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◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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◯富山県 新型コロナウイルス感染症について http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U ◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/ ◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html ◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/ ◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ◯沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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メディア関連 ブログなど |
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昨日まで空気が乾いて秋めいた気配だったのが、今日はいきなり猛暑で蒸し暑く、空気もジトッとしている。2日続けてリフォーム作業をしていたのだが、今日はこの暑さと疲れでお休み。昨日+のドライバーを使っていて指の皮が剥けたところも痛いし。 昨日、一昨日と2日間頑張ったので作業は少し進んだ。階段の踊り場上部に鉄骨の出っ張りがあったので、それを利用して飾り棚を作った。まあ、あまり重いものは乗せられないが。そして、壁2面に3本のピクチャーレール(カーテンレールだけど)も取り付けた。 |
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↓→階段上部に取り付けた飾り棚。 |
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↑壁2面に取り付けた、3本のピクチャーレール。 また、懸案だった階段との仕切り壁も板を組み合わせて骨組みを作り、石膏ボードを貼って作った。本当はないほうが開放感があって広々とするが、流石に仕切りがないと危ないので。なるべく圧迫感のないように低い壁にした。石膏ボードを貼り終えて漆喰を塗ったら仕切り壁の完成。 |
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作業がひと段落したところで近所の電気屋さんに来ていただいて、コンセントをつけてもらったり、床に転がっていたカバーの取れた蛍光灯のスイッチを壁に取り付けてもらったり。1つあった2口コンセントは石膏ボードの張替え中にボードと接触して大破してしまった。この大破したコンセントを新しく付け直してもらい、もう一つ階段との仕切り壁にも新たに2口のコンセントを増設してもらった。 |
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↓増設したコンセント。→大破したコンセントを新しいものに。 |
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今月の18日に読売新聞から世論調査ご協力のお願いというハガキが届いた。全国の有権者から無作為に選んだ3000人のうちの一人だという。質問回答用紙は8月23日以降に届き、お礼として500円分のQUOカードが同封されると書いてあった。 その質問回答用紙が先日届いた。初めに、<公職選挙法の規定に従い、各市町村の選挙管理委員会に選挙人名簿閲覧の許可を得て、全国で計3000人の方を無作為に選んだ結果、そのお一人として宛名のご本人さまにお願いすることになりました>とあり、以下49の設問が記載されていた。 |
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最初の質問は、あなたは岸田内閣を支持しますか、支持しませんかで、当然支持しないに◯を付けた。2番目にその理由をお書き下さいとあったので<聞く力をアピールしていたが、実際には国民の声を聞こうとしていないから>と答えておいた。 ←送られて来た質問回答用紙。500円分のQUOカードと粗品と書かれた箱に入ったボールペンが同封されていた。 |
