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3月31日(金)

 3月に入ってからはスギ花粉が怖くてなるべく外に出ない生活をしているが、岸渡川の桜が気になってしょうがない。先日、テレビで花粉症対策として鼻の粘膜にワセリンを塗ると良いという情報が出ていた。そこで昨日の午後、ワセリンはないが軟膏があったので鼻の粘膜に塗り、意を決して岸渡川の桜を見に行った。ほぼ満開の岸渡川の桜並木を、写真を撮りながら2時間半近く散歩。携帯電話の万歩計が、久しぶりに1万歩を超えていた。鼻の粘膜に塗った軟膏のお陰か、それともスギ花粉が少なくなっているのか、花粉症の症状はほとんど出なかった。これでようやく外に出られるかな。
 岸渡川を中心に行われる、福岡町のさくらまつりは明日4月1日〜16日まで。 記念イベントは8日と9日に開催される。今年は満開になるのが早かったので、記念イベントの頃は散っているかな?さくらまつりとは別に、4月2日は駅前通りにあるサロン蔵にて鯉恋マルシェが11時〜13時まで開催され、13時半からは寄席(木戸銭:当日3,500円)も行われる。

岸渡川の桜01
岸渡川の桜02
 今日でNHK朝の連続テレビ小説『舞い上がれ!』が最終回を迎えた。いっ時耳について離れなかったタンゴ・チャーリーを最後にもう一度聞きたかった。スタートした頃はそれほどでもなかったが、徐々に面白くなって、最後は良くできたストーリーだったな〜と感心した。その一方で訳の分からなかった一つ前の『ちむどんどん 』、あれはなんだったのだろうと改めて思った。
金子エミさん
 最終回と言えば、日本テレビ系の朝の情報番組『スッキリ』も今日で終了した。『スッキリ』を観る習慣はなかったが、2回ほど番組に出たことがある。
 もう15年ほど前、今では美容家として活躍しているパーツモデルの金子エミさんとフォトセッションをしていた。まだワニブックスから最初の著書『お家でおこもりエステ』を出したばかりで、美容家として活躍の場を広げようとテレビや雑誌に積極的に出ていた。その頃に『スッキリ』の美容特集で、金子エミさんの撮影現場にフォトグラファーとして出演した。
 左の写真は『スッキリ』の取材用に撮影したもの。撮影場所は、金子さんが自分でロケハンして探してきたアンティークの家具店。撮影ラフなどなく、二人でポーズやシチュエーションを相談しながら撮影した。
 ライティングはたぶん、メインが小さなバンクを付けたモノブロックストロボで、後方からグリッドを付けたモノブロックで抜いている。

 東京電力が福島第一原発1号機の原子炉格納容器の内部を水中ロボットを使って調査したところ、圧力容器を支えている鉄筋コンクリートの土台の内側のコンクリートがなくなり、内部の鉄筋がむき出しになったいたという。核燃料の熱でコンクリートが溶けた可能性があり、損傷が激しければ圧力容器が倒壊する恐れもあるという。こんな状態でデブリの取り出しなどできるのだろうか。原発の新設などと言ってる前に、損傷している福島第一原発の一刻も早い安全確保が先だろう。
 横浜市内のコンビニでマイナンバーカードを使っての証明書交付サービスを受けたところ、他人の住民票が発行されるミスが5件発生したそうだ。マイナンバーカードが急速に普及したことで利用者が大幅に増え、システムに負荷がかかって不具合が起きたという。政府はマイナンバーカードを様々なサービスに紐付けようとしているが、それによって思いもよらないトラブルが生じることもあるのでは?
 東京で新型コロナ感染者がじわりじわりと増加しているようだ。

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3月29日(水)

 高岡古城公園の桜が、昨日満開になったそうだ。家の窓から少し見える岸渡川の桜も、もう満開のようだが、花粉が怖くて外に出る気がしない。
 今日、63歳になった。還暦からもう3つも歳を重ねた。一日一日はそれなりに長いが、一年を振り返ると簡単に過ぎている。これからも季節(とき)が過ぎるのは早くなるばかりだろうか。
 自分のスタジオができたので、63歳の記念に窓からの自然光でセルフポートレートを撮ってみた。眉間のシワとほうれい線をPhotoshopで消そうかとも思ったが、記録写真なのでありのままにしておいた。鶴ひろみさんもECDも、近所の山田くんも今日で63歳だ。
セルフポートレート

夜の随想・十五

わたしはその夜、
電車に乗らずに歩いてみようと思った。
自分の心の夜の果て、何処まで遠くへ行けるのか?
歩いて行こうと決意した。
わたしが歩くみちの左右に、
今まで夜に捨てた僅かな悲しみたちが
色とりどりの花となって咲いている、
そして怠惰な風に吹かれてふるえるようにゆれている。
わたしはあとどれほどの季節(とき)を生きて行くのだろうか?

