HOME TOP  
バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表
2010~2014 Photo Diary
奄美・沖縄撮影リスト
wangan 水路の都市TOKYO2006~2009
◯7月28日(金)〜30日(日)庄川 弁財天社 式年御開扉大祭 33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
富山県内のお祭り、イベント
富山の祭り
築山行事
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】

村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
◯富山県 新型コロナウイルス感染症について 
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U
◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/
◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
◯沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

メディア関連
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」ミュゼふくおかカメラ館
富山の祭り写真集に 福岡町の木原さん 北日本新聞
木原盛夫 写真展「とやま、祭り彩時季」 たかおかストリート
カメラ館で木原盛夫展 高岡ケーブルテレビ
写真で巡る富山の祭り 木原盛男写真展 高岡ケーブルテレビ
歴史ある寺社・文化紹介 高岡御旅屋セリオで木原さん写真展 北日本新聞
高岡の文化伝える写真 御旅屋セリオ 木原さんが個展 中日新聞
高岡まちなかギャラリー - 御旅屋セリオ
祭りの写真で地域を学ぶ 高岡・福岡の寺子屋サロン
祭りの雰囲気 写真で感じて 中止相次ぐ中 福岡の木原さん展示 中日新聞
木原盛夫さん写真展 県内の祭りなど題材に 北日本放送
富山の祭りを写真で紹介 木原盛夫写真展 朝日新聞
県内の祭礼や伝統行事写す 木原さんが写真集寄贈 北日本新聞
木原さん、祭りの写真集を寄贈 高岡ケーブルテレビ
2020年9月18日OA分 いいねとやま#219 チューリップテレビ

ブログなど
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」 ゆきれぽ
今年のお祭りは 写真展で・・・・・・ yoshijunのブログ
たかのたわごと 新川神社のブログ
200814木原盛男写真展高岡彩時季御旅屋セリオ5階
200805ミュゼ福岡カメラ館とやまの祭り木原盛男写真展6 26
ミュゼふくおかカメラ館(富山県高岡市)の木原盛夫 写真展 『とやま、祭り彩時季』(~9/27)
祭りの色彩に思いをはせて  タビノイロドリ
カメラ館 フクチアンの日記
ミュゼふくおかカメラ館「とやま、祭り彩時季」へ とやまおでかけ日記

web電卓
漢字辞典
2023年カレンダー

7月29日(土)

 国連事務総長が「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が来た」と言い、地球上で12万年ぶりの暑さとなることはほぼ間違いないと専門家が指摘する。年々地球の生存環境が過酷になっている。戦争をやったり、敵基地攻撃だといってミサイルやロケットを飛ばしている場合ではないだろう。
 昨日は1試合目で投手としてメジャー初完封を成し遂げ、続く2試合目で37号、38号の連続ホームラン。そして今日も3打席連続となる39号ソロホームラン。スポーツ観戦にはあまり興味のない自分でも、大谷翔平の話題はワクワクする。もう、マンガの世界を超えた活躍ぶりだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
自民 政府保有NTT株売却 来月にも検討へ 防衛費増の財源賄う
大阪万博のパビリオン「建設代行」それって意味あるの? 開幕ありきの案に懸念の声
琉球王国歴代の霊廟「崇元寺」 当時の面影をジオラマで 国指定史跡目指し再現 那覇市泊

 明日20時からの日曜美術館は「永遠なるサグラダ・ファミリア〜“神の建築家”アントニ・ガウディ〜」を再放送する。

ポストカード・ギャラリー#09 大西基

 大西さんの名前を初めて見たのは、雑誌『宝島』かな。たぶんライヴ写真の撮影クレジットに、大西さんの名前があって覚えたのだろう。
 大西さんと初めて会ったのは1995年で、大西さんが被写体でボクが撮影者だった。デイリー・アン(日刊アルバイト・ニュース)の編集者だった干野文生さんが個人で始めたフリー・ペーパー『犬棒通信』での撮影だった。当時、大西さんは音楽評論家の湯浅学さんらとノイズ系のバンドをやっていて、大西さんはボーカルだった。バンド名は大西基&チンポコス。ライヴの前に、干野さんがインタヴューをしボクが撮影した。ライヴ中やライヴ後の撮影でなかったのは、大西さんの衣装が下半身はストッキング一枚という事情だったと思う。ライヴ中にストッキングが破れて、写真を撮っても載せられない状態になるからと干野さんに説明されたように思う。
 ライヴ中の撮影はなかったが、ライヴは見た。他の曲は覚えていないが、ザ・スパイダースの「バン・バン・バン」を歌う大西さんが脳裏に焼き付いている。
♪とぼけた顔してババンバ~ン 遊び上手なババンバ~ン♪

大西さんのポストカード
↑大西さんの個展の案内ハガキ。モノクロ・プリントの年賀状と迷ったが、やはり大西さんはピンホール・カメラかなと思いこちらにした。大西さんがピンホール・カメラで撮影した個展は2回ほど見に行った。会場に入るとアンケート回収箱のようなものが置いてあって、何だろうと思ったら、その木の箱が大西さん自作のピンホール・カメラだった。
犬棒通信
淺生ハルミンのコラム

↑大西さんをフィーチャーした犬棒通信4号。ライブハウスの前の道路で撮影。隣の女性は誰だろう??

←犬棒通信には、2009年に映画化もされたエッセイ集『私は猫ストーカー』の著者でイラストレーター・エッセイストの浅生ハルミンが「あら、エッチ」というコラムを書いていた。彼女がまだデイリー・アンの編集部でバイトしている頃か、デザイン事務所に移って直ぐの頃だと思う。

 30years ago #25 鎌倉
鎌倉八幡宮
鎌倉八幡宮とグサンさん
 デイリー・アン1992年6月10日号鎌倉特集の表紙用に撮影したフィルムの中から、鶴岡八幡宮。
 鎌倉も雑誌やガイドブックの撮影で何度か訪れているし、高校の修学旅行は東京だったが自由時間に友達何人かと鎌倉へ観光に来た。覚えているのは鎌倉でジャズ喫茶に入ったのと、お土産屋で竹製のスプーンを買ったこと。その竹製スプーンはまだ現役でカレーを食べる時に使っている。
 左の写真は、「ブンガワン・ソロ」の作者として知られるインドネシアの音楽家、グサン・マルトハルトノさん。この撮影をしたのも1994年4月1日なので、やがて30年になる。
 インドネシア音楽祭の出演と、ビクターでのCDアルバムのレコーディングのために来日したが、忙しいスケジュールの合間に日本グサン基金協会の方々との鎌倉観光をした時に撮影した。グサンさんの桜が見たいというリクエストに応じての鎌倉観光だったと思う。鎌倉観光で疲れただろうと思われるが、その日の夜にビクターの青山スタジオでレコーディングが行われた。その作品が、『ブンガワン・ソロ/哀愁のインドネシア歌謡』。中村とうようさんがプロデューサーになっている。

7月27日(木)

 気温が高いだけでなく、昨日と今日の午前中はあまり風も吹かないので、危険な暑さだった。今日は昼頃に突然激しい雨が降ったが、文字通り焼け石に水だった。それでも午後は少しだけ風が出てきたのが救いだったか。
 昨日の午後、自転車での買い物帰りに空を見るともくもくと雲が湧いていた。家に帰り、2階の部屋から雲を撮影。広角では雲が入りきらないので、超広角レンズを使った。奥の雲の下の方では雨が降っていそうだ。この後、こちらにも雨雲が流れてくるかと思ったが天気が荒れることはなかった。ちょっと雨が降ってくれれば、少し涼しくなったかもしれない。
昨日の青空と雲

 今朝、アイルランドの女性シンガー、シネイド・オコナーの訃報が流れてきた。
 シネイド・オコナーはフェイ・ウォンや、エンヤ、アーニー・ディフランコと共に撮影したいミュージシャンの一人だった。初期の彼女はスキンヘッドだった。スキンヘッドにすることで、その顔立ちの美しさがより際立っていたのかもしれない。彼女の言動や行動がセンセーショナルに取り上げられることも多かったが、何より彼女の歌は素晴らしかった。
 昨年、彼女の17歳の息子が行方不明の末に遺体で発見され、彼女の精神状態が不安定なことは報じられていたが、死因は明らかにされていない。
 彼女の音楽には激しさと穏やかさが同居していたように思うが、「thank you for hearing me」は祈りにも似た穏やかさと美しさがある。

