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4月29日(土)

 今日からゴールデン・ウイークが始まった。とは言え、特別な予定は何もないのだが。
 昨日は電車に乗って金沢へ散歩に出かけた。電車に乗るのは福光に行って以来で、今年2回目。県外に出るのは今年初めてだ。
 金沢へは北陸新幹線が開通して盛り上がっていた2015年3月に、妹の提案で両親と一緒に金沢市内のライトアップスポットを巡るバスに乗ってひがし茶屋街と兼六園を見に行っている。この時は観光地を見て帰って来ただけで、ぶらぶらと気が向くままに街を歩く散歩ではなかった。金沢をのんびり散歩したのは2009年の4月以来だろうか。この時はまだ神奈川に住んでいたが、富山に帰省した折に金沢まで出かけてひがし茶屋街、主計町(かずえまち)を写真を撮りながらぶらぶら歩いた。
 昨日は11時14分発のあいの風とやま鉄道に乗車。金沢までの運賃は片道660円だった。石動駅までがあいの風とやま鉄道で、その先はIRいしかわ鉄道の管轄になる。
 30分ほどで金沢駅に到着し、最初に観光案内所で金沢の地図をもらう。路地を歩きながら犀川まで行って戻って来るのがとりあえずの目標だった。
 駅を出て此花町、安江町を通って武蔵へ。近江町市場を少し覗いて尾山神社へ。金沢に来ると尾山神社の前はよく通るが、中に入ったことはないので休憩がてら参拝に入った。
尾山神社
↑鳥居と社殿の間にある国の重要文化財に指定されている尾山神社の神門

 尾山神社の境内は思いの外広く、大きな池もある。池のほとりのベンチに腰掛けてしばらく休憩。欧米からと思われる観光客も多く、神社の横には外国人向けのSamurai Giftなる土産物店があった。尾山神社の前の道はちょっと様変わりしていた。
 尾山神社から香林坊へ出て、柿木畠へ。柿木畠にあった老舗書店「うつのみや」の移転に伴う跡地に、2016年8月2日、日本初上陸の「ロックの殿堂ミュージアム」がオープンするというニュースが北陸で大々的に流れたことがあった。6月9日から展示の一部を公開したプレオープンはしたが、結局正式なオープンは行われなかった。うつのみやの跡地に行ってみると、真新しいマンションが建っていた。家に帰り検索すると、運営会社の(株)JAPAN MUSIC MUSEUNは2021年12月25日に破産手続きを開始したそうだ。

→ロックの殿堂ミュージアムが出来るはずだった場所に建つマンション。

うつのみやの跡地に出来たマンション

 柿木畠から竪町、片町、犀川大橋を渡って寺町、にし茶屋街を歩いて片町まで戻り新天地、香林坊、長町の武家屋敷跡を散策してから157号線を歩いて一気に金沢駅へ。駅に着くと17時ちょうどの電車があった。
 金沢の街を5時間近く歩いた昨日の万歩計は24,202歩だった。

 一番初めに金沢に来たのは中学生の時で、クラスの同じ班になった林義人君と辻野君の3人で自転車を漕いで旧8号線をひたすら走って金沢まで行った。長い倶利伽羅トンネルを潜り、途中家から持って来たおにぎりを食べて金沢に着いた。たぶん兼六園あたりに行って直ぐに帰って来たのではないだろうか。
 その次に金沢へ行ったのは高校生の時で、たぶん3年生だろうか。柿木畠にあるライブハウス「もっきりや」へ、吉田美奈子のライブを見に行った。
 高校を卒業した1978年の夏頃に金沢を本拠地とするロックバンド、Tバードのローディーを始めたので、この頃は頻繁に金沢へ通っていた。Tバードのローディーをやめて上京してからも、年に一度くらいは帰省した折に友人を訪ねたりして金沢へ行き街を散策していた。
 90年代中頃から2000年の初頭まで柴田書店のムック『居酒屋』という本の仕事をよくしていて、この頃は金沢の繁華街で呑むことも多かった。帰省した時に良さげな居酒屋を下見(下見の費用は出版社が経費として出してくれた)、次に帰省した時に取材と次の取材用の下見をした。

 ところで、今回久しぶりに金沢を散歩したいなと思ったのは、2020年にミュゼふくおかカメラ館で写真展『とやま祭り彩時季』をやった時に、A1サイズのプリント出力をお願いした山田写真製版所の営業の方からいただいた写真集『銀塩の中の金沢/中村祐二郎』(龜鳴屋)を見て。ライカで撮影した1980年代の金沢の街が写っている。Tバードのローディーを始めて頻繁に金沢へ行くようになった頃の、自分の知っている金沢の風景と重なるところが多かった。新型コロナが落ち着いたら、金沢がどう変わったか見に行きたいと思っていた。
 散歩するだけでも良かったが、ただ歩いているのもつまらないのでカメラも持って行った。カメラは散歩の杖のようなものだと思っている。もう少し歩けば違う風景に出会えるかもしれない面白いものが撮れるかもしれない、そう思うと疲れても足を前に進められる。
 下の写真は銀塩ではないけれど、カラーで撮影したスナップをモノクロにしてみた。 モノクロの写真は不思議と飽きずにいつまでも眺めていられる。白から黒までの階調と造形だけのシンプルな情報量だからだろうか。

モノクロのスナップ01
モノクロのスナップ02
モノクロのスナップ03

 久しぶりに歩いた金沢。香林坊も片町の交差点も小さく感じたのは何故だろう。昔はもっと広い交差点のように思えたのに。そして相変わらず料理屋と呑み屋の多いこと。お店の入れ替わりはあるだろうが、これだけの数のお店が営業できるだけ人が集まることに驚く。