夕暮れにセンタクしておいた、わたしの夜が、
夜に谺して、夜になってから冴えはじめた。

〜永島慎二『真夜中のせんたく』(創樹社美術出版)より〜

 昨日、渋い色の3mX7mの背景布をアイロンがけした。これも近所のコメリで買った伸縮物干し竿にクルクルと巻きつけて保管した。
背景布をアイロンがけして新宿物干し竿にクルクルと巻きつけた

3月27日(月)

 今日、富山市で桜の満開宣言が出された。1953年の観測開始以来最も早く、平年より12日、昨年より10日早いそうだ。買い物のついでに近所の岸渡川の桜を見てきたら、一部五分咲きのところもあるが概ね八分咲きくらいで、あと2〜3日で満開を迎えそうだ。
岸渡川の桜
 今日は午前中からグリーン系3mX7mの背景布のアイロンがけ。これも伸縮物干し竿にクルクルと巻きつけて収納。だいぶアイロンがけが慣れてきた気がする。残りは一枚だ。
アイロンをかけたグリーン系の背景布
 30years ago #番外編 露天風呂
温泉特集のイメージ写真
↑デイリー・アン1993年1月27日号温泉特集の表紙用に撮影したフィルムの中から。表紙のキャプションには<寒いこの時期、旅行は温泉が一番。今週のシティガイドは小田急線で行く温泉の旅を総力特集>と書かれている。街ではなく温泉の特集だったので、温泉のイメージ写真を作った。家の近所で小さな石と枯葉を拾ってきて露天風呂に見立て、湯けむりは綿で演出。小さなキューピー人形を並べ、おもちゃの鹿を置いた。
 5月8日に新型コロナがインフルエンザと同じ5類に移行するが、それに伴い感染者の死亡者数の公表を最短で2ヶ月後にするという。自治体の負担を軽減するためのようだが、これでは感染状況が把握できず流行した場合の対策が後手後手になることが懸念される。
  元統一教会二世信者の方が、全国の知事や議員の統一教会との関わりを調べたリスト作りをされている。こちら。統一地方選挙の参考にどうぞ。
 しゃもじの次はまんじゅうか。

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3月24日(金)

 午後から、明後日26日までの『ワンダーフォト写真展2022−2023』を見にミュゼふくおかカメラ館へ。いつもは自転車で行くが、小雨が降っていたのと最近運動不足なので岸渡川沿いをトボトボ歩いて。川沿いの桜がけっこう咲いていて驚いた。来週の中頃には見頃になるんだろうか。
 昨日はイエロー系3mX7mの背景布にアイロンがけをした。購入してやがて20年近くになるが、アイロンをかけたのは初めてだ。そしてコメリで買ってきた伸縮物干し竿にクルクルと巻きつけて保管。3mもあるので保管場所を取るが、使う時はセッティングし易いと思う。あと2枚ある背景布もアイロンがけをしなくては。
背景布にアイロンがけ
 30years ago #15 横浜中華街
横浜中華街01
↑↓デイリー・アン1992年5月6日号横浜中華街特集の表紙用に撮影したフィルムの中から。80年代の後半に『アイラブかながわ』というタウン誌の撮影を時々していたことがあり、中華街のお店はもちろん従業員の女の子の撮影もあって割りと馴染みのある場所だった。タウン誌の関連で中華街の台湾料理店「青葉」のメニューブックに載せる料理撮影もしたことがある。青葉を検索すると本館は閉店し、青葉新館というのが営業しているそうだ。料理を撮影した時に本館、新館などなかった気がするが、台湾料理の「青葉」なので同じ店なのだろう。
横浜中華街02

 先日岸田首相がウクライナを訪問した際、ゼレンスキー大統領に「必勝」と書かれたしゃもじを贈ったそうだ。しゃもじ=飯とる=召し捕るという意味があるそうだが、こんなモノを貰っても大統領も困るだろう。

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3月22日(水)

 スポーツ観戦に興味のない自分が、昨日のWBC準決勝と今日の決勝のテレビ中継を朝から観ていた。これも大谷マジックだ。すごいな〜。
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 アマゾンで注文した撮影用の背景布が昨日届いた。3mX6mのグラデーションのついた布で、8,000円のセール品。最初に見たときは10,000円だったのが、何日かして8,000円になっていたので購入した。他の色の3mX6mの布が21,680円なので、購入した物も元々は21,680円だったのだろう。
背景布01
↑折りたたんでダンボールに入れて送られてきた背景布。背景スタンドにセットすると折りたたんだシワがくっきり。
アイロンと物干し竿
↑スチームアイロンを用意してシワ取り作業。アイロンは小学校の家庭科で使った気がするが、それ以来だ。そしてシワを延ばした布を折りたたまずに長い棒に巻きつけて保管しようと、近所のコメリで伸縮物干し竿を買ってきた。
アイロンでシワを延ばした背景布
物干し竿に背景布を巻く

↑アイロンをかけると、だいぶ縦ジワ横ジワが消えた。ベルベットっぽい生地で、アイロンをかける方向によって短い毛のようなものが起きる。

←アイロンをかけた背景布を物干し竿に巻きつける。これでくっきりと折りたたみジワがつくことはないだろう。この調子で、家にある他の背景布もアイロンがけしようかと思う。

3月19日(日)

 今日のTBS「世界遺産」は、イタリアの古代都市ポンペイだった。中学の頃に、金曜ロードショーだったと思うが映画『ポンペイ最後の日』を観た。詳細は全然覚えていないが、面白かったのは覚えている。以来、ヴェスヴィオ火山の大噴火により灰に埋もれたポンペイという古代都市の名前がずっと頭に残っている。

