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1月31日(火)

 シーナ&ロケッツのギタリスト、鮎川誠さんの訃報を昨日の午後、ネットのニュースで知った。

 5日夜の部は中山ラビで、11日は裸のラリーズ、16日がシーナ&ロケッツで、20・21日がクリエイション。23日のジューシーフルーツの翌日はゼルダがレコード発売記念ギグを行っている。昼の部にはスターダストレビューに改名する前のアレレのレや子供バンドが登場していた。23日の昼の部はCrosswindで、その日の夜の部はアナーキー。凄いブッキングだな。
 これは渋谷にあったライブハウス「屋根裏」の1980年9月のスケジュールだ。自分のスケジュール帳に、折りたたみ式の小さなカードに印刷した屋根裏のスケジュール表が、毎月ホッチキスで留めてある。この頃が一番屋根裏でバイトをしていたのかな。パチンコ屋の横の階段を上がり、キャバレーの横を通り過ぎた4階に屋根裏の木製の扉があった。
 当時は少し先の事さえわからないままバンドの練習とバイトに明け暮れ、たまに音楽雑誌にインタビューやレコード紹介、楽器の新製品情報などを書いていた。楽しいことばかりではなかったはずだが、今思うと夢のような時間を過ごしていたのかも知れない。自分にとって音楽が一番身近にあった時代で、それは切実なものだった。シーナ&ロケッツも、そんな時代の思い出と共にある。「You May Dream/シーナ&ロケッツ」。

1980年9月の屋根裏のスケジュール表
 下の写真は、1988年大晦日から1989年元旦にかけての16回『浅草ニュー・イヤー・ロックフェスティバル』でのシーナ&ロケッツ。この年は音楽誌の仕事で20組ほどのミュージシャンを撮影しているが、この時出演していた安岡力也、ジョー山中、原田芳雄、桑名正博、内田裕也、そしてシーナと鮎川さんが鬼籍に入ってしまった。
ニュー・イヤー・ロックファスティバルでのシーナ&ロケッツ
 交流スペースのギャラリー用にA2を1枚、A3を2枚プリントした。
ギャラリー用の展示プリント
 今月の気になった記事を備忘録として。
沖縄の伝統歌舞劇「組踊」を初めて劇場映画化 渋谷のユーロスペースで公開中 「全国民に広めるのが夢」
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1月28日(土)

 今朝は、自宅のまわりでは今期一番の積雪だった。雪の量は例年と比べて多くはないが、とにかく冷える。隣の石川県では寒波の影響で1万戸超で断水になっているという。富山でも水道管のトラブルがけっこう発生しているようだ。
今朝の積雪
 交流スペースの本棚に、写真集を中心に本を収納した。
本棚01
本棚02
 自分の部屋にある本の中から写真集や美術関係の本、自分が製作したフォトブックなどを中心に交流スペースへ持って行った。セバスチャン・サルガドの『GENESIS』やハーブ・リッツの『NOTORIOUS』は本が大きすぎて棚に入らなかったので、一番上の段に乗せて飾った。
 また、これまで自分が撮影してきた写真をブックにまとめたポートフォリオも置いている。
プレートと賞状01
←↓交流スペースとしてリフォームするために片付けていた時見つけた、富山県板金工業組合の組合員之証と書かれたプレートと高岡板金工事業組合からの表彰状を道具置き場入り口横に飾った。表彰状が入れてあった額はリフォーム中にガラスが割れたので、2020年の写真展で使用したフレームに入れ直した。表彰状も縁の部分が脆くなっていて、枯れ葉のように触ると崩れていくのでテープで補修しながら入れた。
プレートと賞状02
↑作業場だった記憶を残すプレートと表彰状。

1月25日(水)

 1月25日は初天神。24日の夜に床の間に飾った天神様にご馳走を供え今日の朝に天神様をしまうのだが、昨晩ご馳走をお供えするのを忘れていたので、今晩お供えし明日の朝にお帰りいただくことになった。
 昨日から日本海側を中心に襲来している寒波だが、心配していたほどの積雪はなくホッとしている。

