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6月30日(木)

 一昨日、富山県も梅雨明けした。平年より25日、昨年より16日早まったそうで、統計が残る1951年以降で最も早いという。6月中に梅雨が明けるのは初めてだそうだ。

 リフォーム作業は中断している。月曜日にホリゾント側の下地がほぼ出来上がって、火曜日から残り3面の下地作りをしようと思っていたが、この3面は接骨に下地の板を打ち付けなくてはならない。家には釘打ち機が大小2台あるが、鉄骨に釘が打てる大きい釘打ち機が壊れていることが判明した。ダメ元で小さな方で試し撃ちをしたところ鉄骨に釘が打ち込めたので、なんとかなるかと思っていたが、やはりダメだった。打ち込めた鉄骨をよくみると錆でボロボロになっていた。通常の鉄骨には釘を打つことができなかった。
 水曜日の午前中、父親が購入した問屋に壊れた釘打ち機を持って行き、修理できるかどうかメーカーに聞いてもらうことにした。今日、問屋から電話があり修理代が2万円で修理期間は1週間ほどだという。新品で購入すると13万円ほどなので、修理が出来て良かった。リフォーム作業は修理が完了して釘打ち機が戻って来るまで中断だが、連日の猛暑なので返って良かったかもしれない。戻って来る頃には、少しは暑さが緩んでいると良いのだが。

 下の写真は、書庫兼物置にあったスライドファイルと、スライドマウント。カットしたポジフィルムを挟むマウントと、マウントしたスライドを入れるビニールのファイル。これから先、ポジフィルムを使って撮影することはまず無いと思うが、捨てるのも忍びなくて取ってある。

スライドファイルとマウント
新しいトップ画面

←いつまでもチューリップの写真もなんなので、トップページを模様替えしました。今回は2009年の夏に川崎で撮影した猫です。

↓これまでのトップページ。

これまでのトップ画面

 テレビのニュースやワイドショーは、連日の猛暑と節電対策を繰り返し流している。何度も書くが、個人に節電を呼びかけるなら、国は新幹線の4倍もの電力を使うリニアモーターカーの建設を断念したらどうか。今月26日の東京新聞に<リニア工事「国策」で幸せ壊さないで 地下にトンネル 不安募る沿線住民>という記事が掲載されていた。

 この他の気になった記事を備忘録として。
本当に届いた! 加計呂麻島の子どもら歓声 ドローン空路配送実験 瀬戸内町
複数の女性に性暴力やパワハラをした報道写真家 明確な謝罪なく沖縄で活動再開 市民が抗議の動き
加熱する安保議論には、沖縄の人々をどう守るかという視点が欠けている

6月27日(月)

 気象庁は今日、九州南部、東海、関東甲信で梅雨が明けたとみられると発表した。ひょっとすると北陸も梅雨が明けているんじゃないだろうか?
本葬儀のパンフレット

 今月20日に行われた宝玉院住職であり声明家の新井弘順さんの本葬のパンフレットが、一昨日届いた。弘順さんは3月29日に多臓器不全のため死去され、密葬は既に近親者で済まされていた。

←葬儀で配られたパンフレット。
↓パンフレットに掲載された布橋灌頂会の写真。

パンフレットに掲載された布橋灌頂会の写真
布橋灌頂会での新井弘順さん
 新井弘順さんと面識があったわけではないが、今回のパンフレットを制作された事務局の方から立山博物館を通して2017年9月に開催された芦峅寺に伝わる女人救済儀式、布橋灌頂会の写真をお借りし掲載したいという申し出があって写真データをお送りしてあった。撮影した当時、布橋灌頂会の写真をアルバムにして、芦峅寺の行事取材でお世話になっていた芦峅女性の会会長の佐伯照代さんにお渡ししたのだが、そのアルバムが弘順さんに届けられ、今回関係者の方がその写真を見て連絡されたのではないかと思う。
 明治に入って途絶えていた布橋灌頂会を1996年に国民文化祭富山において約130年ぶりに復活させる際、声明家の弘順さんがテキスト・構成・指導に携わり、布橋灌頂会実行委員会の代表も務められたとパンフレットに記載されていた。
 近年は3年に一度定期的に開催されていた布橋灌頂会だが、新型コロナの影響で2020年は中止になっており、弘順さんが引導師をつとめられたのは2017年が最後となった。

 声明とは仏典に節をつけた仏教音楽で、僧侶が合唱する声楽。弘順さんは真言宗豊山派での活動のほか、宗派を超えた「声明の会・千年の聲」でも活動されていたそうだ。声明の国内・海外公演のほか、著作物の執筆や講演、音楽大学での講師などを通して声明の普及に尽力されたという。
 自分が2年前に制作した『とやま、祭り彩時季【一】~【十一】』では神社の祭礼の取材が多いが、お寺の法会もいくつか取材している。その際に声明を拝聴することがあったが、その声の重なりや広がりに不思議な高揚感を覚えることもあった。声の力だ。