 今日、沖縄県民の台所であり、人気の観光地でもある第一牧志公設市場が建て替えられて新装オープンした。2012年に奄美大島から沖縄に移住する前にも、2度沖縄へ撮影の仕事で行ったことがあった。最初は1996年12月で、マキノ出版の健康雑誌『ゆほびか』の沖縄料理を取り上げた12ページの特集記事の撮影だった。<やせた血圧が下がった若返って長寿になる 沖縄料理大入門>というタイトルで、扉のページには公設市場のまわりに出店している屋台の野菜の写真が使われた。料理研究家の中村成子さんが案内人となり、公設市場の他、山本彩香さんのお店「穂はな」や沖縄第一ホテルの薬膳朝食などを撮影した。中村成子さんは、昨年10月に誤嚥性肺炎で亡くなられたそうだ。
 次に沖縄に行ったのは1999年1月。柴田書店の雑誌『月刊ホテル旅館』の仕事で、石垣島の石垣全日空ホテル&リゾートの撮影だった。石垣島で一泊した後、東京へ帰る時に那覇での飛行機の乗り換えに時間があったので、編集者とタクシーで公設市場まで行き2階の食堂街で食事をした。

雑誌の扉ページ
 2012年に沖縄に移住してからも公設市場や周辺には何度となく足を運んでいるが、食材を買ったり2階で食べたりというのは数える程しかない。魚は泊の魚市場が近かったし、野菜は近くの八百屋や栄町市場で買うことが多かったから。
 今日から第一牧志公設市場の新しい歴史が始まる。2014年に沖縄を離れて、どんどん那覇の街も様変わりしている。
以前の牧志公設市場01
↑↓建て替えられる前の第一牧志公設市場。沖縄に移住して直ぐの、2012年6月30日撮影。
以前の牧志公設市場02
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 30years ago #14 築地市場
築地市場01
↑↓デイリー・アン1992年11月18日号築地特集の表紙用に撮影したフィルムの中から、築地市場。表紙のキャプションには<今週のシティガイドは東京の台所・築地を特集。市場の周辺だけに、オイシイお店が集まっている>と書かれている。築地の場外にあるお店は色々と撮影した気がするが、場内のお店はカレーのお店「中栄」しか記憶にない。柴田書店のムック『OYSYカレー』という本の取材で訪ねている。築地市場は2018年10月6日に営業を終了し、築地に代わって10月11日に豊洲市場が開場。それと共に築地市場の解体工事が始まった。中栄は豊洲に移って今も営業を続けているようだ。移転でもめていた2017年、小池都知事は「築地は守る、豊洲は生かす」と発言し、「築地は5年をめどに食のテーマパーク機能を持つ一大拠点に再開発する」と言っていたが、食のテーマパークなどトント聞かない。築地の今後について検索してみるといくつか記事が見つかった。
築地跡地何になる? 都、事業者募集をスタート、年101億円以上で貸し付け
水と緑を生かす築地市場跡地の再開発、1万人以上の大規模集客施設などが条件
築地市場02

3月15日(水)

 昨日、東京で桜の開花宣言が出された。史上1位タイの早さだそうだ。
 今月初めにメインとサブで使っているカメラのセンサークリーニングを行なったが、昨日は3号機と4号機のセンサークリーニングをした。
3号機のセンサークリーニング
↑3号機。左がクリーニング前、右がクリーニング後。ゴミやホコリはかなり取れたが、画面中央右寄りにシミがある。
4号機のセンサークリーニング
↑4号機。こちらは元々目立つゴミやホコリは付いていなかった。
ラブジェネレーション
 1階の交流スペースにアナログのレコードを置くため、名前順やジャンルごとに仕分けしたので聴きたいレコードを探すのが随分と楽になった。
 写真のレコード『ラブ・ジェネレーション・ライヴ・コンサート』は、1973年に武道館で行われた当時人気のミュージシャンたちが出演したコンサートの実況録音盤。長い間廃盤となっていたが、現在は『THEフォーク・コンサート実況録音盤ロイヤルBOX CD5枚組』の中の2枚として復刻されている。
 このレコードは高校生の時に一学年上の先輩から確か500円で買ったと思う。2枚組で出演順に、トワ・エ・モア、イースト、オフ・コース、アリス、シュリークス、はしだのりひことエンドレス、ザ・ラニアルズ、チューリップ、リリィ、杉田二郎、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド、赤い鳥。トリを務める赤い鳥は3曲で、他は各2曲ずつ収録されている。吉川忠英さんが在籍していたイーストや、イルカが在籍していたシュリークスなどの貴重なライヴが聴ける。YouTubeに音源がUPされているものもあるので、オススメをいくつか。「銀河列車/加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド」「私は好奇心の強い女/シュリークス」「嫁ぐ日/はしだのりひことエンドレス」「にがお絵/リリィ」「竹田の子守唄/赤い鳥」。
 30years ago #13 東京駅丸の内口
東京駅01
↑↓東京駅の特集だったか丸の内の特集だったか忘れてしまったが、デイリー・アン1993年8月4日号の表紙用に撮影したフィルムの中から、東京駅丸の内口。現代用語の基礎知識で知られる出版社、自由国民社が嘗て京橋にあったので同社の音楽雑誌『新譜ジャーナル』の仕事を少ししていた20代前半は打ち合わせや原稿を届けに東京駅の八重洲口を利用したが、丸の内口はあまり降りたことがない。東京駅は、取材で地方に行ったり帰省する時に新幹線に乗るために利用したくらいだろうか。丸の内駅舎は2007年4月から5年以上に及ぶ保存・復原工事が行われ2012年10月に生まれ変わったそうだ。
東京駅02