 <ポイントプレゼントのお知らせ>というタイトルのメールが、マイナポイント事務局を名乗るところから送られてきた。マイナンバーカードも作っていないのに、ポイントプレゼントというのも妙なので検索したところ、新しいフィッシング詐欺だという。今後、健康保険証の他にもカードと様々な資格証を紐付けしていけば、それに便乗した新手のフィッシング詐欺も増えるのではないかと危惧される。

 「UFOの残骸を秘密裏に回収」元米情報要員が証言、国防省は否定。この記事を読んで、中学の時に班ごとに新聞を作るという課題制作があってUFOに関する新聞を作ったのを思い出した。校舎の窓からタイヤのホイールか何かを投げて写真に撮り、謎の飛行物体として掲載した。思えば、これがカメラマン・デビューだったのか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
原発安全対策の費用“電気小売り事業者も一部負担”経産省検討
【深掘り】オスプレイ事故報告で「政府の言う安全性」の崩壊が現実に エンジントラブル発生時の安全機構が働かず 公表後、日米で対応に違い

 パナソニックのリコール製品回収で送られてきた15,000円で、扇風機2つとフロアライト1つを購入した。普通の扇風機は近所のホームセンターコメリで買い、ちょっと小型の扇風機はヨドバシの通販サイトで、フロアライトはアマゾンで買った。フロアライトは一昨日、小型の扇風機は昨日届いた。
 最近の楽しみは寝る前に1階でアナログレコードを聴くことで、その際には部屋を真っ暗にしているが、何か小さな灯りが欲しいと思っていた。そこで間接照明になるフロアライトを購入。さっそくフロアライトに家にあった40wの電球を取り付けて点灯させてみたが、思っていたより明るい。20wくらいでも十分かな。
小型扇風機
フロアライト
↑小型でも風力は充分な扇風機。↓→間接照明で居心地の良い空間に。
フロアライトを点灯したところ
 先日、アマゾンのマーケットプレイスに比嘉康雄さんの「神々の古層」シリーズが安く出品されていないかチェックしたら、「神々の古層」シリーズは安く出品されていなかったが、沖縄写真家シリーズ〔琉球烈像〕の『情民』が333円+送料257円で出ていたので迷わずポチッと注文した。この写真集は新品4,950円でも販売しているが、古書だと333円の次は8076円以上の値段になっている。333円は格安だが、マーケットプレイスではたまにこんなことが起きる。
 「神々の古層」全12巻のうち8巻は持っているが、全てマーケットプレイスで購入したもので、だいたい500円前後だったと思う。残り4冊だが、どれも沖縄に住んでいた時に2回ほど図書館で借りて読んでいて直ぐに必要な本でもないので格安なものが出るまで気長に待つことにしている。
比嘉康雄写真集『情民』

7月25日(火)

 梅雨があけたら連日の猛暑、いや、体感的には酷暑。
 昨日、このホームページを置いているサーバーの更新手続きをした。2010年は年間使用料3,150円だったのが徐々に上がり昨年は3,960円、今年はいきなり5,016円と大幅に値上げされた。
 毎日新聞の世論調査で、岸田内閣の支持率が2ヶ月で17ポイント下落し、28%になったという。 早く岸田政権が崩壊することを望んでいるが、次の首相候補が茂木敏充氏や河野太郎氏、高市早苗氏という顔ぶれなのでなんとも救いようのない気分だ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
【選挙ウォッチャー】 トリチウム汚染水をデタラメ科学で安全宣言する福島県議たちの話。
「え、ウソだろ」牛をペイントし“シマウマ化” 畜産家も笑いそうになった施策のスゴい効果
「こどもまんなか」イベント委託費は1350万円 こども家庭庁

ポストカード・ギャラリー#08 舘岡豊照

 油絵を習っていた時期がある。20代の前半で、小田急線の鶴川駅から歩いて10分ほどのアパートに住んでいた。
 鶴川駅は和光大学の最寄りの駅で、和光大学に続くゆるい坂道の途中にアトリエ一番坂という絵画教室があった。教えるのは舘岡豊照さんで、そこは自宅兼アトリエだった。
 もう40年近く前なので細かなことは忘れてしまったが、その絵画教室の看板を見て油絵を習ってみようかと思って玄関を開けたのだと思う。
 舘岡さんは生徒に絵を教えながら、自分の作品を作っていた。0号だか1号だかの小さなキャンパスに銀と墨でエアープランツのようなモチーフの日本画を描いていて、確か500枚だか1000枚だか数は忘れてしまったが溜まったら個展を開くといって、それが床に積み上げられていた。
 自分が住んでいた鶴川のアパートの2軒ほど先にある小さな一軒家にトランペッターの近藤等則さんが住んでいるのを教えてくれたのは、舘岡さんだった。当時小学生だった息子・吾弥(ゴヤ)君が、新体道をキッカケに近藤さんと親しくなったようだった。
 鶴川の方から向ヶ丘遊園の方に引っ越してからは疎遠になってしまったが、描きためていた作品が完成し町田市にある美術館で個展を開催された時に観に行った。
 アトリエ一番坂に通っていたのは2年ほどで、5枚ほど油絵を仕上げた。今でも当時の油絵の道具と共に、何枚か部屋に残っている。

舘岡豊照さんのポストカード

 舘岡さんは相変わらず絵画教室を開いて子供達に教えているようで、学展(学生油絵コンクール展)の最優秀指導者賞をなんども受賞しているそうだ。
 当時小学生でヴァイオリンを習っていた息子の吾弥君は、東京都交響楽団のステージスタッフとなり、2020年9月、新型コロナの影響下で開催された『TOKYO MET SaLaD MUSIC FESTIVAL 2020(愛称:サラダ音楽祭)』の担当者として奮闘されたようだ。

銭湯のような教室で生まれる絵 アトリエ一番坂 舘岡豊照・悦子さん

「オーケストラの生の音を体感してほしい」|その思いが原動力となり、コロナ禍において『サラダ音楽祭』を開催し、成功させるまで。

←舘岡さんからの年賀状。色の付いた絵もあったが、墨だけのカードにした。

↓町田の美術館で個展を開催された時に撮影した記念写真。印画紙の箱に様々なプリントと一緒に入っていたので、ご本人にプレゼントする写真のテストプリントだろう。

個展の時の写真

7月22日(土)

 昨日、四国と北陸地方が梅雨明けした。富山も本格的な夏だ。
 先週の線状降水帯による被害は小矢部川の北側の方が酷かったというので、昨日の午後、自転車で様子を見てきた。
 小矢部川の水嵩はだいぶ減っていたが、水はまだ少し濁っていた。橋を渡って下向田の方へ行くと、アスファルトの道路が泥で茶色くなっている。道路脇の用水が豪雨で氾濫し、泥水が溢れたのだろう。近くを流れる西明寺川も水が溢れた痕が残っていた。道路の一角に、電化製品や家具がまとめられていた。床上浸水した家のものだろうか。
 下向田から山裾にある五位用水沿いの道を通って、赤丸、石堤の方まで自転車を走らす。先日、チューリップテレビで石堤にあるカーショップと仕出し屋さんの家屋の中まで泥水が侵入したというニュースを見たが、こちらはだいぶ片付いているようだった。石堤から小矢部川に戻り、土手をまた少し走って帰ってきた。
豪雨の爪痕01
↑水量はだいぶ減ったが、まだ少し水は濁っている。
豪雨の爪痕02
↑右隣りの用水が氾濫し、泥水がアスファルトを覆ったのだろう。
豪雨の爪痕03
↑西明寺川の氾濫の痕。今日の北日本新聞に、もう少し奥にある中学の同級生の家が床上浸水し、高校生がボランティアで泥出しを行ったという記事が掲載されていた。
豪雨の爪痕04
↑床上浸水した家から出たと思われる電化製品や家具。
豪雨の爪痕05
↑小矢部川の水嵩はだいぶ減ったが、大きな流木などはそのままだ。
新しいトップページ