 そう言えば、奄美大島北部、笠利町佐仁集落の八月踊りも声の力を感じる歌と踊りだった。初めて聴いたのは、2010年9月4日に奄美文化センターで開催された『十五夜唄あしび』というイベントだった。最初はゆったりしたテンポで始まり、少しずつ速くなる。シンプルなチヂン(太鼓)の音だけをバックに幾重にも重なる声が生み出す高揚感にゾワゾワとした。佐仁の八月踊りは旧暦八月のアラセツとシバサシの行事を中心に集落内を一軒一軒まわりながら歌われるが、出会いが『十五夜唄あしび』というイベントだったので、より歌に集中できて惹き込まれたのかもしれない。
 2013年9月、池間島と池間島から移住した人たちが住む宮古島西原地区と、伊良部島の佐良浜地区の3ヶ所で行われる池間民族最大の祭祀、ミャークヅツを撮影に行った。西原地区のミャークヅツでは神事が終わった後、ジャーと呼ばれる場所(本島で言うアシビナーと思われる)で久保田麻琴さんの映画『スケッチ・オブ・ミャーク』にも登場される村山キヨさんの歌う西原に伝わる古謡を聴いた。手拍子だけを伴奏にしたキヨさんの歌は味わい深く、その歌に合わせて女性たちがクイチャーを踊っていた。ザラザラとした声だが、不思議に力のある歌だった。キヨさんは暦を読みながら神行事の日程を取り決めるヒューイトゥインマを務めており、ミャークヅツの日取りも彼女が決定すると聞いた。
 YouTubeから「桑原ゆう作曲|新作聲明《螺旋曼荼羅 ー風の歌・夜の歌ー》」「 佐仁の八月踊り」「宮古島神歌古謡」。

 昨日はリフォーム作業をお休みしたが、今日は午前中から下地作り。隣の書庫兼物置との壁で、こちらがスタジオのホリゾント側になる。とは言っても、本格的なホリゾントを作るわけではないが。
 父親は他の面の下地作りをしようとしたが、他の面は鉄骨に釘で下地の板を打ち付けないとならない。そのためにはエアーコンプレッサーを使って釘打ち機で打っていくのだが、コンプレッサーの圧が上がらないという。近所のコメリでコンプレッサーと釘打ち機を繋ぐホースを買って繋いでみるが、やはり圧は上がらないようだ。午後から釘打ち機に使う釘を問屋に買いに行き、そこで相談するとコンプレッサーのメーカー、マキタの人が様子をみに来てくれることになった。マキタの人にみてもらったところコンプレッサーに問題はなく、繋いだ釘打ち機から空気が漏れていることがわかった。釘打ち機は2つあり、壊れていたのは大きい方で、小さい方に繋ぐとコンプレッサーの圧も正常に上がった。ただ、鉄骨に釘を打つ場合は大きい方の釘打ち機を使う。小さい方では鉄骨に打つ威力がないという話だったが、ダメ元で下地の板を鉄骨に打ち付けてみたところ小さい釘打ち機でも貫通した。これでなんとか明日から作業できるといいのだが。
エアーコンプレッサーと釘打ち機
↑左はマキタのエアーコンプレッサー。右は釘打ち機2台。大きい方が壊れていた。
 ホリゾント側の下地だが、なんとか形になった。出っ張り部分だった場所の間柱は5本から3本に減り、なおかつ垂直になっていなかったが、新たに横に5本の板を付けたのでだいぶ補強できたと思う。
下地の板を張り終わった面
 本日の出費。ネジ118円、ネジ338円、L字金具796円。

6月24日(金)

 昨晩は熱帯夜で、今日の日中は36℃を超える猛暑日。今晩も熱帯夜の予想で、明日の日中も35℃の猛暑日となる予想だ。その後も暑い日が続くようで、ひょっとするとこのまま梅雨明けするのだろうか?
 昨日から父親も本格的にリフォーム作業に加わってくれた。89歳と62歳の老老コンビでの作業だ。出っ張り部分が解体できたので、新しい位置に下地を作る。その下地を組むのに、近所のホームセンター「コメリ」でL字金具をいろいろと買ってきた。
L字金具いろいろ
↑左は小さめの金具で4枚組を7つで1,106円、右は2種類6個ずつで1,536円。
 今日は午前中から新しい位置に作る壁の間柱を立てた。天井から出ていた垂木を新しい下地の位置に合わせて昨日父親がノコギリでカットしたが、その垂木と間柱をL字金具で接合した。金具は電動のドライバーを使いネジを打ち込んだが、なかなか上手く打ち込めなくて難儀した。解体する前は5本の間柱が立っていたが、今回は3本にするという。なんだかスカスカだし垂直になっているかも怪しいが、父親が大丈夫だというのでこれで行くしかない(笑)。
↓→新しい位置での下地作り。間柱は5本から3本になり、ちょっとスカスカ。
間柱
新しい下地
 今日はもう一つ、午後から窓のある壁と反対側の壁に残っているトタンを剥がした。こちらの壁の大方はずいぶんと前に父親が石膏ボードを張ったが、入り口部分の上の方だけトタンが残っていた。ここも石膏ボードを張るので、バールを使って釘を抜いた。トタンは釘を鉄骨に打ち込んで張ってあったので、小さいバールと大きいバールを使いながら抉じ開けるようにして抜いた。猛暑の中、なかなかの重労働だった。
壁のトタンを剥がす
↑石膏ボードを張るため剥がしたトタン。
 今日、父親が釘打ち機とエアーコンプレッサーを持ち出してきた。使おうと思ったら、釘打ち機とコンプレサーを繋ぐホースの先が切れていた。ホースを繋ぎ直すと、今度は別の場所に穴が空いていて盛大に空気が漏れていた。穴の開いた箇所を切って釘打ち機と接続したが、釘打ち機は使えなかった。エアーコンプレッサーが故障しているのか、釘打ち機が故障しているのか、はたまた両方故障しているのか。写真はエアーコンプレッサーのホースを修理している父親。
エアーコンプレッサーを修理中の父親

