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◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表
2010~2014 Photo Diary
奄美・沖縄撮影リスト
wangan 水路の都市TOKYO2006~2009

2022年カレンダー

4月2日(土)午前10時〜10時30分 サンエール
4月7日(木) ホテルニューオータニ高岡4階 鳳凰の間 13時45分 マブチさん
4月21日(木) ホテルニューオータニ高岡 高岡ロータリークラブ 12時30分〜(12時入り)

◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

2022年8月22日〜8月27日 式年遷宮祭

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
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とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
道祖神
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
◯富山県 新型コロナウイルス感染症について 
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U
◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/
◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
◯沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

メディア関連
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」ミュゼふくおかカメラ館
富山の祭り写真集に 福岡町の木原さん 北日本新聞
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ブログなど
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カメラ館 フクチアンの日記
ミュゼふくおかカメラ館「とやま、祭り彩時季」へ とやまおでかけ日記

4月28日(木)

 70年前の1952年4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効された日だ。これにより1945年の敗戦以来停止状態にあった日本の主権が回復したが、北緯29度以南の奄美・沖縄諸島、そして小笠原諸島は日本から行政分離されて引き続きアメリカの統治下に置かれた。そして翌年の1953年に奄美が本土復帰してからは、この北緯29度が国境となった。
 条約発効から70年という節目の今日、沖縄県国頭村と鹿児島県与論町がこの北緯29度線付近の海上で10年ぶりに沖縄の本土復帰を訴えた海上集会を再現し、祖国復帰闘争碑が建立されている沖縄本島最北端の辺戸岬で「祖国復帰50周年記念式典」を開催した。
辺戸岬
↑沖縄本島最北端にある辺戸岬に建立されている「祖国復帰闘争碑」。2013年5月6日撮影。
↓与論城跡からの風景。海上に沖縄本島北部の島影が見える。2011年8月20日撮影。
与論島から見える沖縄北部の島影
2013年4月28日に行われた政府式典に対する抗議集会

 2013年、第2次安倍内閣の時に4月28日を主権回復の日と定める閣議決定がなされ、式典も開催された。これに対し奄美や沖縄からは強い反発が起こり、沖縄では「日本から切り捨てられた屈辱の日だ」と政府の式典に抗議する集会が開かれた。

←宜野湾市野外劇場で開催された「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」。

 来月で沖縄が日本に復帰して50年となる。『沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある』は1969年に発行された東松照明氏の写真集のタイトルだが、この写真集から53年が経った今もその言葉は有効だ。
 4月28日はサンフランシスコ講和条約発効の日だが、2016年に元海兵隊で米軍属の男がウオーキングをしていた女性を暴行し殺害した日でもある。当時は全国ニュースでも取り上げられたが、沖縄以外でこの事件を覚えている人はどれだけいるだろうか。米兵による事件や事故は後を絶たないが、中には日米地位協定の壁により日本の警察の捜査が及ばなかったり、日本の司法で裁けないなどの問題もある。日本国憲法はアメリカから押し付けられたもの(実際はそんなことはない)だから改正を!などと言う前に、明らかに不平等な日米地位協定を改定することが大切だろう。

 4月11日から放送開始された連続テレビ小説『ちむどんどん 』。先週は父親がなくなり、借金も抱えている一家の家計を助けるために主人公・暢子が東京の親戚の家に預けられそうになるという話で終わったが、今週はいきなりその7年後からスタート。暢子は高校生になり、姉の涼子は学校の教師に、暢子の母親・優子は畑仕事の他に共同売店で働き始めていた。裕福そうには見えないが、先週の貧乏のどん底からはいつの間にか立ち直っていて驚いた。

 今回、ドラマの舞台として登場する共同売店。これは明治の末期に沖縄で誕生した相互扶助組織で、村や字の住民が共同で出資して共同で運営する。日本復帰以降減少しているようだが、それでも沖縄県内では、60店ほど運営をしているそうだ。また、少しだが奄美大島にも共同売店はある。
 共同売店ファンクラブというサイトの資料によれば、一番最初に設立された共同売店は沖縄本島の一番北にある集落、国頭村奥にある奥共同店で1906年オープンだそう。この奥共同店に、行ったことがある。

奥共同店

↑1906年にオープンした沖縄で一番古い奥共同店。建物は何度か建て替えられているのだろう。

 2014年のゴールデンウイーク、奥集落で開催されている鯉のぼり祭りを見に行った。あいにくの雨だったが、集落を流れる川の上に700匹ほどの鯉が掲揚され、やんばるの森を背景に泳いでいた。この奥集落は沖縄本島から奄美、鹿児島へと続く国道58号の起点でもある。集落には「起点」と書いた標識とモニュメントが設置してあり、「国道58号0起点到達証明書」というものを奥共同店で1部100円で販売している。共同店に買いに行くと、レジの女性が日付と番号をボールペンで入れてくれた。ちなみに国道58号の終点は鹿児島市内、西郷隆盛像の前になっている。

→奥共同店で販売している「国道58号0起点到達証明書」。

奥共同店で販売している証明書
大棚商店

 奄美大島にも嘗ては宇検村、大和村、瀬戸内町などに19店ほどあったようだが、現在も営業している共同売店がどれだけ残っているか不明だ。ビッグダディの一家が住んでいた大和村の大棚にも、大棚商店という共同売店があり、こちらは現在も運営されているようだ。

←奄美大島の大和村・大棚集落にある共同売店、大棚商店。

 シンガーソングライターの上田知華さんがさんが、昨年9月に亡くなっていたそうだ。家のレコード棚に上田知華+KARYOBINのアルバムがあるような気がする。

 この他の気になった記事を備忘録として。
<社説>桜を見る会 安倍氏にも政治責任が
奈良・橿原市長を怒鳴りつけた維新市議辞職 音声付きで報じられ引責
専守防衛の破綻、軍備面でもより明確に 元内閣法制局長官が批判 自民党が「指揮統制機能」への攻撃提言を了承

4月25日(月)

 朝から快晴。ヤフーの気象情報では、高岡の最高気温は24℃となっているが体感的には25℃超えの夏日だった。
尾崎豊

 今日は弟の命日。亡くなって今日で3年が経つ。午前中から妹の運転する車で、両親と一緒にお墓参りに行ってきた。お花もローソクも線香も持って行ったが、4人とも数珠を忘れていた。
 弟と一緒の霊園に、母親の妹のお墓もあるので、一緒に参ってきた。
 お墓参りの後、昼食を食べに和食のお店「市山」へ向かう。食べログには定休日月曜日*ランチタイムは営業と書いてあったのだが、11時過ぎにお店の前を通ったが休業のフダが立っていた。確認の電話をすると、やはり月曜日はランチも休みだった。
 しょうがないので急遽、久しぶりに石動駅近くの台湾料理店「福来順」へ。それぞれランチのセットに、追加で餃子2皿を注文しても一人千円以内に収まった。相変わらず安い。

 今日は弟の命日だが、尾崎豊の命日でもある。今まで知らなかった(忘れていた)が、今年は彼が亡くなって30年ということで、しばらく前から彼の記事がニュースサイトを賑わしていて、命日が同じだと今更気づいた。

 尾崎豊の死を知ったのは、路線バスで流れていたラジオからだった。当時、学生援護会の発行するデイリーan(アルバイトニュース)の水曜日に発売する号の表紙を担当していて、タウン特集で取り上げる町の風景をモノクロで撮影していた。その撮影のために移動していたバスの中で知った。記憶では葉山マリーナへ向かう路線バスだったと思っていたが、1992年のスケジュール帳を確認すると江ノ島になっていた。しかし、当時住んでいたのは鶴川なので、江ノ島なら小田急線で行けるので、路線バスに乗ることはない。江ノ島からどこかへバスで移動したのだろうか。やはり30年という歳月で、記憶はあやふやになっている。ラジオから流れてきた尾崎豊の死にドキッとはしたが、意外な感じがしなかったのも覚えている。
 上の写真はポップ・ティーンという雑誌の仕事で撮影した、1987年8月の有明コロシアムでのコンサート。この時のコンサートの写真は、1995年に発売された『尾崎豊MEMORIAL PHOTO BOOK』(飛鳥新社)という写真集に収載されている。その際に、尾崎豊のお父さんから編集部が預かった遺品も、出版社の倉庫に簡単なスタジオを組んで撮影している。
 YouTubeにあった有明コロシアムのコンサートから「Forget-me-not〜I LOVE YOU」「シェリー」「卒業」。

 やはりどうもiMacの調子が悪い。突然、動作が重くなる。最初はMacOSの標準ウェブブラウザ・Safariでネットを見ていると少しずつ通信が遅くなり、それから他のアプリケーションの起ち上りが遅くなり、そのうちシステムの動きが遅くなるといった感じだ。ひょっとするとSafariが原因だろうか?という訳で、firefoxをダウンロードした。早速使ってみるとスイスイと動く。これで解決したかはわからないが、当分はメインのウェブブラウザをfirefoxにして様子を見ることにしよう。
 動きはfirefoxの方がいいが、一つだけ残念なのがフォント(書体)だ。フォントはやはりSafariの方が美しい。

ブラウザーによるフォントの違い
↑左がSafariでの表示画面、右がfirefoxでの表示画面。Safariのフォントの方が品があって美しいと思う。

 昨日でロシアがウクライナに侵攻して2ヶ月が経った。時間が経つにつれてニュースで取り上げられなくなるのではないかと心配していたが、報道は続いている。報道されなくなり人々の関心が逸れてしまえば、ロシアがウクライナに対して行なっていることが無いものにされてしまいかねない。開戦当初の緊張感はもう持てないかもしれないが、関心を失わないようにしなくては。
 一昨日、北海道の知床半島沖で遭難した観光船の事故で、現在まで11人が発見され、11人とも死亡が確認された。残る15人は依然不明のままだ。
 山口県阿武町が新型コロナ給付金463世帯分である4,630万円を1世帯に振り込むミスをした件。4,630万円を振り込まれた家もビックリしただろうな〜と笑っていたら、振り込まれた家が「もう元には戻せない。逃げることはしない。罪は償う」と話し笑い話では済まなくなっている

 この他の気になった記事を備忘録として。
東電が4月25日から海底の掘削準備に着手 福島第一原発の処理水放出で
もんじゅ、核燃料取り出し完了 廃炉作業で計370体
森友文書改ざん訴訟 赤木さんの妻が佐川氏の本人尋問申請
憲法の根幹、骨抜きする恐れ…自民党「敵基地攻撃能力」提言案、財政難でも「防衛費5年で倍増
吉野家HD、不適切発言の常務取締役を解任 「到底許容できない」
円相場、129円近くまで下落 20年ぶり円安また更新
親しまれた雰囲気変わり果て 北九州・旦過市場火災、市民に衝撃