 先日フローリングにフロアライトを1つ設置したが、今度は天井からライトを吊るした。交流スペースにリフォームした作業場の天井には蛍光灯がいくつか吊るされているが、引掛シーリングと呼ばれる器具はなくコンセントに差し込まれている。作業場ができたのは50年以上前で、その頃は引掛シーリングなどなかったのか、作業場だから簡易な照明で済ませたのか。引掛シーリングを取り付けるには電気屋さんに頼まないといけないが、ネットで調べると1つ付けるのに工事費は5,000円〜10,000円だそうだ。そこでシーリングのいらないコンセント式のペンダントライトをアマゾンで購入。これに、やはりアマゾンで購入したランプシェードをセットして天井から吊るすことにした。

ペンダントライトとランプシェード
↑左がコンセント式ペンダントライト3個セット、5,299円。右がランプシェード4個セット、3,899円。
↓シェードをセットしたライトをテーブルの上と奥のフローリングに取り付けた。
ペンダントライトの取り付け02
ペンダントライトの取り付け01
1つ余ったランプシェード

↑もう一つは道具置き場に。

←ペンダントライトもランプシェードも単品で買うよりセットで買う方がお得なのだが、ペンダントライトは3個セット、ランプシェードは4個セット(今見ると8個セットになっている)しかなく、シェードが1つ余ってしまった。

↓ペンダントライトを吊り下げた交流スペース全体の様子。

ペンダントライトを吊るした全景
↓日が暮れるとこんな感じになる。
日が暮れてからの様子
新しいトップページ画面

←旧暦の正月3が日も過ぎたので、トップページを模様替えしました。立山の麓、芦峅寺集落の雪景色です。

↓これまでのトップページ。

これまでのトップページ画面

1月22日(日)

 今日は旧暦の1月1日、元旦。旧正月だ。明けましておめでとうございます。
 午前中は雪がチラチラと舞うこともあったが、午後からは曇り時々晴れで冷たい風も吹いていなかったので運動不足解消に1時間ほど小矢部川の土手を自転車で走ってきた。
小矢部川
 7インチのシングルレコードの仕分けと収納が昨日で終わった。シングルの収納は棚ではなく、ボックスにした。いわゆるエサ箱だ。これでスコスコと持ち上げてジャケを見ながら目的のレコードを探せる。
仕分けして収納したシングル・レコード01
仕分けして収納したシングル・レコード02

↑シングルはほとんどが邦楽だったので、基本的にアイウエオ順に並べた。ダンボールにアカサタナの行を、付箋にアイウエオを書いて仕分けた。

←シングルレコードを入れた箱はダイソーで購入した。布とダンボール製で1つ200円。

 今回整理収納してわかったが、LPレコードの扱いもぞんざいだったが、シングルは輪をかけてぞんざいだった(汗)。小学校の時に新聞配達をしてもらったお金で買った南沙織のレコードが、スリーブどころかビニール袋にも入らず裸のまま何枚も重ねて置いてあった。ジャケットが残っているのは「潮風のメロディー」だけで、残りはどこへ行ったんだろう?
 洋楽のハジレコ(初めて買ったレコード)は、ビートルズの「レット・イット・ビー」かビョルン&ベニーの「木枯らしの少女」だと思う。たぶん中学の時で、まだ電車で高岡まで行くことが少なかったので町内の駅前通りにあった東京堂で買ったと思う。南沙織のレコードも東京堂だ。この頃はまだレコードのリリース自体が多くないので、田舎の小さなレコード屋さんでも自分の欲しいレコードがそれなりに揃っていた。
 その「レット・イット・ビー」と「木枯らしの少女」だが、どちらも見つからなかった。シングルレコードも、まだどこかのダンボールに入っているのだろうか。
 YouTubeから「木枯らしの少女」。この曲を歌っているビョルン&ベニーが、のちのアバ(ABBA)の男性二人だとずいぶん後になって知った。

1月20日(金)