3月13日(月)

 このところ暖かい日が続いていたが、今日は一転、少し肌寒い一日だった。
 昨日、日本がオーストラリアに7対1で勝ち、1次ラウンドを4戦全勝の一位通過で準々決勝に進出することが決まった。スポーツ観戦に興味のない自分ですら4戦ともテレビ中継を観ていたのだから、今回のWBCはきっと視聴率が高いのではないだろうか。WBCの生中継を観終わって焼酎を呑んで、さあ寝ようと思ったら鼻水鼻づまりが酷くなってなかなか眠れなくなった。花粉を避けてなるべく外には出ないようにしているが、アルコールが症状を悪化させたのか?今日からマスクの着用は個人の判断となったが、新型コロナ感染対策ではなくスギ花粉対策でマスクが外せない人もいっぱいいるだろう。
 作家の大江健三郎さんが今月3日、老衰のため亡くなっていたことが報じられた。大江健三郎さんの本を読んでいたのは、高校3年生頃だった。バンド活動を通じて知り合った大学生の影響だったと思う。『見るまえに飛べ』『性的人間』、他にも何冊か読んだ本が家の何処かにあるはずだが、昔読んだ文庫本は全然整理できていない。

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高市氏に説明した「可能性高い」 総務省、放送法文書巡り
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 白の漆喰が足りなくなって放置してあった箇所を、ようやく昨日の午後に塗った。
漆喰を塗る01
漆喰を塗る02

↑2階へ上がる階段の踊り場横に塗り残しの箇所があった(右)。養生テープとマスカーテープでマスキングした後、ダンボールを敷いて漆喰を塗る準備。

←チューブタイプで足りると思っていたが、足りずに微妙に塗り残しの部分があるが、まあ一応これで完成とする。いつか大掛かりな塗り直しでもすることがあれば、その時に塗ればいいかな。

 今日、ミュージック・マガジン増刊『高橋幸宏 多彩なロマンティストの軌跡』が献本されて来た。今年1月に亡くなられた高橋幸宏さんを追悼するこの本は、雑誌『ミュージック・マガジン』とその前身の『ニューミュージック・マガジン』、姉妹誌の『レコード・コレクターズ』に掲載された高橋幸宏さんに関する記事を一冊にまとめたもの。自分が撮影した、ミュージック・マガジン1989年2月号の再結成したサディスティック・ミカ・バンドへのインタビュー8ページも再掲載されている。
ミュージック・マガジン増刊高橋幸宏さんの本01
ミュージック・マガジン増刊高橋幸宏さんの本02
↑→ミュージック・マガジン増刊に再掲載されたミカ・バンドの記事。
 30years ago #12 横浜赤レンガ倉庫
横浜赤レンガ倉庫01
↑↓デイリー・アン1992年3月11日横浜・山下町特集号の表紙用に撮影したフィルムの中から、横浜赤レンガ倉庫。表紙に使ったのはマリンタワーが写った港の夜景だが、赤レンガ倉庫もフィルムにあった。赤レンガ倉庫は同じ中区ではあるが山下町ではないようなので、知らずに撮影に行ったのか、それとも近くに来たのでついでに撮影したのか、今となっては覚えていない。赤レンガ倉庫は2002年にお洒落な商業施設に生まれ変わったが、1992年当時は保税倉庫としての役割を終えて放置されておりレンガの壁にたくさんの落書きがあった。この落書きも含めて絵になる場所で、スチールやムービーのロケ場所として使われることも多かった。自分自身デイリー・アンの撮影以外にも赤レンガ倉庫をバックに撮影したことは何度かあり、若い男性演歌歌手のジャケット撮影に来た記憶がある。
横浜赤レンガ倉庫02

3月10日(金)

 昨日は少し鼻水鼻づまりの症状が出た。確定申告書を提出しに郵便局へ行った時に花粉を浴びたのか、畑仕事から戻った両親が花粉を持ち込んだのか。
 昨日、沖縄からリフォームの完成祝いにジミーのスーパークッキーが送られて来た。ありがとうございます。先ずは神棚にお供えして、これから家族皆んなでいただきます。。
 後少しというところで、 白の漆喰が途中で無くなって塗り残しになったまま放置している箇所がある。チューブタイプのうま〜くヌレールで十分なのだが、なぜかアマゾンに白のチューブタイプがない。製造元のサイトからも購入できるが送料がかかるので、ホームセンターのムサシで取り寄せてもらうことにした。その取り寄せてもらった商品が一昨日入荷したと連絡があり、今日、妹が引き取りに行ってくれた。