←梅雨も明けたので、トップページを模様替えしました。奄美大島・大和村の端にある今里集落。路地の先に広がる海と青空が夏のイメージ。

↓これまでのトップページ。

これまでのトップページ

 夏休みが始まったばかりだが、昨日、福岡県で小学6年生の女の子3人が川で溺れて亡くなった。また、今月17日に川遊びをしていて溺れ、意識不明になっていた長野市の小学1年生の男の子が、今日の午前に搬送先の病院で亡くなったそうだ。亡くなった子供たちも可哀想だが、子供を失った親の気持ちを想像すると居た堪れない。
 そう言えば小学生の頃は町中を流れる小さな川や溝に、よく自転車ごと落ちた。自転車の運転が下手だったのか、よそ見をしていたのか。最近は町中の小さな川の多くはコンクリートで蓋がされ、暗渠になっている。
 松本総務相は昨日の記者会見で、マイナンバーカードの自主返納が増えているかどうかの詳しい調査は、自治体の事務負担が増加する恐れがあるとして、実施しない意向を示したそうだ。調査しなければ実態がわからないので、政府としては都合が良いのだろうか。自治体の事務負担というが、マイナンバーカードと様々なサービスを紐づけようとすれば今後も自治体の負担は増えるばかりだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
秋田大雨の農業被害、数十億円か 「コメ収穫、昨年の半分…」
ドイツで「シエスタ」導入論 熱波で医師が提案
大阪万博「やりたくない」 費用高騰に人手不足…ゼネコンから悲鳴
横田基地のPFAS漏れを防衛省は4年前に把握していた 地元は「公表遅れで汚染が広がった」と批判
記者殺害疑惑のサウジ皇太子に日米が接近、なぜ?米メディアからは批判も日本は…「底の浅さ」と識者指摘

7月20日(木)

 昨年、家のリフォームをするために2階の書庫兼物置を片付けていたら、存在を忘れていた撮影データ・ノートやフィルムが出てきた。下の方に添付した写真のものは『中村とうようの収集百珍』(ミュージックマガジン)という、とうようさんのコレクションを収載した本のために撮影したフィルムの残ポジと、テスト用のポラロイドなど。
 とうようさんのコレクションは武蔵野美術大学に寄贈されているが、この撮影をしていた時点では武蔵美の話しはなく、横浜かどこかにコレクションをまとめて寄贈するという話しが無くなって困っていた頃だ。
 自分の集めたものを、どう残すかというのはコレクターの抱える悩みだろう。植草甚一さんも大変なコレクターで、そのコレクションの一部は『植草甚一主義』(美術出版社)に掲載されているが、亡くなった後は家の前にご自由にお持ちくださいと本やレコードが置かれていたという話しを聞いたことがある。
 とうようさんの家でコレクションの撮影をしている時に、同じコレクターとしての植草さんの話しをふってみたが、昔、とうようさんは植草さんに原稿を依頼したが断られたことがあるようで話しは弾まなかった(笑)。

 『植草甚一主義』に「ライバルはニューヨークへ」という浅井慎平さんのエッセイが収められている。このエッセイで「写真家というものの資質のひとつがコレクターだと、ぼくは思っているのだが、その考えで行けば、植草さんは、もっとも写真家に向いているのではないだろうか」と、浅井さんが書いており、その文章に植草さんがシドニーで撮影した写真が添えられている。塗装の剥げた壁や柱などがモチーフで、味わい深い写真だ。このエッセイの何ページか後には、ゴロゴロと並べられた植草さんのカメラコレクションが掲載されている。キャプションには<一昨年あたりからニューヨークのウォーター・ストリートとかホボーケンの汚ない町の色が出したくなって、カメラ学校へ通って写真の勉強をはじめからやり直そうとしたところ、最近のカメラがこんなにたまったわけです>と書かれている。
 『中村とうようの収集百珍』の立体写真という項目で、とうようさんのコレクションである2眼レフと3眼レフのカメラを撮影した。神保町のミュージックマガジン編集部へ写真を届けに行って、バッタリとうようさんと顔を合わせてカメラを見せられたことがあるが、カメラ自体にあまり興味がないので話しが弾まなく、カメラの話しはもっぱらカメラ好きなミュージックマガジンのデザイナーだった荒川さんに向けられた。
 浅井さんの「写真家というものの資質のひとつがコレクター」というのは、なんとなく頷ける。そういえば、『収集百珍』のチローロの項目に、とうようさんが撮影したチローロの写真がジャケットになっているCD『ベスト・オブ・チローロ』が掲載されている。ボクが他に知っているフォトグラファー・中村とうよう作品は、ライス・レコードの『サンバ・エ・イスト2』で、車椅子に乗ってパーカッションを叩く人の後ろ姿の写真。撮影クレジットに”PHOTOGRAH(FRONT COVER) TOYO NAKAMURA 中村とうよう”と印刷されている。同じシリーズの『サンバ・エ・イスト!』は持っていないので確認できないが、こちらのジャケットに使われている小さな女の子が踊っている写真もとうようさんの撮影だろうか。

 とうようさんのコレクションは武蔵野美術大学に寄贈され、武蔵美のホームページの中の『地球が回る音』というサイトで収蔵品を検索することもできる。LPやSPといったレコードや書籍、楽器や蓄音機などのオーディオは収蔵されているのだろうが、テレサ・テンの水着姿の写真をプリントしたライターや、平田国二郎さんからのお土産でいただいたというスタックス・スタジオを取り壊した時のレンガ、とうようさん自身がレプリカだろうと言っていた唐三彩の置物なども武蔵美に収蔵されているのだろうか。
 『収集百珍』の撮影はとうようさんが八王子に建てた一軒家で撮影したが、八王子に引っ越す前の文京区のマンションでもコレクションの撮影をしたことがある。その時は、仕事机の横に広末涼子の立て看板が立っていた。中学時代の広末涼子らしく、古道具屋で購入したらしい。八王子で撮影した時には、この広末涼子の立て看板を見かけなかったが、処分したのだろうか、それともどこかに保管してあったのだろうか。この立て看板も武蔵美に収蔵されているのか、ちょっと行方が気になっている。
 とうようさんは八王子の家を処分して立川のマンションに引っ越した。八王子の家の住所をGoogleで検索してストリートビューで見てみたが、壁の色などはとうようさんが住んでいた当時と同じような気がする。
 階段を上がって、2階が玄関になっている。玄関のドアはとうようさんの幼馴染で、木工作家の中西祺住郎さんの作品。文京区のマンションの玄関に取り付けられていたのを、八王子に持ってきたものだ。このドアは、持ち主が変わった今も八王子の家の玄関についているのだろうか。

 明日で、とうようさんが亡くなって12年が経つ。

収集百珍の残ポジ01
↑35mmが20本、ブローニーが52本あった。この頃は、水道橋にあったエッグに現像をお願いしていた。
収集百珍の残ポジ02
↑撮影初日はとうようさんからの指定で、近所の公園で楽器や木彫りの置物などの撮影。残ポジなので若干オーバーだったりアンダーなフィルムが多い。
収集百珍の残ポジ03
↑垂直と奥行きを出すため4x5のカメラを使用しているが、経費節約と時間短縮でブローニーのホルダーをつけて撮影。
収集百珍の残ポジ04
↑SPレコードを収納した棚。照明は部屋のタングステン。そのままの撮影と、フィルターで若干補正しての撮影。
撮影データ・ノートに貼り付けたポラ
↑撮影データ・ノートに貼り付けてあるテスト用のポラロイド。裏には撮影した時の絞りが書いてある。本はオールカラーだが、カラーのポラは現像時間が長いので、モノクロのポラを使っていた。モノクロのポラは1分弱くらいで、カラーは3分ほどだったろうか。僅かな差ともいえるが、撮影中はその2分も待てない。
撮影リスト
↑コレクションの撮影を始める前に、打ち合わせを兼ねてとうようさんの家を訪問し、当時持ち歩いていたフロッピーディスクに記録するソニーのマビカで被写体となるものを撮影。マビカで撮った写真をプリントして撮影リストにした。
 先月、近所の電気屋さんを通してリコール対象品の除湿機をメーカーに送ってもらったが、今日、そのメーカーであるパナソニックから現金書留で15,000円が送られてきた。1万円だと思っていたので、ちょっと得した気分。
パナソニックからの現金書留

 岸田首相が来週にも豪雨災害のあった九州へ訪問に行くそうだが、何周遅れの対応だろうか。被災した人の中には、今さら来なくてもいいよと思っている人も居るだろうな。
 安倍晋三元首相の妻・昭恵さんが17日から今日まで台湾に滞在し、蔡英文総統と面会するなど日台関係の発展を目指すそうだが、この記事を見た瞬間頭に浮かんだのはこの記事だ。「中身のない万能感」と「善意の暴走族」。言い得て妙だと思う。

 この他の気になった記事を備忘録として。
木滑良久さん死去 マガジンハウス最高顧問
こども家庭庁、予算5兆円で「Jリーグとコラボ」「育児経験語り」「子どもの意見聞きます」「優先レーン設置」の迷走ぶりに「解体しろ」の声
子ども家庭庁のトンチンカン「国民運動」が大炎上!“地味キャラ”小倉担当相は飛び火に大慌て
第32軍壕保存、歴史的事業に 沖縄県が基本方針 沖縄戦の教訓継承へ、資料収集や住民視点の展示で方向性示す
リニア認可取り消し訴訟 住民側の訴え棄却 東京地裁 原告団長「控訴して次の戦いへ準備」