 Photo Diaryを更新。
*2014年6月25日のPhoto Diaryはこちら
6月25日のスナップ。美崎町
↑朝、キッチンで宿の女性主人に会ったので、もう一泊できるか尋ねると予約でいっぱいだと言う。6人部屋のドミトリーに虫が湧いて駆除中なので、宿泊できる人数に影響が出ているそうだ。
 諦めて、7時半頃に宿を出て離島ターミナルへ向かう。8時前に安栄観光のカウンターに行くと、今日の波照間便は3便まで欠航が決まり、4便が未定となっていた。
 しばらく待合所の椅子に座り休んだ後、波照間行きの貨物を運ぶフェリーを出航している安栄観光貨物事務所を尋ねる。フェリーは明日、明後日、明々後日と3日連続で朝9時に石垣港を出航する。定員は50人で早いもの順で乗船できる。今日の4便が欠航となったら、フェリーに乗船するために明日は事務所が開く8時に並んでみようかと思う。
 貨物事務所から郵便局へ行き、ATMで旅行資金に2万円を補填する。郵便局から離島ターミナルへ戻り、売店で助六寿司のお弁当を買って食べる。
 4便が出航か欠航か決まるのは船の出る1時間前、2時30頃なので、待合所の椅子に座ってひたすら待つ。もし4便が出た場合、今日の宿を確保しなくてはならないので、先日予約したが船が出なくてキャンセルした宿に電話をする。明日からは満室だが、今日なら宿泊可能という返事。
 八重山観光のフリーペーパーなどを見ながら過ごして、14時20分頃に安栄観光のカウンターに行くと4便も欠航が決まった。待合所には4便に乗船するつもりだった人達が何人か居て、皆どうしたものかと思案に暮れていた。
 もういっそこのまま石垣空港に行って那覇に戻りたくなったが、とりあえず先ほど予約した波照間島の宿に4便も欠航になったことを電話で連絡してキャンセルにしてもらった。
 ヘルパーのハルちゃんが、6月いっぱいはもう満室になったと言っていたゲストハウスにダメもとで電話してみると、ドミトリーなら空きがあるとの返事。期待していなかったので、救われた感じでありがたかった。
 ターミナルから宿まで歩き、宿帳に名前を書き、宿泊費の1000円を支払う。今日寝るベッドに案内してもらい、荷物を置く。パソコンを広げて、波照間島の宿を検索。片っ端から電話するが、どこも明日は満室のようだ。船の欠航が続いて、島に閉じ込められている人もいるかもしれない。今日電話するより、明日電話する方がキャンセルや、明日のフェリーで帰る人がいて部屋がとれるかもしれない。
 汗でベタつくのでシャワーを浴びにいく。男性用のシャワー室は排水溝が詰まって使えないので、今日は女性用のシャワールームを使って良いそうだ。熱いお湯で汗を流し、着替えて少しすっきりした。
 ご飯を食べにいく前に、ちょっとお散歩。石垣の飲屋街・美崎町の辺りをぶらぶらする。バスターミナルの近くにあった金物屋が、いつの間にか閉店していた。
 美崎町からユウグレナモールを通り、昨日も食べに来たあさひ食堂で、ゴーヤチャンプルー定食を注文。
 テーブルに置いてあった八重山毎日を見ると、昨日の事故が写真付きで載っていた。横転した車は観光客が運転するレンタカーだそうだ。幸い車に乗っていた双方の人達は軽い怪我で済んだようだ。
 あさひ食堂を出て向かいのコンビニで、ビールやお菓子を買って帰る。
*本日の出費。助六寿司310円、宿泊費1000円、ゴーヤチャンプルー定食650円、サザンスター141円、芋かりんとう100円、いちごみるく108円、ポテトチップスうす塩128円。写真は石垣島の飲屋街、美崎町。
*2014年6月26日のPhoto Diaryはこちら
6月26日のスナップ。波照間島の民家
↑朝7時前に宿を出て離島ターミナルへ。7時20分頃、安栄観光のカウンターに今日の波照間便の運航予定が出た。第1便は運航、2.3.4便は未定。第1便で波照間に行ったは良いが、帰りの便が欠航になって帰って来れない可能性もあるが、とりあえず行く事にする。帰りがどうなるかわからないので、割引のある往復ではなく、片道乗船券3090円を購入。
 8時過ぎに桟橋に並び、15分頃から乗船。昨日は全便欠航だったので、この便に乗船する人が多いようだ。荷物と乗客を満載にして、高速船は8時30分頃に石垣港を出た。
 乗船券を購入したカウンターで、今日は揺れますよ、と言われたが、本当に凄い揺れ方だった。通常は波照間島までは70分だが、今日は海が時化ていて途中からスピードが落ちて2時間強かかった。
 船の揺れ方は高速艇ではなく、小さな釣り船に乗っている感じだ。料理雑誌の撮影で、ずいぶん昔に大分県へ関サバ・関アジの撮影に行き、早朝の漁船に乗り込んで一本釣りの様子を撮影した事があるが、あの撮影の時に次ぐくらいの揺れだった。
 途中、船員さんが2、3、4便は欠航になりそうなので日帰りの方はフェリーに乗船して下さいという案内があった。石垣港を9時に出航したフェリーは11時頃に波照間島に到着し、14時に波照間から石垣へ戻る。それだと何のために波照間島まで来たのかわからないので、なんとか一泊はしたい。
 下船して港に出ると、宿の人が宿名を書いたプラカードを持って送迎に来ている。昨日電話した宿のプラカードを持った女性に、昨日電話した者ですが、宿泊のキャンセルはないですか?と尋ねると、たぶん今日はキャンセルが出ると思いますと言われ、ホットする。昨日はどの宿に電話しても満室だったが、今日は第1便しか運航しなくなったのでキャンセルがいくらか出るようだ。
 民宿はレンタサイクルもやっているので、その送迎車で1分もかからない民宿兼レンタルショップへ。荷物を隅に置かせてもらって、とりあえず変速ギア付きの自転車を3時間借りる。
 いただいた手作りの地図を見ながら、島の一周道路を走る。日本最南端の碑、星空観測タワー、閉鎖された波照間空港を見て回る。少し島の中心部に入って灯台に行き、そのまま集落を走り抜けて民宿に戻った。
 民宿に経営者のオジさんがいらしたのでキャンセルが出たか確認し、部屋を案内してもらった。コテージ風に敷地の中にいくつか小屋が建っており、4畳半ほどの大きさの建物があてがわれた。自転車は1時間250円を3時間で借りたが、遅くまで使いそうなので1日1500円に変更してもらった。
 とりあえず荷物を部屋に置き、海パンとTシャツに着替えてニシハマ(北浜)ビーチへ。空は少し曇っているが、海の中は透き通っていた。浜に近い方の珊瑚はだいぶ死んでいるが、少し沖に行くと奇麗な珊瑚の群落と熱帯魚が見れた。
 14時過ぎにビーチに着いて、泳いだり写真を撮ったりして16時頃まで過ごす。ビーチのシャワーを使い、民宿に戻って着替えをする。キッチンに行くと置いてあるお米を自由に使って良いらしく、3合炊いた。集落の売店でお刺身を予約すると、1パック300円で漁師さんがその日に採って来た魚の刺身が買えると聞いたので行ってみる。
 17時前に売店へ行き、刺身を予約。たいていマグロかカツオ、イラブチャーらしいがセイイカの場合もあるらしい。後で取りに来ますと言って自転車を店の前に止め、売店で買った白くまのアイスクリームを食べてから集落を散策。
 集落の外で目につくのは、サトウキビと電柱とヤギだった。集落の中で目を引いたのは、珊瑚石とフクギの塀、赤瓦の屋根とヒンプンだった。
 18時半頃に売店に刺身を取りに行くと、今日は刺身が入らなかったと言う。海が時化ていたので、漁に出なかったのかもしれない。しょうがないのでボンカレーや、つき揚げ(かまぼこ)、波照間の泡盛・泡波のミニボトルなどを買って帰る。
 炊いておいたご飯に、暖めたボンカレーをかけ、つけ揚げをつまみながらの晩ご飯となった。
 揺れる船に2時間、サイクリング3時間、海で2時間、集落散歩1時間半。ちょっとトライアスロンのような一日。
 今日、天皇・皇后両陛下が対馬丸記念館へ追悼のため来沖された。沖縄気象台が沖縄地方の梅雨明けを発表。
*本日の出費。いなり弁当180円、ミネラルウオーター100円、石垣ー波照間3090円、宿泊費2000円、レンタサイクル1500円、アクエリアス160円、白くまアイス140円、売店で(氷70円、つけ揚げ210円、サザンスター140円、泡波ミニボトル330円、ボンカレー150円、ビニール袋3円)。写真は波照間島の民家。佇まいがシンプルで美しい。
*2014年6月27日のPhoto Diaryはこちら
6月27日のスナップ。波照間島の海
↑7時40分に安栄観光の波照間代理店に電話して、今日の運航状況を聞く。第1便は出航で、2、3、4便は未定だと言う。8時30分発の第1便だと午前中の観光もできないので、高速船はやめて14時に波照間を出る貨物フェリーに乗船する事にする。
 6月18日に買ってからずっと持ち歩いていたカップラーメンと白飯、昨日買ったつき揚げで朝食にする。食べ終わり、荷物をまとめて9時にチェックアウト。フェリーが出航する14時までブラブラと撮影したいので、荷物を宿に預かってもらう。
 小さなリュックと水筒、カメラを持って港へ。港の護岸壁に上り、テトラポットの先の海を眺めると、ミルキーブルーの海に珊瑚の群落が広がっていた。宿のオジさんの話しでは、干潮は12時頃だそうで、水面ギリギリに見える珊瑚はきっと奇麗に違いない。ターミナルの待ち合い所に行き、一昨日泊まったゲストハウスに電話。今晩の宿泊を予約する。それからスカイマークの石垣空港所予約係に電話して、明日の那覇行きを予約。
 とりあえず今晩の寝るところと、明日の飛行機が確保できたので、また護岸壁に上がって海と珊瑚を撮影。
 12時半過ぎに宿へ預かってもらった荷物を引き取りに行き、待合所へ。待合所にある安栄観光のカウンターでフェリーの乗船券1540円を購入、13時半頃に乗船が始まった。このところ連日移動ばかりで疲れているので、船の1階の寝転がれる部屋にする。
 フェリーは2時間20分ほどで、石垣港の端の方に接岸。本当なら真っすぐゲストハウスに行って荷物を下ろしたいが、16時半から18時半まではオーナーもヘルパーのハルちゃんも不在なのでチェックインできない。本を読んで過ごそうと思い石垣市立図書館へ向かうが、今日は月に一度の資料整理日で休館となっていた。
 しょうがないのでユウグレナモールの休憩所にでも行こうかと歩いていると、こんにちは、と声をかけられて振り向くと祖納で宿泊していた民宿の若い主人だった。しばらく道端で話してから別れ、離島ターミナルに行き、待合所でテレビを観て過ごす。18時20分頃に待合所を出て、バスターミナルで空港行きの時刻表を貰いゲストハウスへ。
 ヘルパーのハルちゃんに、今日のベッドを案内してもらう。荷物を置いて、溜まった洗濯物を洗う。洗濯機を回している間に、あさひ食堂へ。今日は、ナーベラー(ヘチマ)チャンプルー定食650円。食べ終わり、コンビニでサザンスターを1本買って帰る。洗濯物を乾燥機に入れ、シャワーを浴びる。明日那覇で泊まる宿を、じゃらんで検索して予約。泊まった事はないが、何回も前は通ったことのあるゲストハウスだ。
 ベッドの上にパソコンを広げて、日記用のメモを書く。面倒くさいな〜とも思うが、移動が続くと昨日、一昨日の事すら曖昧になるのでメモしないわけにもいかない。
 今日、波照間島のニシハマの端の方の海に、沖縄に来てから抜いた親知らずの小さい方の1本をそっと投げ入れた。
*本日の出費。波照間島ー石垣1540円、スポーツドリンク160円、久米島の銘水101円、宿泊費1000円、ナーベラーチャンプルー定食650円、サザンスター141円、洗濯機100円、乾燥機100円。
*本日の紛失物。レンズキャップ(後日見つかる)、傘。写真は波照間島のニシ浜。

4月21日(木)

 今日は高岡ロータリークラブ の例会にお招きいただいて、『おまつり県=富山の魅力、その情報発信を高岡から』という題でお話しさせていただいた。
 昨年の暮れに北日本新聞西部本社の方からお話をいただいていて、当初は2月の例会で卓話をすることになっていたのだが、1月の後半になって富山でも新型コロナの感染が拡大してステージ2となったため延期になっていた。3月になって感染も少し下火になったことから、今日の例会での卓話となった。
 卓話を引き受けたわいいが、人前に出るのは苦手。ましてや人前で話すことはもっと苦手。それでも何事も経験かと、原稿を作成しプロジェクターに映す写真を選び、家で練習をしていた。持ち時間は30分なので、その時間内に収めなくてはいけないのが難しかった。
 12時前に会場のホテルニューオータニ高岡に入り、持参のノートパソコンとプロジェクターを繋いでチェック。もしノートパソコンが故障した場合に備えて、妹にもらったiPadも用意しておいた。接続テスト中にフリーズしたりもしたが、なんとかプロジェクターで画像を見せることができた。
 12時半から例会が始まり、それと同時に会員の方々と一緒にお食事をいただく。そして予定の13時より5分ほど早く卓話の時間となった。心配していたノートパソコンはトラブルもなく動いてくれたのでホッとした。30分で話を収めなくてはいけないので少し早口で喋り、終了時間のちょっと前に話し終えることが出来た。
 今回のお話を引き受けた時から、ずっとプレッシャーだったので、無事終了してようやく解放された気分。さて、また次のことをスタートさせなければ。
 以下に卓話でお話しした内容のテキストを掲載しておきます。
卓話用の写真

◯おまつり県=富山の魅力、その情報発信を高岡から。

こんにちは。
本日はこのような場にお招き頂き有難うございます。
フォトグラファーの木原盛夫と申します。
これまで雑誌や書籍、レコードやCDジャケットなどを中心に撮影の仕事をしてきました。
今日は富山のお祭りについてお話ししたいと思っていますが
その前に自己紹介を兼ねて、これまで仕事で撮影してきたものを少し見ていただければと思います。
*写真
001 タイトル
1、ミュージシャン
002 ローリング・ストーンズ
003 ベン・E・キング
004 ロニー・スペクター
005 尾崎豊
006 忌野清志郎
007 小泉今日子
008 内田裕也
009 ビートたけし
010 かまやつひろし
011 由紀さおり
012 八代亜紀

2、女優や作家
013 大地真央
014 津川雅彦
015 斉藤由貴
016 杉本彩
017 野坂昭如
018 小沢昭一
019 梅沢富美男、池田明子夫妻
020 プリンセス天功
021梅宮アンナ
022 金子エミ

3、その他政治家や実業家など
023 高市早苗
024 三原じゅん子
025 ドクター・中松
026 植村秀
027 デューク更家
028 石鍋裕
029 清水九兵衛

*写真はこちら写真02
001 富山湾から眺めた立山連峰の写真

このような撮影をしていた私が、なぜ富山の祭りについてお話しすることになったかと言うと
一昨年の8月から9月にかけてミュゼふくおかカメラ館にて『とやま祭り彩時季』というタイトルの
写真展を開催させていただきました。
これは2015年頃から約5年間にわたって富山県の祭りを250ほど撮影し、
それらの写真で構成しました。
また、写真展と同時に『とやま祭り彩時季』という11巻のフォトブックも制作しました。
こちらは高岡市立図書館と富山県立図書館に寄贈させていただき、
小矢部市民図書館の方では購入したいという申し出があり図書館の棚に並んでいます。
さて、今回お話のタイトルを「おまつり県=富山の魅力、その情報発信を高岡から」といたしました。
おまつり県=富山というのは私が勝手に作って写真展のチラシのリード文に掲載した言葉です。
香川県のうどん県に対抗したわけではありませんが、5年間県内のお祭りを撮影して歩いて、
こう名乗ってもよいのではないかと思うほど、様々なお祭りが四季を通して行われています。

こうした様々なお祭りが残っているのは、富山県の独特の地形ではないかと思います。
富山湾に面する海抜0メートル地帯から標高3,000メートル級の山々が聳える立山連峰、
その間に広がる豊かな平野。こうした起伏に富んだ地形の県というのは貴重だと思います。

海抜0メートルの漁師町では豊漁の神様としてエビス様を祀った祭りがあり、
*写真
002 新湊の澗立のえびす様渡し(御神体である恵比寿様を描いた掛け軸を厨子に入れ、年に一度澗立<まだて>と呼ばれる漁法毎の組合から組合の当番宿に渡します)
003 入善町・芦崎のえびす祭り(船の形のお神輿に御神体のえびす像を乗せて町中を練り歩きます)
004 入善町・吉原のえびす祭り(こちらも漁業関係者のところと公民館をまわります)

地獄と極楽が存在するという霊峰立山の麓にある芦峅寺では
山岳信仰や女人救済にまつわる年中行事が今も村の人たちの手によって行われています。
005 立山の麓にある、芦峅寺の行事、おんば様のお召し替え。豊穣の神であり、女性を成仏に導いてくれるおんば様の装束を一年に一度取り替える行事です。
006 こちらも芦峅寺に伝わる儀式で、白装束に身を包んだ女性たちがこの世とあの世をつなぐ橋とされる布橋を渡る布橋灌頂会です。

また平野部では五穀豊穣を願って春や秋には村の神社で祭りが行われ、獅子舞がまわれ、
夜高行灯などが巡行します。
007 滑川市の赤浜に伝わるショーブツです。菖蒲の葉に藁を巻いて棒のようにしたものを子供達が持って集落の家々をまわり、玄関先で叩いてモグラの退散と五穀豊穣を願います。
008 床鍋の虫送りは、害虫を追い払って豊作を祈願する行事です。巨大な松明を村の中央から村はずれまで引いて歩き、最後は燃やします。
009 五鹿屋の夜高祭り。いわゆる田祭りで、田植えの終了を祝う行事ですね。砺波地方で特に盛んに行われています。昔は松明や田楽行灯を持った子供たちが畦道を歩いていたのが、どんどん行灯の大きさや美しさを競うようになったのだと思います。

お祭りの数自体はもっと多い県もあるかもしれませんが、
これほどバラエティー豊かな祭りが県内にあるというのは、
もっと積極的にPRしてもいいんじゃないかと思っています。

富山の祭りはバラエティー豊かと今申しましたが、それを全部ご紹介するのは時間的に無理なので、その中で特徴的だと思う山車と獅子舞と稚児舞について写真を交えてご紹介したいと思います。
2016年に御車山祭、魚津のたてもん、城端の曳山祭りが
ユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、富山には他にももっと多くの山車があります。
これらを作られた年代順にご紹介したいと思います。