 尼崎市から委託を受けた業者の男性が全住民の個人情報が入ったUSBメモリーをデータ移行のために持ち出し、作業終了後に居酒屋で酒を飲み、その後路上で3時間近く寝てしまい、USBメモリーの入ったカバンを紛失した事件。今日、警察官約30人態勢で捜索したところ、大阪府吹田市のマンション敷地内で見つかったそうだ。それにしても尼崎市民約46万人の個人情報が入ったUSBメモリーを持ったままお酒を飲みに行ける神経がわからないし、泥酔するまで飲める神経がわからない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
小田嶋隆さんが死去、65歳 反権力の論客、コラムニスト 雑誌「噂の真相」で執筆
1号機原子炉底部の堆積物は厚さ1メートル前後、デブリ含み広範囲に 東電福島第一原発
理研、研究者600人雇い止め方針を撤回せず 労組が救済申し立て 今年3月以降100人近く去る

6月22日(水)

 昨日、家の近くでは一番大きそうなホームセンター「ムサシ砺波店」でリフォーム用の資材を購入してきた。午後からにわか雨の予報だったので、午前中に妹の車でお店へ。購入したのは9.5mm厚の石膏ボード20枚と10cmX43.5cmX274cmの断熱材14枚入り、1.5cmX6cmX198.5cmの板2束(20本)。資材を購入すれば運搬用のトラックを90分間無料で貸してくれるそうなので、レジで申し込むと午後1時まで予約が入っているという。しょうがないので支払いを済ませて一旦家に帰り、昼ご飯を食べてから午後1時30分に再びムサシへ。購入した資材は店員の方がリフトで乗せてくれる。借りたトラックで資材を家に運び、1階の作業場に。空のトラックを妹がムサシに返しに行ってくれた。
昨日購入したリフォーム用の資材

↑昨日購入した資材。左から板2束7,960円、14枚入り断熱材5,780円、石膏ボード20枚8,560円。計22,300円。それにしても石膏ボードは1枚428円。なんでこんなに安いんだろう。

 今日は書庫兼物置の出っ張り部分の解体作業の続き。下地の木や石膏ボード、天井部分の板をドライバーとバールと金槌でなんとか外した。天井部分から飛び出している垂木は、ノコギリか丸ノコで切らなければ。
出っ張り部分の撤去
 書庫兼物置きの隅に積み上げられたダンボールの中に、音楽雑誌の仕事で入稿したフィッシュマンズの印刷原稿が入っていた。ダブルトーンに仕上げた画像を、エプソンのインクジェットプリンターで出力している。今なら入稿はデータで、プリントは色見本に付けるくらいだが、撮影した1997年はDTPがまだ普及しておらずデータ入稿は出版社も印刷会社もあまり良い顔をしなかった。それでわざわざプリントし、版下原稿にしていた。
フィッシュマンズの版下原稿
↑左から佐藤伸治(足は柏原譲)、茂木欣一(足は佐藤伸治)、柏原譲(足は茂木欣一)。

 この写真のオリジナルはポジフィルム。レコード会社の会議室で撮影していて、ライティングはフラット。そのポジフィルムをコダックのフォトCDに焼いてデータにしたものを、フォトショップで加工している。人物に当たっているライトは、フォトショップのフィルターメニューにある「描画」→「照明効果」で作っている。1997年なのでフォトショップのバージョンは4.0だろうか。調整レイヤーが使えるようになって、画像を加工し易くなったと記憶している。この頃は、まつもと泉と一緒にCD-ROMで見せるマンガ『COMIC ON』を製作している時で、撮影した写真をフォトショップで様々に加工できるのが面白くてしょうがなかった。
 オリジナルのポジフィルムを探してみたが、ファイルボックスの中には無かった。これもどこかのダンボールに紛れ込んでいるのだろうか。

 フィッシュマンズは2年後の1999年、ボーカルとギターの佐藤伸治が急逝し活動を休止した。
 YouTubeから「バックビートにのっかって/フィッシュマンズ」。

 今日、参院選が公示され、富山県は過去最多の6人が立候補を届け出た。
 沖縄が一昨日梅雨明けしたが、今日は奄美地方が梅雨明けした。ずいぶん早いな〜と思ったら、平年より7日、昨年より11日早いそうだ。12年前の6月16日、船で鹿児島から奄美大島に着いた日、島でただ一人面識のあった唄者の築地俊造さんを訪ねて行って言われたのが、「奄美の梅雨はしつこい」と「今年はハブが多いから注意しなさい」だった。
 明日、6月23日は「沖縄慰霊の日」。新型コロナの影響で招待者以外は参列できないようだが、3年ぶりに総理大臣が追悼式に出席する。
 6月21日〜26日まで那覇市民ギャラリーで「『復帰』50年写真展・沖縄写真の軌跡」という写真展が開催されている。展示されている作品は700点余り。24日は出展者の一人、宮城秋乃さんのギャラリートーク、25日は出展者によるシンポジウムがいずれも午後2時から行われるそうだ。
 三菱電機、ビル向け製品3万台不正 法定試験せず出荷しノイズ基準超。また三菱かと思ったら、5月にもこんな記事が。