 YouTubeから「オレンジ色の風/Tバード」「ライナー/Tバード」。

4月27日(木)

 昨日、一昨日とグズついた天気だったが、今日は朝からすっきりと晴れ。
チューリップ01
 午後から、またチューリップの花が撒かれた田んぼへ撮影に行く。ホントは影のないフラットな写真にしたいので曇り空の方が良いけれど、今日を逃すと撮影できる日がなさそうなので。それに昨日の雨で田んぼに撒かれた花が良い具合に腐敗しているかもしれないという期待もあった。
 田んぼに着くとフローラルな香りと腐敗臭が一緒になって漂っていた。花を撒く作業もそろそろ終わり、田んぼに水を引くのだろうか。
チューリップ02
チューリップ03
 30years ago #17 フジテレビ通り
フジテレビ通り

↑↓デイリー・アン1993年1月20日号曙橋特集の表紙用に撮影したフィルムの中から。フジテレビがお台場に移転してから随分と年月が経つので、かつてフジテレビが新宿区河田町にあったことを知らない人も多いかもしれない。表紙のキャプションには<今週のシティガイドはTV局のある街シリーズ第1弾、フジテレビのある曙橋を中村アナが徹底ガイド>と書かれている。93年なら中村アナは、中村江里子さんだろうか。河田町時代のフジテレビには、タレントさんとの打ち合わせで行ったことがある。そのタレントさんのゴーストライターをすることになって、その打ち合わせ。当時「オレたちひょうきん族」に出演されていたので、収録合間に控え室でお会いした。タレント本というより、そのタレントさんの名前を冠にしたHow to本だった。初版は1万部で、印税はタレントさんと5%ずつ分けるのかと思っていたら、共に10%だった。これが初めての印税仕事だった。この出版社は1992年に自己破産を申請し倒産してしまった。お台場に移ってからのフジテレビの中も、月刊『食堂』の社員食堂特集の取材で入ったことがある。因みに旧フジテレビのあった住所は河田町で、フジテレビ通りのあった場所は住吉町、旧フジテレビの最寄りの駅が曙橋だった。

フジテレビ通りの近く?

 ソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワードでクリエイティブ部門賞を受賞したドイツ人アーティストが、出品した作品は人工知能(AI)で制作したものだと打ち明けて受賞を辞退したそうだ。この記事を見て、以前dee-okinawaに掲載されていたPhotoshopの新機能で沖縄を冬にできるかを思い出した。AIを使って画像が生成できる時代、その真贋を見極めるのはますます難しくなりそうだ。コンテストならRAWデータも提出することが義務づけられそうだ。
 昨日、うな丼大臣の更迭をというニュースが流れたが、嘗て天ぷら総理と呼ばれた人もいた。
 アメリカで経歴を詐称した嘘つき議員が当選したという記事が昨日の東京新聞に掲載されていたが、我が国には国会で118回も嘘の答弁をした総理大臣がいる
 自民公明の両党が防衛装備移転三原則の見直しに向けた協議を始めた。その中で自民党が殺傷能力のある武器の輸出解禁に前向きだという。防衛装備移転三原則は、安倍内閣時代の2014年4月1日に武器輸出三原則に変わるものとして制定された。武器を防衛装備と言い換え、今度は殺傷能力のある武器を輸出しようとする。憲法の定める平和主義から、どんどん逸脱していないだろうか。
 一昨日の毎日新聞に掲載されていたLGBT法案「与党案として国会提出」浮上という記事の中に、 <自民党内には法案の「差別は許されない」との文言に反対する声が根強く>と書かれていて驚いた。自民党は差別主義者ばかりなのか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
「保険証の廃止は誰も得しない」マイナンバー法案の反対集会、医師たち200人が撤回求める
入管法改正案は「無実の人に死刑執行ボタンを間接的に押すこと」 難民申請を繰り返さざるを得ない切実な事情

4月25日(火)

 今日は弟の命日。亡くなって、もう4年が経つ。午後から妹の車で両親と一緒にお墓参りに行ってきた。

 沖縄県うるま市の平安座島で旧暦3月3日から5日まで行われる豊漁と島の繁栄を祈願する「サングヮチャー」が4年ぶりに行われたという記事が一昨日の琉球新報に載っていた。今年は4月22日が旧暦の3月3日だった。行事のメインとなるのは中日(ナカヌヒー)に当たる4月23日に執り行われるトゥダヌイユーとナンザモーイで、このナンザモーイにはタマン(魚の名前)を象ったお神輿を担いでナンザと呼ばれる700mほど沖にある岩礁へ拝みに行く。
 今回琉球新報の記事を見て一つ驚いた。タマンの神輿が2基になっている。サングヮチャーは2014年に撮影に行っているが、神輿は一つだけだった。2014年だけが1基だったのだろうか?と考えたがdee-okinawaの2011年の記事を見てもタマンの神輿は1基だけなので、大勢が且つげるように最近作ったのではないかと思う。
 ちなみに2014年の時はナンザモーイの前日にチリで大きな地震があり沖縄にも津波警報が出ていたので、ナンザモーイは大人の男性のみに制限された。
平安座島で旧暦3月3日の行事「サングヮチャー」盛大に実施(動画あり)
タマンの神輿
↑2014年に撮影したタマンのお神輿。この時は1基だけだった。
 空気中に含まれる水分を吸い取りコーヒーを淹れる、エアドリップコーヒーの常設カフェがオープンするというニュースを昨日テレビで観た。
 このニュースを観て脳内でイメージしたのは、ガジュマルの幹の中に入ってコーヒーを抽出するバリスタの姿。ガジュマルは亜熱帯から熱帯地方に分布する常緑高木で、空気中の水分を吸収するためにたくさんの気根を垂らしている。
 エアドリップコーヒーがどのような仕組みで空気中の水分を吸収するのかわからないが、気根から吸い取った空気中の水分を使い、ガジュマルの幹の中でバリスタがコーヒーを抽出して幹に作った小窓から提供してくれたら面白いだろうと空想している。
 下の写真は、加計呂麻島・於斉集落の海岸にあるガジュマルの巨木。奄美群島から沖縄本島、宮古・八重山諸島を旅していろんなガジュマルの巨木を見たが、この於斉のガジュマルが一番気に入っている。
於斉のガジュマル
↑ガジュマルは見る角度により全然表情が違う。於斉のガジュマルは、この角度で見るのが一番カッコイイと思う。
↓→気根同士が絡まりながら下に伸びて地面に着き、やがて幹のように育っていく。
気根
気根02
 この他の気になった記事を備忘録として。
住民ら驚き「こんな巨大な部品が」 漁協「何の連絡もない」と不信感 海保機カバー落下
「犯人の動機を報じるな」はどういう理屈? 首相襲撃事件で一部自民党議員が主張