*写真
010 高岡御車山(利長公が高岡城に入場した1609年と言われている)
011 新湊の曳山(1650年に古新町の曳山)。これは昼の花山から夜の提灯山に変わったところです。
012 氷見市の上日寺の境内にあった日吉山王社の曳山が1679年に製作。
しかし直ぐに巡行中止となり、現在は本座に飾られていた恵比須さま大黒さまが
上日寺のゴンゴン祭りの時に飾られている。
現在、氷見の祇園祭の際に引かれている曳山の起源ははっきりしませんが、1829年頃には
南10町の曳山が揃って神輿の渡御に巡行したそうです。
013 これが現在の氷見祇園祭の曳山です。
014 城端の曳山(1719年に完成、1724年から巡行が始まったそうです)。城端の曳山は、それぞれ庵屋台と一緒に巡行します。
015 魚津のたてもん(1720年頃に造られたと言われています)
016 越中八尾の曳山(1741年に上新町の曳山が最初だそうです)
017 石動の曳山(1752年に御坊町が最初に製作)。これは巡行の後に、全ての曳山が並んでライトアップされたところです。
018 四方の曳山(江戸中期に6基造られたが1945年に大火で焼失。その後に現在の小型の子供曳山が造らました)
019 岩瀬の曳山は諸説ありますが、1796年より山車にたてもん(行灯)を乗せて引くようになった。
020 伏木の曳山は現在の場所に伏木神社が遷座した1813年に造られたそうです。
021 福野は1818年頃から1847年にかけて各町の曳山が創設されました。
022 海老江の曳山は西町が1841年に製作。その後、中町、東町が続きます。
023 下大久保の曳山は1862年に八尾の今町が使っていたものを購入しました。
車輪が小さく内車式で、今となっては貴重。
024 大門の曳山は1868年の明治元年という説と、1870年という説があります。
025 平成の御車山は平成25年から5カ年かけて製作し、平成30年4月に披露されました。

この他、ちょっと変わった山車としては、黒部市生地のたいまつ祭りの時に登場する
トラックをデコレーションして漁船に見立てたものがあります。
これも船の舳先や上部に杉の木や笹竹が飾られているので、
ここに神霊を降ろす装置としての山車と考えられます。
026 生地のトラックをデコレーションした山車

こうしてみると、曳山は圧倒的に県の西部、呉西地区に多いのがわかります。
富山市にある神社の神主さんとお話ししたところ、東部は暴れ川が多く平野部も少なくて
西部に比べて稲作ができなかったからではないかと言われていました。

次に獅子舞について、ご紹介したいと思います。
写真はこちら写真03
富山の観光情報誌「ロカルちゃ!富山」によれば
平成17年で1,170件の獅子舞が伝承されていると言います。
近年は少子化や高齢化、集落の過疎化で取り止める集落もありますが、
それでも1,000を超える獅子舞が残っているのは、やはり獅子舞王国=富山ではないでしょうか。
高岡の方では胴幕の中に人が何人も入る百足獅子が多いと思いますが、
001 こちらは私の地元、福岡町2区の百足獅子。福岡町は氷見系統の獅子舞のようです。

入善や黒部といった呉東の方には一人立ちや二人立ちの獅子がいます。
下新川獅子と呼んでいますが、特徴は天狗の数が多いことでしょうか。
002 入善町の元新屋の獅子舞です。こちらは一人立ちです。
003 宇奈月町下立の天狗です。これは大天狗ですが、他に小天狗もいます。
多い演目では大天狗が8人、小天狗が8人登場したりします。
また天狗の装束も、氷見のような煌びやかなものではなく、
天狗の面をつけて頭には豆絞りの手ぬぐいを被り、赤くて太いタスキをかけています。
この天狗が傘を持ったまま空中回転するなど、アクロバティックな演技をします。
004 下立の獅子舞です。傘を持った天狗が一斉に空中回転をします。
005 入善町狐東(とっこ)の獅子舞です。こちらは両手に傘を持ったまま空中回転しています。
獅子舞というより天狗舞といった感じでしょうか。

もっと新潟寄りの朝日町の方に行くと、二人立ちだけれど下新川獅子とは違う獅子がいます。
006 一人は獅子頭をスッポリと被り、もう一人は胴幕を捻って太い紐のようにし、猿回しが猿を操るように手に持って動きます。

岐阜に近い東猪谷や楡原といった旧細入や旧大沢野の方には、
飛騨の方から伝わったと思われる金蔵獅子がいます。
こちらも二人立ちの獅子ですが、特徴はシシトリにキンゾーやササラ、三番叟(サンバソ)など
多彩な登場人物がいることでしょうか。演目も寸劇風です。
007 旧細入村、楡原の獅子舞です。胴幕の人が獅子頭の人を肩にのせる曲獅子という演目です。
008 東猪谷の金蔵獅子です。金蔵が獅子を戯れていたら、獅子が金蔵を襲い、それをササラと呼ばれる2人組の子供が助けるというストーリーのようです。
009 猪谷の金蔵獅子です。真ん中が金蔵、左がササラ。もう一人獅子の後ろにササラがいます。

また、百足獅子も氷見獅子、新湊獅子、砺波獅子とあり、演目やシシトリに違いがあるようです。
福光の方では胴幕が大きく、獅子頭と胴幕が太い紐で繋がった加賀獅子が登場します。
010 福光の加賀獅子です。胴幕と獅子頭が離れているのが特徴でしょうか。

五箇山の相倉は氷見の大工さんが伝えた氷見獅子ですが、
胴幕に竹が入っているので砺波獅子の影響もあるように思います。
011 五箇山・相倉の氷見獅子。

また同じ五箇山でも中畑(なかばたけ)という集落では、金蔵獅子が登場します。
012 相倉の近く、同じ五箇山の中畑集落では金蔵獅子です。この辺りも芸能の伝搬の面白さだと思います。

さて、以上は家々をまわる舞獅子でしたが、神事の際にお神輿を先導、露払いをして歩く
行道獅子というのが存在します。
行道獅子の特徴としては行列の先導をする、シシトリや天狗などを伴わず舞わない、
形は鼻と頭部の高さがほぼ同じの平べったい箱獅子です。

有名なところでは御車山祭の時に坂下町が担当する源太夫(げんだい)獅子や、
013 御車山の源太夫獅子
014 二上射水神社の源太夫獅子
015 新湊の曳山まつりの際に巡行する放生津八幡宮の行道獅子。後ろに天狗のように見えるのは、道案内の神様である猿田彦だと思います。
016 氣多神社のにらみ獅子。境内を巡行した後、社殿の前で左右を睨んで頭を振る動作をすることからにらみ獅子と呼ばれています。
017 やんさんまの時に登場する、加茂神社の行道獅子。後ろの白いフサフサ、垂(しで)がついた3体が加茂神社の御神体です。
018 立山町の浦田山王社の行道獅子。
019 小川寺の獅子舞です。白山社で神事を行った後、隣接する千光寺の観音堂の周りを巡行します。

この行道獅子の特徴の中から平べったい形というのを取り除くと、
実は県内にはもっと多くの行道獅子が存在します。

写真
020 小矢部・福町神明宮
021 福野神明社
022 日枝神社の山王祭、山王さんですね。たぶん富山で一番大きな獅子頭ではないでしょうか。
023 宇奈月町浦山にある鶏野(けいの)神社の行道獅子。横にいるのはナガと呼ばれていますが、こちらも猿田彦ではないでしょうか。
024 越中宮崎・鹿嶋神社の猿回しのような獅子ですが、こうしてお神輿の先導もします。

獅子舞の最後に、熊獅子というのをご紹介したいと思います。
これは木で掘られた獅子頭に、熊の毛皮を貼り付けたものです。
この熊獅子ですが、県内に点在しています

写真
025 砺波市頼成の林神社。角のある雄獅。
026 林神社の角のない雌獅子。
027 砺波市矢木の八咫壺(やたつぼ)神社の雌の熊獅子。
028 高岡にも居ます。これは大坪町3・4丁目の熊獅子。
029 大坪町の隣り、向野町の熊獅子
030 射水市今開発の熊獅子。子供たちが「どうしてくまじし?」という絵本を作って、敬老会で発表した時の写真です。
031 射水市六渡寺の毛皮が剥がれて今は使われていない熊獅子です。
032 呉東の方では宇奈月町の栃屋に熊獅子がいます。私が一番最初に見た熊獅子です。

この他、八尾の方にも熊獅子が居るそうですが、確認できておりません。

それでは次に、稚児舞のお話に移りたいと思います。
写真はこちら写真04
稚児舞とは白塗りの化粧をし煌びやかな装束をまとった男の子が優雅に舞う芸能で、
五穀豊穣や悪魔払いなどを祈願して、神社やお寺などで行われます。
001 稚児に白粉を塗っているところです。こうして人から神へと変わるようです。
この時、化粧をした男の子=稚児は神様の依り代となって舞台に立ちます。
002 なので、舞台に上がるまでは決して土を踏ませないように父親や叔父が肩に乗せて移動します。
演目の名前に「陪臚」「納曽利」といった舞楽と共通するものもありますが、
舞楽は宮廷芸術、稚児舞は舞楽の流れをくんだ民間芸能という位置付けだそうです。
この稚児舞が富山では盛んなように思います。
国の重要無形文化財に指定されている越中の稚児舞と呼ばれる
3つの稚児舞がります。
003 <宇奈月町明日(あけび)にある法福寺の稚児舞>
004 もう一枚、こちらも法福寺の稚児舞です。
005 <婦中町中名(なかのみょう)にある熊野神社の稚児舞>
006 <射水市にある加茂神社の稚児舞>
ここまでが重要文化財に指定されている越中の稚児舞です。
この3つに加えて、
007岩峅寺の雄山神社でも稚児舞が行われています。こちらは稚児舞と巫女舞が交互に行われます。
008 越中宮崎の鹿嶋神社の春祭りにも稚児舞が登場しますが、こちらは系譜が異なり稚児踊りという感じでしょうか。

「七歳までは神のうち」という言葉があります。
まだ穢れがなくて純粋無垢な幼い子供は感受性が強く、神に近い存在とされていたそうです。
そのため神霊が降臨しやすいと考えられ、稚児舞の他にも子供歌舞伎など、
祭礼では神の依代としての役割を果たすことが多いようです。
009 こちらは出町子供歌舞伎の様子です。お祓いを受けた後は、子供役者は土を踏まないように大人に担がれて移動します。
010 こちらは初日に、神明宮の境内で行われる奉納歌舞伎です。

ここまで富山の祭りについて、個人的に魅力だと思う部分を話させていただきました。
今回、タイトルに「おまつり県=富山の魅力、その情報発信を高岡から」としましたので、
情報発信を高岡から、という部分について最後に聞いていただこうと思います。
写真はこちら写真05
一昨年、ミュゼふくおかカメラ館で開催した『とやま祭り彩時季』という写真展と同時期に、
御旅屋セリオで『たかおか彩時季』という写真展も開催させていただきました。
こちらは「雅な文化遺産と、煌びやかな伝統工芸の息づく町」をテーマに、
001 002 003 国宝・瑞龍寺
004 005 006 勝興寺
007 008 国泰寺
こうした高岡の誇る3つの名刹や、

009 射水神社
010 関野神社
011有礒正八幡宮
など由緒ある神社、

また富山の職人がかかわって製作された高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)に奉納された
012 唐櫃や、
013 平成の御車山
高岡の鋳物技術と井波の彫刻技術を結集して再現された
014 法隆寺の釈迦三尊像
などの写真を展示しました。

こうした神社仏閣や伝統工芸に加えて
015 土蔵造りの町並みが美しい山町筋、
千本格子と石畳が美しい
016金屋町などが比較的駅に近い場所にあります。
こうした風景は、富山市にない高岡市の魅力だと思います。
高岡市から高岡や呉西だけではなく、
富山県全体の祭りの情報を収集し発信する施設や組織が誕生すれば素晴らしいのにと考えています。
お祭りコンシェルジュという富山のお祭りを案内する専門家を置き、
旅行者に「おまつり県=富山」の魅力をアピールできれば、
高岡を起点に県内を様々に観光してもらえるように思います。
山町筋にある赤レンガ造りの旧富山銀行が高岡市に無償譲渡され、
保存利活用の方法を検討中ということなので、
御車山会館にも近い地の利を活かして”お祭りの総合案内所兼、保存施設”のようなものを作るのも
一つのアイデアかと思います。

以上、富山のお祭りの事についてお話しさせていただきました。
人前でお話しすることが不慣れで、お聞き苦しいところも多々あったかと思いますが
長い時間お聞きいただき、ありがとうございました。

4月17日(日)

 隣の田んぼに水が引かれたら、急にカエルの鳴き声が盛大に聞こえるようになった。
新しいトップ画面

←しばらく放置していたトップページを模様替えしました。今回は、これから見頃になるチューリップです。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面

 今日の東京新聞に、吉田拓郎のロングインタビューが掲載されていた。拓郎さんも、76歳か。20代の前半だから40年ほど前、ドラマーの島村英二さんのローディーをしていた時に拓郎さんの全国ツアーにスタッフとして参加した。スタッフをしながら、音楽雑誌に全国ツアーのルポも書いた。全国ツアーは2度参加しているが、そのうちの一つは『王様達のハイキング』ツアーで、YouTubeに映像があった。
 山口県阿武町が、新型コロナ給付金463世帯分である4,630万円を1世帯に振り込むミスをしたそうだ。4,630万円を振り込まれた家もビックリしただろう。
 個人番号の漏えいには罰則が設けられ、総務省からマイナンバーの通知カードが配布された時は簡易書留で送られてきたはずが、今度はスマホにマイナンバー機能を搭載するそうだ。どんどん仕組みがゆるゆるになって行く。

 この他の気になった記事を備忘録として。
小型クジラの母子?奄美の海岸に打ち上げられる 住民ら救助、力尽き
照屋寛徳氏が死去 前衆院議員、社民党副党首も歴任 76歳
ロシア黒海艦隊旗艦の巡洋艦「モスクワ」が沈没 ウクライナ北東部で民間人100人以上死亡
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JR恵比寿駅、「不快だ」の声受け、ロシア語案内表示を覆う 「過剰反応」批判受け、15日に撤回