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前半はメディアについての質問があり、新聞がいろいろな立場の意見を公平に伝えているか、新聞が事実を正確に伝えているか、新聞の報道を信頼できますかなどといった質問が続く。新聞も色々で、産経新聞と東京新聞では信頼性も違うだろうし、ちょっと答えるのに戸惑った。 岸田首相が今日午前の記者会見で、安倍元首相の国葬に対する批判について「真摯に受け止め、正面からお答えする責任がある。政権の初心に帰って丁寧な説明に全力を尽くす」と述べたが、自民党がこれまで丁寧な説明をしたことがあるだろうか。批判に正面から答えるなら、国葬の中止しかないと思うが。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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昨日、一昨日はリフォーム作業。今日はちょっと疲れたのでリフォームはお休みして、午後から久しぶりに小矢部川の土手を自転車で走ってきた。 近所へ買い物に行くのに自転車に乗ることはあるが、猛暑で外出を控えていたのとリフォーム作業に時間を取られ、こうしてサイクリングするのは6月10日以来かもしれない。 天高く馬肥ゆる秋ーーーなんだか今日は雲の位置も高い気がした。 |
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一昨日は階段横のCチャンにゲタを履かせる作業。 そして昨日はゲタに貫板を打ち付けて下地を作り、断熱材を入れて石膏ボードを貼る作業。貼り終わったボードに漆喰を塗っていく。 階段横の壁もほとんど石膏ボードが貼れたが、少しずつ垂直や平行がずれていてボートとボードのつなぎ目に大きな隙間がある。大きな隙間には石膏を切って埋め、メッシュテープで留めている。 |
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↓階段横の壁も後1枚で貼り終わる。→隙間はボードを切って埋めている。 |
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来月27日に行われる安倍元首相の国葬の費用として、今年度の予備費から2億4940万円を支出することが閣議で決定された。各地で国葬反対のデモが行われ、各種メディアのアンケートでも反対が賛成を大きく上回っているにも関わらず政府は強引に推し進めようとしている。聞く力をアピールしていた首相は、誰の声を聞いているのだろう。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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今日は曇りのち雨で、半袖のTシャツ1枚では肌寒く感じられた。少し前の猛暑からは信じられないくらい、一気に季節が進んだ感じだ。 昨日は越中の稚児舞の一つ「熊野神社の稚児舞」で知られる、婦中町中名にある熊野神社の式年遷宮大祭の撮影に行って来た。祭祀や行事を撮影するのは新型コロナの感染が拡大する前、2020年1月19日に東猪谷の宝樹寺で行われた数珠繰り以来だ。 本殿がこれまでとは違う境内に新築移転したり、同じ境内の別の場所に移築したりする際や、本殿の修理や新築の際に一時的に御神体を移動することを遷宮という。式年とは決められた年ごとに行うことで、式年遷宮で有名なのは20年ごとに催行される伊勢神社の式年遷宮だろうか。伊勢神宮の場合は20年ごとに正殿をはじめ御垣内の建物を全て新造し、さらに殿内の御装束や神宝を新調するそうだ。なぜ式年遷宮を行うのかについて『日本の古社 伊勢神宮』(淡交社)に、こんな記述がある。 <なぜ遷宮(宮を遷す)するのかという問には、先に述べたように、ミヤ(宮)と発達する以前のヒモロギ(神籬)やヤシロ(社)の伝統を想起すればよいのです。それらはその年の瑞々しい実りを俟って行う大祭(神嘗)に際して、臨時的仮説的に祭場が設けられていたのですから、ミヤ(壮大な建造物)へと発達した日にも、大祭を迎えるには新たな祭場、清々しい神の御座を用意しなければならなかったのです。しかし、神の宮という宮殿のごとき大造営を前にしたとき、毎年それを実施することは到底できないことでしたから、式年を定めなければなりませんでした> この文章を読むと、富山に残る築山や築山行事の役割りと遷宮の関係も気になるところだ。 |
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熊野神社の式年遷宮大祭は12年ごとに行われ、今回が二十七回目となる。遷宮するのは1704年(宝永元年)に悪疫が流行した際にご神託を受けて私財を投じて祭りを挙行し稚児舞を奉納した婦負郡坪野村の村役人、若林源左衛門の住居跡になる井上家で、21日の夕方に熊野神社を出御して24日夕方まで3日間御神体が祀られる。そして24日の夕方に御旅所となっていた井上家を出御して熊野神社へとお還りになる。尚、今年は井上家が忌のため近所の原家が御旅所をつとめられた。 富山県で他に式年遷宮を催行している神社に、東猪谷の素盞鳴尊社(新川神社の兼務社)がある。こちらは20年ごとの遷宮で、かつては20年ごとに社殿を建て替えていたそうだが、明治36年(1903)に社殿の改築をして以降は鳥居の建立、狛犬の建立、屋根瓦の葺き替えなど部分的な修繕や建て替えに留めている。直近では平成15年(2003)に催行されたそうなので、次回の式年遷宮は来年だろうか。同社の遷宮には百万石大名行列が行われる。こちらの神社には一度、湯釜神事の撮影で伺ったことがあるが、拝殿には行列に使う槍や傘などの道具が置いてあった。 |