4月23日(日)

 となみチューリップフェアが昨日から始まった。今年はオープン初日からほぼ満開のようだ。そんな咲き誇ったチューリップには目もくれず、先日見つけたチューリップの花を撒いた田んぼへ、午後から撮影に出かけた。
 花が撒かれた戸出の田んぼへ自転車を走らせている途中、目の前に立派な巨木のある家が現れたので自転車を止めて撮影。なんと美しい木だろうか。
大きな木のある家
 家から45分ほどで、お目当の田んぼに着いた。周りのチューリップ畑では花の摘花作業は終わっているようで、新たに撒かれた花は少なくなっている。田んぼの中に入って撮影していると、小さなカエルが1匹花の上をぴょんぴょんと跳ねていた。
カエルとチューリップ
チューリップ
 30分ほど撮影して、また45分程かけて自転車で家に帰る。晩ご飯は昨日妹が貰ってきたタケノコで母親が筍飯を作った。

 昨日、ザ・ポップ・グループのヴォーカリスト、マーク・スチュワートが死去したというニュースが流れてきた。1960年8月10日生まれで、62歳だった。同い年だ。

マーク・スチュワート
ラシッド・タハ

↑シンコーミュージックの『クロスビート』1996年1月号で撮影した、マーク・スチュワート。こちらがポーズをお願いしたわけではなく、サービス精神が旺盛なのか酔っ払っていたのかシャッターを切るたびに変顔をしてくれた。wikiによるとザ・ポップ・グループはポストパンク・バンドという風に括られている。この撮影をするまで、マーク・スチュワートという名前すら知らなかった。普段自分が聴く音楽ではないが、同年代であり一度撮影したことのあるミュージシャンの死はなんだか心にズンと来る。

←2001年10月2日に撮影したアルジェリアのロック・シンガー、ラシッド・タハ。1958年生まれで2歳ほど年上だが、同世代のミュージシャンだ。彼も2018年9月12日に59歳で亡くなってしまった。

 YouTubeから「pop groupbelgian tv1980」、「Rachid Taha /Ya Rayah」。

 もう4月も後半で花粉は少ないはずだが、まだ花粉症の症状が。この季節は杉の木がほとんどない奄美や沖縄で過ごせれば理想だな。

4月21日(金)

 昨日は今年2回目の夏日で長袖のTシャツ1枚でも暑かったのに、今日は一転して冷たい風の吹く肌寒い一日となった。
 今月の13日にアマゾンで購入した商品が、昨日ようやく届いた。同じ13日に同じくコンビニ決済でネット注文したヨドバシの商品は翌日に届いていたのに。アマゾンも最近はコンビニ決済でも割りと早めに届いていたので油断していたら、この有様だ。
アマゾンで購入した商品
プリントを写真台紙に貼る

↑昨日届いたアマゾンからの商品。写真台紙2種類3枚、背景布、2mのピクチャーレールワイヤー5本。背景布はパステル・グリーンとパステル・ブルーの中間くらいの色味。

←写真台紙が届いたので、先日2階のスタジオで撮影した家族記念写真をプリントして貼り付ける。

 午後は、昨日届いた背景布の折りジワを取るためにアイロンがけ。今回購入した背景布は1.5mX2.2mの大きさで、先月アイロンがけした3mX6mや3mX7mといった大きな背景布に比べれば楽チンだった。
↓折りジワを取るためアイロンがけ。→折りジワは取れた。
折りジワが取れた背景布
背景布にアイロンをかける
クリップで布を引っ張り、フォトショップでシワを消す
↑折りジワは取れたがドレープ(ひだ)が出来るので、紐をつけたクリップを布の端につけて引っ張る(左)。それでも出来るドレープをPhotoshopで消した(右)。

 初めて聴いた沖縄の音楽は二十歳前後に東京・渋谷にあったライブハウス「屋根裏」で観た宮永英一がドラムのコンディション・グリーンだったかサンディエゴだったか。それとも1981年にリリースされたMarie with MEDUSAのアルバム『マリー・ライブ』だろうか。あの頃、沖縄民謡など頭の中に欠片もなく沖縄の音楽といえばオキナワン・ロックだった。
 今日、元コンディション・グリーンのリーダーでヴォーカルの川満勝弘さんの訃報が流れてきた。 沖縄タイムスと琉球新報が追悼記事を掲載している。
【ありがとう。かっちゃん】そのロック魂に迫る 記事と写真で振り返る
写真:沖縄ロックのレジェンド 「かっちゃん」逝く 波乱の人生の原点とは
BEGIN、デニー知事らが追悼コメント寄せる 「かっちゃん」の人柄、功績偲ぶ 23日に家族葬「ロックセレモニー」
マリー・ライブ

