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5月27日(金)

 今日で、現在使っている中古の27インチiMacが家に来て1年となった。なんとか1年を迎えることが出来て、ホッとしている。なんせ、この27インチの前に中古で買った24インチiMacは2ヶ月ほどでカーネルパニックになり壊れてしまったから。とは言え、この27インチも動作は不安定で、最近はネットやアプリの動きが急に激遅になることがある。一昨日も動きが遅くなり上手く起動しなくなったので、TimeMachineを使ってシステムごとインストールし直した。
復元画面01
 27インチiMacから4テラバイトの外付けHDDをTimeMachineにしていたが、実際にバックアップしていたデータやOSを復元させるのは初めてで、うまく行くのか自信がなくドキドキだった。
 こちらの記事などを参考に、復元をスタート。TimeMachineを使い始めた時から遡って復元できるので、調子の良かった5月14日を選んで復元することにした。
↑15時1分、復元スタート
復元画面02
↑(左)15時34分、14.83GB復元。残り13時間46分(右)16時21分、61.13GB復元。残り時間7時間7分
復元画面03
↑(左)18時21分、復元終了中。残り1時間56分(右)18時49分、成功。コンピューターが再起動します
復元画面04
↑(左)20時21分、macOS10.13.6High Sierraの画面が現れる(右)20時43分、Macを設定中…
復元画面05
↑(左)20時48分、懐かしい自分のデスクトップが現れてホッとする(右)21時2分、メールボックスを読み込み中
 一昨日はここまでやって眠りについた。開始から30分ほどで残り時間が13時間46分と表示されたので、終了するのは翌日の未明かと思ったら、開始1時間半ごろには残り7時間7分と短縮され、3時間半足らずで復元が終了した。
  そして昨日は、朝からシステムごとインストールし直したiMacをチェック。キーボードの文字が打てなくなったり、Adobe bridgeのウィンドウにあるワークスペースやコレクションパネルが選択できなかったりといった不具合があり、それぞれネットで解決方法を検索して対処した。
 現在、27インチiMacは稼働している。しかし、TimeMachineを使ってシステムごとインストールし直す前とどちらの調子が良いかは微妙だ。し直した現在のiMacは、アプリケーションの起ち上がりが遅くなったように思う。それでも起ち上がってからは、割りとサクサク動いている。まあ、2013年モデルの中古品なので、買った当初からせめて奄美・沖縄の撮影データ再現像が完了するまで保ってくれればと思っていた。とりあえず、目標には到達した。
 今回、TimeMachineを使ってみて、その機能の便利さに驚いた。それが分かっただけでもトライしてよかったと思う。しかし写真の作業の他に、インターネットで情報を集めたりメールで連絡をとったりiTunesで音楽を聴いたりと便利な反面、パソコンに不具合が生じた時のストレスもまた半端ない。パソコンは生活に欠かせないモノになってしまったが、その生活が幸せかどうかは微妙だ。

5月26日(木)

 懸案だった父親の仕事場にあった機械の搬出を一昨日行った。木原板金工業所としては何年も前に廃業していたが、近所や知人の方から頼まれたりした仕事を個人的に請け負うこともあった。しかし昨年の夏に知人の家の屋根を葺いたのを最後に、これで仕事をやめる決心がついたようだ。
 一昨年だったか車の免許を返納したので、昨年の夏の仕事は問屋に現場まで材料のトタンを運んでもらい、父親は自転車で通っていた。仕事の終盤で、どうしても家から運ばなくてはいけないものがあったので、ネコ(一輪車)に乗せて歩いて行った。たぶん1時間ほどネコをおして歩いたんじゃないだろうか。
 仕事場にあった機械は鉄の塊なので、産廃業者が買い取ってくれる。電話すればトラックで来て持って行ってくれるものだと思っていたら、運搬料が発生するという。産廃業者の工場まで車で10分もかからない場所だが、見積もりでは運搬料が35,000円となっていて驚いた。それも仕事場から外に出さないと運んでくれない。何百キロもある鉄の塊なので簡単には外に出せず、外に出す場合は別途に料金がかかるそうだ。それで2ヶ月ほど前からどうしたものかと思案に暮れていたが、甥っ子が仕事で使っている10tトラックで運んでくれることになった。フォークリフトの免許も持っているので、フォークリフトを業者からレンタルすれば仕事場から外に出してトラックに積み込むこともできる。
 さっそく妹がレンタル会社を調べて問い合わせたところ、フォークリフトのレンタル代はそれほどでもなかったが、フォークリフトを家まで運んでもらう運賃が片道1万円と言われて驚いた。結局、妹がナンバープレートのついた道路も走行できるフォークリフトを持っている営農組合から借りる手筈をしてくれて、甥っ子が営農組合からフォークリフトを運転してくることになった。
 甥っ子は午後から仕事があるので朝7時半ごろに営農組合へフォークリフトを借りに行き、 家には8時ごろ到着。先ずは処分する機械を外に出し、それから駐車してあるトラックを取りに行って積み込み。

父親の仕事場
フォークリフトで外に出した機械

↑トタンを切ったり曲げたりする機械が置かれた、父親の仕事場。

←フォークリフトで外に出した機械類。鉄だけではなく古紙も買い取ってくれるというので溜まっていたダンボールも処分。

↓フォークリフトで機械を10tトラックに積み込む甥っ子。頼もしい。

フォークリフトでトラックに積み込み

 処分する機械だけではなく、壊れた大型冷蔵庫や大型ブラウン管テレビもあったので搬出に1時間ほどかかった。この後、車で10分ほどの産廃業者へ。3月に見積もりを出してもらった時より鉄の値段が下がったそうだが、思っていたより重量があったので5万5000円ほどになった。フォークリフトを貸してもらった謝礼と、甥っ子への日当を払っても2万円残った。家にはまだまだ処分しなくてはいけないものがあるので、こちらはいずれ高岡市のリサイクルセンターへ持って行く。2万円は、そのためのレンタカー代などに充てる予定だ。
 1階の仕事場が片付いたら壁を作り、真ん中に大きなテーブルを置こうと考えている。壁に写真を飾り、大きなテーブルは両親が近所の人とお茶を飲んだり、母親が趣味で作っている野菜の選別作業場などに。それから一昨年の写真展で使用した大量の写真フレームが置いてある2階も片付けて、こちらは天井が高いので小さな撮影スタジオ兼小さなギャラリーに出来ればいいなと思っている。予算はないのでDIYだが、出来るだろうか。

 沈没した知床観光船を海中120mから吊り上げて港に曳航中、船体が再び水深180mの海底に沈んだ。阿武町から誤って振り込まれた給付金4630万円のほぼ全額をネットカジノで使ったとして田口翔容疑者が逮捕されたが、決済代行会社から町へ4299万円が返金された。ほんとに世の中、何が起こるかわからない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
元ニルヴァーナの故カート・コバーンのギターが5億7290万円で落札
日米の防衛力強化はもろ刃の剣…周辺国の軍備拡張招く恐れ 「外交なければ戦争を防げない」
柏崎刈羽原発所長「非常にまずい」 期限切れ入構証立ち入り発覚

5月22日(日)

 昨日のブラタモリは横浜・川崎で、東京湾と京浜工業地帯が取り上げられた。その中で富山県氷見市出身の実業家、浅野総一郎の功績なども紹介されていた。鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道を開業したのが浅野総一郎であり、浅野駅は氏の名前に因んで付けられたというのも初めて知った。
 もう44年ほど前、鶴見線の浅野駅の一つ先、安善駅の近くに住んでいた。住んでいたというか、居候をさせてもらっていた。鶴見線は鶴見から扇町までの本線の他に、浅野から海芝浦までの海芝浦支線が出ている。安善駅は本線なのだけれど、うっかりしていて海芝浦行きに乗ったことが何度かある。海芝浦駅は東芝エネルギーシステムズに隣接しており、改札は会社の出入り口にもなっているので一般の乗客は改札を抜けられなかったと記憶している。
 浅野駅が浅野総一郎の名前に因んで付けられたと知り安善駅の由来を調べると、浅野総一郎の事業を支援した安田財閥の創業者、安田善次郎に因んで付けられたそうだ。なら安善はヤスゼンだと思うが、駅名はアンゼンと読む。
 2009年の10月、自転車で安善駅まで行った。当時住んでいたのは川崎市の多摩区で、最寄りの駅は向ヶ丘遊園だった。その頃よく自転車で多摩川を走っていて、河口まで行くこともあった。地図を見ていたら川崎の辺りで南下すれば鶴見に行けるのを発見して実行に移した。
 午前10時半に家を出て、途中3人ほどに道を尋ねて安善駅に到着したのは午後1時ごろ。2時間半かかった。駅は当時と変わっていないように見えたが、町並みは自分の記憶が曖昧で変わったのか変わっていないのかすらわからなかった。
安善駅
 小さい町の路地を縦横に自転車で一通り走った後、鶴見線の国道駅に寄ってから家に帰った。それまで国道駅で下車したことはなかったが、廃墟マニアの撮影スポットになっているというので見に行った。国道駅は廃墟ではないが、高架下のお店はほとんどが閉まっており昭和の匂いがプンプンする建築物だった。
国道駅
↑鶴見線の国道駅構内。1930年(昭和5年)に開業したそうだ。

 お昼ご飯の時間に「NHKのど自慢」を見ていたら、緊急地震速報。その後は臨時ニュースとなって番組は中断してしまった。最大震度は福島県の浜通りで震度5弱を記録したが、津波もなく今のところ大きな被害は伝えられていない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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5月19日(木)