 Photo Diaryを更新。
*2014年6月22日のPhoto Diaryはこちら
6月22日のスナップ。日本一の板根を持つサキシマスオウの木
↑朝早めに起きて、荷造り。バス停の前のスーパーで、ボンタンアメを一箱買ってバスを待つ。
 しばらく待ってやてきた、祖納を7時53分に出る路線バスで大原港に向かう。
 一昨日、大原11時10分発の波照間行きの船を予約し、民宿も予約しておいた。ただ、昨日の波照間行きは第一便以外は欠航で、今日は昨日以上に風が強いようなので、欠航を覚悟していた。
 9時15分頃に大原港に着いて、ターミナルの切符売り場に行くと、やはり波照間便は全便欠航となっていた。とりあえず10時になってから、予約していた波照間の宿に船が欠航した旨を伝えてキャンセルにしてもらった。
 昨日の内から欠航になった時のために、大原の民宿をいくつかピックアップしておいたので、さっそく電話。最初に電話をかけた民宿で宿泊が決まった。
 さっそく港から3分ほどの宿に歩いて行く。通された部屋は2階屋上に設置されたプレハブ小屋のような作りの建物で、20帖ほどあるだろうか。クーラーは無いが、巨大な扇風機が置いてある。この部屋を一人で使って1泊2000円。
 荷物を置いて、小さなテーブルにパソコンを広げ、それから床にゴロンとなって暫く休む。
 12時半頃に部屋を出て、スーパーに入りお弁当があったので一つ買ってお店の前のベンチに座って食べる。食べ終わり、集落を散歩。大原神社というのがあったので、鳥居をくぐると、拝殿入口の上部に招き猫が並んでいる。最初は誰かがイタズラで置いたのかと思ったが、その先に進むと中殿と書かれた門があり、その上にはゴールドの招き猫が座っている。その奥が本殿のようで、灯籠と石獅子(?)が2体置かれていた。
 大原は、昭和になって新城島の人達が移住してきて作られた集落のようで、沖縄で見る御嶽とも大和の神社とも違う独特な発想の大原神社ができたようだ。拝殿の横に設けられた柱の上には、港でよく見かける丸い浮きに色を塗ったものが飾られている。
 もう一台カメラを取りに宿へ戻ってから、ターミナルの向かいにあるお土産屋さんへ。この建物の中に仲間川マングローブクルーズのチケット販売所がある。クルーズは一日3回ほど行われるようだが、干潮の時は上流へは行けず、上流にある日本一の板根を持つサキシマスオウの木を見る事が出来ない。午前中、大原の港に着いた時に確実に上流のサキシマスオウの木が見れるクルーズを確認したところ、15時30分発のクルーズだと言われていた。
 15時過ぎにチケットを購入。路線バスの一日フリーパスを持っていると一割引きになり、1380円だった。15時25分頃に乗船し、30分に大原港を出航。港を出て仲間川に入り、上流へ向かって速度を上げて行く。一昨日の浦内川のクルーズの様に所々で船をとめて船長さんが自らマングローブや、そこに生息する動植物の解説をする。
 30分ほどで上流の桟橋に到着。目指すサキシマスオウの木は桟橋から歩いて直ぐだった。樹齢400年と言われ、現存する木の中では日本一の板根だと言われるこの木を、奄美にいた頃から見たいと思っていた。
 帰りの船に乗るまでの間は10分。その間に板根を色んな角度から撮影。西表島に来たかった一番の理由がこの板根なので、願いが叶った。
 来た道を辿る様に下流へ戻り、大原港の船着き場へ。ターミナルで少し休憩してから、お昼のお弁当を買ったスーパーへ。カップ麺やお菓子、ビール、ロックアイスなどを買って帰る。
 宿に着いて、買って来たロックアイスを水筒に詰め、水道水を少し足す。冷たくなった水が美味しい。
 部屋に戻り、ネットで小浜島の宿を検索し、電話。明日も波照間行きは難しそうなので、大原から小浜島に向かう事にする。最初に電話をかけた素泊まり3000円の宿が取れた。
 シャワーを浴びて、買って来たカップ麺のカレーうどんと豆の混ぜご飯で晩ご飯。夜、部屋の横のテラスでビールを飲みながら空を見上げると、満天の星空だった。しばらく眺めていると雲が風に流されて来た。部屋に戻り、日記用のメモを書く。
*本日の出費。ボンタンアメ140円、路線バス一日フリーパス1030円、お弁当400円、仲間川マングローブクルーズ1380円、スーパーの買いもの(カップのカレーうどん130円、雑ぜご飯250円、ロックアイス162円、ポテトチップス86円、オリオンのサザンスター119円、消費税60円)。写真は日本一の板根を持つサキシマスオウの木。
*2014年6月23日のPhoto Diaryはこちら
6月23日のスナップ。小浜島

↑沖縄は慰霊の日。朝、公民館から集落内に設置されたスピーカーを通して、正午に黙祷を捧げるよう呼びかけがあった。
 今日は、大原港から小浜島に渡る。小浜行きの船は12時30分に出航。部屋のチェックアウトは10時だが、ヘルパーの女の子がゆっくりで構わないというので11時頃まで部屋でのんびりと過ごした。
 宿を出てスーパーへ行き、438円のみそかつ丼を購入。大原で食べた3食は、スーパーの弁当ばかりになった。
  ターミナルで乗船券を買い、待合所のテレビで慰霊の日の中継を観ながら、みそかつ丼を食べる。沖縄で名古屋の味を食べるのも、なんだか妙だ。
 12時20分頃に乗船。客室には入らず、デッキのベンチに座る。船は定時に出航。沖に出ると、やはり波が高いのか大きく揺れた。デッキ部分は一応屋根はあるが日差しが強烈で、途中からクーラーの利いた客室に涼みに行く。
 船は35分ほどで小浜島に到着。桟橋に降りて、予約しておいた宿の送迎を探すが見当たらない。予約の電話に出たおばさんは、おじちゃんが迎えに行くと言っていたが・・・待合室の付近に地元の方と思われる男性がいたので、民宿の名を言って送迎を待っているんですが、と声を掛けてみると待合室の正面玄関にその民宿の送迎がいると教えてくれる。あわてて正面に行くと、男性は今走って行った車がその民宿の車だと言い、運転しているオジさんに電話をしてくれた。民宿の車は港の前をくるっと回って戻って来てくれた。
 荷物を後部座席に置き、助手席に座る。車中、オジさんと少し話していたら、昔は船会社に勤めていたようで50年ほど前に名瀬によく行っていたという。今でも名瀬港の立ち神岩が印象に残っていて忘れられないそうだ。奄美大島には立ち神岩のある集落が多いと話すと、名瀬だけだと思っていたようで、驚かれてしまった。
 小浜島の集落は港から少し離れている。自転車を借りて島を回りたいと話すと、レンタサイクルは港にしかないそうで、宿に荷物を置いたら、もう一度港に送って下さるという。
 宿の玄関には電話で応対して下さったおばさんが立っていた。とりあえず部屋を案内してもらい、必要な荷物だけ持ってオジさんの車に再び乗車。
 13時40分にレンタルショップを出発し、地図を見ながら自転車を走らせる。最初の観光スポットの大岳展望台までは緩い上り坂を自転車で走り、その後は歩いて展望台までの階段を上る。暑さで汗がダラダラと落ちる。苦労して上った展望台からの眺めはさすがに奇麗だった。
 その後は、廃業したBEACH RESORTから嘉弥真島を眺め、マングローブ林に行き、細崎をまわり、リゾート施設はいむるぶしの前を通り、レンタルショップに戻って来た。
 集落まで自転車でまわると3時間を越えそうだったのと、集落の中は宿に帰ってからゆっくり散歩する方が楽しいのでサイクリングコースから省いた。
 レンタルショップまでは宿のオジさんが送ってくれたが、宿まではレンタルショップのオジさんが送ってくれた。宿の玄関で宿帳に名前を記入していると、宿のおばさんがいらしたので、宿泊料3000円を支払う。
 すっかり汗をかいたのでTシャツを着替えて、集落内を散歩。ちゅらさんの家、こはくら荘があったが、テレビのちゅらさんは観た事がないので今ひとつピンとこない。
 散策してお腹が空いたので、軽食と喫茶のシーサイドへ。500円の、みそ汁を注文。大きな丼に、野菜と豚肉、ポーク、卵が入っている。これにご飯と漬け物。お弁当とカップ麺が続いていたので、これはご馳走だ。値段も良心的で、ありがたい。
 宿に帰る前に、商店に寄って氷とビールとベビースターラーメンを購入。氷はカップに2杯で100円で、ビニール袋に詰めてくれた。宿に帰り、水筒に詰められるだけ氷を入れ、残りは冷蔵庫へ。
 とりあえずシャワーを浴び、明日石垣に戻ってからの宿の手配。夜、急に激しい雨。明日の港までの送迎を相談しようと下りて行くと、玄関にずぶ濡れになったオジさんがバイクに股がっていた。明日9時45分の船に乗りたいと言うと、迎えに来てくれると言う。
 部屋に戻り、今日の日記用のメモを書く。激しく降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。
*本日の出費。みそかつ丼432円、大原ー小浜島1620円、レンタサイクル3時間1050円、スポーツドリンク160円、宿泊費3000円、みそ汁500円、氷100円、サザンスター160円、ベビースターラーメン40円。写真は小浜島。

*2014年6月24日のPhoto Diaryはこちら
6月24日のスナップ。1300円のうなぎ定食
↑今日は9時45分の船で、小浜島から石垣島へ戻る。宿のオジさんが9時に送迎の車を出してくれた。車中で話していると、オジさんの家系も、おばさんの家系も神社(御嶽)をあずかる家だそうで、おばさんが神司だと知って少し驚いた。
 小浜島のターミナルで乗船券を購入し、船に乗る。35分ほどで石垣島の離島ターミナルに着いた。安栄観光のカウンターに行くと、今日の波照間便は第1便は出航したが2、3、4便は欠航だった。
 今日の宿は、初めて泊まるゲストハウス。お昼の12時にチェックインすることになっていたので、ターミナルの待合所で休憩し、売店の奥にあるインフォメーションで宿の場所を教えてもらった。
 20分あれば着くと思うが、余裕をみて11時25分にターミナルを出発。インフォメーションで地図に印を付けてもらった宿の場所は八重山高校の直ぐ近くだったが、その辺りで人に聞いても知らないという。しょうがないので宿に電話すると、どうも地図に印を付けてもらった場所とは違うようで、産業道路にある大手スーパーの角にある信号を右に曲がるという指示。言われた通りに歩くが宿の看板も無く、近くにいたオジさんに尋ねたところ、この辺りにはないので一本先の道路じゃないかと言われ、そちらに歩く。
 オジさんに言われた場所にも宿はなく、近くのバイク屋さんに尋ねると、先ほど道を尋ねたオジさんの家の少し先が宿だった。
 電話で目印を聞くと自動販売機があるという答えで、看板がないので近隣の人でも宿とは知らないようだ。
 結局辿り着いたのは12時10分頃で、暑い中、荷物を背負って45分も歩いた。宿帳に名前を書き、宿泊費の1000円を支払う。宿の女性主人が、泊まることになっていた2段ベッドが3つ置いてあるドミトリー部屋に虫が居て、昨日宿泊したお客さんが虫に刺されて昨日は眠れなかったようで、今日は朝からドミトリー部屋を殺虫しているので、今日は個室に3名で泊まってくれと言う。
 個室に荷物を置き、しばらくゆんたく部屋のテレビを観て休んでから、汗でびしょ濡れになったTシャツを着替えてお昼ご飯を食べに行く。
 宿を出ると、直ぐ近くの交差点に消防車とパトカーが止まっており、軽自動車が一台横転していた。交通事故のようだが、怪我の方はわからなかった。
 事故現場を離れて、自転車で先日食べに行ったあさひ食堂へ。今日は思い切って1300円のうなぎ定食を注文。
 出て来た定食は、鰻の蒲焼き、もずく酢、刺身、サバの唐揚げ、肉団子、和え物、煮物、八重山ソバ、ご飯だった。時間をかけてなんとか完食。お腹が苦しくて、食べ終わった後も新聞を読みながら休んでいたら、突然の激しい雨。お店の人の勧めもあり、しばらく店内で様子見。小雨になったので、お会計をして向かいのコンビニへ買い物に行く。
 コンビニでミネラルウオーターとビール、お菓子、それに傘を購入。糸洲雨合羽店で買った傘を、船浮の海岸で壊してしまったのだった。
 コンビニの庇の下でリュックに入れてあるポンチョを身に着け、自転車に乗って宿へ帰る。
 宿のゆんたく部屋で、BSのサッカーを観るとはなしに眺める。16時までは宿の洗濯物が優先なので、16時を過ぎてから溜まっている洗濯物を洗う。洗濯機も乾燥機も無料なのがありがたい。
 洗濯物の出来上がるまで、テレビのサッカーを観ながら過ごす。宿泊している女性二人がカボチャを使った料理を作っていて、北海道のイモ餅風のカボチャ餅が完成。一つご相伴にあずかった。
*本日の出費。小浜島ー石垣島1220円、宿泊費1000円、うなぎ定食1300円、久米島の銘水101円、トルティアチップス100円、サザンスター141円、傘463円。写真はあさひ食堂のうなぎ定食。

4月14日(木)

 一昨日までの夏日から一転、今日は最高気温13℃で土砂降りの雨だった。肌寒くてファンヒーターをつけ、晩ご飯は久しぶりに豆乳鍋にした。
 熊本、大分両県で災害関連死を含む276人が犠牲になった熊本地震から、今日で6年が経った。写真は2010年6月11日、富山から奄美大島に向かう途中に寄った熊本市内。
2010年6月11日の熊本
 一週間前、水漏れを直してもらった台所。水漏れはその日のうちに直ったが、長い期間水漏れしていた床はべしょべしょだったので流し台を退かしたままにして、日中は窓もドアも開けて風を通し除湿機をかけていた。その間、食器や食材を洗うのは風呂場や外の井戸水を使っていた。ようやく乾いて来たので、昨日の午後、父親と一緒に流し台を元の場所に戻した。流し台が使えなかった一週間ほどは、食材を洗ったり食べた食器を洗うのに一々風呂場や外に行かなくてはならず、本当に不便だった。流し台のありがたみが身に染みてわかった。まあ、流し台が使えなかっただけで水は出たので、自然災害などで断水したお宅から見れば全然恵まれているのだが。
水漏れを修理した台所
 昨日の午前中、パソコンを使っていると急に動作が重くなった。何をするにしても時間がかかる。文字を打つのさえ、異様に遅い。一度作業を終了して、再び起ち上げると直るかもしれないと試みるが、今度は起動画面のバーが途中から進まなくなった。このiMacを中古で購入して、そろそろ1年。もう壊れた?ノートパソコンの方でトラブル対処の方法を検索し、外付けのハードディスクドライブなどを外してトライするが上手くいかない。
 ちょっと頭を冷やすのに、ミュゼふくおかカメラ館へ写真展を観に行く。少し前に満開だった岸渡川の桜は、だいぶ花が散ってしまっていた。
タイムマシーンで復元中の壊れたiMac

 カメラ館から帰り、iMacを起動させると時間はかかったが通常の画面が表示された。最初はやはり動作が重かったが、いつの間にか前のようにスタスタ動くようになった。外付けのハードディスクを外したからだろうか。いつもタイムマシーンを含み2つのハードディスクを接続している。

←タイムマシーンを使って復元を試みている、昨年1月に壊れたiMac。

 今使っているiMacは理由はよくわからないが改善したので、一昨年の12月に買って2ヶ月ほどで壊れて部屋の隅に置いてあるiMacに、今使っているiMac用のタイムマシーンを接続して復元を試みた。こちらを参考に電源スイッチを入れ、⌘+Rを押して起ちあげ、TimeMachineバックアップからシステムを移行させる。復元時間が5時間と表示されたので、途中で晩ご飯にして部屋に戻ってくるとパソコンがダウンしていた。しょうがないので昨日はそこでやめて、今日改めて2回ほどチャレンジしたがやはり途中でダウンしてしまう。ハードディスクが物理的に故障しているのだろうか。
 パソコンというのはトラブルが起こった時、なぜ壊れたのか、なぜ直ったのか素人にはまるでわからない。ブラックボックスそのものだ。