7月18日(火)

 まだ7月だというのに、この3日ほど猛暑が続いている。明日は雨が降る予想なので、少しは気温が下がるのだろうか。
 ♪あの焦げだした夏に酔いしれ 夢中で踊る若いかがやきが懐かしい♪と大瀧詠一が歌ったカナリヤ諸島が、山火事で大変なことになっている。 大西洋に面したスペイン、ポルトガルは昨年も熱波による山火事が起こっている。
 
 昨日の夕方のニュース、豪雨で家が浸水して途方に暮れている女性の後に、UAEで大統領と会いニコニコご満悦な岸田首相の姿が映った。今月10日に起きた九州での豪雨災害を尻目にヨーロッパを訪問し、1日おいて16日から中東を訪問している。その間に北陸と東北も豪雨による災害に見舞われた。
 昨年、カナダのトルドー首相はカナダ東部に上陸したハリケーン被害の対応で安倍元首相の国葬への訪日を取りやめた。 イタリアのメローニ首相は今年広島で開催されたG7サミット中、イタリア北部で起きた洪水に対応するため予定を早めて帰国した。
 この国のリーダーは日本の南から北へ縦断するように豪雨災害が起きている中、自分が日本に居ても居なくても変わらないとでも思っているのだろうか。中東訪問は今日までの予定だが、どんな手柄を手土産にどんな顔で帰ってくるのだろうか。
 安倍、菅と続いて、これ以上酷い政権はないだろうと思っていたが、同等かそれ以上に酷い政権が誕生してしまった。 岸田内閣の支持率が下げ止まらないそうだが、当たり前だ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
秋田 記録的大雨で500棟以上の住宅浸水 「内水氾濫」起きたか
【万博危機】吉村知事はなぜ黙っていたのか?
日本が輸入に頼るウラン、その鉱石が転がる「聖地」とは ウサギが消え薬草は色あせ… 先住民「苦しみ気付いて」

ポストカード・ギャラリー#07 鈴木敏也

 1980年代後半、渋谷にあったライブハウス「LIVE INN」が、ミッドナイト・ソウル・パーティーというイベントを開催していた。これは海外から招聘したソウル・ミュージックのグループが真夜中から未明にかけてライヴを行うというもので、ブラック・ミュージック好きの女の子もたくさん集まって会場は熱気があった。

鈴木敏也さんのポストカード
 ブッキングはウシャコダのマネージメントをしていたサロンゴ・ミュージックの木下さんが担当しており、撮影に来ないかと声をかけられたのが始まりでsosバンドやコモドアーズなどを撮影に行った。
  このミッドナイト・ソウル・パーティーで会ったのが鈴木敏也さんだった。ソウル、ブルースを中心に撮影しているカメラマンで、たしかニューヨークで皿洗いをしながらミュージシャンを撮ったりしていたと聞いた。1980年代後半から1990年代初めにかけてのバブルの頃は、ブラック・ミュージック・バブルでもあり、次々にソウル系のグループが来日し大箱のライブ・ハウスや期間限定のライブ会場でパフォーマンスを繰り広げた。
 鈴木さんとはそうしたライブ会場でも顔を合わせたが、当時使っていたフィルムの現像所が同じ外苑前にあった堀内カラーだったので、ここでもよく顔を合わせた。現像の上がりを待つ間、近くのファースト・フード店へ行き、お茶をすることもあった。お互いに音楽雑誌の他に料理雑誌の撮影もしていたので、共通の話題が多かった。
 鈴木さんからの年賀状もミュージシャンの写真が多かったが、これは珍しく風景のスナップ。ニューヨーク、マンハッタンだ。
 30years ago #24 都電荒川線
都電荒川線01
 デイリー・アン1993年2月3日号都電荒川線沿線特集の表紙用に撮影したフィルムの中から。乗り鉄でも撮り鉄でもないが、町中をのんびりガタゴトと走る路面電車はわりと好きだ。富山から奄美大島へ向かう道中も、広島や長崎、熊本、鹿児島市内を走る路面電車に乗って観光した。雨の日などは一日乗車券を買って、路線の端から端まで乗ってみたり。それでも都電荒川線に乗車した記憶が、この撮影以外にないのは三ノ輪橋から早稲田というあまり自分の行動範囲にない場所を走っていたのと、都電で一駅二駅の短い距離なら散歩がてら歩いてしまうからかもしれない。
都電荒川線02

7月15日(土)

 今日の富山は曇りだが、東北で激しい雨が降り河川の氾濫も起きているようだ。
 先日の線状降水帯による豪雨災害の被害状況が明らかになってきた。富山県全体の浸水被害は床上51棟、床下576棟で、富山市と高岡市でおよそ9割を占めている。農作物への冠水・浸水被害は富山県内全体で304.8万平方メートルで、このうち水稲が151万平方メートルを占める。人的被害は地域住民に避難を呼びかけていた南砺市の市議会議員が土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。

 昨日の朝、秋田県能代市にあるロケット実験場で、イプシロンS燃焼試験中に爆発があった。今回の件だけではなく、このところ主力ロケットの打ち上げ失敗が続いている。こちらの記事の後半にまとめられているが、昨年10月12日にイプシロン6号機が打ち上げ失敗、11月には日本初の月面着陸を目指した無人探査機「OMOTENASHI」が着陸を断念。今年に入っても主力ロケットであるH3の初号機が2月17日の発射直前に打ち上げ中止になり、3月7日に再び打ち上げたがエンジンが着火せず失敗に終わった。そもそも日本のロケット開発をJAXAと共に担っている三菱重工は約1兆円の開発費を投入し国産初の日の丸ジェット旅客機「スペースジェット」を2008年から開発していたが、今年2月に開発を断念している。このプロジェクトには経産省からも約500億円の研究費が支援されていた。ものづくり大国はもう過去の話しになっている。ちなみに、スペースジェットの開発を断念した三菱重工が次に開発を進めるのが次世代型原子炉というのは、ホラーと言うしかない。

 昨日インドネシアで開かれた東アジアサミット外相会議で福島第一原発の処理水(汚染水)の海洋放出は安全だと主張した日本に対し、安全ならば飲料水として日本国内で使用すればよいと中国が主張したそうだ。正論である。これに対し、松野官房長官は「中国側に対しては科学的根拠に基づいた議論を行うよう強く求めていく」とし、「高い透明性を持って国際社会に丁寧に説明していく」という。
 日本政府は処理水に含まれるトリチウムは自然界にもあるもので他の原発からも海洋に放出されているなど、トリチウムしか残っていないように話しているが、 ALPS処理水にはトリチウム以外にヨウ素129、ストロンチウム90などが残留しているタンクがあることを東電も認めている。これら取り除けなかったトリチウム以外の核種の処理はどうなったか、政府と東電は国際社会に丁寧に説明すべきだろう。そして安全だと言うなら、中国が言うように政府関係者と東電関係者が風評被害対策の一つとして排出予定の処理水という名の汚染水を100倍に薄めて飲んでみてはどうだろうか。そして、中国も自国が原発から海洋に排出している水を飲んでみればいい。
 先ずは2年前、「WHOの基準の7分の1まで希釈してある。そこが一番肝心。飲めるんじゃないですか。普通の話なんじゃない」と閣議後会見で述べた麻生太郎さん、どうですか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
解明されぬ統一教会の政界汚染 1年経っても誰1人処分もなく 反共カルトを培養し利用した戦後政治の闇【記者座談会】
米軍オスプレイは、なぜ高度60メートルの超低空飛行が許されたのか 山岳地帯での訓練限定と言うが…
今秋、古仁屋で適地調査 九州防衛局 自衛隊「海の拠点」整備へ
首里城の復元作業、正殿完成後に優先する施設は? ワーキンググループ会議で議論
所持金0円、住居もなく 万引き疑いで90歳逮捕 「猫に餌をあげようと…」 沖縄・浦添市