 比嘉康雄さんの写真集(正確には図録)『母たちの神』を、やっと手に入れた。ヤフオクに出品されていたもので、日曜日に落札して一昨日届いた。落札価格は4,300円だったが、200円引きのクーポンがあったので、4,100円。これに送料とコンビニ決済の手数料。元々の販売価格は3,505円+税だが、これでも安く手に入れられたと思う。
 この本は比嘉康雄さんの没後10年を記念して沖縄県立博物館・美術館で2010年11月2日〜2011年1月10日まで開催された同名の写真展『母たちの神ー比嘉康雄展』の図録として作られた。残念ながらこの頃は沖縄ではなく奄美大島に住んでいたので、写真展を見ていない。沖縄に引っ越してからせめて図録だけでもと思い、博物館・美術館に買いに行ったが売り切れになっていた。那覇に住んでいた2年間に沖縄県立図書館で2回借りて見ているが、どうしても手元に置きたかった。
 比嘉さんの代表作でもある『神々の古層』シリーズ全12巻は、一つの祭り、あるいは一つの地域の祭りを1冊の中に写真と文章、時に図解も交えて仔細に記録している。しかし、『母たちの神』は、奄美群島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島の様々な祭祀を一冊に放り込んで<序章><神迎え><神崇め><神女><神願い><神遊び><神送り>という7つにカテゴライズして掲載している。これは琉球の祭祀の行われる流れに沿った構成だ。
 掲載されている写真は162点で、『神々の古層』シリーズなどで既に発表されていた写真が91点、未発表の写真は71点。既に発表されていた写真も、プリントの違いか印刷の違いかわからないが、この『母たちの神』に掲載された写真の方がディテールが再現されていて美しい。
母たちの神
↑ヤフオクで落札した『母たちの神』。アマゾンでの販売ページ、日本の古書屋の販売ページ

 この図録の後半には何人かの識者による論文が掲載されており、その論文が示唆に富んでいる。中でも後田多 敦氐(海邦市民センター代表理事)の「古層のバトンを受け取った比嘉康雄」という文章は興味深く、県立図書館で借りた後にコピーをとってもらったくらいだ。後田多 敦氐は<琉球の祭祀と天皇の祭祀>という項目の中で、琉球処分による琉球の祭祀の変容についても触れている。ちょっと長い文章だが引用させてもらう。

 日本政府は1879(明治12)年3月、武力を背景として琉球国の併合に乗り出した。首里城は3月27日から、日本軍によって占拠されたため、国王尚泰は29日、首里城を立ち退いて中城御殿へ移転した、そして、琉球国は事実上崩壊した。
 首里城は国王の居所や政務空間というだけではなく、王権の正当性を担保した各種の儀礼を行う空間でもあった。首里城正殿の「センミコチャ」では、サンノ阿武志良礼によって毎朝焼香がなされ、城内の10か所の御嶽などでは節目に上級女神官らによる祭祀がなされていた。首里城明け渡しは、国王が退いただけではなく、祭祀空間を失うことであり、全国の祭祀を集約してきたものの喪失でもあった。
 琉球国の国権を接収した日本は中央機構を解体したが、政権交代による社会混乱を抑えるため、地方組織などを温存した。これは祭祀組織でも同様で、中央の上級女神官は廃止されたが、地方の女神官は温存され続けその報酬は昭和期まで支払われていた。
 地方の女神官組織は温存されたものの、祭祀にとっては琉球国併合以前と以後とでは、その根本的な意味が変化している。祭祀の目的だった琉球国は滅亡し、国王は不在となっていた。そして、祭祀世界を集約する首里城も日本軍に占拠されることになった。国家祭祀はその目的を奪われ、中核部分の祭祀空間や担い手を喪失してしまったのである。琉球国滅亡は、琉球の祭祀空間を支えてきた社会環境を根本から変えることになった。
~略~
 日本は沖縄統治政策の一環で、教育による「日本化」を積極的に押し進めるのと同時に、琉球の祭祀の再編を画策し続ける。1882(明治15)年に沖縄に派遣された参事院議官補の尾崎三良は、聞得大君の祭祀空間でもある聞得大君御殿を官弊社に列し天皇の体系に組み入れようと考え、外にも琉球の祭祀にとって重要な「火の神」を天照大神と関連づけようとする提案などもあった。琉球の祭祀の対象を日本の神々と結びつけていく仕掛けだ。また、昭和初期に琉球の祭祀を研究し、沖縄県にも勤めた鳥越憲三郎は、祭祀空間の一つ御嶽を神社に作り変えようと主導したりした。
 八重山では昭和期に女神官らが戦勝祈願に駆り出され、御嶽が戦勝祈願の場として使われたりした。このような祭祀の再編、天皇の体系との結合の試みは沖縄戦まで続く。日本は琉球国のために存在していた琉球の祭祀空間、祭祀対象、司祭者などを、改変して日本の祭祀と関連づけ、日本(天皇)のための祭祀へと転換させようとしたのである。

 『母たちの神』の102P、神願いの最初の写真は池間島のウハルズ御嶽で土俵のように砂を盛った場所に埋められた沢山の香炉を、神女と思しき女性たちが掃除をしているところだ。
 2013年に池間島のミャークヅツを撮影に行った時、このウハルズ御嶽を訪れた。普段は村民も立ち入り禁止の場所だが、ミャークヅツの時だけ一般人も参拝できる。その際に、この砂に埋もれた香炉を見た。最初、埋もれているのは甕だと思ったが、ニガイ(祈願)されていた神司の方に尋ねて香炉だとわかった。が、誰の香炉なのか聞いてみてもわからなかった。それがこの写真のキャプションで判明した。キャプションには「香炉は第2次大戦時、出征兵士によって奉納された」と書かれている。
 後田多 敦氐が「八重山では昭和期に女神官らが戦勝祈願に駆り出され、御嶽が戦勝祈願の場として使われたりした」と書いているが、宮古諸島でも同じように御嶽が戦勝祈願の場として使われたようだ。

うハルズ御嶽の香炉の写真
↑ウハルズ御嶽の香炉を掃除している写真。

 先日、沖縄の日本復帰50周年記念式典が行われた。沖縄がアメリカの統治下にあったことを知らない人が増えたというが、嘗て沖縄が琉球王国という独立した国家であったことを知っている人はどれだけいるのだろうか。
 奄美から与那国にかけての琉球弧の島々に次々と自衛隊が配備され、要塞化されようとしている。先の沖縄戦の時のようにまた島を捨石にするのか!と沖縄が声を上げると、中国に侵攻されてもいいのか!と中国脅威論を振りかざす声が本土から返ってくる。歴史を振り返れば、沖縄(琉球)に侵攻し武力で併合したのは日本でありアメリカなのだが。
  琉球王国は中国と冊封体制を結んでいたが、同時に日本やアジアの国々と交易を行い、中間貿易で栄えた国だ。首里城は中国建築と日本(大和)建築の融合だと言われている。朱に塗られた北殿は中国の、塗装していない南殿は日本の影響を受けた建築で、それぞれの国の客人を迎える時は、北殿と南殿を使い分けたと記憶している。
 たぶん沖縄をもう一度独立した国家に戻したいと願う沖縄県民はほとんど居ないと思うが、それでも本土に住む日本人として嘗て沖縄を武力で侵略したのは自分たち(日本)とアメリカだという認識くらいは持った方がいいと思う。

 今日は富山で最高気温が30.3℃を記録し、全国1位となった。高岡も29.2℃でほぼ真夏日。今日のお昼は今年初めての冷やし中華。天気予報を見て、昨日のうちに買っておいた。

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5月16日(月)

 一昨日、自民党の茂木幹事長が青森市で講演し、安全保障環境が厳しさを増す中、自民党は弾道ミサイルなどに対処するための「反撃能力」の保有などについて議論を進めていると説明し、その中で「立憲民主党の幹部が<ウクライナ情勢に乗じた悪乗りの議論だ>などと言っているようで耳を疑う。危機感がなく、こんな政党に日本の将来を任せるわけには行かない」と批判したそうだ。
 また、エネルギーの確保について「野党は<原発ゼロ>を繰り返し主張しているが、これがいかに非現実的かは明らかだ」とも話し、立憲民主党など野党の政策は危機感がなく非現実的だと述べたそうだ。