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今日は婦中町中名にある熊野神社の第二十七回となる「式年遷宮大祭」の本遷座祭が開催される。大祭の行事としては8月21日から始まっており、 8月21日(日)16時30分記念碑修祓式と除幕式、19時00分出御祭&仮遷座祭 8月23日(火)17時00分坪野神明社 稚児舞奉納(稚児舞は新型コロナのため中止) そして今日は、 16時00分 御旅所出御祭(速星二区) 16時30分 御神幸列出発 16時50分 坪野神明社 仮遷座祭 17時30分 砂子田公民館 仮遷座祭 18時00分 板倉公民館 仮遷座祭 18時45分 蔵島八坂社 仮遷座祭 19時15分 持田(仮遷座) 仮遷座祭 20時00分 熊野神社 本遷座祭 20時30分 各地区の獅子舞競演会 演芸(熊野神社) |
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21日に熊野神社から御旅所である原家へ御神体が移っているが、今日は原家から地区の公民館や神社をまわりながら熊野神社にお還りになる。原家での出御祭が16時からなので、富山駅を14時56分発の高山線に乗車。最寄りの速星駅に15時8分に着いて、原家へ歩く。 ←初めて降りた速星駅。 |
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↑井上家の代わりに御旅所となった原家。 |
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↑→原家での出御祭。 |
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↑3日間祀られていた御神体の出御。 |
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↑原家から坪野神明社へ向かう御神幸行列。行列の順番は高張提灯、御神燈、奴、鉄杖、社名旗、松明、真榊、猿田彦、獅子、日月旗、盾、鉾、弓矢、伶人、神職、御舟、宮司、稚児、会長、副会長、常任顧問、参加監事、参加理事となっている。 | ||
↑坪野神明社での仮遷座祭。 |
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↑坪野神明社から砂子田公民館へ。砂子田公民館で仮遷座祭を行なった後、神職や役員の方々はおにぎり弁当で遅い昼食?早い夕食?この時点で1時間ほど予定より遅くなっているので、ささっと食べて出発。 | ||
↑砂子田公民館から板倉公民館へ。板倉公民館で仮遷座祭。 |
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↑板倉公民館から蔵島八坂社へ。蔵島八坂社で仮遷座祭。 |
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↑蔵島八坂社から持田地区へ。持田地区で仮遷座祭。 |
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↑持田地区から熊野神社へ。 |
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↑予定より25分ほど遅れて御神体が還御された。 |
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↑熊野神社での本遷座祭。 |
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↑獅子舞競演会。 |
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獅子舞と餅まきが終了したのが21時半過ぎ。タクシーを呼んでいただき富山駅へ。富山駅を22時32分発のあいの風とやま鉄道で帰宅。 式年遷宮大祭の行事としては明日、25日に行われる熊野神社の秋季例大祭まで続くが新型コロナの影響で稚児舞奉納は中止となっている。 |
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↑式年遷宮大祭でいただいた記念のボールペンと、お神酒と紅白の餅。 |
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24日に行われた、第二十七回式年遷宮大祭の御神幸と本遷座祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
8月23日(火) |
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残暑お見舞い申し上げます |