 この他の気になった記事を備忘録として。
アフガン東部で地震、920人死亡 家屋が多数倒壊、被害広がる恐れ
参院選公示、論戦はじまる 円安や物価上昇対策、安全保障など争点に
1兆4238億円に膨張した東京五輪・パラ 書類開示の義務なく検証は困難 組織委は30日解散へ
石川・能登の地震、地下の流体が要因か さらに大きな地震の恐れ
“マイナカード交付率 自治体への交付税算定に反映” 総務相

6月19日(日)

 梅雨に入ったばかりだが、暑い!今日の高岡の最高気温は32℃。真夏日だった。
 少しずつでもリフォームを進めようと、今日は午後から小さなギャラリー兼スタジオにしようと思っている2階スペースにある出っ張りの撤去作業。これは隣の書庫兼物置の押入れ部分で、スタジオにしようと思っているスペースに迫り出している。天井の高さはあるが引きのないスペースなので、少しでも広げたいので撤去することにした。書庫兼物置部屋は父親がずいぶん前に自分で作ったのだが、この押入れ部分の下地がどうなているのかわからない。とりあえず石膏ボードを外していく。そうすると一番上の石膏ボードは、どうも天井に張ってある化粧板を切らないと外せないようだ。
 外せるものは外したので1階へ降りようとしている時に、ズボンのポケットに入れていた携帯がぶるぶる震えて緊急地震速報のアラートが鳴った。急いで1階の居間に行くと、テレビが地震の注意を促している。その最中にグラグラッと揺れた。震源は最近度々揺れている石川県の能登地方で、珠洲市で震度6弱を記録した。高岡も震度3だったが揺れている時間は短く、地震の揺れより緊急地震速報のアラートの方がなんだか怖かった。この地震で石川県では6人が怪我をしたそうだが、富山では今のところ被害の報告はないようだ。

↓→奥にある書庫兼物置の出っ張り部分を撤去。先ずは石膏ボードを外してみる。
リフォーム02
リフォーム01
 27インチのiMac、TimeMachineでシステムごと復元しても状況は改善せずストレスが溜まるばかりなので降格に。正面のデスクから、脇のデスクに場所を移動。代わりに、脇のデスクに置いてあった初代iMacを正面のデスクに持ってきた。
 この初代iMacは、奄美大島に住んでいた2012年5月にそれまでメインで使っていたMac Proが突然壊れたので、その10日ほど後に撮影の仕事で東京へ行った際、新宿のパソコンショップで購入したもの。中のプロセッサを変更したりして納期に時間がかかるということもあり、翌月から住むことになっていた沖縄の住所に配達してもらった。そして、那覇の新居に引っ越した6月17日の夜に手元に届いた。
 もう、初代iMacを使い始めてから10年が経った。以来、一昨年の11月に中古のMacBook ProやiMacを買い足すまでメインで使っていた。沖縄から富山に戻った2014年の7月に、突然カーネルパニックのような症状を起こしたが、この時はAppleCareに入っていたので無償修理となった。ビデオカード、ロジックボード、ハードディスクが取り換えられているので中身はほぼ新品に蘇っている。以来、重大な故障もなく使えていたが、積んであるメモリが4GBしかなくアプリケーション(特にAdobe Bridge)を動かすには非力なことと、OSが10.7.5と古いことからインターネット接続に問題が出てきたので降格していた。それでも起動は早いし、アプリケーションも動くので昇格させた。
 これまでは27インチのiMacにしかTimeMachineを使用していなかったが、これからしばらくメインとして使うMacBook Proや初代iMacにも、もしもの事を考えてTimeMachineを使用することにした。MacBook Proには500GBのポータブルHDDを初期化して、初代iMacには2TBの外付けHDDを初期化してTimeMachineにした。HDDを初期化して使いまわすことは今までして来なかったが、お金の節約のため。データのバックアップは外付けのHDDにダブルやそれ以上に取ってあるので問題ないだろう。
 今回降格した27インチのiMacだが、最後の手段はTimeMachineでの復元ではなく、OSの再インストールだろうか。これは気力と時間のある時に試みようと思う。
パソコンのデスク
Mac Pro用のTimeMachine

↑正面の机の左手前が、これからメインとして使うMacBook Pro。その後ろは、外部モニターとして使うEIZOのディスプレイCS2410。右は今回昇格した初代iMac。右の黒い机に置かれているのは降格した27インチのiMac。しばらくお休みしてもらう。

←MacBook ProのTimeMachineとして使用するポータブルHDD。

 母親の畑でキュウリが採れ始めた。少し前は苺が大量で、毎日苺とバナナと牛乳をミキサーにかけてジュースを作っていた。それでも余るので、残りは母親が苺ジャムにした。
キュウリのキューちゃん漬け
 キュウリも2〜3本ならとても有り難みがあるが、毎日大量に収穫されると始末に困る。とりあえず今日は12本(中には育ちすぎた特大サイズも)のキュウリで鍋いっぱいの、キュウリのキューちゃん漬けを作った。昨年も何回か作ったが、この漬物が一番簡単で一番キュウリを消費できる。
 これからトマトやら茄子も採れ始める。嬉しさよりも恐怖だ。
 キューちゃん漬けのレシピはこちら