 茂木氏のいう弾道ミサイルというのは北朝鮮が発射しているものを指していると思うが、その標的はアメリカだろう。日本を狙うなら弾道ミサイルを使わなくても、すでに準中距離弾道ミサイル「ノドン」が日本に向けて用意されている。日本の上空といっても550kmも離れた宇宙空間を通過してアメリカを狙った弾道ミサイルを日本が撃ち落とせば(たぶん、迎撃することはできないだろうが)防衛ではなく先制攻撃とみなされるのではないだろうか。
 日本海側に並んだ原発を射程におさめたノドンは、もう10年以上前から配備されており、それにもかかわらず、これまでなんの対策もしてこなかった与党・自民党の方がはるかに危機感がなく非現実的だ。
 昨日、5月15日は沖縄が日本復帰した日で、今年は50周年にあたるとして沖縄と東京をオンラインで結んだ記念式典が行われた。テレビ中継された1時間強の式典を観たが、どの来賓者の挨拶も右から左へと耳を通り過ぎて行って心に残るものはなかった。
 今月9日から首相官邸や外務・防衛省前で辺野古新基地建設断念を訴えるためハンガーストライキを行なっていた、「辺野古」県民投票の会元代表の元山仁士郎さんが岸田首相の記念式典出席に合わせて沖縄に入り、式典会場となっている沖縄コンベンションセンター付近でハンストを実施した。この琉球新報の記事が掲載されたヤフーのコメント欄には、ハンストなど意味がないと揶揄したり現実を見ていないなどという批判が並んでいるが、現実を見ていないのはどちらだろうか。
 2019年、普天間飛行場の移設計画をめぐる県民投票を「実施しない」と宜野湾市を含む5市長が表明した時、元山仁士郎さんは宜野湾市役所の前でハンガーストライキを行った。彼のハンストだけが理由ではないだろうが、結果、2月24日に県民投票は行われ埋め立て反対が72.2%、埋め立て賛成19%、どちらでもない9%となった
 ちなみに、奄美群島は沖縄より早い1953年に日本復帰するが、この時には詩人の泉芳朗らが中心となり非暴力の運動として断食祈願を行なっている。
 「辺野古新基地建設反対、オスプレイは要らない」というと、抑止力はどうすると尤もらしく言う人がいるが、逆にオスプレイがどう抑止力になるのか教えて欲しい。オスプレイは攻撃機ではなく、あくまでも輸送機だ。それも機体はグラファイトとエポキシ樹脂の複合材で造られているという。オスプレイが南スーダンで米国人を避難させるため現地に向かった際、現地のゲリラに小火器で撃たれて被弾し退避したという過去もある。小火器で追い払われたという話しは俄かには信じられなかったが、2018年2月に沖縄北部にある安部集落の沿岸部で墜落したオスプレイの機体の映像を見て納得した。
 沖縄の人たちが配備を嫌がっているのだから凄い能力を秘めた攻撃機だと思っている人が多いようだが、機関銃で追い払われる程度の輸送機にすぎない。
 この単なる輸送機にしか過ぎず、おまけにしょっちゅうアチコチの民間空港に機体不良で緊急着陸しているオスプレイを配備するために、辺野古の海を埋め立ててしまおうとしている。しかも工事が始まってから埋め立て予定地に軟弱地盤が見つかり、政府は約7万7000本の砂の杭を打つ工事を計画している。しかし、この工事の実績はなく総工費は沖縄県側の試算では2兆5500億円になるという。2019年の国の予算が101兆4564億円(一般会計)だから国家予算の40分の一の規模だ。右派左派関係なく税金の使われ方として、単なる輸送機を駐留させるために2兆円を越える工費を投入することに疑問を持たないのだろうか。辺野古の軟弱地盤に7万7000本の砂の杭を打てば、その分泥が押し出されると思うが、その膨大な泥はどこで処分するのだろうか。これが現実的な政策だと本当に思っているのだろうか?

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普天間飛行場を飛び立ったばかりのオスプレイ
↑普天間飛行場を飛び立ったばかりのオスプレイ。尾翼が赤く塗られ竜の文字が書かれているので、隊長機だと思われる。2014年1月27日撮影。

 NHKの連続テレビ小説「ちむどんどん 」も今週から日本復帰後の物語となり、主人公の暢子は東京へ。それにしてもストーリーが雑で、いくらドラマとはいえ非現実な場面が多く驚いている。
 1975年から76年にかけて活動した関西のソウル・バンド、ソー・バッド・レビューの未発表ライブ音源『ジ・アザーサイド・ソー・バッド・レビュー』が来月22日に発売されるそうだ。高校生の頃から聴いていたが、ボーカルの北京一(キタ・キョウイチ)の読み方がわからなくて、しばらくペキン・ハジメかと思っていた。まあ、ゼンジー北京さんの弟子なので、あながち間違いでもないと思うが。
 1975年発売のアルバム『SOOO BAAD REVUE』は、今でもたまに聴く愛聴盤。 YouTubeから「最後の本音/ソー・バッド・レビュー」。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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5月13日(金)

 Photo Diaryを更新。
*2014年7月7日のPhoto Diaryはこちら
国道58号の終点
↑昨夜22時に名瀬を出航した船は、8時半頃に鹿児島新港に着いた。ターミナルからは、桜島が見えた。
 ターミナルの前にバス停があり、鹿児島駅行きのバスが停車していた。3年前はターミナルからバス停まで少し歩いた気がするし、ターミナルそのものも新しくなっている気がする。
 新幹線の発着する鹿児島中央駅で下車して、駅ビルへ。九州新幹線の時刻表を貰う。4年前に富山から鹿児島まで移動した時は携帯サイトのヤフーの路線乗り換えが重宝したが、久しぶりに検索したら携帯サイトの運営は先月末で終了し、PCとスマホのサイトだけになっていた。
 駅ビル2階の観光案内所で、3年前に両親と一緒に探し当てた父方の祖父の先祖の墓の場所を教えてもらう。墓参りに行くにあたって墓地の住所と名前を携帯のメールに送ってくれるように母親に言ったが、妹からは墓地の名前とお墓の場所を示す番号が送られて来た。霊園の名前、興国寺を告げて地図でしらべてもらい観光パンフレットの大まかな地図に印を付けてもらった。路面電車の鹿児島駅から行った気がしたが、一つ手前の桜島桟橋通で下車した方が近いそうだ。
 案内所の近くの休憩所から、携帯で今晩の宿を探す。セミダブルのベッドに洗濯機とミニキッチン、豚しゃぶの朝食が付いて3650円のビジネスホテルがあったので予約。1000円、2000円のドミトリーを泊まり歩いていたので久しぶりのホテル。
 携帯サイトから予約を入れた後、チェックアウトまでの時間、荷物を預かってもらえるかホテルに電話で確認。大丈夫だったので路面電車でホテルのある朝日通まで。
 西本願寺鹿児島別院の横にあるホテルに着いて大きな荷物を預けてから、さっそくお墓参り。朝日通にある郵便局で明日の交通費分のお金を下ろし、路面電車で桜島桟橋通へ。観光案内所で印を付けてもらった方向に歩く。だいぶ歩いたところにあった郵便局で興国寺の場所を聞くが、興国寺だけではわからないらしく富山の実家に電話して、改めて住所を確認してもらう。
 郵便局の方に地図で調べて貰ったが、道が複雑なので大雑把な方向を聞き、近くに着いたら地元の人に聞く事にする。3年前に一度来ているので近くに行けばわかると思っていたが、結局1時間半ほど探し歩いて最後はヤクルト販売のオネーさんに教えてもらって辿り着いた。霊園の入口にも興国寺の字が見当たらないので、長沢鼎の墓がある墓地と尋ねた方がわかりやすかったかも知れない。
 墓地に入る階段の途中にある花屋さんに、先祖の墓の手入れを頼んであるので尋ねる。あいにく不在で、娘さんが対応して下さる。霊園のどこに先祖のお墓があるかは娘さんではわからないので、自分で検討をつけて探す。実家に電話し、お墓に刻まれた名前を読んで確認。墓石が4つ建っているので花を4つ作ってもらい、花瓶に挿してお供えして来た。墓石のまわりの雑草を少し抜いて、お参りをする。実家の両親に見せるためカメラと携帯で写真を撮っておく。
 花屋さんに挨拶をし、桜島桟橋通の停留所まで歩く。迷わなければ20分くらいの距離だろうか。いづろ通で下りてアーケード街を歩きランチを食べられる店を探す。アーケードに七夕飾りが並んでいて、7月7日だったと気付いた。
 とんかつ屋でミックス(エビ、白身魚、コロッケ)ランチ750円を食べてからホテルへ。
 改めてチェックインし宿泊費を支払う。1泊朝食付き3650円だが、溜まっていたポイント100円を使って3550円。部屋に荷物を置き、汗でビショビショのTシャツを脱いでシャワーを浴びた。
 すっきりしたところで、ホテルから歩いて直ぐの朝日通へ。この朝日通が沖縄本島北部の奥集落を起点とする国道58号で、そして終点である。鹿児島ではわずか700mしかない58号を歩いてみようと思い、先ずは海側へ。桜島がよく見える場所からスタートして上がって行く。
 国道10号とぶつかる交差点が58号の終点だ。58号の終点は、今回の4年におよぶ長い散歩の終点でもある。終点のモニュメントはないが、交差点で西郷隆盛さんの銅像が見守ってくれていた。
 携帯を忘れて来たので、カメラで撮影した後、ホテルに携帯を取りに行きもう一度携帯で撮影。コンビニでミネラルウオーターを買ってホテルに戻り、デスクにパソコンを広げて昨日の日記のメモを書く。
 奄美のさばくり人さんから電話があった。台風で予定より早く名瀬を出たのと、さばくり人さんが観光ガイドで忙しかったため会えず仕舞いだった。しばらく話しをしていると、昨日ボクが名瀬から鹿児島に渡ったクイーンコーラル8で、さばくり人さんは徳之島から帰って来たと言う。名瀬港ですれ違ったのだ。徳之島から帰って名瀬で下船したさばくり人さんと、名瀬から鹿児島へ行くため乗船したボクはロープで仕切られた細い通路でお互いに気がつかないまますれ違っていたのだ。顔を見れなくて残念に思っていたが、気がつかないですれ違っていた事実はなんだか面白くて満足した。またいつかホントに会えればいい。
 部屋にある洗濯機に汗で汚れた服を入れ、廊下に置かれた乾燥機で乾かす。乾燥機は2台あり一台は60分100円のコイン式、もう一台はコインの投入口がない。不思議に思いフロントのオネーさんに聞くと、コインの投入口のない乾燥機は無料で使えるかもしれないと言う。洗った服を入れてスイッチを押すと、本当に無料で使えた。
 日記のメモを書き終わり、洗濯も済んだので外に出る。せっかく一日乗車券をかったのに3回しか乗っていないので、路面電車に乗りに行く。1回の乗車賃が170円なので、3回だと一日乗車券を買った意味がない。いづろ通の停留所で待ち、やってきた谷山行きに乗車すると東京の通勤電車並みに混んでいた。終点の谷山まで行くつもりだったが、郡元で鹿児島中央駅経由の鹿児島行きに乗り換える。こちらはガラガラだ。中央駅で下りて散歩したい気持もあるが、身体が気持について行かない。けっきょく高見馬場で下りて天文館の繁華街にある「のり一」というお店でラーメンの中500円を食べる。3年前にも両親とこの店に入り、ラーメンを食べた気がする。
 繁華街を少し歩き、天文館通の停留所から朝日通まで乗車。コンビニでビールを買ってホテルに帰る。昼間にシャワーを浴びたが、せっかくホテルに泊まったのでバスタブにお湯をはって入る。湯船につかるのはずいぶん久しぶりだ。
 ビールを飲み、テレビの台風情報を見てふかふかのベッドに入って眠りについた。
*本日の出費。鹿児島新港ー鹿児島中央駅160円、路面電車一日券600円、お供えの花1200円、宿泊費3550円、ミネラルウオーター100円、のり一ラーメン500円、ビール145円。写真は鹿児島市内の国道58号。少し先のT字路、西郷隆盛像の前辺りが国道58号の終点となる。
*2014年7月8日のPhoto Diaryはこちら
地元の駅