 2階のスタジオには物を置かないようにしようと思っていたが、やはり椅子くらいは欲しくなりイームズのシェルチェアを2脚購入した。もちろんリプロダクト品で、1脚3,180円(送料込み)だった。イームズ専門店での価格の1/30以下だ。軽いので1階で使いたい時は簡単に持ち運べる。
 家具の中で一番好きなのが椅子で、今も家の中にはいろんな椅子が置いてある。パソコン・デスク用のキャスターと背もたれの付いた回転椅子、ロッキング・チェア、脚の高いカウンターチェア、ベッドの横にはチェストベンチも。あ、ドラム用の丸い回転椅子もあった。
 いろんな椅子を買ったが、一番気に入っていたのは東急ハンズで購入したニーチェア。脚はパイプ、シート部分はキャンパス生地になっている折りたたみ椅子で、深い背もたれがありゆったりと座れる。買ったのは30年ほど前で、町田市鶴川、川崎市多摩区、そして奄美大島、沖縄と引っ越しのたびに持って行った。長く使ったので傷んだキャンパス生地を一度取り替えている。そのニーチェア、残念なことに沖縄から富山に引っ越し荷物を送った時、シートの生地が大きく裂けていたので生地は交換できることを知らない両親に捨てられてしまった。

イームズチェア
当選したお年玉切手

↑スタジオに置いたシェルチェア。壁の漆喰と同じ白にした。

 お年玉つき年賀はがきの3等、切手シートが当選していたので、昨日郵便局へ行って引き換えてきた。年々年賀状のやり取りは減っていて、今年は30枚もなかったのに3枚も当選していた。

←当選した3等の切手シート。

 一昨日だったか出版社から確定申告用の支払調書が送られてきたが、今日は税務署から確定申告の申告用紙が送られてきた。もう、そんな季節だ。
 旧暦12月最後の丑の日だった昨日、宮古島の野原集落でユネスコの無形文化遺産にも選ばれた祭祀「サティパロウ」が、3年ぶりに開催されたそうだ。
 明日は旧暦の大晦日だ。旧暦の正月行事が今も執り行われている沖縄の久高島では、昨年島民の3分の1が新型コロナに感染したことから、旧正月に当たる22日〜24日は来島を自粛して欲しいと呼びかけている。

1月18日(水)

 ようやく昨日、2階のスタジオと1階の交流スペースにカーテンを取り付けた。
スタジオにカーテンを取り付けた
カーテンの遮光チェック

↑2階の撮影スタジオ兼ギャラリーの窓。レースのカーテンと、ライトグレーのカーテンを取り付けた。サイズは幅100cm、丈110cmを1つの窓に2枚ずつ使用。

←カーテンを閉めたところ。これだけ遮光出来れば、ストロボのモデリングライトでのライティング・チェックも問題なさそう。

1階入り口にカーテンを取り付けた
1階の窓にカーテンを取り付けた

↑一階入り口のドアにもカーテン。入り口の幅は約4.5m。ここに幅100cm、丈200cmのカーテンを4枚取り付け、左右に2枚ずつクリップで繋げた。色はキャメル。

←1階の窓もレースとキャメルのカーテン。幅100cm、丈110cm。

↓アマソンで購入したフロアスタンドが昨日届いたので、早速組み立てて設置。

↓ソファーは自分の部屋にあったものを持ってきた。→点灯すると、こんな感じ。
フロアライトの灯り
フロアライトとソファー
↓カーテンを取り付けた交流スペース全体の様子は、こんな感じ。
交流ルームの全体の様子

1月15日(日)

 高橋幸宏さんが今月11日、誤嚥性肺炎で亡くなったことが、今日発表された。
 幸宏さんと言えば、やはりYMOのドラマーとして語られるのだろう。訃報を伝える新聞各紙の枕詞には”YMOのドラマー”と付いている。でも、自分自身は当時あまりYMOには興味が向かなかったので、ドラマーとしてはサディスティック・ミカ・バンドの高橋幸宏さんと認識している。
高橋幸宏さん