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奄美大島にはいくつか滝があるが、個人的に美しいなと思ったのは、この田平集落にある田平の滝。この滝は舗装された林道を下りて、沢を歩いたところにある。沢の周囲には大きなシマオオタニワタリが木に着生し、空中楼閣を築いていた。 この滝へ案内してくれたのは<島のさばくり人>こと榮和朗さん。翌月には奄美大島を離れて沖縄へ引っ越すことになっていた2012年5月後半のことだ。 |
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当日の昼頃に、まだ島内の見ていない場所を車で案内してくれるという嬉しい電話がかかって来た。まず最初に名瀬からそう遠くない、戸口と小湊の間に位置する崎原へ。道の島バスが通っている崎原小学校の辺りは来たことがあったが、崎原の海岸は初めてだった。 崎原から賀屋集落、田平集落を訪ねて田平の滝を見に行った。滝を見た後、どういう訳か鰻重の特上をさばくり人さんにご馳走になり、今度は奄美の夜の森探検へ。 名瀬から東シナ海側沿いに大和村へ。大和村の西端にある今里集落から林道に入って宇検村へ。湯湾岳の入り口まで行って、今度は住用町の林道へ向かう。この日、アマミノクロウサギは12羽と遭遇した。ちゃんと撮影できたのは幼獣1羽だったけど。何時間も夜の林道を走っていてもクロウサギに1羽も出会えない時もあるが、こんな日もある。 この他に出会ったのはアマミヤマシギ、アカマタ、ヒメハブ、キビタキ、オットンガエル。午後1時から6時まで崎原方面をウロウロし、ご飯を食べてから夜中の1時過ぎまで夜の森探検。この日のさばくり人さんの走行距離は200kmだった。 |
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今日は午前中から、ゲタ作りに使う板をノコギリで切っていた。リフォームを始めてからノコギリと釘抜きの使い方が少し上達したかもしれない。お盆前に近所のコメリに取り寄せをお願いしていたカーテンレールが、ようやくお店に入ったので取りに行った。これでピクチャーレール用のカーテンレールが6本確保できた。 | ||
←ひたすらゲタ作り用に板をノコギリで切っていた。 ↓ようやく手元に来たコメリのカーテンレール。 |
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昨日で2階の壁に貼った石膏ボードの大部分に漆喰を塗ることが出来た。 | ||
↓→一部石膏ボードが貼ってないのは、階段の上に足場を組むため。 |
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今日の午前中、また資材を調達にホームセンターのムサシへ。今回購入したのは、石膏ボード10枚4,280円、断熱材14枚入り5,780円、1.5cmX6cmX400cmの杉の貫板2束(20本)10,960円、3cmX6cmX398.5cmの赤松2本2,160円、L字金具10個980円。合計24,160円だが、妹が5%引きのクーポンをネットでダウンロードしてくれて22,952円になった。 | ||
午後から購入した資材や残っていた資材を使って貫板を釘で打ち付けるためのゲタ作り。出来上がったゲタを階段の踊り場横の壁に履かせて貫板を打ち付け、断熱材を入れて下地を作った。これからしばらくは、ゲタ作りと下地作りが続く。 | ||
↓→ゲタを履かせて階段の踊り場横の壁に下地を作った。 |
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郷に入れば郷に従えで、奄美大島に住んでいた時は外で飲んだりお中元やお歳暮でいただいたビールを別にすれば、黒糖焼酎しか買わなかったし呑まなかった。 ←写真は、2013年の那覇ハーリーの会場で行われたライヴから。 |
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ダンサーを従えて沖縄の海をバックに、ポップな歌とダンスが繰り広げられるサザンスターのCM。自分が普段聴く音楽ではないが、彼女の歌を聴くと沖縄の夏を思い出す。 ちなみに沖縄で買った泡盛の遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟→久米仙(お隣からの貰い物)→響天→瑞穂→夢航海→ゆいまーる→松藤→八重泉→残波の白→請福(フダチミのラベル)→海人→今帰仁の新酒→ユニオンですから→島風→國華→時雨→泡波。 |
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昨日の最高気温は30℃ほどだったが、空気が乾いていて風があり、暑くても爽やかだった。これから先も暑さのぶり返す日はあるだろうが、少し秋の気配を感じた。隣の田んぼではコンバインが大きな音を立てて稲を刈っていた。そう言えば、日の暮れるのが早く感じられる。 | ||