ポストカード・ギャラリー#06 蛭子能収

 10代~20代の頃が一番マンガを読んでいた時期だ。物語(ストーリー)を考え、絵と言葉で表現する。当時、一番クリエイティブな仕事がマンガだと思っていたし、実際、豊かな才能が集まっていると感じた。家の本棚に占めるマンガ本の割合も、けっこう多い。蛭子作品は『地獄に落ちた教師ども』(青林堂)、『ゲイジュツ魂』(青林堂)、『超短編傑作漫画集 蛭子能収』(JICC)の3冊を持っている。
 1984年に双葉社の週刊大衆臨時増刊号『VIVA COMIC マンガ家大集合』というマンガ家へのインタビュー集の制作に携わり、自分が興味のある何人かのマンガ家にインタヴューを行った。その中の一人が蛭子さんだった。蛭子さんのページは巻頭のグラビア2ページ分と、中ページのインタヴュー2ページ。
 ギャンブル好きの蛭子さんを多摩川競艇場で取材するため、武蔵境駅で待ち合わせたのだが、時間に早く着きすぎた蛭子さんは駅前のパチンコ屋に入り早くも30分で3,000円ほど負けていた。

蛭子さんのポストカード
 武蔵境から西武線に乗って一緒に競艇場へ。基本的にギャンブルはやらないのだが、蛭子さんに誘われて1レースだけやってみたが、ビギナーズラックはなかった。蛭子さんは10レースで、1勝9敗。インタヴューはレースの合間に、競艇場の食堂で行った。
「お金があっという間に入るところがオモシロイですね。あっという間になくなるときは悲しいですけどね。でも、行く前は必ず勝つような気がするんですよ(笑)。
 レースの前の晩は興奮して眠れないんですよ。で、朝、もの凄く早く目が覚めるんだけど何もすることがないから布団の中で悶々としてるんです。時間が来るのを待つだけ。早く来ないかなナと。その時間がもの凄く待ち遠しいんですよ。で、待ちきれなくて家を出ると1時間も早く着いちゃうんですよ。そうするとパチンコ屋に行くんですよ(笑)。で、パチンコ屋で意外にも5~6千円負けるんですよね。それがイタイんですよ(笑)」
 このポストカードは、蛭子さんからいただいた年賀状。全部で3枚(3年分)あったが、他の2枚は印刷(プリントゴッコ?)だが、これはサインペンで描いたものだろうか。
蛭子さんの年賀状

7月13日(木)

 昨晩から今日の未明にかけて富山県に線状降水帯がかかり、雷を伴う激しい雨が降った。夜中の1時45分と3時5分に、高岡市から<警戒レベル4避難指示を発令>というエリアメールが届き、その着信音で起こされた。幸い避難指示地域には入っていなかったが、小矢部川と岸渡川が氾濫危険水位に達していた。
 この大雨で今日はJR氷見線、城端線、高山線は終日運休、各地で土砂崩れがあり道路が通行止になる区間もあった。二上町の方では小矢部川の氾濫はなかったが周辺の川や用水が排水できず民家が浸水したという。
 南砺市では大雨で付近の川が氾濫する恐れがあるとして住民に避難を呼びかけていた市議会議員が行方不明となっていたが、今日の午後、土砂崩れ現場で遺体が見つかった
【写真・動画特集】県内の大雨被害

 下の写真は今日の午前、雨が止んだので小矢部川の土手を自転車で走って撮影してきたもの。

豪雨の爪痕01
豪雨の爪痕02
豪雨の爪痕03
豪雨の爪痕04
豪雨の爪痕05
 この他の気になった記事を備忘録として。
マイナカード交付枚数、過大計上が判明
拡大し続けるサグラダ・ファミリアの増築計画に、地元住民が猛反対。1万5000人が立ち退き対象
琉球王府にも献上したウミヘビの燻製 「久高島のイラブー漁」を映画化 1978年の映像活用、資金募る

ポストカード・ギャラリー#05 小沢忠恭

 CBQ(CAMERA BOY’S QUARTERLY)という、ミノルタのαシリーズ用の無料PR誌があった。イベリア半島の旅から帰ってきていくつかの出版社に写真や企画を売り込みに行ったが、当時世界貿易センターの中に入っていたミノルタにも、このCBQで企画ページをやらせてもらえないか売り込みに行った。すると担当者が、CBQはダイヤモンド社の情報局に制作を任せているので、そちらに聞いて欲しいと連絡先を教えて下さった。
 さっそくダイヤモンド社の情報局にアポイントを取り、カメラを買って1年ほどのキャリアしかない自分が撮ったスペインやポルトガルの写真を持って訪ねて行った。原稿が書けるし企画も立てられることをアピールしたところ、次のCBQでの仕事が決まった。次号は小沢忠恭さんが鎌倉と六本木でグラビアを撮影するが、モデルさんを撮影している小沢さんを撮る仕事と、撮影の解説を書くというものだった。
 メインのグラビアは10代の女の子がモデルで、1泊2日で鎌倉ロケ。うろ覚えだが小沢さん、担当編集者、デザイナー、ミノルタの担当者、ヘア・メイク、スタイリスト、小沢さんのアシスタントは2人。小沢さんの車とロケバスに乗って移動した。これほど大掛かりな撮影現場を見るのは初めての経験だった。
 当時、小沢さんの事務所は六本木再開発で移転する前の六本木スタジオの中にあった。
 このCBQのお仕事でご一緒させていただいてから、ずいぶん永く年賀状や暑中見舞いのカードをいただいた。

小沢忠恭さんのポストカード
↓CBQ1987 SUMMER NO.9号の表紙と裏表紙。
CBQの表紙と裏表紙

7月11日(火)

 ここ数日の大雨による災害が各地で起こっている。福岡県と佐賀県では土石流などで6人が死亡し、2人が不明だという。まだ復旧作業の途中なので、家屋やインフラ施設などへの被害の全貌が分かってくるのはこれからだろう。

 2013年4月24日から25日まで、一泊二日で与論島の十五夜踊りを撮影に行った。旧暦の3月15日だった4月24日の15時から地主神社で神事が行われ、その後、神社の下にある広場で十五夜踊りが始まった。終わったのは19時頃で、それから歩いて宿へ帰った。宿はわりと部屋数のある民宿だったが、観光シーズンではなかったので宿泊客は自分一人だった。宿の主人が呑みませんか、と声を掛けてくれた。宿のゆんたく処で差し向かいで、与論島の黒糖焼酎・有泉を呑んだ。与論島は前年の2012年の夏、ひと月程の間に3回も台風に直撃されていた。宿の庭にあった大きな倉庫のような建物の壁も剥がれていたし、周辺にも台風で倒壊したと思しき家屋がいくつかあった。宿の主人が、「フィリピンは台風の通り道でしょっちゅう直撃されて家が破壊されているけれど、台風に備えて頑丈な家を造った方が良いのか、どうせ壊されるんだから簡易な家にして、また直ぐに造り直せるようにした方がいいのか。どう思います?」と聞かれた。もう10年も前でお酒も入っていたので、どう答えたのか覚えていないが難しい選択だと思う。
 日本も毎年毎年、今回のような豪雨災害が起きている。これからもこのような災害が増加することはあっても減ることはないのだろう。豪雨や台風だけではなく地震も多い災害大国の日本では、災害に備えるためのお金と災害に遭われた地域、住民への手当が必要だ。アメリカの覇権争いに加担して、軍事費ばかり増大させている場合ではないだろう。

与論島の台風で壊れた建物01
↑↓2012年の台風で破壊されたと思しき建物。与論島にて。
与論島の台風で壊れた建物02

 香川県義8人が今年11月に知事に同行してブラジル、パラグアイ、アメリカを訪問する予定だが、その派遣費用が総額2100万円に上ることがわかり、市民団体が「派遣人数を減らすなり、中止するなり」陳情したが7日に開かれた県議会の総務委員会で採択が行われ、市民団体の陳情は不採択になった。こちらの記事によれば、飛行機はビジネスクラスを使い、彼らが宿泊する予定の施設には一泊6万6000円の高級ホテルもあるという。派遣の目的は移住者や現地の県人会との友好親善だそうだが、税金を使うのだから県民、国民から納得が得られるような使い方をするべきだろう。エコノミーで移動しビジネスホテルで宿泊。それでも良いから、現地の人たちと友好親善をしたいという議員だけ行けばいいのでは?

