慎二さんを愛称の「ダンさん」と呼ぶ人は、身近ではヒロシさんだけだった。ヒロシさんと知り合ったのは1980年代の前半。南正人や浅川マキが唄った「あたしのブギウギ」はヒロシさんが作詞している。職業は作詞家?と言えば、ちょっと違う気もする。YouTubeから「あたしのブギウギ/浅川マキ」。 成田ヒロシ。詩人。造形作家。 |
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7月8日(土) |
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パンタこと中村治雄さんが、昨日亡くなった。73歳だった。今年になって緊急入院したというニュースが流れ、重い肺ガンだというので、いつかこういう日が来るんだろうか、と覚悟していた。 ーーー 頭脳警察は政治集会でも演奏したと聞いてますが。 パンタさんのアルバムの中で一番好きなのはパンタ&ハルの『マラッカ』だけれど、2番目によく聴いたのは再びソロになってからの『KISS』だったりする。佐藤奈々子さんが詞を書いている、全曲ポップなラブ・ソング中心のアルバム。このアルバムに関しては、「パンタがラブ・ソングを歌うなんて」とファンから強い反発があり不買運動が起こったり、「パンタを殺してオレも死ぬ」という手紙が来たそうだ。 パンタ ボクらは電話リクエスト世代で、葉書こそ一枚書いたか書かないか覚えてないけど、やっぱりヒット・チャートばっか聴き漁って、シングル盤買い漁って。そういう世代だったからロックうんぬんの政治性とかポリシーとかじっさい関係なかったんだよね、根は。ところがやっぱりそれに対して、ロックっていうのはこういう事をやっていくっていう考え方っていうのが出てきちゃって・・・そういうことをいっさい捨ててね、やりたかったのね。 パンタさんのバイク好きは有名だ。彼がデザインしたオリジナル・バイクはプラモデルにもなっている。『唇にスパーク』のジャケットはバイクのマフラーらしきものをスタンドマイクに見立てて抱えている。インタビューの最後に少しプライベートな事も聞いてみた。 ーーー わりと気軽にバイクで旅なんかしちゃうほうですか? やがて40年前の稚拙なインタビューだが、音楽雑誌には載らない様な話しがあるかもしれないと思い少し書き起こした。このインタビューをした当時は町田市の鶴川に住んでいた。鶴川駅は和光大学の最寄駅で、和光大学へ続く緩やかな坂道の下にはまだ機動隊のカマボコが常駐していた。そんな時代。 YouTubeからパンタさんの曲の中で一番好きな「つれなのふりや 」。メッセージ性ウンヌン関係なしに、とにかくカッコイイ。 |
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ポストカード・ギャラリー#03 廣田治基 十文字美信さんの元から独立し、仕事はファッションと広告がメインで、専属のアシスタントを抱え、事務所は六本木。まだ写真を始めたばかりのボクに、廣田さんは眩しい存在だった。 |
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ミスコンファイナリストが福島第一原発を視察という記事が流れてきた。意味がわからない。処理水の安全性を国民にも理解できる様にPRしたいなら、その100倍に薄めて安全だという処理水を東電関係者、経産省、担当大臣や首相が1年間ほど自身の飲料水として活用してみればイイじゃないか。2021年4月に「WHOの基準の7分の1まで希釈してある。そこが一番肝心。飲めるんじゃないですか。普通の話なんじゃない」と言った当時財務相だった麻生太郎氏には、ぜひ1番に飲んでいただきたい。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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富山の女性ボーカル・ユニット、gravaのリーダー布上智子さんがMCを務めるNHK富山放送局の「新桜町Sound」。先週土曜日、6月30日はテレビ公開生放送があり、gravaをはじめとする5組のミュージシャンが出演した。その中に1組名前の知らないミュージシャンがいて、それがMisiiNだった。 他の4組は富山県出身だが、彼女たちは東京と埼玉出身で、現在は東京と富山の2拠点で活動しているという。彼女たちの出演は3曲だったが、そのカッコ良さに驚いた。クールなラップと美しいトラック。番組が終わってから直ぐにYouTubeで検索したが、音楽だけではなく映像も素晴らしかった。そのほとんどを自分たちで創っているようで、さらに驚いた。 音楽はわりとなんでも聴く方だが、一番聴かないのがラップ、ヒップホップ。それでもこれだけ魅かれたのは、彼女たちの創る音楽に切実さがあるからだろうか。音楽への彼女たちの切実さ、彼女たちが創った音楽から感じる切実さ。そのリリックが心に刺さり、美しいトラックに癒された。 音楽の切実さで言えば、タイプは違うけれど松崎ナオ(鹿の一族)に感じたものと似ている気がする。 小さなクラブもいいだろうけど、大きなフェスでも見てみたいと思う。 YouTubeから「LETGO」「alone alone,heiio?」「fall」「with your decisions」「loveyourself 」。 |
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ポストカード・ギャラリー#02 徳野雅仁 |
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イラストレーターの徳野雅仁さんに初めてお会いしたのは、『Vegeta』という誠文堂新光社が発行する野菜の雑誌の取材だった。1988年のことで、座間のアパートに住み、部屋の前の畑で無耕転・無除草・無農薬で野菜を育てる自然流農法をされているのを撮影した。 お会いするのは初めてだったが、徳野さんの作品は六耀社から出ていた『視覚トリック/福田繁雄』という美術書に掲載されているのを見た事があった。M.C.エッシャーのだまし絵に嵌っていた頃に買った本で、だまし絵的なイラストや、陶器で作った新聞や雑誌など、面白い作品が掲載されていた。そんな中に、徳野さんの「犬」「なわとび」「流れる顔」という3つの作品があった。 取材した時には、部屋にキーボードやアンプ、ミキサーなどが置かれていた。当時の雑誌を読み返すと、作曲した40曲あまりの作品を仕上げるために揃えられたようだ。 ←このポストカードは、取材した年に頂いた年賀状。wikiによると、現在は千葉の大網白里市に住まわれているようだ。 |