昨日は午前中から新しく貼った石膏ボードに漆喰を塗った。塗っている途中に、アマゾンで注文した新しいこてが届いた。漆喰を塗った最初の日以来、漆喰を塗るのを避けていた父親が、新しいこてを見て、塗ってみようかと言い出した。しばらく小さな折り畳み椅子に座って塗っていたが、やはり腕が上がらず途中で断念した。 | ||
↓→新しく貼った石膏ボードの大部分に漆喰を塗ることができた。 |
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今日は朝から雨。疲れも溜まっているので、リフォーム作業はお休み。 | ||
ヤフーのトップページにカネテツの「てっちゃん」もう71歳 永遠の少年、中島らも氏の広告でブレークという記事が載っていた。80年代前半だろうか、月刊「宝島」に啓蒙かまぼこ新聞が連載されていた。中島らも氏の名前を知ったのは、この連載だった。 18日の時事通信に、米空軍が輸送機CV22オスプレイの事故が相次いでいることから全機を当面地上待機させることを明らかにしたというニュースが掲載されていた。そして今日の共同通信では、陸上自衛隊が千葉県の木更津駐屯地に暫定配備しているV22オスプレイの飛行を一時停止したことがわかったと報じている。しかし普天間所属の海兵隊型のMV22オスプレイは運用を継続するという。 在日米軍司令部は日本国内でもCV22を地上待機にするものの、MV22は飛行停止しない方針を示したという。その理由について「両機種は任務環境と機体構成が異なっている」からだそうだが、CV22とMV22は9割の構造が共通している。 オスプレイが沖縄に配備されたのが2012年、もう運用を開始して10年が経つが、オスプレイをめぐるニュースでは機体の不具合で民間空港に緊急着陸したとか、部品が落下したとか、墜落(米軍は着水というが機体はバラバラになっていた)したといった負の話題しか流れてこない。こんな欠陥だらけの輸送機を駐機させるために、多額の税金を使って辺野古のキレイな海を埋め立てることがバカげたことだとは思わないのだろうか。 |
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一昨日古くなった石膏ボードを剥がしたので、昨日は午前中から新しい石膏ボードを貼る作業。ついでに石膏ボードを剥がした時に見つけた外壁の隙間を修繕した。 | ||
↑石膏ボードを剥がした時に見つけた外壁の隙間。普通の雨なら入ってこないと思うが、雨台風だと少し心配なので隙間の大きさを巻き尺で測って、父親に隙間を塞ぐためのトタン板を作ってもらった。 ←隙間にトタン板を被せた。一応釘打ち機で釘を打ったが、効いているかわからないので大き目の断熱材も被せておいた。 |
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新しい石膏ボードを貼り、ジョイント部分と釘やネジの頭の部分にメッシュのグラスファイバーテープを貼り、ところどころ養生テープでマスキングしたら夕方の5時を過ぎていた。 作業場の床には剥がした古い石膏ボードや、壁の形に合わせてカットした新しいボードの残骸などが散らばって雑然としていた。床に落ちていたこてを誤って踏ん付けてしまい、粉々にしてしまった。 |
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昨日石膏ボードを貼る作業が完了したので、今日の午前中は後片付け。もう使わない石膏ボードや道具を1階に下ろし、父親は床を箒で掃いてゴミを拾っていた。 | ||
だいたい片付いたところで、新しく石膏ボードを貼った壁に、ピクチャーレール(カーテンレールで代用)用の穴の位置を決めて、ダイソーで買ってきたプラスチックのアンカーを埋める作業。穴の位置を決めてアンカーを埋めたらレールは外す。レールを取り付けるのは、漆喰を塗り終わってから。 ←位置決めにレールを取り付ける。 |
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午後からは13日にまわれなかった親戚のお墓と、母親の実家のお墓をお参りしてきた。 読売新聞から世論調査ご協力のお願いというハガキが届いた。全国の有権者3000人の一人として選ばれたようだ。23日過ぎに質問回答用紙の入った茶封筒が届くそうだ。 |
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今日の新型コロナ感染者数は全国で過去最多の25万4534人で、富山県も過去最多の2508人を記録した。行動制限のないお盆休みに人々が行き交ったのだから、当然の帰結だろう。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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昨日、古くなった石膏ボードを貼ってある壁に漆喰を塗っても灰汁が出て美しい白色にならないことが判明したので、今日は朝から古い石膏ボードを剥がす作業。これが思っていたより難儀だった。漆喰を塗ってしまったところは釘を打った位置がわからないし、メッシュのグラスファイバーテープを貼って漆喰を塗ったつなぎ目部分はしっかりと固定されて簡単に剥がれない。また左端の部分は新しく貼った石膏ボードの奥に入っているので、新しく貼った石膏ボード2枚と貫板も1本外さないといけない事が判明した。 | ||