 この他の気になった記事を備忘録として。
アメリカがウクライナにクラスター弾を供与へ 民間人の死傷事例多数、人権団体は批判
メタの「スレッズ」ユーザー1億人突破、ツイッターは急落
南極の海氷、過去最低レベルに 海洋温度上昇に懸念=WMO

ポストカード・ギャラリー#04 成田ヒロシ

 漫画家の永島慎二さんを愛称の「ダンさん」と呼ぶ人は、身近ではヒロシさんだけだった。ヒロシさんと知り合ったのは1980年代の前半。南正人や浅川マキが唄った「あたしのブギウギ」はヒロシさんが作詞している。職業は作詞家?と言えば、ちょっと違う気もする。YouTubeから「あたしのブギウギ/浅川マキ」。
 知り合った頃のヒロシさんは、多摩川のほとりにある狛江の一軒家に家族と住んでいた。内装の仕事をしていた気もするし、知人に勧められて雑誌でライター仕事もしていたし、絵を描いて個展を開催したりもしていた。南正人と同世代という事なので、ボクより一回り以上年上だけれど、とても気さくで鶴川の安アパートに住んでいた頃にコロッケを買って一度遊びに来てくれた。
 13年ほど前に、知人の携帯電話から久しぶりにヒロシさんと話した。ポエトリー・リーディングをやっているから遊びに来てよと誘って貰った。残念ながら奄美に移住するため、行けなかったけれど。
 ポエトリー・リーディングのCDもリリースしているようで、そのアルバムを扱ったショップのサイトにプロフィールが載っていた。

成田ヒロシ。詩人。造形作家。
愛知県生まれ。アトリエ光と風代表。オリジナル家具、空間デザインの企画・制作を行うかたわら、絵画から立体造形作品まで幅広い創作活動を展開。
94年シュヴァルの連作画を発表し、95年詩集『消えた足跡』を出版した。また映画『老親』の美術・舞台美術を担当。横浜みなとみらいワールド・ポーターズでは「ハイカラ横丁」のデザイン・制作を手がけ、話題を集める。

成田ヒロシさんのポストカード

7月8日(土)

 パンタこと中村治雄さんが、昨日亡くなった。73歳だった。今年になって緊急入院したというニュースが流れ、重い肺ガンだというので、いつかこういう日が来るんだろうか、と覚悟していた。
 彼の死を報じる新聞の殆どに頭脳警察のパンタという見出しが付いているが、ボクがリアルタイムで知っているのは頭脳警察を解散した後、パンタ&ハルの時代からだ。
 1984年に雑誌の仕事でインタビューをしたことがある。音楽雑誌ではなく、双葉社の週刊大衆増刊号で『すべては’60年に始まった そして今、「30代」がとてつもなくオモシロイ!Exciting60's』というタイトルだった。インタビュー集で、いろんなジャンルの30代が登場する。当時30代なので、団塊の世代とも重なっている。ボクが担当したのはパンタさんだが、他には高橋伴明、新谷のり子、岡林信康、菅直人、戸井十月、川崎徹、萩原朔美、三遊亭楽太郎、小杉理宇造、いしかわじゅん、宇崎竜童、佐藤B作、高田文夫、清水節子などといった顔ぶれが並んでいる。
 パンタさんへのインタビューは、原宿のビクターで行った。時間は2時間ほどで、たくさん話を聞きすぎて4ページにまとめるのが大変だった。なのでボクのページだけ文字を詰め込むのに、デザイナーさんにお願いして一部文字の級数を小さくしてもらっている。
 リアルタイムでは知らない頭脳警察時代の話しから、当時の最新アルバム『16人格』までを駆け足で話してもらった。
 頭脳警察時代の話は、こんな感じだ。

ーーー 頭脳警察は政治集会でも演奏したと聞いてますが。
パンタ 数えるほどですけどね。あんまりそういうところと関係を持ちたくなかったから(笑)。好きなんだけど体質が気に入らないんだよ。ああいう集団という体質が。その小ちゃな中で権力争いとかね。
 コンサートは日比谷(野外音楽堂)が多かったね。地方も随分多かったけど・・・あと学園祭(笑)。もう酔っぱらいばっかり。ヘルメットも多かったし、で、内ゲバもあるし、モノも飛んでくるし。でも、それが楽しかった。いつ何が飛んでくるかわかんないし(笑)。

ーーー ステージでマスターベーションしたんでしょ?
パンタ ものの弾みです。でも一回だけですよ(笑)。
 なんでマスターベーションかいて怖いバンドなんですか(笑)。今のスターリンのウンコしたのの方がよっぽど怖いじゃないですか(笑)。
 バンドで機動隊と直接ぶつかったことはなかったね。個人的にはぶつかったことはあるけど(笑)。街を歩いてたりしてね。
 うん、あのナンパされちゃうわけよ。で、カマボコ(トラック)に連れ込まれてさ、強姦されちゃったりね(笑)。で、しまい込んでたナイフを取られて、喉元に突きつけられて「テメエ、これで人が殺せる・・・ウンヌンカンヌン」っていわれて、いろいろやられたりとかね。

 パンタさんのアルバムの中で一番好きなのはパンタ&ハルの『マラッカ』だけれど、2番目によく聴いたのは再びソロになってからの『KISS』だったりする。佐藤奈々子さんが詞を書いている、全曲ポップなラブ・ソング中心のアルバム。このアルバムに関しては、「パンタがラブ・ソングを歌うなんて」とファンから強い反発があり不買運動が起こったり、「パンタを殺してオレも死ぬ」という手紙が来たそうだ。

パンタ ボクらは電話リクエスト世代で、葉書こそ一枚書いたか書かないか覚えてないけど、やっぱりヒット・チャートばっか聴き漁って、シングル盤買い漁って。そういう世代だったからロックうんぬんの政治性とかポリシーとかじっさい関係なかったんだよね、根は。ところがやっぱりそれに対して、ロックっていうのはこういう事をやっていくっていう考え方っていうのが出てきちゃって・・・そういうことをいっさい捨ててね、やりたかったのね。
 ボクにとっては一般のロックっていうものに対するコンプレックスっていうのがあったわけ。例えば「ベイビー」っていう言葉を使うとか「ヘイ、彼女」とかね。要するに軽くできないわけ。でもロックってそういうもんだと思うんだよね、ホントは。そんな硬いもんじゃなくてさ。だからそれができない自分にジレンマ・・・そういう事のできる人たちにコンプレックスを感じる事があったわけだ。だから、それを克服したいっていう気持ちと、これをやっとかないと後まで尾を引いちゃうだろうと。

ーーー ソロ第一弾の『KISS』はほとんど詞を佐藤奈々子さんが・・・。
パンタ いや実はね、ボクには書けなかったんだよ。ああいう風な詞を書きたいんだけど、自分で書こうとすると凄く照れとか恥ずかしさが入っちゃって。他人に詞を書くときは浮かんでくるはずなのに、自分で歌う曲には、そういう言葉が抹消されてるわけね、潜在的に。「好き」だとかさ・・・ホントはそういう軽い何の意味もないものを歌いたいんだけど。奈々子バッチリやってくれたけどね、カワイく(笑)。
ーーー で、ソロ2弾の『唇にスパーク』はもう自分でもやれると思って全曲作詞しちゃった・・・。
パンタ ちょっと硬くなったけどね(笑)。

 パンタさんのバイク好きは有名だ。彼がデザインしたオリジナル・バイクはプラモデルにもなっている。『唇にスパーク』のジャケットはバイクのマフラーらしきものをスタンドマイクに見立てて抱えている。インタビューの最後に少しプライベートな事も聞いてみた。

ーーー わりと気軽にバイクで旅なんかしちゃうほうですか?
パンタ 行けないんだよ。だからわりとそういう願望が強いんだけど、何か目的がないとダメなんだよ。あくまでもトランスポートとしてのバイクは凄く認めるんだけど・・・。
ーーー 話しは変わりますが、結婚はいつ。
パンタ 25の時。頭脳警察の解散する頃だね。子供も一人いる。
 大学の同窓生。ボクが噂に聞いたところによると、男十何人を従えて棒をかついでいたというからね。本人は否定してるけど・・・。
 関東学院。もう学園紛争がピークを迎えてた頃。関東の赤軍派の拠点校だからね。
 2年でやめたつもりなんだけど、親が内緒で学費を払ってたらしいのね、いつか戻るんじゃないかという気持ちのもとに。あとで怒ったけどね、勿体無い!だったらオレによこせばいいのに(笑)。

 やがて40年前の稚拙なインタビューだが、音楽雑誌には載らない様な話しがあるかもしれないと思い少し書き起こした。このインタビューをした当時は町田市の鶴川に住んでいた。鶴川駅は和光大学の最寄駅で、和光大学へ続く緩やかな坂道の下にはまだ機動隊のカマボコが常駐していた。そんな時代。
 ページの最後に編集部が用意した質問コーナーがあり、これはインタビューした全員に聞いている。言葉から感じる印象を答えてもらうものだ。
(日本国憲法)最高じゃん!
(SEX産業)オレも関わりたい
(ニューファミリー)保守的
(青春)只今真最中
(テレビ)育ての親
(脱サラ)冒険は素晴らしい。イヨッ!男だネ
(アイドル)フランス・ギャル
(富士山)大和魂
(定食)冷奴・サンマ・ナメコおろし・とろろ
(一冊の本)早川書房『失われた私』
(21世紀)来るのかどうかわからない?
(出身小学校)埼玉県の所沢小学校