4月12日(火)

 南海日日新聞に、奄美大島の龍郷町にある秋名集落で、小学生が3年ぶりに田植えを行なったという記事が掲載されていた。新型コロナの影響で、2年間中止だったようだ。
 秋名は奄美大島の中では数少なくなった、今でも米作りを行なっている集落。この集落では、旧暦8月の最初の丙日であるアラセツ(新節)の早朝に、豊作祈願の神事としてショチョガマという行事が行われる。山の中腹に造られた片屋根の小屋に男たちが乗り、日の出とともに「ユラ・メラ」と掛け声をかけて小屋を左右に揺らす。小屋が南側に倒れると豊作だと言われている。
 このショチョガマという行事、昔は名瀬市の大熊や浦上、有良、芦花部などでも行われていたが、現在は広い水田が残っている秋名集落でしか見られなくなった。奄美大島は、もともと暖かい土地ということで、あまり美味しいお米が収穫できない土地だったようだが、そこに薩摩藩が侵攻して米の代わりにサトウキビを植えて黒砂糖を年貢に納めることを強いた。そのため、田んぼがサトウキビ畑に変わってしまった。
 祭祀には五穀豊穣を願うものが多く、米作りが無くなるとお祭りや行事も廃れて行くのだろう。五穀豊穣(地方によって異なるが米・麦・粟・豆・黍)祈願といいながら、今では祭祀の供物用としてしか粟を作っていない島もある。生活スタイルの変化は、祭祀にも少なからぬ影響を及ぼしていく。
ショチョガマ01
ショチョガマ02
↑片屋根の小屋に上り日の出を待つ男たち。→男たちが揺らし、倒れる小屋。
ショチョガマ03
↑倒れた小屋の上で、朝日を浴びながら輪になって八月踊りを踊る男たち。

  今週から「ちむどんどん 」がスタートした。
 スピードスケートの小平奈緒選手が10月で引退するそうだ。ルッキズムと批判されそうだが、女性アスリートの中で彼女がヘア・メイクをつけると一番美しく変身するんじゃないかと密かに思っている。
 昨年の衆院選で露わになった、実質1日しか活動していない10月も月額100万円の文書通信費を満額支給された問題。今月7日に行われた与野党の協議会で、日割り支給への変更に合わせて名称と目的を変更する法改正案がまとめられた。名称は「調査研究広報滞在費」に変更し、目的は「国政に関する調査研究や広報、国民との交流、滞在等の議員活動を行うため」に改めるという。文書交通費から、何にでも使えるお金にするようだ。お手盛りも甚だしい。
 先週の土曜日に放送されたTBSの報道特集で、金平キャスターがガルージン駐日ロシア大使に単独インタビューをした。ウクライナ人への虐殺は「自作自演」であり、ロシアが攻撃しているのは「軍事施設だけであり、民間施設ではない」とガルージン氏はインタビューに答えていたが、もはや誰がそんなことを信じるのだろうか。すぐに嘘とわかることをなぜ平気で口に出来るのだろうかと疑問に思うが、いや、我が国には首相在任中に煩悩の数より多い118回も国会で嘘の答弁をした為政者がいたことを思い出した。モリカケ・サクラという3つの事件を見ても、権力者は保身の為なら平気で嘘をつく。そして支配された官僚はその嘘に嘘を重ねる。
 その安倍氏が自民党の安全保障調査会の会合で、自民党が議論している敵基地攻撃能力の保有について、基地に限定しない「中枢攻撃」の必要性を訴えたそうだ。当然、憲法に基づく専守防衛との整合性が問われるだろう。そんな武力攻撃を論じる前に、首相時代に通算27回もプーチンと首脳会談を行い 「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。」とまで言った貴方がすべき事はロシアへ行ってプーチンを諫める事ではないのか。今日、オーストリアのネハンマー首相は、モスクワの郊外にある大統領公邸でプーチンと会談を行なった。言われるままにお金をばら撒いたりファーストネームで呼び合う事ではなく、これが外交だろう。安倍さん、貴方はそういう努力をしただろうか?

 この他の気になった記事を備忘録として。
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 Photo Diaryを更新。
*2014年6月19日のPhoto Diaryはこちら
6月19日のスナップ。宇多良炭鉱跡
↑7時にセットした携帯のアラームで起床。歯を磨き、顔を洗い、荷物をまとめて9時40分頃に宿をチェックアウト。
 離島ターミナルに着いて、石垣ー大原の乗船券を購入。今日から2日間泊まる宿は祖納にあるので、大原港よりも上原港の方が近いが、石垣ー上原が2380円、石垣ー大原が1800円と大原行きの方が安い。大原港から祖網までは路線バスが走っており、時間はかかるが3日間フリーチケット1540円を購入するので移動のコストは押さえられる。
 売店でおにぎり弁当とパンを1つ買って、フェリー乗り場へ。予定の時間を過ぎても大原行きの船が入港しないので、少し焦る。結局大原から石垣の便が遅れて入港したので、9時40分発の大原行きは10分以上遅れて石垣港を出航した。
 祖納へ向かう路線バスは、大原港を10時30分に出る。これに乗れなければ、次は14時まで待たなくてはならない。そう言う気持を知ってか、船はビュンビュンと海上を飛ばしている。ジャンプして揺れて、遅れを取り戻すかのように怖いくらいのスピードで大原港を目指す。
 飛ばしたかいがあり、路線バスにはギリギリ間に合った。車内で3日間フリーの乗車券1540円を購入。1時間20分ほどかかって祖納のバス停に着いた。
 宿泊する民宿はバス停から100メートルもない。玄関で声をかけると、若い主が出て来た。部屋を案内してもらい、宿帳に記入して2日分の宿泊代4000円を支払う。6月9日に借りていた部屋を引き払ってから、初めての個室だ。
 エアコンのスイッチを入れ、離島ターミナルの売店で買ったおにぎり弁当を食べて、1時間ほど部屋で休憩。13時過ぎに宿の自転車を借りて、浦内川へ。宿から川まで、20分ほどで着いた。
 川沿いの遊歩道を1キロほど歩いた所に、宇多良炭鉱跡があった。嘗てはここに、300人収容できる芝居小屋まで有した村があったそうだが、現在はガジュマルの気根にがっちりと絡まれたレンガの柱などが少し残るだけだ。30分ほど写真を撮って、来た道をゆっくりと引き返す。ガサガサと草むらで音がするので目を向けると、青いしっぽのトカゲがいた。イシガキトカゲだろうか。それにしても、奄美の山は深い森だったが、西表はジャングルのようだ。少し歩いただけで汗と湿気でTシャツがビショビショになった。
 炭鉱跡が見れたので、自転車で宿に戻る。祖納集落の手前にある干立集落に寄ってみると、公民館に沢山の稲藁が置いてあった。何だろうと思い、公民館にいらしたオジさんに尋ねたところ、来月の豊年祭で使う綱引きの材料にする藁だった。本島あたりでは米作りをする農家がいなくて藁を海外から取り寄せる地域もあるが、西表島の集落は自前の田んぼの稲藁で作れるのだろう。干立から祖納へ向かう途中、田んぼに人だかりがあったので見に行くと、西表小中学校の行事で稲の収穫をしていた。
 宿の隣りの小さなスーパーで、抹茶味の南国白くまがあったので買ってみる。部屋で着替えて17時過ぎに公民館裏の海岸へ。遠浅のきれいな海岸だが、やたらと海藻の多い海だった。水温は高く、泳ぐというより浸かりながら過ごした。
 祖納にはこの公民館の裏にあり干立の海岸と繋がっている浜と、節祭の舞台となる前泊浜がある。せっかくなので海パンにTシャツを着て前泊浜へ行き、こちらでも泳いでみた。
 日が傾いて涼しくなって来たので海から上がり、宿に帰ってシャワーを浴びる。キッチンに宿の主がいらしたので海の中は海藻ばかりだったと話すと、海藻を越えると珊瑚が広がるそうだ。
 夕焼けが見れないかと思い、冷凍庫にしまっておいた抹茶味の南国白くまを持って前泊浜へ。雲が流れて来て、部分焼けの夕焼けしか見られなかった。
 宿の斜め向かいにあるラーメン屋で、ラーメン定食を注文。ラーメン、餃子5ヶ、小ライス、漬け物で850円。
 宿にはテレビがないので、静かな夜だ。
*本日の出費。おにぎり弁当250円、パン120円、石垣ー大原1800円、路線バス3日間乗車券1540円、宿代2日分4000円、抹茶南国白くま110円、ラーメン定食850円。写真は宇多良炭鉱跡。
*2014年6月20日のPhoto Diaryはこちら
6月20日のスナップ。水牛車
↑9時前に宿を出て隣りの小さなスーパーでぶどうパンを購入。自転車で昨日も行った浦内川へ。今日はマリュドゥ・カンビレーの滝を見るコースに参加するため、橋から少し入った遊覧船乗り場へ。参加費は1800円だが、バスの3日間フリーパスを提示すると1割引きで1620円になった。
 9時30分に、遊覧船は船着き場を出発。船頭さんが浦内川と、川に生息する植物の説明をところどころでしながら、船は30分ほどで上流の船着き場に到着した。
 ここで遊覧船を下りて、マリュドゥの滝とカンビレーの滝を目指す。滝までは一本道で、ガイドは付かない。自分のペースで歩き、12時までに船着き場に戻る。
 林道を40分ほど歩いて、マリュドゥの滝が見える展望台に到着。途中、亀が道を横切って行った。咄嗟の事で撮影が出来なくて、残念だった。この展望台で朝買って来たパンを少し食べ、水筒に入れて来た水を飲んで一休み。
 展望台からカンビレーの滝へ行く途中、草むらでガサガサと音がするので目を凝らすと、また亀がいた。今度は撮影に成功。国指定天然記念物のセマルハコガメだろうか。亀やトカゲ、巨大な板根を持つ木などを撮影しながら歩いていたら、カンビレーの滝を見下ろす場所まで25分ほどかかった。水量のある時にくれば迫力のありそうな滝だ。
 カンビレーの滝に到着した時点で11時10分頃。帰りの船が出る12時までに船着き場に戻らなくてはならないので、未舗装の林道を急ぎ足で歩いた。急いだ甲斐があって10分ほど前に到着。12時の遊覧船で下流の船着き場へ。船着き場で休憩してから、浦内川のバス停へ。12時59分の豊原(大原方面)行きのバスに乗車し、古見のサキシマスオウの群落のある場所で降ろしてくれるように運転手さんにお願いする。
 1時間ほどバスに揺られ、古見集落を少し過ぎたところでバスは停車。下りるとサキシマスオウの群落の案内板が立っている。入口の案内板からちょっと歩くと、サキシマスオウの群落があった。暫く見ているとカメラを持った女性がやって来た。日本語で話しかけられたので日本語で返すと、私はオーストラリア人なので日本語は少ししかわからないと日本語で話す。顔は日本人あるいは東南アジア風で、オーストラリアと言われて戸惑う。
 路線バスは手を挙げればバス停でなくても止まってくれるが、古見のバス亭まで歩く。帰りのバスは15時57分で、これが最終便。これに乗り遅れるとヒッチハイクで帰るしかない。
 古見の集落を歩いていたら、海岸の近くで御嶽を見つけた。なんだか佇まいの美しい御嶽だった。
 バス停に戻りバスを待っていたら、通り過ぎる車の中に先ほどのオーストラリアの女性が運転する車があった。こちらに気付いて笑顔を向けてくれた。
 15時57分のバスは、3分ほど遅れて古見のバス停に到着。由布水牛車バス停で時間調整のために10分ほど停車したので、バスを降りて水牛の写真を撮りに行く。
  宿の自転車を浦内川に置いて来たので、浦内川のバス停で下車。せっかくなので、昨日に続いて炭鉱跡へ。昨日の夜にネットで調べていたら、案内板のある場所以外にも炭鉱の形跡を残すものがあるようだ。
 炭鉱跡へ向かって歩いていると、またまたオーストラリアの女性とすれ違った。彼女は炭鉱跡を見た帰りのようで、あと5分ほどと英語で教えてくれた。
 炭鉱跡の案内板へ行く途中に横へそれる道が一つあったので、そちらに歩いて行くと嘗て使われていたコンクリートの橋があった。橋の上には何本もの木が大きく育っていた。
 昨日撮影した炭鉱跡をもう一度撮影し、浦内川のバス停の方へ戻る。置いておいた自転車に乗り祖納の宿へ向かう途中、またオーストラリアの彼女が運転する車とすれ違った。西表島は広くて狭い。
 スーパーでおにぎりセットを買い、シャワーを浴び、洗濯をする。
 明後日から波照間島に行こうと思い、宿の手配。最初に電話をした宿は満室で、次にかけた宿で空きがあった。1泊2000円で、2泊予約した。波照間島には大原からも便が一日一便出ているが予約が必要なので、安栄観光に電話。名前を告げる。11時10分に大原港発なので、15分くらい前に港に来て切符を買って欲しいとの事。
 今泊まっている宿は2泊しか予約していなかったので、明日も延泊する旨、主に電話。しばらくして主が宿に戻って来たので明日の分の2000円を支払う。
*本日の出費。ぶどうパン280円、浦内川クルーズ&マリュドゥ・カンビレーの滝を見るコース1620円、スポーツドリンクのペットボトル140円、おにぎりセット330円、明日の宿泊費2000円。写真は西表島と由布島を行き来する水牛車。
*2014年6月21日のPhoto Diaryはこちら
6月21日のスナップ。イダの浜