まずは上の方から剥がしていったが、剥がした石膏ボードを下に降ろす際に壁に付いていたコンセントとたぶん衝突したのだろう、コンセントが砕けてしまった。 |
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↓午前中はここまで。→たぶん石膏ボードがぶつかって砕けたコンセント。 |
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昼ごはんを食べてから作業を再開し、15時半頃には古い石膏ボードを全て剥がすことが出来た。面白いのは、石膏ボードを剥がすとかつての屋根の鉄骨が出てきた。下の写真のパステルグリーンに塗られた山型の鉄骨がそれで、今スタジオを作ろうとしている2階のこの場所は後から出来たスペース。この2階の物置がいつ出来たのか覚えていないが、一時、帰省するたびに増築されていたり間取りが変わっていることがあった。この石膏ボードを剥がした壁の反対側、窓のついている道路側の壁の上部にも対になるパステルグリーンの山型の鉄骨がある。これも昔は低い位置にあったのだが、この物置を作った時に切断し、新たに鉄骨を入れて持ち上げ、その上に溶接したようだ。 今回自分でDIYでリフォームしてみて、少し自宅の構造がどうなっているのかわかった。 |
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↑石膏ボードを剥がすと出てきた、かつての屋根に使われていた鉄骨。 |
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↑石膏ボードを剥がしたら屋根裏を見ることが出来たので、写真に撮っておいた。 |
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古い石膏ボードを取り除いたので、明日は新しい石膏ボードを貼る作業。暑いし体力的にも大変だが、何年かすると楽しい思い出になっているだろうか。 | ||
最近の気になった記事を備忘録として。 ◯コロナ死者、1カ月で7倍 連日200人超、「第6波」に迫る ◯アベノマスク30万枚処理 再配布後も余り再資源化 ◯杉田水脈氏、旧統一教会関連団体「定義が分からない」 ◯統一教会関わりの国会議員、1都3県で22人 16人は自民 甘利氏イベント出席、萩生田氏会合であいさつ ◯旧統一教会の友好団体、韓国でのイベントで安倍元首相を追悼 ◯安倍晋三氏は「神輿」に乗った右派のプリンス ジャーナリスト・青木理が迫る実像 ◯安倍元首相の国葬撤回を 日本出版者協議会が声明 「弔意の強制、思想・良心の自由に反する」 ◯自民の政策に旧統一教会の影響は? 首相「不当な影響ない」と言うけれど…教会側は「手を合わせてきた」 |
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13日は、新型コロナの発生以来帰省していなかった大阪で料理人をしている甥っ子と一緒に家族で木原家と弟、そして弟と同じ霊園にある叔母(母の妹)のお墓参り。当初は夕方に墓参りの予定にしていたが、午後から雨になるというので午前中にした。天気予報は大当たりで富山市では床上・床下浸水の被害があり、高岡市でも大雨警報が出るほどの土砂降りになった。そして、夕ご飯は料理人の甥っ子が作ってくれた京料理、鱧の押し寿司をみんなでいただいた。 14日は妹の家族、弟の家族と一緒に砺波の魚安でお食事。ひ孫も入れて12人が揃った。 |
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↑甥っ子が作ってくれた鱧の押し寿司。 18kgが4つになったが、これで足りると良いのだが。 |
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2日間リフォーム作業をお休みしたので、今日は早朝5時半頃から漆喰を塗り始めた。朝食の時間だけ休憩してお昼まで作業を行い、窓のある道路側の残り半分をほぼ塗り終えた。12日に塗った場所と今日塗った場所が上手く馴染むか心配だったが、漆喰が乾くと全然違いが分からないくらいに馴染んでいたので安心した。 | ||
午後からは道路側と反対の一番広い壁を塗り始めたが、「ん?」乾くと薄いクリーム色になる。乾いてから2度塗りすると少し白くなった気もするが、これまでのような輝く白にならない。なぜだろう・・・とパソコンで検索してみると、どうも灰汁がにじみ出ているようだ。この一番広い壁は父親が石膏ボードを貼ったのだが、多分貼ってから10年以上は経っている。ボードの表面は日に焼けているしシミも付いている。それで灰汁が出てくるのだろう。 |
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↓→同じように漆喰を塗っているが、左側は灰汁が出てクリーム色になっている。 |