 左の写真は家にある唯一のオキナワン・ロックのレコード、Marie with MEDUSAのアルバム『マリー・ライブ』。帯には<ロック美人マリー 衝撃のデビューコンサート・ライブアルバム!>と書かれている。バック・ミュージシャンには矢島賢(ギター)、田代マキ(キーボード)、美久月千晴(ベース)といった当時の売れっ子スタジオ・ミュージシャンが参加している。
 2018年放送の新日本風土記によると喜屋武マリーさんは、アメリカに住んでいるようだ。  

 YouTubeからコンディション・グリーンのライブ、Marie with MEDUSAのライブ

 この他の気になった記事を備忘録として。
こんな議長国で大丈夫? 地元軽視、誤情報を発信…福島原発事故対応協議のG7閣僚会合で日本のゆがみ露呈
旧統一教会系団体が学術会議を「反体制的」「解散せよ」と痛烈批判 その背景とは

4月19日(水)

 スギ花粉は少なくなっているはずなのに、昨晩から花粉症の症状が酷い。どうしたんだろうか。
 今日は前々からやろうと思っていたパソコンのRAMメモリを取り替える作業をした。2012年5月に新品で購入したiMacは今も現役で動いているが、メモリを4GBしか積んでいないのでBridgeでデータを現像しようと思うと遅くてイライラする。そこで2020年12月に中古で購入し2021年1月に壊れて起動しなくなったiMacに積んである16GBのメモリと交換しようというもの。
2ヶ月足らずで故障したiMacから16GBのメモリを取り出す
↑先ずは壊れて起動しなくなったiMac本体の底から8Gのメモリ2枚を取り出す。
初代iMacから4GBのメモリを取り出す
初代iMacに16GBのメモリを入れる

↑次に2012年に購入したiMac本体の底から2GBのメモリ2枚を取り出した。

←壊れたiMacから取り出した8GBのメモリ2枚を、2012年に購入したiMacに挿入。

↓初めに起動させたところブーという警告音。壊した?と心配したがメモリを入れ直したら起動した。メモリが完全に差し込まれていなかったのだろう。

メモリを入れ替えた後にiMacを起動
↓メモリの表示が4GBから16GBに変わっている。
メモリの表示が4GBから16GBに変わった
 早速Bridgeを起ち上げデータを開くとサクサク動く。メモリを交換した甲斐があった。

 昨年、機材置き場兼書庫を片付けていたら福岡(博多)の音楽シーンを専門に扱った音楽誌『BLUE-JUG』が創刊号から第5号まで5冊出てきた。これは博多にあったライヴハウス「多夢」で知り合った当時の編集長、木下さんにもらったものだ。「多夢」には1978年にTバードのローディーとして、1979年にダディ竹千代と東京おとぼけCat'sのローディーとして行っていて、このどちらかで木下さんと知り合って雑誌をいただいたのかと思ったが、創刊号が1979年7月25日発売で、第5号が1980年5月25日発売となっていた。となると考えられるのは、1980年に吉田拓郎さんのツアースタッフで博多に行った時だろうか?そう思って昔のスケジュール帳を見てみると、12月24日に福岡市民会館でコンサートをやっていた。そして前日の23日の欄に多夢へ行くと書いてあり、25日は多夢クリスマスパーティーとメモしてあった。
 東京おとぼけCat'sが多夢に出演した時に、オープニングアクトとして金尾義郎君のバンドが出演した。その時に義郎君と親しくなり、1980年の拓郎さんのツアーの時に義郎君に会いに多夢に行ったのだろう。そして義郎君と一緒に木下さんのアパートへ行き、この『BLUE-JUG』をもらったんじゃないだろうか。
 なぜ急に『BLUE-JUG』の話になったかというと、昨日当時のいろんなことをネットで検索していたら博多ロック編<207>「ブルージャグ」の挑戦という西日本新聞の2014年6月17日の記事が引っかかったから。記事には初代編集長として木下さんが登場している。雑誌は1986年、第29号まで続いたそうだ。
BLUE-JUG
 気になった記事を備忘録として。
麻痺患者 カーペンターズを聴いて治る
コロナ9波は「8波より大規模の可能性」と専門家 死者発生が継続も
原発事故の賠償にあてる負担金、東電はゼロへ 国民負担はあるのに…

4月17日(月)

 先週は土間にモルタルを塗る作業をしていて外に出られなかったので、今日は午後から久しぶりにチューリップを撮影に行く。2020年以来だから3年ぶりだろうか。
 自転車で戸出方面へ。撮影したいのは咲いているチューリップではなく、球根を育てるために摘花されて田んぼに撒かれた花。花を撒く田んぼは毎年変わるようなので、その田んぼを見つけなくてはならない。
チューリップの摘花作業

 しばらく自転車を走らせていると花を摘んでいる畑が見つかった。そこへ軽トラックに乗った男性が摘んだ花を回収にきた。声を掛けて、花びらをどこの田んぼに持って行くのか尋ねると、これはイベント用(フラワー絨毯)に集荷しているそう。親切に他の農家さんが撒いている田んぼを教えて下さったので、200mほど離れたその場所に行くと、色も形も様々なチューリップの花が撒かれていた。

←チューリップの摘花作業。

摘み取った花を撒く畑
チューリップの花01
チューリップの花02
 3年ぶりのチューリップの撮影は楽しかった。撒く田んぼの場所が分かったので、今年はあと何回か撮影に来たいと思う。
表面が乾いたモルタルの床