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↓→『視覚トリック/福田繁雄』(六耀社) |
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7月5日(水) |
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岸田首相が今月から全国行脚を始め、市民と車座集会などを行って「聞く耳」をアピールするそうだ。下落している支持率の浮揚に繋げたいようだが、国民や医療関係者の多くが反対している保険証とマイナカードの一体化を未だに推し進めようとする彼の聞く耳など誰が信じるのだろうか。そもそも2021年の総裁選の際に自慢気に記者会見で披露していた岸田ノート、あんな小さなノートに書き切れるほどの中身しかないのだろう。ノートの中身は公開されていないが、本当に聞く力があって、それをアピールしたいなら一度中身を公開したらどうだろうか。 ◯借金返済よりも防衛費に充てる?…2022年度の決算剰余金2兆6000億円 「将来負担が増える」やり方 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ポストカード・ギャラリー#01 飛木恒一郎 先月、1階と2階を繋ぐ階段横の壁に自分が持っている写真家の方々のプリントを額装して飾ったが、写真家やイラストレーター、画家の方々から頂いた年賀状や個展会場で貰ったり買ったりしたカードもたくさんあることに気づいた。そこでダイソーでハガキサイズの額縁を買ってきて、階段横の壁に飾ることにした。先ずはミュージック・フォトグラファーの飛木恒一郎さんの年賀状。 飛木さんは、ボクが写真を始める前から知り合いだった数少ないカメラマン。初めてお会いしたのは、そうる透さんのローディーをしていた19歳くらいの時だと思う。透さんがおとぼけキャッツとCROSSWINDのドラマーをしていた頃で、飛木さんは立東社の『ロッキンf』の仕事でライヴの撮影に来ていた。 |
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↑↓デヴィッド・ボウイ、キース・リチャーズ、ジェフ・ベックの3枚で悩んだが、やはり飛木さんはベックの写真だな。 |
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今日開催される山下達郎コンサートを最後に、中野サンプラザが閉館する。それほど多くはないが、中野サンプラザでも何人かのアーティストやバンドのライヴ撮影をしたことがある。 |
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河野デジタル担当大臣がフジテレビの情報番組で、現役医師からマイナンバーカードについて「今のところデメリットのが多い」「保険証がないと修正できない」などと制度についての不満を述べられ、それに対して「ベースを作っている段階」だと主張したそうだ。保険証を廃止しマイナンバーカードに一体化させるという国民を巻き込んでの制度が、まだベースを作っている段階とはどういうことだろうか。言ってみれば国家的なプロジェクトになるわけで、それならばきちんとベースを作ってから制度を運用するのが筋だろう。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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明後日、7月4日(火)の『世界ふれあい街歩き』(NHK BS)は、スペイン北部のビルバオとサン・セバスチャンで個人的に楽しみにしている。 1986年のイベリア半島の旅の終盤、ポルトガルを大西洋沿いに北上してスペイン北西部のガリシア地方に入った。ポンテべドラ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ラ・コルーニャ、ルーゴとガリシアの街をまわって、そろそろマドリードに戻ろうかと思っていた。ところがルーゴの宿で時刻表と地図を見ていたら急にバスク地方に行きたくなった。時刻表には20時2分ルーゴ発のサン・セバスチャン行きがあり、あと一時間ほどで出発する。泊まらないけれどその日の宿代400ペセタ(500円ほど)を払って、駅に向かった。たぶん日本から持って来たパンプローナやサン・セバスチャンを舞台にしたヘミングウェイの小説『日はまた昇る』をちょうど読み終えたところだったから、その影響かもしれない。 夜行列車は4人部屋になっていて、ラ・コルーニャにある軍の兵隊だという3人の青年と一緒になった。彼らは15日間の休暇をもらって故郷に帰るのだという。その中の2人はサン・セバスチャンとパンプローナが故郷だという。パンプローナ出身の男が、今パンプローナではお祭りをやっているという。牛追いで有名なサンフェルミン祭か?と聞くと「そうだ」というので驚いた。 |
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サン・セバスチャンには7月11日から14日まで滞在した。2日目の12日には日帰りだったが、バスで2時間ほどのパンプローナまでサンフェルミン祭を見に行った。残念ながら牛追いは早朝やるようで見れなかったが、楽隊が通りを練り歩き、あちらこちらで酔っ払いが寝転がり『日はまた昇る』に描かれていた喧騒は体感できた。 ←サン・セバスチャンで見た路上アーティスト。パンフルート?を吹きながら弦楽器を弾いて、足で人形を動かしていた。彼の後ろに見えるのはラ・コンチャ海岸の沖に浮かぶサンタ・クララ島。 ↓サン・セバスチャンの中心部。右下はビスケー湾のラ・コンチャ海岸。 |
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