↑9時過ぎに郵便局へ行き、ATMで旅行資金の補充に2万円を引き出す。
 今日は上原でデンサー祭り、祖納集落では午後から来月の豊年祭の綱作り用の稲刈が行われる。どちらも興味深くて見に行きたいが、後ろ髪を引かれつつ、船浮集落の浜で泳ぐ事にする。
 部屋で海パンに着替え、Tシャツを着てバス停へ。祖納のバス停を10時に出る路線バスで、隣りの白浜へ。5分ほどで着いて、船浮行きの高速船が出航する10時55分まで集落を少し散策。
 時間になって乗船。切符を何所で買えば良いのだろう?と思っていたら、乗船時に入口で船長自らが切符を販売。白浜ー船浮の往復切符960円を購入。船内の客室には入らず、デッキ部分にあるベンチに座って外を眺めながら船浮へ。10分ほどで港に着いた。
 船を降りて、案内板に従って集落から山の脇道を越えてイダの浜へ。山道には昔の集落の共同井戸と思しきものがあった。港から浜までは500mと、少し歩かなくてはならないが、波消しブロックもコンクリートの護岸もない白砂の浜は噂通りに美しかった。
 浜に着いた時は何組かシュノーケリングをしている人達がいたが、ツアーで参加しているようで12時頃に遊覧船で帰って行った。個人で来ている人も一人二人と帰って行って、短い時間だがこの奇麗な海岸がプライベートビーチになった。
 先ほどのツアー客を添乗していた男性が、今日は南風が吹いていて空が青く写真日和だと言っていた。日差しは強いが、風があって涼しい。南風に雲が流されて、空の表情が刻々と変化する。
 船浮から白浜への帰りの船は15時30分。この後に17時10分の最終便もあるが、これだと路線バスの最終便が出た後になってしまう。
 14時過ぎまで泳いだり写真を撮ったりして、浜の木陰で着替えて港へ。集落の中を少し散歩した後、港の真ん前にあるお店でソバを注文。豚の三枚肉と竹の子が入っていて750円。量はたっぷりだが、朝に昨日の残りのパンを少し食べただけなので汁まで美味しくいただいた。
  風が通るテラス席でソバと冷たいサンピン茶でのんびり休んだ後、白浜行きの高速船に乗船。10分ほどで港に到着。
 白浜バス停を16時20分に発車する最終便は、すでにバス停の横に待機していた。運転手さんに声を掛けて荷物を少し車内に置かせて貰って、集落を散策。発車の10分前までにバスに乗車し、粗納へ戻る。
 祖納への途中、車窓から大勢の人が稲刈をしている田んぼがあった。たぶん、これが祖納集落の豊年祭に使う綱用の稲刈だろう。
 バスを降り、目の前のスーパーでお弁当とアイスクリームを購入。普段は売り切れている事の多いお弁当が、いくつも残っていた。値段を聞いたら、今日は売れ残っているから400円でいいという。本来は550円らしい。
 宿に戻り洗濯をし、撮影データのバックアップ、日記用のメモ書き。19時過ぎに、夕暮れが見れないかとアイスクリームを持って前泊浜に行くが風が強く雲も多いので諦めて帰って来た。
 明日大原港から波照間へ行く便を予約してあるが、この風だと難しいのかも知れない。今日の石垣ー波照間便は第一便は運航したが、後は欠航となっていた。
 スーパーで買って来たお弁当を電子レンジで温めて食べ、シャワーを浴び、日記用のメモを書く。

 ところで白浜のバス停に”日本最西端のバス停”と書かれていたが、これに関しては少し疑問が残る。日本最西端の島である与那国島の最西端にある集落、久部良にもバス停があるからだ。与那国島ではライトバンを使い1日に7便運行している。運賃は無料で、バス停でなくても手を挙げれば停まってくれる。一般的な路線バスとは趣が違うが、時刻表を書いた停留所もちゃんとある。
  では最南端のバス停はどこかネットで検索したところ 、白浜の反対側の終着点である西表島の豊原だそうです。最南端の島、波照間島には路線バスがないのでこれは妥当だと思える。ただ、西表島の少し南にある黒島に臨時のバス停が出来る事がある。豊年祭の時に港から会場まで観光客を運ぶためにベニヤ板に描かれたバス停が立つ。この時だけは日本最南端のバス停になる。
*本日の出費。白浜ー船浮往復960円、ソバ750円、お弁当400円、アイスクリーム80円。写真はイダの浜。

4月9日(土)

 今日は快晴で気温も上がり、高岡の最高気温は25℃超えの夏日となった。トタン屋根の2階の部屋はちょっと暑くて、押入れから扇風機を出してきた。まだ肌寒い日もあるだろうから、石油ファンヒーターと一緒に作業椅子の後ろで並んでいる。
 昨日、エプタというムック本が献本されてきた。発行はヒノキ新薬という化粧品メーカーで、新型コロナの流行前は年に5冊刊行されていた。毎号一つのテーマを深掘りする編集方針から、書籍と雑誌の中間のムック本という位置付けにしたようだ。
 送られてきた号は100号目で、そして最終号になるという。最終号のテーマは「墓文化」。縄文遺跡から古墳、高野山の供養塔、沖縄の門中墓、暮石の産地へと取材は多岐にわたっている。
 今回、縁があって沖縄で最大の門中墓である幸地腹・赤比儀腹両門中での清明祭の様子や、英祖王や尚寧王を祀った浦添ようどれの墓室のレプリカ、中城城主で琉球戦国時代の武将・護佐丸の墓や、尚円王の生まれ島・伊是名島にある尚円王の親族が眠る玉御殿での公事清明祭の様子など10点ほど写真を提供した。
 バブルの頃は、いろんな企業がメセナとして様々な芸術文化の支援活動を行っていたし、雑誌を発行する企業もあった。片岡物産が片岡出版という出版社を設立して『ゴールド・エイジ』という雑誌を発行していたのもバブルの頃で、当時ほぼ毎号いくつかの撮影を担当していた。定年退職後の人生を豊かに生きるための雑誌を目指し、紙質もよくカラーページが多かった。エプタはバブルが崩壊して10年も経った2001年創刊だが、印刷がキレイでほぼカラーページで構成されている。
 エプタが当初から100号までと決めていたのか、時代の変化で発刊を終えたのかはわからないが、こうした定期刊行物が消えていくのは寂しい限りだ。 
エプタ
↑献本していただいたエプタ。ご丁寧に5冊も送られてきた。
 岸渡川の桜が満開になったという写真が次々とfacebookにUPされていたので、昨日の午後、散歩がてら見に行った。花粉症なのでなるべく外出を控えていたが、一昨日打ち合わせで久しぶりに高岡まで出かけたが、夜になっても目の痒みや鼻水・鼻詰まりの症状が出なかったのでスギ花粉はかなり少なくなったようだ。
 福岡橋の横にある地蔵堂の横に自転車をとめて、西干場住宅まで桜を眺めながら1時間半ほど両岸を歩いた。西干場住宅の何ヶ所かが更地になっていた。家が建つんだろうか。小学生の頃だから50年ほど前は、この住宅に同級生が何人か住んでいた。今はほとんどが空き家のようだ。
 西干場住宅と小矢部川を挟んで反対側に、三日市住宅があった。こちらは何十年も前に取り壊されて新しい住宅地になり三日市住宅の面影はない。しばらくは暖かい日が続くようなので、お花見日和だ。
岸渡川の桜01
岸渡川の桜02

4月7日(木)

 しばらく前から、台所の流し台のまわりの床が濡れて湿気っている。食器を洗った時に水が飛び散って、床を濡らしているのかと思っていたが、どうも様子がおかしい。濡れている範囲がかなり拡大している。排水パイプから漏れているのだろうか?このままにして置くわけにもいかないので、父親の知り合いの配管設備屋さんに来てもらった。
 流し台を退かして壁のベニヤを外したり断熱材を剥がしたりして探したところ、一つの蛇口の近くから漏れていることがわかった。本当は修理の様子を見守りたかったが、今日は昼過ぎから高岡のホテルで打ち合わせがあったので、妹と両親に任せて出かけた。ホテルでの打ち合わせなので、久しぶりにスーツを着る。冠婚葬祭の礼服以外でスーツを着るのは何十年ぶりだろう。礼服以外のスーツは、30年ほど前に買ったのが何着かあるだけ。その中の茶系のスーツを着てみた。スラックスも上着もちゃんと入るか心配だったが、無理なく着れた。
 自転車で駅まで行き、あいの風とやま鉄道で高岡へ。あいの風とやま鉄道の電車に乗るのも久しぶりだ。今年初めてなのはもちろん、昨年は一度も乗っていないかも知れない。お昼時の電車なのに、車内は高校生がいっぱいで混んでいた。入学式や始業式があって、こんな時間に混んでいるんだろうか。
 高岡駅に着いてから打ち合わせの時間までかなり開いたので、駅前にある高岡市立中央図書館に寄ってみる。一昨年寄贈したフォトブック『とやま祭り彩時季』1〜11が書棚に並んでいるはず。最初は3階の郷土資料コーナーを探したがなかった。変だなと思いながら、2階の富山県関係の書籍が置いてあるコーナーを探してみると11冊並んでいた。表紙は図書館の方で汚れたり破れたりしないよう、透明ビニールのカバーをして下さっていた。
 ホテルでの打ち合わせはすぐに終わり、高岡駅へ戻り、あいの風とやま鉄道で最寄駅へ。家に帰ると誰もいない。台所は流し台を退かしたままだ。妹に連絡すると両親を連れてスーパーで晩ご飯を買っているという。水漏れ箇所は直っているらしいが、床が乾くまで流し台を退かして置くようだ。

↓水漏れ箇所を探すため退かした流し台。→水漏れ箇所。
修理した水漏れ箇所
水漏れ修理をした台所
 部屋に戻ってパソコンを起ち上げてネットのニュースをチェックすると、藤子不二雄Aさんの訃報が飛び込んできた。
 下の写真は藤子不二雄Aさんの生家である、富山県氷見市にある光禅寺の敷地に飾られた漫画のキャラクターの石像。
光禅寺の石像
 この他の気になった記事を備忘録として。
アメリカン大学 ピーター・カズニック教授に聞く ウクライナ侵攻と核戦争の危機 取材:大矢英代さん
「これが福祉なのか...」困窮者への特例貸付で破産連絡700件超 コロナ禍で大量申請、支援現場に葛藤
 Photo Diaryを更新。
*2014年6月16日のPhoto Diaryはこちら
6月16日のスナップ。首里城にいた猫
↑ゆんたく部屋に宿のご主人がいらしたので、一昨日からの宿泊費3日分3000円を支払う。雨は降っていないが、もの凄い湿気で、空気が重くベッタリとしている。
 お昼ご飯を食べに辻のステーキハウス、Mr.マイクへ。1200円のステーキランチを注文。沖縄に来て一番高い昼食だと思うが、スープ、サラダバー、ドリンクはお替わり自由。お土産にサーターアンダギーまでいただいて、かなりお得なランチだと思う。
 ステーキハウスを出て 自転車で県庁の裏の方にあるジミー泉崎店へ行き、ジャーマンケーキの生地にチョコレートを練り込んだジャーマンBOXを購入。ケーキを持って安里にある不動産管理会社へ行き、部屋の清掃代の清算金を受け取る。入居時に清掃代として25500円を支払っており、退去した後のハウスクリーニングにかかった費用の差額が戻って来る。国土交通省のガイドラインではハウスクリーニングは基本的には大家さんの負担であり、契約書に特約として書かれていても無効に出来る可能性は高いようだが、争えば時間がかかりお互いにいい気分はしないので担当者になるべく返してくれるようにお願いしておいた。エアコンのクリーニングを含めて16000円で、差額の9500円が戻って来るのは担当者が少し頑張ってくれたのだろうと思い労いのケーキを渡した。
 一旦宿に戻ってから、今度は自転車で美栄橋駅へ。モノレールの一日乗車券を購入して那覇空港駅へ行き、スカイマークのカウンターで明日の石垣へのチケットを購入。通常の那覇ー石垣片道5100円が、一日前に買えば4400円になる。
 チケットの引換券を受け取りモノレール乗り場へ。せっかく一日乗車券を買ったので、終点の首里駅まで乗車。運転席の後の席が空いていたので、前方の写真を撮りながらの短い旅。空港から首里駅へ行く途中に雨が降り出して、首里駅を下りてからも降り続けていたので駅の周辺を少し歩いて、またモノレールに乗車。運転席の直ぐ後の席に座り、今度は反対側の終点である那覇空港駅まで。せっかくなので空港のお土産売り場を見て歩く。
 お土産売り場を出てモノレールの乗り場に行くと空が少し明るくなっていたので、懲りずにモノレールで首里城駅へ。首里城跡まで歩く元気はないので、首里城公園の端にある上の毛へ。昨年の初日の出は、この上の毛から見たのだった。少し丘になった所から泊港の方を見ると、雨雲に覆われている。子猫が一匹いて、近づいても逃げないので頭と喉を撫でさせてもらい、写真を撮る。ずいぶんと人懐っこい子猫だ。
 首里駅に戻り、今度は県庁前駅で下車。パレットくもじの食料品売り場で値下げした弁当があれば買おうと思って行ったが、あまり値下げしたものはなかった。県庁前駅から自転車を置いてきた美栄橋に戻る。また雨が降り始めていたので、傘をさし、自転車をひっぱりながら前島のスーパーへ。お昼にステーキを食べてお腹ペコペコではないので、お弁当でなくてソーメンチャンプルーと甘辛ゴボウ揚げを購入。お店を出ると雨は止んで、空はオレンジ色に燃えていた。路地からではなくもう少し広い空へ出て写真を撮ろうと58号線に出ると、もうオレンジの空は小さく薄くなっていた。マジックアワーは美しく、そして儚い。
 宿に帰り、シャワーを浴びてから、買って来た総菜とサザンスターで晩ご飯。
*本日の出費。3日分の宿泊費3000円、ステーキランチ1200円、ジャーマンBOX1080円、モノレール1日乗車券700円、那覇ー石垣航空チケット4400円、ソーメンチャンプルーと甘辛ゴボウ揚げ249円。写真は首里城公園にいた人懐っこい猫。
*2014年6月17日のPhoto Diaryはこちら
6月17日のスナップ。石垣島へ向かう飛行機から
↑今日から石垣島。朝7時にセットしておいた携帯のアラームで起床。荷物をまとめて9時40分頃に宿をチェックアウト。
 自転車で県庁前駅に行き、下の駐輪場に自転車を止めてモノレールで那覇空港へ。モノレールの一日乗車券は、買った日ではなく最初に入場した時間から24時間なので、昨日買った乗車券がまだ使える。 
 空港に着いてコンビニでサンドイッチを1つ買って、スカイマーックのカウンターへ。手続きを済ませて、ゆっくりと搭乗ロビーで出発を待つ。ロビーで待っている間にサンドイッチと、昨日ステーキハウスで貰ったサーターアンダギーで朝食兼昼食。
 飛行機は那覇を12時25分発だったが、乗り継ぎ便待ちと滑走路の混雑で、実際に飛び立ったのは13時を過ぎていた。今日は朝から快晴で、飛行機の窓から慶良間諸島、宮古島、伊良部島、多良間島がよく見えた。
 出発が遅れた分、石垣空港に到着する時間も遅くなり、13時25分の予定が14時10分くらいになった。
 預けておいた荷物を受け取り、バスで市内へ。博物館前で下りて2泊予約しておいたゲストハウスに向かう。昨年の7月と8月に宿泊しているが、その時からの改装工事が進んで玄関の場所が変わっているので驚いた。
 2日分の宿泊費2000円を支払い、ドミトリーに案内してもらう。しばらく自分のスペースで休んでから、色々と買い物。晩ご飯は近くにありながら休日だったりで一度も入っていないあさひ食堂で食べようと思っていたが、地元のスーパーで白飯と春雨サラダ、鮮魚店でマグロとカジキの刺身を買って来て済ませた。醤油は宿に常備されているだろうと思っていたらなかったので、お酒を買いに行ったついでに醤油も購入。これは宿に置いて行くことにする。
 昨年から宿のヘルパーをしているハルちゃんが、農園のバイトから帰って来たので聞いてみると、昨年長期で宿泊していた人達はそれぞれ次の場所に移動したようだ。
*本日の出費。サンドイッチ216円、石垣空港ー博物館前540円、2日分の宿泊費2000円、ごはん100円、春雨サラダ260円、刺身500円、ミネラルウオーター101円、サザンスター141円、請福30度613円、醤油198円。写真は石垣島へ向かう飛行機から。
*2014年6月18日のPhoto Diaryはこちら
八重山博物館に展示されていた波照間島のミルク面
↑朝起きて、溜まっている洗濯をする。その後、明日から行く西表島での宿の手配。昨年祖納の節祭を見に行った時に泊まった宿を2泊予約する。
 11時過ぎに宿を出て、近くにある八重山博物館へ。ここに伊原間集落のマユンガナシの時に使用されていたお面が展示してあるという情報をネットで見たが、館内を一通り見回してもなかったので受付で尋ねたところ、嘗ては展示していた時期もあるそうだが、現在は一般公開はしていないという返事。残念。それでも波照間島のミルクの面や、嘗ての葬儀に使われた龕や旗などの道具一式など興味深い展示が見れた。
 博物館を出て、あさひ食堂へ。とんかつ、煮物、和え物、小さなソバ、ご飯がセットのあさひ定食700円を注文。予定ではうなぎ、刺身、焼き物、煮物がセットのうなぎ定食を注文しようと思っていたが、ネット情報では1000円だったが、1300円になっていて断念した。
 一旦宿に戻り、乾燥機に入れずに外に干したバスタオルとズボンを取り込む。さすが南の島、朝干せば昼には乾いている。
 洗ったばかりのハーフパンツに着替えて、離島ターミナルへ。石垣ー西表島のフェリーの時刻表と、西表島の路線バスの時刻表を貰う。
 離島ターミナルから竹富町役場に行き、観光課で西表島のサキシマスオウについて聞いてみる。古見のサキシマスオウの群落は御嶽の中にあり立ち入り禁止だが、少し離れた所から見ることはできるようだ。古見で路線バスを降りて歩いて行けるらしい。仲間川の日本一大きい板根のサキシマスオウの木は、クルーズ船で近くまで行くしかないとのこと。また嘗ての炭坑跡は、浦内川で路線バスを降りて歩いて行ける距離にあるそうだ。
 竹富町役場から市立図書館へ。クーラーの効いた館内で、沖縄に関連した写真集を眺めて過ごす。
 図書館に2〜3時間は居ただろうか。17時半過ぎに出て、離島ターミナルに寄り、昨日も買い物をした地元のスーパーで白飯や、明日西表島に持って行くカップ麺などを購入して宿に帰った。
*本日の出費。洗濯機100円、乾燥機100円、博物館入館料200円、あさひ定食700円、ごはん100円、カップラーメン113円、カップ焼きそば128円、柿ピー100円、サザンスター120円。写真は八重山博物館に展示されていた波照間島のミルク面。