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今日は戦後77年目の敗戦記念日だった。 | ||
連日の猛暑の中、少しでも作業を進めようと漆喰を塗っている。昨日は朝ごはんを食べてからスタジオ入り口の壁に漆喰を塗った。今日は早朝5時半頃から始めて、窓のある壁の半分に漆喰を塗った。父親は最初の壁を塗ってから手伝うと言わなくなった。仕事で痛めたのかボーリングで痛めたのか分からないが、利き腕の肩の筋が切れているので利き腕ではない方で塗っていたのだがシンドかったのだろう。漆喰を塗る代わりに、畑仕事をしている。 |
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↑昨日はスタジオ入り口の壁(写真左側)を塗った。↓今日は窓のある道路側の壁の半分を塗った。 |
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奄美や沖縄は一昨日から旧盆だ。一昨日がウンケー、昨日がナカヌヒー、今日がウークイ。今年は新暦の盆とも日程が近い。石垣島では、旧盆の伝統行事、アンガマが3年ぶりに行われたそうだ。YouTubeから「石垣島 登野城のアンガマ」。 高市早苗・経済安全保障担当相が10日の就任記者会見で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)系の世界日報社が発行する月刊誌に自身の対談記事が掲載されていたことを明らかにした上で「旧統一教会と関わりがある雑誌だとは知らなかた」と釈明した。その雑誌は「ビューポイント」だそうだが、それが本当なら雑誌で対談したことより、そんな情弱な人がやれ敵基地攻撃能力だ防衛費増額だなどと騒いでいるのが滑稽であり恐ろしい。 この他の気になった記事を備忘録として。 ◯北九州 旦過市場でまた大規模火災 4月に42店舗焼ける火事 ◯「統一教会」の名称変更手続きは本当に機械的だったのか 悲願の重大案件なのにずさんだった申請書類とは ◯安倍元首相の国葬は「違憲」 市民団体が予算支出の差し止め求め提訴 |
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昨日の午前中、アマゾンに注文した「うま〜くヌレール漆喰」ほか、こてやこて板、テープなどが届いた。「うま〜くヌレール漆喰」はホームセンターのコメリやムサシにも売っていたが、アマゾンが一番安かった。それにアマゾンなら1つ18キロの漆喰が入った容器を玄関まで運んでくれる。 |
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↑左の写真はうま〜くヌレール漆喰仕上げ用白色18kg(12,400円)2つ。 さっそく昨日の午後、下準備として一番最初に塗る壁の、つなぎ目と釘やネジの頭の上に貼ったグラスファイバーテープを漆喰で塗り潰した。 |
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いよいよ今日から本格的に壁に漆喰を塗る作業。昨日グラスファイバーテープの上に漆喰を塗った壁の全体に、漆喰を塗っていく。朝食を食べ終わって9時前から塗り始めるが、父親と二人掛かりで1回目を塗り終えたら、12時になってしまった。漆喰が付着したこてやこて板を水で洗い、お昼ご飯に。 離れた場所から全体を見ると均一に塗れているように見えるが、かなりデコボコしている。 |
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↓→かなりムラがありデコボコした感じ。これも味と言えば味。 |
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お昼ご飯を食べてから、今度は一人で2回目の塗りを行った。2回目の塗りは全体ではなく気になったところを中心にした。 | ||
↑2回目の塗りが終わって、一応完成した壁。壁4面を塗り終わる頃には、もう少しうま~くヌレーテルかな? →壁の角を塗っていたら、こての先端が折れてしまった。弾力のあるこてなのだが、無理し過ぎたか。ちょっとショック。 |
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歌手のオリビア・ニュートン・ジョンさんが亡くなった。YouTubeから「Jolene/Olivia Newton John」「愛の告白/Olivia Newton John」「オリビアを聴きながら/杏里」。 | ||
今日、ふと窓の外を見ると蝉が網戸につかまっていた。近寄っても逃げない。昨日だったか、買い物から帰って家の玄関に入ると顔に何かが当たったので触ると蝉だった。蝉は驚いて逃げていったが、こちらも驚いた。 | ||
一昨日、ホームセンターのコメリで1.1〜2mの伸縮するカーテンレール(448円)を買ってきた。そして今日はダイソーでボードアンカー(110円)、S字フック(110円)、ゴムヘラ(110円)を買ってきた。 |