 写真はボーカルに桐島かれんを迎えてサディスティック・ミカ・バンドが再結成され時に撮影したもの。音楽誌の仕事で、メンバー全員のインタヴュー写真を撮影している。 
 この頃のサディスティック・ミカ・バンドのライブをYouTubeから。「タイムマシンにおねがい/SADISTIC MICA BAND LIVE IN TOKYO 1989」、「Boys&Girls/サディスティック・ミカ・バンド」。あらためて聴くとフィルインは最小限にして、ひたすらリズムをキープするタイトなドラムだ。
 高橋幸宏という名前をドラマー以外で認識したのは、1977年にリリースされたラジの1stアルバム『HEART to HEART』で、後藤次利さんと共に共同プロデューサーとしてクレジットされており、何曲かで作詞と作曲も手がけている。 幸宏さんとクリス・モズデルさん作詞、後藤次利さんと幸宏さん作曲による「THE TOKYO TESTE」や、幸宏さんとクリス・モデルズさん作詞、幸宏さん作曲の「HEART to HEART」など、大人で都会的で洗練された音楽だ。この頃AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)なんて言葉はなかったと思うが、AORの走りではないだろうか。

 ドラマーであり、プロデューサーであり、作詞・作曲家であり、デザイナーでもあった。高橋幸宏という存在自体が職業だったのではないかと思わせる希有な人だと思う。
元のレコードが見つからなかった歌詞カードやライナーノーツ

 この何日かレコードのジャケットから飛び出していた大量の歌詞カードやライナーノーツを、元のレコードに戻す作業をしていた。だいぶ元のレコードに収まったが、レコードが見つからない歌詞カードやライナーノーツが25枚ほどある。missing!行方不明。ひょっとすると家のどこかにレコードの入ったダンボールがまだあるのではないだろうか。

←元のレコードが見つからない歌詞カードやライナーノーツ。

レコードに入っていたはずの中森明菜のカレンダー
↑中森明菜のカレンダー。これもレコードの中に入っていたものだと思うが、そのレコードが見つからない。
17cmシングルの仕分け01

 とりあえずLPレコードは片付いたので、次に7インチ・シングルの仕分け。こちらも邦楽、洋楽、ジャンルもごちゃごちゃに収納してあったので、まずは邦楽と洋楽に仕分けることから。そして、今日は邦楽をアカサタナ・・・で分けるところまで出来た。

←手前の山が洋楽、残りは邦楽。

↓邦楽のシングルをアカサタナの行で仕分けるところまで出来た。

17cmシングルの仕分け02
 日本で新型コロナの初感染者が見つかって、今日で3年が経った。

1月12日(木)

 一昨日交流スペース用の石油ファンヒーターを買ったら、昨晩自分の部屋の石油ファンヒーターが故障した。スイッチを入れても白い煙を吐き出すだけで点火しない。何年も前から点火しにくくなっていたが、昨日は何度スイッチを押しても症状が改善されなかった。この石油ファンヒーターは沖縄から帰って来てからホームセンターで購入したと思うが、もう7、8年使っている。しょうがないので、交流スペース用に買った新しいファンヒーターを自分の部屋に持って来た。
 昨日と今日の作業でLPレコードの仕分けが終わり、ベンチチェストに収納できた。きちんとレコードの枚数を数えたり計ったりしたわけではないが、良い感じに収まった。

LPレコードの収納完了01
LPレコードの収納完了02
これからレコードの中に戻さなくてはならない歌詞カードやライナーノーツ
 レコードは収納できたが、レコードの中に入っていたはずの歌詞カードやライナーノーツが大量に残っている。レコードを聴きライナーノーツを読み、そのまんまライナーを出しっ放しにしたのだろうか。自分がしたとは思えないが、自分がしたんだろう(汗)。これを一枚一枚元のレコードに納めなくてはいけない。ひょっとするとレコードの仕分けより大変な作業かもしれない。