 金曜日に塗ったモルタルもだいぶ乾いた。昨日はインスタントセメント に水を混ぜて撹拌していた時に壁に飛び散った泥水の跡に漆喰を塗って補修する作業をした。

←金曜日に塗った右側部分も乾いてきた。こうして見ると塗った日毎の形跡が、等高線のようになっている。上から10日、11日、13日、14日に塗った部分。

壁についた泥水
↑水を混ぜたインスタントセメントをハンドミキサーで攪拌中に飛び散った泥水や金コテの跡。
泥水の上に漆喰を塗る
↑壁はオレンジの漆喰を塗っているが、オレンジの漆喰は使ってしまったので桜色の漆喰で補修。↓乾くとこんな感じ。
塗った漆喰が乾いた
 モルタルが中まで乾くには一週間ほどかかるそうだが、表面は乾いて硬く固まっているのでテーブルとベンチを土間に戻した。
モルタルの土間の上にテーブルとベンチを戻す
 残る作業は、リフォームで出たゴミや廃材の処理。車を借りてリサイクルセンターへ持って行かなくてはならない。
リフォームで出たゴミや廃材

4月14日(金)

 今日も土間にモルタルを塗る作業。11日に買ったインスタントセメント 10袋を使い切ったので、午前中に妹に車を出してもらって買いに行く。11日は近所のコメリで買ったが、残りが2〜3袋になっていたので、今日は少し離れた小矢部のコメリまで行き5袋を購入。買ったインスタントセメント5袋を家まで運んでから、接着増強剤NSハイフレックスを持って妹の家へ。
  車を出してもらったお礼に玄関の剥がれたタイルの補修をしてみる。タイルの剥がれたところにハイフレックスを塗ったら一旦家に戻り、今度は今日モルタルを塗る土間にハイフレックスを塗る。塗り終わったら、インスタントセメントに水を加えて練ってモルタルを作る。作ったモルタルを持ってまた妹の家に行き、モルタルを塗り剥がれたタイルを乗せる。ゴムハンマーでタイルを軽く叩きモルタルになじませる。タイルの補修などやったこともなく、ちゃんとくっ付くか心配だ。
今日購入したモルタル5袋


←今日購入した20kg入りインスタントセメント 5袋。

 お昼ご飯を食べてから、土間にモルタルを塗る作業を開始。

↓昨日モルタルを塗ったところの続きから(左)。昨日つけた手形がだいぶ固まっていた。もう少し指を開いて押せば良かったか(右)。

 

モルタルを塗る
ようやくモルタルを塗り終わる
 12時半頃から16時ごろまで約3時間半休みなく作業して、5袋のインスタントセメントを使ってモルタルを塗り終えた。つごう25袋500kgのインスタントセメント を使った。
 土間にモルタルを塗るのにかかった経費はインスタントセメント 25袋14,950円、セメント用バラス1袋456円、NSハイフレックス4,780円、ハンドミキサー6,666円、刷毛248円、ローラートレーキット598円。合計27,698円。
モルタルを塗り終わった土間の全景
↑ようやくモルタルを塗り終えた土間の全景。ツルツルのキレイな仕上がりにはできなかったが、アブストラクトを見る面白さ、景色だと思って楽しもうと思う。それにしても重労働だった。漆喰はもう一度塗ってもいいなと思うがモルタルは・・・(汗)。それでも次にモルタルを塗る機会があれば、もう少し上手に塗れそうではある。
ヨドバシから届いた商品
 昨日ヨドバシの通販サイトに注文した商品が、今日の夕方に届いた。相変わらずヨドバシ早い。
 今回注文したのは、エプソン写真用紙絹目調A4 20枚入り、エプソン写真用紙絹目調2L判 50枚入り、エプソン写真用紙ライト(薄手光沢)A4 100枚入り。
 同じく昨日商品を注文したアマゾンでは、まだ発送するされていないようだ。
 今日、原発に関するドイツの素晴らしい記事と日本のダメダメな記事が流れてきた。
ドイツ「脱原発」15日完了 再生エネ普及推進、60年超の歴史に幕
使用済み核燃料再処理工場の審査書類 3100ページにわたり不備

4月13日(木)

 食パンとコーヒーで朝食を食べながら朝の連続テレビ小説『らんまん』を観ようと思っていたら、直前になって北朝鮮が弾道ミサイルを発射したという緊急速報の画面に切り替わり、北海道周辺に落下する恐れがあり避難するようJアラートが発令された。その後しばらく北海道民への避難の呼び掛けを繰り返していたが、ずいぶんと経ってから北海道周辺どころか日本の領海内にも落ちなかったことが確認された。Jアラート発令の賛否も問題になっていたが、それよりもこれだけ不確かな予測しかできない防衛省と政府が敵基地攻撃能力の保有などと言っていることが恐ろしい。不確かな予測で敵基地を攻撃したら先制攻撃ではないか。また、これだけの予測能力しかなくて導入を予定しているイージス・システム搭載艦は機能するのだろうか? 
 しばらくテレビで動向を見守った後、ヨドバシの通販サイトとアマゾンで商品を購入。コンビニ決済にしたので、自転車でコンビニへ支払いに行く。
ハイフレックスを塗った

 家に帰り、今日モルタルを塗る箇所にハイフレックスを塗る。昨日一日作業をお休みしたので、少し体が回復した。

 お昼ご飯を食べて、午後からモルタルを塗る。先ずは初日に塗った箇所でデコボコになっている場所に二度塗りしてみる。ネットの情報ではモルタルを二度塗りしても剥げてくるという意見もあったが、とりあえずやってみる。それから一昨日塗った箇所からの続きを塗る。