↑朝7時過ぎに、ホテル1階のレストランで豚しゃぶ付きの朝食を食べる。小鉢に入った豚しゃぶのお肉は3切れほどだが、他にだし巻き玉子、焼きたらこ、つけ揚げ、豆腐と野菜の炒り煮、山芋、納豆、サラダ、漬け物、生卵、のり、みそ汁と盛りだくさん。3650円の宿泊費でこの朝食は、とてもお得。ご飯をお替わりして、食後にフルーツとジュース、コーヒーも2杯飲んだ。
 朝食の後に荷物をまとめ、一休みしてから10時半頃にチェックアウト。フロントで明細を書いた領収書と栄養ドリンクをいただく。日記にホテルの名前をあまり書いた事はないが、この南州館はオススメです。広めの部屋で、洗濯機があり、朝食が美味しくて、栄養ドリンクまでプレゼントされて3650円。旅の最後がこのホテルで良かったな〜と思う。
 いづろ通がホテルから一番近いようだが、せっかくなので朝日通り(国道58号)まで出て、少し歩いて朝日通の停留所へ。路面電車で、新幹線の発着する鹿児島中央駅へ。2階の窓口で鹿児島中央駅から富山の実家の最寄り駅までの乗車券と、鹿児島中央から新大阪までの新幹線の特急券、新大阪から金沢までの特急券を購入。4年前に一週間以上かけて来た距離を、半日で戻る。
 11時10分発の九州新幹線さくら552号で、まずは新大阪へ向かう。ホテルでもらった栄養ドリンクを飲み、一昨日栄さんからいただいた西郷松せんべいを食べながらの道中。台風8号の影響で、新幹線は激しい雨の中を走るのかと思っていたが、鹿児島から福岡までは快晴、山口から大阪までは曇りで空も少し暗かったが、それでも雨の降る事はなかった。
 新幹線のスピードは、旅の名残惜しさや感傷を吹き飛ばす程の速さ。4時間強で新大阪に到着した。新幹線のホームで立ち食いの肉うどんを食べて、在来線の乗り場へ。
 16時16分の特急サンダーバードに乗車し、今度は金沢へ向かう。途中、琵琶湖の横を通るが、関西の水瓶と言われるだけあり、その大きさに改めて驚く。滋賀と福井は隣り。もし福井の原発に事故が起こり、この巨大な湖が汚染されたら電力会社はどう対処するつもりなのだろうか。
 19時少し前に金沢に到着し、普通電車の富山方面行きに乗り換えて、実家の最寄り駅で下車。暗い道をトボトボと歩いて、玄関を開け、ただいま。長い長い散歩が終わった。写真は実家の最寄駅。

 これで2010年5月30日から2014年7月8日までの、4年余りの記録を振り返る旅が終了した。たぶん、この4年間には嫌なことも辛いこともあったはずだが、こうして振り返ると夢のような楽しい時間が過ぎている。お付き合いいただきありがとうございました。

5月10日(火)

 一昨日の夜、酷い鼻づまりで目が覚めた。花粉症のせいかと思うが、それともこのところの気温の変化で体調を崩して風邪を引いたのだろうか。昨日は食後に葛根湯を飲んだら、今日は症状が治ってきた。
 今月15日で沖縄の日本復帰50年だが、それに合わせて<「辺野古」県民投票の会>元代表の元山仁士郎さんが、辺野古の新基地建設断念を求めるハンガーストライキを首相官邸前で行なっている。元山さんは署名サイトchange.orgで、岸田政権に辺野古新基地建設断念を求めるキャンペーンも始めている。署名はこちらから。

 元参院議員で会社役員の山下八洲夫氏が、現職の国会議員になりすまして東海道新幹線のグリーン券を騙し取るなどしたとして、詐欺と有印私文書偽造・同行使の疑いで逮捕された。自民党の議員か?それとも維新?と思ったら立憲民主党で、岐阜県連の常任顧問を務めているそうだ。ぜひ厳罰を。