 今日の午後、ジェフ・ベックの訃報が飛び込んで来た。ちょっと突然で驚いた。そしてベックが78歳という年齢になっていたことにも驚いた。自分の年齢を考えれば不思議でもなんでもないが、彼は永遠のギター青年のイメージがあり、なんとなく歳をとらないと頭の隅で思っていた節がある。facebookにも彼の死を悼むメッセージがいくつか流れて来た。
 ジェフ・ベックを最初に知ったのはBB&A(Beck,Bogert&Appice)でのプレイで、中でも「迷信ーSuperstition」のかっこよさに痺れた。インスト中心のソロ作『ブロウ・バイ・ブロウ』や『ワイアード』も大好きで、高校生の時には「カム・ダンシング」や「レッド・ブーツ」も一生懸命コピーしていたけれど、今でも時々無性に聴きたくなるのはBB&Aの「迷信ーSuperstition」だ。トーキング・モジュレーターを使ったベックのギターリフから始まり、カーマイン・アピスのドラム・フィルへと繋がる。
 中学の同級生だった林君は高校の後半からはベースに転向したが、中学から高校の前半はギターを弾いていた。まだギターを弾いていた頃に、ベックの真似をして口にホースを咥えてプレイするのを見たことがある。音楽雑誌にトーキング・モジュレーターの作り方が書いてあるのを見て自作したのではなかったか。口にホースを咥えてギターを弾くのは結構大変で、頭に酸素がまわらないとか言っていた気がする。
 自分がジェフ・ベックを撮影する機会はなかったが、2006年に亡くなった音楽カメラマン・飛木恒一郎さんからいただいた年賀状にジェフ・ベックのライブ写真が使われていた。飛木さんの年賀状は自分が撮影したミュージシャンの写真をプリントしていて、毎年登場するミュージシャンは変わるがジェフ・ベックの写真が何回かあったと思う。印刷ではなく、ポストカードサイズの印画紙にプリントした写真だった。
 明日、1月13日が2年前に亡くなったBB&Aのベーシスト、ティム・ボカートの命日だそうだ。
 You Tubeから「 Beck, Bogert & Appice Superstition 1973 」「Stevie Wonder & Jeff Beck - Superstition 2009」。

1月10日(火)

 1月にしては割りと暖かい日が続いていたが、今日は雪も散らつき気温が上がらず寒い一日だった。相変わらずコツコツとレコードを仕分けて、少しずつベンチチェストに収納している。
  邦楽はアイウエオ順に仕分けたが、洋楽はジャンル別に。「ジャズ・ブルース」「ソウル・ファンク・ディスコ」「レゲエ」「ラテン・南米」「ニューオリンズ」「ブルーグラス・カントリー」「チェリーレッド・ラフトレード・他」「女性ボーカル」「クラシック・インスト・サントラ」、そして残りのアメリカン・ロックもブリティッシュもヘビーもハードもポップスも一緒くたにしてアーティスト名でABC順に並べるつもり。アナログレコードは1990年以前のものが多いので、アジアやアフリカといったワールド・ミュージックのレコードはほとんどない。アフリカはフェラ・クティとキング・サニー・アデが一枚ずつあったが、これはアフリカというジャンルを作らず、ファンクの中に入れておいた。
 チェリーレッドとラフトレードはジャンルではなくインディーズ・レコードのレーベル名だが、チェリーレッドのトレーシー・ソーンやベン・ワット、マリン・ガールズ、ラフトレードのアズテック・カメラの音楽はジャンルではなくレーベルで括った方が探し易いと考えたから。ここにベルギーのレーベル、クレプスキュールからリリースされていたアンテナやペイル・ファウンテンズなども一緒に入れた。
ジャンルごとに仕分け
ジャンルごとに収納

↑ジャンルごとに仕分けて出来た、いくつかの山。ジャズの山は既にベンチチェストに収納した後。

←ジャンルに分けた後、アーティスト名でABC順に並べて収納。

↓ダンボールを切って、マジックでジャンル名を書いて挟んだだけ。今日は女性ボーカルまで収納できた。

ジャンル
 下の写真は1981年に発売された、XTCの12インチ6曲入りミニアルバム『LIVE&MORE』。レコードのラベル部分がメンバーの写真で、その写真が見えるようにジャケットの中央が丸く切り抜かれている。確か日本限定の企画盤だったと思う。
XTCのレコード
 1992年の9月、XTCのアンディ・パートリッジを雑誌の仕事で撮影することになった。その時、もし彼が日本限定のこのレコードを持っていなかったら差し上げようと思い持参した。結果、彼は持っていると言い、ジャケットにサインをして渡してくれた。サインと共に自分の顔写真の横に「WITH HAIR」という、お茶目なコメントが添えられている。
↑右下にアンディ・パートリッジのサイン。↓WITH HAIR
アンディ・パートリッジを撮影した写真
アンディ・パートリッジのサイン
 右上の写真は、この時撮影したアンディ・パートリッジ。渋谷センター街の奥の方にある小さなホテルに泊まっていて、ホテル近くの路上で撮っている。彼の首を絞めている手は、この時の担当編集者・加藤彰さん。撮影の後、アンディ・パートリッジから”NICE GRIP"だったか、そんな様な言葉を掛けられていた。
 交流スペースにはまだ暖房器具がないので、今日、両親と一緒に食材などの買い物に行く妹に、部屋の引き出しで眠っている商品券で石油ファンヒーターを買って来てもらった。部屋のサイズに合わせると20畳用とかを買わなくてはならないのだろうが、灯油ももったいないので12畳用のファンヒーターにした。部屋全体を暖めるのではなく、ヒーターの近くで暖をとるスタイル。
新しく買った石油ファンヒーター