 一昨日、東電福島第一原発事故によって被害を受けた住民たちが国に損害賠償を求めた裁判で、最高裁は国の賠償責任を認めない判断を示した。名古屋の入管施設で収容中に死亡したスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんの問題で、名古屋地検は殺人容疑で告訴されていた当時の入管幹部らを不起訴処分にした。権力を持つ側の責任を問わない国。

 この他の気になった記事を備忘録として。
崖っぷちの社民党、存亡かけた参院選 結党77年、政党要件失う恐れ…起死回生の一手は
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“マイナ保険証”来年度のシステム導入は困難 日本医師会会長

6月16日(木)

 北陸地方が一昨日梅雨入りした。昨日は暑さはそれほどでもなかったが、湿気があって蒸し蒸ししていた。
 また27インチのiMacの調子が悪くなった。しょうがなく、今日の朝から再びTimeMachineを使ってシステムごとインストールし直した。これで3度目だ。今回は昨年の9月まで遡って復元した。起動させてクリックすれば、あとはパソコンが勝手に復元してくれるとはいえ気力と時間が奪われる。パソコンはホントに時間泥棒だな。

 アマゾンで13日に注文し14日にコンビニから支払った、レーザー墨出し器が昨日届いた。板金屋なので丸ノコやエアーコンプレッサー、ネジを打ち込む道具などは揃っているが、レーザーで水平垂直を出す墨出し器は無いようなので仕事場のリフォームに合わせて購入した。DIYだけではなく、これがあれば写真フレームを設営する時にも役に立つ。

レーザー墨出し器01
←今回購入したEnventorレッドクロスライン レーザー墨出し器。さっそくカメラの三脚に取り付けて使ってみた。小さい割には重量があり、安っぽさは無い。明るい部屋ではレーザーが薄く見えるが、3,000円代の商品なので充分だろう。困ったのは取り説の字が小さくて読み辛かったことだが、複雑な操作はないので読まなくてもなんとか使えそうだ。
レーザー墨出し器02
ピクチャーレールワイヤー
 今日はアマゾンでレーザー墨出し器と一緒に注文した、ピクチャーレールワイヤーが届いた。アマゾンからのメールによれば<できるかぎり早く商品をお届けするため>2回に分けて発送したそうだが、一日しか違わないのなら、レーザー墨出し器も今日でよかったのに。購入したのは、長さが1mのワイヤー10本セット。ピクチャーレールは、カーテンレールのランナーにフックをつけて代用できそうだ。
 今日はもう一つ、一昨日の夜に落札したコメットCB-1200のジャネレーター(電源部)が届いた。今年の1月、長い間使っていなかったので通電していたところ、ジェネレーターが「バチツ」という音と共に逝ってしまった。30年以上前に購入したもので寿命と言えば寿命だが、ストロボのヘッド(発光部)はまだ大丈夫そうだ。確か買った当時はジェネレーターとヘッド2つに傘やスタンド、収納バックのセットで40〜50万円ほどしたと思う。もったいないなと思っていたら、ヤフオクにCB-1200のジェネレーターが出品されていた。通電は確認してあるがジャンク品扱いで、3.000円代での出品だった。添付されていた画像を確認すると、外観の状態は良さそうだった。使えなくても諦められる3,745円+送料で落札した。
 届いたCB-1200は画像で見る以上に状態が良かった。コードの差込口のキャップが3つとも付いているし、目立つキズもない。コンセントに繋いで通電を確認すると赤いチャージランプが点灯した。そのまましばらく通電した後、2つのヘッドを接続。シンクロコードも接続し、やはり今年の1月に壊れたので3月にヤフオクで5,259円+送料で落札したミノルタのフラッシュメーターIV型に繋いで発光テストを行った。
コメットCB1200のジェネレーター
↑左が今年の1月に通電中「バチッ」という音と共に逝ったCB-1200、右がヤフオクで落札したCB-1200。
↓電源コードを繋いで通電確認。→2つのヘッドを接続して発光チェック。
ストロボの発光テスト
落札したジェネレーターの通電チェック
 フラッシュメーターとストロボのジェネレーターが相次いで壊れた時はどうしたものかと凹んだが、ヤフオクで落札して持っていた物より状態の良い物が合わせて1万円ほどで揃ってしまった。

6月13日(月)

 先週、リサイクルセンターと産廃工場に壊れたり使わなくなった物を運んで、だいぶスッキリした。が、もう使うことはないだろうと思いながら捨てられない物が、まだまだ残っている。下の写真の物はモノクロのプリントをする時の暗室用品。これからフィルムカメラを使うことはないだろうし、ましてやフィルム現像をして印画紙にプリントすることなどないと思うが、だからと言って捨てるのが忍びなくて取ってある。
暗室用品01
↑左はプラスチック製のパッド。印画紙用の現像液、停止液、定着液、水洗用と4つのパッドを並べて暗い部屋の中でプリントをしていた。右の手前は液を作るための計量カップ。黒に赤い縁取りのモノはフィルム現像用のタンク。茶色の容器は使い終わった現像液や定着液を保管するモノ。
↓はフィルムを現像する時にフィルムを巻きつけるリードや、現像したフィルムを吊るして乾燥させるために使用するクリップなど細々としてモノが入っている。
暗室用品02