 先日亡くなられた俳優の渡辺裕之さんが、ジャズ・ドラマーでもあったことを最近になって知った。YouTubeに映像があり、そのドラミングの巧みさに驚いている。こちら

 Photo Diaryを更新。
*2014年7月4日のPhoto Diaryはこちら
7月4日のスナップ。那覇から名瀬へ向かうフェリー
↑朝4時にセットしておいた携帯のアラームで起床。荷物をまとめて、ゆんたくルームへ。しばらくボーッとしてから5時20分頃に宿を出る。自転車で那覇港を目指して走っていると、ブルーの空に茜雲。まだ閑散としている国際通りの空に、美しい朝焼けが広がっていた。
 那覇港に到着して、チケット販売の窓口が開く6時まで椅子に座って待つ。窓口が開いて、那覇から名瀬までの乗船料と自転車の運搬料を支払う。6時半頃、自転車を車両の出入り口から積み込み、自分も乗船。2等和室の大部屋に場所を取り、甲板から那覇を出航する様子を眺める。
 那覇港を出て直ぐ右手に、2月15日(旧1月16日)に十六日祭を撮影に行った離島出身者が遥拝をする三重城が見えた。
 7時に那覇を出航した船は、沖縄本島の本部港、与論島を経由して沖永良部島へ。沖永良部島で沢山の牛を入れた籠を積み込んだため、その後の到着時刻が遅くなった。そう言えば名瀬から那覇に引っ越した時、荷物を安く運ぶため、この牛や野菜を入れる籠に積んで引っ越しをしたのだった。
 徳之島を経て奄美大島の名瀬港に到着したのは、予定時刻より50分程遅い21時20分。車両置き場の隅に置いてあった自転車を引っぱって下船。待合所の前で、今晩宿泊するゲストハウスを手配して下さった群島鳥類研究所の恵沢さんと待ち合わせ。恵沢さんの車に荷物を乗せてもらい、その後を自転車で追いかけて行く。
 屋仁川の奥にある宿に着いて、宿泊名簿に記入し宿泊費1500円を支払う。入口のソファーに座りコーヒーを飲みながら、暫し恵沢さんと四方山話し。
 朝は昨日の残りのカツ丼、フェリーが与論島に着いた頃に船内のレストランでカレー、徳之島を過ぎた辺りで昨日スーパーで買ったきつねうどんを食べたが、なんだかお腹が空いた。恵沢さんが帰った後、グリーンストアーで値引きされたお弁当とビールを買って来る。シャワーを浴びようと思ったらホースが抜けていて驚いたが、宿の方に言って取り付けてもらい無事にシャワーが浴びれた。買って来たお弁当とビールで遅い晩ご飯にして、就寝。今夜は他に宿泊者はおらず、2段ベッドが3つ(1つは荷物置き場になっている)置かれた部屋を一人で独占している。
*本日の出費。那覇ー名瀬乗船券10050円、自転車運搬料1700円、カレー500円、宿泊費1500円、弁当198円、ビール156円。写真は那覇から名瀬へ向かうフェリー。
*2014年7月5日のPhoto Diaryはこちら
7月5日のスナップ。嘗て2年間ほど住んだメイスイビル
↑夢を見た。名瀬に住んでいた時に、毎日のように海を眺めていた朝仁海岸へ遊びに行こうと思って自転車で出掛けるが、海岸への道を忘れてしまう。あれこれと道を曲がるが、辿り着かない。どうもおかしいと思ったら、それは富山の実家の近くの道だった。そろそろ旅を終わらせる頃なのだろう。
 変な夢で目覚めてから、自転車で朝仁海岸へ行ってみる。夢とは違い、毎日のように通った道はちゃんとあり、懐かしい海岸が見えた。
 宿に戻り、1泊延長してもらい、宿泊費1500円を支払う。ベッドの上にパソコンを広げ、昨日の日記のメモを書く。
 12時過ぎ、お腹が空いたので外へ食べに行く。名瀬に住んでいた頃、時々ランチを食べに行った矢之脇町のお店で日替わり定食の焼肉600円。焼肉の他に付け合わせで、きんぴら、里芋の煮転がし、キャベツのサラダ、漬け物2種、みそ汁、ご飯と充実の内容だった。
 食べ終わり、もう一度朝仁海岸へ行き、先日波照間島でしたように、もう一本取って置いた大きい方の親知らずの歯を海に投げ入れて来た。朝仁海岸の近くにあるスーパー・タイヨウも住んでいた時によく買い物に来たので覗いてみると内装が変わってスッキリとしていた。この店に髪の毛のとても長い女性が働いていた。三沢あけみの歌う「島のブルース」に登場する、長い黒髪、島娘よーとはこんな娘だろうかと勝手にイメージしていた。いないだろうかと探してみたが、見つける事はできなかった。 
 朝仁海岸から海沿いの道路を走り、小宿漁港へ。漁港から山側に自転車を走らせて、昨日宿へ案内して下さった恵沢さんの家に向かう。2時間程雑談をし、朝仁海岸、名瀬中心街、山羊島、大熊漁港と自転車でまわる。
 大熊漁港の売店の横に、食事のできる休憩所が出来ていた。今日はカツオの幟が上がっていて、売店にはカツオの刺身が並んでいた。
 大熊漁港から、ぐるっとまわって名瀬港のフェリー乗り場へ。台風8号の影響を聞きに行くと、既に7日の鹿児島行きは欠航が決まっていた。
 グリーンストアーでミネラルウオーターと油ソウメンを買って帰る。
*本日の出費。宿泊費1500円、焼肉定食600円、富士のおいしい水98円、油ソウメン230円。写真は嘗て住んでいたメイスイビル。
*2014年7月6日のPhoto Diaryはこちら
7月6日のスナップ。栄さん一家
↑朝6時にセットした携帯のアラームで起床。顔も洗わず自転車で朝仁海岸まで一っ走り。もう少し名瀬に滞在したかったが、明日の鹿児島便は欠航が決まっているので、今日の夜の船で鹿児島に渡る事にした。
 宿に戻り歯を磨き顔を洗い、8時に屋仁川のライヴハウス、アシビの前へ。既に栄さんの車が待っていた。2年ぶりの再会。車に同乗して、小湊にあるパッションフルーツのビニールハウスへ行く。台風8号が接近しているので、その前になるべく沢山収穫しておく事になり、そのお手伝いだ。
 パッションフルーツの受粉作業は3年前にしたことがあるが、収穫は初めてだ。3年前は収穫する前に大型の台風が来て、大きくなり始めた実が落とされてしまったのだった。
 栄さんから実の穫り方を教わり、色付いた実を丁寧に収穫して行く。ビニールハウスの中はサウナの様に湿気があり、あっという間にTシャツがびしょ濡れになる。近くの農園が飼っている子猫が3匹遊びに来て、エサが欲しいのか足下にまとわりついてじゃれている。収穫した実を入れるカゴを乗せた荷車を移動しながら作業しているので、荷車で猫をひかないか気が気じゃなかった。
 2時間半程で作業は終了し、名瀬市内の工場へ収穫したパッションフルーツを持って行く。工場で栄さんの奥さんとも再会。車で宿まで送ってもらい、汗でビショビショの服を着替える。
 4年前に名瀬のニシムタで買って、奄美で2年、沖縄で2年乗った自転車を泊まっているゲストハウスに貰ってもらった。この自転車で、喜界島も徳之島も沖永良部島も与論島も沖縄本島も座間味島も走った。錆びて折り畳めなくなった折り畳み自転車だが、もう少し奄美の中を誰かが走ってくれたら嬉しい。
 宿でしばらく休んでから、もう一度迎えに来て下さった栄さんの車で島とうふ屋さんへ。ここで栄さんの奥さん、3人の娘さんたちと合流して昼ご飯。長女と次女は名瀬に住んでいた時に何回も会っているが、福岡で働いている三女は初めましてだった。
 注文した湯葉春巻きセットは、相変わらず色んな小鉢が付いて来て完食するのが大変だった。
 島とうふ屋を出て、みんなであやまる岬へ。天気が良くて、空の色も海の色も奇麗。沖には喜界島も見えた。
 あやまる岬から、きょら海工房へ。海の眺められる席に座り一休み。
 お店を出て、今日福岡へ帰る三女を見送りに、みんなで奄美空港へ。搭乗口の前で私が家族写真を撮影し、見送った。
 空港から名瀬の工場に戻り、出荷準備のできているパッションフルーツを青果市場に持って行く。
 18時頃、居酒屋むちゃかなで、松元さんご夫婦と合流。波照間島で買った泡盛、波照間のミニボトルを開けてみんなで少しずつ呑んでみた。
 名残惜しいけれど、20時頃に栄えさん家族、松元さんご夫婦と別れて名瀬港へ歩いて行く。ターミナルに着いて、乗船カードに記入して鹿児島までのチケット10310円を購入。今日の船はマリックスラインのクイーンコーラル8だった。
 名瀬への入港は通常20時30分だが、少し遅れて21時10分頃に船が到着。乗船し、2等の和室に荷物を下ろす。出航する直前に屋上のデッキに上がり、夜の名瀬港を眺める。高校の野球部が乗船したようで、その応援なのか見送りなのか上半身裸の高校生たちが大きな声を上げて踊り始めた。
 22時に船は出港。立ち神岩の灯台が小さな明かりを点す港を、船は静かに出て行った。しばらく暗くなった島影と月と雲を眺めてから、2等の大部屋に戻り泡盛をちびちびと呑む。ウトウトしながら、いつの間にか眠りについた。
*本日の出費。名瀬ー鹿児島乗船券10310円。写真は栄さん一家、

5月7日(土)

 ゴールデンウイークも明日で終わり。といっても奄美大島に向かった2010年から現在まで、ずっと一人でゴールデンウイークをやっているような生活だけれど。だからという訳ではないが、遠くへ出かけるでもなく家で小説を読んでいた。
カディスの赤い星
 この何年かは資料となる本ばかり読んでいたので、小説は久しぶりだ。読んだのは逢坂剛さんの『カディスの赤い星』。上下2巻合わせて830頁ほどある長編で、読むのはこれで4回目か5回目。前回は沖縄から帰ってきた2014年の7月に読んでいる。あらすじは大体頭に入っているが、ディテールは結構忘れているので何年かに一度読み返したくなる。
 カディスの赤い星と呼ばれるダイヤが埋め込まれた、名工<サントス・エルナンデス>作のギターに取り憑かれた男たちと、長期にわたりスペインを独裁したフランコ総統の暗殺計画が複雑に絡み合うハードボイルド・タッチのサスペンス小説。逢坂氏はこの小説で、1986年に直木賞と日本冒険小説協会大賞、1987年に日本推理作家協会賞を受賞している。
 何人かの読書好きな人と『カディスの赤い星』について話したことがあるが、面白いけれど長すぎるという感想が出てきた。しかし、話の筋とは直接関係のないディテールの描写が読み手に感情移入させるし、そのことで最後のドンデン返しがより鮮やかになっていると思う。
 小説の舞台は東京とスペイン。スペインはマドリード、グラナダ、カディスが登場する。どこも1986年にスペイン・ポルトガルを一人で旅した時に行ったことのある場所なので、街の様子が浮かんでくる。だから何回も読み返したくなるのかもしれない。
 グラナダではアルハンブラ宮殿と、ジプシーの洞穴住居で有名なサクロモンテ、隣接するアルバイシン地区が舞台となっている。初めてフラメンコを観たのは、アルバイシン地区にあった「レイーナ・モナ」というタブラオで、サクロモンテの洞穴BARで知り合った手織りのタペストリーを作っているアンドレスに紹介してもらった。サクロモンテのフラメンコは観光客相手で、カスタネットを売りつけられることもあるからと、アルバイシン地区のこのタブラオを勧めてくれた。
サクロモンテの洞穴BAR
↑サクロモンテの洞穴BAR。客の男たちは順番にカンテを熱唱していた。
アンドレスの洞穴の家
レイーナ・モナのフラメンコ

↑サクロモンテの洞穴BARで知り合ったアンドレスの家。奥さんが日本人だというので、訪ねさせてもらった。

 アンドレスは家族とサクロモンテの洞穴に住んでいて、奥さんが日本人だというので訪ねて行った。白く塗られた洞穴の中はキッチン、寝室、リビング、作業場といくつかに仕切られており、「洞穴の中は冬は暖かく夏は涼しい」と、その日本人の奥さん原田さんが教えてくれた。
 カディスはジブラルタル海峡を渡ってモロッコを旅した後、ポルトガルに入る前に何日か過ごした。カディス県の南端にありジブラルタル海峡に面した港町・アルヘシラスは、モロッコへの行きと帰りに立ち寄っている。アルヘシラスは、ギタリスト、パコ・デ・ルシアの生まれ故郷だ。

←アルバイシン地区にあったタブラオ「レイーナ・モナ」でのフラメンコ。レイーナは王女の意味。

↓カディスに着いたら、キリスト教のフィエスタの日だった。

カディス
 この『カディスの赤い星』に限らず、家の書棚には読み返したくなる本がまだまだたくさんある。読み返したい本と聴き返したいレコードやCDを楽しむだけでも残りの人生がいっぱいいっぱいだと思うが、懲りずに新しく本やCDを買ってしまう。
 逢坂剛さんは小説家の顔の他に、フラメンコのギタリストとしての顔もお持ちだ。小説の重要なアイテムとなっているサントス・エルナンデスのギターを弾いてフラメンコの伴奏をしている映像がYouTubeにあった。こちら
 因みにサントス・エルナンデスで検索すると、ギターが1本440万円で売りに出されていた。
フォトブックの新作
 久しぶりにbookのページに新作を追加しました。『しまねこ 奄美・沖縄 神々の島の、役立たずの天使たち』と『BACK SHOT その眼差しの先にあるもの』の2冊です。共にA5版スクエア、1600円(メール便・送料込み)での販売です。
 ご注文はmailから、お願いいたします。