 YouTubeからパンタさんの曲の中で一番好きな「つれなのふりや 」。メッセージ性ウンヌン関係なしに、とにかくカッコイイ。

ポストカード・ギャラリー#03 廣田治基

 十文字美信さんの元から独立し、仕事はファッションと広告がメインで、専属のアシスタントを抱え、事務所は六本木。まだ写真を始めたばかりのボクに、廣田さんは眩しい存在だった。
 初めて会ったのは1986年のイベリア半島の旅から帰った後で、原宿のクロコダイルに金尾義郎君のライヴを撮影に行った時だと思う。義郎君の奥さんが元々モデルで、廣田さんの友達だった。そこから義郎君と廣田さんが仲良くなり、義郎君から廣田さんを紹介された。 
 義郎君が六本木から磯子に引っ越した頃、彼が一時音楽活動を休止していて会うことはなかったが、今度は磯子から横浜に引っ越して日ノ出町にあったグッピーを拠点に活動を再開した。その1990年代から2000年代の初めにかけて、廣田さんと一緒によくライヴを見に行っていた。
 ライヴの後は、連れ立って横浜の高台にある義郎君の家に行くのが定番だった。一軒家の小さな庭で、朝からお酒を飲んだ。お腹が空くと、料理好きな廣田さんが作ってくれた。気が向けば散歩がてら根岸公園に行ったり、食材を買いに市場に出かけたり。予定が何もないと、そうやって一日中チビチビとお酒を飲みながら2日も3日も過ごした。
 それぞれに忙しかったり事情があったりで、いつしかそんな時間はなくなった。フィルム時代の廣田さんの機材はハッセルがメインで、4x5はジナー、35mmはニコンで、引き伸ばし機はオメガだった。時代がデジタルに移行する中で、廣田さんはあまり写真を撮らなくなった。
 奄美大島に移住するため一旦富山の実家へ戻る時に、何年ぶりかで義郎君と廣田さんの3人で呑んだ。廣田さんは料理人になっていた。
 このポストカードは、廣田さんから一番最初に貰った年賀状だと思う。静かで美しく好きな写真だ。

廣田さんの年賀状

 ミスコンファイナリストが福島第一原発を視察という記事が流れてきた。意味がわからない。処理水の安全性を国民にも理解できる様にPRしたいなら、その100倍に薄めて安全だという処理水を東電関係者、経産省、担当大臣や首相が1年間ほど自身の飲料水として活用してみればイイじゃないか。2021年4月に「WHOの基準の7分の1まで希釈してある。そこが一番肝心。飲めるんじゃないですか。普通の話なんじゃない」と言った当時財務相だった麻生太郎氏には、ぜひ1番に飲んでいただきたい。

 この他の気になった記事を備忘録として。
原発処理水の放出にお墨付き…IAEAは本当に「中立」か 日本は巨額の分担金、電力業界も人員派遣
全衆院議員464人を直撃「マイナカード、持ってる?」大物は回答拒否、推進派が“自分は紐づけせず”の卑怯
「子の食料買うお金ない」71% 夏休み、支援申請世帯
河野大臣「3年後に新しい読み取り機」で医療現場また地獄…ウハウハは大手IT企業のみ
「スマイルカンパニー契約解除の全真相」弁護士を通じて山下達郎・竹内まりや夫妻の“賛成事実”を確認
マイナカード廃止47万枚 16年以降、自主返納含め―総務省

7月6日(木)

 富山の女性ボーカル・ユニット、gravaのリーダー布上智子さんがMCを務めるNHK富山放送局の「新桜町Sound」。先週土曜日、6月30日はテレビ公開生放送があり、gravaをはじめとする5組のミュージシャンが出演した。その中に1組名前の知らないミュージシャンがいて、それがMisiiNだった。
 他の4組は富山県出身だが、彼女たちは東京と埼玉出身で、現在は東京と富山の2拠点で活動しているという。彼女たちの出演は3曲だったが、そのカッコ良さに驚いた。クールなラップと美しいトラック。番組が終わってから直ぐにYouTubeで検索したが、音楽だけではなく映像も素晴らしかった。そのほとんどを自分たちで創っているようで、さらに驚いた。
 音楽はわりとなんでも聴く方だが、一番聴かないのがラップ、ヒップホップ。それでもこれだけ魅かれたのは、彼女たちの創る音楽に切実さがあるからだろうか。音楽への彼女たちの切実さ、彼女たちが創った音楽から感じる切実さ。そのリリックが心に刺さり、美しいトラックに癒された。
 音楽の切実さで言えば、タイプは違うけれど松崎ナオ(鹿の一族)に感じたものと似ている気がする。
 小さなクラブもいいだろうけど、大きなフェスでも見てみたいと思う。 
 YouTubeから「LETGO」「alone alone,heiio?」「fall」「with your decisions」「loveyourself 」。

 

ポストカード・ギャラリー#02 徳野雅仁

徳野雅仁さんの年賀状
 イラストレーターの徳野雅仁さんに初めてお会いしたのは、『Vegeta』という誠文堂新光社が発行する野菜の雑誌の取材だった。1988年のことで、座間のアパートに住み、部屋の前の畑で無耕転・無除草・無農薬で野菜を育てる自然流農法をされているのを撮影した。
 お会いするのは初めてだったが、徳野さんの作品は六耀社から出ていた『視覚トリック/福田繁雄』という美術書に掲載されているのを見た事があった。M.C.エッシャーのだまし絵に嵌っていた頃に買った本で、だまし絵的なイラストや、陶器で作った新聞や雑誌など、面白い作品が掲載されていた。そんな中に、徳野さんの「犬」「なわとび」「流れる顔」という3つの作品があった。
 取材した時には、部屋にキーボードやアンプ、ミキサーなどが置かれていた。当時の雑誌を読み返すと、作曲した40曲あまりの作品を仕上げるために揃えられたようだ。

←このポストカードは、取材した年に頂いた年賀状。wikiによると、現在は千葉の大網白里市に住まわれているようだ。
↓→『視覚トリック/福田繁雄』(六耀社)
視覚トリック02
視覚トリック01

7月5日(水)

 岸田首相が今月から全国行脚を始め、市民と車座集会などを行って「聞く耳」をアピールするそうだ。下落している支持率の浮揚に繋げたいようだが、国民や医療関係者の多くが反対している保険証とマイナカードの一体化を未だに推し進めようとする彼の聞く耳など誰が信じるのだろうか。そもそも2021年の総裁選の際に自慢気に記者会見で披露していた岸田ノート、あんな小さなノートに書き切れるほどの中身しかないのだろう。ノートの中身は公開されていないが、本当に聞く力があって、それをアピールしたいなら一度中身を公開したらどうだろうか。
 公明党の山口代表が、マイナンバーカード未取得者に申請を待たずに資格確認書を届けることを提案したそうだが、健康保険証を廃止しなければ良いだけの話ではないのか。昨日、松本総務大臣が閣議後記者会見でマイナンバーカードの管理に不安を感じる認知症の高齢者らを対象に、暗証番号の設定がなくても交付できるようにする方針を表明したが、これも健康保険証を廃止しなければ良いだけの話ではないか。現在トラブルもなく運用されている健康保険証を廃止する理由はない。
 高市早苗・経済安保担当相が、安倍元首相の一周忌を前に所感を問われ、「日本人として日本を思う心、安倍元総理のその魂というのは、まだこの世に留まってるんだろうなと思います」と述べたそうだ。魂の行方がわかるなら、政治家辞めて霊媒師になってはどうだろう。

借金返済よりも防衛費に充てる?…2022年度の決算剰余金2兆6000億円 「将来負担が増える」やり方
「武器輸出」密室の議論で制限緩和を目指す自民と公明 議事録見せず、国会審議も飛ばし「検証もできない」
 こんなことをしていれば、敵国に攻め込まれて倒れる前に、国民は疲弊し干からびて倒れてしまいそうだ。結局、自公政権が守りたいのは国土であって国民ではないのだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
政府が退職金の「増税」をもくろむワケとは 「人生設計が変わる中高年が続出する」識者は問題視
伝統か動物愛護か、糸満ハーレーの「アヒル取り」で分かれる賛否 市には中止求めるメールやはがき840件
主要外部電源の接続切れる ザポロジエ原発
「風評被害はもう起きている」 処理水放出計画に水産業者は「漁業の未来を考えて」と訴える
配当4千万円も書く必要なし 国会議員の株所得、記載は2割台以下