 アマゾンから荷物の配送を委託された下請け会社と契約を結ぶフリーランスのドライバーが、契約の見直しを求めて労働組合を結成し、下請け会社と委託元のアマゾンに長時間勤務の是正などを求めていくことになったと、今日の夕方のNHKのニュースで放送していた。このニュースを聞きながら、彼らはフリーランスなのだろうか?と思った。彼らが語る待遇に耳を傾けていると、フリーターや非正規労働者という立場に近いように思われてしょうがなかった。
 2年前、フリーランスについて、こんな文章を書いている。
 そういえば新型コロナによる休業補償が話題になっている時に、正規・非正規で働く人は日額上限8,330円の助成金を出すのに対して、フリーランスの場合は4,100円という政府案が示された。フリーランスが正規・非正規の半額以下という金額は、東京都の最低賃金1,013円X4時間で算出したという。
 政府はフリーランスとフリーターをごちゃ混ぜにしていないだろうか?フリーランスとは自分の知識や技能を活かして企業等から仕事を請け負う個人事業主で、フリーターは企業などでアルバイトをして生計を立てている人のことだと個人的には理解している。
 二十歳を過ぎた頃から個人事業主として毎年欠かさず確定申告をしている。フリーランスのライターやカメラマンというのは基本的にギャラの1割りが源泉徴収されているので、必要経費を申告して源泉徴収された分を返還してもらわなくてはならないから。
 そうやって40年ほどフリーランスで仕事をしてきた身で言うと、一日で得る収入は正規・非正規で働く勤め人の方よりフリーランスの方が多くなければ、フリーランスという稼業は続けられないだろう。毎月決まった日数、毎日決まった時間の労働が保証されているわけではないのだから。
 国が進める働き方改革の中で、多様な働き方の一つとしてフリーランスも取り上げられていたが、政府が考えるフリーランスの位置付けが今回の見解ならば、多様な働き方など広まらないだろう。

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6月10日(金)

 昨日、1階の仕事場に置いてあった壊れた電化製品や古い家具、使わなくなった畳やダンボール、それから父親が仕事で使った残りのトタンなどを処分した。当初は7日の火曜日を予定していたが、天気予報が雨になっていたので木曜日の昨日になった。まあ、火曜日も天気予報ほどには雨は降らなかったんだけれど。
 レンタカー屋で妹が軽トラを借りてきて、10時頃に家に到着。早速、高岡市のリサイクルセンターに持っていくものを荷台に積み込む。家からリサイクルセンターまで、片道30分ほどだったろうか。午前中に1回、店屋物の天丼を食べて午後から2回リサイクルセンターへ運び、その後に先月父親の大型機械を処分した産廃工場へ古紙と中途半端に残ったトタンや空き缶、金属類を持ち込んだ。

1階仕事場の片付け前と後
↑壊れた家電や使わなくなった家具が置かれた1階の仕事場。↑↓リサイクルセンターと産廃工場へ持ち込みスッキリ。
1階仕事場の片付け後
 明日は雨の予報なので、今日の午後は久しぶりに自転車で小矢部川を走って来た。薄曇りの空だったが、草の緑が目に美しかった。
草刈り機

 小矢部川の堤防の雑草が、夏を前に除草されている最中だった。ふと対岸を見ると、草刈り機が斜面を走っている。こんな角度で走っていて機械ごと土手を転がったら乗っている運転手も危ないだろうとカメラの望遠レンズで覗くと、機械は無人で近くにいる人がコントローラーで制御していた。

↓今頃が一番、緑の美しい季節だろうか。

小矢部川

 一昨日の南海日日新聞に、県立大島北高校の生徒有志が奄美最高峰の湯湾岳に上り、自然写真家で奄美自然環境研究会の常田守さんから希少植物のことや、その希少植物が盗掘被害にあっていることを学んだという記事が掲載されていた。今月5日の南海日日新聞にも北海道在住の英国人学者マーク・ブラジルさんが発刊した、外国人向けに日本の自然史を解説した英語版ガイドブック『JAPAN-THE NATURAL HISTORY OF AN ASIAN ARCHIPELAGO』の南西諸島北部について紹介した第4章で、常田さんが撮影した写真約60点が使用されているという記事が掲載されていた。奄美大島がユネスコの世界自然遺産に登録されてから、常田さんの名前を新聞などで目にする機会がとても増えた。
 その常田守さんだが、以前、アマミヤマシギの代弁者として法廷に立ち自然保護を訴えたことがある。クロウサギやアマミヤマシギなど四種の動物も名を連ねた日本初の「自然の権利」訴訟で、鹿児島地裁が「動物が訴えることはありえないので、四種の動物表示は余事記載か無意味な記載である」として動物原告部分の書状を却下する命令を出した時に、常田さんがアマミヤマシギの代弁者として法廷に立ち「人間の生活を脅かすつもりはありません。ただ、私たちの生活も尊重して欲しい。先祖代々、この森で食べて、恋をして子供を育ててきたのです」と切々と述べたそうだ。これは常田さんから直接聞いた話ではなく、神谷裕司氏の『奄美、もっと知りたい』(南方新社)という書籍の第5章<自然と開発>に記されている「自然の権利」訴訟についての文章で書かれている。この自然の権利訴訟を契機に、「自然の権利」基金が設立されたそうだ。

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6月7日(火)