5月4日(水)

 今日、沖縄が梅雨入りした。平年より6日早く、昨年より1日早いそうだ。富山は快晴で、高岡の最高気温は25℃の夏日となった。風は少し強かったがサイクリング日和で、運動と日光浴を兼ねて1時間ほど小矢部川の土手を走って来た。
小矢部川
ヨモギ

 小矢部川の土手の左右に、ヨモギの葉っぱがワサワサと生えている。ヨモギを入れた草餅は好きだが、自分で作れるわけでもないので摘むこともなく帰って来た。昔は小矢部川の土手だけではなく、国道8号線の脇にもヨモギやツクシが生えていた。
 今日の「ちむどんどん 」で暢子たちが、フーチバーやイカスミ、シークワサーなどを練り込んだ沖縄そばの麺を試作していた。

 フーチバーは南西諸島に自生するニシヨモギ。同じキク科だが、普通のヨモギより苦味が少ないようだ。沖縄そばやジューシー(混ぜご飯)の薬味にしたり、ヤギ汁に入れて匂い消しにしたりする。

 持っていたCDをiTunesに取り込んだら、今まで聴いていなかった音楽の素晴らしさを再発見した。
 カサンドラ・ウイルソンは1992年リリースの『ダンス・トゥ・ザ・ドラムス・アゲイン』と1996年リリースの『ニュー・ムーン・ドーター』を持っていた。多分、リリースされた当時に買ったと思うが、ほとんど聴いていなかった。買ったはいいが、良さがわからずに棚に仕舞われていたのだろう。
 それがiTunesに入れて何気に鳴らしてみたら、その低く嗄れた声にハマってしまった。ジャズ・ボーカリストということになっているけれど、レパートリーは広くスタンダード・ナンバーやポップスも歌う。せっかく持っていたのに、何十年も聴かずに棚にしまっていたのかと後悔している。
 そう言えば、昨年の春はiPodに入れてあったのに全然聴いていなかった朝崎郁恵さんの『うたばうたゆん』の良さを再発見して、ヘビーローテーションでかけていた。
 YouTubeから「Harvest Moon/カサンドラ・ウイルソン」「 Time after time/カサンドラ・ウイルソン」。

 Photo Diaryを更新。
*2014年7月1日のPhoto Diaryはこちら
7月1日のスナップ。山羊の散歩
↑8時半過ぎにゲストハウスをチェックアウトして、自転車でとまりんへ。とまりんから座間味青少年旅行村に電話をして、キャンプの申し込みと一人用テントの予約。
 泊〜座間味港の往復乗船券4030円を購入し、コンビニでパンとミネラルウオーターを買ってフェリーざまみへ。乗船する前に貨物の受付所で、自転車を預ける。自転車を折り畳めば手荷物で無料のはずだが、奄美と沖縄の潮と雨ですっかり錆びて、折り畳めない折り畳み自転車になってしまった。それでも自転車の運賃は往復で760円、島で自転車を借りるよりは安くつく。
 船は10時過ぎに泊港を出航し、阿嘉島に寄港してから12時過ぎに座間味に着いた。港の観光案内所で観光パンフレットをもらい、船で運んで来た自転車に乗って座間味集落のレストランへ。日替わり定食のラフティー700円を注文。 
 レストランから青少年旅行村に電話し、座間味に着いて食事をしているので13時頃に到着予定と告げると、テントの骨組みを作っておいてもいいですか?と受付の女性。申し込む時にテントの設営をした事がないと言っておいたので、気を使って下さったようだ。
 座間味集落からキャンプ場のある阿真集落へ。受付には、すでに組み立てられたテントが置かれていた。
 キャンプ場の使用料300円、テント代1000円、保証金1000円を支払い組み立てられたテントを移動。中に荷物を入れ、海水パンツに着替えて目の前の海へ。
 泳ぎ、海の中を沖まで散歩し、海水にただ浸かったりしながら14時から17時までの3時間程を海岸で過ごした。
 シャワーを浴び、自転車で集落を散策。家の敷地に、火の神を祀ったと思しき祠を設置した家がたくさんあった。集落の入口にあるレンタルショップでシュノーケリング道具の料金を尋ねると、セットで一日500円。明日は初シュノーケリングに挑戦してみようか。
 集落から展望台へ行く道の途中に、山羊を散歩させている光景に出会った。草を食べさせながら歩いているようだが、よく見る白い山羊ではなく黒や茶色、まだらの山羊だ。山羊を引き連れて歩いている男性に話を聞くと、外国の種で食用ではなく乳を搾ってチーズを作ったりするらしい。
 山羊の散歩を追い越して、展望台へ。360°のパノラマで、阿真ビーチも太陽が沈む外洋も見える。18時過ぎから19時半頃までいて慶良間諸島の夕暮れを観賞。
 テントに戻りパソコンを広げるが、狭くて暗くて暑いのでデータのバックアップだけにして、日記用のメモは明日の朝にする。朝買ったパンと、昨日スーパーで買ったバナナと魚肉ソーセージで晩ご飯。する事もないので泡盛を瓶からラッパ飲みして寝ようとするが、テント内はサウナのように暑くて眠れない。虫が入って来てもいいから入口2ヶ所のファスナーを開けて風を通す。
 多少蚊に刺されるが涼しくなって寝入ったところに、近くのコテージから花火や騒ぎ声が聞こえて何度か目を覚ます。
*本日の出費。ミネラルウオーター98円、レーズンバターロール152円、ミニチョコクリームパン100円、泊ー座間味島往復4030円、自転車運搬往復760円、ラフティー定食700円、キャンプ場使用料300円、一人用テント1000円、保証金1000円。写真は座間味島で出会った山羊の散歩。
*2014年7月2日のPhoto Diaryはこちら
7月2日のスナップ。座間味の海とサバニ
↑朝6時頃に目を覚ましたので、昨日書けなかった日記用のメモを作る。
 炊事場で顔を洗ってテントに戻る時、どこかで見た顔の女性とバッタリ。先日、波照間島の民宿で一緒になった団体の中のお一人だった。向こうも気付いたようで、座間味での再会にビックリしていた。
 彼女たちは、波照間から宮古島経由でサバニに乗って座間味に渡って来たという。昨日の夜中、キャンプ場に到着した団体がいて、どこから来たのだろうかと思っていたが、彼女たちだった。
 彼女たちの乗って来たサバニは最大級の大きさで、8人で乗船して来たという。女性は彼女を含めて3人だろうか。座間味から本拠地の名護に戻り、それから奄美大島に向かうということなので、また名瀬でバッタリ会うということがあるかも知れない。
 8時頃、昨日見つけたレンタルショップでシュノーケリングのセットを借りる。テントに戻り、海パンに着替えて海岸へ。初めてのシュノーケリングで呼吸の仕方が難しい。今日は9時半頃が満潮らしく、まだずいぶんと海が深い。足の届く範囲で、練習を兼ねて潜ってみる。
 2時間ほど海に入り、2時間ほどテントで昼寝。12時頃になって、再びシュノーケルセットを持って海岸へ。朝方よりも少し海水が引いている。足の届く範囲がだいぶ広がった。呼吸の仕方も少しだけ上手になった。近くで亀がいるぞ〜と言う声が上がったので泳いで行く。潜ると浅い海底で亀が泳いでいた。
 14時少し前までシュノーケリングを楽しみ、シャワーを浴びて着替え、レンタルショップに用具を返却に行く。テントを片付け、荷物をまとめてキャンプ場の受付へ。テントをチェックしてもらい、損傷も欠損もなかったので昨日払った保証金が返って来た。16時のフェリーで那覇に戻るが、今日の宿を決めていないのでネットで検索し、牧志のサンライズ商店街にある1泊1200円のゲストハウスを予約した。
 キャンプ場から自転車で座間味港へ。朝から魚肉ソーセージとパンの残りしか食べていなかったので、天ぷらの売店に行くが、今日は定休日だった。がっかりしながら集落のスーパーへ自転車で向かっていると、昨日のキャンプ場の受付の女性とバッタリ会う。2泊するかもしれないと昨日言っていたけれど、亀も見れたしシュノーケリングも楽しんだので今日の船で帰る事を告げる。
 スーパーでカレーパンとお菓子を一つ買ってフェリー乗り場へ。貨物の取り扱い所で自転車を預けて、乗船までの間、待合所で一休み。15時半になって乗船開始になり、16時に出航した。
 途中、阿嘉島に寄港し2時間ほどで泊港に着いた。船に預けていた自転車を受け取り、牧志のゲストハウスへ。泊高橋の交差点で、先月の9日まで住んでいたビルを見る。陽に当り白く光っているビルはなんだかよそよそしく見え、此処に住んでいたのはずっと昔のような気がして来た。
 ゲストハウスに到着し、宿泊名簿に名前を書き、1200円を支払う。施設を案内してもらい、ドミトリーへ。荷物を置いてコンビニへ行き、ミネラルウオーターとビールを購入。宿に戻り、パソコンを広げて写真データのバックアップ。洗濯とシャワーを済ませて、日記用のメモを作るが、途中までで断念。明日は早朝の農連市場を見に行きたいので、携帯のアラームを5時にセットして就寝。
*本日の出費。シュノーケルセット500円、カレーパン140円、お菓子144円、宿泊費1200円、ミネラルウオーター101円、サザンスター140円、乾燥機使用料100円。写真は座間味の海とサバニ。
*2014年7月3日のPhoto Diaryはこちら
7月3日のスナップ。農連市場のラジオ体操
↑朝5時にセットしておいた携帯のアラームで起床。少しボーッとしてから宿を出て、農連市場へ歩いて行く。
 昭和28年に開設された農連市場だが、再開発のために来年辺りから取り壊しが始まると聞いて、撮影に来た。お昼頃の農連市場は何度となく訪れているが、市場が活気のある早朝は初めてだ。
 活気があると言っても、野菜や果物を並べているおばさんたちは、そんなに多くない。市場の中のベンチでカメラのコンパクトディスクを交換していると、隣りで休んでいたオジさんに、それはフィルムかと話しかけられた。このカメラはデジタルで、フィルムの代りにこのカードに記録する事を説明する。オジさんは市場の関係者のようで、早朝の3時頃から6時頃が賑わうそうだが、昔のように売り手が沢山並び、買い物客でごった返すような事はなくなったと話す。
 6時半になって、市場内にラジオ体操の音楽が流れ、オバさん2人とオジさん1人が体操を始めた。そう言えば沖縄に来て直ぐの頃に、牧志公設市場周辺のアーケードを散歩していたら、突然ラジオ体操の音楽が流れてお店のオバさんたちが道に出て来て体操を始めたこともあった。
 市場に着いた頃はまだ薄暗かったが、ラジオ体操の始まった頃にはすっかり日が昇り、キラキラと空がまぶしくなった。7時近くまで市場とその周辺を散策し、神里原社交街を通って宿に帰った。
 泡盛を少しラッパ飲みしてベッドに入り、3時間程睡眠。起きて、宿の受付で延泊にしてもらい今晩の宿泊費1200円を支払う。ベッドにパソコンを広げて、昨日断念した日記のメモを書く。
 日記のメモを書いた後、しばらく休んでからお昼ご飯を食べに那覇港の波布食堂へ。那覇は昨日以上に快晴で、夏空だ。13時頃に着いたら、ピークの時間を過ぎていたのか混雑はなかった。注文した750円のカツ丼は、マンガの様なてんこ盛り。辺土名の波止場食堂のカツ丼はトンカツが2枚半乗っているが、こちらは2枚のようだ。カツも少し薄めだが、ご飯の量がハンパない。お持ち帰り用のプラ容器に汁のしみ込んだご飯をびっしりとカツを2切れ詰めて持ち帰り、宿の冷蔵庫で保存。
 そろそろ沖縄を離れる時期かなと思い、明日はホテルに泊まろうと検索するがドミトリーしか空きはないようだ。名瀬から那覇に借りる部屋を探しに来た時に宿泊した、辻にあるビジネスホテルを当てにしていたのだが、考えたら明日は金曜日で、沖縄は梅雨明けの観光シーズンだった。
 もう明日、沖縄から奄美へフェリーで渡ろうか。そう思い、さっきカツ丼を食べに行ったばかりの那覇港へ。明日の運航はマリックスラインのコーラルプラスだった。那覇を7時に出航し、名瀬には20時半頃の到着予定。運賃は1万50円に、自転車を持って行こうと思うので1700円。合計で11750円。
 那覇港から波の上の方へ自転車を走らす。途中気まぐれに路地に入ったら料亭左馬の角に出て、まさに取り壊しの真っ最中だった。料亭街だった辻の面影がまた一つ消えて行く。
 そのまま辻の街を自転車で走り、先日天皇陛下がお見えになった対馬丸記念館へ。いつでも来れると思って入っていなかったので、見て来ようと思ったら休館日だった。そういう巡り合わせだろうと思い、記念館の裏手の方にある小桜の塔だけ見て来た。小桜の塔から波の上ビーチに寄り、前島のスーパーでビールやスポーツドリンク、パンなど買って宿に帰る。
 明日泊まる宿を、奄美の知人に電話で相談。シャワーを浴び、洗濯をし日記用のメモを書く。
*本日の出費。宿泊費1200円、カツ丼750円、スーパーで(スポーツドリンク139円、サザンスター102円、久米仙グリーンペット284円、明治ヨーグルト82円、日清きつねうどん93円、パン99円、レジ袋3円、消費税64円)。写真は農連市場のラジオ体操。