←ハイフレックスを塗った。

モルタルを塗り始める
記念に手形を押してみた

↑初日に塗った箇所の特にデコボコが激しいところに二度塗りしてみた(左)。そして一昨日モルタルを塗った箇所からの続き(右)。

←せっかくなので端っこに記念の手形を押してみた。

↓今日は残っていたインスタントセメント 20kg入り4袋分を塗って終了。あと何袋必要だろうか。

今日はここまで

4月12日(水)

 昨日は今年最初の夏日となり、富山県が本州の今年最も高い気温を更新したそうだ。今日は午前中は雨、午後から晴れたが黄砂が飛来した。

 一昨日に続き昨日も土間にモルタルを塗る作業をしたら、さらに腰と腕がパンパンになり身体が悲鳴をあげる。おまけに夜になってクシャミ、鼻水、鼻づまりと花粉症の症状が出て苦しかった。という訳で、今日は作業をお休みした。
 以下は、昨日の作業記録。

10日に塗ったところと、新たに買ってきたインスタントセメント 10袋
ハイフレックスを塗り、バラスを置いた

↑左は一昨日塗ったモルタル部分。中まで完全に乾くまで一週間ほどかかるそうだが、表面は乾いて白くなりかなり硬くなっている。右は妹に車を出してもらい近所のホームセンターで買ってきたインスタントセメント 20kg入り10袋。重いので5袋ずつ2回に分けて運んだ。

←午前中は接着増強剤NSハイフレックスを塗り、低い箇所にバラス(砕石)を置いて嵩上げした。

インスタントセメント を練って、モルタルを塗り始める
昨日塗った箇所01

↑お昼ご飯を食べて、午後からモルタルを塗る作業を開始。大きなプラスチックの容器にインスタントセメント を入れ、水を混ぜて練る(左)。昨日塗ったモルタルの端から塗っていく。境目がくっきりと残る(右)。

←↓今日は20kgのインスタントセメント6袋分のモルタルを塗った。昨日よりは多少キレイに塗れた気がする。

昨日塗った箇所02

 一昨日はインスタントセメント 10袋200kg、昨日は6袋120kg分のモルタルを練り、土間に塗った。そうしてわかったのは、モルタルは水分が多めの緩いくらいの方が塗りやすい。また、ハンドミキサーを使って攪拌しているが、底や容器の淵にあるインスタントセメントは金コテで時々混ぜ返してやらないとミキサーをかけても全体が均等に混ざらない。一昨日初めて作ったモルタルは均等に混ざっていなくて砂のような状態のまま固まってしまった箇所がある。
 当初は自作のトンボのようなもので全体を均し、その後水準器で平行を確認しながら金コテで均そうと思っていたが、水準器を使っている余裕などなかった。

 最近の気になった記事を備忘録として。
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4月10日(月)

 暖かくなってきて、最低気温が3℃以下になる日もなさそうなので、リフォームの仕上げとなる土間にモルタルを塗る作業を始めた。
土間にあったテーブルやベンチをフローリングの床に移動
モルタルを均すために自作したトンボ?のようなモノ

↑昨日のうちに土間にあったテーブルやベンチをフローリングの床の上に移動しておいた。

←インスタントセメント と水を練って作ったモルタルを、土間の上で均すために細い板を2本くっ付けてトンボ?のようなモノを自作した。

↓モルタルを土間に塗る前に、モルタル接着増強剤NSハイフレックスを塗る。

モルタル接着増強剤ハイフレックスを塗る
↑ハイフレックスと水を1:4の割合で混ぜた液を作る。壁の近くは刷毛で、他はローラーで塗っていく。
ハイフレックスを塗り終わった
ハンドミキサーでインスタントセメント と水を練ってモルタルを作る

↑1時間半ほどで今日モルタルを塗ろうと思っている部分に、接着増強剤のハイフレックスを塗り終わった。ここまでが午前中の作業。

←昼ごはんを食べてから、いよいよモルタルを塗る作業。先ずは母親がかぶらずしを作る時に使っていた大きなプラスチックのバケツにインスタントセメントと水を入れ、ハンドミキサーで練る。何もわからずいきなりミキサーを回したら、泥水が飛び散って壁に着いてしまった。

モルタルを土間に塗る
↑練って出来上がったモルタルをバケツから土間にあけ、自作のトンボのようなものとコテで伸ばしていく。
インスタントセメント 25kg10袋分を塗り終わった

↑インスタントセメントと水を混ぜてモルタルを作り、土間に塗る繰り返し。ほとんど休憩なしで5時間半ほど作業して、購入してあった20kg入りインスタントセメント 10袋分を使い切った。腕も腰もパンパン。しかし、頑張った割りにはキレイに塗れなかった。デコボコで色んなシミがついたコンクリートの土間をキレイにするためにモルタルを塗ったのに、塗ったモルタルがデコボコだ。作業していくうちに上手く塗れるようになるだろうか。

4月7日(金)