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↑アンカーとネジのセットとS字フック。↓ゴムヘラ。→こんな感じになった。 |
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早速石膏ボードに白いアンカーを打ち込み付属のネジでカーテンレールを留め、レールランナーにS字フックを引っ掛けてピクチャーワイヤーを吊るしフォトフレームを掛けてみた。だいたいイメージしていたものになった。今回買ったカーテンレールは488円だったが、これがピクチャーレールだと金額が一桁多くなる。機能的には問題がないので、これでOK。実際に取り付けてみて問題だったのは、アンカーを石膏ボードに打ち込む時に、穴を大きく開けるとグラグラすること。ネジやアンカーが抜けることはないが、緩い感じだ。そこで場所を変えて少し小さめの穴をあけて、アンカーを押し込む感じにするとネジで留めた時もガタツキがなかった。 |
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最近の気になった記事を備忘録として。 ◯損傷に結びつく懸念も ザポリージャ原発に攻撃、両国がお互いを非難 ◯アマミエビネ生態明らかに 蜜蜂1種だけ「だまし受粉」 熊大・杉浦准教授が研究発表 奄美大島 ◯汚染水抑制も課題 処理水、年6000トン減るだけ―福島原発 ◯建設工事受注めぐる統計不正、8年間で計34.5兆円過大 国交省 ◯中国ミサイル5発、日本のEEZに落下 外務省、駐日大使に抗議 ◯旧統一教会側と自民党、改憲案が「一致」 緊急事態条項、家族条項…濃厚な関係が影響? ◯統一教会の政界汚染、支援対象は「安倍さんの一存だった」 恩恵を受けた子飼い議員の名 |
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昨夜から東北、北陸は大雨。夕方には高岡市から警戒レベル3のエリアメールが届いた。今のところ富山県は今日3年ぶりに開催予定だった北日本新聞納涼花火大会が中止になったり、列車が運転見合わせになったりといった具合だが、両隣の新潟県や石川県では川の氾濫や浸水などの被害が出ているようだ。 | ||
昨日で2階のスタジオの壁面に石膏ボードを貼る作業が完了した。正確には一部残っているのだが、そこに石膏ボードを貼ってしまうと階段部分を塞ぐ足場が作れなくなるので残してある。 今日の午前中は道具や資材の片付け。必要のなくなったものを1階に降ろし、床の掃除。 |
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↑ホリゾント側の壁面。↓ホリゾントと反対側の壁面。 |
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午後からは石膏ボードに漆喰を塗るための準備。石膏ボードのジョイント部分や釘やネジの頭の部分にメッシュのテープを貼り、凹んでいるところや崩れているところに補修用のパテを塗った。 | ||
↑メッシュのグラスファイバーテープ。長さは45メートルだがもう直ぐなくなりそうなので、あと2巻ほど必要か。 |
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↑補修用のパテ。思っていたより柔らかい。とりあえず隙間や凹んでいるところに塗ってみた。 ←黄色の養生テープで窓枠をマスキングした。 明日にでも漆喰などを注文して、来週から作業できるといいのだが。 |
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昨日、Facebookに流れてきた友人の投稿で四人囃子のキーボーディスト、坂下秀実さんが亡くなったのを知った。高校生の頃に聴いた四人囃子の「一触即発」は衝撃的だった。茂木由多加さん、中村真一さん、佐久間正英さん、そして坂下秀実さんが亡くなり、オリジナルメンバーは森園勝敏さん、岡井大二さん、佐藤ミツルさんの3人になってしまった。 昨日は熱帯夜の中、久しぶりにアルバム『一触即発』を聴きながら寝た。YouTubeから「四人囃子LIVE/一触即発」。 |
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昨日から自作のゲタを履かせた壁面に石膏ボードを貼っている。 | ||
↑昨日はここまで。→壁の横が階段なので板を繋いで作った足場。 |
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↑今日はここまで。連日の猛暑なので、無理をしないで少しずつ。 |
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今日は小川銀次さんの命日。亡くなって7年が経つ。YouTubeから「GINJI OGAWA BAND」「スローバラード/RCサクセション」 | ||
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