4月4日(月)

 ウクライナがロシア軍から奪還したキーウ郊外のブチャで、民間人と見られる多数の遺体が見つかった。テレビではEU各国や米国の首脳がロシア軍の残虐性、非人道性を非難するコメントや、プーチンの戦争犯罪を問う声を流している。
 確かにテレビやネットのニュースで流れてくる映像には凄惨な場面が映っており残虐な行為が行われたのだが、そもそも戦争とは凄惨で残虐なものだ。人道的な戦争というものが存在するのだろうか?戦争犯罪という言葉が盛んに使われ出したが、戦争こそが犯罪とも言える。
 2014年7月、イスラエルがガザに侵攻した時も死者は800人を超え、このうち約100人は子供だった。

現代の戦争は、圧倒的な力を誇る攻撃する側と、市民の犠牲者に分けられる。そして戦場は私にとって、腐る体であり、焼けただれる匂いであり、体がぐちゃぐちゃに砕ける姿であり、切断された顔、壁に付着する子どもの髪の毛だった。兵士の死体はめったに出会わない。戦争と呼ばれるものの犠牲者はほとんど市民だった。
だから私は自衛隊に死者が出るからと言う理由で、集団的自衛権に反対するのではない。臆病な兵士は優秀な兵士である。動くものを見ると、確かめもしないですぐに引き金を引く兵士である。それは市民に引き金を引ける兵士である。物影で動いたのが子どもであることを確かめることもなく。そして被害者の姿を一生見なくてすむ者、司令官や政治家の命令で、ミサイルのボタンが押される。自衛隊が10人死ぬ現場では、自衛隊によって100人が殺されるだろう。そのうちの5人は敵の兵士であり、5人は友軍に殺される兵士であり、90人は市民なのだ。

 この文章はイスラエルがガザに侵攻していた当時、フォトジャーナリスト・広河隆一さんのブログに書かれていたもの。第2次安倍内閣で集団的自衛権を限定的に行使することができるという、憲法解釈を変更する閣議決定がされた頃だ。広川さんは女性に対する性加害でそれまでのキャリアを汚し残念な人になってしまったけれど、この文章は戦争というものの一面を表していると思う。

 一昨日の南海日日新聞に、奄美大島で「幻の花」といわれるアマミセイシカが咲いたという記事が掲載されていた。この花は奄美大島の固有種で、ツツジ科の常緑低木〜小高木。環境省のレッドリストでごく近い将来、絶滅の危険性が極めて高い絶滅危惧種IAに指定されている。
 奄美に住んでいた2014年の4月に、写真家の常田守さんに案内していただいて宇検村の河内川へこのアマミセイシカとケラマツツジを撮影に行った。あいにくアマミセイシカは少し山の方に咲いていて、近寄れなかったので見た感じはツツジ科の植物のようには見えなかった。ちょっと背の高い木になんだか白い花がいっぱい付いているという印象だ。ケラマツツジの方は川べりに咲いていたので近くから撮影できたのだが、こちらは少し枯れ始めていて残念だった。
 下の写真は河内川で撮影したアマミセイシカ(左)とケラマツツジ(右)。
奄美大島のアマミセイシカとケラマツツジ
 ケラマツツジのケラマは沖縄の慶良間諸島に由来するが、2013年の3月28日、慶良間諸島の渡嘉敷島で開催された沖縄戦で集団自決した島民の慰霊祭を撮影に行った時に、ケラマツツジの原種といわれる花を撮影した。慰霊祭の行われた白玉之塔の周囲にケラマツツジが咲いていたので撮影していたら、役場関係の人だろうか、塔から港へ下りて行く坂の途中にケラマツツジの原種が2本咲いていると教えて下さった。慰霊祭の後、教えられたケラマツツジの原種を見てきたが、それは鮮烈な赤で、花びらが重なるように咲いていて、なんとも豪華さのある花だった。
 下の写真が渡嘉敷島にあるケラマツツジの原種。
渡嘉敷島で撮影したケラマツツジの原種
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*2014年6月13日のPhoto Diaryはこちら
6月13日のスナップ。イーフビーチ
↑昨日の疲れがあったので、8時過ぎまで寝ていた。新垣さんが香取線香を焚いておいてくれたので、今日は蚊に刺されることはなかった。船の時間は14時だが、早めに港に行って写真を撮りたいという新垣さんを見送ってから洗濯。家では全自動の洗濯機にして長いので、久しぶりの二層式は使い方に戸惑う。
 昨日の天気予報では今日まで晴れの予想だったが、朝から曇りで昼頃から雨が降り出した。コンビニで買って来たポークサンドおにぎりセット298円と一昨日の残りの素麺で昼ご飯にして、宿のテーブルにパソコンを広げて日記のメモを書く。昼のテレビでは、今日から始まったブラジルでのワールドカップのニュースが流れていた。
 宿のオーナーがいらしたので、延泊した今日の宿泊費1500円を支払う。
 雨は降ったり止んだりだが、16時頃に雨の止み間をみて近所を散歩。宿の前はビーチ通りだそうだが、梅雨の今は行き交う人もなく閑散としている。イーフビーチ沿いに立ち並ぶ民宿や飲食店を眺めてから、コンビニで晩ご飯用に満腹玉子とじ重410円と芋かりんとう100円、カフェオレ152円を買って帰る。晩ご飯にも素麺を茹でて食べる。
 日記のメモを書く手を休めて、明日の宿の予約。今泊まっている宿にチラシが置いてあった、前島のゲストハウスに電話。とまりんから歩いて2分で、ドミトリーは1泊1000円だ。
 日記のメモを大体書き終えて、昨日新垣さんが会場で貰った祝稲穂祭 真謝角力大会と書かれたラベルが貼られた久米島と言う泡盛をちびりちびりと呑む。16人が泊まれる部屋で、今日は一人。凄く贅沢で少し寂しい。
*本日の出費。お弁当298円、宿泊費1500円、お弁当410円、お菓子100円、カフェオレ152円。写真はイーフビーチ。 
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6月14日のスナップ。ゲストハウスの近くにいた猫
↑昨日の晩に蚊取り線香を焚いたが、朝方蚊が耳元でブンブン飛び回る音で目覚める。一昨日ほどではないが、けっこう刺されていた。
 晴れていれば早めに港に行って写真を撮ろうと思っていたが、朝から雨が降っているのでテレビを観ながらゆっくりと荷物の整理。ベッドまわりやキッチン、部屋の片付けをする。
 一瞬晴れ間も見えたので浜の方へ歩いて行くが、またすぐに雨が降って来た。
 那覇行きのフェリーは14時に久米島を出航する。町役場のホームページでバスの時刻表を調べて、営業所を12時25分発の空港線でフェリーターミナルのある兼城に行くことにする。12時10分くらいに営業所に行くと事務所には誰もいないのでちょっと不安になるが、バスの出発する5分ほど前に運転手さんが車で到着。バスのエンジンを掛けて素早く出発となった。
 空港線はイーフビーチの大きなホテルをまわった後、奥武島の施設に寄ってから久米島の中心部へ。兼城のバス停で降ろしてもらい、100メートルほど先のターミナルで一昨日電話で変更したチケットの手続きをした。
 朝ご飯も昼ご飯も食べていないので、ターミナルの中にある蛍で500円のお弁当を購入。エビフライ3本、ナス味噌ほか色々なおかずが詰め込まれている。
 13時15分から乗船出来るというので船に乗り込むが、相変わらず客室は冷房が効いていて寒いくらいだ。外のデッキで、買ったばかりのお弁当を食べる。船は定時に久米島を出航。来た時ほどには波が高くないのか、あまり揺れなかった。
 渡名喜島に寄り、慶良間諸島の横を通って那覇の泊港に入港したのは17時45分頃。下船して、歩いて昨日電話で予約した前島にある宿へ。
 前島は、飲み屋と安宿が軒を並べる不思議な地区だ。一週間ほど前まで住んでいた上之屋から自転車で5分ほどの場所で、昼間はよく自転車で通ったが夜に出歩くことはなかったので、前島に泊まるのは少しドキドキもする。
 場所はすぐにわかったので受付のあると思われる2階へ。こんにちは、と声をかけて暫く待っているとガタイの良いオジさんが出て来た。さっそくドミトリー部屋を案内され、宿帳に記入をする。
 ゆんたく部屋でテレビを観ながら身体を休めてから、晩ご飯の買い物。ハイウエイ食堂も近いので、昆布イリチーでも食べようかと思ったが、結局ホットモットののり弁とコンビニでミネラルウオーターを買って帰る。
 前島の薄暗い路地から、呼び込みの男がすっと顔をだす。別の路地では電柱の陰に女性が立っている。そう言えば昨年、昼間に自転車で通った時に新しくオープンしましたと言ってお姉さんから名刺を渡されたストリップ劇場は、いつの間にか閉鎖したようだ。
 宿に戻り、ゆんたく部屋でのり弁をつまみに泡盛を呑む。直ぐ近所にある民宿ケラマは、若い日本人の旅行者や外国人のバックパッカーで賑わっているが、こちらの宿は長期滞在が多い。中にはマグロ漁船に乗っている男性で8年ほど住んでいる人もいるようだ。
 寝る前に宿のご主人が、奄美の知り合いが送って来たと言うスモモを2つ手渡してくれた。明日の朝食べようと思い、冷蔵庫に入れておいた。
*本日の出費。弁当500円、ミネラルウオーター110円、のり弁320円。写真は久米島で泊まっていたゲストハウスの近くにいた猫。
*2014年6月15日のPhoto Diaryはこちら
6月15日のスナップ。サンサナー
↑明後日から行く石垣島のゲストハウスを電話で予約。
 ゆんたく部屋のテレビで日本対コートジボワール戦の後半を観る。1対2で日本が逆転負け。一緒に観ていたオジさんは、マグロ漁船の船員さんだった。生まれは石垣島で、現在は糸満に家があるそうだが、泊港に近いここで寝泊まりしているようだ。
 午後1時頃に宿を出て、久米島に行く前にとまりんの近くにとめておいた自転車を拾って泊漁港へ。昨日から泊いゆまちで「父の日お魚フェア 本まぐろ祭り」が開催されている。
 先ずは市場の中で1枚100円のまぐろステーキを買って食べる。市場の前のテントに設けられた特設ステージで、サンサナーのライヴを見た後、市場の中のマグロ丼のお店で500円のネギトロ丼。特設ステージに戻りマグロの解体ショーを見た後、海中の様子を見学できるオルカ号で近くの海を遊覧。最後は特設ステージでサザンオールスターズのコピーバンド、サザンバンド沖縄のライヴを堪能した。
 ライヴの終わったのが19時半過ぎで、それから前島のスーパーで鯵と野菜の黒酢あんかけとパン、オリオンのサザンスター2本を購入。宿に戻りシャワーを浴びて、買って来た総菜で晩ご飯。
 市場の中でネギトロ丼を食べている間に通り雨があったようだが、それ以外の時間はまずまずの晴天だった。 
*本日の出費。マグロステーキ100円、ネギトロ丼500円、オルカ号乗船券300円、スーパーで(サザンスター2本、鯵と野菜の黒酢あんかけ、パン685円)。写真は本まぐろ祭りでのサンサナーのステージ。

4月1日(金)

 今日から4月、新学期のスタートだ。これに合わせた訳ではないだろうが、富山で桜の開花宣言が出された。平年より2日早く、昨年より8日遅い観測だという。そろそろ町内の桜並木も咲き始めると思うが、花粉の量が多くて花見にも行けない。