1月7日(土)

 少しずつレコードの仕分けを進めている。昨日は邦楽と洋楽に分けるところまで出来たので、今日は邦楽のレコードをテーブルに乗せて、ア行カ行サ行というように分類。行ごとに分けたら、今度はアイウエオ、カキクケコと細かく並べていく。複数のミュージシャンの曲が収録されたアルバムや、アニメの主題歌や映画のサントラ盤などはオムニバス・アニメ・その他と区分した。

レコードの仕分け
↑邦楽のレコードをア行カ行サ行と行ごとに分けた。奥のフローリングにあるレコードは洋楽。
↓仕分けたレコードをベンチチェストに並べた。
仕分けしたレコードを棚に並べる

 仕分けしていると懐かしいレコードを発見したりする。下のレコード『DISKPORT MY RECORD FESTIVAL#5』は、確か西武が中心になって開催していた音楽コンテストの収録アルバムだ。全国から送られてきたアマチュア・ミュージシャンのテープを審査し、本選をパスした10組のライヴがレコーディングされている。この10組の中に1980年当時僕がドラムで参加していた未来夜バンドもいて、「ジャスミン・ナイト・サンバ」という曲が収録されている。ジャケットの裏に10組のライヴ写真も掲載されているが、ドラムあるあるでタムやシンバルの陰になっていて見えない。
 もう40年以上前のバンドなので、他のメンバーの消息ははっきりわからないが、サックスの稲土君は農業を始めたと聞いた。ベースの菅さんは未来夜バンドの後、須藤薫のバックバンドに入った。キーボードの望月さんは当時河合楽器に勤めていたが、どうしただろう。ギターの中島君はこの後内田春菊のバンドに入り、今は企業や官公庁のPVなどの音楽制作をしているはず。ボーカルの幹也ちゃんは宝野アリカと蟻プロジェクト(現ALI PROJECT)を結成し、個人ではアニメや映画などの音楽制作も行なっている。

MY RECORD FESTIVAL#5の表ジャケ

 僕が未来夜バンドで活動していたのは1年ほどだろうか。その間にも何人かメンバーが入れ替わっている。望月さんの代わりに鈴木宏二さんという人がキーボードで入ってきた。彼はその後、五輪真弓のバックバンドに入り、しばらくして五輪真弓の旦那さんになった。

←『DISKPORT MY RECORD FESTIVAL#5 RECORDED LIVE at VICTOR MUSIC PLAZA, May.25 1980』
↓裏ジャケット。

MY RECORD FESTIVAL#5の裏ジャケ

 一昨日の午前中にネット注文したカーテンが、昨日の午後届いた。早い!2階のスタジオの窓用にライトグレーのカーテン(レース付き)、1階の入り口ドア用に2m丈のキャメルのカーテン、1階の窓用にキャメルのカーテン(レース付き)を購入したのだが、入り口ドア用と窓用のキャメルのカーテンが、微妙に色が違うような気がする。下の右側の写真、左は窓用・右は入り口用だが、入り口用が少し色が薄いというか明るいというか。カーテンに付いている仕様書を見ると両方ともキャメルにチェックが入っているのだが。ロットによる違いなのだろうか?