↓スーパークッキー。→チューブタイプの白の漆喰。
うま〜くヌレール白のチューブ
スーパークッキー
 昨年から両親のボケ防止のために、ほぼ毎日妹が来てトランプをしている。最近は七並べを2回が日課になっている。普段細々としたことで喧嘩ばかりしている父親と母親だが、トランプの時だけは仲良くやっている。今まではコタツのある居間でトランプをしていたが、暖かくなってきたので今日から交流スペースで。大きなテーブルはトランプを並べるのに都合が良い。
トランプ
 30years ago #11 東京ドーム
東京ドーム
平松政次さん

↑水道橋の特集だったか、東京ドームそのものの特集だったか忘れたが、デイリー・アン1993年7月28日号の表紙用に撮影した中から、東京ドーム。表紙のキャプションには<ジオポリスやルナパークなど、東京ドーム周辺は今や遊びのメッカへと変身。彼女を誘って出かけよう>と書かれている。 
 スポーツ観戦にほとんど興味がないので東京ドームで野球を観たことはないが、1995年のイーグルスの来日公演を東京ドームで観ている。イーグルスの大ファンでもないので自分でチケットを購入したわけではなく、まつもと泉から電話があり、友人が急遽行けなくなったので行かないかと誘われた。コンサートのことはよく覚えていないが、帰りに二人で水道橋の居酒屋に寄った時、まつもと泉がやたらと嬉しそうに話していたのを覚えている。CD-ROMで見せるデジタルマンガ『コミック・オン』の製作を始める1年ほど前だろうか。

←こちらは(財)簡易保険郵便年金加入者協会が発行するPR誌『保険年金 展望』で撮影した平松政次さん。1989年8月号なので、東京ドームが開場して1年ほど経った時の写真だろうか。

 昨日からWBCの日本での1次ラウンドが東京ドームで始まった。スポーツ観戦に興味のない自分が、珍しくテレビで観戦している。野球の試合を初めから最後まで観たのは初めてだろうか。日本は中国、韓国を破り2連勝中。

3月8日(水)

 ヤフーの天気予報によると、今日の沖縄の最高気温は23℃、高岡は22℃で1℃しか違わない。5月頃の暖かさだ。
 昨日、政府は従来の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに一本化するための関連法案を閣議決定した。また、マイナンバーの利用範囲をこれまで社会保障、税、災害対策の3分野に限っていたが、国家資格の手続きや自動車の登録、在留外国人に関わる行政手続きなどに広げるという。マイナンバーは国民一人一人に割り振られて皆んな既に持っている。それをカードにするかは任意のはずだったが、健康保険証を廃止して半ば強制する形だ。マイナンバーの利用範囲を広げようとしているが、広げれば広げるほど個人番号流出のリスクは大きくなる。健康保険証や運転免許証などは一本化しない方が、色んなリスクの分散になると思うのだが。
 マイナンバー制度が始まった当初、番号通知カードは簡易書留で配達された。この通知カードを誤配送すると大きな問題となり、新聞で報道された。それが今や、フリーランスは取引先にマイナンバーのコピーを郵送しなければ仕事に支障をきたす事になった。マイナンバーのコピーが取引先でどのように管理されているのか、不安がないわけではない。
 ところでこのマイナンバーカードに一本化する関連法案の閣議決定だけでなく、岸田内閣の閣議決定乱発が最近目に余る。
2月10日、原発「最大限活用」方針を閣議決定
2月10日、防衛装備品の生産ライン国有化など法案閣議決定
2月24日、フリーランス法案を閣議決定
2月28日、原発60年超運転へ「束ね法案」を閣議決定
3月7日、入管難民法改正案を閣議決定
 そして、このマイナンバーカードと健康保険証の一本化。
 原発も防衛装備もマイナンバーの取り扱いも国の在りようや国民生活に大きく影響する問題で、国会での充分な議論が必要なはずだ。これを軽々しく閣議決定するのは国会軽視も甚だしい。
 フリーランス法案は個人で働くフリーランスを保護するための新法案だというが、それならフリーランスの多くが反対するインボイス制度を中止したらどうか。
 首相になった当初は聞く力をアピールしたが、国民の声も野党議員の声も聞かずに勝手に大切なことを閣議決定してしまう。彼の聞く耳は一部の閣僚とアメリカにしか向いていないのだろうか。

 立憲民主党の小西議員が公表した放送法の「政治的公平」に関する文章について、松本総務相は昨日の午前の記者会見で「全て総務省の行政文書であることが確認できた」と明らかにした。
  今月3日、この文書について「全くの捏造文書」と主張し、小西議員から捏造でなかった場合は閣僚や議員を辞職するかと問われて「結構だ」と答えた当時総務相を務めていた高市経済安全保障担当相。彼女に関する4枚も含めて行政文書であったのだから、今度はこの文章が捏造されたものだと彼女自身が証明しなくてはならないのでは。そもそも総務省の行政文書が捏造された文書だとしたら、当時総務大臣だった貴方は何をしていたのか。彼女自身の責任も問われなくてはならない。
 それにしても公文書に対するこの国の政治家や官僚の意識は、いったいどうなっているのだろう。安倍政権の時は、首相の発言に忖度して公文書が改竄された。今回は、元大臣が自分が管轄した省の行政文書を捏造されたものだと主張する。国民の財産である公文書を軽んじているとしか思えない。