5月1日(日)

 5月は雨でスタート。この雨で、3年ぶりに7基揃って行われるはずだった高岡御車山祭りの曳山巡行が中止になった。
 シンガー・ソングライターの小坂忠さんが、先月29日に亡くなった小坂忠さんは、撮影したい男性ボーカリストの一人だった。80年代前半、町田市鶴川のアパートに住んでいた時、道路を挟んだ向かいの家の奥さんが熱心なクリスチャンでよく教会に誘われた。教会に行くことはなかったが、その時に小坂忠さんが教会でゴスペルを歌っているのを知った。
 それにしてもアルバム『ほうろう』の、なんと名曲揃いなことか。YouTubeから「機関車/小坂忠」「ゆうがたラブ/小坂忠」。
 毎日毎日迷惑メール、詐欺メールが届く。少し前まではamazonを騙る詐欺メールが多かったが、このところ多いのはauPAYを騙る詐欺メール。それも度を越して頻繁に送りつけられる。早朝5時50分から7時24分という僅か1時間半ほどの間に7通。ここまで来ると詐欺じゃなくて嫌がらせだな。

auPAYの迷惑メール

 下の写真にある2枚のポジフィルムも、物置のダンボールの中に入っていた。写っているのは女優の結城美栄子さんで、近畿日本ツーリストの発行していた旅行誌『ジョイフル』の1991年9月号「焼きもの特集」で撮影した。結城さんは女優の顔の他に、陶芸家の顔もお持ちで陶芸作品を撮影した写真集も出ている。
 フィルムを挟んだマウントに左は「ノーフィルター」、右は「81A +1/2」と書かれている。81Aはコダックのアンバー系のフィルターで、左はフィルター無しの撮影、右はアンバー系のフィルターをレンズの前に付けて撮影している。人の肌をキレイに、あるいは健康的に写すにはどうすればいいか試行錯誤していた頃で、いろんなフィルターを試していた。撮影時間に余裕がある仕事の時には、こうしてテストをしてデータを蓄積していた。
 今ならフィルターなど使わなくてもRAW現像時にスライダーをちょっと調整するだけで肌の色を変えられるが、昔はフィルターをレンズの前に付け、その分絞りを開けたり増感現像してと手間がかかっていた。
 ちなみに、この頃の『ジョイフル』編集長は有本香氏。旅行誌なので地方での撮影が多く取材で彼女と一緒になることは基本的になかったが、一度だけ、都内にある写真家の前田真三さんの家へ取材で伺った時に、どういうわけか彼女が同席した。

結城美栄子さん
ゼラチンフィルター

←当時使っていた、コダックのラッテンフィルターとフジのCCフィルター。上部に少し写っているのは堀内カラーのフィルターケース。そしてレンズに取り付けるフィルターホルダー。昔は各色濃度の違うフィルターを揃えていたが、久しぶりに見ると少なくなっていた。消耗品なので、あまり使わないフィルターは補充しなかったのか、どこかに仕舞って忘れているのか。

 Photo Diaryを更新。
*2014年6月28日のPhoto Diaryはこちら
6月28日のスナップ。栄町市場屋台祭り

↑朝9時過ぎにゲストハウスを出て、バスターミナルへ。空港までの乗車券540円を購入して、9時30分のバスに乗車。40分ほどで空港に着き、スカイマークのカウンターへ。昨日電話で予約した11時50分発那覇行きの便のチケットを購入。一日前に予約を入れたので、通常5100円が4400円。安い。
 いつも通り搭乗手続きをさっさと済ませて、出発ロビーでのんびりと過ごす。11時40分頃から搭乗が始まったが、那覇空港の滑走路が混雑しているため、離陸は12時20分頃になった。
 那覇へ向かう途中、上空から多良間島、伊良部島がよく見えた。けっきょく多良間島へは、行けずじまいになってしまった。
 13時10分頃、那覇空港に到着。預けた手荷物を受け取り、モノレールで県庁前駅へ。駅の駐輪場にとめて置いた自転車に乗って、昨日じゃらんで予約したゲストハウスへ。チェックイン時間を15時にしておいたが、1時間早い14時にチェックインさせてもらった。宿帳に名前を書き、2日分の宿泊費2000円を支払う。まだベッドメーキングが出来ていなかったので、荷物を置いて外に出る。
 昼ご飯に何を食べようか悩んだ末に、泊いゆまちの中に入っているまぐろ丼のお店で、500円のまぐろ丼を注文。ちょっと遅めの昼食を食べ終わり、国際通りへ。沖縄に来て2年経ったが、一度も入った事のない三越へ。沖縄三越は5月19日に閉店の発表をし、9月21日に57年続いた歴史にピリオドを打つ。住んでいた部屋のベランダから三越の円形のタワーがよく見えたが、タワーの中には入れないようだ。
 三越を出て、国際通りを挟んで斜め前にあるドン・キホーテへ。那覇OPA(オーパ)の跡地に、昨年の11月28日にオープンした店舗だ。とりあえず1階から順にフロアーを見て回る。なんだか物が溢れている。
 波照間の共同売店で、冷蔵庫に入っていた3個1パックの納豆を買おうかどうしようか迷っている内に、ひょいとオジさんが2パックしかない納豆を2つとも買って行った時のショック。そんな経験をした後で那覇の街を歩くと、とても同じ沖縄とは思えず、那覇の物の多さに改めて驚く。
 だんだんと空模様が怪しくなって来たので、平和通りの糸洲雨合羽店へ。折り畳みも良いなと思い1本広げてみたが、どうも仕舞い方が上手く出来ない。お店のオバさんによると最新の方式らしい。折り畳み傘は断念して、消費税込み250円の普通の傘を買う。
 平和通りを出ると、さっそく雨。桜坂劇場の1階の本と雑貨のコーナーで雨宿り。
 雨がやんだ頃を見計らって、栄町市場に向かう。今日は栄町市場の屋台祭り。毎年6月から11月までの最終土曜日に開催されており、今年最初の屋台祭りだ。会場に着き、缶ビールときゅうりの一本漬けを買って、始まりを待つ。
 屋台祭りが始まったのは17時40分過ぎだったろうか。昨年の11月に感謝祭を見た時、来年の屋台祭りが始まる頃は沖縄を離れていて見れないのだろうか・・・と寂しい気持になったが、八重山から帰ってそのまま栄町市場の屋台祭りに参加できて嬉しかった。
○プログラムから
栄町市場婦人会 かぎやで風/フェニックスエイサー/新城カメーと童ばあたー/栄町市場シンガーズ/島唄 永楽/NOVA from ロンドン/おばあラッパーズ/マルチーズロック/カチャーシー