 九州や四国を先置いて、関東甲信地方が昨日梅雨入りした。富山も今日は曇り一時雨で、北陸もそろそろ梅雨入りかと思うが、天気予報では15日頃となっている。
 現存する映画館としては沖縄県最古の首里劇場が閉館するというニュースが、昨日の沖縄タイムス琉球新報に掲載されていた。3代目館長の金城政則さんが今年4月9日に亡くなり遺族の意向で閉館することになったようだ。
 首里劇場は1950年に営業を開始し当初は沖縄芝居などの舞台小屋として使用されていたようだが、その後、永く成人映画専門の映画館となっていた。それが、昨年の1月に成人映画をやめて一時休館していたけれど、5月に旧作を上映する名画座として復活したということをDEE okinawaの記事で知った。それから僅か1年で閉館になるとは。
 首里劇場はDEE okinawaで何度か記事に取り上げられていて、気になる場所だった。一度建物を見てみたいと思っていたが、実現したのは沖縄を離れる3ヶ月ほど前だった。那覇歴史博物館が開催した学芸員と歩く史跡・旧跡ツアーで首里地区をまわった時、解散後に一人で首里大中町にある首里劇場を探して歩いた。
首里劇場
コザ琉映館

 首里劇場は住宅街を探して歩いていると不意に現れ、思っていたより大きな建物で驚いた。建物が古いからなのか音量が大きいからなのか、住宅地の中にも関わらず女優さんの「アンアンアン」と言うピンク映画ならではの声が盛大に漏れていた。その声を犬の鳴き声だと思った女子中学生の二人連れが劇場の建物に近づき、自分たちの間違いに気づいて爆笑しながら歩き去って行った。なんと沖縄の大らかなことか(笑)。
 沖縄市照屋にあった1960年営業開始の映画館、コザ琉映館も2016年に閉館となり、建物は解体されてしまった。コザ琉映館も中に入ったことはないけれど、琉映館とは知らずに建物の前でポートレートを撮ったことがある。北のエレキガールこと、Guitarist TOMOKOさんが2013年の秋に来沖した時に、アーティスト写真を撮るのに金武町や沖縄市の美里、照屋をロケハンしていてちょっと不思議な建物があったので撮影した。それがコザ琉映館だった。

←コザ琉映館の前で撮影したアーティスト写真。

 一昨日北朝鮮が日本海に向けて8発の短距離弾道ミサイルを発射したことに対抗し、米韓両軍が昨日、戦術地対地ミサイル8発を日本海に向けて発射した。まるで子供の喧嘩だ。
 老朽化した火力発電所の休廃止で電力不足が懸念されることから、政府は閣僚会議を開き、国民に広く節電を呼びかけていくことを確認したという。今後も安全で安定的な電力確保が難しいなら、新幹線の4倍も電力を使うリニアモーターカーの建設を断念したらどうかと思う。

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 bookのページに『とやま、祭り彩時季』【一】〜【十一】を追加しました。A5サイズ144ページ、各1800円(メール便・送料込み)での販売です。ご注文はmailから、お願いいたします。

6月4日(土)

 先月、1階の父親の仕事場にあった大型機械を搬出した後も、ちょこちょことリフォームに向けて片付けている。2階の物置きには写真展で使用した大量の写真フレームがあるが、こちらは廊下に分散して移動。粗大ゴミは1階の仕事場に持って行った。おかげでキレイに片付いた。
写真フレームの他、粗大ゴミが置かれた2階。5月31日撮影↓→
片付ける前の2階の物置02
片付ける前の2階の物置01
大量の写真フレームを廊下に移動して片付けた2階。6月3日撮影↓→
片付いた2階の物置02
片付いた2階の物置01
 そして昨日は家族総出で、リサイクルセンターや産廃業者に持って行く物の仕分け。来週これらを出してしまえば、だいぶスッキリとする。それにしても大量の物、モノ、もの。
捨てる物を仕分けした1階の仕事場
ジローラモ氏
 とってつけたような出来事が連続して起こる、NHKの連続テレビ小説『ちむどんどん』。話を盛り込み過ぎなのか、あまりに雑な展開に物語に感情移入ができず、ちむ(心)がどんどん(ワクワク)することもなく、あきさみよー(あらまー何て事だ!)と心の中で驚きの声をあげている。いっそドラマのタイトルは『ちむどんどん』ではなく『あきさみよー』でいいんじゃないだろうか。
 子供の頃を除けば、連続テレビ小説を観るようになったのは奄美大島に向かった2010年前半の『ゲゲゲの女房』からで、以来ほぼ毎日観ている。この間に放送された中で、個人的につまらなかったのは2012年後半の『純と愛』、2015年前半の『まれ』かな。この『ちむどんどん』が終わった時に、はたしてどんな感想を持つのだろうか。
 左の写真は今週のドラマで登場したミラノ出身の料理人、アレッサンドロ・タルデッリことパンツェッタ・ジローラモさん。2007年10月10日撮影。
 50歳を過ぎて奄美大島に移住し、紬工場の染色工として働きながら亜熱帯の植物や鳥などを描いた日本画家・田中一村。生前にはあまり高い評価を得られなかったが、没後に放送されたNHKの『日曜美術館』や南日本新聞に連載された『アダンの画帖〜田中一村伝』をキッカケに注目を集め、その精緻で独特な被写体を描いた絵が脚光を浴びるようになった。その一村が描いたと思われる色紙8枚が、奄美市のお寺で見つかったそうだ。
  奄美大島に移住するまで田中一村という画家については何も知らなかったが、名瀬に住んでいた時に図書館で借りて『アダンの画帖〜田中一村伝』を読み、2010年11月には奄美パーク内にある田中一村記念美術館へ特別展『田中一村 新たなる全貌』を見に行った。名瀬有屋にある田中一村終焉の家にも2回ほど訪ねている。
 下の写真は、名瀬大熊にあった一村さんが勤めていた染色工場の跡地。この紬工場のことが『アダンの画帖〜田中一村伝』でも触れられている。
「工場は、海辺の小集落にあり、空気は清澄。しかし夏の工場内は地獄の釜のごとくむし暑く、海岸には真黒な南の鷺が餌を漁り、断崖には奇異の植物あり、南国情緒豊かです。(中略)工場の昼休みに」(昭和三十七年十二月十六日、川村幾三氏あてのはがき) 
 常用の地下たびをはき、ステテコにランニングシャツ姿で、朝の「歩行訓練」で汗を流したあと、朝食をすませて紬工場に出勤する日課であった。有屋の借家から大熊の久野織物工場まで1.5キロほどあった。大熊はカツオ漁船の基地であり、工場から道路一つ越せば、漁港に続く海岸が広がっていた。