 昨日の強風と今日の雨で、窓から見える岸渡川の桜もすっかり花びらが散ってしまったようだ。町のさくらまつりのイベントは明日の夜と明後日の昼間なのに・・・。
 30years ago #16 吉祥寺
吉祥寺01
↑↓デイリー・アン1992年6月17日号吉祥寺特集の表紙用に撮影したフィルムの中から。初めて一人暮らしをしたのが、吉祥寺から3つ先の東小金井だった。東小金井から渋谷にあったライブハウス「屋根裏」や当時仕事をいただいていた編集プロダクションへ出かける時など、井の頭線に乗り換えるため吉祥寺駅をよく利用した。20代の前半で、一番マンガを読んでいた頃。吉祥寺にはマンガ家が多く住んでいたからか、マンガ本の充実した本屋があった。チャンネルゼロの『季刊 漫金超』などは吉祥寺の本屋で購入した。1989年に『東京☆横浜BAR GUIDE』(KKロングセラーズ)という本を作った。発売して一時吉祥寺の本屋の週間ベストセラーに入ったと、担当編集者が新聞の切り抜きを見せてくれた。本の表紙イラストを鴨沢祐仁さんが描いており、彼のイラストに魅かれてマンガファンが購入したのではないかという分析だった。『東京☆横浜BAR GUIDE』の初版は1万部刷っているが、どれほど売れただろうか。
吉祥寺02
新しいトップページ画面

トップページを模様替え。桜に変わって咲き始めた、チューリップ。写真は、球根を育てるためにもぎ取られ畑に捨てられたチューリップの花だが、その色と形が美しい。

↓これまでのトップページ。奄美大島・大和村のスモモ畑。

これまでのトップページ画面
 印刷代や送料の値上がりに伴い、フォトブックの販売価格を改定させていただきました。A5サイズ・144頁 1800円(メール便・送料込み)→A5サイズ・144頁 2000円(メール便・送料込み)、A5サイズ・スクエア・144頁 1600円(メール便・送料込み)→A5サイズ・スクエア・144頁 1800円(メール便・送料込み)。
 よろしくお願いいたします。

4月6日(木)

 一昨日、伊是名島で公事清明祭が執り行われたそうだ。今年の清明は4月5日〜19日までの15日間。公事清明祭が終わると、一般家庭でも清明祭(シーミー)が始まる。
 昨年の超過死亡者数が11万3千人に上ったとの推計を国立感染症研究所が明らかにした。当然、新型コロナウイルスが関係していることが考えられる。新聞のおくやみ欄、昨年に比べて今年は少し減ったように感じられるが関係はあるのだろうか。
 その新型コロナだが、死者数、病床使用率は下がり続けているが、新規感染者数は増加に転じているようだ。
 石川県の馳浩知事が、月一回の定例会見を3月に開かなかったことが話題になっている。石川テレビ放送制作のドキュメンタリー映画『裸のムラ』に自分自身や県職員の映像を無断使用されたことについてテレビ局側と肖像権を巡り揉めており、見解の異なる石川テレビの社長に定例会見への出席を求めたが同社社長が会見に出ない意向だったことから定例会見を取りやめたということのようだ。為政者や勤務中の公務員の肖像権と、県民・国民の知る権利のどちらが優先されるかという話になれば優先されるのは後者だろう。また、石川テレビの社長が自分の記者会見に出席しないから定例会見を開かないというのも乱暴な話であり、報道機関への圧力にもなるだろう。ちなみに映画『裸のムラ』の監督は、富山市議会の政務活動費不正使用問題を取り上げた映画『はりぼて』の監督・五百旗頭幸男(いおきべゆきお)氏。
  原子力規制委員会は昨日、審査資料の誤記などを繰り返し改善されないことから日本原子力発電の敦賀原発2号機の再稼働に向けた審査を再び中断させる方針を決めた。この2号機に関して2019年には地震や津波対策に関する審査資料で1000カ所以上の記載不備が見つかり、2020年には地質資料で無断書き換えが判明して審査が中断していた。1000カ所以上の記載不備があった時点で、この会社に原発を運転する能力はないと思うのでこのまま廃炉でいいのではないか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
【動画公開】圧力容器の土台は全周で損傷と東電判断 福島第一原発1号機の耐震性再評価へ
政治家がついた「原発事故による死者はゼロ」の嘘、失われた1000以上の命
清華大学が最先端分野で世界一になった理由 野口悠紀雄「リープフロッグ」

 一昨日、南砺市の福光まで小矢部川沿いの桜を撮影に行った。福光に行くのは2019年4月に宇佐八幡宮の春季例大祭を撮影に行って以来だから4年ぶり。戸出駅を13時5分の城端線に乗るため12時前に家を出て、自転車で向かう。戸出駅まで自転車で行くのも4年ぶりくらいだろうか。久しぶりなので余裕を持って家を出たら早く着きすぎたが、駅の待合室で大人しく電車を待つ。
戸出駅
城端線の切符

↑城端線の戸出駅。1896年(明治29年)に竣工した駅舎は全面改築されたことはなく、富山県近代歴史遺産に指定されている。

←戸出駅には切符の自動販売機がなく、窓口で駅員さんから購入する。福光まで330円だが、乗車券が大きくなんだか得した気分がある。

 13時5分に戸出駅を出発した列車(ワンマンカー)は、福光駅に13時32分に到着。お昼の時間帯だから空いているだろうと思っていたら、高校生がたくさん乗っていて驚いた。
  駅から小矢部川までは5分ほどだろうか。宇佐八幡宮の春季例大祭の神輿渡御や、荒木のねつおくり祭りの際にこの小矢部川沿の道を何度か神輿や人形を乗せた舟を追いかけて歩いている。
 少し散り始めてはいるが、まだ見頃の桜並木を川の上流に向かって散歩しながら歩いて行く。この福光の千本桜は、川の両岸約1.5キロに800本ほどが植えられている。名前の通り1000本になるように、現在も桜の木を植樹しているそうだ。
 13時半頃から16時半頃まで桜並木を歩き、街の中心部にある図書館で40分ほど休憩。それから日が暮れてライトアップされた夜桜が見れるまで、町中の路地をスナップ写真を撮りながら歩く。いつの間にか日が暮れるのが遅くなっていて、ライトアップした夜桜がキレイに見えるのは18時半を過ぎた頃からだった。
小矢部川の桜01
小矢部川の桜02