 屋台祭りの途中、栄町市場の子供たちがお化け屋敷のチラシを配っていたので、行ってみた。市場の中の民家の2階を子供たちが、お化け屋敷に改装したらしい。階段を上がって普通の住宅の2階へ。小さな女の子が玄関に立って受付をしている。暗い部屋は段ボールで仕切った通路が出来ていて、その中を歩く。歩いていると段ボールの下の方から手が伸びて来る。怖くはないが、時々叩かれて痛い(笑い)。撮った写真を後で見るとけっこう怖いメークをしているのだが、部屋が暗過ぎてわからなかった。お化け屋敷の滞在時間は5分程だったろうか。
 屋台祭りの演目と演目の間に市場の中の路地を歩いていると、見覚えのある顔の男性とすれ違った。違ったらどうしようと思いながら、下川さん?と声を掛けた。ハイ、下川ですが、と返事が返って来た。木原です、と挨拶して沖縄に2年住んでいた事を手短に話す。
 もう25年ほど前だろうか、下川さんはイラストレーターや編集者と3人で青山に部屋を借りて編集プロダクションをやっていた。バブルの頃で、下川さんと一緒に企業のPR誌の仕事をしたし、ボクが東京横浜バーガイドという本を作った時に、下川さんにエッセイを書いてもらった。
 その後下川さんは格安航空券ガイドと言う雑誌を作り、その雑誌の撮影で香港、インドネシア、韓国へ撮影に行った事もある。多分20年以上は会っていなかったと思うが、栄町市場の路地ですれ違うとは人生面白い。
 演目が全て終わったのが21時15分頃だろうか。パイプ椅子の片付けを少し手伝い、自転車で宿へ。湿気と熱気でTシャツはベチョベチョで早くシャワーを浴びたいが、前島のスーパーに寄って買い物。泡盛と沖縄いなり、ビールを買う。ミネラルウオーターは冷えたペットボトルがなかったので、こちらはコンビニで購入。
 宿に着いて急いでシャワーを浴び、着替えて、沖縄いなりとビールで晩ご飯。普通のいなりより油揚げの色が薄い位で味の違いはわからなかった。
*本日の出費。バスターミナルー石垣空港540円、石垣ー那覇4400円、那覇空港ー県庁前260円、宿泊費2日分2000円、まぐろ丼500円、傘250円、ビール200円、キュウリの一本漬け100円、鶏の唐揚げ100円、スーパー(泡盛残波600ml555円、沖縄いなり210円、サザンスター110円)。写真は栄町市場屋台祭りの様子。

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6月29日のスナップ。台北飯店の麻婆豆腐セット
↑このところ移動移動で妙に忙しかったので、少しのんびりとする。
 お昼ご飯を食べに高良食堂へ行くが、店の前の駐車場は車でいっぱい。きっと店内も混んでいるだろうと思い、予定を変更して昨年ヘッケル&越中のお二人と食べに入った事のある台北飯店へ。
 ランチの麻婆豆腐セット550円を注文。ライス、スープの他に小鉢や小皿も付いてお得な感じだった。麻婆豆腐は味噌と生姜の味が効いていて食べた事のない味付けだが、美味しかった。
 ランチを食べている間に、ポツポツと降り始めていた雨がザーザーの本降りに。食べ終わった後も、テレビを観ながら30分ほど雨宿りをさせてもらった。
 雨がやんだので近くの若狭図書館へ。「写真集 波照間島ー祭祀の空間ー」(榕樹書林)を見て過ごす。
 先日波照間島の集落を歩いていて、御嶽を2つ見た。中には入らず外から撮影させてもらったが、波照間島の御嶽には鳥居がなかったのが、印象的だった。御嶽に鳥居が設けられたのは廃藩置県により日本に組み入れられてからだと思うが、他の八重山諸島の島々の御嶽が鳥居を設ている中で、波照間島の御嶽は昔の御嶽の形を残しているということだろうか。
 若狭図書館から国際通りへ。今日は日曜日で歩行者天国になっていた。むつみ橋交差点で、バンジョー弾きながら歌う女の子がいた。南の島のバンジョー娘。
 市場の中を少しウロウロしてから宿に戻り、日記用のメモを書く。明日もう一泊することにして、明日の宿泊費1000円を支払う。宿の近くのコンビニで買って来たパン2個が晩ご飯。
*本日の出費。麻婆豆腐セット550円、明日の宿泊費1000円、カレーパン123円、フレンチトースト139円。写真は台北飯店の麻婆豆腐セット。
*2014年6月30日のPhoto Diaryはこちら
6月30日のスナップ。前島のユニオン
↑11時に福州園の前で、先日久米島へ一緒に撮影に行った新垣辰夫さんと待ち合わせしているので、10時過ぎに宿を出る。自転車なら10分程だが、今にも雨が降りそうな天気なので傘を持って歩いて行く。
 待ち合わせ時間より少し早く着いたので、福州園の庭園をひと回り。
 11時に入口に戻ると、道路の向かいに停まっていた車の中から新垣さんが手を振った。車に同乗し、近くの東京第一ホテル那覇シティリゾートへ。
 沖縄を離れて内地へ行く前に、何か美味しい物を食べましょうという新垣さんの提案で、今日はご馳走になる。ランチのビュッフェは11時半からで、それまでロビーで新垣さんが次の写真展用に作成しているプリントや、2010年に制作した私家版の写真集などを見せていただく。
 11時半になってビュッフェのレストランがオープンして、店内へ。大皿に中華やイタリアンの総菜を乗せ、小皿にお寿司と刺身、みそ汁、シークワーサーのジュース。昨日食べた麻婆豆腐の刺激が旅疲れの身体に強過ぎたのか、昨晩から少しお腹が痛かったが、食べ始めると体調も治って来た。
 最初の皿を片付けて、次にステーキとサラダ。これも片付けるとプチケーキの盛り合わせと、エスプレッソ。最後にフルーツとエスプレッソのお替わりで締めた。
 すっかり満腹になったので、ロビーに移ってプリントを見せて貰いながら写真の話しをする。これから撮影したい場所やテーマについて聞いたり話したりしていると、あっという間に時間は過ぎて、気がつけば15時を過ぎていた。まだまだ話し足りないが、きっと切りがないんだろう。続きは今度会った時に。それは富山かも知れないし、沖縄かも知れないし、全然違う場所でばったりと会うのかも知れない。名残惜しいけれど、それを楽しみに。
 新垣さんの車に乗せてもらって、宿のある美栄橋の近くまで。天気も良くなって来たので、宿には戻らずカメラをぶら下げて散歩する。廃校になった久茂地小学校を通り過ぎて、沖縄第一ホテルの前へ。
 一番最初に沖縄に来たのは、健康雑誌の沖縄料理特集の撮影だった。山本彩香さんのお店で琉球料理の撮影をし、公設市場で沖縄野菜や島豆腐を撮り、沖縄第一ホテルの朝食を撮影した。撮影した当時は現在の場所に移転する前だったが、那覇のどこだったか覚えていない。沖縄第一ホテルの朝食は有名で、何十という小皿と小鉢、グラスが並ぶ。それでいて全部食べてもカロリーは低い健康料理ということで撮影した。沢山のお皿を一枚の写真に収めなくてはいけないので、汗をかきながら器のレイアウトをした記憶がある。
 沖縄第一ホテルの前を通り過ぎて、国際通りへ。お土産店の店頭にあったディスカウントのTシャツを1枚購入。国際通り、牧志公設市場、桜坂、竜宮通りをスナップ写真を撮りながら散策。国際通りから沖映通りに入り、前島のスーパーで買い物をして宿に戻る。
 シャワーを浴び、久しぶりに奄美大島のさばくり人さんに電話。沖縄から内地に戻る際、奄美大島に寄ったら遊んでくれるか尋ねたら、来い来いと言う返事なので嬉しくなる。
*本日の出費。Tシャツ500円、スーパーで(パン114円、魚肉ソーセージ4本139円、プリン3連92円、バナナ109円、消費税36円)。写真はよく買い物に行った前島のユニオン。

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