ポストカード・ギャラリー#01 飛木恒一郎

 先月、1階と2階を繋ぐ階段横の壁に自分が持っている写真家の方々のプリントを額装して飾ったが、写真家やイラストレーター、画家の方々から頂いた年賀状や個展会場で貰ったり買ったりしたカードもたくさんあることに気づいた。そこでダイソーでハガキサイズの額縁を買ってきて、階段横の壁に飾ることにした。先ずはミュージック・フォトグラファーの飛木恒一郎さんの年賀状。

 飛木さんは、ボクが写真を始める前から知り合いだった数少ないカメラマン。初めてお会いしたのは、そうる透さんのローディーをしていた19歳くらいの時だと思う。透さんがおとぼけキャッツとCROSSWINDのドラマーをしていた頃で、飛木さんは立東社の『ロッキンf』の仕事でライヴの撮影に来ていた。
 透さんのローディをやめて、ビクターからデビューしていた一色ゆかりという女の子のバック・バンドのドラムをほんの一時期していたことがあって、有楽町にあった日立ローディプラザでライヴをした時に、偶然なのかわざわざ観に来てくださったのかわからないけれど、ライヴの後に飛木さんから声をかけられて嬉しかった記憶がある。
 ドラムをやめて、いつの間にかカメラマンになって、何かのライヴ会場で偶然再会して、それから年賀状のやり取りも始まった。飛木さんの年賀状もある時からインクジェット・プリントになったが、それまではハガキサイズの印画紙に焼いたものだった。大抵はその頃に撮影したミュージシャンの写真で、ロックの王道的な来日ミュージシャンのライヴ写真が多かった。ウドー音楽事務所の招聘するコンサートの写真は、飛木さんがよく撮影していたように思う。
 撮影するミュージシャンの方向がちょっと違っていたので、コンサートやライヴ会場で会うことは少なかったが、一番最後にあったのは日比谷の野音だった。SHOW-YAが中心になって開催された「NAONのYAON」かアン・ルイスのバースデイ記念ライヴ「アン・コール」のどちらかのような気がする。
 飛木さんは2006年12月に58歳で亡くなってしまった。 亡くなった当時も若いと思ったが、自分が60歳を3年も過ぎると、あらためて58歳は若過ぎると感じる。

飛木さんからの年賀状01
↑↓デヴィッド・ボウイ、キース・リチャーズ、ジェフ・ベックの3枚で悩んだが、やはり飛木さんはベックの写真だな。
飛木さんからの年賀状02

7月2日(日)

 今日開催される山下達郎コンサートを最後に、中野サンプラザが閉館する。それほど多くはないが、中野サンプラザでも何人かのアーティストやバンドのライヴ撮影をしたことがある。
 新型コロナの流行前は毎年のように来日公演を行なっていたベンチャーズを、もう30年ほど前だろうか、中野サンプラザで撮影した。雑誌の取材ではなく、招聘元のM&Iカンパニーからの依頼でオフィシャル・カメラマンとしてライブと楽屋での集合写真を撮った。毎年来日していたので、撮影した写真は翌年の日本ツアーのポスターなどに使用される。この仕事はブルースやソウルミュージックを中心に撮影していた鈴木敏也さんがずっと担当していたが、どういうわけかこの年だけ僕にまわってきた。確か、この中野サンプラザでのコンサートに、達郎さんも観客として来ていたと思う。撮影したフィルムは全部M&Iに渡したので、手元には残っていない。楽屋でメンバーの集合写真を撮った時に使ったテスト用のポラロイドが残っていたと思うが、どこにあるか不明だ。
 下の写真は最初で最後となったニルヴァーナの来日コンサートの最終日、1992年2月19日の中野サンプラザの様子。撮影はたしか頭3曲のみで、暗くコロコロと変わる照明の中でカート・コバーンがゆらゆらと揺れていた印象がある。16日の名古屋クラブクアトロ、17日のクラブチッタ川崎はわからないが、中野サンプラザの客席は今では信じられないだろうが空席もあった。1992年の時点でニルヴァーナが、これほど伝説の存在になるとは思ってもみなかった。
 YouTubeに2月19日中野サンプラザの音源がUPされていた。映像はネットや雑誌などから持って来たと思しき写真が流れるが、その中に『ニルヴァーナ、ネヴァー・フェイド・アウェイ カート・コバーン・ストーリー/デイヴ・トンプソン著・小山景子訳』(水声社)という、自分が撮影したライヴ写真が表紙や裏表紙、カバーの内側に使用されている本の写真も流れて来て驚いた。

ニルヴァーナ来日公演@中野サンプラザ

 河野デジタル担当大臣がフジテレビの情報番組で、現役医師からマイナンバーカードについて「今のところデメリットのが多い」「保険証がないと修正できない」などと制度についての不満を述べられ、それに対して「ベースを作っている段階」だと主張したそうだ。保険証を廃止しマイナンバーカードに一体化させるという国民を巻き込んでの制度が、まだベースを作っている段階とはどういうことだろうか。言ってみれば国家的なプロジェクトになるわけで、それならばきちんとベースを作ってから制度を運用するのが筋だろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
保険証「念のため2枚持参を」 マイナ保険証トラブルで迷走する政府、でも「来年秋廃止」方針は…
五輪不祥事の責任取らないままの「続投」はアリなのか JOC山下会長再任の反応を聞いてみた
海外パビリオン、建設申請「ゼロ」 大阪万博 開幕間に合わぬ恐れ
警視庁の現職警部補、事件を「捏造」と証言 起訴取り消しの公安事件
土地利用規制法の追加指定、パブコメなしの8月施行を決定 内閣府の審議会「安全保障に関わる施策」を理由に説明会もせず

 明後日、7月4日(火)の『世界ふれあい街歩き』(NHK BS)は、スペイン北部のビルバオとサン・セバスチャンで個人的に楽しみにしている。
 1986年のイベリア半島の旅の終盤、ポルトガルを大西洋沿いに北上してスペイン北西部のガリシア地方に入った。ポンテべドラ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ラ・コルーニャ、ルーゴとガリシアの街をまわって、そろそろマドリードに戻ろうかと思っていた。ところがルーゴの宿で時刻表と地図を見ていたら急にバスク地方に行きたくなった。時刻表には20時2分ルーゴ発のサン・セバスチャン行きがあり、あと一時間ほどで出発する。泊まらないけれどその日の宿代400ペセタ(500円ほど)を払って、駅に向かった。たぶん日本から持って来たパンプローナやサン・セバスチャンを舞台にしたヘミングウェイの小説『日はまた昇る』をちょうど読み終えたところだったから、その影響かもしれない。 
 夜行列車は4人部屋になっていて、ラ・コルーニャにある軍の兵隊だという3人の青年と一緒になった。彼らは15日間の休暇をもらって故郷に帰るのだという。その中の2人はサン・セバスチャンとパンプローナが故郷だという。パンプローナ出身の男が、今パンプローナではお祭りをやっているという。牛追いで有名なサンフェルミン祭か?と聞くと「そうだ」というので驚いた。
サン・セバスチャン01

 サン・セバスチャンには7月11日から14日まで滞在した。2日目の12日には日帰りだったが、バスで2時間ほどのパンプローナまでサンフェルミン祭を見に行った。残念ながら牛追いは早朝やるようで見れなかったが、楽隊が通りを練り歩き、あちらこちらで酔っ払いが寝転がり『日はまた昇る』に描かれていた喧騒は体感できた。
 サン・セバスチャンはスペインの北東部、フランスと接するバスク地方の中心となる商業都市だ。ビスケー湾に面し、避暑地としても人気があり観光業でも栄えている。ビスケー湾にある砂浜、ラ・コンチャ海岸沿いにはレストランやお土産屋も並んでおり、近年は美食の街としても知られているようだ。
 ちなみにサン・セバスチャンと富山市は昨年、都市間連携に関する協定を締結している。

←サン・セバスチャンで見た路上アーティスト。パンフルート?を吹きながら弦楽器を弾いて、足で人形を動かしていた。彼の後ろに見えるのはラ・コンチャ海岸の沖に浮かぶサンタ・クララ島。

↓サン・セバスチャンの中心部。右下はビスケー湾のラ・コンチャ海岸。

サン・セバスチャン02

6月へ