 JAXAと三菱重工が開発した大型ロケット「H3」初号機の打ち上げが昨日行われたが、第2エンジンの着火が確認できずロケットを破壊する信号が送られて失敗に終わった。約1兆円の開発費を投じてきた国産ジェット旅客機の開発断念に続き、大型ロケットの打ち上げ失敗。そんな三菱重工が電力4社と次世代原発を共同開発している。

 何日か前に沖縄県立図書館のホームページを見に行ったら「サーバーが見つかりません」と表示された。変だな〜と思っていたが、サイバー攻撃されている最中だったのだろうか。

 一昨日ヨドバシカメラの通販サイトで購入したインクが昨日の夕方、バックペーパーが今日の午後届いた。インクは既に警告が出ているライトグレー、ライトシアンに、かなり少なくなってきたビビッドライトマゼンタの3本を購入。タンクの容量が多いとはいえ3本で12,910円(1,219円はポイントで還元される)の出費は大きい。撮影用のバックペーパー(背景紙)はサベージのホワイト、2mX5.5mを購入。こちらは8,800円(8,31円がポイントで還元される)。バックペーパーを買うのは久しぶりだ。
ヨドバシで購入したインク
ヨドバシで購入したバックペーパー
↑エプソンSC-PX3V用のインク。→サベージのバックペーパー。
 今日は午後から1階の大きなテーブルに書類を広げて、確定申告の書類を作成。領収書を仕分けて項目ごとの金額などは出してあったので、書類に数字を書き込むだけ。申告書が完成したので、用紙と共に送られて来るのり付けして作る送付用の封筒を探すが見当たらない。しょうがないので高岡税務署に電話をすると、今年から送付用封筒は廃止になったので家にある封筒に入れて郵送してほしいという。そこで部屋に1枚だけあったA4サイズの茶封筒に入れて、税務署の宛名を書いた。後で税務署から郵送されてきた書類を見ると、<確定申告書送付封筒の廃止について>という紙が入っていた。また、いつの間にか署名の横に捺印を押す場所がなくなっている。一昨年の申告書の控えにはあるので、昨年から捺印は廃止になったのだろう。後は郵便局に持って行って出すだけだが、花粉が怖くて外に出るのが・・・。
確定申告用紙の作成
確定申告用紙の完成
↑書類を広げて確定申告書の作成。→家にあった茶封筒に宛名を書いて送る。
 30years ago #10 池袋
池袋01
↑↓デイリー・アン1993年11月10日号池袋特集の表紙用に撮影したフィルムの中から、池袋東口駅前と文芸坐の写真。池袋駅は東武デパートのある方が西口で、西武百貨店(現・西武)のある方が東口というのは覚えているが、新宿や渋谷に比べると遊びに来ることがなかった。雑誌の取材か、西武池袋線や東武東上線の乗り換えで降りるくらいだろうか。文芸坐は1997年3月6日に閉館した後、2000年12月に跡地に建ったパチンコ屋のビルにテナントの一つとして「新文芸坐」の名で入ったそうだ。
池袋02

3月6日(月)

 まだ激しい鼻水鼻づまりはないが、少しずつ目の痒みが。時々クシャミも出る。だいぶ花粉が飛び始めているようだ。
 今月2日にサックス奏者のウェイン・ショーターが亡くなったそうだ。89歳だった。色んなグループやソロでも活躍したミュージシャンだが、個人的にはジョー・ザビヌルらとのウェザー・リポートでのプレイが印象深い。YouTubeから「Weather Report/Black Market」。長い長いイントロの後、ウェイン・ショーターのサックスがテーマを吹き一気に華やかになる展開が素晴らしい。
2階スタジオのギャラリーコーナー

 2階の小さな撮影スタジオの窓と窓の間にあるギャラリーコーナーに写真を飾った。撮影スタジオ内のギャラリーなので、いかにもスタジオ撮影らしい写真が良いかなと一枚選んだ。それが下の写真。
 雑誌の美容特集で撮影した、女優の大地真央さん。撮影場所は都内のハウス・スタジオ。光源は窓からの自然光とストロボのミックス。 
←A2サイズのプリントをB2サイズのフレームに入れた。

大地真央さん
 30years ago #09 自由が丘
ラ・ヴィータ01
↑↓デイリー・アン1992年7月1日号自由が丘特集の表紙用に撮影したフィルムの中から、ラ・ヴィータ。ラ・ヴィータは水の都・ヴェネチアを模したショッピング街。オープンした時は話題になり、デイリー・アンだけではなく雑誌『東京人』の自由が丘特集でも撮影に行ったし、柴田書店の『フード・ビジネス』でも取材したはず。一気に注目を集めると飽きられるのも早いので・・・?と思って検索したら健在だった。テナントは入れ替わっているかもしれないが、水路と街並みはそのままかな。
ラ・ヴィータ02
 日比谷公園の中にある大音楽堂、通称「野音」が100年の節目に再整備されることが決まった。解体は24年度からで、新しいステージがいつオープンするのかは未定のようだ。野音でのコンサートも過去にいくつか撮影している。SHOW-YAが中心となって開催されたナオン・ノ・ヤオン、アン・ルイスのバースデイにたくさんのアーティストが集まったアン・コール、1991年と1992年のカリビアン・カーニバル、フィルムは手元にないがデビューして直ぐのX(エックス)も野音で撮影したと思う。
 下の写真は1991年のカリビアン・カーニバルでの女性だけのメレンゲ・グループ、ラス・チカス・デル・カンのステージ。
野音でのラス・チカス・デル・カン