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 Photo Diaryを更新。
*2014年6月10日のPhoto Diaryはこちら
6月10日のスナップ。波布食堂の肉そば
↑あまりよく眠れなかったが9時前に起床。歯を磨き、髭を剃り、顔を洗って、シャワーを浴びる。
 明日から久米島に行くので、とまりんでフェリーの予約が必要か聞きに行ったら席に余裕があるので当日でも大丈夫との返事。とまりんから若狭、辻を自転車で走って那覇港へ。一度は食べなきゃと思っていた、那覇港の中にある波布食堂へ。カツ丼も食べたかったが、野菜を沢山採ろうと思い肉そばを注文。12時少し前にお店に入ったが、お昼時とあって店内は大にぎわい。注文した肉そばがテーブルに届くまで30分ほどかかったが、その間にてんこ盛りのチャーハン、てんこ盛りのカツカレーなどが運ばれて行くのを眺めて楽しんだ。
 目の前に置かれた肉そばは、マンガのような盛りつけで、厨房のおばさんはフライパンの肉野菜炒めをコテと手で押さえつけながら乗せていた。とりあえず下の麺と汁に辿り着くまで、ひたすら肉野菜を食べる。波止場食堂のようにプラ容器は置いていないが、厨房のおばさんに声をかけると容器とビニール袋、輪ゴムのお持ち帰りセットを渡してくれた。けっこう頑張ったが、肉野菜を少しお持ち帰りにした。これは夜のお酒のつまみだな。
 一度宿に戻り、昨日雨で濡れた服やバスタオルを屋上に干す。自転車でまた泊港まで走り、帰りに若狭図書館で写真集を手にしながら少しお昼寝。冷房が効いて静かな図書館は、夏の避難場所だ。
 若狭図書館からサンダルと飲み物を買いに、イオンへ。イオンの2階にある100円ショップで108円のサンダル、1階の食品売り場でミックスジュースの紙パックを購入。イオンからの帰り、雨が降ってきた。屋上に干してきた服が心配で急いでペダルを漕ぐ。幸い波の上の方はまだ雨が降っていなかったようで、洗濯物は濡れずに済んだ。
 宿の1階のフリースペースにノートパソコンを持ち込んで、日記のメモを書く。外が明るくなってきたので、キーボードを打つ手を止めて波の上ビーチに行ったが、ビーチに着いたらまた雨が降ってきた。島の天気はわからない。
 夜、波布食堂から食べきれないで持ち帰った肉野菜を暖めて、泡盛と一緒に晩ご飯。写真は波布食堂の肉そば750円。
*2014年6月11日のPhoto Diaryはこちら
6月11日のスナップ。久米島を一周するバスの車窓から
↑朝6時に携帯のアラームで起床。夜中に激しい雨が降っていたが、朝には小雨になっていた。荷物を4階のドミトリー部屋から1階のフリースペースへ移動。テレビのニュースを観ながら、昨日買ったジュースの残りを飲む。
 7時過ぎに、小雨の降る中、自転車でとまりんに向かう。とまりんの近くに自転車を止め、切符売り場に行くと今回の久米島での撮影をご一緒する新垣さんが既に到着されていた。
 7時半になって窓口が開き、那覇と久米島の往復切符6450円を購入。とまりんの中に入っているコンビニでお茶の紙パックを買って、自分の水筒に詰める。とまりんを出て、ニューくめしまに乗船。荷物を船内の客室に置き、カメラを持ってデッキで出航を待つ。
 ニューくめしまは定時に那覇の泊港を出航。波が高いのか風が強いのか、船はけっこう揺れる。
 慶良間諸島を過ぎるまでは雨雲が空を覆っていたが、渡名喜島に近づくと青空が広がってきた。久米島に到着する少し前には、船の横をイルカの群れがジャンプしていった。
 12時半頃に船は久米島に到着。船の待合所にあった食堂「蛍」に入る。沖縄ソバや定食、喫茶メニューもあるが、カウンターの上に置かれたお弁当がなんだか豪華なので、500円のカキフライ弁当を買って食べた。ちなみに新垣さんは海老フライが3本入ったお弁当だった。それにしても蛍のドアの横には冷蔵庫がいくつも並べられていて営業していないように見えるが、食材の保管にこれだけ必要なのだとか。
 食堂を出て、久米島博物館に向かう。今回久米島に来たのは明日開催される五月ウマチー(稲穂祭)を見るためだが、その祭祀の詳細を博物館へ聞きに行った。思っていたよりも港から離れていて、ようやく緩やかな坂の上に博物館が見えた時に横を走る車から声がかかった。声を掛けて下さったのは、今日から2泊するゲストハウスのオーナーだった。
 港から宿までは無料で送迎してもらえるようだが、宿に行く前に博物館へ寄りたかったので、新垣さんがオーナーと話しをして博物館での用事が済んだら電話をして迎えに来てもらうことになっていた。博物館へ向かって歩いているので、ご主人はこの二人だと思ったのだろう。
 博物館での用事はこれからなので、荷物だけ車に積んで宿に持って行ってもらう事になった。
 博物館の受付で用件を話し、学芸員の方に明日の御願の場所と時間を教えていただく。御願はいくつかの字で行われるようだが、チンベー(君南風)の方が執り行うのは、君南風殿内のある仲地集落。朝9時に殿内での御願が始まり、その後近くにある蔵下(米蔵のあった場所?)と呼ばれる場所に設けられたローカーヤー(日覆屋?)で儀式を行い、次に仲地の隣りの山里のローカーヤーでも同じように儀式が行われて終了となる。ローカーヤーは草で屋根を葺いた簡易な小屋のことで、明日の儀式自体は9時から始まり11時頃には終わるようだ。また、真謝集落では御願の後に奉納角力が開催されるとのこと。
 嘉手苅のローカーヤーが博物館の敷地の近くにあるので見せてもらったら、屋根の草が枯れていた。1年前に作ったものだと思われる。ローカーヤーは毎年作り替えるようなので、これから新しく屋根を葺くに違いない。
 色々とお話しを伺った後、200円の入場料を払い博物館の展示品を見学。それからロビーにあった久米島の祭祀や伝統行事を紹介するビデオを観賞。
 15時頃まで博物館で過ごしてから、宿のオーナーに電話をして迎えに来てもらう。案内された宿はイーフビーチの傍だった。1泊2000円のドミトリーだが、2泊するので連泊割引で1泊1500になり一人3000円になった。
 男性用と女性用の棟があり、男性だけでも16人が泊まれるドミトリーだが、今日の宿泊者はボクと新垣さんの二人だけだった。しばらく部屋で休んでから、近所にあるスーパーとコンビニの品揃えを偵察。スーパーはゆっくり歩いて30秒、コンビニは1分だ。お店の偵察の後は、町営バスの一周線で久米島を一周することにした。宿の近くのバス停はイーフ民宿村(イーフビーチ)で、このバス停には一周線が停まらないので、少し歩いてバスの営業所へ。せっかくだから営業所でバスの時刻表をもらおうと思ったが、時刻表は役場にあると言う。ぜひ営業所やバスの車内にも置いて欲しい。
 営業所を16時25分発の右回りで、島巡りのスタート。最初は新垣さんと二人の貸し切り状態だったが、下校時間と重なったのか、途中から中学生や高校生の乗り降りがあってにぎやかだった。
 明日祭祀が行われる仲地を通ると君南風殿内が車窓から見え、その直ぐ先にローカーヤーと思しき小屋も発見した。
 バスは45分ほどで一周した。座っている間に変化に富む風景を眺められて470円は安いと思う。できるなら一日乗り放題や、二日間乗り放題のバスチケットがあれば良いんだけれど。
 宿に戻り、スーパーへ買い物。野菜や素麺、缶詰、冷凍餃子、お菓子などを購入。買って来た材料で新垣さんがソーメンチャンプルーと焼き餃子を作って下さる。
  缶ビールを開けて乾杯し、料理をつまみにゆんたくタイム。新垣さんとこうして酒を呑みながら、ゆっくり話しをするのは初めてだった。
*本日の出費。お茶の紙パック100円?那覇ー久米島往復6450円、お弁当500円、2日分の宿泊費3000円、バス運賃470円、スーパーでの買い物1369円を新垣さんと折半。写真は久米島を一周するバスの車窓から。
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6月12日のスナップ。チンベーを先頭にローカーヤーへ向かう神人の方々
↑蚊が耳元でブンブン飛び回る音で目が覚める。アチコチ刺されていて痒くてたまらないが、布団に横になって耐える。6時に設定していた携帯のアラームで起床すると、新垣さんはもう目覚めていて、やはり蚊に相当やられたようだった。
 仲地にある君南風殿内での御願は9時からだが、仲地行きのバスは近くのバス営業所を7時30分発の左回りしかない。これだと1時間前の8時に仲地に到着する。この次のバスは8時50分発で9時14分着になってしまう。
 乗り遅れないように少し早めにバス停に着いて、7時30分のバスで仲地に向かう。仲地に着いて、昨日バスの窓から見たローカーヤーに行くと、集落の女性がローカーヤーに古座を敷きにいらした。ご挨拶をすると、君南風殿内でもそろそろ準備が始まるという。
 殿内に伺うと、着物の女性(チンベーの方だった)と祭祀のお手伝いをされている男性がいらしたので撮影の許可をいただく。
 少しずつ集落の神人が殿に集合し、やがてチンベーの方ともう一人が白の神衣に着替えて御願は始まった。それは、これから稲穂祭を始めます、という報告のような儀式に見えた。儀式の間、小さなテープレコーダーからおもろが流れていた。嘗ては神人がおもろを歌う中、儀式は行われたようだが、今ではおもろを歌える方はほどんどいらっしゃらないようだ。
 殿内での御願は10分にも満たない時間で終了し、チンベーを先頭に100メートルほど離れたローカーヤーに移動。ここでも同じように儀式が行われた。ローカーヤーでの御願は少し長くて20分ほどだった。2つの方角への遥拝があり、首里と中国を向いているという。
 仲地のローカーヤーの次は、隣りの山里集落にあるローカーヤーへ。以前は歩いての移動だったが、今日は車で向かうという。歩いても10分くらいと聞いたので、場所が分かるという町のPRビデオを撮影に来たカメラマンと一緒に歩いて向かう。ところがどうも道を間違えたようで、ビデオカメラマンが自分の車を取りに戻り、その車に乗って急いで後を追いかけた。
 山里のローカーヤーに着いた時には既に御願は始まっていた。御願が終わると、チンベーの方ともう一人の神衣の方は着替えをされた。こうして10時頃に、今日の儀式は滞りなく終了した。集落の女性からシークワーサーのジュースをいただいた。甘酸っぱくて、とても美味しかった。
 思っていた以上に祭祀が早く終わったので、この後どう過ごすか思案。真謝集落の奉納角力は午後2時からだ。新垣さんが10年ほど前に久米島に来た時にちらっと見てもう一度見に行きたいというヤジヤーガマへ行ってみたいと思うが、仲間の殿内から歩くと1時間ほどだろうか?困っていたら、ビデオカメラマンが車で乗せて行ってくれることになった。ありがたく同乗させていただいて、ピューンと着いたが、帰りは歩いて帰ることを考えると結構な距離だった。
 ヤジヤーガマは全長800メートルほどの鍾乳洞だが、昔は風葬墓として使われていたようだ。鍾乳洞の入口横のガマには、今でも割れた骨壺と人骨が残されている。鍾乳洞の中には入れるようだが、照明はない。往復で30分ほどと案内板に書いてあったので挑戦しようと中に入ったが、バックに入れてあったLEDの懐中電灯では暗過ぎて道がわからず断念した。
 サトウキビ畑の中の道を仲地のバス停を目指して歩く。途中、走ってきた軽トラックのおじさんに道を聞くと、道を間違えたのか仲地より山里の方が近いそうで、教えられた道を歩いて山里を目指す。40分ほどで山里に着くと丁度バスがやってきたが、旧家・上江洲家への案内板があったので、次のバスに乗ることにして500メートル先と書いてある上江洲家を目指して歩く。500メートルほど歩いた所に、上江洲家まで400メートルの案内板があり、なんだかキツネに化かされた気持になった。
 上江洲家の手前にあった西銘ノロ殿内を少し見学してから国指定重要文化財の上江洲家へ。管理人の方はいらっしゃらなかったが、入場料300円を置いて縁側に腰を下ろすと眠くなったので、縁側でそのまま横になったら短い時間だが本当に寝てしまった。起きたら少し離れた所で新垣さんもスヤスヤと寝ていた。
 上江洲家の敷地の中を一通り見てまわり、真謝へ行くためのバス停探し。また山里のバス停に戻るよりも、海岸に向かった方がもっと近いバス停がありそうなので歩き出す。暫く歩くと家からおばさんが出て来たのでバス停を尋ねると、近くの中学校の前にバス停があると教えて下さった。
 志川中校のバス停にある時刻表を見ると、次のバスは13時50分。後10分ほどでバスが来る。やって来たバスに乗車して、真謝の集落へ。25分ほどで到着した。
 奉納角力が行われる天后宮の横の道には真謝角力大会と書かれた横断幕が掲げられ、バス通りには黄色い旗が沢山立てられていた。天后宮の敷地に設けられた土俵では、すでに小学生の角力が始まっていた。仲地の御願で一緒になったビデオカメラマンも撮影中だった。後で知ったのだが、これは小学校の行事として行われ、奉納角力は16時頃からスタートするようだ。
 角力観戦の途中、真謝集落を散策すると旧仲里間切蔵元跡石牆があった。その近くに商店を見つけたのでピザパン185円を購入。
 角力の会場で声をかけられたので、誰かと思えば昨日のお昼ご飯を食べた蛍に居た女性だった。息子さんが二人おり今日の角力大会に出るそうで、長男は昨年の優勝者だった。
 2時過ぎに着いて17時3分のバスで宿に戻る予定だったが、なんだか面白いので19時8分の最終バスまで見て行くことにした。撮影はほどほどに商店でオリオンのサザンスター140円とベビースターラーメン30円を買って、飲みながら観戦。
 奉納角力が始まったのは16時半頃で、小学生の部、中学生の部があり、高校生は出場者がいなかったので、一般の部となった。小学生の部は男子と女子一緒に戦い、女子が勝つ場面も多々あった。
 一般の部が始まったのは19時過ぎで、バスは諦めて親切なビデオカメラマンに車で送ってもらうことになった。空にはまんまるのお月さまが浮かんでいる。一般の部の準決勝の前には、今年から設けられたアンマー大会があり、大人の女性8人による角力が行われた。
 一般の部の決勝戦が行われたのは21時45分頃で、蛍の女性の次男が優勝した。昨年は長男、今年は次男と凄い一家だ。
 表彰式が終わったのは22時過ぎで、ビデオカメラマンに宿へ送ってもらう。話しをしていると彼の宿泊している民宿も直ぐ近くのようだった。晩ご飯がまだだったので宿の近くのコンビニに寄るが、お弁当もおにぎりも既に売り切れてなかった。ビールとカップ麺とポテトチップを買って帰る。
 お湯を沸かしてカップ麺を作る。ポテトチップをつまみながらビールを飲んでいると、もの凄く眠くなりベットに潜りこんだ。
 新垣さんは予定通り明日の船で那覇に戻るが、もう一泊したくなったので角力大会の会場から宿のオーナーに延泊の電話を入れ、久米商船にも電話で帰りの船の変更をお願いしておいた。
*本日の出費。営業所ー仲地250円、上江洲家入場料300円、志川中校ー真謝230円、ピザパン185円、商店でサザンスター140円とベビースターラーメン30円、コンビニでサザンスター141円、カップ麺200円、ポテトチップ100円。写真はチンベーを先頭に、ローカーヤーへ向かう神人の方々。

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