 この跡地は、工場に通う一村さんと当時挨拶していたいうサバクリ人さんに教えてもらった。確か奄美には一村さんがお世話になった近しい人に描いてあげた肖像画が残っているはずで、今はとんでもないお宝になっている。
一村さんが働いていた紬工場の跡地
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6月1日(水)

 今日から6月。昨日まで暑い日が続いていたが、今日はそれほど気温が上がらず半袖のTシャツ一枚では涼しいくらいだった。
 先月の27日で購入して1年経ったiMacだが、一昨日からまた調子が悪くなり再びTimeMachineを使ってシステムごとインストールし直した。前回25日にインストールし直した時は、直前の5月14日のシステムを選んで復元を試みたが、今回はもっと前の今年3月のシステムに復元した。昨日の朝から試みて、夕方には復元が完了。現在は割りとスムーズに動いている。この調子が続けばいいのだけれど。
 先月の30日で乗り始めてから5年が経った、グリーンの折りたたみ自転車。こちらはこれまでペダルの軸が外れたりタイヤがバーストしたりしたけれど、まずまず快調に動いている。小さなキズや塗装の剥げた所からサビが出ているが、乗り始めて5年が経過した割にはキレイだと思う。奄美大島で買った折りたたみ自転車は、名瀬に住んでいた2年でサビだらけになり、沖縄に移住してからは折りたためない折りたたみ自転車になってしまった。島ならではの潮風と突然の雨という、環境の厳しさが原因だろう。
買って5年が経った折りたたみ自転車
 下の写真は自宅の車庫。父親が免許を返納して車を廃車にしたので4輪の乗り物がなくなってしまった。自分の折りたたみ自転車を含め自転車が3台、母親の三輪車が2台。これに一輪車(ネコ)が一台。一家に一台どころか一人一台かも知れない車社会の富山では、珍しい車庫だと思う。
家の駐車場
 先日、FM情報誌『FM STATION』がCDとカセットテープで復活という記事を読んだ。なんのことかと思えば、80年代90年代のFMラジオから流れていたシティポップやJポップを集めラジオ番組風に収録した音楽アルバムを発売するということらしい。ジャケットにはFM STATIONの表紙を描いていた鈴木英人さんのイラストが使われるそうだ。
 FM STATIONは1981年に創刊されたFM放送の番組表などを掲載した情報誌で、当時ラジオ放送を録音して楽しむエアチェックに欠かせないFM情報誌の一つだった。他にはFM Fan、FMレコパル、週刊FMといった雑誌もあり、FM STATIONは後発だった。
FM STATIONのカセットレーベル
 番組表や音楽情報のほか、オリジナルのカセットレーベルが付いていて、これが目当てで雑誌を買っていたりした。レコードなんて高くてそうそう買えない時代、カセットテープを買ってエアチェックしたり友達から借りたレコードを録音して多くの音楽を聴いていた。そうして録音したカセットのケースに、雑誌についているカセットレーベルをセットしてレーベルの背に録音した番組の名前や録音したアルバムのタイトルを書いていた。せっかくカッコイイ絵柄のレーベルなのに、背の部分に書いた自分の字で台無しにしてしまうことも多々あった。 
  一時は4誌あったFM情報誌も90年代から休刊が相次ぎ、2001年にFM Fanが休刊しFM情報誌は終焉を迎えた。もうエアチェックという言葉も死語だろうか。
 左の写真は、1987年11月2日発行のFM STATIONについていたカセットレーベル。1986年の旅行で撮ったスペインの写真が使われている。右下のイラストは、鈴木英人さんによるその号の表紙イラスト。

 FM STATIONの編集部に知り合いがいたわけでもなく、4ヶ月近くの旅行でお金を使ってしまったので、とにかく撮影した写真をお金にしようと色んな雑誌の編集部に電話をして売り込みに行った。今はフリーランスが出版社に売り込みに行ってもなかなか会ってもらえないと聞くが、当時はほぼ100%写真を見てもらえたし、売り込みに行った先のほとんどで仕事に繋がった。そういう時代だった。
 久しぶりにFM STATIONをめくってみるとレコード会社やオーディオ・メーカーの広告がワンサカ入っている。雑誌の値段が220円で、こんなに安かったっけ?と思ったが、これだけ広告が入っていれば220円でも充分やっていけたのだろう。

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5月へ