 福光駅を18時55分の列車で帰るつもりだったが、夜桜を撮影していたら遅くなり19時33分の列車になった。帰りの電車は空いて下り、戸出駅に19時59分に到着。駅前の駐輪場に止めておいた自転車に乗って家へと帰る。
 トータルで4時間ほど歩き、往復80分ほど自転車に乗ったので携帯電話の万歩計は22,840歩を記録した。今の携帯電話にしてからの新記録だ。

↓下の写真は福光の路地を歩いて撮ったスナップ写真。版画家の棟方志功が1945年から1951年まで戦時疎開していた町として知られる。2004年に福光町、福野町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口町が合併して南砺市が発足。福光町という地名はなくなってしまった。
路地のスナップ01
路地のスナップ02

4月3日(月)

 午後から自転車で小矢部川へ。先週、岸渡川沿いの桜を撮影したので、今日は小矢部川の土手から見える桜を撮影しながら自転車を漕いできた。1時間半ほど土手を走った後、土手を下りて岸渡川へ。心配していたほど散っていなかったので、あと1〜2日は桜を楽しめそうだ。
小矢部川からの桜01
小矢部川からの桜02
 息苦しいので何回かマスクを外して自転車を漕いでいたが、少しクシャミが出たくらいで夜になっても花粉症の症状が出ない。スギ花粉の飛散もそろそろ終わりだろうか。

4月2日(日)

 昨日、今日とよく晴れているが風が強く、満開の桜が散ってしまわないかと少し心配になる。
 セルジオ・メンデスとブラジル'66のシングルレコードが4枚あった。自分で買った記憶のあるセルジオ・メンデスは、ブラジル'77になってからのアルバムで、たぶんこのシングルはジャズ喫茶をやっていた年の離れた従兄弟の妹さんからもらったものだと思う。セルジオ・メンデスだけではなく自分で買った記憶のないベンチャーズやグループ・サウンズ、古い歌謡曲のシングルもあり、これらも従兄弟の妹さんからもらったものだと思う。
 大ヒット曲「マシュ・ケ・ナダ」を取り出し、ジャケットの裏を見ると中村とうようさんの解説が印刷されていた。1967年発売のレコードなので、とうようさんがニューミュージック・マガジンを創刊する前に書かれた原稿だろう。56年も前なので、今となっては時代を感じさせ、ちょっとクスっとする表現もある。例えば、こんな感じ。

 ところで、ちょっとお話は変わりますが、近ごろ日本でもよく使われるようになった形容詞に、クールというのがあります。これはアメリカで10年前にも流行した言葉ですが、シツコイとか重苦シイとかガムシャラな感じとは反対に、軽くてサラッとしてシャレたセンスのあるのがクールです。ボイ~ンのグラマーよりも、ホッソリしていてボーイッシュなトゥイッギーのような女の子がモテルのがクール時代の好みですが、そんな時代感覚には、聞いただけで汗臭く感じちゃうような昔のロックンロールの重たい音よりも、ヴェルヴェットのような肌ざわりをもったブラジル’66のクールなサウンドのほうが、絶対に受けます。ミニスカート時代の音楽ーーそれがブラジル’66である、といってもいいかもしれません。さあ、あなたもこのブラジル’66のレコードで、クールなセンスを思いきり味わってください。

「ボイ〜ンのグラマー」「ミニスカート時代の音楽」。今となってはちょっと笑ってしまう表現だが、当時はこの表現がぴったりくる時代の空気があったのだろう。

セルジオ・メンデスとブラジル'66のレコード
中村とうようさんの解説

↑セルジオ・メンデスとブラジル'66のシングルレコード。中央下の”マシュ・ケ・ナダ”は33回転の4曲入り。

←”マシュ・ケ・ナダ”のジャケット裏に印刷されている中村とうようさんの解説。「ミニスカート時代の音楽」など、時代を感じさせる言葉がところどころに並んでいる。

 30years ago #番外編 ジュリアナ
田町駅で撮影したジュリアナ帰りの女の子たち
↑雑誌『東京人』(都市出版)1993年1月号のコラム用に撮影したフィルムから。フード・ジャーナリスト岩下久美子さんのコラム「TOKYO新感覚ウォッチング」という連載の文章に添える写真で、見出しは<ボディコン最後の砦 ジュリアナにもエピローグ?>。担当編集者から、終電間際のJR田町駅でジュリアナ帰りの女の子を撮影してきてほしいという依頼だった。田町駅でそれらしい女の子に声をかけると、着ていたコートを脱ぎジュリアナ扇を取り出し、ボディコンでポーズをとってくれた。
↓こちらはジュリアナ東京の内部。1994年5月15日に「Goody Goody」が大ヒットしたリセット・メレンデスのライブがジュリアナであり、音楽誌の仕事で撮影に行った。ジュリアナの中に入ったのは後にも先にもこの時だけだ。そしてジュリアナ東京は、リセット・メレンデスのライヴから3ヶ月ほど後の8月31日にクローズした。
ジュリアナ
 坂本龍一さんが先月28日に亡くなられたことが、今夜報じられた。がん闘病されているのは知っていたが、29日の東京新聞には<「ビジョン持ち、政治家選ぶ」 小池知事に手紙の坂本龍一さん>という記事が掲載されていたので、闘病生活を送ってらっしゃるのかと思っていた。
 高橋幸宏さんが亡くなり、坂本龍一さんが亡くなり、YMOのメンバーは細野晴臣さんだけになってしまった。

3月へ