ネットで注文したカーテンが届いた

1月5日(木)

 徐々にお正月気分も抜けて、昨日あたりから日常が動き出した。今日は家にあるアナログレコードをリフォーム中の交流スペース兼ギャラリーに運び、仕分けする作業をした。
 レコードは昔2階の部屋に置いてあったが、10年以上前に父親が1階の座敷に持って行き棚を作って収納し直した。邦楽も洋楽もジャンルも関係なく棚に突っ込んである。これをLPサイズに合わせて作ったベンチチェストにまた収納し直すが、その前に聴きたいレコードが直ぐに見つかるように仕分けをしようと思う。それほどの枚数はないが、それでもCDと違って大きくて重いので何往復もして運び込んだ。
父親が作った棚に収納されているアナログのレコード
↑父親が作った棚に無造作に並べられているレコード。一番上の棚はシングル。↓仕分けのために運び込んだレコード。
LPレコードをフローリングへ移動
 レコードを運び込む前に、スピーカー内臓のマルチ・レコードプレーヤーを父親の部屋から持ってきた。これは昨年だったか一昨年だったか、自分の部屋で自分のレコードが聴けるように父親に買ってプレゼントしたものだが、物を置く台になっているよう なので、交流スペースで使うことにした。
  運び込んだレコードの中から、リンダ・ロンシュタットの『ホワッツ・ニュー』を選んで針を落とした。音楽が始まる前に小さくパチパチという音がスピーカーから流れる。アナログのレコードならではのノイズを久しぶりに聴いた。そして針を落とすという作業も、随分と久しぶりだった。その後は笠井紀美子、パトリース・ラッシェン、フランソワーズ・アルディ、竹内まりや等取っ替え引っ替え聴きながら仕分け作業をする。
↓父親へのプレゼントに買ったプレーヤー。
最初に針を落としたリンダ・ロンシュタットのレコード
父親にプレゼントしたレコードプレーヤー
洋楽と邦楽に選別中

↑最初に針を落とした『ホワッツ・ニュー』。

 仕分け作業は、まず国内アーティスト(邦楽)と海外アーティスト(洋楽)に分けることから。この後、邦楽はあいうえお順に、洋楽はジャンルごとに分けていく予定。

←今日の作業。手前は邦楽、後ろは洋楽に分けたレコード。左側は未だ手付かずのレコード。

 レコードは自分で買ったモノの他、ジャズ喫茶をやっていた年の離れた従兄弟から貰ったモノもあるが、一番多いのは雑誌でレコード紹介の記事を書いていた20代前半に、レコード会社から送られて来たり貰いに行ったサンプル盤。どれも一度は針を落として聴いているはずだが、ジャケットを見てもどんな音楽だったか見当もつかないレコードがたくさんある。洋楽をジャンルごとに分けるなら、聴き返さないとならないレコードも多い。

 今日、ネットのショッピングサイトでカーテンを注文し、近所のコメリでカーテンレールの取り寄せをお願いしてきた。

1月3日(火)

 昼前、カーテンの隙間から覗く外が何だか晴れてるように見えて、窓を開けると青空が広がっていた。天気予報にはお天気マークなど全然ないが、突然の青空。元旦、2日と家でゴロゴロ。テレビばかり観ていた2日の歩数は963歩だった。このお天気を無駄にしてはいけないと思い、バックにカメラを押し込み小矢部川へ自転車を走らせた。
2023年の1st shot
↑2023年の1st shotは、青空と小矢部川。↓小矢部川の土手からの立山連峰。
小矢部川の土手からの立山連峰
 風は冷たいがお日様が当たると暖かく、新年最初のサイクリングは気持ちが良かった。午後には、今年最初の電子ドラムの練習。初叩き。サイクリングとドラムのおかげで、今日の歩数は8,464歩となった。

1月1日(日)

明けましておめでとうございます。

かぎやで風

 かぎやで風は、祝いの席で一番最初に舞われる琉球古典舞踊。上の写真は2013年の元旦、首里城公園の下之御庭で行われた琉球芸能の宴で撮影した「かぎやで風」。

今日の誇らしゃや(今日の嬉しさは) 何にぎやな譬る(何にたとえられるだろうか)
蕾で居る花の(つぼみのままだった花に) 露行逢たごと(つゆがついて花開いたようだ)

 この「かぎやで風」をラートに乗って舞う人がいる。こちら。素晴らしい。

本年もよろしくお願いいたします。

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