 一昨日の琉球新報に<小学生3人、誤って「クワズイモ」食べ搬送>という記事が掲載されていた。クワズイモは奄美でも沖縄でもポピュラーな植物でアチコチで見かけたし、葉も花も赤い実も撮影している。食べられないから「クワズイモ」というのは知っていたが、それは美味しくなくて食べられないのかと思っていたが毒性成分を含んでいるとは。 
 以前、「なぜ防衛費をあげるのですか」という質問を書いた手紙を、世田谷の小学6年生たちが岸田首相に送ったという記事を紹介したが、その手紙について今日の記者会見で「返事を出すことは困難」と回答したそうだ。色んな意味で残念な人だ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
那覇市の牧志公設市場、仮設での営業終了 新市場は19日に開業へ
原発の処理水放出「今春から夏」 首相先送りせず、立民批判
千代田区2LDKがなんと9万2000円、4月さらに値下げ 実は参院議員宿舎 国民の苦境よそに「特権」温存
自衛隊は「つぶれない大企業」 奄美の高卒入隊者、10年で4倍 有事を思うと「本音は…」親の胸中複雑
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徳之島、喜界島で本格化 水陸両用作戦の部隊展開 日米共同訓練
憲法9条にノーベル平和賞を 護憲2団体の推薦をノーベル賞委員会が受理 市民団体が公表
出産条件に奨学金の返済減免 教育費軽減で提言へ―自民調査会

3月3日(金)

 今日でこのホームページをオープンして20年が経った。自分でもよく続いたなと思う。Facebookやインスタグラム、twitterといったソーシャルメディアが隆盛になり、まわりを見てもホームページでの発信からSNSに重点を置いたフォトグラファーが多い。
  下の画面はオープンから2012年2月ごろまでのトップページ。20年前はまだフィルムカメラを使っており、パソコンはG3 DT266とeMacだった。そして、こんなことを書いている。

これからの写真は撮影がデジタル・カメラであろうが、銀塩のカメラであろうが印刷所へ渡す時点でデータ入稿が当たり前の時代になりそうですね。そのデータを作るのがカメラマンなのかデザイナーなのか、あるいはデータ変換を専門にする職業が成り立つのか。。。「撮影までがカメラマンの仕事で、後は知りません。印刷になった時の上がりも気にしません」と言える人は別にして、誰がデータにするかはともかく、自分の撮影した写真は印刷された時までクオリティーはちゃんと見届けたい、となると相当勉強しないといけない時代になりそうですね。

初期のホームページのトップ画面
 30years ago #08 六本木
六本木交差点
↑↓デイリー・アン1993年3月10日号六本木特集の表紙用に撮影したフィルムの中から、六本木交差点とテレビ朝日通りの写真。表紙に使ったのはテレ朝通りの写真で、キャプションには<今週のシティガイドは好評、テレビ局のある街シリーズ第3弾。テレビ朝日の六本木を徹底ルポ>と書かれている。グーグルのストリートビューで確認したが、もう六本木交差点のマイアミもアマンドもなかった。いつまであったんだろう。六本木ヒルズは一度、ハリウッド化粧品のメイ牛山さんの撮影で入ったが、自分にとっての六本木の思い出はヒルズの出来る前までかな。青山ブックセンターと六本木WAVE。テレビ朝日が移転してテレビ朝日通りもなくなったのだろうか。右側の歩道を外人のモデルさんが歩いていて、その上方に現像所EAST WESTの看板が見える。
テレビ朝日通り
新しいトップ画面

←3月になり、もう雪の写真でもないだろうとトップページを模様替えしました。陽光に輝く白いスモモの花。スモモも桃も桃のうち。

↓これまでのトップページ。

これまでのトップ画面

3月1日(水)

 今日から3月。2月最後の昨日も青空が広がったが、南よりの強い風が吹いていた。春一番だそうで、昨年より13日遅いということだ。今日も割りと強い風が吹いていたが、こちらは春二番だろうか。
 昨日、しばらくサボっていたカメラのセンサークリーニングをした。青空を写すのが一番ゴミや汚れの付着具合がわかる。
センサークリーニング01
センサークリーニング02

↑メインで使っているカメラのセンサー。絞りをF20まで絞って撮影すると、ゴミがくっきりと写っている。このゴミや汚れを毎回フォトショップで消していた。早く掃除すればよかった。

←センサークリーナーで拭いた後に撮影。2つほど取り残しのゴミがある。

↓サブで使っているカメラ。こちらは目立つゴミは一つだけ。左がクリーニング前、右はクリーニング後。

センサークリーニング03

 政府が新型コロナの感染対策で配ったアベノマスクの単価や発注枚数の情報を黒塗りにしたことに対し、大阪地裁は黒塗り部分の開示を命じた。当たり前だ。基本的に機密情報以外は広く国民に公開するべきだろう。国の統計や情報は国民の財産で、これを黒く塗って隠蔽したり、ましてや改竄するなど以ての外だ。
 政府は昨日、原発の60年超運転を可能にする電気事業法改正案を含むエネルギー関連の5つの法案を「束ね法案」としてまとめて閣議決定したという。こんな重要な問題が閣議決定で済ませられるなら、なんのための国会だろうか。
 今日の国会中継から防衛費に関する辻元清美氏の岸田首相への質問。いかに防衛費の名の下に不必要なお金がアメリカに流されているかよくわかる。

 この他の気になった記事を備忘録として。
【速報】「マイナ保険証の対応義務化は違法」医師ら274人が国を提訴 東京地裁
新宿御苑に除染土計画、国「安全性知って」 各地で反対、埋まらぬ溝

 30years ago #07 東京タワー
東京タワー01

 東京タワー特集だったか港区特集だったか分からないが、デイリー・アン1992年7月15日号の表紙用に撮影した中から、東京タワーを2枚。上の写真は飯倉片町辺りから撮った東京タワーだろうか。下は浜松町駅前の秋田屋とのコラボ。東京スカイツリーが出来て、ちょっと影が薄くなった感はあるが高度経済成長の象徴であり東京観光の名所だった。とは言え、高い所が苦手なので観光で訪れたことはない。たぶん東京タワーは2013年まであった蝋人形館の撮影で行ったくらいだろうか。この蝋人形館は藤田田氏の子息、藤田元氏が社長を務める藤田商会が運営していた。藤田元氏はジャーマン・ロックのコレクターとして知られ、その趣味を反映して普通の人には馴染みのないミュージシャンの人形も混じっていた。
  ところで、東京タワーという単語で思い出すエッセーがある。沢木耕太郎さんの『彼らの流儀』に収載されている「鉄塔を登る男」だ。一年に一度アンテナの点検をする際に、鉄塔のてっぺんにある電球を取り替える男の話。赤い強化ガラスの中に500wの電球が2つ入っているそうだが、その電球をナップザックに詰めて登って取り換えるという。
東京タワーには、百五十メートルのところに大展望台、二百五十メートルのところに特別展望台があって、そこまではエレベーターで登れることになっています。しかし、そこから先は自分の手と足で登っていくしかありません。しばらくは階段がついていますが、やがてすぐに剥き出しの垂直のハシゴを登って行かなくてはならなくなります。そして、NHKのアンテナがある三百十三メートルから上は、そのハシゴすらなくなってしまうんです。航空障害灯のある三百三十三メートルのところまで行くには、三角定規のような形に折り曲げられたパイプ状のアンテナをよじ登っていくことになります。もちろん、命綱などつけません。そんなものをつけたら邪魔で登れないからです
 そして、
目をこらして眺めてみれば、てっぺんに取りついて作業をしている彼らの姿が、あるいは見られるかもしれない。しかし、それをこの眼にしてもなお、私には現実のものとは信じられないような気がする。そうではないだろうか。深夜、あんなところまでナップザックを背負って電球を取り換えにいくなんて・・・・・。>という文章で終わる。

東京タワー02

 NHKのBSで3週にわたって放送された『聖なる巡礼路を行くII〜スペイン縦断1500km〜』の最終回を今晩観た。スペインの北西部、ガリシア地方にあるキリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路をスペイン在住の日本人が目指して歩くという番組だ。巡礼路を歩いたわけではないが、1986年のイベリア半島の旅ではポルトガルを電車で北上してガリシアに入り、サンティアゴ・デ・コンポステーラに行った。巡礼者の目指すサンティアゴ大聖堂ももちろん行って、確か教会の中にも入ったと思うが中の様子はまるで思い出せない。
 このサンティアゴ・デ・コンポステーラのことを、学研で発行していた『NESPA』 という女性誌に写真を添えて書いたことがある。それは、こんな文章だった。

◯セレナーデと巡礼の地 
 ここはエルサレム、ローマと並ぶキリスト教の3大巡礼地。町の中心に建つ大聖堂へ、遠い国からはるばる訪ねてくる巡礼者は、今も後を絶たない。
 この町で、スペインでも珍しくなったTUNA(伝統的な学生バンド)の若者達に会った。
 昔のTUNAは、夜、好きな女の子の窓辺でセレナーデを歌いながら歩いていたというが、彼らはしっかり自分たちのレコードを売り歩いていた。それでも昔と変わらない中世の騎士のような衣装、黒いマント姿の彼らが奏でる演奏は楽しいけれど、甘くどこか哀しいメロディーで、胸をせつなくさせる。
 旅先で、素敵な音楽に触れるとつい感傷的になってしまう。ましてや、こんなひっそりと歴史に取り残された静かな町の、石畳の路上で聴いてしまったのだから・・・心にしみた。

 彼らから買ったLPレコードを持って旅を続けて帰国し、そのレコードは今も家にある。
 それにしても、最近観る番組はNHKが多い。毎週欠かさずではないが『世界ふれあい街歩き』「新日本風土記』『日曜美術館』『美の壷』『ブラタモリ』『ドキュメント72時間』などなど。NHKに対しては不満もあるが、これらの番組はNHKじゃなければ作れない番組だろうな。

サンティアゴ・で・コンポステーラ
大聖堂
↑サンティアゴ・デ・コンポステーラ。↓TUNA。→大聖堂。
TUNA

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